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大阪高等裁判所 昭和61年(う)628号 判決 1988年9月29日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人葛井重雄、同村岡素行、同大槻龍馬連名作成の控訴趣意書(「控訴趣意書の訂正について」と題する書面のとおりその一部を訂正して陳述)及び控訴趣意書の訂正補充書に各記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官山中朗弘作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点の一について

論旨は、要するに、原裁判所は、検察官の冒頭陳述のないままに審理を進め、判決に至っているのであるが、被告事件の通常の審理に際しては冒頭陳述はこれを省略し得ないものであり、殊に、単純な自白事件ではなく、被告人が犯行を否認している上、被告人を犯人とする直接証拠が希薄であり、そのため検察官において多くの供述調書や証拠物の取調請求をしている本件の場合にあっては、これら証拠によって証明すべき事実を冒頭陳述によって明らかにすることは、被告人の防禦の観点からはもとより、裁判所の訴訟指揮の適切な運用の観点からしても不可欠と考えられるのに、冒頭陳述のないままに判決をした原審訴訟手続には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反がある、というのである。

そこで、案ずるに、本件記録によると、本件起訴事実は、甲野スポーツ株式会社(以下「甲野スポーツ」という。)に勤務していた被告人が、奈良乙川カントリークラブ(以下「奈良乙川」という。)の退会者に対し入会金を返還するため、同会社資金課課員から合計一〇四通の小切手の交付を受け、これを同会社のため預かり保管中、自己の用途に供する目的で、架空名義の預金口座に入金して横領した、というものであって昭和五二年八月一七日に、まず合計七通の小切手の横領の事実につき公訴が提起され、次いで翌五三年二月二日に、残余の合計九七通の小切手横領の事実の追起訴がなされていること、本件の審理は、昭和五二年九月二九日の第一回公判期日から昭和六一年四月二一日の判決宣告期日に至るまで、合計七六回の公判が開かれており、そのうち第三回公判期日までは最初の起訴事実についての審理が行われ、第四回公判期日に追起訴事実の審理が併合されて、以後全部の事実について併合の上審理されていること、証拠調べの冒頭の段階における検察官による冒頭陳述は行われていないが、第四二回公判(昭和五七年五月一四日開廷)において、検察官が、「証拠説明書要旨及び冒頭陳述書要旨(補充)」と題する書面によって、本件横領小切手と振替伝票、預替伝票、退会者に対する支払状況等との相互関係に関する証拠説明と新たに立証すべき事実の陳述をなし、さらに、第四九回公判(昭和五七年一二月一七日開廷)において、「冒頭陳述書(補充)」と題する書面によって、新たに立証すべき事実の陳述を行なっていること、なお、第二三回公判(昭和五五年七月一一日)に弁護人による冒頭陳述が行われており、これによると、弁護人は、検察官が立証を意図している事実を自ら挙げ、これに対する反証事実を詳細に陳述していること、以上の事実が認められる。

ところで、刑事訴訟法二九六条本文は、「証拠調のはじめに、検察官は、証拠により説明すべき事実を明らかにしなければならない。」と規定している。この規定は、証拠調べの開始に先立って、検察官において事件の概要及び立証の方針の詳細を明らかにすることにより、裁判所に対しては心証をとる対象を、被告人に対しては防禦の具体的な対象を、それぞれ明らかにして、裁判所による証拠の採否等の訴訟指揮の適切な運営、被告人の側の適切な防禦態勢の樹立を図ることを目的とするものであって、通常の公判手続においては同条の手続を履践することが必要と解されるのであって、殊に、上記認定のような本件事案の内容に照らすと、本件につき証拠調の冒頭の段階で検察官による冒頭陳述の行われなかったことは違法といわざるを得ない。

しかしながら、本件の審理に際しては、被告人が小切手受領の事実自体を否認していた上、小切手入金先の架空名義の預金口座の開設者ないしは小切手入金人が不明であったため、被告人に小切手を交付したという資金課係員らの証人調べの外に、被告人に対する小切手交付の事実を立証することなどのため、退会稟議書、振替伝票、メモ等の多数の証拠物の取調べがなされているところ、これら個々の証拠についてはそれぞれ立証趣旨が明らかにされている上、前記のとおり、審理の中間の段階においてではあるけれども、検察官によって、これら証拠の証拠説明という形で、本件小切手と振替伝票等の証拠物との相関関係が明らかにされており、また、その時点で新たに立証を必要とした事実については、これを明らかにしていること、また、被告人側においても、検察官の立証の意図を十分にとらえ、これに対して防禦活動をしていることが記録上認められるのであって、これらによると、証拠調べ冒頭の段階における冒頭陳述の欠缺が被告人の防禦に著しい不利益をもたらしたとまではいい難いのであって、上記の違法は判決に影響を及ぼすものではない、と解すべきである。論旨は理由がない。

控訴趣意第一点の二の1について

論旨は、要するに、原判決が証拠として挙示する当庁昭和六一年押第二五八号の一〇九(原審押収番号は大阪地裁昭和五二年押第一二五五号の一〇九)振替伝票綴(以下「符一〇九号振替伝票綴」という。なお、以下押収物については右押号を省略する。)について、右は刑事訴訟法三〇七条の証拠物たる書面であるところ、右符一〇九号振替伝票綴については、偽造されたものであることが判明したため、弁護人において、先にした証拠にすることについての同意の意見を撤回し、これを不同意としたのに、同意の撤回は許されないとしてこれに証拠能力を認めた原審訴訟手続には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反がある、というのである。

そこで、案ずるに、記録によると、符一〇九号振替伝票綴は、原審第六回公判期日において、検察官から「本件小切手の振出に関する振替伝票の存在(添付された被告人作成のメモを含む)」との立証趣旨で取調請求がなされ、同期日において弁護人から取調べに異議がない旨の意見が述べられ、第七回公判期日においてその採用が決定されて、取り調べの上領置されていること、その後、第五三回公判期日において、裁判官の交替に伴う公判手続の更新手続の一環として弁護人のした証拠に関する意見陳述の中で、弁護人から偽造されたものであることなどの理由で同意を撤回する旨の意見が述べられたが、原裁判所において、証拠排除等の処置をとっていないこと、符一〇九号振替伝票綴は、確かに、本件犯行当時には現存の綴自体としては存在していなかったが、本件発覚の機会に、資金課保管の伝票綴の中から本件犯行に関係のある伝票のみを抜き出して、これを一綴りにしたものと考えられるものであって、それに綴られている個々の伝票自体は甲野スポーツに備え付けられていた真正なものであること、以上の事実が認められる。

ところで、証拠とすることについての同意ないしは証拠調べに異議がない旨の意見の撤回は、証拠調べの実施前においてはこれが許されると解されるが、既に証拠調べを実施した後においては、これにより裁判所は心証を形成している上、手続の安定性・確実性・迅速性などの観点からしても、許されないものと解すべきである。これを本件についてみると、本件同意の撤回は、既に証拠調の実施後においてなされていることは前にみたとおりであるから、これを許さなかった原審の措置に誤りはない。もっとも、本件の同意の撤回は、公判手続の更新に際し、そのものが偽造されたものであることを理由にして行われているので、符一〇九号振替伝票綴が仮に偽造されたものであって、本件との関連性が否定されるとすれば、排除の対象となると解されるところ、それが偽造されたものでないことは前に認定したとおりであるから、これを排除しなかったとの点においても原審の訴訟手続には誤りはない。論旨は理由がない。

控訴趣意第一点の二の2について

論旨は、符一一〇号の振替伝票綴について、原判決は、その全部を証拠として挙示しているが、そのうちの昭和五一年六月三〇日付の振替伝票のうち三枚(作成者欄にAの丸印が捺印されているもの)は、既にAが退職した後に何者かによって作成されたものであって、偽造されたものであることが明白であるのに、これらを証拠から排除せずに有罪認定の証拠に供した原審訴訟手続には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反がある、というのである。

そこで、案ずるに、関係証拠によると、Aは、被害会社の会員課に勤務していた者で、奈良乙川の退会者に支払う退会金支出の根拠となる振替伝票の作成に従事していたこと、同人は、所論指摘の昭和五一年六月三〇日ころには既に同会社を退職しており、所論の振替伝票三通に捺印されているAの印影は、右振替伝票綴中の同人が在職当時に作成した他の伝票に捺印されている印影と異なっていることが認められる。しかしながら、同人の当審証言によれば、在職当時資金課勤務のBの指示で、日付の記載のない振替伝票を作成したことがあること、所論の振替伝票三通のうち秋森七助分を除く二通の振替伝票に記載されている退会者の氏名は、Aが記載したものであることなどの事実が認められるのであって、これらによると、右三通の振替伝票のうち秋森七助分を除く二通の振替伝票は、Aが自ら作成したものであることが明らかである。のみならず、前記三通の振替伝票は、「本件小切手の振出に関する振替伝票の存在」することを立証趣旨として請求され取り調べられているのであって、右三通の各振替伝票の他の記載や押印等よりすれば、これに見合う本件各小切手の振出に関し作成された振替伝票であることは明らかであるから、その証拠能力、本件との関連性については問題はなく、Aが作成したものではないという所論の事実は、振替伝票の信用性ないしは小切手振出の経緯等に関係するに過ぎないと解されるので、これらを証拠排除しなかった原審の措置に誤りはない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点について

論旨は、要するに、被告人は、原判示の小切手を同判示の資金課課員Bらから交付を受けた事実はなく、したがって、これを架空名義の預金口座に入金して横領したとの事実もないのに、これを横領したと認定した原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録並びに証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して案ずるに、原判決挙示の証拠によると、原判示の事実は、被告人が犯人であるとの点をも含め、優に肯認し得るところであって、原判決がその「補足説明」の項において、被告人が本件一〇四通の各小切手の横領行為に及んだものであると認めた理由として説示する内容はおおむねこれを首肯するに足り、原判決には所論の事実誤認はないものと認められる。すなわち、関係証拠によると、甲野スポーツは、ゴルフ場の経営を目的とする会社で、昭和四七年ころ、奈良県下において、奈良乙川を造成・開発することを計画し、合計四〇〇余名の会員の募集を終えていたが、当初の開設予定である昭和四九年になっても、奈良県からゴルフ場の造成許可が得られず、また、地元住民の反対もあって、予定どおりにゴルフ場を開設することが極めて困難な状態となり、その旨の新聞報道をされたこともあって、これを知った会員から退会の申出が続出したこと、甲野スポーツでは、会員から入会金として、縁故会員は一五〇万円、一般会員のうち一次募集者は二〇〇万円、二次募集者は二五〇万円を預かっていたので、退会を認めるとなるとこれを返還しなければならなかったため、会社の資金繰りの関係上、退会を思いとどまるように説得したり、同会社の経営する他のゴルフ場の会員になる(以下、このことを「乗り替え」ともいう。)ように勧めるなどして、資金の流出の防止に努めたが、会員からの退会の申し出を抑え切れずに、退会を強く希望する者等に対しては所定の退会手続をとって入会金を返還することにしたこと、退会の処理は、当初は会員の募集に当たった者がこれを行っていたが、昭和四九年ころになって、奈良乙川関係の退会の申出が増加したため、これを統括して処理するために、統括室という名称の係において退会申出者との交渉を担当するようになったこと、被告人は、昭和四六年一月ころ、甲野スポーツに入社し、当初は社長付きの運転手として稼働していたが、その後、総務課に転じ、持ち前の対人交渉の手腕を見込まれて、統括室に配属され、奈良乙川の退会処理を担当するようになり、昭和四九年七月ころからは、一人でその窓口となって退会事務を処理していたこと、甲野スポーツ内部における退会の手続は、原判決が詳細に説示するように、昭和四九年八月ころまでは、いわゆる退会稟議書をあげて社長などの役員の決済を得た上で、会員課において退会用の振替伝票(以下「退会伝票」という。)を作成し、これを資金課に回し、同課において右退会伝票に基づいて小切手を振り出すなどの正規の方法がとられていたが、昭和四九年九月ころから同年一二月ころまでは、決済が遅延して退会者に対する小切手の交付が遅れて支障をき来すことなどの理由から、退会稟議書を作成しても社長などの役員の決済にあげずに、会員課において退会伝票を作成しこれに決済未了の退会稟議書を添えて資金課に回すなどの簡略な方法がとられたこと、ところが、昭和五〇年初めころ、このことが甲野スポーツ社長Cの知るところとなり、同社長の反対にあって新たな対応を迫られた際、退会申出者との交渉に当たっていた被告人において、決済という社内事情によって退会金の返還を遅延させるなどすると、今後の退会交渉に支障を来すなどと強く主張したため、同社常務のDが資金課課長のEと相談した結果、一か月の入会金返還の合計額を二〇〇〇万円と決め、その範囲内で社長の決済の不要ないわゆる預け替えの方法で小切手を振り出すよう資金課課員に指示したこと、かくして、本件犯行時期に当たる昭和五〇年一月ころから昭和五一年七月までの間においては、次のような簡略で変則的な方法がとられたこと、すなわち、同年五月ころまでは決済印のない稟議書が作成されたこともあったが、同年一月ころからメモを用いる方法が行われ、被告人において、入会金の返還予定日を記載したメモ(以下「日付メモ」という。)を作成し、これを前月末又は当月初めに、小切手振出事務を担当していた資金課課員のBに渡し、同人の手を経て右メモは同課主任のFに回され、同人において小切手の振出に備え右メモに基づいて資金繰表を作成したこと、そしてBにおいて、右メモ記載の期日が到来する都度、振出予定の小切手額面金額相当額の資金を、その小切手の支払銀行の預金口座から同社の大阪銀行本店の預金口座に移す(いわゆる「預け替え」)という形の振替伝票(符一〇九号)を作成し、これに基づき小切手を振り出したこと、その後、当月の末又は翌月の初めころ被告人において、入会金を返済した日及びその相手である退会者の氏名を記載したメモ(以下「人名メモ」という。)を作成してこれをBに渡し、同人において右メモ自体又はそのコピーを会員課に回し、同課課員のAらにおいて右メモに基づいて退会伝票(符一一〇号)を作成し、その回付を受けた資金課において、右退会伝票に入会金の返還のため大阪銀行本店を支払銀行とする小切手を振り出した旨記載して事後的に伝票処理をしたこと、しかし、同年八月になって、退会用の小切手が退会者に渡されていないことなどの疑惑が表面化したため、資金課においては、預け替えの方法による小切手の振り出しを取りやめるとともに、退会者を特定した上でなければ小切手を振り出さないこととし、その旨被告人に伝えられた結果、同月の初めころ、被告人において、「春山一夫」、「夏山二夫」と記載したメモ(符一一〇号振替伝票綴中のもの)を作成し、これを同課のBに手渡し、右メモの回付をうけた会員課Iにおいて、右メモに基づいて退会伝票(符一一〇号振替伝票綴中のもの)を作成し、これに基づき小切手二通が振り出されたこと、本件一〇四通の小切手は、上記のような手続を経て、奈良乙川の退会者に対する退会金の返還のために振り出されたものであって、いずれも、そのころ、資金課のBから被告人又は被告人の指示する者に手渡されたものであるが、退会者に渡されずに、原判示のとおり、それぞれ、架空名義の被告人の預金口座に入金されていること、以上の事実が認められる。

被告人は、捜査段階から原審並びに当審公判を通じて、本件横領の事実を否定し、退会者に返金すべく自己が受領した小切手は、これをすべて退会者に支払済みであり、本件各小切手はこれを受領した事実すらなく、したがって、これを架空名義の預金口座に入金して横領したなどの事実はない、と述べ、所論は、被告人の右主張を敷えんして、本件は、被告人の犯行ではなく、小切手の振り出しを担当していた資金課課員ないしは同課及び会員課を含む財務部ぐるみの犯行である疑いがある旨の主張をしている。

しかしながら、本件犯行当時の甲野スポーツの資金課課長であったE、同課主任であったF、同課課員であったBは、いずれも、原審証人として、本件各小切手は、当時、奈良乙川の退会事務を処理していた被告人に対し、退会者に支払うために交付した旨を明確に述べており、Bは、当審証人としても、同様の供述をしているのであって、これらの証言は、それ自体において特に信用性を疑わしめる事情がないばかりか、関係証拠によって認められる次のような事実に照らし、十分に信用し得るものと考えられる。すなわち

(1)  本件犯行当時における奈良乙川関係の退会申出者との交渉、退会者の選別(誰に対し退会金を返還するかの選別)並びに退会金の返還は、J次長が取り扱った銀行関係者の分を除き、すべて被告人によってその処理がなされていたこと、したがって、その全部を把握し得たのは被告人のみであったところ、奈良乙川の会員数が約四〇〇人であり、本件が一年八か月の間に一〇四通もの多数の小切手を横領した事案であることなどにもかんがみると、甲野スポーツ内部の他の者、例えば、弁護人が主張するような資金課課員において、被告人をさしおいて本件のような行為をすれば、被告人の知らない退会者が多数存在したことになるのであって、後に被告人のする退会処理と重複するなどして、小切手横領の事実が被告人に判明することは自明の事柄であるのに、被告人からかかる指摘のなされた証跡は全くなく、かえって、後記認定のように、既に退会処理済の者と重複した分については、Bらに指摘されて、被告人自らが誤りであったとして、その訂正を申し出ていること

(2)  退会金返還のための退会小切手の振り出しは、被告人作成の退会稟議書ないしメモその他被告人の指示に基づいてなされていたとの前記Eらの証言は、被告人作成の退会稟議書(符一四七号中のもの)及びメモ(符一〇五号及び符一一〇号退会伝票綴中のもの)の存在によって裏づけられており、殊に、昭和五一年二月分から同年八月分までのメモの一部は現存しているところ(符一〇五号及び符一一〇号退会伝票綴中に存在)、その現存するメモに基づいて小切手の振り出し状況をみると、被告人作成の日付メモに基づいて預け替伝票が作成されて小切手が振り出されており、被告人作成の人名メモに基づいて退会伝票が作成されている(但し、五月分については後記のとおり)のであって、預け替伝票は資金課において、退会伝票は会員課において、それぞれ分担して作成されているなど、資金課において小切手横領の意図で、専ら同課内部で処理をしたなどの形跡はないこと

(3)  右現存するメモにより振り出された小切手中、原判示の分については、同判示の架空名義の預金口座に入金されているところ、仮に、右小切手が資金課の者によって横領されたとすれば、被告人に渡すべき小切手がなくなる結果となって、直ちに横領の事実が被告人に露見するはずであり、また、これを隠蔽するためには更に小切手を振り出す必要があると考えられるのに、そのような小切手振り出しの事実は全く認められないこと

(4)  右メモに退会者と記載された者の中には、実際に退会の申出をしていなかった者も含まれているところ、退会小切手が実際に支払われたのは、退会の申出をした者に限られており、退会の申出をしていない者には全く支払をしないでこれらを横領しており、かかる選別は、退会申出の有無を把握できなかった資金課においてこれをすることは事実上不可能であって、本件小切手の横領は、会員の退会意思を把握し得た者の犯行と推認し得ること

(5)  本件小切手は、いずれも、架空名義の預金口座に入金された後、程なくこれを出金しているが、右各預金口座からの払戻しの日時及び金額と被告人の預金口座であるK、L及びM名義の預金口座への預け入れの日時及び金額との間には、原判決が説示するように、関連生があるものと認められ、また、被告人の資産、貸付金の額及び出金の状況等には、原判決説示のとおり、本件小切手金の領得をうかがわせるものがあること

(6)  本件が発覚して後、被告人において、甲野スポーツの代理人である天野一夫弁護士及び同社嘱託のNとの間において、領得金の弁済のための交渉をしたり、知人の紹介で知ったOに対しても、甲野スポーツとの示談交渉を依頼するなどし、殊に、N及びOに対しては、領得金の使途を明らかにした書面をまで提出していることなど、本件が自己の犯行であることを認めるような行動をとっていること

以上(1)ないし(6)に説示した事実を総合し、前記Eらの証言を検討すれば、それらは十分に信用し得るものと解されるのであって、これに反する被告人の弁解は、措信し難いというべきであり、本件が被告人の犯行であることは明らかである。

所論は、多岐にわたって、本件を被告人の犯行と認定した原判決の事実認定には誤りがある旨の主張をしている。そこで以下においては、所論を要約整理し、順次判断を示すことにする。

1  まず、本件小切手の振出し経緯及びその入金状況などに関し原判決には事実認定上の誤りがあるとの主張部分(主として控訴趣意書第二点の二の部分)について検討する。

所論は、いわゆる氏名振替えにかかる秋山三夫、冬山四夫、春川五夫、夏川六夫、秋川七夫、冬川八夫関係の退会処理手続について、これらの関係では後に秋山ら当初の退会者の氏名が別人に訂正されているところ、右訂正のための氏名振替伝票の借方貸方の記載に誤りがあること、後日に至り右誤りは訂正されているが、訂正のため作成された伝票はその日付を遡らせていること、冬山関係を除く五名の氏名振替伝票は資金課によって作成されるという変則異例のものであること、これら五名については退会金を取り戻さずに、全くの別人に氏名を振り替えることで辻褄を合わしていること、冬山関係については、その後、再度同人の退会手続がとられたが、その小切手は架空口座に入金され、結局同人には、別人宛に振り出された小切手が交付されていることなどの事実を挙げて、これらの退会処理手続には不合理、不可解な点があると主張し、これらの点は、本件が資金課内部の犯行であることをうかがわせる、というのである。

しかしながら、関係証拠によると、上記の秋山ら六名は、昭和五〇年一月から三月にかけて退会処理がなされながら、いずれも振出しにかかる退会小切手は、架空名義の預金口座に入金横領されていて、同人らに支払われていないところ、所論指摘の氏名訂正は、その後、上記六名に対し退会処理をしたとしたのは誤りであり、実際は、秋山の分は春野一男、春川の分は夏野二男、夏川の分は秋野三男、冬山の分は冬野四男、秋川の分は春原五男、冬川の分は夏原六男に対しそれぞれ退会金を支払っていたので、その旨退会者名を訂正するという趣旨で氏名訂正がなされているのであるから、秋山らから退会金を取り戻す必要はなく、また、氏名振替人である春野らに新たに退会金を支払う場合ではないことが認められるから、かかる処理のなされていないことを挙げて右氏名振替を不合理、不可解という所論は採り難い。そして、関係証拠、とりわけ当審におけるB証言によると、同人は、右の氏名訂正は被告人の指示で行った旨明確に述べており、右の氏名訂正が、資金課内部で内密に行われたのではなく、会員課に保管する退会伝票により処理されていること、当時、冬山を除く秋山ら五名については、他のゴルフ場への乗り替えの問題が起こっており、二重退会の指摘のなされたことがうかがえること、氏名振替人として春野らを選択することは、またぞろ二重退会になるおそれがあることなどのため、会員の退会意思を把握していない資金課においては容易になし得ないものと考えられることなどからすると、前記のB証言は措信するに足り、これらによると、右の氏名訂正は、秋山ら当初の退会者に対する退会小切手を横領していた被告人が、同人らに他のゴルフ場への乗り替えの話が持ち上がるなどしたため、これによる横領の事実の発覚を防止するため、Bに対し氏名の訂正を求めたと認めるのが相当である。伝票の誤記及びその訂正の過程における所論指摘の事情は右認定を覆すに足りず、氏名訂正のなされた事情などを挙げて、本件を資金課内部の犯行という所論はこれを採り難い。

なお、当審において弁護人は、右冬山の関係につき、当審で取り調べられた証券台帳に「五〇年一〇月三一日返金、会員証回収済」というあり得ない記載があること、氏名振替人である冬野四男に対する退会金の支払については、被告人において南都銀行の同人の口座に振り込み送金するようメモをもって依頼しているのに、銀行勘定帳に出金の記載がないこと、春川の関係につき、証券台帳に「五〇年一月二五日返金、会員証回収済」とあるのに、同年四月一五日になってそれを取り消した理由が不明であること、退会伝票が昭和五〇年一月二五日付であるから、銀行勘定帳の昭和五〇年一月三一日欄に出金の記載がなされていなければならないのに、同年二月二八日欄に記載されていること、夏川の関係につき、証券台帳に取消の対象となった昭和五〇年二月の退会金返金の記載がないこと、秋川の関係につき、氏名振替人である春原五男に支払った返金小切手の内容が不明であり、出金の根拠が明らかでないこと、冬川の関係については、銀行勘定帳の昭和五〇年三月三一日の貸方に二〇〇万の記載があるのに、証券台帳には昭和五〇年三月時点で退会金返金の記載がなく、「五〇年五月一五日・返金・会員証回収済」という記載があることなどを挙げて、前記氏名振替が被告人の指示によるものではない、と主張している。

しかしながら、後記のとおり、証券台帳の記載は必ずしも正確であるとはいえず、殊に、「会員証回収済」という記載は、関係証拠によれば、それが回収された時点でその旨の記載をした事実が認められるから、証券台帳に退会金の返金日と「会員証回収済」という記載があるからといって、直ちに所論のように、その返金日ころに会員に退会金が返還され会員証が回収された趣旨と理解するのは相当でなく、所論のうち、証券台帳の記載を論拠とする点は採用し難いところであり、その余の所論指摘の諸点は、それらをもって原判決の認定を覆すに足るものとは解し難い。

2  次に、退会手続、小切手振出等に関し、事実認定上の誤りがあるとの主張(主として控訴趣意書第二点の三)について検討する。

所論は、統括室は退会の苦情処理のために設けられたものではないこと、メモによる預け替えが始まったのは、原判決が認定する昭和五〇年一月ではなく同年六月ころからであることなどを主張して、原判決にはこの点において事実認定上の誤りがある、というのである。

確かに、統括室は、当初は新規ゴルフ場の開設計画、会員募集の企画・宣伝等の目的で設けられたもののようであるが、少なくとも、奈良乙川関係の退会者が増加した昭和四九年ころから本件犯行時においては、その退会処理を主たる事務としていたのであって、その中にあって、被告人が、退会処理のいわゆる窓口となってその事務を一括担当していたことは、証拠上優に肯認し得るところである。

また、いわゆるメモによる預け替えが始まった時期については、確かに、所論指摘の昭和五〇年五月六日付の退会返金明細表(符一五七号昭和五〇年度稟議書綴中のもの)には、同年四月分及び五月分の退会返金の予算額としてそれぞれ八〇〇万円、退会者としてそれぞれ四名の氏名が記載されている事実が認められ、これによると、右各月分の退会処理はメモではなく右の表により行われたようにみえるが、振替伝票(符一一〇号)等によれば、四月に退会処理された会員数は一〇名、五月のそれは一三名であって、しかも、右明細表記載の会員のうち各二名は退会処理されておらず、他に被告人が稟議書を作成している分(符一四七号退会稟議書綴中のもの)もあり、明細表及び稟議書のいずれにも氏名の記載のない者もあるなど、右各月分が明細表どおりに実行されたとは認めがたいから、前記明細表を根拠にBらの証言の信用性を争う所論は採り難く、メモが用いられるようになった時期についてこれを昭和五〇年一月末ころとした原判決の事実認定は首肯し得るところである。

3  次に、本件一〇四通の小切手を横領した犯人を被告人であるとした原判決の事実誤認と題する主張部分(控訴趣意書第二点の四の部分)について検討する。

この点の所論は、極めて多岐にわたっているので、更に、項目を分けて検討する。

イ  所論は、本件捜査が甲野スポーツ側に偏向して行われ、稚拙・不徹底であったと評すべき上、甲野スポーツと金融機関とが結託し、真犯人の発見を困難にしており、また、不正の事実で告訴された経理担当の常務取締役Dの本件関与も疑われると主張している。確かに本件は、一年七か月もの長期にわたり合計一〇四通、金額にして約二億円もの多額・多数の小切手を横領した事案で、しかも、右小切手は銀行の架空預金口座に多数回にわたり振込み入金されているのに、架空預金口座の開設者や小切手の入金人が判明していないこと、甲野スポーツでは、本件と関連のある複数の金融機関との間に、いわゆるドレッシングといわれる多額の仮装預金を発生させているなどしていること、本件犯行日ころに、経理担当のD常務にからむ不正の事実が存在したことなどの所論の事実は証拠上肯認し得るところであるが、本件架空名義の口座は大阪市内の上町あるいは梅田に所在する銀行に開設されており、これらは来行者が多く、また、預金の出入りの金額も大きいと思われるところからすると、当初より犯行に用いる意図で開設された口座の開設人を明らかにし得なかったのもやむを得ないと解されなくはなく、これらをもって、所論のように、捜査官の無能もしくは怠慢が被告人に不利益をもたらしているといい得ないのはもとより、本件が金融機関と甲野スポーツ財務部とが連携して、巧みにその機構を利用した金融上の操作によって形成された見せかけの犯罪の疑いが強いというがごときことは、たやすく肯認し難いところである。所論主張の事実をふまえて証拠を検討しても、原判決の事実認定を左右するに足りない。

ロ  所論は、本件のような不正ないしはずさんな形態は既に昭和四九年から発生しているところ、これらについても被告人は関係がないと主張している。しかし、これらを被告人によるものとした原判決の事実認定には誤りはないものと認められる。すなわち、関係証拠によると、所論指摘の秋原七男分については、確かに、昭和四九年七月三一日に金二〇〇万円の返金処理がなされ、その出金伝票にはFが代理受領印を押捺していること(符一一〇号退会伝票綴中の出金伝票)、その退会稟議書の起案者はG営業部長であり、担当者はHであること、当時、秋原に対し右出金にかかる二〇〇万円が支払われていないことは所論のとおりであって、所論はこれにより、右二〇〇万円を受領したのはFであって被告人ではないから、被告人が不正を働く余地はないというのである。しかし、関係証拠によると、秋原に対しては、その後同人が担当者のHを通じて退会の申出をした際、被告人において、所定の退会の手続をとることも、また、秋原については既に退会処理済みであることの指摘をすることもなく、別人である冬原八男宛の退会小切手を、その退会金の支払いに当てるため、担当者であるHに交付しているなど、秋原については、既に退会処理済みであるが、同人には退会金が支払われていないことを知っていたと認め得る行動をとっていること、原審証人Fは、Fの代理受領印は秋原を代理して受領した趣旨のものではなく、退会交渉をした担当者を代理して受領した趣旨であり、具体的に記憶はないが、前記の二〇〇万円は被告人に渡したはずである、と証言していることが認められるのであって、これらによると、秋原に対する前記二〇〇万円の退会金につき、Fにおいて不正を働いたという所論は採り難く、むしろ被告人において不正をしていたと認めるのが相当である。次に、所論指摘の春丘一平、夏丘二平、秋丘三平、冬丘四平、春岡五平、夏岡六平、秋岡七平、冬岡八平、春海一雄のうち、原判決が被告人による不正と認定している春丘一平、夏丘二平、秋丘三平、冬丘四平、春岡五平、夏岡六平、秋岡七平の関係については、関係証拠によると、被告人によって稟議書が作成され、これに基づき退会伝票が作成されて小切手が振り出されていることが認められるのであるから、前記認定のような被告人の職掌からして、右振出しにかかる小切手は被告人においてこれを受領したと認めるのが相当である。所論は、当時、被告人が会員との退会交渉の経過を記録するため記載していた大学ノート(当審において取り調べたもの)の記載を根拠にして、同ノートには被告人において当時前記の者と退会の交渉をした旨の記載がないから、前記の者らについては、他の者に頼まれるなどして、稟議書の起案のみに関与したに過ぎないと認めるべきであって、同人らの退会小切手は、実際に退会の交渉をした他の者において受領し、被告人においてこれを受領しておらず、原判示のような不正はしていない、と主張している。しかしながら、所論指摘の大学ノートは、会員との退会交渉の内容及びその経過を逐一記載した体裁になっているが、子細に検討すると、退会の交渉をするはずのない、退会の申出を全くしていない者と退会の交渉をした旨の記載のあることなどが認められるのであって、この一事をもってしても、その記載内容の信用性は甚だ乏しいものといわざるを得ず、同ノートの記載を根拠にして原判決の事実認定を論難する所論はたやすく採用し難いところである。

ハ  所論は、原判決が被告人の犯行と認定した夏海二雄、秋海三雄、冬海四雄分の退会小切手につき、これらの退会金稟議書三通(符一四七号退会稟議書綴中のもの)には「退会返金額二〇〇万円」という記載の右側にFが捺印をしていること、右稟議書は被告人が起案しているが、被告人は右三名と直接折衝をしておらず、稟議書は他から作成を依頼されて作成したに過ぎないものであって、このことは、前記大学ノートに同人らとの折衝記録が記載されていないことによっても明らかであること、右のうち、冬海四雄については、稟議書の日付が昭和五〇年三月八日であるのに、退会伝票はそれより前の同年二月一八日付で作成されており、被告人の作成した稟議書に基づいて小切手が振り出されたのではないことなどよりすると、右の小切手については資金課員による横領の疑惑をうかがわせるものがあり、また、夏海二雄については、昭和五一年二月分人名メモ中、同人の氏名を消して春田五雄に訂正したのは、被告人ではなく、Bと認定すべきであると主張している。確かに、所論の各稟議書にFの捺印があること、冬海四雄分の退会伝票(符一一〇号退会伝票綴中のもの)は、稟議書の日付の昭和五〇年三月八日より前の同年二月一八日付の作成になっていることは所論のとおりであるが、右退会伝票に稟議書の番号として「本八七」との記載のあることが認められ、これによると、振替伝票の作成時にすでに稟議書が受け付けられていたことがうかがえるのであって、稟議書により退会伝票が作成されたと認め得る状況が存する上、大学ノートの記載を論拠とする所論の採り難いことは前にみたとおりであるから、所論の事実は、資金課員による犯行を疑わせるものではなく、春田五雄に氏名訂正をしたのも、Bの原審証言どおり、同人において、重複分につき被告人に正した結果、被告人の申し出たとおりに訂正したものと認めるのが相当であり、右所論は採用し難い。

ニ  所論は、符一一〇号退会伝票綴の中には、本来、資金課員が作成するはずのない、氏名入りの退会伝票が多数混入しているが、このような異例の事実の存在は、資金課関係者が会員課と無関係に独自で退会者を選定し、退会金を支払っていたことを裏づけている、と主張している。確かに、本来、退会伝票は、前記認定のように、会員課において作成するものであるところ、前記氏名振替にかかる退会伝票等につき、資金課課員であるB及びWの作成したものが混じっていることは所論のとおりであるが、当審におけるB証言によると、同人は、被告人から同人に直接、退会者の氏名を訂正してほしい旨の申出があったので、会員課にその旨連絡するよりも、同人自身が書いたほうが早いと考えて自ら作成して、会員課に伝票を回したと証言しており、この証言に格別不自然な点はなく、このような伝票は、氏名振替・訂正等の例外的な処理の場合に存するに過ぎないことなどの事実とも併せ考えると、かかる伝票のまじっていることのゆえに、本件が資金課員による犯行であることを裏づけているものとはいい難い。

ホ  所論は、メモに関しるる主張しているが、この主張も採用することはできない。すなわち、メモを開始した時期につき、前記退会金返金明細表(符一五七号稟議書綴中のもの)を根拠にして、これを昭和五〇年六月ころという所論の採り難いことは前にみたとおりであるが、さらに、所論が指摘する一か月の退会金の返金の枠についても、現実には同明細表どおりの返金がなされたわけではないから、同明細表に予算額八〇〇万円と記載されていることを根拠にして、返金枠を八〇〇万円という所論は採りがたく、関係証拠を検討しても、一か月の返金の枠を二〇〇〇万円と認定した原判決の事実認定には誤りはない。次に、証拠物として提出されている昭和五一年五月分の人名メモに関する主張、すなわち、記載された人名の全部を抹消する意味の×印がされており、また、その用紙にしわが認められるところからしても、右メモは、被告人が廃棄したものであることが明らかであり、同月分の退会伝票は右メモにより作成されたのではない、との点につき検討するに、確かに、右メモには、夏田六雄ら八名の氏名が記載されているところ、ほぼその用紙の全面にわたり×印が付されている上、同月分の退会伝票(符一一〇号中のもの)と比較すると、うち四名につき氏名が異なっていることが認められる。しかしながら、Bの原審証言によると、同人は、人名メモ記載の退会者の中に既に退会処理済の者が含まれていることがあったこと、このような重複は、B自身が発見する場合とメモを会員課に回付してのち同課から連絡してくる場合とがあったこと、いずれの場合も、その旨被告人に連絡すると、被告人から別人の氏名を言ってきたり、会員課に連絡しておくと言ってきたりしていたこと、被告人にそのような重複が何故起こるのかと聞くと、数人がグループで退会を申し出てくることがあり、その場合にグループ内の別の人に返金することがあるので、そうなると言っていたこと、前記五月分の退会者の不一致については、具体的に記憶がないが、おそらく会員課から指摘があったので、被告人に連絡した結果、被告人が直接会員課に氏名訂正を申し出たのではないかと思うこと、メモ記載の氏名の頭に青い色鉛筆でチェックしているのは、会員課から退会伝票を貰った時に、一致している分につき印をつけたのではないかと思うことなどを証言している。そして、この証言は、前記のメモに「重複しておりました 二名わかりましたので会員課(Pさん)の方に月曜日届けておきます B君Z」と記載したメモが添付されていることによっても措信し得るものと考える。所論は、右の重複分を会員課に連絡する旨のメモは前記の五月分に関するものではないと主張しているが、同月分の人名メモに添付されていることからすると、同月分と認めるのが相当であり、仮に同月分でないとしても、右メモの存在は、少なくとも、被告人が重複分についての氏名の訂正を、Bにではなく、直接会員課に連絡する場合があったというB証言を裏づけるものということができ、また、証拠物中の「秋田七雄→冬田八雄」と記載されたメモの存在は、別のメモ用紙で氏名訂正のなされる場合のあったことをうかがわせるのであって、これらによると、前記の五月分メモに関してはB証言に沿って事実を認定するのが相当である。さらに、七月分及び八月分のメモは、いずれもIが作成したものであって、被告人が作成したものではなく、被告人作成のメモはこれとは異なるものであったとの所論の点についても、Q作成の昭和五三年二月二四日付鑑定書、原審におけるB証言、原審及び当審におけるIの各証言によれば、これらはすべて被告人の作成したものと認めるのが相当である。所論は、I証言は信用できないと主張しているが、関係証拠によると、同人はAの後任者として会員課において奈良乙川関係の事務を処理していた者であって、同人にとって退会伝票の起票は昭和五一年七月分が最初にあたり、従前の取扱いとは異なって起票の根拠になった前記のメモを七月及び八月の各退会伝票に添付するなど慎重な取扱いをしているのであって、これによっても右メモの信用性は高いと評すべきであり、所論指摘の諸点にかんがみ関係証拠を検討しても、あたかもIが右メモを勝手に作成添付し、被告人の犯行であるかのようにみせかけたという所論は採用し難い。

ヘ  所論は、架空口座に入金された小切手中に、鉛筆で「預け替」、「大阪本店」、「大阪本店預け替」、「大阪本店file_2.jpg」と記入されたもののあることを根拠にして、これら小切手は、右の記載よりして明らかのように、B、Fらにおいて、大阪銀行本店に入金手続をとるべく振り出されたものであり、被告人に渡されるべきものではなく、これによっても、被告人はこれら小切手を受け取っていないといえる、と主張している。確かに、本件横領にかかる小切手中には、所論指摘のような記載のなされたものがあるが、B、Fの原審証言によれば、これらの記載は、大阪銀行に対する本来の預け替えをするための小切手という意味を示すものではなく、本件の小切手が、預け替えという便法により振り出されていたため、当該小切手が本件の退会小切手であることを明らかにする趣旨で、多数の小切手を振り出す場合等に、他との区別を容易にし得るように記載したものであるとの事実が認められるから、所論は採り得ない。また、所論が「Z氏」と鉛筆で記入された小切手が架空名義の預金口座に入金されていることを、被告人の犯行を裏づけるものとした原判決の判断を論難する点についても、確かに、自己の犯行が露見するような氏名の記載のある小切手をそのまま入金することはあり得ないとも考えられるが、右の「Z氏」という記載は、小切手の振出しに際し、交付の相手方を明確にしておく趣旨でなされたと認められること、その記載が小切手表面の右端の方に鉛筆書の小さな字でなされていることなどに徴すると、被告人においてそれに気付かず入金したと認めるのが相当であり、右の記載をもって被告人の犯行を裏づけるものとした原審の判断は誤りとはいい難い。

ト  所論は、春木一助及び夏木二助の各退会手続につき、昭和五〇年五月三一日付右両名に関する振替伝票(符一一〇号中のもの)によると、いずれも、入会金二五〇万円のうち、二〇〇万円を退会返金とし、残り五〇万円を預り金として処理しているが、このような分割を会員が了承するはずはなく、このような処理のなされていること自体によっても、右両名の退会処理を経理担当者が独断でしたことをうかがわせること、そして、春木の分は、二〇〇万円の退会小切手は架空口座に入金されており、五〇万円は現金支払されているが、その出金伝票(符一一〇号中のもの)の受領者欄に代file_3.jpgのサインがなされていて、被告人が受け取ったのではない上、右出金伝票に二〇〇万円は五月に支払済である旨記載されていること、夏木の分についても、二〇〇万円の退会小切手は既に退会処理済の夏岡六平に交付され前年の穴埋めに使用され、五〇万円については小切手が作成され、同小切手の表面に「夏木二助」と鉛筆による記載があるのに、同小切手は同人に交付されないで架空名義口座に取立てのため入金されているが、右小切手の返金振替伝票(符一一〇号中のもの)に、春木の場合と同様、二〇〇万円は五月に支払済であると記載していることなどを挙げて、これらを資金課員の犯行と主張している。しかし、所論にかんがみ検討してみても、所論の事実をもって資金課員の犯行をうかがわせるものとはいい難い。すなわち、仮に資金課員が前記退会返金を領得する意図であれば、所論によれば会員が了承するはずのない分割支払の伝票を起票することはないであろうし、秋木に現金を渡すなどという迂遠な方法を取ることもなかったと思われる上、所論が疑問点として指摘する五月に二〇〇万円を支払済である旨の記載も、退会伝票上は五月三一日に春木、夏木の両名分として各二〇〇万円の小切手が振り出されているのであるから、資金課としてはこれらが両名に支払われたと考えるのは当然であって、何ら資金課の犯行を疑わせるものではない。なお、右に関連して所論が指摘する春林一子分についても、所論の事実をもって直ちに被告人の無関与を裏付けるものとは解し難い。

チ  所論は、本来は、退会稟議書作成の後に退会伝票が起票されるのであるから、退会伝票の作成日付は、必ず退会稟議書と同日もしくはそれ以後の日付でなければならないのに、冬海四雄、冬木四助、春森五助、夏森六助の関係では、被告人が稟議書を作成する前に、既に財務部内において退会金支払に関する振替伝票が作成されており、これらは財務部内における犯行をうかがわせるものである、と主張している。しかしながら、前記四名の稟議書は、いずれも起案者の欄に被告人を意味する「Z」の押印があるのみで、決済欄および意見欄は全く空白であって、稟議書本来の使命である決済を経ていないものであるところ、稟議書が必ずしも振替伝票の作成前に作成されていなければならないものであったわけではないことは、所論指摘の冬木四助の稟議書によると、その起案の日が昭和五〇年一月八日、稟議書受付の日が同年一月一〇日であるのに、被告人自身が同稟議書に記載した退会金の返還期日がその前である同年一月七日になっており、しかも同日に支払った旨の財務部の丸印が押されていることよりしても明らかであり(なお、夏森六助の関係の稟議書作成の日付は昭和四九年一〇月八日であって、所論の振替伝票の作成日付と同じ日である。)、これらによると、所論は採り難いというべきである。

リ  所論は、甲野スポーツは、被告人がいわゆるサヤ抜きをしていたことを責め立てて金銭的解決を要求し、これに応答していた被告人を、本件横領に対する被害弁償に対して応答していたものにすり替えて状況証拠を作出し、この面からも本件告訴の維持をはかるなど恐ろしい会社である、と主張している。そこで、案ずるに、所論の趣旨とするところは、前記認定の本件発覚後における被告人の示談交渉の事実を否定するものと解されるが、しかし、その過程で被告人が所論のいう応答をしていた金額は、原審証人天野一夫、同N、同Oの各証言によれば、一億八〇〇〇万円から二億四〇〇〇万円くらいという巨額なものであったことが明らかであって、その金額に照らしても、会員一人当たり高々二〇万円から三〇万円程度に過ぎないサヤ抜きに対する金銭的解決をするための応答であったとは、到底認め難いところであり、被告人のした応答が、本件を含む不正に対する示談解決のためのものであったことは、右各証言により動かし難いところであり、所論は採用できない。

ヌ  なお、所論に関連して当審で取り調べた証券台帳に関する弁護人の主張について若干付言するに、所論は、まず、証券台帳面の記載の有無を論拠として、るる原判決の事実認定を論難している。しかしながら、関係証拠によれば、証券台帳は、会員の氏名・住所・会員券の種類・金額・会員の移動等の事項について、各会員ごとに一枚の用紙を用いて記載したものを編綴した帳簿であって、会員課においてこれを保管し、必要の都度、所要事項を記載したものであること、本件犯行当時における奈良乙川関係の会員課における事務処理は、同課員のAがこれを行っており、同人の退職後はPを経てIがこれを担当していたので、証券台帳の記載も主として同人らがこれを行っていたことが認められるところ、当審証人Iの証言によれば、同人が事務を引き継いでから後、証券台帳と退会伝票とを照合するなどした際、証券台帳に記載の間違いや記載もれの箇所を発見したので、これらの訂正や記入をしたりしてその整理をしたことがあったこと、また、後記のように、同証言及び当審証人Rの証言によれば、S監査役の下で会員課の事務処理を手伝っていたRも、同様に台帳に補正をしていることが認められるのであって、これらによると、証券台帳は、当時の会員の退会状況をそのまま正確に表したものであるとはいい難く、したがって、証券台帳に記載されていること、あるいはそれに記載されていないことを論拠とする弁護人の主張は、直ちに採用することはできないというべきである。また、弁護人は、証券台帳の記載で最も問題となる点として、同台帳には、昭和五〇年五月に甲野スポーツに入社したRがその入社前に当たる分をも含め、昭和四九年一二月一八日から同五一年六月三〇日までの間の退会者六〇人について、退会金を返金処理した旨を表す返金日の記載とR印の押捺をしたものがあることを挙げ、これらの記載又は押印については、右Rが、当審証人として、証券台帳に見覚えはなく、右のような記載や押印をした記憶はないと証言していること、同人の入社前の日付のものがあること、同人は株式会社丙谷ライフの経理課長の地位にあって、その証言内容には信用性があることなどの事情からすると、Rがしたものではなく、会員課の何者かがRの名前を使って虚偽の記載をなし、自己らの犯跡の隠ぺいを図ったものとみるべきであるとの主張をしている。確かに、Rは、当審証人として、甲野スポーツには昭和五〇年五月から同五一年八月まで勤務しており、その間、S監査役の下で雑用的な仕事をしていたが、証券台帳のRの印に見覚えはなく、また、字は自己のものに似てはいるが、書いた記憶はない旨の証言をしている。しかし、同人は、証券台帳へ記入した事実を明白に否定しているのではなく、記憶がない旨の証言をしているのであって、証言時までに一二年が経過していること、同人にとって甲野スポーツでの勤務は約一年三か月という短期間であったことなどに照らすと、同人の証言をもって、直ちに右の記載が同人の名前を使った虚偽のものとみるのは相当でなく、かえって、同証言と当審証人Iが、RはS監査役の下で仕事をしており、会員課の事務を手伝っていたことがあること、同人の勤務前の日付の分につき同人の押印があるとすれば、同人が退会伝票と照合して記載もれを発見し、遡って補充したものと思う旨の証言をしていること、仮に、会員課内に本件の犯人がいるとしても、入社前のRの氏名を使用してまで、所論のような作為を弄する必要は見い出し難いことなどの事情を総合すれば、証券台帳中の所論指摘分は、Rにおいてこれをしたものと認めるのが相当であり、所論のように会員課の何者かが作為的にかかる記載をしたものとは認められない。

4  さらに、被告人を犯人とするために、とるに足りない状況証拠を十分な審理を尽くさないまま、漫然と被告人に不利益に認定した事実誤認があると主張する部分(控訴趣意第三点)について検討する。

所論は、要するに、原判決が、本件小切手が入金された架空名義の預金口座からの出金と被告人の預金口座への入金に関連性があること、被告人が奈良乙川の退会手続の窓口となった昭和四九年九月ころから昭和五二年初めころまでの間に、被告人において、多数の預金を預け入れ、多額の資金を貸し付けるとともに、多額の金銭を支出している事実を認定した上、支出した金銭の出所について合理的な説明をなし得ていないことなどの判断を加え、これらを被告人が本件の犯人であることの証左とした点について、十分な証拠の検討を怠り、論理の飛躍と想像を駆使し、牽強付会の論理をもって終始している、と主張するものである。

しかしながら、所論にかんがみ記録を検討しても、原判決のこの点に関する判断には誤りはないものと認められる。

所論は、まず、被告人が本件の犯人であるとすれば、起訴事実だけでも二億四〇〇万円という多額の横領金を取得しているのに、そのうち七七〇〇万円余の金額についてのみ関連性があるからといって、被告人が本件の犯人であると推認することは不当である、と主張している。確かに、本件は、架空名義の預金口座から出金された金銭が、被告人の預金口座に入金されたとの明確な証拠がない場合であるから、総横領金額と関連性の認められる金額との割合を問題とすべきことは所論のとおりと解せられるが、その割合がかなり高いと認められる前記の程度の金額につき関連性が認められれば、これを一つの間接事実として被告人を犯人と推認することは許される、と解すべきである。

所論は、次に、原判決は、被告人の預金口座へ入金された金員の出所について、その入金の日時・金額と被告人のいう預金の払戻日時・金額との間に、日時のいずれがあることをもって関連性を否定しているが、検察官の主張する預金口座における入・出金の関連性については、一部入金や後日入金である場合にも関連性を認めながら、被告人の主張については同様の場合に関連性を否定した点において、その判断は合理性を欠き誤っている、と主張している。しかしながら、出金と入金との間の日時のずれは、通常の取引の場合においては、金利や現金を保管することの危険性等から、あまり生じないとみるのが相当と思われる反面、本件のように、犯罪によって取得した金員を他の預金口座に預け替える場合においては、犯行の発覚の防止を図ることなどの配慮から、故意に日時をずらす場合もあり得るのであって、両者は必ずしも同一に論じられるわけではなく、これを区別して判断することが合理性を欠くとまではいい難い。

所論は、更に、Tと被告人の面識は昭和四九年よりも以前から存したのに、原判決が、これを昭和五一年六月以降であると認定して、被告人主張のTに対する貸付金(所論は借入金と主張しているが、原判決が否定したのは貸付金である。)を架空であると判断したのは誤っている、というのである。しかしながら、U、Vの司法警察員に対する各供述調書によると、被告人とTとが面識を得たのは、すくなくとも、UがVの紹介で被告人を知った昭和五一年六月以降と認められるので、この点の原判決の判断に誤りはない。

所論は、また、原判決には、丁本化工株式会社に対する貸付金を認めなかった点において、事実認定上の誤りがある、というのである。確かに、同社の代表取締役である丁内太郎は、原審において、同社の総勘定元帳に基づき、昭和四九年二月九日から同年八月三一日までの間に、前後一一回にわたって、被告人から合計二八二三万一八〇〇円を借り受け、これを満期まで一年の薄外の約束手形で返済し、満期には他から借り入れた現金をもって手形を迎えに行く方法で手形金を支払った旨証言している。しかしながら、同証言には、右現金の借り入れ先を明らかになし得ていないなどあいまいな点があるほか、同社の経理係は丁中某であり、右元帳を記載したのも同人であるのに、右元帳は、昭和五二年に交通事故で死亡した経理係丁下一郎が記載したものである旨、従業員わずか二五名の会社で間違うはずのない経理係の氏名につき事実に反する部分があり、しかも、右元帳は、筆跡の関係から、少なくとも、同人の死亡後は書き替えたりなどできない信用性の高いものであると述べるなど、作為をうかがわせる部分のあることが認められる。そして、これらと同証人と被告人とは義兄弟の間柄にあることなどの事情をも併せ考えると、同証言ひいては元帳の信用性にも疑わしい点があるというべきであって、同社に対する貸付金の存在を認めなかった原判決には所論の事実認定上の誤りはないものと考える。

以上のとおりであって、所論がるる主張するところを検討しても、原判決には所論のような事実誤認はないから、論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条、一八一条一項本文により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 尾鼻輝次 裁判官 岡次郎 裁判官木村幸男は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 尾鼻輝次)

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