大阪高等裁判所 昭和58年(う)1004号 判決 1983年10月12日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役六月に処する。
原審における未決勾留日数中一〇日を右刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人永吉孝夫作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴趣意第一 法令の適用の誤の主張について
論旨は、原判示第三について、道路交通法七二条一項後段に定める報告義務は、個人の生命、身体及び財産の保護、公安の維持等の職責を有する警察官に一応すみやかに同法条所定の各事項を知らしめ、負傷者の救護及び交通秩序の回復等について、当該車両等の運転車の講じた措置が適切妥当であるかどうか、さらに講ずべき措置はないか等をその責任において判断させ、もつて前記職責上とるべき万全の措置を検討、実施させようとするにあると解されるところ、本件では、警察官水田健吾及び同松元敏博が交通事故の一方当事者として前記法条所定の各事項を十分に認識し、且つ直ちに右事項を本署に連絡して、交通行政の掌にあたる警察官署において必要な措置を執るための事実は全て了知されており、被告人に右報告義務の発生する余地がないから、同法条を適用できないのに、原判決が原判示第三の報告義務違反の事実を認定し、これに道路交通法七二条一項後段、一一九条一項一〇号を適用したのは、法令の適用を誤つたもので、その誤が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
そこで検討するのに、交通事故が発生した場合に道路交通法七二条一項後段で運転者等に報告義務を課しているのは、警察官をして一応すみやかに同条項所定の事項を知らしめ、負傷者の救護及び交通秩序の回復等について当該車両等の運転者が講じた措置が適切妥当であるかどうか、さらに講ずべき措置はないか等を判断させ、万全の措置を検討、実施させようとするにあることは所論指摘のとおりであるところ、自動車相互間での交通事故が発生した場合においては、それぞれの自動車運転者が右の報告義務を負うことは、同条項の規定上明らかであり、しかも、被害者の救護及び交通秩序の回復等に関し警察官に迅速、適切且つ万全の措置を講じさせるためには、まず、右報告の要否を当該運転者の判断に委せることは適当ではなく、事故車両の運転者は、具体的状況如何に関係なく一応すべて報告義務を免れ得ないものとしなければならず、しかも報告を受ける警察官としても一方の運転者の報告を受けただけでは同条項所定のすべての事項を網羅して把握できるものではないから、双方の運転者からそれぞれ十分な報告を求める必要があるうえ、同条二項、三項が事故報告を受けた警察官は、必要があると認めたときは報告をした運転者に現場を去つてはならない旨命ずることができ、現場にある警察官は事故車両の運転者に対し負傷者を救護し、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要な指示をすることが出来ると規定している趣旨からみて、事故車両の運転者は警察官の右命令や指示がないことを確認しなければ事故現場を離れてはならないことをいつていると解されることからみても、一方の自動車運転者から事故報告がなされたからといつて、他方の自動車運転者に事故報告をさせる必要性が消滅するものではないというべきである。そして、原判決挙示の関係各証拠によると、被告人は友人松本忠義を同乗させて普通貨物自動車を運転中交通指導取締中の警察官から右折禁止違反を現認され、警察官水田健吾が運転し同松元敏博が添乗するパトカーの停止命令を無視して逃走中、交通整理の行われていない交差点を右折するに際し、右折合図をし且つ後方の安全を確認して右折すべき業務上の注意義務を怠つて突然右折した過失により自車右後方から南進してきた右パトカーの左前部に自車右側部を衝突させて右松元に加療約一〇日間を要する頸椎捻挫の傷害を負わせたこと、被告人は、右衝撃により左前輪がパンクした自車をそのまま運転し、約二六五メートル逃走したが、同車が動かなくなつてしまつたためやむなく同車を路上に放置し、タクシーで自宅に逃げ帰り、警察官に対し事故申告をしなかつたこと、他方、パトカーは右衝撃により反対車線(北行き車線)内に進出して停車したが、左ドア等に損傷を生じエンジンが作動しなくなり、右水田は警ら基地に事故申告してパトカーの応援を要請したことが認められる。右認定事実によると、本件交通事故の相手方運転者が警察官であり、他に一名の警察官が同乗していたことは所論指摘のとおりであり、警察官水田は直ちに本件事故の概様や同人及び警察官松元の受傷の有無、程度及びパトカーの損壊の有無、程度を所轄警ら隊基地に報告しており、また、右両名が応援に駈けつけたパトカーの乗務員らとともに事故現場における交通の安全と円滑を図る方途を講じたであろうことは認められるが、警察官水田らとしては、その場で道路交通法七二条一項後段所定の報告事項をもれなく見聞して報告できたものではなく、殊に、被告人が現場に留まらず、同乗者松本を連れて逃走してしまつたため被告人や被告人車に同乗の松本の受傷の有無、被告人車の損傷の有無や程度の詳細に関しては知り得ておらず、これらはすべて被告人からの報告にまたなければならなかつたし、また、道路における危険防止並びに交通の安全円滑を図るための措置に関しても、現場において、被告人の報告を得て本件事故により左前輪がパンクしほどなく走行不能をきたし路上に放置せざるを得なくなるような事故車を運転しないよう被告人に指示すべきであつたし、さらに被告人に対し反対車線に進出していたパトカーを避譲させるなどの事故の後始末をするに際しても必要な指示をなす余地があつたと認められるから、本件交通事故の一方当事者が警察官であり且つその警察官が道路交通法七二条一項後段の事故報告をし、警察官において交通行政上の必要な措置を執り得たとしても他方当事者の被告人にも同条項所定の報告をする必要性がなお存在しているのであつて、所論がいうように被告人に報告義務の発生する余地がなかつたとは到底いいえないから、原判決が事故報告をしないで逃走した被告人に対し原判示第三の報告義務違反の事実を認定し、道路交通法七二条一項後段、一一九条一項一〇号を適用したことには法令適用の誤は存しない。論旨は理由がない。
控訴趣意第二 量刑不当の主張について
所論は量刑不当を主張し、刑の執行猶予を求める、というので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実の取調の結果を加えて検討するのに、本件は、被告人が無免許で普通貨物自動車を運転し(原判示第一)、その際右折禁止違反を現認され、パトカーの停止命令を無視して逃走中交差点で右折するに当り右折合図もせず後方の安全確認もせず突如右折した過失によりパトカーと衝突して同車の乗員に傷害を負わせ(同第二)、右事故を起したのに救護及び報告義務に違反して逃走し(同第三)たほか、遊び仲間二名と共謀してラジオカセット等物品合計八点(時価合計一六万四、〇〇〇円相当)を窃取したという事案であつて、各犯行の罪質、動機、態様、事故における過失と傷害の程度、被告人の前歴、生活態度等、殊に、本件事故は、無免許運転中のもので、被告人の過失の態様、程度は悪質であり、原判示第四の窃盗の犯行は刺青師に支払う刺青代に困つて犯したものでその動機において斟酌すべき余地はないうえ犯行態様も悪質であると認められること、被告人には昭和五五年二月八日窃盗罪により中等少年院送致処分を受けた非行歴があること等に徴すると、犯情は軽視することができないから、原判示第二の業務上過失傷害の被害者松元敏博に負わせた傷害の程度が比較的軽傷であつたこと、被告人は原判示第二の運転者水田及び被害者松元の両名の間で、水田に対しパトカーの修理費全額一一万円を負担して修理会社に支払い、負傷した松元に対し慰謝料二万五、〇〇〇円を支払うとともに同人の治療費全額を支払つて示談を遂げ、原判示第四の被害品はすべて被告人が入質処分していた宝屋質店から警察へ任意提出されて被害者に還付されていること、被告人には前科はないこと、など被告人に有利な情状を考慮に入れても、原判決の時点を基準とする限り被告人を懲役八月に処した原判決の量刑が重過ぎるとは考えられない。しかしながら、当審における事実の取調の結果によれば、被告人は原判決後の昭和五八年九月一七日勤め先の建築金物取付業後藤雅晴を通じて右宝屋質店に対し前記ラジオ等の入質額六万円を全額弁償し、被告人は現在更に反省を深めていることが認められ、このような原判決後の新たなる情状をも併せ考えると、本件は前記犯情にかんがみ刑の執行猶予を相当とする事案とまでは認め難いが、原判決の右量刑をそのまま維持することはいささか酷に失するものと考えられる。
よつて刑事訴訟法三九七条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従いさらに判決することとし、原判示各事実に原判示各法条を適用(なお当審における訴訟費用についても刑事訴訟法一八一条一項但書を適用。)して、主文のとおり判決する。
(八木直道 谷口敬一 浅野芳朗)