大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)670号 判決 1981年10月30日
控訴人 新本甲英こと 朴甲英
右訴訟代理人弁護士 小川眞澄
同 藤平芳雄
同 山田滋
同 佐久間洋一
被控訴人 上土井正男
右訴訟代理人弁護士 岸本五兵衛
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取消す。
2 原判決別紙物件目録記載の(一)の土地及び(二)の建物が控訴人の所有であることを確認する。
3 被控訴人は控訴人に対し同目録記載の(一)の土地につき真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
4 被控訴人は控訴人に対し同目録記載の(二)の建物を明渡せ。
5 訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。
との判決及び第四項につき仮執行の宣言
二 被控訴人
主文と同旨の判決
第二当事者の主張
一 控訴人の請求の原因
1 控訴人は、昭和五一年一一月五日被控訴人から原判決別紙物件目録記載の(一)の土地及び(二)の建物(以下、本件土地、本件建物という。)を買受け(以下、本件売買契約という。)、本件土地につき奈良地方法務局同年同月一六日受付第三二七一〇号をもって右売買の原因とする所有権移転登記を経由した。
2 ところで、被控訴人は、本件土地建物が自己の所有であると主張して、本件土地につき奈良地方法務局昭和五五年四月五日受付第一二八九二号をもって前記所有権移転登記の抹消登記を経由し、本件建物を占有している。
3 よって、控訴人は、被控訴人に対し本件土地建物の所有権確認、本件土地につき不法に抹消された前記所有権移転登記の回復に代えて真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続及び本件建物の明渡を求める。
二 請求の原因に対する被控訴人の答弁及び抗弁
(答弁)
請求の原因事実は全部認める。
(抗弁)
本件売買契約は、次の経緯により解除されたものである。
1 控訴人と被控訴人は、本件控訴人を控訴人、本件被控訴人を被控訴人とする大阪高等裁判所昭和五四年(ネ)第九七五号事件において、原判決別紙和解条項のとおりの訴訟上の和解(以下、本件和解という。)をした。
2 本件和解条項第一項2によって、控訴人が被控訴人に支払うべき一八〇〇万円(以下、本件債務という。)は、昭和五五年三月末日限り被控訴人の代理人岸本五兵衛弁護士(以下、岸本弁護士という。)事務所に持参又は送金して支払うことに定められていたが、その後双方の合意により、同年四月一日午後一時奈良地方裁判所(以下、奈良地裁という。)構内の弁護士控室において支払うことに変更された。
3 ところが、控訴人が右弁済期日に本件債務の弁済をしなかったので、本件売買契約は、本件和解条項第四項により当然に解除となり、本件土地建物の所有権は、被控訴人に帰属することになった。
三 抗弁に対する控訴人の答弁及び再抗弁
(抗弁に対する答弁)
抗弁1、2の各事実は認め、同3の事実は争う。
(再抗弁)
1 控訴人は、昭和五五年四月一日午後一時、奈良地裁内の弁護士控室において、岸本弁護士に対し金額一八〇〇万円の株式会社近畿相互銀行(以下、近畿相互銀行という。)生野支店の自己宛振出小切手一通(以下、本件小切手という。)を差出し、現実に提供した。ところが、岸本弁護士が現金でないことを理由に本件小切手の受領を拒絶したので、控訴人は翌二日一八〇〇万円を大阪法務局に弁済のため供託した。
なお、信用のある銀行の自己宛振出小切手又は支払保証のある小切手(以下、保証小切手ともいう。)は、取引界において、その支払が確実なものとして現金と同様に取扱われており、多額の金銭の支払については、盗難、紛失等の危険の回避、計算の煩雑、誤りの防止等の理由から保証小切手によるのがむしろ適当である。控訴人は、約定どおり岸本弁護士に対し本件小切手を提供してその受領を催告したのにかかわらず、被控訴人において特段の事情もないのに本件小切手の受領を拒んだのであって、控訴人には本件債務の不履行がないから、本件売買契約は本件和解条項第四項によって解除されない。
2 仮に、被控訴人に本件小切手の受領を拒絶すべき理由があるとしても、本件においては被控訴人の所為は、権利の濫用である。
すなわち、本件においては、
(一) 控訴人は、本件債務の支払期日である昭和五五年三月三一日より三日前の同月二九日に株式会社住友銀行(以下、住友銀行という。)振出の自己宛小切手を入手し、本件債務の支払に備えていた、
(二) 控訴人は、昭和五五年三月三一日に、本件債務支払のため、本件小切手を持参して岸本弁護士事務所を訪ねたが、岸本弁護士の要請により支払期日を同年四月一日に変更した、
(三) 控訴人は、昭和五五年四月一日、奈良地裁構内の弁護士控室において、岸本弁護士から本件小切手の受領を拒まれ、現金で支払うよう言われたときには、既に午後二時近くなっており、手術の後遺症のため階段の昇降も容易でなく電車で大阪へ行くことが不可能であり、また、自動車で大阪へ行くことも道路の混雑状態からみると無理であり、結局本件小切手を同日中に現金に換えられなかった、
の事情があったところ、従前より本件土地建物は第三者に売却すれば四〇〇〇万円以上であると話していた被控訴人は、控訴人に何か不履行があれば、本件売買契約を解除して本件土地建物を取戻したうえ、第三者に売却することを意図し、本件所為に出ているのであって、被控訴人の主張は権利の濫用である。
四 再抗弁に対する被控訴人の答弁と主張
(再抗弁1について)
1 被控訴人が保証小切手による本件債務の弁済を断ったこと及び控訴人が大阪法務局に一八〇〇万円を弁済供託したことは認めるが、その余の事実は否認する。
2 控訴人と被控訴人との間において、本件債務の弁済は現金をもってする約束があった。
岸本弁護士は、本件和解成立後、控訴人の代理人佐藤真理弁護士(以下、佐藤弁護士という。)に電話して佐藤弁護士との間で、岸本弁護士の都合により本件債務の支払期日及び支払場所を昭和五五年三月二八日午後五時、奈良地裁構内の弁護士控室に変更したのであるが、その際佐藤弁護士から、保証小切手で支払ってもよいかとの問合せがあったのでこれを断り、現金を授受することに合意した。さらにその後、岸本弁護士は、佐藤弁護士から電話で本件債務の支払期日の右三月二八日を変更してもらいたい旨の申入れを受け、同年四月一日午後一時に変更する合意をしたときにも、現金を授受することについて念を押した。
控訴人は、昭和五五年四月一日午後一時一五分頃、奈良地裁構内の弁護士控室に現われ、佐藤弁護士、被控訴人、岸本弁護士、その他の関係人の前で保証小切手を持参した旨告げたので、岸本弁護士が「現金の約束であるから今直ぐ銀行へ行って現金にしてきて欲しい。銀行へ電話連絡のうえ行けば、現金になるだろう。車では間に合わぬから電車で行くように。」というと、これを承諾して席を立った。ところが控訴人は、岸本弁護士が奈良地裁構内の弁護士控室で同日午後五時まで待っていたにもかかわらず、そのまま帰ってこなかった。なお奈良地裁から大阪市内の生野までは電車を利用すれば一時間位で行ける距離である。
以上のとおり、控訴人は、被控訴人に対し本件債務の支払いを現金でする約束をしていたのであるから、控訴人の再抗弁1は理由がない。
(再抗弁2について)
再抗弁2の事実のうち、控訴人が昭和五五年三月三一日に岸本弁護士事務所を訪れたことは認めるが、その余の事実は争う。控訴人が同日岸本弁護士事務所へ来ても本件債務の支払期日が同年四月一日に変更されていたのであるから意味がない。
本件債務弁済についての控訴人の態度は、前記のとおりであって全く誠意がなく、控訴人の権利濫用の主張は当らない。
第三証拠《省略》
理由
一 控訴人の請求の原因事実及び被控訴人の抗弁1・2の事実はいずれも当事者間に争いがない。
二 そして、《証拠省略》によると、控訴人は本件小切手を昭和五五年四月一日午後一時二〇分頃、奈良地裁へ持参し、被控訴人、佐藤、岸本両弁護士、その他の関係人の集った席上で、被控訴人及び岸本弁護士に対して本件小切手を示し、本件債務の弁済として受領するよう催告したことが認められ、被控訴人が保証小切手による本件債務の弁済を断ったことは当事者間に争いがない。
三 そこで、信用のある銀行の自己宛振出小切手は、取引界において通常その支払が確実なものとして事実上現金と同様に取扱われており、金銭債務弁済のためこれを提供したときは特段の事情のない限り債務の本旨に従った弁済の提供があったものと認められる(最高裁昭和三七年九月二一日第二小法廷判決、民集一六巻九号二〇四一頁)ところ、本件小切手は信用ある銀行の自己宛振出小切手に当るので、控訴人の本件小切手の提供につき、本件債務の本旨に従った弁済の提供といえない特段の事情があるかどうかについて検討する。
《証拠省略》によると、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
1 岸本弁護士は、昭和五五年三月二〇日頃、佐藤弁護士から電話で本件債務の支払は保証小切手でよいか、との問い合わせを受けたが、保証小切手でも支払停止の恐れがあることを案じたので、現金にして欲しい旨要請し、佐藤弁護士もこれを了承した。
その後、岸本、佐藤両弁護士間で、本件債務の支払期日(昭和五五年三月三一日)が岸本弁護士の都合により一旦同年同月二八日に変更され、更に、佐藤弁護士の求めにより同年四月一日に変更されたが、三月二八日を四月一日と変更する電話の際にも、岸本弁護士は佐藤弁護士に対し現金でお願いしますよ、と重ねて念を押した。
2 佐藤弁護士が本件和解に控訴人側の利害関係人として参加した小川了(以下、小川という。)に、一八〇〇万円を現金で準備するよう指示したところ、小川は、大金の場合は保証小切手で支払うのが常識であり、相手の弁護士の言いなりになることはない、と言って強く反撥する態度を示した。
3 控訴人は、本件債務支払のために昭和五五年三月二八日、住友銀行今里駅前支店の自己宛振出小切手を用意したが、佐藤弁護士から小川を通じて現金を準備するよう強く言われていて、保証小切手では被控訴人から受領を拒絶される恐れがあったので、その場合には供託しようと考え、大阪法務局供託課へ行って保証小切手で供託できるかどうかを問い合わせたところ、近畿相互銀行振出の小切手であれば供託できると教えられ、右住友銀行振出の小切手を本件小切手に組替えた。
4 そして、控訴人はあらかじめ小川を通じて本件債務の支払期日が同年四月一日に変更されたことを知っていたが、これを確認するため同年三月三一日岸本弁護士事務所を訪ねたところ、岸本弁護士が自宅におり不在であったので、同事務所から岸本弁護士に電話してそのことを確めた(控訴人が同年三月三一日岸本弁護士事務所を訪れたことは当事者間に争いがない。)。
5 昭和五五年四月一日午後一時二〇分頃、前記認定のとおり奈良地裁での関係者が集った席上で、控訴人が本件小切手を示して保証小切手を持参した旨申出たため、佐藤弁護士が現金を持参しなかったことを非難し、岸本弁護士が午後四時まで待つから直ぐ本件小切手を現金に換えてくるよう求めたところ、控訴人はこれを承諾して直ちにその場を立去った。その際、岸本弁護士は、自動車で大阪まで行けば、銀行の閉店時間である午後三時を過ぎてしまうことが予想されたため、控訴人に対しあらかじめ銀行に連絡しておいて電車で行くよう勧めた(電車とタクシーを利用すれば奈良地裁から近畿相互銀行生野支店まで一時間以内で行くことが可能であった。)が、控訴人は銀行に連絡することなく、自分の自動車で大阪に向った。
6 控訴人は、大阪市内に入ったとき、既に午後四時を過ぎていたので、本件小切手を換金することができなかったが、そのことを奈良地裁で待っていた被控訴人関係者及び佐藤弁護士に連絡しないまま、翌二日に一八〇〇万円を大阪法務局に弁済供託した(控訴人が一八〇〇万円を大阪法務局に弁済供託したことは当事者間に争いがない。)。
右認定の事実によれば、岸本、佐藤両弁護士間において本件債務の支払は現金によることが特に合意されたこと、控訴人は、佐藤弁護士から現金を準備するよう強く指示されており、現金を準備しようとすれば容易にでき、現金の持参にそれほどの危険や困難を伴うわけではないのに、被控訴人から本件小切手の受領を拒否されれば供託する考えで、あえて本件小切手を準備・持参したものであって、岸本弁護士から本件小切手の現金化を要求されて大阪へ向った際、既に本件小切手の現金化ができなければ本件小切手をもって供託する意思であったことが認められ、以上の事実は、本件債務の弁済を受けるについての被控訴人の事情を考慮するまでもなく、本件小切手の提供が本件債務の弁済の提供とはならない特段の事情に当るというべきてあるから、控訴人は被控訴人に対し約束どおり本件債務の弁済の提供をしなかったことになる。
四 次に、控訴人は、被控訴人の所為は権利の濫用である旨主張するので検討するに、被控訴人が本件小切手の受領を拒絶した事情は前記認定のとおりであって、被控訴人が本件小切手の受領を拒絶したことよりも、むしろ本件債務を弁済するについての控訴人の不誠実な態度に問題があり、控訴人主張のような健康上の事情があったとしても、控訴人の権利濫用の主張は採用することができない。
五 そうすると、本件売買契約は、本件和解条項第四項により解除されて、本件土地建物の所有権が被控訴人に帰属し、控訴人は本件土地建物の所有権を有するものではないことになったから、控訴人の請求はいずれも理由がない。
六 よって、控訴人の請求は失当として棄却すべきところ、これと同旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条によりこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 仲西二郎 裁判官 長谷喜仁 下村浩藏)