大阪高等裁判所 昭和57年(ネ)1201号 判決 1985年8月28日
控訴人 齋藤隆
控訴人 齋藤惠美子
右両名訴訟代理人弁護士 濱田加奈子
同 平松耕吉
被控訴人 医療法人医仁会
右代表者理事 武田隆男
右訴訟代理人弁護士 三木善続
同 莇立明
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
1 被控訴人は、控訴人隆に対し金一一九〇万二四一九円と内金一一四〇万二四一九円に対する昭和五三年一〇月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員、控訴人惠美子に対し金一一四〇万二四一九円と内金一〇九〇万二四一九円に対する右同日から支払ずみまで右と同割合による金員をそれぞれ支払え。
2 控訴人らその余の各請求を棄却する。
二 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを五分し、その一を控訴人らの、その余を被控訴人の各負担とする。
三 この判決は一項の1に限り仮に執行することができる。
事実
一 当事者の求めた裁判
1 控訴人ら
(一) 原判決を取り消す。
(二) 被控訴人は、控訴人隆に対し金一五三一万五〇〇〇円と内金一四八一万五〇〇〇円に対する昭和五三年一〇月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員、控訴人惠美子に対し金一四八一万五〇〇〇円と内金一四三一万五〇〇〇円に対する右同日から右と同割合による金員をそれぞれ支払え。
(三) 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
(四) 仮執行宣言。
2 被控訴人
(一) 本件各控訴を棄却する。
(二) 控訴費用は控訴人らの負担とする。
二 当事者の主張及び証拠関係
次に付加、補正するほかは原判決事実摘示と同じであるから、これを引用する。
1 原判決二枚目裏四行目の「午後八時頃」を「午後三時頃」と訂正し、同五行目の「悪心・嘔吐があり、」の次に「夕食もとらずに寝ていたが、」を挿入し、同行目の「午後一〇時頃」を「午後九時過頃」と、同六行目の「三八度五分」を「三九度」と各訂正し、同一〇行目の「診断され」の次に「、ブスコパンを静脈注射され、」を挿入する。
2 同三枚目表末行の「七五〇〇」を「二万一〇〇〇」と、同七枚目表一〇行目及び裏三行目の各「午前九時すぎ」を「午前一一時半頃」と、同七枚目表末行の「約八時間」を「約一〇時間」と、同一〇枚目表二行目の「以下」を「未満」と各訂正する。
3 同一一枚目表九行目の「損害発生の以後である」を「本訴状送達の日の翌日である」と訂正し、同裏一〇行目の「診断され」の次に「、ブスコパンを静脈注射され、」を挿入する。
4 同一二枚目表一行目の「三八度五分」を「三九度」と訂正し、同六行目の「認める」の次に「が、その余は否認する」を挿入し、同七・八行目を削除する。
5 同一八枚目表六・七行目の括弧内を「第一、第二号証は昭和五二年一二月四日午前零時から午前一時ころまでの間、第三号証は同日午前一〇時ころ、被控訴人病院が撮影した幸代の胸部又は腹部のレントゲン写真」と、同裏三・四行目の「被告病院で撮影された幸代の」を「控訴人らの主張のとおりの」と各訂正する。
6 当審における当事者の主張
(一) 控訴人ら
(1) 鎌田医師が幸代を初診した昭和五二年一二月四日午前零時ころにおいて、その時に撮影された幸代のレントゲン写真(検甲第一、第二号証、第四、第五号証)には化膿性腹膜炎の発症の徴候である腹腔内遊離ガス(フリー・エア・ガス)像及び腹膜炎に併発する麻痺性腸閉塞の徴候である消化管内ガスの病的貯留像が認められ、白血球数は二万一〇〇〇もあり、前日の三日の午後三時から腹痛が生じていたこと及び請求原因3の(一)冒頭(原判決五枚目裏三行目から五行目まで)記載の当時の諸症状並びにその後なされた開腹手術における所見からすれば、右初診当時、幸代は既に化膿性腹膜炎を発症し、直ちに開腹手術をしなければ生命に危険のある状態であったことは明らかである。そして、右レントゲン写真の腹腔内遊離ガス像及び消化管内ガス貯留像は医師であれば十分に読影しうるものであるのに、鎌田医師はこれを見落とし、また不適切な問診のため三日の午後八時ころから腹痛が生じたと誤解し、二万一〇〇〇の白血球数をも考慮せず、不適切な診察により、化膿性腹膜炎の発症を診断することなく、手術時期を逸し、約一四時間も後に開腹手術をしたが間に合わず、幸代を死亡させたものである。
(2) 被控訴人は、初診時の幸代の腹痛の程度が、腹膜炎にしては非常に軽度なものであったと主張するが、鎌田医師作成の初診時のカルテ(乙第二号証)の記載からして、当初「腹痛のわりにはディフェンス著明でない」と強度の腹痛を訴えていたことを示す記載があったのを、後日「のわりには」を二本線で抹消して「(腹痛)はそんなに強くなく」を挿入して、実際よりも腹痛の程度が軽度であったとするように改ざんした形跡があるから、被控訴人のいうほど幸代の腹痛が軽度ではなかったことは明らかである。
仮に幸代の腹痛が軽度であったとしても、痛みの感じ方や表現の仕方には個人差があるから、幸代の腹痛の程度のみから腹膜炎を診断しえないとはいえない。
(3) 被控訴人は、初診時の幸代の白血球数は七五〇〇、朝のそれは二万一〇〇〇であったと主張するが、当審証人伊地知(旧姓武田)康江の証言からして、幸代の初診時に同人の血液検査をしたのは伊地知検査技師のみであり、同人作成の血液検査書(乙第五号証の二)には白血球数二万一〇〇〇と記載されていること、被控訴人主張の白血球数七五〇〇の記載のある血液検査書(乙第五号証の三)の作成者久保助手は右当時被控訴人病院の検査室にはいなかったものであり、同病院における幸代の診療報酬明細書(甲第二号証)には白血球を調べる血液検査は一回分の記載しかないことからすれば、幸代の血液検査は初診時に一回なされたのみで、白血球数は二万一〇〇〇であったものであり、右乙第五号証の三は後日幸代の白血球数を隠ぺいするために作成されたものである。
(二) 被控訴人
(1) 控訴人らは、検甲第一、第二号証、第四、第五号証のレントゲン写真から腹腔内遊離ガスと消化管内の病的ガス貯留の各像を読影しうると主張し、当審証人久山健の証言及び当審における同鑑定人の鑑定の結果は右主張に沿うものであるが、右レントゲン写真に認められるガス様陰影はその量が極めて少なく、消化管内貯留ガスと思われるものも少量で、右写真から控訴人らの主張するようなガス像を読影することは不可能である。また、右ガス様陰影は、幸代の虫垂炎膿腸中のガス産生菌から発生したもので、鑑定人久山健が想定した消化管穿孔によるものではないし、麻痺性腸閉塞の場合にはもっと多量のガスが大、小腸に認められるものである。
そもそもレントゲン写真は、急性腹症の診断をなすうえでの補助的手段の一つにすぎず、確定診断は他の所見をも総合してなされるべきであり、幸代には腹膜炎の徴候が殆んどすべて欠いていたから、鎌田医師が初診時において腹膜炎との確定診断に至らず、朝まで経過を観察するに止まったことにつき不適切な診療ということはできない。
(2) 控訴人らは、初診時の幸代の白血球数は乙第五号証の二記載の二万一〇〇〇であり、七五〇〇の記載のある乙第五号証の三は後日作成されたと主張するが、当日夜半に久保助手は被控訴人病院に戻り、乙第五号証の三を作成したものであって、同号証には入院前の外来時に採血したことを示す「外」に丸印がなされており、乙第五号証の二は入院後の当日朝三階病室で採血されたもので、これを示す「8F」に丸印がある。
7 当審における証拠関係《省略》
理由
一 幸代の症状及び治療経過
当事者間に争いのない請求原因1、同2の(三)、(四)(ただし、幸代の開腹手術と同時に多量の膿性腹水の流出があり、腹部全体が蜂窩織炎状を呈していたことは除く。)、同2の(五)(ただし、幸代の手術完了後直ちに、創傷から多量の排膿があり、血圧が下降傾向にあったこと及び昭和五二年一二月五日午前零時三〇分ころより譫妄状態を呈し、午前六時三〇分ころより意識を消失したことを除く。)の各事実、《証拠省略》によると、以下の各事実を認めることができる。
1 幸代は、控訴人らの長女(昭和三八年一一月一三日生)で、昭和五二年一二月三日当時中学二年生であったところ、同日(土曜日)中学校から帰宅して百貨店で買物をしていた午後三時ころ軽い腹痛を訴え、右下腹部を押さえて歩くようになったので、午後四時ころ帰宅したが、午後六時の夕食時に嘔気を訴え、夕食をとらず洗面器を用意して二階の自室に引き籠った。午後一〇時前ころ幸代の母控訴人惠美子が幸代の様子を見に行ったところ、洗面器内に嘔吐をした跡があり、幸代の体温は三九度で、腹痛を訴えていた。そこで、控訴人らは、幸代を武田病院(救急病院)まで連れて行き、午後一〇時一五分ころ当直医小川哲哉の診察を受けた。その際、幸代は臍周辺部に疼痛を訴え、同部に筋性防禦及び圧痛があったが、ブルンベルグ氏症状は認められず、体温は三九度三分で発汗嘔気があった。また尿検査の結果蛋白が三〇ミリグラム・パー・デシリットルおりていることが判明した。小川医師は、右症状及び検査結果から、虫垂炎を含む急性腹症、場合によれば腎盂腎炎の疑いがあると診断し、とりあえずブスコパン(副交感神経を抑制することによる鎮痙剤で、胃腸炎や胃・十二指腸潰瘍等の疼痛を軽減する。)一アンプルを静脈注射して様子を見たが幸代の腹痛は軽減しなかった。小川医師は、整形外科を専門とし、右以上の確定診断をなすに至らず、腹部専門医の診察を受ける必要があると判断したが、当日武田病院には腹部専門医が不在で、また、病室も満床であったので、一般外科医が当直し、入院も可能な被控訴人病院を紹介し、救急車を手配し、同病院に幸代を転送した(右事実のうち、幸代の腹痛、悪心、発熱、小川医師の診察及び処置並びに被控訴人病院への転送の事実は当事者間に争いない。)。
2 被控訴人病院の当直外科医鎌田寿夫は、武田病院から幸代が虫垂炎又は腎盂腎炎と診断されて転送されて来たことを聞かされ、昭和五二年一二月四日午前零時ころ控訴人惠美子同室の診察室で、幸代の診察を開始し(鎌田医師が幸代を診察したことは当事者間に争いない。)、まず問診により、最近胃の具合が悪く、前日中学校から帰宅して後の午後八時ころ一回嘔吐し、胃のあたりに痛みを覚え、嘔気が続き、午後一〇時ころの体温が三九度あったので、武田病院に受診したとの回答を得た。初診時の体温は三八度七分、血圧は九八/三〇(最大/最小。以下同じ。)、脈拍は規則正しく結膜に貧血は見られなかった。そして、上下腹部に間欠的な自発痛、余り強くない筋性防禦及び鼓音が認められ、不特定部位に圧痛が認められ、軽度の脱水症状があり、虫垂炎及びこれによる腹膜炎を疑わせる徴候があったが、右各疾患に通常伴うマックバーネー点、ランツ点、ローゼンシュタイン点、ロブシング点の徴候、ブルンベルグ氏症状は認められず、腹部に膨満はなく波動も触知されず、血液検査の結果白血球数は七五〇〇でほぼ平均水準内にあった。また検尿の結果蛋白がおりていたがさほど強度でなく血尿もなかったので、鎌田医師は腎盂腎炎の疑いはないと判断した。胸部(立位)及び腹部(立位と横臥位)のレントゲン写真を撮影したところ、左横隔膜下にガス様陰影が認められたので、鎌田医師は幸代を約一時間左半身を上にした横臥位で寝させた後立位の胸部レントゲン写真を再度撮影したところ、同じ位置にガス様陰影が認められた。
鎌田医師は、右レントゲン写真に認められたガス様陰影が腹腔内遊離ガスであれば、前記症状からしても化膿性腹膜炎の疑いがあり、同疾患であれば直ちに開腹手術をしなければならないが、レントゲン写真上のガス様陰影だけでは腹腔内遊離ガスとは断定できず、また約一時間半に及ぶ診断中に視診した結果からして幸代の全身状態がそれ程に悪くなく、腹痛の程度は腹腹炎にしては軽度であり、前記診察の結果からも腹膜炎に通常伴う徴候も少なく、白血球数もさほど多くなく、更に幸代の腹痛が約四時間位前の前日午後八時ころに始まったことからして腹膜炎が発症するには短時間であることをも考慮に入れて総合的に判断したうえで、その時点では化膿性腹膜炎と確定診断することはできず、右のような症状を呈する胃腸炎(この場合には開腹手術をすべきでない。)の疑いもあることから、入院させて朝まで経過観察することに決定し(鎌田医師が腹膜炎の疑いもあって幸代を入院させたことは当事者間に争いない。)、看護婦に対し、入院後の措置として、絶飲絶食のうえ、朝(午前九時)まで経過観察をし、抗生物質とビタミン類混合の点滴を継続し、朝に再度血液検査とレントゲン撮影を各実施することを指示した。そのうえで、鎌田医師は、右レントゲン写真のガス様陰影に疑問があったので、幸代が入院したころ、小川医師に幸代の症状を電話で照会し、その後、以前勤務していた長浜日赤病院の外科部長で腹部外科専門の原慶文医師にも電話をかけ、右ガス様陰影の解釈と幸代の処置につき相談したが、的確な結論はでなかった。
8 幸代は、昭和五二年一二月四日午前一時三〇分ころ被控訴人病院に入院したが、その際、血圧一〇〇/五〇、体温三九度、脈拍一分間(以下同じ)七二、顔色は普通で、看護婦の問に対し、軽度の胃痛と吐気があるが、頭痛、嘔吐はない等と答えた。看護婦は、幸代にアイスノンを貼用し、鎌田医師の指示した点滴を継続したが、午前六時までとりたてた異常はなく、同時刻の血圧八四/五〇、体温三九度五分、脈拍九六、軽度の胃痛、吐気、排ガス、腹鳴、発汗、口渇はあるが、頭痛、嘔吐はなく、顔色は普通であった。
鎌田医師は、午前九時過ぎころ幸代を診察したところ、外来初診時に比して、やや強い腹痛を訴え、筋性防禦が認められ、波動を触知し、腹水の貯留が認められ、腹部はやや膨満し、圧痛の増強が認められ、全身状態が悪化していた。午前一〇時ころ撮影のレントゲン写真には再びガス様陰影が認められ、白血球数は二万一〇〇〇に急増していた。以上の所見を総合して、鎌田医師は、幸代の腹腔内に遊離ガスが存在し、このような場合に一般に多く見られる胃・十二指腸潰瘍の穿孔による化膿性腹膜炎と診断し、開腹手術の実施を決定し、その準備を指示すると共に、穿孔部位の確定のため、午前一一時ころ幸代にガストログラフィン七〇ミリリットルを服用させて胃透視術を行なったが、幸代はその一部を嘔吐し、穿孔部位を確定しえなかった。看護婦は鎌田医師の指示に従い、午前一一時三〇分から幸代に対し手術前の処置を開始し、午後一時四五分に幸代を手術室に運んだ。
4 鎌田医師は、同日午後一時五五分幸代に対する麻酔導入を始め、午後二時に気管内挿管し、午後二時一三分向原医師の介助のもとに手術を開始した。鎌田医師は、幸代の腹腔内遊離ガスは右のとおり胃・十二指腸潰瘍による穿孔と考えていたことから、まず上部正中切開により開腹したところ、腹膜炎が広範囲に発症し、腹部全体に膿性腹水の貯留が認められたが、胃・十二指腸には穿孔が認められなかったので、更に下腹部に延長して切開して虫垂の周辺を調べると、回盲部に一塊となった腸係蹄が認められ、虫垂周辺に壊疽組織があって膿瘍を形成していた。そこで、鎌田医師は、虫垂を切除してその穿孔の有無を調べたが、蜂窩織炎状態を呈してはいたものの比較的きれいな状態のまま摘出でき、穿孔部位を認めることはできず、炎症の波及した回腸末端には膿の付着はあるが腸壁は正常であった。鎌田医師は、レントゲン写真に撮影された腹腔内遊離ガスは虫垂炎を起こしたガス産生菌により産生されたものと考えた。鎌田医師は、腹腔内を生理食塩液で洗浄し、排膿用ドレーンを四か所計九本挿入し、局所に抗生物質セファメジン二グラムを投与し、腹壁を三層に縫合し、午後三時五五分に手術を終了したが、予想に反して汎発性腹膜炎が悪化していたことから、予後は危険であると考え、看護婦に対し、手術後の措置として、抗生物質セファメジン等を混合した点滴の続行と午後一〇時まで酸素テントに入れ、疼痛時にホリゾン(精神安定剤)とソセゴン(鎮痛剤)各一アンプルを、朝昼夕にワゴスチグミン(副交感神経興奮剤)一アンプルを、体温が三八度以上になればメチロン(解熱鎮痛剤)一アンプルをそれぞれ筋肉注射し、絶飲絶食とし、排ガス後食事を与えることを指示した。
5 幸代は、同日午後四時四〇分に点滴を受けたままで病室に戻り、麻酔から覚醒したが、看護婦は鎌田医師の指示どおりの処置をし、手術後の状態としては特に異常はなく、血圧は九四/五〇位であったが、翌五日午前二時四〇分ころから体動が激しくなり、多量の発汗がみられ、午前四時三〇分に背部のみの強度の熱感と四肢の冷感を訴え、多量に発汗し、相変わらず体動が激しく、矛盾したことを話し出すようになり、午前五時四〇分血圧九〇/三〇、脈拍一四八であったが抑えきれない激しい体動となり、鎌田医師の電話による指示で看護婦はホリゾン一〇ミリグラムを筋肉注射し、幸代は入眠した。ところが、午前六時四〇分に幸代の爪床に強度のチアノーゼが突然現われ、下顎呼吸をするようになり、血圧は五〇/二二に下降したため、看護婦は鎌田医師の指示により毎分六リットルの酸素吸入を開始し、点滴の速度を早め、エホチール(循環増強剤)一アンプルを点滴に追加した。連絡を受けた鎌田医師は午前七時に来診し、術後の尿量が五〇〇ミリリットルで、ドレーンよりの出血のないことを確認したうえで、グラム陰性菌の体内毒素(エンドトキシン)が患者の血中に流入したために起こるショックであるエンドトキシンショックが生じたと診断し、挿管して気道を確保したうえで、ショックの治療のため、ソル・コーテフ(水溶性副腎皮質ホルモン剤)五〇〇ミリグラム四アンプルとジギラノゲンC(強心、利尿剤)及びエホチール各一アンプルを点滴に追加する等したが、同時刻における血圧は六四/四〇、脈拍は一八〇で微弱であった。鎌田医師は、午前八時二〇分幸代に対し全開で点滴を施行し、導尿カテーテルより尿の流出がないためラシックス一アンプルを点滴に追加したが、午前八時三〇分になっても尿の流出はなく、強度の発汗と顔面に冷汗が見られ、血圧は触知不能、脈拍は微弱で、爪床チアノーゼが著明なため、モニターを装着させ、午前八時四〇分ノルアドレナリン(血圧上昇剤)二アンプルを点滴に追加し、午前八時四五分なお脈拍触知不能のため更にノルアドレナリン一アンプルを点滴に追加したが、午前八時五〇分幸代は死亡した。
鎌田医師は、幸代の死因を急性虫垂炎を原因とする汎発性腹膜炎によるエンドトキシンショックと診断した。
《証拠判断省略》
右認定に反し、控訴人らは、鎌田医師が幸代を初診した際の白血球数は七五〇〇ではなく二万一〇〇〇であったと主張し、当審証人伊地知(旧姓武田)康江の証言及び前記甲第二号証の記載からすれば、控訴人らの主張に沿うかのような部分もあるが、右証言が約六年も経過した後になされたもので、同証人において確信しうるものではないことは右証言自体から明らかであるし、甲第二号証の記載から幸代の白血球数の血液検査が一回しかなされていないと断定することもできず、かえって、《証拠省略》と前記乙第五号証の三には外来で採血したことを示す「外」に、同号証の二には三階の病室で採血したことを示す「3F」にそれぞれ丸印がなされていることからすれば、白血球数七五〇〇の記載のある乙第五号証の三は初診時の外来で、同二万一〇〇〇の記載のある同号証の二は入院後の朝三階の病室で、それぞれ採血した血液の検査結果であると認められるから、控訴人らの右主張は採用できない。
なお、控訴人らは、鎌田医師作成にかかるカルテ(前記乙第二号証)中、初診時の記載部分に、幸代の腹痛の程度を実際よりも軽くみせかけるための改ざん部分があると主張するが、同号証の記載からは控訴人らのいうような改ざんの事実を認めることはできず、右主張も採用できない。
二 幸代の死亡原因及び鎌田医師の過失の有無について
1 《証拠省略》を総合すると以下の事実を認めることができる。
(一) 幸代は、初診時において既に急性化膿性虫垂炎の合併症として虫垂の微小な穿孔性ないし透壁性の急性化膿性汎発性腹膜炎を発症し、これが増進に伴うエンドトキシンシュックにより死亡したものである。
右のような急性化膿性汎発性腹膜炎に罹患した場合は、可及的早期に開腹手術を行い、原因疾患の処理と排膿を行う必要があり、これを遅延すると患者の生命に危険の及ぶ恐れが大きい。幸代に対しても、鎌田医師による初診後の適切な時期に開腹手術を行っていたならば、救命しえた蓋然性は高かったものであり、右開腹手術の遷延が死亡に至った最大の原因である。
(二) 鎌田医師は、初診時における前記一の2の症状によっては、未だ胃腸炎の疑いもあり、虫垂炎ないし腹膜炎と診断するに至らず、経過観察をすることとしたものであるが、同医師が右措置をとったのは、要するに、(イ) 発現している症状が比較的軽く、発症後の経過時間が短く、全身状態もそれ程悪くなく、虫垂炎ないし腹膜炎に特有の症状に欠けるものがあったこと、(ロ) 白血球数が水準値に近く化膿性疾患を疑わせるような増加が認められなかったこと及び(ハ) 胸部レントゲン写真により認められた腹腔内ガス様陰影を腹腔内遊離ガスを示すものと判断しなかったことによるものであった。
(三) (イ) しかしながら、同医師が胃腸炎を疑ったのは、昭和五二年一二月三日午後八時ころに腹痛が起き、同一〇時ころに高熱をみたというその発症の急激性に因るものであったところ、前記一の1に認定の如く、幸代は同日午後三時ころから腹痛を訴え、その後は夕食も取らずに安静を保たざるをえない状態であり、この間に軽い嘔吐もあったのであるから、初診時の問診が十分に尽くされていたならば、右発症の時期、経過は知りえたわけであり、初診時の症状に虫垂炎ないし急性腹膜炎特有の症状の一部が欠けていたとはいえ、なお同症を疑うに足る症状の一部の発現を見ていたのであり、かつ、同症に対する医療措置は臨機に緊急を要する場合が多いことからしても、同医師において問診による前駆症状の把握に慎重さを欠いていたといえなくはない。また、発現する症状及びその程度はケースにより異るものであり、前認定の発熱、嘔吐、腹痛、腹部圧痛、腹部筋性防禦、脱水症状、鼓腸等は、軽度のものもあったとはいえ、いずれも虫垂炎ないし急性腹膜炎を疑わせるものであり、後記(3)の腹腔内遊離ガスの存在や消化管内ガス貯留を合せ考えると、急性腹膜炎と診断することは可能であり、これは医学上不合理なものではなかった。
(2) 白血球数値についても、一回の検査結果のみに頼ることなく、他の症状において虫垂炎ないし急性腹膜炎を疑わせるものがあるのであるから、経過観察として朝まで待つことなく、経過観察中においても再度の検査に及ぶことも考慮されるべきであった。
(3) レントゲン写真による腹腔内遊離ガス様陰影については、初診時における検甲第一、第二号証のレントゲン写真により腹腔内遊離ガスの存在を判定することは一般臨床外科医にとって困難なことではない。腹腔内に右のような遊離ガスの存在することは異常であり、その原因は胃及び十二指腸潰瘍かまれには虫垂炎による穿孔或いは化膿性腹膜炎によるガス産生菌によるものであり、本件は後者であった。右レントゲン写真及びこれと同じく初診時に撮影されたレントゲン写真(検甲第四、第五号証)によると、消化管内に異常なガス貯留(急性腹膜炎に随伴して発生する消化管麻痺を疑わせる。)が認められ、右各レントゲン写真のみによっても急性化膿性腹膜炎を疑うことは不合理ではなかった。鎌田医師も右レントゲン写真により腹腔内遊離ガスの存在を疑い、このような症状は重要なものと認識はしていたが、他の諸症状、白血球数値等と比較勘案して、なお急性化膿性腹膜炎と診断するに至らなかったものである。
(4) 右(1)の諸症状及び(3)のレントゲン写真撮影の結果からして、一般臨床外科医師としては急性化膿性腹膜炎と診断し、緊急に開腹手術を行うことは相当であって、医学上不合理なものとはいえない。
2 (一) 被控訴人は、初診時の症状からは急性化膿性腹膜炎との診断をなしえなかったものであり、また検甲第一、第二号証のレントゲン写真によっては腹腔内遊離ガスの存在を断定しえない旨主張し、前記原証人、鎌田証人の各供述中には右主張に沿う部分がある。しかしながら、前説示のように鎌田医師が症状を把握するためになすべき問診を十分になしたとはいえない疑いがあるのみならず、前記今西鑑定証人、久山証人の各証言によると、検甲第一、第二号証のレントゲン写真により腹腔内遊離ガスの存在を判読することは一般臨床外科医師にとっても困難なものでなく、仮に右写真のみでは判読しえない場合は、更に体位、場所、角度等を変えて撮影することにより右ガスの存否を検する方法もあることが認められ、右原証人、鎌田証人の各供述部分は、右今西鑑定証人、久山証人の各証言、前鑑定結果に照らして採用しえないところであり、他に被控訴人の右主張を認めるべき資料はない。
(二) また、被控訴人は、鎌田医師のとった経過観察の措置は相当であった旨主張し、前記原証人、鎌田証人の各供述中には右主張に沿う部分がある。しかしながら、前記今西鑑定証人、久山証人の各証言中には右に反する部分があるのみでなく、仮に初診時に急性化膿性腹膜炎と診断しえない状況にあって経過観察に付したとしても、前説示のように急性化膿性腹膜炎は臨機に緊急な医療措置を必要とする場合のあるものであり、初診時に同症を疑うべき一部症状が発現していたのであるから、これに対する医療措置を誤らないためにも、細心の注意をもって経過を観察すべきであった。しかるに、前認定の如く、初診時においては一般状態及び発現症状において特段に重篤といえる状態でなかったのに、初診時(四日午前零時から約一時間半)から約九時間経過した同日午前一〇時ころには白血球数が二万一〇〇〇となり、その他の症状も合せて腹膜炎と診断し開腹手術を決し、その約四時間後の同日午後二時に手術を開始したものの、既に腹膜炎が広範囲に及び腹部全体に膿性腹水が貯留するに至っていたことに徴し、右経過観察において尽くすべき注意を尽していたか否かにつき疑問なしとしないところである。前記の原証人、鎌田証人の各証言部分は採用できず、他に被控訴人の右主張を認めるべき証拠はない。
8 本件のように急激に症状の増進する性質を有する疾患に対する医療措置の適否については、その結果にとらわれることなく検討すべきことは言うまでもないけれども、診断治療に当る医師としては、その業務の性質上、その有する専門的知識経験によって最善の注意義務を尽くすべきものであることに鑑みれば、前記一及び二の1認定の事実からして、鎌田医師において右最善の注意義務を尽くしていたものとは断じ難く、少なくとも初診時におけるレントゲン写真による腹腔内遊離ガスの判読を含めて幸代の症状の把握に過誤が無かったとはいえず、これにより急性化膿性腹膜炎との診断及び同症に対する必要な医療措置としての開腹手術の実行を遅延させ、これが幸代死亡の最大の原因となったのであるから、控訴人らの主張するその余の責任原因の判断に及ぶまでもなく、同医師の過失責任は否定しえないところである。
三 被控訴人の責任
被控訴人病院を開設経営する被控訴人と幸代の法定代理人である控訴人らとの間に昭和五二年一二月四日午前零時に幸代の腹部疾患について医療契約がなされたことは当事者間に争いなく、被控訴人の履行補助者として右病院に勤務して幸代の診察治療に当った鎌田医師の過失と幸代の死亡との間に因果関係の存することは前認定のとおりであるから、被控訴人は右医療契約における債務不履行に基づき控訴人らに対して幸代死亡による損害を賠償すべき責任がある。
なお、被控訴人は控訴人らが右損害賠償請求権を予め放棄したと抗弁するが、これを認めるに足る証拠はない。乙第一号証(誓約書)も被控訴人の診療義務違反による債務不履行責任に対する控訴人らの請求権まで放棄する趣旨のものとは認められない。
四 損害
控訴人ら請求の損害のうち以下に認定する損害は、本件医療契約の債務不履行による幸代の死亡と相当因果関係にある損害と認められる。
1 幸代の逸失利益
前記一の1認定事実からすれば、幸代は昭和三八年一一月一三日生まれで、死亡(昭和五二年一二月五日)当時中学二年に在学中の一四歳の女子であったから、本件医療過誤がなければ、同五七年に一八歳に達し、そのころから六七歳まで就労が可能であり、その間に、当裁判所に顕著な昭和五七年度賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計の一八歳ないし一九歳の女子労働者の年間平均給与額一四三万八七〇〇円と同額の年間収入を少なくとも取得しえ、収入の五割に当たる生活費を要すると推認され、年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して幸代の逸失利益の現価を算定すると、次式のとおり一五八〇万四八三八円となる。
1,438,700円×(1-0.5)×(25.535-3.564)=15,804,838円
2 幸代の慰謝料
前記一認定の幸代の経歴、死亡時の年齢、本件医療過誤の態様、その他本件口頭弁論に顕われた一切の諸事情を考慮すれば、本件医療過誤により幸代が被った慰謝料としては六〇〇万円が相当である。
3 相続
控訴人らは、前記一の1認定のとおり、幸代の父母であるから、右1、2の合計二一八〇万四八三八円の損害賠償債権につき、幸代の死亡により同人から法定相続分(二分の一)に従い、各一〇九〇万二四一九円ずつ相続したというべきである。
4 控訴人ら固有の慰謝料
控訴人らは、幸代を失ったことによる固有の慰謝料として、各三〇〇万円の損害を請求するが、幸代と被控訴人との間の本件医療契約上の債務不履行により幸代の父母である控訴人らが固有の慰謝料請求権を取得するものとは解し難いから、右請求は失当である(最高裁判所昭和五五年一二月一八日第一小法廷判決、民集三四巻七号八八八頁参照)。
5 控訴人隆の葬祭費
《証拠省略》によると、幸代の父控訴人隆は警察官で、通常の家庭を営んでいたことが認められ、この事実からすれば、同控訴人は死亡した幸代のため相応の葬祭を行なったこと及び幸代の死亡時の年齢、経歴等からして、右のような葬祭を行うには少なくとも五〇万円以上の支出を要したものと推認される。
6 弁護士費用
控訴人らが、控訴人ら代理人弁護士に委任して、本件訴訟を提起し、維持していることは本件記録上明白であるところ、本件訴訟の難易度、認容額等からして、控訴人らが請求しうる弁護士費用としては、同人らの請求する各五〇万円が相当である。
五 結論
以上の次第で、被控訴人は、控訴人隆に対し前記四の3、5、6の損害金合計一一九〇万二四一九円とこれから弁護士費用を控除した一一四〇万二四一九円に対する本訴状送達日の翌日である昭和五三年一〇月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、控訴人惠美子に対し右四の3、6の損害金合計一一四〇万二四一九円とこれから弁護士費用を控除した一〇九〇万二四一九円に対する前同日から支払ずみまで前同様の割合による遅延損害金をそれぞれ支払うべき義務があるというべきであり、控訴人らの本訴各請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当ゆえこれを棄却すべきである。
よって、右の結論と一部異なる原判決を本判決主文一項のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、九六条を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石井玄 裁判官 高田政彦 礒尾正)