大阪高等裁判所 昭和56年(行コ)27号 判決 1982年12月17日
大津市中央四丁目六番五五号
控訴人
大津税務署長
北脇種一
右指定代理人
高須要子
同
本落孝志
同
勝瑞茂喜
同
後藤洋次郎
大津市南志賀四丁目一五番三九号
被控訴人
山田逸夫
右訴訟代理人弁護士
吉原稔
主文
原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。
被控訴人の各請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
一 当事者の求める判決
1 控訴人
主文と同旨。
2 被控訴人
(一) 本件控訴を棄却する。
(二) 控訴費用は控訴人の負担とする。
二 当事者双方の主張
次に付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
(訂正)
1 原判決別表二・番号5の金額欄「二〇八万三七八〇」を「二〇八万八七八〇」と、同表合計欄の「一九七一万三五一〇」を「一九七一万八五一〇」と、同別表三・番号5の差益金額欄「四二万一九一一」を「四一一万一九一一」と、同表番号10の売上原価欄「二二二万六五三五」を「二二一一万六五三五」と各訂正する。
2 原判決一一枚目表八、九行目の「否認する」を「争う。三二八万九一三四円である」と訂正する。
(控訴人)
1 被控訴人が昭和四八年から五四年にかけて株式会社矢代仁(以下矢代仁と略称する)から仕入れた呉服の仕入回数及び取引金額は、別表九のとおりであるところ(なお、仕入れた呉服の種類は別表一〇のとおりである。)、一方矢代仁の被控訴人に対する昭和四八年の期首未決済金額が五五〇〇円であることから、被控訴人は矢代仁から昭和四七年にも呉服を仕入れていたということができ、そうだとすれば、被控訴人は、遅くとも昭和四八年には、営利を目的として、反覆・継続して呉服の販売をしていたものと推認できるのであって、矢代仁も被控訴人に販売のために呉服を卸売していたことを認めている。そして、一般に染色業者が呉服の販売を副業とすることも通常認められているところであるから、被控訴人が少なくとも昭和四八年以降染色加工業を営むかたわら、副業として呉服の販売をしていたことは明らかである。
2 控訴人は、従前、係争各年分の呉服の販売に係る収入金額を矢代仁及びよ志だからの呉服の仕入金額に呉服売売業者の平均差益率を適用して推計していたが、被控訴人が右二社の外にイチイ工芸株式会社(イチイ工芸と略称する)からも呉服を仕入れていた事実を新たに確認し得たので、係争各年分の呉服の販売に係る収入金額及びその売上原価を次のとおり訂正する。
(一) 昭和四八年分につき 一九五万八五三二円
これは、原審主張の矢代仁からの仕入金額六二万四一〇〇円にイチイ工芸からの呉服の仕入金額八〇万七〇〇〇円を加えた売上原価一四三万一一〇〇円に平均差益率二六・九三パーセントを適用して算定したものである。
143万1100円÷(1-0.2693)=195万8532円
よって、原判決六枚目表五行目の「八五万四一一二円」を「一九五万八五三二円」と改め、それに伴い、同二行目の総収入金額「二〇五七万二六二二円」を「二一六七万七〇四二円」と改める。
(二) 昭和四九年分につき 一〇〇万五六二七円
これは、原審主張の矢代仁及びよ志だからの仕入金額七〇万〇八〇〇円にイチイ工芸からの呉服の仕入金額一万四〇〇〇円を加えた売上原価七一万四八〇〇円に平均差益率二八・九二パーセントを適用して算定したものである。
71万4800円÷(1-0.2892)=100万5627円
よって、原判決七枚目表七行目の「九八万五九三一円」を「一〇〇万五六二七円」と改め、それに伴い、同四行目の総収入金額「一二七〇万一六七二円」を「一二七二万一三六七円」と改める。
3 右の総収入金額の訂正に伴ない、昭和四八年分の総所得金額を次のとおり訂正する。
(一) 原判決六枚目裏一行目から九行目まで全文を次のとおり改める。
イ 減価償却費を除いた必要経費一四三八万七〇五三円
被控訴人の昭和四九年分の総収入金額は後記のとおり一二七二万一三六七円であり、同年分の減価償却費を除いた必要経費は八四四万二八九七円であるから、総収入金額に対する右減価償却費を除いた必要経費の割合は、六六・三七パーセントとなる。そこで、これを昭和四八年分について適用してその金額を求めると頭初記載の金額となる。
844万2897円÷1272万1367円=0.6637
2167万7042円×0.6637=1438万7053円
(二) よって、原判決六枚目表最終行の必要経費(イ+ロ)「一四五四七六五四円」を「一五二七万四四八六円」と、同裏最終行の事業所得金額((1)-(2))「六〇二万四九六八円」を「六四〇万二五五六円」と、同七枚目表二行目の総所得金額「五七五万一七八〇円」を「六一二万九三六八円」とそれぞれ訂正する。
4 被控訴人の提出した甲第二号証の記載中、是認できる従業員数及び勤務期間に基づき、昭和四九年分雇人費に関する原審の主張(原判決九枚目表四行目から同裏六行目まで)を次のとおり改める。
ワ 雇人費 二二八万五二六四円
右金額は、昭和四九年中に被控訴人方で働いていた従業員(原判決で認定された清水宮子ほか)の供述及び前記甲第二号証(何号証に記載されている雇人費は、被控訴人が実際に支払った雇人費を超えることはあってもそれを下まわるとは考えられない)により実額算定したもので、その内訳は、別表一一のとおりである。
なお、原判決は昭和四九年分の雇人費につき、当事者双方の主張を上まわる三四三万五一三八円と認定しているが、これは弁論主義に違反する。
5 前記2の総収入金額と売上原価及び右4の雇人費の各訂正に伴い、昭和四九年分の総所得金額を次のとおり訂正する。
(一) 原審主張の売上原価三六九万四〇二七円に前記イチイ工芸からの呉服仕入金額一万四〇〇〇円を加える結果、原判決七枚目裏三行目の「三六九万四〇二七円」を「三七〇万八〇二七円」と改め、右の前記雇人費の訂正に伴い、同二行目の必要経費「九五四万四七四一円」を「九五五万三九一三円」と改める。
(二) よって、原判決一〇枚目表一行目の事業所得金額((1)-(2))及び同二行目の総所得金額の各「三一五万六九三〇円」を「三一六万七四五四円」とそれぞれ訂正する。
(被控訴人)
1 被控訴人は昭和四七年以前に矢代仁に対し、呉服の小売りを始めたいと申し入れたことはなく、昭和四八年以降にしても、被控訴人が矢代仁から仕入れた呉服の回数と金額は、昭和四八年一一回、六二万四一〇〇円、昭和四九年一〇回、六四万円で、これらは月にして五万円程度にすぎず、仮に利益が二割としても一万円、三割としても一万五〇〇〇円という小額である。このような程度の僅少の仕入れをもって業としてなしたとは到底いえない。
なお、矢代仁からの白生地の仕入れは、たたき染が難しい技術を要するところから不あがり品の発生することが多々あり、そのため不あがり品の弁済用として仕入れたものにほかならず、この点に関する原審の認定は正当である。
2 被控訴人がイチイ工芸から呉服を仕入れ、他に販売していたとの控訴人主張事実は、その根拠が薄弱で、控訴人の独断に基づくものである。
3 昭和四九年当時被控訴人方で働いていた人員は、原審主張のとおり九名であった。
なお、控訴人は雇人費につき、原判決が被控訴人の主張を上まわる金額を認定したのは弁論主義に違反するというが、税務(更正処分取消)訴訟における原告(納税者)の主張する金額は、所得金額についての主張立証責任を負う課税者側(処分者)の主張に対する否認の仕方の一方法として(いわば理由付否認)主張するにすぎず、それを上まわる金額を認定したからといって、弁論主義に違反するものではない。逆に、処分者側が主張立証した金額を上まわる所得金額を認定することは抗弁として主張した事実を超えて積極的に認定したことになるから、この場合は弁論主義に違反することになる。
三 証拠
次に付加、訂正するほか、原判決証拠関係欄記載のとおりであるから、これを引用する(但し、原判決一一枚目裏三行目の「一ないし一四」の次に「(一一は一、二)」を、同四行目の「一ないし五」の次に「(同号証の一は昭和四八年に、同号証の二ないし五は昭和四四年にいずれも山田染飾工場を撮彰した写真)」を、同六行目の「乙第三八、三九」の次に「、五三、五五、五八、五九「をそれぞれ加え、同行目の「第五三ないし第五七号許」を「第五四、五六、五七号証」と、同七、八行目の「その余の乙号各証の成立は不知。」を「その余の乙号各証の成立は認める。」と同一〇行目の「第五七号証」を「第五九号証」とそれぞれ訂正する。)。
1 被控訴人
(一) 甲第六号証の一ないし六、第七号証の一ないし九、第八号証の一、二
(二) 当審での被控訴人本人
(三) 乙第六〇ないし第六三号証、第六七、第六八号証のうち官署作成部分の成立は認めるが、その余の部分の成立は不知、その余の後掲乙号各証の成立は認める。
2 控訴人
(一) 乙第六〇ないし第七一号証
(二) 当審での証人後藤洋次郎
(三) 甲第八号証の二のうち読売新聞切抜き部分の成立は認めるが、その余の部分の成立は不知、その余の前掲甲号各証の成立は不知。
理由
一 本件各処分の経緯ならびに他事考慮、理由附記ないし理由開示の欠如、質問検査権の違法を理由とする本件各処分の適法性についての当裁判所の判断は、原判決理由第一及び第二の一項(原判決一二枚目表三行目から一四枚番裏最終行まで)のところであるから、これを引用する。
二 被控訴人の昭和四八年分の総所得金額について
1 収入について
(一) 染色加工による収入について
この点についての当裁判所の判断は、次に訂正するほか、原審が原判決一五枚目表三行目から同一六枚目表二行目までに説示するとおりであるから、これを引用する。
原判決一五枚目表七行目の「二五六万五六〇〇円」を「二五七万〇六〇〇円」と、同一六枚目表二行目の「一九七一万三五一〇円」を「一九七一万八五一〇円」と各訂正する。
(二) 呉服販売による収入について
(1) 被控訴人が訴訟の段階において呉服販売による収入の追加主張をなすことは許されないと主張するけれども、租税関係訴訟における訴訟の対象は、総所得金額に対する課税の違法一般(総額主義)であり、所得金額に限っていえば、課税庁が課税処分において認定したところの納税者の課税標準が実際のそれを上まわっているかどうかが審理の対象となるものであるから、課税庁は原処分時とは別個の理由を主張して実際の所得が課税所得金額を上まわることを主張しうるものと解するのが相当である。被控訴人の主張は採用できない。
(2) 被控訴人が昭和四八年中に矢代仁から六二万四一〇〇円相当の呉服を仕入れたことは当事者間に争いがないところ、控訴人は、これを販売のための仕入れであると主張しているので、この点について検討する。
成立に争いのない乙五号証(以下成立に争いのない文書にあってはその旨の記載を省略する。)第四五ないし五〇号証、官署作成部分はその方式及び趣旨からして公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべく、その余の部分は乙第一号証と弁論の全趣旨によって成立の認められる乙第五八、五九号証、官署作成部分の成立については当事者間に争いがなく、その余の部分については当審証人後藤洋次郎の証言により成立の認められる乙第六〇号証、原審及び当審での証人後藤洋次郎の証言、被控訴人の原当審供述(一部)を総合すると、被控訴人は昭和四五年より矢代仁から依頼を受けて染色加工を行なっていたが、途中、時期は必ずしも明らかではないけれども、遅くとも昭和四七年中には矢代仁から呉服を仕入れるようになったこと、昭和四八年から昭和五四年にかけて被控訴人が矢代仁から仕入れた呉服の仕入回数及び取引金額は別表九のとおりであり、その種類(但し昭和五二年まで)は別表一〇のとおりであるが、これらによれば、昭和四八年、昭和四九年における矢代仁との年間取引金額はともに六〇万円台で、昭和五〇年の二五四万円余、昭和五二年の六〇七万円余、昭和五四年の五五四万円余に比してきわめて低額である(もっとも、昭和五一年は、七〇万円余にすぎない)けれども、いまだ染色業がその営業の大部分を占めていた時期であることを考えると、右仕入額が少いことからだけで販売目的の仕入れではないとはいえず、また、呉服の種類については昭和四八年から昭和五二年にかけて格別の変化はみられないこと、被控訴人は矢代仁から昭和四八年に仕入れた呉服のうち、白生地が三回分、額にして二三万円の取引(なお、昭和四九年には六回にわたり、取引金額は一八万六五〇〇円)があるところ、被控訴人がその頃の取引先である関谷雨渓商店から昭和四七、四八、五〇年に、同じく志らきから昭和四九年にそれぞれ不あがり品を買取らされていること、被控訴人は昭和四九年一〇月には矢代仁から染色加工による収入がないのに、同月一四日に矢代仁から二万六〇〇〇円相当の白生地を仕入れていること、仕入先である矢代仁の販売課長は大蔵事務官の質問に対し、被控訴人に発注していた染色加工の技術は「たたき染」というものであるが、これは技術的に高等なものではなく、従ってひどい失敗は少ないし、また、仮に不あがりが発生したとしても、納品の時点で難の度合によって値引、買取等につき協議するのが通例であり、染色業者が自己の判断で別の白生地を弁済用に仕入れて染色し直すということは矢代仁との取引にあっては通常ありえず、被控訴人の場合でも同様である、また、被控訴人の技術からみて不あがり品が発生するとは考えられないと述べたうえ、被控訴人の白生地の仕入れは独自の販売用ではないかと推断していること、被控訴人は矢代仁から前記のとおり昭和五〇年以降も引続き白生地を仕入れているところ、同年には染色加工賃が減少しているのに白生地の仕入れは二五四万円余にのぼっていること、また、昭和五四年には矢代仁から染色加工の依頼を受けていないにもかかわらず、同社より多数回にわたり白生地を仕入れていること、以上の事実が認められる。
被控訴人は、原審及び当審での本人尋問において、白生地は矢代仁から染色加工の依頼を受けたものに不あがりが出た時の補填用であり、その余の反物は従業員や親類の依頼により仕入れたもので、これらは原価で譲渡しており、両者とも販売を目的として仕入れたものではない旨供述するけれども、このうち白生地についての説明は、前段認定の事実、殊に、前掲乙第六〇号証にみられる矢代仁販売課長の供述、白生地仕入れと矢代仁の染色加工賃支払とが対応しない月の存在などに照らし(なお、仮に「たたき染」が相当高度な技術を要するものであったとしても、三五年に及ぶ染色加工の経験を有する被控訴人が頻回にわたり失敗するとは考えにくいし、万一不あがりが発生した場合でも、納品の時点で値引等により解決できるのにそれを殊更回避するのは不合理である。)、その余の反物についての説明は同じく乙第六〇号証や右説明自体いまひとつ具体性に欠けていることに照らし、いずれもたやすく措信し難く、他に右認定を左右する証拠はない。
以上認定の事実を総合すると、被控訴人の昭和四八年における矢代仁からの呉服の仕入れは販売のための仕入れと推認するに十分であり、その回数、継続性からみて、被控訴人は、少なくとも昭和四八年以降染色加工業を営むかたわら副業として呉服の販売をしていたものといわざるをえない。
(3) 官署作成部分の成立については当事者間に争いがなく、その余の部分については当審証人後藤洋次郎の証言により成立の認められる乙第六七、六八号証及び右証言によれば、被控訴人は、昭和四八年中にイチイ工芸から高橋名義で八〇万七〇〇〇円相当の呉服を仕入れたことが認められ、これに反する被控訴人の当審供述は右乙第六八号証や自己振出の小切手が高橋関係で入金処理されていることに照らし措信できない。そして、前記(2)に述べたところからすれば、右呉服の仕入れも矢代仁からの仕入分と同様販売目的の仕入れと認めるのが相当である。
(4) ところで、控訴人は、被控訴人の右呉服の販売に係る収入金額を算出するについて、右呉服の仕入金額に同業者一一名の平均所得率を適用して算定するという推計方法を主張するので、これについて判断する(なお、控訴人は昭和四九年中の呉服の販売による収入に関しても同様に平均所得率の適用を主張するので、同年分についてもあわせて検討する。)。
そもそも、推計課税は実額課税によりえない場合にやむを得ず用いられる課税方法であるから、推計課税をするには、納税者が信頼できる帳簿書類等の資料を備え付けておらないとか、課税庁の調査に対して非協力的な態度をとるなど、課税庁が所得の実額を把握できない事情の存すること、すなわち、推計の必要性が存在しなければならないところ、被控訴人が大津税務署の調査担当職員に対し、本件係争年分の帳簿書類等を正当な事由もなく呈示しなかったことは前記一の原判決引用部分のとおりであり、かつ、現在においても、前記呉服の仕入れを販売目的ではないと主張して実額計算をするに足りる何らの資料を提出しないのであるから、被控訴人が推計により呉服の販売に係る収入金額を算出したことは相当であるといわざるをえない。
そこで、次に推計の合理性について検討する。
乙第五一、五二号証、原審証人後藤洋次郎の証言及び弁論の全趣旨によれば、大阪国税局長は、本件訴訟の資料に供する目的で昭和五四年一〇月二四日付で控訴人に対して通達をなし、大津税務署管内に納税地を有し、かつ、専ら呉服販売を営む個人事業者で、本件係争年分において青色申告書を提出している者全員(当該係争年分中に開廃業等をした事業の非継続者及び当該係争年分につき不服申立もしくは訴訟係属中の者は除く)の報告を求めたこと、これに対して控訴人は調査したところ、右通達で指定した要件を充足する同業者は全部で一一名であったので、その全員につき事業所、氏名、収入金額、売上原価、差益金額(収入金額から売上原価を減じたもの)、差益率(差益金額を収入金額で除したもの)を記載した同年一一月二日付報告書を作成のうえ大阪国税局長に提出し、同報告書を書証(乙第五二号証)化するにつき、納税者の秘密保持の見地から、報告書のうち当該納税者の事業所、氏名を特に隠したこと、右一一名の昭和四八年分の収入金額、売上原価、差益率が控訴人主張の原判決別表三(昭和四九年分は同別表六)のとおりであることがそれぞれ認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
そこで、右平均差益率によることの合理性につき考えると、右事実関係によれば、控訴人が対象とした青色申告者はいずれも専ら呉服販売業を営み、他の業種を兼業としない者であるところ、被控訴人の昭和四八年及び昭和四九年中における呉服販売は、前認定のとおり、染色加工を本業とするかたわらでの副業であったから、右呉服販売業者一一名のなかには営業形態において被控訴人とかなり相違しているものが含まれていると推認され、また、右一一名の売上原価は、一業者が昭和四九年分で五五九万円余円である点を除き、いずれも六〇〇万円以上で、被控訴人の売上原価と比べて六倍以上の差異があり、これらや被控訴人が呉服販売をはじめてそれほど年数が経ていなかったことをあわせ考えると、前記一一名の平均差益率をそのまま被控訴人の差益率としてあてはめるには、若干疑問の余地がないわけではない。
しかしながら、本件において、被控訴人は前記のとおり呉服仕入れの事実は認めているものの、呉服販売の事実を争い、かつ、課税庁の調査に対しても非協力的な態度を固持しているものであり、その結果、その販売形態等を把握できなかった控訴人が、大津税務署管内で呉服販売業を営んでいる者の中から、呉服の小売・卸売あるいは店舗の有無等の販売形態の差異などによる抽出上の制限をせず、幅広く呉服販売業者を選定したのはやむをえないものというべく、しかも、前記のとおり恣意が介在しないようその全員を資料としているのである(一一の業者数も、差益率を出すについて別段少なすぎるものではない)から、右の選定は前記の問題点を考慮しても一応合理的な方法であるということができる。
そして、単純平均による計算方法も経験則上妥当なものとして是認できる以上、控訴人主張の平均差益率を不合理なものとすることはできない(一一名の差益率をみると、昭和四八年分において最高が五六・三七パーセント、最低が一七・四六パーセント、昭和四九年分において最高が四〇・〇一パーセント、最低が一八・九五パーセントで相当の偏差があるけれども、既に平均値による推計を許容しえる以上、右の差異はいまだ同業者率の適用を不合理なものとして排斥すべきものではない。)。
以上のとおりで、他に合理性を疑うべき事情につき被控訴人の主張、立証はないから、前記一一名の平均差益率(昭和四八年分は二六・九三パーセント)により被控訴人の呉服販売に係る収入金額を推計する方法は結局合理性があるものというべきところ、この方法により推計すれば、被控訴人の昭和四八年分の呉服の販売に係る収入金額は次の算式により一九五万八五三二円(少数点以下切捨て)となる。
(62万4100+80万7000)-(1-0.2693)=195万8532円
(三) 以上によれば、被控訴人の昭和四八年度分の収入金額は二一六七万七〇四二円となる。
2 必要経費について
被控訴人が昭和四八年分の雇人費に関する証拠として提出した甲第一号証の一、二中には、昭和四八年中に被控訴人方で働いていた従業員数が九名であること及び右九名に対し支払った賃金額を示す記録が存するけれども、これらはその記載内容からして被控訴人主張事実を証明する重要な資料であるにもかかわらず、本件各処分後の異議申立、審査請求の各段階においては審査機関に提出されず、本件訴訟になって初めて証拠として提出されたものであること、また、被控訴人の原審供述によって認められるとおり、これを記帳する基となった賃金支払明細の控が被控訴人方に保管されているというのにこれらが本件訴訟には証拠として提出されていないことに照らすと、右記載内容はそのまま措言できないし、その他に被控訴人の昭和四八年における必要経費の総額を認定するに足りる的確な証拠はないので、被控訴人の昭和四九年おける減価償却費を除いた必要経費の割合を参考にして算出することとする。
後記認定のとおり、被控訴人の昭和四九年における収入は一二七二万一三六七円で、減価償却費を除いた必要経費は八四五万八九四七円であるから、その割合は六六・四九四(以下切捨て)パーセントとなり、これを昭和四八年分について適用してその金額を求めると、一四四一万三九三二円となる。
また、控訴人の主張する被控訴人の昭和四八年における減価償却費は、その基礎を、後記判示のとおり、当事者間に争いのない被控訴人の昭和四九年における減価償却の内訳と計算方法を採用して算出しているので、合理的なものと認められるから、その金額は控訴人の主張するとおり八八万七四三三円と認められる。従って、以上合計すると、被控訴人の昭和四八年における必要経費の総額は一五三〇万一三六五円となる。
3 事業所得について
前記1の収入金額二一六七万七〇四二円から前項の必要経費一五三〇万一三六五円を控除した六三七万五六七七円が被控訴人の昭和四八年における事業所得金額ということになる。
4 譲渡所得について
被控訴人の昭和四八年における譲渡所得の損失金額が二七万三一八八円であることは当事者間に争いがない。
5 総所得金額について
以上認定したところによれば、被控訴人の昭和四八年における総所得金額は事業所得から譲渡所得の損失を差し引いた六一〇万二四八九円となる。
三 被控訴人の昭和四九年分の総所得金額について
1 収入について
(一) 染色加工による収入について
この点についての当裁判所の判断は、原審が原判決二〇枚目裏一一行目から同二二枚目表七行目までに説示するとおりであるから、これを引用する。
(二) 呉服販売による収入について
被控訴人が昭和四九年中に矢代仁から六四万円相当の呉服を仕入れたこと、及びよ志だに裏地等の加工代金六万〇八〇〇円を支払ったことは当事者間に争いがなく、前掲乙第六七、六八号証及び当審証人後藤洋次郎の証言によれば、被控訴人は同年中にイチイ工芸から高橋名義で一万四〇〇〇円相当の呉服を仕入れたことが認められ、これに反する被控訴人の当審供述は前同様措信できない。そして、前記二1(二)(2)に述べたところからすれば、右呉服の仕入れ及び加工依頼はいずれも販売目的のためになされたものと認めるのが相当である。
被控訴人は、右呉服の仕入れ中、白生地については不あがり品の弁済用、その他の呉服は従業員や親類に原価で譲渡したものであり、よ志だに加工を依頼した反物は自家消費用のものであると主張するけれども、右前段の主張は前記説示のとおり採用できず、反物につき自家消費用とする主張も、これに沿う被控訴人の当審供述は確実な裏付けがないのでただちに措信できず、他にこれを認めるに足りる証拠がない。仮に自家消費用であったとしても、被控訴人は前記のとおりすでに呉服の服売を業としていたものであるから、所得税法三九条により事業所得金額の計算上は収入金額に算入すべきものである。
しかるところ、被控訴人の呉服販売に係る収入金額について、被控訴人は昭和四八年分と同様実額算定を可能にする帳簿類等を提出せず、そのため控訴人において被控訴人の呉服の服売形態を明らかにしえないので、控訴人が推計により右収入金額を算定するのはやむを得ないものというべく、その主張する推計方法も前記のとおり不合理ということはできないから、前記呉服の仕入れ代金六五万四〇〇〇円に裏地加工代金六万〇八〇〇円を加算した七一万四八〇〇円に呉服販売業者の平均差益率を適用して、昭和四九年分の呉服の販売に係る収入金額を求めると、次の算式により一〇〇万五六二七円となる。
(65万4000+6万0800)÷(1-0.2892)=100万5627円
(三) 以上によれば、被控訴人の昭和四九年分の収入金額は一二七二万一三六七円となる。
2 必要経費について
(一) 売上原価
原判決別表七記載の売上原価二九九万三二二七円については当事者間に争いがなく、前記認定事実によれば、矢代仁から仕入れた前記呉服代金六四万円及びよ志だに対する裏地等の加工代金六万〇八〇〇円も経費として計上すべきものであるから、結局売上原価は三六九万四〇二七円となる。
(二) 公租公課一一万一〇六〇円、荷造運賃二七万〇六九一円、旅費通信費一二万一八三七円、広告宣伝費二万四〇〇〇円、交際費四五万一八〇五円、損害保険料六万七九四二円、修繕費九万二五八〇円、消耗品費六万七四五〇円、福利厚生費七万八七八五円、水道光熱費六四万八三三六円、雑費一一万二四七〇円、減価償却費一一一万一〇一六円、支払利息四〇万二六五〇円、以上については当事者間に争いがない。
(三) 雇人費について
乙第六四号証、被控訴人の原審供述により成立の認められる甲第二号証(一部)、官署作成部分の成立については当事者間に争いがなく、その余の部分については原審証人後藤洋次郎の証言により成立の認められる乙第五三ないし第五七号証、官署作成部分の成立については当事者間に争いがなく、その余の部分については当審証人後藤洋次郎の証言により成立の認められる乙第六一ないし第六三号証、原審証人清水宮子(一部)、同西出壮一郎(一部)、同山田エイ、原審及び当審での証人後藤洋次郎の各証言によれば、昭和四九年中被控訴人方で働いていた従業員は、清水宮子、近沢祐子、西出壮一郎、増田富男、内田道子、中曽根桂子、平原某の七名であり、うち清水と増田は年間を通じて、内田と近沢は昭和四九年一月から六月までの間、西出を臨時雇ないしいわゆるパートタイマーとして同年一月から八月まで、平原は同年四月頃、中曽根は同年五月頃いずれも臨時雇で二週間程度稼働していたことが認められる。
被控訴人は、右認定を超えて、藤田保男、吉田信男という従業員もいた旨主張し、前掲甲第二号証、被控訴人の原審供述により成立の認められる同第五号証の五及び九、前掲証人西出壮一郎、同清水宮子の各証言、被控訴人の原当審供述中には右主張に沿う部分があるけれども、これらは客観的な裏付けがない(甲第二号証はその提出の経緯に照らしそれ自体としては証明力に乏しい)うえ、藤田及び吉田が働いていた時期について不一致があることや、前掲乙第五七号証(同号証によれば、同年六月まで働いていた内田道子は右両名を全く知らないという。)に照らして、たやすく信用することができず、従って、藤田及び吉田は被控訴人方において働いていなかったものと推認され、他に前記認定を左右するに足る的確な証拠はない。
そこで、右認定の七名の従業員に対し被控訴人が支払った賃金の総額について検討すると、この点に関し被控訴人は、前掲甲第二号証、甲第五号証の一ないし三、一〇、一二、一三(いずれもその成立は被控訴人の原審供述によって認める)を証拠として提出する。これらは、その作成ないし提出の経緯に照らしてその信用性については相当問題があるけれども、前記七名の従業員のうち平原を除く六名に限っていえば、その六名は各自甲第二号証中の支払賃金額の記載とほぼ符合する証言ないし回答をなしているので、右六名の前認定の各稼働期間に関しては、同号証中の各記載金額を賃金として支払ったものと認めるのが相当であり、また、平原については、この点に関する証言ないし回答がないけれども、同号証中の記載金額が臨時雇相応のものであることに徴すれば、他の六名と同列に論じて差支えないというべきである。
そうだとすれば、被控訴人は、昭和四九年において賃金として清水に対し九六万円、増田に対し五五万九一九〇円、内田に対し二九万〇三六〇円(同女は同年七月にはすでに被控訴人方を退職しているけれども、被控訴人の当審供述によれば、同年八月に残っていた未払分を支払ったことが推認でき、八月分の九八〇〇円を含めるのが相当である。前掲乙第六三号証、当審証人後藤洋次郎の証言は右認定を左右しない。)、近沢に対し二二万五一二〇円、西出に対し二四万八一四四円、平原に対し二万〇二五〇円、中曽根に対し一万二二五〇円をそれぞれ支払ったものというべく、従って、以上を合計した二三一万五三一四円が被控訴人の昭和四九年分の雇人費ということになる。
3 前記1の収入金額一二七二万一三六七円から前項の必要経費合計九五六万九九六三円を控除した三一五万一四〇四円が被控訴人の昭和四九年における事業所得金額であって、同年には他の所得がないから、これが被控訴人の総所得金額ということになる。
四 以上によれば、課税標準を右各金額の範囲内でなされた本件各更正処分にはこれを取り消すべき瑕疵は存しないから、いずれも正当であるというべく、従って、本件各更正処分が右のごとく維持されるべきものである以上、国税通則法六五条により本件各更正により増加する部分の税額に一〇〇分の五の割合を乗じて得た金額の範囲内でなされた本件各賦課決定処分も正当であるといわなければならない。
よって、被控訴人の本件各請求はいずれも失当であるから、これと異なる原判決を取消して右請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 上田次郎 裁判官 広岡保 裁判官 森野俊彦)
別表九
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別表一〇
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別表一一
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