大阪高等裁判所 昭和60年(う)805号 判決 1988年9月06日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人大石和夫作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する(但し、控訴趣意第一の四の審理不尽の主張は、事実誤認の主張の理由として述べるに過ぎず、独立の控訴趣意として主張する趣旨ではない旨、弁護人において釈明した。)。
一 控訴趣意第一について
1 論旨は、原判示第二の傷害致死の事実について事実誤認及び法令違反を主張するが、まず記録により、原判示第二の事実に関連して原審での審理経過及び原判決の認定内容を示すと、次のとおりである。
原判示第二の事実に関する起訴状の公訴事実は、「被告人は、昭和五六年一月一五日午後八時頃から同九時頃までの間、三重県阿山郡伊賀町所在の自己の営む土建業の飯場(以下、単に「飯場」という。)において、人夫中西清美(当時四八歳)に対し、その頭部を洗面器や皮バンドで殴打してコンクリート床に転倒させ、あるいはバケツで水をかけるなどの暴行を加え、更に意識を失ったままの同人を大阪市住之江区内の南港(以下、単に「南港」という。)まで運んだ上、同所で同日午後一〇時四〇分頃角材でその頭部を殴打し、よってその頃同人を頭部打撲による脳幹部挫傷により死亡させて殺害した。」旨の、死因を南港での角材殴打に基づく脳幹部挫傷とする殺人の事実であったが、その後検察官によって予備的に訴因変更がなされ、死因について「飯場及び南港での一連の暴行により内因性高血圧性橋脳出血を発生させ、同橋脳出血により死亡させて殺害した。」旨の予備的な主張がなされたところ、原判決は、右中西の死因は内因性高血圧性橋脳出血であり、飯場での被告人の暴行は右橋脳出血を発生あるいは少なくとも既発生の同出血を拡大進展させたもので、中西の死亡との間に因果関係を有すると認められるものの、南港での角材による殴打行為が右橋脳出血に影響を与えたとは認められず、中西の死亡に対し因果関係を有しないといえるのみならず、南港での角材による殴打行為については、被告人以外の第三者が行ったとの疑いがあり、被告人が行ったと認定するにはなお合理的な疑問が残るとし、結局殺人の訴因に対し、「被告人は、昭和五六年一月一五日午後八時頃飯場において、中西清美に対し、風呂の湯を浴びせかけあるいは洗面器や皮バンドでその頭部等を多数回殴打してコンクリート土間に転倒させ、更に失神している同人に対し、その脇腹を足蹴にしたり両頬を叩いたりし、更に持ち上げた頭部を手を放してコンクリート床に二、三回打ちつけ、また池の水を四、五回顔や身体にかけるなどの暴行を加えて、同人に内因性高血圧性橋脳出血を発生あるいは拡大憎悪させる傷害を負わせ、もって、翌一六日未明頃被告人によって運搬放置された南港資材置場において、右橋脳出血の進展拡大により死亡させた」旨の、飯場での暴行による傷害致死の事実を認定し、その限度で被告人を有罪とした。
2 右のような原判決の認定判示に対し、所論は、要するに、(一)原判決は、南港における角材殴打と被害者の死亡との因果関係を否定するについて、証拠がないにもかかわらず右殴打時には被害者が全くの意識消失の状態であったと専断した上、同殴打による恐怖心等のストしスが血圧を上昇させ、被害者の死因である内因性高血圧性橋脳出血の拡大に影響を及ぼしたことはありえないと推論した点において、事実誤認を犯しており、(二)原判決が、一方で右角材殴打自体が外因的刺激となって右橋脳出血に与えた影響も明らかでないと判示しながら、他方で同殴打と右橋脳出血による被害者の死亡との間に因果関係は存しないというべきであるとしているのは、本来右影響の有無が不明のときは被告人に利益に判断すべきにもかかわらず、立証責任を被告人に負わせる過ちを犯した結果、被告人に不利益に判断認定したもので、事実誤認を犯しており、(三)南港における角材殴打が被害者の橋脳出血による死亡に対して何らかの影響力を持ったことは明らかであるにもかかわらず、原判決が右角材殴打と被害者の死亡との間に因果関係が存しないと断定したのは、事実誤認であり、(四)南港における角材殴打が何人かによって行われ、それが被害者の死亡の結果の発生をもたらした可能性がある以上、他人の行為の介入により被告人の飯場での暴行と被害者の死亡との間の因果関係は中断され、被告人に対して致死の責任を問うことはできないにもかかわらず、原判決が被告人に対し傷害致死罪の責任を認めたのは、法令の適用を誤ったものである、というのである。
3 そこで、所論にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討し、以下のとおり判断する。
所論(一)に関して
原判決は、その(争点に対する判断)において、南港における角材殴打と被害者の死亡との因果関係に関し、「南港における角材殴打の右橋脳出血に対する影響につき検討するに、角材殴打時には被害者が全くの意識消失状態であったことからすると、右殴打によって惹起された恐怖心等のストレスが血圧上昇性に作用して前記出血の拡大に影響を及ぼしたというようなことはありえないものと思われ、また外力自体が外因的刺激となって右出血に与えた影響も明らかでないといわざるをえない。従って、右角材殴打行為が前記出血の拡大に影響を与えたことを認めるに足りる証拠はない。」と判示しているが、所論は、右の「角材殴打時には被害者が全くの意識消失状態であった」と判示する点を、証拠に基づかない認定と非難するのである。しかしながら、原審で取り調べられた高津光洋作成の鑑定書及び同人の原審公判廷での証言(以下、両者を併せて「高津鑑定」という。)などの関係各証拠によれば、原判決が(争点に対する判断)の第一の被害者の死亡原因において判示しているとおり、被害者は飯場での被告人による暴行の途中から意識を消失し、その後の被告人の暴行に対して何らの反応を見せず、被告人によって南港に運ばれ放置された際も意識消失のままであり、更に南港においても被害者はうつ伏せ状態にあったところをそのまま頭部を角材で殴打されたもので、それまでに意識を回復した徴候はなく、しかも右の意識消失の原因が橋脳出血にあり、その出血も死に至るに程度の重篤なものであったことが認められるのであるから、被害者が南港において角材で殴打されたときは完全に意識を消失した状態にあったことは優に推認できるところであって、所論の非難は当たらず、従ってまた、原判決が、被害者が意識消失状態にあったことから、右殴打によって惹起された恐怖心等のストレスが、血圧上昇に作用して橋脳出血の拡大に影響を及ぼしたというようなことはありえないと推論したことにも、事実誤認はないといえる。
所論(二)に関して
所論は、原判決が、「外力自体が外因的刺激となって右出血に与えた影響も明らかでないといわざるをえない。従って、右角材殴打行為が前記出血の拡大に影響を与えたことを認めるに足りる証拠はない。」とした上、「南港における角材殴打行為は、被害者の死亡に対して因果関係を有しないものというべきである。」と判示する点をとらえ、角材殴打による影響の有無についての立証責任を不当にも被告人に負わせる過ちを犯し、その結果事実誤認を犯したものである、と非難する。しかしながら、原判決が右のように判示するのも、南港における角材殴打が被害者の死亡に対して因果関係を有するか否かという観点から、同殴打が被害者の死因である内因性高血圧性橋脳出血に及ぼした影響について検討した結果を示すためであって、その判示するところは、措辞いささか言葉足らずで表現に適切さを欠くところがないではないが、判決のそれ以前の判示部分と併せ考慮して理解すると、南港における角材殴打が、飯場における被告人の暴行により既に惹起された内因性高血圧性橋脳出血に対し、それが加わることによって初めて死因となる程の影響を及ぼしてはおらず、従って右角材殴打自体は被害者の死をもたらす程の影響を持つものではなく、被害者の死亡に対し因果関係を有しない、としているものと解釈されるのであり、そしてそのような認定判断が是認できることは後述のとおりであるから、原判決は証拠不十分なところを立証責任の転換により被告人の不利益に認定したものではなく、事実誤認はない。
所論(三)、(四)に関して
所論は、南港における角材殴打が被害者の橋脳出血による死亡に対して影響を与えたことは否定できないところ、原判決が右殴打と被害者の死亡との間に因果関係は存しないとしたのは事実誤認であり、またその因果関係が存する可能性がある以上、被告人の飯場における暴行について被害者を死に致したことに対する傷害致死の責任を問うことはできない旨主張する。そこで問題は、被告人の飯場における暴行及び南港における角材殴打が、被害者の死亡に対してそれぞれいかなる影響を持ったか、という点にあるのであるが、原審で取り調べた高津鑑定をはじめ関係各証拠によれば、被告人の飯場での暴行により既に死因となるに十分な程度の内因性高血圧性橋脳出血が被害者に惹起され、それのみによって近接した時間内に被害者は死に至ったものと認められるのであり、それに対し南港における角材殴打は、それによって頭蓋骨骨折や頭蓋内出血あるいは脳挫傷等の頭蓋内損傷が引き起こされていないことなどに照らすと、いまだ死に至る脳損傷をもたらす程度のものとは認められず、せいぜい既に発生していた右内因性高血圧性橋脳出血を拡大させ幾分か死期を早める影響を与えたにとどまると推認されるのであり、この点は、当審で取り調べた溝井泰彦作成の鑑定書によっても明らかである。そうすると、被告人の飯場における暴行が、死因である内因性高血圧性橋脳出血を惹起し被害者の死をもたらしたもので、被害者の死亡との因果関係を有することは明らかであるのに対し、南港における角材殴打は、被害者の右橋脳出血を拡大させ右のような程度の死期を早める影響を与えたことがあるだけであって、それが加わることによって被害者に死をもたらすような損傷を与えたものではなく、死因の惹起自体には関わりを持たないものであるから、被害者の死亡との間に因果関係を有しないものといえる。従って、原判決が、南港における角材殴打は被害者の死因を惹起するようなものではなく、被害者の死亡との間に因果関係を有しないとしたことに、事実誤認はなく、また被告人に対しその飯場における暴行について傷害致死の責任を問うことに何ら支障はなく、被告人に傷害致死罪の成立を認めた原判決に法令適用の誤りはない。
その他所論にかんがみ、当審における事実取調べの結果をも踏まえて更に検討を加えても、原判決に事実誤認や法令適用の誤りはなく、論旨はすべて理由がない。
二 控訴趣意第二の主張について
論旨は、被告人を懲役四年に処した原判決の量刑は不当に重過ぎるとして、量刑不当を主張するのである。
そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、本件は、当時土建業を営んでいた被告人が、雇用中の人夫に対しその下腹部を蹴り上げる暴行を加えて、加療約四七日間を要する陰のう部挫傷の傷害を負わせた傷害の事実と、先に示したように、雇用中の人夫に対し湯をかけたり洗面器やベルトで殴り、更に意識を失って倒れた同人を蹴ったりその頭部をコンクリート床に打ちつけあるいは全裸にして水をかけるなどの暴行を加え、その結果同人を内因性高血圧性橋脳出血に基づき死亡させた傷害致死の事実から成る事案であるところ、いずれの犯行も些細な事から立腹し一方的に暴行を加えたもので、その動機に酌むべき点はなく、態様も、傷害事件においては被害者のいわゆる急所を力一杯蹴り上げるという危険で悪質なものであり、傷害致死事件においては、執拗な暴行を加え、被害者が意識を失っているにもかかわらず冷酷な仕打ちを繰り返すなど残忍、無情なものであり、更に犯行の結果として、傷害事件の被害者には入院をも必要とする重傷を負わせ、傷害致死事件では内因性高血圧性橋脳出血という被害者の体質的素因も影響していると思われる傷害に基づくものとはいえ、貴重な人命を奪ったもので、いずれもその結果は重大であり、しかも傷害致死事件では、様々な暴行を加えた後意識消失の重篤状態にある被害者を遠方まで車で運び野外に放置するなどし、その犯行後の犯情も良くなく、その上被告人には同種の粗暴犯の前科を含めて少なくない前科があり、粗暴で残忍な振る舞いを繰り返すことに対する自制心がほとんど欠如しており、これら事情からすると被告人の刑事責任は重いといわねばならない。してみると、傷害事件の被害者に対して入院手続を取ってやり見舞いをするなど陳謝の態度を示していること、傷害致死事件の被害者の遺族に対し弔慰金を支払い、その宥恕も一応得ていること、本件について反省の態度を示していること、その他その営む仕事の状況や家庭の事情など、被告人のため酌むべき事情を含め諸般の情状を斟酌しても、被告人を懲役四年に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとは考えられない。論旨は理由がない。
よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、更に刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。