大阪高等裁判所 昭和60年(う)543号 判決 1985年9月06日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人辻中栄世作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴趣意第一の一(刑法二六二条の解釈の誤りの主張)について
論旨は、要するに、原判決は、被告人が仮差押を受けた三棟の自己所有建物を損壊した事実を認定したうえ、右所為が刑法二六二条、二六〇条前段に該当すると判示しているが、刑法二六二条にいう「差押」とは、公務員がその職務上保管すべき物を自己の占有に移す強制処分をいい、同条の保護法益は公務員の職務上の占有と解されるから、公務員による強制的な占有移転のない不動産の仮差押は刑法二六二条にいう「差押」に当らず、本件は同条に該当しないのに、これに該当するとして右法条を適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りがある、というのである。
そこで考えるのに、刑法二六二条の法意は、本来所有者の任意の処分に委ねられるべき自己所有物といえども、他人が同条所定の権利等を設定することによつてその物についての利益を有するときには、その利益を保護するため自己所有物の処分に制約を加えることにあり、個人的利益の保護を目的とするものと解されるから、同条ことに差押を受けた物についての保護法益を公務員の職務上の占有であるとする所論は採用することができない。所論の援用する各判例(大審院大正一一年五月六日判決・集一巻二六一頁、大審院昭和八年二月一六日判決・集一二巻一三四頁)は、いずれも刑法九六条にいう「差押」の意義に関するものであり、同条は、公務の執行を妨害する罪の一態様として、国又は公共団体の作用の円滑公正な運営を保護法益とし、公務員がその職務上保全すべき物を自己の占有に移した旨を公示する「封印又ハ差押ノ標示」を客体とするもので、差押の効果が直接に及ぶ当の物自体を客体とする刑法二六二条とは保護法益及び犯罪の客体を異にするのであるから、刑法二六二条にいう「差押」の意義を同法九六条のそれと同一に解すべき必然性はないといわなければならない。そして、刑法二六二条の保護法益にかんがみると、同条所定の他人の権利等は、その対象となつた物の所有者がその物を毀棄、損壊又は傷害することにより効用ないし価値が失われる性質のものをひろく包含する趣旨と解されるのであり、差押が、その執行方法として物の占有移転を伴うと否とにかかわりなく、一般的に処分禁止の効力を有し、差押債権者の利益のために差押を受けた物の所有者の任意の処分行為を制約し、差押の対象となつた物を損壊するなどしてその価値を減ずる事実行為をも禁止するものであること、同条が「差押ヲ受ケタルモノ」のほか「物権ヲ負担シ又ハ賃貸シタルモノ」を客体として掲げ、これらは公務員による占有の取得を要件としないものであることなどを併せ考察すると、同条にいう「差押」は、その執行にあたる公務員が職務上保管すべき目的物の占有を強制的に自己に移すと否とにかかわりなく、ひろく本来の語義における「差押」、すなわち特定物(同条にあつては同法二五九条ないし二六一条に規定する物)について私人による事実上又は法律上の処分を禁止する国家機関の強制処分を指称し、これと同一の処分禁止の効力をその中心的な効果として有する民事訴訟法上の仮差押をも含むものと解するのが相当である。
そうすると、仮差押を受けた自己所有建物を損壊した被告人の原判示所為を刑法二六二条、二六〇条に該当するとした原判決には、所論のような法令の解釈適用の誤りはなく、論旨は理由がない。
控訴趣意第一の二(保護法益の侵害ないし可罰的違法性の欠缺の主張)について
論旨は、要するに、(1)本件建物は、かつてその敷地とともに被告人の所有であつたが、本件仮差押当時には住宅・都市整備公団(以下、「整備公団」と略称する。)にその敷地のみが売渡され、しかも被告人において同公団との間で本件建物を撤去して右敷地を西宮市に引渡すことを約しており、右敷地に対する利用権限を伴わないものであつたから、仮に将来本執行に移行し強制競売がなされても、材木としての価値しかなく、その取り壊し費用を勘案すると競落人の出現する見込みはなく、刑法二六二条の保護法益である仮差押債権者の権利ないし法律上の利益は実質的に存在しなかつたというべきであり、(2)また、本件仮差押債権者である財団法人吹田市開発協会(以下、「開発協会」と略称する。)は、本件建物の敷地の所有者が整備公団であつて同土地の仮差押は不可能であること及び同土地上の本件建物を仮差押しても敷地利用権を右公団に対抗できず無益であることを、仮差押申請当時の登記簿謄本を閲覧することにより容易に知りえたはずであるのに、これを怠り、漫然それより約四か月前の古い登記簿謄本に基づいて仮差押申請をした結果、右土地については仮差押の登記申請を却下されているのであつて、このような仮差押債権者の態度に照らすと、右仮差押申請は単に形式的になされたにすぎず、仮差押債権者である開発協会においてその実質的な権利ないし利益を予め放棄していたものというべきであるから、このような仮差押債権者を保護する必要はなく、被告人の本件所為は可罰的違法性を欠くものである、というのである。
しかし、(1)原判決挙示の各証拠によると、本件建物の敷地は、本件仮差押当時既に整備公団の所有であり、被告人が本件建物のために同土地を利用する権限を有していなかつたことは所論のとおりであるが、開発協会は、被告人に対する損害賠償債権を被保全権利とし、保全の必要性を疎明して適法に本件建物に対する仮差押命令を得たうえその執行をすることにより、被告人の財産に属する同建物を確保して将来の強制執行を保全しうる法律上の地位を取得したもので、本件建物の現状が維持されることにつき法律上保護されるべき利益を有していたこと、当時本件建物はそれ自体として相当の財産的価値があり(不動産鑑定士小林慶鑑作成の不動産鑑定評価書の写及び西宮市長作成の固定資産課税台帳登録事項証明書によれば、当時における本件建物の一般自由市場での交換価格は八〇〇万円、固定資産課税評価額は二六一万一九一〇円であつたことが認められる)、被告人らにおいて事業用建物として使用していたことなどに照らすと、本件建物が敷地利用権を伴わないものであつたことや、被告人が同土地を売渡すに際しその買主である整備公団に対し本件建物の撤去を約していたことなど、所論の諸事情を勘案しても、そのことをもつて本件建物が材木としての価値又はそれ以下の価値しかなかつたとは一概に断定しがたく、ことに本件建物を解体撤去する行為は、実質的に同建物に対する仮差押を無に帰せしめるものであつて、開発協会が仮差押債権者として有する法律上の地位を侵害するものであることは明らかであるから、本件について実質的に保護法益が存在しなかつたとする所論は採用しがたく、(2)また、原判決挙示の各証拠によれば、開発協会は、本件建物の敷地に対する仮差押執行はできなかつたものの、本件建物について得た仮差押命令に基づく執行を終始維持しており、その被保全権利である損害賠償債権を民事訴訟において主張して被告人らと係争を続けていることが明らかであつて、所論のように同協会が右仮差押申請に際して当時の登記簿謄本の閲覧を怠つたからといつて、その一事をもつて同協会が本件建物に対する仮差押債権者としての実質的な権利ないし法律上の利益を予め放棄していたとは認められず、所論指摘の各事情を併せ考察しても、実力をもつて故意に右仮差押の目的を滅失させた被告人の本件所為が、法益の侵害を伴わない行為として可罰的違法性を欠くものとは到底考えることができない。論旨は理由がない。
控訴趣意第一の三(期待可能性の欠缺の主張)について
論旨は、要するに、被告人は、前示のとおり、本件仮差押に先立つて、整備公団との間で、本件建物を撤去してその敷地を西宮市に引渡すことを約していたので、本件仮差押を受けてからは開発協会及び西宮市と交渉を重ね、双方の利益を調整するため最善の手段を尽したが、解決をみないまま、昭和五九年三月一九日に西宮市から正式に同月二六日かぎり本件建物を撤去するよう督促されるという切羽詰まつた状況に追い込まれ、同市に対する契約違反の不利益を避けるためやむなく本件所為に及んだもので、当時の具体的な事情のもとで、被告人に他の適法な行為を期待することはできなかつた、というのである。
そこで検討するのに、原判決挙示の各証拠によれば、被告人は、有限会社大栄衛生ほか一社の取締役であるところ、昭和五八年八月八日整備公団に対し本件建物の敷地を西宮市都市計画事業用地として売渡し、その際昭和五九年一月一三日までに本件建物を撤去して右敷地を西宮市に引渡すことを約したが、同市から得た代替地に建物を建設して会社事務所を本件建物からその建物に移転しようとする計画が予定どおり運ばなかつたことから、本件仮差押後の昭和五八年末頃、右計画の遅延を理由に同市に対し本件建物の撤去とその敷地の引渡につき二か月間の猶予を申出てその承諾を得たこと、本件仮差押は、開発協会が被告人らに対して提起した損害賠償請求訴訟に関連して申請されたもので、昭和五八年一一月一六日本件建物につき仮差押登記がなされたが、被告人は、弁護士に委任して右協会との交渉にあたり、昭和五九年二月一五日以降仮差押取消や仮差押異議を申立てる一方、代替地上に会社事務所の建設をすすめるうち、同年三月一九日付通知書により西宮市から同月二六日をもつて本件建物を撤去するよう求められ、また右代替地上の建物が同月二四日完成したことから、義弟の下地一正と相談のうえ、右弁護士の反対を無視して同月二六日ころ原判示のとおり本件建物を解体撤去し、その廃材等をすべて搬出して処分したことが認められる。
右事実によれば、被告人は、当時、開発協会との間で本件仮差押をめぐる紛争が継続する一方で、西宮市から期限付きで本件建物の撤去を督促されるという、いわば板挾みの状況にあつたことは所論のとおりと認められるが、本件仮差押後本件建物の解体撤去に至る約四か月の間に、被告人において右協会に対し、整備公団との契約の詳細、ことに西宮市から期限付きで本件建物の撤去を求められていることを、また西宮市に対しては本件建物に仮差押がなされたことを、それぞれ具体的に告げて真摯な態度で交渉にあたつた形跡までは証拠上窺われず、もしこれらの手段を尽しておれば、他に相当な方法で事態を処理しえた可能性が十分にあつたものと認められるのに、被告人が自ら申立てた仮差押取消及び異議訴訟の結着を持たず、右協会に一片の断わりもないまま、急遽実力を用いて本件所為に及んでいるのであつて、当時の具体的な事情のもとにおいて本件建物を解体撤去する以外に他に適法な行為に出ることが期待できない状況にあつたとは到底認めることができない。論旨は理由がない。
控訴趣意第二(量刑不当の主張)について
論旨は、原判決の量刑不当を主張するのであるが、所論にかんがみ記録を調査して検討するのに、被告人は、本件建物を解体撤去することにより、開発協会が同建物について有する仮差押を実力で失効させたもので、その犯行の罪質、動機、態様及び本件における被告人の地位、役割などに徴すると、犯情は軽視できず、所論の情状を十分考慮しても、被告人を懲役八月、二年間執行猶予に処した原判決の量刑が重過ぎるとは考えられない。論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官兒島武雄 裁判官谷村允裕 裁判官中川隆司は転勤のため署名押印することができない。裁判長裁判官兒島武雄)