大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)861号 判決 1981年11月30日
控訴人 大川正行
被控訴人 国 ほか三名
代理人 片岡安夫 寺田章 ほか三名
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 控訴人は「1原判決を取消す。2被控訴人国の請求を棄却する。3被控訴人兵庫県、同宝塚市、同宝塚市水道事業管理者は控訴人に対し、各自金二五七万円及びこれに対する昭和四八年九月二〇日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。4訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決並びに3項につき仮執行の宣言を求め、被控訴代理人らは主文と同旨の判決を求めた。
二 当事者双方の主張及び証拠関係は、次に訂正・付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
(訂正)
1 原判決五枚目表五行目の「)と」の次に「その西南に隣接する」を挿入し、一〇行目の「いない限り」を「いないから」と、一二行目の「ところが、被告大川は」を「さらに」と、末行の「四〇番」を「四〇」とそれぞれ改め、同裏七行目の「勝訴し、」の次に「同判決において、」を挿入し、八行目から九行目の「あると確定されているにもかかわらず」を「あり、本件土地は字腰細地内にあるものと認定されている。ところが控訴人は」と改める。
2 同六枚目裏五行目の「原告国が」から一三行目「である。」までを「被控訴人国が、昭和三〇年二月一六日、森林法第二五条に基づき農林省告示第一二五号をもつて、字樫ヶ峯一三八八番の四二の土地をその付近一帯の土地とともに保安林に指定し(右土地から字樫ヶ峯一三八八番の五一の土地が分筆され、控訴人は前記のとおりこの土地を五木田和次郎から買受けたものである。)、さらに昭和四二年六月六日、森林法の一部を改正する法律(昭和三七年法律第六八号)附則第七条一項に基づき農林省告示第八五六号をもつて右字樫ヶ峯一三八八番の五一の土地を附近一帯の土地とともに保安林指定施業要件の指定地と定め、被控訴人兵庫県から控訴人にもそのころその旨の通知があり、被控訴人兵庫県の農林部備付の保安林台帳付属図面<証拠略>には、本件土地を含むその附近一帯の土地が字樫ヶ峯の地内に含まれることが明確に表示されていて、本件土地が字樫ヶ峯一三八八番の五一の土地の一部であることが読み取れること、」と改める。
3 同七枚目表一二行目の「申し出た。)、」の次に「同出張所長及び担当者は本件土地が字樫ヶ峯一三八八番の五一の土地に含まれていることを認めていること、」を挿入し、同裏一行目の「のである。」から四行目までを「こと等から明らかである。」と改め、五行目の「逆瀬川は」の前に「被控訴人国は、本件土地は逆瀬川の河川敷であつて国の所有であると主張するが、右主張は次に述べるとおり理由がない。すなわち、」を、七行目の「宝塚線(」の次に「別紙図面表示のイ点ヘ点とを結ぶ線に接している道路、」をそれぞれ挿入する。
4 同八枚目表一行目の「したがつて、」から九行目までを「このことは、国有の河川敷であれば当然国有財産法第三二条もしくは河川法所定の台帳が備えられているはずであるのに、本件土地についてこのような台帳が存在しないことからしても明らかである。」と改める。
5 同九枚目裏二行目の「縮少」を「縮小」と改める。
6 同一〇枚目表一一行目の「字腰細」から一二行目までを「本件土地は字腰細一三八九番の一の土地と隣接するものではない。」と改め、同裏八行目の「ところが、」の次に「保安林台帳附属図(<証拠略>)、」を挿入する。
7 <略>
8 <略>
9 <略>
10 <略>
11 <略>
12 <略>
13 <略>
14 <略>
(証拠)<略>
理由
一 当裁判所も被控訴人国の控訴人に対する請求は正当として認容すべきものであり、控訴人の、被控訴人兵庫県及び同宝塚市に対する請求は失当として棄却し、被控訴人宝塚市水道事業管理者に対する訴は不適法として却下すべきものと判断するものであつて、その理由は、次のとおり付加・訂正するほか、原判決理由記載と同一であるから、これを引用する。
1 原判決二二枚目表一行目の「官有区分」を「官民有区分」と、同裏五行目の「現在いわゆる公図」を「旧土地台帳法施行細則第二条に基づく土地台帳附属地図(いわゆる公図)」と、八行目の「字限図等」から一〇行目の「土地台帳附属地図では」までを「公図ないし字限図等では国有の」とそれぞれ改める。
2 同二三枚目裏一〇行目の「ある河川」を「あるいわゆる準用河川」と改める。
3 同二六枚目表一〇行目の「、道路」から一一行目の「道路台帳等」までを「については河川法の規定により河川台帳(昭和三九年法律第一六七号による改正前の旧河川法にも河川台帳を備えるべき旨の規定があつた。)」と改め、一二行目の「けれども、」の次に「本件土地のような河川法の適用も準用もない」を挿入し、同裏三行目の「林務課」から四行目の「台帳附属図面」までを「備付の図面(<証拠略>)」と改める。
4 同二七枚目表四行目の「右登記」を「建物の表示登記」と改め、五行目の「すぎず、」の次に「表示登記に表示された建物の所在場所が必ずしも正確なものとは限らないから、」を挿入する。
5 同二八枚目裏一行目の「たものであるが」から五行目までを「、その一部を後記(二)に認定のとおり、昭和九年七月六甲縦走道路敷として国に寄付した。」と、九行目の「いたが」を「いたものであり」と、一〇行目の「なく」を「なかつたが」とそれぞれ改める。
6 同二九枚目表五行目の「前記」の次に「二5」を挿入し、九行目の「承諾を得て、」の次に「右山林を同番の一山林一〇町三反九畝二九歩と同番の二山林三反三畝二三歩に分筆し、後者を」を挿入し、一〇行目の「を前認定のとおり分筆のうえ、」を「として」と改め、末行の「一万四四七五円」の次に「一八銭」を挿入する。
7 同三一枚目表一行目の「縮少」を「縮小」と、同裏七行目から一〇行目までを「控訴人主張のとおり、字腰細一三八九番の二の土地についてその後も地目変更の手続がなされていないとしても、そのことから直ちに同土地が道路敷地として使用されていないことにはならないから、控訴人の右主張はそれ自体失当である。」とそれぞれ改める。
8 同三二枚目表八行目の「道路から」の次に「南東に」を挿入し、<略>、九行目から一〇行目にかけての「宝東村」を「甲東村」とそれぞれ改める。
9 同三三枚目裏七行目「ないし」から九行目の「資料ではあるが、」までを「は、その作成された沿革からみてもその正確性に疑問があるうえ、ことに本件のような山林についてのものには極めて杜撰なものが少くないことは、公知の事実であつて」と、九行目の「反映」を「表示」とそれぞれ改める。
10 <略>
11 <略>
12 <略>
13 <略>
二 よつて前記判断と同旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条によりこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 仲西二郎 長谷喜仁 下村浩蔵)
【参考】第一審判決
(神戸地裁 昭和四九年(ワ)第八八号・昭和五一年(ワ)第八四八号 昭和五六年三月一〇日判決)
主文
一 第八八号事件原告国が、別紙目録(一)記載の土地について所有権を有することを確認する。
二 第八八号事件被告兼第八四八号事件原告大川正行は、第八八号事件原告国に対し、別紙目録(一)記載の土地上に存在する別紙目録(二)記載の物件を収去して右土地を明け渡せ。
三 <略>
四 訴訟費用は第八八号事件被告兼第八四八号事件原告大川正行の負担とする。
五 この判決は、第二、第四項に限り、第八八号事件原告国において金五〇〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実
以下、第八八号事件原告国を「原告国」と、第八八号事件被告兼第八四八号事件原告大川正行を「被告大川」と、第八四八号事件被告兵庫県を「被告兵庫県」と、第八四八号事件被告宝塚市を「被告宝塚市」と、第八四八号事件被告宝塚市水道事業管理者谷昇を「被告水道事業管理者」と、第八八号事件甲号証を「甲号証」と、同事件乙号証を「乙号証」と、第八四八号事件甲号証を「甲A号証」と、同事件乙号証を「乙A号証」と、同事件丙号証を「丙号証」とそれぞれ略称する。
第一当事者の求めた裁判
(第八八号事件)
一 原告国
1 主文第一、二項同旨。
2 訴訟費用は被告大川の負担とする。
3 仮執行の宣言。
二 被告大川
1 原告国の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告国の負担とする。
(第八四八号事件)<略>
第二当事者の主張
(第八八号事件)
一 請求の原因
1 別紙目録(一)記載の土地(以下「本件土地」という。)は、兵庫県知事が管理する普通河川逆瀬川の河川敷であつて、いわゆる法定外自然公物(公共物)であり、原告国の所有に属するものである。
すなわち、明治七年一一月七日太政官布告第一二〇号改正地所名称区別は、
「(官有地)第三種 地券ヲ発セス地租ヲ課セス区入費ヲ賦セサルヲ法トス但人民ノ願ニヨリ右地所ヲ貸渡ス時ハ其間借地料及ヒ区入費ヲ賦スヘシ
一 山岳丘陵林藪原野河海湖沼池沢溝渠堤塘道路田畑屋敷等其他民有地ニアラサルモノ」
と規定しており、本件土地は、同布告をもつて日本国全体の土地を官有地と民有地に大別し、官有地は四種に、民有地は三種に細分したとき、それまでに私人の所持ないし支配していた土地であるとの証明、確認がえられなかつたので、官有地第三種に属するものと定められたものである。
したがつて、本件土地については、従前から地券は発行されておらず、地租その他の公租公課は課せられていない。また、本件土地については、明治八年七月八日地租改正事務局議定の地租改正条例細目第三章第一条ただし書の「但道路畔敷井溝敷堤塘河川等ノ如キハ番外ニ為シ第二章第六条ノ通心得ヘキコト」との規定にのつとり、地番が付されておらず、更に、明治八年七月八日地租改正事務局議定の地所処分仮規則第一章第八条は、「渾テ官有地ト定ムル地処ハ地引絵図中ヘ分明ニ色分ケスヘキコト」と規定しており、旧土地台帳法施行細則第二条に基づく土地台帳附属図では、河川は青色に色分けして区分する取扱いがなされているところ、本件土地については、公図上青色をもつて表示されているのである。
そして、兵庫県知事は、昭和八年一〇月二〇日付で旧国有財産法第一〇条、第一一条に基づき、武庫郡良元地村(現宝塚市)蔵人字腰細一三八九番の一山林(以下、宝塚市蔵人地区内の土地の表示は小字と番地のみによる。)の所有者である訴外米本儀之助との間で、国有地である逆瀬川河川敷(本件土地を含む。)と民有地である右山林との境界を確定しており(右境界は、その後公告されているが、なんびとからも異議の申出はなかつた。)、これによると、別紙図面表示イ、ロ、ハの各点を順次直線で結ぶ線が右両地の境界であるとされているので、右イ、ロ、ハの各点を結ぶ線よりも逆瀬川寄りにある本件土地は、その後払下等がされていない限り、国有地である。
2 ところが、被告大川は、前記米本儀之助を原告とし、字樫ヶ峯一三八八番の三五ないし四〇番の山林所有者である訴外村井鱗蔵らを被告及び参加人とする所有権確認訴訟(第一審神戸地方裁判所昭和一七年(ワ)第四八五号、同三三年(ワ)第六七三号事件、控訴審大阪高等裁判所昭和三三年(ネ)第一三五五号、第一三五六号、第一三六三号、第一五五四号、同三五年(ネ)第二五六号事件、上告審最高裁判所昭和四一年(オ)第六五二号事件、以下、この訴訟を「別件訴訟」という。)で、米本儀之助が第一審から上告審まで勝訴し、本件土地の西南側に隣接する土地は字腰細一三八九番の一であると確定されているにもかかわらず、本件土地が、原告国の所有であることを争い、自己の所有する字樫ヶ峯一三八八番の五一の一部であると主張し、本件土地上に別紙目録(二)記載の物件(以下「本件物件」という。)を設置する一方、宝塚市が原告国の使用許可を得て本件土地上に設置した水道施設の使用を妨害するなどして本件土地を占有している。
3 よつて、原告国は、本件土地の所有権の確認を求めるとともに、被告大川に対し、本件物件の収去と本件土地の明渡を求める。
二 請求の原因に対する被告大川の認否及び主張
1 認否
(一) 請求の原因1項は否認する。
(二) 同2項のうち、別件訴訟において、米本儀之助が第一審から上告審まで勝訴したこと、被告大川において本件土地が、原告国の所有であることを争い、自己の所有する字樫ヶ峯一三八八番の五一の一部であると主張し、本件土地上に本件物件を設置していることは認めるが、その余の点は否認する。
2 主張
(一) 本件土地は、被告大川が昭和三八年一二月一八日、前所有者訴外五木田和次郎から買い受けて所有する字樫ヶ峯一三八八番の五一に属するものである。
右事実は、原告国が昭和四二年六月六日、農林省告示第八五六号をもつて本件土地を含む字樫ヶ峯一三八八番の五一の山林を保安林指定施業要件の指定地と定め、同日付官報でその旨告示し、被告兵庫県及び同宝塚市が右関係書類を縦覧に供し、被告大川に対しても被告兵庫県からその旨の通知があつたこと、被告兵庫県の農林部林務課備付の保安林台帳附属図面には、本件土地を含む附近一帯の土地が字樫ヶ峯である旨明確に表示されていることからも明らかである。また、本件土地内には、昭和二八年八月一日に建築し、同四二年一一月二五日に表示登記、同月二八日に保存登記が経由された建物が存在し、右建物については、神戸地方法務局西宮出張所の表示登記専門官が現地に赴き、建物所在地番等について厳重審査のうえ、登記簿を作成したものであり(なお、右建物所在場所の地番は一三八八番の五一が正しく、一三八八番の三五は間違いであるので、被告大川は、昭和四三年三月ころ、同出張所に対し、訂正を申し入れたところ、同出張所長及び担当者は過誤を認めて建物所有者である訴外横谷裔と話し合つてもらいたい旨懇願したので、その旨同人に話したところ、同人は右建物の敷地が字樫ヶ峯一三八八番の五一であることを認め、右建物を被告大川に提供する旨申し出た。)、被告宝塚市は、右建物について建築以来固定資産税を課税し、昭和四八年度の評価証明書も発行しているのである。これらの点からも、本件土地が字樫ヶ峯地内の土地であり、被告大川所有の字樫ヶ峯一三八八番の五一の土地に属することが明らかである。
(二) 逆瀬川は、武庫川の一支流であつて、一級河川、二級河川のいずれでもなく、下流の一部は河川法準用河川となつているが、県道神戸宝塚線(以下「六甲縦走道路」という。)が通過する諭鶴羽橋を起点とする上流はいわゆる峡谷であり、なんら河川法の関与するところではない。そして、かかる峡谷の場合は、流水の敷地となつているのが常態である部分のみが公有の水路敷であり、水路敷以外は民有の山林であるところ、本件土地は、過去幾世紀にわたつて水流下にあつたことはなく、常識的にも水路敷とは考えられない場所である。したがつて、本件土地を国有の河川敷であると主張する原告国の主張には根拠がなく、右の事実は、被告大川が昭和四六年一二月一三日、被告兵庫県の用地係長柳田某に対し、本件土地が河川敷であることを証する河川台帳の閲覧を求めた際、同人は、河川法第一二条第四項に違反してこれを拒否したこと及び原告国、被告兵庫県、同宝塚市らは、本件土地が国有地であることを証明する河川台帳若しくは国有財産法第三二条所定の台帳を証拠として提出していないことからも明らかである。
(三) 原告国は、別件訴訟の判決で本件土地に隣接する土地が米本儀之助の所有する字腰細一三八九番の一であるとして同人の所有権が確認されていること及び同人との間で右土地と本件土地との官民境界確定がされていることをその主張の根拠としている。しかし、右判決は、主文引用の目録どおりに作図すると、米本儀之助の所有に属する旨確定された土地の範囲は、囲まれない渦状の線となるにすぎないから、確認の対象の特定を欠く判決であり、かつ、米本儀之助が昭和三二年三月二九日に字腰細一三八九番の一の土地を社団法人宝塚ゴルフ倶楽部に売り渡しており、右土地の所有権が同倶楽部に移転しているのに、これを看過して米本儀之助をその所有者としてしたずさんな判決であり、なんら権威あるものではない。なお、右判決が最も措信するに足る図面としている<証拠略>は、その町村界が陸地測量部の地図と異つているうえ、明治二〇年六月二〇日大蔵大臣内訓の定める地図調製式及び更生手続に準拠して作成されていないから、偽造のものであるといわざるをえず、また、原告国の主張する官民境界確定についても、その主張のような公告が兵庫県報に掲載された事実はないから、<証拠略>の官民境界査定書も偽造のものであるといわざるをえない。
(四) 六甲縦走道路は、当初腰細地内を通過する計画であつたが、その後計画が変更され、現在は字樫ヶ峯地内を通過しており、字腰細地内を通過していない。
右の事実は、米本儀之助から寄付を受けた道路敷地及び法敷の求積図(<証拠略>)によれば、その区間の道路延長は三八一メートルであるのに、道路台帳調書(<証拠略>)によれば、道路延長(番号一一一〇から一一四〇まで)は五二〇メートルとなつていて、その間に一三九メートルという差異があること及び右求積図と道路台帳附図の実測平面図(<証拠略>)とを同一縮尺に縮少して比較対照してみると、明らかに不一致であることによつて裏付けられる。また、字腰細一三八九番の二の土地は、米本儀之助が昭和九年八月一四日、字腰細一三八九番からその東側部分を分筆して六甲縦走道路の敷地として国に寄付しているのに、右土地の登記簿上の地目は現在も山林のままであるところ、地目変更があれば、一か月以内にその旨の登記手続をしなければならないことは、不動産登記法の明定するところであつて、法律遵守を主張する国が地目変更登記をしないで放置しているとは考えられないことからすれば、右土地が現在も山林であつて道路敷地ではないということ、すなわち、当初字腰細地内を通過させる計画のもとに、右土地が寄付されたけれども、その後計画が変更され、道路敷地として使用されなかつたことを示している。そして、右計画変更の事実は、道路台帳添付字限図(<証拠略>)によれば、六甲縦走道路は字深谷一四四〇番の北側に隣接しているようになつているが、宝塚地区森林保全調査配備区分図(<証拠略>)によれば、右道路は字深谷一四四〇番の西方約六〇〇メートルに位置する逆瀬川架橋を通過していることからも明らかである。
したがつて、字腰細一三八九番の二の西側に隣接する字腰細一三八九番の一の土地は六甲縦走道路附近には存在せず、字腰細一三八九番の一の地先と原告国が主張する土地も六甲縦走道路附近には存在しない。
(五) 別件訴訟の第一審判決は、「本件係争地の南側に隣接して西宮市下大市字五ヶ山七一五番の一の山林が存在し」と判示している。そうすると、字腰細一三八九番の一の土地と字五ヶ山七一五番の一の土地は宝塚市と西宮市の市境界をもつて隣接していることになり、字五ヶ山七一五番の一の土地の所在が明らかになれば、これに隣接する字腰細一三八九番の一の土地の所在が明らかになり、同土地の地先であると原告国が主張する土地の所在も明らかになるはずである。ところが、字五ヶ山の字限図(<証拠略>)及び甲東村土地宝典(<証拠略>)でも明らかなとおり、字五ヶ山七一五番の一の土地は、六甲縦走道路から南東に約一・一キロメートル離れたところにある西宮市下大市字五ヶ山七一六番の五ヶ池を囲んでいるのである。したがつて、字腰細一三八九番の一の土地は六甲縦走道路附近には存在せず、右土地の地先であると原告国が主張する本件土地も右附近には存在しない。
(第八四八号事件)<略>
理由
第一第八八号事件について
一 その方式及び趣旨により公刊の図書であつて真正に成立したと認められる<証拠略>によれば、次の事実が認められる。
1 明治政府は、明治六年ころから同一四年ころにわたり、全国の土地について地押丈量(検査、測量)をして土地の所有者を確定して納税義務者を確定するとともに、その地価を確定し、これらを登録した台帳を作成して地租徴収の基礎とする地租改正事業を実施したが、その一環として、明治七年一一月七日太政官布告第一二〇号改正地所名称区別に基づいて全国の土地を官有地と民有地に区分し、官有地を第一種ないし第四種に、民有地を第一種ないし第三種に細分した。
2 右の官有地第三種は、「山岳丘陵林藪原野河海湖沼池沢溝渠堤塘道路田畑屋敷等其他民有地ニアラサルモノ」などとされていて、その範囲は極めて広く、民有地とされないものは、すべてこれに含まれることになり、これに対しては「地券ヲ発セス地租ヲ課セス区入費ヲ賦セサル」ものとされていた。
3 右官有区分の実施について、明治七年一一月七日太政官達一四三号は「今般地所名称改定候ニ付テハ従前私有地ハ民有地第一種ニ編入シ村請公有地ノ内所有ノ確証有之モノハ第二種ヘ編入可致尤公有ト称候内ニハ各種ノ地所有之候間取調ノ都合ニヨリ人民ノ幸不幸ヲ生シ候テハ不都合ニ付従来ノ景況篤ト検査ヲ加ヘ官ニ属ス可キモノハ官有地ニ編入シ民ニ属ス可キモノハ民有地ニ編入シ官民ノ所有ヲ難分モノハ別紙雛形ニ準取調内務省ヘ可伺出此旨相達候事」と規定しており、当初は内務省の、その後は新設された地租改正事務局の所掌のもとに、地方官が調査して民有の証明、確認が得られた土地については民有地として地券を交付したが、民有の確証がえられなかつた土地はすべて官有地に編入した。
4 前記地押丈量の結果により字限図、村限図等が作成されたが、地図等の作成については、明治八年七月八日地租改正事務局議定の地所処分仮規則第一章第八条の「渾テ官有地ト定ムル地処ハ地引絵図中ヘ分明ニ色分ケスヘキコト」との規定にのつとり官有地を色分けして明示する扱いがなされており現在のいわゆる公図は、大体において右字限図等を基礎としその後の検査、測量等によつて補正、整備したものである。
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
二 そして、字限図等においては河川及び水路は一般に青色をもつて表示されており、また、旧土地台帳法施行細則第二条に基づく土地台帳附属地図では河川及び水路は青色をもつて表示する取扱いがなされていることは当裁判所に顕著な事実であるところ、<証拠略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
1 本件土地は、六甲縦走道路が逆瀬川を横断する場所に架橋された諭鶴羽橋の上流の逆瀬川右岸(南岸)に広がる細長い土地であり、その現況はおおむね別紙図面記載のとおりである。
2 逆瀬川は、本件土地の下流約五〇〇メートルの白瀬川との合流点から下方が河川法の準用のある河川であるが、本件土地附近は河川法の適用ないし準用のない普通河川であるところ、字限図上はこの部分も国有地であることを意味する青色をもつて表示されている。
3 逆瀬川は、大正初期に本件土地の下流の深谷池附近までの改修工事が完成し、大正三年には右改修工事の結果生じた九万八一八一・八一平方メートル(九町九反)余の不用河川敷が払い下げられたため、改修ずみの部分の川幅(河川敷)は狭くなつているが、六甲縦走道路の開通前である昭和八年ころの本件土地附近の河川敷はかなり広く、良元村役場備付の山林地図においても、青色に着色して逆瀬川の河川敷である旨を表示した部分は、字腰細附近では改修ずみの部分より広くなつている。
4 その後、本件土地附近には多くの砂防ダムが設置され、右砂防ダムによつて水路が制限されたため、その大半が水路からはずれている本件土地内には土砂が堆積し、更に、埋立及び整地工事も何回か行われたため、現在、本件土地の大半は河川敷であるとの外観を呈していない。しかし、本件土地附近は、昭和八年ころは、砂防工事の結果、六甲縦走道路の予定地附近からその上流にかけての右岸(南岸)に洪水時にも侵水しない一段高い土地ができていたものの、右部分は隣接の山林よりは低く、土質、植生にも差異があつて、河川敷の痕跡は残つていた。
5 兵庫県知事は、六甲縦走道路開設の一環として、右道路予定地附近において、旧国有財産法に基づき、逆瀬川南岸河川敷(国有地)と民有地の境界査定をすることとし、昭和八年九月二五日、兵庫県土木部係員が良元村役場書記栗栖愛丸、隣接地所有者米本儀之助、隣接地管理者北口小治郎を立ち合わせ、良元村役場備付の字限図、右北口の陳述、前記痕跡等を調査した。その結果、同知事は、本件土地附近において右河川敷と境界を接している民有地が米本儀之助所有の字腰細一三八九番であると認めたうえ、同人を相手として境界査定を行い、ほぼ別紙図面表示イ、ロ、ハの各点を順次直線で結ぶ線をもつて境界線と決定し、右境界査定の結果は、そのころ査定書の謄本を良元村役場に備付けて一般の閲覧に供したが、右査定に対して異議を申し出た者はなかつた。
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
なお、被告大川は、<証拠略>が偽造の文書ないし図面の写真である旨主張するが、兵庫県知事の境界査定は、その謄本を良元村役場に備え付けて一般の閲覧に供するという方法で公告したものであることは、前示認定のとおりであるから、兵庫県報に公告が掲載されていないことをもつて、<証拠略>の成立の真正を疑わせるものということはできない。
また、明治年間に作成された字限図等のいわゆる公図は高度な測量技術によつて作成されたものではなく、特に山林原野の場合は、その位置関係は別として地形、面積が現地と符合しないことも少くないことは顕著な事実であり、しかも、前掲<証拠略>によつても明らかなように、明治二〇年六月二〇日の大蔵大臣内訓は「今後地図ヲ更正スルモノハ」とあつて、右通達以後に調製ないし更正する地図に関する定めであるから、右公図が、その町村界においてその当時における最も高度な測量技術を駆使して作成された陸地測量部や国土地理院等の地図と符合しない点があり、右大蔵大臣内訓の定める形式を履践していない点があることをもつて、<証拠略>が偽造された図面の写真であるということはできない。したがつて、被告大川の右主張は採用することができない。
以上認定したところによれば、逆瀬川の河川敷は国有財産である法定外公共物であり、前示兵庫県知事査定の境界線である別紙図面表示イ、ロ、ハの各点を順次直線で結ぶ線よりも逆瀬川寄りにある本件土地は、逆瀬川河川敷に属する国有地であると認めるのが相当である。
なお、被告大川は、本件土地については、河川台帳も国有財産法第三二条所定の台帳も存しないので、本件土地は国有地ではない旨主張するが、公共物については、国有財産法第三八条、同施行令第二二条の二により例外として台帳の作成を要しないものとされ、ただ、公共物のうち河川法の適用のある河川、道路法の適用のある道路等については、河川台帳、道路台帳等を備えなければならないとされているけれども、法定外公共物については、台帳を整備すべき旨を定めた規定は存しないから、台帳のないことはなんら右認定の妨げとなるものではない。
次に、被告大川は、字樫ヶ峯一三八八番の五一は保安林に指定されているところ、被告兵庫県の農林部林務課備付の保安林台帳附属図面には本件土地が字樫ヶ峯に属するものとして表示されている旨主張するが、この点に関する<証拠略>は、その記載内容からみて、保安林行政の資料として作成されたものであることが明らかであつて、国有河川敷と民有林の境界を知るための的確な資料とはいうことができず、また、<証拠略>は、本件土地附近の逆瀬川右岸を、蔵人樫ヶ峯と表示した部分とは別の色にぬり分けて樫ヶ峯、腰細と二つの小字を併記していることが明らかであつて、本件土地が字樫ヶ峯一三八八番の五一に属するものと確定しているとはいうことができない。
更に、<証拠略>によれば、本件土地上に存在する建物について、その所在を字樫ヶ峯とする表示登記がなされていることが認められるが、右登記は建物の同一性を表示するものであるにすぎず、右登記をもつて、直ちに本件土地が字樫ヶ峯一三八八番の五一に属するものとはいうことができない。
三 ところで、被告大川は、六甲縦走道路附近には字腰細一三八九番の分筆によつて生じた字腰細一三八九番の一及び同番の二の土地は存在しない旨主張するところ、右主張のとおり字腰細一三八九番の土地が本件土地附近で逆瀬川に隣接していないとすれば、兵庫県知事のした前記境界査定は隣地所有者でないものを相手としていた無効の境界査定ということになるので、本件土地の南側隣接地が字腰細一三八九番の一に該当するのか、字樫ヶ峯一三八八番の五一に該当するのかどうかについて検討する。
1 <証拠略>を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 字腰細一三八九番山林一〇町七反三畝二二歩はもと訴外和田時蔵の所有であつたが、その後数次の売買を経て明治四三年五月、訴外森巌が当時の所有者である訴外中西平八郎から買い受け、次いで、大正九年一〇月訴外宝甲土地株式会社(大正一一年三月、合併により訴外甲陽土地株式会社となる。)が右森から買い受け、その後昭和五年一二月二七日、米本儀之助が右会社から買い受け、同月二九日付で所有権移転登記を経由したものであるが、昭和九年七月そのうち三三四八・七六平方メートル(三反三畝二三歩)を六甲縦走道路敷として寄付し、同年九月二五日、同番の一山林一〇町三反九畝二九歩と同番の二山林三反三畝二三歩とに分筆のうえ、後者を内務省に所有権移転登記した。その間、右山林の境界については、右森が右山林を買い受けた後、その境界の主な地点一〇数か所に「森岩」と刻した境界石を埋設し、米本儀之助も「米本」と刻した境界石を埋設していたが、従前、右境界については、格別紛争がなく、その後、村井鱗蔵が昭和一三、四年ころに字樫ヶ峯の土地を取得して本件土地の南側に隣接する右山林が字樫ヶ峯地内に属すると主張して紛争が生じ、このため、米本儀之助は村井らを相手方として別件訴訟を提起した。
(二) 兵庫県は、昭和八年から六甲縦走道路の開設に着手し、翌九年中にこれを完成したが、各種の資料に基づいて右道路が逆瀬川以南では米本儀之助所有の字腰細一三八九番の山林内を通過するものと認めた。そして、兵庫県知事は、米本儀之助との間で前記認定の官民境界査定をしたうえ、同人に対し、右山林のうちから右道路の敷地として必要な土地三三四八・七六平方メートル(三反三畝二三歩)の寄付と道路の法敷として必要な二一三八・八四平方メートル(六四七坪)の無償使用を要請し、その承諾を得て、寄付を受けた道路敷部分を前認定のとおり分筆のうえ、内務省名義に所有権移転登記を経由し、更に、昭和九年三月一六日、同人に対し、右道路開設に伴う受益者負担金として、当時としては相当高額である一万四四七五円(兵庫県土木部係員の測量結果に基づいて同人の受益地を九万〇八一一坪八合九勺と認定し、三・三〇平方メートル(一坪)当り一五銭九厘四毛の割合による。)を課し、同人は、そのころから昭和一〇年にわたり、右全額を分納した。そして、右道路開設に伴う受益者負担金を課せられた者は、本件土地附近では、米本儀之助のほかには、甲東村(現西宮市)下大市字五ヶ山の山林所有者阪神急行電鉄株式会社と西宮市社家郷山の山林所有者のみであつて、字樫ヶ峯地内の山林所有者は一人もなく、また、当時字樫ヶ峯地内の土地所有者のうちで自己所有地を承諾なく右道路の敷地に使用しているとして異議を申し出た者も全くなかつた。
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、六甲縦走道路は字腰細内を通過しているものと認めるのが相当である。
2 ところで、被告大川は、六甲縦走道路は当初の字腰細地内を通過する計画が変更され、現在は樫ヶ峯地内を通過している旨主張するので、この点について検討する。
(一) まず、被告大川は、<証拠略>道路求積図と<証拠略>道路台帳調書の道路延長の差及び右求積図と<証拠略>道路台帳実測平面図との不一致は道路計画の変更によるものである旨主張する。ところで、<証拠略>は、その記載内容から米本儀之助所有地と阪神急行電鉄株式会社所有地との境界から逆瀬川河川敷までの道路敷及び法敷の求積図であり、その道路延長が約三八一メートルであることが明らかであるところ、<証拠略>は真正に成立したものであるとしても、<証拠略>は、その記載内容から六甲縦走道路の宝塚市内一一一〇番区間から一一四〇番区間までの道路延長五二〇メートルは諭鶴羽橋までを測定した結果であることが明らかであるから、両者は逆瀬川の側(北側)において明らかに測定の起点を異にしているうえ、<証拠略>と<証拠略>国際航業株式会社調製三〇〇〇分の一地図と対照してみると、右<証拠略>南側の測量起点は西宮市と宝塚市の市境界よりも北寄りであるようにも窺われるから、右道路延長の差は道路位置の変更によるものとは認められない。そして、これらの点を合わせ考えれば、右<証拠略>求積図と右<証拠略>縮少図面であると認められる<証拠略>とはほぼ一致していると見ることもできる。
したがつて、被告大川の右主張は採用することができない。
(二) また、<証拠略>によれば、道路台帳添付字限図では、六甲縦走道路は字深谷一四四〇番に隣接しているように図示されており、他方、兵庫県農林部林務課備付の宝塚地区森林保全調査配備区分図には、右道路は一四四〇番と表示した部分から遠く離れて存在するように図示されていることが認められるが、右の一四四〇番と表示した部分には字深谷の表示はなく、かえつて「黒岩」という記載があるので、右数字が字深谷一四四〇番を表示したものであるとは速断できないうえ、右部分の位置、形状は前掲<証拠略>に図示された字深谷の位置、形状とも全く異なつているので、右両図の相違が道路計画の変更によるものであるとは到底認められない。
なお、被告大川は、米本儀之助が道路敷地として寄付した字腰細一三八九番の二の地目変更がなされていないのは、道路敷地として使用していないためである旨主張するが、以上説示したところによれば、六甲縦走道路は米本儀之助から字腰細一三八九番の二として寄付を受けた土地に建設されたことが明らかであるから、被告大川の右主張も採用することができない。
3 次に、被告大川は、西宮市下大市字五ヶ山七一五番の一の山林と字腰細一三八九番の一は西宮市と宝塚市の市境界をもつて隣接しているところ、字五ヶ山七一五番の一の山林は六甲縦走道路から南東に約一・一キロメートル離れたところにある五ヶ池を囲んでいるので、字五ヶ山七一五番の一に隣接する字腰細一三八九番の一は右道路の附近には存在しない旨主張するので検討する。<証拠略>によれば、字五ヶ山七一五番の一は六甲縦走道路から約一キロメートル離れた五ヶ池を囲んでいることが認められるところ、字五ヶ山七一五番の一の総面積は本件全証拠によつても知りえないが、前掲<証拠略>によれば、字五ヶ山七一五番の一中に六甲縦走道路の受益地が四一万六八一三・二二平方メートル(一二万六〇八六坪)余あるとしてその所有者である阪神急行電鉄株式会社に対して受益者負担金二万円余が課せられていることが認められるので、右事実のみによつても、字五ヶ山七一五番の一が広大な面積を有し、六甲縦走道路に近接していることが窺われる。更に、前掲<証拠略>によれば、右道路の敷地として右会社の所有地五九二三・九六平方メートル(一七九二坪)余が使用されていることが認められ、前掲<証拠略>によれば、字五ヶ山七一五番の一の北側部分が北側から順次同番の二四五、同番の二四六として分筆されており、宝甲村土地宝典(<証拠略>)では右の七一五番の二四六に該当する部分が道路として表示されていることが認められる。したがつて、被告大川の右主張は採用することができない。
4 以上のほか<証拠略>にも字樫ヶ峯の区域が六甲縦走道路を越えて東南方まで延び、字腰細が右道路のはるか東南方に存在するかのように表示した図面ないし供述記載が存在するが、前掲<証拠略>を総合すると、これらはいずれも別件訴訟の被告及びその引受参加人らが別件訴訟の証拠として提出した書証と同訴訟における証人若しくは本人の尋問調書であるところ、これらのうち図面等は、前記村井鱗蔵らが、字樫ヶ峯の土地を取得した昭和一三・四年以降に(一部は訴訟資料にするために)、字樫ヶ峯の区域が六甲縦走道路のはるか東南方にまで及んでいるとの想定のもとに隣地所有者の立会を求めることもなく測量した結果等に基づいて作成したものであり(<証拠略>を総合すれば、右事実が窺われる。)、供述等も若干の知識または調査結果に基づく推定意見にすぎないと認められるから、たやすく信用できない。
また、<証拠略>によれば、字限図には字樫ヶ峯が逆瀬川の南岸に沿つて三日月形ないし芋形をしているよう表示されていることが認められるが、字限図ないし姿図は土地の区割と地番を明らかにするために作成されたものであり、地形的なものについての重要な資料ではあるが、必ずしも正確に現地を反映しているとはいえないのみならず、右<証拠略>に示された樫ヶ峯の東端が現地においてどこまで延びているかは、図面自体によつて判断することができないので、右<証拠略>は字樫ヶ峯の区域を認定する的確な証拠とはいうことができず、他に六甲縦走道路及び字腰細一三八九番の一の所在位置に関する前記認定を覆すに足りる証拠はない。
四 次に、請求の原因2項の事実のうち、被告大川において本件土地が、原告の所有であることを争い、被告大川所有の字樫ヶ峯一三八八番の五一の一部であると主張し、本件土地上に本件物件を設置していることは、当事者間に争いがない。
右事実によれば、被告大川は本件土地を占有しているものというべきである。
五 以上の次第であるから、被告大川に対し、本件土地の所有権の確認及び右所有権に基づいて本件物件の収去と本件土地の明渡を求める原告国の請求は、正当として、認容すべきである。
第二第八四八号事件について<略>
第三結び
よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言について同法第一九六条をそれぞれ適用し、なお、所有権の確認を求める部分について仮執行の宣言を付するのは相当でないから、これを付さないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 佐藤栄一 笠井昇 田川直之)
物件目録
(一) 宝塚市蔵人字腰細一三八九番の一地先
国有地 二万七七三二・六九平方メートル
ただし、別紙図面表示イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、イの各点を順次直線で結んだ線で囲まれた区域。
なお、右イ点は、逆瀬川架橋諭鶴羽橋南側橋台の西角を起点とし、県道神戸宝塚線(旧六甲縦走道路)西側路肩の線に沿つて南方へ七四メートルの地点であり(この地点には七〇センチメートル四角のコンクリートが埋められている。)、ロ点は、イ点を起点とし、通称諭鶴羽線道路南側路肩の線に沿つて西方へ二九四メートルの地点であり(この地点にもイ点と同様のコンクリートが埋められている。)、ハ点は、逆瀬川架橋岩倉橋北側橋台の西角から同橋南側橋台の西角を見通した線上にあり、同橋南側橋台の西角から南方へ二七メートルの地点であり(この地点にもイ点と同様のコンクリートが埋められている。)、ニ点は、逆瀬川架橋岩倉橋南側橋台の西角であり、ホ点は、同橋北側橋台の西角であり、ヘ点は、逆瀬川架橋諭鶴羽橋南側橋台の西角である。
(二) 右地上所在
軽量鉄骨造鉄板葺平家建床面積約五〇平方メートルの建物一棟及び有刺鉄線三か所、看板九個、フエンス一か所、門一ヵ所
なお、右各物件の所在位置は、別紙図面表示のとおりである。
別紙図面 <略>