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大阪高等裁判所 昭和57年(う)244号 判決 1984年9月18日

主文

一  原判決中被告人衣笠豊及び同田中末男に関する各部分を破棄する。

被告人衣笠豊を懲役一〇年に、同田中末男を懲役三年六月にそれぞれ処する。

被告人衣笠豊及び同田中末男に対し、原審における未決勾留日数中各七〇〇日をそれぞれその刑に算入する。

原審における訴訟費用中、原審証人大森良春、同安田静雄、同西中川勉、同西岡見一、同信西清人及び同持留健二に各支給した分を除くその余並びに当審における訴訟費用の各三分の一ずつを被告人衣笠豊及び同田中末男の各負担とする。

二  被告人秋丸鹿一郎の本件控訴を棄却する。

被告人秋丸鹿一郎に対し当審における未決勾留日数中、原判決の刑期に満つるまでの分を原判決に算入する。

当審における訴訟費用の三分の一を被告人秋丸鹿一郎の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人三名の弁護人髙谷昌弘作成の控訴趣意書及び控訴趣意訂正申立書、同佐伯千仭、同井戸田侃共同作成の控訴趣意書及び控訴趣意釈明書、同中垣清春作成の控訴趣意書並びに神戸地方検察庁検察官検事本井甫作成の控訴趣意書にそれぞれ記載されているとおりであり、各弁護人の控訴趣意に対する答弁は、大阪高等検察庁検察官事務取扱検事竹内陸郎作成の昭和五七年一〇月七日付及び同年一一月二五日付各答弁書、検察官の控訴趣意に対する答弁は、弁護人中垣清春作成の答弁書並びに同髙谷昌弘、同井戸田侃、同佐伯千仭共同作成の答弁書及び答弁書訂正申立書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

一  弁護人髙谷昌弘の控訴趣意中、原判示第一の事実に関する訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、原判示第一の事実について、原審は、被告人田中末男(以下被告人田中という。)の検察官に対する供述調書七通(昭和五三年一一月五日付、同月一九日付、同月二五日付、同月二六日付、同月三〇日付、同年一二月一日付、同月三日付)及び被告人秋丸鹿一郎(以下被告人秋丸という。)の検察官に対する供述調書一一通(昭和五三年一一月一日付、同月四日付、同月一一日付、同月一六日付、同月二三日付、同月二四日付((二通))、同月二九日付、同年一二月一日付、((二通―請求番号一三〇及び一三二のもの))、同月三日付)を証拠として採用したが、これらは、起訴後の違法な取調の結果作成された違法収集証拠であつて、いずれも証拠能力を欠くから、これらを採用した原審の訴訟手続は法令に違反している、というのである。

そこで、所論にかんがみ検討するに、記録及び関係証拠によれば、原判決が、原判示第二の事実についての証拠説明の中においてではあるが、所論と同旨の原審弁護人の主張に答えて、所論の各供述調書につき、それらはいずれも違法収集証拠であることを理由として証拠能力を否定すぺきものに当たらないとした認定・判断(原判決中「証拠説明及び弁護人の主張に対する判断」((以下単に原判断という。))の第二の二の2)は優にこれを肯認することができ、所論が原判決の右認定・判断について縷々反論するところも、右判断を動かすに足りない。なお、右の取調が右起訴にかかる犯人蔵匿の事件自体についての取調であるという所論の認識を前提にしても、起訴後の取調であるからといつて、直ちにその取調を違法とし、その取調の結果作成された供述調書の証拠能力を否定すべきいわれはないといわなければならない。起訴後においては、被告人の当事者たる地位にかんがみ、捜査官が当該公訴事実について被告人を取調べることはなるべく避けなければならないところであるが、刑事訴訟法一九七条及び一九八条もこれを禁止している趣旨とは解されず、したがつて、捜査官は、起訴後においても、前記の趣旨に反しない限度では、その公訴を維持するために必要な取調を行なうことができるものといわなければならず(最決昭和三六年一二月二一日刑集一五巻一〇号一七六四頁)、とくに、本件のように、起訴された罪(犯人蔵匿)と他の罪(逮捕監禁、殺人)とが事実上もしくは証拠上密接な関連を有している場合、他の罪に関する被告人の取調が起訴された罪に関する事項にわたり、両者相兼ねる取調の形になることは、むしろ自然の成行であり、そのことによつて訴訟における当事者たる地位が特に脅かされるものとも考えられないから、このような取調は適法であるというべきである。したがつて、この点からも所論は採用できない。したがつて、原審の訴訟手続に所論の法令違反はなく、論旨は理由がない。

二  弁護人髙谷昌弘の控訴趣意中、原判示第一の事実に関する事実誤認の主張について

論旨は、原判示第一の事実について、鳴海清(以下鳴海という。)が原判示の三木事務所(小南安正((以下小南という。))方)に匿われていたのは、遅くても昭和五三年八月三〇日までであり、原判決がこれを同年九月一日までであると認定したのは、信用性のない小南安正の検察官に対する同年一一月六日付供述調書などを誤つて信用した結果、事実を誤認したものであるというのである。

そこで、所論にかんがみ、記録及び原審証拠を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して考察するに、原判決の挙示する関係証拠によれば、所論の点に関する原判決の事実認定は優にこれを肯認することができる。所論にかんがみ付言するに、原判決が挙示する関係証拠の中で、被告人らが鳴海を匿つていた期間の終期が昭和五三年九月一日であるとする原判示の認定にそう証拠が、被告人田中の前記検察官調書七通、被告人秋丸の前記検察官調書一一通及び小南安正の検察官に対する昭和五三年一一月六日付供述調書のみであることは、所論が指摘するとおりである。ところで、右小南安正の供述調書は、その内容を検討すると、所論のように、鳴海がいなくなつた原判示の日付けを小南自身の記憶によつて特定してはいないのであり、右供述調書より前に作成されている同人の一連の検察官調書(原審で取調べたが、原判決が証拠の標目に掲げていないもの)では、概ね、鳴海を最後に見たのは八月二九日か同月三〇日であると述べられていることを併せ考えると、これのみによつて原判示の右日付けを認定するに足るものではないが、鳴海を最後に見たのは八月二九日か同月三〇日であるとする右一連の検察官調書における供述も、決して所論のように確信的なものではなく、記憶が不確かで断言はできないという趣旨のものであることは、これらの調書自体から明らかであり、これらの調書では被告人衣笠豊(以下被告人衣笠という。)が野村理事長と共に鳴海を訪問した事実が隠されているのに対し、右の事実が明らかにされたうえ、それと他の出来事と関連づけて日付関係が述べられていて、小南が原判示の右日付を肯定しているものと認められるのであつて、証拠価値が全くないものとはいえない。次に、被告人田中及び同秋丸の前記各検察官調書の信用性についてであるが、これらの調書のうち、少なくとも昭和五三年九月一日から同月二日にかけて鳴海を三木事務所から連れ出したとする部分に信用性が認められることは、原判決が詳細に理由を挙げて説示しているとおりであり、各弁護人の所論が、原判示第二の事実の関係で右の説示を縷々非難するところを考慮しても、右の判断を動かすに足りない。そして、右各被告人の検察官調書及び前記小南安正の一一月六日付検察官調書によれば、鳴海が原判示のとおり昭和五三年九月一日までは三木事務所に匿われていたことを認めるに十分であり、被告人田中、同秋丸及び小南安正の原審公判廷における各供述のうち右認定に反する部分は措信し難く、当審において弁護人の請求により取調べた小南道子の検察官に対する供述調書、小南安正の証人尋問調書謄本及び入院証明書も右認定を左右するに足らず、他に右認定を動かすべき証拠は存しない。したがつて、原判決に所論の事実誤認はなく、論旨は理由がない。

三  弁護人佐伯千仭、同井戸田侃の控訴趣意第一点(原判示第二の事実に関する不告不理原則違反の主張)について論旨は、原判示第二の事実について、被告人衣笠及び同田中は、殺人の所為で起訴されたものであり、逮捕監禁の所為では起訴されていないのに、原判決が、右両被告人につきこれを審判の対象とし、有罪と認定しているのは、刑事訴訟法三七八条三号にいう審判の請求を受けない事件について判決をした違法がある、というのである。

そこで、所論にかんがみ検討するに、原判示第二の事実に関する公訴事実は、

「被告人衣笠豊は、神戸市兵庫区湊町一丁目一九六に本拠を置く暴力団忠成会の幹事長(若頭)、同田中末男は同会幹事長補佐(若頭補佐)、同秋丸鹿一郎は同会若衆であるが、被告人三名は、かねて同会と友誼関係にある暴力団松田組系村田組内大日本正義団二代目会長吉田芳幸から依頼を受け、忠成会組員ほか数名と共同して、さきに暴力団三代目山口組組長田岡一雄をけん銃で狙撃して負傷させ、殺人未遂事件の犯人として警察から指名手配されていた右大日本正義団幹部鳴海清(当時二六年)を昭和五三年七月一六日ころから兵庫県三木市志染町広野五丁目二九番地の忠成会理事長野村智昌の三木事務所ほか三か所等に宿泊させてかくまつていたものであるが、右鳴海において被告人衣笠らに無断で大阪市西成区鶴見橋二丁目八の一三山水園二二号の自室に舞い戻るなどの身勝手な行動に出た上、被告人衣笠らの説得にもかかわらず再度右西成区近辺に戻ろうとする同人の所為をもてあましたことや、かねて被告人衣笠らにおいて右鳴海に前記田岡に対する挑戦状の手紙を書かせてこれを同人あてに郵送させていたため、右鳴海の口から被告人衣笠らの属する忠成会の組織ぐるみで右鳴海を隠匿した事実や右挑戦状を書かせた事実が発覚することを恐れるあまり、被告人衣笠、同田中の両名は、右鳴海を殺害するに如かずと決意し、同秋丸は、右殺害の目的を有しないまま、ここに被告人三名は、共謀の上、同年九月一日午後一一時四〇分ころ、前記野村の三木事務所階下六畳間で、被告人秋丸において右鳴海の背後から羽交絞めにし、被告人田中において右鳴海の両足首を日本手拭で緊縛するとともに両手首を同様の日本手拭で後手に緊縛し、被告人衣笠、同秋丸の両名において布粘着テープで右鳴海の顔面及び頭部を鼻部だけ空けるようにして一〇数回にわたりぐるぐる巻きにし、更に同テープで両手首、両足首、膝部それに胸腹部辺りをそれぞれ何重にも重ねてぐるぐる巻きにし、そのころ、同所玄関前路上に停めていた普通乗用自動車(神戸三三そ一八九七号)の後部トランク内に同人を押し込んだ上、同月二日午前〇時過ころ、同所先から被告人衣笠において運転し、同田中において助手席に同乗して同車を発進させ、同所から約五四・二キロメートル離れた神戸市北区有馬町六甲山一九一九番の一先の県道明石・神戸・宝塚線瑞宝寺谷付近路上まで右乗用車後部トランク内に右鳴海を閉じ込めたまま撒送し、同日午前二時前ころ、同所付近路上において、被告人衣笠、同田中の両名において同車後部トランク内から右鳴海を路上に抱え降ろし、被告人衣笠において右鳴海を同所路肩から西側瑞宝寺谷へ向け約一五二メートル下方の同谷堰堤下付近まで滑り落しあるいは引きずり降ろし、同所において、身動きできない同人の胸背部を所携の登山ナイフ様のもので数回突き刺してとどめをさし、よつて、そのころ同所で同人を心臓刺創により失血死させて殺害したが、被告人秋丸においては右鳴海の身体の自由を奪つて同人を不法に逮捕監禁したものである。」

というのであり、かつ、起訴状は、これに対する罪名及び罰条として、「殺人。刑法一九九条、六〇条。なお被告人秋丸につき、同法三八条二項、二二〇条一項」と記載しているものであるが、これに対し、原判決は、被告人田中の鳴海に対する殺意など右公訴事実の一部を認めず、殺意を有する被告人衣笠と殺意を有しない被告人田中及び同秋丸とが、共謀して、三木事務所において右鳴海を緊縛したうえ同事務所前路上で普通乗用自動車の後部トランク内に押し込み、もつて同人を不法に監禁したという事実並びに被告人衣笠が、右鳴海を右のようにトランク内に積んだまま三木事務所から連れ去り、その日ころ、公訴事実記載の山中またはその近辺で同記載の方法により同人を殺害したという事実を認定したうえ、法令の適用欄において、被告人衣笠の右所為は刑法一九九条(監禁の限度では更に同法六〇条)に、被告人田中及び同秋丸の右所為は同法六〇条、二二〇条一項にそれぞれ該当すると判示しているものであるところ、所論は、被告人衣笠及び同田中の逮捕監禁行為についての右のような原判決の認定・判示は、審判の対象からはみ出たものであるとしてこれを非難するのである。しかしながら、原判決が認定した三木事務所内及びその前路上における鳴海への逮捕監禁の事実は、前記の公訴事実の中に具体的に記載されており、しかも、公訴事実全体の文脈と罪名・罰条の記載に照らすと、公訴事実における右逮捕監禁事実の記載は、単に被告人秋丸についての逮捕監禁罪の構成要件を示す趣旨にとどまらず、同時に、被告人衣笠及び同田中の関係においては殺人の実行行為の一部を組成するものとされていることが明らかであるとともに、公訴官が被告人衣笠及び同田中の罪名・罰条として「殺人。刑法一九九条、六〇条」と掲記するにとどめたのは、本件の場合、殺人罪が成立すれば、逮捕監禁行為は同罪に包括吸収されると解したためであり、殺人罪の成立が認められない場合に、逮捕監禁罪の限度での処罰まで求めない趣旨ではないこともまた明らかである。してみると、右逮捕監禁の事実は、被告人衣笠及び同田中の関係においても殺人の訴因の一部として審判の対象となつていたものである。所論は、本件事案の場合逮捕監禁行為は、殺害のための手段とはなつていても殺人行為の一方法とは認められないから、逮捕監禁罪と殺人罪とは併合罪であり、したがつて、被告人衣笠及び同田中に対する起訴罪名が殺人罪である以上、逮捕監禁行為は審判の対象とはなりえない旨主張するようであるが、罪数についての判断は裁判所がなすべきものであるから、公訴官が右のように逮捕監禁と殺人が殺人の一罪となると解して起訴したときは、所論のように逮捕監禁罪と殺人罪とが併合罪となるとしても、逮捕監禁行為は審判の対象となることを妨げるものではないというべきであつて、所論は採用できない。そして原判決は、右のような公訴事実と同様の見解に立つて、右逮捕監禁の事実について前示のような認定・判断をしたものと解されるから、刑事訴訟法三七八条三号にいう審判の請求を受けない事件について判決をした場合には当たらないものといわなければならない。論旨は理由がない。

四  弁護人中垣清春の控訴趣意第一点及び同佐伯千仭、同井戸田侃の控訴趣意第四点(原判示第二の事実に関する理由不備又は理由のくいちがいの主張)について

各論旨は、いずれも、原判示第二の事実について、原判決は、その理由中において、いくつかの間接事実を認定したうえ、これらの間接事実により被告人衣笠が原判示第二に記載のとおり鳴海を殺害したものと認定しているが、原判決の掲げる間接事実をもつてしても、右殺害の事実を推認するに足りないから、原判決には、刑事訴訟法三七八条四号にいう判決に理由を付さないか理由にくいちがいがある違法がある、というのである。

しかしながら、原判決は、原判断第二の三において、証拠によつて認定した間接事実(原判断第二の三の1の(一)乃至(四))により、被告人衣笠において原判示のとおり鳴海を殺害したものと推認したことを詳細な理由を附して判示しており、これによつて原判決の右事実認定の理由を明確に把握できるのであるから、(右推論が誤つているための事実誤認の達法があることはありうるにしても、)原判決の理由の記載に各所論のような違法はないものといわなければならない。したがつて、各論旨は理由がない。

五  弁護人髙谷昌弘の控訴趣意中、原判示第二の事実に関する理由不備又は埋由のくいちがいの主張について

論旨は、原判示第二の事実について、原判決は、その「罪となるべき事実」においては本件鳴海の殺害を被告人衣笠の単独犯行であると認定しながら、他方、理由説明においてはこれを共同犯行であると判示しており、この点で原判決は理由不備又は理由にくいちがいがあり、刑事訴訟法三七八条四号に該当し、破棄を免れないというのである。

そこで検討するに、原判決が「罪となるべき事実」の第二において、鳴海の殺害を被告人衣笠の単独犯行であると認定判示していることは所論のとおりであるが、他方、原判決は、原判断第二の三の2において「もつとも、右殺害に他の者が関わりあつており、かつ直接鳴海の殺害行為を行つたのはその者である可能性も否定できないと思われるが、そうであつたとしても、その者の殺害行為が被告人衣笠の意思と無関係に実行されたとの事態は想定し得ないところであり、被告人衣笠は、その者といわば一心同体となつて鳴海を殺害したものと評価し得るのであつて、この場合においても被告人衣笠の刑責には変わりがないというべきである。」と説示しているところ、右の説示は、共犯が存在する可能性を否定していない趣旨に過ぎず、具体的かつ積極的に共犯の存在を認めて鳴海の殺害を共同犯行であると認定した趣旨でないことが明らかである。したがつて原判決の理由に所論のくいちがいがあるとはいえず、所論は右説示の趣旨を正解せず、原判決を非難するものであり、採用できない。論旨は理由がない。

六  弁護人佐伯千仭、同井戸田侃の控訴趣意第二点、第三点及び同髙谷昌弘の控訴趣意中原判示第二の事実に関する訴訟手続の法令違反の主張について

各論旨は、いずれも、原判示第二の事実について、原審は、被告人田中及び同秋丸の検察官及び司法警察員に対する一連の供述調書(以下これらを被告人両名の自白調書という。)を証拠として採用し、かつ、これらを有罪の認定に供したが、これらの自白調書はいずれも証拠能力を欠くから、これらを採用し有罪認定に供した原審の訴訟手続は法令に違反しているといい、証拠能力を欠く具体的理由として、<1>別件(犯人蔵匿)逮捕・勾留を利用しての違法な取調の結果作成されたものである、<2>右別件の起訴後の勾留を利用しての違法な取調の結果作成されたものである、<3>右別件勾留を利用し実質上勾留期間の制限に違反しての違法な取調の結果作成されたものである、<4>本件(逮捕監禁、殺人)で再逮捕された昭和五三年一一月一三日以後に作成された自白調書も、それ以前の違法な取調の結果作成された調書に基づいて作成されたいわゆる毒樹の果実である、<5>連日かつ長時間にわたる極めて苛酷な取調により強制された自白であつて、任意性がない、<6>捜査官の利益誘導、偽計などに基づいてなされた自白であつて、任意性がない、<7>検察官に対する自白調書は、刑事訴訟法三二一条一項二号に定める特信性がない、と主張するのである。

そこで、各所論にかんがみ、記録及び原審証拠を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して考察し、次のとおり判断する。

1  所論<1><2><4><5><6>について

右については、原判決が、原審において弁護人がした同旨の主張に答えて詳細な認定・判断を示し(原判断第二の二の1乃至3)、被告人両名の自白調書は、所論<1><2><4>でいうような違法収集証拠乃至その毒樹の果実であるとは認められず、また、所論<5><6>でいうような右自白の任意性に影響を及ぼすほど苛酷な取調や利益誘導・偽計などがあつたとも認められず、いずれも任意になされた自白であつて証拠能力が認められるとしているところ、記録及び関係証拠によれば、原判決の右認定・判断はすべて正当として肯認することができ(但し、原判断第二の二の1の(一)に被告人らが犯人蔵匿の容疑で逮捕された日を「翌八日」としているのは、正しくは「翌八日までに」とすべきものであり、また同(三)に被告人秋丸が再逮捕された容疑を「殺人」としているのは、「逮捕監禁」の誤りであると認められる。)、各所論が原判決の右認定・判断について縷々反論するところを検討しても、右の判断を動かすに足りない。したがつて、この点の各所論はいずれも当たらない。

2  所論<3>について

所論は、その趣旨必ずしも明確ではないが、要するに、捜査官は別件(犯人蔵匿)による逮捕勾留中から本件(逮捕監禁、殺人)による起訴前の逮捕勾留期間にかけて、長期間被告人田中及び同秋丸を取調べているが、これは、起訴前の身柄拘束期間を最高二三日に制限している法の趣旨に違反するから、右取調はこの点で違法であるというものと解されるところ、原判決が前記<1>の主張について判示しているとおり、右両被告人に対する別件逮捕勾留中の取調は、任意の取調として許容される範囲内のものであつたと認められるから、所論のようにこの取調期間を合算して起訴前の身柄拘束期問の制限を潜脱するものであるということはできない。

3  所論<7>について

記録及び関係証拠によれば、捜査官らが、被告人田中、同秋丸らを取調べるにあたり、鳴海殺害の犯人が誰であるかについての客観的証拠が乏しかつたことから、被告人らの捜査段階における供述が重要な意味を持つことを十分意識し、その任意性に疑いを持たれるような取調方法はとらないよう留意のうえ、あくまでも被告人らの自発的な供述により自白を得るという方針をもつて臨んだこと、被告人田中及び同秋丸も、はじめのうちは犯行を否認していたが、捜査官の説得により自白を開始してからは概ね素直な態度で取調べに応じ供述したものであること、右両被告人は、原審公判においては、犯行を否定するとともに、自白調書が作成された状況について所論<5><6>と同旨の弁解を重ねているが、右の弁解はにわかに信用し難いものであることは、原判決が原判断第二の二の1及び3で詳細に判示しているとおりであると認められ、右認定の事実関係によつてみると、右両被告人の検察官に対する自白調書について、刑事訴訟法三二一条一項二号にいう特信性を認めるに十分であるといわなければならない。

右のとおりであつて、被告人両名の自白調書については、いずれも証拠能力が認められるから、これらを証拠として採用し、かつ、有罪の認定に供した原審の訴訟手続に法令違反はない。

各論旨は理由がない。

七  弁護人佐伯千仭、同井戸田侃の控訴趣意第二点ないし第四点、同中垣清春の控訴趣意第二点、同〓谷昌弘のその余の控訴趣意並びに検察官の控訴趣意第二の一(原判示第二の事実に関する事実誤認の主張)について

弁護人らの各論旨は、いずれも、原判示第二の事実について、被告人三名は原判示のような犯行を一切行なっていないのに、被告人衣笠について殺人罪の成立を、同田中及び同秋丸について逮捕監禁罪の成立をそれぞれ認めた原判決は、信用性に欠ける被告人田中及び同秋丸の自白調書などを誤つて信用した結果、事実を誤認したものであるというのである。

検察官の論旨は、被告人田中に関する原判示第二の事実について、鳴海の殺害は被告人田中が同衣笠と共同して犯したものであるのに、原判決が被告人田中について殺人罪の成立を認めず、逮捕監禁罪の成立のみを認めたのは、全体について信用性を認めるべき被告人田中の自白調書の後半部分の信用性を否定するなど、証拠の取捨選択ないし価値判断を誤つた結果事実を誤認したものである、というのである。

そこで、各所論にかんがみ、記録及び原審証拠を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して考察し、次のとおり判断する。

1  死体の状況等客観的事実について

原判決の挙示する関係証拠によれば、原判決が、原判断第二の一において、本件死体発見の経緯、発見当時の死体の状況、死体の身許及びその死因に関して行なつている事実認定は、すべて正当としてこれを肯認することができ、この認定を動かすに足る証拠は存しない。弁護人髙谷昌弘の所論は、右死因は原判決が推認しているような刃物で胸背部を突き刺したことによる失血死ではないと主張し、その主たる論拠として、死体が着用していたパジヤマの損傷と死体の胸背部の傷害との間に関連が認められず、また、刺したのであれば死体の着衣等から必ず検出されるはずの血液が検出されていない、というのであるが、前者については、原判決の挙示する医師溝井泰彦作成の鑑定書(請求番号二〇二の分)及び同人の原審証言によれば、パジヤマの損傷と死体の傷との関連性は十分に認めることができ、この点の所論は着衣のズレかたについての独自の見解に基づくものであつて首肯し難く、また、死体の着衣等に血液反応が検出されなかつたことは所論のとおりであるけれども、右溝井証言によれば、死体発見当時には、すでに死体や着衣付着有機物の腐敗、分解が相当進行していて、血液反応が検出され難い状態になつていたことが認められるから、それが検出されなかつた事実も、死因に関する前記認定を左右するには足らないものというべきであり、この点の所論は当たらない。

2  被告人田中、同秋丸の自白の信用性

本件における被告人らの行動に関しては、前記公訴事実にいう昭和五三年九月二日午前〇時過ぎころ被告人衣笠及び同田中が小南安正方(三木事務所)を出発するまでの犯行について同被告人及び被告人秋丸の自白があり、右出発してから以降の犯行については被告人田中の自白があるところ、原判決は、これらの自白の信用性を、右小南方を出発するまでの状況を述べた部分と、それ以降の状況を述べた部分とに分けて検討しているので、ここでも右二つの部分に分けて原判決の判断の当否を考察することとする。

(一)  被告人田中の自白のうち小南方を出発するまでの部分及び同秋丸の自白の信用性

この点について、原判決は、まず両自白の概要を摘示し、次いで、両自白にはその信用性に疑問を抱かせる点も見受けられるとして、おおむね、

<1> 犯行のため被告人衣笠らが小南方にやつてくる直前、小南方にいる被告人秋丸に同衣笠が電話してきた日及び時刻について、秋丸自白に変遷がある。

<2> 鳴海を縛つた日本手拭を置いてあつた場所等について、秋丸自白に若干変遷があり、田中自白は一貫しているが、両自白は食い違う。

<3> 鳴海を襲う際の被告人衣笠の指示内容について両自白に食い違いがある。

<4> 鳴海を襲つた状況について両自白に食い違いがある。

<5> 鳴海の両足首の括り方について田中自白に変遷がある。

<6> 鳴海にガムテープを巻きつけた部位について、両自白とも、変遷があるうえあいまいな部分がある。

<7> 鳴海の荷物を納めた袋について、両自白に食い違いがある。

<8> 鳴海を括り終えた段階で麦茶を飲んだかどうかについて、両自白に食い違いがある。

<9> 鳴海が腹巻を着用していたことについて、両自白とも気づかなかつたと述べている点はやや不自然である。

などの点を指摘したのち、しかし、それにもかかわらず、両自白は被告人や捜査官において作出した虎偽架空のものとは到底認められず、大綱においては信用すべきものであるといい、その理由として、おおむね、

<1> 両被告人が自白を開始するに至つた経緯が自然であり、かつ、自白開始後は、自白するという態度が捜査段階中一貫して維持されている。

<2> 両自白とも、その内容が詳細かつ具体的であるうえ、両自白は大筋において一致している。

<3> 両自白、とくに秋丸自白には、鳴海を緊縛した直後の様子を述べる部分、鳴海を乗せた車が発進した直後に「ピーポー、ピーポー」というパトカーか救急車のサイレンが聞こえた状況を述べる部分、事件後の九月一九日のテレビで「六甲山でガムテープ巻きにされた男の死体をハイカーが発見した」というニユースを見たときの心境を述べる部分などに、虚偽の自白とは到底思われない真実味が認められる。

<4> 両自白を裏付け、小南方における被告人三名の犯行を推認させる次のような客観的状況が存する。

<イ> 萩原努及び本岡昌幸の各証言により、昭和五三年九月二日午前零時過ぎころ、夜釣りからの帰途自動車で小南方前路上を通過した右萩原らが、小南方玄関前付近に三人の男が立つていた情況を目撃し、しかもそのうちの一人が被告人秋丸に似ていた事実が認められる。

<ロ> 小南安正の一一月二五日付検察官調書により、同人が九月二日午前二時ころ外出先から小南方に戻つたとき、その前日の朝には同所で姿を見掛けていた鳴海がいなくなつていた事実が認められる。

<ハ> 小南安正の一一月二七日付検察官調書により、同人が、鳴海がいなくなつてから二、三日後に、小南方で鳴海が使つていた夏布団(両自白が、鳴海を車のトランクに積んだ際、一緒に詰め込んだと述べているもの)がなくなつているのに気付いた事実が認められる。

<ニ> 関係証拠により、昭和五三年九月当時小南方には、鳴海の手足を緊縛したものと同じ意匠の日本手拭が相当数あつたことが明らかであり、更に、小南安正の一一月二七日付検察官調書により、被告人秋丸が、九月二四日午前二時ころ村岡明美方において、小南に対し、当時小南方に残つていた日本手拭をすべて処分するよう指示したことが認められる。

<ホ> 九月一日夜から翌二日朝までの間に関する被告人三名のアリバイ主張を裏付ける客観的証拠は乏しいうえ、却つて、西本澄子の一一月二五日付検察官調書によれば、被告人衣笠は、九月二日午前三時三〇分ころに帰宅したことが窺われ、また、田中邦子の検察官調書によれば、被告人田中は、八月三一日か九月一日の午後一一時ころ電話を受け、その後「頭(衣笠)が呼んでいるから行つてくる」と言つて出掛けて行き、翌日の午前二時三〇分から同三時ころまでの間に帰宅したことが認められる。

<5> ひるがえつて、先に疑問点とした両自白の変遷や食い違いについて再検討すると、右の程度の変遷や食い違いは、認識の不確実さや時問の経過による記憶の減退に基づくものとして理解することができ、なお若干疑義も残るけれども、被告人らの自白が大綱において信用できるとする結論に影響を及ぼすものではない

と説示し、更に、原審で弁護人が主張した両自白の信用性に関する疑問点(田中自白が、小南方へ向う途中、道路工事のため片側通行となつている個所があつたとしているのは客観的証拠に反するという点、田中自白が本件犯行当時小南方正門に門扉があつたとしているのはやはり客観的証拠に反するという点、両自白が鳴海が抵抗しなかつたと述べているのは不合理であるという点、鳴海の死体に認められた手拭の結び方が、被告人田中一人が結んだという両自白と合致しないという点、萩原努及び本岡昌幸が小南方前に車が停まつているのを見ていないことは、かかる車がなかつたことを示すもので、被告人衣笠の車があつたとする両自白が疑わしいという点、及びガムテープから被告人らの指紋が検出されていないのは、両自白の内容と合わないという点)についても仔細に検討を加え、それらの疑問点も両自白が大綱において信用できるとする前記判断を覆えすに足りない旨説示しているところ、関係証拠によれば、原判決の右一連の認定、判断は、その過程での証拠の取捨選択をも含めて、すべて正鵠を得たものとしてこれを肯認することができ、弁護人らの各所論が原判決の右認定、判断について反論するところも、右の判断を動かすに足りない。

なお、弁護人らの各所論は、原判決が検討を加えている諸点のほかにも、両自白の信用性に関し縷々疑問点を主張するので、そのうちの主要なものについて、以下に当裁判所の判断を示すこととする。

(1) 所論は、両自白が真実であれば、これに述べられている証拠物(鳴海が所持していたとされる腕時計、けん銃、靴、鳴海に飲ませようとしたとされる睡眠薬の残り、鳴海と一緒に車のトランクに詰めたという夏布団、毛布、鳴海に巻きつけたガムテープの残り、鳴海が包丁で切りつけたとされるダンボールの空箱など)が相当程度発見される筈であるのに、これらが発見されていないのは、両自白が架空のものであることを示すものであるという。所論指摘の物品が発見されていないことは所論のとおりであるが、関係証拠を精査しても、特定の場所にあるべき筈の証拠物が、その場所に発見されなかつたという状況は認められず、却つて、さきに認定した被告人秋丸が小南に対し日本手拭を処分するよう指示した事実からも容易に推測されるように、被告人らが犯行後関係証拠物の殆どを処分し、証拠湮滅を図つたことが窺われるのであり、してみると、証拠物の多くが発見されていないからといつて、そのことを両自白の信用性を否定すべき根拠とすることはできないものといわなければならない。

(2) 所論は、鳴海の死体の胃の内容物中に人参片が検出されているが、犯行当夜鳴海に夕食を供したという秋丸自白中には、その夕食の料理に人参があつたという供述記載はなく、このことは秋丸自白が信用性を欠く証左である旨主張するところ、鳴海の死体の胃内容物から人参片が検出されたこと及び秋丸自白が人参について述べていないことは所論のとおりであるが、秋丸自白にも当夜夕食に出したビフテキにレタス等の野菜を添えたと述べられていること、通常ビフテキには人参を添える例が多いこと、死体の胃の内容物に人参片が含まれていることを初めて明らかにした前記溝井鑑定書が作成されたのは起訴後の昭和五四年八月一〇日付であることなどに徴すると、被告人秋丸が、自白時に、右夕食の中に人参もあつたことを忘れていたか、あるいは覚えていてもそこまで詳しく述べる必要はないと考えて「レタス等の野菜」と述べるにとどめたものである可能性も十分考えられ、人参について述べていないからといつて、必ずしも自白の信用性を失わせるものとはいえない。なお、被告人秋丸は、原審公判廷において、自分は人参は大嫌いなので小南方台所にも置いていなかつた旨供述しているが、右は、犯行を全面的に否認し、九月一日に鳴海に夕食を供したことも否定している段階での供述であり、かつ、何らの裏付け証拠も伴わないものであつて、にわかに措信することができない。したがつて、この点の所論は採用することができない。

(3) 所論は、秋丸自白は、鳴海の死体を巻くについて新品のガムテープ二巻を使用した旨供述しているが、新品ならあるはずの最初の鋸歯状の部分が死体のガムテープからは一個所しか見つかつておらず、このことは、使用されたガムテープは一巻だけであることを示すもので、秋丸自白と矛盾し、同自白の信用性に重大な疑問を呈するものであると主張する。しかしながら、ガムテープを使用するに際し、最初の部分を何かの都合で使用せずに捨ててしまつたということも考えられないわけではなく、秋丸、田中両自白も、その可能性を否定すべき事情のあつたことを述べるものではないから、この点も秋丸自白の信用性を否定すべき根拠とするには足りないといわなければならない。

(4) そのほか、所論は、九月一日に小南方応接間にテレビがあつたかどうか、また、鳴海の死体の腹巻の中にあつた現金三〇万円を鳴海がいつ誰から入手し得たかなどの点について、自白と他の証拠との間に矛盾がある旨主張するが、これらの主張は、客観的な裏付けを伴わない不確実な他の証拠との対比において、自白の信用性を否定しようとしているもので、説得力に乏しく、にわかに支持し難いものといわなければならない。

以上のとおりであつて、結局、田中自白のうち小南方を出発するまでの部分及び秋丸自白は、原判決がいうとおり、大綱において十分信用性を認めるに足るものであり、その他各所論にかんがみさらに検討しても、右判断を左右するに足りない。

(二)  被告人田中の自白のうち小南方を出発してからの部分の信用性

(1) 小南方を出発してからの状況を述べる被告人田中の自白の概要は、原判決が摘示しているとおりで、次のようになつている。

「衣笠が運転し自分が助手席に乗つた自動車は、西神戸有料道路を通り、夢野交差点、平野交差点を経て有馬街道へ出て、無人の裏六甲ドライブウエイ料金所を通過して六甲山頂上へ走り続けた。一時間半か二時間位走つてS字カーブを過ぎ、ガードレールが切れたところで、衣笠は車を道路脇に停め車から降り、自分も続いて降り、衣笠の指示で鳴海の手足を二人で持つてトランク内からその身体を道路上に降ろした。衣笠は、いきなり鳴海の腰付近を抱えるようにして道路脇の藪のようになつた斜面に放り投げ鳴海は下の方へ落ちて行つた。衣笠はその後追うようにして藪の中に飛び込んで行つた。トランクを閉め助手席に乗つて待つていると、二〇分くらいたつたころ衣笠が藪の中からはい上つて来て荒い息をさせて運転席に乗り込んで来た。衣笠の手の甲には鶏卵大の大きさの血がついており、同人は白いハンカチでそれを拭き、「二、三回突き刺してきた」と言つていたが、そのとき衣笠は登山ナイフのような刃物を手にしていた。しばらく息をはずませた後、衣笠は自動車を発進させ、少し走つてからUターンしてもと来た道を引き返したが、途中から往路とはコースを変え、表六甲有料道路を通り、阪急西灘駅前に出て自宅のある大東物産ビルの前で停車し、自分はそこで降り衣笠と別れた。その際衣笠の指示で、小南方を出発する際に秋丸から受け取つた鳴海の荷物を入れた青色ビニール袋を同ビル前路上のごみ置場に既に置かれていた一〇個程のビニール袋の真ん中あたりに捨てた。」

(1) 原判決は、被告人田中の右自白は詳細かつ具体的であるうえ、その信用性を裏付けるものと思われる証拠状況もいくつか存するとしながらも、右自白には、他方で不合理な部分や供述過程での不自然な点が多数存在し、かつ、前述の信用性を裏付けるものと思われた証拠状況も、仔細に検討するとそうとは認め難いとして、紬局右自白の信用性を否定しているものである。しかしながら、原判決の右判断のうち右自白の信用性を否定している部分は、検察官の所論が概ね正当に批判しているとおりいずれも首肯し難く、右自白は信用性を認めるに十分であるといわなければならない。すなわち、

(ア) まず、原判決が重要な疑問点としてとりあげている諸点について検討するに、

<1> 衣笠が鳴海を山中に投げ込んだあと、戻つて来るまでの経過時間の点について、原判決は、

「被告人田中の自白によれば、同衣笠は、車のトランクから降ろした鳴海を道路脇の藪の中に投げ込んだ後、自らも藪の中に飛び込んで行き、約二〇分後に息を切らせながら戻つて来たというのである。そこで、この点について検討するが、裁判所の昭和五六年二月二七日付、同年九月九日付各検証調書等によれば、鳴海の死体発見現場は、県道上の田中の指示する地点から約一五〇メートルの距離にあり、その間の経路は、終始三〇ないし四五度の急な傾斜面であるうえ、足場ももろく、途中には傾斜六〇度ないし九〇度、高さ一・一メートルないし二・四メートルの石積みも三か所あり、また、所によつては、樹木、熊笹、雑草が繁茂している状況にあり、また、右昭和五六年二月二七日付検証調書によれば、裁判所が昭和五五年九月六日実施した検証の際、模擬人体を用いて行なつた実験の結果、日中においても右往復には一九分二七秒間を要していることが明らかである。しかも、右検証調書によれば、夜間において現場はきわめて暗く右と同じ実験を行うのは危険が伴うほどであると認められ、そのような条件下において、被告人田中の自白するとおり衣笠が照明器具を用いることなしに、かつ危険防止と道に迷わないことに配慮しつつ(前記日中の実験の際ですら、実験者は復路においては往路から若干はずれたコースを取つたことが認められる)約二〇分間で同所を往復することはきわめて困難であると判断せざるを得ず、また、衣笠において、当時人目を避けるには早いに越したことはなかつたとはいえ、寸刻を惜しむ程急がなければならない事情があつたものとは認められないことなどをも考えると、「二〇分」という供述はある程度の幅をもつものと解せられること、殺人という重大犯罪を実行しつつあつた者と検証の際の実験者とでは心理状態にも大きな差があり、右往復所要時間につき両者を単純に比較することは必ずしも適切ではないことなどの事情を考慮に入れても、被告人田中の右自白は、客観的状況に合致せず、不合理なものと認めざるを得ない。」

という。しかしながら、田中自白にいう「約二〇分」という時間は、当時腕時計などによつて計測したものではなく、同人の時間感覚に基づき、おおよそそのくらいの感じとして把握されたに過ぎないものであり(同人を取調べた検察官坂井靖の原審証言)、普通、人の時間感覚はかなり不確実であることにかんがみると、右自白にいう約二〇分という経過時間も、ある程度誤差を伴うものとして理解すべきものであるが、そういうものとして考えると、右自白の経過時間についての供述は、本件現場の状況にそう合理的な供述であるといわなければならない。すなわち、原審が現場検証に際して実施した往復実験によれば、被告人田中の待機場所から死体発見現場への往復所要時間が一九分二七秒であつたことは原判決のいうとおりであるところ、右往復経路の嶮岨さや、本件犯行時との原判決のいうような条件の差異を考慮しても、本件犯人は右実験値に二、三分、多くても数分プラスした時間内には往復できたものと考えられるのであり、原判決が「約二〇分間で同所を往復することはきわめて困難であると判断せざるを得ず」としているのは、田中自白にいう約二〇分という時間を限定的に考え過ぎているか、あるいは前記条件の差異を過大に把えているものといわざるをえないのであつて、到底支持することはできない。この点について、原判決は、被告人衣笠には犯行当時一寸を惜しむ程急がなければならない事情はなかつたというが、検察官の所論も指摘しているように、本件現場のような所で殺人を犯せば、たとえ他人に見咎められる虞れはなくても、寸秒も早くその場を去ろうとするのが通常であろうと考えられ、この点で原判決の右判断も支持し難い。そして、右のように考えると、右経過時間に関する田中自白は、むしろ前記の実験結果とかなりよく符合しているというべきであり、決して原判決のいうような客観的状況に合致しない不合理なものではなく、却つて、客観的状況にも合う合理的なものであり、自白全体の信用すべきことを窺わせるに足るものであるといわなければならない。

<2> 次に、原判決は、衣笠が車に戻つてから運転を開始するまでの時間の点について、

「被告人田中の自白によれば、衣笠は右のように藪の中から県道上に戻つて来て自動車の運転席に座つたものの、しばらくは息をはずませ、左手をハンドルの上に置き頭をハンドルにもたれさせた状態でぐつたりしており、その後エンジンをかけて車を発進させたというのであるが、運転席に戻つてから運転を始めるまでの時間については若干供述の変遷が存するものの、概ね二、三分ないし数分であつた旨供述している。しかしながら、前記裁判所の検証の際の実験においても、実験者は、路肩まで上り道路脇のコンクリート上で息苦しそうに横になつたが、その顔色は直つ青で唇は白くからからになつており、そのままの状態で約四分間休憩してようやく顔色が戻つたのであつて、この実験結果のほか、前記のとおり、衣笠において寸刻を惜しむ程急がなければならない事情はなかつたものと考えられること及び運転ができる被告人田中がそばにおり、衣笠として右田中に運転を代つて貰うのに何ら支障はなかつたと考えられることなどからみて、二、三分ないし数分で衣笠が運転を開始した旨の被告人田中の自白は相当疑わしいものと考えざるを得ない。」

という。しかしながら、田中自白にいう被告人衣笠の疲労状況や時間経過と、原審での実験結果とは、当裁判所には実によく合致しているように思われ、そこに顕著な差異を認めようとする原判決の態度は理解に苦しむものである。また、衣笠に寸刻を惜しむ程急がねばならない事情がなかつたとする点については、さきに<1>で指摘した犯人心理がここの局面についてもあてはまるというべきであり、更に、疲労した被告人衣笠に代わつて同田中が運転できたはずではないかという点については、検察官の所論が正当に反論しているとおり、被告人衣笠が戻つて来たとき、被告人田中は助手席に坐つていたのであり、そこで被告人衣笠が空いていた運転席に乗り込み、疲労の回復を待つてそのまま運転を開始したことは、むしろその場の状況に合致した自然な成り行きとして首肯することができるうえ、田中自白によれば、同人は、小南方を出発してからも行き先について全く知らされていなかつたし、被告人田中の方から運転の交替を申し出なかつたのは、鳴海を殺害したらしい被告人衣笠に対し反感を覚えていたためであつたというのであり、右供述自体極めて自然な内容であり、かつ、これによれば衣笠が運転したことにも何ら不自然というべきかどは認められないのであつて、これらの点についての原判決の判断は到底支持し難いものといわなければならない。

<3> 原判決は、鳴海の着衣の損傷状況について、

「前記のとおり鳴海を道路脇の藪の中へ投げ込んだ後、衣笠がいかなる方法で鳴海を死体発見現場まで運んだのかという点については被告人田中の自白には表われていないのであるが、これが衣笠一人によつてなされたもので、同人はまず、鳴海を抱きかかえるようにしながらこれを藪の中へ投げ落とし、その後を追つたものであるとし、その際衣笠が鳴海を運ぶための道具を用いたことを窺わせるような供述をしていない被告人田中の自白を前提とし、同所付近の地形や植物の繁茂状況等を考慮しつつこれを推認する限り、結局、鳴海の身体を斜面に沿つて滑らせたり、引きずつたりするなどの態様以外の方法は想定し得ないのであり、そうだとすれば、衣笠が鳴海を運んだ方法は、前記裁判所の検証の際の実験において、実験者が行なつた方法と大差はないものと認めることができる。しかしながら、右実験の結果によれば、模擬人体に着用させたパジヤマの上衣(昭和五四年押第一七二号の二七)は、右肩部及び背中から腰部にかけて大きな裂傷を生じたほか、上衣及びズボンとも背部を中心として小さな疵跡が多数認められ、右のような方法による限り、この程度の着衣の損傷は当然生ずべきものと認められるところ、鳴海の死体の着衣には前記第二、一の1の(二)の(2)で触れたとおり刃物によると思料される損傷のほかには目立つた損傷は存しないのであつて、この点から考えても、被告人田中の自白には客観的状況に符合しないと認められる不合理な部分が存すると判断せざるを得ない。」

という。たしかに、実験に用いた模擬人体の着衣に生じた損傷と、鳴海の死体の着衣に存した損傷との間にかなり顕著な相違のあることは原判決のいうとおりである(但し、鳴海の死体のパジヤマにも、刃物によると思料される損傷のほかに全く損傷がないわけではなく、当審で取調べた信西清人作成の鑑定書及び同人の当審証言によれば、右パジヤマの上衣及びズボンに、小さいながら引き裂けまたは擦過によると思われる損傷が認められる。)が、模擬人体のパジヤマは、原裁判所の検証調書添付写真によつて明らかなように、上衣とズボンとがガムテープによつて互いにしつかりと繋がれ、実験終了後もその状態に保たれ、上衣がめくれ上がつたりズボンがずれたりはしていないのに対し、死体発見時の鳴海のパジヤマの状況をみると、証拠上明らかなように、上衣は、ボタンがはずれたりちぎれたりして、両肩部がずり落ち、裾がめくれ上がるなどし、ズボンは膝から足元付近にずり落ちていたものであり、これらの状況から推測すると、検察官の所論が指摘しているように、模擬人体の場合は、樹木、熊笹、石などにひつかかるなどすると、その都度パジヤマに強い衝撃が働いて損傷を生じたが、鳴海の場合、被告人衣笠が鳴海の身体を引きずつたりした過程で、ガムテープの一部が脱落したため、パジヤマの上衣やズボンがずり落ちたりめくれ上がり、このためパジヤマ自体には損傷が生じにくかつた、ということも十分考えられるところといわなければならず、これに加え、前記信西清人作成の鑑定書及び同人の当審証言によつて認められる鳴海の死体に巻かれていたガムテープには、山肌で擦過したために生じたと思われる損傷が明瞭に存在することなどに徴すると、田中自白のいうとおり、被告人衣笠において、鳴海を現場の藪の中に投げ込んだあと、斜面に沿つて同人を引きずり降ろすなどしたことが十分推認されるのであり、したがつて、鳴海が着用していたパジヤマに目立つた損傷がないことでもつて、田中自白を不合理であるとする原判決の判断は、にわかに同調し難いものといわなければならない。

なお、弁護人の所論は、田中自白のいうように被告人衣笠一人で鳴海を引きずるなどして運んだものとすれば、その着衣の損傷は前記のような程度では到底納まらないはずであり、右着衣の損傷状況は、多数人で鳴海を、引きずらず、かついで運んだことの証左である旨主張するが、右に説示したところにより、この主張も採用できない。また、弁護人の所論は、田中自白にいうような運び方をすれば、鳴海の身体に必ずや骨折が生ずるはずであるのに、これが生じていないことは田中自白が信用できないことを示すものである旨主張するが、滑り落したり、引きずつたからといつて所論のように必ず骨折が生ずるものとも考えられないから、右主張も当たらない。

<4> 車を発進させた場所の点について、原判決は、

「被告人田中の自白によれば、衣笠は、鳴海を投げ込んだ藪の中から戻つた後、自動車を発進させ、少し走つてから、ユーターンさせて神戸市の市街地へ向かつたものであるとするが、そのユーターンの場所について、一一月五日の取調においては、「三〇メートルほど進んだ所」(同日付司法警察員・検察官調書)と供述していたものの、同月一〇日の取調においては、「五〇〇メートル位はゆうに走つている」(同日付検察官調書)と供述し、その内容を大幅に変更し、以後概ね五、六〇〇メートルとの供述を維持しているのであるが、ともに犯行当時の記憶に基づく供述であるとしながら、何らの理由を付することなく、右のような大幅な供述の変更を行なうこと自体、不自然であると認められるのであり、その供述の信用性には疑問を抱かざるを得ない。」

という。田中自白が右Uターン場所について、とくに理由を説明しないまま供述を変更していることは原判決のいうとおりであるが、原審で取調べた司法警察員作成の昭和五三年一一月一〇日付捜査報告書(請求番号二三一。記録一四二六丁以下)によれば、被告人田中が同日午前一一時四〇分から午後一時四〇分にかけて行われた死体投棄現場の実況見分に立ち合い、その際、Uターン場所についても、右現場から車で七〇〇メートル走つた地点を指示していることが認められ、右事実に徴すると、被告人田中は、右実況見分より前は単なる記憶に基づいて供述していたが、実況見分に立ち会つた結果、その記憶が誤つていたことに気づき、現場の状況に基づいて喚起した新たな記憶に基づいて以前の供述を変更したものであることが容易に推認されるのであり、また、田中自白から窺われる発進時における被告人田中の立場や心理に照らすと、車を運転していたわけではない同被告人が走行距離を大巾に思い違つても、さほど不自然とは思われず、原判決のこの点についての判断は、検察官の所論がいうとおり、形式論に過ぎるとのそしりを免れないといわなければならない。

<5> 更に、原判決は、三木事務所から本件現場付近に来て車を停めた場所に関する供述内容について、大要、

「被告人衣笠から行き先を告げられないで単に夜間同乗したに過ぎない被告人田中が、車を停めた場所につき、警察官に対し、その当時の記憶だけに基づいて概略的な供述しかしていなかつたのに、一一月一〇日には検察官に対し詳細な供述を行なつていることは、それ自体却つて不自然である。また、同日付の検察官調書中の右供述は、あくまでも本件犯行当時における記憶に基づくものとして記載され、同日の同行見分について何ら言及されていないのは、捜査官側において、不手際ないし公正さを疑わせる面が存することを否定できない。」

という。しかしながら、昭和五三年一一月一〇日以降になされた被告人田中の供述が、同日行われた同行見分の結果を踏まえてなされていることは証拠上明白であり、単なる記憶に基づいてなされた供述より、現場の状況を確認してからの供述が詳細となるのは、自然の理というべく、原判決が、右同行見分の行なわれた事実を知りながら右供述の詳細化を不自然であるというのは了解に苦しむところである。また、原判決が捜査官の調書作成上の不手際を非難する点も、田中自白の信用性の有無を考えるうえでさほど重大視すべき事柄とは思われないのであり、かかる事柄をもつて田中自白の信用性を疑うべき根拠とするのは、形式にとらわれ過ぎた態度であるといわざるを得ない。

(イ) 次に、原判決は、田中自白に関連して存在する証拠状況として、

<1> 司法警察員作成の昭和五三年一一月一〇日付捜査報告書によれば、同日実施の同行見分の際、同被告人が自ら鳴海の死体が発見された瑞宝寺谷々底の上方の、鳴海を車から降ろしたと自白した地点と客観的に認められる場所を的確に指示したとされていること、

<2> 被告人田中の自白において、被告人衣笠が鳴海を瑞宝寺谷に向けて運び降ろしたとする地点から、本件死体発見現場まで降りることは、現実に可能であり、また、捜査官証言によれば、この経路は、同田中の自白によつて初めて判明したものであること、

<3> 右経路の途中から、鳴海の死体に巻かれていたものと同質のガムテープ片(昭和五四年押第一七二号の二三)及びボタン一個(同押号の二二)が発見され、右ガムテープ片には毛髪が付着しており、その後行われた鑑定の結果、右ガムテープには鳴海の着用していたパジヤマの繊維及び小南方一階六畳間のじゆうたん繊維とそれぞれ同質同色の繊維片が付着しており、右ボタンも鳴海の着用していたパジヤマ上衣のボタンと同質であるとされたほか、右ガムテープに付着していたものとして鑑定嘱託された毛髪が鳴海の頭髪と酷似するものと認められたこと、

<4> 鳴海を搬送する途中通過した裏六甲有料道路の料金所が当時無人であつた旨の被告人田中の自白が捜査照会の結果と符合していること、

<5> 逮捕監禁、殺人幇助容疑についての勾留質問時(昭和五三年一一月一五日)においても、被告人田中は、被疑事実を認めたうえ、「私は唯事ではないと思いましたが、殺害するつもりであるとは知りませんでした」などと当時の心境についても供述していること。

を挙げたうえ、これらの証拠状況は一見田中自白を裏付け、その信用性を高めるもののように見えるが、仔細に検討すると、右に現われた各捜査資料や接査官証言は必ずしも信用できず、またそうでないものも、事実自体真犯人でなければ知り得ない性質のものでもないなどとして、裏付価値を否定している。しかしながら、関係証拠を総合検討すると、右各捜査資料や捜査官証言は十分信用しうるものであり、前記各証拠状況は、それぞれ程度に強弱の差はあれ、いずれも田中自白の信用性を裏付けるに足るものと認められ(その個々的な判断経過は改めては述べないが、当裁判所見解は、検察官が控訴趣意書第二の一の2の(四)で詳細に述べている意見とほぼ同一である。)、原判決のこの点の判断にも同調することができない。

(ウ) 以上のように、原判決が、田中自白のうち小南方を出発してからのちの部分の信用性を否定すべき根拠として挙げる諸点はいずれも当たらないといわなければならず、むしろ右自白のかなりの部分が客観的事実にも合致していることがすでにこれまでの検討によつて明らかであるところ、これに加え、原判決もすでに田中自白のうち小南方を出発するまでの部分の信用性を判断する際に認定しているとおり、被告人田中が自白をするに至つた経緯が自然で、自白態度も一貫していたこと、また、田中自白の内容を見ても、それが詳細かつ具体的である点は、さきに信用性を肯定した小南方を出発するまでの部分と異ならないことなどにかんがみると、田中自白は、小南方を出発してからの部分についても、それ以前の部分と同様大綱においてその信用性を認めるに十分であるといわなければならず、弁護人らの各答弁にかんがみさらに検討しても、右判断を左右するに足りない。

3  殺人罪等の成否

(一)  被告人衣笠について

前記の田中自白及び原判決の挙示する関係証拠によれば、鳴海が、公訴事実記載のとおり、昭和五三年九月二日午前二時前ころ、被告人衣笠により、同記載の路上から瑞宝寺谷堰堤下付近まで引きずり降ろすなどの方法で運ばれたうえ、同所において公訴事実記載の方法で殺害されたことを認めるに十分である。

各弁護人は、当審において、鳴海が殺害されたのは、昭和五三年九月二日ではなく、同月一一日ころであると主張し、その主たる理由として、死体が屋外に放置されれば、三〇分以内に蠅が飛来して産卵し、季節などによつて遅速はあるけれども、概ね、産卵後一〇乃至二四時間で孵化して蛆虫となり、蛆虫は八乃至一四日で蛹となり、蛹は一二乃至一四日(最も早くて七、八日、遅ければ三週間位)で羽化するもので、本件当時の現場の気温条件からすると、鳴海の死体に産みつけられた蠅の卵は、半日以内で蛆虫となり、八日目には蛹となると考えられるところ、昭和五三年九月一七日に鳴海の死体が発見された際、死体には蛆虫は多数存在したが、蛹は存在しなかつたから、蠅が右死体に産卵したのは、すなわち鳴海が現場に運び込まれたのは、早くても同年九月一一日ころであることは明らかである、という。なるほど、当審で取調べた鍋谷徹著「法医診断学」抜粋、松倉豊治著「改訂捜査法医学」抜粋などによると、蠅に関する死体現象はほぼ所論のとおりであることが認められるが、他方、当審証人春岡邦昌、同溝井泰彦の各証言によれば、鳴海の死体発見当時、右死体に蛆虫のほか蛹も存在していたことが認められ、右認定を動かすに足る証拠は存しないから、死体に蛹が存在しなかつたことを前提とする所論は採用できない。なお、右各証人は、蛹の脱け殻あるいはそれらしき物も存在した旨証言しているところ、所論は、蛹の脱け殻があつたとすれば、鳴海は死体発見時より四週間以上前の八月二〇日ころに死亡したことになるという。しかしながら、蠅の卵が羽化するまでの期間は、死体の置かれた諸条件によつて異なるから、必ずしも所論のようにいうことはできないと考えられ、前記松倉豊治「改訂捜査法医学」抜粋をみても、著者は、死後経過時間判定の標準として、「蛹の脱け殻をみるときは二乃至三週間」としており、これによれば本件死体に蛹の脱け殻があつたことと鳴海殺害の時期を九月二日と認定することとは何ら矛盾するものでないことは明らかであつて、この点の所論も採用することができない。

更に、各弁護人の所論は、被告人衣笠には鳴海を殺害する動機が存在しなかつた旨主張するが、関係証拠によればその動機が十分存在したと認められることは、原判決が詳細に説示している(原判断第二の三の1の(三))とおりであり、所論は採用できない。その他各弁護人が原審及び当審において縷々主張するところにかんがみ検討しても、前記認定を動かすべき事情を見出すことはできない。

(二)  被告人田中について

検察官の所論は、本件鳴海の殺害は被告人衣笠と同田中の共同犯行であると主張する。しかしながら、田中自白によつても、被告人田中が同衣笠から鳴海を殺害する意図を打ち明けられ、これと謀議を遂げた事実のないことは明らかであり、せいぜい、本件現場に赴くまでの間において被告人田中の胸中に、ひよつとしたら被告人衣笠が鳴海を殺すのではないかという疑念が生じていたことが推認できるにとどまるが、ただ、被告人田中の昭和五三年一一月三〇日付検察官調書には、本件現場付近路上に至つた際の心境について、「こんな場所で車を停めた上私にも車から降りろと言つてきたのですから、頭(衣笠)が何をしようとしているかはあらためて考えるまでもなく、はつきりしていることで、ぐるぐる巻きにしてトランクにつめて運んで来た鳴海を処分つまり殺してしまおうとしていることはほとんど疑う余地がない位でした。このことは私の気持でどうこう出来るものではなく、私としてもことここに至つた以上腹をくくつて覚悟を決めざるを得ないことだつたのです。」という供述記載があり、これによれば、鳴海を殺害することについての黙示の共謀の成立が認められるかの如くである。しかし、田中自白によつて明らかな次のような事実、すなわち、被告人田中は、右のように腹をくくつたという時点でも、また、その直後被告人衣笠の指示で同被告人を手伝つて鳴海をトランクから出して路上に置いた時点でも、被告人衣笠がこれから鳴海を具体的にどうしようとしているのかは全く分かつておらず、その直後、被告人衣笠が鳴海を藪の中に放り込んだことさえ意外なこととして驚いていること、被告人田中は性来思いやりが深く(このことは秋丸自白が明言している)、当夜鳴海を緊縛したりこれを搬送するについても、鳴海に対する同情心を抱いていたこと、などに徴すると、前記の程度の供述記載をもつてしては、いまだ被告人田中に殺意と共同実行の意思があつたことを認めるには十分でないというべきであり、したがつて、同被告人に対しては、殺人はもとより殺人幇助の刑責も問い得ず、三木事務所内及び同所から本件殺人現場付近路上に至るまでの逮捕監禁罪の限度で刑責を問い得るのみであるというほかはない。

(三)  被告人秋丸について

田中、秋丸両自白をはじめ原判決の挙示する関係証拠によれば、被告人秋丸については、同衣笠及び同田中との共謀による三木事務所内及びその前路上でトランクに押し込むまでの逮捕監禁罪が成立するという原判示の事実認定を肯認するに十分である。

4  結論

してみると、原判示第二の事実について、被告人三名がいずれも無罪であるという各弁護人の論旨は理由がないが、原判決には、被告人田中の逮捕監禁罪の成立範囲について事実の誤認があり、右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかというべきであるから、検察官の論旨はその限度で理由があり、また、職権により判断すると、原判決には、被告人衣笠の犯行態様について事実の誤認があり、右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

以上の次第で、被告人秋丸の控訴は理由がないから、刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却することとし、当審における未決勾留日数の原判決の刑算入につき刑法二一条を、当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法一八一条一項本文をそれぞれ適用し、被告人衣笠及び同田中の各控訴は、いずれも理由がなく、刑事訴訟法三九六条にょり棄却すべきものであるが、後記のとおり検察官の控訴を理由ありとして原判決中右両被告人に関する部分を破棄することになるので、特に主文においてその旨の表示はしないこととする。

そして、検察官の控訴は理由があり、また、職権判断による右の破棄理由があるから、原判決中被告人衣笠及び同田中に関する部分は、原判示第二の罪について破棄を免れないところ、原判決は、右両被告人につき、それぞれ、右の罪と原判示その余の罪とを併合罪の関係にあるものとして一個の刑を言渡したものであるから、原判決中右両被告人に関する部分は全部破棄を免れない。よつて、検察官のその余の控訴趣意(被告人衣笠及び同田中に関する量刑不当の主張)に対する判断を省略し、同法三九七条一項、三八二条により原判決中被告人衣笠及び同田中に関する部分を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い、更に次のとおり判決することとする。

(原判示第二の事実にかえて、被告人衣笠及び同田中につき当裁判所が新たに認定した罪となるべき事実)

被告人衣笠及び同田中は、右秋丸と共に、前記のとおり、鳴海清(当時二六年)を匿つていたところ、同人が被告人らに無断で大阪市西成区内の山水園の自室に舞い戻るなどの身勝手な行動に出たうえ、被告人衣笠らの強い指示により前記柳荘に帰つた後も再度右西成区近辺に戻りたがるなどのことがあつて、これを持て余したことや、鳴海の蔵匿の間に被告人衣笠が前記吉田芳幸を介し右鳴海を唆して前記田岡一雄に対する挑戦状を書かせ、これを同人に郵送させていたため、右鳴海の口から忠成会関係者らが右鳴海を匿つていた事実や右挑戦状を書かせた事実が山口組関係者や警察当局に発覚することを恐れるあまり、被告人衣笠において、当時右鳴海が匿われていた前記三木事務所から、同人を縛り上げて連れ出したうえ殺害しようと企て、同年九月一日午後一一時過ぎころ、被告人田中とともに前記三木事務所に赴き、同所一階応接間において、被告人田中及び予め被告人衣笠から指示を受けて同所に待機していた右秋丸に対し、右鳴海を押え付けたうえ同人を縛り上げるよう命じ、被告人田中及び右秋丸はこれを承諾した。ここにおいて、被告人衣笠は、右鳴海を殺害する目的を持ち、同田中及び右秋丸は、右殺害の目的を有しないまま、右鳴海の身体を緊縛することを共謀のうえ、同日午後一一時四〇分ころ、右三木事務所一階六畳間で、右秋丸において、右鳴海を同所二階から呼び降ろしたうえ、その背後から両腕を締め付け、被告人田中において、右鳴海の両足首及び後手にした両手首をそれぞれ日本手拭(当裁判所昭和五七年押第九六号の五)で緊縛し、被告人衣笠、同秋丸の両名において、布粘着テープ(同押号の一ないし四)で右鳴海の顔面、頭部、両手首、両足首及び膝のあたり等に幾重にも巻き付けたうえ、翌二日午前零時過ぎころ、同所玄関前路上に停めていた普通乗用自動車の後部トランク内に同人を押し込んだうえ、被告人衣笠及び同田中は、前同様の目的で、共謀のうえ、被告人衣笠において運転し、同田中において助手席に同乗して同車を発進させ、西神戸有料道路、神戸市兵庫区内の夢野交差点、平野交差点、有馬街道、裏六甲有料道路を経て、同日午前二時前ころ、前記三木事務所から約五四・二キロメートル離れた神戸市北区有馬町六甲山一九一九番の一先の県道明石・神戸・宝塚線瑞宝寺谷付近路上まで、右鳴海を右乗用自動車後部トランク内に閉じ込めたまま搬送し、もつて、右鳴海の身体の自由を奪つて同人を不法に監禁し、更に、被告人衣笠は、右同時刻ころ、トランクから路上に抱え降ろした右鳴海を同所路肩から西側瑞宝寺谷に向け、約一五二メートル下方の同谷堰堤下付近まで、滑り落しあるいは引きずり降ろすなどして運んだうえ、同所において、身動きできない同人の胸背部を所携の登山ナイフ様の刃物で数回突き刺し、よつて、そのころ同所において同人を心臓刺創により失血死させて殺害したものである。

(右認定事実についての証拠の標目)

原判決の挙示する原判示第二の関係各証拠と同一であるから、これを引用する。

(累犯前科)

被告人田中末男は、昭和四一年一一月二五日神戸地方裁判所で殺人罪により懲役一〇年に処せられ、昭和五一年八月二六日右刑の執行を受け終えたものであつて、右事実は検察事務官作成の同被告人に関する前科照会回答書及び昭和四一年一一月二五日付判決書謄本によつてこれを認める。

(法令の適用)

原判決の確定した被告人衣笠及び同田中の原判示第一の所為は、いずれも包括して刑法六〇条、一〇三条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、当裁判所の認定した被告人衣笠の前記所為は刑法一九九条(逮捕監禁の限度では更に同法六〇条)に、当裁判所の認定した被告人田中の前記所為は同法六〇条、二二〇条一項に、それぞれ該当するので、各所定刑中、原判示第一の罪についてはいずれも懲役刑を、被告人衣笠の殺人の罪については有期懲役刑をそれぞれ選択し、被告人田中については、前記の前科があるので同法五六条一項、五七条によりそれぞれ再犯の加重をし、以上はいずれも同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条によりいずれも重い罪(被告人衣笠については殺人罪、同田中については逮捕監禁罪)の刑に同法四七条但書の制限内でそれぞれ法定の加重をした刑期の範囲内で、概ね正当として肯認できる原判決記載の量刑事情のほか、被告人らの未決勾留が長期間に及んでいることなどを考慮して、被告人衣笠を懲役一〇年に、同田中を懲役三年六月にそれぞれ処し、同法二一条を適用して被告人衣笠及び同田中に対し、原審における未決勾留日数中各七〇〇日を、それぞれその刑に算入し、刑事訴訟法一八一条一項本文により、原審における訴訟費用中、原審証人大森良春、同安田静男、同西中川勉、同西岡見一、同信西清人及び同持留健二に支給した分を除くその余並びに当審における訴訟費用の各三分の一ずつを被告人衣笠及び同田中に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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