大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)680号 判決 1982年2月25日
控訴人
日本国有鉄道
右代表者総裁
高木文雄
右訴訟代理人
水口敞
右訴訟代理人
浅野昭二
外二名
被控訴人
横内晃
右訴訟代理人
徳矢卓史
同
徳矢典子
同
梅本弘
同
布施裕
主文
1 原判決を取消す。
2 被控訴人は控訴人に対し
(1) 別紙目録(一)記載の株券について、被控訴人の訴外大阪屋証券株式会社に対して有する返還請求権を譲渡し、かつ右訴外会社にその旨の通知をせよ。
(2) 別紙目録(二)記載の株券について、被控訴人の訴外日興証券株式会社に対して有する返還請求権を譲渡し、かつ、右訴外会社にその旨の通知をせよ。
(3) 別紙目録(三)記載の株券を引渡せ。
3 訴訟の総費用(第一審、差戻前及び後の控訴審、並びに、上告審)は被控訴人の負担とする。
事実
一 当事者双方の求めた裁判
(一) 控訴人
1 主文1、2項と同旨。
2 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
3 仮執行の宣言。
(二) 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
二 当事者双方の主張及び証拠関係
次のとおり付加、訂正するほか原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。
(主張)
(一) 控訴人
1 被控訴人の本件株券の受渡し状況と侵奪の認識
(1) 被控訴人は、昭和四七年一〇月二〇日午前一〇時頃に、沖弘なる人物が別紙目録(一)ないし(三)の株券(本件株券という)を持つて被控訴人の経営する東洋商事へ現われる以前に、右沖弘が来訪することを知り、同人のため金策の準備をしていたものである。このことは訴外堀義春が、右同日午前九時頃、被控訴人から金借の申入れを受け、同一〇時前頃、金一〇〇万円を持参していることから窺うことができる。以上の事実は、被控訴人が、その前日の夕方名古屋駅でいかなる事態が発生していたかを十分知悉していたと解するほか、理解のしようがない。
(2) 訴外沖及び被控訴人の態度の異常は、次のとおりである。
沖弘は、被控訴人にとつて一見の客であるのに、その取引に係る株券は、合計四七銘柄、約二六〇枚であり、しかも一株券から一〇〇〇株券まであつて、名義人も多数であつた(株数にして一六万八八九〇株)。名義人多数の株券が存在すること自体名義書換え等のために輸送中の株券が一括して盗取されたのではないかと容易に推察されるところであり、かかる四七銘柄という多数の株券が、一見の客により持ち込まれること自体、異常な事態といわねばならない。しかも沖弘において手形決済のため金が入用であつたとしても、株券で融通をつけるべくその取引先の銀行に依頼し、有価証券担保の制度によれば足りる筈である。
被控訴人は、沖弘に対し、同年一〇月二〇日正午頃、金一五〇〇万円、同月二三日には金一〇〇〇万円を渡したとするが、被控訴人は個人経営により金融業を営むものであつて、昭和四八年には、所得税、個人事業税の申告をした事実もなく、このような規模のもとでのかかる金員の用立ては異常である。
次に、譲渡証書(乙第二号証)、領収書(同第三号証)についても、被控訴人は一〇月二〇日に金一五〇〇万円を渡したというのに、沖弘から進んで提出されたという金三〇〇〇万円の領収書を徴しており、しかも、沖は、右各書類の作成については、成るだけ自筆の痕跡を残さないよう作為し、これを被控訴人に一任しているのである。かかる行為は吾人の理解に苦しむところであり、被控訴人において不審に思わない筈はないのである。
被控訴人は、沖弘が右のような多数の株券を持ち込んだ意図が担保なのか譲渡のためなのか、また、その株券が名和物産株式会社のものか沖弘のものかを確めずにこれを受領している。
被控訴人は、右株券を担保として受領し沖弘に融資することとしたもので、沖による返済がないとき右株券処分のため譲渡証書を取つたものとみられるが、被控訴人は、右株券を直ちに大阪屋証券難波支店等へ持ちこみ、急いでその売却を依頼しているのであつて、譲渡担保としてこれを受領したものの行動とは、到底解せられない。
(3) 被控訴人は次のとおり仮装している。
被控訴人は、同年一〇月二〇日、沖弘が東洋商事を訪れ、金一五〇〇万円を持つて帰つたのは正午前であつたとするが、このことは非常に疑わしい。けだし、沖弘が持込んだ株券は前示のとおり多種多様であり、加・乗計算だけでも複雑であるから、この全部の時価を計算するのに相当の時間がかかるのは当然である。被控訴人は頭の中ではじいたというが、その経験に乏しい被控訴人が容易に計算できたとは考えられない。
被控訴人は、原審における供述によると、右二〇日当日、手元に金八五〇万円しかなかつたので、株式会社第一商事の堀義春から金二〇〇万円、東洋商事の専務という奥村敏和から金二〇〇万円、宝塚の逆瀬川に住む山内正行から金二五〇万円を借り入れ、右一五〇〇万円を作つたというが、僅か二時間の間に金借を終り、これを沖弘に支払つたことは信用できない。
被控訴人は、右山内の所へは高速道路を通つて行つたとするが、右東洋商事のある大阪市南区久佐衛門町から高速道を経て逆瀬川までは、道程三〇キロメートルであり、日中これを四〇分で往復することは不可能である。右東洋商事従業員清水末和のいう被控訴人の外出時間二〇ないし三〇分が正しいとすると、被控訴人は外形を作るため若干時間外出して、宝塚まで往復したこととしているに過ぎない。
被控訴人は、右山内から一〇月二〇日二五〇万円借りたとしているが、山内正行は、一〇月二一日午前一〇時頃金二〇〇万円を貸したとしており(甲五二号証)、これによれば、被控訴人は、右山内の所へ行つていないこととなる。更に堀義春は一〇月二〇日には金一〇〇万円とするなど関係人の言い分は区々であり、しかもこれらの貸借関係について借用証書等の証明は一切存在しない。
被控訴人は、沖弘なる人物を確認するため、同月二〇日午前九時半から一〇時頃までの間に、同人に出会つた後、公衆電話から沖弘の会社へ電話したというが、株式会社ロイヤルの中井寛子(甲第三〇号証)によれば、その日正午頃、沖がいないかという内容のものであつて、右は取引が全て終つた後のものに過ぎない。
(4) 被控訴人が本件株券の売却を非常に急いだことは、次の事情から明らかである。
被控訴人は、一〇月二〇日正午頃、沖弘が東洋商事から帰るや否や本件株券の売却に走り、日興証券難波支店には、同日午後一時一〇分頃訪れ、その際、株が大暴落だから換金しなければといい、更に、大阪屋証券難波支店を訪れて早く換金しなければと述べている。
被控訴人は、沖弘から金三〇〇〇万円の融資を頼まれたのであるから、その現金化に要する四日を待てば足りるのに、これをしないで早急に処分しようと行動している。しかも、右のとおり、沖弘に手交した金二五〇〇万円の原資は、近親者友人からの借入金であるから、正規の取引により株券が現金化される四日を待つても何の痛痒もない筈である。
被控訴人は、右証券会社二社から早急な現金化を断られたので、同社の社員を東洋商事に来て貰い三回にわけ株券の取引の委託をしているが、これは、右両社において被控訴人の身元が明らかになつたから行われたものに過ぎない。
(5) 被控訴人による占有侵奪の事実の認識
以上のように、被控訴人は、何らかの形で、沖弘が被控訴人の東洋商事を来訪することを知り、その来訪以前に金員の一部を用立ててこれを待ち、沖弘が一見の客であつて、銘柄・株券等区々のものが持ち込まれているのであるから、これが名義書換のものか、あるいは盗取された疑いがあるのに、沖弘についてその確認のための調査をすることもなく、これを担保に融資し、しかも、その必要がないのに本件株券の売却を急いだことを考えると、被控訴人は、本件株券が単に何らかの犯罪によつて取得されたことを知つていたという程度のものではなく、その前日の名古屋駅での本件株券の窃盗事件を知つていたと推認すべきであり、かかかる被控訴人の異常な行為は、右窃盗事件を知つていたとしない限り、到底説明し得ないものである。
2 被控訴人の悪意又は重過失と本件株券の返還義務
仮に、被控訴人において侵奪の事実を知らなかつたとしても、以下述べる理由により本件株券を返還する義務がある。
(1) 金融業者である被控訴人の側に、悪意、重過失があるかどうかの判断には、金融業者として、その取引の場における具体的事情を観察して、かかる株券所持者を真実の権利者であると信じ、又は、その人に該株券を処分する権限ありと信じて取引したことが一般経験法則上もつともと思われる事情があつたか否かを探求するとともに、若し取引の場において金融常識に照らし、一見疑わしい外観的事実があるか、一応不信の念を抱くのが相当と思われる状況がある場合には、その疑念等を解消する調査をなすべく、かかる事情が存在するにもかかわらずこれを怠る場合には重大な過失があるというべきである。
そして、1に記載した事実、状況によれば、被控訴人は、本件株券の取得に際して、沖弘が真実の権利者でなくその処分権限のないことを知つていたから悪意であり、仮に然らずとしても、金融業者としてその疑惑、不安を解消するべく相当の注意をなすべきところ、これを著しく欠くものとして重大な過失がある。したがつて、被控訴人は、控訴人に対し、以下述べる理由により、右株券を返還する義務がある。
なお、被控訴人は、訴外菊地清に対する窃盗被告事件において、名古屋高等裁判所でなされた無罪判決が確定したとし、これにより、本件における株券取得についての被控訴人の悪意、重過失の認定に影響がある旨主張するが、事項として全く異別である。しかも、右無罪判決については、被控訴人が右第二審において沖弘と菊地清が同一人と断定できないとした供述の変化によるものであり、また、右判決も公訴事実につき単に証明不十分とするに過ぎず、菊地が無罪となつたからといつて、被控訴人について、本件株券取得に際しての極度の非常態性、異常性が減殺ないし転減されるものではない。
(2) 民法第一九三条は、善意で占有を承継した者に対しても、例外的に回復請求を許しているが、善意取得しない悪意、重過失者に対しても回復請求は可能であつて、右法条は、これら両者を含め、盗取等の場合の回復請求について規定しているものであり、また、商法第二二九条が準用する小切手法第二一条は、有価証券取得者が、悪意、重大な過失によりこれを取得したときその返還請求権を定めているところであり、これが民法第一九二条ないし第一九四条の特別法の地位に立つものであり、この関係において、民法第一九三条の適用が排除されるとしても、控訴人は、次の二つの回復請求権を有するものである。
① 民法第一九三条による回復請求
民法第一九三条は、回復請求権の根拠規定であり、その返還請求権者の範囲については解釈により決すべきであつて、同法条の回復請求権者は多くの場合所有者であるけれども、これに限定されず、賃借人又は受寄者等権限により占有していた者も被害者ないし遺失主であると解される。他方、同法条は、善意取得の例外規定であり、盗難等の場合につき善意取得の例外を設け、静的安全を保護したものであり、有価証券ほど流通安全を保護する必要もない一般の動産について合理的な理由があるとされている。
ところで、株券に関する商法第二二九条の準用する小切手法第二一条は、民法第一九三条の有する右二つの意義のうち、第二の意義につき適用除外し、頻繁な流通が予定される株券につき、その流通性を高度に保障するため、民法第一九三条の適用を除外することとし、その動的安全を一層強化したものである。そして盗品の場合にも株券は善意取得することができ、これがあつたときは、その取得者は確定的に権利を取得するから、この場合には原権利者が回復請求し得ないことは当然であるが、これに対し、これが善意取得されなかつたときは、その取得者は株券を返還すべきであるから、この場合の回復請求権者については民法第一九三条の根拠規定に従うべく、他方、本件株券は法律上当然の無記名証券であつて動産とみられるところ(民法第八三条第二項)、本件株券もまた盗品であるから、結局、民法第一九三条が適用されることとなる。そして、本件株券について被控訴人による善意取得はないから、受寄者である控訴人において、民法第一九三条により回復請求権を有することとなる。
② 商法第二二九条の準用する小切手法第二一条による回復請求
小切手法第二一条が、民法第一九二ないし第一九四条に対する特則である理由は、有価証券はその性質上、強度の流通性をもつものであるから、有価証券の善意取得者が動産の善意取得者よりも厚く保護されるべきであるとすることは否定しない。しかし、小切手法第二一条はその但書において、小切手(株券)の取得者に悪意、重過失のある場合の返還義務について規定し、本来の権利関係の復活することを認めるものであつて、この場合の回復請求権者が誰であるかについては、「小切手(株券)ノ占有ヲ失ヒタル者」と定めているので、その範囲は解釈により決すべきところ、民法第一九二条、第一九三条にあつては、それが権利の取得原因及びその制限の規定であるにもかかわらず、右第一九三条の回復請求権者に、受寄者、受託者等を含むと解されているところであり、同様に小切手法第二一条も、権利の取得原因(本文)及びその制限(但書)を定めており、その請求権者の中に、原権利者のほかに受寄者、運送受託者等を含むと解するに誤りはなく、また、このように解しても、有価証券の強度の流通性を阻害せず、有価証券についての悪意、重過失取得者の権利取得を封ずる法意にも合致する。被控訴人は、控訴人が小切手法第二一条にいう占有者に該らないとするが、同法条但書の返還請求権は、右但書により特別に認められたものであつて、右本文により旧所持人が権利を失うとしても、そのことと回復請求権者が誰かということとはあくまで別問題であり、実質的権利者が回復請求をすることができるというべきであり、その占有の回復とともに証券喪失時の寄託・委託等に基づく本件関係を復活させるものと解すべきである。そして、被控訴人は、本件株券取得に際して、沖弘が真実の権利者でないことを知つていたから悪意であり、又は、本件株券取得の適法性に相当の不安があるのに、これを確認していない点で重過失があるから、本件株券の受寄者である控訴人は、被控訴人に対し、小切手法第二一条に従い、その返還請求権を有する。
(二) 被控訴人
1 被控訴人が、本件株券の取得に際し、占有侵奪の事実認識があつたとする控訴人の主張は争う。すなわち、
被控訴人が本件株券を取得したのは、昭和四七年一〇月二〇日であるのに対し、その被害届は、同月二二日提出されたもので、その当時、盗品の品目は全く特定されていなかつたから、被控訴人が右株券につき盗難品であるとの事実を知ることは客観的に不可能である。控訴人は、同月二三日、大阪屋証券株式会社でこれを知つたに過ぎない。また、本件において、沖弘は、賍品処分の際、相手方である被控訴人を信用させ、かつ、犯跡を隠蔽するため綿密な工作を施し、偽計を用いているものであり、通常人に対し、これを看破することを期待することはできず、主観的にも被控訴人は、本件株券についての特定承継人であるということができる。
2 控訴人主張の回復請求について
(1) 民法第一九三条又は小切手法第二一条による回復請求は、いずれにせよこれを肯定することができず、むしろ、主張自体失当というべきである。
① 民法第一九三条の回復請求について
本件株券は、記名株券であるが、これを無記名証券として動産と同視し、その得喪につき民法第一九三条を適用すべきであると解する根拠はない。かえつて、商法第二〇五条は記名株券の譲渡について定め、同法第二二九条が小切手法第二一条を準用していることから考えると、株券が盗難にあつた場合は、民法第一九三条を適用すべきでなく、小切手法第二一条に従うと解するのが相当であり、また、株券のように高度に流通性が保護される有価証券類は、民法第一九二条より緩やかな要件により善意取得しうるとされ、しかも、民法第一九三条の適用が除外されていることから考え、善意で重過失のない取得者は、たとえ過失があり民法上の即時取得が成立しないとしても、商法第二二九条、小切手法第二一条により、証券(株券)の返還請求を拒否しうるというべきである。
もし、本件につき、民法第一九三条の適用ありとすると、証券の旧所持人からの小切手法第二一条による返還請求を拒否しうる立場にあるとき(民法第一九三条による返還請求権を有するものがいないとき)であつても、本件のように偶々旧所持人が株券を第三者に寄託しているような場合には、その者から返還請求されてもこれを拒否しえないこととなり、右の結果はいかにも不合理であつて、株券の流通を阻害することは明らかである。
② 商法第二二九条、小切手法第二一条による回復請求について
小切手法第二一条は、民法第一九三条と同じく、無権利者より小切手(本件では株券)を取得した場合でも、取得者に悪意又は重過失のない限り小切手上の権利を取得しうることを認めたものであり、この流通を助長するため、民法第一九三条で加えられた盗品・遺失品に関する制限を撤廃し、また、明文上「平穏公然」という要件も定めていない。そして、小切手法第二一条は、民法第一九三条と異り、単に返還する要がないとの表現をとつているが、これは即時取得の制度が、本来所有権者からの返還請求権を制限するという形で発生して来た沿革を示すに過ぎず、その意味は、善意の取得者が即時に小切手上の権利を取得し、その反面において旧所持人が権利を失うことである(ここにいう旧所持人は、形式的資格及び実質的権利を有する者のことである)。つまり、「小切手ノ占有ヲ失ヒタル者」とは、小切手(株券)の占有者という意味ではなく、小切手(株券)上の権利を行使しうる者に限られるのであり、控訴人のような単なる占有者(受寄者)は、現所持人に対し、商法第二二九条、小切手法第二一条による回復請求権を有しないというべきであり、控訴人が被控訴人に対し、本件株券の返還を求めうる根拠規定は、占有回収の訴えを認めた民法第二〇〇条しかない。
なお、控訴人は、小切手法第二一条の返還講求権者の範囲につき、民法第一九三条の回復請求権者についての解釈が重要な基準となるとするが、小切手法第二一条にいう返還請求権者が、小切手の旧所持人に限られることは、解釈上当然のことである。民法第一九三条は、動産について一般的に規定されているもので、株券のように流通性が強く保護されている有価証券においては、特別法により、わざわざ民法第一九三条の適用が排除されているのであるから、単なる有価証券の占有者と、右証券上の権利を行使しうる者は解釈上厳然と区別すべきであり、安易に民法第一九三条の解釈論を小切手法第二一条に持ち込むことは許されない。
(2) 被控訴人に悪意、重過失があるとの主張について
控訴人については、商法第二二九条、小切手法第二一条の適用がない(なお、民法第一九三条は、被控訴人が民法上の即時取得の要件を充していても、控訴人は返還請求をなしうるとする規定であるから、その適用の有無にかかわらず議論の余地がない)から、以下、単に付言するにとどめる。
① 悪意、重過失について
まず、被控訴人は、右1で主張のとおり、本件株券につき、盗難品であるとの事実を知ることは不可能であり、右株券の善意取得者というべきである。
また、被控訴人は、沖弘から本件株券を取得するに際して、その人物の確認をなしたのであるから、被控訴人に重大な過失はないというべく、これ以上の調査義務が被控訴人にあるとすることは酷に過ぎ、証券取引における善意者保護の見地からも不当である。判例法上も、所持人の素性が知れないとか、その者が一見信頼が置けないような者であるとかの理由だけで重過失の認定はしていない。
② 菊地清の無罪判決について
本件と重要な関係にある訴外菊地清に対する窃盗被告事件につき、昭和五三年三月二九日、名古屋高等裁判所において無罪判決がなされこれが確定した。右判決理由によれば、被控訴人は、昭和四七年一〇月二三日、大阪屋証券難波支店から小切手を受領するべく同社に出向いた際、同社に預けていた株券が盗難品であることを知つたとし、菊地についても公訴事実につき犯罪の証明が十分でないとしているものであり、このようにして、右菊地が無罪であれば、被控訴人が本件株券を取得するに際し、善意かつ無重大過失であることが一層明らかである。
③ 控訴人の主張1の事実は全部争う。
人間の記憶はあいまいであるから、被控訴人、小池千加子、堀義春の供述における僅かなくいちがいを根拠に、被控訴人が沖弘の来訪を事前に知つていたとすることはできない。
金融業者でおる被控訴人は、その職業上、一見の客から金策を依頼されたこどがなく、沖弘については、名刺を差し出して手形決済のため金の必要を告げ、有名会社の株券を持参していたから、被控訴人において、その必要があると理解したとしても当然であり、取引上の注意を欠いているとすることはできない。被控訴人の事業規模は、個人事業税の申告の有無により決せられるものでなく、要は集金能力であるから、被控訴人の営業規模から金二五〇〇万円の融資を異常とすることはできないし、まして、沖は、賍品処分につき、被控訴人を信用させるため、名和物産が実在するよう仮装し、自分の証跡を残さないようにしており、書類の作成を被控訴人にさせたのも不自然ではない。更に、本件株券の価格が金三五〇〇万円であるのに対し交付の約束は金三〇〇〇万円であり、株式担保による融資額に比して高い。しかも、沖は、株券の権利を全部被控訴人とすることを承諾し、ここに本件株券譲渡の合意がなされている。
被控訴人は、沖に金二五〇〇万円を渡しているところであり、資金調達時間の短いこと及び関係人の供述の不一致により、この交付を疑問視することはできない。むしろ、供述の食い違うこと、関係者への借用証のないことの中に、その真憑性がみられる。また、本件株券の時価計算に一、二時間かかるというのは、控訴人の独自の見解である。被控訴人は、右株券につき、大体の目安により概算しているもので、株式の知識がなくても二、三〇分もあれば十分である。なお、電話による確認についても、中井寛子は、東洋商事からの電話をメモしていなかつたのであり、また、メモなしに正確に記憶できるものではないから、この電話を昼頃とする右中井の供述は信用できない。
被控訴人が、本件株券の売却を急いだのは、何か急に値下がりするような状況があるから、沖において株券を持つて来たのではないか心配したためであり、既にオイルショックによる株価の急激な下落のあつた事実に徴すると、右をもつて杞憂でないとすることはできず、したがつて、これを悪意、重過失の根拠とすることもできない。
(証拠関係)<省略>
理由
一被控訴人による本件株券占有の事実、及び、名古屋駅構内における本件株券を含む小荷物紛失の事実については、原判決六枚目裏一〇行目から同八枚目裏九行目までのとおりであるから、これを引用する。
そして、沖弘と主張する者が、昭和四七年一〇月二〇日、被控訴人の営む東洋商事へ本件株券を持参し、被控訴人がその引渡しを受け、これに対し、同日金一五〇〇万円、同月二三日金一〇〇〇万円を交付したことは、当事者間に争いがない。
二よつて、被控訴人が右沖弘から本件株券を譲受けた状況、及び、その際の被控訴人の認識について検討する。
1 <証拠>によれば、次の事実が認められる。
被控訴人は、昭和三九年頃から個人金融を営み、東洋商事の名称で、爾来、主として手形等の割引、担保のほか、不動産の売買にも関与して来ていたが、昭和四六年頃に、ソニーの株券につき一〇〇万円程度の金融取引をしたことがある程度で、右商事において従業員二、三名はいるけれども、同四八年度には、個人事業税の申告もなされていないような事業規模であつたこと、ところで、昭和四七年一〇月一九日午後六時三〇分から七時三〇分頃までの間に、国鉄名古屋駅構内において、控訴人が訴外新日本証券株式会社から委託された本件株券を含む証券類が、何物かにより窃取されていたところ、同月二〇日午前一〇時頃、沖弘という人物が、新聞広告により右東洋商事を知つたとして、本件株券をもつて、大阪市南区久左エ門町所在の同商事を訪れたこと、沖弘は、その際、被控訴人に対し、名和物産株式会社沖弘としているが役職の記載のない名刺を差出し、期日の切迫した手形を落す金が必要で、右株券を担保にするか、あるいは譲渡するか方法を問わないので取急ぎ換金してほしいとして、約三〇〇〇万円程度の金融を求めたこと、被控訴人にとつては、右沖は全く一見の客であつたけれども、被控訴人は、本件株券が有名銘柄であることから、これを譲渡証書を徴して受取ることとし、株価については大凡の目算をして約三五〇〇万円程度とふんだが、自ら手元に金八五〇万円の持合せしかなかつたので、訴外第一商事の堀義春から金二〇〇万円位、右東洋商事専務の奥村敏和から金二〇〇万円、宝塚逆瀬川の山内正行から、その頃金二〇〇万円程度の融通を、いずれも借用書によらずに借受け、同日昼頃、以上による金一五〇〇万円程度を沖弘に手渡し、同人から、その記名押印のある譲渡証書(もつとも、本件株券についての特定がない)、及び、その記名押印があり日付名宛人だけがその自筆になる金三〇〇〇万円の領収書を徴取したこと、そして、被控訴人と沖との間で、右の残金については、右株券を処分して後に支払うことを約し、沖は、同日正午過ぎ頃同所を立去つているが、被控訴人は同日午後、沖の右名刺に印刷のある名和物産に電話し、沖さんいませんかと尋ね、これに応待した相手女性から不在であるといわれたので、沖から東洋商事に電話するよう告げて電話を切つたことがあること、なお、被控訴人は、同日午後一時頃、まず、日興証券難波支店に赴き、値段を問わないといつて右株券の早急な売却方を依頼したが、係員から、被控訴人が一見であり、株券の売却までに四日程度を要するとしてこれらを断られたので、直ちに、大阪屋証券難波支店へ行き、株価が暴落するのでと告げて、再び、右株券の売却を急いだが、ここでも同様に断られたこと、そこで、被控訴人は、改めて、右両証券会社に対し、右東洋商事への来訪を告げ、同日午後、両証券会社の社員が同所を訪れたので、本件株券について取引関係に入り、被控訴人においてこれらについての早急な換金方を依頼し、大阪屋証券での三日後の取引に期待したこと、その後、被控訴人は、同月二三日午前、他から金借した金一〇〇〇万円を右沖に手渡し、その足で右大阪屋証券に赴いたところ、その預つている株券が、同月一九日窃取されたものであると告げられ、同年一一月二日には、控訴人から、本件株券についてそれぞれ仮処分執行がなされるに至つたこと、本件株券については原判決別紙目録(一)は大阪屋証券において、同(二)は日興証券において、同(三)は被控訴人代理人においてそれぞれ所持しているが(この占有の事実は、当事者間に争いがない)、以上は、合計で、四七の有名銘柄で枚数にして約二七〇枚、しかも、一株券から一〇〇〇株券まであり、名義人も個人のほか証券会社等一〇〇の多数にのぼり、一六万八九九〇株にも達していること、以上の事実が認められ<る。>
そして、以上の状況に、前示一で認定の事実を総合すると、本件株券は、同年一〇月一九日夜名古屋駅構内で窃取されたものであり、また、被控訴人は、右沖から、譲渡証書とともに右株券の交付を受けることによつて、その譲渡しを受け、その占有を承継したものであり、これが担保のためでないことがそれぞれ認められる。
2 そこで、被控訴人が、右占有の承継に際し、右侵奪の事実を知つていたか否かについて考える。
まず、<証拠>によれば、堀義春は、同年一〇月二〇日午前九時過ぎ頃、被控訴人の営む東洋商事を訪れ、同人に対し、金一〇〇万円を手渡したとしていること、<証拠>によれば、東洋商事と宝塚の逆瀬川は、片道約二八キロメートルであり、これを被控訴人がいうように四〇分程度で往復するのは困難とみられ、しかも、<証拠>によれば、山内が貸与した金二〇〇万円は、同人の銀行通帳では、同月二一日とされ、この間に一日のずれがあること、<証拠>では、被控訴人自身本件株券の評価に二、三時間を要したとしているように、同月一九日の終値(甲第六二号証)によつても、これに相当な時間を要するものとみられることがそれぞれ認められ、これに前認定の事実を総合すると、被控訴人は、沖からの事前の連絡により、同人が多量、多額の有銘株券をもつて東洋商事を訪れることを知り、その取引を予定して金策の準備にかかつていたものであり、沖が東洋商事に現われた同月二〇日午前一〇時頃以降は、殆んどそのための金策に奔走し、その持参にかかる本件株券についてその時価を具体的に算定せず、極めて概括的な価格でその取引に応じ、しかも、右株券は前示のとおり極めて雑多で、殊に一株券から一〇〇〇株券まであるような状況で、到底一私人が適法に所持しているような状況下のものではなかつたこと、しかるに、被控訴人は沖の名和物産における地位・職務、ないしは、右株券を銀行担保によらず、一見の東洋商事で売却を急ぐ理由についても十分な確認を行わないまま右株券を入手し、その後、自ら、証券会社においてその売却を急ぎ、同日午後、右株券処分に関連して名和物産に電話し、沖から折り返し電話するよ判旨う求めたにすぎないことが認められ、以上のような状況によれば、右沖は、前記本件株券の窃取に接着して右株券を所持していたものであつて、賍物罪等何らかの犯罪行為によりこれを取得していたとみられ、被控訴人においても、沖が本件株券を不正行為ないし何らかの犯罪行為により違法に取得したものであると知つていたものと推認されるところである。
しかしながら、民法第二〇〇条第二項但書における侵奪を知つて占有を承継した場合とは、承継人が何らかの形で侵奪があつたことについての認識を有していたことが必要であると解されるところ、右認定の事実関係によつても、被控訴人が名古屋駅における窃盗による侵奪の事実を知つていたとまで認めることは困難であり、前示のように何らかの犯罪によるものであるとの程度の認識をもつては、右但書の場合に該当しないというべきであるから、控訴人は、被控訴人に対し、右侵奪を理由として、右法条により本件株券の返還を求め得ないものと判断される。
判旨三よつて、控訴人が主張する回復請求権の成否について検討する。
1 控訴人は、まず、記名株券も当然の無記名証券であるとして、民法第一九三条により、被控訴人に対し本件株券の返還を求めているけれども、民法第一九三条は、同第一九二条による動産の善意取得があつた場合において、善意取得者によるその所有権の取得を前提としつつ、その物が盗品又は遺失物である場合に、被害者又は遺失主からの回復請求を認め、右の占有の回復とともにその本件の回復を目的とするものであるところ、これに対し、商法第二二九条は、株券の善意取得につき小切手法第二一条を準用し、これにより民法第一九二条以下の善意取得の要件に対して、悪意、重過失の場合でない限り株券を善意取得するものと定め、また、「事由ノ何タルヲ問ハズ」と定めて盗品、遺失物の例外を認めず、かつ、二年の期間制限にも服さないこととされているのであるから、右商法第二二九条、小切手法第二一条の規定は、民法第一九二条ないし第一九四条に対し特別法の地位に立ち、これが民法の規定に対し優先して適用され、かつこれのみに依拠するのが相当であるから(商法第一条参照)、控訴人が選択する右一般法による回復請求は既にこの点で失当というべきである。
そこで、以上のようにして株券の返還請求につき商法第二二九条、小切手法第二一条による場合、右株券の受寄者である控訴人が、右法条により返還請求をなしうるか否かについて検討する。小切手法第二一条の趣旨は、その本文において、株券(小切手)の占有を失つた者があり、これを取得した所持人が株券の引渡しによりその譲渡を受けたものであるときには、取得者においてその返還義務がないとし、その反面において株式の善意取得を認め、また、その但書は、取得者に悪意又は重過失のあるときはこの限りでないとして、株式を善意取得しない所持人に対し、株券の返還すべきことを規定し、悪意、重過失により、株式の善意取得及び株券の返還義務の成否を分つていると解される。そして、この返還請求の主体として受寄者が含まれるか否かについては、まず、小切手法第二一条は、「小切手ノ占有ヲ失ヒタル者アル場合……之ヲ返還スル義務ヲ負フコトナシ(本文)」、「……此ノ限ニ在ラズ(但書)」と定め、その占有喪失時の小切手(株券)の占有者、ないし、右返還義務を負う場合の相手方について特に限定していないこと、民法第一九三条については、善意取得者に対しても、所有権者に限らず受寄者等において回復請求をなし得るものと解されているが、この理は、株式の善意取得が肯認されず、小切手(株券)を占有するに過ぎない小切手法第二一条但書の場合に、より強く認められて然るべきであること、また、このように解し、受寄者に対する返還を認めても、右返還義務は善意取得のない場合であつて、善意者保護を考慮する要をみないものとして何の不都合もなく、証券の流通保護に欠けるところもないというべきであることからみて、これを肯定するのを正当と考える。
判旨2 よつて、被控訴人が本件株券を取得するに際し、悪意又は重過失があつたか否かについて考える。
前示一、二で認定の各事実に従えば、被控訴人は、個人金融を営み、手形ないし不動産取引を主とし、株券についてはその取引例が僅かであつたところ、事前の多数株券売却の電話連絡の後、被控訴人にとつて一見の客である沖弘なる人物が東洋商事を訪れ、しかも、前示のように証券会社を含む多くの名義人についての株式数、銘柄を異にする多数の株券を持ち込み、手形を落す必要だけを告げてその早急な換金を求めている状況であるから、かかる株券の譲渡等による処分は極めて異常な状態というべきであつて、被控訴人としては、かかる人物から株券を一括して譲受けるに際しては、金融業者の常識として、沖弘が本件株券につき権利者であるか、ないし、処分権限を有するかに関し相当な疑念を抱くのが当然と考えられ、したがつて、被控訴人として、この疑念を解消するべく、具体的取引の場でいかなる態度をとつたかが、その悪意、重過失の存否を決するものと考えられるところ、右二、2で認定、判断したとおり、被控訴人は、沖(同人ないしその前者の占有が違法なものであることは前示のとおり)が無権利者であることを知つていたというべく、仮に然らずとしても、右疑念解消につき有効な措置を講じているものとは考えられず、しかもその注意義務違反は、金融業者として、著しく欠けるものがあるというべきであるから、被控訴人に重大な過失があつたと解すべきである。
被控訴人は、これに反し、善意無重大過失をいうので考える。被控訴人は、沖弘において、本件株券の譲渡に際し、偽計を用いかつ証跡を残さないようにしていたとし、被控訴人の事実認識に影響があるかのごとく反論し、<証拠>によれば、沖は同年一〇月一一日頃、株式会社ロイヤルとの間で貸電話の契約をし、名和物産沖弘なる虚偽の名刺を用意して被控訴人との交渉に入り、その後、右電話を中継に使つており、右株券の譲渡に際しても、領収書等に自署することを避け、被控訴人にこれを記載させていることが認められるけれども、被控訴人が認識できた沖弘の行動から、逆に沖の態度の通常でないことが窺れるのみならず、沖のかかる仮装行為があつたとしても、被控訴人の金融業者としての独自の判断により、本件株券の所持の正当性について調査を要するものと判断できたと考えられる。次いで、被控訴人は、沖弘の来訪後、その人物の確認のため名和物産に電話連絡したことで、調査義務を尽しているとするけれども、前認定のように、右電話の内容は、沖の応答を期待しているものとみるべく、沖が同月二〇日午前一〇時頃、東洋商事を訪れて、その正午過ぎ頃同所を去つていることからすると、連絡をまつとの電話の必要はないというべく、したがつて、これが午前中になされたとみるのは困難である、そして、<証拠>によると、右同日東洋商事からの電話に出た中井寛子は、その聴取後直ちにメモをせず、同日午後三時頃沖からの電話連絡の後、右東洋商事からの連絡について記載したが、それが、同日正午すぎ頃とされているところであつて、被控訴人と沖の連絡の経過からすると、その必要は、むしろ、その後の株券売却についての障害に関する連絡以外に考えられない。なお、被控訴人は、菊地について、名古屋高等裁判所で無罪判決がなされ、これが確定していることを挙示するけれども、刑事判決における有罪無罪の結論及びその理由中における判断事項は、直ちにそれに関係した者の民事上の義務の成否に影響を及ぼすものでないと考えられ、かえつて、<証拠>によれば、同裁判所は、領収証(乙第三号証)の菊地の自署部分に対する鑑定等から、菊地と沖との同一性が濃厚であるとしながらも、証明が十分でないとして結論を下したところで、これに鑑みると、右無罪判決確定の事実を、被控訴人の悪意等の認定を妨げる事情とすることはできない。
以上のとおり、被控訴人は本件株券の善意取得者であるということができず、単に本件株券を占有しているにとどまるというべきところ、原判決請求原因五の事実(本件株券の直接又は代理占有の事実)は当事者に争いがないから、その受寄者である控訴人は、商法第二二九条、小切手法第二一条に基づき、被控訴人に対し、本件株券の返還を請求することができる。
四してみると、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は結局不当であり本件控訴は理由がある。よつて、原判決を取消し、本判決主文2項のとおり返還すべきこととし、訴訟の総費用の負担について民訴法第九六条、第八九条を適用し、仮執行の宣言については、これを相当でないと認めて付さないこととし、主文のとおり判決する。
(大野千里 林義一 稲垣喬)
目録(一)、(二)(三)<省略>