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大阪高等裁判所 昭和59年(う)1011号 判決 1985年6月26日

主文

被告人山根敏男、同李方雨に対する原判決及び被告人山根一男に対する原判決を破棄する。

本件を大津地方裁判所に差し戻す。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人山根敏男、同李方雨の弁護人若松芳也作成の控訴趣意書並びに被告人山根一男の弁護人佐伯千仭、同小野誠之連名作成の控訴趣意書に各記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官小林秀春作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

各控訴趣意中、各原判決の健康保険法八七条一号の解釈・適用の誤りを主張する点について

佐伯、小野両弁護人の論旨は、原判決が被告人山根一男の判示第一及び第三の事実についていずれも詐欺罪の成立を認めたのは、健康保険法八七条一号の解釈・適用を誤つたものであるから、原判決は破棄を免れないというにあり、若松弁護人の論旨は、原判決は被告人山根敏男、同李方雨について詐欺罪の成立を認めているが、本件では健康保険法八七条一号の罪の成否が問題となるのみであるとし、佐伯、小野両弁護人の論旨と同旨の主張をするものと解される。

そこで、記録を調査して検討すると、本件は、事業主が非従業員と共謀のうえ、非従業員を従業員と偽り、非従業員について健康保険被保険者資格取得届を社会保険事務所に提出し、その者名義の被保険者証の交付を受けた事犯であるところ、原判決は、被告人山根一男につき、健康保険法八七条一号の罰則規定は「事業主が非従業員を従業員と詐つて健康保険被保険者資格取得届をしてその者名義の健康保険被保険者証を取得する場合までも包含する趣旨であるとは解せられない」とし、被告人山根敏男、同李方雨につき、「(右に同じ)包含する趣旨であるか甚だ疑問であり、また社会保険事務所の作成する被保険者原票に本来登載されるべきでない者を登載させて不実の記載をさせ、その結果としてその者名義の健康保険者証を取得するのであるから、その法定刑は刑法一五七条一項との対比において定められるのが相当であると思料するところ、健康保険法三七条の法定刑は六月以下の懲役又は二〇万円以下の罰金であり、この点からも本件は消極に解すべきである」としているので、健康保険法(昭和五九年法律七七号による改正前の。以下、健保法と略称)及び健康保険法施行規則(昭和五九年九月二二日厚生省令四九号による改正前の。以下、規則と略称)の関係諸規定を調査し、原判決の健保法八七条一号の解釈の当否について考える。

健保法八条は、保険者に対して、健康保険事業の円滑な運営を図るため、被保険者を使用する事業主の積極的な協力を確保することを目的として、事業主に健康保険の施行に必要な事務を行わしめる権能を付与したものであり、同法八七条一号は、事業主の行政上の義務違反に対する行政刑罰を規定したものであるが、同法八条及び八七条一号の「其ノ使用スル者」とは従業員(被保険者)をいい、「其ノ使用スル者の異動」には、従業員を雇入れる場合が当然に含まれるのであり、事業者の「其ノ使用スル者ノ異動ニ関」する「報告」とは、従業員を雇入れる場合に限つていえば、同法八条の規定にもとづく規則一〇条により事業主に届出義務が課されている、従業員となつた者(被保険者資格を取得した者)の被保険者資格取得届を、その者に被扶養者があるときには被扶養者届を添付して、所定の期間内に都道府県知事(社会保険事務所に提出することをいい、かつそれにつきるのである。

そして、事業主から被保険者資格取得届が提出されると、それにもとづいて確認を行い、この確認によつて被保険者資格取得の効力が生じ(健保法二一条ノ二第一項本文、第四項)、都道府県知事は、届出に係る事実がないと認めるときは文書で事業主にその旨を通知することを要し(規則二三条ノ五)、確認を行つたときは文書で事業主にその旨を通知し(規則二三条ノ四第一項)、被保険者証を事業主に送付して被保険者に交付しなければならない(規則二三条一、二項)のである。

右のように、健保法及び規則の諸規定にかんがみると、事業主が健保法八条の規定にもとづく規則一〇条により従業員の被保険者資格取得届を提出することは、その確認を得て従業員名義の被保険者証の交付を求めることにほかならないと解するのが相当であり、証拠によつて認められる本件被告人らの意思も、まさにこの点にある。

したがつて、本件のように、事業主が非従業員と共謀のうえ、非従業員を従業員と偽り、非従業員について被保険者資格取得届を社会保険事務所に提出することは、健保法八七条一号の「事業主故ナク其ノ使用スル者ノ異動ニ関シ虚偽ノ報告ヲ為シタルトキ」に当り、被保険者証の交付を受ける点は、被保険者資格取得届の提出に包含されるといわねばならない。

なお、原判決は、前示のように、健保法八七条の法定刑を刑法一五七条一項の法定刑と対比して、それを本件が健保法八七条一号に当らないとする理由の一つとしているけれども、右に述べたところに加え、「被保険者原票」が刑法一五七条一項の公正証書の原本に当るかどうか疑わしいといわねばならないから、原判決の判断は相当でない。

そうすると、被告人山根敏男、同李方雨に対する原判決が判示事実につき、被告人山根一男に対する原判決が判示第一及び第三の事実につき、それぞれ健保法八七条一号に当るとは解せられないとして各詐欺罪の成立を認めたのは、健保法八七条一号の解釈・適用を誤つたものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、被告人山根敏男、同李方雨に対する原判決は破棄を免れず、被告人山根一男に対する原判決は、判示第一及び第三の罪とその他の判示各罪とを併合罪として一個の刑を科しているから、その全部を破棄すべきである。この点の各論旨は、いずれも理由がある。

よつて、若松弁護人並びに佐伯、小野両弁護人のその余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決をいずれも破棄し、本件被保険者証騙取の各訴因には健保法八七条一号違反の訴因が生まれているとは認められないから、さらに審理させるために刑事訴訟法四〇〇条本文により本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(兒島武雄 谷口敬一 中川隆司)

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