大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和62年(ネ)2473号 判決 1991年9月24日

第二四七三号事件控訴人・第二五二九号事件被控訴人(第一審本訴原告・反訴被告、以下「第一審原告」という。) 岡藤商事株式会社

右代表者代表取締役 加藤英治

右訴訟代理人弁護士 田中成吾

第二五二九号事件控訴人・第二四七三号事件被控訴人(第一審本訴被告・反訴原告、以下「第一審被告」という。) 佐渡友孜

右訴訟代理人弁護士 木村祐司郎

同 松重君予

右訴訟復代理人弁護士 大深忠延

同 三木俊博

同 斎藤護

同 小泉哲二

同 松葉知幸

同 山崎敏彦

同 村本武志

主文

一  第一審原告の控訴を棄却する。

二  原判決中第一審被告敗訴部分を取り消す。

三  第一審原告の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じて、すべて第一審原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立て

一  第一審原告

1  第二四七三号事件につき

原判決中第一審原告敗訴部分を取り消す。

第一審被告の反訴請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも第一審被告の負担とする。

2  第二五二九号事件につき

本件控訴を棄却する。

控訴費用は第一審被告の負担とする。

二  第一審被告

1  第二四七三号事件につき

本件控訴を棄却する。

控訴費用は第一審原告の負担とする。

2  第二五二九号事件につき

原判決中第一審被告敗訴部分を取り消す。

第一審原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告の負担とする。

第二当事者の主張

当事者双方の主張は、次のとおり付加訂正するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決五枚目裏一〇行目、六枚目表二行目、同六行目の「午場」を「後場」に、八枚目裏七行目の「負う」を「買う」に各改め、同一二枚目表一行目の末尾に「また、前記(7)イの建玉」を加える。

二  第一審被告の当審での追加的、補足的主張

1  第一審被告は、本件委託取引における第一審原告の行為が、勧誘行為については、無差別電話勧誘などの不当勧誘(原判決の反訴の主位的請求の請求原因(一)(1))、断定的判断の提供(同(二)(1))、危険性告知義務違反(同(二)(2))、受託行為については、新規委託者保護義務違反、両建の勧誘(同(二)(3))、建玉制限違反の委託勧誘(同(二)(4))、証拠金規定違反(同(二)(5))、その他異議申立てに対する回答義務違反(同(二)(6))等の点で違法性を有し、取引勧誘から取引終了に至るまでの一連の行為が一体として不法行為を構成することを主張して来たが、特に新規委託者保護義務違反と建玉制限違反の委託勧誘について論証する。

(一) 新規委託者保護義務違反について

(1) 杜撰な受託審査

商品取引員は、商品先物取引の受託に際しては、① 新規顧客について、予め所要の調査を行って状況を把握する、② この調査事項は、資産・収入の状況、商品取引及び証券取引の有無等であり、担当外務員がこれを記入した「顧客カード」を作成する、③ この顧客カードに基づいて、「特別担当班」が、受託に先立ってその新規顧客が商品先物取引を行う適格を有するか否かの審査を行うことが義務付けられている(新規委託者保護管理規則第三条)ところ、第一審原告は、所要の調査を行わず、実際と異なる架空、憶測の事実を「顧客カード」に記入し、それゆえ、「株式経験、資産内容等から適とする」との誤った結論を誘導し、受託審査を経たとの形式だけを整え(甲第八号証)、第一審被告を先物取引へ誘い込んだのである。

(2) 最初から上限

新規委託者保護管理規則は新規委託者からの受託枚数を上限二〇枚に制限している。したがって、当然に、商品取引員は新規委託者に二〇枚以上の取引を勧誘してはならないのである。第一審原告は、二〇枚のもつ意味、危険性を熟知しながら、第一審被告が保護育成期間中の新規委託者であって、取引数量の大小感覚及びそれに伴う損得の大小感覚ができていないことに乗じて、あたかも二〇枚が最低単位であるが如く説明して勧誘したのである。第一審原告は、本来、三か月間の保護育成期間の趣旨を説明し、一、二枚から取引ができること、それが望ましいことこそ説明する義務を負っていたというべきである。

(3) 杜撰な二〇枚超過受託

第一審原告は、昭和五九年一一月二日に、本来なら委託証拠金二七〇万円が必要なところ、九四万円だけで良いと、あたかも第一審被告を特別に厚遇するかのように申し向けて、新規委託者保護育成期間中の二〇枚制限に違反して、更に二〇枚(合計四〇枚)の追加建玉へと第一審被告を勧誘しこれを受託したものである。しかも、この際、新規委託者保護管理規則に従って厳正な社内審査が実施されなければならないにもかかわらず、全くこの手続を履践していない(以下、この審査を「超過建玉審査」という。)。第一審原告は、この超過建玉審査を適式に履践したとして甲第一五号証を提出しているが、信用することができず、却って同号証は後日に急遽作成されたものと理解される。仮に一一月二日に何らかの審査が行われたとしても、それが全く杜撰なものであったことは明らかである。

(二) 不当な増建玉

(1) 取引所指示事項第九項は、「不当な増建玉」(この「不当な増建玉」とは、追証拠金の計算基礎が商品別総建玉ベース方式であることに便乗し、増建玉するよう仕向けること。)を禁じている。追証拠金については、「商品別」「建玉別」に行うのがその本旨であるが、商品取引業界の商慣習として商品別総建玉ベース方式(商品の売買別、限月別を全て通算して追証拠金の要否計算を行う方式)で行われている現状にあるため、この現状は止むを得ないとされるが、この場合、委託者に対し事前に十分説明した上で行われるものと指摘されている。追証拠金の請求が、委託者に対して取引を継続するかあるいは一応建玉を手仕舞して再度の機会を待つかの判断をなすべき重要な警報的意味を持つことから、取り分け新規委託者には厳格に適用されなければならない。

(2) ところが、伊藤正治は、一一月二日、第一審被告と価格下落に対する方策を相談中、追証拠金の基礎計算が商品別総建玉ベース方式であることに便乗し、本来なら委託証拠金二七〇万円を要するところ、その三分の一に過ぎない九四万円の委託証拠金を納入するだけで安全対策を講じうると甘言をもって誘い、あたかも第一審被告を厚遇するかのように印象付けて、新たに二〇枚分の売建玉(それは両建の性格をも合わせ持つ。)を勧誘し、受託したが、その際、第一審被告に対し、事前に十分な説明を行わず、しかも右委託証拠金九四万円の納付を受けたのは同月六日である。

(3) このように、一一月二日の二〇枚売建玉の勧誘・受託と同月六日の九四万円受領は、① 新規委託者保護管理規則違反の超過建玉であり、② 委託証拠金の総建玉ベース方式に便乗した不当な増建玉であり、③ 取引所指示事項によって、とりわけ新規委託者にたいしては、原則として禁止される両建であり、④ 本来同時であるべきところ、証拠金納入より建玉を先行させており、無敷建玉である等の複数の違法要素を帯有しており、増建玉、増証拠金(預り金)に向けての著しく違法性の強い行為である。

2  原判決が本件建玉を買建玉と認定した理由についての反論

原判決の本件建玉は買建玉が合理的であるとの判断は、一二月一三日当時の第一審被告の資金力と心理状態を前提にして分析判断すれば必ずしも合理的とはいえない。

(一) 第一審被告は、当時既に本件取引に五四〇万円を投下しており、更に本件取引に投下し得る余裕資金は、同月一〇日ころ勤務先から受給したボーナスから充当し得る一〇〇万円位だけであった。別紙委託証拠金経過表(1)の一二月一三日欄記載のとおり、同日において、仮精算結果の委託証拠金残額は二四六万八〇〇〇円に過ぎなかった。これに一〇〇万円を加えて三四六万八〇〇〇円の有効委託証拠金で四〇枚の買玉が建てられている場合、二〇円([3468000-2700000]÷1000÷40=19.2)値上がりすれば追証がかかる状態である。慎重な人である第一審被告が二〇円値下がりすれば、手元には余裕資金はもはや存在せず追証がかかるという冒険を敢えて選択するには、相場が確実に上がるという確信が必要であり、このような確信もなしに冒険をしたと判断することは合理性に欠ける。

(二) したがって、資金力の分析とともに、同日における第一審被告の心理状態の分析が必要になる。同日における第一審被告は、伊藤正治から電話が掛かって来るまでは一一月二日の売建玉二〇枚を仕切る気もなく、金の相場が今後値上がりするとの特段の予想も有しておらず、また、伊藤正治の相場の予測は必ずしも正確ではないと思っていたもので、電話で僅か一五分位伊藤正治から石油価格の変動によって金の値段が上がるとの予測を聞かされただけで、更に二〇枚の買玉を建てて四〇枚の買玉にするとの冒険をしたと判断することは合理性に欠けるといわざるを得ない。

(三) ところで、第一審被告が一一月二日の売建玉二〇枚を伊藤正治の勧めに従って仕切ることに同意したのは、一〇月限の売建玉二〇枚に切り替えるためではなく、第一審被告が実得を得ることに魅力を感じたためである。その後、第一審被告は、相場が上がることに確信が持てなかったため、伊藤正治に不安を訴えると、伊藤正治が一〇月限の売玉を建てて両建に似た形にすることを勧めたので、これに同意したのである。したがって、第一審被告が一二月一三日に売玉として本件建玉をするに至った決定的な動機は相場の前途に対する不安である。

3  債務不履行責任(反訴の主位的請求原因に追加する。)

(一) 本件先物取引委託契約において、取引員たる第一審原告は、第一審被告の委託を受け取引所に注文を出すことが主たる債務であるが、右債務に伴い商品取引所法、取引所の約款、委託準則の協定の認めるところ、すなわち具体的には同法九四条に定める不当な勧誘の禁止、委託契約準則に定める禁止行為、取引所の定める指示事項及び委託業務の改善に関する協定書に定められたところに従って、誠実に受託業務を遂行するとともに委託者である第一審被告を保護すべき債務を負っている。

(二) 第一審原告の外務員の行為は第一審原告の行為とみなすべきところ、第一審原告の外務員である伊藤正治には、前述のとおり両建禁止違反、委託証拠金規定違反、建玉制限違反等の数々の遵守事項違反があり、その結果、第一審被告は、不当な委託証拠金五四〇万円の支払を余儀なくされ、かつ、取引の結果差損金一〇八九万円の損害を被った。

よって、右差損金は本訴請求と対応しているので、結局第一審原告は、第一審被告に対し不当な委託証拠金による損害金五四〇万円を賠償すべき義務がある。

4  相殺

第一審被告は、昭和六三年九月九日の本件第三回口頭弁論期日にづく一〇七八万円の損害賠償請求債権をもって、第一審原告の本訴請求債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。

四  第一審被告の右主張に対する第一審原告の認否

第一審被告の右主張はすべて争う。

第三証拠《省略》

理由

第一本訴請求について

一  請求原因(一)(第一審原告が東京工業品取引所の商品取引員であることなど)、同(二)(金の先物取引の方法についての第一審被告の承諾等基本契約の成立)、同(三)の(1)(一〇月三日の八月限二〇枚の新規買付け)、(2)(一〇月二四日の委託追証拠金の預託)、(3)(一一月二日の八月限二〇枚の新規売付け)、(4)(一二月一三日の八月限売建玉二〇枚の買い戻し)、同(四)(一二月一八日の第一審被告の委託追証拠金の請求と決済予告)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  請求原因(5)(一二月一三日の一〇月限二〇枚の新規買付け)について

1  本件取引の経過

前記争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、次のような事実が認められる。

(一) 第一審被告は、昭和四二年甲南大学を卒業し、家業の手伝いをしたり、包装関係の会社に勤務した後、昭和四五年日本アイ・ビー・エム株式会社に入社し、昭和五九年当時は同社神戸支店営業第一課課長をしており、昭和六一年一月から同社松山営業所所長をしていた者であって、本件取引以前に投資・投機の経験がなく、利殖について多少の関心を持っていたが、金の先物取引をする考えは全くなかった。

(二) 第一審原告会社の従業員黒木正夫は、昭和五九年四月神戸八代学院大学卒業後第一審原告会社に入社し、研修終了後の同年七月に外務員登録を済ました者で、以後電話勧誘をしているなかで、同年九月始めころ、甲南大学卒業者名簿から第一審被告の勤務先肩書に目星を付けて選択し、勤務中の第一審被告に後輩であるかのような口振りで電話を架けて面会を求め、同月一〇日、第一審被告の勤務先に赴き、第一審被告と面談し、第一審原告会社の説明、取扱商品の現状、商品取引の仕組み・ルールなどを話し、「金は絶対に上がる。金の値動きに注目していただき、一か月後に現実に上がっていた場合には取引してくれるよう。」にと勧誘した。

(三) その後、黒木正夫は、一〇月一日、第一審被告の勤務先を訪ね、第一審被告に対し、当初の話のとおり金値上がりの事実を指摘して金の先物取引を勧誘し、第一審被告は、当時四〇〇万円位の自由にできる余裕資金があったので、その気持ちになり、同日、東京金取引所の貴金属市場における売買取引の委託をするについて、黒木正夫から「商品取引委託のしおり」及び「商品取引ガイド」の交付を受け、かつ、その内容につき概略の説明を受けた上で、商品取引をすることを承諾し、同取引所の定める受託契約準則の規定を遵守して売買取引を行う旨の承諾書に署名押印した。これまでに、黒木正夫が第一審被告の資産内容、余裕資金量等について聴取ないし調査することはなかった。第一審被告は、黒木正夫にとっては、勧誘できた初めての顧客であった。

黒木正夫は、帰社後、上司(次長)の伊藤正治に右結果を口頭で報告し、新規顧客の受託審査に付したところ、伊藤正治は、その報告内容(第一審被告の勤務先での地位、高級外国自動車ベンツの保有者、高級時計ローレックスの所持者)から憶測ないし推定して、右審査に供する「顧客カード」の所定調査事項の中、年収・八〇〇万円、預金・一〇〇〇万円位、有価証券七〇〇万円位、投機資金・五〇〇万円位、取引経験・証券取引ありと記入して、これを特別担当班責任者である西野厚則(第一審原告会社大阪本店管理部所属の顧客サービス班統括副責任者)に提出して、翌二日、「株式経験、資産内容等から適」とする審査結果を得たので、部下(係長)藤本宣弘を通じて黒木正夫に右結果を知らせた。その知らせを受けて、黒木正夫は、即日、第一審被告に対し、八月限二〇枚の買付け、委託証拠金二七〇万円(一枚一三万五〇〇〇円)との売買取引を勧誘し、その内諾を得た。

(四) 黒木正夫は、上司の藤本宣弘と同道して、一〇月三日午前一一時三〇分ころ、第一審被告と勤務先で面談したが、その際、藤本宣弘において、再確認のため再度前記資料に基づき説明をしたうえ、相場に上がり調子であり、買付けをすればすぐに二〇万円位の利益を取得できる見通しで、相場のプロである自分達が担当者として指導するので損失の発生については心配要らない旨述べ、第一審被告が取引の危険性を危惧する質問に対しては、追証制度があって、値下がりにより預託した委託証拠金の半分以上の損が生じた時には追証を請求されるので、追証を翌日までに入れなければ強制的に決済されるので、損をしても委託証拠金の半分を越えることはないと説明したので、第一審被告は、藤本宣弘に対し、前もって準備していた委託証拠金二七〇万円を現金で預けると同時に八月限二〇枚の買付けを委託し、藤本宣弘は、同日後場三節で八月限二〇枚を約定値段二九一九円で買い付けた。その折、二〇枚が新規委託者の建玉制限の限度枚数であることは全く知らされなかった。

(五) ところが、その後金の値は下がり、一〇月一二日には二八五七円となり、同日、第一審被告は、藤本宣弘から電話で見込違いで値下がりしあと六円以上下がったら追証になりますのでと言って、両建を勧められたが、一〇日も経たぬうちに値が下がったからとの報告に反発してその勧めを断った後、一〇月一五日ころ、第一審被告が右藤本宣弘の対応についての不満を伊藤正治に電話で抗議したところ、伊藤正治は、先日の見込違いを謝罪し、絶対に値上がりする方向にあるので、今後は次長である自分が担当すると言って、第一審被告を安心させた。

しかし、相場は下がり続け、一〇月二四日には二八三一円(約定値段より八八円安)になり、同日、第一審被告は、伊藤正治から電話でもって仮損金額の全額である一七六万円の追証拠金の請求を受けたが、同人のそのうち値は絶対に戻る、損はさせないからとの話を信じて、手仕舞うことは考えないで、右追証拠金を第一審原告会社銀行口座に振り込んで預託した。

(六) ところが、翌日少し値上がりしたものの、その後また相場は下がり続け、一一月二日には二七八八円(約定値段より一三一円安)となり、もう五円下がれば追証請求となる状況になった。

そこで、予てより伊藤正治から下げ相場の対策についての相談のため第一審原告会社大阪本社への来社を求められていた第一審被告は、同日午後二時ころ、同本社を訪れ、伊藤正治と面談したところ、同人からその対応策として、(1) 全部手仕舞いして委託証拠金を残して、相場の成り行きを見たうえ、再出動する、(2) 一部(半分)手仕舞いして追証のかかるのを回避する、(3) 値上がり予測があるのであれば、追証請求されてもそれに応じる、(4)緊急避難的に追証請求前に八月限二〇枚を売付け(両建)をして一〇月三日の買建玉の値洗損(仮損)を固定する(そうすれば値下げしても追証はかからない。)との四方法が説明されたうえ、相場は必ず戻るがここ当分値下がりが見込まれ、更に明日には週末の下げがある気配であるから、保険を掛ける積もりで両建をするよう勧められ、第一審被告が二〇枚の売建玉の委託証拠金二七〇万円の預託不能のため手仕舞するほかないといったのに対しては、商品取引の実際においては、追証拠金の基礎計算が商品別総建玉ベース方式であるので、これに便乗し、追証のかかっていない今なら、本来なら委託証拠金二七〇万円を要するところ、その三分の一に過ぎない九四万円の委託証拠金を納入するだけで両建ができ、両建を外す方法についても相場の下げ止まりを見極めたとき、先ず売建玉を手仕舞いして利喰い、その時点で一〇月三日の八月限二〇枚の買建玉と同じ方向の買玉を新たに追加して買い付け、その後の値上がりを待って一挙に損を取り戻すことができる(これを「ナンピン買い」という。)ので、いずれにしろ約一か月経過後に相場模様を観て適切に助言するからと言い添えて、一番良い対応策として両建することを勧められ、後場三節の時刻(午後三時四五分)も迫っている状況で、伊藤正治の勧誘に従うのが得策と判断して、八月限二〇枚の売付けを委託して両建することに決めた。これを受けて、伊藤正治は、同日午後三時過ぎころ、西野厚則に対し口頭で第一審被告の右売建玉の注文経過及び資産内容(ただし、前記顧客カードの内容とことなり、年収八〇〇万円位を一〇〇〇万円位に、預金一〇〇〇万円位を一五〇〇万円位に、有価証券七〇〇万円位を九〇〇万円位に、投機資金五〇〇万円位を八〇〇万円位にそれぞれ水増ししていた。)を口頭で報告して超過建玉審査を求め、その承認を得たうえ、委託証拠金を追徴しないまま、同日午場三節で八月限二〇枚を二七八八円で売り付け、一一月六日に右委託証拠金として九四万円を受領した。

ところで、伊藤正治は、右取引をするに当たって、超過建玉審査の要否、受託調書の作成及びその記載事項等についての説明、調査は全くしないで、受託調書には右口頭報告のとおり前記顧客カードの資産内容と異なり水増ししたものを記載するとともに右顧客カードにも右水増しどおり追記した(なお、同カードには右超過建玉審査申請日を「59.11.1」とあたかも事前申請した如く第一審原告会社大阪本社管理部で日付をタイプ打ちしていることが認められるが、これをもって事前申請がなされていたとは認め難い。)。

(七) しかし、その後更にまた金の値は下がり続けたが、両建後は相場の動きにより取引の損益が出ないため、第一審被告は本件取引に対する関心がいくらか薄らいでいたところ、伊藤正治は、一二月一三日に至り、前記両建後一か月が経過し金相場は上向きの気配を呈していると判断したので、その折説明した両建を外す方法すなわちナンピン買いの方策に基づき、同日午後三時ころ(同日は第一審被告会社のボーナス支給日の三日後であった。)、勤務先の第一審被告に架電して、相場が下げ止まりであるから右ナンピン買いの方策に従い、両建した売建玉を手仕舞いして利喰い、新たに一〇月限二〇枚を買い付けてはどうかと勧めたところ、第一審被告が底値といってもなお下がったらどうするのかすぐに追証が請求されるのではないか等と質問したので、別紙委託証拠金経過表(1)の一二月一三日の「業者の主張する請求の根拠」欄記載の金額、計算内容(ただし、この時点では手数料を算入していなかった。)の説明をしたうえ、値が上がれば追証はいらぬが多少のさげを予想しても委託証拠金として一〇〇万円を納めて頂ければ十分である(一〇〇万円は、値下がりがあった場合に委託証拠金として扱い、仮損額を追証基準以下に押さえようとするもので、二五円(一〇〇万円÷一〇〇〇グラム÷四〇枚)以内の値下がりに対処できる。)旨告げたところ、第一審被告がその金額なら一二月一五日に払込入金できるからと同日一〇月限二〇枚の買付けを委託したので、これを受託し、同日後場三節で一一月二日の売建玉二〇枚を二七三一円で手仕舞いして八二万八〇〇〇円の利益金を得て、同節一〇月限二〇枚を約定値段二七六三円で買い付けた。

(八) ところで、一〇月三日の八月限及び一二月一三日の一〇月限の各買建玉の値動きの状況は、別紙委託証拠金経過表(2)に記載の通りである(同表中、2919で始まるのが一〇月三日の分、2763で始まるのが一二月一三日の分である。)ところ、伊藤正治は、一二月一五日午前九時過ぎころ、一三日の委託注文による取引結果を報告し、第一審被告からの手数料についての質問に答えてその確認を得たうえ、前日の値動き(甲第一〇号証の顧客管理表)に基づき、一四日の終値は下がっており一二〇万円位の追証が必要になっているので約束の一〇〇万円に二、三〇万円を上乗せして預けて欲しいと申し出たところ、第一審被告に一〇〇万円しか用意できないと言われたので、値が戻れば支障ないから約束の一〇〇万円だけでも送金するよう促した。なお、その際、伊藤正治が当日前場一節の相場値が下がっている旨伝えたところ、第一審被告が所用で留守にするので前場二節の相場値は妻に伝えておくよう指示したため、伊藤正治は、同節終了後その相場値を第一審被告の妻に知らせた。

(九) ところで、一二月一七日前場三節(午前一一時三〇分)から金相場は大きく値崩れしたので、伊藤正治は、この様子では上向く様子もなく急落する傾向にあると判断し、同日午前一一時三五分ころ、第一審被告に架電して、急落しているから一二月一三日の一〇月限買建玉二〇枚を急遽手仕舞いして売玉を売り付け、もう一度一か月間両建のまま様子を見てはどうかと勧めたところ、第一審被告は、突如、その時始めて一〇月限二〇枚の建玉は売玉である旨異議を申し立てるに及んだ。これに対し、伊藤正治は、これまでの取引経過を説明し、一〇月限売建玉の注文などなかったことを強く主張したが、第一審被告は、買玉である筈がないことを種々主張して、同日は両者結論の出ないままに終わった。

(一〇) そして、伊藤正治は、翌一八日午前九時半ころ、第一審被告に電話して、昨日の買い、売りの問題について話し合ったところ、第一審被告が損益を固定して話し合って欲しいと、そのためには第一審原告の方で一〇月三日の八月限及び一二月一三日の一〇月限の各買建玉二〇枚計四〇枚につき反対の各売玉を建てるよう提案したのに対し、第一審原告はその必要は全然ない、やるとすれば、前日話したとおり新たな一〇月限買建玉二〇枚を手仕舞いして八月限売玉を売り付けて両建てて止める以外にない、それには約束の証拠金一〇〇万円の納入が条件であると拒否し、話会いを打ち切り、上司らと相談のうえ、更に値下がりしていたので、第一審被告に対し、同日午前一一時三二分到達の電報で、同日午後三時までに委託追証拠金を預託するよう求め、その入金ない場合には同日後場三節で全建玉を手仕舞いする旨を通告すると、同日一一時五〇分ころ、第一審被告から電話が架かってきたので、電話でもその旨を伝えるとともに、後場三節の立会時刻である午後三時四五分までには時間があるから先に提示した第一審原告の右方策につき熟慮するよう申し添えた。

そして、第一審被告が、同日午後三時ころ、仕事の出先から伊藤正治に架電して、第一審原告の右方策に従い、八月限二〇枚の買建玉より生じている損を止めるために一〇月限売建玉二〇枚を手仕舞いし、同時に新たに八月限二〇枚売玉を売り付け、一〇月限売建玉二〇枚については後で話合いすることにしてくれないかとの申し出をなしたので、伊藤正治は、約束の証拠金の入証を翌日行うとの条件付で右第一審被告の申し出を承諾し、同日後場三節で一〇月限買建玉二〇枚を二五八五円で手仕舞い、新たに八月限二〇枚売玉を二五四九円で売り付けた。

ところが、第一審被告は、同日午後五時過ぎ帰社直後、伊藤正治から右取引の結果報告を受けたが、もう一遍精算してみると自己の当初の対応策と相違するからと翻意して、同月午後六時過ぎ、伊藤正治に対し電話で右証拠金一〇〇万円の入証はしない通告をした。そこで、第一審原告としては、翌一九日、取引所に対し、一二月一八日の八月限二〇枚の売建玉は一〇月三日の八月限二〇枚の買建玉に対する仕切玉(手仕舞い)として届出をし、第一審被告とのすべての取引を決済した。そして、第一審原告は、第一審被告に対し、一二月二二日、原判決別表(二)のように清算して発生した差損金一〇七八万円を請求した。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

2  右認定事実によれば、第一審被告は、高い理解力、判断力を有し、第一審原告従業員である外務員の説明する先物取引の仕組み、追証の基準・計算、損得勘定等を理解することはできても、何分証券取引・商品先物取引には無経験であって、先物取引の複雑・高度の仕組み、相場の実際及び予測については知識、能力に乏しく、伊藤正治ら関係外務員の指導ないし誘導するまま取引を続け、徐々に伊藤正治の相場観に不安を募らせてはいたものの、一二月一三日の本件建玉は、伊藤正治の指導のもとに、一一月三日の両建の時に話し合われた両建を外す方法であるナンピン買いの方策を実行したもので、買玉であったと認められるのであって、原審及び当審における第一審被告本人尋問の結果中、一〇〇万円の預託をしたが、売付けだからこそ一〇〇万円で済むのであって、買付けだとすると委託本証拠金二七〇万円が必要であり、本件建玉は売玉である、現に伊藤正治はその旨説明した旨の供述部分は、前記認定のとおり、商品取引の実際においては、追証拠金の基礎計算が商品別総建玉ベース方式によって運用され、現に本件取引は全てこれに便乗してなされていたので、仮に買付けだとしても委託本証拠金二七〇万円が必要であったといえないこと、前記認定に係る本件建玉に至るまでの経緯、就中伊藤正治の相場観に基づく説明内容に鑑み、措信し難く、また、本件建玉後伊藤正治が第一審被告に対し値動きにつき適宜報告もせず、追証請求もしていないことは、伊藤正治が自己の相場の予測外れに基づく責任追求を回避するためではなかったかとも推測できるのであって、右事実をもってするも、右認定を動かすことはできず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  抗弁について

1  公序良俗違反による契約無効について

前記認定事実のもとにおいては、第一審被告が第一審原告との間に締結した先物取引委託契約は、一〇月一日の基本契約(原判決の請求原因(二))とこれを前提とするそれぞれの建玉についての個々の委託契約(同(三)(1)ないし(5)の各契約)があり、後述のとおり、各契約にはそれぞれに商品取引法及び業界の自主規制規範により商品取引員に課せられた注意義務に違反していることは認められるけれども、それだけでは当該各契約が公序良俗に違反し無効であるとは認め難い。

2  信義則違反について

前記認定に係る本件取引の経過に鑑みれば、後示のとおり、本件先物取引における第一審原告の行為が、勧誘行為については、無差別電話勧誘などの不当勧誘(原判決の反訴の主位的請求の請求原因(一)(1))、断定的判断の提供(同(二)(1))、受託行為については、新規委託者保護義務違反、両建の勧誘(同(二)(3))、建玉制限違反の委託勧誘(同(二)(4))、証拠金規定違反(同(二)(5))等の点で第一審被告の主張に係る商品取引所法及び業界の自主規制規範にそれぞれ違反して違法性を有し、取引勧誘から取引終了に至るまでの一連の行為が一体として不法行為を構成するので、第一審原告が本件先物取引委託契約に基づく請求権を行使することは、信義則に反し許されないといわねばならない。

(一) 無差別電話勧誘の禁止、断定的判断の提供について

前記二2に説示のとおり、第一審被告は、高い理解力、判断力を有していたとはいえ、何分証券取引・商品先物取引には無経験であって、先物取引の複雑・高度の仕組み、相場の実際及び予測については知識、能力に乏しい者であるところ、前記二1(二)ないし(七)の認定事実によると、外務員資格取得まもない黒木正夫は、無差別電話勧誘により、第一審被告を勤務先に訪ね、先物取引の仕組み、投機性・危険性等の概略につき説明し、金の値上がりを強調する一方、第一審被告の資産内容、余裕資金量等について聴取ないし調査等はせず、事前に新規顧客の受託審査に付することもなく、即日第一審被告との間に本件先物取引委託契約(基本契約)を締結し、以後担当外務員は黒木正夫から上司の黒木正夫(係長)、伊藤正治(次長)へと順次替わり、同人らは、それぞれ専門職歴とそれに基づく相場観による金の値動きの予測の正確性を強調し、指導という名のもとに顧客に利益が生ずることが確実である旨の断定的判断を提供してその後の個々の本件先物取引契約を締結したことが認められる。

(二) 新規委託者保護義務違反(第一審被告の当審での追加的、補足的主張1(一))及び建玉制限違反の受託勧誘について

右主張のうち、(1)の杜撰な受託審査については前記二1(三)に、(2)の最初から上限については同(四)2に、(3)の杜撰な二〇枚超過受託及び建玉制限違反の受託勧誘については同(六)及び(七)にそれぞれ認定した事実により、いずれも是認できる。

(三) 両建の勧誘について

右主張事実は前記二1(六)の認定事実により明らかであり、しかも、右事実関係のもとにおいては、右両建が不適正な売買取引行為に当たるというべきである。

(四) 証拠金規定違反及び不当な増建玉(第一審被告の当審での追加的、補足的主張1(二))について

右主張は、前記二1(六)の認定事実により、是認することができる。

四  そうすると、第一審原告の本訴請求はその余の点について判断するまでも理由がないので棄却を免れない。

第二反訴請求について

一  前示のとおり、第一審原告の従業員黒木正夫、藤本宣弘、伊藤正治が本件先物取引につきなした第一審被告との取引勧誘から取引終了に至るまでの一連の行為は、その個々において不当勧誘、断定的判断の提供、新規委託者保護義務違反、両建の勧誘、建玉制限違反、証拠金規定違反等の点でそれぞれ違法性を有すると認められるところ、右第一審原告従業員らは、前示のとおり第一審被告が証券取引・商品先物取引には無経験で、相場の実際及び予測については知識、能力に乏しく、自分らの指導ないし誘導するままに取引を続ける者であることを認識しながら、右勧誘を続け、これにより第一審被告が損失を被ることのあるべきことも予見し又は予見し得べかりしものであったから、一体として不法行為を構成すると認められるところ、右一連の行為が第一審原告会社の業務の執行としてなされたことは、前記認定に係る本件取引の経過に徴し明らかであるから、第一審原告は、民法七一五条に基づき、使用者として右不法行為によって第一審被告が被った損害を賠償すべき義務がある。

二  右本件取引の経過並びに弁論の全趣旨によれば、第一審被告は、右一連の商品取引委託契約に関し証拠金名下に合計五四〇万円を第一審原告に預託したが、第一審原告が右契約によって発生した差損金に充当したとして返還しないことが認められるのであるから、第一審被告は右預託金額相当の損害を被ったものということができる。

なお、本件は、新規委託者の保護育成期間内における外務員の新規委託者の保護に全く配慮しない、不当な勧誘と受託行為によるものであって、損害額の算定につき第一審被告の過失を斟酌することは相当でないといわねばならない。

三  してみれば、第一審原告は、第一審被告に対し、右損害金五四〇万円及びこれに対する最後の証拠金預託日の翌日である昭和五九年一一月三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるというべく、第一審被告の反訴請求は理由があるから認容すべきである。

第三結論

第一審原告の本訴請求を棄却し、第一審被告の主位的反訴請求を認容すべく、これと異なる原判決中第一審被告敗訴部分は失当であるからこれを取り消して、第一審原告の本訴請求を棄却し、原判決中その余の部分は相当であって、第一審原告の控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 潮久郎 裁判官 鐘尾彰文 村岡泰行)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例