大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。
官報全文検索 KANPO.ORG
月額980円・今日から使える・メール通知機能・弁護士に必須
AD

大阪高等裁判所 昭和57年(う)1016号 判決 1984年4月12日

裁判所書記官

松井長次

本籍

大阪市西区西本町一丁目九番地

住居

大阪府豊中市永楽荘一丁目三番三四号

会社役員

吉本冨士夫

昭和七年七月三一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五七年三月二日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、原審弁護人岡島嘉彦から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 大谷晴次 出席

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役五月及び罰金八〇〇万円に処する。

被告人において右罰金を完納することができないときは、金一〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

但し、この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用中証人岡安秋及び同中西基彦にそれぞれ支給した分は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人岡島嘉彦作成の控訴趣意書記載のとおりであって、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官事務取扱検事竹内陸郎作成の答弁書記載のとおりであるから、これらをここに引用する。

控訴趣意第一の一及び二について

論旨は、原判決は、判示第一につき昭和四七年分の売上繰延額(いわゆる売上げの帳端分の繰延べ)を、原判示第二につき昭和四八年分の売上繰延額をそれぞれ逋脱所得としているけれども、被告人は右の昭和四七年分については繰延べの事実を認識していなかったのであり、右の昭和四八年分については、繰延べの事実を知ったのは昭和四九年二月ごろであって、脱税の意思がなかったものであって、これらの売上繰延額を逋脱所得とすべきものでないから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。

よって、所論にかんがみ、記録及び原審証拠を精査し、当審における事実取調の結果をも併せ考察するに、原判決の挙示する関係証拠によれば、原判決が争点に対する判断において所論と同旨の主張に対して判示するところはすべて肯認することができ、所論の点に関する原判示の各事実認定を肯認することができ、所論にかんがみさらに検討しても、右判断を左右するに足りない。それで、原判決には所論の事実誤認はなく、論旨は理由がない。

同第一の三について

論旨は、原判決は、原判示第一につき、昭和四七年分の期首棚卸高を一億五、〇〇〇万円と認定しているけれども、右は少くとも一億六、〇〇〇万円とすべきであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。

よって、所論にかんがみ、記録及び原審証拠を精査し、当審における事実取調の結果をも併せ考察するに、原判決の挙示する関係証拠によれば、原判決が争点に対する判断において所論と同旨の主張に対して判示するところはすべて肯認することができ、所論の点に関する原判示の事実認定を肯認することができ、所論にかんがみさらに検討しても、右判断を左右するに足りない(なお、所論主張のように、売上原価率を一一パーセントないし一二パーセントとしてこれを基礎として計算してみても、原判示認定の金額が不当であるとは認められない。)。それで、原判決には所論の事実誤認はなく、論旨は理由がない。

同第一の四及び五について

論旨は、原判示第二につき、原判決は長谷川雅一からの紋丸太分一、〇六六万円の仕入れを昭和四九年分の仕入れとして計上し、右を基礎として昭和四八年の期末棚卸高を算出しているけれども、右仕入れは昭和四八年の仕入れとして計上すべきものであり、したがって、原判示の昭和四八年の期末棚卸高は誤りであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。

よって、所論にかんがみ、記録並びに原審及び当審証拠を精査し、当審における事実取調の結果をも併せ考察するに、被告人の大蔵事務官に対する昭和五〇年二月二〇日付質問てん末書及び長谷雅一の大蔵事務官に対する昭和四九年九月一一日付質問てん末書は、いずれも原判示に沿うものであり、手帳(当裁判所昭和五七年押第三五六号の1)の記載も右を裏付けるものであるが、福本銘木店作成の昭和四八年一二月三日付納品書及び同年同月二〇日付請求書並びに中善林業作成の同年同月一一日付納品書及び同年同月二五日付請求書(当庁昭和五九年押第三五六号の三二のうち)によれば、本件仕入れが同年同月中に納入された旨記載されているところ、右各質問てん末書を検討し、所論に沿う被告人及び右長谷川の原審及び当審公判廷における各供述を参酌して考えると、右各質問てん末書のように、昭和四九年二月頃なされた取引を右のように、ことさら取引日を遡及させる必要があったことを認めることはできないのであって、この点から右各質問てん末書は不合理であるといわざるをえず、前記手帳の記載も、被告人が昭和四九年二月に長谷川に対して金五〇〇万円を支払ったことを示すにすぎず、右支払いが果して本件の取引に関してのものか否かは必ずしも明確であるとはいえず、また、原判示のように前渡金と認定することは中喜商店の従来の取引の実情からみて困難であるから、右各積極証拠の証明力は十分でない。そして、被告人(中喜商店)の正規の帳簿である昭和四九年度仕入帳には、本件仕入れが昭和四九年一月六日右長谷川の仮名である中善林業から六九六万円、同月八日同福本木材から三七〇万円それぞれなされた旨の記載があるところ、右のように一月初めに右長谷川から大量の納品をすることは不自然であり、また、中喜商店摂津営業所において商品入荷の都度その旨記帳していたと認められる帳簿(前同押号の三三の一)には、昭和四九年に本件木材の入荷があった旨の記載はなく、右仕入帳の記載と矛盾しており、しかも、当審証人吉本清枝は、右仕入帳の記載につき、本件仕入れは昭和四八年一二月になされたものであるが、右長谷川の依頼で帳簿上は昭和四九年一月の取引として記入したと述べていて、右証言の信用性を疑うべき資料はない。以上を総合すると、本件仕入れが、原判示のように昭和四九年二月になされたものと認めることはできず、所論の主張どおり昭和四八年一二月になされたものと認められ、そうすると、昭和四八年の期末棚卸高、ひいては同年の逋脱所得が原判示と異なることとなるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。論旨は理由がある。

(なお、職権で調査すると、昭和四七年分の期末棚卸高は別紙(一)のとおり認定するのが相当であるから、原判決には、この点においても判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。)

よって、量刑不当の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条によって原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書によりさらに判決することとする。

(罪となるべき事実)

被告人は、大阪市南区横堀七丁目二五番地などにおいて、「中喜商店」の名称で木材卸売業を営んでいたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、

第一  昭和四七年分の所得金額が七、一六七万八、五一〇円で、これに対する所得金額が四、一〇五万七、〇〇〇円であるのにかかわらず、公表経理上売上げ及び棚卸しの一部を除外するなどし、これによって得た資金を架空名義の定期預金にするなどの行為により、右所得金額のうち五、一五八万九、八三六円を秘匿したうえ、昭和四八年三月一三日、大阪市南区田島町二五の一所在南税務署において、同税務署長に対し、同年分の所得金額が一、九三六万八、九五七円で、これに対する所得税額が七八八万六、〇〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の所得税三、三一七万一、〇〇〇円を免れ、

第二  昭和四八年分の所得金額が六、三三〇万四、五二七円で、これに対する所得税額が三、五二七万一、九〇〇円であるのにかかわらず、前同様の行為により、右所得金額のうち三、一七三万四、三三六円を秘匿したうえ、昭和四九年三月一五日、前記南税務署において、同税務署長に対し、同年分の所得金額が三、一三九万五、九二六円で、これに対する所得税額が一、四九七万四、〇〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の所得税二、〇二九万七、九〇〇円を免れ、

たものである。

(証拠の標目)

被告人(昭和五〇年二月二〇日付)及び長谷川雅一(昭和四九年九月一一日付)の各収税官吏の質問てん末書を除くほか原判示と同一(但しそのうち「当公判廷」とあるのを「原審公判廷」と改める。)であり、本件逋脱税額の計算は別紙(一)ないし(五)のとおりである。

(法令の適用)

原判決の適用した法条(併合罪の加重に関するものを含む。)と同一であり、その処断刑期及び金額の範囲内で処断すべきところ、本件は、被告人自身、或いは従業員に指示して経理処理をして所得税の逋脱をしていたものであり、逋脱税額が多額で、逋脱率も高率であることなど犯情は芳しくなく、刑責は軽視しえないが、特に本件逋脱所得中最も多額である売上繰延額につき、ことさらに利益調整や脱税の目的をもって繰延べをしたものでないこと、その他本件後本件について修正申告し納税するなど被告人に反省の態度が認められることなど被告人に有利な情状を斟酌して、被告人を懲役五月及び罰金八〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは刑法一八条により金一〇万円を一日に換算した期間労役場に留置することとし、同法二五条一項によりこの裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用中証人岡安秋及び同中西基彦にそれぞれ支給した分を被告人に負担させることにつき刑事訴訟法一八一条一項本文を適用する。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 環直彌 裁判官 高橋通延 裁判官 青野平)

別紙(一)

(昭和47年分)

<省略>

売上げ帳端分の原価=17,009,758(売上げ帳端分)×88.57%=15,065,543

期末棚卸高 113,151,790-15,065,543=98,086,247

(昭和48年分)

<省略>

売上げ帳端分の原価=37,915,731(売上げ帳端分)×92.00%=34,882,473

期末棚卸高 327,814,831-34,882,473=292,932,358

別紙(二)

修正損益計算書

自 昭和47年1月1日

至 昭和47年12月31日

事業所得

<省略>

別紙(三)

税額計算書

自 昭和47年1月1日

至 昭和47年12月31日

<省略>

別紙(四)

修正損益計算書

自 昭和48年1月1日

至 昭和48年12月31日

事業所得

<省略>

別紙(五)

税額計算書

自 昭和48年1月1日

至 昭和48年12月31日

<省略>

○昭和五七年(う)第一〇一六号

控訴趣意書

所得税法違反

吉本冨士夫

右の者に対する頭書被告事件について、昭和五七年三月二日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、控訴を申立てた理由は、左記のとおりである。

昭和五七年九月一〇日

右被告人弁護人

弁護士 岡島嘉彦

大阪高等裁判所 第一刑事部 御中

原判決は、

被告人は、大阪市南区横堀七丁目二五番地などにおいて、「中喜商店」の名称で木材卸売業を営んでいたものであるが、自己の所得税を免れようと企て

第一 昭和四七年分の所得金額が七、一八四万三、五〇五円で、これに対する所得税額が四、一一七万二、五〇〇円であるのにかかわらず、公表経理上売上げ及び棚卸しの一部を除外するなどし、これによって得た資産を架空名義の定期預金にするなどの行為により、右所得金額のうち五、二四七万四、五四八円を秘匿したうえ、昭和四八年三月一三日、大阪市南区田島町二五の一所在南税務署において、同税務署長に対し、同年分の所得金額が一、九三六万八、九五七円で、これに対する所得税額が七八八万六、〇〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の所得税三、三二八万六、五〇〇円を免れ、

第二 昭和四八年分の所得金額が七、四四〇万六、一八五円で、これに対する所得税額が四、三〇四万三、三〇〇円であるのにかかわらず、前同様の行為により、右所得金額のうち四、三〇一万二五九円を秘匿したうえ、昭和四九年三月一五日、前記南税務署において、同税務署長に対し、同年分の所得金額が三、一三九万五、九二六円で、これに対する所得税額が一、四九七万四、〇〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の所得税二、八〇六万九、三〇〇円を免れたものである

旨の罪となるべき事実を認定し「被告人を懲役八月及び罰金一、三〇〇万円に処し、右罰金完納できないときは金一〇万円を一日に換算した期間の労置。右懲役刑につき二年間刑の執行を猶予する」旨言渡した。

しかしながら、記録を精査し、証拠を検討するに、原判決は、いわゆる逋脱所得額の認定につき事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤ったもので、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、仮に然らずとするも刑の量定が著しく重きに失し、不当であるから破棄を免れない。

以下その理由を述べる。

第一、事実誤認について

原判決は、所得税逋脱犯の成立には脱税の認識とともに偽りその他不正行為についての認識が不可欠であり、右不正行為についての認識を欠き、従って故意に所得を隠匿する行為(不正行為)とは無関係に生じた収入の過少記載や経費の過大記載、例えば誤記、誤算、不注意や思い違い等に基づく帳簿、伝票等への過大計上や記帳洩れと、これを知らずに右帳簿等に基づいてなされた決算及び所得の過少申告によって免れた所得税額は所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為」により免れた所得税額に含まれないと判示するところは、正当として是認できるところである。

一、ところで被告人は、昭和四七年分の売上繰延額(いわゆる売上の帳端分の繰延べ)一億二八七万三、一三一円については、右帳端分が繰延べられ翌期の売上に計上されていることは全く認識していなかったものであり、これを逋脱所得を構成するものとする原判決は誤りである。

また、昭和四八年分の右売上帳端分についても、脱税の意図のもとに殊更に売上の繰延べをしたものではないので、犯則所得とすべきものではない。

原判決は、被告人は中喜商店の売上げが得意先別により毎月二〇日から二五日までの間に売上が締切られ、毎年一二月二〇日から二五日までで売上が締切られ、以降年末までの売上げが翌年分の売上げとされ、右売上の帳端分の繰延べが多額にのぼることを認識していたと認定し、その根拠として、昭和四九年八月八日付、同月九日付の被告人の質問てん末書ならびに従業員二〇名程度の小規模な事業体の経営者であることなどから、経験則上当然右事実を知っていた筈であるとしている。

しかし、右は事実を誤認するものである。

1 被告人は、昭和四三年に青色申告としたが、被告人自身全く簿記会計の知識もなく、帳簿記帳の方法も知らなかったため、経理事務担当の事務員として岡安秋を採用し、同人に経理記帳、決算すべてを行わせて、被告人は会計事務に関与しなかったのである。

昭和四五年には、南税務署長より青色申告優良納税者として表彰を受けたが、同表彰は、他業者に比べ納税の実績があがり、青色申告者として帳簿組織が完備し記帳が正しくなされて他に模範とするものでなければ受けることができないものである。また右表彰を受けるに至るまでに、税務署係員による実地調査を何回かにわたり受けたことが認められる(以上、青色優良納税者表彰状ならびに下村恵子、岡安秋、田川光雄、被告人の公判供述)。さらに、中喜商店の会計事務が増加するに伴ない、昭和四六年ごろから税理士中道敏雄を税務会計に関する顧問として嘱託し、決算整理、申告書作成に関与せしめ、経理事務員の岡安秋が中喜商店を退職した昭和四八年六月以降からは、顧問手数料を従前の月額三万円から一〇万円に値上げし、同税理士に元帳の記帳事務まで依頼していた事実が認められる(中道敏雄及び被告人の公判供述)。

右のような状況下で、被告人として、決算整理され、それに基きなされる税務申告書の売上勘定の中に、いわゆる一二月締切日以降年末までの売上帳端分が翌年度に繰越されていると思うであろうか。得意先の売上の締切日が月末となっていないこと、従って毎年一二月の売上も月末までとなっていないことは、中喜商店の規模並びに販売の陣頭に立つ被告人にとってこれを了知していたであろうとの推測は難くない(原判決のいうように、経験則上いい得るとも考えられる)。しかし、売上の締切日が月末でないということと、一二月の売上帳端分の翌期繰越がなされたまま当該年分の売上が計上されていたということは、全く意味合いを異にするのである。また、毎月の売上の締切日が月末でないということを、仮に被告人が知っていたからといって、当然に一二月の売上の帳端分が翌年分に繰越されて計上されているということにはならないし、また、仮に翌年分に計上されているとしてもこれを被告人が認識していたということにもならないのである。

何故ならば、毎年末を基準として元帳の決算整理をして当該年分の損益を算出し、さらにそれに基き税法上の加減算を行ない最終の利益計算により税務申告書を作成する手続が存在するからである。

この決算整理や税務上の調整は、かなり高度の経理知識を要するところから、中喜商店では経理事務の岡安秋に担当させ、更に専問家の中道会計事務所に依嘱して行っていたのである。

経理事務員や専問家の税理士(しかも税務署、国税局に三〇年間にもわたり勤務していた)が行った決算整理に、このような一二月分売上の帳端の繰越がなされたままとなっていると、誰が想像するであろうか。被告人自身が決算整理を否定するような何らの指示を岡安秋や税理士に行っておれば格別、そのような事実がない以上、帳端売上分の繰越の事実がないものと考えるのが当然であり、万が一、何らかの理由で、例えば税理士の怠慢により決算整理ができていなかったとしても、被告人にとってそのようなことを知らなかったと判断するのがむしろ経験則に合致するというべきであろう。

2 原判決はこの点につき、小規模の事業体であることや、被告人が売上げや棚卸の除外をして所得の秘匿を図っていたことなどから、売上の年末帳端分の翌期繰越の事実を知らなかったとは経験則上いえないとするが、売上一部除外等については、それぞれの理由から被告人の認識の下での行為であるに対し、売上の帳端分の繰越額は年末までの売上の結果としての数字であり、帳簿を操作して算出される金額ではなく、かつ公表帳簿に記載され翌期には課税されるべき所得となるので、棚卸し除外等とは全く意味合いを異にする。

被告人は、中道税理士に決算整理、税務申告書の作成を依頼こそすれ、これを否定するような行為、つまり年末の売上の帳端分は翌期に繰越したままでよいとの指示をした証拠は全く認められない。

もし仮に、被告人が売上に関してのみ決算整理をしなくてよいとの指示をしていたとすれば、それは積極的に利益を調整する目的に出たと認めるべきであり、そうだとすれば、その年分に繰越額がいくらであるか被告人が知悉していなければならない。しかし、被告人の査察における質問てん末書を検討しても、これを認めるような証拠は見出し得ない。

原判決は、被告人が年末の売上の帳端分の繰越の事実を知っていた理由として、右経験則の外、被告人の昭和四九年八月八日付、同月九日付の質問てん末書の記載を挙げるところである。しかし、これらの質問てん末書の記載は信用できない。この記載は、被告人が原審公判で供述しているとおり、国税局の調査により、昭和四五年以降から昭和四八年末まで売上の帳端額が毎年増加していたという客観的事実(但し昭和四九年の帳端売上は前年度より極端に少ない)と、昭和四九年二月頃に至り、毎年の売上の帳端分が翌年に繰越されており、それが中喜商店での会計の慣行となっていることを被告人が偶々知るに至った事実をとり混ぜて、査察官が本件脱税事件をいわゆる「つまみ申告」とするため、毎年売上の帳端が繰延られ売上に関する決算整理がなされていない旨査察官によって意図的に作成された調書であり、右質問てん末書の記載は信用することができない。また、被告人は、右質問てん末書が作成された当時は得意先の渡辺木材株式会社の倒産により中喜商店は約六、七〇〇万円の貸倒が発生し、加えて税務査察が入ったことと相俟って中喜商店自体の倒産が噂されていた時期に当り、被告人は精神的にも経済的にも困窮の下に置かれていた状況下で作成されたてん末書であり、真実の供述を期待できるものではなく、とうてい信用できないところである(被告人の原審公判供述)。

また、右質問てん末書の記載内容をさらに検討するに「売上金額は……各得意先ごとに締切日にあわせて計上しておりますから、各年分の売上金額は正しい金額ではありません」(昭和四九年八月八日付質問てん末書)「昭和四五年以降毎年売上が増加しておりました。毎年の帳端分も増加していたこともわかっておりました。毎年帳端分を整理しないで申告をしていたことを知っておりました」(同年八月九日付質問てん末書)となっている。右てん末書は売上帳端の事実を知っていた旨記載されているが、経理に関与していない被告人が、どうして知っていたのか明らかでない。まして経理を担当させていた岡安秋や決算整理を依頼していた中道税理士が帳端を整理しなかったのは、如何なる理由によるものであるか、またどうして売上に関して決算整理をしていないのを知るに至ったのか等の疑問があるが、これについて右質問てん末書は何ら記述していない。

これらの疑問が明らかにされない以上、右調書の記載をそのまゝ真実として認め難いといわなければならない。

3 被告人が年末の売上の帳端分の翌年繰越があることを知ったのは、被告人が原審法延で供述するとおり、昭和四九年二月ごろである。

それは、岡安秋が退職し、被告人がやむなく見様見まねで振替伝票を作成するようになり、昭和四九年一月分の振替伝票を整理の段階で、初めて昭和四八年一二月締切日以降年末までの売上が昭和四九年一月分の売上として公表に計上されている事実を、被告人が初めて認識したのである。

そこで、被告人が、昭和四八年の年末の売上の帳端分につき、暦年に従い調整すべきであると事務員の下村恵子に指示したところ、同女から毎年同様の方法で計理しており、税務調査でもこの方法につき何ら問題とされたことなく、毎年の売上帳端が順次翌年度に繰越されてきているので、昭和四八年分だけ調整すれば、かえって不合理な所得となるし、また事務の能力からいっても何年にも遡って訂正することはできない旨説明を受け、被告人はやむなく従前の方式に従い、売上を計上したまま申告した事実が認められる(下村恵子の公判供述、被告人の公判供述)。

被告人が右のような経緯で、毎年売上の帳端がそのまま売上の暦年による整理のされないまま損益に計上されていることを知ったという主張は、了知した経緯やその情況により十分首肯できると考える。

被告人は、右時期に売上帳端の翌年分計上を知ったので、売上の帳端のみを翌期に繰延べると利益が少くなる(もっとも昭和四七年末の売上の帳端分が昭和四八年に繰延べられていることも判明したので、その繰延額が前年と同額であれば利益が少なくなるということはないが)ので、帳端売上に対応する期間の仕入(経費)も翌期に繰延べないといけないと考え、昭和四八年の仕入の帳端分も翌年に繰越した事実が認められる。つまり数年に遡って売上を調整することは事実上不可能であったので、昭和四八年分に限り帳端売上(利益)に対応する帳端の仕入(費用)も翌年に繰延べ、事務能力の範囲内でできるだけ損益計算を正確なものにしようとした努力のあとが認められる。

この昭和四八年末の帳端仕入の繰延額が二三、九七三、六七一円である。このように、帳端仕入の翌年一月計上は、昭和四八年だけであり毎年そのようにしていないが、その理由は以上述べたとおりであり、このことから帳端売上の翌年繰延の事実を知ったのは昭和四九年二月であるという被告人の主張が真実であることが理解できるというべきである。被告人は、査察の段階である昭和五〇年四月二四日付大阪国税局長宛の嘆願書においても、帳端売上の計上の時期につき、昭和四九年に初めて知ったと上申しており、被告人の一貫した主張である(大阪国税局長宛被告人の嘆願書)。

被告人が単に自己の刑責を免れるために、これらの弁解をしているのであれば、昭和四八年分の売上帳端についても知らなかった旨述べるであろう。

また、被告人を査察調査の段階で主査として取調べた田川光雄査察官に対する当弁護人の反対質問において次のとおり述べている。

(問) ……被告人のほうの店の帳簿が、いわゆる帳端分があることというようなことは、直接の経理をしていなかったんだから被告人自身は知らなかったと、そういうふうにあなたに言うとったでしよう。

(答) そうですね

(問) そうだとすれば、被告人としては、あとでそういう帳端が各年分にあることがわかっても、だからといって帳端が発生したことは、各年分の利益を格別調整しようと思って殊更に帳端を発生させたんだと言えないと思うんですがね。

(答) おっしゃるとおりですね。それは、

(以上田川光雄の昭和五四年九月一四日公判供述)

右のとおり、査察官の取調の際には、被告人は売上帳端の事実を各年すべてにわたり知悉していたのではないのが真相で、前記質問てん末書のこの点に関する記載は、本件を「つまみ申告」としようとした査察官に、意図的に作成されたもので、信用性に之しいものといわなければならない。

4 以上のとおり、被告人が昭和四七年分の売上の帳端につき、決算整理ができておらず、従って昭和四七年分の売上繰延額金七、五四一万六、二〇一円(昭和四六年の売上繰延額金二、七四五万六、九三〇円と昭和四七年の売上繰延額金一億二八七万三、一三一円との差額)は、犯則所得として算入すべきではない(その結果、昭和四七年分の脱税所得はマイナスとなり、従って同年分につき逋脱犯は成立しないことになる)。

二、昭和四八年分の売上帳端分一億四、九九九万八、四一五円(昭和四七年分の売上帳端と差引くと結果としては四、七一二万五、二八四円)も、特に税逋脱の意思が、以下のとおり窺われない本件にとって、これを犯則所得とすべきでない。かりに、犯則所得とされてもやむを得ないとしても、第二の量刑不当で主張するとおり、犯情極めて軽く売上除外や架空仕入による所得逋脱とは全く別異に考えるべきである。

即ち、前述のとおり、昭和四九年二月頃に至り、昭和四八年分末の売上帳端分が翌年一月の売上に計上されていることを知り、下村恵子にその訂正を指示したが、毎年この方法で売上が集計されており、昭和四八年分のみ訂正できないこと、事務能力からも過去に遡って訂正できないこと、過去の税務調査(税務調査のあったことは田川光雄の公判供述)でも問題として指摘されなかったこと、昭和四八年の売上の帳端が翌年に計上されても昭和四九年分の所得として所得税を納付することになることなどの理由から、被告人は従前の方法どおりとしたことが認められる。昭和四八年分の売上の帳端額が幾らになるか被告人自身知らなかったのである。国税局の査察により査察官の取調を受け、昭和四七年と同四八年の売上帳端の差額が、結果として四、七一二万五、二八四円の数字が出たのである。

このように、売上繰延とは云え脱税を意図したものでなく公表帳簿に記載され所得を秘匿する行為をともなわないものであるので、犯則所得とすべきでなく、この点につき原審は、事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤るものである。

三、昭和四七年分の期首棚卸高を一億五千万円と認定したのは、事実を誤認したものであり、少くとも一億六千万円とすべきである。

1 原判決は、同年分の期首棚卸を一億五、〇〇〇万円を認定し、その根拠として被告人自身棚卸高を一億五、〇〇〇万円と供述したこと、及びこの金額の妥当性を確認するため売上原価率を八七・五パーセントとして棚卸高を推計したところ、被告人供述の棚卸高に近い数字が出たことを挙げている。

しかし、原判決の認定根拠とするところは、いずれも証拠として信用できないか、又は推計の根拠が十分でないものであるので、これをもとに認定した棚卸額は誤りである。

原判決は、被告人自身がまず一億五、〇〇〇万円と供述したので、その妥当性を推計々算により国税局は確認した如くいうが、これは逆で、国税局は簿外の棚卸を売上額の関係で認めざるを得なくなり、その確定方法として推計々算を行ない、その数値に合うように被告人に供述を押しつけたのが真相である。

2 ところで、右推計々算のもととなった売上原価率を八七・五%、つまり差益率を一四・五%とし、これから減耗率を二%として差引き、結局一二・五%を原判決は正しいものとして是認している。この差益率一四・五%は、昭和五二年押第一八二号符号九の一の集計表の数字から引用しているが、この差益率を中喜商店全店の商品の売上差益率とみることは無理がある。

この集計表の数字は、住吉営業所での昭和四七年四月分の店頭売上のみが集計され、売上原価率の計算がされているのである。店頭での販売は、営業員の外務販売のように多量に販売するのは少なく、単価表(一本一本の販売)が多く、従って現金売が多い。そのため外務員の販売(外商)に比べ販売価格が高いのが実情であり、またこの店頭販売価格は、銘木デザイン集に記載された価格によっている。中喜商店の場合、全販売量の約三割が店頭販売で、残り七割が外商による販売である。店頭販売のみの集計では、全販売における売上利益率よりも自ずから高い数値がでるのである(被告人ならびに下村恵子の公判供述)。

もし右の住吉営業所の店頭販売の差益率一四・五%が正しく、かつ中喜商店全体の売上の差益率として正しいのであれば、被告人に対する昭和四九年一二月一八日付の質問てん末書第一三問で、昭和四七年分の差益率は一三から一四%ということになっているのは何故だろうか。また、昭和五〇年一月三〇日の被告人質問てん末書では一四%と変り、その変った理由も何ら説明されていない。

しかも、右昭和五〇年一月三〇日の質問てん末書は、同年二月二日ごろ、査察官が被告人の横堀営業所に、既に作成された質問てん末書を持参し、これに署名押印を求められたものであるが、同調書は取調場所が大阪国税局となっており、質問てん末書の内容が一方的に記載されていたもので、国税局主張の棚卸額の推計計算に都合のよい差益率の数字となっていたのである。被告人はこの調書の記載が正しくないので署名を拒否したところ、てん末書を一部書き直したのであるが、昭和四六年期首棚卸高を一億六、〇〇〇万円と認めるので、昭和四七年期首棚卸高は一億五、〇〇〇万円となるのに必要な差益率一四%(但し減耗率一~二%を含む)を認めるよう強く誘導され、無理に認めさせられた差益率の一二・五%であり、同てん末書は信用できるものとは云えない。

被告人の昭和四九年一二月一八日付のてん末書のとおり差益率を一三~一四%と見て、減耗率を二%とすると、差引き一一~一二%となり、この数字で昭和四七年期首棚卸高を推計すれば、約一億六、〇〇〇万円となり、被告人主張の一億六、〇〇〇万円の棚卸高は正当としなければならない。

一般に在庫は特別の事情のない限り売上高に応じた在庫の動きをするのが通例である。中喜商店の昭和四六年中の売上高は、約一〇億円、昭和四七年中の売上高は約一五億円となっている。売上に比して昭和四七年期首の棚卸高のみ少なくなることは、どうしても理解できない。

被告人は、昭和四七年の期首在庫が、少くとも昭和四六年期首在庫よりも多くなれこそ、少くなることは絶対ないことを現実に知っており、昭和四七年期首棚卸は、少くとも一億六、〇〇〇万円と認定さるべきであり、原判決は誤れる認定をしているものといわなければならない。

なお、昭和四八年期首、同期末の棚卸高が、期中の売上の増加にかかわらず、昭和四七年期首棚卸に比べて少ない理由は、昭和四七年後半及び昭和四八年は、後述するように、商社の買占めによる物価高謄や、いわゆるオイルショックによる物価の騰貴等の経済の異常現象があり、これに加えて中喜商店では、在庫を少くし、できるだけ販売する営業方針をとったことにより、在庫商品が売上に比べ著しく減少したので、特異な事情のもとでの特別の事例というべきである。

四、長谷川雅一からの仕入のうち、昭和四九年分の仕入れとされている紋丸太一、〇六六万円について昭和四八年分の仕入れとして計上すべきであり、これを昭和四九年分の仕入れと認定したのは事実の誤認である。

長谷川雅一は、勤務先の菅生木材株式会社を昭和四八年一二月に退職し、若干の準備期間を経て、昭和四九年一月終り頃に長谷川銘木株式会社を設立し、代表取締役に就任した。同人は、右菅生木材に勤務中の昭和四六年六月ごろから、自己の持山の山林を中喜商店に販売していたが、勤務先と同種の取引を中喜商店と行なうため、勤務先には右取引を内密とするため、中喜商店に対し仮名の中善林業、谷本忠義、福本木材等の名称で取引してくれるよう依頼し、被告人もやむなく右名称での取引に応じることとし、右名称に売却したよう公表売上帳に記帳していた。

右一、〇六六万円の木材の取引は、長谷川銘木株式会社が発足する前の、昭和四八年一二月三日、同月一一日、同月二三日に福本木材、中善林業の名称で長谷川雅一となされたので、それぞれの実体に合致する納品書、請求書が存在し仕入記載されているところである(納品書、請求書の存在、長谷川雅一、被告人の公判供述)。

原審は、昭和四八年中の仕入である旨明瞭に証言する長谷川雅一、被告人の証言を措信せず、昭和五〇年二月二〇日付被告人の質問てん末書の記載を信用しているが、これは証拠の価値判断を誤り事実を誤認するものである。

即ち、もし原判決認定のように昭和四九年二月頃の取引であれば、何故、納品書、請求書まで作成してまで取引を遡及させ、昭和四八年一二月の取引としなければならなかったのかということである。

長谷川雅一が公判廷においては、昭和四八年一二月二五日ごろまでに右一、〇六六万円の紋丸太を中喜商店に売却のうえ、現実に同店に搬入した旨明確に証言するところであるが、検察官は右証言の信用力を争うため、同人の査察官に対する質問てん末書を公判に提出しているが、右てん末書によると「私としては昭和四九年一月三〇日に会社を設立しましたので、仮名取引をやめようと思って、吉本さんにお願いして納品書、請求書の日付を遡して貰った」旨の記載がある。

かりに本件取引が、昭和四九年二月の取引であれば、仮名を使用せず長谷川銘木なる会社名で、堂々と公表に記載すれば足り、わざわざ従前取引に使用した仮名まで用い、日付を遡って請求書、納品書を作成する必要はない。即ち仮名を使用するために取引を遡らせたというなら、日付を遡らせた理由は理解できるが、右てん末書記載のように、仮名を使わないようにするために日付を遡及させたとする理由は判らない。また、同てん末書には「二月下旬頃に、前受金を吉本さんより受けたので、納品はその前後ごろである」とも述べているが、一方では「当初は製品は納入していません」とも述べた旨の記載があり、また「納入した製品の単価が吉本さんと合致していないので現在は売掛金となっている」との記載もあり、納品の有無や、その後の処理など理解し難い点が多い。

被告人の質問てん末書(昭和五〇年二月二〇日付)をみると、長谷川雅一が、昭和四九年二月頃、日付を遡らせた納品書、請求書を持参して、昭和四八年一二月の取引したようにして貰いたいとの要求が同人からあったが、これを受付けなかった旨の記載があり、原審はこの供述を真実のものとして事実を認定している。

しかし、右供述は、長谷川雅一から本件の取引は税金対策上昭和四九年中の取引として欲しい旨の依頼を受け、取引先のことでもあるのでやむなく供述を合わせたという事情により作成されたもので、正しい内容のものではない(被告人の公判供述)。

なお、本取引については、売買の価格が当時未確定であったため、内払金五〇〇万円を被告人が長谷川に支払ったことについて、長谷川は、長谷川銘木設立前のためか(会社の取引とするための会計上の処理かも知れない)前受金と手帳に記帳していたらしく、そのため本件の取引は昭和四九年中のものと誤解され、また長谷川雅一の対税上の必要から昭和四九年分取引として起訴されたものである。

以上のとおり、本取引について長谷川雅一が仮名による日付を遡らせた納品書、請求書をわざわざ作成する必要性が全く見受けられないのであり、昭和四九年分の取引であると認定するのは事実誤認という外はない。

五、昭和四七年末、同四八年末の棚卸高について、原審判決は、実地棚卸高(未着商品も含む)から実地棚卸後年末までに売却した商品に対応する原価率を掛けて得た数字(実地棚卸後の売却商品の原価)を差引き、期末棚卸高を算出しているが、これは正当というべきである。ただ、昭和四八年分の原価率を算出するに際し、総仕入金額の中に前記四、で述べた長谷川雅一からの仕入一、〇六六万円を含めて計算すべきであり、右金額を含めて算出すれば、昭和四八年の原価率は九一・三%となる。

従って、昭和四八年末の棚卸高は二億九、三一九万七、七六九円とすべきである(被告人の昭和五六年七月二〇日各期末棚卸高についての陳述書及び中道正雄の第二四回公判供述)。

第二、かりに右第一の主張が認められず、原判決認定の事実にたつとしても、原判決の量刑重きに失し破棄を免れないと信じる。

一、原判決が認定した逋脱所得は、昭和四七年分で五、二四七万四、五四八円、昭和四八年分で四、三〇一万二五九円となるが、このうち、公表帳簿に売上と記帳されているが、年末の締切日以降の売上分(いわゆる帳端売上で、毎年その帳端分のみが順ぐりに翌年に計上されている)が、昭和四七年で七、五四一万六、二〇一円、昭和四八年で四、七一二万五、二八四円を占め、昭和四七年、四八年とも、売上帳端分が逋脱所得を上廻ることが判る。

被告人は、この売上帳端分の翌年繰延は昭和四七年分の確定申告時には全く知らなかったもので、昭和四八年分の申告の際了知するところとなったが、毎年会計処理慣行となっており、数年にも遡って修正することは事務量から云っても不可能であるから、昭和四八年分所得申告は従前の方法を踏襲したのみであり、原判決も述べるように、殊更に利益調整や脱税の目的をもって行ったのではないのである。売上の帳端分は公表帳簿に記載され、翌年分の所得申告の際には売上げとして計上され申告されるのである。毎年一二月分売上締切日から年末までの一週間足らずが、機械的に繰越されているので、売上帳端額が毎年一定額であれば、結果としては差引零となり、申告所得額には何らの増減が生じないのである。しかし、昭和四七年、四八年は、前記のよう偶々多額の売上帳端額が発生したのである。発生した理由は何かここで申述べたい。

昭和四六年中は、建築業界にとっては、通常の景気であって、中喜商店は建築、特に住宅建築に影響されるところから、通常の売上げであった。ところが、昭和四七年に至り、景気の上昇と共に住宅建築ブームとなり、さらには景気が更に上昇するという先行きを見込み、商品の売り惜しみなどにより、あらゆる商品が謄貴した。商社によるモチ米、木材等の買占め事件等がその象徴的出来事といえよう。そのため、大商社の社長まで国会に喚問されるという事態まで発生した。

昭和四八年は例のオイルシヨックの年に当り、産油国が石油価格を一挙に四倍に値上げした年である。生活物資さえ店頭から姿を消すありさまで、物価の謄貴は著しく、給与所得者の給料も物価に連動して三~四%もアップしたのである。

このとき木材も例外ではなく、建築資材、商品市況も毎日といってよい程価格の変動があったのは公知の事実である。

昭和四七年、四八年とも、このような景気の異常な時期に当り、通常のときには経験できないような状況下で材木の高騰があり、得意先の支払日に合せた一二月締切日以降の帳端売上額が、異常に膨れ上ったのであり、そこには被告人の意思や意図は何ら介在しているのではない。

昭和四九年になると、逆にオイルシヨック後の経済の落込みにより不況となり、加えて住宅産業は著しくちよう落したのである。中喜商店の各年分の帳端売上額をみると

昭和四六年 帳端分 二、七四五万六、九三〇円

昭和四七年 帳端分 一〇、二八七万三、一三一円

昭和四八年 帳端分 一四、九九九万八、四一五円

昭和五〇年 帳端分 四、六三七万四、二三九円

昭和五一年 帳端分 三、六八九万九、二七一円

(昭和五〇年、五一年の帳端分につき中道正男公判供述)

となっている。昭和四九年分の帳端額は、帳簿を差押えられているため正確な計算はできていないが、昭和五〇年のそれよりもむしろ少額というべきである。かりに同額とみても四、六〇〇万円余ということになる。

これらの帳端額を機械的に差引くと、結局

昭和四七年では 七、五四一万六、二〇一円

昭和四八年では 四、七一二万五、二八四円

を暦年に従った売上計算より少ない売上金額となるが、逆に

昭和四九年では 一億三六二万四、一七六円

昭和五〇年では 〇円

昭和五一年では 九四七万四、九六八円

を暦年に従った売上計算よりも多い売上金額をそれぞれ申告することになる

(売上の除外とは異なるので)。

つまり、昭和四七年、昭和四八年では、暦年計算による売上げよりも少ない金額となり、帳端額だけでも七、五四一万円あるいは四、七一二万円も脱税であると追究されるが(本件が正に然り)、昭和四九年では一億三六二万円も余計に申告することとなり、それだけの税負担となってくるのである。

本件は、昭和四九年五月二七日に中喜商店に査察が入ったため、昭和四八年分、昭和四七年分が査察の対象とされ、この売上帳端分を犯則所得として計算に入れるため、申告全体を殊更に「つまみ申告」である(検察官の昭和五一年一〇月一九日付釈明書)と強引に押え込み、告発し、起訴されたのである(つまみ申告でないことにつき原判決二八丁)。

もし査察が一年遅れていたとしたら、昭和四九年の売上帳端額がマイナス一億三六二円余となるので、四九年度は暦年計算に直すと申告所得額がマイナスとなってしまい、国税局としては、昭和四七年、四八年も含めて査察告発の対象とならなかったと思われる。偶々帳端売上額が多く出た昭和四七年分、昭和四八年のみが調査の対象とされたため、告発され裁判を受ける結果となったのである。売上の帳端分の繰越は、意図的に売上を翌期に繰越とは本質的に異なり、機械的に売上の帳端が翌年に持越されたにとどまり、毎年の帳端売上額が同額であれば(長年に亘り観察すればほぼ同額となる。例えば昭和四七年から昭和四九年までの三ケ年でとれば、中喜商店の場合も売上帳端額はほぼ零となる)、課税所得は暦年計算による課税所得と一致することになる。たまたま二年分のみを調査対象とされたため、脱税額が多いように見られるに過ぎない。

被告人の犯則所得の中には、掛売上の一部除外や棚卸の過少記載等の実質的な犯則所得は存在するが、それらは簿外の経費や持込の資産(個人時代からの課税済の在庫商品等)により差引かれ、所得を構成せず、逋脱所得の実質の中味は、この帳端売上分のみであることを考えると、本件は、所得を不正行為により秘匿して所得税を免れた通常の脱税事案とは本質的に異にするものであるといわなければならない。敢て云えば、翌年に繰越された帳端売上分が、前期からの繰越されてきた帳端売上分を超過する部分について、課税がせいぜい一年延びたに過ぎない。逋脱犯が、詐りその他不正の行為により課税を免れることによって生じる国家財政に対する侵害犯であると考えれば、本件は、実質的には国家財政に対する侵害犯とは云えない。

原判決は、本件事案の本質を十分見極めることなく、他の悪質事案と同じような刑を科したのは、量刑不当であるというべきである。

二、被告人は、査察を受け告発された段階で、課税所得総額のみを国税局より示され、勧められるままに修正申告し、所得税本税を納付した。

その税額は、昭和四六年分で一、二五一万三、三〇〇円、同四七年分で四、四六三万四、八〇〇円、同四八年分で六、一五九万七、三〇〇円となり、これに地方税も含め昭和五一年一二月までに納付した。

起訴されるに至り、課税所得の内容が明るみに出、それを検討すると、色々問題があり、特に、昭和四八年末の棚卸額(棚卸実施後年末までの売上に対応する原価の差引)が、誤りである旨度々指摘したにもかかわらず(昭和五一年一〇月一九日、同年一二月二日付弁護人の冒頭陳述書)訂正せず、あまつさえ、被告人の査察を担当した田川元査察官は、法延に出てまで実地棚卸後年末までの売上に対応する原価はすべての商品につき差引いた旨供述し、真実を隠蔽しようとした。

しかし真実は隠すことができず、棚卸後の売上に対応する原価を差引いたのは紋丸太のみであることが判明し、ようやく結審の直前である昭和五六年七月二〇日に至り訂正し訴因を縮少したのである。

そのため、実に四、〇〇〇万円近くもの過剰の納税を余儀なくされたのであり、被告人は資金繰にも困窮し、右本税の分納のために差押処分まで受け、多大の信用を害されたのである。

このような杜撰な調査、捜査は他に類例をみないもので、不必要な納税を強いた点を更に斟酌すべきものである。

三、被告人は掛売上のうちの一部を除外しているが、右除外についても、被告人は所得税を不当に免れようとする不正の意図をもって行ったものではない。

中喜商店は個人企業として発足してから、青色申告とするまで約一〇年の歳月が流れ、その間に、被告人夫婦が文字通り辛苦の汗を流して得た貴重な資産が徐々に蓄積され、これが在庫商品として顕現されていたのであるが、帳簿の棚卸商品としては、人手の関係で十分な実地棚卸ができず、簿外の持込商品として多数存在するに至っていたのである。従って、昭和四六年に、いきなりこの持込資産を一挙に計上すれば、過去の課税済で蓄積された利益が帳簿上計上され、正しい期間計算ができない状態となるのである。

そのことについて被告人が岡安秋に問うたところ、同人は、過去の持込資産である部分の木材を一個所に在庫凍結してしまい販売を止めてしまうと、正しい期間損益計算ができるという意見であったが、このことは、現実問題として不可能であるとの被告人の意見に対し、岡安秋は、持込資産部分を売却したときは、在庫を凍結したのと同様の結果にしたらよい、その方法は自分に委せて欲しいということで、岡安秋に一任し、掛売上の一部除外が始ったのである。

国税局の調査によっても、昭和四六年期首の棚卸高は一億六、〇〇〇万円であり、公表帳簿との差額は、持込資産である掛売上の一部除外が始まった昭和四六年六月から除外をやめた昭和四八年四月までの掛売除外額は七、九六八万円余で、持込の在庫の額にも達していない。

売上の一部除外は、その方法はともかくとしても、その動機は、特に脱税を目的としたものではない。

また、売上除外分の受取手形は裏預金とされているが、その金の殆んどすべてが、商店の支払に還元されたり、店の簿外の経費に使用され、裏貯金が被告人個人の資産や消費等に当てられてはいない。

四、材木業界は、個人住宅建築不況の影響をもろに受け、極めて深刻な状況下にあることは公知の事実である。被告人が起訴された昭和四七年、同四八年は一時的な好況の時期に当り、この年分だけを特に取り上げられたもので、被告人にとって極めて同情すべき事情がある。

昭和五六年五月一二日及び同年一〇月一六日の日本経済新聞の報ずるところによると、住宅着工件数は、昭和四七年一八六万戸、昭和五〇年から同五四年は、年間一四〇万戸から一五〇万戸、昭和五五年は一二一万戸、昭和五六年一月から八月まで七九万戸で、前年比一一%減、このままでは昭和五六年は一一〇万戸前後になると報ぜられ、昭和四七年に比べ実に五九%にしか達しないという驚くべき数字となる。

昨今の建売業者ならびに材木業者の倒産の例は枚挙にいとまがなく、中喜商店も、事件当時、従業員約二〇名で、年間二九億の売上があったが、現在は、従業員三五名とし販売に必至の努力をしても、売上は僅二〇億程度であり、むづかしい局面に立たされているというべきである。

五、被告人は、昭和二三年、木材卸売業日下商店に勤務し、同店で九年間勤務した後、昭和三二年、結婚と同時に独立開業し、新婚旅行にも行かず、木材を車輌に積み売り歩くという仕事から始め、夫婦共々早朝から夜遅くまで、筆舌に尽せない辛苦の汗を流し、店を大きくすることに努力してきたのである。

その努力の結晶が中喜商店発展であり、ようやく軌道に乗り、降って湧いたとでもいうべき昭和四七年、四八年の異常時に、被告人自身が認識しなかった売上の帳端分が、結局のところ脱税額のすべてで、つまみ申告として告発、起訴され、多額の罰金、重加算税等を追徴されるに至ったのである。被告人のこれまでの努力を正当に評価したいと考える。

以上の諸事情、特に脱税額の中味、動機、裏預金の使途、杜撰な告発による被告人の不当な税負担等を考えれば、原判決は量刑で考慮したと述べながらも、必ずしも十分な配慮がなされているとは考えられず、結局のところ量刑重きに失し、不当であるので破棄を免れない。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例