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大阪高等裁判所 昭和59年(う)293号 判決 1986年10月15日

本店の所在地

和歌山市黒田一二番地

法人の名称

株式会社東洋精米機製作所

(一)代表者の住居

和歌山市茶屋ノ丁七番地の一六

代表者の氏名

雑賀慶二

(二)代表者の住居

和歌山市土佐町一丁目四番地

代表者の氏名

田村昌弥

本籍

和歌山市太田五七九番地

住居

同市堀止東二丁目一四番地一四号

会社相談役

雑賀和男

昭和六年三月三日生

右両名に対する各法人税法違反被告事件について、昭和五八年一二月七日和歌山地方裁判所が言い渡した判決に対し、原審弁護人からそれぞれ控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 小林秀春 出席

主文

原判決を破棄する。

被告人両名は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人澤田脩作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する検察官の答弁は、検察官検事小林秀春作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意中、公訴棄却の申立てついて

論旨は、検察官が押収後に紛失したという証拠物である「無題ノート」は、大阪国税局収税官吏により被告会社から押収(大阪国税局昭和四八年押第六二四号ノ一、和歌山地方検察庁昭和四八年領第四一五号符第五八七号ノ一)されたものであるが、これには雑賀慶二(被告会社技術部長、財団法人雑賀技術研究所理事長を経て昭和六〇年二月被告会社の代表取締役に就任、以下慶二ともいう。)の仮名預金の明細のほか、各種精米機器の試作品、改良品およびテストプラント工事につき、その性能安定の有無及び性能安定が確認されたものにつき、販売代金を慶二の所有とするとともに慶二から被告会社にその製造販売等に協力した代金を協力金として支払う旨の取決めが詳細に記載されていたものであって、右「無題ノート」こそ被告人らの無罪を立証するための何物にも代え難い最良証拠であるのに、その所在が不明になったというのでは、それが検察官の過失によるとしても、違法に被告人らの防禦手段を奪ったことに変りなく、本件公訴の提起及びその遂行は、まさに被告人らに対してその防禦権の行使を封じて処罰を求めることにほかならない。従って、本件公訴は憲法三一条、刑事訴訟法一条に背馳し、同法三三八条四号に該当するから、実体審理に入るに先立ち公訴棄却の判決がなされるべきである、というのである。

しかしながら、所論と答弁にかんがみ記録を調査しても、本件公訴提起の手続に違反のないことは明白であり、更に、原審における検察官の最終的釈明(昭和五七年二月一日付釈明書)によれば、問題の「無題ノート」は、捜査関係者が和歌山地方検察庁において、最終的にその存在を確認した昭和四八年五月三一日から被告会社社員の大畠耕治らが本件記録の閲覧申請をして右「無題ノート」が見当たらなかった同年七月一〇日ころまでの間に紛失したものと認めざるを得ないというのであるところ、収税官吏や検察官の方で故意に「無題ノート」を紛失させるなど、被告人の防禦権を侵害することによって本件公訴の維持を図ろうとする挙に出たとは到底認めることができず、他に記録及び当審における事実取調べの結果を検討しても、本件公訴提起の手続を不適法として排斥すべき理由は見当たらないから、右所論は採るを得ず、論旨は理由がない。

二  控訴趣意中、真実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は、本件起訴対象年度の昭和四四年度から同四六年度までの精米機、撰穀機、混米機及びパッカー(自動包装機)の売上金については、被告会社の売上げに属さない旨認定しながら、右各年度のプラント工事の売上分は被告会社に帰属すると認定したけれども、本件プラント工事はすべて雑賀慶二の技術指導にかかるものであり、その売上代金が慶二の所有となることは、昭和四四年一一月八日当時、被告会社の代表者であった雑賀和男(同被告人は昭和六〇年二月代表取締役を辞任、以下和男ともいう。)と慶二との間でなされたプラント工事に関する取決めに照らし明らかであり、取決めの内容は当時被告会社の総務課長であった大畠耕治が右協議に立会い、その内容を「ノート」に記載した「大畠メモ」として客観的に存在しているのである。しかるに、原審は右「ノート」の原本を取調べることもないまま、右「メモ」が果たしてその作成日とされる当時から存在していた資料であるかどうか疑念を呈しつつ結局右取決めがなされたことを否定し、プラント工事の本件簿外売上代金が被告会社に帰属する旨認定したけれども、原判決の右認定には重大な事実誤認が存する、というのである。

よって、所論と答弁にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせ検討し、次のとおり判断する。

一  当審で弁護人から証拠として提出された「新しい包装展」と表面に記載された「ノート」一冊(当庁昭和五九年押第九九号の五七、同五八年三月九日被告会社に仮還付されたもの)の記載内容を検討すると、その四枚目と五枚目とにわたり、「S44年11月8日雑賀慶二氏と社長の話し合いの結果決定した事」とあり、そのうち、「雑賀慶二氏の了解した事」として「プラント工事について技術的に会社が、困難なものについては、試作販売を行い、私(慶二氏)が全責任をもつ。但しその内に試作機以外のものも含まれるが、すべて私(慶二氏)のものとする。この場合も会社の協力することは変わらないが、それ以外は私(慶二氏)の負担とする(大阪中山ノウハウ方式と同様とする。)社長が了解する(全部)。」との記載があり(以下右の「ノート」を「大畠ノート」、「メモ」の部分を「大畠メモ」ともいう。)、その記載内容は、プラント工事について当時被告会社の社長であった和男と慶二との間になされたという弁護人主張の取決めに符合するものである。

二  ところが、「大畠ノート」ないし「大畠メモ」は、結局原審において証拠として提出されなかったものであり(ただ、原審第四四回公判において、弁護人から「大畠メモ」のコピーが証拠として請求されたが、検察官の意見がないまま第六三回公判で撤回されている。)、従って原審は、プラント工事に関する前示取決めの有無を判断するにつき、「大畠メモ」をその資料とするに至らなかったことが明らかである。

三  検察官は本件プラント工事の売上代金が慶二に帰属するとの前示和男と慶二との取決めを記載した「大畠メモ」が、果たして作成日とされる当時から存在したかどうか甚だ疑わしく、到底右のような取決めがなされたとは認められないと反論する。

この点につき、証人大畠耕治の原審及び当審における供述によると、「大畠ノート」のうち、昭和四四年一一月八日の項の部分は、当時被告会社の総務課長であり、社長(和男)の秘書をもしていた大畠耕治が、同日被告会社応接室での和男と慶二との話合いに同席し、その話合いの内容を「メモ」として記載したものであり、同日以外の項についても、両者の協議に加わった同人がその都度その内容を記載している個所のあることが認められて、他にこれを覆えすに足りる証拠はなく、「ノート」の内容及び記入順序等を子細に検討するのに、その内容は年月の経過の順に記載されており、問題の「メモ」の部分が後日書き加えられたと疑うに足る点は見出せない。

ところで、プラント工事の売上金は慶二に帰属するとの前示取決めにつき、慶二は昭和四八年四月二八日付検察官に対する供述調書(以下何某の検面ともいう。)において、「昭和四三年春頃、会社が初めて大阪米販のプラント工事を行ないましたが、失敗した苦い経験があるので、兄(註・和男のこと)が私に指導してくれと頼んできたのです。四三年秋頃でした。私と兄が話し合った結果、私がプラント工事の指導をするが、その代り、機械の売上金も含めてその工事の収入金は、私のものとすることを納得してくれました。その代り、付属品の代金や代理店マージン、売り先の接待費のような販売に伴なう費用は、私が負担するようにしました。この申し合せは、契約書など取り交わして契約という形にしたかどうか覚えていません。重要な話し合いをする時には、いつも大畠君がいてメモをとるようにしていましたので、大畠君がそのようにしているかもしれませんが、この点もはっきりしません。尚今日申した事も記憶に基づく事ですから、記憶違いがあるかもしれません。」と供述し、

大畠耕治は昭和四八年五月一四日付検面において、「昭和四〇年一一月に、パッカーの売上げをA(公表売上、以下同じ)とするかB(簿外売上、以下同じ)にするかの基準を、雑賀慶二さんと社長とが話し合った後で、プラント工事は、従来からやっているとおりBにするという話し合いがあったのです。この二人の話を聞いていると、プラント工事は技術的な面があるので、得意先からクレーム等があった場合に、慶二さんに責任をもってその処理をしてもらうので、プラント工事は、一切合切慶二さんのものとして一応B勘定としておく。そしてプラント工事の安定時期が来たら、社長と慶二さんとで話し合って、売上金の幾らかを会社に返すという内容のものでした。」と供述するのであり(なお、右の昭和四〇年というのは、同人の同年四月一〇日付検面等からみて、昭和四四年の間違いではないかと思われる。)、

以上の各供述には多少の食い違いはあるものの(日時の食い違いの点は、いずれも記憶に基づいて数年前のことを供述するのであるから正確とはいえないと思われる)、いずれの供述も「大畠メモ」を示して取調べられた形跡がないのに、大筋において符合しており、これらの供述に「大畠メモ」の供述を総合すれば、その当時プラント工事の売上金は、慶二の所有とする旨の話し合いが行われ、これを記載した「大畠メモ」が存在し、かつまた、それが全く事実無根の内容を記載したものでないことが認められる。

更に、「大畠ノート」の前同日付の、「雑賀慶二氏と社長の話し合いの結果決定した事」の内容には、右の外に、大畠は前示プラント工事のほかパッカーについても記載しているが、このことは、大畠耕治の昭和四八年四月一〇日付、同月二七日付検面及び慶二の同年四月二七日付検面により明らかなとおり、同年一一月ころに和男と慶二とがパッカーの販売について、従来、和男と慶二とがパッカーの販売に関する条件を緩和し、返品の虞がないと認められる場合等については、慶二が被告会社にその販売を許可するという趣旨のものであって、このことから推しても前示プラント工事に関する「メモ」が架空の内容を記載したものでないことが窮われるのである。

四  もっとも、和男は、昭和四八年五月一六日付検面において、「慶二が技術援助をしたプラント工事の収入を慶二のものにするという話は聞いた覚えがない。」旨供述していることは検察官主張のとおりであり、当時の会社代表者として、その経営の根幹に触れる重要問題について、「聞いた覚えがない」との供述は、右「大畠メモ」の内容はもとより、その存在自体に疑念を差し挟む余地を残すものといえなくはない。

しかしながら、「大畠メモ」が存在し、その内容も事実無根の架空のものとは認められないことは既に前認定のとおりであること、和男は本件により昭和四八年四月九日逮捕され、同年同月二七日まで勾留されて取調べを受け、釈放後にもなお数回にわたり取調べられているが、一連の取調過程において、当時もとより押収されていた右「大畠ノート」を提示されて弁解を聞かれた形跡はないこと、若し提示されておれば、果たして右と同様の供述をしたかどうか甚だ疑問であることなどから考えると、和男が原審(第六二回公判)で、「慶二が技術援助をしたプラント工事の収入を、慶二のものとする話合いをしており、そのことは「大畠メモ」にある。それなのに、慶二と話し合いをした覚えはないというようなことをいったのは、頭が混乱しておったか、問いを勘違いしておったとしか言いようがない。」と供述していることも、一概に嘘であると排斥できず、この点に関する前記慶二及び大畠の各供述に照らしても、和男の右「聞いた覚えがない」旨の供述は信用性に乏しいものといわざるを得ない。

五  検察官は、「大畠メモ」が虚偽のものであり、信用できず、これを根拠に、多大の利益が生ずるプラント工事の売上代金全額を、慶二に帰属させる取決めをしたというにしては、それが「メモ」程度のものによっているのは、不自然、不可解であること、本件プラント工事の取引きは、すべて被告会社名でなされ、工事に必要な資材、労働力及び営業費なども被告会社が負担しているのに、慶二が技術指導をしたというだけで、被告会社の利益を左右しかねない売上全部を慶二に与えてしまうことは企業経営上到底あり得ないこと、経理処理についてみても、簿外売上分は、多くの銀行に仮名の預金口座を設けて秘匿保管されて、宙に浮いた資産となっており、その運用面においても、必要に応じて被告会社の土地購入資金や関連会社の出資金などに充てられていることなど、これらの事柄をも加えて総合すると、本件プラント工事代金がすべて慶二に帰属するものでないことが明らかであると纏々主張し、その指摘をまつまでもなく、関係証拠によってみると、一見して不自然、不合理と思われる点が全くないわけではなく、一件記録を精査しても、解明できない点が残されていることを否定することはできない。

しかしながら、それにも拘わらず、本件を考察するに当たって看過できない諸点、即ち、原判決が認定しているようにそもそも長年にわたる被告会社と慶二との関わり合いに経過変遷のあること、被告会社の経営が慶二の持つ余人をもっては代えがたいといわれる技術力とその指導に負うところが極めて大きかったこと、その故にこそ昭和三九年八月三日付で、被告会社と慶二の間に、「技術指導に関する基本契約」が締結されていること、被告会社は、かってプラント工事施工に失敗して損失を受けたことから、昭和四四年一一月八日に前記「大畠メモ」にいう取決めを慶二との間で交したこと、右取決めは、従って右「基本契約」と密接に関連する性質のものであり、プラント工事売上金全部を慶二が取り込む趣旨のものではなく、将来精算が予定されていたものと窮われること、そうすると、本件売上金の全部を慶二に帰せしめB勘定(簿外売上)として処理していたことも、右精算に至るまでの間の暫定的処理と考えられないわけではないことなど、関係証拠によって認められる本件周辺の諸事情を加え上記認定の事実と総合すると、「大畠メモ」を含め「大畠ノート」が虚偽の内容を記載し、或いは単なる茶飲み話をメモしたに過ぎないものとは断定し難い。

六  以上の次第で、プラント工事の売上金が慶二に帰属するとの「大畠メモ」の存在とその内容はこれを容認せざるを得ず、そうだとすると、原判決が本件起訴対象の昭和四四年度から昭和四六年度までの被告人の売上除外と認定したプラント工事の売上額は、被告会社に帰属せずすべて慶二の所有となる筋合いであるのに、これを認めなかった原判決には重大な事実誤認があり到底破棄を免れない、といわねばならない。弁護人の論旨は理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により更に判決することとするが、本件公訴事実中、原審が有罪と認定した以外の起訴対象年度の所得については、原判決認定どおり被告社会の売上除外とはならず、また、有罪と認めたプラント工事の売上分についても前示のとおり同様であるから、結局本件公訴事実についてはその全部につき犯罪の証明がないことに帰し、同法三三六条により、被告人両名に対し無罪の言渡しをすることとする。

(裁判長裁判官 原田直郎 裁判官 荒石利雄 裁判官 谷村允裕)

○ 控訴趣意書

被告人 株式会社東洋精米機製作所

同 雑賀和男

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、左記のとおり控訴の趣意を述べる。

昭和五九年六月一日

右弁護人 澤田脩

大阪高等裁判所第三刑事部 御中

原審は

被告人株式会社東洋精米機製作所を罰金一、〇〇〇万円に処する。

被告人雑賀和男を懲役五月に処する。

被告人雑賀和男に対し、この裁判の確定した日から二年間その刑の執行を猶予する。

旨の判決をした。

しかし、右原判決は次の理由により破棄されるべきである。

第一 公訴の不法受理

一 本件基礎にかかる被告人株式会社東洋精米機製作所(以下被告人会社という)が売上げ除外したとされるものは、実は雑賀慶二(以下慶二という)所有の精米機、撰穀機、混米機、自動充填計量包装機(パッカー)等の試作品、改良品及びテストプラントの売上げを、これらの試作品等が性能の安定するまでの間は、いつ返品されるかわからず、従っていつ返金しなければならないかわからない故に、慶二の預り金として仮名預金等の形で保管されていたものであって、被告人会社の売上げではなく、もとよりその売上げ除外でもない。従って、被告人らは明らかに無罪である。

二 ところで、被告人らのこの無罪を立証する最も最も重要な証拠が外ならぬ「無題ノート」(検察庁領置番号昭和四八年領第四一五号符第五八七の一号)である。

右「無題ノート」には、慶二の仮名預金の明細の外、各種精米機器の試作品、改良品及びテストプラントにつき性能安定の有無、及び性能安定が確認されたものにつき販売代金を慶二の確定的な収入とするとともに、被告人会社に対して、被告人会社がその製造、販売等に協力した代金を協力金として支払うことの取決めが詳細に記載されていた。従って、右無題ノートこそ、本件対象の仮名預金が慶二に帰属することを明らかにする唯一の最良証拠であって、他の何物にも替え難いものである。

三 それ故、被告人雑賀和男(以下和男という)は本件起訴直後から弁護人を通じ、または自ら直接検察官に対し右「無題ノート」閲覧を申出たが、検察官からはその部分的なコピーを手渡されただけで、原本の閲覧を許されなかった。しかも、右のコピーには、被告人らにとって必要な前記の取決め事項に関する記載の頁部分が全く欠如していたのである。そこで、被告人和男は口頭または書面で繰返し右ノート原本の閲覧を申出たのである(弁第一、二、三号証)。にもかかわらず、検察官は右閲覧要求に対して言を左右にして応じなかった。

四 ところが、原審第七回公判期日(昭和四九年一二月二五日に至って、担当検察官から同日付釈明書により「右無題ノートは押収後大阪国税局から和歌山地方検察庁に引継いだが、所在が不明で、なお捜索予定である」旨の全く意外な釈明を受けたのある。

検察庁で押収された重要な証拠物が所在不明となり捜索するなどということ自体およそ考えられないような不可解なことであるが、その証拠物が先に述べたとおり、被告人らにとって無罪を立証するための最良証拠であって、他の何ものにも替え難いものであるから尚更不可解である。検察官は右「無題ノート」が、本件公訴の妨げになるためこれを故意に滅却した疑いすら抱かせるが、それが検察官の過失によって失ったとしても、違法に被告人らの防禦を奪ったことは間違いがない。

本件公訴の提起及びその遂行は、まさに被告人らに対してその防禦権の行使を封じて処罰を求めることに外ならない。

五 右の次第であるから、本件公訴は憲法三一条が規定する法定手続の保障に違反することは勿論、刑訴法一条が定める「個人の基本的人権の保障を全うしつつ、、、」との刑事裁判の基本原則にも背馳することが明らかであるから、刑訴法三三八条四号にいう「公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとき」に該当し、公訴棄却の判決がなされるべきである。

六 弁護人は原審第一一回公判で、昭和五〇年一二月八日付「弁護人の意見」書をもって、右の理由により公訴棄却の申立をした。

ところが、原審は右公訴棄却の申立について判断をせず、被告人の防禦に支障のないよう十分配慮するとして、実質的審理にはいる旨を告げて審理の進行を強行し、弁護人もやむなく、原審の指揮に従って審理の進行に協力した。他方、検察官はなおも「無題ノート」発見に鋭意努力すると言明したのである(以上の経過につき原審第五回ないし第一五回公判調書参照)。

七 しかし、その後、原審も検察官も、まるで右「無題ノート」の件について、素知らぬ態度のまま、審理を進行したので弁護人から再三にわたって、右無題ノートの捜索状況につき釈明を求めたが、検察官はその都度、目下捜索中である旨の釈明を繰り返すばかりであった。

そして、実に、足かけ九年を経て、原審の審理も最終段階に至った昭和五七年二月になって、検察官は漸く無題ノートを紛失した旨釈明したのである。一体、検察官は九年近くもどこをどのように捜索していたのか理解に苦しむ。第三者から押収したものでなくて、当事者の一方である被告人の手許から押収しながら、しかも、被告人らがそれを求めてやまないにもかかわらず、検察官のこの態度は、被告人らの人権を軽視するも甚だしく、公益の代表者たるの使命に背くものと評せざるを得ない。

のみならず、検察官は、右「無題ノート」の検察官にとって都合のよい、明らかに一部分のみのコピーをもって、それが全部のコピーである旨強弁し、且つそのための立証に腐心したのである。このような検察官の行為こそ、訴訟関係者が尊重されなければならない信義と誠実に反する。先に、故意に検察官が「無題ノート」を滅却したとの疑いがあると、指摘したのも、以上のような検察官の不信極まる態度に因るものである。

八 原審は審理の最終段階において、弁護人の先の公訴棄却の申立をめぐる検察官の主張立証により、なお審理が遅延することから、弁護人に暗に右申立の取下げをするようほのめかし、結局、弁護人において無罪の実体的判決を期待して最終弁論において右申立を取下げることとなったのである(弁論要旨八九頁参照)。しかし、右の期待は見事に裏切られた。

九 さて、原審は、「無題ノート」に関して

(1) 無題ノート原本は、検察官側の落度によって紛失したと認められる。

(2) 検察官は無題ノート原本と同一内容の国税査察官作成の「写し」が存在するとして、これを証拠として提出し、無題ノート紛失の責任はもっぱら検察官が負うべきものである旨の弁護人の主張を的はずれであるかのように反駁するけれども、本件捜査に直接たずさわった国税査察官作成のごとき「写し」は原本との同一性をにわかに認めるわけにいかない。

(3) 「写し」を作成したという小畠需は、「写し」は原本の記載があるページやはさみ込み資料についてすべてコピーし、閉じる順序をたがえたことはない旨証言するが、コピーの内容的なつながり具合などからして「写し」が原本と同一であるか疑問なしとしない。

(4) 検察官は、無題ノート原本の内容は本件起訴対象年度後である昭和四七年四月以降の預金明細が記載されていたもので、本件に関する証拠には役立たないかのように主張し、小畠証言もこれに符合するけれども、「写し」の内容からは明らかに昭和四六年四月以降昭和四七年三月までの預金明細に関する記載が読みとられ、大畠の検面調書中には、無題ノート原本に基いて本件起訴対象年度分の定期予金等について説明が求められており、検察官自身冒頭陳述で無題ノート原本を証拠として掲げていたことなど、無題ノート原本が本件公訴事実に直接かつ深く関係する資料であったことは明白である。

旨認定している(原判決書六一丁表以下)。

更に、原審は、「検察側はその責に帰せられる立場にあって本件公訴事実の双方の立証に密接に関係があると推量される証拠物を紛失したものであれば、そのことによる立証上の不利益は自ら負担しなければならず、まず、原本に代えて「写し」によって自己に有利な事実を立証しようとすることは、その「写し」の同一性に多少とも疑問がある場合には許されないとされることは当然であろう」と述べている(原判決書六三丁裏)。

検察官が自らの責により証拠を紛失し、それによる立証上の不利益を負担するのは、原審が右に述べるとおり寧ろ当然である。しかし、問題の「無題ノート」は、繰返し述べるとおり、被告人らにとっては無罪の決めてとなる証拠であって(それならばこそ、被告人は起訴直後から、その原本の閲覧を検察官に対して求めていたのである)、しかも、それは被告人の手許から検察官側がいわば奪い取ったものである。それを検察官の責によって紛失されたことによる被告人らの立証上の不利益こそ、まさに重大であるといわなければならない。

一〇 当審において、あらためて、前記五に述べた理由により、公訴棄却の判決を求める。

第二 事実誤認

仮に、第一の公訴棄却の申立が理由がないとしても、本判決は以下に述べるとおり事実を誤認するものであって、被告人らは無罪であり、破棄されるべきである。

一 原審は、本件公訴事実中、精米機、撰穀機、混米機及びパッカーについては、被告人会社の売上除外とされているものは、被告人会社と慶二との間の昭和三九年八月三日付の技術開発に関する基本契約(第九条)により、慶二の所有に帰属する試作品、改良品の売上げによるものであって、被告人会社の売上げに属さず、その売上げ除外ではない。との弁護人の主張を容れ、結局、これらを無罪とした。しかるに、プラント工事については、その代金相当額は本件起訴対象年度分ごとに被告人会社の売上げ除外と認めざるを得ないとして、この部分につき有罪とした。そして、右有罪認定の理由として、昭和四四年一一月八日、被告人会社代表者和男と慶二との間で協議した結果締結された「プラント工事について技術、的に会社ですることが困難ものは慶二が行ない、慶二が全責任をもつ。但し、そのプラント工事の中に試作機以外の製品が含まれてもすべて慶二の所有とする。」旨の取決めについて、(一)、一方当事者の和男は、昭和四八年五月一六日付検面調書で「慶二が技術援助をしたプラント工事の収入を慶二のものにするという話は聞いた憶えがない」旨を供述していること、(二)、プラント工事は代金額はときに千万円単位にも及ぶ巨額になることもあって、製品個々の販売とは比較にならない大きな収益が期待されること、(三)、右プラント工事は、それぞれが特別仕様による大きな試作品ともみなし得るが、将来の量産とは関わりがない一発勝負的な工事であって、後日補修などがあるにしても、一般の試作品、改良品のような返品の自体が起ることは予想されないこと、従って失敗が許されない重大な取引となる筈であること、(四)、慶二がプラント工事の技術指導をしたというだけで、同人にその売上げ利益を全部与えてしまうというのはその必要性が認められず、利害の均衡を失すること、(五)、右の取決めが、文書による明確な契約として約定されていないというのは不自然且つ不可解であること、(六)、大畠耕治が捜査段階で右取決めの大畠メモに触れていないことから果してその作成日とされる当時から存在していた資料であるか否か疑念が残ること等から判断して、右のような取決めがなされたとは到底考えられない、というのである。

しかし、原審の右の判断は極めて独善的であって不当といわざるを得ない。

二 被告人会社と慶二間のプラント工事(テストプラント製品というべきである)に関する前述の取決めは、昭和四四年一一月八日和男と慶二との間で協議の結果なされたもので、その取決めの内容は、当時被告人会社総務課長であった大畠耕治が右協議に立会い、その取決め内容をノートに記載したいわゆる「大畠メモ」として客観的に存在している。従って、原判決が指摘する和男の前掲検面調書での供述記載があるからとて、それは和男がたまたま右取決めの事実を失念していたか、勘違いをしていたかに過ぎず、これをもって右大畠メモの客観的な存在を否定することはできない。大畠耕治が捜査段階で右メモについて触れていないというのも、取調官から特にこの点について訊かれなかったために触れることがなかったまでのことである。

三 右大島メモは、右のような作成状況からしても本件のごときを全く予期しなかったという点において、意図的にまたは作為的に作成されたものではないことが明らかである。もし、関係者において本件のごときを予期し、これに備えて意図的に右のような取決めをしたというのであれば、契約書等の形で、殊更文書化が図られていたであろう。

しかし、この取決めは、試作品、改良品に関する前記の被告人会社・慶二間における昭和三九年八月三日付「技術開発に関する基本契約」と密接に関連するものとしてなされている。即ち、右取決めに関する協議では、単に、プラント工事のみならず、パッカー等の件についても合せて協議されて、取決めが行われているのであって、且つ、プラント工事に関する取決め内容も、右基本契約における一種の「試作品」であって、改良品について、その改良部分だけでなく、改良品の機械全部を慶一の所有にするとの契約内容と同趣旨の考え方を、プラント工事にも適用するとの立場から、関係者の認識としては、右基本契約の追加ないしは拡張的事項として、考えられていたものである。従って、これについて、当事者間で改めて契約書等の文書が交されなかったことは決して不自然でも不可解でもないといわなければならない。

四 まして、取決めの当事者は実の兄弟の間柄にあり、その間の気易すさや、信頼関係が強いこと、且つ右取決め内容も当事者間におけるいわば内部的な極秘事項に属し、第三者に対する対外的な対抗事項としてその効力の有無を問擬するごとき性質のものでない故に尚更これを文書化する程の必要性を認めなかったのである。

原審は、右の取決めが文書による明確な契約として約定されていないというのは不自然且つ不可解であるというけれども、それは、右のような事情を無視した全く無理解な批難であるといわなければならない。

五 プラント工事は、その代金額がときに千万円単位にも及ぶ巨額になることもあり、製品個々の販売とは比較にならない大きな収益が期待されること、それは、それぞれが特別仕様による大きな試作品ともみなし得ること、原審が述べるとおりである。また、それが失敗の許されない重大な取引であることも原審指摘のとおりである。しかし、プラント工事が将来の量産とは関りがない一発勝負的な工事であって、後日補修などがあるにしても、一般の試作品、改良品のような返品の事態が予想されないことであるとか、慶二がプラント工事の技術指導をしたというだけで、同人にその売上げ利益を全部与えてしまうというのはその必要が認められないとか利害の均衡を失するなどという原審の判断はプラント工事の問題を正当に理解しないものである。

六 そもそも、プラント工事について前述のような取決めをするに至ったのは、被告人会社がはじめての大規模なプラント工事に失敗したことに因るものである。会社は右の失敗のために、甚だしく信用を失墜するとともに、某大な損害を被った。しかし、和男は技術的に困難なプラント工事の以後の受註を断ることは、会社の将来にとって甚だしく不利益になることを慮り、結局、当時の会社の技術的能力をもってしては手に負えないプラント工事については、以後その技術指導を慶二に依頼することになったのである。

七 会社と慶二とのプラント工事に関する取決めがなされたのは右のような経緯によるものであるが、それには、慶二の卓越した技術的才能が前提になっていることは勿論である。

精米機、撰穀機、混米機、パッカー等の各種機器について慶二の開発により、被告人会社が製品化したものは、いずれも、同業他社からの嫉妬と羨望の的であった。そして、悪質な業者に至っては、その技術を模倣して盗作を繰り返して来たものさえ現われ、これに関する訴訟上の紛争が跡を断たなかった程である。

いうまでもなく、開発の基本的な条件は、製造コストが低廉で且つ優れた性能を有するものであることを要する。しかし、言うは易いが、この条件を充す開発は極めて困難である。その点で、慶二による開発は他の追随を許さなかった。そして、それによってもたらされる利益は図り知れず、且つ替え難いものである。

八 プラント工事(プラント製品)についても、一個のプラント製品の成否は将来の同種の受註に大きな影響を及ぼすものであって、原審がいうような単発的な取引に終るものではない。むしろ、一つのプラント製品のいかんは将来の量産に大きなかかわりをもち、決して一発勝負的なものではないのである。

また、それは返品の事態が予想されないことでもないのである。その工事に一旦失敗するときは、その失敗の程度によって補修が不可能であることもあり、仮に補修が可能としてもそれによって莫大な費用と、納期の遅延など受註先に大きな迷惑と損害を被らせることもある。と当時に、その成否は会社の信用を左右するといっても過言ではない。

プラント工事におけるかような問題を解消し、これを成功に導くためには、高度な技術が必要不可欠である。その工事が複雑になればなる程、それに伴ってより高度な技術が要求されることは当然である。

九 被告人会社は前述のように、大規模なプラント工事の失敗に鑑み、以後のプラント工事について会社が手に負えないものには慶二の技術指導を求めようとしたのも当然で、これにより、そのプラント工事について、精米機器の改良品と同様、そのテストプラント製品を慶二のものとするとの慶二の要求を呑み、前述のような取決めを承認せざるを得なかったのもやむをえなかったと言わなければならない。蓋し、右の取決めは、一見大きな利益を慶二に与えることにはなり、その工事だけについてみるときは、被告人会社としては割に合わないように見えるけれども、会社は慶二の指導によりその技術を修得することができ、以後はその修得した技術を活用して同種のプラント工事を会社独自で行うことができるから、その利益を考えるときは、決して損失にはならないのである。しかもプラント工事をよくこなし得るか否かは一般精米機器製品の取引にも重大な影響を及ぼすのである。かようにしてプラント工事については、実績が非常に重要であることは言うまでもないところ、これを会社の名ですることによって会社は実績と信用とを得ることができることになる。

一〇 慶二がしたプラント工事(テストプラント)についても、その売上げが慶二の預り金として仮名預金の形で保管されていたこと、その性能安定が確認されたテストプラントにつき被告人会社に協力金を支払うこと等は精米機など他の一般精米機器と同様である。従って、慶二がしたテストプラントの収益をすべて慶二が取得するわけではなく、協力金の形で被告人会社に還元されていたのである。原審は右のテストプラントについてその収益のすべてをあたかも慶二が独り占めにしていたかのごとくいうけれども、決してそうではない。

そして、右のテストプラントについても、もとより前述の「無題ノート」にその性能安定の有無、協力金支払に関する事項等が記載されていたのであって、その扱いは他の一般精米機器の試作品、改良品と全く同様である。これによっても本件プラント工事が慶二に帰属すること、従って、その売上げが被告人会社のものでないことは明らかである。しかるに原審がプラント工事のみについて、被告人会社のものと断定していることは全く事実を誤認するものであって、矛盾も甚だしい。

一一 要するに、テストプラント製品についての前述の昭和四四年一一月八日付取決めによる会社の支出は、他の精米機器の試作品、改良品と同様、被告人会社の技術投資に外ならない。物的設備のように投資対象が目に見えるものについては、その評価が比較的容易であるが、被告人会社の如く機器関係については技術的革新はまさに日進月歩というべく、優れた技術なくしては、事業は成り立たない。その意味で技術の導入は物的設備などと並んで、極めて貴重であって、そのための巨額な投資がなされたからとて何ら怪しむに足りない。否寧ろ、技術導入のための惜しみない投資こそ、この種事業の発展を支える原動力であることを忘れてはならないのである。

しかるに、原審はこの点の正当な認識を欠き、技術という目に見えない知的作業の評価の重大且つ重要であることを看過し、これを過少評価した結果、本件の判断を誤ったものといわなければならない。

一二 本件プラント工事に関する会社と慶二との間の前述の取決めは、既述のとおり、その内容を大畠がノートに記載している。そのノートの原本を検察官は、被告人会社から押収したのに、原審では、弁護人の度重なる要求にもかかわらず、頑としてこれを証拠として提出せず、原審も敢て、提出命令等の措置もとることなく、右検察官の態度を黙認した。

思うに、検察官が第三者から収集した証拠ならともかく、被告人の手許から押収した証拠物について、被告人、弁護人からそれを証拠として提出するよう要求されたにもかかわらず、これに応じないでその証拠物を証拠として使用させずに隠匿するということは、証拠隠滅以外の何ものでもないといわざるを得ない。

これを本件についてみるに、前述のとおり、被告人会社から大畠のノートを押収しておきながら、弁護人の再三の要求にもかかわらず検察官はこれを証拠とすることを拒否したのであって、到底許し難い証拠隠滅行為であるといわなければならない。

一三 原審は、右の検察官の証拠隠滅行為を黙認し、結局、そのノートの原本を取調べることができなかった。従って、右ノートの記載内容について、本件プラント工事に関する取決メモの内容と前後の記載内容との関係、メモの体裁、形状その他について原審は全く知ることができなかった。右取決めの事実の有無について最も重要な証拠である右ノートの原本によって直接そのメモの存在、内容、形式等について調べることなく、原審が、右取決めメモを、果してその作成日とされる当時から存在していた資料であるか否か疑念が残るなどと判断すること自体、「事業の認定は、証拠による」(刑訴法三一七条)との証拠裁判主義の大原則に反するものと言わなければならない。

当審においては、是非右ノートの取調をしていただきたい。

一四 以上の次第で、原審は明らかに事実を誤認している。原判決破棄のうえ、あらためて、被告人らに対し無罪の判決を賜りたい。

以上

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