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大阪高等裁判所 昭和59年(行コ)49号 判決 1989年8月29日

控訴人 地方公務員災害補償基金

兵庫県支部長 貝原俊民

右訴訟代理人弁護士 松岡清人

同 早川忠孝

被控訴人 大藤信子

右訴訟代理人弁護士 藤原精吾

同 深草 徹

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  申立て

一  控訴人

主文と同旨。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  主張

次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決五枚目裏一一行目の「症候郡」を「症候群」に改める。

二  当審における控訴人の補足的主張

1  被控訴人の業務量は同僚に比べて加重でなかったことについて

被控訴人は、業務加重であったとし、<1>被控訴人が担当した心身障害相談係の相談処理は、他の係の相談処理に比べて困難さ、業務量(処理に要する時間等)において軽易なものでなく、むしろ同等以上のものであり、また、心身障害相談係の処理件数は、他の係に比べて格段に多かった、<2>心身障害相談係は、他の係に比べて措置停止等の複写文書作成事務が多く、その多い複写文書作成事務を被控訴人が一人で担当した、<3>同僚二人も業務過重により倒れ、その業務も被控訴人が分担したことを挙げているが、次に述べるように被控訴人について業務加重は認められない。

(一) 被控訴人の勤務実績は同僚に比較して同等かそれ以下である。

(1) 被控訴人の勤務実績と同僚の平均勤務実績を比較すると、次のとおりである。

また、被控訴人の年次休暇等取得日数と同僚のそれの平均日数を比較すると、次のとおりである。

<表省略>

(2) もっとも、昭和四七年度について、被控訴人の時間外勤務時間数が二二五時間で同僚の平均のそれは二一四・一時間となっており、被控訴人の方が同僚よりやや多めの時間数となっているが、これは、被控訴人が同僚より多く年次休暇等を取得したため、勤務日数、すなわち正規(勤務時間内)の労働時間が少なくなり、同僚の平均より少ない勤務時間内の労働時間を補うために時間外労働を行なっていたものとみられ、それ以上のものではない。

(3) 被控訴人は、業務多忙のため年次休暇等を自由に取得できなかった旨供述するが、前記のとおり年次休暇等を同僚以上に取得しており、また、業務多忙であるならば、休日の前後には必ず出勤し業務を処理せざるを得ないと考えられるのに、右休暇等を祝祭日・日曜日の前後に頻繁に取得している、そのうえ、右休暇等取得の届け出を当日の朝に電話で行なっている。

(4) 被控訴人は、年次休暇を昭和四五年に一八・五日、同四六年に二三・五日取ったのに対し、同四七年には一四・五日しか取っていないのは、昭和四七年度が多忙なためである旨供述する。しかし、真実は、被控訴人にとって年次休暇の取得できる日数が一年間に最大二〇日(昭和四五、四六、四七年とも)しかなかったにもかかわらず、被控訴人が昭和四六年度に二三・五日も取得したため、昭和四七年度における年次休暇の残日数がなくなったものである。すなわち、兵庫県の場合年次休暇の計算を歴年で行っているところ、被控訴人が昭和四七年一月から三月までの三か月間で九日間も年次休暇を取得したため、昭和四七年の残りの四月から一二月までに年休取得可能日数は一一日しか残っておらず、年次休暇を取得しようにも昭和四六年と同様のペースでは取得できなかったものである。

もっとも、被控訴人は、年次休暇以外の特別休暇(夏季休暇、生理休暇、組合休暇)を積極的に取得しており、昭和四六年度と昭和四七年度の総休暇取得日数には、前記のとおり二日しか差がない。

(5) 兵庫県の年次休暇制度は、労働基準法三九条に定められた法定休暇日数をはるかに超え、古くから採用二年目より二〇日付与されており、民間企業より優遇されている。ちなみに、人事院の調査によれば、昭和六二年度の民間企業の年次有給休暇制度は、次のとおりである。

<表省略>

(6) 昭和四七年度の原告の総労働時間数は、全労働者の平均総労働時間数より少ない。

(二) 被控訴人が昭和四七年度に担当した心身障害相談係の相談は、他の係の相談に比べて軽易であった。

(1) 心身障害相談係の相談は、他の係の相談に比較して、その相談の性質上児童福祉司及び相談調査員(以下、併せてケースワーカーという。)が判断を要する事柄が少なく、また、一相談当たりの面接回数も少なく、面接聴取も容易にできることから、相談としては軽易な部類に入るものである。

ア 心身障害相談係の相談は、保護者が自ら進んでわが子を治療のため福祉施設等へ入所・通所をさせたい、市の福祉年金の受給等のため判定意見書・障害証明書等をもらいたいなどと福祉事務所等を通じ児童相談所に来る相談である。ケースワーカーは、これらの相談の面接に際し、主に保護者から子供の成長歴等を聴取するが、入所又は通所をさせるかどうかの判断の拠り所は、肢体不自由児相談の場合は、整形外科的に異常があり治療と訓練を要するという医師の所見であり、重症心身障害児相談・精神薄弱児相談の場合は、発達等に異常があり治療と訓練を要するという医師・心理判定員の所見であるため、ケースワーカーがその処理について実質的に自ら判断することはほとんどない。

ケースワーカーは、単に福祉施設の収容可能状況を確認するだけであり、また、判定意見書・障害証明書については、その作成は心理判定員が行うものであるため、ケースワーカーはこれらの文書を交付(送付)するだけである。

イ 相談処理における困難さは、相談一件当たりの業務量、特に時間のかかる保護者等との面接が多いか少ないかという点にかかっているところも大きいが、これについては、西宮児童相談所が作成した「昭和四七年度児童記録票による相談種別ごとの業務量」(乙第八九号証の一)で明らかなとおり、心身障害相談係の一相談当たりの面接回数は他の係の相談に比べ少ないことから、心身障害相談係の相談が、他の係の相談に比べ軽易であることが明らかである。

ウ 被控訴人は、面接時の精神的負担をことさら誇張しているが、面接業務は日常的に行なわれているものであり、かつ、一日の担当件数も少ないから、特に重要視すべきでない。ちなみに、面接時の精神的負担は、面接がスムーズに運ぶかどうか、換言すれば、ケースワーカーの聞きたいこと(カルテの聴取項目)が相談者から聞けるかどうかにかかっているのである。

心身障害相談の場合には、摂丹児童相談所の管轄する阪神間の各市において、早くから心身障害の福祉関係の制度が整備され、相談者のほとんどは、各市の福祉事務所で面接を受けたうえで同児童相談所に来ること、相談者は障害の治療・訓練を目的として児童相談所に来るため、ケースワーカーの面接において事実(障害)を隠すといったようなことがなく、また、相談者が子供の親で大人であること等から、ケースワーカーが面接に際し必要な事項を聞き出せなくて難渋するというケースは、ほとんどない。

これに対し、教護相談・養護相談等の場合は、ケースワーカーが、真実を聞き出せなくて難渋するという場合が多く、また、面接相手が子供である場合が多いため、心身障害相談の場合より明らかに精神的負担が大きいのである。

エ 保護者との文書の往復等に関しても、心身障害相談係の場合は、保護者の学歴面、経済面等でのレベルが相対的に高いため、他の係に比較してスムーズに行われている。

(2) 心身障害相談以外の相談は、心身障害相談よりも困難である。

ア 養護相談係の相談

養護相談係の担当する相談は、親が子供を養育できない、又はしようとしない、若しくは虐待する等の理由のため、子供を福祉施設で養育してほしいという保護者又は児童委員若しくは警察等からもたらされる。

児童福祉の精神、すなわち子供の心身をすこやかに育てるという精神からは、親と離して子供を施設で養育することは最終的な措置であり、直ちにこれら相談者の依頼のとおりに措置するというようなことはできない。このため、ケースワーカーは、直ちに家庭背景を調査(訪問調査)して保護者の言っていることが事実であるか、また、他に養育できる者がいないかを確認し、次に保護者の住居近辺の保育園等の社会資源を調査して、福祉施設への入所以外の方法がないかを確認したうえで、子供を福祉施設で養育する方法が、適当かどうかの判断をすることとなる。

したがって、調査の結果、相談者の依頼のとおりに措置するものとは限らず、そのときには、相談者に対し他の方法を取るように指導(説得)することが重要な業務となる。

しかし、親が子供を養育できないということは、多かれ少なかれ家庭崩壊の事態に至っているということであり、呼び出してもこれに応じず、また、来所しても自分の都合だけを一方的に話したり、あえてケースワーカーに嘘をつき、指導(説得)に応じない保護者が多い。

したがって、養護相談係の相談においては、面接における精神的負担は心身障害相談係に比べて大きく、また一相談当たりの面接回数等も、訪問調査が原則として必要であることから、心身障害相談係の相談に比較して当然多くなる。また、事務的手続きにおいても、養護相談係の場合は、養護相談の親が、心身障害係の親に比べて、書類の作成等がルーズなことが多く、また、親がいないケースも多くあるために心身障害相談係の場合より時間がかかる。

イ 教護相談係の相談

教護相談係の相談は、非行を行った児童の教育・指導又は児童福祉施設への保護を求めるものであり、通常、警察からの通告により相談が開始される。

この相談も非行に走った背景を調査することが重要であるため、直ちに学校関係者・警察・児童委員等からの事情聴取、保護者・児童との面接を行う。

しかし、非行・触法に走る背景としては、多くの場合その家庭に問題があるが、そのことに保護者が気づいていないことが多く、また、気づいていたとしてもそのことから逃げているため、面接において保護者・児童から非行に走った背景を聞き取ることが非常に困難である。

また、措置としての指導を児童に対し行っても非行等を繰り返すケースが多い。この場合継続して児童相談所に来所させて指導するが、ケースワーカーとしては、まず児童の心を理解し、ケースワーカー自身に慣れさせながら根気よく指導して行く必要があり、非常に困難な業務となる。教護施設への入所に対しては、前述のような親ほど反発が強く、これについての協力(同意)を得ることが非常に困難となるケースが多い。

したがって、教護相談係の相談の場合は、面接における精神的負担は、心身障害相談係に比べて大きく、また、一相談当たりの面接回数等は、心身障害係の相談のそれに比較して当然多くなる。

また、同係は、長欠・不就学の相談も担当しているが、これも学校関係者と接触し、その実情及び背景を調査し、児童の行動観察等を行ったり、ときには児童を精神科医師に受診させたりする。このため、これについても一相談当たりの面接回数等は非常に多くなり、その結果延べ面接回数等は心身障害相談係より多くなる。

ウ 教育相談係の相談

教育相談係の相談は、相談種別で言えば、しつけ、性向等の相談である。

しつけの相談は、心理判定員の心理判定に基づき助言・指導するものであり、一相談当たりの面接回数は少なく相談処理は軽易であるが、心身障害相談係のように面接せずに処理されることはない。

性向の相談も、しつけの相談と同様に心理判定員の心理判定に基づき助言・指導するが、行動観察を長欠・不就学の相談と同様に行う場合が多く、一相談当たりの面接回数が多くなる場合が多い。

なお、同係は、里親相談をも担当しており、その業務は、次のとおりである。

<1> 登録から始まり、里親の申込者があれば、その者の家庭環境(家族構成・収入・家屋等)を調査し、児童福祉審議会に進達し登録させる。

<2> 次に、里親の申込者の希望を聞き、希望に添う児童を養護施設あるいは里子希望の家庭から、選びだして縁組させる。

<3> 縁組がうまくいけば、外泊等の経過観察の後、里親委託する。

<4> その後も経過を観察し、不調になれば、里親委託解除をする。

しかしながら、里親と里子とを引き合わせても両方が気に入ることが少なく、また、縁組(引き合わせ)がうまくいっても里親の継続的指導が必要なため、教育相談係においては里親家庭のカウンセラー的業務を常時行っている。

(三) 被控訴人は、面接業務により所内事務が繁忙であったとは認められない。

被控訴人は、面接業務により所内事務が繁忙であったことの根拠として、<1>昭和四七年度の面接件数は三五五件であり、この面接を行える日が、一〇〇日程度しかないため、一日当たり三件ないし四件の面接を行い、一件について面接時間が一時間ないし二時間(心理判定員が児童の心理判定を行う場合)かかるため、繁忙であった、<2> 面接後のカルテ整理に、新規の場合は四〇分ないし一時間、再来の場合は三〇分ないし四〇分程度かかった、<3> 所外面接を二一〇件行ったが、このカルテ整理を所内で行ったため、さらに所内事務が繁忙となったことを挙げている。

しかし、被控訴人の面接にかかる時間数及び児童記録(以下、カルテという。)の整理時間数(書字数)がともに少ないことは、次の事実から明らかであり、被控訴人の右主張は虚偽ないし誇張である。

(1) 面接時間に、一時間ないし二時間を要した相談は、昭和四七年度の被控訴人の面接相談のうち五六件程度しかなく、そのうち被控訴人の従事時間は、最長で一時間二〇分程度であると考えられるため、所内業務が面接により多忙を来たしたとは、認められない。

ア 面接時間に一時間ないし二時間を要する相談は、所内面接で、かつ、新規にカルテを作成する相談しかない。すなわち、新規相談の場合は、カルテの一ページから順次各項目を保護者から聴取し、必要事項を記入するため時間がかかるのであるが、再来の相談の場合は、単にカルテの変動項目の確認を行っているだけであり、新規の相談に比べ面接時間は短く、平均三〇分程度で済むことは明らかである。

また、所外面接で被控訴人の処理件数のうち大半を占める巡回相談は、面接時間が午前一〇時から午後三時までの昼食時間を含む五時間程度であり、この間に被控訴人は平均九件行っていたということであるから、一面接時間は、平均三〇分程度しかかかっていないことは明らかである。

さらに、面接時間に二時間を要する場合でも、後半の一時間程度は、心理判定員が児童の心理判定等を行っているため、ケースワーカーは、その判定結果が出るまで面接業務を停止(保護者を待機させる)し、別の業務を行っているのが通常であり、ケースワーカーが、該相談に再び戻って従事するのは最後の二〇分程度である。

したがって、ケースワーカーが面接相談で従事しているのは、最長一時間二〇分前後である。

イ 被控訴人が昭和四七年度に行ったとしている面接相談三五五件のうち、新規の相談の所内面接は五六件以下でしかない。

昭和四七年度の摂丹児童相談所の相談受付件数は三五八七件であるが、このうち新規にカルテを作成した相談件数は一三九六件で、相談受付件数の三八・九パーセントであるから、被控訴人の昭和四七年度の面接相談三五五件(所内面接一四五件、所外面接二一〇件)のうち、新規の相談は一三八件で、所内面接の新規の相談は五六件前後と推認される。

ところで、被控訴人の担当した肢体不自由児相談の新規の相談の二六パーセントについて面接がなかったことが判明しているのに対し、被控訴人の面接件数が三五五件であると記載している乙第一号証の一五においては、文書処理件数を除くカルテ整理件数と面接件数が一致していることからすると、被控訴人は、面接件数として、カルテ整理件数をそのまま記載した可能性が高く、また、心身障害相談係が発行のみを担当する判定意見書、判別証明書、障害証明書等の発行件数が心身障害相談係の相談受付件数に入っている。したがって、これら面接のない件数が被控訴人の主張する面接件数中に含まれている可能性が高く、所内面接の内の新規相談はさらに少なくなるものと考えられる。

なお、再来の相談について誤って新規にカルテを作成することは、所外面接の場合には見受けられるが、所内面接の場合については事前に索引台帳でチェックしており、そのようなことはない。

ウ 面接後のカルテ整理は、カルテの記載状況からみて長時間かかったとは認められない。

被控訴人は、一件のカルテ整理に要する時間を、新規の相談については四〇分ないし一時間、再来の相談については三〇分程度である旨主張するが、被控訴人のカルテの本文には、後で整理するとされている欄の記載がなく、面接後に処理するカルテの経過記録の書字数は少ないことから、面接後のカルテの整理等に要する時間は、新規の相談について、平均一〇分ないし二〇分程度、再来の相談について、平均一〇分程度と推認される。すなわち、被控訴人のカルテには面接後に整理するという「家庭・学校・地域・他参考事項・両親養育態度・問題点の分析・指導指針」等の欄の記載がほとんどないことから、被控訴人の主張によると結局索引台帳、受付台帳への記載に要した時間が四〇分ないし一時間であるということになり、不合理である。ちなみに、索引台帳、受付台帳への記載は、単に転記するだけであり、多くても五分もあれば処理できるものである。

また、カルテ本文への記載が稀にあってもこの欄の記載は極めて短く、たとえ考えながら書字したとしても平均すれば一〇分程度で済むものである。

なお、カルテの本文中、前記の欄以外の「氏名・住所・主訴・家族構成(カルテの一ページ)」と「生育歴」等については、面接中に記載するものである。

また、カルテを子細に検討すると、カルテ本文への記載と同時に経過記録にも記載があるが、その中にはまれに書字数の多いものもあるものの、平均では七九字と少なく(乙第八二号証)、五分もあれば処理できる程度のものである。

したがって、新規相談の場合のカルテ整理時間数は、一〇分ないし二〇分程度であり、再来の相談の場合のカルテ整理時間数は、カルテ本文の記載は面接中にほとんど処理していることから、面接後に記載するのは、受付台帳とカルテの経過記録への記載であり、一〇分程度で済むと推認できるのである。

以上のとおり、被控訴人の担当した心身障害相談係の相談は、他の係に比べて相談内容が軽易であることもあってカルテの聴取欄が少なく、それによって当然記載欄・記載字数ともに少なくなっており、比較的書字数の多い新規の所内面接があっても、年間約五六件程度であるから、所内面接業務により所内業務が過重になるとは、到底考えられず、また所外面接後においてもカルテ整理に時間がかかるとも認められない。

(2) 被控訴人が担当したという所外面接相談件数は、信用性に乏しく、所外面接も業務過重の一因になったとの主張は認められない。

ア 被控訴人は、巡回相談を一一回で一〇二件担当したとするがごとくである。

これを、西宮児童相談所が作成した摂丹児童相談所の昭和四七年度巡回相談実施状況(乙第一七七号証)と対比すれば次のとおりである。

<表省略>

一方、昭和四七年度の摂丹児童相談所の巡回相談件数は、三〇〇件である(所管事項報告書の八ページ(乙第二八号証))。

もし、被控訴人の主張する巡回相談件数が正しいものとすれば、被控訴人以外の職員は、西宮市の一二回、三田市の四回、多紀郡の六回の合計二二回の巡回相談を行い、合計二五件の相談を処理したこととなる。すなわち、これらの巡回相談においては、巡回相談一回当たり平均一・一件の相談を受けたこととなるが、二二回の巡回相談が、毎回一・一件しか相談を受けなかったということは、常識的にみて到底あり得ないことである。

したがって、被控訴人が、巡回相談件数を過大に偽っていることは、明らかである。

イ 被控訴人は、巡回相談担当回数及び件数について、これを摂丹児童相談所のケースワーカー全員と比較して、被控訴人が飛び抜けて多いと主張しているが、巡回相談は、そもそも心身障害相談係と教育相談係の二係の担当するものであり、被控訴人はこれを知りながら、ケースワーカー全員が担当するものであるかのように作為しており、これは明らかに欺瞞である。

(四) 被控訴人が昭和四七年度に従事した所外の面接業務及びそれに付随する業務は、同僚に比べ過重とは認められない。

(1) 昭和四七年度の職員出張日数調(乙第五号証)について、被控訴人と同僚の平均とを対比すれば、次のとおりである。

<表省略>

昭和四七年度の全出張日数は、研修を同僚より二七日も多く受けているために被控訴人の方が同僚の平均より一六日多いが、本来の児童相談所業務の出張日数は、右のとおり被控訴人は同僚の平均に比べ一一日も少なく、所外業務が同僚より過重であったものとは、到底認められない。

また、被控訴人は、児童移送、在宅重症心身障害児訪問調査、施設実態調査、情緒障害児短期治療学級等について、同僚に比べ業務が過重であった旨主張するが、右事実により、その主張は、誇張ないし虚偽であることが明らかである。

(2) 昭和四七年六月二七日の所外面接は、宝塚市において独自の福祉年金を出すために、対象児童の心理判定を摂丹児童相談所に依頼し、これにより被控訴人と心理判定員二名(加藤恭子と浦田久子)が出張し処理したが、この日の被控訴人の相談の件数は四〇件前後となっている(乙第一号証の一五)。そして、被控訴人は、そのカルテを被控訴人一人で記載した旨主張するが、心理判定員等も記載していることは、カルテ記載者に、右の加藤恭子、浦田久子ほか赤沼、吉田の心理判定員の名前が上がっていることから、容易に判ることである。

また、被控訴人の右相談件数が四〇件前後となっているのは、出張判定の場合、心理判定にともなう障害意見書は、その後直ちに心理判定員が作成するが、カルテの経過記録には、被控訴人が「障害意見書発行」と記載し、この相談の処理が終了することとなるために、右件数を被控訴人の面接相談件数として計上したものと考えられる。

したがって、出張判定の事務は、右の程度のものであって、当日の面接及び所内でのカルテ整理が被控訴人にとって過重になるものとは考えられない。

(3) 被控訴人は、三歳児精密検診を所内面接で数多く行い、過重になったというが、その供述は信用できない。

三歳児精密検診は、本来教育相談係の担当であるが、保健所で三歳児検診を受けた児童のうち保健婦が異常と感じた者につき、心理判定員の心理判定を受けるため、児童相談所に依頼されるものである。

したがって、保健所から児童に関する資料が予め送付されてきており、ケースワーカーは、単に受付事務をするのみであり、件数では多く計上されるが、その内容は軽易な事務である。

(4) 被控訴人は、他の同僚が行った業務については、ほとんど触れず、ことさらにこれらを、覆い隠そうとしている。

昭和四七年度においては、左記のような被控訴人の担当していない業務があり、これらの業務は、他の同僚が担当処理した。

<1> 摂丹地区里親役員会(教育・養護担当)

<2> 小中学校生徒指導主事担当教員連絡協議会(教護担当)

<3> 愛護センター補導所連絡協議会(養護担当)

<4> 里親里子キャンプ(教育・養護担当)

<5> 摂丹地区里親大会(教育・養護担当)

<6> 情緒障害児保護者会(教護担当)

<7> 警察・鉄道公安関係職員連絡協議会(教護担当)

<8> 家庭裁判所との連絡協議会(教護・養護担当)

<9> 里親に対する養育指導研修会(教育・養護担当)

<10> その他の地域特別活動事業

(五) 昭和四七年度の複写文書についての被控訴人の主張は、誇張ないし虚偽である。

(1) 被控訴人は、昭和四七年度に複写文書事務の多い心身障害相談係の複写文書(事務処理)担当となり、その文書をほぼ専任で処理した旨主張するが、信用できない。

心身障害相談係が普段作成する複写文書は、入所措置書、退所承認書、措置停止承認書(以下、措置停止書という。)であるところ、その複写文書作成件数を、心身障害相談係の係員のみについて記せば次のとおりである。

<表省略>

右の表から、複写文書の作成状況は、事務分掌と実態とは異なっており、被控訴人が専任に近いのは措置停止書の作成のみであり、夏休みと冬休みに集中する措置停止書の発行を除けば、同僚の畠山の方が複写文書の作成件数が多い。

また、複写文書と複写文書以外の文書の作成件数について、被控訴人と畠山を比較してみても畠山の方が多い。前記の複写文書作成件数と五六条一斉調査による負担能力調書(複写文書でない文書)作成件数との合計を比較すると、次のとおりである。

<表省略>

したがって、被控訴人が、心身障害相談係の事務処理を一人で担当していたとは、到底認められない。

(2) 被控訴人が、同僚職員より複写文書等の文書を多く処理し、同僚に比べて過重であるとはいえない。

ア 被控訴人は、入所措置書、退所承認書、措置停止書の作成件数でもって他の係の同僚と事務量の比較をしているが、心身障害相談係は前記のとおり、施設への入所・適所の相談を専らの担当としており、これらの文書の作成件数をもって比較すれば、心身障害相談係である被控訴人の作成件数の方が他の係のものより多くなるのは、当然のことである。

しかし、児童相談所で困難な事案と認識されているものは、親の協力が得られないもの又は親がいないものである。

これらは児童相談所等で一時保護して今後の措置を検討する場合が多い。この場合、一時保護委託書等が作成されることになるが、これらの作成件数を右の入所措置書等の作成件数に追加すれば、次のとおりとなる。

<表省略>

なお、一時保護委託書等の作成件数は、昭和四七年度の一時保護件数二一一件を、昭和六二年度の各係の一時保護の実績により按分した。

右のとおり、複写文書の作成件数は、心身障害相談係の方が、養護相談係より少ない。

また、心身障害相談係より複写文書の作成が少ない教護相談係は、家庭裁判所への送致書等を、教育相談係は、里親関係の文書を、それぞれ多く作成しているが、これらの文書は、比較的複雑、かつ、難しいものに属する。

イ 被控訴人は、同僚に比べて自分の文書処理が過重であると印象づけようとし、業務内容の多様な上司(主査及び主任)を平の職員と同一に並べて記載し、複写文書作成件数等を対比させている。

しかし、上司の作成件数を除いて比較すると、被控訴人の作成件数が特に多いとはいえない。

a 上司(主査及び主任)の担当業務は、被控訴人のような平職員のそれとは自ずから異なるものである。すなわち、主査及び主任(以下、主査等という。)は、係の総括(監督者)として日々係員の業務をチェックするとともに、該係と他の係との調整をし、また、課又は係の緊急の事務を処理しながら、担当業務を遂行しているものである。このため、仮に主査等が被控訴人と同様の業務を行うとすれば、主査等の業務が被控訴人等と比較して、過重となることは明らかであろう。

したがって、同僚の中に主査等を含めて、複写文書作成件数を対比させている被控訴人の主張は、そもそも不正確なものであり、事務量比較の根拠となり得ない。

b 入所措置書、退所承認書、措置停止書と一時保護文書とを、平職員八名のみで対比すれば、次表のとおりであり、被控訴人は平職員の中では第二位となるが、そのうち、季節的な措置停止書を除けば第四位であって、被控訴人が同僚の職員に比較して特に多くの複写文書を作成していたとは、認められない。

なお、被控訴人より複写文書作成件数の少ない教護相談、教育相談の係員については、他の係にない複写文書の作成事務があることは既に述べたとおりである。

<表省略>

ウ カルテの経過記録の書字数についての被控訴人の供述は、事実に反する。すなわち、夏と冬の時期的に集中する措置停止書にかかるカルテの整理は、カルテを一見して明らかなとおり、簡易印刷器によりプリントしているし、ゴム印を使用している。

(3) 被控訴人の昭和四七年度における文書作成件数は、被控訴人の主張する六四八件でなく、たかだか二八〇件程度であり、そのうち複写文書作成件数は、一五〇件程度であり、被控訴人の文書作成により業務過重になったとの主張は誇張である。

ア 被控訴人が主張する文書作成件数の六四八件は、文書処理件数と一致している(乙第一号証の一五)が、複写文書のうち作成件数において断然多い措置停止文書は、一枚で一一件処理ができることはその書式より明らかである。

また、被控訴人は昭和四七年度には、福祉施設の夏休み・冬休みによる集団の児童の措置停止承認を一括して行っており、その文書作成件数が文書処理件数と一致することはあり得ない。

イ 甲第三五号証によれば、承認件数三七八件に対し、文書発行件数六七件とあり、その差三一一件は、複写文書作成件数の水増し分ということになるのであろう。

ウ また、前述のとおり、心理判定員が作成した障害意見書、判定意見書等も、その発行についての記事をカルテに記載する事務をケースワーカーが処理するとして文書処理件数に入れられており、他方、カルテ処理件数と文書処理件数とが一致していることから、これについてもまた水増し分であることは明らかである。

そして、昭和四七年度においては、六月二七日の出張判定と三月二日の出張判定とで合計五〇件程度の相談があったことが認められ、ほぼ同数の障害意見書等が作成されたものと認められるから、右水増し分は五〇件以上あると推認される。

エ 以上から、被控訴人の主張する文書作成件数六四八件から、措置停止文書の水増し分三一一件と心理判定員が作成した障害意見書の水増し五〇件を差し引いた二八七件程度が、昭和四七年度の被控訴人の文書作成件数と考えるのが相当であろう。

なお、証拠上、作成件数が明らかになっている複写文書は、措置停止文書六七件、入所措置書四八件、退所承認書二八件の合計一四七件であって、これ以外の複写文書としては、施設入所協議書があるがこれはあまり発行されることはないことから、昭和四七年度における実際の複写文書作成件数は、一五〇件程度と考えられる。

オ 被控訴人の一日当たりの文書作成件数は、昭和四七年度の所内勤務日数が一六九日であるから、たかだか一・七件にしかならない。そのうち複写文書作成件数は、一日当たり〇・九件にしかならない。

被控訴人の文書作成により業務過重になったという主張は、誇張であることが明白である。

カ 被控訴人は、五ないし六部複写の文書が多かった旨主張しているが、複写文書は四部複写止まりである。

なお、被控訴人は、甲第三五号証において措置停止書は三ないし四枚複写する、退所承認書は四ないし五枚複写する旨記載しており、自らその主張が、誇張であることを、露呈している。

(六) 同じ係の同僚二名が業務過重により病気になったため、その業務を被控訴人が分担し、被控訴人において業務過重になったという事実はない。

(1) 同僚の山尾が属していた教育相談係と被控訴人が属していた心身障害相談係とは、各事務分担が明確に区分されており、山尾の病気欠勤の時期について被控訴人の業務量に顕著な影響は認められない。

ところで、山尾の病気欠勤期間中(昭和四七年一一月四日から昭和四八年二月二六日まで)における被控訴人の巡回相談は、四か月間で四回しかなく、また昭和四七年度の巡回相談回数(五二回)を教育相談係の係員と心身障害相談係の係員とを合わせた人数(五名)で割った平均が一〇・四回であるのに対し、被控訴人の巡回相談の実績が一一回であることから、山尾の病気欠勤によって被控訴人の業務がほとんど影響を受けていないことが推認される。山尾の病気欠勤による巡回相談の担当者の欠員は、心理判定員により埋められていたものと推認される。

(2) ちなみに、心身障害相談係の畠山は、業務過重のゆえに病気になったものではない。

また、その病気欠勤期間(昭和四七年一二月一三日から昭和四八年一月九日)中には、被控訴人は、研修(昭和四七年一一月三〇日から昭和四七年一二月二二日)又は年末年始の休日(昭和四七年一二月二九日から昭和四八年一月三日)により、本来の業務にはほとんど従事しておらず、その影響は受けていない。

被控訴人は、畠山が過労のため退職した旨主張するが、同人が過労で退職したものでないことは、乙第八六号証の西宮市教育委員会の文書から明らかであって、被控訴人が自己主張を有利に展開するため事実を捏造したことが明白である。

2  職場環境及び同僚の同種疾病についての被控訴人の主張について

(一) 職場環境

被控訴人は、職場環境が劣悪であると主張するが認められない。以下、被控訴人の当審において追加した主張について反論する。

(1) 事務室の電灯(照度)

被控訴人が、昼間は事務室の電灯のうち窓際を消した旨主張するが、摂丹児童相談所の事務室は、昭和四三年新築以来現在まで窓際だけを消灯できる配線にはなっておらず、窓際の電灯のみ消灯することは不可能である。また、被控訴人が劣悪であるとする摂丹児童相談所は、昭和四三年に新築されており、被控訴人は昭和四三年に兵庫県に採用され同事務所に配属されたものであるから、当時兵庫県の庁舎の中では最新の建物で勤務していたものであり、建物に関する被控訴人の主張は、およそ根拠がない。

(2) 冷暖房

摂丹児童相談所には、昭和四七年四月一日現在、扇風機は五台、ストーブは一五台設置されていたのであり、面接室にストーブが設置されていないということなどあり得ない。

ちなみに、当時よく使用されていた部屋は、合計一二室(面接室-四室、観察室-一室、遊戯治療室-一室、心理判定室-二室、待合室-一室、事務室-一室、所長室-一室、遊戯室-一室)である。

(二) 同僚の頸肩腕障害

被控訴人は、同僚の矢谷早苗及び辻愛子が、被控訴人と同時期に同様の業務に従事して、業務過重のため頸肩腕障害を発症した旨供述しているが、これは事実に反している。

(1) 矢谷の頸肩腕障害

矢谷は、昭和五〇年四月一日から現在まで摂丹児童相談所(昭和五七年四月西宮児童相談所と改称)に勤務し、昭和五四年五月四日から頸肩腕障害のために療養(休職期間昭和五四年二月四日から昭和五五年四月三〇日まで)を続けているが、矢谷の頸肩腕障害の発症は、本人の素因によるものである。すなわち、矢谷は、「胸郭出口症候群」と診断されているところ、胸郭出口症候群は「上腕神経叢や鎖骨下動脈が、胸郭上口から肩関節にかけて、解剖学的に狭い部分を通るために、周辺の筋や骨に圧迫され、患側上肢の神経血管圧迫症状(しびれ、疼痛など)を呈する状態をいう。」とされているものである。

その治療方法としては肋骨の切除術等の外科的療法があり、広義の頸肩腕症候群には当たるが、地方公務員災害補償基金の頸肩腕症候群の認定基準の解説「「キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の取扱について」の実施について」の記の「3について」の(8)で、公務外の疾病と明記されているものである。

(2) 辻の頸肩腕障害

辻は、摂丹児童相談所に昭和四八年八月一日から昭和五四年七月三一日まで勤務し、その間異常なく勤めており、頸肩腕障害についての療養願及び診断書の類は一切提出されていない。もっとも、昭和五四年七月になり転勤の内示が出されたのち、四日程して、組合から辻の頸肩腕障害を理由として転勤内示の撤回要請が出てきているが、当時の摂丹児童相談所副所長湖月によれば、当初(転勤内示二日後)は、「子供の保育所への送迎ができないので転勤を取り消してほしい。」旨の申し入れが組合を通じてあり、これを同児童相談所当局が拒否すると、二日ほどして組合から再度の申し入れがあって、この席で、突如「本人は頸肩腕障害で療養中である。そのような者を転勤させるか。」との申出があっただけである。

仮に、辻の頸肩腕障害が事実であったとしても、辻は当時二人の子供の保育に追われていたこと及びそれ以前は産休により長期間業務から離れていたこと等から、その発症は、私生活に起因したものと推測される。

3  業務量の増加及び業務量の波を裏付ける被控訴人作成の資料に信憑性がないことについて

被控訴人は、受付台帳及び被控訴人自身の手帳に基づき作成したとする「採用以来発症に至るまでの業務処理件数」(乙第一号証の一五)に基づいて、自己の担当した業務量の増加並びに業務量に波があることを主張するが、右「採用以来発症に至るまでの業務処理件数」は以下に述べるとおり、信憑性を欠くものである。

(一) 「採用以来発症に至るまでの業務処理件数」の業務処理件数の記載の内容は、面接件数(所内面接十所外面接)、文書処理件数及びカルテ整理件数(面接件数+文書処理件数)となっており、面接件数と文書処理件数をそれぞれ二回算入したものであるが、このような業務処理件数でもって業務量の増加及び波を判断することは、明らかに不合理である。

(二) 面接と文書処理及びカルテ整理の各業務については処理時間数に大きな差異が存する。

(1) 面接

面接の所要時間については、前述したとおり、同一相談種別においても、新規相談と再来相談、所内相談と所外相談とでは、大きな違いがある。また相談種別、特に心身障害相談係の担当する相談と他の係の相談とでは、所要時間数、すなわち業務量に大きな差がある。

したがって、面接件数の単純な比較では、実際の業務量の比較をすることはできない。

(2) 文書処理

文書処理については、心身障害相談係に限定しても、入所措置書とそれ以外の複写文書とでは大きな書字数の差があり、それに伴い当然所要時間数が異なるものである。

(3) カルテ整理

カルテ整理については、面接と文書処理との間、あるいは各々の中で書字数及び所要時間の差がある。

(三) 被控訴人の主張する昭和四七年度の面接及び文書処理件数には、信憑性がない。

(1) 面接件数

面接件数について信憑性がないことについては、前述したとおりである。

すなわち、所内面接件数をみると、面接件数と面接のカルテ整理件数とが一致しており、面接のない肢体不自由児相談が、算入されているのは確実である。また、所外相談の件数をみると、巡回相談件数が明らかに異常な数字になっており、また、出張判定で心理判定員等が面接した件数が被控訴人の数に算入されていることが明らかである。

(2) 文書処理件数

文書処理件数についてみると、被控訴人は、これと文書作成件数と同一としているが、前述したとおり措置停止書作成件数の三一一件が過大にこれに算入されている。

また、文書処理件数と面接のカルテ整理件数とが一致している点からすると、被控訴人が作成していたものでない障害証明書の作成件数五〇件が被控訴人の文書処理件数に算入されていることが窺われる。

4  被控訴人の頸肩腕症候群に関する私的要因について

(一) 被控訴人の素因

(1) 被控訴人は、低血圧の素因を有している。

被控訴人の血圧は、昭和四七年六月二六日から同六〇年三月二五日までの間に五八回測定され、そのうち低血圧の基準値一一〇以下の値が三四回も記録されている。低血圧の症状は、<1>精神症状としては、頭痛、疲労感、倦怠感、不眠、注意集中困難、肩凝り、手指振顫、<2>循環器としては、四肢末端冷感発汗、<3>性器としては、月経不順、機能不振等である。

被控訴人が昭和四三年四月以降現在に至るまで訴えている症状と右の低血圧の症状とは酷似しており、被控訴人の低血圧的傾向が、その頸肩腕症候群に関する素因となっているものと考えられる。

(2) 被控訴人は、微熱を頻繁に起こすような虚弱体質である。

診療録を精査すると、被控訴人は微熱を頻繁に(診療録の記載では一四回)起していることが認められ、被控訴人が虚弱体質であることが明らかである。

(3) 被控訴人は、通常人と比較し身体的基礎(適応)能力が劣っている。

東京労災病院整形外科松元医師によれば、被控訴人は通常人と比較し身体的基礎(適応)能力が劣っていると認められるという。すなわち、被控訴人が手足の冷えを強く訴えているのは本人の生来の体質によるものであり、震えを訴えているのは自律神経失調・低血圧等内科的疾患あるいは中枢神経の疾患によるものと考えられ、いずれも労働によって出現するものではないとのことである。

(4) 被控訴人は、頸椎不安定である。

被控訴人の器質的な欠陥として頸椎不安定が認められる。頸椎不安定は労働とは全く無関係で、加齢変化によるものであり、肩凝り、頭痛等の症状はこれによって生じうるものである。

(5) 被控訴人には心身症の症状がある。

被控訴人について心身症の症状と同一の症状が認められ、神経内科ないし精神神経科の診察を経る必要があるとの意見がある。すなわち、右松元医師は、被控訴人は組合活動に熱中するあまり職場での人間関係が破壊され、疎外感を感じ、職場での適応性を失ったと認められ、これが被控訴人の本件疾病を招いたものと考えられる、との見解を示している。

(6) 被控訴人には眼機能障害による眼精疲労の疑いがある。

被控訴人は飛蚊症の診断を受けたことがあり、眼機能障害の存在が疑われ、これによって眼精疲労の症状を訴えているものとも考えられる。

万一被控訴人について眼機能障害が認められる場合は、被控訴人の愁訴(肩凝り、目の疲れ、全身的倦怠感等)の大部分は眼機能障害による眼精疲労によるものであることになる。

(二) 被控訴人の治癒の遷延

(1) 原判決は、被控訴人が昭和五四年頃からは、日常生活もほぼ支障なく送れるまで回復したと認定しているが、これは事実誤認である。

すなわち、昭和五四年は、一週間に三ないし四日程通院し、また、一週間のうち全日勤務した日数が三八パーセントしかない状況であり、それ以前もそれ以後もほぼ同様である。被控訴人の主治医の田尻医師は、昭和六〇年九月頃に一人前の状態に回復したが、なお通院している旨の証言をしているのである。

(2) 被控訴人の頸肩腕障害は、約一六年間の治療によってもいまだに治癒していないということは、被控訴人の素因の関与がいかに大きいかの証左である。すなわち、被控訴人の症状は、地方公務員災害補償基金(以下、基金という。)、労働者災害補償保険法等の頸肩腕症候群の認定基準で示す「三月を経過してもなお順調に症状が軽快しない場合には、他の疾病の存在を疑う必要があるものであること。」に、正に一致するものである。

(三) 被控訴人の組合活動

(1) 被控訴人は、採用二年目の昭和四四年から組合活動に積極的に参加し始め、昭和四五年四月から、二三歳で兵庫県職員組合(以下、組合という。)摂丹児童相談所の分会長(摂丹児童相談所の組合のトップ)となり、同時に青年婦人部の活動に参加し、組合阪神支部青婦協議会の副議長となり、昭和四六年九月には組合青婦協議会の副議長となっている。

この間の特に組合活動の忙しい時期は、昭和四六年九月ごろからで、被控訴人はこの間分会長、支部の副議長、本部の副議長の二役ないし三役をこなし、各種大会(昭和四七年八月三日、同年一一月一〇日)、兵庫県当局との組合交渉(昭和四六年一〇月一九日、同年一一月二四日、昭和四七年二月二八日、同年三月九日、同年三月三〇日、同年三月三一日、同年四月二六日)、自治労婦人部学級(昭和四六年一二月一一日ないし一三日)等にそれぞれ参加している。

また、被控訴人は、週のうち何日かは支部青婦協、本部青婦協の会議を午後七時過ぎから行い、休日には、支部青婦協、本部青婦協の教宣活動のレクリエーションの主催者として参加している。

組合がこの間積極的に取り組んでいた闘争としては、<1>吏雇員制度撤廃闘争、<2>宿直員制度廃止闘争、<3>スト権奪還闘争等があり、被控訴人は、<1>については、若い職員の問題であるために、本部青婦協の役員としてこれに取り組み、また<2><3>のうち、特に<2>については、摂丹児童相談所の職員の問題であるため、自己の問題として積極的に取組み、ビラ等も盛んに作成していたものである。

(2) ちなみに、被控訴人は、右の間に被控訴人自身の積極的な組合活動のために、摂丹児童相談所において上司等との人間関係を損ね、職場での疎外感を強く感じるようになったという供述をし、この間に頸肩腕等に疲労感、全身の倦怠感、手指振顫等を頻繁に訴えるに至ったものであるが、組合活動は積極的に参加し続けていたものであって、被控訴人の発症とその従事した業務との間にはおよそ因果関係は認められない。

三  当審における被控訴人の補足的主張

1  児童相談所ケースワーカーの職務内容と負担について

(一) 児童相談所のケースワーカーの職務は、日によって多少の違いがあるが、面接、巡回相談、家庭訪問、児童移送、カルテ作成、複写文書の作成、電話応対、来客の応対、会議等多種多様の業務が絡み合い、かつ、一般事務と異なり、不安や悩みを抱えた人々相手の仕事で、問題解決や援助のために専門的な知識や技術を要し、的確に分析判断しなければならない業務である。

このような多種多様な作業の場合は、個々の作業に分解して論じれば、その一つだけをとってそれだけで過重となることは、先ず有り得ないのは当然である。担当業務全体を総合して、その作業負担を検討するのでなければ、正しい判断は不可能である。

しかも、被控訴人の発病当時は、厚生省基準定員に満たない少ない人数で業務を行っていたため、一人当たりの業務量が多く、多忙を極め、常に仕事に追われていたのである。

(二) 一般事務に従事していれば、頸肩腕障害に罹患しないという根拠はどこにもなく、事務の「合理化」に伴い、一般事務作業者に頸肩腕障害が多発している。また、作業姿勢についても、そのどれもが頸・肩・腕を同一姿勢に保ちながら、手指は一定の反復動作を繰り返すという、静的筋労作と動的筋労作の組み合わせからなるものであり、これが精神疲労を伴いながら、毎日繰り返されるのである。

(三) ケースワーカーの仕事は自己調整できる仕事ではない。ケース毎に担当者が決まっており、信頼関係がベースになった仕事であるから、その場その場の都合で、他人に代わってもらうことはできない。問題を抱えて、切羽詰まって相談にくる人々に応対する仕事であり、緊急に応じなければならない相談もある。また、あらかじめ面接の日時を予約していることも多く、急に面接を取り止めたり、面接中に保護者や子供を置いたまま他の仕事に取り掛かることは出来ない。先方から持ち込まれる大量、かつ、種々雑多な相談に対応する仕事であるから、相談の難易度や件数を自分で選択・調整することはできない。

(四) 地域特性

摂丹児童相談所は、兵庫県内では管轄地域内の人口及び児童数ともに最大で、相談受付件数も最も多く、担当者一人当たりの相談受付件数も多い地域であった。また、尼崎を担当していたかどうかで困難なケースを担当していなかったと単純に言えるものではないばかりか、被控訴人も尼崎の相談を担当することがあった。

(五) 心身障害相談担当と養護教護・触法相談担当とのちがい

(1) 控訴人は、被控訴人の担当していたのは、心身障害相談であって、教護・触法・長欠・不就学などの困難な事案は担当していないと主張する。しかし、被控訴人も長欠・不就学などの相談を担当しており、ただ当時はこれらの相談を統計上性向相談に分類して計上していたのである。

また、心身障害相談では、情緒障害児や登校拒否児など、長期にわたる適所指導を要するケースも少なからずあり、どちらが軽易だとは言いがたい。また、障害児を一生背負っていかねばならない保護者の苦しみを考え、あるいは問題意識のない親に理解を求めるなど、人間性や全人格が問われざるを得ない重い仕事である。

教護・触法ケースでも、事案発生から通告までに日時の経っているケースが多く、また、単に証拠品の保管や児童の一時保護委託を得るための形式的な通告もある。これらのケースでは、来所を求めず、学校に電話で様子を聞いて指導を依頼し、統計上は訓戒としたり、電話も全くせず、統計上のみ訓戒として処理するケースも極めて多かった。

(2) 東畠調査(乙第八二号証)は当時の業務量を反映していない。同調査までに多数のカルテは廃棄されており、しかも、「証拠」として計上されている残存カルテの相談種別毎構成比率は実際に業務を行なった昭和四七年当時と大幅に異なっている。東畠調査のカルテ件数と控訴人が証拠として提出しているカルテの件数とは一致しない。しかも、カルテのうちファイルや処理決定調書、児童記録票が省かれている。カルテ作成がケースワーカーの職務の一部を構成するに過ぎないことも、見逃してはならない。

そのようなことをさて置いても、心身障害係の昭和四七年度受付件数は一三五〇件で、担当者一人当たり四五〇件となり、他の相談種別担当者一人当たり件数より多かったのである。

(六) スーパーバイザーの必要性とその欠如

控訴人は、職員配置が厚生省基準を満たしていなかったことを否定しようもないため、スーパーバイザーの配置の必要性は認められないとか、主任・課長がその役割を務めたとか、判定会議で措置の方向が決められたとか、弁解に努める。しかし、スーパーバイザーの配置は厚生省が児童相談所運営の最低基準として定めたものであり、摂丹児童相談所においても、配置の必要性が認められ、一審判決前後に配置された。その配置はかねてより職場要求として提出されていた。スーパーバイザーが居ないと指導の困難なケースを抱え込み、悩みと精神的負担が大きいのである。

課長は非常に忙しかったので、スーパーバイザーに代わる役割を望むべくもなかったし、またやる気と能力があったかも疑問である。

判定会議は、実質的には措置会議であり、しかも週一回しか開かれず、スーパーバイザーのような役割は果たせなかったし、また、形骸化していて、実質的な討議は行われていなかった。

(七) 心理判定員との違い、職務分担

控訴人は、在宅重症心身障害児訪問指導の業務、判定意見書の作成、巡回相談のカルテ記載等は心理判定員が行っており、ケースワーカーの負担は軽減されると主張する。

しかし、ケースワーカーは心理判定員に比べてもともと多種多様の文書作成を行うなど事務作業が多い。ケースについての関係機関との連絡調整や保護者との連絡はすべてケースワーカーがしなければならず、心理判定員がいるからといって、それが軽減されるわけではない。

そもそも、双方は別の役割を分担しており、他方の存在によって、一方の負担が軽減される類のものではない。在宅重症心身障害児訪問指導ではケースワーカーが在宅重症心身障害児訪問票を作成するとともに、児童記録を作成して決裁を受けねばならず、心理判定員よりずっと多くの業務を行っていた。心理判定員が作成する判定意見書に必要な資料の大部分はケースワーカーが作るもので、それなしには心理判定はできない。

巡回相談で相談が混み合い、心理判定員が相談を手伝うこともあったが、逆に心理判定員の本来の業務である遠城寺式乳幼児発達検査やソーシャルマチュリティ・テスト等をケースワーカーが行うことも多かった。

(八) 専門教育、現任訓練の必要性とその欠如

ケースワーカーは大学で専門教育を受け、特別選考試験で採用されているから、それで十分やれたはずであるというのが、控訴人の主張である。

しかし、それだけで既に述べたようなケースワーカーの重責を果たせるとは考えられないし、また、制度がないために時間外に自主学習会を開いたりしていた。被控訴人は、年休を取り参加費も自分で払って研修に参加し、勉強を続けなければならなかった。

控訴人は、面接作業を主たる業務とする職種の場合は、通常の勤務内容における限り、精神的緊張はないと主張する。しかし、面接作業そのものに精神疲労を伴うものであり、被控訴人自身も、酒を飲んで来所する父親を相手にしたり、忙しすぎて保護者との信頼関係が出来なかったり、施設の不足や制度の不備から行政との板挟みになったり、児童移送で泣き叫んでいる子を施設に残し、逃げるようにして帰らねばならなかった等のつらく割り切れない気持ちを訴えている。

2  業務内容(作業態様)と身体への負担について

(一) 書字作業について

(1) 書字作業の種類

控訴人は、書字作業のうち、そのごく一部だけを取り上げて、その負担は少ないとの印象を与えようとしている。しかしながら、書字作業の中心を占める児童記録票の作成作業ならびに複写文書作成作業についての実情は後述のとおりであり、控訴人の主張は机上の空論である。書字作業には、措置停止、退所承認等の複写文書を含む各種文書の発行、各種台帳への記載、児童記録票(カルテ)の作成など五二種類もの異なったものがあり、これら全体を検討するのでなければ、正しい結論は導くことが出来ない。なかでも、昭和四七年当時は、本来浦河主査が担当することになっていた受付台帳記載事務を被控訴人が代ってやっていたし、措置停止事務は大量に集中して、残業することもしばしばあった。特に昭和四七年一二月から四八年一月までは、被控訴人が一人で措置停止事務を担当せねばならず、その際には児童記録の作成も集中し、肩がこちこちになるのであった。

(2) 児童記録票「本文」「経過記録」の作成

摂丹児童相談所事務処理要領によれば、

{1} 児童記録票の作成にあたっては、面接中は、必要最小限度の事項についてのみ記録するにとどめ、その他の事項については、面接が終わってから整理して記載すること。

{2} 相談調査員は、原則として児童記録票の表側の欄の事項から、家庭の状況、学校関係、社会関係、遺伝関係、成育歴にいたるまでをすべて記載することとされている。

記録票の記載内容については、記載「項目」が様式化されているだけであって、記載方法まで○×式になっているわけではない。一八才までは大体記録が保管されており、以後も何回も相談に来る場合があるので、誰が見てもわかりやすいように整理しておかねばならない。

したがって、書字数もかなり多い。巡回相談や三才児精密検診、在宅重症心身障害児訪問指導などのように一日中面接を行った後や、児童福祉施設入所措置が集中したとき(四七年四月等)、児童記録もそれに伴って集中するので、書字数も非常に多くなる。一件当たり書字数の一番少ない措置停止事務の児童記録をみても、昭和四七年一二月二五日から二七日の二日半の一一七件の処理を行なっている。控訴人から提出された児童記録票をもとに算出しても、児童記録票記載四一〇六字プラスα、各種台帳への記載四五三九字、ガリ切り三七六字と複写文書の発行(カーボン紙をはさんでの五枚複写、一〇四五字)を行なっている。

当時は五、六部複写の文書が多かったことと、なにより、一日の業務の流れのなかで、ほかの種々の業務を行いながら文書作成作業も行っているのである。件数についても、乙第一号証の一五によれば昭和四七年度の被控訴人の作成文書数は六四八件であり、これを文書処理できる一〇〇日で割ると、一日六、七件、これを一日二ないし四件の面接と児童記録作成の合間に行わねばならない。

控訴人は、現存する約九〇〇件の児童記録票のうち面接回数の三分の一は被控訴人以外の者が記載しているという。これは被控訴人以外の者が担当するケースについてまでも被控訴人が手伝っていたことを示すものであって、むしろ被控訴人の業務量の多さを表すものである。

記載内容についても、面接時の記録はさしつかえのない事項について必要最小限度のことを記録するにとどめ、後で面接・出張・急ぐ文書の発行などの合間を縫って行っていた。

児童記録票の書字作業は次々と決裁を受けていかねばならないほど件数処理に追われていたし、他の業務の合間にやっと行なっていた状態であったので、とても手を休めて考えながら書く中断は許されず、素早く紙面を埋めていくという作業であった。

「他の作業による中断」は決して書字作業の負担軽減を意味しない。その分作業密度が高くなるわけであるし、「他の作業」自体が書字を含む作業なのである。

(3) 複写文書作成作業

ア 当時は多い時で五、六枚複写であり、間にカーボン紙を挟み、かつ、非常に枚数の多い用紙に書くので筆圧が要求され、手指に負担がかかった。

イ 昭和四七年度は、他の係に比べて文書の多い心身障害係で、被控訴人一人で事務処理を担当して行うことになっていたので、集中して行った。

ウ 入所措置書の作成件数についても、控訴人が比較の根拠としている乙第二五号証によれば、昭和四七年度では被控訴人を五九件としても久保の三七件をはるかに上回っている。また、乙第三号証によると入所措置件数は全部で四四〇件であり、これを控訴人主張の一四人で担当したとすると一人当たり三一ないし三二件であり、被控訴人は平均を遙かに上回った仕事をしている。

エ 措置停止業務等が集中した時は、児童記録の作成も同時に集中するので、肩がこちこちになる時期もあった。

オ 五六条一斉調査の名簿作りは、二部複写で間にカーボン紙をはさむが、用紙自体がわら半紙のような紙であったので、非常に筆圧が要求されて、同じように手・指の負担が大きかった(右肩-右腕-右手・指に力を入れて反復動作を行う。)。

(4) ゴム印、簡易印刷器の使用

大量の文書を、急いで処理しなければならなかったことが、ゴム印や簡易印刷器使用の理由である。時間的余裕があるならば、ゆっくり手で書く方が身体への負担が少なく楽である。簡易印刷器を使用するには、まず、原紙にガリ切りをせねばならず、それには手に力を入れて小さい字を書くので、手・腕に普通の何倍もの負担がかかった。また印刷には、左手で原紙の枠を押さえ、右手でローラーを握って印刷するのが、両腕を浮かし、力を入れることにより、手指・腕・肩に負担がかかり、肩がこちこちになるのが常であった。

ゴム印に付いて言えば、当時印箱は課に一つしかなく、被控訴人は一番若かったため、ゴム印を常時使える状態にはなかった。取り寄せにかかるカルテの昭和四七年一二月分を見れば、全くゴム印を使用していないことが明らかである。

(二) 所外業務における不自然な姿勢

控訴人は、児童移送及び訪問調査、在宅心身障害児訪問指導、重症心身障害児の訪問指導時の不自然な姿勢についての事実誤認を主張している。

(1) 児童移送

児童移送のため、当時公用車もたまに使うこともあったが、国鉄やバスを利用するのが普通であった。公用車は所長の用務に優先して使用されていたのである。ちなみに、昭和四七年度に九回あった児童移送のうち、公用車利用は二回に留まる。

保護者が同伴できない場合は、左腕に荷物をぶら下げて、小さい子供を抱いていくことすらある。幼児の場合は手を引き、時に、保護者が同行する場合でも、洗面用具、着替えなど、また学令児なら鞄に学用品を持っていくので、荷物も多くなり、分担して両手に持って行った。

たまに公用車を使用するばあいでも、障害児の手足に硬直・麻痺があり、その子供の姿勢に合わせて座っているため、被控訴人の上肢や肩に力が入る。

(2) 巡回相談

多紀郡、氷上郡での巡回相談の場合は、朝七時に家を出て、帰宅は夜七、八時になった。相談は町役場や保健所など、児童相談にふさわしくない環境で、たくさんの児童や保護者がつめかけ、待ち草臥れて泣き叫ぶ子供や、ぐずったり、走り回ったりする子供で騒然としたなかでの困難な作業である。会場の関係で、畳敷の部屋で、宴会用の机を使い、一日座って、所内よりもずっと多数の相談を一度に受けるため、途中から頭もぼうっとし、終わると全身がぐったりしていた。さらに代替がきかないため、体の調子が悪い時でも、薬を持参して無理な仕事を続けなければならなかった。

(3) 訪問調査

訪問調査の場合は、本来事務作業をする環境でない場所で面接・聴取作業をせざるを得ないために、どうしても不自然な姿勢になるのである。

(三) 措置停止事務

(1) 措置停止事務は春、夏及び冬の休みに各施設から集団で措置停止の申請がなされることが多いため、四月、八月及び一二月に集中する。それのみか、事務はそれらの期間に特定されるものではなく、通常は病気などで突発的に起こってくることも多かった。

本来は、心身障害担当係内で適宜分担することになっていたにもかかわらず、昭和四七年度は畠山ケースワーカーが病気のため欠勤したため、同四七年一二月に冬休みで集中した一一七件の措置停止事務を被控訴人一人で行い、事務量も極端に増大したのである。

当時の作業方法は、カーボン紙を挟んで四、五枚複写の措置停止書を作成し、一人一人の児童について、当該カルテの経過記録にその旨を記入し、係印を二個、決裁印を一個押印して、決裁にあげるようになっていた。

数が多いため集中してやらねばならず、またその作業は措置費や保護者の負担金の額に係わるので、急いで処理する必要があった。ところが、右申請は、措置停止の始まる直前か、始まった後に提出されることが多いので、のんびりどころか、残業もしなければならなかった。

画一処理できる業務でもなく、大量に一度に出されるが、施設毎、児童毎にその期間も異なり、機械的には処理できない。

簡易印刷器やゴム印の使用については、すでに述べたとおりである。

(四) 五六条一斉調査

五六条一斉調査の事務は、大量の事務処理を要すること、カーボン複写で書類を作成すること、負担能力調書を作成し、保護者に郵送するだけでは足りず、納税証明書等の提出を電話や手紙で再三にわたり督促し、それでも提出されなければ自宅を訪問して調査することまであり、全部終了までに一年近くかかる。負担金が決定しても、期限に納入されないときは、総務課員とともに家庭を訪ね、納付を督促することもあった。

(五) ナンバリング

新しいカルテを作る時に五、六箇所ナンバリングを打つが、そのことは統計にはあがらない。ナンバリング打ちは重く、上肢に負担がかかる作業である。

(六) 面接における作業姿勢

面接は、それぞれ異なる内容をもった深刻な問題について、相談者との信頼関係を作り上げながら、解決方法を模索してゆくという、精神的負担の大きい業務である。

面接時の作業姿勢についても、面接の趣旨・目的に相応しいように、頭頸部から肩・腕・腰部を概ね同一の正しい姿勢に保持し(静的筋労作)、記録を取る手指は一定の反復動作を繰り返す(動的筋労作)。児童記録は手で持って宙に浮かし、右手で記録していくなど、かなり不自然な姿勢が要求される。面接中も子供の表情や動き、発達状況を観察しなければならない。和室の時は、正座をしたうえ上体を丸め、頸部を前屈するなど、さらに身体負担が大きい。

(七) 電話

事務室には五、六人に一台しか電話機がなく、被控訴人の席から左又は右斜め前方に、目の高さまで腕を伸ばさないと受話器を取れない位置にあった。座ったまま通話するには、上半身を捩じった姿勢を取らざるを得なかった。当時は、切り換えの効かない電話機であったため、自席前にない電話機で受けることも多く、通話しながらメモを取るのに不自然な姿勢を余儀なくされた。また、事の性質上、長時間の電話になることがあり、上肢への負担は一層増した。

(八) お茶汲み

職場の同一課の職員全員の分を、一日何度かするのは、女性の仕事とされていた。警察、学校、福祉施設の人など、来客に対しても同様であった。被控訴人は入口の側にいて、いくら業務が忙しくても、来客があると中断して、すぐ立ってお茶をいれていた。

(九) 研修

控訴人の言うように、「研修は講演を聞くようなもの」ではなく、兵庫県自治研修所の「昭和四七年度吏員研修実施要領」に明記されているように、研修は「吏員としての職務遂行能力に必要な知識、技能及び上級吏員の職務代行能力を養うため」公務として参加するのであって、漫然と講演を聞くようなものではない。事前準備が義務付けられ、研修科目も多岐にわたり、討論形式で行うものもあり、問題演習もあった。長時間座っていなければならないこと、講義ノートを作成し毎日研修所への提出が義務付けられ、研修期間終了後は所属長への復命をすることなど、種々の義務で縛られていた。通所には、地方公務員研修選書、六法全書、筆記用具、印鑑、運動着、運動靴を持参するものとされている。

被控訴人は、昭和四七年一一月三〇日から一二月二二日まで兵庫県自治研修所で研修を受けたが、たまたま暖房機が故障していたため、非常に冷えた部屋の中で研修を受けることになったが、これによる身体の冷え込みが頸肩腕障害の発症を促進する一要素となったと考えられる。

研修終了後は、留守中溜まった仕事を集中して処理しなければならない。

(一〇) カルテ廃棄

カルテ廃棄作業は、片手間にできることではない。カルテ内容を一件づつ精査し、廃棄すべきカルテについては、廃棄記録を作成するという根気のいる事務作業である。昭和五八年当時は三名ほどアルバイトを雇って始めたが、期間内に終わらず、職員一〇数名で三日以上かかって、漸く終えることが出来た。

カルテのファイルは年間一二〇〇ないし一三〇〇件も増え、ファイル室に収容できなくなっており、裏庭に倉庫を建てたほどである。普段はカルテ廃棄作業の時間的余裕がない程忙しいのである。

(二) 時間外勤務

控訴人は、超過勤務時間数が少なければ、業務繁忙はなかったものとしている。しかし、残業の時間数は勤務実態を反映していない。控訴人の提出している超過勤務時間数は、超過勤務手当振り分けのために算出された時間数で、残業しても予算の裏付けがないため記録されない部分があり(このことは、関係者の常識となっている)実際には、記録上の時間数をはるかに上回る超過勤務が行われている。

急ぎの統計、入所措置書書き、巡回相談後の児童記録の整理などのもち帰り残業もあった。

他に、残業時間数に含まれていないが、日曜日の出張や月一回程度の日直があった。日直では、保護者、関係機関の人と面接をしたり、調査、連絡指導等の業務を行っていた。

したがって、業務の忙しさは超過勤務手当簿よりも、文書処理件数の方が正確に反映している。

3  作業量について

(一) 控訴人の主張

控訴人は、現存する児童記録票(昭和四六・四七年度分)約九〇〇件について調査を行ったとして、被控訴人の担当した業務量は少なく、業務量と発症との間に因果関係はないという。

しかし、その立論過程並びに論拠とする数字は著しく事実に反し、非科学的なものであり、到底説得力を持ち得ない。

(二) 控訴人の論拠に対する検討と反論

(1) 業務の絶対量は数字として把握できない。

被控訴人が行う業務は、所内面接、児童記録票の記載、巡回相談、複写文書作成、訪問調査、児童移送、種々の調査、統計、研修等多種多様にわたっている。さらに、これに伴う文書作成、打ち合わせ、電話連絡、検討などもある。一日単位でみても、複雑多様な業務の連続である。

したがって、業務量を数字として把握することは、不可能である。それを強いて数字で表そうという控訴人の試みは、数字に出ているもの以外の業務量をすべて切り捨て、被控訴人の業務負担を事実に反して過少に見せ掛ける手法に外ならない。

(2) 控訴人の立論の根拠としている数字は、被控訴人の業務量を反映するものではない。

ア 控訴人は、専ら児童記録票における被控訴人の書字数に基づいて業務量を論じようとするのであるが、書字作業は、被控訴人の多種多様な業務の極く一部であり、児童記録票記載は、そのまた一部の業務に過ぎないし、その字数に基づいて全体の業務量を推し量るのは、無謀な試みか、さもなければ非科学的な試みである。

イ 児童記録票(カルテ)はその大多数が既に廃棄され、被控訴人が実際に相談を受けて処理した件数のわずか一二パーセントしか残っていない。しかも、その残り方は著しく偏っており、そのまた一部が取り寄せられ、乙号証として提出されているに過ぎない。

その結果、心身障害相談の児童記録票では軽易な案件が多く残っているにも係わらず、養護・教護・触法行為等の相談では、複雑な案件ばかりの児童記録票が残っている。後者において複雑案件の占める割合は相談当時一四・六パーセントに過ぎなかったものが、カルテ廃棄後の現存カルテでは八五・五パーセントとなっており、実態とは逆転した内容である。

控訴人は、これらの事実を百も承知の上、敢えて乙第五九号証、乙第八九号証等を提出し、被控訴人の業務量を過少なものとの錯誤に陥れようとしている。とりわけ、本訴提起後である昭和五八年秋に、約四〇〇〇件もの大量のカルテを廃棄し、その作業の指揮をとった東畠証人自身が右趣旨の証言をしているのであるから、残存カルテによる数字が偏頗なものであることを熟知している筈である。

被控訴人は、本件認定申請をした昭和四九年五月以来、審査請求の段階から、カルテの全数調査を求め続けていたのであるから、控訴人の行為は訴訟における信義則にも反するものである。

ウ 取り寄せにかかるカルテの記載時期は昭和四七年一一月三〇日から一二月二二日までで、その期間被控訴人は研修で出張し、殆ど児童記録票本文の作成に係わっていない。したがって、この期間のカルテに被控訴人自身の記載した書字数が少ないのは当たり前である。

エ 調査が杜撰であり、調査内容が信憑性に欠ける。すなわち、東畠証人の調査(乙第八二号証)以後、児童記録票は廃棄されていないにもかかわらず、提出された二カ月分の児童記録票は右調査に表れた数より八冊も不足しており、被控訴人の書字数の多い児童記録票が省かれている。また、被控訴人の書字数の算定にも、多くの脱落が見受けられる。

オ 一方、比較の対象とされる被控訴人以外の者が作成したとされている児童記録票本文は、多人数で合作したものであり、これらの総量と被控訴人一人の書字数を比較するのは不当極まりない。

カ 被控訴人が長期の研修に出張し、児童記録票本文の作成に係わっていない時期ですら、児童記録票本文の書字数は二六人中第四位である。

キ 心理判定員及び福祉事務所職員がたまたま児童記録票本文に記載したことがあるのを控訴人は過大に評価しているが、心理判定員が記載した字数は全体の三パーセントに過ぎず、福祉事務所職員が記載したと思われるもの(甲第五〇号証の二、記載者不詳分)を加えても四パーセントに満たない。また、児童記録票の作成は本来多人数で行われるものであるから、他人の関与はそれだけで被控訴人の負担を軽減したということにはならない。

(3) 発病の基準となる業務量は決まっていない。

仮に、控訴人の如く業務量を数量化し、他と比較してその多少を論じることができたとしても、どの程度の業務量であれば発症に至るかの基準が知られていない以上、その業務が発症の原因となったか否かは、判断のしようがない。したがって、発病原因となるべき業務量の絶対的基準は当初から存在しないのである。

しかも、業務が当該疾病の発病の原因となったか否かは、業務態様、当該労働者の体力を含めた本人にとって過重な心身の負担となったか否かを総合的に判断して決すべきなのである。

以上、いかなる意味においても、業務の一部の偏った数字のみを以て、被控訴人と同僚との比較をすることは、因果関係否定の根拠となりえない。

(三) 被控訴人の負担した業務量は実際に多く、発病の原因となり得るものであった。

(1) 業務量の増減は、業務の一部ではなく総量で判断すべきであるが、そのことを一応措いて、相談別処理状況を取り上げてみても、摂丹児童相談所作成にかかる「相談別処理状況」(乙第三号証)によれば、昭和四五年ないし四七年度において、各種相談中に占める心身障害相談の件数とその割合は年々増加してきている。

<表省略>

また、「施設入所措置件数調」(乙第七号証)によると、昭和四七年度職員一人平均四四件に対し、被控訴人は五九件と、平均を大幅に上回っていることが明らかである。

(2) 昭和四七年度後半の業務量について

巡回相談の稲田、山尾担当分を被控訴人が代わりに行き、五六条一斉調査の担当件数では、九五五件中八一件担当し、多い方から四番目であり、児童福祉法三一条、三七条、同法施行規則二七条の事務的処理及び統計事務を被控訴人が一人で担当していた。措置停止事務は、春、夏、冬の休みに集中する。

情緒障害児短期治療合宿キャンプは、七月から一〇月までの間開設され、被控訴人も参加し指導した。精神薄弱児(者)実態調査が八月に行なわれ、被控訴人は八五四件中九〇件前後を担当した。一一月には児童福祉施設措置児童実態調査を担当した。在宅重症心身障害児訪問指導を年間一一日行なった。カルテ廃棄事務に九月頃従事した。

以上のように、昭和四七年度後半は業務量が増大したことが明らかである。

(3) 控訴人は、畠山の休んだ期間は被控訴人は研修で業務に従事していない旨主張するが、前述のとおり、研修自体が相当の業務負担を有するものであるばかりか、その期間の仕事は他人がやってくれる訳ではなく、研修終了後大量に集中してきた。

(4) 控訴人は、新しい児童福祉施設が出来た時、入所措置が集中することはなく、いずれの年度も入所措置件数は少なく、かつ、平均している旨主張するが、昭和四七年四月、宝塚に肢体不自由児通園施設が開設されたため、入所措置書の作成件数は昭和四六年度の一八件が昭和四七年度に五九件と著しく増加した。

(5) 控訴人は、所内面接の件数についての原判決の認定は客観的根拠がない旨主張するが、原判決認定は、公務災害認定申請当時に、被控訴人が受付台帳等から調査した数字に基づくものである。この数字は早い時期から提出されており、それが誤りと言うなら、業務全体と資料全部を管理している控訴人自身がその根拠を示すべきである。

(6) 控訴人は、原判決は昭和四七年度の出張による面接回数を誤認している旨主張するが、原判決は、巡回相談件数を「最高で一日一五、六件」と認定しているのみであり、最低については触れていない。また、所外面接には、家庭訪問、出張相談、巡回相談などを含み、合計一三二件であり、決しておかしくない。

(7) 控訴人は、福祉年金の判定件数を通常の相談面接件数に計上することはおかしいと主張するが、福祉年金の判定のための面接において、被控訴人は受付面接をして必要事項を調査し、心理判定員にケースを引き継ぐとともに、児童記録票を作成し決裁を受けなければならなかった。この面接は公金の支出に係わるものであるから、正確に調査する必要があり、特に神経を使う点があったほかは、通常の面接業務と何ら変わるところはない。面接相談件数に計上して当然である。

(8) 控訴人は、巡回相談における被控訴人の処理件数に心理判定員が処理した数が含まれている旨主張する。しかし、ケースワーカーは、巡回相談ではすべてのケースに係わるが、心理判定員は判定が必要なケースしか係わらないので、ケースワーカーが手一杯で、来談者を長時間待たせられないとき、一部手伝うこともあった。逆に、ケースワーカーが心理判定員の本来の業務である遠城寺式乳幼児発達検査や、ソーシャルマチュリティ・テストを代行したりしていた。

心理判定員が面接し、児童記録票に記載した書字数は、被控訴人が長期の研修で出張し(昭和四七年一一月三〇日から一二月二二日)、児童記録票の記載に殆ど係わっていない時期ですら三パーセントに過ぎず、とるに足りない。

心理判定員が記載し、被控訴人が捺印しているものは、被控訴人が内容を確認したことを表しているのであって、これは、書字数の統計上計上していない。

(9) 控訴人は、被控訴人の超過勤務の件数は少ない旨主張するが、超勤命令簿の数字で実際の残業時間を判断することは出来ない。

すなわち、超勤手当の額は年度当初から予算化されており、取り分け民生・福祉部局では、極めて圧縮した数字になっている。しかも、その配分は、各人の残業時間に比例して行われるわけではない。配分に当たっては、まず金額が決まり、それに合わせて残業時間が記載される。それでも、被控訴人は、昭和四五年度、同四六年度は第一位、同四七年度は第五位(一一人中)の残業時間が記載されている。

昭和四七年度宿日直日誌によれば、四月九日、五月七日、六月八日、七月二三日、九月一〇日、一〇月八日、一一月三日、一二月一〇日の祝祭日に日直していることは明らかである。

(10) 控訴人は、被控訴人のカルテ「経過記録」の記載字数は、平均三四字に過ぎない、複写文書の書字数は少ない、カルテの「経過記録」の整理は、ゴム印と簡易印刷器を使用し、書字数は少ない、カルテ一件あたりの経過記録の記録回数は、心身障害担当は少ない、カルテ一件あたりの文書処理回数も、他の相談と比較して少ない、カルテ一件当たりの書字数も少ない等とするが、前記のとおり理由がない。

(11) 控訴人は、措置停止文書の作成は必ずしも急がれない旨主張するが、措置費の支出や保護者の負担金に関するため、届出があり次第急いで行わねばならなかったし、措置停止の届出は、事後や直前にくるから、事後処理となり、だからこそ急いで、集中して短時間のうちに処理しなければならなかった。

(12) 控訴人は、面接後のカルテ整理には時間的余裕がある旨主張するが、これは児童相談所の仕事を全く知らない人が言う論理であり、全くの事実誤認であることは、以下の点で明らかである。

ア これでは、一日にどれだけたくさんの仕事をやっていようとも、決裁迄の期間が空いていれば楽ということになる。

ケースワーカーの一日の業務は、決裁用の書類作りだけではなく、面接・家庭訪問・巡回相談・児童移送・児童記録票の記載・複写文書の作成等多種多様なことを並行してやっているのであり、決裁にあげる迄の間、次々と相談を受け、それぞれ指導を続けているのである。

したがって、忙しくて即日面接して即日決裁を受けることはほとんどなく、決裁を遡って受けているのが実情である。

イ 判定会議は一週間に一度しかなく、時間も半日と限られているため、判定会議に提出する件数が時期的に集中した場合は、一週間後の判定会議に分けて提出せざるを得ないので、入所措置書も遡って発行している。(※印部分)

乙第一七九号証によって判定会議にあげられた日程を調べてみると、

四六・五・一   二件

四七・三・二五  八件

※四七・四・五   八件

四七・四・二六  七件

四七・八・二三  六件

四七・九・六   三件

四七・一一・一  二件

四七・一一・二二 二件

となっているが、これは残存カルテ分であるから、実際にはもっと多く集中しており大変であったことの証拠である。また、月初め等、施設が児童を受け入れる日の直前になって相談があった場合や、緊急を要するケースについては判定会議を待たずして上司と協議の上で入所させている。こういったことは人間相手の仕事である以上当然あることである。

4  被控訴人の発病を促した人的・物的環境について

(一) 人員不足と業務負担の増加

(1) 昭和四三年ないし四八年当時の摂丹児童相談所においては、児童相談所執務必携基準に比し、ケースワーカー三名ないし七名が不足であり、これ以外の職種についても次のとおり不足しており全体として九名ないし一三名右厚生省基準より不足していた。

<表省略>

(2) 被控訴人発症前に被控訴人が所属する心身障害係、教育相談係五名のうち畠山、山尾が一ないし四か月間病欠したことによって被控訴人に業務負担がかかり発症の要因になったのであり、更に被控訴人病欠中に同係の一名が、また被控訴人が半日勤務に復帰した時点に同係の一名がいずれも一か月程病欠している。

なお、付け加えるなら、控訴人は、畠山が病気で欠勤したことさえ否定しているが、昭和四七年一二月一三日から昭和四八年一月九日までの約一か月間、「不確定神経衰弱症」で病欠したことは証拠上明らかである。

山尾病欠の間も関係機関との応対や巡回相談、電話の取り次ぎなどで被控訴人に負担がかかったのである。

また、被控訴人が発症するのと相前後して、係員全員が、過労により病気で倒れたということだけではなく、その後、同僚のケースワーカー二名が頸肩腕障害に罹病したことも事実である。

(3) 疲労の蓄積と時間外勤務時間について

控訴人は、発症の経過と業務量は関係がなく、被控訴人がつじつまの合うように症状を訴えているかのように印象づけようとするため、発症直前の超勤時間数、勤務日数等を示し、業務量の増加はないとしているが、しかし被控訴人の発症直前の業務処理件数の変動の波は明らかに増加していることを示している。

時間外勤務についていうと、超勤命令簿記載の時間数で実際の時間外勤務数を判断することができないことは、前記のとおりであり、昭和四七年当時、被控訴人が一番超勤時間が多かったことは、同年九月、一〇月に何度か、日曜出勤した事実で明らかである。なお、この他に月一回程度の日直や、持帰り残業をやったことも大きな負担であった。

連続勤務日数も控訴人の主張に反し、次のとおりである。

昭和四七年度 四月三~一五日(四月九日日直)一三日間

六月一二~一九日(六月一八日日直)八日間

七月一〇~一八日(七月一四~一六日研修)九日間

七月二〇~二六日(七月二三日日直) 六日間

九月四~一一日(九月一〇日日直) 八日間

一〇月一八~二八日(一〇月二二日日曜出勤)一一日間

一二月四~一六日(一二月一〇日日直)一三日間

また、控訴人は、被控訴人の主張はその症状の訴えをうのみにしたものであると言うが、患者が症状を訴えることは、客観的診断項目の一つであることは言うまでもなく、またこのことは基金自ら「他覚所見と本人の病訴とを考慮して判定する。」としたことと矛盾はしない。

被控訴人の症状の経過は本人が訴えているのみではなく、担当医師が客観的医学検査結果、診察結果から機能的、器質的障害を確認して診断しているのである。また、軽減勤務による症状軽減はまさに業務と発症の因果関係を示すものである。

(4) 全日勤務日数について

控訴人は、出勤勤務日数をあげ、この数字が小さいので、この時期、忙しさが続いたとするのはあてはまらないとしているが、これは二重のごまかしである。

第一に、出張を勤務として日数に入れてないことである。それの不当性はいうまでもない。出張勤務は所内勤務と比較して軽易ではなく、むしろ肉体的にも精神的にも負担が大きい。どうしても出勤勤務日数で忙しさを判断したいのなら、出張を含めた全勤務日数ですべきである。出張が多い程、出張先で受けたカルテ記録や事後指導等事務処理の密度が非常に高まる。

第二に、他の職種、民間との比較で、少ないとしているが、これは比較の数字をあげないで、言っており、ごまかしである。民間のどの職種の、どんなデータに基づいていうのであろうか、少なくとも、出勤勤務が全日勤務のほとんどというのは、現業労働ぐらいであろう。

被控訴人だけではなく、ケースワーカーを含めた行政労働において、出張業務が一定の部分を占めるのは通常で、これをもって民間と比較して忙しくないと主張するほうが、一般の常識と掛離れている。

第三に、控訴人は、被控訴人の勤務時間は民間のそれより少ないというが、これは被控訴人のした日曜出張、日直の数字を入れていない。これを入れると逆転し、被控訴人の勤務時間は民間平均より多くなる。

また、これ以外に前述の超勤時間が実際には多かったことを考慮すると、更に勤務時間は多くなる。

(5) 控訴人は、被控訴人をとりまく作業環境は頸肩腕症候群と関係がないということを、証人伊藤、同青木の証言をもって証明しようとしているが、証人伊藤についていえば、自ら行ったと言う実地調査とは、摂丹児童相談所に来たものの、所長室で所長及び管理職とのみ四〇分程度懇談しただけであり、当然行うべき被控訴人や同僚ケースワーカーからの聞き取り調査や作業室環境調査も行っていない。このような粗末な実地調査で、被控訴人をとりまく作業環境に本症との関係はないという証言は信頼性がない。

また、証人青木も、同伊藤と同様、兵庫県の管理職の立場にある者であり、控訴人に不利な証言をしにくい立場にあるが、証言では「公民館で宴会に使うテーブルで相談をした。」とか、「子供が走りまわり、泣きさけぶ、騒がしい中で相談した。」と、被控訴人をとりまく所内外の面接とか、巡回での環境はかなり劣悪であったことを認めざるを得なかった。

(6) 電話について

電話機での業務について、控訴人は、被控訴人が電話機のそばにいたという事実だけで、不自然な姿勢をとることはありえないとしている。

しかし、五名の係に一台の電話機しかないうえ、他の係にかかった時、切り換えができないため、長時間不自然な姿勢で受話器を持ったまま対応したり、メモを取ったりすることを余儀なくされたのである。

(7) 室温、机、椅子について

ストーブは、被控訴人が発症した後、他の福祉施設が廃園になった際、これを転用したものである。すなわち、面接室には足りず、観察室、遊戯治療室には設置されておらず、これが不充分ながらも設置されたのは被控訴人発症後の、最近になってからである。このことは最近に至るまで暖房を完備するよう職場要求が出されていることから明らかである。

また、控訴人は、被控訴人の事務机と椅子の高さの調整では問題がなかったということを、被控訴人が苦情を申し立てたことがないことを根拠に主張しているが、この件について、被控訴人が総務課に申し出たところ、購入はできないということで、総務課員が椅子の高さを調整しようとしたものの、ネジが錆びついて果たせなかった。このため、被控訴人が座布団を二枚重ねて座ることを余儀なくされたのであった。

(8) 冷えこみのはげしい事務室で一時間以上も面接したことについて

暖房器具の不足のため、親にはオーバーを着てもらうが、こちらは切実な問題をかかえた親、問題のある親を前に、信頼関係を得るため、心を開いてもらうため、事務服で対応しなければならず、控訴人がいうごとく常識に反することをせざるを得なかったのが実情である。

(9) 照明、備品、作業環境について

事務室は、南面ではあったが、照明器具が少なく、また、螢光灯の配列が机の配列方向と直角になっているため、室内の照度は不足であった。当時は、電気料金節約のため、天気の良い日は、窓側は明るいとのことで窓側に座っていた役付に消されたが、配線の関係で部屋全体の照明はすべて消された。しかし、外光だけで仕事ができるのは南側の一列だけであり、被控訴人は一番若いので北側の暗いところに座って仕事をしていた。照度不足は現在も同様で、このため個人で照明器具を持ち込んでいる職員が二名もいる。

福祉職場の実態は、とりわけきびしく、人員面、予算面できりつめられており、摂丹児童相談所でも毎回の判定会議の後、「電気料、電話料が予算を超えているので、今月はもっと節約して下さい。」と言われ、これは、石油ショックの時期だけのことではなかった。とじひも、鉛筆の芯などの消耗品を総務課に要求しても、なかなか交付してもらえないどころか、無いのが実態である。

このようなことは、不満が大きく、毎年の組合要求提出の際には、児童相談所分会で数多くとり上げられている。

(10) 控訴人は、被控訴人の頸肩腕障害発症の原因を、業務以外に求めたいあまり、被控訴人が昭和四七年度に組合休暇を二回とったこと、四月、五月の専免をとったことを唯一の根拠に、あたかも被控訴人が特別熱心な組合活動家であるかのように印象づけ、発症の要因が組合活動に専念したためであるか、もしくはありもしない病気を組合の闘争目的にするためと思わせたいようであるが、これも事実と相違する。

控訴人が、児童相談所の職員が正当な組合活動を行うのに反感と偏見を持つのは個人の範囲内で自由であるが、これをもって事実をねじ曲げることは許されない。事実関係を述べるなら、児童相談所に配置された後、当時最も若いため、皆のいやがる分会役員を押しつけられたのを始めに、昭和四六年から同四七年七月までの間、組合阪神支部の青婦協副議長に、また、他の女性になり手がなかったため、女性ポストを割りあてられた本部青婦協副議長についたのであった。

このため、月一回の会議に出席することと、年二、三回のビラの原稿づくりに関与したが、ビラのガリ切りと印刷は主として書記がして、被控訴人はそういう作業はしていなかった。

しかし、症状の悪化から、このような名目的な活動さえできなくなったため、同年の七月に中途で、役職を降りることになった。

被控訴人のとった二回の組合休暇は、組合支部大会と青婦協本部大会に出席するためであって、なんら特別熱心に組合活動に参加したためではない。組合大会は通常一年に一回行われ、一般組合員の代表が参加して、全組合員の意志を反映させるごく当然の大会である。このため、被控訴人が一年にたった二回の組合休暇をとっただけで、あたかも特別熱心な組合活動家であり、ましてこの二回の参加が頸肩腕障害の発症の原因となったと主張するに至っては、何をか言わんやである。

事実はこの時期、被控訴人は症状の悪化のため、一般組合員が行う組合活動からでさえ離れていたが、青婦協支部役員をしていたことから、年一回の組合大会に分会代表として出席したのであった。

また、四月の専免は、人事課長交渉のため神戸に赴いたのであるが、これは副議長の立場上、本部組合役員の交渉の場に同席したのみであった。

また、症状の悪化した時期、五月の専免なるものは、沖縄返還にともなう全国的祝日を控訴人が組合専免と勘違いしたものである。

(11) 同僚の頸肩腕障害の発症について

控訴人は、同僚に頸肩腕障害発症の事実はなかったと主張し、あたかも矢谷が被控訴人の訴訟を有利にするため、ありもしない病気を頸肩腕障害と言っているように主張している。

しかし、矢谷が、分会世話人になったのは昭和六一年からである。また、発症したのは昭和五四年五月で、これは本人のみが症状を主張しているのではなく、公的病院の診断のもとになされている。これに基づいて、当局も矢谷に三か月間の休職を命じている。昭和五四年八月に提訴した本件のために、当時組合役員に縁もゆかりもない矢谷が病気にかかると言うことはあり得ない。

辻愛子の頸肩腕障害罹病の事実も否定しているが、まぎれもない事実である。

5  私病説に対する反論

(一) 控訴人は、本件疾病の発症は業務以外の原因によるものである旨主張し、発症原因を専ら被控訴人の基礎疾病ないしは基礎体力の欠陥に求め、

<1> 昭和四七年五月渡辺病院で「胆嚢症、胃炎、両下肢筋痛症」の診断を受けており、これらの基礎疾病を有していた、

<2> 第七頸椎と第一胸椎の間の凸側湾及び頸椎全体の右旋、

<3> 低血圧

<4> 微熱、虚弱体質、基礎能力の劣っていること、

<5> 心身症、

<6> 眼機能障害による眼精疲労、

<7> うまれつきの性格、思想、組合活動、労働適性、

<8> 発病後長期間の休業、大幅な勤務軽減、従事事務の変更を行ってもその愁訴が消失せず、現在なお通院を要するのは、業務起因性を否定させるという。控訴人の右主張の根拠である伊藤、松元両医師の意見は、非科学的であり根拠のないものである。すなわち、両医師が本件の業務起因性を否定する根底には、頸肩腕障害はその発症原因が不明であり、業務に因って起こりうるとしても、手指の反復作業でしか起こらない、とする考えがある。両医師はそもそも手指作業者以外に発症した頸肩腕障害について、頭から業務との関連性を否定してかかっている態度ないし先入観が窺える。

しかし、現在保育所や社会福祉施設労働者、学校給食調理員、電話交換手は言うまでもなく、一般事務職にも労働条件の如何によっては、発症がみられることは、常識となっている(労働省の認定通達等)。西淀病院においても、頸肩腕障害患者のうち、事務職は全体の二一・四パーセントを占め、その六六・七パーセントは一般事務となっている。

次に、両医師の議論は、被控訴人の発症以後の諸症状を、しかも必ずしも信頼性のない断片的な資料で組み立てていることである。

本件で問題となっているのは、発症当時の疾病が業務起因性を有するか否かである。だとすれば、発症以前の諸症状が業務とどう係わっていたか、作業負担に見合った症状、所見であったかを解明するのが本旨でなければならない。発症以後、現在の症状や身体所見を詮索してみても、それはその病気を修飾する要因とはなり得ても、発症原因の解明には繋がらない。両医師の議論は因果関係を論ずる際の基本から逸脱したところから始まっている。

(二) 控訴人の右個別の主張について

(1) 右<1>について

医療機関で診察を受ける場合、臨床上必要な診断をするために行う諸検査については、取り敢えずある病名をつけて検査をし、その費用を保険請求することが一般に行われている。

被控訴人の場合も右病名は検査実施のため、取り敢えずつけられたもので、それが正式の診断でないことは、その後これに対する治療が全く行われていないことで充分証明されている。

(2) 右<2>について

臨床において、エックス線撮影時の姿勢矯正の具合等によっても、頸椎等の僅かな側湾は日常見られる。二・五ミリ程度のずれは生理的範囲として、容認されている。このずれによって被控訴人の頸肩腕障害発症を説明することは到底できない。

(3) 右<3>について

伊藤医師は被控訴人の頸肩腕障害発症の原因を業務以外の原因、とりわけ低血圧を「重大素因を構成する」として、殊更重視している。

しかし、その論旨には、五点の疑問がある。

第一は、伊藤医師自身の作成した一覧表によっても、昭和四七年六月から同四九年九月までの間、被控訴人は低血圧の数値を示していないことである。発病の素因というなら、発病前か、少なくとも発病当時には存在したはずである。それが見られず、むしろ通常の値を示していたことは、低血圧は疾病形成への影響のないことを物語るものである。

第二に、もし低血圧が当初から見られたとしても、被控訴人の発症当初の諸症状のなかで、最も中心的であった頸・肩・腕などに係わる訴えを、低血圧では説明できないことである。

第三は、内科臨床的には低血圧とは最高血圧一〇〇以下とされている。そして、例え一〇〇以下でも症状が無い場合や、あったとしてもその症状の原因が他に求められる場合は、低血圧とはしないのが、臨床医の常識となっている。

第四に、伊藤医師作成にかかる一覧表によっても、被控訴人の最高血圧値が一〇〇以下を示しているのは、三〇回中僅か一回、九六というのであって、一〇〇をわずかに下回る程度であり、測定誤差の範囲として現れうるものである。これをしも低血圧というのは、理由よりも結論が先走りしているとの感を禁じ得ない。

第五は、低血圧者は一般に低体温傾向を示すことが多いというよく知られた事実に反し、被控訴人に微熱がみられるという矛盾について、何らの説明がないということである。

以上、被控訴人の病因を低血圧に求めようとする伊藤医師と控訴人の主張は、それ自体矛盾撞着だらけであり、医学的に到底なりたたない独自の見解に留まる。

(4) 右<4>について

伊藤医師の意見書では、微熱と頸肩腕障害とは何ら関係なく、微熱のあることは、本人の素因を窺わせるという。

しかし、昭和四九年から同五九年までの一一年間に微熱の記載があるのは数回にすぎず、持続したものではない。

しかも、頸肩腕障害は過労性疾患であり、頸・肩・腕などの局所の過労だけでなく、全身疲労、特に精神神経の疲労を基盤にして、発病している場合が多く、その結果自律神経症状が強く現れ、いわゆる不定愁訴が著明なことが珍しくない。自律神経中枢の過労は、体温調節機能を衰えさせ、微熱や寒気、気温変化への過敏性が現れる。このように、頸肩腕障害の患者には、長期にわたって微熱が持続するケースで、他疾病の検査をおこなっても、頸肩腕障害以外に何の異常も見出せないケースが少なくないのである。

発病後何年も経ってからの微熱と虚弱体質とを結びつけ、これを発病の原因とするのは、曲論と言うほかない。

(5) 右<7>について

このような「意見」を表明して憚らないことに、松元医師の労働者、労働組合に対する偏見と嫌悪の情が露骨に現れている。

(6) 右<8>について

疾病の治癒が困難であることと、業務起因性とは別の事柄であり、両者を混同することはできない。

次に、本件疾病の治癒までの期間が長引いたのは、その理由がある。

第一に、頸肩腕障害という疾病が慢性的過労から生じ、そのため発症は緩徐で、経過も慢性化することが多いことである。

第二に、発病初期の医師にこの病気に対する理解と対応が不足していた場合、病気をこじらせてしまい、難治性となってしまうことである。

第三に、発病後の療養条件が悪かったことである。初期の大切な時期に周囲(職場・家庭)の理解が乏しく、充分な休養と療養ができなかったことである。公務災害として今尚認定されず、身分と賃金、療養費の保障が不十分なまま、一〇年余を過ごさねばならなかったことは無視されてよいことではない。

第四に、職場の上司から、種々嫌がらせ、差別を受けるなど、精神的圧迫を受け続けたことである。このような人的環境に置かれれば、治る病気も治らないのではなかろうか。

第三  証拠関係<省略>

理由

一  被控訴人の経歴と本件処分等の存在

請求原因1、3の事実については当事者間に争いがない。

二  被控訴人の疾病の発症経過

被控訴人が昭和四八年三月二二日、西宮病院において、頸肩腕症候群との診断を受け、同年四月五日には淡路病院において、頸肩腕症候群との診断を受けたこと、被控訴人が同年五月二五日から西淀病院に通院するようになったことは当事者間に争いがないところ、右争いのない事実に<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

1  被控訴人は、昭和二一年八月二八日生れの女子で、郷里(淡路島)において保育所を経営する親の下において高等学校卒業まで成育し、その後、同四〇年四月、右親の職業の関係から社会福祉に関する事柄が身近に感じられたこともあって、大阪府立社会事業短期大学社会事業科に入学し、同科を経て同四三年三月三一日、同大学専攻科を卒業した。被控訴人は、同大学において、社会福祉、児童福祉等に関する教科(児童保護制度論、児童心理学など)を学んだ。

被控訴人は、右大学卒業後の同年四月、兵庫県の福祉関係の相談調査に携わる職種である相談調査員等の採用試験を受け、同職種でもって兵庫県に採用されて摂丹児童相談所に配属され、同所相談指導課に相談調査員として配置された。被控訴人は、出生直後に兎唇の手術を受けたほかは大病に罹患することなく経過し、右採用時に受けた健康診断においても異常を指摘されることはなかった。

2  被控訴人は、同年四月以降、摂丹児童相談所において、後記認定のような相談調査業務等に従事し、当初は仕事や職場に慣れないこともあって疲労を覚え帰宅して就寝するのがやっとという状況にあったが、右疲労も一晩眠れば回復した。その後、被控訴人は、児童移送で幼児を抱いて行った際に背部の痛みや肩凝りを感じ、あるいは訪問調査で歩き回った折には足が疲れることがあり、また、同四五年五月には風邪を引いて高熱を出し、九日間程休業することがあった。そして、被控訴人は、同年九月ころから頭痛、肩凝り、全身のけだるさ、不眠の状況が続き、同四六年六月ころには頭痛がよくあるため頭痛止めの薬を常時持ち歩くようになり、また、不眠は続き、かつ、右背部痛を感じ、同年一〇月、腕の脱力感を覚えたりし、同年一二月二八日の御用納めを終えた後帰郷した際、同日夜から風邪のため高熱を出し薬を服用するも容易に解熱しなかった。

被控訴人は、同四七年四月ころ、不眠と共に朝起きにくく感じるようになり、また、全身の脱力感を覚え、目の充血が始まり、微熱が続き、身体が硬直してけだるく歩けない、頭重感、冷汗、身体の震え、目の霞などの症状を訴えるようになった。被控訴人は、右症状について、頸肩腕症候群ではないかと疑い渡辺病院で受診し、レントゲン検査等を受けたが、異常はないと診断され、ビタミン剤の投与を受けるにとどまった。同年六月中旬には、微熱がなくなり歩行困難を解消したが、その他の前記症状は継続した。そこで、同月二六日、被控訴人は、西宮病院内科で受診したが、異常なしとの診断を受け、同病院から投与された薬剤の服用を継続した。その後も右症状は変わらなかったが、同年一〇月、右症状は全体的に改善に向かうかのごとくであった。同年一一月三〇日から同年一二月二二日まで参加した研修の際には、肩、腕の痛み、背部痛を感じた。

被控訴人は、同四八年二月ころから不眠、右肩・背中の痛み、頭重感、全身の硬直、歩行困難等の前記症状の増悪が生じたため、同年三月七日、西宮病院整形外科で受診したところ、頸肩腕症候群との診断を受け投薬治養を受けたが、休業等の指示を受けなかったので、その後も仕事を継続した。ところが、被控訴人の症状は依然として改善されないので、同月一五日及び二二日、同病院同科の伊藤医師の診断を受け、頸肩腕症候群により約二週間の休業加療を要する旨診断されたので、同月二三日、右同旨の診断書を勤務先に提出し、翌二四日、事務の引き継ぎをした後、同月二六日から休業した。

3  被控訴人は、休業開始後、郷里の親元に帰り、しばらく寝たきりの生活をした後、同年四月五日、淡路病院で受診したところ頸肩腕症候群と診断され、以後同病院に毎日通院して投薬と牽引治療を受けたが、症状は左程改善されず、同年五月二四日、同病院医師から就業することを勧められた。そこで、被控訴人は、同月二五日、西淀病院で受診したところ、同病院黒岩医師によって頸肩腕症候群のため約一か月の休業加療を要するとの診断を受け、以後、二か月間休業の上同病院に通院して理学療法、整形外科機能訓練、マニプレーションを主とした治療を受け、その後も就業制限の上通院治養を受けた。

なお、被控訴人は、昭和四八年三月当時、未婚であった。

以上の事実によると、被控訴人は、その公務従事期間中の昭和四八年三月ころには頸肩腕症候群(以下、本件疾病という。)に罹患していたものということができる。

三  被控訴人の従事した業務内容、業務量及び執務環境等について

被控訴人は、本件疾病は被控訴人が摂丹児童相談所において従事した公務に起因するものである旨主張するので、まず被控訴人の従事した業務内容、業務量及び執務環境等の諸事情について検討する。

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  摂丹児童相談所について

児童相談所は、児童福祉法に基づいて都道府県に設置されるものであり、兵庫県において神戸市を除くその他の地域を管轄する児童相談所として中央児童相談所(淡路分室を含む。)、摂丹児童相談所(ただし、昭和五七年四月、西宮児童相談所と名称変更)、播磨児童相談所及び但馬児童相談所が設置されている。なお、中央児童相談所は、県下の四児童相談所の総括的役割を担う地位にある。摂丹児童相談所の管轄する地域は、尼崎市、西宮市、芦屋市、伊丹市、宝塚市、川西市、三田市、川辺郡猪名川町、氷上郡及び多紀郡であり、その合計面積は一五〇〇平方キロメートル(一〇〇平方キロメートル未満切り捨て。以下、同じ)、人口は一五六万人(一万人未満切り捨て。以下、同じ)、児童数は四六万人(一万人未満切り捨て。以下、同じ)(ただし、昭和四六年当時)である。ちなみに、中央児童相談所におけるそれらは、一五〇〇平方キロメートル、八五万人、二三万人、播磨児童相談所におけるそれらは、二五〇〇平方キロメートル、八三万人、二八万人、但馬児童相談所におけるそれらは二一〇〇平方キロメートル、二二万人、六万人である。

摂丹児童相談所には、総務課と相談指導課が置かれ、その分掌事務は、総務課において、庶務に関すること、児童の一時保護に関すること、児童の措置に要する費用の徴収に関すること、相談統計に関すること等であるとされ、相談指導課において、児童の相談、調査、指導及び措置に関すること、親権者及び後見人に関すること、里親及び保護受託者に関すること、相談記録等の整理及び保管に関すること、児童及びその家庭につき、医学的、心理学的、教育的、社会学的及び精神衛生上の判定並びにこれらに付随する指導及び助言に関することであるとされている。

被控訴人が摂丹児童相談所に配属され本件疾病が発症した昭和四八年三月までの間に右相談指導課に配置された職員数は、合計一四名の児童福祉司及び相談調査員(ケースワーカー)であったが、うち一名の児童福祉司は同課課長であり、うち二名は総務課に派遣され兼ねて相談指導課の統計事務や庶務事務等の業務に従事するにとどまった。

2  被控訴人の配置と職務分担

被控訴人は、前記のごとく摂丹児童相談所相談指導課に配置され、相談調査員として勤務し、この間、昭和四六年八月にそれまでの主事補(事務員)から(事務吏員)に昇格するという身分上の変動はあったが、一貫してほぼ同じような業務に従事した。被控訴人の基本的な業務は、児童の保護者等から児童に関する個々の問題について相談を受け、児童及びその家庭について必要な調査を行ない、その調査及び心理判定員等による判定に基づいて助言指導を行ない、また、児童福祉法に定める措置が行なわれる場合には、その権限を有する児童相談所長の補助者としてこれに関する具体的な事務処理等を行なうこと(以下、相談調査事務という。)であった。

そして、相談指導課における業務は各ケースワーカーによって分担されて処理されたが、その分担の方法は、同四七年四月までは摂丹児童相談所の管轄区域を幾つかの地区に分け、地区別に数人のケースワーカーで班を構成し、その班内部で各ケースワーカーの担当地区及び担当相談種別を定めて行なわれ、同年五月以降は相談種別毎に数人のケースワーカーで係を構成し、その係内部で各ケースワーカーの担当地区及び担当事務を定めて行なわれた。

被控訴人は、同四三年四月から同四五年八月までは伊丹市、川西市及び宝塚市地区の養護、精神薄弱、肢体不自由及び重症心身障害の各相談を、同年九月から同四六年三月までは西宮市地区の右各相談のほか保健、視聴覚言語障害、性向、適性及びしつけの各相談を、同年四月から同四七年四月までは宝塚市及び多紀郡地区の右各相談のほか自閉症相談をそれぞれ担当し、同年五月以降は肢体不自由、視聴覚言語障害、重症心身障害、自閉症及び精神薄弱の各相談を担当する心身障害相談係に配置され、地区としては伊丹市、川西市、宝塚市及び多紀郡地区を担当したほか、係内の事務的処理も担当した。

3  被控訴人の従事した具体的業務内容

(一)  所内面接

面接は、児童の保護者等の来所又は電話による申し出関係機関からの文書、電話による通告等が端緒となり、面接日時を予約して児童やその保護者と所内で面接する。面接日時の予約は、保護者等に葉書や手紙を出し、関係機関に呼び出しの依頼をして行なうことがある。

面接に先立ち、右面接が新規のケースか再来のケースかを索引台帳によって確認し、新規のケースであれば、カルテの用紙(表紙、児童記録票、経過記録票など)をセットして準備し、再来のケースであれば、ロッカー、書庫、ファイル室等から従前のカルテを取り出してその内容を一読して面接に備える。また、関係機関から文書等が送付されているときは、これに目を通し、場合によっては面会又は電話により関係機関の職員から相談に関する情報を聴取しておくこともある。

このような準備を経て児童等との面接を行なうが、通常は、洋室の面接室で円卓に向かい椅子に腰を掛け、児童等と向き合って行ない、右洋室が塞がっている場合には、二階に設けられた和室の面接室で畳に座って行なうこととなるが、右和室を使用することは多くはなかった。なお、右和室は、重症心身障害児の面接のために設けられたものである。

面接においては、保護者等からその悩みや要望等を聞くと共に、ケースワーカーからの助言指導あるいは措置に必要な児童及び児童を取り巻く環境等について聴取する。その際、面接を行ないながらカルテの児童記録票の一部(氏名、住所、主訴、家族構成、成育歴の欄など)に文字又は丸印を付すなどして記入可能な事項を記入し、その他の面接内容についてはメモを取るが、右カルテヘの記入は保護者等からその記載内容を見られないよう注意して行ない、そのためカルテ用紙を片手に持って記入することとなる。ケースワーカーは、右面接において、保護者、児童の態度などの観察や児童の発育状況等の観察を行ないつつ、事案の内容をできるだけ正確に把握し、法的な措置を必要とする事案かどうか、どのような助言指導が妥当かどうかなど、その処理方針について検討する。また、面接に当たっては、相手の緊張を和らげるように努めると共に相手の人格と個性を尊重し信頼関係を保持し得るよう配慮するが、自らが緊張するということは少ない。

面接時間は、通常の場合、一時間程度であるが、間に心理判定員による心理判定が行なわれる場合は、一時間三〇分ないし二時間を要することもある。一日における通常の相談の所内面接件数は、平均して一件位であるが、三、四件を行なうこともある。

(二)  面接後のカルテの整理

所内面接終了後に、右面接が初回の場合には索引台帳、受付台帳及びカルテにナンバリングによりケース番号を打ち込み、索引台帳に児童の氏名、生年月日、担当者の氏名、相談の種別、相談内容などを記入するほか、カルテの児童記録票の補足、まとめ(児童の描写、家庭、両親像と養育態度、問題点の分析、指導指針などの欄に必要事項を記入)を行ない、さらに関係機関との文書の交換がある場合にはこれについてカルテの経過記録票に記載したうえ、同票に所長以下の決裁欄判と自らの印を押捺し、処理決定調書の決裁日欄に年月日を算用数字(例えば、46 5 1)で記入し、事項欄に所定事項と年月日を右同様に記入し、担当者欄に自らの印を押捺して所長以下上司の決裁を受ける。なお、右決裁は、面接日当日に受けることもあるが、必ずしも厳守させているのではなく、その後日を経過して受けることもある。二回目以降の決裁も右と同様にして行なわれる。

右のような面接後のカルテの整理は、分析、判断等の思考を要するものであるため、初回の面接において約四〇分ないし一時間、二回目以降の面接において約三〇分ないし四〇分を要する。

(三)  判定措置会議

ケースによっては一回の面接だけでケースワーカーによる助言指導をもって終了するものもあるが、二回以上の面接をし、経過を観察したうえで法的な措置が必要と考えられるケースもある。このようなケースについては、具体的な措置を決定するため、判定措置会議に上程して検討される。右会議は、所長、副所長、相談指導課長のほか、一一名のケースワーカーと心理判定員等が出席して毎週一回(おおむね水曜日)午後の半日をかけて行なわれる。

右会議には、自己の担当ケースが討議されない場合にも出席し検討に加わるが、担当ケースが討議される場合には、そのケースの児童の氏名、生年月日、住所、保護者名、相談種別、相談内容などを記載した資料を作成して提供する。会議では、担当ケースについて説明し採るべき措置について意見を述べる。

(四)  措置関係文書の作成及びカルテの整理

判定措置会議の結果、担当ケースについて児童福祉施設への入所措置が行なわれることとなった場合には、関係機関及び保護者にその旨を通知、連絡し、保護者に対し、課税証明書等の必要書類の提出方を指示し、他方、施設と連絡を取って入所の承諾を得るほか、入所措置書、重症心身障害児施設入所措置協議書、負担能力(決定)調書(以下、負担能力調書という。ただし、被控訴人が負担能力調書作成事務を担当するようになったのは、昭和四四年以降である。)などの右措置を行なうについて必要な文書を作成し、同時にカルテの児童記録票の措置欄に措置の内容等を記入(なお、実際には右欄への記入は厳格には行なわれず、経過記録票にその旨を記入してこれに代えていることが窺われる。)して決裁を受ける。

また、入所措置をしたケースについて、措置を停止する必要が生じた場合には措置停止書を、在園(所)期間の延長をする場合(児童福祉法三一条、三七条、六三条の二)にはその旨の承認書を、措置を解除する場合には退所承認書をそれぞれ作成し、同時にカルテの経過記録票、処理決定調書にそれぞれの事項を記入して決裁を受ける。

右入所措置書、重症心身障害児施設入所措置協議書、負担能力調書、措置停止書、在園(所)期間延長承認書及び退所承認書は、いずれもカーボン紙を使用して複写によって後記のごとく二ないし四部(なお、負担能力調書は昭和四六年以前は二部作成していたが、その後複写を要しなくなった。)作成する。

右事務のうち措置停止事務は、春、夏及び冬の休みに各施設から各施設毎に一括して措置停止の申請がなされることが多く、そのため四月、八月及び一二月に届出件数が多くなる。措置停止書は、個々の児童についてではなく、各施設毎に児童の氏名、生年月日及び措置停止の期間を連記して作成する。そして、その際のカルテの整理は、各児のカルテについて、経過記録票に手書き又は簡易印刷器を使用して、例えば、届出については「昭和〇・〇・〇 〇〇学園長より施行規則第27条による措置停止の届出受理 期間昭和〇・〇・〇~昭和〇・〇・〇 理由冬期家庭保育」などのように、また、措置停止書発行については「昭和〇・〇・〇  〇〇学園長あて仝上承認発行 期間 昭和〇・〇・〇~昭和〇・〇・〇」などのようにその要旨を記入するほか、処理決定調書にも手書き又はゴム印を使用して、「措置停止」及び期間を算用数字を用いて記入する。なお、簡易印刷器を使用して記入する場合は、夏、冬などの休みのための家庭保育を理由とする多数の届出がなされたときで、施設長名、根拠規定、期間、理由、措置停止届出日、同書発行日等の記入事項が同一であるため、一枚の原紙を用いて簡略に記入することができる。

なお、被控訴人は、昭和四七年五月以降は前記のとおり心身障害相談係に配置されて同僚の事務的処理を担当したため、直接自己が担当したケース以外のものについても右措置停止関係の事務を処理した。

(五)  付随業務

(1) 巡回相談

摂丹児童相談所では、一か月一回(ただし、多紀郡へは二か月に一回)の割合で、ケースワーカーが管轄区域内の各地に出張して、保健所、学校、町役場等の施設で児童又はその保護者等と面接し、相談を受ける。右面接は、一日中(原則として、午前一〇時から午後四時まで。ただし、西宮市の場合は午後半日)行なわれ、取り扱う件数は、通常の場合、都市部では、一日三、四件、郡部では一日六、七件(もっとも、相談件数が右以上になることもあった。)であり、一件当たりに費やす面接時間は所内面接の場合よりも短い。面接を行ないながらカルテに一部記入することなど、面接中の業務内容は所内面接の場合と異ならないが、巡回相談の場合には面接時間内にケースの処理方針まで決定することが多い。また、帰所後は受け付けたケースについてカルテを整理し、決裁を受けることも所内面接後における処理と同一であるが、更に受け付けたケースについて児童の氏名、生年月日、相談種別、相談内容、処理内容及び処理日を簡単にまとめた巡回相談状況報告書を作成して決裁を受ける作業を行う。

(2) 訪問調査

児童の保護者等と連絡の取れない場合や児童を所内に連れてくることができない場合等に、出張して児童の家庭を訪問し面接等調査を行なう。訪問調査したケースについてもカルテを作成整理して決裁を受ける。

(3) 児童移送

自己の担当ケースが児童福祉施設(収容施設)入所措置が行なわれることとなった場合、児童を当該施設まで出張して移送する。移送は、摂丹児童相談所の公用車、保護者の自動車、鉄道又はバスなどの交通機関を使用して行なわれるが、乳児などの場合には自動車を用いるのが通常であり、重症心身障害児の場合には収容施設と相談所又は福祉事務所等とどちらの自動車を使用するかなど事前の打ち合わせをしたうえで移送する。右移送に際し児童が所持して行く荷物の量は多くはないのが通常であるが、時には衣類、その他の日用品や学用品などをケースワーカーが運ぶこともあり、また、年少の児童で保護者が同伴しないときなど特別の場合には右児童を抱きかかえることもある。

(4) 三歳児の精密検診

三歳児検診は、保健所で行なわれるが、その結果、異常が発見されて児童相談所へ送られて来たケースについて、所内で精密検診を行なう。保護者等に呼出状を送付して出頭を求め、同人等と面接を行なうなど、その処理方法は通常の相談における所内面接の場合と同様である。ただ、この場合には一日中面接を行なうので、最高で一日に九件の面接をしたことがあった。

(六)  その他の臨時業務及び雑務

(1) 五六条一斉調査

児童福祉施設入所措置が取られている児童の保護者から措置に伴う費用を徴収する前提として、その負担能力を調査するため、毎年一回摂丹児童相談所から措置されているケース(年間約九〇〇件)について一斉に行なわれるものであるが、一一名のケースワーカーが分担して行なうなかで被控訴人もこれを分担処理した(ただし、右業務を同児童相談所で行なうようになったのは、昭和四五年以降である。)。

右業務の具体的内容は、まず施設台帳から措置されている児童の氏名、保護者名及び住所を拾い上げ、五六条一斉調査名簿(甲第七号証の九)にカーボン紙によって二部複写する方法で転記し(なお、右用紙は、一般に使用されている洋紙であるが、右複写は通常の筆圧で可能であることは当裁判所に明らかである。)、これに基づいて保護者宛に調査依頼の文書を郵送し、次に保護者から送られてきた課税証明書等の書面を点検し、不備がある場合には再度提出を求めるなどの指示をし、更に文書や電話で補充調査をしたり、保護者から減免申請等がある場合にはそのための面接をしたりした後、負担能力調書(甲第七号証の八)に税額、階層及び負担金の額と補充調査をした場合には調査の内容を記入(昭和四六年以前は二部複写。なお、右用紙は、やや厚手の洋紙であるが、右複写に際しても特に強い筆圧を要するものでないことは当裁判所に明らかである。)し、決裁を受けて保護者宛に郵送するというものである。

(2) 児童福祉施設措置実態調査

摂丹児童相談所から児童福祉施設入所措置が取られた児童について、施設に出張して児童の生活状況や問題点等を調査する業務で、調査結果は児童福祉施設措置実態調査票を作成して記入する。被控訴人も毎年これを分担処理した。

(3) 在宅重症心身障害児訪問調査

昭和四七年ころ、地域特別事業として福祉事務所と連携して実施されたもので、被控訴人も同年中に六回位担当した。

その具体的業務内容は、心理判定員と共に施設に入所していない重症心身障害児の家庭を出張して訪問し、その実態調査を行なうと共に制度の活用等について助言指導を行ない、その結果については在宅重症心身障害児調査票を作成し、通常の訪問調査の場合と同様のカルテを作成、整理して決裁を受けるというものである。

(4) 情緒障害児短期治療学級

昭和四七年七月から一〇月までの間、摂丹児童相談所を中心に同年度の情緒障害児短期治療学級が開設され、主として長期欠席相談を担当するケースワーカーがこれを担当したが、被控訴人も児童の日課指導や保護者との懇談会に参加したほか、所外活動であるハイキングの付添(九月一四日実施)、ユースホステルでの合宿(同月二七、二八日実施)に参加した。

(5) 全国精神薄弱者(児)実態調査

昭和四七年八月に全国精神薄弱者(児)実態調査が行なわれ、摂丹児童相談所では精神薄弱児のカルテから氏名、住所等を拾い上げて基礎調査票に転記し、これを福祉事務所に送付する作業を行なったが、被控訴人も右転記作業の一部を担当した。

(6) 日直業務

摂丹児童相談所では、昭和四七年末まで女子職員が日曜日の午前九時から午後五時一五分まで日直勤務(なお、男子職員は宿直勤務に従事)を行なうこととなっており、被控訴人も月一回位の割合でこれに従事した。日直勤務において、迷子、家出、児童の置き去り、施設入所中の児童の無断外出等の緊急事態が発生することがあり、その際には適宜の措置することを要したが、被控訴人が右日直担当時に現実に右のような事務を処理したのは、昭和四五年中に三日、同四六年中に二日、同四七年中に五日に過ぎない。なお、宿、日直勤務は、昭和四八年以降廃止された。

(7) 受付事務

摂丹児童相談所においてはケースワーカーが順番に受付業務を担当し、被控訴人もこれに従事したが、その日数は年間三〇日程度であった。

(8) その他

被控訴人は、以上の業務のほか各種研修(その内容は、昭和四四年、近畿児童相談所職員ケース研究会、社会福祉夏期大学(以上、合計三日)、同四五年、兵庫県初級職員研修、児童相談所職員研修会、カウンセリング研究会(以上、合計二二日)、同四六年、近畿児童相談所ケース研究会、多紀郡福祉ケース研究会(以上、合計二日)、同四七年、児童相談所職員研修会、全国児童相談所職員研修、講演会、兵庫県吏員第一次研修、近畿児童相談所職員ケース研究会(以下、合計三二日)である。)へ参加(出張)、統計、自己及び相談指導課長の旅費請求書の作成(カーボン紙による複写)、超過勤務命令簿への記載の業務に従事し、また、昭和四七年九月ころ、廃棄カルテの整理業務に従事し、その外の雑務として他の職員へのお茶くみ、来客の応対、会議の接対、資料のコピー、文書の浄書、ガリ切り、印刷、他の職員への電話の取次などに従事した。

4  被控訴人の従事した業務の業務量

(一)  被控訴人が昭和四三年四月から同四八年三月までに従事した業務量を客観的、かつ、正確に把握することは今日において極めて困難というほかないが、被控訴人が控訴人に対する公務災害認定請求に際し、その担当した主要業務についてその業務量を摂丹児童相談所の受付台帳及び自己の手帳の記載に基づいて調査したという結果によると、原判決添付表(一)ないし(五)記載のとおりであるとされている(ただし、所内面接には、通常の相談にかかる面接のほか三歳児精密検診にかかるものを含み、出帳による面接は、巡回相談、訪問調査及び在宅重症心身障害児訪問指導による面接を含むものの合計であり、文書処理とは、前記措置関係文書の作成件数で、五六条一斉調査のような特別な業務による文書作成件数を含んでいないが、措置停止書のような一枚の用紙に複数の児童について記載する場合でも、児童一人について一件と数え、カルテ整理とは、面接後のカルテ整理と措置及びその変更〔停止延長及び解除〕に伴うカルテの整理の合計であるとされる。)。しかし、原・当(第一回)審における被控訴人の供述によると、右調査の基礎となった受付台帳(その一例として被控訴人が保管していたという甲第三六号証)によるもの、その処理事案が面接を伴っていたものかどうかは分からないというのであり、右資料に併せて参考にした手帳の記載というのも面接の予約が入った際に記帳したその予定にすぎないこと、被控訴人は右台帳から集計したのは昼休みの時間においてであった、右台帳の写しを取って調査したうえ集計したものではない旨当審(第一回)において供述するところ、右甲第三六号証の記載を見ても、被控訴人の担当処理した案件であるが、また、その処理方法がどうであったかについて何らの疑問を残すことなく判定することは困難である点からすると、はたしてその件数を正確に算出し得たか疑問であること等の諸事情に徴すると、右調査結果を被控訴人の主張どおりのものであるとして採用するには多大の疑問を残すといわざるを得ない。とはいえ、被控訴人の面接業務量の傾向を示すものであることまでは否定し得ないので、その限度で検討を加えると、被控訴人の所内面接件数については、毎年年間を通じて特に片寄った傾向にはなく、概ね一か月当たり平均約一五件(昭和四三年度には約九件、同四四年度には約一五件、同四六年度には約一九件、同四五年度には約二二件、同四七年度には約一二件)である。また、被控訴人の右面接件数がすべて新規のケースであるというのではないことは明らかであり、新規のケースは右件数より更に下回るものとみられる。

また、後記のとおり被控訴人の所内勤務日数は、昭和四五年度が二〇七日、同四六年度が二一四日、同四七年度が一六九日であり、そのうち土曜日(半日勤務)、判定措置会議のため半日しか面接が行なえない日がそれぞれ年間五〇日あり、また、所内で受付を担当するため面接を行なえない日が年間三〇日あるとしてこれを控除すると、所内面接可能日が昭和四五年度が一二七日、同四六年度が一三四日、同四七年度が八九日であることとなり、これに基づいて一日当たりの所内面接件数を算出すると、昭和四五年度が約一・八件、同四六年度が約二件、同四七年度が一・六件(右三年間を通じて約一・八件)となる。

(二)  右調査結果によると、被控訴人の巡回相談等出張による面接は、研修などによって出張する機会のなかった月は別にして継続的に行なわれているということができ、また、出張一回当たりの面接件数を右出張による面接件数と巡回相談及び訪問調査のための出張回数を算出すると、昭和四四年度には約三・二件(巡回相談件数・六九件、出張回数・二一回)、同四五年度には約二・四件(同・五二件、同・二一回)、同四六年度には約五・八件(同・一三五件、同・二三回)、同四七年度には約六・七件(同・二一〇件、同・三一回) となる。

なお、ここで、被控訴人は、昭和四七年度の巡回相談を一一回担当し、その処理件数も一〇二件であって、他のケースワーカーに比し、回数において二・五倍(50回÷11人=4・5回)、件数において三・七倍(300件÷11人=27件)である旨主張し、これに沿う甲第四六号証を提出し、当審においてその旨供述する(第一回)ので案ずるに、甲第四六号証に記載された右処理件数については、前記のような手段で受付台帳から集計したというのであるが、果たしてそのような方法で正確に集計できたものか、また、摂丹児童相談所における同年度の巡回相談件数が三〇〇件であるから、被控訴人の主張によると残一九八件をその他のケースワーカー一〇人(一人当たり一九・八件)で処理したこととなり、被控訴人の主張する処理件数と余りにも差があり過ぎ不自然というほかなく、結局、右件数自体に信用し難いところがあるというべきであるし、また、巡回相談を担当した人員がケースワーカー全員でなく、心身障害相談係と教育相談係の五人ではないかとも思われる(甲第六号証)ことからすると、右甲第四六号証、当審における被控訴人本人尋問の結果(第一回)は、被控訴人の業務の過重性を主張する余り誇張されたものとの疑いが強く、採用しない。

(三)  右調査結果によると、文書処理件数及びカルテ整理件数で一〇〇件以上を示すのは昭和四五年八月、同四七年七、八月及び一二月であるところ、右件数の多くは措置停止事務が占めるものであることが推認される。しかし、右事務の態様は、前記のとおり文書処理においては、各施設毎に児童の氏名、生年月日及び措置停止期間を連記するものであり、これを児童一人毎に一件として算出しているのであるから、件数に比してその事務態様は簡略であるということができる。また、措置停止に伴うカルテ整理は、前記のとおり手書きで記入することに限るものでなく、簡単印刷器又はゴム印を使用して記入することも多くあり、また、その措置停止事務処理の時期にしても、各施設の長から措置停止の届出が出された(もっとも、右長においても、病気などを理由に措置停止を求める場合は当然のことであるが、予定されている夏、冬等の休みのための家庭保育を理由とする場合にも常に右措置停止開始に先立って届出がなされるとは限らないようである。)後、直ちにその処理がなされるのでなく、その届出後数日ないし十数日経過して措置停止書を発行する処理がなされ、そのような処理方法は、被控訴人に限らず他のケースワーカーにおいても同様に行なっている。なお、被控訴人が昭和四七年一一、一二月に記載して関与したカルテのうち摂丹児童相談所に残存するカルテから、昭和四七年夏及び同年冬の休みのための家庭保育を理由とする措置停止届出とその処理状況をみてみると、別紙一措置停止処理状況表番号1ないし108記載のとおりである。右カルテが全体の中に占める割合が低いことからすると慎重に考察を加えるべきではあるが、少なくとも次のようなことを指摘することができる。すなわち、措置停止の届出は、施設毎でまとめて同日に同一内容の届出がなされていること、この場合、被控訴人はその届出毎にまとめて処理していること(右状況表を一見すれば明らかであるが、これを北山学園を例に取ってみてみると、昭和四七年七月二七日届出分を同年八月一日に処理・同表番号1、5、17、27、29、49、59、71、73、87、89、同年一二月二三日届出分を翌四八年一月八日に処理・同表番号2、6、18、19、28、30、50、72、74、88、90、102、105という具合であり、その余の施設についても例外なく右同様に処理されている。)、処理終了時期については措置停止期間に左程拘束されることなく行なわれていること、したがって、昭和四七年七、八月及び一二月末に多数の措置停止届出がなされたことは窺われるが、昭和四七年七、八月分については、届出日の数日後に施設毎に処理され、また、同年一二月分については、あこや学園長からの措置停止届出に対し、同年内に措置停止書を発行したことは認め得るが、それ以外に一二月中に措置停止書を発行して処理し終えたものがあったかどうか認めるべき資料はなく、かえって、つつじ学園(昭和四八年一月五日処理)、北山学園(同八日処理)、わかば学園(同月一○日処理)は翌年の一月に入ってから措置停止書が発行されていることが認められるのである。これらの事実関係からすると、措置停止書を何日発行するかは被控訴人らケースワーカーの裁量にある程度委ねられていたものであることを窺うことができる。また、右カルテによって家庭保育とする措置停止以外の、家庭都合や病院等を理由とする措置停止(ただし、一部にとどめる。)の例をみてみると、別紙一措置停止処理状況表番号109ないし120記載のごとく措置停止期間経過後にその届出がなされることが多く、これに対し数日又は十数日を経て当該措置停止書が発行されていることが窺われ、その処理状況は、必ずしも急いでなされているものとは認め難いのである。また、措置停止届出が多数なされたと思われる昭和四七年八月には、被控訴人の時間外勤務時間数が零となっている。

(四)  次に、児童福祉施設入所措置(書作成)件数についてみてみるに、昭和五六年ころ、摂丹児童相談所相談調査課長が、保存されている入所措置書から被控訴人の担当印が押捺されているものを集計した結果によると、被控訴人が処理した右件数は、昭和四五年度二五件、同四六年度一一件、同四七年度四八件である(もっとも、乙第七号証によると、右件数は、昭和四五年度四九件、同四六年度一八件、同四七年度五九件となっているが、右乙号証の件数は、施設台帳から被控訴人の担当地区における入所措置件数を集計したというものであるから、前者の件数をもって信用し得るものと認める。)。他方、当時被控訴人と同種の業務に従事していた職員である畠山の処理した右件数は、昭和四五年度三四件、同四六年度三三件、同四七年度六三件であり、被控訴人の右件数は畠田山の右件数に比し少ないということができる。

(五)  被控訴人らが昭和四五年以降五六条一斉調査を実施したことは前記のとおりであるが、同四七年に被控訴人が担当処理した件数は八一件であり、同年の右調査を一〇名のケースワーカーで実施しているところ、その担当態様は一児童福祉施設しか担当しない者から数個所を担当する者、数人で担当する者など様々であるが、担当者一〇名の平均担当件数は約九五件であり、また、畠山一人で処理した件数は一七七件であるし、国嶋、久保が二人で処理した件数は二二八件であるなど被控訴人の処理件数が際立って多いという訳ではない。

また、被控訴人が児童福祉施設措置児童実態調査に従事したことは前記のとおりであるが、昭和四七年度の右調査において被控訴人が担当したのは、滋賀県の第二びわこ学園についてであり、その調査は、同年一一月六、七日に出張して現地調査をし、対象児童数は多くとも五人であった。

更に、被控訴人が同年八月に実施された全国精神薄弱者(児)実態調査に従事したことは前記のとおりであるが、その調査において被控訴人が担当した右基礎調査票への転記作業は、児童数で八五四件のうち九〇件程であった。

(六)  以上の業務以外にも被控訴人が従事した業務はあるが、その業務量を数値をもって認定、判断するに足る資料はない。

5  被控訴人の従事した業務の態様と特殊性

被控訴人の従事した業務をその態様の観点から大別すると、面接作業、書字作業及びその他の作業であるということができ、その作業には次のような特殊性が見られる。

(一)  面接作業

児童相談所におけるケースワーカーの保護者及び児童等に対する面接は、児童に対して適正な措置が図られるよう必要な資料を得るために行なうものであるが、右面接調査における注意事項として、児童相談所を訪れる対象者の中には日々の生活に疲れ、児童相談所を頼みの綱として訪れる人もあるから、ケースワーカーはこれらの人々に対して、明るい希望と力を与えるよう応対に細心の注意を払うこと、ケースワーカーは、基本的な相談業務技術を身に付け、現業事務関係のみならず広く社会福祉全般の法規に通じ、社会事情や人情の機微を理解することなどが必要であるとされているところ、現実に行なわれる面接調査において、被面接者は、一般に悩みや問題を抱えており、児童相談所に相談すること自体に不安を感じ緊張していることが多く、また、被面接者によっては自分の言いたいことだけを一方的に話したり、逆に口をつぐんでしまって容易に話そうとしない者など様々であり、これらの被面接者の不安を和らげ、信頼関係を形成、維持しながら真実を聞き出すことはなかなか骨の折れることであり、また、気を使うことでもある。すなわち、ケースワーカーにとって対人関係における一般的な緊張に加え、面接を通じ事案を的確に把握するため被面接者の言葉に現われない部分まで探り、あるいは保護者の表情や児童の行動を観察しなければならず、しかも把握した事実関係を分析検討し、適切な処理方法を出さなければならず、そのために注意力、集中力を必要とすること等から、精神的疲労感を感じることがあり、特に巡回相談や三歳児精密検診等においては、一日中面接作業を繰り返すため、その精神的疲労感は少なくない。また、所内面接は、前記のとおり面接室で椅子に座って行ない、その際に不自然な姿勢になることもあるが、それによって精神的、身体的に特段の負担がかかるということはないが、訪問調査においては、訪問先の入口で立って面接したり、上り口に座って上半身をねじった姿勢で話を聞いたりすることがあり、更に重症心身障害児の訪問指導では、児童が寝ている横でカルテ等を膝の上に載せて記入することがあり、これらの場合に身体的に疲労感を覚えることがある。

(二)  書字作業

書字作業は、カルテの整理、措置関係文書作成におけるものが主たるものであるが、これらのいずれも様式化されており、その他の文書作成、各種台帳への記入を含め、個々の場合の書字数は多くはなく、また、右作業は所内勤務中の所内面接の間に行ない、時には右作業中に来客があったり電話を取ること等のため中断されることがあり、それ故長時間にわたって書字作業のみ継続して従事することは少なかったが、全体的には面接時のメモを取ることを含め書字作業を行なうことが多く、併せてカルテの整理、措置関係文書作成等の際には押印作業を伴うことが多かった。巡回相談、三歳児精密検診を行なった時には、その件数が所内面接に比べると多いことから当然のこととしてカルテ整理が多くなり、また、夏休み等による保育停止を理由とする措置停止事務が多くなるときには、そのカルテ整理も多くなり、その他新しい児童福祉施設ができた時には入所措置が多くなることがあり、これらの場合には、書字機会も多くなった。書字作業はその性格上当然のこととして、手指及び上肢への負担がかかることは避けられない。もっとも、昭和四七年夏及び冬の休みに際して届け出られた措置停止事務の処理は前記のごとく簡単印刷器を使用して行なったので、書字の機会は少なかったが、右印刷器の原紙への記入を鉄筆で行なうという書字作業が必要であった。また、摂丹児童相談所で作成する文書で複写を必要とする文書は多くあったが、そのうち被控訴人が実際に従事した複写文書の作成は、「保護児童関係書類の送付方について」(作成文書枚数二部)、「児童に関する調査依頼について」(前同二部)、「児童通告書の移管について」(前同二部)、「一時保護委託書」(前同二部)、「肢体不自由児施設入所措置協議書」(前同三部)、「児童調書」(前同三部)、「重症心身障害児施設入所措置協議書」(前同三部)、「入所措置書」(前同四部)、「在園期間延長承認書」(前同二部又は三部)、「措置の停止について」(前同三部)、「退所承認書」(前同四部)などであった。右文書の複写作成は、カーボン紙を用紙の間に挿んで行なうものであり、かつ、用紙の中には必ずしも薄くないものもあったので、そのような場合には書記用具であるボールペンを押さえて書かなければならず、そのため手指に負担がかかることもなくはなかった。なお、右文書のうちで四部複写を要する入所措置書、退所承認書は、特段ボールペンを強く押さえて書くことを要する紙の厚さではない。

(三)  その他の作業

児童の移送の際には小さな児童を抱きかかえたり、荷物を持つこと等を要することのあったことは前記のとおりであり、また、重症心身障害児の移送の時には自動車の中で児童の最も楽な姿勢に合わせるため不自然な姿勢となることがあり、また、施設入所に不安を持つ保護者や児童がいる場合には、これらに気遣うこともあったが、前記のとおりその機会は少なかった。

巡回相談においては、氷上郡など郡部への出張には往復に各三時間を要し、また、訪問調査においては、訪問先を地図を頼りに長時間をかけて探さねばならないことがあり、これらの場合には肉体的疲労感を感じることがあった。

また、保護者等からの相談の申し出、保護者や関係機関との連絡等のために電話を使用することが多かったが、右電話が長時間に及ぶことがあり、その際には立ったままで通知を続けることがあった。

6  被控訴人の勤務内容

(一)  被控訴人の勤務状況

被控訴人の勤務状況は、別紙二勤務状況表1ないし5記載のとおりであり、被控訴人と同時期に摂丹児童相談所に勤務した被控訴人以外のケースワーカーの勤務状況の平均は、同表の平均欄記載のとおりである。勤務状況に関する右事実によると、被控訴人の所内勤務の日数は、被控訴人以外のケースワーカーに比べ、昭和四五年度、同四六年度においてはやや多く、同四七年度においてはやや少ないが、出張日数を含む実質勤務日数は各年度とも被控訴人以外のケースワーカーに比べ少ないことを、また、年休取得日数及び職務専念義務免除、特別休暇を含む無就労日数とも被控訴人の方がそれ以外のケースワーカーに比べ多いことを指摘することができる。また、被控訴人は、昭和四七年度に年休を一四・五日取得しているに留るが、その前年には年休取得可能日数二〇日を超えて二三・五日取得しており、更に摂丹児童相談所における年休取得方法は事前に届出をする以外に、年休取得当日の朝電話連絡をすることによって取得していたこともあり、これらのことからすると、年休を取得することが困難な勤務状況にあったとは到底いうことができない。

被控訴人の時間外勤務時間数は、被控訴人のケースワーカーの平均時間数に比し多いことが指摘することができるが、摂丹児童相談所のみならず兵庫県における超過勤務手当がその勤務時間のどおりに支給されない実情にあったことは被控訴人が自陳するところであり、このことと摂丹児童相談所における時間外勤務時間管理が厳格に行なわれていたことを認めるに足る証拠がないことからすると、被控訴人の時間外勤務時間についてはほぼ実情を反映している(もっとも、被控訴人の昭和四七年一二月の時間外勤務時間数が三〇時間となっているところ、被控訴人が同月に出勤した日が五日であり、そのうち一日が土曜日であり、うち一日が御用納めの日であること、被控訴人自身時間外勤務をして措置停止事務を処理したのが二日半であると自陳していることからすると、三日間で三〇時間もの時間外勤務をしたこととなるが、一日当たり一〇時間もの時間外勤務をするとは極めて、異常、かつ、不自然であり、このことから被控訴人についても右実情を反映していないのではないかとの疑念を抱かざるを得ないし、被控訴人のいうように被控訴人の時間外勤務時間が更に多いなどとは到底認められるものではない。)としても、その他のケースワーカーにおいては実情を現わしていない疑いもある。そうだとすると、被控訴人の右時間外勤務時間数をもってその他のケースワーカーよりも時間外勤務が多かったものとは即断し難い。

(二)  被控訴人の出張状況

被控訴人の出張状況等は、別紙二勤務状況表6出張日数欄記載のとおりである。右事実によると、被控訴人の出張日数は、被控訴人以外のケースワーカーの平均日数に比し昭和四五年度には一三・九日、同四六年度には三〇・七日少ないが、同四七年度には一六・三日多いことが指摘できるところ、昭和四七年に被控訴人の出張日数が多くなったのは研修に参加したことが大きく影響しているということができる。また、被控訴人の巡回相談その他のための出張は、その他のケースワーカーの平均に比し、昭和四五年度には少なかったが、同四七年度には二二・一日多くなっていることを指摘することができる。しかし、右巡回相談その他のための出張のうち巡回相談のための出張は一九日であって、昭和四五年度、同四六年度に比し増加はしているもののその増加率が極端に大きいとはいえない。また、被控訴人がその困難性を強調する児童の移送のための出張も八ないし一二日ということであるし、乳児、重症心身障害児等の移送に至っては昭和四五年度に七日、同四七年度に一日あるに過ぎず、更に移送には公用車が使用されていたことを指摘できる。

7  被控訴人の従事した業務に関連する業務環境

(一)  摂丹児童相談所とその他の兵庫県下の児童相談所の業務状況

前記のとおり兵庫県下には摂丹児童相談所を含め四児童相談所が設置されているが、公式の報告によると、各児童相談所の昭和四六年度における相談件数は、中央児童相談所が二四五九件、摂丹児童相談所が三五五八件、播磨児童相談所が一七五五件、但馬児童相談所が八四一件であり、右各児童相談所におけるケースワーカーの人員は、中央児童相談所が一一人、摂丹児童相談所が一四人、播磨児童相談所が一〇人、但馬児童相談所が四人であり、これに基づきケースワーカー一人当たりの担当相談件数を算出すると、中央児童相談所において約二二三件、摂丹児童相談所において約二五四件(ただし、被控訴人が主張する実質的に相談調査事務に従事しているケースワーカーが一一人であるとして、右件数を算出すると、約三二三件である。)、播磨児童相談所において約一七五件、但馬児童相談所において約二一〇件となり、摂丹児童相談所における相談件数や各ケースワーカーの担当件数が他の児童相談所(特に都市部における児童相談所として類似性を有する中央児童相談所)におけるのと懸け離れて多いということは当たらない。

(二)  摂丹児童相談所におけるケースワーカー等の配置人員

(1) 摂丹児童相談所における昭和四七年当時の配置職員は、所長、副所長(総務課長を兼務)各一名、書記二名、運転手一名、相談指導課長一名、児童福祉司一二名、相談員二名、精神科医一名(嘱託)、小児科医一名(嘱託)、臨床心理判定員三名であり、その前後で変動はなかった。

厚生省児童局編集にかかる児童相談所執務必携(昭和三九年改訂。以下、必携という。)は、児童相談所の内部機構の標準、職員構成について、児童相談所をA級ないしD級に分けて説明しているところ、摂丹児童相談所が指定を受けているB級についてみてみると、内部機構について、B級はA級に準じ庶務課、相談課、判定課、一時保護課の機構とするのが標準とされ、また、職員構成について、被控訴人の担当業務に関係のある職員をみてみると、相談課長、受付相談員、保健婦各一名、相談員、書記各二名のほか人口一〇ないし一三万人に一名の児童福祉司、児童福祉司六名に一名のスーパーバイザー(その最も重要な任務は、児童福祉司及び受付相談員の仕事の技術的内容を指導することにあるとされ、補充的には個別的にケースの進行を援助することであるとされている。)を配置することが望ましいとされている。

右必携による職員構成の標準と摂丹児童相談所における職員配置を数値上で対比すると、受付相談員、保健婦各一名、書記二名を充足していないし、児童福祉司についても一二名ないし一五名を、スーパーバイザーについても少なくとも二名を要することとなる。

ところで、右必携によると、右職員の構成内容について、「相談件数に対処するクリニックとしての行政機関として必要最少限であるので、これにまさるよう、これが実現について努力しなければならない。」とされているように、各設置者において実施することが望ましい職員構成として示されているものと解され、また、児童福祉司の設置基準については、概ね人口一〇万から一三万につき一人の割合で設置しうるよう地方交付税交付金が見込まれていることを根拠に右のような人口割合で児童福祉司を設置するよう指導しているのであって、職員の業務量等に対する配慮から右のような職員構成を指導しているものではないことが窺える。

また、右必携は、各種職員の職務について解説しているのであるが、それは、児童相談所に受け付けられた問題に対しては、すべて相談所一体となって取り組むべきであり、業務部門別の対象を決定的に区分してしまうことは好ましくないとの前提に立ったうえで、現実には部門別に主として責任をもつ対象がおのずから区分されてくるので、これも考慮して職員の業務分担について解説しているものであって、各種職員の職務の間に代替性がないとするものでないことは明らかである。摂丹児童相談所においては、スーパーバイザーが配置されていなかったのであるが、当時、右職種が現に配置されているところは全国的にも極めて少なく、近畿地方においてスーパーバイザーを配置していたのは、大阪市及び和歌山県においてのみであった。そして、兵庫県においては、当時、スーパーバイザーを配置しないがその役割を児童福祉司の資格を有する相談指導課長に期待し、また、担当係に主査や主任が配置されており、これら児童福祉司や臨床心理判定員などの関係職員との協議をすることによって適正な事務処理がなされるよう配慮されていた。また、相談受付事務については、ケースワーカーが順番に担当することとしていたが、これは右必携においても予定されていることである。

(2) 被控訴人は、昭和四七年五月以降、心身障害相談係に配置されたことは前記のとおりであるところ、右係の構成員は、浦河勝也(主査。ただし、同人は同年八月ころ退職し、その後任は稲田敏夫である。)、畠山典久及び被控訴人の三人であったが、心身障害相談係の主査は教育相談係を兼務していた。そして、右教育相談係の構成員は右主査のほか山尾正治及び高橋香代子であり、右両係の五名が机を並べる形となっていた。

右係員のうち、山尾ケースワーカーは、乾性胸膜炎及び必臓弁膜症のため同年一一月四日から同四八年二月二六日まで欠勤し、また、畠山ケースワーカーは、不確定性神経衰弱症のため同四七年一二月一三日から同四八年一月九日まで欠勤した。

被控訴人は、同四七年一一月三〇日から同年一二月二二日までの間、研修のため出張しその間は所内業務に従事しなかったが、その前後で右両名が欠勤したことにより、山尾ケースワーカーヘの電話による問い合わせに代わって応答したり、本来ならば畠山の援助が受けられる予定であった措置停止事務の処理を一人で行なうなど、その事務量は若干増加したことは否定できない。

(三)  摂丹児童相談所における執務環境

摂丹児童相談所は、昭和四三年一〇月、西宮市戸崎町から同市青木町の現所在地に新庁舎を建築して移転した。右庁舎は、敷地面積一三二二平方メートル、鉄筋コンクリート造二階建、建面積四五三・七四平方メートル〔延面積八六八・〇六平方メートル、児童相談所棟四九一・五七平方メートル、一時保護所棟三三一・四九平方メートル等〕であり、事務室は一階南側に南面を長く面するように配置され、その南面は天井付辺までガラス窓となっており、相談室は二階に配置されている。事務室には、東西二列に合計一二個の電灯(蛍光灯)が設置されている。また、昭和四七年四月当時、摂丹児童相談所にはガスストーブ八台、石油ストーブ五台、電気ストーブ二台、扇風機五台が備えられていたが、それをもって所内の冷暖房を満たすに十分であったかは疑問であり、照明度合についても、当時の経済事情から節約を求められることがあった。

また、被控訴人の使用していた椅子の高さが机の高さに合わなかったため、昭和四七年ころ、被控訴人において、右椅子の高さを調整するため椅子に座布団を敷いて執務することがあった。

更に、電話は机を並べている数人に一台の割合で配備されていたため、電話が掛かってくると被控訴人が左又は右に腕を伸ばして受話器を取って他の職員に取り次ぎ、あるいは前記のとおり被控訴人自身は立ったままで通話することがあった。

以上の事実を認めることができ、<証拠判断省略>ほかに右認定を左右するに足る証拠はない。

四  本件疾病の公務起因性について

1  公務起因性の行政的判断基準

地方公務員災害補償法(昭和四八年法律第七六号による改正前のもの。以下、法という。)に基づく補償の請求をするには、右補償の原因である災害が公務により生じたものであることを要することは法四五条の規定から明らかであるところ<証拠>、によると、基金理事長は、基金の各支部長が法に基づく補償請求を受けたとき、それが公務上の災害かどうかの認定を迅速、適正、斉一的に行なうための指針として、右理事長から各支部長宛の「公務上の災害の認定基準について」(昭和四八年一一月二六日地基補五三九号。なお、その後同五三年、同五六年に改正)(本件に関連するその内容は、別紙三「公務上の災害の認定基準について」記載のとおり)を発し、右通知のうち特殊疾病の取扱いに関し「キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の取扱いについて」(昭和四五年三月六日地基補第一二三号。なお、その後同四八年、同五〇年、同五三年に改正)(以下、昭和五三年通知という。本件に関連するその内容は、別紙四「キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の取扱いについて」記載のとおり。なお、右通知の実施について、昭和五〇年三月三一日地基補第一九二号をもって、基金補償課長から各支部事務長宛、後記労働省基準局長通達「キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」の解説と同旨の通知がなされている。)を発していること、昭和五三年通知等の内容は、労働基準法施行規則別表第一の二、第三号の4に定める災害、すなわち、せん孔、印書、電話交換又は速記の業務、金銭登録機を使用する業務、引金付き三具を使用する業務その他上肢に過度の負担のかかる業務による手指のけんれん、手指、前腕等の腱、腱鞘若しくは腱周辺の災症又は頸肩腕症候群に関し、労働省労働基準局長が労災保険における業務上外認定基準として発した「キーパンチャー等上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」(昭和四四年一〇月二九日基発第七二三号。その後、右通達は、同五〇年二月五日基発第五九号に改められた。)(以下、昭和五〇年通達という。本件に関連するその内容は、別紙五「キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」記載のとおり)に則って定められることが認められる。

しかして、頸肩腕症候群についての診断基準、発症要因、発症機序等について、医学的研究が前進したとはいえいまだ広く承認される程に解明されているとはいえない現時点において、右通達は、医学的に解明されている範囲での集約として、行政的に依って立つべき認定基準として設定されたものであるということができるところ、公務上の疾病と私企業における業務上の疾病とは本質的な差異はないことからすると、右通達と基金理事長通知を相補完するものとして、これらを本件病症の公務起因性認定基準として斟酌するのが相当である。

2  昭和五〇年通達及び昭和五三年通知(以下、昭和五〇年通達等という。)を判断基準とした公務起因性の判断

そこで、昭和五〇年通達等を基準として、被控訴人の本件疾病が被控訴人の従事した業務と因果関係を有するかどうかについて検討する。

昭和五〇年通達等によると、当該頸肩腕症候群が業務上のものとして扱われるべき要件として、上肢(上腕、前腕、手、指のほか肩甲帯も含む。)の動的筋労作又は上肢の静的筋労作を主とする業務に相当期間継続して従事した職員であることを要するとしているものということができるところ、右通達等によると、右にいう動的筋労作とは、打鍵作業などの手、指を繰り返し反覆するような作業、更にいうならば、カードせん孔機・会計機の操作、電話交換の業務、速記の業務のように、主として手、指のくり返し作業をいうのであり、また、静的筋労作とは、ベルトコンベヤーを使用して行なう調整、検査作業のように、ほぼ持続的に主として上肢を前方あるいは側方挙上位に空間に保持するとか、顕微鏡使用による作業のように頸部前屈など一定の頭位保持を必要とするような作業をいうとされている。

そこで、まず、被控訴人の従事した業務が右要件を充足するかについて考察するに、前記認定事実によると、被控訴人の従事した業務は、面接作業、書字作業を主体とし、それにその他の種々な雑務が混入するいわゆる混合作業であって、いずれも一般的な事務作業の域を出るものではないから、これらをもって、上肢の動的筋労作又は上肢の静的筋労作を主とする業務ということができないことは明らかである。すなわち、面接作業においては、カルテに記入し又はメモを取る時に手、指などを使用することがあり、また、被控訴人がカルテの整理等において書字作業に従事するものの、個々のカルテ整理等における書字数は多いとは認められないし、右各作業に併せて押印作業等に従事するもののその量も左程多くはない、また、個々の複写作業においても右同様のことがいえ、かつ、右各作業は他の作業によって中断されることも多く、長時間にわたって書字作業や押印作業等に従事するものともいえないから、右面接作業、書字作業あるいはその他の雑務をもって、手、指を繰り返し過度に使用する動的筋労作であったとは到底いえないし、被控訴人の各作業がいずれも大なり小なり上肢を前、側方の上位に挙げるなどの姿勢を取ることがあり、あるいは書字作業などにおいて頸部を前屈させることがあるものの、その姿勢を継続することを作業によって強いられるものではないので静的筋労作であるということはできない。また、被控訴人が従事した巡回相談、訪問調査、児童移送の際に不自然な姿勢を取ることがあったとしても、その頻度は多くないし、電話を使用するときに右上肢を宙に浮かせるような姿勢を取ることがあったとしても、それを継続して長時間行なうものでもなく、かつ、その姿勢を強制されるようなものでもない。

以上の諸点を総合すると、被控訴人が従事した前記作業の態様は昭和五〇年通達等に定める作業態様とは異なり、また、これに準じるものともいえないから、右通達等を基準として被控訴人の本件疾病と公務との間に因果関係を認めることはできない。

3  昭和五〇年通達等によらない場合の相当因果関係の判断

(一)  被控訴人が従事した業務の内容は昭和五〇年通達等にいう上肢の動的筋労作又は静的筋労作を主とする業務に該当しないので、右通達等を基準として公務起因性が認められる場合ではないが、右通達の基準によらないで被控訴人の本件疾病と業務との間に相当因果関係が認められるかどうかである。被控訴人は、本件疾病が公務に起因する根拠として、被控訴人が長期間にわたりその従事した業務によって肉体的、精神的に過重な負担を受けたことを主張するところ、前記昭和五〇年通達等の趣旨に従って考えると、業務量が同種の他の公務員に比較して過重である場合、又は業務量に大きな波がある場合には当該公務と疾病との間に相当因果関係があると解されることもあり得るから、この観点に立って被控訴人の従事した業務と本件疾病との間の相当因果関係の存否を検討する。

(二)  被控訴人の従事した業務内容、態様等は前記認定のとおりであるところ、右事実関係を前提に、被控訴人の主張にも考慮を加えながら、被控訴人の従事した業務の過重性の有無について検討する。

(1) 被控訴人は、昭和四三年四月、摂丹児童相談所相談指導課に配置されて以来担当区分を変わることがあったものの所内面接、出張相談、カルテの作成・整理、措置関係文書の作成等、面接作業、書字作業及びその他の作業に従事してきたものである。

そこで、まず面接作業について考察を加えるに、被控訴人が摂丹児童相談所に配置されて以後本件疾病を発症するに至るまでの間における所内面接の業務量は、被控訴人に有利にみたとしても、一か月平均約一五件であり(右件数のうち、より負担のかかる新規件数は限られる。)、所内勤務一日当たりの件数にすると、一・八件前後であり、時には三、四件のことがあったとしても到底過重な業務量といい得るものではなく、また、右面接件数が時期によって特に片寄るということもなく概ね平均化しており、ほかに右所内面接が過重となったとの事情は見い出し難い。また、巡回相談等出張による面接についても、研修のために出張する機会のなかった月は別にして、巡回相談等は継続的に行なわれており、その回数も昭和四四年度から同四七年度までをみてみると、出張一回当たり二件ないし七件弱というのであって、その件数自体からは業務の過重性を窺わせるものはない。

もっとも被控訴人は、面接業務について、不安や悩みを抱えた人々相手の仕事であり、問題解決のための専門的な知識や技術を要し、的確に判断しなければならないとか、巡回相談の際の会場の劣悪さ、右相談を騒がしい中で行なわなければならなかった種々の事情を挙げて、精神的疲労を伴う特殊業務である旨主張するのであるが、ケースワーカーの職務の性格上、面接作業が前記認定のような内容、態様を有してそれによって大なり小なり精神的疲労感を感じることも時にあることは前記認定のとおりである。しかし、右のような面接業務の内容、態様等が被控訴人にとって特殊なものであったとは到底いい難く、これを認めるに足る資料もない。したがって、右のような面接作業に伴う特殊性をもって、業務の過重性を裏付けるべき事情とはいい難い。

(2) 次に、書字作業に関し、文書処理件数及びカルテ整理件数についてみるに、前記説示から明らかなように、被控訴人の実施した調査結果には全幅の信頼を置けるものではないのであるが、今これに従って考察しても、右件数一〇〇件以上を示すのが昭和四五年八月、同四七年七、八月及び一二月であるところ、右件数のうち多くを占めるとみられるのが措置停止事務であり、その処理方法、処理内容が前記認定のごとくであることからすると、その業務は左程複雑なものでもなく、定型的に処理の可能なものであって、かつ、処理者である被控訴人において処理方法、処理の時期を任意選択の可能な事務であったということができ、現に、昭和四七年一二月末の右事務の処理を例にとっても、被控訴人において、一部は同年中に、その余は翌年一月中にと分けて処理しているのであり、また、同年八月は時間外勤務をせずとも右事務を処理し得たものともいえ、加えて、その際作成する措置停止書の複写作業にしても、その用紙の厚さ(前掲乙第一三号証の一六)と前記認定の複写枚数に徴すると、その複写に左程の筆圧を要するものとは認め難い。そうであるとすると、被控訴人が強調する措置停止事務の業務量は、その件数に比して軽易な業務ということができる。なお、被控訴人は、昭和四七年冬休みに際し届け出られた措置停止事務について、同年一二月に二日半で処理した業務量が大量であったとして当審においてその旨供述(第二回)し、また、右供述により成立の認められる甲第四八号証を提出するが、右供述及び右甲号証は、同年一二月受付にかかる措置停止届出を同月中に事務処理したことを前提としているところ、別紙一措置停止処理状況表中、昭和四七年一二月中に届出られ、翌年一月に措置停止書が発行されているものについては、これに対応するカルテの記載自体からして、右届出事務処理は翌年一月に措置停止書発行事務と同時に処理したことも窺われ、そのことからしても右供述及び甲号証の記載をそのまま採用し得るものではない。

また、その余の文書処理件数及びカルテの整理についてみてみるに、前記認定のように様式化されたカルテにそれぞれの事件当事者に関し必要事項を記入するというものであって、その処理件数自体(文書処理件数に関する被控訴人の主張によるも、一日当たり六、七件にすぎない。)からして左程業務の過重性を思わせるものではない。そして右のような文書を複写で作成するにしても、その複写枚数が二ないし四部で、カーボン紙を用紙の間に挿んで行なうものであり、かつ、用紙の厚さが薄くなかった際には手指に負担のかかることもあったとはいえ、四部作成を要する文書の用紙は左程の厚さではないし、右複写文書作成にしても種々の事務処理の中で行なわれたものであって、終日これに従事するというものではないこと等の諸事情からすると、これをもって過重と許し得る程の業務ではない。さらに、カルテの整理にしても、児童の措置について検討を要することであれば種々の内容をもった記載をしなければならないであろうし、そうであるとすれば考えながら記載することとなるのは当然のことであり、逆に簡単な事項(例えば、入所申請書を受理したとか、保護者が来所したとかの経過の記載など)については、何ら思考することなく記載することができるであろうし、いずれにしてもカルテヘの記載を書字作業という観点からみるとき、その業務の過重性を窺わせるところはない。

なお、被控訴人は、ゴム印の数が少なく使用できなかった、あるいは簡易印刷器を使用した場合の問題点について種々述べる(当審第一回)のであるが、被控訴人がカルテ整理等に当たってゴム印を使用したことは明らかなことであって、それによって負担の軽減となっていることも自明のことであり、ゴム印の数が少なかったとの事情は現にこれを使用して事務処理した場合の事務負担の程度を考える際の消極資料とはならない。また、簡易印刷器の使用についても、これを使用する場合が措置停止事務に際し定型的事項をカルテに記入するというような場合であるから、仮に原紙作成作業及び印刷作業の負担を考察に入れるとしても、事務軽減になっていることは明らかであり、そうでなければ多忙であったという被控訴人が採用するはずはないし、また、原審においても右簡易印刷器による記入方法自体の過重性を主張したであろうにこれもしていない。なお、被控訴人は、被控訴人が昭和六三年七月一六日に撮影した簡易印刷器により印刷している写真であることに争いのない甲第四九号証(ただし、説明部分を除く。)中右写真部分を資料に簡易印刷器による作業が容易なものでなかった旨供述する(当審第二回)が、右写真の状況及び右被控訴人の供述は誇張に過ぎ採用し難い。

以上の判断に反する当審における被控訴人の補足的主張2(一)の主張は採用の限りではない。

(3) 児童福祉施設入所措置(書作成)件数についてみてみるに、被控訴人が処理した件数は、他のケースワーカーに比し少ない方ではないことは認め得るが、被控訴人より多い件数を処理しているケースワーカーもおり、一か月平均にすると、二件から四件という程度であって、それをもって業務過重と評し得る件数ということはできない。

(4) 五六条一斉調査についてみてみるに、昭和四七年の右調査において、被控訴人が担当した件数が八一件であり、担当者の平均件数が九五件であること、被控訴人以外の担当者で一〇〇件以上の件数を処理している者がいることからすると、被控訴人の右件数をもって右業務が過重であったとは認めることはできない。また、被控訴人は、被控訴人の処理件数は多い方から四番目であると強調するが、そうであるとしてもそれをもって過重なものであるとの結論を導くには至らない。

(5) 児童の移送、重症心身障害児の移送の際に被控訴人が児童を抱えたり、移送中に不自然な姿勢を取ることがあるなど右業務に従事したときの状況については前記認定のとおりであるが、これとてもその機会が少なかったことに照らすと、過重な作業とはいえない。

また、巡回相談、訪問調査において、出張場所までの所要時間がかかるなど前記認定のような被控訴人が受ける肉体的疲労にしても、継続して、毎日行なうような業務でないことから、これをもって過重な業務とはいえないことは明白である。

さらに、前記認定のように立ったまま電話をし、また、その際に不自然な姿勢をとることがあるということがあるとしても、これをとらえて過重な業務とはいえない。

(6) 以上の業務のほか、被控訴人は判定措置会議に出席し、三歳児精密検診に従事し、情緒障害児治療学級へ参加し、日直、受付業務に従事し、各種研修へ参加し、統計、自己及び相談指導課長の旅費請求書を作成し、カルテの廃棄作業に従事するなど前記三、3において認定した業務に従事したのであるが、これらのどれを取り上げたとしても、ケースワーカーあるいは公務員として通常従事する業務の域を出ず、これをもって過重な業務であるとは到底いえないし、本件全証拠によるも右業務が過重なものであるとの心証を得るには至らない。

(7) 次に、業務量の波について考察するに、被控訴人は、原審においてそれがあったことを供述し、その存在を証する証拠として前掲甲第九号証、乙第一号証の一四を作成、提出している。しかし、右各書証の統計は、主として受付台帳を基に作成されたというのであり(原審における被控訴人本人尋問の結果)、その統計方法に問題のあることは前記乙第一号証の一五について検討したと同様のことがいえるのであるが、それを措くとしても、右各書証の統計によると、本件発症前一年間における被控訴人の業務における波として顕著なのは、昭和四七年七、八月、一二月及び同四八年一月における児童記録(カルテ)及び文書処理のそれであり、その他の時期及び面接業務はさしたる波もなく経過しているということができる。そして、原審における被控訴人本人尋問の結果によると、右波は、夏休みと冬休みの措置停止事務が集中したためであると認めることができるところ、右措置停止事務の内容及び処理態様については前記認定、説示のごとく、その実質的な業務量自体は、件数に比し軽易なものであるということができる。そうであるとすれば、右に示された二つの波も実質的な業務量の観点からすると、通常月の業務量を著しく変動させる程のものでないといわざるを得ない。

また、被控訴人は、児童福祉施設入所措置(書作成)件数が昭和四七年に増加した旨主張するところ、確かに、前記認定のとおり昭和四五年には二五件、同四六年には一一件、同四七年には四八件と変動しているが、被控訴人と同様の担当区分であった畠山の右処理件数がそれぞれ三四件、三三件、六三件であることに徴し、また、このような一部の事務が年度によって差があるとはいえ、それは年間の総件数においてのことであることからすると、それをもって業務の波として捉えることには疑問がある。

(8) 更に進んで、被控訴人の勤務状況、出張状況について考察を加える。

被控訴人の所内勤務日数、出張日数を含む実質勤務日数は、昭和四五、四六年の所内勤務日数がやや多い以外、いずれも他のケースワーカーの平均日数より日数が少なく、また、被控訴人の年休取得日数、職務専念義務免除及び特別休暇を含む無就労日数は、被控訴人以外のケースワーカー平均日数より毎年多いこと、被控訴人の年休取得日数が昭和四七年において一四・五日であるが、これは前年の取得日数が同取得可能日数より多くに取得したことによるものであることが窺われること、さらに年休の取得は、当日の朝に電話連絡することによって実行するなど特段制限されるような状況になかったことからすると、勤務日数、年休取得の面から被控訴人の摂丹児童相談所における勤務が過重なものであったとは到底いえないし、むしろ被控訴人において多少の疲労があったとしても、右年休等を取得することによって回復する余地はあったものということができる。

次に、時間外勤務について考察するに、被控訴人の右勤務時間が被控訴人以外のケースワーカーの平均に比し多いが、摂丹児童相談所における時間外勤務時間の把握に疑問があることからすると、被控訴人の右時間数をもって他の職員と比較して論じることには問題がある。しかし、仮に、被控訴人の右時間が他のケースワーカーに比し多かったとしても、前記のような被控訴人の勤務内容、状況に徴すると、これをもって直ちに被控訴人の業務が過重であったとの結論を裏付けるには至らない。

さらに、被控訴人の出張状況について検討するに、被控訴人の出張日数は、被控訴人以外のケースワーカーに比し、昭和四七年には多いがその他の年には少なく、昭和四七年に多いのは研修に参加したことが大きく影響しているとみられること、巡回相談その他のための出張日数は、被控訴人以外のケースワーカーに比し、昭和四七年に増加しているが、そのうち巡回相談のための出張はそれ程増加していないこと、また、児童の移送のための出張は全体の出張日数からすると、多くはなく、その日数も平均化していること等の諸点が指摘でき、右のようなことからすると、出張日数が被控訴人以外のケースワーカーに比し、際立って多いとか、変動が大きいということはできない。

(9) 被控訴人の従事した業務に関する執務環境等が劣悪あるいは苛酷なものであったかどうかについて考察する。

摂丹児童相談所における相談件数及び各ケースワーカーの担当件数を摂丹児童相談所と類似性を有する中央児童相談所の件数と比較した場合、それが懸け離れたものでないことは前記認定、説示のとおりである。

また、被控訴人は、摂丹児童相談所におけるケースワーカー等の人員配置が厚生省の示す基準より少なかった旨主張するところ、確かに必携は一定の標準を示し説明しているが、いずれも今後の配置として望ましい方向を示したものであり、かつ、それも国の予算を考慮しているものであって、その人員を満さなければ児童相談所としての機能を果たさないとか、職員の業務量が過重になり望ましくないとしているものでないことは明らかである。むしろ、必携においても、児童相談所全体として職員が他の業務にも協力し適切な福祉活動をするよう望んでいることが窺われるのである。なお、昭和四七年一二月一三日から同四八年一月九日まで被控訴人と同一係の畠山が、また、同四七年一一月四日から同四八年二月二六日まで被控訴人とは担当を異にする山尾がそれぞれ休業したが、被控訴人は、右期間のうち同四七年一一月三〇日から同年一二月二二日まで研修に参加していたので、右期間中は右両名の休業の影響を直接受けることはなく、また、その後において右影響を受けたことが認められることは前記のとおりであるが、これによって被控訴人の業務量が際立って変動したものとは認め難い。

被控訴人は、摂丹児童相談所にスーパーバイザーが配置されていなかったことが被控訴人の業務の過重となった原因であるかのような主張をするが、当時、スーパーバイザーが配置されていた児童相談所が全国的にも、また、近畿の各府県においても少なく、それを配置しなかったことが行政当局の怠慢であったといえる状況にはなかったし、右職種が配置されなかったとしても、相談指導課長あるいは主任等の経験者が被控訴人らを指導していくよう配慮されていたこと、さらに被控訴人自身、毎年、ケース研究会等の研修等に参加し、ケースワーカーとして研さんを積む機会を与えられていたこと等の諸事情に徴すると、スーパーバイザーが配置されていなかったことをもって、業務過重を来したとは到底いい難い。

次に、摂丹児童相談所における執務環境についてみてみるに、前記認定事実からすると、冷暖房設備、照明設備、電話、椅子などの設置程度、内容は被控訴人ら職員の求めるところと完全に一致するものではなかったとしても、執務環境として通常の程度に及ばず、それが被控訴人の体調に影響を及ぼすような劣悪なものであったとは到底いうことができない。

なお、ここで被控訴人が本件疾病発症を促した人的、物的環境の一環として、同僚に頸肩腕障害が発症した旨主張するので検討するに、<証拠>によると、摂丹児童相談所に勤務していた矢谷早苗は、昭和五四年五月、兵庫医科大学病院医師によって頸肩腕障害との診断を受け、同月四日から療養し、同年一一月四日から同五五年四月三〇日まで休職したが、同人の右疾病はその実、胸郭出口症候群と診断されており、前記昭和五〇年通達等によっても胸郭出口症候群は業務起因性のある頸肩腕症候群でないとされていること、また、昭和五四年八月の辻愛子の転勤に際し、組合摂丹児童相談所分会から当局に対し、辻愛子が頸肩腕障害に罹患しているから配転に異議を述べる旨申し出られたことはあるが、それ以上に同人から診断書等が提出されたことがないことを認めることができ、当審における被控訴人本人尋問の結果(第一回)のうち右認定に反する部分は前掲各証拠に照らすと採用し難く、ほかに右認定を左右するに足る証拠はないところ、右認定の事実によると、矢谷早苗及び辻愛子が頸肩腕症候群に罹患しているのか、それが公務起因性があるのかは明らかでないというほかないから、結局、被控訴人の右主張は採用し難い。

(三)  以上、検討したところから明らかなように、被控訴人が摂丹児童相談所において従事した業務量が肉体的、精神的に過重なものであり、あるいはその業務量に大きな波があるということは認め難いといわざるを得ないしこれを被控訴人が主張するように業務全体の総合的観点から考察しても、右と同旨の結論に至らざるを得ない。よって、この点に関する被控訴人の主張は理由がない。

もっとも、被控訴人は、業務が過重であるかどうかは当該労働者の体力を基準にして判断すべきである旨主張するかのごとくであるが、当裁判所は、前記認定事実に徴し、被控訴人主張のように被控訴人の体力(被控訴人の体力が成人女子として普通の健康体のそれであったことは被控訴人の自認するところである。)を考察したとしても、被控訴人の従事した業務が過重であったとの心証を得るに至らないし、また、右主張にも賛同し難い。何故ならば、業務と頸肩腕症候群との間に相当因果関係があるといい得るためには、業務上の負荷が本人の素因等、考えられる公務外の要因と並ぶ相対的に有力な発症原因として指摘することが医学的にも肯定される程のものである場合でなければならない。しかして、昭和五○年通達等において認められているような一定の職種においては、一定量以上の業務に従事した場合に頸肩腕症候群が発症したとき、これを業務に起因するものとみることに医学的にも納得のいくものと解されているのであるが、そうでない職種あるいは業務においては、頸肩腕症候群の発症機序について医学的に十分には解明されず、かつ、業務従事とは関係なく発症するなど原因不明とされる症例も多くあるとされていることが広く知られていることからして、一般的な業務量によることなく、個人的な要因である体力などという事情を考察に入れて業務量の過重の有無を判断することになると、その頸肩腕症候群が果たして業務に起因するものか、あるいは体力を含む個人的素因等が原因となって発症したものかどうかが結局のところ判断し難くなるのである。したがって、業務と疾病との間に相当因果関係があるかどうかの判断の前提としての業務量は一般的な業務量を基準にして判断するのが正当というべきである。

(四)  そこで、医学的見地から被控訴人の本件疾病がその業務に起因するとの見解を示している証拠について検討する。

被控訴人が西淀病院で診断を受けた黒岩純医師の作成した「意見書」(前掲甲第一号証)によると、「当該疾病は、主として右上肢の過度使用(業務)による神経筋疲労に加えうるに精神神経疲労により発症した頸肩腕障害([3]度、産業衛生学会統一見解による病像分類)であると判断せぎるを得ない。」との記載がある。ところで、<証拠>によると、頸肩腕障害なる診断名は、日本産業衛生学会における検討の結果、誤解の招き易い頸肩腕症候群、腱鞘炎などという診断名を改めるべきである等の見解の下に提案されたものであって、業務による障害を対象とすることを前提として、上肢を同一肢位に保持、又は反復使用する作業により神経・筋疲労を生ずる結果起こる機能的あるいは器質的障害を右傷病名の定義としているが、いまだ整形外科の領域において認容されていないものであることが認められる。しかし、ここで問題となるのは、頸肩腕症候群という診断名が付されるか、頸肩腕障害という診断名が付されるかはとも角、被控訴人の罹患した疾病の公務起因性の有無ということであるから、医師が産業衛生学会の提案する診断名を付したからといって、右公務起因性を認めるべき根拠とはならず、結局のところ、黒岩医師が何を根拠に被控訴人の疾病が公務に起因するものと判断したかである。

そこで、黒岩医師の右意見書を子細に検討するに、右結論に至った理由としては、ケースワーカーの業務内容、業務態様、業務量、作業密度、摂丹児童相談所におけるケースワーカーの人数など概ね被控訴人の主張をそのまま採用した右結論に至っているのであり、独自の客観的検討は加えられていないといわざるを得ないし、他方、被控訴人の主張はそのまま採用し難いことは前記認定のとおりであるから、右意見をそのまま採用することには消極にならざるを得ない。

なお、証人田尻俊一郎の証言、同証言によって真正に成立したものと認められ甲第二二号証は、乙第六八号証、第八五号証の各医師意見書を反論することに主たる目的があり、被控訴人の疾病の公務起因性について直接立証するものではなく、結局のところ、右黒岩医師意見書を援助するものと解するので右以上の検討はしない。

(五)  すすんで、被控訴人の頸肩腕症候群罹患前後の身体的状況等について検討する。

被控訴人が摂丹児童相談所に入所し、本件疾病に罹患するまでの症状については前記認定のとおりであるところ、右認定事実に<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 被控訴人は、昭和四三年四月、摂丹児童相談所に配置されて以後、前記認定のごとく疲労感等を覚えることが多かったが、昭和四七年四月に渡辺病院において受診するまで特に医師の診断を受けることなく経過していること、被控訴人の性格は、いうならば几帳面で何事にも真面目に取り組みいい加減に処理することが出来ない性格であること、被控訴人は、昭和四四年から組合活動に参加し、昭和四五年四月から組合摂丹児童相談所の分会長となり、同四八年八月には組合阪神支部の青年婦人協議会(以下、青婦協という。)の副議長に選出され、また、同年九月には組合本部青婦協の大会において副議長に選出されたこと、被控訴人は、自らの仕事を十分にするためには職場の状況及び労働条件を変更しなければならないとの観点から、組合活動に積極的に参加していたものであり、時にはビラのための原稿を書きガリを切ることがあったこと、被控訴人は、組合活動に関し摂丹児童相談所の上司との間で必ずしも意見の一致があったとはいえず、本件審査請求に際し、被控訴人自らが記載して控訴人に提出した反論書には、摂丹児童相談所長から個人攻撃を受けたとか(昭和四五年四月ころ)、本部青婦協出席に関して同所長から威嚇されたとか(同年八月ころ)、組合指令に基づき昇任試験受験拒否闘争に際し、所長室に呼ばれ威嚇されたとか(同年一二月)、また、翌四六年一月の欄には、職場の中で強くあるために、次第に感情を失くしていっていることに困惑と、同年二月には職場で言いたいことが言えないなどと記載され、さらに、所長から個人攻撃を繰り返され、ストに参加したことで転勤という措置を考えざるを得ないと言っておどかされたとか(同年一一月)、組合の交渉で専免をとったことを所長が怒ったとか(同四七年二月)種々の摂丹児童相談所長に対する不満を記載しているのであって、被控訴人のいう所長による攻撃等の右記載事項が真実であったかどうかとは別に被控訴人が組合活動に関し職場でかなりの精神的苦痛(ストレス)を感じていたことは明らかといわざるを得ないこと。

(2) 被控訴人は、昭和四八年三月二六日から休業し、同年四月五日から同年五月二四日まで淡路病院において、毎日通院で投薬、頸の牽引の治療を受けたこと、右同日、同病院医師から就業することを勧められた被控訴人は、同月二五日、友人の紹介で西淀病院で受診し、以来、同病院において治療を受けていること、被控訴人は、右同日から毎日、淡路島から西淀病院へ通院し、極超短波、頸の牽引、マッサージ、注射、投薬、はり、灸、体操等の治療を受けたこと、被控訴人は、同年七月二三日から午前中は休業し、午後だけ勤務して軽作業を行なうという勤務に就くようになったが、右病院における治療は従前どおり続けたこと、その後、右治療に加えて、同年九月から山登りを、また、同四九年四月からは西淀病院で速歩、駆け足、太極拳、サーキット等のトレーニングを治療方法に加えて受けたこと、右のような態様の勤務を同五〇年三月末まで続けたが、同年四月から相談指導課長付きに配置転換され、併せて朝から出勤し軽作業に従事した後西淀病院に通院するようになったこと、被控訴人は、昭和四九年四月から翌五〇年三月までの間には一か月平均約一八・六日、同年四月から翌五一年三月までの間は一か月平均約一九・九日、同年四月から翌五二年三月までの間は一か月平均約一八・五日、同年四月から翌五三年三月までの間は一か月平均約一二・四日、同年四月から翌五四年三月までの間は一か月平均約一二・五日、同年四月から翌五五年三月までの間は一か月平均約七・八日、同年四月から翌五六年三月までの間は一か月平均約九・一日、同年四月から翌五七年三月までの間は一か月平均約七日、同年四月から翌五八年三月までの間は一か月平均約七・九日、同年四月から翌五九年三月までの間は一か月平均約七日、同年四月から翌六〇年三月までの間は一か月平均約三・一日、西淀病院において、若干の変更はあるが、概ね前同様の治療を受け、主治医の診断の結果によると、昭和六〇年九月ころから月一回の管理主体の受診になっていること、他方、被控訴人の昭和五二年以降の勤務時間をみてみると、同年及び同五三年は、概ね毎日三時間欠勤(ただし、土曜日は除く。以下、同じ。)を、同五四年は、全日勤務が一か月平均約九・四日で、それ以外の日は概ね三時間欠勤(以下、三時間欠勤は同じ。)を、同五五年は、全日勤務が一か月平均約九・二日、同五六年は、全日勤務が一か月平均約八・四日、同五七年は、全日勤務が一か月平均約六・九日あること、また、昭和五九年一月からは全日勤務の日を一日増やし、週二日二時間欠勤にして通院していることが窺われること、被控訴人が西淀病院へ通院するようになってからの症状をカルテの記載によってみてみると、昭和四九年以降も、頸痛、両肩痛、指の振せん、両足関節周辺の疼痛、腰痛、不眠、右大腿部痛、腕の疼痛、背部痛、嘔吐なども訴え、同五〇年以降もその症状経過は変わりなく(同五三年一月二三日には、その様子が慢性的な症状変わらずと記載されている。)同年五八年一一月ころには、「仕事はまあまあやっている、肩、頸、背、上肢のこり、軽くはなっているが、睡眠やねつきにくい」と記載され改善の兆しを示すかのようであるが、同五九年一月には「終日勤務がつづいたが、症状は大きな変化はない、不眠、頸のつっぱり→頭重感」と記載され業務に従事するものの症状には変化のないことを示しており、同七月二三日には本件原判決が言い渡されたことが記載されると共に、「その後忙しい、最近は週一回程度の通院で割合に調子が良い」と記載されて回復の様子がみられること、被控訴人は、本件疾病に罹患する以前の昭和四七年六月には最高血庄一二八ないし一四〇と測定されていたが、同四九年以降には右血圧が最低で一〇〇を示すことがあり、低血圧症の疑い、あるいは少なくとも低血圧の傾向にあるが、その原因の合理的説明はつかず、また、昭和五一、二年ころには微熱がみられることがあったこと、

(3) 被控訴人は、本件疾病症以来業務を軽減され、西淀病院等において十分な治療を受けているにもかかわらず、その症状は容易に改善せず、右発症後一〇年を経過してようやく改善の兆しがみえてきたというのであり、他方、前記昭和五〇年通達等によると、発症後三か月を経過してなお順調に症状が軽快しない場合には、他の疾病を疑う必要があるとされていること、

以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(六)  ここで、医学的見地からする頸肩腕症候群の病像等について考察を加える。

<証拠>によると、次の事実を認めることができる。

わが国においては、昭和三〇年前後ころから電子計算機の導入・普及に伴い、キーパンチャーの中に手指の痛み、しびれ、ふるえなどの症状を訴える者が次第に現われるようになり、労働行政の分野や医学の分野において研究が進められ、同三九年ころには労働省がその労働条件の基準やその種の作業による業務上の疾病の認定基準を発表するに至った。その後、右と同様の症状、頸、肩、腕、背中、あるいは腰等の広範囲にわたる部位の痛みやこり、しびれ等の症状を訴える労働者が特に若年の女子を中心に増加し、その労働者も当初はタイピストやオペレーター等の事務機器作業従業員に多かったが、その後一般の事務作業従事者やベルトコンベアー作業者、検査技師、保母など広範囲の職種の労働者にまで広がってきており、家庭の主婦や学生にも同様の症状を訴える者が多くみられるといわれている。

そして、右のような症状を呈する者について、遅くとも昭和四七年ころまでには、頸肩腕症候群という診断名が付けられるようになったが、その疾病としての定義、症状の経過、診断基準、発症要因、発症機序等については、医学界において広く承認されたものは存在しない。

この点について、日本産業衛生学会において、頸肩腕障害なる診断名の下にこれを定義し、診断基準等を提案しているが、右頸肩腕障害なる概念が整形外科の領域においてはいまだ広く受け入れられていないことは前記認定のとおりである。そして、整形外科的には、現在一般に前記のような症状のうち、外傷や先天的奇形によるもの及び背髄の腫瘍や関節リウマチその他の疾病によるものを除き、これに広義の頸肩腕症候群という疾病概念を用い、そのうち腱鞘炎など病理の明らかなものについてはその病名で診断し、その余の病理の明らかでないものを狭義の頸肩腕症候群とすることが多いとされている。

そして、狭義の頸肩腕症候群について、発病者の個人的資質や素因の問題を含めて、現在まで多くの研究がなされ種々の報告がされているが、その全体的病像、発症原因、病理機序等についての定説がみられる段階に至っていない。

以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(七)  そこで、以上において認定した事実を前提に本件疾病と公務の関連について検討するに、被控訴人の従事した業務は、これに従事している者が本件疾病である頸肩腕症候群を発症したとき、右業務と疾病との間に相当因果関係が認められるとして一般に認められた場合でなく、また、被控訴人が主張するように被控訴人の業務が一般的にみて過重といえる程のものではないし、その業務に目立った大きな波が認められず、さらに被控訴人の置かれた執務環境等も格別劣悪なものではなく、他方、被控訴人は本件疾病発症後業務を軽減され少なくとも右発症後一〇年を経過するも明確な改善は認められず、また、右発症前において、被控訴人は職場における組合活動等を巡る人間関係において、精神的苦痛を感じる状況になかったとはいえないし、その他右疾病治療の過程において(右発症前における身体状況は明らかではない。)ではあるが、低血圧の傾向を示しているなど、被控訴人の従事した業務の業務量、業務態様、執務環境及び本件疾病の発症前後の経緯等からすると、被控訴人の従事した業務が本件疾病発症に何らかの関連を有することは否定できないとしても、右業務に従事したことが相対的に有力な発症又は増悪の要因となったものとは認め難いといわざるを得ず、本件疾病は、むしろ被控訴人の身体的ないし精神的要因が絡み合って発症した疑いがあり、結局、被控訴人の本件疾病と公務との間には相当因果関係は認められないというべきである。

五  結論

以上の次第で、被控訴人の本件公務災害認定請求に対し、これを公務外の災害と認定した控訴人の本件処分は正当であり、これを違法として取消を求める被控訴人の本訴請求は理由がないところ、これを認容した原判決は失当であるのでこれを取り消し、被控訴人の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法九六条、八九条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石川 恭 裁判官 松山恒昭 裁判官 大石貢二は、転補につき署名捺印できない。裁判長裁判官 石川 恭)

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