大阪高等裁判所 昭和61年(う)652号 判決 1987年2月17日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人山田庸男作成の控訴趣意書及び同補充書各記載のとおり(ただし、弁護人は、右控訴趣意書記載の第二はすべて事実誤認の主張である旨釈明し、また、同書五丁裏九行目に「被告人が気付いて」とあるのを「被告人が気付いて返却することを懸念した」と訂正した。)であり、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官検事高橋哲夫作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意第二(事実誤認の主張)について
論旨は、要するに、原判示事実につき、(一) 被告人が上柿清次(以下上柿という。)から受領した現金は、同人が藤井弘三から農地を買い入れる際、上柿の依頼で、右藤井にその売却の意思があるかどうかを確認したことに対する謝礼若しくはその買い入れを辰己一三(以下辰己という。)が仲介していたため被告人が仲介から手を引いたことに対する詫び料であつて、賄賂ではなく、(二) 仮に上柿に賄賂の認識があつたとしても、被告人にはその認識はなく、(三) 被告人の受領した現金は三万円であつて、五万円ではなかつたから、これらの点で原判決には事実の誤認があり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。
所論にかんがみ、記録及び原審証拠を精査し、当審における事実取調の結果を併せ考察するに、原判決挙示の各証拠によれば、原判示事実は、所論が誤認を主張する諸点を含め、優にこれを肯認することができる。
所論にかんがみ付言するに、関係証拠によれば、上柿は、藤井弘三から買い受けた奈良県磯城郡田原本町大字笠形一四一番三、田四九八平方メートルから同番四、田一九九平方メートル(以下本件農地という。)を分筆したうえ、昭和五八年五月一八日、田原本町農業委員会に対し、本件農地を農業用倉庫の敷地に転用したいので許可を受けたい旨の奈良県知事あての「農地法四条の規定による許可申請書」を提出した(右書面の提出を以下本件申請という。なお、その実質が同委員会に対する農地転用の届出であることは、後記控訴趣意第一についての判断において判示するとおりである。)ことが認められるところ、原審証人上柿の供述(ただし、後記信用できない部分を除く。)、同辰己の供述、上柿の検察官に対する供述調書二通並びに被告人の司法警察員に対する昭和五九年五月九日付、同月一一日付、同月一二日付及び検察官に対する同月一四日付、同月一七日付各供述調書によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、上柿は、本件農地に鉄工所を建設しようとしていたが、その転用目的では農地法四条一項本文の規定による許可は受けられないと考え、転用目的を農業用倉庫の敷地とするものであると偽つて本件申請に及んだ。そこで、同人は、田原本町農業委員会の委員である被告人に対し、同農業委員会において本件申請を調査、審議する際、その転用目的が虚偽であることを黙認し、あるいは同農業委員会が本件申請をそのまま認めるように便宜な取り計らいをしてくれるよう依頼しようと考え、昭和五八年五月二〇日ころ、妻に用意させた菓子箱及び現金五万円入りの封筒を持参して被告人方を訪れた。その際、上柿は右依頼の趣旨で、被告人に対し、「農業用倉庫を建てるということで農地の転用の申請をしたので、よろしくお願いする。」旨を述べた。被告人は、すでに上柿が本件農地に鉄工所を建設する意図であることを知つていたので、右依頼の趣旨を了解のうえ、「わし一人では、どうもでけへんけど、できる限りのことはするわ。」と返事をした。その席で、上柿は、被告人に対し、右依頼の謝礼として現金五万円を贈ることとし、持参の菓子箱を差し出して渡した際、その下に現金五万円入りの封筒を隠すようにして置いたうえ、被告人方を立ち去つた。被告人は、上柿を見送つたのち、右菓子箱の下に右封筒があり、その中に現金が入つていることを知り、同人に返そうとしてすぐ外に出たが、すでに同人の姿がなかつたため、結局は右現金をそのまま受領しておくことにした。以上の事実を認めることができるのであり、右認定に反し、所論に沿う被告人の原審及び当審公判廷における各供述並びに原審証人上柿(一部)及び同飯田幸子の各供述は、前掲の積極証拠と対比し、(なお、原審証人飯田幸子の供述については、同人の検案官に対する供述調書とも対比し)、いずれも信用することができず、ほかに右認定を動かすに足る証拠はなく、所論が縷々主張するところを検討しても右判断を左右するに足りない。なお、前掲の積極証拠によれば、上柿が本件申請を農地法上の許可を受けるべき案件であると誤解していたことが窺われ、また、被告人においても本件申請が許可申請の案件か届出の案件かを明確に認識していなかつたことが窺われるのであるが、前記認定のように、本件現金の供与には、本件申請が田原本町農業委員会において調査、審議される際、同農業委員会の委員である被告人に、上柿の転用目的が虚偽であることを黙認し、あるいは同農業委員会が本件申請をそのまま認めてくれるよう便宜な取り計らいをされたいという趣旨が含まれており、被告人においてその情を知つていたのであるから、本件現金が賄賂であることについての被告人の認識に欠けるところはないというべきである。
したがつて、原判決には所論のいうような事実誤認はなく、論旨は理由がない。
控訴趣意第一(法令適用の誤りの主張)について
論旨は、要するに、原判決は、被告人が田原本町農業委員会の委員として、上柿の農地法施行規則五条一号の農地転用の届出について調査、審議することが、職務と密接な関係を有する行為又は慣行若しくは事実上所掌する職務行為であると解し、被告人に収賄罪の成立を認めたが、同農業委員会が右のような農地転用の届出をさせ、これを調査、審議することは法令上の根拠に基づかない行為であり(右届出を励行させることは違法とすら言える。)、同農業委員会の委員がその調査、審議に関与することは職務ではないから、原判決には、刑法一九七条一項にいう職務に当たらない行為をこれに当たるとした点において法令適用の誤りがあり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。
所論にかんがみ検討するに、当裁判所の判断は次のとおりである。まず、法令をみるに、農地法四条一項本文は、農地を農地以外のものにする者は、都道府県知事(又は農林水産大臣)の許可を受けなければならないと定めているが、同項但書及び同但書六号を受けた農地法施行規則(以下規則という。)五条は、右の例外として、許可を要しない場合を定めている。そして、規則五条に掲げる各場合につき、届出その他行政上の手続を要する旨の規定はないから、その農地転用は、何ら行政上の手続を要しないで、自由にこれをなしうるというべきである。しかるところ、本件申請の事案は、形式的には二アール未満の農地を農業用倉庫の敷地に転用するというものであるから、規則五条一号に当たることが明らかであり、したがつて、本件申請は、法令上の許可申請でないことが明らかである。そこで、田原本町農業委員会において、規則五条一号に該当する農地転用(以下規則五条一号の転用という。)につき、どのような事務処理をしているかを検討するに、関係証拠によれば、次の事実が認められる。すなわち、(1)同農業委員会は、従前から奈良県農政課の指導に基づき規則五条一号の転用をしようとする者に対し、農地法四条一項本文により許可を受けなければならない農地の転用(以下法四条一項本文の転用という。)の場合に準じ、事前にその転用の届出を励行するよう行政指導しており、その転用者らにおいてこれに従いその転用の届出をしている。その届出は、従前は法四条一項本文の転用の許可申請の場合に用いる「農地法四条の規定による許可申請書」と題する書面によることとされていたが、昭和五七年一二月からは別に様式を定め、「農地法施行規則第五条第一号による届出書」と題する書面によることとされている(もつとも、本件申請は、なお右旧様式によつている)。(2)同農業委員会は、規則五条一号の転用の届出に対し、法四条一項本文の転用の許可申請の案件に準じ、総会において個別に議案として審議し、必要に応じ会長あるいは委員が届出者その他関係人から事情を聴取し、あるいは現地調査するなどしている。そして、その調査、審議は、届出にかかる転用が実際に規則五条一号に該当するものであるかどうか、及びその転用が隣接農地に障害を及ぼさないかどうかという観点からこれを行つている。(3)同農業委員会は、右調査、審議の結果、届出が規則五条一号の転用として相当であると認めたときは届出受理の議決をし、届出者に届出受理の通知をし(なお、同農業委員会では右届出受理の議決を許可申請案件に対する場合と同様に許可と呼称することがある。)、届出にかかる転用が法四条一項本文の転用の許可申請案件であると認めたときは、その許可申請として指導し、あるいは転用を取りやめるよう指導して該届出を取り下げさせている。以上の事実が認められる。ところで、右認定のように田原本町農業委員会が規則五条一号の転用について届出をさせ、これを調査、審議したうえ議決していることは、法令上の規定に基づくものではなく、慣行として事実上行つているものである。したがつて、右届出は法律上の義務ではなく、同農業委員会の行政指導に応じて任意になされているものと解すべきであり(このように解すると、所論のいうように右届出をさせることが違法であるとはいえない。)また、同農業委員会は右届出につき受理あるいは不受理の議決をする権限はなく、仮にその議決をしても法的には何ら意味を有するものではないといわなければならない。しかしながら、右認定のように同農業委員会が規則五条一号の転用につき届出をさせ、これを調査、審議することは、その届出にかかる転用が許可申請を必要とする案件である場合に、その許可申請を指導するという観点からは、農地転用の許可申請を進達し、意見を具申する職務(農地法四条二項、規則四条参照)と密接な関係を有するものとして事実上所管する事務であるとみることができる。また、違反転用防止という観点から考えると、法令上違反転用者に対し処分又は命令をなしうるのは都道府県知事(又は農林水産大臣)であり(農地法八三条の二、農地法施行令一九条)、農業委員会がその手続に関与することについては何らの規定もないが、農地等転用関係事務処理要領(昭和四六年四月二六日農林省農地局長通達四六農地B五〇〇)により、農業委員会は、農地法八三条の二の違反転用等の事案を知つたときは、速やかに事情を調査し、遅滞なく報告書を都道府県知事に提出するものとする旨示達されていることに基づき、違反転用事案を探知、調査して都道府県知事に報告すること及びその目的で規則五条一号の届出を調査、審議することは、やはり農地転用の許可申請を進達し、意見を具申する職務と密接な関係を有するものとして事実上所管する事務ということができる。そうしてみると、田原本町農業委員会が規則五条一号の転用の届出をさせ、これを調査、審議していることが法令上の根拠に基づかず、従前からの慣行により事実上行われている事務であるとしても、被告人が同農業委員会の委員として右事務に関与することは、その委員の職務に当たるものと解するのが相当である。関係証拠によれば、所論のいうように、奈良県下及び大阪府下の市町村の農業委員会には規則五条一号の届出をさせていない農業委員会あるいはその届出をさせてもこれを調査、審議していない農業委員会がかなりあることが認められるが、その事実は右判断を左右するに足るものではない。
したがつて、原判決が被告人の職務権限を認めて刑法一九七条一項前段を適用したことに所論の法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山中孝茂 裁判官髙橋通延 裁判官野間洋之助)