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大阪高等裁判所 昭和59年(ネ)565号 判決 1985年5月17日

控訴人 手島光子

被控訴人 手島行雄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張・立証は、被控訴人において次のとおりの期日指定の申立をし、かつ当審記録中の証拠目録記載のとおりの立証をしたほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

被控訴人は、昭和59年10月11日附書面をもつて本件訴訟につき口頭弁論期日の指定を求める旨申立て、その原因として次のとおり述べた。

1  本件訴訟について、昭和59年7月19日の和解期日において、控訴人と被控訴人との間に裁判上の和解(以下本件和解という)をした旨の和解調書が作成されている。

2  右和解期日においては、裁判官の面前で、双方代理人弁護士立ち会いのもとで当事者双方が協議離婚の合意をなし、協議離婚届に署名押印し、その離婚届の届出を被控訴人が委託された。

3  そして、その翌日である7月20日被控訴人が本籍地の役場(○○町役場)に右離婚届を提出に行つたところ、数か月前に控訴人から離婚届の不受理願いが提出されているので、協議離婚届は受理できない旨回答された。

4  その後約2か月間にわたつて、控訴人に対し、控訴人代理人弁護土、町役場、町役場から連絡を受けた法務局等が「離婚届の不受理願いの撤回」を説得したけれども、控訴人はこれに応ぜず、却つて従前の不受理願いの有効期間の満了に備え、同年10月9日再度離婚届の不受理願いを○○町役場に提出するに及んだ。

5  以上の次第で、当事者間の協議離婚届が受理されることを当然の前提とする本件和解は、右前提が控訴人の予想外の背信行為により不可能となつたため錯誤により無効である。

理由

一  被控訴人の期日指定の申立について

1  本件記録によれば、被控訴人は控訴人に対し離婚の訴を提起していたところ、当審における受命裁判官による第4回和解期日(昭和59年7月19日施行)において、左記の内容による本件和解をした旨の和解調書が作成されていることが認められる。

(一)  当事者双方は、長女なほ子の親権者を控訴人とする協議離婚届を直ちに提出する。

(二)  被控訴人は控訴人に対し、離婚に伴う給付として金400万円の支払義務を認め、右金員を本日支払つた。

(三)  長女なほ子の第1次的扶養義務者を控訴人とする。

(四)  訴訟費用は第一、二審とも各自の負担とする。

2  当審の被控訴本人尋問の結果により成立の認められる甲第15号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成されたことが認められるので真正な公文書と推認すべき甲第16、17号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第18号証の1ないし3(但し、同号証の3のうち官署作成部分はその方式及び趣旨により公務員が職務上作成されたことが認められるので真正な公文書と推認される)、及び当審の被控訴本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

本件和解期日においては、裁判官の面前で、双方代理人弁護士立ち会いのうえ当事者双方が協議離婚の合意をなし、協議離婚届に署名押印し、右両弁護士が証人として署名押印し、その離婚届の届出を被控訴人が委託された。

被控訴人は右翌日の昭和59年7月20日本籍地の役場(○○町役場)に右離婚届を提出したところ、数か月前に控訴人から離婚届の不受理願いが提出されているので、本件和解調書を持参するように要求され、一旦離婚届を持ち帰つた。同年8月1日被控訴人は再度右役場へ本件和解調書を持参して右離婚届を提出したところ、当日付で右離婚届は受け付けてもらつたものの、同年9月17日○○町長から右離婚届は届出(受付)当時控訴人が離婚意思を有しないとの理由でその受理ができない旨回答された。

同年7月20日から9月17日までの間、控訴人に対し、控訴人代理人弁護士、町役場、町役場から連絡を受けた法務局等が「離婚届の不受理願いの撤回」を説得した。しかし、控訴人は本件和解において協議離婚の意思とその届を直ちに提出する意思を有していたのに、その後離婚届の不受理願いを撤回しないと本件和解による離婚届が受理されないことを知り、これを奇貨として離婚意思を翻して不受理願いの撤回に応じないのみならず、却つて従前の不受理願いの有効期間の満了に備え、同年10月9日再度不受理願いを○○町役場に提出するに及んだ。

被控訴人は控訴人から右不受理願いが提出されていることを知らずに、右離婚届を届出すれば直ちに受理されるものと考えて、離婚給付金400万円の内金200万円を弟名義で銀行から借り受けて貰い、内金100万円は両親から借り受け、残金100万円は自己の貯金と車を売却して資金をつくり、本件和解期日にこれを支払つた。しかし、控訴人は離婚意思を翻しながら、離婚に伴う給付として受領した金400万円は、控訴人と長女の生活を保障するのは不足であるとして返還しようとせず、当裁判所の控訴本人尋問の呼出にも正当な理由なく応じようとしない。被控訴人は控訴人と離婚できるならば、右金400万円の返還を求める気持はない。

3  右認定事実1、2によれば、被控訴人は離婚届を提出すれば直ちに受理されることを前提に、その旨明示もしくは黙示に表示して本件和解をしたところ、実際にはその受理が直ちにできない状態となつていたのであり、お互いに不信感の強い両当事者が本件和解の不履行の発生を事前に完全に防止しようとした趣旨の窺える本件和解にあつては、右の点の錯誤は被控訴人にとつて和解の要素に錯誤があつたものというべきであるから、被控訴人の本件和解の意思表示は無効であると解するのが相当である。

よつて、被控訴人の前記期日指定の申立は理由がある。

二  その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第1、2号証、第13号証、原審の被控訴本人尋問の結果により成立したものと認められる甲第3号証(その一部)、同結果と弁論の全趣旨により控訴人主張の写真と認める検乙第1号証の1ないし11、原審の控訴本人尋問の結果により成立の認められる甲第4ないし第12号証(第10ないし第12号証の各官署作成部分は公文書としてその成立を認める。)、乙第3、4号証(いずれもその一部)、第5号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第14号証、原審証人徳間良市の証言、原審の控訴本人及び原・当審の被控訴本人の各尋問の結果(いずれもその一部)を総合すると次の事実を認めることができる。

1  控訴人と被控訴人とは、昭和47年5月18日に婚姻し、両者の間に翌48年8月29日生れの長女なほ子がいる。

2  控訴人と被控訴人は、昭和46年2、3月ころ控訴人が○○○○○○○で事務員として、被控訴人がその下請の○○板金所に板金工として働いていたことから知り合い、急速に親しくなり、同年4、5月ころから同棲するようになつた。右同棲生活については、被控訴人が若年であるうえ控訴人より12歳も年少であること等を理由に周囲の者から反対され、被控訴人も一時はその解消を試みアパートを移つて身を隠したが、控訴人の知るところとなりその目的を果せなかつたこともあつた。結局控訴人の強い婚姻希望もあつて2人は昭和47年5月18日婚姻届を提出するに至つたが、結婚式までは行わなかつた。控訴人は同年末に妊娠し、翌年1月勤めをやめた。

3  ところが、被控訴人は昭和48年5月初め勤務先の慰安バス旅行で知り合つたバスガイドの福山あい子と交際するようになつた。控訴人はいち早くこれを察知し福山の勤務先の上司等に同女を口汚なく非難し、かつ被控訴人との交際をやめることを求める趣旨の電話や手紙を執拗にかけたり出したりしたため、同女は勤務先のバス会社やその後の勤務先を辞めざるを得なくなつた。被控訴人は、従前から控訴人は嫉妬心が強く、例えば被控訴人の帰宅時間が遅いと誰と一緒だつたかしつこく追求して女性関係を疑い、勤務先の雇主や女子従業員にさぐりを入れるための電話をするなど被控訴人の生活に干渉するので、これを嫌つていたが、福山に対する控訴人の右行為が人並みはずれていると感じると同時に控訴人に対する愛情を喪失し、他方積極的に福山との親密さを深めていつた。控訴人は同年7月妊娠中毒症で2週間入院した。

4  そこで右事態を心配した控訴人の姉が同月31日福山のアパートを訪ね、被控訴人も同席のうえで2人の関係を清算するように注意したところ、被控訴人は翌8月1日妊娠9か月の身重の控訴人を棄てて出奔し、和歌山県田辺市で福山と同棲した。その後雇主や親に説得されて、長女なほ子が出生する前後2か月足らずの間控訴人の許に帰つたことはあるが、同年10月初めころ再度控訴人を棄てて家出をし、福山と昭和51年ころまで同棲した。その間の昭和49年8月27日、被控訴人は控訴人と離婚したい一心から、福山の協力により控訴人の作成名義を偽造して離婚届を作成し、これを届出て一旦受理されたが、控訴人から離婚届の不受理願いが提出されていたことから、同年10月4日右離婚の戸籍の記載は錯誤を理由に抹消された。被控訴人は昭和51年ころ福山との関係を解消したが、控訴人の許に帰る意思は全くなく単身で別居生活を継続している。なお被控訴人は控訴人に対し、昭和48年10月家出をしてから少なくとも昭和58年9月まで(但し昭和49年8月から同年10月までを除く)月金2万円の割合で送金した。

5  一方控訴人は、被控訴人が家出をした昭和48年10月以降今日まで、被控訴人からの送金だけでは足りようがないので自らパート・タイマーとして働くと共に実母等の援助も受け、長女を養育してきた。そして被控訴人との復縁に一縷の望みをかけて離婚に反対してきたが、前記のとおり本件和解で離婚の合意をし、さらにその後その意思を翻した。なお、当事者間の婚姻において格別の資産というべきものは残つていない。

以上の事実を認めることができ、この認定に反する甲第3号証、6号証、乙第3、4号証の各記載部分並びに原審の控訴本人及び原・当審の被控訴本人の各供述部分は前掲証拠に照らし採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  右一、二の認定事実によれば、控訴人と被控訴人との間には既に11年間の別居生活が続き、その間夫婦の信頼関係を崩壊させるに足りる被控訴人の福山あい子との同棲や離婚届偽造行為があり、また別居期間中夫婦としての愛情が復活する機運すらなく、被控訴人は控訴人の嫉妬心が強い性格等を嫌つて離婚意思は固いから、控訴人の意思を考慮しても控訴人と被控訴人の婚姻は本件訴訟提起前に客観的に破綻していたといわざるを得ない。

そして右破綻の主な原因は、被控訴人が控訴人との婚姻生活を棄てて福山あい子との同棲生活に走つた婚姻義務違反行為のためであると解され、この点において被控訴人は強く非難されて然るべきである。(控訴人の性格上の問題は右行為に比較してとるに足りない。)

しかし控訴人も本件和解において、被控訴人の右責任等に応じた相当の離婚給付を受領することで協議離婚に同意する旨約しながら、被控訴人から離婚給付金を受け取つた後に、離婚届不受理願いの残存を契機として、離婚意思を翻して本件和解の不履行に及んだのであり、この行為は被控訴人の婚姻義務違反行為に対する控訴人の反感や報復感情に由来するものと解される。

なるほど、被控訴人のような有責配偶者の離婚請求は、原則として認容されるべきではない。しかし本件のような場合にも右の原則が妥当するものと解するのは、かえつて公正を害することとなる。よつて被控訴人の本件離婚請求は、民法770条1項5号により認容されるべきである。

四  そこで離婚に伴う長女なほ子の親権者であるが、これまで控訴人の手許で養育されて来たところ、その養育環境を変える必要のある事情は窺えないし、被控訴人の生活状況に鑑みると、控訴人を親権者と定めるのが相当である。

五  以上によれば、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、控訴費用につき民訴法89条に則り主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 乾達彦 裁判官 馬渕勉 裁判官 緒賀恒雄は差支えのため署名押印できない。裁判長裁判官 乾達彦)

〔参照〕原審(大阪地 昭57(タ)158号 昭59.3.6判決)

主文

一 原告と被告とを離婚する。

二 原・被告間の長女なほ子の親権者を被告と定める。

三 訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一 原告

主体一ないし三項同旨

二 被告

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

第二当事者の主張

一 請求原因

1 原告と被告とは、昭和47年5月18日に婚姻した夫婦であり、両者の間に翌48年8月29日長女なほ子が出生した。

2 ところで、原・被告間には、以下に述べる事情により、現に民法770条1項5号にいう「婚姻を継続し難い重大な事由」が存在する。

(一) 原告と被告とは、昭和46年頃、共に○○○○○○○株式会社(○○○○○○○と略称する)で仕事をしていた関係で知り合い、当時20歳であつた原告が、32歳であつた被告に誘われるような形で肉体関係をもつに至つた。

(二) 被告は、右のように肉体関係ができた直後に、当時原告が借りていた豊中市○○○町のアパートに入り込んで来て、次々と自分の荷物を運び込み、原告に何ら知らすことなく勤務先を退職し、妻然として同アパートに住むようになつた。

(三) 原告が被告に対し、アパートから出て行くように言つたものの、被告は、これを聞き入れなかつたばかりか、原告の職場での行動を詮索し、原告が職場の女性と喫茶店に行つたと知るや、直ちにその女性に嫌がらせの電話をしたり、会社にその女性の悪口を言うて行つたりするような異常な行動に出た。

(四) このため、原告は、昭和46年夏頃、会社にも行き先を告げずに、被告の居る右アパートから逃げ出し、一時姿を消したほどである。

(五) ところが、昭和47年になつてから、被告に原告の居所が知れたため、被告は、原告とその両親及び当時他の女性と婚約していた原告の兄昭二に対し、原告が自分と婚姻してくれなければ、昭二の縁談を潰してやると強談した。このため、原告は、兄昭二や家族に迷惑がかかるのを怖れて、やむなく前叙のとおり被告と婚姻した次第である。

(六) そして、原・被告は、その年の8月から被告肩書住所のアパートを借りて同居生活を始めたのであるが、矢張り被告の原告に対する前叙同様の一種異常な嫉妬癖や妄想、更に職場への干渉は止まないどころか、むしろ次第にエスカレートして行つた。このため、昭和48年に入つた頃には、原・被告間に通常の夫婦の愛情や信頼関係は全く失せ、完全に破綻していた。

(七) そこで、原告は、昭和48年7月頃、被告との生活に耐え切れずに出奔し、今日まで居所を隠して生活して来た。この間、被告は、原告の勤務先に押しかけたり、原告はもとより、その上司や友人に対して、次々と嫌がらせの手紙や葉書を出すなどの工作をした。

(八) 以上の次第で、原・被告の婚姻関係には、当初から問題が内在していたところ、被告の言動により回復不可能なまでに破綻した。

3 よつて、原告は、被告との離婚を求める。そして、離婚に伴う長女なほ子の親権者であるが、これまで被告が養育して来たし、離婚調停の席上で被告が親権の帰属を主張していたことを尊重し、被告を親権者に指定されたい。

二 答弁

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の(一)のうち、被告が原告を誘つたとの点を否認し、その余の事実は認める。もつとも、原・被告が共に○○○○○○○で仕事をしていたという点を、正確にいうと、被告は同社社員として、原告は同社の下請である○○板金所の従業員として、共に仕事をしていたのである。

同(二)のうち、被告が原告主張のアパートに住むようになつたこと、同(五)のうち、原・被告が婚姻したこと、そして同(七)のうち、原告が昭和48年7月頃出奔したことは、それぞれ認めるが、同2のその余の事実は、いずれも否認する。

3 同3の離婚及びそれを前提とする主張は争う。

4 原告は、昭和48年5月頃から福山あい子と交際するようになつて、同年6月頃から外泊の回数が増え、遂に原告主張の昭和48年7月頃、妊娠9か月の被告を置いて出奔し、福山と同居生活を始めたのである。そして、原告は、福山と婚姻したいがため、翌49年8月27日には、被告の作成名義を偽造して原・被告の離婚届をした。被告は、その直後に原告の右仕打ちを知つたが、表沙汰にすれば、原告を犯罪人にすることになると考え、じつと耐えた。それというのも、原告は、一人娘なほ子のためにも、また被告自身のためにも、なくてはならない人だからである。このように、夫の帰宅を切望する妻子のためにも、本訴を棄却されたい。

第三証拠〔略〕

理由

一 その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第1、第2号証、同第13号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認める甲第3号証(後記措信しない部分を除く)、同結果と弁論の全趣旨により被告主張の写真と認める検乙第1号証の1ないし11、被告本人尋問の結果により真正に成立したと認める甲第4ないし第12号証(第10ないし第12号証の各官署作成部分は公文書としてその成立を認める。第6号証につき後記措信しない部分を除く)、乙第3、第4号証(後記措信しない部分を除く)、同第5号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める甲第14号証に、証人徳田良市の証言及び原・被告各本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く)を総合すると、次の事実を認めることができる。

1 原告(昭和26年2月19日生)は、昭和42年3月に中学校を卒業し、○○○○○○○の下請として車体修理をする○○板金所に板金工として就職した。原告(昭和14年9月21日生)は、昭和45年9月○○○○○○○に事務職員として就職した。そして、原・被告は、原告が○○○○○○○で車体修理に従事するうち知り合つたのであるが、2人とも同じ豊中市○○○町のアパートに住み、アパート同志が比較的近いところにあつた。

2 被告は、原告と知り合つて後の昭和46年2月頃から、時折り一人暮しの原告のアパートに立寄り、少食を造るなどの世話を焼き、遅くまで話し込んで行くようになつた。原告は、当初、被告を「優しいお姉さん」と受け留め、その厚意を受けているうち、同アパートで被告と肉体関係をもつに至つた。

3 肉体関係が生じてからは、被告は、原告方アパートの合鍵を使い、原告の留守中に自由に出入りし、夕食の準備のほか、原告の衣類の洗濯までするようになつた。原告は、一人暮しの不自由さをかこつていたのと、甘えもあつて、当初被告の世話を喜んでいた。ところが、被告は、昭和46年4、5月頃○○○○○○○を退職し、原告留守中のアパートへ自己の衣類や生活用品などを持ち込み、同アパートに寝泊りするようになつた。原告としては、年齢差のある被告と生涯をともにする気持など、さらさらなかつただけに、被告の強引な行動に次第に困惑の色を濃くして行き、そのことを訴え、出て行くよう懇願したが、被告に通じなかつた。そこで、原告は、被告から合鍵を取り上げ、被告が勝手に出入りできないようにしたこともあつた。すると、被告は、夜間押しかけて来て、出入口の戸を叩き続け、「開けて」などと言い、原告に近所の手前放置できないようにし向けて戸を開けさせるのであつた。このようにして、原告がずるずると被告と同棲まがいの生活を続けるに至つたところ、被告は、例えば原告の職場へ探りの電話をするなどして、原告の身辺に目を光らせ、原告が他の女性とお茶を飲んだことでも判ろうものなら、電話を通じて該女性に対し、原告と交際しないよう申し入れて干渉した。

4 かくして、原告は、被告に辟易していたところ、昭和46年夏頃、原告の周囲の者達も被告の強引さを見かねて、厳しく要求し、合鍵を取りあげて被告を原告のアパートから退去させた。そして、原告は、被告が退去した隙に、同アパートを出て豊中市○○町のアパートに身を隠した。ところが、被告がその翌日には右アパートを探し出し、押しかけて来たため、原告は、もとのアパートに帰り、被告との別離を諦め、不本意ながら被告リードのうちに同棲生活を続ける仕儀になつた。そのうち、被告が原告に対し婚姻を迫るようになつたのであるが、原告としてもそれに応ずる以外に方途がないと考え、昭和47年5月18日に届出を了して婚姻し、共稼ぎの生活を始めた。そして、原・被告は、同年7月に被告の肩書住所へ転居した。

5 ところが、妻の座についた被告は、ますます原告の行動に監視の目を向け、原告の職場の上司にその動静を問い合わせたり、原告の帰宅時間が遅いと、誰と行動をともにしたかなどと鋭く追求していたが、妊娠が判明した昭和47年11月末頃になると、ますますその傾向が激しくなつて行つた。このため、原告は、帰宅しても気の休まることがなかつたばかりか、精神的負担が増すばかりであつた。なお、被告は、昭和48年1月に妊娠したこともあつて、勤務をやめた。

6 原告は、昭和48年5月初め頃、○○○○○○○の慰安バス旅行に参加した際、バスガイドの福山あい子(昭和29年1月17日生)と知り合い、被告との仲の反動もあつて同女と親しく交際するようになつた。すると、被告は、これをいち早く察知して、福山あい子の勤務先の上司に同女を非難する電話を執拗にかけるなどして、同女を勤務先のバス会社で働けないように追い込んだ。ところが、被告のこのような対応が却つて原告の離反に拍車をかける結果になつた。被告は、同年7月に妊娠中毒症ということで2週間入院し、その後通院していたのであるが、原告の行動を心配した被告の姉が、同月31日福山あい子のアパートを訪ね、原告も同席のうえで、2人の関係を清算するよう注意したのであるが、原告は、翌8月1日、妊娠9か月に達して身重の被告を1人残して出奔し、和歌山県田辺市で福山あい子と同棲した。もつとも、原告は、同月13日頃、その親許に連れ戻され、同月20日頃被告の許に帰つた。そして、被告は、同月29日帝王切開により長女なほ子を出産したのであるが、その後も原・被告の仲が改善されることはなかつた。

7 原告は、同年10月初め頃、再び家を出て福山あい子と同棲し、爾来被告の許に復帰することなく別居生活を続けており、昭和51年頃には福山あい子との関係も解消した。その間の昭和49年8月27日、原告は、被告と離婚したい一心から福山あい子の協力により被告の作成名義を偽造して離婚届(乙第1号証)を作成し、届出て一旦受理されたものの、被告から不受理届が提出されていた関係と思われるが、同年10月4日、離婚の戸籍の記録は、錯誤を理由に消除された。他方、被告は、原告と福山あい子の離反を求めるため、同女の兄、姉、実家、実家所在の町役場、原告の職場などに対し、手厳しい内容の手紙を送つた。

8 なお、原告は、前記家出後(但し、偽造の離婚届をした昭和49年8月から同年10月までを除く)、被告に毎月2万円を送金するなどして交付しているが、足りようもなく、被告は、実母の援助を受け、自らもパートで働きながら、長女なほ子を養育し、原告の復帰を望んでいる。しかし、原告には復帰の意思が全くない。

以上の事実を認めることができ、この認定に反する甲第3号証、同第6号証、乙第3、第4号証の各記載部分及び原・被告各本人の供述部分は採用できず、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

二 右認定事実によれば、原・被告の婚姻関係は、すでに回復の余地なきまでに破綻していると解するのが相当である。何故なら、原・被告の年齢差、性格の相違などに加えて、別居以来10年余の歳月の流れの中に生じた相互の精神的ひずみに鑑みると、被告の意向を前提としても、原告の復帰を期待することは困難というほかないからである。

三 そこで、右破綻につき原告の有責性の有無を検討する。

原告としては、いかなる事情があつたにせよ、いやしくも一旦婚姻した以上、被告に対し、守操義務はもとよりのこと、同居、協力そして扶助義務を尽さなければならないのに、右認定のように昭和48年8月ないし10月頃以降、殆どこれらを顧みることがなかつたのであるから、非難されて当然である。しかし、そうかといつて、直ちに原告を有責配偶者と断ずる訳にはいかない。

おもうに、原・被告の婚姻関係には、その出発点において、すでに現在の如き事態を予見しうる程度の根源的な問題が伏在していたというべきである。原・被告が交際を始めた昭和46年2月当時、被告は漸く20歳に達した時期であつたのに、被告はすでに世馴れた31歳であつたところ、前掲乙第3号証及び被告本人尋問の結果によると、被告は、交際を始める前の原告の印象として、「不良つぽい」とか、「何かふあふあした感じ」と受け留めていたというのに、自ら積極的に原告に接近し、原告の性格とか心情などに思いを至すこともなく、もちろん婚約といつた大切な過程を踏まないまま、右証拠によると、交際2度目で肉体関係をもつに至つたというのであるから、軽卒も甚だしいというべきである。しかも、年齢差や精神的成長度の差を埋めるべき精神的な紐帯でも原・被告間にあつたのであればともかく、原告が明らかに被告との関係の継続を回避しようとしているのに、被告は、肉体関係の積み重ねによる既成事実をもとにして、自らの発意で家庭をもつことなど思いも及ばなかつた原告との婚姻へのレールを敷いて行つたのであつて、その心境は不可解というほかない。しかも、被告は、婚姻後、原告の行動に目を光らせ、その精神的拘束下に原告を置いたまま、共同生活を続けたのであるから、原告が被告から逃避したとしても、無理からぬものがあつたというべきである。そして、原告の逃避がさきに説示した義務違反となつて発現したのであつて、そのこと自体は非難されるとしても、原告ばかりを責めることは相当でない。しかも、被告が原告の義務違反に示した対応は、心情として理解できるものの、原告の離反に拍車をかける結果になつたことも、否み難い事実というべきである。

このようにみてくると、原・被告の婚姻関係の破綻につき、原告に主たる責任があるとまでは断じ難い次第である。

四 してみれば、原・被告間には、民法770条1項5号にいう婚姻を継続し難い重大な事由が存するというべく、原告の本訴離婚請求は理由があるから、これを認容する。

そこで、離婚に伴う長女なほ子の親権者であるが、これまで被告の手許で養育されて来たところ、その養育環境を変える必要のある事情は窺えないし、原告の生活状況に鑑みると、被告を親権者と定めるのが相当である。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法89条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

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