大阪高等裁判所 昭和61年(ネ)726号 判決 1988年9月30日
控訴人(第一事件原告、第二事件反訴被告) 藤井宗夫
<ほか五名>
右六名訴訟代理人弁護士 岡田尚明
同 西出紀彦
被控訴人(第一事件被告、第二事件反訴原告) 奥田三朗
<ほか九名>
右被控訴人一〇名訴訟代理人弁護士 木村吉治
同 河本成男
同 和田秀治
同 多田博行
主文
1 控訴人らの第一、第三事件に関する本件控訴を棄却する。
2 原判決中第二事件に関する部分を左のとおり変更する。
(一) 被控訴人奥田三朗、同奥田静子、同中村トシ子(第二事件原告ら)の第二事件主位的請求を棄却する。
(二) 控訴人藤井宗夫、同藤井幸子、同藤井豊、同藤井隆、同殿井キミは、被控訴人奥田三朗、同奥田静子、同中村トシ子に対し、原判決別紙物件目録一記載の土地の各五分の一の持分につき、昭和一四年一二月二七日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
(三) 控訴人藤井豊は、被控訴人奥田三朗、同奥田静子、同中村トシ子に対し、前記目録二ないし三各記載の各土地につき、昭和一四年一二月二七日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
3 訴訟費用中、第一、第三事件に関する控訴費用及び第二事件につき生じた訴訟費用は第一、二審とも、いずれも控訴人らの負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 控訴人ら
1 原判決を取消す。
2 (第一事件原告ら)
原判決第一事件請求の趣旨1ないし7各記載のとおりであるから、これを引用する。
3 (第二事件反訴被告ら)
原判決第二事件原告らの反訴請求をいずれも棄却する
4 (第三事件原告)
原判決第三事件請求の趣旨1記載のとおりであるから、これを引用する。
5 訴訟費用は第一、二審とも、第一事件については同事件被告らの、第二事件については同事件反訴原告らの、第三事件については同事件被告らの、各負担とする。
二 被控訴人ら
1 本件控訴はいずれも棄却する。
2 訴訟費用は控訴人らの負担とする。
第二当事者の主張
当事者双方の主張は、次のとおり補正、付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決一一枚目表八行目の「契約は、」の次に「後記七主張の事情に明らかなとおり、」を加え、同裏三行目の「間で、」の次に「以下の経緯から明らかなとおり、」を、同五行目の「締結した」の次に「(以下「本件売買契約」ともいう)」を、同行の次に以下のとおり、それぞれ加える。
「すなわち、畑松太郎(以下「畑」という)は、昭和一二、三年頃から本件各土地の近隣に居住し、亡治三郎からも、他の土地の地上げの依頼を三件位受けたことがあり、同人とは仕事上のつながりを有していた。また、亡吉田は本件各土地の近隣に店舗を構え、亡治三郎方に出入りし、亡治三郎も右店舗をよく訪問していた。畑は、亡吉田とは懇意な仲であったところ、同人より、亡治三郎から本件各土地の処分方を一任されている旨告げられ、折から購入土地を探し求めていた亡空一に右土地を紹介し、亡吉田と交渉の上、まず右土地上に建物を建て、しかる後に右建物とともに土地の売買契約を締結して、その所有権を移転するという手順を骨子とする、売買の合意が成立した。その後、畑は、具体的手続に関する亡吉田との交渉を、当時畑の店舗を使って業務をしていた坂田及び中村に委ねたところ、本件各土地上の建物が完成し、建物の保存登記とともに本件各土地の所有権移転登記手続を行う段階に至って、区画整理未了のため右登記手続ができないことが判明し、右手続ができるまでの権利保全の代替措置として、書面上売主を亡久宿林之助とする公正証書を作成することにした。」
二 同一二枚目表四行目の「(二)」の次に「(1)」を、同一一行目の次に「(2) 請求原因2(四)のとおり。」を、同裏一〇行目の「認否」の次に「及び主張」を、同一二行目の「(二)」の次に「(1)」を、同行の「否認する。」の次に「同(二)(2)及び同」を、同行の次に以下のとおり、それぞれ加える。
「(一) 本件土地の売買契約は極めて異常、異例である。すなわち、亡吉田が亡治三郎から右代理権を授与された事実はないうえ、亡空一は、本件土地につき、亡治三郎の代理人と称する亡吉田との間に、所有者でない久宿林之助から買い受けた旨の売買契約公正証書を作成した。亡治三郎を売主とする売買契約書を作成することに何ら支障はなかったのであるから、仮に亡治三郎が亡吉田に本件売買の代理権を授与していたとすれば、右のような他人を売主とする公正証書を作成する筈がなかった。
亡空一は、本件土地の購入を欲したところ、所有者である亡治三郎の承諾を得ることができなかったため、やむを得ず、ただちに本件土地の所有権を取得するものではないことを熟知しながら、久宿林之助を売主として、他人所有の土地の売買契約を締結したに過ぎない。
(二) 本件売買契約の対象物件は、亡空一と久宿林之助間の不動産売買契約公正証書(以下「本件公正証書」ともいう)によれば、「大阪府北河内郡守口町大字土居六八〇番、同所六九九番、同所七〇四番の内一〇〇坪」であるところ、本件一の土地は、控訴人ら訴訟代理人岡田が控訴人らに指示して、大阪府守口市金下町二丁目一七番二の土地(以下「一七番二の土地」という、以下同町内の土地はすべて地番のみで表示)のうち、明らかに本件係争部分に含まれない部分(訴外納ますのへの賃貸部分)を現実より狭く残して、その余の部分を一七番五として分筆したものであり、本件一の土地全体を被控訴人らが占有しているものではなく、仮に本件売買契約が成立するとしても、本件一の土地全体がその対象物件であったわけではない。その余の本件各土地についても、換地前の地番は、本件二の土地が大字土居(字西ノ丸)五一番地の二(甲第二三号証の二)、本件三の土地が同所六八三番(甲第二二号証の二)、本件四の土地が同所(字屋敷浦)六八二番(甲第一九号証の二、第二〇号証)であり、本件公正証書上の地番とはいずれも対応しない。したがって、本件各土地は本件売買契約の対象物件ではなかった。」
三 同一二枚目裏一〇行目末尾に「及び反論」を、同一三枚目表三行目の次に以下のとおり、それぞれ加える。
「亡空一は、昭和一四年九月一二日頃、亡治三郎の亡空一に対する借地権の設定により、本件土地の占有を開始したものであり、所有の意思に基づかない他主占有であった。すなわち、亡空一は、昭和一四年九月一二日、大阪府知事宛に本件建物の建築届を行ったが、右届出書に、敷地として亡治三郎所有の大阪府北河内郡守口町大字土居六八〇番地、同六九九番地、同七〇四番地を記載し、建築主は、本件建物建築のために右敷地につき、亡治三郎から借地権の設定を受けた旨記載した(乙第二号証)。したがって、亡空一は、右届出日の頃に、借地権に基づいて本件土地の占有を開始したとして、本件建物の建築に着手したものである。
そうすると、たとえ亡空一が、その後の昭和一四年一二月二七日、本件土地の売買契約を締結したとしても、亡空一は、それ以前に他主占有を開始し、右久宿も亡吉田は本件土地を占有していなかったことは明らかであるから、右売買契約に基づいて、亡空一に対して本件土地の占有が移転することはありえないうえ、自己に占有をなさしめた者に対して所有の意思あることを表示しない限り、自主占有への転換はあり得ないところ、亡治三郎や控訴人らに対する右表示を行わなかったから、本件売買契約を新権原とする、他主占有から自主占有への転換は起こり得ない。
さらに、亡空一は、本件建物の保存登記すら行わず、亡治三郎及びその相続人に対して、本件土地の所有権移転登記手続を求めたり、公租公課の支払を行うなど、真の所有者ならば当然なすべき行為を長期間まったく行わなかった。
また、仮に右転換が認められるとしても、外形的客観的には何ら占有の移転変更を伴わないのであるから、亡治三郎を含む第三者にとっては、右転換を知ることはできなかった。したがって、右のような占有は公然の占有と言うことはできない。」
四 同裏三行目末尾に「及び控訴人らの前記四3の反論に対する反論」を、同四行目冒頭に「1」を、同行の次に以下のとおり、それぞれ加える。
「2 控訴人らの前記四3に対する反論
(一) 亡空一は、昭和一四年一二月二七日、自主占有を開始した。すなわち、同人は、土地価格が坪当たり一五ないし二〇円であった当時において、本件各土地を、遅くとも昭和一四年一二月二七日には、亡吉田を通じて、亡治三郎から、建物価格も含め、代金四五〇〇円で買い取って(乙第一号証)、その占有権原を取得して、本件土地の占有を開始し、その後本件建物の完成した昭和一五年五月一〇日頃には、本件建物をその所有者として占有するに至ったものである。
(二) 亡治三郎ら控訴人側は、後記七主張の事情に明らかなように、亡空一が本件各土地の所有権を取得して、占有管理をしていることを十分了知していた。
(三) 亡空一は、後記七主張のとおり、控訴人ら主張の時効期間開始当時より、時効完成に至るまでの間、本件各土地の所有権移転登記を受けるために、畑、亡吉田及び控訴人方に幾度も足を運び、その協力を要請するなど、所有者たるにふさわしい行動を行っていた。」
五 同四行目冒頭に「2 再抗弁2の事実は」を、同五行目の次に以下のとおり、それぞれ加える。
「1 控訴人らは、本件各土地について、亡空一への売却処分の詳細な経緯は知らなかったとしても、既に昭和一四年頃に、亡治三郎から亡空一に売却され、同人及びその相続人らが、右取得した所有権に基づいて本件各土地を占有・管理し、もしくは少なくとも同人及びその相続人らが、本件各土地につき、所有の意思をもって占有管理している事実を十分に知っていた。
(一) 本件売買契約当時、本件各土地を含む近隣一帯の土地は区画整理中であったが、右区画整理開始前、本件各土地に隣接もしくは一部重なる土地上に、藤井家代々の居住家屋(以下「藤井家旧母屋」という)が存在したものであり、亡治三郎は、右区画整理開始後、藤井家旧母家から、本件土地と極めて近い、控訴人現住所地(以下「藤井家新母屋」という)に転居した。
(二) 亡治三郎は、昭和一三年三月四日、西田藤三郎から、現一七番五の土地(約五〇坪)を、その東側に隣接する現一七番二の土地(約八三坪)と一体の土地として、代金四三八九円で購入したものであるが(甲第三号証)、土地台帳上も、七〇五番の一ないし五の五筆の土地として記載され(甲第一一号証、第二六ないし第二九号証)、右契約当時は右のように二筆の土地に区分される事情はなかったが、その後同年一二月六日、亡治三郎は、右購入土地の東側約八三坪のみを納ますのに賃貸し、同人は右土地上に建物を新築した(甲第七号証の一)。その他の本件各土地は、本件一の土地に隣接し、亡治三郎が、右西田からの購入と同日に、名田こはるから購入した約三〇坪と、亡治三郎が以前より所有してきた約一七・〇九坪である。したがって、右賃貸以降今日まで、亡ムメまたは控訴人殿井キミらは毎月右納方を訪れて地代を徴収してきたものであり、控訴人側は、藤井家旧母屋のあった本件各土地の使用収益状況を日常目にしていた。
(三) また、本件各土地の西隣りの現一二番及び同番三の各土地は亡治三郎の古くからの所有に属し、同地上建物には、控訴人方とは、分家にあたり親しく交際していた藤井丑松、同福太郎、同諭らが古くより今日に至るまで居住してきたから、亡空一が本件各土地に不法に建物を建築したとすれば、控訴人側も知らない筈がなかった。
(四) 亡空一は、右(一)ないし(三)の状況において、昭和一四年末頃、本件各土地の上に、各戸玄関脇に前栽を備え、松の木を植えた一棟六戸という、当時としてはかなり大規模で立派な建物を新築し、以降今日に至るまで四〇数年間六世帯の家族が本件各建物を生活の本拠として公然と占有使用し、平穏に暮らしてきた。
(五) 昭和一七年一月作成の、亡治三郎作成名義の所有地明細書綴(甲第一四号証)には、本件各土地が、当時登記簿上同人の所有名義であったにもかかわらず、記載から除外されているが、右事実は、当時控訴人側においても、本件各土地を他に売却処分してしまったことを明確に認識していたことを示している。
(六) さらに、控訴人側は、亡空一が昭和一四年末頃に本件各土地上に本件建物を新築して以来昭和五八年までの四四年間、亡空一及び被控訴人らに対して、本件各土地の占有使用、その権原及び収益状態につき、一度も意議の申し入れや事実確認の問い合わせをしたことがなく、逆に本件各土地付近の地代の徴収を行っていた亡治三郎の妻亡藤井ムメ(以下「亡ムメ」という)は、畑松太郎に、本件四の土地と控訴人側所有の一二番の土地との境界につき問い合わせにきたことがあり、これらの事実もまた、控訴人側、とくに亡ムメ及び控訴人キミが、本件各土地が既に控訴人側の所有に属さないことを知悉していたことを示している。」
六 同六行目冒頭の「1」を「2」と改める。
七 同一四枚目表五行目の「そこで、」の次に「亡空一は、昭和二四年、本件四の土地上の建物を被控訴人横川に売却する際に、控訴人方を訪れて、亡ムメに対して、右登記手続への協力を求めたが、同人は言を左右にして応じないまま、話し合いは物別れに終わり、また、昭和三四年頃にも、控訴人方を訪れて、控訴人喜代枝及び同宗夫に対して、右協力を求めたが、同控訴人らはこれに応じなかった。」を加え、同行の「及び」を「の死亡後、」と改め、同六行目の「直接、あるいは」を除き、同行の「健二ら」を「健二(以下「藤井司法書士」という)に依頼して、本件各土地の測量を実施したうえ、同人」と改め、同八行目の「昭和」から同末行までを「控訴人側に高島弁護士がついた後には、同弁護士とも折衝したが、昭和四三年一二月、藤井司法書士が死亡し、同控訴人らも、昭和四〇年頃、一旦は右登記手続に協力することを応諾しながら、公図訂正ができないことを口実にして、右登記手続に応じないまま、事態は進展しなかった。」と、同裏一行目から同一二行目までを以下のとおり、それぞれ改める。
「3 控訴人喜代枝は、本件各土地のほか、先祖代々の所有土地を三〇〇〇ないし四〇〇〇坪所有している。控訴人らは、本件各土地の贈与につき、相続税対策と主張するが、本件各土地以外の広大な土地をそのままにして、藤井家の所有土地目録(甲第一四号証)から外され、争訟中でかつ他人名義の建物が建ち収益も上がらない本件各土地を、相続税対策の対象土地として選択することはまったく不合理である。
4 控訴人喜代枝は、昭和五八年一月二一日、公図訂正後の元一七番二の土地から、第三者に賃貸中の部分を除いて、本件一の土地を分筆し、その翌日の同月二二日、間髪を入れず、その余の控訴人らに共有持分各五分の一を贈与して、所有名義を変更し、一七番二の土地は控訴人喜代枝名義のままに残したが、控訴人ら訴訟代理人岡田は、右分筆の理由を、元一七番二の土地から本件一の土地を被控訴人らの現実の占有面積よりやや広い目に測量して、後日の明渡執行において、現実の占有範囲の方が明渡執行部分よりも広いことによるトラブルの発生を未然に防ぐことにし、かつ本件一の土地全体を被控訴人側が時効取得することがないようにしたと報告しており(甲第三八号証)、右報告書からも、控訴人らが、右分筆に伴う所有名義の変更によって、被控訴人らの権利覆滅を目論んだことは明らかである。
5 控訴人豊は、本件二ないし四の各土地の贈与を受けた昭和五六年当時、二一歳の学生であり、控訴人宗夫、同キミ及び同隆が、本件一の土地の共有持分の贈与を受けた昭和五八年当時、控訴人隆は一七歳の未成年であり、控訴人キミは八〇歳の隠居の身であった。控訴人宗夫以外の、右各贈与を受けた控訴人らは、贈与税も支払わず、本訴提起の前後を通じて、控訴人らの代理人との接触もほとんどなく、真実贈与を受けた権利者としての固有の行動をまったく示していない。また、右贈与を受けた控訴人らは、控訴人喜代枝の配偶者、独立前の子、老齢の母であり、右贈与当時、いずれも同控訴人と同居しつつ、生計を一にする家族であり、被控訴人らの登記欠缺を主張する手段としての単なるワラ人形に過ぎず、経済的に同一体の関係にあった。
6 以上の事実によれば、控訴人らは、本件各土地が既に亡治三郎により亡空一に売却され、あるいは少なくとも亡空一が時効取得によりその所有権を取得したことを十分に了知しながら、自ら訴訟を提起して法的に有利な立場に立つことを画策し、登記簿上亡治三郎の相続人である控訴人喜代枝の所有名義になっていることを奇貨として、他になんら所有名義を変更する理由はないにもかかわらず、被控訴人らの所有権者としての主張を封じ、被控訴人らの法的地位を覆滅させる意図の下、極めて不当な利益を得るだけの目的で、家族ぐるみ一体となって、通謀のうえ、控訴人喜代枝から、同控訴人と経済的に同一体の関係にあり利益を共通にする家族であるその余の控訴人らに登記簿上の所有名義を変更したものであり、右のような経過の下に右登記名義を取得した右控訴人らはいわゆる背信的悪意者に該当し、同控訴人らが被控訴人の本件各土地の登記欠缺を主張することは信義則に反し、許されない。」
八 同一五枚目表一行目の「事実」の次に「は否認する。同2の事実」を加え、同五行目の「2」を「3」と改め、同六行目末尾に「同4ないし6の主張を争う」を加える。
九 同一六枚目表一二行目の次に以下のとおり加える。
「3 以上のような経緯の下で、いつ間にか被控訴人三朗らが本件土地上に建物を所有しており、その土地占有権原がまったく不可解な状況において、控訴人喜代枝は、被控訴人らは不法占拠者に違いないと信じ、かつ被控訴人側から時効取得の主張を受けておらず、かつ取得時効が完成しているとの認識もなかったが、本件控訴人らが訴訟代理人弁護士から、時効の成立の可能性の示唆を受けて、単に時効成立の危険性を感じて、同弁護士から、第三者への売却を示唆されながら、右示唆に反して、身内である他の控訴人らに対して、相続税に対する節税対策もかねて、本件贈与を行ったものである。
受贈者である控訴人豊は、親がくれるものをありがたく頂戴しただけであって、本件についての詳しい経過はまったく知らず、単に後日次々と贈与を受けるに至って、相続税の節税対策であると察知したに過ぎない。
控訴人宗夫、同隆、同キミ、同幸子についても、被控訴人側の時効が完成しているとの認識がないまま、贈与を受けたものであり、背信的悪意はなかった。単に控訴人宗夫において、右時効成立の危険性を感じていただけである。
仮に被控訴人側において取得時効完成による所有権取得の可能性が存在したとしても、時効完成後の原権利者からの譲渡により二重譲渡の問題として処理されるべき事態であるから、控訴人らが、自己の権利を保全するために、被控訴人側から右時効の援用がなされない時点において適切な措置を講ずることは正当な権利の行使に過ぎず、何ら背信的要素は存在しない。
また、仮に、右控訴人らの内に背信的悪意のある者がいたとしても、共有者の一人でも善意者であれば、被控訴人らの本再抗弁は成立しないと言うべきである。」
一〇 同一六枚目表末行の「第一」を「第二」と改め、同裏二行目の「(」から同三行目の「(一)」までを除き、同四行目の「(二)」を「2 (主位的請求原因)」と、同五行目の「2」を「3」と、同七行目の「3」を「4」とそれぞれ改める。
一一 同一七枚目表五行目の「(一)」を除き、同行の「(二)」を「2」と、同七行目の「2」を「3」と、同九行目の「3」を「4」とそれぞれ改める。
第三証拠関係《省略》
理由
第一 第一及び第三事件について
一 請求原因1及び抗弁1について
1 請求原因1(一)の事実は、当事者間に争いがない。
2 請求原因1(一)の事実、《証拠省略》を総合すると、亡治三郎は、その長女控訴人キミの長女である控訴人喜代枝との間に、昭和一一年二月養子縁組を行い、昭和一五年三月一一日死亡したこと、同控訴人は、家督相続により、亡治三郎の権利義務の一切を承継したことが認められ、右認定を覆すに足る証拠は存しない。したがって、請求原因1(二)の事実が認められる。
3 《証拠省略》によれば、請求原因1(三)、(四)の各贈与契約を締結した事実が認められる。
被控訴人らは、右各贈与契約が通諜虚偽表示であるとして、その根拠をるる主張する。右主張事実は、後記五認定判示のとおり、概ね認められるが、右事実自体は、後記背信的悪意者の抗弁を根拠づける事実たりえても、冒頭掲記の各証拠に照らして、ただちに控訴人らが、真実贈与契約をなす意思をもたず、単に被控訴人らの時効の主張を排斥するための手段として、右各贈与を行った事実の存在を証明するものとは言えず、本件全証拠によっても、通諜虚偽表示の事実を認めることはできないと言うべきである。
したがって、抗弁1は理由がなく、請求原因1(三)、(四)の各事実が認められる。
二 請求原因2について
当事者間に争いがない。
三 抗弁2(売買)について
次のとおり付加、補正するほかは、原判決理由第一の三記載のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決一九枚目表六行目の「、第一〇、第二〇」と、同一二行目の「同」から同末行の「二」までと、同裏三行目の「原告」から同四行目の「号証、」までと、同一〇行目の「原告」から同一二行目の「)、」までをいずれも除き、同末行の「三郎」を「三朗」と改める。
2 原判決二〇枚目表三行目の「五月三日、」を「当時、一体として、守口市区画整理事業の対象土地であったが、同年五月三日、大阪府北河内郡守口町大字」と改め、同六行目の「設定され」の次に「たが」を、同七行目の「により、」の次に「それぞれ順次」をそれぞれ加え、同一〇行目の「一七番二の土地」の次に「(四三五・三一平方メートル、以下「旧一七番の二」という)」を加える。
3 同二一枚目表四行目の「西ノ九五一」を「西ノ丸五一」と、同裏一二行目の「土地は、」の次に「土地及び一七番二の土地は一体として」と、同末行の「一四日」を「四日」とそれぞれ改め、同行の「一七番二の土地とともに」を「区画整理後の予定」と改める。
4 同二二枚目表二行目の「円」の次に「(同月一四日支払)」を加え、同六行目の「昭和一三年三月五日」を「右西田との売買契約と同日に」と、同裏一行目の「五〇メートル足らず」を「数百メートル」とそれぞれ改める。
5 同二三枚目表四行目の「一二月」から同六行目の「ところが」までを「九月頃、亡空一が亡治三郎から本件各土地を、売主側が同地上に建物を建築して、右建物ごと、代金四五〇〇円で買い取る旨の合意が成立し、後記(七)のとおり、本件五ないし一〇の建物の建築工事着手を見た後、同年一二月二七日、売買契約を締結し、右契約にあたり」と改め、同一一行目の「表示を」の次に「、いずれも図面上前記土地区画整理の従前地として本件各土地の範囲内に属すると思われた」を加え、同裏二行目の「他方」から同四行目の「通じて」までを「亡吉田は、亡空一の希望する賃貸家屋を建築することとして、」と、同末行から同二六枚目裏一行目までを以下のとおり、それぞれ改める。
「2 以上によれば、亡空一は、亡治三郎の代理人と称する亡吉田との間に、昭和一四年一二月二七日、代金四五〇〇円で、亡空一が亡治三郎から本件各土地を買い受ける旨の売買契約を締結したことが認められる。したがって、抗弁2(一)の事実が認められる。
そこで、亡吉田の代理権の存否(抗弁2(二))を見るに、前記認定のとおり、亡吉田は亡空一に対し、亡治三郎から本件各土地の売却に関し一切を委任されている旨述べた事実は認められ、また《証拠省略》によれば、亡治三郎の死亡前から、同人の所有財産の管理を事実上行っていたムメが、亡治三郎とともに行い、前記西田及び名田との各売買契約及び前記納に対する賃貸借契約も同人らが行ったこと、亡治三郎は、前記西田から一体として購入し、当時整地された更地であった土地一三三坪を区分して、右納にその一部を賃貸したこと、その後治三郎及びムメにおいて、右納への賃貸後の残地が、同人らが賃貸借契約を締結していない他人によって建物が新築され、使用収益されている事実を容易に知りえたことが認められるうえ、《証拠省略》によれば、同号証(藤井治三郎所有地明細書綴)は、昭和二五年頃まで不動産管理をしていた、亡治三郎の妻ムメがその作成に関与したものと認められるところ、右書面には金下二丁目一四ノ二の土地として、「八三坪、貸付氏名納マスノ、区画整理後買ふた土地」とのみ記載され、本件各土地については記載されていないことが認められ、以上の事実を総合すると、亡治三郎は、亡吉田に代理権を授与して、本件各土地を売却したと解することにかなりの合理性が存することは否定し難い。しかしながら、本件全証拠によっても、亡吉田が、本件各土地の前記売買契約にあたり、亡空一に対して、自己の代理権を証する書面を提示し、あるいは所持していた事実、前記公正証書作成にあたり、売主の名義を久宿林之助とした具体的理由及び当時亡治三郎名義で売買契約書を作成しえなかった理由ないし必要性がいずれも認められないことを考慮すると、なお亡治三郎が亡吉田に対して右代理権を授与した事実を認むべき証拠は存在せず、結局本件全証拠によっても抗弁2(二)の事実は認めることができないと言うほかはない。」
四 抗弁3及び再抗弁1について
1 そこで、抗弁3及び再抗弁1の成否について見るに、《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
(一) 亡空一は、昭和一四年一二月二七日、前記売買契約締結及び代金四五〇〇円の支払とともに、右契約にしたがって、本件各土地の引き渡しを受け、昭和一五年五月頃、前記松川から、その頃完成した本件五ないし一〇の建物の引き渡しを受けた後、これを他に賃貸した。右売買当時の、付近土地の地価は、坪あたり一五円ないし三〇円であった。その後、亡空一は、亡吉田と交渉して、本件各土地建物の登記手続を求めたが、本件各土地、とくに本件一の土地の区画整理後の地番が確定せず、その該当登記簿が判然としないまま、同人が昭和二一年に不動産業を廃業して果たさず、昭和二四年頃には、本件一〇の建物を被控訴人横川に売却する話が出た際、亡空一がムメに面談して、所有権移転登記を求めたが、承諾を得られなかった。その後、亡空一は、昭和三四年頃、控訴人喜代枝、同宗夫らに会って、移転登記を求めたが、事情を知らない同控訴人らはこれを拒絶した。亡空一は、昭和二九年三月三〇日、右建物を被控訴人横川に売り渡し、その頃から、同建物の敷地である本件四の土地を同被控訴人に賃貸して、その収益を取得してきた。
(二) 被控訴人三朗ら亡空一の相続人は、同人が昭和四一年七月二九日死亡した後、遺産相続の関係で、所有権移転登記を亡藤井司法書士に依頼し、同人は、昭和四一年頃、右交渉のため控訴人方を訪問して、本件一の土地及び一七番二の土地の売買契約書及びムメが作成した代金授受に関する覚書を見せられ、これを書き写してきた。その直後、同控訴人らが高島三蔵弁護士に調査を依頼したので、藤井司法書士は同弁護士と交渉したが、やはり所有権移転登記を得るに至らないまま、同司法書士は死亡するに至った。
(三) 前同被控訴人らは、亡空一の死亡に伴う相続税の申告の際、当初本件各土地及び建物の申告を省略したが、その後修正申告により、本件各土地及び建物の分として、七九万二〇〇〇円を計上して、当初の税額二九三万八九一〇円から三六〇万九二〇〇円に修正された額を納付したが、本件各土地の固定資産税は、亡空一の本件各土地の前記売買契約以降今日に至るまで、控訴人方で支払い、被控訴人らは支払っていない。
(四) 他方、亡治三郎は、藤井家代々の母屋の敷地であった本件一ないし三土地等が区画整理によって、整地され空地であったところ、区画整理組合から購入を勧められ、同組合長であった前記西田及び前記名田から買い受け、その頃、亡治三郎自身が、本件三の土地の南西に隣接する二二番一の土地を藤井諭に売却し、さらに、亡治三郎は、昭和一三年一二月六日、右西田から購入した一三三坪から八三坪を区分して、納に対し、建物所有を目的として、存続期間二〇年間の約定で賃貸し、かつ公正証書も作成した。亡治三郎の妻ムメは、右西田及び名田との間の売買契約及び納に対する賃貸借契約に自ら関与し、かつその後の納からの賃料徴収を行って、右西田及び名田から買い入れた土地の所在及び状況を知悉していた。納はその後、右土地上に賃貸用建物を新築し、右建物の位置は現在まで変わっていない。
(五) ムメは昭和二五年頃まで、控訴人喜代枝の養母として、同控訴人の財産管理を行ったが、昭和二一年一二月二〇日、控訴人喜代枝の親権者母の資格で、枚方税務署に対し、一四番二の土地一五三坪につき、亡治三郎が守口土地区画整理組合から買い取ったとして土地台帳所有者名義登載方申請書を提出し、以来本件各土地の固定資産税を支払ってきた。
(六) 控訴人キミは、亡治三郎とムメの三女であるが、旧母屋で育ち、殿井徳三と結婚して同所を出たが、昭和三年頃、跡取り代わりに、亡治三郎らの居住する新母屋の近くに移り、以後、食事をともにし、亡治三郎の死亡数年前から賃貸不動産の管理を行ってきたムメの指示にしたがって、その家賃地代の集金に従事し、前記西田との売買の代金支払時にも立ち会い、本件各土地の所在及び状況を知悉していた。
(七) 亡治三郎、ムメ、控訴人キミ及びその他の控訴人らは、亡空一が本件五ないし一〇の建物を建築して以来本訴提起前の調査申立に至るまで、亡空一及び被控訴人らに対して、本件各土地の占有使用に関して、異議を述べたことはなかった。
2 右1認定の事実に、当事者間に争いがない請求原因2の各事実、前記三1認定の事実を総合すると、亡空一は、本件各土地を昭和一四年一二月二七日買い受けることにより、本件各土地の所有権を取得したと考えて、所有の意思をもって、その占有を開始し継続したと認められる。
もっとも、控訴人らは、亡空一及びその相続人らは、本件各土地の固定資産税を支払っていないことを主張するが、右事情は、本件各土地の占有開始後の事情であるうえ、前記1及び三1認定の各事情によれば、本件各土地の登記関係の確定それ自体が困難であって、控訴人ら側としても、昭和四一年以降の前記高島弁護士の調査によってもなお右確定を果たし得ず、昭和五八年以降の控訴人ら訴訟代理人岡田弁護士の再度の調査及び手続の尽力によって、ようやく公図訂正、所有権登記が実現した経過に照らし、右不払いの事実は、前記判断を左右するに足りないと言うべきである。
また、控訴人らは、本件一の土地につき、本来の広さより広い範囲で本件一の土地の分筆登記を行ったと主張し、成立に争いがない甲第三八号証には右主張に沿う記載の存在が認められるが、右記載自体具体的な説明を欠くうえ、《証拠省略》によれば、旧一七番二の土地は、昭和一二年五月三日、七〇四の五として地番設定されたが、右当時の地積は三二・〇八坪であったところ、昭和二四年八月一日町名改称による地番更正により一七番二とされ、地積は八三・四〇坪とされたこと、昭和三〇年二月一日、控訴人喜代枝が家督相続により右土地の所有権移転登記を受けたときの地積は八二・七一坪であったこと、その後昭和五八年一月二一日、二〇番一四、同番一五、同番一六(地積合計約七五・一六坪)が合筆された結果、地積は四三五・三一平方メートル(約一三一・六八坪)となったが、同日本件一の土地(一六七・六四平方メートル、五〇・七一坪)が分筆されて、二七一・〇七平方メートル(八一・九九坪)となったものである。以上の経緯に照らすと、現一七番二の土地の地積は、右昭和三〇年当時の一七番二の土地の地積に照らして、わずかに二・三五平方メートル減少したに過ぎないうえ、本件各土地の公簿上の地積は合計三二五・八九平方メートル(約九八・五八坪)であり、亡空一の前記売買契約の対象物件の契約面積一〇〇坪にほぼ相当することを考え合わせると、甲第三八号証の前記記載はにわかに措信できないというべきであり、本件一の土地につき、控訴人ら主張のような増加分が存在することを認めることはできない。
さらに、控訴人らは、亡空一の占有は、昭和一四年九月頃開始し、かつその占有は、亡空一が亡治三郎からの借地権設定を受けた他主占有であった旨主張し、たしかに乙第二号証が存在するが、前記三認定事実によれば、本件五ないし一〇の建物は、その建築を請け負った松川義雄が、自己の名で建築届を行い、亡空一と亡治三郎間の売買契約が未了で、敷地部分はなお亡治三郎の所有であったことから、自己が同人から借地権設定を受けて建築する形式をとったに過ぎず、右建築届は亡空一が行ったものではないので、《証拠省略》により、ただちに亡空一が昭和一四年九月頃、本件各土地の占有を開始したことを認めることはできず、他に右主張を認めるに足る証拠はない。したがって、右主張は理由がない。
以上によれば、亡空一は、本件各土地全体につきその占有の初めより自主占有してきたことが認められる。
3 そうすると、亡空一は、昭和一四年一二月二七日、本件各土地を買い受け、その引き渡しを受けて以来、所有の意思をもって、平穏かつ公然に本件各土地を占有管理し、かつ占有の初め善意であったと言うべきであるが、本件全証拠によっても、亡空一は本件各土地の前記売買契約にあたり、亡治三郎が亡吉田に右契約のための代理権を授与したことを信じたことにつき過失がなかったことを認めることはできない。そうすると、亡治三郎は、右占有を継続することにより、右占有開始より二〇年後の昭和三四年一二月二七日の経過をもって、本件各土地の所有権を時効取得したと認めるのが相当である。
4 抗弁3(二)(2)、(三)及び同4の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
五 再抗弁2について
当事者間に争いがない。
六 再々抗弁について
1 《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
(一) 控訴人喜代枝(昭和七年頃生)と同宗夫は夫婦であり(昭和三〇年二月結婚)、同キミは同喜代枝の母(明治三一年五月六日生)、同豊(昭和三四年三月二六日生)、同幸子(昭和三二年三月一二日生)、同隆(昭和三九年七月九日生)はいずれも同喜代枝、同宗夫の子であり、各贈与当時、控訴人らはすべて新母屋において、家計を共にして同居する家族であった。
(二) 控訴人喜代枝は、昭和三〇年二月一日、一七番二の土地につき所有権移転登記を行った。
(三) 控訴人喜代枝は、成人後まもなく控訴人キミから、本件一の土地につき登記ができなくて困っていることを聞き、控訴人宗夫も、昭和三〇年の結婚後まもなく控訴人キミから同様の相談を受け、本件一の土地につき登記上の問題が存在することを知り、昭和四一年頃には、藤井司法書士と会って、被控訴人三朗ら亡空一の相続人が本件各土地の所有権を主張していることを明確に知ったものの、控訴人喜代枝、同宗夫は、亡治三郎が亡空一に対して、本件各土地を売却した資料が存在しないため、亡空一が本件土地を不法占拠していると考え、再び弁護士に依頼することを決意し、本訴訴訟代理人弁護士岡田に、昭和五六年三月頃、本件一の土地及び一七番二の土地につき、公図上の記載地番に対応する登記がないこと、本件各土地上に他人所有の建物があることを告げて、右法律関係を調査してほしい旨依頼したところ、その頃調査を開始し、その結果被控訴人らの占有状況を知った同弁護士は同控訴人らに対し、被控訴人側からの時効の主張が出されると、本件各土地の所有権を失う危険があることを説明したうえ、第三者に売却すれば、右時効の主張を回避できる旨示唆した。
(四) 控訴人喜代枝は、前記弁護士の説明により、被控訴人らにつき、時効の成立の可能性があることを知り、先祖代々の土地として、長男の控訴人豊にどうしても所有権を確保したいと考えて、贈与すれば土地は守れると考えて、控訴人宗夫と相談のうえ、同弁護士の指導を求めたところ、同弁護士は、身内であっても、控訴人喜代枝が権利の上に眠っていないことの証左となるので、同控訴人が右贈与を希望するなら、それもやむを得ないと答えた。そこで、同控訴人は、昭和五六年九月二五日、所有権移転登記が可能であった本件二ないし四の各土地を控訴人豊に贈与し、同日その旨の登記を経由した。同控訴人は、当時二二歳、大学四年生であったが、控訴人喜代枝から、岡田弁護士に相談していることを知らされ、右贈与を受ける土地上に被控訴人ら所有の建物があることを知っていた。
(五) 控訴人喜代枝、同宗夫は、なお登記関係が整備されておらず、所有権移転登記ができない本件一の土地につき、岡田弁護士に対して、右登記ができるように手続を求め、同弁護士も、本件一の土地につき、公図の訂正、登記簿の整備ができ次第、被控訴人らに対して明渡訴訟を提起する目的で、右手続に鋭意努力した結果、昭和五八年一月二一日、職権による公図訂正を受けることができた。そこで、右翌日、控訴人喜代枝は、控訴人宗夫と協議のうえ、前記(四)と同様の考えから、控訴人喜代枝以外の控訴人五名に対し、各共有持分五分の一を贈与し、同日その旨の登記を経由した。
(六) 控訴人喜代枝は、本訴提起後三年余を経過した昭和六二年一一月一日贈与を原因として、控訴人隆に対し、守口市土居町四番宅地(一五八・七四平方メートル)の共有持分二分の一を、控訴人豊に対し、同市祝町一三番一宅地(八九・一九平方メートル)を各贈与し、同月一三日いずれも所有権移転登記を了したが、約三〇〇〇坪の控訴人喜代枝の不動産のうち、同控訴人が贈与したものは、右二筆の土地及び本件各土地以外にはない。
(七) 亡ムメは、昭和一七年頃作成した「藤井治三郎所有地明細書綴」に、亡治三郎所有土地として総面積約五七〇〇坪(約一万八〇〇〇平方メートル)の不動産を記載したが、金下二丁目一四ノ二の土地として、「八三坪、貸付氏名納マスノ、区画整理後買ふた土地」と記載したのみで、他の部分については記載しなかった。
2 《証拠省略》中には、控訴人キミに贈与したのは、同控訴人が苦労したこともあり、同控訴人に自由に使用できる財産を与えたいと考えてのことであった旨の供述部分があるが、控訴人喜代枝が控訴人キミに対して右のような考慮から贈与を行うのであれば、キミが即時売却しあるいは賃貸して収益を享受できる不動産を贈与するのが当然であって、右贈与当時本件各土地はそのような自由な使用の可能な資産ではないことは、控訴人喜代枝らにとって明白であったから、《証拠省略》に照らして、右各供述部分は到底措信できない。
さらに、控訴人らは、右各贈与の目的は、右取得時効の主張回避の目的以外に、控訴人喜代枝の遺産に関する将来の相続税の軽減の対策の目的もあり、贈与税の負担を軽減するために、順次贈与することにしたに過ぎないことを主張し、《証拠省略》中には、右主張に沿う各供述部分の存在が認められるが、控訴人喜代枝の財産は約三〇〇〇坪という膨大なものであるにもかかわらず、昭和五六年の第一回の贈与以降昭和五九年一一月の本訴提起に至るまでの間に、控訴人喜代枝が自己の相続人らに贈与したのは、本件各土地だけであり、右各贈与が相続税対策として有効な措置とは到底言えないことに照らして、右供述部分は措信できず、右主張は到底採用し難い。もっとも、同控訴人は、昭和六二年に、本件係争物件以外の二筆の土地を控訴人豊、同隆に贈与した事実が認められるが、右贈与は本訴提起後であり、かつ背信的悪意者の抗弁提出後になされたものであり、前記判断を左右するに足りない。
《証拠判断省略》
3 右2認定事実に前記三1及び四1各認定事実を総合して、本抗弁の成否を案ずるに、昭和二五年頃まで控訴人喜代枝の財産を管理していたムメ、及び昭和三年頃から亡治三郎の跡取り代わりとして、同人と同居同然の生活をし、同人の死亡前数年前頃からムメの指示にしたがって、亡治三郎の賃貸不動産の賃料徴収の仕事を手伝っていた控訴人キミの両名は、前記認定のとおり、本件各土地が亡治三郎及び控訴人喜代枝の所有財産であることを知り、かつ亡空一による本件各土地の占有開始、本件建物の建築、その使用収益の状態を知りながら、同人に対して、その占有につき異議を述べ、あるいは訴訟等の法的手段によって、亡治三郎の本件各土地に関する法的権利を明確にすることなく長年放置したこと、控訴人喜代枝はその成人後、控訴人宗夫は控訴人喜代枝との結婚後、本件各土地の登記及び地番と実地の関係が錯綜している事実を知り、ついで、昭和四一年頃には、被控訴人三朗ら亡空一の相続人が本件各土地の所有権を主張している事実を知ったものの、亡治三郎が亡空一に本件各土地を売却した資料が存在しないため、同被控訴人らの所有権移転登記手続への協力の申し出を拒んだこと、右両控訴人は、昭和五六年には、控訴人ら訴訟代理人弁護士岡田に、本件各土地の法律関係の調査を依頼して、同弁護士から、同被控訴人らの取得時効成立の可能性を説明され、かつ右時効の成立は本件各土地を第三者に処分することによって回避できることを示唆されるや、両控訴人相談のうえ、控訴人喜代枝が亡治三郎から相続した財産を守るべく、被控訴人らの取得時効の主張を回避することによって、控訴人一家に本件各土地の所有権を確保することのみを目的として、まず、即時所有権移転登記が可能であった本件二ないし三の土地を、控訴人豊に贈与し、ついで、同弁護士の尽力により本件一の土地の登記簿が整備されるや、ただちに自己以外の控訴人五名に贈与したことが認められる。
さらに、控訴人ら全員は、右各贈与当時、家計を共にする同居の家族であり、かつ同喜代枝を除くその余の控訴人らは、同喜代枝の第一ないし第二順位の法定相続人でもあって、共通の利害関係を有することが認められ、控訴人らは経済的に一体であると評価されるべきであるところ、控訴人宗夫は、同喜代枝と右各贈与につき協議して行ったこと、同キミは、本件各土地につき亡空一の占有開始当初からの事情を知悉していたことが認められ、右両名は、同喜代枝が自己に贈与を行う目的を知り、かつ容認して、受贈したと認められ、また同豊は、贈与当時、受贈土地上に被控訴人三朗ら所有の建物が建っていることを知っており、同控訴人のみならず、同幸子、同隆についても、母の財産につき初めて贈与を受けるのであるから、右贈与の目的財産を容易に見分することができ、かつ右贈与の趣旨及び目的財産の現況を同喜代枝に尋ねさえすれば、同控訴人の贈与の目的を容易に察知し、かつ自己が所有権を取得すれば、自己と被控訴人らとの間に本件各土地に関する紛争が生ずることは容易に予測することができたと認められるから、仮に受贈当時、控訴人喜代枝からの右贈与の目的につきなんらの説明がなく、かつ自らもその説明を求めないまま、右目的を十分認識していなかったとしても、同控訴人との前記一体的関係に照らし、右三名の控訴人は、母である同喜代枝が唐突に行った贈与をなんらの問題も意識せずに受けることにより、同喜代枝の右贈与目的を暗黙のうちに包括的に容認していたと認めるのが相当である。
以上の事情を総合すると、控訴人喜代枝の本件各贈与は、専ら、未だその対抗要件を具備していない被控訴人らの時効取得に優先してこれを排斥するための目的で対価なくして行われたものと認められるところ、受贈者であるその余の控訴人らはいずれも控訴人喜代枝の同居の近親者であり、控訴人喜代枝の法定相続人であり、利害関係を共通にし、経済的にも一個の家族として一体の関係にあったものであり、実質的に控訴人喜代枝と同一の地位もしくはそれに準ずる地位にあると言うことができ、取得時効による所有権取得者が、時効完成後に、右時効によって権利を失うべき者の前記目的にかかる贈与行為によって、右時効の利益を失う結果となることは、取得時効制度の本来の趣旨目的に照らし、到底容認し難いところであり、以上の事情の下では、控訴人らは、被控訴人三朗らの登記欠缺を主張する正当な権利を有する第三者であるとは認めることはできないと言うべきである。したがって、再々抗弁は理由がある。
七 結論
以上によれば、控訴人らの第一、第三事件請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当であり、棄却されるべきである。
第二 第二事件について
一 請求原因1について
当事者間に争いがない。
二 同2について
前記第一、三判示のとおり、認められる。
三 同3について
前記第一、四判示のとおり、認められる。
四 抗弁について
前記第一、二判示のとおり、認められる。
五 再抗弁について
1 再抗弁1について
前記第一、二判示のとおり、これを認めることができない。
2 同2について
前記第一、六判示のとおり、認められる。
六 以上によれば、被控訴人三朗、同静子、同トシ子の第二事件請求は理由があり、認容されるべきである。
第三 そうすると、第一及び第三事件各原告らの各請求を棄却した原判決は相当であるから、控訴人らの右各事件に関する控訴は理由がないからこれを棄却することとし、第二事件原告らの請求を認容した原判決は、同事件原告らの主位的請求を認容した点は失当であり、予備的請求を認容するのが相当であるから、原判決第二項を取り消して、右予備的請求につき認容することとするが、原判決は結論において相当であり、控訴人らの右事件に関する控訴もまた理由がないからこれを棄却することとし、民訴法三八四条、三八五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 潮久郎 裁判官 杉本昭一 三谷博司)
<以下省略>