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大阪高等裁判所 昭和58年(行コ)53号 判決 1985年10月22日

京都市左京区下鴨宮崎町一六六番地の一〇

控訴人

笠松君子

同所同番地

笠松高行

東京都港区赤坂七丁目六の五六

坪井英子

右控訴人三名訴訟代理人弁護士

大槻龍馬

谷村和治

安田孝

京都市東山区馬町通東大路西入新シ町

被控訴人

東山税務署長

伴恒治

右指定代理人

竹中邦夫

熊本義城

桜井進

足立孝和

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一申立て

一、控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人が、昭和五二年一二月二六日付で、昭和四九年九月五日相続開始にかかる被相続人笠松高光の相続税につきなした、

(一) 控訴人笠松君子に対する相続税額を一億四八八六万一三〇〇とする更正処分中八一〇三万七二〇〇円を超える部分及び過少申告加算税三三九万八〇〇〇円の賦課決定処分中六八〇〇円を超える部分。

(二) 控訴人笠松高行に対する相続税額二億二六五二万一〇〇〇円とする更正処分中二億一九八八万六〇〇〇円を超える部分及び過少申告加算税三五万〇五〇〇円の賦課決定処分中一万八七〇〇円を超える部分。

(三) 控訴人坪井英子に対する相続税額を六〇三五万七三〇〇円とする更正処分中五八五八万九三〇〇円を超える部分及び過少申告加算税九万四六〇〇円の賦課決定中三万一七〇〇円を超える部分。

をいずれも取り消す。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二、被控訴人

主文同旨。

第二主張

次のとおり付加・訂正するほかは、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一、控訴人ら

1  原判決三枚目裏一〇行目および同四枚目表七行目の「課税財産額」を、それぞれ「取得財産額」と改める。

2  原判決が、控訴人君子が昭和三二年頃から手許に保有していた六二〇〇万円を幸信産業株式会社(以下「幸信」という。)及びその代表者藤田三郎に利息日歩五銭ないし五銭五厘で貸付け、昭和三九年三月二五日までにその元利金合計一億〇九六八万〇一五〇円を回収した事実を正当に認めながら、この金員を昭和三八年から昭和四一年にかけて夫の笠松高光(以下「高光」という。)が営んでいた大和病院の毎日の現金による医療診察収入に混入させていたとの事実が認められないとして控訴人らの主張を排斥したのは失当である。即ち、原判決は控訴人君子固有の右手元資金の存在を認めたのであるから、その高光の現金収入への混入の有無を明らかにするには、高光の診療による現金収入額を確定する必要があり、その為には病院の日々の自由診療収入を最も正確に判定し得るカルテとそれを集計した入金伝票によるべきであるのに、これを全く無視し、控訴人君子が記載した手帳を唯一の証拠として、その記入金額から自由診療収入を計算して、右混入の事実を否定した。しかし、右手帳は、病院の新館建築をためらう高光に新館建築を決断させるために、控訴人君子が右手元資金を毎日の現金収入に混入させ、高光に現金収入が多いように見せかけるために水増した金額を記載したものであり、正しい診療収入額を算定する資料とはなし得ないものである。また、本件査察調査により控訴人君子の固有資産も明らかにされているのであるから、原判決は控訴人君子の前記自己資金の存在を認定した以上、それが別途何らかの形で存在することが明らかにならない限り、前記混入の事実を否定することはできない筈である。

3  控訴人君子が昭和三四年六月九日と昭和三五年四月一五日に各五〇〇万円を藤田に貸付けた証拠として、控訴人らが提出した甲一号証添付の約束手形二通の手形用紙が、その振出日当時には市販されていなかったことは認めるが、これをもって控訴人君子の藤田に対する右貸付けの事実を否定することはできない。藤田が控訴人君子から資料の提出方を頼まれた際、これを紛失ないし処分済であったため、前記約束手形二通を再発行したと考えるべきである。

二、被控訴人

1  控訴人君子が幸信及び藤田に合計六二〇〇万円を貸付け、元利合計一億円余りの返還を受けたとの事実が存在しないことは次のことからも明らかである。

(一) 控訴人らは控訴人君子の幸信及び藤田に対する貸付金の証拠として甲一号証添付の約束手形や預り証の写しを提出している。

そのうち、約束手形(金額各五〇〇万円、振出日昭和三四年六月九日と昭和三五年四月一五日)については、コクヨ株式会社が様式変更を指示した昭和三七年一月一二日以後に作成・販売した手形用紙が使用されている。してみれば控訴人君子が藤田に昭和三四年八月九日と昭和三五年四月一五日に各五〇〇万円を貸付けた際、右約束手形二通を藤田から受取ることは不可能であり、右約束手形二通は後日控訴人らの主張を正当化するために作成されたものである。

また、預り証のうち、昭和三六年四月一日付一二〇〇万円、同年九月一八日付一〇〇〇万円及び同年一一月二四日付五〇〇万円の各預り証に付されている番号は五七〇ないし五七二と連続しているが、一二〇〇万円の預り証の作成日付の昭和三六年四月一日から五〇〇万円の預り証の作成日付けの同年一一月二四日までの間には約七か月余の期間がある。しかし、幸信は金融業を営んでいたので七か月余の長期間に控訴人君子以外の者からの借入金若しくは一時返済金等の預り金が全くなかったということは極めて不自然であるから、右預り証の番号が連番となっていることは、これらの預り証が一時に作成されたもの、即ち控訴人らの主張を正当化するために後日一括して作成されたものであることを裏付ける。

そうすると、番号が付されていない預り証についても、その作成日付当時作成されたものではないのではないかとの疑問が生ずる。

(二) 控訴人君子は幸信や藤田に自己資金を貸付けたことについて、「主人には絶対内緒のお金ですから、これは口がちぎれても言わないですましたいと思っていた。」と供述し(乙一二号証)、藤田を知るきっかけとして、「正月に主人の兄弟三人が集まった席で藤田さんに会ってみたらと兄さんから聞いた。」と供述している(甲六号証)。右供述からすると、控訴人君子にとって自己資金の存在は夫に絶対内緒であったのであるから、その夫の兄に相談したり、同人がよく知っている人物に預けるということ自体が理に反しているし、夫の実家で夫高光を含む兄弟三人一緒の席で控訴人君子がこのように重要な事項を明らかにしたとも考え難い。

(三) 控訴人君子と幸信・藤田は、契約書を取り交わすことなく、八回にわたる合計六二〇〇万円の貸借を行ったというが、金融業者である幸信・藤田が簡単な口約束だけで契約書を作成せずに多額の金銭を借り受けたとは考えられない。また、当時離婚を考えていた控訴人君子にとって六二〇〇万円は夫以上に頼りになる存在であるのに、このような大金を余り面識もない幸信・藤田に契約書を作成せず、担保もとらずに貸し付けたとは信じ難い。なお、幸信・藤田らは借受け金返済を証する預り証・約束手形を保管しながら、利息支払に関する領収証等を一枚も保管していないことは不自然である。

(四) 藤田らが作成したという甲一号証添付の借入金明細書によると、幸信借入金の昭和三六年九月一八日の一〇〇〇万円と同年一一月二四日の五〇〇万円の利率は日歩五銭と記載されているのに、甲三号証の「会社(幸信)借入金支払利息月別」では利息はすべて日歩五銭五厘で計算されている。

また、甲二号証の「社長(藤田)借入支払利息月別」と右甲三号証の借入金額の上部に各月の利息計算の基準となる日数が記載されているが、そのうち甲二号証(藤田借入分)の各月の日数が実日数より一日多く、甲三号証(幸信借入分)のそれは各月三〇日と取り扱いが異なっている。なお、甲二号証の取扱いで行けば、昭和三五年はうるう年で二月は二九日であり三〇日で計算すべきであるのに例年と同じ二九で計算されている。

更に、甲二号証の昭和三二年一一月の五〇〇万円に対する利息は三一日分・日歩五銭の割合の七万七五〇〇円と記載されている。前記借入金明細書によると五〇〇〇万円の借入日は同月二五日であるから、右三一日の期間は同月二五日から同年一二月二五日までの筈である。次に昭和三三年五月二〇日の借入金一〇〇〇万円についての甲二号証の同年五月の利息は同月二〇日から同年六月二五日までの三七日を基準に計算され、同じように、昭和三三年一二月二〇日の一〇〇〇万円、昭和三四年六月九日の五〇〇万円及び昭和三五年四月一五日の五〇〇万円の借入金の甲二号証の借入月の利息はすべて借入日から翌月二五日までの日数で計算されている。そうすると、昭和三八年一一月の利息は同年一一月二五日から同年一二月二五日までの三一日を基準に計算されている筈である。しかし、前記借入金明細書によると藤田の借入金は同年一二月二五日にすべて返済されているので、藤田借入金に対する利息は同年一一月で支払が終了している筈であるのに、甲二号証には同年一二月の利息も記載されている。

以上のように、控訴人らが控訴人君子の幸信・藤田に対する貸付けの証拠として提出した計算書類の記載自体にも予盾が多い。

(五) 控訴人君子は「右貸付金の利息を毎月現金で受取り、返済を受けて元利合計一億円余のうち常時七〇〇〇万円位をトランクに入れて家の押入れに置いていた。」と供述している(甲一、六号、当審)。しかし、控訴人君子が「終戦後真珠の販売から得た利益をインフレに強い宝石や真珠で持ち、これらを処分した資金を株式の購入代金等として運用し、右資金以外の一八〇〇万円を富士銀行島ノ内支店に預けていた。」と供述している(甲六号証)とおり、控訴人君子は自己資金の運用に格別の配慮をし、利殖に長けていた筈であり、昭和三八年ないし四一年当時七〇〇〇万円もの大金を利子のつかないいわゆるタンス預金にしておいたとは考え難い。

2  控訴人君子の夫の笠松高光が建築した病院の新館は、昭和三七年に設計され、昭和三八年初めに着工され、昭和三九年二月一六日に竣工しており、高光の新館を建築するとの意思決定は、設計をする以前になされていた筈であり、控訴人君子が幸信・藤田から元金の返済を受けたと主張するのは昭和三八年一一月以降であるから、「新館建築をためらう高光に気を大きくさせるために」右自己資金を高光の自由診療収入に混入したとの控訴人らの主張は信用できない。

3  本件査察時に押収したのは、カルテ倉庫に保管されていた昭和三九、四〇年分のカルテだけであり、看護婦詰所の棚に保管されていた入院患者のカルテ、受付のカルテ保管庫にあった外来患者のカルテ及びカルテ倉庫に保管されていた昭和三八年以前に初診の患者のカルテが含まれていないから、押収したカルテだけでは高光の診療による全現金収入を確定できないことは明らかである。

第三証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一、当裁判所も、控訴人らの本訴請求はいずれも理由がなく棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加・訂正するほか、原判決の理由説示のとおりであるからこれを引用する。

1  原判決六枚目裏三行目の「よると」から同四行目の「証拠はない。」までを「及び原告君子の当審における供述は、いずれも次の原告らの主張事実にそう証拠である。」に改める。

同一一行目の次に行を変えて次のとおり加える。

「しかし、成立に争いのない甲九号証の一、乙一四号証及び前掲各証拠を検討すると、当審における被控訴人の主張1の(一)ないし(五)のとおりの疑問があり、前掲各証拠によっては右(1)ないし(3)の事実を認めるに足りる証拠はない。」

2  同七枚目表一行目の「同原告」の前に「仮に前掲各証拠によって右(1)ないし(3)の事実が認められるとしても、」を、同三行目の「主張し、」の次に「原告君子は当審においてその旨供述し、」を、同五行目の「これらの」次に「供述及び」を、同九行目の「一一号証」の次に「一六号証の一・二、一七号証」を、それぞれ加える。

3  同九枚目表六行目の次に「(原告君子本人尋問の結果によると、高光は昭和三七年に病院の新館建築のための設計を終え、昭和三八年初めにその建築工事に着手し、その新館は昭和三九年二月一六日に完成したことが認められるので、混入したと主張する時期からして、高光の診療収入を実際より多いように見せかけ、高光に病院の新館建築を決断させるために混入した旨の原告君子の供述は容易に採用できない。)」を加える。

二、よって、本件控訴はいずれも理由がないので棄却し、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 栗山忍 裁判官 惣脇春雄 裁判官 河田貢)

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