大阪高等裁判所 昭和60年(ネ)561号 判決 1987年1月30日
控訴人(一審被告)
桑田鈴子
右訴訟代理人弁護士
松田繁雄
控訴人(同)
井上猪十郎
右訴訟代理人弁護士
水田博敏
控訴人(一審被告ら補助参加人)
井上よね子
右訴訟代理人弁護士
赤松範夫
控訴人(同)
井上登志男
控訴人(同)
井上雅博
控訴人(同)
井上登志子
控訴人(同)
多田優子
右四名訴訟代理人弁護士
澤田恒
同
菊井豊
同
山崎省吾
被控訴人
井上安友
右訴訟代理人弁護士
田中章二
主文
原判決を次のとおり変更する。
被控訴人と控訴人(一審被告)らとの間で、被控訴人が原判決添付別紙物件目録記載の各不動産につき、一五分の二の共有持分を有することを確認する。
被控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用及び参加によつて生じた費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
第一 申立
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二 主張
当事者双方の主張は、次に付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決の訂正
原判決二枚目裏八行目末尾に「 」」を、同四枚目裏一二行目冒頭の「助」の次に「参加」を各加える。
二 控訴人らの仮定抗弁
1 控訴人(一審被告、以下「控訴人」という。)鈴子
(一) 本件遺産分割協議は、控訴人鈴子が被控訴人及びその意を受けた浜田太税理士により、税務申告のための仮定的な協議を成立させるにすぎないとの虚偽の事実を申し向けられ、その旨誤信して成立させたものである。よつて、控訴人鈴子は本件遺産分割協議の意思表示を、本訴において取り消す旨の意思表示をした。
(二) 控訴人鈴子は、亡惣次郎の遺産のうち、姫路市飾磨区細江字上中ノ坪三五九番地宅地八八二平方メートルが存在すること、被控訴人が金三〇億円、控訴人猪十郎が金二〇億円、亡惣平が金一〇億円各相当額の財産を亡惣次郎から贈与されていたことをいずれも知らず、これらが存在しないものと誤信していたため、本件遺産分割協議を成立させたものであるから、右協議は要素の錯誤により無効である。
(三) 遺産分割協議は遺産の一部についてなし得ないものというべきであり、仮に一部についてもなし得るとしても、相続人間において一部遺産を分割対象から除外する旨の明確な合意があつた場合に限られるというべきところ、本件遺産分割協議に際し、控訴人鈴子、控訴人猪十郎及び控訴人(一審被告ら補助参加人、以下「補助参加人」という。)よね子は、亡惣次郎の遺産のうち、中央商事株式会社及び株式会社井上組の株式等を分割対象遺産に組み入れることを要求したにもかかわらず、これを除外してなした本件遺産分割協議は無効である。
(四) 控訴人鈴子は補助参加人登志男、同雅博、同登志子及び同優子(以下右四名を「亡惣平相続人ら」ともいう。)の主張を全面的に援用する。
2 控訴人猪十郎
(一) 遺産分割協議が有効であるためには、遺産の範囲が特定され、誰がどれだけのものを取得するかを相続人全員が認識する必要があるというべきところ、本件遺産分割協議は、被控訴人がどれだけのものを取得するか判らない状態で成立しているから無効である。
(二) 本件遺産分割協議は、原判決の認定によると、遺産評価額金一七億六九七六万三八四二円のうち、被控訴人が金一四億五八七四万八〇〇六円(八二・四パーセント)、冨江が金一億一五一五万四八三五円(六・五パーセント)をそれぞれ取得しており、残余の金一億九五八六万〇九八三円(一一・一パーセント)を控訴人猪十郎と補助参加人よね子が取得しているにすぎず、控訴人鈴子及び補助参加人亡惣平相続人らは全く取得しないという極めて不合理なものであり、更に被控訴人は金二〇億円相当額の生前贈与を受けていることを考慮するならば、著しく正義に反するものというべく、公序良俗に違反して無効のものである。
(三) 控訴人猪十郎は、控訴人鈴子及び補助参加人らの主張を全面的に援用する。
3 補助参加人よね子
(一) 遺産分割協議は合同行為であるから、相続人全員が互いにほかの相続人の取得する遺産について認識したうえ、これを了解したものでないかぎり無効であるというべきところ、本件遺産分割協議において、補助参加人よね子はほかの相続人がいかなる遺産をどれだけ取得したかを認識したうえ了解したものではないので、本件遺産分割協議は無効である。
(二) 補助参加人よね子が本件遺産分割協議を成立させたのは、被控訴人より、真実は金四〇〇〇万円を支払う意思がないにもかかわらず、右金員を支払う旨の虚偽の事実を申し向けられてその旨誤信し、また被控訴人において金三〇億円を下らない生前贈与を受けていたものであるから、これを明らかにすべき義務があるにもかかわらず、これを殊更秘匿したため、右生前贈与がないのものと誤信したがためである。よつて、補助参加人よね子は本件遺産分割協議の意思表示を、本訴において取り消す旨の意思表示をした。
(三) 補助参加人よね子は右の二点について誤信していたがため、本件遺産分割協議を成立させたものであるから、右協議は要素の錯誤により無効である。
(四) 補助参加人よね子は、補助参加人亡惣平相続人らの双方代理等による本件遺産分割協議無効の主張を援用する。
4 補助参加人亡惣平相続人ら
(一) 松枝は補助参加人登志男、同登志子、同優子の任意代理人、かつ、同雅博の親権者法定代理人として本件遺産分割協議を成立させたものであるから、民法一〇八条の規定の適用、或いは同法八二六条二項の規定の類推適用により、本件遺産分割協議は無効である。
(二) 控訴人猪十郎が本件遺産分割協議を成立させたのは、被控訴人より、真実は株式会社井上組の経営権、財産及び株主権の帰属を主張する意思があり、また中央商事株式会社に対する同控訴人の権利を認める意思がないにもかかわらず、右井上組の経営権、財産及び株主権について権利が存在しないことを確認する覚書(丙第二号証)、並びに右中央商事の資産の売却、新規事業実施については同控訴人の合意を得てするとの覚書(丙第三号証)を差し入れられてその旨誤信したがためである。また、補助参加人よね子が本件遺産分割協議を成立させたのは、被控訴人より、事実は金四〇〇〇万円を支払う意思がないにもかかわらず、右金員を支払う旨の虚偽の事実を申し向けられてその旨誤信したがためである。よつて、補助参加人亡惣平相続人らは控訴人猪十郎及び補助参加人よね子の本件遺産分割協議の取消権を本訴において行使する。
(三) 控訴人猪十郎及び補助参加人よね子は、それぞれ右の点について誤信していたがため、本件遺産分割協議を成立させたものであるから、右協議は要素の錯誤により無効である。
三 右抗弁に対する被控訴人の認否
1(一) 抗弁1(一)の事実は否認する。
(二) 同1(二)の事実は否認する。本件遺産分割協議に際し、生前贈与については考慮する必要がない旨の暗黙の合意があつたものであり、仮に控訴人鈴子に主張の錯誤があつたとしても、いずれも動機の錯誤であり、右動機は表示されていないから、要素の錯誤にあたらない。
(三) 同1(三)は争う。遺産の一部についての分割協議は、分割対象除外の明確な合意がなくとも可能であり、分割協議後になお未分割遺産があれば追加分割すれば足る。
2 抗弁2(一)、(二)の主張は争う。
3(一) 抗弁3(一)、(二)の事実は否認し、その主張は争う。
(二) 同3(三)の事実は否認する。仮に補助参加人よね子に主張の錯誤があつたとしても、動機の錯誤であり、右動機は表示されていないから、要素の錯誤にあたらない。
4(一) 抗弁4(一)の主張は争う。本件遺産分割協議の際、補助参加人亡惣平相続人らは相互間に確執のない一つのグループであつたところ、亡惣平は生前亡惣次郎から多額の贈与を受けており、これを知悉する松枝は、同補助参加人らの代理人として、またその意思伝達機関として本件遺産分割の協議に加わり、同補助参加人ら全員が一致して亡惣次郎の遺産を取得せず放棄する旨の本件遺産分割協議を、補助参加人登志男、同登志子及び同優子の意思伝達機関として、補助参加人雅博の親権者法定代理人として成立させたともみ得るところであり、更にいわゆる相続分なき証明書を作成して被控訴人に交付したものであるから、民法一〇八条、八二六条二項の各規定を適用或いは類推適用する余地はない。また、相続の放棄は、それが遺産分割協議の結果によるものであつても相手方のない単独行為というべく、右各放棄が一人の代理人によりなされることによつて形式的に本人の利益が相反する結果になつても、同時になされたときは利益相反行為にあたらない(最高裁昭和五三年二月二四日・民集三二巻一号九八頁)。
四 被控訴人の再抗弁
仮に控訴人鈴子及び補助参加人よね子に遺産の範囲及び評価、生前贈与等に関し主張の錯誤があつたとしても、遺産相続人は民法九一五条二項の規定により相続財産の調査をすることができるものであるから、右錯誤につき重大な過失がある。
第三 証拠<省略>
理由
一当裁判所も、被控訴人の請求原因、並びに控訴人及び補助参加人らの原審における主張に対する事実認定に関する限りは、原審の認定説示を相当と認めるので、原判決理由説示一ないし四項(原判決七枚目表六行目冒頭から同三三枚目表一二行目末尾まで)の認定説示をここに引用する(但し、原判決二七枚目表七行目の「関与していないこと」の次に「、」を加える)。右認定に抵触する当審証人井上登志男、同井上正義の各証言は採用し難く、ほかに当審において取り調べた証拠によつても、右認定を覆すに足りない。
二補助参加人亡惣平相続人らは、本件遺産分割協議は、同補助参加人らを松枝一人が代理してなしたので、民法一〇八条の規定等により無効であると主張し、控訴人ら及び補助参加人よね子も右主張を援用する。
当裁判所の引用する原審の認定事実によれば、本件遺産分割協議は、亡惣次郎の死亡により、その妻冨江、長男被控訴人、三男控訴人猪十郎、三女控訴人鈴子、長女補助参加人よね子及び二男亡惣平相続人補助参加人ら代理人松枝の六名の協議によりなされたが、松枝は同補助参加人らのうち、補助参加人雅博(前掲甲第一四号証によると昭和三六年四月二三日生れであると認められる。)の親権者法定代理人として、またその余の補助参加人らの任意代理人としての地位権限に基づき、同補助参加人ら全員が一致して亡惣次郎の遺産を取得しないとの本件遺産分割協議を成立させたものである。
そうすると、松枝の右各代理行為は、補助参加人登志男、同登志子及び同優子との関係においては、民法一〇八条の「何人ト雖モ同一ノ法律行為ニ付キ……当事者双方ノ代理人ト為ルコトヲ得ス」の規定に該当することは明らかであるから、同条の規定に従つてその有効性を検討されるべきであるが、補助参加人雅博とその余の同補助参加人らとの関係においては、同条の規定の適用はなく、同法八二六条二項の規定を類推適用して利益相反行為にあたるか否かを検討すべきものと解する。なんとなれば、同法一〇八条の規定は、各本人が予め双方代理による法律行為を許諾又は承認していた場合には適用されないが、予め許諾又は承認を与える能力を欠缺する未成年者に右規定の適用を認めるのは妥当を欠くというべきだからである。そこで、まず、補助参加人雅博法定代理人松枝の代理行為の有効性を検討するに、同法八二六条二項所定の利益相反行為とは、当該法律行為の客観的性質上数人の子らに利害の対立を生ずるおそれのあるものを指すものであつて、右のような性質の行為であれば、たとえ親権者において数人の子らのいずれに対しても衡平を欠く意図がなく、その行為の結果数人の子らの間に利害の対立が現実化されなかつたとしても、利益相反行為にあたるものと解すべきところ、遺産分割協議は、その客観的性質上相続人相互間に利害の対立を生ずるおそれのある行為と認められるから、同条項所定の利益相反行為に該当すると解すべきである(最高裁昭和四八年四月二四日・裁判集民事一〇九号一八三頁・最高裁昭和四九年七月二二日・裁判集民事一一二号八九頁参照)。従つて、右条項を類推適用すべき本件にあつては、成年者である補助参加人登志男、同登志子及び同優子の任意代理人兼同雅博の親権者法定代理人として本件遺産分割協議を成立させた松枝の代理行為は、右条項に違反するものというべく、補助参加人雅博が成年に達したあと(昭和五六年四月二三日以後)右分割協議を追認しない限り、その余の点を検討するまでもなく、本件遺産分割協議は無効たるを免れないところ、右追認があつたとの主張立証はない。
被控訴人は、遺産分割協議の結果遺産を取得しないことをもつて、相続の放棄として相手方のない単独行為であると主張するが、たとえ一部の相続人が遺産を取得しないという分割協議をした場合であつても、相手方のない単独行為でないことはもとより合同行為でもなく、共同相続人全員による契約であることは明らかであるから、右主張は独自の見解として採用し難く、従つて相続の放棄に関する引用の最高裁判例は事案を異にするものである。また、被控訴人は、補助参加人亡惣平相続人らは相互間に確執のない一つのグループであり、全員一致して遺産を取得しなかつたものであるから、利益相反行為にあたらないと主張するが、右見解の採用し難いことは前説示のとおりである。更に、被控訴人は、松枝は同補助参加人らの代理人であるとともに、意思伝達(表示)機関でもあり、本件遺産分割協議は、松枝が補助参加人登志男、同登志子及び同優子の意思伝達機関として、かつ同雅博の法定代理人として成立させたともみ得ると主張するが、松枝が同補助参加人らの法定及び任意代理人として右分割協議を成立させたものであることは前説示のとおりである(仮に、被控訴人が、松枝を補助参加人登志男、同登志子及び同優子の意思伝達機関にすぎないというのであれば、右補助参加人らそれぞれが本件遺産分割協議の内容を認識したうえ、右協議成立の意思決定を自らなしたことの立証を要するところ、本件全証拠によつてもこれを認めるに足りない)。結局のところ、被控訴人の主張はいずれも採用し難く、本件遺産分割協議は右規定の類推適用により無効といわざるを得ず、従つて被控訴人は本件不動産を単独取得することはなく、右不動産につき亡惣次郎の相続人として相続分に対応した一五分の二の共有持分権を有するにすぎない。
三そうすると、被控訴人の本訴請求は、本件不動産につき一五分の二の共有持分の確認を求める限度において正当として認容し、その余を失当として棄却すべきであるところ、右と一部結論を異にする原判決をその限度で変更し、訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、八九条、九二条但書を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官荻田健治郎 裁判官渡部雄策 裁判官井上繁規)