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大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)775号 判決 1983年3月16日

控訴人

大阪一男

控訴人

北阪トシ

控訴人

大阪キク

右三名訴訟代理人

尾崎嘉昭

被控訴人

大阪次男

被控訴人

大阪ハル

右法定代理人親権者父

大阪次男

同母

大阪マキ

右被控訴人両名訴訟代理人

宮川種一郎

柴山利彦

主文

原判決を取消す。

大阪家庭裁判所が昭和四九年六月一一日検認した亡大阪來太郎の昭和四七年六月一日付自筆証書による遺言は無効であることを確認する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴人らは主文と同旨の判決を求め、被控訴人らは「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次に附加するほか原判決事実摘示と同じであるからこれを引用する(但し、原判決二枚目裏二行目の「書と」を「書に」に改める。)。

(控訴人らの主張)

一  本件遺言書は次の理由により岩子と來太郎の二人で書いたものではなく、岩子が一人で書いたものであると解するのが正当である。

(一)  双方が手に力を入れて筆を動かす場合は、運筆の相違による字の乱れが顕著であつて、本件遺言書程度の整つた字は書けない。例えば、二人が書く線の長短が異なるため「節」様部分が生じやすいし、筆のはねの位置、角度の差による転折部の変形などが生じる。「四」の字のように二人の筆癖が著しく異なる場合は文字の体裁をなさなくなる筈である。しかし、本件遺言書には文字の調子に変化がなく、渋滞による「節」「重なり」が僅かしか認められず、転折部の異形、変形文字も殆どない。「四」の字はすべて正常な字形を保つている。

(二)  岩子が來太郎の背後に立つて腰をまげ、同人の右手の甲に自らの右手を添えるような不自然極まる姿勢で二時間もかけて書いたとすれば、文字の調子が変わり、疲労が重なつて本件遺言書程度に整つた文字は書ける筈がない。二人で筆の角度を加減し、筆に軽く力を入れて文字が太くならないようにすることは至難の業である。二時間もかかつて書けば、必ず文字の形態、運筆の調子が始めと終わりで変化がある筈なのに、これがなく、本文終わり部分にも疲労による乱れがみられない。岩子の証言通りの条件で二人書きすることは到底不可能である。

(三)  本件遺言書では「コト」の字が漢字、仮名の両方が用いられているうえ、書体も草書風、略字体と色々使われているのは不自然である。また、原稿なしに字体を種々変えたり、用紙の端ぎりぎり一杯まで書いたり、長さ三センチメートルの間に三字を書いているが、これが可能か疑問である。

(四)  本件遺言書の内容は次の点において來太郎の発想に到底合致しない。

1 來太郎は、紛争を生じやすいから、共同経営、共有、収益の分配など複数人間に利害関係を生じる共同関係を嫌つており、賃料の分配は來太郎の志向と一致しない。

2 來太郎が中途半端な二〇万円(遺産の一〇〇〇分の一位)をトシに与えるということは到底考えられない。与えるなら桁違いの金額を書いたと思われる。

3 ハルを相続させる者に加えているのに、養子縁組をしていない。來太郎の几帳面な性格から理解しがたい。

4 來太郎は母屋を長男の一男に与え、残りの貸家を四人の子に二戸づつ位を与えようと考えていた。死ぬ少し前頃までキクに貸屋を与えると話していた。

二  添え手による自筆証書が有効と認められるためには、形式上筆跡自体から本人が主として書いたことを要する。他人の筆癖が濃厚にみられるようなものは不可である。來太郎の場合は白内障で視力が減退し、手の震えが相当にひどく、本件遺言書のように震えの跡や不自然な線が現われないように書くには、補助者が相当強く來太郎の手を握つて書かねばならない。來太郎が草書風の「家」のような文字は書きえないから、二人書きであるとしても、來太郎は筆を持つだけで専ら補助者の運筆により書かれたと解する外なく、これは來太郎の自筆とはいえない。本件遺言書は二人書きであつても、自書するのを補助したといえないから、自筆証書として無効である。

(被控訴人の主張)

一  添え手は自由な運筆に対してかなりの制約となるが、つり手等の物的補助手段を使用する場合と殆ど差異がなく、本件遺言書程度の字体の整いは添え手の場合でも十分可能であることは実験すれば容易に判明する。

二  來太郎は昭和四二年一月上旬一通の自筆遺言書を作成したことがある。右遺言書は本件遺言書と比較し控訴人らの取得分に差異があるが、來太郎の財産の主要部分を一括して同人の跡継ぎとした者に与え、その残部をその余の相続人の事情に応じて個々に分与するという基本構想は貫かれている。右跡継ぎとして一男に家産維持の信頼がおけないため、昭和四七年頃になると、跡継ぎとして次男をあて、同人に承継させるべき財産の内容を是非とも遺言書として明確化しておきたい気持に駆られ、來太郎の強い要望により自己の熟慮を重ねた内容をそのまま素朴な文言に表現したのが本件遺言書である。本件遺言書には、家産を承継させる者として次男の外に限りない愛情を注いでいたハルを加えていること、來太郎の遺産を分散させない方針にも拘らず、キク、トシとの均衡を図つて、一男にも貸屋一軒をその所有名義にしたこと、トシは他家に嫁いで生活が安定していることを考慮して、岩子や次男には考えられない程少額の二〇万円を取得させることとし、旧家族制度的発想が顕著に表われていること、貸屋八軒の管理の責任を次男に負担させながら、家賃収入は岩子死亡後は次男、キクと三分することにしていること等に來太郎特有の発想がみられ、本件遺言書は同人の真正な遺言であることに間違いない。

三  遺言の自書能力は当該遺言書についての文字の判読力と理解力だけでなく、その文字を自力で書きうるだけの手の機能を具えていることが原則的に必要とされるが、負傷や病気又は老齢のため手の機能に支障を生じ、手を自力で意のままに動かせて文字を書くだけの力を欠く場合、添え手書き方法による遺言は本人の運筆のための補助手段の一種として有効とされるべきである。本人に自書能力特にその基本条件をなす文字の判断理解のための視力が存在する限り、添え手者が本人の意思に反した文字の表出を無難に行うことは不可能であり、添え手書きにより添え手者の意思が介入する危険はない。來太郎の両眼は老人性白内障により昭和四三年六月及び昭和四六年四月視力は左右とも0.02であり、本件遺言書作成当時も同視力を有していたと推測される。同人は昭和四四年帳簿(乙第四号証の三)に運筆に震えがあるが、細字で明確に記載しており、文字の判読理解のための視力に支障がなかつた。従つて、同人が添え手者のために自己の欲しない文字を一字たりとも書かされる余地やおそれは全くなかつた。また、添え手書きの場合、筆跡に本人と添え手者双方の両様の筆跡が可分ないし不可分的に共存ないし混合する文書となるが、これは両者の共同ないし協力的運筆であることが却つて明白となり、それは表出された文字の正常さからみて協同者間に表示対象の食い違いがなく、その作出のため呼吸を合わせた協力操作を行つた結果であることが当然推測されるのであつて、このような特殊な方法で作られた文書に対して、通常の場合の単一筆跡としての判断基準をそのまま適用してその判定の困難さを理由に添え手書きの効力を否定しえない。

四  來太郎は本件遺言書作成の昭和四七年六月一日当時自書能力を有していた。その当時來太郎と同居していて同人の自書能力についてよく知つていたと思われるキクは、遺言書開封の際にも、検認の際にも、本件遺言書の字が岩子だと述べているだけで、來太郎が遺言書作成日附頃遺言書に書かれたような字を書きえなかつたとは述べていない。一男も検認の際には既に本件遺言書を見てその字体及び内容を知悉していたが、「父は死ぬ間際は書くことは全然駄目だつたが、本件遺言書が書かれた頃は書けないことはなかつた。」旨供述し、トシも検認の際、來太郎が本件遺言書作成日附頃本件遺言書のような字を書きえなかつたとは述べていない。岩子、次男はもとより一男、トシ、キクも、本件遺言書作成日附頃來太郎が自書能力を有していなかつたとは全然考えていなかつたことが明らかである。原審証人岩子の「來太郎が書きかけた字は偏と旁りが一緒になつたり、上と下がくつついたり、流れたりして読みにくかつたので、手を持つてくれと言われ、添え手して本件遺言書を書きあげた。」旨の証言と対照して考えると、右証言は來太郎に自書能力がなかつた趣旨ではなく、遺言書を書くというので、同人が緊張したためか平素より一層手が震えたため、偏と旁りが一緒になる等して読みにくい字となつた趣旨であると考えられる。そのため來太郎は岩子の添え手の補助を受けて本件自筆遺言証書を作成したのである。

(証拠関係)<証拠>

理由

一原判決控訴人ら主張一、二の事実は当事者間に争いがない。

二被控訴人らは、本件遺言書は來太郎が妻の岩子の添え手を受けて筆記したものであると主張し、控訴人らは、本件遺言書は岩子が偽造したものである旨積極否認をする。

三そこで、他者の添え手を受けて作成された自筆証書による遺言の効力について検討する。

(一)  民法が自筆証書遺言を認めた理由は、筆跡の特徴は容易に他者の模倣を許さないので、筆跡鑑定により、遺言者の筆跡であるか他者の筆跡であるかを、比較的容易に判定でき(その結果、証書の偽造・変造を防止でき)、従つて、遺言者の真意を確認できるからである。

(二)  右(一)の立法理由から、文字を読み理解する能力のある遺言者がその意思に基づき遺言内容を他者に口述して逐一筆記させ、その書面を確認のうえ押印したことが証明された場合でも、右書面は自筆遺言証書として無効である。右の場合、遺言者に自書能力(自筆能力)があつても、その自書能力は発揮されていない。

(三) 他者の添え手を受けて作成された自筆証書遺言は、原則として無効である。その理由。(1) 右証書に添え手をした他者の筆跡の特徴が出現しても容易に偽造と判定できないから、右証書が他者の偽造によるものか、他者の添え手によるものかの判定が、筆跡鑑定技術発達の現状から考えて、(一)の場合の筆跡鑑定と比較し飛躍的に困難となる。(本件における鑑定人の意見も区々に分れている。)(2) 添え手をした他者の意思が遺言者の意思に介入するおそれがある。(3) 従つて、原則として右証書によつて遺言者の真意を確認できない。

(四) 他者の添え手を受けて作成された自筆証書遺言は、(イ) 遺言者が証書作成時に自書能力(自筆能力。次記(ロ)の支えを借りるだけで書きうるときは自書能力があるといえる。)を有したこと及び(ロ) 証書作成の際、遺言者の手の動きが遺言者の望みにまかされており、遺言者は添え手をした他者から単に筆記を容易にするための支えを借りているだけであつたことが、証明されたときに限り有効である。その理由。(1) 自筆証書遺言を認めた立法理由から、自筆能力のない者は自筆証書の方式による遺言をなしえない。(2) 添え手を受けて作式された自筆証書遺言が原則として無効である前記理由から、右(ロ)の要件の充足も必要である。右(イ)の要件を充足しても(ロ)の要件を充足しない限り、遺言者の自書能力が発揮されたと認めえない。

(五)  大審院昭和六年七月一〇日判決、民集一〇巻七三六頁(遺言者が昭和四年一一月五日全文及び氏名を自書し、翌六日他者の添え手を受けて日附を昭和四年一一月五日と記載した事案に関する判決)は、「証人Aは、本件遺言書の日附の記載に当りては、筆を持ち居る遺言者甲の手を、訴外乙に於て後方より把つて書かしめたる旨供述し、同供述に依り、原院認定の如く、甲に於て任意に日附を記載し、乙は単に甲の執筆を助けたるに過ぎざる事実を認め得べきが故に、前記日附の記載は甲の自筆に係るものと言うを妨げず。」と判示する。(この判示は民集の「判示事項、判決要旨」欄に記載されていない。)右判示では、甲に対する乙の補助の程度が明確でない。

日附だけ添え手を受けた右事案のような場合、遺言書の根幹部分である全文及び氏名の自書により、右部分につき遺言者の真意を確認できるから、日附につき前記(四)の(ロ)の要件を緩和する余地がある。なお、従来、ドイツ民法は、自筆証書による遺言をするには、遺言者が遺言の内容を自書し署名するほか、遺言書作成の日附及び場所を自書することが要件となつていたが、遺言及び相続契約の作成に関する法律(一九三八年七月三一日法律)第二一条(自筆証書による遺言)第二項は、「被相続人がその意思表示を自書した時(年月日)及び場所を表示することは、要件としないが、望ましい。」と規定し、同法は経過規定を除き法統一回復法により、一九五三年三月一日廃止され、同法第二一条を修正して新設されたドイツ民法第二二四七条は、「(第一項)被相続人は自書し、かつ署名したる意思表示により普通方式の遺言をなしうる。(第二項)被相続人は、その意思表示を自書したる時(年月日)及び場所を表示することを要す。(第五項)第一項により作成された遺言書が作成の時に関する表示を含まず、そのためその効力につき疑を生じたときは、作成の時に関する必要な確定が他の方法によつてなされた場合に限り、遺言書は有効として扱われる。作成場所についての表示を欠く遺言書についても同様である。」と規定し、日附の自書を自筆証書遺言の不可欠の要件としていない。(被控訴人ら提出の鑑定補充書も現行ドイツ民法第二二四七条を紹介している。)

四(一)  本件遺言書作成時の來太郎の自書能力の有無。原審証人大阪岩子の証言によれば、本件遺言書は昭和四七年六月一日に作成されたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。<証拠>によると、來太郎は昭和四二年(当時六八歳)頃から老人性白内障により視力が衰え、昭和四三年六月に診察を受けた際、視力は両眼とも0.02(矯正不能)であつたが、同人は同年頃は老人会の会計係をしていたので帳簿に記入したりし、また、その頃は手帳を利用して手帳に必要な電話番号等を書き入れ、昭和四四年一月には同年度土地評価額表を自分で書いて作成し、同年頃洋服箱に貼り付けるため大きな紙に「無地夏服」と書いたりしていたが、昭和四五年四月頃脳動脈硬化症を患い、その後遺症により手がひどく震え、食物や薬を口に運ぶ途中でこぼしたりする程になつたため、時たま紙に大きな字を書いて岩子や次男に「読めるか」と聞いたりしたことがある以外は字を全く書かなかつた(右罹患後同人が筆記したものは全く残つていない)こと、來太郎は昭和四七年六月一日キク方のホームこたつの上でマジックペンで便箋に遺言を書き始めたが、手の震えと視力の減退のため、偏と労りが一緒になつたり、字がひどくねじれたり、震えたり、次の字と重なつたり、真つすぐに書かれておらず、岩子から「ちよつと読めそうにありませんね。」と言われたためこれを破棄したことを認めうる。成立に争いがない甲第五号証によれば、一男は本件遺言書検認の際、「父は遺言書の書かれた頃は書けないことはなかつたと思います。」と述べたことを認めうるが、控訴人大阪一男本人の原審供述によると、一男は昭和三七年結婚後は來太郎と別居し、平常の行き来も殆どなく、同人の日常生活の状況を見聞する機会がなかつたので、同人が脳動脈硬化症に罹患した後も、それ程手は震えていなかつたように思つていたことが認められ、これらの事実に照らすと、一男は右検認の際確かな根拠もなく想像で右供述をしたものと考えられ、同供述は措信できない。トシやキクは右検認の際本件遺言書作成日附頃本件遺言書のような字を書きえなかつたとは供述していないが、これは來太郎が脳動脈硬化症罹患後は前記のように殆ど字を書いたことがなかつたため、同人の自書能力の有無について知つていなかつたからであると考えられ、検認の際キクらが右のような供述をしなかつたからといつて、同人らが來太郎の自書能力を肯定していた証拠となしえない。被控訴人大阪次男本人の当審供述によると、來太郎は昭和四二年一月頃遺言書を作成してその後破棄したことが認められ、昭和四七年六月一日に遺言書を作成するのが初めてではなく、また、本人は遺言書をいつでも破棄できることを考慮すると、遺言書作成に当り來太郎が緊張したため平素より一層手が震えたと推測しえない。

従つて、來太郎は昭和四七年六月一日頃相当激しい手の震えと視力の減退のため自書能力を有していたことを認めえない。

(二) 次に被控訴人ら主張の岩子の添え手が前記三の(四)の(ロ)の要件を充足するかについて検討を加える。甲第一号証(本件遺言書の写)によると、本件遺言書のうち、書き直した字、歪んだ字等が一部みられるが、草書風の達筆な字も一部みられ、便箋四枚に概ね整つた字で本文が二二行にわたつて整然と書かれていることを認めうる。原審証人大阪岩子の証言によれば、岩子は背後から來太郎の手の甲を上から握り、來太郎は書こうとする語句を一字一字発声しながら二人が手を動かして本件遺言書を書き上げたことが認められ、これらに前記認定の來太郎の自書能力を考慮すると、岩子が來太郎の手の震えを止めるため手の甲を握つて支えをしただけでは到底右認定の本件遺言書のような字は書くことはできず、來太郎も手を動かしたにせよ、岩子が來太郎の声を聞きつつこれに従つて積極的に同人の手を誘導し、岩子の整然と字を書こうとする意思に基づき本件遺言書が作成されたものと認めるのが相当である。本件遺言書の筆跡は來太郎単独のものであるとする原審鑑定人高松末男の鑑定の結果は前記認定のように來太郎に自書能力を認めえない事実に照らし採用できない。成立に争いがない乙第一六号証(井上直弘の鑑定書)の記載及び原審証人井上真弘の証言は、來太郎が岩子の添え手を受け、両名が一緒に力を入れて筆記したが、筆跡は來太郎のものであるとするが、同人が単独で筆記すると前記認定のように偏と旁りが一緒になつたり、ひどくねじれたり、震えたり等して殆ど読めなかつた事実及び成立に争いがない甲第二ないし第四号証(いずれも田北勲の鑑定書)並びに原審証人田北勲の証言に照らして採用できない。他に前記(ロ)の要件の充足を認めうる証拠はなく、右(ロ)の要件の充足を認めえない。

(三)  そうすると、本件遺言書は前記三の(四)の有効な場合に該当せず。結局民法の定める自筆証書遺言の要件を欠き無効である。

五よつて、これと異なる原判決を取消し、控訴人らの本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(小西勝 青木敏行 吉岡浩)

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