大阪高等裁判所 昭和58年(ネ)97号 判決 1983年6月22日
控訴人・附帯被控訴人(以下、控訴会社という)
阪神ローレルフーズ株式会社
右代表者
和田達也
控訴人・附帯被控訴人(以下、控訴人井本という)
井本市太郎
右両名訴訟代理人
岩崎英世
被控訴人・附帯控訴人(以下、被控訴人という)
富永明弘
右訴訟代理人
正木みどり
右被控訴人補助参加人
豊田紘生
右訴訟代理人
米田泰邦
主文
1 控訴人らの控訴に基づき原判決を次のとおり変更する。
(1) 控訴人らは、被控訴人に対し、各自、金一二二九万六〇四〇円、及び、これに対する昭和五一年一二月一五日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2) 被控訴人のその余の請求をいずれも棄却する。
2 本件附帯控訴を棄却する。
3 訴訟費用(附帯控訴費用を除く)は、第一、二審を通じこれを七分し、その四を被控訴人の負担、その余を控訴人らの負担とし、附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。
4 この判決1、(1)は仮に執行することができる。
事実《省略》
理由
一本件事故の発生
請求原因1の事実(本件事故発生の事実)は、右事故の態様を除き当事者間に争いがなく、右の事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
本件事故現場付近の道路及びその周辺の状況は、歩車道の区別のないアスファルト舗装された幅員5.7メートルの南北に通ずる道路と、右同様の道路状況及び幅員の北西から南東に通ずる道路が、ほぼ丁字型に交わる信号機の設置されていない交差点で、右交差点の東側は道路ぞいの側溝、及び、土手を経て阪急電車の軌道敷となり、右南北の道路は平坦で前方の見通しはよいが、右交差点の南西側は建物及び塀となつていて、右交差点への北進ないし南西に進行する車輛にとつて右北西の道路への見通しは悪く、右交差点への入口附近には一旦停止の標識が設置され、同所付近は制限時速二〇キロメートル毎時とされていたこと、控訴人井本(当時五四才)は、控訴会社に勤務し、これまで違反歴はないが、当日、右出勤のため加害車を運転し、右交差点西北方面から、約一〇キロメートル毎時の速度で進行し、交差点の手前で一旦停止し、右南北道路上の車輛の通行を確認しながら徐々に前進し、交差点の南方約四〇メートルの西側寄りを被控訴人が運転、北進する原告車を認めたのであるが、これが加害車を認めて減速するものと考え、約五キロメートル毎時の速度で前進右折しようとしたところ、直進を続ける原告車を自車の南立六メートルの地点に認め制動に入つたがその効もなく、加害車左前部フェンダーを、原告車と衝突させ、その後なお0.6メートル前進して停車したこと、他方、被控訴人(当時一七才、高校三年)は、冬休みのアルバイトのために原告車を運転して右南北の道路を進行し、右交差点南方約四〇メートルの地点道路左寄りを、三〇キロメートル毎時を超える速度で北進中、前方交差点に、加害車がその前部を出して停止したので、クラクションを鳴らしたところ、その運転者が被控訴人の方に顔を向けたものと認めたので、同車が停止、避譲してくれるものと思い、同速度で同一方向に進行し、有効な制動措置もとらないまま、加害車と接触、衝突し、その反動で、右南北の道路上に転倒し、原告車もろとも側溝に転落するに至つたこと、なお、右加害車は、前部バンパー左角が破損し、前ボンネット左に凹損があるが、原告車は、その前照灯、及び、エアークリーナーカバーが破損したこと。
以上のことが認められ<る。>
二控訴人らの責任
請求原因2、(一)の事実(控訴会社の加害車所有の事実)は、当事者間に争いがないから、控訴会社は自賠法第三条本文に従い、また、右一で認定の事実によれば、控訴人井本は、加害車を運転して、本件交差点で一旦停止した後徐々に前進し、その左右を確認した際、原告車の北進を約四〇メートル南方に認めたのであるから、右交差点を右折するについては、北進車の速度及びこの間の距離を十分確認し、その動静に注意して、自車を安全に発進、右折できるかを判断し、危害の発生を防止する注意義務があつたにもかかわらず、同人は、なお、原告車との間に距離があり、自車を交差点へ進入させても、被控訴人において、これを認めて減速してくれるものと軽信して、時速約五キロメートル毎時の速度で加害車を交差点内に進入させた過失により、本件事故を惹起したものと認められ、同控訴人が自車を右交差点へ進入、右折するに際し過失があるというべきであるから、同控訴人は民法第七〇九条により、それぞれ、被控訴人が本件事故により被つた損害を賠償する義務がある。
三後遺症との因果関係
被控訴人の受傷と治療経過、及び、その後遺症について検討するに、<証拠>によれば、被控訴人は、昭和五一年一二月一五日午前七時四五分頃、救急車で、参加人医師が経営する外科豊田病院に搬送され、直ちに参加人の診療を受けたところ、左下腿から左膝に多数の擦過創と開放創があり傷が汚染され骨折部が露出し、同部附近の激しい疼痛を訴え、ショック症状であつたこと、参加人は、被控訴人につき、左下腿開放骨折(脛骨、腓骨)、左膝部下腿多発性擦過創なる診断により、同部位を消毒し、二か所を縫合したが、腫脹があり、骨髄からの出血も認められていたところ、同病院医師石野とともに、同月二三日には、腰椎麻酔により、右骨折部を牽引してこれを整復し、ギプスで半周固定をし、同部の消毒処置を講じながら、骨髄炎等の危険をも含めて経過を観察した、そして、同五二年一月一〇日、被控訴人に対し、腰椎麻酔により、左脛骨骨折観血的整復術を施行し、同部に金属プレートを挿入してこれを固定し、腓骨はこれに伴う自然整復をまつこととし、ついで、同月三一日には、有窓によるギプス固定をし、松葉杖による歩行もできるようになつた同年二月四日、被控訴人は、ギブス着装のまま同病院を退院し、その後、週一回の割合で四回通院を続けた、参加人は、同年三月一一日、来院の被控訴人から、ギプスをはずすため写真撮影を予定していたところ、同人から左股関節の異常を訴えられたので、直ちに同部のレントゲン線による撮影をしたところ、左股関節脱臼が確認された、このため、参加人は、同日、被控訴人を入院させ、麻酔をかけて徒手整復を試みたが奏功せず、改めて、六キログラムの重量をかけ大腿を牽引したが、これによる復元の可能性はないと判断し、同月一五日、兵庫医大に紹介して、被控訴人につき検査を受けさせた、同医大病院医師、立石、桜井らは、同月一六日、被控訴人を入院させ、同月二二日、同人の左外傷性股関節脱臼につき、観血的整復術を施行し、更に、同五三年六月五日、同人につき関節を動かすための関節形成術(カップ形成術)を行い、その後股関節等の機能訓練を経たが、経過は良好で同五四年八月一六日症状固定と診断されていること、被控訴人の下腿骨折は、同年五月一七日化膿創治癒とされているが、股関節脱臼の後遺症として、長時間起立時の左股関節痛、運動痛などを内容とし、左股関節は、正常の約三分の一の可動性で歩行には杖が必要とされるほか、将来金属との接合部分の変性、あるいは関節痛の起る可能性があり、最悪の場合、人工関節置換術を行う可能性も否定できないとされ、自賠責保険関係、自賠法施行令別表後遺症障害等級第八級の認定を受けていること(もつとも、鑑定人大石昇平の鑑定結果では、併合の法則により同七級としている)がそれぞれ認められ<る。>
そして、以上認定の事実に、前一で認定の事故の態様を総合勘案すると、被控訴人は、本件事故における加害車との接触、又は測溝へ転落した際、左下腿を骨折するとともに、その衝撃により左股関節を脱臼していたところ、これが事故後三か月を経過して発見されたため、徒手整復でなく観血手術を余儀なくされ、かつ、その後遺症状が増大したものと推認され、被控訴人による無理な歩行、その他股関節脱臼の原因の存在を認めるに足る証拠はないから、右股関節脱臼による後遺症は本件事故に起因して生起したものと認められるところ、控訴人らは、本件事故発生後、被控訴人の治療に当つた参加人において、右事故による被控訴人の股関節脱臼を看過し、その発見を三か月遷延したため、これが直ちに発見処置された場合に比し著しい後遺障害を惹起し損害を拡大したものであり、右後遺症による損害は特別事情によるものであつて、控訴人らにその予見可能性がないから、右事故と右拡大された後遺症による損害との間に相当因果関係がないと主張するので判断する。
前記認定の事実によれば、参加人は、被控訴人から股関節の異常を告げられた同五二年三月一一日まで右関節の脱臼を認識せず、レントゲン写真により初めて右脱臼を発見したと認められるので、右異常の確認、ひいては処置の遷延につき参加人に診療上の過誤があつたか否かについて検討するに、以上認定の事実に、原審証人桜井修の証言、原審における鑑定人大石昇平、同島津晃各鑑定の結果、並びに、原審における補助参加人本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。
股関節脱臼の患者は、かなりはつきりした訴えをもち、股関節部の激痛、ないし僅かな曲げに対する痛みを訴えるものであるが、被控訴人は、参加人に対し、事故直後、左下腿骨折部痛を訴えていたのに股関節部の疼痛を全く訴えず、参加人による触診に対しても異常を訴えなかつたことから、参加人は、左下腿の外見及び同部の疼痛の訴えに基づき、同部の止血及び感染防止のための処置を継続し、単純骨折に転じたうえで、プレート固定による整復をしていたところ、創面の処理後は、ギプスシャーレによる固定ないしマットの上に下腿を高挙した状況であり、臨床所見からも股関節脱臼の発見が困難であつて、かかる股関節脱臼は、初期に発見しないと同部の疼痛は自然に減少し、松葉杖をつき始めてからこの異常を発見する例がみられる位であり、しかも、交通事故の症例では下肢の開放骨折につき、同側の股関節の脱臼を伴う例は非常に少なく、また全脱臼の三ないし五パーセントとされ、右下腿骨骨折の場合に、訴えがないのに股関節部まで全部レントゲン撮影をすることは少なく、股関節と下腿の開放骨折部とは離れており、これらを無選択に撮影することはX線障害の予防という見地からも不適当とされていること、一般論としては、股関節脱臼があり、全身状態が良好であれば、受傷後可及的速やかに、全身麻酔下で徒手整復をするべきであり、これによる予後も良好とされているが、同側に下腿の開放骨折が併存する場合には予後も悪く、右開放骨折を優先処理するのが常識的であつて、下腿開放骨折のほか股関節脱臼が発見されていたとしても、下腿骨折治療期間内の股関節整復を行うことは技術的に不可能であり、およそ一か月の治療時期の遷延は避けられないとされ、もし、同時に右脱臼の観血的手術をした場合には、その手術侵襲も大きく、手術による死亡、更には、感染更には骨髄炎の併発から患肢離断の危険もあり、参加人のように、下腿骨骨折の処置を先行し、この完治に至つているのは、骨折部手術として適切であつたとされていること、以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
以上の事実によれば、参加人は、被控訴人の股関節脱臼を見落していたというべきであるが、被控訴人の股関節脱臼は、これに下腿開放骨折をも伴なつたものであり、これらの骨折の状況、同部の処置の緊急かつ必要性を勘案すると、参加人が被控訴人に対し応急的措置による経過の観察後、同骨折部の観血的整復手術を試みた治療処置は適切であり、左股関節脱臼を発見するに至らなかつたことについても相当事情があるというべきところ、右の脱臼を当初発見したとしても、なお、下腿開放骨折の治療に関係し、その遷延が考えられる状況であつてみれば、参加人につき、被控訴人の後遺症が拡大したことに関し過失を肯認することができないから、控訴人井本の前示過失行為と、被控訴人の後遺症状の拡大との間に因果関係があるというべきであり、控訴人らの前示主張はこれを採用することができない。
なお、控訴人らの右主張につき、被控訴人が、参加人と共同して治療に関与すべきであるのに、自らの股関節脱臼を訴えないで参加人医師の治療を遷延させたとし、右後遺に対する因果関係のある過失を、その結果に対する寄与分として考慮すべき旨の主張を含むと解しても、前示のとおり、股関節の疼痛が下腿開放骨折により覆われ、時間の経過とともにこれが減少したとみられる経過、及び、参加人医院における診療の状況によれば、被控訴人が下腿骨折のため股関節の異常や疼痛に気付かなかつたとしても、このような疼痛の所在、強度等につき素人というべき被控訴人に対し、患者としての義務の違背があつたとまで認めることはできない。
四損害
1 治療関係費<省略>
2 逸失利益
<証拠>を総合すると、被控訴人は、昭和三四年二月二二日生れであり、本件事故当時一七才の大阪市立東淀川工業高校三年生在学中の健康な男子で、同五二年四月一日から、訴外不二サッシ工業株式会社に就職することが内定し、年間約一四一万四一四四円(給与と賞与を加算)の収入を得ることができたところ、本件事故による受傷のため卒業が遅れ、同年六月三〇日付けで、右会社から右採用を取消されたこと、被控訴人の傷害は、同五四年八月一六日症状固定とされ、後遺症の程度は八級程度とされ、その性質上回復の見込みはないこと、被控訴人は、その後の同五六年一月頃から、大阪市内にある淀川製版有限会社に、座作業による製版デザイナーの職を得て、同会社から昭和五六年一か年に金二〇三万〇七〇〇円(給与と賞与の合算)の収入を得ていること、がそれぞれ認められ<る。>
(1) 休業損害
右認定の事実に、前示被控訴人の傷害の部位、程度、入・通院の状況、後遺症の内容、程度を勘案すると、被控訴人は、本件事故がなければ、昭和五二年四月一日から不二サッシ工業株式会社に就労していたところ、症状が固定した同五四年八月の末頃に至るまで休業を余儀なくされたというべきであり、本件事故と相当因果関係の認められる右休業による損害は次のとおり金三四一万七五一五円となる。
(算式)<省略>
(2) 将来の逸失利益
被控訴人は、前認定のような後遺症があり、自賠法施行令別表後遺障害等級第八級と考えられるところ、被控訴人は、身体の損傷自体が損害であるとし、右等級による四五ないし五六パーセントの労働能力の喪失を肯定すべきであるとし、控訴人は、これを争うので考えるに、交通事故の被害者が事故に起因する後遺症により身体的機能の一部を喪失したが事故後において、収入面での変更がない場合であつても、これが被害者において右収入の減少を回復すべく相当の努力をするなど事故外の要因に基づくものであるか、また、その労働能力喪失の程度が重大であるか、仮にこれが軽微であつても、被害者において就労する職業の性質等に照らし昇給等での不利益を肯定できる特段の事情があるときは、労働能力の一部喪失による損害を認めるのが相当である(最判昭和五六年一二月二二日民集三五巻九号一三五〇頁参照)。
ⅰ <証拠>によれば、被控訴人は、症状固定とされた同五四年八月中旬頃から同五五年一二月末頃まで、軽作業に従事できたが、これをせずに経過していることが認められるけれども、他方、前に認定したように、被控訴人は昭和五六年一月以降座作業による就労であり、これに被控訴人の後遺症の程度を勘案すると、右症状固定後直ちに就労を予定するとしても、不二サッシ工業株式会社と同程度の規模及び職種の仕事に就き作業をする機会を得たか、また、右作業による相当の収入を得ることができたか甚だ疑問というべきであり、右は、被控訴人の労働能力の一部喪失による損害と評すべきであつて、被控訴人は右期間その労働能力の四五パーセント程度を喪失したと認めるのが相当であるから、被控訴人の症状固定時の賃金センサス(昭和五四年)第一巻、第一表、産業計、企業規模計、男子労働者、旧中・新高卒二〇ないし二四才の平均給与の月額(現金給与額に、年間賞与等の一二分の一を乗じて得られる額を加えた金一六万五一一七円、円未満切上げ)を基準として同五四年九月から同五五年一二月までの右不就労期間の逸失利益につき、月別ホスマン法により、年五分の割合による中間利息を控除して(事故後四八か月の係数から同三二か月の係数を控除した13.6935を乗じて)、事故時の一時払額を求めると、右は、金一〇一万七四六三円となる。
(算式)<省略>
控訴人らは、この点に関し、被控訴人は自らの意思により就労しなかつたものであるから、これによる逸失利益を請求できない旨主張するけれども、被控訴人の後遺障害の程度に従えば、被控訴人においてその症状固定時以降に直ちに就労を予定するとしても、その後遺症の内容、程度等から、その就労の制限される客観的状況に従い、労働能力の一部喪失による損害が存在することを否定できないから採用することができない。
ⅱ 次に、被控訴人が就労を開始した昭和五六年一月以降の逸失利益について 金八五八万四八二四円。
なお、被控訴人は、物価ないし賃金の上昇等により損害を具体的に算定すべき旨主張するが、かかる上昇の蓋然性が高いことを認めるに足る証拠はなく、将来の不確実な要因を考慮すると、就労開始時の賃金を基礎とし、その賃金の推移をも勘案しつつ、被控訴人の後遺症をも総合して労働能力の喪失を見込み、同時期で固定した金額で逸失利益を算定することは不合理なものというべきでない(最判昭和五四年六月二六日判時九三三号五九頁参照)。
3 過失相殺
前示一で認定の事実によれば、被控訴人は、事故現場交差点の南方約四〇メートルの地点を北進中、加害車が同交差点の南北道路にその前部を進入し右折しようとしていることに気付いたにも拘らず、その運転者において原告車に進路を譲つてくれるものと軽信し、その動静に注意せず、減速もしないで、二〇キロメートル毎時の制限速度をこえる約三〇キロメートル毎時以上の速度で進行したため、本件事故に遭遇するに至つたものであり、被控訴人につき本件事故発生につき過失があるというべきところ、前認定の控訴人井本の過失の内容等の事情を考慮すると、右井本の過失二に対し、被控訴人の過失一と認めるのが相当であるから、右被控訴人の過失を考慮し、その財産上の損害について控除することとする。<以下、省略>
(大野千里 林義一 稲垣喬)
別紙(昭和五六年度賃金センサスに基づく計算)<省略>