大阪高等裁判所 昭和59年(う)328号 判決 1984年7月13日
主文
原判決を破棄する。
被告人を禁錮六月に処する。
この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人佐伯照道、同中島健仁連名作成の控訴趣意書および控訴趣旨補充書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官小林秀春作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について
論旨は、伊丹警察署司法警察員杉本重紀作成の昭和五七年三月一〇日付実況見分調書添付の交通事故現場見取図は、実況見分に立ち会わなかつた同署司法警察員遠藤正彦が作成したものであるから、刑事訴訟法三二一条三項の要件を欠き証拠能力がないのに、これを証拠として採用し、右見取図により本件衝突場所を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。
よつて、所論と答弁にかんがみ記録を調査して検討するのに、司法警察員杉本重紀作成の前示実況見分調書の主たる内容は、添付の交通事故現場見取図(以下、見取図と略称)と写真一一葉であるところ、右見取図は本件の実況見分に立ち会つていない交通事故係巡査部長遠藤正彦が作成したものであることは作成者の表示によつて明らかであり、右見取図の作成の経過については、本件交通事故発生の急報を受け、当直勤務の警部補杉本重紀(交通指導係)、巡査部長稲森勝範(同係)および司法巡査古川秋博(交通規制係)の三名が本件事故現場に赴き、当日(三月九日)午後一〇時二〇分から午後一一時五五分までの間実況見分を行ない、杉本、稲森が関係地点の特定、検尺等を担当し、古川は補助者として写真を撮影し、杉本の指示により右見分の結果をザラ半紙に書き入れて見取図のメモを作成したが、杉本は翌一〇日出勤した前示遠藤正彦が交通事故専門の係で図面作成に長じていることから、同人に右のメモを引継いで見取図の作成を依頼し、遠藤は右のメモを基準にして見取図を作成し、作成後杉本、古川に確認を求め、両名ともメモと突き合わせて間違いなく作成されていることを認めたので、古川の作成したメモを捨てたものであり、さらに右見取図中の「補足事項」および「現場の点検結果」の各欄は、これまた実況見分に立ち会つていない巡査部長影山雅昭が記載したことが認められるのである。
検察官は、弁護人の所論に対し、(一)本件見取図の作成者は遠藤となつているけれども、右見取図は実況見分調書の一部をなしているもので、見取図のみが別個独立の書面ではなく、刑事訴訟法三二一条三項の「検証の結果を記載した書面」とは、杉本作成の実況見分調書を指し、杉本において同調書を真正に作成したことが認められるから、これに証拠能力があることは疑いがなく、(二)見取図の作成経緯からみて、遠藤は杉本が作成すべき見取図を代筆・清書したにすぎず、本件見取図は実質的に杉本が作成したものと解される、と主張する。
実況見分調書は、実況見分をした者がその認識したところを自ら正確に記載して作成すべきものである。このことは、実際上、実況見分の補助者が見取図などを作成することまで禁ずるものではないが、実況見分をしていない者または実況見分の補助者でない者が、その作成に長じているというような理由で、見取図などを作成できるものでないことはいうまでもない。また、見取図は、通常、実況見分調書に添付されてその一部をなしているが、性質上それ自体が独立して実況見分調書に準ずるものというべきであるから、その作成や内容の正確性・真実性について争いがある場合には、見取図の作成者が公判期日に証人として尋問を受け、真正に作成されたことを供述したときに限り証拠能力が認められると解するのが相当である。
本件の場合、実況見分をした杉本は、証人として実況見分調書の作成について供述しているけれども、そのことによつて、自ら実況見分をした者でなく実況見分の補助者でもない遠藤が作成した見取図に証拠能力が認められることにはならない。また、遠藤も証人として実況見分の補助者古川のメモにもとづき正確に見取図を作成した旨供述しているけれども、同人は実況見分をした者でなく、実況見分の補助者でもないから、刑事訴訟法三二一条三項の「その供述者」に当らない。
つぎに、本件見取図は、杉本の作成すべき見取図を遠藤において代筆・清書したものにすぎないという検察官の所論についてみると、遠藤が基準にしたと供述する古川のメモがすでに廃棄されて現存しないから、見取図の正確性・真実性の担保がなく、まして、古川が自らのメモにもとづいて書き写したという被告人の司法警察員に対する昭和五七年三月一〇日付供述調書(五丁の分)添付の「交通事故現場メモ図」と遠藤作成の見取図との間には、擦過痕の記載その他に差違が認められるのであるから、検察官の所論は採用できない。
右に述べたほか、見取図中の「補足事項」および「現場の点検結果」の各欄も、実況見分をした者でなく、実況見分の補助者でもない影山雅昭が記載していることからみても、本件実況見分調書添付の見取図は証拠能力がないという弁護人の主張はこれを容認せざるをえず、したがつて、見取図を含め実況見分調書全体に証拠能力を認めて有罪認定の資料とした原審の訴訟手続には所論のように法令違反があるが、原判決の認定した事実は、後に述べるように、見取図を除く原判決挙示の証拠によつて認めることができるから、この法令違反は判決に影響を及ぼさない。論旨は結局理由がないことになる。
控訴趣意中、事実誤認の主張について
論旨は、本件衝突地点は、実況見分調書添付の見取図に表示された地点ではなく、右地点より南寄りの三叉路付近であつて、時速四五ないし五〇キロメートルで北進していた被告人車両が、被害者を発見すると同時に急制動の措置を講じたとしても、本件衝突を回避することができなかつたから、被告人に過失はない、というのである。
そこで、所論と答弁にかんがみ記録を調査して検討するのに、司法警察員杉本重紀作成の昭和五七年三月一〇日付実況見分調書添付の見取図を除く原判決挙示の証拠によつて、被告人の過失を含め原判示の事実を肯認することができる。
所論は、衝突地点につき原判決の認定するところより南寄りの三叉路付近であると主張するが、被告人は、実況見分における指示説明及び任意性を疑わしめる事情の存しない捜査段階における供述において、衝突地点は、被告人の司法警察員に対する昭和五七年三月一〇日付供述調書(五丁の分)添付の交通事故現場メモ図の地点付近であると述べており、所論にそう被告人の原審供述がより信用できるとは認められない(右供述調書添付の交通事故現場メモ図の地点は、当裁判所が証拠能力なしと判定した杉本重紀作成の実況見分調書添付の見取図の地点と同一と認められる)。
つぎに所論は、現場に擦過痕が存在したかどうか疑わしく、かりに擦過痕が認められるとしても、それが被害自転車によるものかどうか疑わしい旨主張するが、事故直後現場に赴いて実況見分を実施した証人杉本重紀が、現場路面には被害自転車による擦過痕が認められたと証言し、同人作成の実況見分調書添付の写真3に白色チョークで示した部分がそれであると説明しており、被告人の司法警察員に対する供述調書添付の交通事故現場メモ図にも衝突地点点の6.7メートル北側から擦過痕が記載されていることから見て、所論は採用できない。
さらに、所論は、現場における散乱物中、サンダルと右手袋が衝突地点より南方に落ちていることを指摘し、本件衝突地点は原判決のいう地点より南寄りである旨主張するが、右のうちサンダルは前示交通事故現場メモ図によると、地点よりやや東北に記載されているのであり、本件のように右から左に横断している被害自転車を被告人車両の右前部付近ではねた場合、その衝撃により被害者の携帯物が後方に飛ぶこともあり得ると考えられるから、右手袋が交通事故現場メモ図の地点より南寄りに記載されているからといつて、地点を衝突地点と認定する妨げとなるものではない。
その他所論にかんがみ検討してみても、原判決に事実誤認は存しないから、論旨は理由がない。
つぎに、職権をもつて原判決の量刑の当否を検討するのに、被告人は自動車運転者にとつて基本的な前方注視義務を怠つたものであつて、被害者の死亡という重大な結果を招来したのであるから、その刑責は決して軽視できないが、一方被害者は飲酒のうえ本件道路を自転車で横断しようとしたもので、左右の安全を確認しておれば被告人車の接近に気づいたものと考えられる点において少なからず落度があつたといわねばならないから、原判決が被告人に対し三年間の執行猶予を付したとはいえ禁錮一〇月に処したのは、量刑やや重きに失すると認められる。
よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄したうえ同法四〇〇条但書によりさらに判決することとし、原判決の認定した事実に原判示の各法条(但し、刑事訴訟法一八一条一項本文を除く)を適用して被告人を禁錮六月に処し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用は同法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。
(兒島武雄 荒石利雄 中川降司)