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大阪高等裁判所 昭和58年(う)519号 判決 1986年7月29日

控訴人 各被告人

被告人 湯浅晃 外八名

弁護人 平田武義 外一〇名

検察官 丸谷日出男 外一名

主文

本件各控訴を棄却する。

当審証人立原昌保、同古田良二郎、同医王滋子(第六、七回)、同古川秀夫(第七、八回)、同阪田靜子に関する分は全被告人らの連帯負担とし、当審証人中辻中に関する分は被告人湯浅晃、同井上五一、同佐藤昭夫、同木下義次、同北小路實の連帯負担とし、当審証人佐藤良輔(第八、第一三回)に関する分は被告人湯浅晃、同中谷隆亮、同佐藤昭夫、同木下義次、同杉本源一、同北小路實、同岡本圭市、同北村健夫の連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人九名の弁護人重松蕃、同高橋清一、同莇立明、同村山晃、同稲村五男、同中島晃、同高田良爾、同岩佐英夫、同川中宏、同平田武義、同矢野修共同作成の控訴趣意書(同趣意書中、二四七丁七行目から八行目にかけての「明らかに理由不備若しくは理由齟齬の違法があるといわなければならない。」との記載は独立した主張ではなく、単なる事情として述べたものである旨釈明した。)及び各被告人それぞれ作成の各控訴趣意書(ただし、被告人湯浅、同佐藤、同杉本、同北村各作成の控訴趣意書では、右被告人らは何ら暴行はしておらず、原判決で認定された暴行等の事実は存在しないことを述べているのであつて、これらは要するに、被告人湯浅については原判示の第一ないし第五の各事実、被告人佐藤については同第三及び第四事実、被告人杉本については同第二及び第三事実、被告人北村については同第三事実についてそれぞれ判決に影響を及ぼすべき事実誤認及び法令適用の誤りを主張するものである旨釈明した。)にそれぞれ記載のとおりであり、これに対する答弁は大阪高等検察庁検察官検事高橋哲夫作成の答弁書記載のとおりであるから、いずれもこれらを引用する。

第一弁護人の控訴趣意中、不法公訴受理の主張について

論旨は、要するに、本件各公訴提起は、(一) 教育に対する政治的支配を維持するために教職員組合との交渉を拒否してあくまで不当人事を強行しようとする京都市教育委員会、(二) 組合と組合の人事闘争を中傷・ひぼうし、組織的打撃を加えることによつて組合に左たんしてきた富井市長の失点を作り出し、誕生間もない富井民主市政に揺さぶりをかけ、市長選敗北の失地回復を図ろうとする自由民主党、民社党などの反動的政治諸勢力、(三) 労働組合、民主勢力などに対し異常な敵意を示し、その弾圧に躍起になつていた京都府警及び京都地方検察庁、以上の三者が、それぞれの政治目的を貫徹するために結託してなした政治的起訴であり、したがつて検察官が公訴権を濫用したものであるから、本来は、本件各公訴棄却の判決がなされるべきであつたといい、原裁判所が本件各公訴を受理して実体判決をしたのは不法に公訴を受理したものとして刑事訴訟法三七八条二号の控訴理由にあたるものであるから、原判決を破棄し、あらためて本件各公訴を棄却するよう求める、というもののようである。

しかしながら、検察官は、現行法制の下では、公訴の提起をするかしないかについて広範な裁量権を認められており、単にその裁量が不当であるからといつて、公訴の提起が直ちに無効となるものではなく、ただ、たとえば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限り無効とされることがあり得るものと解される(最高裁昭和五五年一二月一七日決定、刑集三四巻七号六七三頁参照)ところ、原審及び当審において取り調べた関係証拠を検討しても、原判決が「争点に対する判断」中の公訴棄却の主張に対する判断に説示するとおり、本件公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な訴追裁量権の逸脱濫用によつてなされたものと認められる事実は存在しないことはもとより、その事案の態様等からみて、本件公訴の提起が所論のような政治的弾圧を企図してなされたものとも認められない。論旨は理由がない。

第二本件に至る経緯について

原判決挙示の関係証拠及び当審における事実取調べの結果を総合すると、本件に至る経緯は、おおむね以下のとおりであることが認められる。すなわち、京都市教育委員会(以下、市教委という。)では、昭和三六年ころまでは教職員の具体的な人事問題等についても、京都市内の教職員組合の協議体である京都市教職員組合協議会(以下、市教協という。)、あるいはその構成団体である京都市教職員組合(同市立の幼稚園及び小学校に勤務する教職員により組織された職員団体、以下、市教組という。)、京都市中学校教職員組合(同市立の中学校に勤務する教職員により組織された職員団体、以下、市中教組という。)、京都市立高等学校教職員組合(同市立の高等学校に勤務する教職員により組織された職員団体、以下市立高教組という。)との間で交渉が持たされていた(昭和四〇年法律七一号により地方公務員法五五条が大幅に改正され翌四一年六月一四日に施行されたが、その改正前の同法条においては、改正法のような「管理運営事項は交渉の対象とすることができない」旨の規定は設けられていなかつたけれども、交渉事項は、改正法と同様、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件及びこれに附帯して社交的又は厚生的活動を含む適法な目的のための事項とされていた。)が、昭和三七年に行われた学力テスト反対闘争に関して、市教委がこれに参加した四名の教諭に対して懲戒免職処分を含む懲戒処分をしたころ以降、市教協側組合との対立が深刻化し、市教委では、教員の人事問題等いわゆる管理運営事項については、交渉事項ではないとの立場から組合との交渉に応じなくなり、教職員の給与、その他の勤務条件に関するものについては一応組合との交渉が行われていたものの、その交渉の際に組合側出席者が相当多数でうしろの方での無責任な発言があつたり、交渉時間が長過ぎたりなどのことがあつたため、市教委側では協議の結果、市教協に対し、事前に交渉の議題を提示すること、交渉の時間を設定すること、市教協側組合出席者の人員を一五名にすることなど交渉のルールの取決め方を申し入れたが、合意をみるに至らず、昭和四〇年ころからは両者の交渉は途絶する状態となつた。かくして、市教委では昭和三七年以来、人事問題は管理運営事項であるとして市教協らとの交渉を経ずに教職員の配置換え、転任、勧奨退職等を実施し、これを不満とする市教協側組合は、かねてから市教委に対し、これら人事問題を含めて団体交渉に応ずるように強く要求していた。市教委では、昭和四二年の人事異動についても前年までと同様に、市教協側と交渉することなく、同年一月三一日開催の教育委員会において、学校格差の解消、学校運営管理体制の充実の二項目を目的とする同年度の人事異動方針を決定し、同年二月八日の校長会の席上でこれを発表した。これに対し、市教協側では、市教委が従来どおりの方針で組合との交渉を経ないまま年度末人事異動を強行しようとしているものとして、これまで要求していたように人事問題についても交渉の対象とするよう市教委に要求するとともに、同年度の人事異動について本人の意思を尊重すること、強制配置転換、強制退職勧奨をしないこと、などの要求を市教委に提出していたが、同年二月の京都市長選挙で、市教協の推す社共統一候補の富井清候補と保守系対立候補との間で教育のあり方が争点の一つとなり、同年二月二六日投票の結果、富井清候補が初当選するや、市教協ではこれを機会にあらためて従来の教育行政のやり方を根本的に改めさせ、前記の要求を一気に押し通そうと考え、市教協議長木下義次、外、市教組、市中教組、市立高教組の各執行委員長連名の京都市長及び市教委委員長宛ての(イ) 退職勧奨は直ちにやめること、(ロ) 本人の希望を無視した強制配置転換はやめること、(ハ) 高校副校長は従来どおり職場公選制の覚え書を再確認すること、小中高等学校校長、教頭、幼稚園長については、職場教職員の意向を前提として決定すること、(ニ) 人事異動の内示は、二週間前に行い、苦情の処理については、府教委でも行われているように、組合との団体交渉によつて民主的に解決すること、との四項目の要求を含む原判示の昭和四二年三月一日付要求書を作成し、更に市立高教組では別個に同教組執行委員長中谷隆亮名義の京都市長及び市教委委員長宛ての右とほぼ同様の要求を記載した右同日付要求書を作成したうえ、富井新市長が初登庁した同年三月一日に、被告人湯浅らが市教委事務局総務部総務課に赴いたところ、隣室の教育次長室との間の扉が開いていて、武村銀一教育次長の姿が見えたので、同次長室に行つて同次長に右二通の要求書を手渡して説明し、右要求項目についての団体交渉の日時を同月四日までに組合側に通知されたい旨申し入れた。以後、市教協では、右三月一日付要求書についての回答を求めると共に、市教委が行つている教職員の退職勧奨、配置転換等の措置について抗議する等の行動を展開し、本件はいずれもその過程で起こつたものである。以上の事実が認められる。

第三弁護人の控訴趣意中、憲法二八条及び地方公務員法五五条の解釈適用の誤りの主張について

論旨は、要するに、原判示第一ないし第五の各事案は、いずれも、市教協の各組合所属の教職員の人事問題等に関し、組合役員である被告人らの市教委側に対する団体交渉要求の過程において発生したものであるところ、原判決は、(一) 「争点に対する判断」中の「判示第二第三の各建造物侵入、公務執行妨害等に関する弁護人の正当行為等の主張について」の項において、交渉事項に関し、「本件教職員の人事異動のように職員の定数及びその配置に関する事項は、地方公務員法(以下地公法と略す。)五五条三項に定める管理運営事項に該当し、元来、交渉の対象とすることができず、単に異動の結果が教職員の純粋な個人の問題にとどまらず、勤務条件の基準的事項と密接に関連し、これを問題とする場合には、その面において勤務条件に関するものとして交渉の対象になると解すべきである。」旨説示し、交渉事項について狭い判断を示し、これを前提としつつ、(二) 人事主事の当局性について、交渉の相手方は、「当該事項について、適法に管理し、又は決定することのできる地方公共団体の当局」であるところ、人事主事は右当局に該当しないとし(原判示第三の三の指導主事についても同様の解釈をとつたものと考えられる。)、原判示第二、第三については適法な団体交渉とはいえないとし、(三) 予備交渉に関し、その判示第四の事実に関する説示の項において、教育長に対する交渉申入れであるものの、予備交渉を経ていないから、適法な交渉とはいえないと説示して、予備交渉を経ることについて硬直的な解釈をとり、(四) その判示第一の事実については市教委の団体交渉拒否の態度、組合に対する不誠実な態度には全く目をつぶり、またその判示第五の事実については交渉申入れに対する企画労務係員の不誠実な態度に対して同様に目をつぶり、結局は被告人らの所為を正当化し得ない旨説示している。しかし、教職員の使用者側との団体交渉権は、憲法二八条により保障された権利であり、地公法五五条の交渉の規定は右憲法二八条の団体交渉権の保障とその保障内容を受けて規定されたものであるから、憲法二八条に沿うように解釈適用されなければならない。したがつて、市教委としては、市教協あるいはその関係教職員組合から団体交渉の申入れがあれば、これを応諾して誠実に交渉すべき義務があるわけである。また、地公法五五条一項所定の交渉事項の範囲は、いわゆる「勤務条件」に関する事項と職員団体の「適法な活動」に係る事項一般とされており、前者については労働関係における労働者の側の「利害関係事項」を指し、後者については職員団体の目的・活動方針に基づく行動にかかわりのある一切の事項を指すものと解すべきである。同条三項は「地方公共団体の事務の管理及び運営に関する事項は、交渉の対象とすることができない」と定めているので、右交渉事項と管理運営事項との関連が問題となるが、ある事項が管理運営事項に関するものとしても、それが勤務条件に直接あるいは間接に関連する限り、その側面ではすべて団体交渉の対象になるものである。もともと、使用者の側で処理される事項で勤務条件や組合活動に関連する事項であるからこそ交渉する必要があるのであつて、この両者にまたがる事項について交渉事項の範囲外とすることは団体交渉権の保障と相容れないことというべきである。したがつて、前記(一)に掲記の交渉事項に関する原判決の説示にいう教職員の人事異動は勤務条件である「就業の場所及び就業すべき業務に関する事項」(労働基準法施行規則五条一号参照)であり、勤務条件の変更であることは明らかであり、退職勧奨の問題が勤務条件である「退職に関する事項」(同施行規則同条四号参照)であることも明白であつて、いずれも団体交渉事項となるものであり、また地公法五五条四項に規定する「交渉事項について適法に管理し、又は決定することのできる当局」(以下単に「当局」という。)とは、勤務条件に関して最終的な決定権限を有する機関のみに限定しなければならない根拠はないから、その機関のほかに、交渉事項について調査研究し、企画立案する事務を掌理する職にある者、本件の場合、教育委員会及び教育長のほかに、調査、企画などの権限を有する人事主事、指導主事も「当局」に当たるものであるから、被告人らは人事主事に対し人事異動や退職勧奨の問題等について、また、指導主事に対し教育課程や研修の問題等について団体交渉を要求しうる正当な権利を有し、人事主事、指導主事はこれを応諾すべき法的義務があるのである。更に地公法五五条五項の予備交渉についての規定も弾力的に解釈運用されるべきもので、交渉事項がその性質上急を要し、予備交渉の時間的余裕がない場合や、当局側が嫌つている交渉事項であるため予備交渉で議題を予告すると、当局側が交渉を回避し、本交渉が持てなくなるおそれがあるという場合や、また当局側が管理運営事項論を楯にとつて当該事項が交渉の対象外であるとして交渉拒否の態度をとつている場合などは、予備交渉なしに本交渉を求めてもこれを不適法と解すべきではない。以上のところからして、原判決は、地方公務員に団体交渉権を保障する憲法二八条の解釈適用を誤り、ひいては右憲法の規定に沿つて解釈適用すべき地公法五五条の解釈適用を誤つたものであるというのである。

そこで、検討するに、

一  地方公務員には、憲法二八条の団体交渉権が保障されている旨の主張について、

案ずるに、地方公務員(非現業の地方公務員、以下単に地方公務員という。)には私企業の労働者の場合のような労使による勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権の保障はなく、右の共同決定のための団体交渉過程の一環として予定される争議権も、憲法上、当然に保障されているものではないことは、全農林事件についての最高裁判所大法廷判決以来、累次にわたる判例の示すところから明らかであり、当裁判所もこの意見に賛同するものである。すなわち、地方公務員も憲法二八条の勤労者であるが、地方公共団体の住民全体の奉仕者として、住民全体の利益のために労務を提供すべき義務を負い、その給与の財源は主として地方公共団体の税収等によつて賄われるところから、一般の私企業における労働者の給与その他勤務条件が、労使間の自由な団体交渉に基づいて自主的に決定される方式であるのとは異なり、地方公務員の給与その他の勤務条件は、すべて財政民主主義に表れている議会制民主主義の原則により地公法の定める基準(同法二四条ないし二六条、一四条等)により、地方議会における民主的論議の上での判断を待たざるを得ない特殊な地位を有しており、そのため、地方公務員は労使による勤務条件の共同決定を内容とするような団体交渉権ひいてはこれを裏付ける争議権を憲法上当然には主張することのできない立場にあるものといわなければならない(最高裁判所昭和四八年四月二五日全農林事件大法廷判決・刑集二七巻四号五四七頁、同昭和五一年五月二一日岩手教組事件大法廷判決・刑集三〇巻五号一一七八頁、同昭和五二年五月四日名古屋中郵事件大法廷判決・刑集三一巻三号一八二頁参照)。これを認めると、議会における民主的な手続によつてなされるべき勤務条件の決定に対して不当な圧力を加え、これをゆがめるおそれがあるからであり、しかも、公務員の争議についてはその職務の公共的、独占的、非代替的なものが多く、公務の停廃により地方住民全体ないしは国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、又はそのおそれがあり、更にいわゆる市場の抑制力を欠くため、労働者にとつて倒産、失業の心配がなく、歯止めのない争議に走り易いことなどからして議会に対する圧力も極めて強力となる可能性があるという悪影響もあるのである。しかし、地方公務員には憲法上の団体交渉権及び争議権の保障がないことについては、これに代わる代償措置のあることを必要とし、本件当時の地公法五五条が職員団体の交渉制度を設けているほか、同法二四条が給与、勤務時間その他の勤務条件の根本基準につき、同法二七条ないし二九条が分限及び懲戒の基準、分限(降任、免職、休職等)等の身分保障につき、同法七条ないし九条が人事委員会又は公平委員会の設置、その権限、委員(構成)につき、同法二六条が国の人事院勧告制度と同趣旨の人事委員会の給料表に関する報告及び勧告につき、同法一四条が給与、勤務時間その他の勤務条件についての情勢適応の原則につき、同法四六条ないし四八条が人事委員会又は公平委員会に対する勤務条件に関する措置要求につき、同法四九条ないし五〇条が不利益処分に関する不服申立につきそれぞれ規定していることなどは、適切な代償措置として理解されるところである。

所論は、地方公務員の勤務条件の中には、条例や予算により決められるものもあるが、その場合にも使用者たる当局は、条例及び予算の原案を作成する権限を有し、したがつて議会の決定を必要とする勤務条件決定の過程において枢要な地位を占め役割を担つているのであるから、地方公務員の組合は、当局と団体交渉をすることにより、自己の要求を実現し、あるいは最終的な勤務条件決定にその要求を反映することが初めて可能となるのであつて、その意味における団体交渉権が憲法上保障されている旨主張する。しかしながら、もし右の意味における当局の作成すべき勤務条件の原案決定について地方公務員の団体交渉権が憲法上保障されているものとすれば、勤務条件の原案につき労使間に合意が成立しない限り、地方公共団体の長はこれを地方議会に提出することができないこととなり、常に合意をもたらしうるという制度的保障が欠けていることと相まつて、議会の決定権の行使が損なわれるおそれがあり、他に所論のような権利が憲法上保障されていると解すべき根拠は存在しない。

以上のところからして、地方公務員の組合には憲法二八条の団体交渉権が保障されているものとはいえないのである。

なお、以上に説示するところは、憲法上の解釈として説示したにとどまるものであつて、国会が、その立法、財政の権限に基づき、地公法五五条に、地方公務員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、及びこれに附帯して、社交的又は厚生的活動を含む適法な活動に係る事項に関し、地方公務員の職員団体と地方公共団体の当局との交渉規定を設けたのは、憲法二八条の法意にかんがみ国会の立法裁量に基づき定められたものとして理解すべきものと考えられるのである。

二  地方公務員法五五条の解釈の誤りの主張について

前記一に説示したとおり、地方公務員には憲法二八条の団体交渉権が保障されているものではないのであり、したがつて、地公法五五条の交渉の規定は、憲法二八条の法意にかんがみ、国会の立法裁量により定められた規定であると解すべきものであるから、その解釈は右地公法の規定の設けられた趣旨に沿つて解釈すべきものと考えられるのである。

ところで、地公法五五条一項は、「地方公共団体の当局は、登録を受けた職員団体から、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、及びこれに附帯して、社交的又は厚生的活動を含む適法な活動に係る事項に関し、適法な交渉の申入れがあつた場合においては、その申入れに応ずべき地位に立つものとする。」旨規定し、登録を受けた職員団体から適法な交渉事項について適法な交渉の申入れがあつたときは、地方公共団体の当局はその申入れに応ずべき地位に立つものとされるのであつて、登録職員団体の交渉における地位は、地公法により保障されたものである以上、広義の権利であり、当局側としてはこれに応ずべき義務があるが、右の義務は労働組合法による団体交渉応諾義務のように不当労働行為制度によつて、その履行を法の力によつて強制しうるものとされていないのは、当局が地公法の趣旨に従い、これを十分に尊重することが期待されていることによるものと考えられるのである。

そして、地公法五五条の規定から明らかなように、地方公共団体の当局が交渉に応ずべき義務を負うのは、適法な交渉の申入れがあつた場合、すなわち、(イ) 交渉の申入れ自体が平穏、かつ、社会常識に連合していること、(ロ) 交渉事項が地公法五五条一項の勤務条件に関する事項で、地方公共団体の管理運営に関する事項ではないこと、(ハ) 地方公共団体の当局が同法条四項の適格を有するものであること、(ニ) 同条五項の予備交渉を経ていること、(ホ) 交渉は職員団体が役員の中から指名する者と当局の指名する者との間において行なわれること、以上の要件を備えた場合である。

そこで、所論中、主要な主張について検討する。

(1)  交渉事項についての解釈の誤りの主張について

地公法五五条一項所定の交渉事項にいう勤務条件とは、「職員が地方公共団体に対し勤務を提供するについて存する諸条件で職員が自己の勤務を提供し、またはその提供を継続するかどうかの決心をするに当たり一般的に当然考慮の対象となるべき利害関係事項であるもの」をいうものと解されるから、所論がこれを労働関係における労働者の「利害関係事項」を指すものとするところは正当ではあるが、同条項の「適法な活動に係る事項」とは「勤務条件の維持改善の枠内の活動に係る事項」を指すものと解されるところ、所論がこれを「職員団体の目的・活動方針に基づく行動にかかわりのある一切の事項」を指すものと解すべきであるとするのは、同条項の規定の法意に照らし、その範囲が広きに過ぎ正当とはいい難い。

次に、管理運営事項が勤務条件に関連がある場合に関し、所論は、ある事項が管理運営事項に関するものとしても、それが勤務条件に直接あるいは間接に関連する限り、その側面では、すべて団体交渉の対象となるといい、そのような関連のある場合は管理運営事項に関するものも交渉事項となる旨主張するもののようである。思うに、管理運営事項は、地方公共団体の機関がその職務、権限として行う地方公共団体の事務の処理に関する事項であつて、法令、条例、規則、規程及び議会の議決に基づき、その機関が自らの判断と責任において処理すべき事項であるから、これについて職員団体の介入を許さず、これを交渉の対象から除外されたものであるが、管理運営事項の処理の結果生じた事項が、職員個々の問題にとどまらず、ある勤務条件の基準とされる事項と密接に関連する場合、例えば人事異動は管理運営事項であるが、その人事異動命令に伴う職員住宅の支給は勤務条件であり、それが職員住宅支給の基準に関連して問題がある場合には、勤務条件である以上、これを交渉の対象とすることはできるけれども、人事異動そのものについては交渉の対象とすることはできないのである。職員団体としては勤務条件について交渉をすれば、必要かつ十分であり、その交渉の結果、管理運営事項についても撤回、変更などの措置がとられる場合もあり得るのである。この理は、管理運営事項と解される退職勧奨、職務命令による研修参加についても同様である。所論は人事異動、退職勧奨も勤務条件であるとして、労働基準法施行規則五条一号及び四号の労働条件を指摘するが、右規定は、労働基準法一五条一項の「使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。」との規定に基づき、明示すべき労働条件として規定されたものであつて、使用者が労働者を雇い入れる際における労働条件の明示を義務づけたものであるから、この規定からして、本来管理運営事項である雇入れ後の人事異動、退職勧奨が、地方公務員の勤務条件に関する事項であると解することはできない。

したがつて、原判決が、その判示第二、第三の事実に関する「弁護人の正当行為等の主張について」の項において、管理運営事項は元来交渉の対象とすることができないが、人事異動の結果が教職員の純粋な個人の問題にとどまらず、勤務条件の基準的事項と密接に関連し、これを問題とする場合には、その面において勤務条件に関するものとして交渉の対象になると解すべきである旨説示している点は、交渉の対象事項についての表現がやや明確さを欠くきらいがあるけれども、これを勤務条件のみに限定する趣旨で説示したものと解する限りは是認できるところである。

(2)  人事主事及び指導主事が地公法五五条四項の「地方公共団体の当局」に該当するとの主張について

原判決が、その判示第二、第三の事実に関する「正当行為等の主張について」の項において市教委事務局総務部教職員課人事主事室所属の人事主事が地公法五五条四項にいう「当局」に該当しない旨説示していることは所論のとおりであるが、所論にかんがみ人事主事に加え指導主事も「当局」に該当するか否かについて判断することとする。

職員団体が交渉することのできる地方公共団体の当局は、交渉事項について適法に管理し、又は決定することのできる地方公共団体の当局でなければならないところ(地公法五五条四項)、教職員の勤務条件は、原則として教育委員会が所管し、執行する権限を有し(地方教育行政の組織及び運営に関する法律二三条)、教育長も教育委員会の指揮監督の下に、同委員会の権限に属するすべての事務をつかさどる職務を有する(同法一七条)ので、教育委員会及び教育長が前記「当局」に該当することは明らかであるが、右人事主事は、上司の命を受け、教職員の人事に関する事務に従事し(京都市教育委員会通則二二条七項)、また市教委事務局指導部学校指導課指導主事室所属の指導主事は、上司の命を受け、学校教育に関する専門的事項の指導事務に従事する(右通則二二条二項)にすぎず、その従事する事務について教育長から人事主事又は指導主事に権限を委任する規定もないから、人事主事や指導主事は、右「当局」に該当せず、また、市教育委員会又は教育長から、原判示第二の際に人事主事に対し、原判示第三の際に人事主事、指導主事に対し、いずれも職員団体との交渉に関する何らかの権限を委任ないし付与した事実も認められないことからして、本件人事主事及び指導主事は被告人らの交渉の申入れに応ずべき法的地位にあるものではなく、したがつて、これに応ずべき義務もないのである。なお、地公法五五条四項は、「交渉」の当局を明らかにしたものであるが、同項は「当局」以外の地方公共団体の職員、例えば本件のような人事主事や指導主事が職員団体と勤務条件その他の事項について、事実上の話合いをすることまでを禁じたものではなく、それは、同法とは関係のない話合い、陳情、意見の具申等の性質を持つものとして、職員団体の人事主事らに対する申入れに対して、人事主事らにおいて、これに任意に応ずる場合にのみ認められるものであつて、職員団体が権利として当然に要求し得る性質のものではない。

以上のところからして、人事主事及び指導主事が「当局」に該当するとの主張は理由がない。

(3)  予備交渉の手続を経なかつたことを不適法としたことは地公法五五条五項の解釈適用を誤つたものであるとの主張について

原判決が、「争点に対する判断」中、原判示第四についての二において、「被告人らは予備交渉を経ることなく、突然教育長室に押しかけ、直ちに教育長と交渉しようとしたものであるうえ、交渉はあらかじめ取り決めた員数の範囲内で行なわれなければならないにもかかわらず、約三〇余名もの多数で押しかけたものであることからすると、被告人らの交渉申入れ自体が不適式なものであることは明白であり」と説示していることは原判文に徴し明らかである。

地方公共団体の当局と職員団体が交渉を行う場合には、地公法五五条五項の規定により、必ず予備交渉を行わなければならないのであり、したがつて予備交渉を経ないでなされた交渉の申入れについては、当局がこれを拒否しても正当であり、かつ、交渉を行わないことについて正当な理由のある場合に当たるのであり、また、職員団体が予備交渉を行わなかつたり、予備交渉を平穏静粛に行わなかつたり、あるいは客観的にみて不当な条件にこだわる等のために予備交渉で取り決める事項の合意が得られなかつた場合には、そのため本交渉に入れなくとも、当局が本交渉を拒否したことにはならないものと解されるのである。所論は、交渉事項が急を要する場合等は予備交渉なしに本交渉を求めても不適法と解すべきではないというが、独自の見解であつて採用の限りではない。

以上の点から、本件各事案における所論の交渉の申入れが適法であるかどうかについてみるに、この点は、後に各事案についての判断に際し説示するところであるが、結論をのべると、原判示第一の場合は、三月一日付市教協から市教委に対する交渉申入れの要求項目は、前記第二の「本件の経緯について」の項に説示するとおり、退職勧奨をやめること、本人の希望を無視した配置転換はしないことなど、いずれも交渉の対象とすることができない管理運営事項であるから、適法な申入れではなく、市教委の対応に違法はなく、原判示第二の場合は、被告人らの話合いを求めるという事項は、特定の教職員に対する退職勧奨を中止させること、個別の人事異動について事前に組合と交渉することなど管理運営事項であり、話合いの相手とする人事主事は「当局」に当たらず、かつまた、その申入れの態様が平穏ではないから、適法な交渉の申入れとはいい難く、原判示第三の場合は、のちに説示するとおり、交渉の申入れというよりは追及、抗議であり、これを交渉の申入れと解しても、話合いの結果からみて、その対象事項は特定の教職員に対する退職勧奨に抗議し、これを中止させること、過去の特定の人事異動等の責任追及、一般職員のいわゆる伝達講習会参加問題に抗議し謝罪を求めることにあつたもので、いずれも管理運営事項であり、話合いの相手の人事主事及び指導主事は「当局」に当たらず、かつまたその申入れの態様が平穏ではないから、到底適法な交渉の申入れではなく、原判示第四の場合は、のちに説示するとおり、人事異動案の作成作業に対して抗議し、本人の意思を尊重するように要請する目的に出たもので、これを交渉の申入れとみるには疑問があるが、これを交渉の申入れと解しても、その対象事項は管理運営事項であり、仮にその申入れが人事異動の結果によつて生ずる勤務条件を交渉事項とするものであるとしても、予備交渉の手続を経ておらず、かつまた、その申入れの態様が平穏ではないから、到底適法な交渉の申入れとはいい難く、また、原判示第五の場合は、四月一〇日付要求書の要求項目中には不当人事の取消し、撤回等管理運営事項があるけれども、配置転換による勤務条件の是正という具体性に欠けるものの一見勤務条件に関するものもあり、この点を交渉事項とする余地があると解することはできるが、その申入れの態様が平穏ではないから、適法な交渉の申入れとはいい難い。

三  以上に検討したところからして、原判決には所論のような憲法二八条及び地公法五五条の解釈適用の誤りはないから、論旨は理由がない。

第四弁護人並びに被告人湯浅、同井上の各控訴趣意中、原判示第一の事実に関する事実誤認及び法令の解釈、適用の誤りの主張について

各論旨は、弁護人において、原判決は、その判示第一の一において、被告人湯浅晃につき、同被告人が京都市教委事務局総務部総務課企画労務係長籔本薫に対する暴行の事実を認定し、更にその判示第一の二において被告人井上五一につき、同被告人が企画労務係員西岡信之に対する暴行の事実を認定し、刑法二〇八条を適用しているが、原判決は被告人湯浅らが三月四日に右籔本に交渉を申し入れるに至つた経緯、同被告人ら組合員らが当日総務課室に赴き籔本と交渉を行つた際、同人の応対が極めて不誠実であつた経緯を正しく評価しようとせず、組合の組合活動に対する予断、偏見に基づいた結果、前記被告人湯浅、同井上の暴行の事実が存在しないのに、証拠の選択、評価を誤り、事実誤認し、かつ、誤つた事実を前提にして法令の解釈を誤り、これを適用したものであり、仮にその事実があるとしても、実質的違法性がないから、これに暴行の法条を適用した原判決は右法令の解釈適用を誤つたものであり、以上の事実誤認、法令の解釈、適用の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるといい、被告人湯浅、同井上において、それぞれ原判示第一の一又は二の暴行の事実がないのに、暴行の事実を認定し該当法条を適用した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで検討するに、原判決挙示の対応各証拠によれば、原判示第一の各事実を認めるに十分である。すなわち、右証拠によれば

(一)  市教委では市教協からの前記三月一日付要求書につき、三月二日開催の定例教育委員会においてその対応を協議した結果、右要求書の要求項目は管理運営事項であるから交渉事項ではないとの従来の方針を再確認したが、右要求書に対する回答は、教育委員が新市長と会い、教育問題について話し合つた後にする旨決定し、右申入れに対する回答を留保し、市教委事務局総務課では右回答内容を三月四日に市教協に通知することとした。

(二)  そうしたところへ、翌三日昼ころ、被告人湯浅から組合との窓口になつている総務課企画労務係長籔本薫に電話で「明日、市長に一二時半から市長室で会うので、それまでに回答をしてくれよ。」と言うて来たので、籔本としては、三月四日は土曜日であるが、被告人湯浅らが市教委とは同じ庁舎三階の市長室へ行く前に四階の総務課に寄つてくれるであろうから、その際に回答内容を伝え、寄つてくれない場合には、いつものように電話で伝達することとした。

(三)  本件当日の三月四日、被告人湯浅、同井上は、他の市教協関係組合役員らと共に、市庁舎に赴き、三階第一応接室において、富井新市長と面談して従来の市教委との間の事情について説明し、人事問題は教職員の勤務条件にかかわり合う問題であるから、組合と市教委とが人事問題で交渉できるように市長の力を借りたい旨述べて、前記三月一日付要求書の要求項目について同市長の善処方を要望した。

(四)  市長との面談を終え、同日午後一時三〇分ころ、被告人湯浅、同井上は、市教協関係組合役員七、八名と共に、前記三月一日付要求書に対する市教委側の回答を求めるため、同庁舎四階の市教委総務課事務室に赴き、被告人湯浅を先頭にして順次入室したが、同室には企画労務係の籔本係長と西岡信之ほか二名の係員が在室していた。被告人湯浅は右組合役員らと入室するや否や、右の者らと共に右籔本係長に詰め寄り、「この前、市長に会う前に回答せいと言つているのに、なんで今まで回答せんのや。けしからん。早う回答せんかい。」と語気するどく前記要求書についての回答を求めたところ、同人が「ああ、回答するわ。」「きのう、電話で市長のところへ来ると言うていたので、市長室へ行くまでに来ると思つていた。」と答えたところ、被告人湯浅を初め他の役員らは、こもごも「市長が代わつておるのに、お前らの態度はまだ変わらんのか。」と言い、籔本係長が「今までも法律どおりやつて来た。今後も法律どおりやつて行くつもりや。」と言つて、前記教育委員会決定の回答として「教育の基本問題について、教育委員が市長にまだ会つていないので、それからにしてほしい。」旨答え、他の組合役員の「市教委は、いつ市長に会うんや。」との発言に対し、籔本係長が「市会の開会中は無理やと思う。」旨答えたところ、被告人湯浅はこれに激高し、同人に対し「そんなものは回答になつておらん。市長が代わつているのに、まだ態度を変えんのか。その態度は生意気や。市長の前でもう一ペんこの態度をとつてみろ。」などと言い、周囲にいた組合役員らも「市長のところへ連れて行け。」などと怒号し、やにわに被告人湯浅が同人の着ていた事務服の襟を両手で強く掴んで引つ張り上げるなどし、これに対して「暴力はやめろ。」と言いながら、立たされまいとして机の端を持つていた同人を強いて椅子から立たせ、同人が立つたとたんに被告人湯浅の手が離れたので、同人が椅子に座つたところ、同被告人は再び「市長のところへ行こう。」と言いながら、同人の首に右手をかけ、左手でその胸倉を掴んで同人を椅子から立たせ、そのまま同人を引きずり始め、その途中両手で同人の左手を掴んで同室北側の企画労務係のロツカー付近まで三メートル位引きずるなどした。

(五)  また、被告人井上は、被告人湯浅が籔本係長を引きずるなどしていた際、これを制止するため同人のところへ行こうとして他の組合役員らに制止されていた西岡係員に対し、「お前も一緒に来い。」と言いながら、両手で西岡係員の両手首を強くつかんで引張り、同人が「無茶するな。痛い痛い。」と言うにもかかわらず、同人を同室内北側出入口扉付近まで引きずつて行つた。

以上の事実が認められる。

そして、右認定の事実関係によれば、右被告人湯浅の籔本係長に対する有形力の行使及び被告人井上の西岡係員に対する有形力の行使が、いずれも暴行に当たることが明らかである。

弁護人の所論は、被告人湯浅が籔本係長に対し、市長のところへ行こうと言つて、同人の左肩に右手を添えて促したことはあるものの、これは、同人が富井市長の民主的教育行政に挑戦する発言をするので、被告人湯浅としては、同人を市長に面会させ、同人の態度を改めさせる目的でしたものであり、同人も「従来どおり法律に従つてやるだけだ。」とたんかを切つた手前、被告人湯浅の要請に答えて、自発的に自席から歩きかけたものであつて、原判決の「当時籔本が市長と面会しなければならない理由、必要性は全く認められない。」との説示は誤つており、被告人湯浅は籔本係長に対し暴行を加えていないというが、前記認定の事実関係及び原審証人籔本薫の「自分は市長のところへ行く気はなかつた。」旨の証言に徴しても、原判決の右説示は正当で、右所論は到底採用の限りではなく、所論に沿う原、当審における証人中辻中、被告人湯浅、同井上の各供述、原審における相被告人中谷の供述は措信し難い。

弁護人の所論は、原判決は、「争点に対する判断」中の「籔本、西岡に対する各暴行を認定した理由の要旨」の項において、被告人湯浅の籔本に対する暴行の点について「証人籔本、同西岡、同向坂の各証言は、細部に若干のくい違いは認められるものの、被告人湯浅が、自席に座つていた籔本の胸元をつかむなどして引つ張り、二回にわたつて同人を立ち上がらせようとし、二回目に同人を立ち上がらせ、そのあと同人の腕を掴んで、企画労務係の机と庶務係の机の間を通つて総務課室入口の方へずるずると引つ張つていつた旨の本件暴行の核心部分について、いずれも一致した供述をしている。」旨説示しているが、原判決の指摘する本件暴行の核心部分についても、右各証人は三人三様の証言をしていて一致してはおらず、向坂証人に至つては被告人湯浅が籔本を二回立たそうとしたその状況は全く目撃していないのであつて、右各証言は信用し難いというのである。

しかしながら、右向坂証人の証言(原審第四二回公判、記録第六分冊二四三五丁裏ないし二四三九丁裏、及び二五一九丁裏ないし二五二〇丁裏)によれば、同証人は、被告人湯浅が籔本係長の左側からその胸倉と後ろ襟首を持つて立たせようとしたが、同係長が机の端を持つて立つまいとしてふんばり、結局そのときは立たなかつた。そこで、同被告人が再び同係長の後ろへ回つて両腕を同人の中に入れて引き上げ、同係長を立たせた、旨を証言しているのであつて、この点、同証人が、被告人湯浅が籔本係長を二回立たそうとした状況を全く目撃していないとの所論は採用することはできず、右三証人の証言は、原判決も説示するとおり、細部に若干のくい違いが認められるが、それは事件発生後六、七年を経過し、若干記憶も薄れた後の証言であるうえ、各人の目撃の位置も違つていることからすれば、やむをえないものであつて、むしろ若干のくい違いのあるのが自然であり、被告人湯浅が椅子に座つている籔本係長に手を掛け、同人が立つまいとするのに、同人に対して有形力を行使して、結局はむりやりに立たせ、同人の意思に反して同人に対して有形力を行使しながら同人を総務課入口の方へ連れて行つたとの点においては、右三名の証言は一致しているのであつて、右各証言は、その証言内容によつて明らかなように、それぞれの経験事実を記憶のままに率直に述べていて迫真力があり、十分信用することができる。所論は採用し難い。

弁護人の所論は、被告人井上の西岡係員に対する暴行の点について、前記のように籔本係長が自発的に市長のところへ行こうとして自席を立つて歩きかけたので、同係長が市長のところへ行くのはまずいと判断した西岡係員が、同係長が総務課入口に向かつて歩いているのを阻止するために、突差に被告人湯浅と籔本係長の間に割り込み、同係長の腰あたりにしがみつくようにしてこれを阻止しようとしたので、被告人井上がこれを見て、「籔本が市長のところに行くと言つているから、阻止しなくてもいいじやないか。」と言つて、西岡係員を制止したものであつて、それ以上の有形力の行使をしたことはなく、逆に西岡係員から両手をつかまれ、総務課入口扉付近まで引つ張つて行かれたというのである。 しかしながら、籔本係長が自発的に市長のところへ行こうとしたものでないことはさきに説示したとおりであり、また、前記認定の事実関係によれば、西岡係員は、籔本係長が被告人湯浅にむりやりに引きずられるなどして総務課入口の方へ連れて行かれるのを見て、これを制止すべく同係長のところへ行こうとしていた際に、被告人井上から暴行を受けたことが明らかであつて、右所論はとうてい採用し難く、右所論に沿う原、当審における証人中辻中、被告人湯浅、同井上の各供述、原審における相被告人中谷の供述は措信し難い。

弁護人の所論は、更に、被告人湯浅、同井上の各行為が暴行に当たるとしても、教職員組合の正当な団体交渉申入れの行動の一環としてなされたもので、籔本係長らの不誠実な応答、態度が原因となつてなされたものであり、その有形力の行使は極めて軽微で、同係長や西岡係員の受けた被害も極めて軽微であり、実質的違法性がない、というのである。 しかし、所論の各暴行は、被告人湯浅らが三月一日付要求書に対する市教委側の回答を求めるため市教委総務課に赴いた際になされたもので、組合活動としての行動に際して行われたものではあるが、右要求書に記載の交渉の対象とする要求項目は、いずれも地公法五五条三項にいわゆる管理運営事項で交渉の対象とすることができないものであるから、組合の交渉の申入れは適法なものとはいえず、市教委側としてはこれに応ずる義務はなく、したがつて、右交渉の申入れを受けた市教委が、右要求項目は管理運営事項であるから交渉事項ではないとの従来の方針を再確認したのは正当であり、ただ市長も代わつたことでもあるので、右要求に対する回答としては、教育委員が新市長と教育の基本問題について話し合つた後にする旨決定したのも是認することができるところである。もつとも、さきに認定したとおり、右回答内容は三月二日の定例教育委員会において決定していたもので、従つて三月三日昼ころ、被告人湯浅から、籔本係長に明日市長に一二時半から会うので、それまでに回答をくれるよう電話があつたのであるから、その際、同係長において右決定内容を伝達すればよかつたとも考えられるが、同係長としては三月四日(土)に被告人湯浅らが同じ市庁舎の三階の市長室に行く前に四階の総務課に寄つてくれるであろうから、その際に回答を伝達しようと思つたことも一概に不誠実とはいえず、組合側としても、当日の市長との面談の前に回答が必要であるならば、総務課に電話するなり、市長室に行く前に総務課に寄るなどして回答内容を知ることができたものと考えられ、この点一方的に籔本係長らのみを責められないのみならず、当日総務課室に入つた当初の被告人湯浅の発言にもやや穏当を欠くきらいがあり、籔本係長が市教委側の回答を伝えたにもかかわらず、同人の応答内容ないし応答態度を不満とし、右市教委の決定を組合側に伝達するのみの立場にある同係長に対し、「そんなものは回答になつておらん。市長が代わつているのに、まだ態度を変えんのか。」「その態度は生意気や。市長の前でもう一ペんこの態度をとつてみろ。」などと、同人を非難攻撃し、非難はともかくとしても、これにとどまらず、同人をむりやり市長のところへ連れて行こうとして同人に暴行を加え、更にこれを制止しようとした西岡係員に対しても暴行を加えたものであり、本件犯行に至る経緯、被告人らの行為の目的、態様、侵害された法益の程度等、一切の事情を考慮しても、本件暴行について実質的違法性がないとはいえないから、所論は理由がない。

以上のとおりであつて、原判示第一の各事実に関しては、原判決には各所論のような事実誤認及び法令の解釈、適用の誤りはないから、各論旨は理由がない。

第五弁護人並びに被告人湯浅、同中谷、同木下、同杉本、同北小路の各控訴趣意中、原判示第二の事実に関する事実誤認及び法令の解釈、適用の誤りの主張について

各論旨は、要するに、弁護人において、原判決は、その判示第二において、被告人湯浅、同中谷、同木下、同杉本、同北小路の五名共謀による昭和四二年三月一一日の京都市教委総務部教職員課日彰分室会議室への建造物侵入、並びに右五名共謀による首席人事主事大南孝男、人事主事大槻隆二に対する暴行を手段とする公務執行妨害の各事実を認定したが、右被告人五名は人事主事に対し相次ぐ老齢教職員に対する退職勧奨を直ちに中止することと目前に迫つた人事異動について交渉するため前記日彰分室会議室に入室したもので、人事主事には交渉応諾義務があり、また入室当初は人事主事らは入室を拒否したが、被告人らの説得によつて事実上話合いとなり、更に室外へ出て本式の交渉に入つたものであるから、全体的にみて建造物侵入とはならず、この点建造物侵入罪の法条を適用した原判決は法令の解釈、適用を誤つたものである。また、被告人湯浅は大南首席人事主事の椅子の後ろに回つて、椅子の後ろから座つている同人の脇の下に両手を差し入れて、外へ出て話合いをしようと促したのであつて、話合いを求めて行つている被告人らが自らの手で話合いの場をつぶすような暴力を振うはずはなく、したがつて、右被告人ら五名が共謀して、被告人湯浅において大南首席人事主事に対して暴行を加えたことも、同被告人と他の被告人らにおいて大槻人事主事に対して暴行を加えたこともなく、かつ、大南(首席)、大槻各人事主事らはいずれも公務を一応終了していたか、あるいは右被告人らの申入れ、要求に応じて任意に公務を中断していたものであるから、いずれにしても公務執行妨害の事実はなく、この点、その事実を認定した原判決は事実を誤認したものであり、仮に、その事実があるとしても、実質的違法性がないから、これに公務執行妨害の法条を適用した原判決は右法令の解釈、適用を誤つたものであつて、以上の法令解釈、適用の誤り及び事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるといい、被告人湯浅、同中谷、同木下、同杉本、同北小路において、それぞれ、原判示第二の暴行等の事実がないのに、これらの事実を認定し、該当法条を適用した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認及び法令適用の誤りがあるというのである。

そこで、検討するに、原判決挙示の対応各証拠によれば、原判示第二の事実は所論の共謀の成立を含め、優にこれを認めることができ、原判決が「争点に対する判断」中、「判示第二について」の項において説示するところは、十分首肯することができるのであつて、当審における事実取調べの結果によるも、右認定を左右することはできない。すなわち、右対応各証拠によれば、

(一)  被告人湯浅、同中谷、同木下、同杉本及び同北小路は、同年三月一一日午後零時三〇分ころ、老齢教職員に対する退職勧奨を即時中止すること、昭和四二年度の人事異動については本人の意思を尊重し、事前に組合と交渉することなどの事項を人事主事らに要求する目的をもつて原判示教職員課日彰分室会議室入口前に赴いた。

(二)  同分室では、従前から例年二月上旬より三月下旬までの間、同課人事主事において管下教職員に対する定例人事異動に必要な資料の作成、新規採用者の面接試験など、とくに機密保持を要する事務を行つており、昭和四二年度においても例年どおり日彰分室において右事務が開始されたため、教職員課長が、日彰分室の管理権者である市教委教育長の指示により、会議室北東部の出入口扉の外側に、「許可なくして入室を禁止する。」旨の貼紙を掲示し、関係者以外の同室への無断入室を禁止し、以後来訪者については、臨時用務員が応対し、用件を担当の人事主事に連絡し、入室の可否を決めており、本件当日である昭和四二年三月一一日(土)は、同分室会議室において、午前九時三〇分から午後二時ころまでの予定で、中学校、小学校教員採用の第二次面接試験が行われていたので、同室には大南首席人事主事以下一〇名が在室し、首席人事主事大南孝男、人事主事大槻隆二、同吉水純平の三名が一組となつて中学校関係の面接試験を、首席人事主事島田延治と人事主事青山幸光、人事主事梅田義春と同田中英二がそれぞれ一組となつて小学校関係の面接試験を、それぞれ実施し、人事主事中辻澤蔵、同宮木亮康、同荒良木正夫らは人事異動関係の仕事で在室していたが、前記会議室北東の出入口扉の無断入室禁止の貼紙のほかに、北西出入口の扉には「面接室」の貼紙が掲示されていた。

(三)  前記被告人五名は、前記日時ころ、市教委側にあらかじめ連絡することもなく、右無断入室禁止の貼紙が掲示されていたにもかかわらず、これを無視して入室することの意思を相通じ、同室北東出入口の扉を開け、被告人湯浅を先頭に「ああ、大南もおるおる。」と言いながら、無断で同室に入つた。折柄、同室において、小学校関係の二組の人事主事ら四人はいずれも新規採用予定者と面接中であり、中学校関係の前記大南(首席)、大槻、吉水の三人事主事は当日面接予定の新規採用予定者七名のうち六名との面接を一応終了したものの、あと一名の面接未了者の書類に目を通して、右面接未了者が来訪すれば面接を実施すべく待機するとともに、右面接結果についての整理並びに総括検討を行うなど、右面接試験事務に従事中であつたが、右被告人五名は、大南(首席)、大槻、吉水の三人事主事に対し、こもごも「退職勧奨を中止しろ。人事異動について話をしろ。表へ出ろ。市長も代わつたんや、出て話をせい。出えへんかつたら、いつまでもここにがん張つてやる。」などと怒号し、これに対して大南、島田両首席人事主事が「人事問題については交渉をしないことになつている。」「面接試験、人事異動に必要な資料の作成事務の支障になる。」ことを理由に再三室外への退去を要求したところ、右被告人五名は、これに激高し、大南首席人事主事に対し、口々に「表へ出ろ。」と怒鳴りながら同人を取り囲み、被告人湯浅が中心となつて「民主市長が代わつたのに、お前の態度はちつとも変わつとらん。市長のところへ連れて行つて対決させてやる。表へ出ろ。出なければ、いつまでもここにがん張つてやる。かついででも市長のところへ連れて行つてやる。」などと怒号しながら、被告人湯浅が同人の右上膊部を引つ張つて、むりやり椅子から立たせようとしたが、同人がこれに応じないとみるや、「立たんかつたら、こうしたるわ。」と言いながら、同人の着席していた椅子をいきなり後方に引つ張り、これに驚いて立ち上がつた同人から「何するんや、暴力はやめておけ。」と大声で抗議されるや、「なに」と言つて、同人の胸倉を両手でつかみかかつたが、同人に両手で振り払われたので、更に同人の胸倉を両手でつかんで押し、その身体を前後に三、四回揺さぶるなどの暴行を加え、他の被告人らは右被告人湯浅の暴行を目撃しながら、これを制止することなく、むしろ認容する状況であつた。このような被告人湯浅の暴行を目撃した大槻人事主事が「暴力はやめておけ。」と言つて、同被告人の暴行を制止しようとして中に割つて入るや、被告人中谷、同杉本、同木下らもかけ寄り、右被告人五名で大槻人事主事を取り囲み、被告人湯浅が同人に対し、「お前は誰や。黙つてい。」と怒号しながら、同人の胸倉をつかんで前後に揺さぶり、両人の胸の名札をもぎ取り、被告人中谷が同人の胸倉をつかんで押し、被告人杉本が、同人の背後から両肩に手をかけて引つ張り、被告人木下が同人の手をつかむなどの暴行を加えた。このようにして、右大南首席人事主事及び大槻人事主事は前記公務に従事中、不意に無断入室して来た右被告人らから前記暴行を受けたため、公務をとることができない状態となつた。

(四)  その後も主として被告人湯浅が中心となつて大南首席人事主事らに対し、「今日は動員をかけているから、どんどん来るぞ。」「話合いに応じなかつたら動員をかける。」などと怒号し、同室内の電話で組合本部に対して「話にならんから来てもらいたい。」旨の電話を掛けるなど、同主事らに対し執ように話合いのため外に出ることを要求したため、大南(首席)、中辻の両主事は、このままでは面接試験ができなくなることをおそれ、午後一時過ぎころ、やむなく被告人らの要求に応じ、被告人らと話合いをするため校庭に出た。

以上の事実が認められる。右認定に反し、被告人湯浅が大南主事の椅子の後ろから座つている同主事の脇の下に両手を差し入れ、外へ出て話を聞いてほしいと促したことはあるが、それ以上に有形力は行使しておらず、更に大槻主事が被告人湯浅と大南主事の間に体当りするように割つて入り、被告人湯浅にぶつかつてきたので、被告人湯浅が大槻主事のネームプレートを掴んで抗議したことはあるが、それ以上に被告人湯浅や他の被告人らが大槻主事に対し有形力を行使したことはない旨の被告人湯浅、同中谷、同木下、同杉本、同北小路の原審及び当審における各供述は、原審証人大南、同大槻、同中辻澤蔵、同島田延治、同宮木亮康の各証言に対比し措信し難い。

以上の認定事実によれば、前記被告人湯浅ら五名は、無断入室禁止の掲示を無視して日彰分室会議室に入室するについて意思連絡があつたこと、大南首席人事主事に対する被告人湯浅の暴行並びに大槻人事主事に対する被告人湯浅及び前記その他の被告人らの暴行のあつたことと右両名の公務の執行を妨害したものであることは明らかであるが、右被告人五名が右各暴行、したがつて公務執行妨害について共謀したものであるかどうかについてみるに、右被告人五名は、いずれも人事主事に対し前記共通の意図、目的の下に、意思相通じて共に日彰分室会議室に無断で入室した上、大南(首席)、大槻、吉水の三人事主事に対し、こもごも前記認定のような「表へ出ろ、……かついででも市長のところへ連れて行つてやる。」などという、はげしい言辞を申し向けて怒号し、大南主事らが人事問題については交渉しない、面接試験に支障になることなどを理由に再三室外への退去を要求したのに激高し、是が非でも大南主事らと外へ出て話し合いたいとの意図もあつて、口々に「表へ出ろ。」と怒鳴りながら、右被告人ら五名で大南主事を取り囲み、被告人湯浅が同人の上膊部を引つ張つて立たせようとしたが、立たないので、同人の座つている椅子をいきなり後方に引いて同人を立たせ、これに抗議する同人に対し前記認定のような暴行を加え、他の被告人らはこれを制止もしなかつたとの経過から考えると、他の被告人らは被告人湯浅が大南主事を室外へ連れ出すため暴力にわたる有形力を行使することのあることを認容していたことがうかがわれ、したがつて大南首席人事主事に対する暴行、ひいては同暴行を加えての公務執行妨害につき被告人五名の共謀があつたものというべきであり、また、右大南主事に対する暴行に引き続き、右暴行を制止しようとした大槻人事主事に対する被告人湯浅及び前記他の被告人らの暴行も、前記経過にかんがみ大南首席人事主事を室外へ連れ出すのを妨害したことに対する反発・憤激から出たものと考えられ、右被告人五名が大槻主事を取り囲み、中谷、杉本、木下の各被告人らも前記認定の暴行に及んでいることからすれば、大槻主事に対する暴行、ひいては同暴行を加えての公務執行妨害についても右被告人五名の共謀があつたものと認めるのが相当である。

弁護人の所論は、原審証人大南の証言は反組合的態度で貫かれ、作為的で誇張があり、また同大槻の証言は組合に対する敵がい心が強く、誇張があり、いずれも信用性がないといい、更に原判決が右大南の証言と大筋基本において一致する旨説示する原審証人島田、同中辻澤蔵、同宮木の各証言も信用性がない旨主張するのである。

しかしながら、右所論の各証言の信用性に関する当裁判所の判断は、原判決が「争点に対する判断」中の「大南、大槻に対する各暴行を認定した理由の要旨」の項に説示するところと同一であつて、暴行に関する右各証言は、本件発生後早いもので約八年八か月後、おそいもので約一一年三か月後ものちになされたものであるから、若干のくいちがいがあるのは無理もないことであり、むしろそれが自然であり、大筋基本において互いに符合しているところからして、右各証言は十分信用することができる。右所論は採用し難い。

弁護人の所論は、被告人湯浅が大南首席人事主事に対して暴行を加えたものとしても、被告人木下、同北小路は机の東側にいて、被告人湯浅の位置から離れており、被告人中谷、同杉本も、後ろから大南主事が被告人湯浅の胸を突き離した時点で同主事に抗議のため近づいたのであるが、原判決が暴行が行われたと認定している時点、すなわち、被告人湯浅が同主事の後ろから立つて外へ出るように促している時点においては、未だ机を隔てて東側に立つていたのであつて、いずれも被告人湯浅の大南主事に対する暴行について共謀してはいない、また、原判決は大槻主事に対する暴行につき、被告人湯浅のみをその行為者として特定し、その余の行為者として「他の被告人ら」とのみ判示しているが、被告人らの間に暴行の共謀はなく、(一)「被告人ら五人全員が大槻を取り巻いて身体をゆするというか、小突くという状態であつた」旨の被告人五名の共謀の存在をうかがわせる原審証人中辻澤蔵の証言は、当時中辻の隣りにいた原審証人宮木亮康がこのような証言をしていないところからみて信用性に乏しく、しかも、原判決自体が中辻の証言中、被告人中谷が大槻主事の胸倉をつかんだとの証言及び被告人杉本が大槻主事の後ろから両肩を引張つたとの証言については、被害者である原審証人大槻がそのような証言をしていないとの関連で、原判決において右被告人中谷、同杉本の行為を判示していないのは、両被告人の行為として特定できないものと判断したもので、この点からみても、原判決自体も中辻の証言に全面的な信用をおいていない表れであり、さらに、(二) 原判決は被告人木下が大槻主事の手をつかんだという論告主張部分を事実認定から欠落し、被告人北小路の行為についても全く触れていないから、少なくとも右両被告人に共謀責任を問うことはできない、というのである。

しかし、大南(首席)、大槻各人事主事に対する暴行につき、前記被告人五名が共謀したものであることはさきに説示したとおりであり、また、右所論(一)の中辻の証言の信用性の点については、所論の原審証人宮木は、当時中辻の隣りにいたものであるが、同人の証言によれば、被告人湯浅が立つている大南主事を外に出そうとして、その左方から同主事の腕を引つ張つていたので、大槻主事が制止に入つたところ、次に被告人杉本が大槻主事を後ろから押したので、同主事が、二、三歩よろよろとよろけた状況は目撃したが、その時電話がかかつて来て、電話に出たので、その直後のことはよく見ていない。電話が終つて元のところに戻ると、静かになつていて、大南主事が被告人湯浅に手を引つ張られて出て行こうとしていたと述べているから、宮木証言と中辻証言の内容に精粗があるのは当然であつて、所論のように中辻証人が言及している状況を宮木証人が言及していない点を捉えて原判決がことさら中辻証言だけを特に信用する合理的根拠に乏しいと論難するのは失当であり、また、原判決が中辻の証言中の所論の被告人中谷、同杉本の行為につき、その認定事実中に右両被告人の名を掲げていないことは所論のとおりであるが、原判決は、被告人五名は共謀の上、……被告人湯浅の暴行のほかに、「他の被告人らも加わつて大槻を取り囲み、同人の胸倉をつかんで押す、あるいは背後から両肩に手をかけて引張る等の暴行」をも判示しているのであつて、被告人五名が共謀の上暴行を加えたものである以上、個々の暴行の主体を特定して判示することを要しないことは多言を要しないから、原判示のように「他の被告人らも加わつて」と記述して、あえて暴行主体を特定しないことも別段不当とするに足りず、まして、これをもつて原判決が中辻証言に全面的な信用性をおいていない表れであると受け取ることは不当である。また右所論(二)の原判決は、被告人木下が大槻の手をつかんだという論告主張部分を事実認定しないで、その部分を欠落し、さらに北小路被告人の行為については全く何も触れていないとの点については、原審証人大南孝男の証言(第五九回公判)によれば、「被告人中谷と同木下が大槻の右側へ寄つて来て、大槻にかかつて行き、被告人木下は『暴力つてなんや、お前黙つてえ。』と言いながら大槻の手をつかんだ。」旨供述しており、右証言は迫真性に富み、信用性があると考えられ、手をつかむ行為が、その前後の状況からみて暴行とみられるけれども、原判決は、この被告人木下の行為を特に記述しないで、「……等の暴行を加え」として等の中に包含せしめたものとも考えられ、このことをもつて不当とはいえず、また、被告人北小路の行為については全く何も触れていないという点については、原審証人中辻澤蔵の証言(第七三回公判)によれば、「被告人ら五名は大槻を取り巻いて身体を揺する、小突く状態であつた」旨供述しているところ、原判示によれば、行為主体は特定されていないけれども、「他の被告人らも加わつて同人を取り囲み」と判示されており、右判示をもつて罪となるべき事実の記載として不十分と論難することはできないから、各所論は採用し難い。

弁護人の所論は、被告人湯浅ら五名は、組合役員として、不当な退職勧奨の即時中止、目前に迫つた人事異動という緊急な問題について人事主事と交渉する目的をもつて会議室に入室したもので、人事主事は当局の一部として交渉応諾義務があるから、被告人らの入室には正当な理由があり、入室禁止の貼紙の対象は青友会や地域のボス、市会議員などであつて、組合は校長などと同様に、部外者の取扱いではない慣例となつており、組合員の人事に関して組合役員が交渉を求めることをも禁止した趣旨ではなく、少なくとも被告人らはこのような認識の下に入室したものであるから、侵入の故意はなく、当初は大南首席人事主事らは入室を拒否していたが、被告人らの説得によつて事実上の話合いとなつたことなどの経過からすれば、被告人らの入室行為は、全体的にみて住居者の意思に反した「故なき侵入」とはいえない。仮に住居者の意思に反したとしても、前記のとおり組合活動の一環として、それまで組合の交渉申入れをかたくなに拒否し不誠実の態度をとる人事主事に対し入室して交渉を要求したのであるから、被告人らの入室行為は、刑法三五条の正当行為として違法性が阻却されるというのである。

そこで考えてみるに、刑法一三〇条前段にいう「侵入シ」とは、他人の看守する建造物等に管理権者の意思に反して立ち入ることをいうと解すべきであるから、管理権者があらかじめ立入り拒否の意思を積極的に明示していない場合であつても、該建造物の性質、使用目的、管理状況、管理権者の態度、立入りの目的などからみて、現に行われた立入り行為を管理権者が容認していないと合理的に判断されるときは、他に犯罪の成立を阻却すべき事情が認められない以上、同条の罪の成立を免れないと解すべきところ(最高裁判所昭和五八年四月八日判決、刑集三七巻三号二一五頁参照)、本件についてこれをみるに、本件当日、日彰分室において人事主事が行つていた新規教員採用者の面接試験、教職員の定期人事異動に必要な資料の作成などは、特に機密保持を要するものであるため、会議室北東出入口扉の外側に「許可なくして入室を禁止する」旨の貼紙を掲示し、部外者の立入りを厳重に規制していたものであり、右部外者には右事務処理関係者以外のすべての者、すなわち組合員の人事に関して交渉を求めにくる組合役員らをも含むものと解されるのであり、しかるところ、被告人ら五名は老齢教職員に対する勧奨退職の中止、個別の人事異動についても事前に組合との交渉を経ることなどを人事主事に要求する目的で、あらかじめ何の連絡をすることなく、突如として右会議室に入室したものであり、右のような要求事項は管理運営事項で交渉の対象事項ではなく、また、人事主事には交渉当事者適格がないから、地公法五五条の適法な交渉の申入れとはいい難く、このような人事問題については市教委側に交渉に応ずる意思のないことは、従来の市教委の態度からみても、また、三月八日の京都市議会本会議における市教育委員長松本正男の「人事異動の問題は、人事管理の問題であるから、教育委員会に任せて頂きたい」との答弁(検甲四二号議事録一〇三頁、一〇六頁)によつても明らかで、被告人らもそのことは十分知つていたはずである。したがつて、大南首席人事主事らは入室して来た被告人五名に対し、「人事問題については交渉しないことになつている。」「面接試験、人事異動に必要な資料の作成事務の支障になる。」ことを理由に再三室外への退去を求めたところ、右被告人らはこれを無視して大南主事らに対し暴言を吐き、暴力を加え、実力を用いてでも同人らを日彰分室から連れ出して強制的に話合いに応じさせようとし、同主事らもやむなく運動場に出て被告人らの要求を聴取することとして室外に出るに至つたが、それまで三〇分以上もの間、同室に滞留するに至つたものであるから、被告人らは、その入室について管理権者の意思に反していることを知りながら入室したもの、すなわち侵入の故意があつたものというべきであり、また、本件入室行為はその目的、方法、態様がいずれも違法であり、到底刑法三五条の正当行為とも認められず、建造物侵入罪を構成するものといわなければならない。所論は理由がない。

弁護人の所論は、また、原判決は、前記被告人五名が日彰分室会議室に入室した際に、大南(首席)、大槻、吉水各人事主事は、あと一名の面接未了者が来訪すれば面接を実施すべく待機するとともに、それまでに終了した面接結果についての整理並びに総括検討を行なう等面接試験事務なる公務に従事中であつた旨判示しているが、大南らは公務を一応終了して雑談中であり、仮に公務に従事中であつたとしても、この面接試験は第二次面接で採用内定者の勤務地を定めるための面接であつて、中学校関係の当日の面接試験受験者は八名で全員午前九時半に呼び出し、うち一名については事前に欠席通知があり、六名については正午ころ面接を終了し、残り一名も九時半に呼出しているのに来ないので待つていたというのであるが、三時間経つても来ないことは面接を受ける意思がないとみるのが妥当であつて、「待機」という公務は余り意味のないことであり、また「総括検討」は、この時にどうしてもやり遂げなければならない必要はなく、結局、被告人らが入室した時点では、大南主事らは大して重要な仕事に従事していたわけではなかつたので、被告人らの申入れ、要求に応じて任意に公務を中断したのであるから、公務執行妨害にいう公務は存在しないというのである。

しかし、さきに認定したとおり、被告人らが入室した際には、面接試験を担当していた大南(首席)、大槻らの人事主事は、執務机で面接終了者について総括検討、面接書類の整理をしたり、あと一名の面接予定者の書類に目を通すなどすると共に、右面接予定者が来訪すれば面接を実施すべく待機していたのであり、大南(首席)、大槻人事主事らが引き続き公務である面接事務に従事していたこと、ところが、前記被告人五名は退職勧奨の中止、人事異動について人事主事に要求する目的をもつて、あらかじめ何の連絡もなく不意に無断で前記会議室に入室し、大南(首席)、大槻人事主事らに対し、こもごも「退職勧奨を中止しろ。人事異動について話をしろ。表へ出ろ。市長も代わつたんや、出て話をせい。出えへんかつたら、いつまでも、ここに頑張つてやる。」などと怒号し、大南、島田両首席人事主事が「人事問題については交渉しないことになつている。面接試験、人事異動に必要な資料の作成事務の支障になる。」と言つて退去を要求したのに、被告人五名はこれに激高して、大南首席人事主事を室外に連れ出そうとして同主事に対し暴行に及び、更にこれを制止しようとした大槻人事主事に対しても暴行に及んだものであつて、被告人らの目的は、さきに説示したとおり交渉の「当局」に当たらない人事主事に対するものであつて、地公法五五条にいう適法な交渉の申入れとは認められないものであり、被告人らの入室により、右人事主事らは各職務の執行を事実上一時的に中断せざるをえなくなつたものであつて、その職務の執行を自ら放棄し、又は自発的にその職務の執行から離脱したものでないことが明らかであり、したがつて、右人事主事らの各職務の執行が一見中断ないし停止されているかのような外観を呈したとしても、その状態が被告人らの不法な行動によつて作出されたものである以上、これをもつて人事主事らが任意、自発的にその職務の執行を中断し、その職務執行が終了したものと解するのは相当ではない(最高裁判所昭和五三年六月二九日判決・刑集三二巻四号八一六頁参照)。所論の「待機」及び「総括検討」の公務についての見解も独自の見解に基づくものであつて採用できない。もつとも、さきに認定したとおり、その後被告人湯浅が中心となつて大南首席人事主事らに対し、動員をかけると言つたり、室内電話で組合本部に対し来室を呼びかけるなどして、執ように話合いのため外に出ることを要求したため、大南(首席)、中辻両人事主事が、このままでは面接試験ができなくなることをおそれ、やむなく被告人らの要求に応じ、校庭に出て被告人らと話合いをしたことが認められるが、これは前記公務執行妨害成立後の事情に過ぎず、これを目して公務を任意に中断して交渉に応じたものといえないことはいうまでもないところである。以上のとおり、大南(首席)、大槻両人事主事に対する公務執行妨害罪の成立することは明らかであるから、所論は採用し難い。

弁護人の所論は、被告人湯浅らの大南(首席)、大槻各人事主事に対する行為が公務執行妨害行為に当たるとしても、被告人らは組合役員として人事異動の差し迫つた直前の時期に、組合員に対する退職勧奨、配置転換などで人事主事と緊急に交渉、話合いを持つ必要があつたので、教職員組合の正当な団体交渉申入れの行動の一環としてなされたものであり、これに対して人事主事の不誠実な応対、とりつくしまのない態度等、労使の対抗関係の中で相手の対応から起つた一瞬の偶発的出来事であり、大南主事に対する有形力の行使について被告人湯浅が大南主事の背後から外へ出るように促す際に、立つように力を入れて立ち上がらせる動作があつたとしても、瞬時のトラブルで大南の身体に対する被害といつても、取り立てていうほどのものではなく、また大槻主事に対する有形力の行使について、被告人湯浅が突然体当りをして来た大槻主事に対して、不意の唐突な動作に抗議して胸の名札で名前を確認した際、被告人湯浅の手が同主事の胸に当たるとか、また同主事を押し返す動作の際、被告人杉本、同中谷も現場にいて同じように押し返す行為に加わつたと認定されたとしても、これまた積極的な加害行為ではなく、同主事の異常な行動に対応した瞬間的、偶発的ハプニングであつて、特に同主事の身体に対して被害があつたわけではなく、公務に対する支障についても、前述のように中学校の面接は終わつており、待機並びに総括検討中の状態なのだから、差し支えといつてもさほどのことはなく、総括検討にしても、その時どうしても仕上げなければならない仕事ではなく、融通性のきくもので、公務への影響は小さく、被告人らが同室内に入室したのは原判決認定でも一二時三〇分ころであり、退室時刻は零時五〇分ころであるから、最大限でも約二〇分間同室内で滞留したにとどまり、その間も、後半の七、八分は大南主事を挾んでの比較的平穏な話合いがなされていたことは、同人らも認めているところであつて、仮に公務に支障があつたとしても短時間であり、また、現に実施中の小学校教職員新規採用予定者との面接試験を一時中断させたとしても、その面接の邪魔にならないようにとの配慮もあつて外へ出ることになつたもので、小学校関係の面接に与えた支障も僅かで、被害は軽微であり、事後に校庭に出て大南主事らとの交渉は約一時間にわたつて行われ、交渉の実を挙げたことなどを考慮すると、予備交渉・事前連絡を経なかつたことのかしは治癒され、被告人らの行為を全体的に観察して、団体交渉を実現するための組合役員としての正当な行為であつたというべきであつて、被告人らの公務執行妨害の行為は実質的違法性がない、というのである。

しかし、さきに説示したとおり、被告人らの話合いを求めるという事項は特定の教職員に対する退職勧奨に抗議し、その中止を要求することを主眼としたもので、地公法五五条三項にいう管理運営事項に係るもので交渉の対象とすることはできないものであり、話合いの相手とする人事主事らは交渉当事者適格を欠くなど適法な交渉の申入れとはいいがたく、陳情の性質を持つものとして、人事主事らにおいて、これに任意に応ずる場合にのみ認められるものであるのに、これに応じない人事主事らを無理矢理に外へ引つ張り出して話合いをしようとし、大南主事らに対し、さきに認定したとおりの暴言をあびせ、同主事及び大槻主事に対し暴行を加えて両主事の公務の執行を妨害したものであつて、入室してからの状況、被告人らの行為の態様、人事主事らの対応についての事実関係は、所論にいうものとは全く異なるものであり、さきに認定の被告人らの動機目的等を十分考慮しても、被告人らの本件行為は正当な組合活動とは認められず、暴行の態様、程度、公務執行妨害の程度等一切の事情を考慮しても、本件公務執行妨害について実質的違法性がないとはいえない。所論は採用し難い。

以上のとおりであつて、原判示第二の事実に関しては、原判決には各所論のような事実誤認及び法令の解釈、適用の誤りはないから、各論旨はいずれも理由がない。

第六弁護人並びに被告人湯浅、同中谷、同佐藤、同木下、同杉本、同北小路、同岡本、同北村の各控訴趣意中、原判示第三の事実に関する事実誤認及び法令の解釈、適用の誤りの主張について

各論旨は、要するに、弁護人らにおいて、原判決は、その判示第三において、被告人湯浅、同中谷、同佐藤、同木下、同杉本、同北小路、同岡本、同北村の八名の市高教組、市中教組、市教組の組合員約四五名との共謀による昭和四二年三月一四日の前記日彰分室会議室への建造物侵入、同室及びその東隣りの作法室において人事異動に要する資料作成等の公務に従事中の首席人事主事島田延治、人事主事中辻澤蔵、同田中英二、同大槻隆二外六名及びたまたま同分室に来合わせていた首席指導主事渡辺博外一名に対し同日午後四時四〇分過ぎころから翌日午前一時三〇分ころまでにかけて人事異動等について理由を糺すなどしていた際における、一 右被告人八名の前記教組員約四五名との共謀による中辻澤蔵人事主事に対する共同暴行を手段とする公務執行妨害、二 被告人佐藤を除く右被告人七名の教組員約四五名との共謀による(一) 田中人事主事に対する共同暴行を手段とする公務執行妨害、(二) 島田首席人事主事に対する暴行を手段とする公務執行妨害、(三) 大槻人事主事に対する共同暴行を手段とする公務執行妨害、三 右被告人八名の右教組員約四五名との共謀による渡辺首席指導主事に対する共同暴行の各事実を認定し、それぞれ該当法条を適用しているが、被告人ら八名は、原判示第三の冒頭に記載の経緯等から、日彰分室へ出頭するよう呼出しを受けた老齢教諭二名に対する退職勧奨を即時中止することと人事異動に関して人事主事と交渉することの目的をもつて教組員らとともに前記日彰分室に赴き、まず右被告人八名を含む市教協役員約一〇名が会議室に入室して大南首席人事主事らに交渉の申入れをし、同主事らも結局交渉に応ずる旨答えたので、廊下で待機していた組合員らに指示し、組合員約四〇名も入室したものであつて、被告人らの入室行為は建造物侵入とはならないから、建造物侵入罪の法条を適用した原判決は法令の解釈、適用を誤つたものである。また、原判示の被告人や組合員らが同判示の首席人事主事、人事主事あるいは首席指導主事に対して暴行を加えた事実はなく、したがつて、同判示の八名又は七名の被告人が会議室内にいた約四五名の教組員らと共謀して右主事らに暴行を加えた事実もなく、かつ、人事主事らとの交渉開始によつて同主事らの公務は任意に中断されていたものであり、いずれにしても公務執行妨害の事実はないから、人事主事らに対する公務執行妨害、首席指導主事に対する共同暴行の各事実を認定し、該当法条を適用した原判決は、証拠の取捨選択、評価を誤つた結果、事実を誤認し、法令の解釈、適用を誤つたものであり、仮にその事実があるとしても、実質的違法性がないから、これに公務執行妨害又は暴力行為等処罰に関する法律の各法条を適用した原判決は右法令の解釈、適用を誤つたものであつて、以上の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるといい、被告人湯浅、同中谷、同佐藤、同木下、同杉本、同北小路、同岡本、同北村において、それぞれ、原判示第三の各関係事実につき、建造物侵入、暴行を手段とする公務執行妨害の事実がないのに、これを肯定し、該当法条を適用した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認及び法令適用の誤りがあるというのである。

そこで検討するに、原判決挙示の対応各証拠によれば、原判示第三の事実は、所論の共謀の点を含め、優にこれを認めることができ、原判決が「争点に対する判断」の項中、原判示第三の建造物侵入、中辻、田中、島田(首席)、大槻各人事主事に対する暴行を手段とする公務執行妨害並びに渡辺首席指導主事に対する共同暴行を認定した理由を説示するところは首肯することができるのであつて、当審における事実取調べの結果によつても、右認定を左右することはできない。すなわち、右証拠によれば、

(一)  昭和四二年三月一四日(火)の朝、市教協常任幹事会が行われていた際、市立高等学校の老齢教諭二名に対して、同日午後に日彰分室に出頭を求める旨の市教委からの呼出しがあつたとの報告が入つたことから、右両教諭に対する退職勧奨に抗議し、これを即時中止させるとともに、人事主事らに対し、これまでの市教協側の要求を無視した人事異動等の責任を追及し、あわせて今後の人事異動について要求するため、人事主事らと交渉することを決定し、これを受けて、市高教組、市中教組、市教組においても右決定を了承し、各組合の執行委員並びに各分会の人事対策委員らが、同日午後、右日彰分室へ赴くこととなり、被告人湯浅、同中谷、同佐藤、同木下、同杉本、同北小路、同岡本、同北村ら八名は、同日午後四時四〇分ころ、市教協関係組合員約四五名と共に日彰分室へ押しかけた。

(二)  当時、日彰分室会議室には、教職員課首席人事主事島田延治、人事主事中辻澤蔵、同田中英二、同宮木亮康、同梅田義春、同青山幸光、同吉水純平、同荒良木正夫の八名、その東隣りの作法室には、同課首席人事主事大南孝男、人事主事大槻隆二合計一〇名の人事主事が在室して、それぞれ教職員の定期人事異動に関する資料作成事務等を行つており、学校指導課首席指導主事渡辺博、指導主事池田晴行が人事異動に関する事務連絡のため右作法室に来ていた。日彰分室では教職員の人事異動という機密保持を必要とする事務が行われていたため、会議室北東部出入口扉の外側には無断入室禁止の貼紙が掲示されていた。

(三)  前記被告人湯浅ら被告人八名は、前記日時ころ、市教委側にあらかじめ連絡をすることもなく、前記無断入室禁止の貼紙を無視して会議室北東部出入口扉を開け、被告人湯浅を先頭にして、被告人湯浅が「これまでの人事行政をただしに来た。抗議しに来た。」と大声で叫びながら、数名の教組員らとともに無断で入室し、引続きその余の約四〇名の教組員らも続々となだれ込むように同室に入室した。被告人湯浅らが入室当初は、同室にいて小学校の新規採用教員数の整理、交流人事の資料の整理をしていた前記島田首席人事主事が、また、しばらくして東隣りの作法室で渡辺首席指導主事、池田指導主事らと教員配置に関する連絡協議後、懇談中に騒々しさに気づいて会議室に来た前記大南首席人事主事が、それぞれ被告人湯浅らに対し「公務中であるから出て行つてもらいたい。」と退去を要求したが、右被告人らはこれを無視し、右島田、大南両首席人事主事並びに同じく人事異動に要する資料作成事務等に従事中の中辻澤蔵、田中英二、大槻隆二、宮木亮康、吉水純平、梅田義晴、青山幸光、荒良木正夫の八人事主事らに対し、「この前退職勧奨はするなと言つてあるのに、なぜ呼び出した。抗議に来たんや。人事主事は全部並べ。」「仕事を早くやめんか。」「今日は話合いをしなければ絶対に帰らん。」などと言つて、右一〇名の人事主事ら全員をそれぞれの執務していた位置から同室南西隅に移動させ、西側と南側の壁を背に横に鍵型に並べた椅子に座らせた。その間、当日、年度末人事異動に関する事務連絡のため同分室を訪れ人事主事らとの事務連絡協議後作法室で大南首席人事主事と懇談していた市教委指導部学校指導課の渡辺博首席指導主事は、指導課から電話がかゝつていたとの連絡で日彰小学校校長室へ電話を掛けに行つた際、廊下で監視していた教組員三、四名にその往き来の間、絶えずつききりで監視されたうえ、分室会議室に連れ込まれ、同室南側の人事主事らの椅子に並んで座らされ、また作法室で一人残つていた池田晴行指導主事も同室をのぞき見した被告人北小路に言われて会議室に入り南側壁を背に人事主事らの椅子に並んで座らされた(右渡辺((首席))、池田両指導主事がそれぞれ会議室に入つた際には、中辻人事主事が教組側から詰問を受けていた。)。右被告人八名は、南西隅に座らせた人事主事らの前に、他の教組員らは出入口のある廊下に面した北側と東側を背にして立ち、右人事主事らを取り囲む状態にあつた。その上で、後記(四)ないし(八)記載のとおり、被告人らが中心となつて、こもごも、高等学校担当の中辻澤蔵、宮木、小学校担当の梅田、田中、島田(首席)、中学校担当の大槻、吉水の各人事主事及び渡辺首席指導主事の順に一人ずつ名前を呼び上げ、初めは椅子に座つたまま、のちには起立させ、同主事らがこれまでとつて来た教職員に対する退職勧奨、人事異動、その他の人事に関する措置等について、個々の具体的事例を挙げながら、執ように難詰、追及し、その措置の適否について返答を求め、あるいは謝罪を要求するなどし、返答が気に入らないと「態度が悪い。生意気だ。」と怒号、難詰しながら、後記主事らに暴行を加え、あるいは「立つておれ。」、「頭を冷やしてこい。向うへ一ぺん歩いてこい。」などと命じ、大槻主事に対しては二回、吉水主事に対しては一回、数メートル離れた東側壁までそれぞれ往復歩行させ、中辻主事に対しては「こいつはしぶといやつや。」などと非難し、同人を午後五時二〇分ころから午後一〇時ころまで立たせたまま座ることを許さず、また、その間、「市長が代わつたのに、お前らの態度は変わつていない。」、「今日は徹底的にやる。」、「徹夜してでもやる。」などと言い、周囲の教組員らも口々に「そうや、そうや。」、「やれ、やれ。」、「やつてやれ」、「うそをつけ。」などと怒号し、暴行の実行行為者でない被告人や教組員らも、あるいは実行行為者と共に追及を受けている主事を取り囲んで追及、抗議、謝罪要求をし、あるいは暴行行為を眼前にしながら制止せずに、かえつてこれに同調し、もしくは助勢する状況にあつた。なお、被告人佐藤は、右高等学校担当の人事主事に対する追及が終わつたのちから渡辺首席指導主事に対する追及が始まる前ころまでの間、所用のため日彰分室を離れていた。

(四)  最初に指名した高等学校担当の中辻人事主事に対しては、被告人湯浅が日吉ケ丘高校の老齢教諭(明治三三年八月六日生、本件当時六八歳)に対する退職勧奨の件について「退職勧奨のために呼び出したのはけしからん。」と言つて激しく追及し、答えが納得できないとして「お前は悪い奴や、立て。」と怒号して起立を命じ、更に「前へ出え。」と言つて二、三歩前へ出させて追及を続け、しばらくして、被告人湯浅が同主事の胸倉をつかみ、二、三名の組合員も背中を押すなどして、二、三メートル前の同室ストーブ付近まで引つ張り出し、その後も、被告人湯浅、同杉本が中心となつて「早う返事せい。」、「こいつはしぶとい奴や。」退職勧奨を受けた先生に「謝れ。」などと怒号しながら約二時間にわたつて詰問し、その終了後元の席に座ろうとした同主事に対し、被告人湯浅が「お前みたいな悪い奴は腰かけんでもええ。」と言つて、その場に立たせ、その後小学校関係の人事主事に対する詰問に移る際に同室南側机の前に移動させ、午後一〇時ころまで立たせたままで着席を許さなかつた。

(五)  小学校担当人事主事に対する詰問の二番目に指名された田中英二人事主事に対しては、被告人杉本、同木下、同湯浅らが中心となつて、被告人杉本が醒泉小学校から市原野小学校へ配置転換した教諭を校長が特殊学級の担任にしようとしているのは市教委の指示に基づくのかと追及し、同主事が知りませんと答えたのに対し、更に市原野小学校の今井校長に電話を掛けて指示を受けたかどうかを確認するよう要求し、被告人湯浅が職員録を持ち出して来て同校長宅の電話番号を示し、電話するよう要求したが、同主事がこれに応じなかつたので、被告人杉本らはこれに激高し、同主事に対し、「前へ出え。」と命じて前に出た同主事に対し「態度が悪い。」と怒号して、被告人杉本が同主事の右腕上部を二回押し、「もつと前へ出よ。きようは、富井市長が市原野の方へ行つているから、お前も市原野の方へ連れて行く。」旨申し向け、同主事の右腕をつかんで引つ張り、被告人湯浅のほか二、三名の組合員もこれと共同して同主事をつかみ、背中を押すなどして同主事を同室内ストーブの西南側付近から北東辺まで引つ張り出した。そのうちに、島田首席人事主事と市原野小学校校長との電話による話合いの結果、同校長が指示を受けたのは人事主事ではないことが分つたので、田中主事に対する詰問は終つた。

(六)  田中人事主事の次に指名された島田首席人事主事に対しては、被告人杉本、同木下らが中心となつて詰問に当たり、同室西側の同主事の机を挾んで東を向いて椅子に座つている同主事に対し、被告人杉本も椅子に座つたままで、机上に置いてあつた同主事の長さ約三〇センチメートルくらいのセルロイドの物指しで机をバンバン叩きながら、中学校から小学校への人事異動について、「なんで、こんな人事やんのや。強制配転やないか。市長が代わつてんのに同じやり方やつとるやないか。」と厳しく追及し、他の組合員もこぶしで机を叩いて同様に詰問したのに対し、同主事が人口のドーナツ化現象と小学校の教員不足からどうしても周辺の小学校に教員を配置する必要があるなど市教委の人事異動の基本方針を説明するとともに、市長が交替しても、右方針に変更はなく、新たな指示も受けていない旨応答したところ、被告人杉本はこれに激高し、いきなり椅子から立ち上がつたうえ、右机の南側を回つて同主事に近づき、椅子に座つていた同主事の右方向からその右肩付近を右手で一回突きとばし、椅子ごと左斜め後方に左を下にして床上に転倒させ、そのために同主事が掛けていた眼鏡が外れて、その手のひらの上に落ち、転倒したとき両足が上にあがつて両足のスリツパが脱げて飛んだ。同主事が起き上がつて、椅子を元に戻したとき、「悪い奴や、立つとれ。」と言もれて立つていると、右のスリツパが約二・五メートル右方の隅の花びんの下にあつたので、それをはき、左のスリツパは誰かがほつてくれたので、それをはいた。その後も若干の詰問があつて、午後一〇時ころ同主事に対する追及は終わつた。ここで大南首席人事主事が、時刻もおそくなつたところから、「用務員にも迷惑を掛けるので、帰つてほしい。」旨、二、三回申し出たが、被告人湯浅や被告人杉本らが「まだまだやるぞ。」とか、「徹夜でもやるぞ。」と怒号した。

(七)  小学校担当人事主事に次いで中学校担当人事主事に対する追及に移り、その最初に指名された大槻人事主事に対しては、被告人湯浅、同杉本、同北村らが中心となつて、同主事が行なつた六六歳位の洛東中学校教諭に対する退職勧奨について一時間以上もの間詰問した上、同主事がこれに対して、当該教諭には勤務状況についてとかくの風評があり、投書などもある旨答えたことに激高し、被告人杉本が同主事の胸を手で一回西側に向けて強く突いたため、同主事がよろよろと後方の机の前あたりに後退し、そこへ同被告人が近寄つた際、同被告人の膝が同主事の睾丸部に当たつたため、同主事が自分の股のあたりにこぶしを当てたところ、これを身構えたものと思つた同被告人が「こいつ、暴力を振いよるぞ。」と言い、他の組合員らも「悪い奴や。引つ張り出せ。」と怒号し、同被告人や氏名不詳の数名の組合員らが同主事の胸倉をつかむなどして同室のストーブの西北角付近まで引つ張り出し、更に、その位置で、被告人杉本、同湯浅、同木下、同北村、同岡本、同中谷らが、同主事を取り囲んで、口々に「謝れ。」と怒号しながら、同主事を小突き、あるいは同主事の後頭部を上から押えながら、二、三度前へ下げさせ、その後被告人湯浅が同主事に対し「一回頭を冷やして来い。」と言つて、同主事をして東の側壁あたりまで二回歩いて往復させた。大南首席人事主事は大槻主事の顔色が真つ青であるのを見、これ以上同主事に対する詰問が続くのを案じて、同主事のそばに寄つた上、同主事が投書や風評云々と言つたことについて、市教委は投書や風評などによつて人事異動はやらない旨申し述べ、これに対し被告人岡本が「今、こいつが言いよつたやないか。」「どうするのや。」と言い、大南首席人事主事が自分の責任で措置する旨答えて、大槻主事に対する詰問が終わつた。

(八)  中学校担当の宮木人事主事に対する詰問が終わつたのち、そのころ会議室に戻つて来ていた被告人佐藤を含めて前記被告人八名は、他の教組員約四五名とともに、渡辺首席指導主事に対する追及に移り、被告人湯浅、同杉本、同木下らが中心となつて、同主事に対し、前に出るよう命じ、事務室西南隅の位置で一メートル位前に出て立つた同主事に対し、文部省の行ういわゆる伝達講習会に職務命令で参加させたことについて追及し、「命令研修は今後やらないと言え。」などと迫つたが、これに対し、同主事が「今後やらないとは言えない。」旨答えたところ、この応答を不満として激高し、口々に「命令研修はやめろ。」などと怒号し、被告人湯浅が「お前はそんなに悪い奴か。もつと前へ出よ。」などと怒号しながら、同主事の胸倉をつかみ、被告人木下と数名の他の組合員とが同主事の背中を押して、同主事を同室西南隅から前記ストーブの西北角付近にまで引つ張り出し、被告人中谷、同佐藤、同北村らも加わつて同主事を取り囲み、同主事の体を小突くなどして追及しながら、更に同主事を同室北側に置かれた長机の際まで押して行き、長机に阻まれ立ち止つて南側を向いていた同主事に対し、「研修をさせたことを謝れ。学校に国旗を配り、道徳教育をやり、軍国主義の教育をやつているのはこいつや。」などと追及し、その際同主事の北側にいた組合員の一人が「高知での倫理社会の研修に命令で参加させられ迷惑した。」との発言があつたのをきつかけに、同主事に謝罪を要求し、同主事が「あの時は大変ご苦労をおかけしました。」と言つたところ、これに対して「そんなわびの仕方があるか。」「お前は悪い奴や。詫びろ。」などと怒号しながら、腰を後ろの机に当てて立つている同主事に対し、被告人湯浅、同木下ら数人でその前方から胸や肩を押して同主事の上半身を二回机の上にのけ反らせ、同主事がようやく「詫びる。」と言つたので、手を離したところ、同主事が「どうもすみませんでした。」と言つて詫びた。すると、被告人湯浅が「あんたが、もつと早く詫びたら、こんな目に合わんとすんだんや。」と言つた。同主事に対する詰問が終つたのは翌一五日午前一時三〇分ごろであつた。

(九)  このようにして、前記中辻、田中、島田(首席)、大槻の各人事主事は、前記公務に従事中、無断入室して来た被告人らから、前記暴行を受け、公務をとることができない状態となつた。

以上の事実が認められる。

右認定に反する前記被告人八名の原審及び当審公判廷における各供述、原審証人田村泉、同吉村克之、同中村寅四郎、同大釈泰子、同今井徹、同上田義昭、同尾関礼次郎、同晴[木皮]智、当審証人医王滋子、同古川秀夫、同阪田静子、同佐藤良輔の各証言は、原判示第三の事実認定に用いた関係証拠に対比し措信し難い。

以上に認定の事実によれば、前記被告人湯浅ら八名は教組員約四五名と共に日彰分室会議室に無断入室するについて意思連絡があつたこと、及び中辻人事主事に対する被告人湯浅外二、三名の組合員らの暴行、被告人佐藤退席中における田中人事主事に対する被告人杉本、同湯浅外二、三名の組合員らの暴行、島田首席人事主事に対する被告人杉本の暴行、大槻人事主事に対する被告人杉本、氏名不詳の数名の組合員、被告人湯浅、同木下、同北村、同岡本、同中谷らの暴行、右中辻、田中、島田(首席)、大槻各人事主事に対する公務の執行の妨害並びに被告人佐藤が戻つたのちの渡辺首席指導主事に対する被告人湯浅、同木下、氏名不詳の数名の組合員、被告人中谷、同佐藤、同北村らの暴行のあつたことが明らかであるが、右中辻人事主事に対する暴行したがつて公務執行妨害につき右被告人八名と約四五名の教組員とが共謀したものかどうか、また、右田中、島田(首席)、大槻各人事主事に対する暴行したがつて公務執行妨害につき被告人佐藤を除く右被告人七名と約四五名の教組員とが共謀したものかどうか、更に渡辺首席指導主事に対する暴行につき右被告人八名と約四五名の教組員とが共謀したものかどうかについてみるに、被告人八名及び約四五名の教組員は、いずれも前記共通の意図、目的の下に意思相通じて共に日彰分室会議室に無断で入室した上、前記のとおり各主事に対し、起立させ、怒号をあびせるなどして、いわばつるし上げ同然に長時間にわたり詰問ないし追及をし、前記被告人や教組員の一部の者が前記中辻ら五名の主事に対し次々に暴行に及んだ際、又はその前後において、実行行為に出ていない者も、単に同席して傍観していたのではなく、あるいは実行行為者と共に被害者を取り囲んで追及・抗議・謝罪要求等を行い、あるいは暴行行為を眼前にしても制止せずに、かえつてこれに同調し、もしくは助勢する挙動を示していたことなどの事実に徴すると、暴行の実行行為者を中心として前記被告人八名又は七名と約四五名の教組員とがまさに一心同体となつて、相互に犯行の認識、認容の下に原判示第三の各行為に及んだものであることが認められるから、被告人らにつき前記認定の暴行ないしは公務執行妨害について、その被告人相互間及び約四五名の教組員らとの共謀があつたものというべきが相当である。

弁護人の所論は、原判決が、「争点に対する判断」中、原判示第三の一の「中辻主事に対する暴行を認定した理由の要旨」の項において、原審証人中辻澤蔵の供述内容を掲記し、同証人が被告人から有形力の行使を受けたことについて具体的かつ詳細な供述をしていること及び原審証人大南、同島田、同梅田、同池田、同青山は、いずれも、中辻が追及を受ける過程で被告人らから引つ張り出された旨一致して供述していることを中辻証言の信用性を肯定する理由にあげている。しかしながら、証人中辻の供述内容は、原判決がいうほど具体的でもなければ詳細でもなく、殊に原判決が判示第三の一で認定している被告人らが中辻人事主事の胸倉をつかんだ旨の具体的な供述は、どこにも見当たらない。更に前記のように証人大南、同島田、同梅田、同池田、同青山が被告人らから引つ張り出された旨一致して供述しているというが、胸倉をつかんで引つ張り出した点については、その供述内容は、まちまちであつて全く一致していない。なるほど、中辻主事が引つ張り出されたという点では一致している供述もないではないが、その供述内容を具体的に検討すると、暴行の態様、位置関係、時期、場所、暴行を加えた被告人が誰か、一人か複数か等について、いずれも相互に食い違いや矛盾が多数存在する。他方、原審における吉水、田中、渡辺の各証人がその供述中において、中辻人事主事に対して暴行が加えられたことを明確に否定していることは重要である。しかるに、原判決は前記項中の説示において「証人大槻、同吉水、同田中、同渡辺はいずれも右中辻に対する暴行の存在を否定したとも解しうる供述をしていることは、弁護人主張のとおりであるが、右各証言の供述経過、内容を詳細かつ具体的に検討すると、いずれも右中辻に対する暴行を明確に否定する証言内容であると解されず、これら証言をもつて前記中辻らの各証言の信用性を否定することはできないと、いうべきである。」という。確かに証人大槻の供述には若干不明確なところがあるけれども、吉水、田中、渡辺の各証人の供述は中辻主事に対する暴行を明確に否定しているのであつて、これを明確に否定した証言内容とはみない原判決の証拠評価は偏見と予断に基づく以外のなにものでもなく、全く恣意的としかいいようがない。右各証人は、被告人らに対し悪感情を持ちこそすれ、殊更に有利な証言をすることなど、およそ考えられない立場にあることからすれば、前記暴行を否定する証言の信用性は極めて高いといわなければならない。旨るる主張し、原審証人中辻澤蔵、同大南、同島田、同梅田、同池田、同青山の各証言は、いずれも信用性がないというのである。

しかしながら、右所論の中辻澤蔵ら六名の証言の信用性に関する当裁判所の判断は、原判決が「争点に関する判断」中の前記項において詳細に説示するところと同一であつて、所論中、原判決が判示第三の一に認定している被告人らが中辻人事主事の胸倉をつかんだ旨の具体的な供述はどこにも見当たらないことを指摘する点は、原審第七八回公判(昭和五三年五月八日)において、証人宮木亮康が「被告人湯浅が、中辻がなかなか返事をしなかつたので、立つている中辻の胸倉をつかんで後ろの方に手をまわして揺さぶつていた。」と明確に供述し、原審第八二回公判(同年七月一七日)において、証人大槻隆二が「中辻主事が胸倉をつかまれたり突き飛ばされたりして……」と供述しているところからして、右の指摘が誤りであることは明らかであり、また、所論中、本件現場にいあわせた証人大槻、同吉水、同田中、同渡辺は、いずれも中辻に対する暴行の存在を否定したとも解しうる供述をしていることは弁護人主張のとおりであるが、右各証言の供述経過、内容を詳細かつ具体的に精査すると、この点に関する証言内容はいずれも単純に過ぎ、右中辻に対する暴行を明確に否定するものであるとは解されず、これらの各証言をもつて具体的かつ詳細な中辻証言及びこれと大綱において一致している証人大南、同島田、同梅田、同池田及び同青山の各供述の信用性を否定することはできない。この点に関する原判決の説示に採証法則上不合理な誤りがあるとは考えられないから、所論は採用し難い。

弁護人の所論は、原判決が「争点に対する判断」中、原判示第三の二の(一)の「田中主事に対する暴行を認定した理由の要旨」の項において、原審証人田中英二の証言は具体的かつ明確であつて自然であるうえ、原審証人梅田、同島田の証言によつて補強され、同大南、同渡辺、同宮木、同池田、同青山らの証言は、大筋において、田中、梅田と同趣旨の証言をしているということで、田中に対する暴行のあつたことは明らかである旨説示しているが、右田中証言によれば、被告人杉本が田中主事に対し市原野小学校の今井校長に電話をかけるよう要求したが、同人がこれに応じないので、同人の右腕上部を二回押し、その後きようは富井市長が市原野の方へ行つているから、お前も市原野の方へ連れて行くということでストーブの北東の方まで連れていかれたということであるが、今井校長に電話をかける件は島田首席人事主事が電話をかけたことによつて解決できたことで、田中主事に対して電話をかけさせることに固執してストーブ北東まで引つ張り出す必要性は何ら存在せず、更に富井市長が山間部の僻地校である市原野小学校へ、しかも夜間に行つているはずもなくそういうことを組合側が言うはずもないのであつて、このようないいかげんな証言をする田中証言自体信用性がなく、また原判決が迫真性の高い具体的供述をしているという梅田証言は、被告人杉本の暴行の点について、検察官の主尋問ですらあいまいであつたものが反対尋問では完全にこれを否定しているのであつて、このような証言をもつて迫真性の高い供述とはいいがたく、更に、島田、大南、渡辺、宮木、池田、青山の各証言も、それぞれがあいまい、かつ、矛盾をはらみ、証言相互の間においてもそごし整合性を欠いていて信用性がない旨るる主張するのである。

しかしながら、所論の原審証人田中英二の証言に関しては、今井校長との電話の話があつたのは、所論とは異なり、さきに(五)に認定したごとく、田中主事をストーブの北東辺まで引つ張り出したのちのことであつて、それまでに被告人杉本、同湯浅らの暴行があつたものであり、また、富井市長が真実は市原野へ行つていた事実がなかつたとしても、所論の点から直ちに右証言がいいかげんなものとはいい難く、同証人の証言内容(原審第八四回、第八五回公判)を検討しても、同証言は十分信用するに足るものであり、また、所論の原審証人梅田義春の証言に関しては、同証人は原審第八七回公判(昭和五三年一〇月一六日)において「被告人杉本が特殊学級のことで田中主事を追及し、二、三歩前へ引つ張つたようだ。二、三名の者が田中主事を急につかんで引き出した。それがストーブの西側あたりまで、つまり立つていた場所から二、三メートル、引きずり出して更に東の方へ行くような勢いであつたわけです。そこで私がそのそばにストーブがありますので、そこにでも倒されたらストーブは燃えていますので、危険だと思つて立ち上がつて止めようとしたときにはストーブをよけて東に行つてましたが、そこに被告人木下がおりましたので、『話せばわかる、暴力を使うな。』という意味のことを被告人木下に言つた覚えがあります。引つ張つて行つたのは、三、四名で、引つ張つた距離は、最初立つたところから三、四メートルか、もう少しあつたかもしれません。」旨証言し、田中主事を引つ張り出し、引つ張つて行つたことについては繰り返し証言しており、次の第八八回公判(昭和五三年一一月六日)において、弁護人の反対尋問に対し、次の問答がなされている。(問)田中さんが前の方へ引つ張り出されたというふうにあなたはおつしやつてますね。前回ね。(答)……(うなづく)。(中略)(問)田中さん何メートル位前に出たんですか。(答)最初はあまり出ないで立つて答えておりました。(問)その次に、また前へ出たんですか。(答)立つた場所で答えておりました。あるいは立つ時に一歩位は出たかもわかりません。(問)その後前へ出たことはないわけですか。(答)……となつていて、右最後の問いに対しては答がないままにこの点に関する尋問は終わつていて、主尋問の際の引きずり出したとか引つ張り出したとの証言に対する真否については反対尋問をせずに終わつている。したがつて、このような反対尋問をもつて検察官の主尋問の際の有形力行使を肯定した証言を完全に否定したものとはいい難く、右肯定した梅田証言は措信するに足るものであつて、原判決が「迫真性の高い具体的供述」と評価したことが過大であるとはいえない。その他所論の島田、大南、渡辺、宮木、池田、青山の各証言に関しては、右各証言は、本件発生後早いもので約八年一〇か月後、おそいもので約一一年一一か月後ものちになされたものであり、それぞれの知覚、記憶、表現、注意力、場所的関係等にもより、ある程度の差異があることは無理もないところであるものの、本件有形力行使の態様の大筋においては前記田中、梅田の証言とも互いに符合しているところからして、右各証言も措信し得るものと考えられる。右所論は採用し難い。

弁護人の所論は、原判決が「争点に対する判断」中、原判示第三の二の(二)の「島田主事に対する暴行を認定した理由の要旨」の項において、島田証言を引用し、同証言が「真実体験したものでなければ到底述べられない程の詳細かつ具体的なものである」とし、大南、中辻、宮木、大槻、吉水、田中、梅田、渡辺、池田、青山の各証言が、(1)  島田が椅子ごと後方に転倒し、あるいは転倒しそうになつた旨、島田証言に沿う供述をし、(2)  メガネが外れた、あるいはスリツパが飛んだなど具体的な事実について島田証言と一致する供述をし、(3)  併せて、当時日彰分室が相当険悪な状況にあつたこと、をもつて、島田証言が十分信用できるとしている。しかし、原判決は、単に島田証言の一部を引用し、あとは、他の検察側証人の証言を十把一からげにして、島田主事が椅子ごと後方に転倒し、あるいは転倒しそうになつたこと、あるいは眼鏡が外れたり、スリツパが飛んだという部分的証言だけを取り出して島田証言と一致する供述をしていると説示し、島田証言を信用できるものとしているにすぎない。すなわち、島田証言を含め前記証人らの証言は、(1)  暴行の加えられた方向、(2)  暴行の加えられた島田主事の部位、(3)  行為の態様、(4)  暴行を受けた後の島田主事の状態等、重要な点においてことごとくバラバラであり、到底信用のおけるものではない旨るる主張するのである。

しかしながら、右所論の島田延治らの証言の信用性に関する当裁判所の判断は、原判決が前記要旨の項において詳細に説示するところと同一であつて、前記原判決の説示に掲記する島田証言は、当の被害者の供述として、詳細かつ具体的で迫真性があり、その他の大南、中辻澤蔵、宮木、大槻、吉水、田中、梅田、渡辺、池田、青山ら一〇名の証人は、島田が被告人杉本(但し、吉水、梅田、池田、青山の各証人は、行為主体が誰れであるかを特定していない。)に突かれ、あるいは押されて椅子ごと後方に転倒し、あるいは転倒しそうになつた旨供述し、しかもその際、島田の眼鏡が外れたことを大南、中辻澤蔵、大槻、梅田、渡辺、青山ら六名の証人が供述し、島田のはいていたスリツパが飛んだことを大南、中辻澤蔵、宮木、大槻、田中、梅田、池田、青山ら八名の証人が供述しているのであつて、右大南ら一〇名の証人の証言は、いずれも事件発生後早いもので約八年一〇か月後、おそいもので一一年一一か月後ものちになされたものであり、目撃証言として互いにある程度の差異があることは長年月後に記憶を喚起して供述する際避け難い事象であるけれども、本件被告人杉本の島田に対する有形力行使の態様の大筋においては、前記島田証言とも符合しているところからして、島田証言を含め、右各証言は措信し得るものと考えられる。右所論は採用し難い。

弁護人の所論は、更に、原判決が「争点に対する判断」中、原判示第三の二の(三)の「大槻主事に対する暴行を認定した理由の要旨」の項において、原審証人大槻の証言内容及び同大南の証言内容を掲記し、両証言内容がほぼ一致するとし、右両証言は充分信用できる旨説示しているが、右両証言内容はくい違つており、ことに大槻証言は誇張、わい曲が多く、両証言とも信用性に欠けるというのである。

しかしながら、原判決が右理由の要旨の項に摘示する証人大南の原審第六一回公判(昭和五一年一月二九日)における大槻主事に対する有形方行使に関する証言内容は、その供述の経過に照らし迫真的で臨場感があり、同証人は同公判において「大槻主事が投書その他で教育委員会が人事計画を策定するというよりにとられそうな言葉を言つたので私は組合員らのつるし上げがこれ以上ひどくなつたらいかんと判断し、その弁明のためストーブの南東、大槻の南に移動し、組合員らに対し、『委員会は投書とかそんなことで人事異動はやらない。』と言明したところ、被告人岡本が『今、こいつが言いよつたやないか。』と反ばくするので、私は率直に『言うたことについてそれは悪い事や。』『私の責任で措置する。』と答えたところ、事態が一応収拾した。」旨供述しており、この供述も事態の推移に一致する真しな供述と受けとれるのである。もつとも、所論も指摘するように、証人大南は原審第六一回公判(昭和五一年一月二九日)においては、「被告人杉本が大槻の胸か、その辺が今記憶が確かでないけれども、つかんで前へ出し、後ろから押すという人もあつて、ストーブの西北角あたりまで引つ張り出した。」旨供述したが、それから約三年後の原審第九二回公判(昭和五四年二月五日)(同証人としては七回目で最終の尋問)においては、弁護人の尋問に対し、次のとおり答えている。すなわち、(問)大槻さんがストーブの西北まで移動したのは、先程のあなたの証言ですと、だれか組合員知らないけれども、後ろから押した人がおつたと、それと前に出えと言う組合員の促す発言があつて、西北まで移動したと言われましたね。(答)はい。(問)そうすると、杉本さんが胸倉なんかを引つ張つて連れて行くし、後ろからはだれか組合員が押しているんではないんですね。(答)今、ここで明確に言われると、ちよつと、その辺の記憶はあいまいですけれども、その押す、引つ張るというのは杉本さんか、湯浅さんか、だれになつてくるかというと、この人ということは……。(問)証言を変えちやいけませんよ、あなたが自ら証言したのち、私が確認したでしよう。そのときは、だれか知らないけれども、組合員が押したと、それと前に出えと言う促す発言でですね、西北まで移動したと言うたんじやないんですか。(答)引つ張つた人おると思うけれども、明確じやないから、名前を出さなかつたんです。との問答のように、引つ張つた人はおると思うが、それがだれか明確ではない旨証言していることが認められるが、前者の証言は事件当時の経過について詳細に供述している際の証言で、前後の供述内容からして信用性があるのに対し、後者の証言はその約三年後の、病気による約三年間の中断後になされたもので、しかも事件当時の経過の一部についての尋問に対しての証言で、証人としても記憶の薄れのために記憶喚起ができないところから出た証言であることがうかがわれるので、後者の証言をもつて前者の証言を左右するには足りないと思料される。また、原判決が右理由の要旨の項に摘示する証人大槻の証言内容は、その供述の経過に照らし、特に誇張、わい曲として指摘できる部分はなく、大南証言とのそごもそれ程なく、大南証言によれば、「杉本か湯浅のどちらかが大槻の後頭部を上から押えながら『謝れ。』『謝れ。』と二、三度上から押えつけるような形で前へ下げさせた。」というのに対し、大槻証言は「退職勧奨の追及に対して返事が適当でないということで被告人杉本、同湯浅が中心になつて首筋をつかんだり、『謝れ。』と言つて小突いて連れ回されて、最後にストーブの横へ引き出され、そこで相当厳しく胸倉をつかまれたり、みんなで寄つてたかつて暴力を振るわれた。」というのであつて、原判決が大南証言と大槻証言とほぼ一致すると評価したことに誤りがなく、所論は採用し難い。

弁護人の所論は、原判決が前記理由の要旨の項において、「証人中辻(澤蔵)、同田中、同池田、同島田、同梅田、同宮木、同渡辺、同青山はいずれも右大槻、同大南の各証言と大筋において一致した具体的な供述をしている。」と説示しているが、なぜか吉水証言を挙示していないが、大槻と同じく中学校関係の人事主事でこの日大槻のすぐ南隣にいた吉水証言を普通なら他の人事主事の証言にもまして信用すべきなのに、なぜ原判決は信用しないのか、挙示すらしていないのが全く不自然である。前記説示内容も粗雑であるが、吉水証言によれば、「大槻が吉水の真横にいるときは、大槻が倒れるとか、そういうようなことはなかつた。」というのであり、また「大槻がストーブ北西まで行つたのについても何らかの有形力の行使があつたかどうか不明である。」ということになる旨主張する。 しかしながら、原審証人吉水に対しては、大槻に対する被告人らの暴行の有無について検察官の的確な質問がなされておらず、吉水証人は、菊井教諭の退職勧奨について、大槻は組合員らからきびしく追及されたと抽象的に供述するにとどまつており、弁護人の質問に対しても、あいまいな供述をしているけれども、全体として大槻に対する暴行の点を積極的、かつ、明確に否定する趣旨の供述をしているものとは認められず、原判決が吉水証言を特に重視しなかつたことは、それなりに理由があると認められるから、所論は採用し難い。

弁護人の所論は、原判決の前記理由の要旨の項には被告人北小路が全く出てこない不自然さがある。同被告人は当時中教組の書記長であつて、本件の際も中学校関係では同被告人が中心となつて大槻、吉水を追及しているのに、原判決は同人の行動に全く言及していない不自然な点がある旨主張する。

しかしながら、関係証拠殊に原審第七八回公判(昭和五三年五月八日)における証人宮木の供述によれば、人事主事らに対する追及の中心には被告人北小路はなつておらず、大槻に対する暴行の実行行為そのものにも加担した証跡は見当たらないから、原判決が被告人北小路をいわゆる現場共謀者として処理するにとどめたのは相当であつて、所論は採用し難い。

弁護人の所論は、原判決が「争点に対する判断」中、原判示第三の三の「渡辺主事に対する暴行を認定した理由の要旨」の項において渡辺首席人事主事に対する暴行を認定した証拠として渡辺証言及び大南証言を具体的に掲記して、両証言がほぼ一致し、島田、宮木、梅田、大槻、吉水、田中の各証言はいずれも右渡辺、大南の各証言と大筋で一致した供述をしていることからして、渡辺、大南を含め右各証言は充分信用できる旨説示しているが、右説示が引用する渡辺証言内容中、被告人湯浅に「お前はそんな悪いやつか。もつと前へ出よ。」と言われたとの点は、同証言調書を検討しても、右文言を被告人湯浅が言つたものとの証言記載は全く見当たらず、更に右渡辺証言については、(一) 原判示の「被告人湯浅が渡辺主事の胸倉をつかみ……ストーブの西北角付近にまで引つ張り出した」との点に関して、同証人は検察官の主尋問に対しては、「押すようにして連れて行かれた。」とか「押された。」とか供述していたのに、反対尋問に対しては、突然として、「被告人湯浅から胸倉を引つ張られた。」とか「二の腕も持たれ、胸倉もつかまれた。」とか供述するに至り、また、(二) 原判示の「被告人湯浅が……被告人中谷、同佐藤とも加わつて同主事を取り囲み、同主事の体を小突く等して追及した。」との点に関しては渡辺証人は、右のような小突く等の有形力の行使があつた旨を一切供述しておらず、更に、(三) 原判示の「同主事を同室北側に置かれた長机の前まで押して行き、『お前は悪い奴や。詫びろ。』などと怒号しながら同主事の胸や肩を押して同主事の上半身を右机上にのけ反らせた。」との点に関し、渡辺証人は二回のけ反らされたというが、その契機についての証言が主尋問と反対尋問とでは矛盾しており、また同証人は、のけ反らされた状況として、「数人が前方から両手で胸や肩を押した。」と供述するが、数人が同時に前から両手で押すということが可能であろうか、この点からみても同証人の事実認識の誤りであることが明らかであり、このような有形力の行使を同席していた他の主事らは誰一人として目撃していないのである。(四) 渡辺証言が信用できる一事情として、同証人の「燃えているストーブに危険を感じた」との証言部分を掲記しているが、渡辺主事との交渉が行われた時刻や、石炭の補給及び燃焼状況について証拠調もなされておらず、真実はその時刻にはストーブは燃えていなかつたのであるから、右証言部分は作文にすぎない。また、前記説示が掲記する大南証人の証言については、前記渡辺証言について掲記する(一)の原判示の点に関しては、同証人は、検察官の主尋問に対し「誰かひとりが胸を引つ張つた。」と供述して、それが被告人湯浅であるとは証言していないのみならず、第九二回公判における反対尋問に対して「ストーブの西北辺りに出たのは自分(渡辺)で出たのか、押されたのかは、はつきりしない。」、「誰かが力を加えたという記憶はない。」旨供述して、主尋問に対する供述を訂正しており、同じく前記(二)の原判示の点に関しては、同証人は検察官の主尋問に対し「小突くのは見ていない。」と供述し、その全証言中にも小突く等して追及したという有形力の行使の目撃状況についての供述は存在せず、同じく前記(三)の原判示の点に関しては、前記説示が引用する大南証人の「被告人湯浅が『何という悪い奴や、お前は一番悪い奴や。』と言いながら、右渡辺の胸をつかんで北東に向つて北側の机まで押して行き、同机につまつた同人を二、三回机の上にのけぞらせるように押したり突いたりした。」旨の証言は、弁護人の第九二回公判における同証人の「渡辺がやめてくれと言つたこと、湯浅がお前悪いやつちやと言つていたこと、渡辺の身体が三〇度傾いたことから攻撃が加えられたのではないか。」と推定したものであることを証言していることからして、目撃事実の証言ではなく推測に基づくものにすぎない。更にまた、島田、宮木、梅田、大槻、吉水、田中の各証言も有形力の行使をめぐる関係についてみても、主尋問と反対尋問で異なつたり、推測に基づくものであつたり、誇張によるものである。その他、以上の各証言についてるる主張し、いずれも信用し難いというのである。

記録を検討すると、渡辺証人は、原審第八六回公判において、検察官の主尋問に対し、次のように答えている。すなわち、(問)それで終つたんですか。(答)それから、そのほか口々にいろんな怒声がとびまして、お前はそんな悪い奴かと、もつと前へ出よと押すようにして更に斜め前方の方に連れて行かれました。(問)何人くらいがそうしたんですか。一人ですか。(答)数人だつたと悪います。(問)その中に名前の知つている人がありますか。(答)後の方で、その人がおられたということを知つたということから、湯浅さんが確かにそこにいたと思います。以上の問答がなされており、右供述によれば、同証人は、「お前は、そんな思いやつか。もつと前へ出よ。」と言われたことは証言しているが、その発言をした者が被告人湯浅であるとは証言していないことが明らかであり、同証人の右原審第八六回公判のほか第八七回、第八九回、第九〇回各公判における証言内容を検討してみても、右文言の発言者が被告人湯浅である旨の証言は存在しないから、原判決の前記説示中の渡辺証言の引用は、右の部分において引用を誤つたものといわなければならないが、この引用の誤りは同証人の証言の信用性及び原判決の事実認定には影響を及ぼさない(大南証人が被告人湯浅の発言である旨証言している。)。所論は、渡辺、大南両証言の供述の矛盾点等を指摘するが、両証言の内容を検討すると、いずれも具体的かつ詳細で真しな証言であることがうかがわれ、両証言の間にある程度の差異があるにしても、ほぼ一致しており、ある程度の差異があるのも本件後約八年一〇月から約一二年近くを経たのちの証言であつてみれば、やむを得ないところであり、渡辺証言については前記(一)ないし(四)の点を検討してみても、渡辺証言の信用性を左右するものではなく、また大南証言について指摘する前記(一)の点については、同証人の原審第六一回公判の証言中に、被告人湯浅が渡辺主事の胸をつかんでストーブの近くまで引つ張り出した旨の証言が存在しており、前記(二)の点については、同証人は右原審第六一回公判において、検察官の主尋問の際に、次のような証言、すなわち、(問)その追及する組合の人達はどんな状態で追及したのですか。(答)わたしの記憶では、渡辺首席指導主事の身体が、相当前後左右に揺れておりましたし、渡辺さんが、やめてくれ、やめてくれ、というふうなことも言うておりましたので、相当体に触れるような、身体に対して小突くというのですか、そういうふうなことで、割合いに強い追及があつたように記憶しております。(問)小突くと言われたのですが、あなたはそれを見たのですか。(答)それは、うしろからですから、見ておりませんけれども、その身体の揺れ具合いから見て、そういうふうに判断をしたわけです、との証言をしていて、右証言は首肯されるものであり、また、前記(三)の点については、同証人は、主尋問後病気による約三年間の中断後の原審第九二回公判において、弁護人の反対尋問の際に、(問)押しておるのをはつきり見たという趣旨ですか。(答)渡辺さんのやめてくれ、という声と、お前悪いやつちやという声と、そういう状態の三〇度くらいに傾くという、そういうことから、被告人湯浅が渡辺さんに対して攻撃を加えていたというふうに確信しているわけです。(問)渡辺さんの体は見ていたと。(答)はい。(問)それから、声は聞いたと。(答)はい。(問)そのことから推定したのが、湯浅さんが持つていたんじやないかということですか。(答)これは、私あとから渡辺さんにも聞きまして。(問)そういうことでなくて、その段階であなたが見られたことなんですよ。(答)そうです(一四冊六一〇五丁裏~六一〇六丁表)。と証言しており、同証人は必ずしも推定した事実を述べているものではなく、右反対尋問の際の前後の証言を検討すれば、所論の主尋問の際の証言を訂正したものとも認められず、したがつて、前記所論指摘の点をもつて大南証言の信用性を左右するには足りない。右両証言は十分信用することができる。また、所論の島田、宮木、梅田、大槻、吉水、田中の各証言は、前記渡辺、大南の各証言を含め、その証言の間にある程度の差異はあるものの、原判示第三の三の事実に照応する供述をしており、こまかい点について差異があるのも前記のところからしてやむを得ないものがあり、十分信用することができる。所論は採用し難い。

弁護人の所論は、被告人らの本件入室行為は、教職員組合の団体交渉権の行使として、緊急の必要性のある事項について団体交渉及び交渉申入れという正当な目的のもとに行われたものであり、また最初に市教協役員約一〇名が会議室に入室して大南人事主事らに交渉の申入れをし、当初同主事は執務中であることを理由に交渉に応じられないとしていたが、結局は交渉に応ずる旨答えたので、その段階で約四〇名の組合員も入室したものであるから、「故ナク」侵入したものではなく、建造物侵入罪の構成要件に該当しないというのである。

しかし、さきに認定したとおり、当日日彰分室では、人事主事一〇名が機密保持を要する教職員の定期人事異動に関する資料作成に当たつていたため、会議室出入口扉の外側に無断入室禁止の貼紙を掲示し、部外者の立入りを厳重に規制していたものであるところ、被告人湯浅ら被告人八名は市教協関係教組員約四五名と共に、人事主事に対し、特定の老齢教諭二名に対する退職勧奨に抗議し、これを即時中止すること、過去の特定の人事異動等の責任追及、今後の人事異動について要求する目的で、あらかじめ何の連絡をすることもなく、突如として、まず被告人湯浅ら八名と数名の教組員が、被告人湯浅を先頭にして「これまでの人事行政をただしに来た。抗議しに来た。」と叫びながら会議室に入室し、その場にいた人事主事らが公務中を理由に退去を要求したのに、引続きその余の約四〇名の教組員らも続々となだれ込むように入室し、その後も人事主事らが再三退去を要求したが、これに応ぜず、右のような要求はその態様からみて交渉の申入れというよりは追及、抗議であり、これを交渉の申入れと解しても、その対象事項は管理運営事項であり、人事主事には交渉当事者適格がないから、地公法五五条の適法な交渉の申入れとは到底認められず、さきに第五において原判示第二の建造物侵入に関して説示したごとく、このような人事問題については市教委側に交渉に応ずる意思のないことは被告人湯浅らにおいて十分知つていたもので、三月一一日の出来事があつた直後のことであるから、なおさらのことである。しかるに、被告人らはあえて要求を名目に入室し、退去要求を無視して同室に滞留し、人事主事全員及びたまたま来合わせていた指導主事二名を並ばせて強制的に話合いに応じさせ、夜更けまで約九時間にわたつて、つるし上げ同然の追及に及んだものであるから、本件被告人らの入室行為はその目的、方法、態様がいずれも違法であり、故なく侵入したものであつて、建造物侵入罪の成立を免れない(前記第五において原判示第二の建造物侵入に関する説示に際して掲記の最高裁判所昭和五八年四月八日判決・刑集三七巻二一五頁参照)。所論は理由がない。

弁護人の所論は、原判決は、前記被告人八名が教組員約四五名と共に会議室に入室した際に、中辻、田中、島田(首席)、大槻各人事主事は、人事異動に要する資料作成事務等の公務に従事中であつた旨判示しているが、被告人らが大南首席人事主事らに対し正当な団体交渉を申し入れたのに対し、同主事らがこの申入れを受け入れて交渉が開始されることになつたため、任意に右公務を中断したのであるから、公務執行妨害にいう公務は存在しないというのである。

しかし、さきに認定したとおり、被告人らが入室した際には、中辻、田中、島田(首席)、大槻各人事主事らは、前記会議室において人事異動に関する公務に従事していたところ、前記被告人ら八名及び組合員約四五名が島田、大南各主事らからの退去要求にもかかわらず、次々に無断入室し、「この前に退職勧奨はするなと言つてあるのに、なぜ呼び出した。抗議に来たんや。人事主事は全部並べ。」などと言つて、同室及び隣室に在室していた人事主事や及び指導主事を会議室西南隅に並ばせたうえ、翌日の午前一時過ぎころまでの約九時間にわたつて、各主事らへの追及を続け、この間、前記中辻、田中、島田(首席)、大槻各人事主事に対して暴行に及んだものであつて、さきに説示のとおり、被告人らの目的は人事主事らとの話し合いというよりは、むしろ抗議のためのものであつて、地公法五五条にいう適法な交渉の申入れとは到底認められないものであり、これがため右人事主事らは各職務の執行を事実上一時的に中断せざるをえなくなつたものであつて、その職務の執行を自ら放棄し、又は自発的にその職務の執行から離脱したものでないことが明らかであり、したがつて、右人事主事らの各職務の執行が一見中断ないし停止されているかのような外観を呈したとしても、その状態が被告人らの不法な目的をもつた行動によつて作出されたものである以上、これをもつて人事主事らが任意、自発的にその職務の執行を中断し、その職務執行が終了したものと解するのは相当でない(最高裁判所昭和五三年六月二九日判決・刑集三二巻四号八一六頁参照)から、右所論は採用し難い。

弁護人の所論は、中辻、田中、島田(首席)、大槻各人事主事に対する行為が公務執行妨害行為に当たり、渡辺首席人事主事に対する行為が共同暴行に当たるとしても、各事実の当該被告人らは、安藤、加島両教諭に対し理不尽な退職勧奨行為が行われるという差し迫つた事態の下で、こうした不当な退職勧奨に抗議し、その中止を求めるために直ちに交渉を行わなければならない緊急の必要性があり、更に年度末人事異動についても、教育委員長が教職員の人事異動は、その希望を尊重して行う旨を市会で言明したにもかかわらず、現実の人事異動作業はそうした希望を徴することもなく現に進行しているという差し迫つた状況のもとで、直ちに教職員組合の人事異動に関する要求を伝えて交渉を行うことは、教職員の身分保障、権利保護を目的とする教職員組合として当然の行為であり、緊急的課題であつたのであり、交渉の内容は各組合の切実な議題で交渉したもので、長時間になつたのも各主事らが不誠実な対応をくり返したためであり、かりに各主事に対する何らかの有形力の行使があつたとしても、いずれも正当な団体交渉の過程で偶発的に起こつた出来事で、その法益侵害の程度は軽徴であり、被告人らの公務執行妨害及び共同暴行の行為は実質的違法性がないというのである。

しかし、さきに説示して来たとおり、被告人らの本件行為は、交渉というよりはむしろつるし上げ同然の追及、抗議ともいうべきものであつて、これを交渉申入れと解しても、その対象事項はいずれも管理運営事項であり、話合いの相手は交渉当事者適格のない人事主事、指導主事であり、その申入れの態様も平穏ではないことなど、およそ適法な交渉の申入れといわれないものであつて、正当な組合活動とは認められず、その他暴行の態様、程度、公務執行妨害の程度等一切の事情を考慮しても、本件各人事主事に対する公務執行妨害及び指導主事に対する共同暴行について実質的違法性がないとはいえない。所論は採用し難い。

以上のとおりであつて、原判示第三の事実に関しては、原判決には各所論のような事実誤認及び法令の解釈、適用の誤りはないから、各論旨はいずれも理由がない。

第七弁護人並びに被告人湯浅、同井上、同佐藤、同木下、同北小路の各控訴趣意中、原判示第四の事実に関する事実誤認及び法令適用の誤りの主張について

各論旨は、要するに、弁護人において、原判決は、その判示第四において、被告人湯浅、同井上、同佐藤、同木下、同北小路の五名の市教協関係組合員約三〇名との共謀による昭和四二年三月一五日の市教委教育長室における不退去の事実、その間における、一 被告人湯浅、同佐藤の市教委総務部総務課主幹鳥居茂に対する共同暴行を手段とする公務執行妨害、二 被告人湯浅、同井上、同佐藤、同木下と外数名の組合員との同課企画労務係長籔本薫に対する共同暴行を手段とする公務執行妨害及び傷害、三 被告人湯浅の同課企画労務係員向坂邦隆に対する暴行を手段とする公務執行妨害、四 被告人北小路の企画労務係員桝本頼兼に対する暴行を手段とする公務執行妨害、五 被告人佐藤の右桝本に対する暴行を手段とする公務執行妨害の各事実を認定し、該当法条を適用しているが、被告人湯浅、同井上、同佐藤、同木下、同北小路らは原判示第四の経緯から市教委の人事異動案の作成作業が教職員の意思を無視した不当なものであるとして、教育長に直接面会して抗議、要請する目的をもつて、市教協関係組合員約五〇名と共に教育長室に整然と入室したものであり、教育長不在のため交渉申入れに一時間足らず同室に滞留したが、企画労務係員らは組合の正当な申入れに全く耳をかそうとしなかつたもので、被告人らの滞留行為は正当な組合活動であり、しかも、企画労務係らは教育長から教育長室の看視・管理につき特命を受けた事実がなく、したがつて退去を求める権限がないから、不退去罪は成立せず、仮に企画労務係に退去を求める権限があつたとしても、被告人ら組合員らの要求に緊急性・正当性があることなどからして退去要求行為は正当なものではないから、不退去罪は成立しない。したがつて、不退去の事実を認定し該当法条を適用した原判決は事実を誤認し、法令の解釈、適用を誤つたものである。また、被告人湯浅が、鳥居茂主幹や向坂邦隆係員に対し、被告人北小路が桝本頼兼係員に対し、被告人佐藤が桝本頼兼係員に対し、それぞれ暴行を加えた事実はなく、被告人湯浅、同井上、同佐藤、同木下と外数名の組合員らが籔本薫係長に対し共同して暴行を加えた事実、したがつて傷害を負わせた事実もなく、かつ、鳥居主幹や企画労務係員らの本来的な職務は組合との交渉を円滑に運営することであるのに、これを誠実に執行せずに組合の正当な交渉権限をふみにじる退去要求行為に出たもので、このような行為は法律によつて保護された公務ではなく、いずれにしても公務執行妨害の事実はないから、前記被告人らの公務執行妨害ないし傷害の各事実を認定し該当法条を適用した原判決は、証拠の取捨、選択、評価を誤つた結果、事実を誤認し、法令の解釈、適用を誤つたものであり、仮にその事実があるとしても、実質的違法性がないから、これに公務執行妨害、傷害の各法条を適用した原判決は法令の解釈、適用を誤つたものであつて、以上の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるといい、被告人湯浅、同井上、同佐藤、同木下、同北小路において、それぞれ、原判示第四の各関係事実につき、不退去、暴行、公務執行妨害、傷害の事実がないのに、これを肯定し、該当法条を適用した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認及び法令適用の誤りがあるというのである。

そこで、検討するのに、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示第四の各事実は、優にこれを認めることができ、原判決が「争点に対する判断」の項中、原判示第四の不退去、各被告人らの暴行ないし共同暴行を手段とする公務執行妨害及び傷害を認定した理由を説示するところは、首肯することができるのであつて、当審における事実取調べの結果によつても、右認定を左右するには足りない。すなわち、右証拠によれば、

(一)  昭和四二年三月一五日(水)、市教協では緊急常任幹事会を開き、市教委が進めている人事異動案の作成作業が教職員の意思を無視した不当なものであるとして、教育長に直接面会して抗議、要請する旨決定し、同日午後、被告人湯浅、同井上、同佐藤、同木下は、市教協関係の組合員約五〇名とともに、市庁舎四階中央踊り場において、「不当人事粉砕総決起集会」を開いたのち、同日午後五時一〇分ころ、右被告人四名は、右集会参加者の中から選ばれた約三〇名の組合員とともに、前記のとおり教育長に抗議、要請する目的をもつて、同庁舎四階西側にある教育長室に向かい、総務課室に入室した。

(二)  その当時、教育長室の北側の廊下に通ずる出入口の扉は常時施錠のうえ閉鎖され、その扉の廊下側には教育長に面会を求める向きは隣室の総務課に申し出られたい旨掲示され、部外者が教育長室に立ち入るについては東側に隣接する総務課係員の取次ぎを経たうえ総務課北西部にある教育長室に通ずる出入口より入室することになつていた。当時、教育長は公用で不在であつたが、東隣りの総務課室には、総務課主幹鳥居茂、庶務係長後藤晨次、庶務係(教育長秘書)津田某(女子)、企画労務係長籔本薫、同係向坂邦隆、同桝本頼兼、同西岡信之の七名が在室していた。

これより先、市教委では、本件前日(三月一四日)の日彰分室における出来事についての報告を受け、本件当日相当数の組合員らが市教委に来るとの情報を得たので、本件当日正午ころ、教育長、同次長、総務課長、教職員課長ら幹部が集つて、その対策を協議した結果、組合員らが不当人事粉砕の運動で各事務局の部屋に大挙して押しかけて部屋に入つて来たときは、退去要求をすることに決し右決定に基づき、企画労務係員らに対しては、右教育長の命により総務課長から右のような場合には退去要求をするように指示すると共に、当日は土曜日であるが、組合の動員があるので、席を外さず勤務時間後も待機するよう指示し、更に、他の課係の職員にも応援を求める態勢を整え、当日は、前記鳥居総務課主幹、籔本企画労務係長、向坂、桝本、西岡の同係員らは市教委の使用する庁舎の管理権限、したがつて庁舎内の秩序を維持し、公用に供するという庁舎の目的に対する障害を防止し除去するための看視管理の権限を有する教育長からの特命により、教育長室の看視管理の任に当つていた。

(三)  前記被告人四名及び組合員らは、前記教育長室扉の掲示を無視し、総務課係員の取次ぎを経ないまま、被告人湯浅を先頭に、「大橋いるか。」と言いながら、前記総務課室内北西部の教育長室に通ずる出入口より教育長室に大挙して入室したが、その際、教育長室入口前には津田秘書が在席していたのに、同女に対して教育長への取次ぎを求めなかつたのみならず、同秘書が「教育長は不在であるので、お入り頂かないように。」と言つて制止し、事態に気づいて自席からかけつけた籔本係長も同様に制止したにもかかわらず、「教育長に会わせろ。」と言いながら、二人を押しのけるようにして、教育長室に入室したものである。

(四)  当時、教育長は不在であつたが、教育長の事務机の上には、教育長の決裁を求める人事関係、予算関係の書類や、教育長の人事に関するメモ等機密を要する書類が置かれていたため、前記鳥居、籔本、向坂、桝本らが被告人らを追うようにして教育長室に入り、「教育長は不在であるから、退出してもらいたい。」旨再三退去を要求したが、前記被告人四名は約三〇名の組合員とともに応ぜず、その後被告人北小路もこのような状況を知りながら教育長室に入室し、前記被告人四名及び約三〇名の組合員とともに右企画労務係員らの退去要求に応ぜず、いずれも同日午後六時一五分ころまで一時間余にわたつて同室に滞留して退去しなかつた。

(五)  被告人湯浅らが教育長室に入つてから間もなく、鳥居主幹から退去を求められたのにこれに応ぜず、被告人湯浅、同佐藤が鳥居主幹に対し教育長を呼んで来るよう要求したのに、同主幹がこれを無視して教育長の机の南側で机上の書類等の整理を続けたのに激高し、「泥棒や思てんのか。」、「そんな書類みたいなもん、誰も盗らへん。早う教育長を呼んでこい。」などと怒号しながら、被告人湯浅が同主幹に近づき、その右方から右手で同主幹のネクタイの結び目をつかんで引き寄せたので、同主幹がこれに対し「先生としてそんなことをするのははずかしいやないか、そんなことをするな。」と言つて抗議するや、同被告人が「そんなことを言えた義理か。今日は一〇何年来の恨みを晴らしに来たんや。」と言い、両手で同主幹の胸倉をつかんで同室西側の書棚の方へ五回位突き上げるようにして約二メートルほど押して行くとともに、その押している途中に被告人佐藤が近寄つて来て、「早う教育長を呼びに行つたらええのや。」と言いながら、右手で同主幹の右肩を三回位突くなど共同して暴行を加えた。

鳥居主幹はこれに対して何ら抵抗することなく、その後も教育長の机上の書類を片付け、これを持つて総務課室へ出て行つた。

(六)  被告人湯浅、同井上、同佐藤、同木下は、前記籔本係長に対しても、教育長を呼んで来るよう要求したが、同係長がこれに応じないばかりか、同係長から再三退去を要求され、前記鳥居主幹が片付けた書類を持つて教育長室から出て行つたのちも、被告人湯浅が籔本係長に対し「お前ら、何ボーツト立つてるんや。早う教育長を呼んで来い。」と言い、これに対し同係長が「教育長は外勤して不在です。出て行つて下さい。」と答えたところ、同被告人が「何を言うとるんか。呼んで来い。」と言いながら、同係長の事務服の胸倉をつかみ、前後に四、五回揺すつたうえ、教育長机の南東角付近から同室北東隅の総務課室に通ずる出入口に向けて突き放し、同係長が後ろ向きのまま後方へよろけた際、氏名不詳の組合員に後ろから腰を突かれて前へ二、三歩よろけて行くと、被告人井上が同係長の胸を手で突いたので、同係長が再び後方へよろけ、同係長が同室南側にいる西岡、桝本、向坂ら三名の方へ行こうとしたところ、被告人湯浅、同佐藤、同木下らを含む数名の組合員らがこもごも「お前ら出て行つて、早う教育長を呼んで来い。」などと言つて、同係長を取り囲み、同係長の胸部や肩を小突き、腕をつかんで引つ張り、足を蹴りつけ、背後から押すなどして、同係長を教育長室から総務課室へ押し出した。しかし、教育長室をそのまま放置しておくわけにはいかないと考えた同係長が、間もなく再度総務課室から教育長室出入口近くにあるついたての辺りまで入室したところ、これを認めた組合員二、三名が「こいつ、また入つて来た。」「出て行かんかい。」と言つて、同係長を右出入口近くまで押し戻し、同係長の体が南西向きになつていた際、被告人木下が同係長の右肩を力強く突きとばしたため、同係長の体が右に半回転して右出入口の観音開きになつている扉のうち、固定されている南側扉の北角にドスンという音を立てて右肩から右腕にかけて激突し、同人はその場にうずくまるように倒れた。すると、被告人湯浅が来て、「何を大げさにひつくり返つとる。」と言いながら、転倒している同係長の背後から両脇に手を入れて引き起こし、これに対して同係長が「ひつくり返しときやがつて、何を言うてるねん。」と抗議したところ、同被告人は「出て行け。」と言いながら、同係長の背中を突いて同室外に突き放し、同係長が総務課室の方へよろけて行つたところを、総務課室内の右出入口付近に立つていた鳥居主幹に支えられ、同係長は一旦その場にしやがみこんだ。

鳥居主幹は、籔本係長の顔が青ざめ、小さな声で痛い痛いと苦しそうに言うので三階の医務室へ行くよう指示し、籔本係長は一人で医務室へ行つたが、医師が不在で、看護婦から外部の医師に診てもらうよう言われたけれども、自己の職責上教育長室の事態を放置したまま医者に行くわけにも行かず、また当日午後六時から市庁舎前広場で春闘総決起大会が予定されていたので、そのころには被告人らも引き揚げるものと予想し、そのころまでは庁舎内にとどまろうと考え、医務室にとどまつていたところ、総務課庶務係の女子職員が心配せずに休養しているようにとの鳥居主幹からの指示を伝えに来たので、午後五時三〇分ころ、市庁舎を出、空車のタクシーもないので雨中を徒歩で付近の高折病院に行き、午後六時ころ院長の高折隆一医師の診察を受け、人に押されて右肩、胸部をドアをぶつけた旨説明し、診察の結果、右肩、右胸には外見上異常はなく、レントゲン検査の結果も同様で、右下腿内くるぶしから四センチ位上のところに二、三日で治る程度の擦過傷が認められ、籔本の訴え、触診、運動検査、レントゲン検査等を総合して、右肩胛部及び右側胸部打撲傷及び下腿部擦過傷で約一週間の安静加療を要し、更に自覚痛が消退するにはなお一週間を要する旨の診断を受けて診断書を作成してもらうとともに治療を受け、その後、市教委総務課に戻つて右診断書を企画労務係に渡し、しばらく勤務を休む旨告げて帰宅したが、当夜相当の発熱(九月三〇日に風邪と診断された)もあり、同年四月六日まで勤務を休んで療養していたが、その間、三月二四日(平松医師が診察)、二九日(加古医師が診察)、三〇日(高折医師が診察)に通院して右肩から右胸にかけて湿布をしてもらうなどの治療を受け、三月三〇日には右肩胛部及び右側胸部打撲傷によりなお約一週間の安静加療を要するとの診断を受けるとともに、暴行を受けた当日の帰宅後の悪感、発熱等の症状と当日の診察の結果風邪と診断され、その投薬も受けた。

(七)  籔本係長が医務室へ行つた後、しばらくして、教職員課人事係の並川礼次郎、野口正臣の両名が教育長室内の看視管理支援のために同室に入つて来た。被告人湯浅らはこれを見て、同人らに対し、「お前ら関係ないやないか。部屋から出ろ。」と言いながら、同人らを押し返そうとし、野口の手を持つなどしていたので、企画労務係の向坂係員が野口の左手をつかみ、被告人湯浅らに対し「無茶するな。」と言いながら、野口を向坂係員らのいる教育長机の南側付近に引き込み、並川もこれに続いたところ、被告人湯浅は向坂係員から制止されたことに激高し、同人に対し、「お前は黙つておつたらいいんや。」と怒号しながら、教育長机の東南角付近に北向きに立つていた同人に近寄り、同人の右の方から右手で同人の右肩付近を持ち、左手を同人の脇復辺りに入れて同人を右前方に向けて勢いよく振り飛ばす暴行を加え、同人は約二メートルの位置(ソフアー北側)に立つていた被告人北小路にぶつかつた。

(八)  その後、被告人湯浅が後藤庶務係長に対し、大橋教育長を早く探して呼んで来い、と言い、同人が教育長室を出て行つたあと、組合員らが口々に、「われわれは保守反動に一七年間苦しめられた。市長が代わつたのだから態度を変えろ。」、「態度を変えんとお前ら首にしたる。」、「ギロチンにかけたる。」などと暴言を吐いたので、前記企画労務係の桝本がたまりかねて「失礼なことを言うな。あなた方はそんな無茶なことを言いにここへ来られたのか。」と大声で反論したところ、組合員らから、「生意気な奴や。やめてしまえ。」、「今に、みんな今まですみませんでしたと言つて謝らしたる。」など同人を非難し、被告人北小路も桝本から反論されたことに激高し、教育長机の南側にいた同人の背後から、その首筋を持つて、「こうして謝らしてやるんだ。」と怒号しながら、同人の額を同机上に敷いてあつたガラス板に、二、三回ごんごんと押えつける暴行を加え、同人が右横を向いて「あほなことやめときいな。」と言うと、同被告人が手を引いた。

(九)  しばらくして、向坂係員が「こんな先生に教えてもらう子供はかわいそうや。はずかしいことないか。」と言うたのに対し、組合員らから「重大な発言や。政治的発言や。取り消せ。」などと怒号することがあつたが、向坂係員からの取消しもないまま一応おさまつた。その後、被告人湯浅は、さきに教育長と連絡をとるということで教育長室を退室した後藤庶務係長が戻つてこないので、桝本に対し、早く後藤を捜し教育長と連絡をとるよう要求したが、同人が容易に応じないばかりか、同人が教育長室を出ようとして歩きかけたとき、組合員の一人から「何をぼやつとしとるんや。早う行かんかい。」と言われたので、同人が「今、行こうとしているとこや。いらんこと言うな。」と言い返したところ、被告人佐藤がこれに激高して同人に近づき、「それが組合幹部に対する態度か。生意気や。」などと怒号しながら、右手で同人ののど元をどんと一回突き、同人を後方によろめかせる暴行を加え、同人の掛けていた眼鏡が外れそうになつたが、同人も興奮して「いちいちいらんこと言うもんが悪いやないか。」と言い、追いかけて来た同被告人と対面するような形で、後ろ向きに出入口の方へ行こうとした際、同被告人が「ごたごた言うな。ばかやろう。」と言つて、同人の首をどんと一回突き、同人を後方によろめかせる等の暴行を加えた。

(一〇)  このようにして、鳥居主幹、籔本、向坂、桝本の各係員は前記公務に従事中、前記(五)ないし(九)のとおり各被告人から暴行を受け、公務の執行を妨害された。 以上の事実が認められる。

右認定に反する前記被告人五名の原審及び当審における各供述、原審証人田村泉、同川上善雄、同東山信一、同伴泰治、当審証人中辻中、同古田良二郎の各証言は原判示第四の事実認定に用いた関係証拠に対比し措信し難い。

以上に認定の事実によれば、前記被告人湯浅ら五名は教組員約三〇名と共に教育長室に入室し、退去要求権限のある鳥居総務課主幹ほか企画労務係員らから再三退去要求を受けたのに、約一時間余にわたり滞留するについて意思連絡があつたこと並びに被告人湯浅、同佐藤の鳥居総務課主幹に対する共同暴行を手段とする公務執行妨害、被告人湯浅、同井上、同佐藤、同木下ら四名の籔本企画労務係長に対する共同暴行を手段とする公務執行妨害及び傷害、被告人湯浅の向坂企画労務係員に対する暴行を手段とする公務執行妨害、被告人北小路の桝本企画労務係員に対する暴行を手段とする公務執行妨害、被告人佐藤の右桝本企画労務係員に対する暴行を手段とする公務執行妨害の各事実のあつたことが明らかである。

弁護人の所論は、原判決が「争点に対する判断」中、原判示第四の一の「鳥居に対する暴行を認定した理由の要旨」の項において、原審証人鳥居茂の供述内容を掲記し、同証人の供述が極めて具体的かつ自然で、原審証人向坂、同籔本、同桝本、同後藤の各証言と大筋において一致することから鳥居の証言は十分信用できるとし、原審証人西岡の鳥居が組合員から乱暴されるということは無かつた旨の証言をもつてしても鳥居らの各証言の信用性を左右するに足りないとして、西岡証言を全く恣意的に排除しているが、右信用性があるという鳥居らの各証言は、その証言相互間には、(1)  被告人湯浅の鳥居に対する暴行につき、鳥居証人は右手でしたというのに対し、向坂証人は両手であるといい、(2)  桝本証人は鳥居の体が移動したことはなかつたというのに対し、他の証人はこれと矛盾する証言をし、(3)  被告人佐藤の位置につき、鳥居・後藤証人は被告人湯浅の左側(南側)にいたというのに対し、籔本、桝本、向坂証人は被告人湯浅の右側(北側)というなど、互いに矛盾し、弁護人側の原審証人伴泰治の証言とも相反し、到底信用することができないというのである。

しかし、所論の鳥居の証言は、その内容を検討しても、当の被害者として暴行を受けた際の状況について具体的かつ自然な供述がなされており、ただ右証人を含め前記向坂、籔本、桝本、後藤ら各証人の証言は、いずれも事件発生後相当の年月を経過したのちの証言であるから、互いにある程度の差異のあることは、記憶を喚起して供述する際避け難い事象であるけれども、被告人湯浅や佐藤の鳥居に対する有形力行使の態様の大筋においては相符合しており、十分措信し得るものと考えられる。なお所論の西岡証言については、同証人は、原審第三九回公判(昭和四八年七月二六日)において、「被告人湯浅と同佐藤が教育長の机の南のあたりから鳥居に対し『お前は用がない、教育長を呼んで来い。』と言つて、後ろから同人の肩を押しながら、又は突きながら総務課の入口へ押し出したのを、私はついたての西側付近に立つておつて、そのそばを押されながら出て行かれたのを見ているが、押し出される最初からは見ておりません。」と供述しているから、原判示第四の一記載の暴行状況自体は目撃していない可能性はあるものの、右目撃状況は全体の事態の推移と無関係ではなく、むしろ自然の成り行きともいえるもので、証人鳥居らの供述の信用性を減殺するものとは到底評価し難く、原審証人伴泰治、同川上善雄の各供述は右鳥居らの各証言に比照し、いずれも不自然であり、殊更真相をわい曲している感を免れず、信用し難い。前記所論は採用し難い。

弁護人の所論は、原判決が「争点に対する判断」中、原判示第四の二の「籔本に対する傷害を認定した理由の要旨」の項において、原審証人籔本の供述内容を掲記し、右供述は極めて具体的かつ自然であるうえ、診断書の記載や医師に対する訴えとも符合し、鳥居証言と暴行の主体、順序、その態様にわたつて細部までよく符合し、西岡、桝本、向坂、後藤の各証言とも大筋において一致しているなどとして籔本証言の信用性を肯定しているのであるが、しかし、籔本証言と鳥居、西岡、桝本、向坂、後藤の各証言との間にはくい違いがあり、医師の診断も籔本の虚偽の受傷の訴えに基づくものであり、三月一五日当初からの風邪の症状を見落としており、籔本の休養はその殆んどすべて風邪によるものであり、右の各証言は、右のようなくい違いや当時組合役員ではなかつた原審証人東山信一の証言に照らしても、信用性がないというのである。

しかし、籔本証言と鳥居らの各証言との間にくい違いがあるとして所論が指摘する点はこまかい点に関するもので、その程度の差異があることはやむを得ないところであり、籔本証言を含む鳥居らの各証言内容を検討してみても、原判決が適切に説示するとおり、右各証言は十分信用することができる。なお、所論は医師の診断は籔本の虚偽の受傷の訴えに基づくものであるというが、右各証言及び原審証人高折医師の証言に徴し到底そのような事情は認められず、また右医師の診断は当初からの風邪の症状を見落としているというが、さきに認定したとおり籔本が悪感、発熱等の症状を自覚したのは当日診察を受けて帰宅したのちのことであつて、それまで風邪の症状の自覚もなかつたところから高折医師の診察を受けた際にはその訴えもしなかつたもので、その後三月三〇日に高折医師の二度目の診察を受けた際、打撲傷についてなお約一週間の安静加療を要するとの診断を受け、その治療を受けるとともに、体温及び咽喉の症状から風邪と診断されたことが明らかであり、したがつて、当初風邪の診断をしなかつたということから打撲傷の診断まで虚偽の訴えに基づく誤つたものとはいえず、原判決が右三月三〇日に高折医師が風邪と診断した事実を考慮に入れて、本件暴行による安静加療期間を検察官主張の約三週間とは認めず約一五日間と縮少認定したのは相当である。また、所論の原審証人東山信一の証言は前記籔本らの各証言により認められる本件当時の状況の推移に照らし不自然であり、右各証言の信用性を左右するには足りない。所論は採用し難い。

弁護人の所論は、原判決が「争点に対する判断」中、原判示第四の三に関する「向坂に対する暴行を認定した理由の要旨」の項において、原審証人向坂の供述内容を掲記し、右供述は具体的かつ詳細であるうえ、当時被告人ら多数の組合員が企画労務係員らから何度も退去要求を受けているにもかかわらず、これを無視し、右鳥居、籔本に対し順次判示のとおりの暴行を加えるなど極めて険悪かつ異常な状況にあつたことからすると、応援要員の投入という事態を知つた被告人ら組合員としては応援の教職員課の野口、並川の両名を教育長室から無理にでも押し返そうとするのがむしろ自然かつ合理的であると解され、しかも、証人桝本は、本件暴行に至る経過、暴行の際の被告人湯浅と向坂の位置、暴行の態様、暴行の結果右向坂が飛ばされてソフアー北側にいた被告人北小路につき当つたことなどについて、右向坂の証言とほぼ一致した供述をしており、証人西岡もほぼこれと同趣旨の証言をしていることなどをあわせ考慮すれば、右向坂の証言は十分信用できる旨説示しているが、被告人らとしては教育長への連絡方を要求していたものであつて、野口、並川の市教委職員を追い出す意図はなく、その行動もしていないから、右両名を室内から押し返そうとするのが自然かつ合理的とは解されないのみならず、暴行の契機、暴行態様及びその結果等において桝本証言は向坂証言と矛盾するか、少なくとも向坂証言を裏付けておらず、西岡証言も向坂証言と明らかに矛盾しており、右向坂の証言を含め桝本・西岡らの各証言は右のようなくいちがいのあることや、右暴行を否定する原審証人伴泰治の証言に照らし信用性がないというのである。

しかし、所論のように暴行の契機、暴行の態様及びその結果等において目撃者である桝本証言は、当の被害者である向坂証言と比較すれば一部不一致の部分や不分明な部分があり、向坂証言の方が詳細かつ臨場感に富んでいることは否定できないが、これは両者の立場を考慮すればやむを得ないものと考えられるし、両証言は大綱において符合しており、桝本証言は向坂証言の信用性を補強しているといつて過言ではなく、西岡証言も向坂証言と比較すれば詳細さの点で劣ることは否めないけれども、両証言も大筋において一致しているものであり、右各証言は、十分信用することができる。これに対し原審証人伴泰治は、加害者は向坂で、被告人湯浅の方が被害者である旨供述しているが、事態の推移に照らし不自然であり到底措信し難い。所論は採用し難い。

弁護人の所論は、原判決が「争点に対する判断」中、原判示第四の四に関する「被告人北小路の桝本に対する暴行を認定した理由の要旨」の項において、原審証人桝本の供述内容を記載し、右供述は極めて具体的かつ詳細であり、当時の非難攻撃の続く険悪異常の状況下から考えて自然なものであるうえ、証人向坂、同西岡もほぼ同趣旨の証言をしていることからすると、右桝本の証言は十分信用できるといわなければならず、そうすると、本件有形力の行使の程度は、単に右桝本の身体を前へ少し倒す程度にとどまらず、同人の額をその意に反して机上のガラス板に二、三回も押しつけたもので、かなり強い力で行われたことが認められるうえに、多数の組合員の眼前で同人らに謝罪するかの如き姿勢をとらせたもので、相当侮辱的な行為であつたと解されることをもあわせ考慮すれば、本件行為が、ほんの数秒という瞬間の出来事であつて、被害者が特段の痛みを感じない程度のものであつたとしても、社会的に是認される範囲を逸脱した不法な有形力の行使に該当するものと評価せざるを得ない旨説示しているが、被告人北小路がその左隣にいた桝本に対し、同人の横柄、不誠実な対応を注意する座興に「君らなあ、そんなこと言うておつたら、そのうちあやまらんならんようになるよ。」と言いながら桝本の肩に後ろから左手を軽く当てて、同人の身体を前へ少し倒すような行為をとつたのみで、それを目して暴行を加えたといわれる筋合はないことは桝本証言を全体的に考察し、被告人北小路の供述に徴し明らかであるというのである。

しかし、桝本証言は臨場感にあふれ、迫真的かつ自然であつて、真実体験した者でなければ供述できない真しな内容の供述と評価しうるものであり、証人向坂、同西岡も同趣旨の証言をしていることをも併せ考慮すると十分措信できると考えられる。そして、右桝本証言により認められる被告人北小路の有形力行使の程度は、原判決が適切に説示するとおり、社会的に是認される範囲を逸脱した不法な有形力の行使に該当するものといわなければならない。被告人北小路は原審においては本件有形力の行使について具体的に供述しておらず、当審においてこれについて供述してはいるものの、実態をわい小化して供述している趣きが強く、そのまま採用することはできない。所論は採用し難い。

弁護人の所論は、原判決が「争点に対する判断」中、原判示第四の五に関する「被告人佐藤の桝本に対する暴行を認定した理由の要旨」の項において、原審証人桝本の供述内容を掲記し、同証人の供述は、同証人自身が組合員らとの応答の際に挑発的とも解される言葉を発した点を認めるなど具体的かつ詳細なものであるうえ、証人西岡、同向坂も右桝本と同趣旨の証言をし、とくに、右暴行によつて桝本の眼鏡が外れそうになつたとの本件における特異な状況についても一致して供述していることに加え、当時教育長室が相当険悪な状況にあり、被告人らが企画労務係員らに対し、順次判示のとおりの暴行を加えていた点をもあわせ考慮すれば、右桝本の証言は十分信用できるといわなければならない旨説示するが、桝本、西岡、向坂の三証言の内容については、眼鏡の点、暴行の態様、暴行の回数及び暴行の場所的位置について看過できないそごがあり、それぞれの信用性は薄弱であるというほかない。本件の実態は、被告人湯浅らに言われ、後藤がどうなつたかを見てくるため、桝本が退室途中、「教育長に連絡したつて、教育長が会うはずがない。」と言つたのに対し、被告人佐藤が近寄つて注意したに過ぎず、およそ同被告人が桝本に対し暴行を働く動機、理由はもとより、その必要も全くないわけであるというのである。

しかし、さきに(九)において認定した事実関係によれば、被告人佐藤が桝本に対し暴行を加えた動機、理由等もそれなりに了解可能であり、また桝本、西岡、向坂の三証言の内容については、暴行の態様等について若干そごするところがあるけれども、基本的部分については合致して矛盾する点が見当たらず、原判決が適切に説示するとおり、右三証言の信用性を肯認するに十分であり、被告人佐藤が原判示第四の五のように桝本に暴行を加えたことは明らかである。所論は採用し難い。

弁護人の所論は、企画労務係らには退去を命ずる権限はない旨主張するが、この点については、さきに(二)に認定した事実によれば、鳥居総務課主幹のほか、同課企画労務係らは、教育長からの特命により退去要求をする権限を有していたことが認められるから、所論は採用し難い。

弁護人の所論は、被告人らが本件当日教育長室へ赴いたのは、その前日の一四日の日彰分室における人事主事との交渉(原判示第三の事実)の結果、教育委員長の三月八日の市議会における教職員の人事異動に際しては本人の希望を尊重したい旨の答弁の趣旨が人事主事に伝わつていないことが明らかとなつたため、教育長に対し三月一日付要求書と基本的に同一内容である右答弁の趣旨を人事主事らに徹底させるよう要求しようとしたものであつて、右の事項は適法な交渉事項であり、事柄が緊急の必要性のあつたがため予備交渉を経る時間的余裕もなかつたもので、「当局」である教育長としても、誠実にこれに対応すべき責務があつたものである。かように、被告人らの行為は、憲法及び地公法により認められた団体交渉権の行使という正当な目的に出たものであり、その入室の態様も整然としており、教育長の不在を知つた後は、鳥居主幹、籔本ら企画労務係員らに対して教育長への取次ぎを求めて交渉の申入れをしたのに、右の者らが不誠実な対応をして教育長への取次ぎを拒否したため、同室に滞留する結果となつたものの、その滞留時間も比較的に短時間であり、入室した被告人らの人員も、以前に教育長室での交渉の際に認められて来た人数であるから、被告人らの入室及び滞留行為は正当なものであつて、企画労務係員らの退去要求は不当であるから、被告人らの行為は不退去罪を構成しない。なお、原判決は、「争点に対する判断」中、判示第四についての二の「不退去及び公務執行妨害等に関する弁護人の正当行為等の主張について」の項において、「予備交渉を経ていないこと」、「員数があらかじめ取り決められていないこと」を根拠に教育長への申入れ行為を「不適式なもの」と断定し、「三月一三日に予備交渉を持つている事実があり」「当時、予備交渉自体を持つことが不可能なほど差し迫つた段階にあつたとは考えられない。」ときめつけているが、三月一三日の予備交渉については、当初は交渉をどのようにして行うのかということが話し合われることとなつていたにもかかわらず、城守総務課長が出て来て、「教育委員会において検討した結果、人事問題は管理運営事項であるから、それについて交渉はできない。」と一方的に答え、予備交渉そのものを持つこと自体が不可能な状態になつていたものであると同時に、当局が交渉を持とうとしないのであるから、あらかじめ員数の取決めができない情況にあつたものであつて、この点において、原判決は基本的な誤りをおかしているというのである。

しかし、被告人らが本件当日教育長室へ赴いたのは、前記(一)に認定したとおり、市教委の進めている人事異動案の作成作業が教職員の意思を無視した不当なものであるとして、教育長に抗議し、本人の意思を尊重するように要請する目的に出た組合の活動であるが、その入室の態様自体、前記(一)の市庁舎四階中央踊り場における市教協の「不当人事粉砕総決起集会」の直後に、あらかじめ何ら連絡することもなく総務課係員の取次ぎを経ないまま、「大橋いるか。」と言いながら、総務課室を経て、機密を要する書類が机上に置かれている教育長室に大挙して入室したものであることからすれば、右要請の目的は要請にとどまるもので、地公法五五条にいう交渉の申入れをする目的であつたものとみるには疑問があるところである。しかし、これを教育長との交渉を申し入れたものと解しても、右のような事項は地公法五五条三項にいう管理運営事項であつて交渉の対象とすることができないものであることはさきに説示するとおりである。人事異動の問題が、もともと管理運営事項であることは、それまでに市教委側から組合に対し繰り返し伝えて来ていたものであり、所論の松本教育委員長の三月八日の市議会での答弁においても、同委員長は、「人事異動は、個々の教職員にとつては色々な影響のある問題であるので、個々の教職員から提出された詳細な希望書を基にして、できる限りその希望を取り入れ納得のいくような異動をしたいというのが、われわれの本心であるが、しかし、希望を集めてみると、その希望があるところに集中していたり、児童生徒数の変動が激しく中学校の先生がうんと余り、小学校では反対に足らなくなるという現在のような時期においては、希望どおりでは円満な教員の組織ができないという実情にあるので、各学校の教育力の均衡、適材適所を考え、教職員に異動して頂くようお願いするつもりである。…組合との交渉の問題であるが、人事異動の問題は法の上で人事管理の問題であるので、どうかわれわれ教育委員会におまかせ頂きたい。」旨述べており(なお、同委員長が所論のように「人事異動は本人の希望を尊重したい」とのみ述べているものでないことは、右答弁内容から明らかである。)、このことは組合の役員である被告人らにおいて十分知つていたはずである。したがつて、被告人らにおいて人事異動が交渉の対象事項である勤務条件に該当するとの見解の下に交渉を申入れたものとしても、それはもともと交渉の対象とすることができないものをあえて交渉事項とするものであつて、不適法な申入れであるから、教育長としてはこれに応ずる義務はないのである。仮に被告人らの申入れが、人事異動の結果によつて生ずる教職員の一般的な勤務条件を交渉事項とするものであるとするならば、さきに説示のとおり予備交渉の手続を経なければならないものであるのに、これを経ないで約三〇名もの多数で押しかけ教育長に交渉を求めることは不適法であることは明らかであり、また、地方公務員である被告人らに所論のような憲法二八条の団体交渉権が当然には保障されているものでないことは、さきに説示のとおりであるから、被告人らの申入れが不適法である以上、憲法上も教育長において被告人らの申入れに応ずるべき義務がないことはいうまでもないところである。そして、入室の態様は、約三〇名もの多数の組合員と共に、教育長室の看視管理に当たつていた鳥居総務課主幹及び企画労務係員らの制止を無視して強引に入室したもので、所論のような整然とした入室とはいえるものではなく、他方、市教委当局としては、本件前日に被告人らを含む多数の組合員らが日彰分室に押しかけ、人事主事を長時間にわたり追及した事態があつたことから、このような事態の再発を避けるための措置をとることはやむを得ないものというべきであり、被告人らが教育長室に大挙入室した際には、現に教育長は不在で、その事務机の上には機密を要する書類が置かれ、これが外部の者の目に触れると教育行政上支障が生ずるおそれがあり、しかも、このような状況下にある教育長室に、被告人ら多数の組合員らが自由に滞留することを本人である教育長が承諾し、許容するはずもないことから、鳥居主幹及び企画労務係員らが教育長室の看視管理の必要上、被告人らに対し退去を要求し、被告人らがこれに応じないのみか鳥居ら市教委側の職員にばり雑言を浴びせ、暴力を加えるなどの事態となつたので、引き続き再三退去要求をしたものであつて、右退去要求はもとより正当な理由があり、反面、被告人らは、教育長の不在中に教育長室に立ち入り、前記鳥居らから退去要求を受けたにもかかわらず、退去せず一時間余りも同室に滞留し喧騒を極めたものであつて、不退去につき相当の理由が存しないことも明白であるから、被告人らの行為が不退去罪を構成するものであることは明らかである。所論は採用し難い。

弁護人の所論は、判示第四の一ないし五の場合において保護されるべき公務と公務遂行性の不存在を主張し、原判決は、「争点に対する判断」中の前記項において、鳥居らの本件公務の内容は、教育長の特命に基づく教育長室内の秩序を維持するため、その看視管理することにあつたのであるから、単に被告人らに対し、言語、動作によつて、退去要求をすることに尽きるのではなく、不測の事態に備えるため、被告人ら組合員の動静を看視し、あるいは右退去要求意思を明確化し、これを継続させるべく、同室にとどまつていることも、その職務内容に含ませるのが相当である。」旨説示するが、右教育長の「特命」については何らこれを肯認するに足りる証拠の存しないことは前述したところであり、しかも、鳥居主幹や企画労務係員らの本来的な職務は、組合との交渉を円滑に運営することであり、右職務をこそ第一義的に執行すべき責務を負つているにもかかわらず、この本来の公務を誠実に執行せず、逆に組合の交渉権限という憲法や地公法で保障された権利をふみにじる行為が、本件の退去要求行為であつたわけであるから、このような職務は、法律によつて保護されるべき公務とはいえない。さらに、本件で、被告人らが、鳥居主幹や企画労務係員らに暴行を加えたとされる際、同人らが、公務の執行中であつたか否かであるが、この点につき原判決は前示のように同人らが部屋の中に存在することのみをもつて、公務の執行中といいうるという、極めて無限定な解釈をしているが、鳥居は、退去要求するのではなく、組合員を無視して机上の書類の整理をしていたに過ぎず、向坂、桝本の件についてみても、同人らはいずれも退去要求行為とは全く無関係な行為をしていたものであり、また、鳥居、向坂及び籔本らは、必ずしも看視、管理のため組合員の動静を見守つていたものでもない。とりわけ籔本係長が組合との話をうけて部屋を退出したあと、あるいは、後藤係長が組合員と話合いをしたのち、出て行つたあとは、いずれもその連絡を待つていたもので、企画労務係員らも、籔本係長退出のあとは、全く退去要求をしていないのである。しかも、本件各行為時の状況をみるとき、看視、管理とは全く無関係に、むしろ、不当にも交渉拒否を続ける態度に抗議をするような形で各事件が発生したものとされており、「職務を執行するに当り」とは到底いえない、というのである。

しかしながら、いわゆる「特命」の存在したことについては、さきに説示したとおりであり、鳥居総務課主幹、籔本企画労務係長、向坂、桝本の同係員らは、教育長室内の秩序を維持するため、その看視、管理の任に当つていたものであり、右の公務は公務執行妨害罪にいう公務として保護されるべきものであり、また、その公務の内容は、原判決が説示するとおり、正当な理由なしに室内に滞留する被告人らに対し、言語、動作によつて退去要求をすることのほか、不測の事態に備えるため、被告人ら組合員の動静を看視し、あるいは右退去要求意思を継続維持していることを明確にするために同室内にとどまつていることも、その職務内容に属するものと解するのが相当である。そして、前記(四)ないし(九)に認定の事実関係によれば、右鳥居らが右の職務を執行するに当り、当該被告人らがこれを認識しながら、右鳥居ら企画労務係員らに暴行を加え、右公務の執行を妨害したことが認められるのである。所論中、鳥居は、退去要求をしないで組合員を無視して机上の書類の整理をしていたに過ぎないという点については、原審第五一回公判(昭和四九年一二月一九日)において証人鳥居は「自分も西南にある教育長の机の北側で北の方へ向つて後から入つて来る人達に相当大きな声で何度も「この部屋から出て下さい。」と言つたと供述しており、右供述の信用性に疑いをはさむ余地はなく、したがつて右の所論は、証拠の裏付けを欠いており、また、その他の所論の諸点も独自の見解を前提とし、あるいはさきに認定した事実に反する誤つた事実に基づくものというほかはなく、さきに説示したとおり、被告人らの教育長に対する要請が交渉の申入れであると解しても、適法な交渉の申入れとは認められず、また、適式な予備交渉を経ていないのであるから被告人らは企画労務係員らに対し、不在の教育長へ取次ぎを強要する何ら正当な根拠を有しないことは明らかである。結局、公務執行妨害罪の成立は免れないから、所論は理由がない。

弁護人の所論は、鳥居、籔本、向坂、桝本に対する暴行があり、その公務の執行が妨害されたとしても、各暴行は、組合の正当な団体交渉申入れに対し、鳥居や企画労務係員らが極めて不誠実な、しかも挑発的な態度をとり続けたことに端を発して発生した偶発的な犯行であり、積極的な加害意思によるものではなく、暴行は瞬間的な出来事で、その程度も軽微であり、鳥居や企画労務係員の受けた被害も極めて軽微で、籔本に対する傷害の程度も軽微であり、当該被告人らの公務執行妨害及び籔本に対する傷害の行為は実質的違法性がないというのである。

しかし、さきに説示したとおり、被告人らの教育長に対する要請なるものが、交渉の申入れをいうものとしても、その対象事項、申入れの態様などから適法なものといえず、また対象事項か人事異動の結果によつて生ずる教職員の一般的な勤務条件を交渉事項とするものであるとしても予備交渉の手続を経ない不適式なものであつて、教育長においてこれに応ずべき義務がないものであることからすれば、正当な組合活動とは認められず、その他退去要求を受けてからの滞留の態様、暴行、傷害及び公務執行妨害の態様、程度等一切の事情を考慮しても、本件各公務執行妨害及び籔本に対する傷害について実質的違法性がないとはいえない。所論は採用し難い。

以上のとおりであつて、原判示第四の事実に関しては、原判決には各所論のような事実誤認及び法令解釈、適用の誤りはないから、各論旨はいずれも理由がない。

第八弁護人並びに被告人湯浅の各控訴趣意中、原判示第五の事実に関する事実誤認及び法令の解釈、適用の誤りの主張について

各論旨は、要するに、弁護人において、原判決は、その判示第五において、被告人湯浅が市教委総務課企画労務係員桝本頼兼に対し暴行を加えて、その公務の執行を妨害したとの事実を認定し、該当法条を適用しているが、被告人湯浅は、教職員らの人事問題、勤務条件に関する市教協の市教委委員長宛要求書を市教委当局に手交する目的をもつて市教委総務課に赴いたもので、桝本に対し暴行を加えた事実はなく、したがつて、その公務の執行を妨害した事実もないのに、これを認定した原判決は、証拠の取捨、選択、評価を誤つた結果、事実を誤認し、かつ、誤つた事実を前提にして法令の解釈を誤り、これを適用したものであり、仮にその事実があるとしても、実質的違法性がないから、これに該当法条を適用した原判決は法令の解釈、適用を誤つたものであつて、以上の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるといい、被告人湯浅において、同被告人が桝本に対し暴行を加えた事実がなく、したがつて、その公務の執行を妨害した事実もないのに、これを認定した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認及び法令適用の誤りがある、というのである。

そこで、検討するのに、原判決挙示の対応証拠によれば、原判示第五の事実は、優にこれを認めることができ、原判決が「争点に対する判断」の項中、原判示第五の被告人湯浅の暴行及びこれを手段とする公務執行妨害を認定した理由を説示するところは首肯することができるのであつて、当審における事実取調べの結果によつても、右認定を左右するには足りない。すなわち、右証拠によれば、

(一)  市教協では、昭和四二年四月一日付で発令された退職勧奨に応じない者に対して行われた不当人事の取消し、組合役員に対する不当配置転換の撤回、企画労務係の廃止、配置転換によつて改悪された勤務条件の是正、宿日直の全廃等、教職員等の人事問題、勤務条件、更には市教委の組織等に関する要求事項を掲げ、団体交渉を要求する旨を記載した市教協議長木下義次、市立高教組執行委員長中谷隆亮外二名名義の市教委委員長松本正男あての同年四月一〇日付け要求書を作成したうえ、被告人湯浅は、同月一〇日午前一一時三〇分ころ、右要求書を市教委当局に手交するため、市教協役員の木下義次、北小路實と共に市教委事務局総務課事務室に赴いた。

(二)  当時総務課室では、企画労務係桝本頼兼と庶務係(教育次長秘書)嵯峨山和子らが執務しており、総務課長城守昌二は教育長室の西側に隣接する教育委員室において、毎週月曜日に開催される市教委事務局幹部の定例幹部会(部課長会議)に出席していて、総務課室には不在であつた。

(三)  被告人湯浅らは、黙つて総務課室のソフアーに座り、桝本から用件を尋ねられるや、「お前らに用がない。城守君を呼んでこい。」と言つたので、同人が「総務課長は定例幹部会に出席しているので、少し待つていただきたい。」と答えたが、同被告人が「お前らには用がない。」と言つて立ち上がり、会議の席へ行こうとした。そこで、桝本は、やむなく総務課室から教育長室を経て教育委員室へ行き、城守課長に右の経過を伝えて指示を求めたところ、同課長から、今手が離せないから、少し待つてもらうようにとの指示を得たので、総務課室に戻つて、その旨を被告人湯浅に伝えた。ところが、同被告人は納得せず、「五分程でいいからちよつと出てきてほしいと、もう一度城守課長に言つてくれ。」と言うので、同人が「非常に重要な用件なら会議を中断してでも出てくるように取り次ぐが、用件が分からなければ取り次ぎようがない。」と言つて、更に用件を尋ねると、「企画労務係を窓口とは認めない。お前らでは話にならん。」と言つて、立ち上がり、教育長室の入口の方へ歩いて行つたので、同人は、会議の席上に入られるのは好ましくないと考え、教育長室の入口前に立ち塞がり、「勝手に入つてもらつたら困る。」と言うと、同被告人が「どけどけ。」と怒号しながら同人の胸を五、六回両手拳で突き押した。同人が「無茶をするな、暴力を振うな。」と言うと、同被告人は「でつち上げをしやがつて、何がこんなもの暴力や。」と言いながら、再度二、三回同人の胸をたたいたので、同人が「これが暴力やなかつたら、何を暴力というね。」と言い返すと、同被告人は「早う呼んでこい。」と言つて元の場所に戻つた。同人が繰り返し用件を尋ねたが、同被告人は用件については答えず、再び教育長室の入口の方へ行つたので、同人が前同様制止すると、同被告人は同人の頭越しに、「城守、何しとるんか。」と言いながら、教育長室のドアをどんどんたたいたので、背の低い同人が「無茶をするな。」と言つて両手を上げて制止しようとしたところ、同被告人は再度両手拳で同人の胸部を二、三回突く等の暴行を加えた。

(四) 桝本は企画労務係として教職員組合の役員らが総務課を来訪した際にはこれに応対する職務を有し(市教委事務局事務分掌細則二条・総務部総務課企画労務係(6) 参照。)、本件の際も四月一〇日付要求書を手交するため総務課長を訪ねて来た被告人湯浅に対し応対する職務に従事していたものであつて、前記被告人湯浅の暴行により右公務の執行が妨害された。

以上の事実が認められる。

右認定に反する被告人湯浅の原審及び当審における供述、被告人木下、同北小路の原審における供述は、原判示第五の事実認定に用いた関係証拠に対比し措信し難い。

弁護人の所論は、原判決が「争点に対する判断」中、「判示第五について」の項において、原審証人桝本の供述内容を掲記し、右供述は、具体的かつ詳細であるうえ、当時被告人ら組合と市教委とは深刻な対立関係にあり、とくに被告人湯浅は昭和四二年三月三〇日に判示第一ないし第四の件で逮捕、勾留され、四月五日釈放されたばかりの状況にあつたことを考慮すると、同被告人が、右桝本に対し「企画労務係は窓口と認めとらん。お前らとは話しをするつもりは一切ない。」と言つて、企画労務係をかたくなに無視する態度をとるとともに、右暴行に際して、同被告人が「デツチ上げをしやがつて。」「何がこんなもん暴力や。」などと言つたとの右桝本の証言部分は、当時の同被告人の心情を如実に反映しているものと解され、同証人の作為によるものとは到底考えられないうえに、当時右桝本と並んで右ドアの前に立ら、同被告人を制止していた嵯峨山、西岡は、いずれも右桝本の証言と大筋において一致する証言をしている(証拠を仔細に検討すると、証人西岡は二回にわたる教育長室出入口扉前における入室等阻止行為のうち、第一回目が終了した後に総務課室に入室したものと考えられるし、証人嵯峨山は第二回目の暴行について言及していないが、同証人の供述によれば、恐怖感のためよく見ていなかつたことがうかがわれる状況が述べられているうえに、被告人湯浅が桝本の頭越しに扉をたたきつづけ、その間に桝本の胸を突いたという状況であるところ、桝本、嵯峨山が共に扉を背にしており、桝本の胸を突いたことが当然に目撃される関係でもないことから、同証人が第二回目の暴行に言及していないことをもつて暴行の存在を否定する根拠とはなし得ない。)ことをもあわせ考慮すれば、右桝本の証言は十分信用できるといわなければならない旨説示しているが、桝本証言は矛盾が多く、不自然であり、かつ、断片的であり、被告人らとの会話についての供述内容も定型化していて迫真性を欠いており、それらは城守課長の会議が終りかけであることも、いつになつたら会えるかということも被告人らには言つていない旨の西岡証言と対比すれば明らかであり、被告人湯浅に二回にわたつて暴行を受けた旨供述する桝本証言は、同被告人が教育長室のドアの前に行つたのは一回であるとする西岡証言や、あるいは二回であるが、二回目のときは暴行は何もなかつた旨供述する嵯峨山証言とも矛盾する。要するに桝本証言は作為的で措信できないのに、原判決の証拠評価は全く恣意的であり、採証法則に違反しているというのである。

しかし、関係各証拠によれば、被告人湯浅らが持参した四月一〇日付要求書の内容は、主として四月一日付で実施された人事異動の不当な部分の是正等を要求することが主要な一内容であつたから、右要求書の内容の一部は明らかに管理運営事項に関するもので、交渉の対象たりえないものも含んでいたうえ、およそ会議中の総務課長を呼び出してもらうためには、まず用件を伝えることが社会的常識と解されるから、用件を伝えないまま即時同課長との面接を要求されても、企画労務係としては会議の進捗状況如何にかかわらず、先ず来意の目的の説明を求める事は当然であると考えられるので、西岡証人が言う被告人湯浅らに右会議の進捗状況を伝えなかつたことをもつて、それほど非難すべきこととは解されず、被告人湯浅から二回にわたつて暴行を受けた旨供述する桝本証言は、同被告人が教育長室の前に行つたのは一回であるとする西岡証言と矛盾するという点は、西岡証人は右のような証言はしておらず、証人西岡は原判示の二度目の暴行の目撃状況を供述しているにとどまり、それは原判決が説明するように同人は定例幹部会に出席して会議の記録をとつていた関係上、二回にわたる教育長室出入口扉前における入室等阻止行為のうち、第一回目が終了した後に総務課室に入室したためであると推測するのが相当であり、被告人湯浅が教育長室のドアの前へ二回行つたが、二回目のときは桝本は何ら暴行を受けていなかつたという嵯峨山証言の点は、同証言はそのような趣旨のことまで供述しておらず、ただ第二回目の際は恐怖感のため必死でドアを持つていたと供述しているのであるから、原判決が同証人は恐怖感のため第二回目の暴行をよく見ていなかつたものとうかがわれると説示しているのは合理的であり、桝本証言は西岡証言及び嵯峨山証言と矛盾するとはいえず、桝本証人の供述内容は自然かつ合理的であり、臨場感にもあふれていて十分措信できる。所論は採用できない。

弁護人の所論は、被告人湯浅の行為が公務執行妨害に当たるとしても、同被告人が四月一日付で行われた不当人事の撤回、その他勤務条件等に関する要求事項を掲げ、団体交渉を要求する旨を記載した四月一〇日付の市教委委員長あて要求書を城守総務課長に手渡すという教職員組合の正当な団体交渉申入れ行動の一環としてなされたもので、桝本係員の不誠実な応対、態度が原因となつてなされたものであり、その有形力の行使の程度は極めて軽微で、被害法益も極めて軽微であり、実質的違法性がない、というのである。

なるほど、所論の四月一〇日付要求書の内容は、前記(一)に認定のとおり、主として四月一日付で実施された不当人事の取消し、撤回等、いわゆる管理運営事項に関するもので交渉の対象とすることができないものがあるけれども、一見交渉の対象となる勤務条件に関するものも含まれており、この点を交渉事項とする限りは、交渉の申入れは適式といえると思料される。しかし、被告人湯浅らが城守総務課長に面会を求めた際は同課長は定例幹部会に出席していて総務課室には不在であつたのであり、しかも同被告人らはあらかじめ何の連絡もなく来室したのであるから、前段にも説示したとおり会議に出席中の総務課長を呼び出してもらうためには、窓口となつている企画労務係に来意の目的ないし用件を伝えることが社会的常識であり、企画労務係員においてそれをたずねるのも当然であり、前記(三)に認定の桝本係員の応対態度をもつて、不誠実であるとか、面会要求を妨害しようとしたものとは認め難いほか、被告人の犯行の罪質、目的、態様、暴行の程度、侵害された法益の程度等、一切の事情を法秩序全体の見地から考慮しても、本件公務執行妨害について実質的違法性がないとはいえない。所論は理由がない。

以上のとおりであつて、原判示第五の事実に関しては、原判決には各所論のような事実誤認及び法令の解釈、適用の誤りはないから、各論旨はいずれも理由がない。

第九結論

よつて、本件各控訴はいずれも理由がないから、刑事訴訟法三九六条によりこれらを棄却し、当審における訴訟費用の負担につき同法一八一条一項本文、一八二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 尾鼻輝次 裁判官 木村幸男 裁判官 近藤道夫)

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