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大阪高等裁判所 昭和63年(う)718号 判決 1993年7月01日

本籍

大阪府寝屋川市香里本通町一〇二四番地の三

住居

同府同市同町一〇番一号

医師

渡邊健夫

大正一二年二月一一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六三年三月二三日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年及び罰金七〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納できないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人仁藤一、同田原睦夫、同水野武夫連名各作成の控訴趣意書及び控訴趣意書誤記訂正申立書及び弁護人仁藤一、同田原睦夫連名作成の控訴趣意書一部訂正申立書(二)各記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官小浦英俊作成の答弁書(ただし、検察官は、同答弁書の六丁表五行目にある「別添」とあるのは、「原審・再論告要旨別添の」と訂正する、と述べた。)及び同安部正義作成の答弁書(補充)各記載のとおりであるから、これらを引用する。

なお、説明の便宜上、弁護人らの控訴趣意と証拠調べ後の弁論を併せて、以下、単に「所論」ということもある。また、証拠関係について、別段の表示をするほかは、以下の用例に従うことがある。

<1>  証人の原審段階での供述は、公判廷における供述、公判調書中の供述記載又は裁判所の尋問調書を問わず、「原審証言」という。

<2>  検察官に対する供述調書を「検面調書」、大蔵事務官の質問てん末書を「質問てん末書」という。

<3>  証拠(書証)について、原審公判調書中の証拠関係カード中、検察官請求に係るものに関しては同カード記載の番号を「検・・号」と、弁護人請求に係るものを同じく「弁・・号」という。なお、当審弁護人請求に係るものを「当審弁・・号」という。

<4>  証拠物の押収番号は、当庁昭和六三年押第二五六号符一ないし符一一三号であるが、単に「符・・号」という。

控訴趣意第一点(控訴趣意書第四点)理由不備ないし事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は偽りその他不正の行為として<1>収入除外、<2>架空仕入れ、<3>架空名義による株式売買を認定判示しているが、各行為個々についてのほ脱金額の認定はもとより、ほ脱所得が右行為により生じたものであることについて証拠はなく、その全額のほ脱について、被告人に故意があったことの証拠もないのに、こうした点については、原判決は何ら判示していないのであって、これは刑訴法三七八条四号の理由不備に当たり、また、故意を認定したのは事実を誤認したもので、この誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

しかし、被告人に故意がないという主張は、刑訴法三三五条二項所定の主張に当たらないから、判決において格別の証拠説明を要するものではない。また、本件は、財産増減法による立証の事案であるから、所論のいう<1>ないし<3>の各ほ脱の行為について個別的に認定判示する必要はない。その余の所論は、要するに、二億円余の増差所得を認定した原判決の事実認定に対し、その増差所得を生じた原因並びに故意を争うものであって、その実質は事実誤認の主張にすぎず、いずれにしても原判決に刑訴法三七八条四号の理由不備があるとは認められない。また、ほ脱の故意は個々の所得の増差について認識するまでの必要はないのであって、被告人につきほ脱の故意が認められることは、後にも判示する諸点から明らかであって、原判決挙示の証拠により優に認めることができる。原判決に所論の事実誤認はない。論旨は、理由がない。

控訴趣意第二点(控訴趣意書第五点)訴訟手続の法令違反及び憲法違反の主張について

論旨は、要するに、原審第五三回公判期日の六日前である昭和五九年一二月五日、本件を合議体で審理裁判する旨のいわゆる裁定合議決定がなされたので、弁護人において、同月一〇日右公判期日の更新手続きにおいて、刑訴規則二一三条の二第四号による要旨の告知をしたい旨申し立てたところ、この申し入れを維持するのであれば右決定を取り消す等の連絡があった上、同日右決定が取り消されたため、その後改めて裁定合議決定がなされて合議体による審理が行われた第五八回公判期日までの、第五三ないし第五六回各公判期日は単独体のまま審理が強行されたのであるが、右のように、更新手続きにおける要旨の告知の申立てを拒否して許さなかった原裁判所の行為は、刑訴法三一五条、刑訴規則二一三条の二第三号、第四号ひいては憲法三一条に違反し、また憲法三二条にいう裁判所とは、右の場合、合議体の裁判所といえるから、被告人の同意もなく何ら合理的理由もないのに裁定合議決定を取り消したことは憲法三二条に違反するのであって、このような違憲状態下で進められた原審第五三ないし第五六回の各公判期日でなされた証拠の取調べ・申請証拠の却下の処分はすべて無効であり、こうした違憲、違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査して検討する。

まず、所論裁定合議決定が昭和五九年一二月五日付けでなされ、同月一〇日その取消決定がなされたこと、その後の昭和六〇年四月二二日改めて裁定合議決定がなされ、第五八回公判期日から合議体で審理が行われたこと、これに至るまでの間において、原裁判所が、単独の裁判官で審理し、第五三ないし第五六回各公判期日で、所論の指摘する証拠調べがあり、弁護人のした証人調べ及び検証の各申請が却下されたことの各事実が認められる。しかし、本件はもともと単独の裁判官が取り扱うことのできる種類の事件であって、合議体で審理裁判するかどうかは、その決定する合議体の自由な裁量により決められる事項であり、裁定合議決定によって被告人に対し合議体による審理を受ける権利を与えたものではない。したがって、いったんした裁定合議決定を取り消し、一人制に移しても、直ちに被告人の公平な裁判所の裁判を受ける権利を侵害するものではなく、また、訴訟手続規定に違反するものでもない。その点の原審の訴訟手続きが法定手続きの保障を定めた憲法三一条に違反しないことはもとより、裁判を受ける権利を保障した憲法三二条にも違反しないことも明らかである。裁定合議決定の取消しが違法であることを前提とするその余の所論も採用の限りではない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三点(控訴趣意書第二点)法令適用の誤りの主張について(その一)

論旨は、要するに、本件について、損益計算法により得ない特別の事情がなく、必要な帳簿等が備えられており、持ち込み資産が存在していて財産増減法による立証が不能であるのに、財産増減法により所得を算出した原判決には、所得税法二七条二項、三六条一項、三七条一項の適用を誤った違法があり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

確かに、証拠上損益計算法による立証が可能な場合には、その方法により立証されるのが一般である上、被告人は会計帳簿を備え付け、これに基づき確定申告をしていることが認められる。しかし、本件において、診療収入除外や架空仕入れ等について、その個々の具体的金額を算出するだけの証拠がない上、所得税のほ脱犯におけるほ脱金額を認定する方法として、財産増減法によることが所得税法上禁じられているわけではなく、また、財産増減法はいわゆる損益計算法と対比してほ脱額の立証や認定に優劣があるわけでもないのであって、いずれによるにしてもその認定に合理的疑いをさしはさまぬ程度に立証すれば足りるのである。本件において、総勘定元帳が備え付けられているものの、後に指摘するように、不正確のそしりを免れないほか、窓口現金収入の記録されたものが破棄され、産婦人科のカルテの一部や薬品関係の帳簿類の大半が発見されていないなど、昭和五一年及び同五二年における収益及び費用、とりわけ簿外収入や架空支払い等について、直接これを証明する資料がない上、弁解に沿う資料を提出しないなど、被告人の査察や捜査への対応状況等に照らして考えると、被告人側から持ち込み資産などの主張があるとしても、財産増減法によったことを違法・不当とすべきいわれはない。論旨は理由がない。

控訴趣意第四点(控訴趣意書第三点)法令適用の誤りの主張について(その二)

論旨は、要するに、青色申告承認取消処分は形成的処分であり、本件犯行時においては青色申告承認は有効であり、したがって、取消益は未発生で、この分の租税債権に対する侵害行為はありえず、そのほ脱罪が成立する余地はないのであり、まして、所得税法一五〇条一項の青色申告承認取消は所轄税務署長の裁量処分であることが明記されており、そうだとすると行政官である税務署長に対し刑事処分に関する裁量権限を付与する結果となり、その不当は明らかであり、さらに、被告人は、青色申告承認取消による取消益の部分についてほ脱行為をしているという認識は全くなかったのであり、したがって、この部分をほ脱額に加えることはできないのであって、それにもかかわらず、青色申告承認取消による増差税額をほ脱税額に加えた原判決は、法令の適用を誤ったものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、青色申告の承認を受けた被告人が所得税を免れるためほ脱行為をし、その後その年にさかのぼってその承認を取り消された場合は、その年のほ脱税額は、青色申告の承認がないものとして計算した所得税額から申告にかかる所得税額を差し引いた額となると解するのが相当である。そして、故意によりほ脱行為に及んでいる場合には、青色申告の承認がさかのぼって取り消されるであろうことは行為時に当然認識できる事柄であって、これと相容れない所論の見解は採用することができない。関係証拠によれば、本件における不正行為は被告人が中心になって行っており、確定申告も被告人が自署押印していることが明らかであるから、たとえ、被告人が青色申告の承認の取消による増差分について具体的な金額までも認識していなかったとしても、その部分についてもほ脱の故意が認められることはいうまでもない。青色申告承認取消処分による増差分についての、原判決の認定判断は相当であって、所論の法令の適用の誤りは認められない。論旨は理由がない。

控訴趣意第五点(控訴趣意書第一点及び第五点)事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決には、本件各期中における資産増加が主として多額の期首持ち込み現金によると疑うべき明白な証拠があるのに、これを正当に評価せず、各期首在り高は三〇〇〇万円にすぎないと認定し、また、簿外収入の金額につき証拠に基づかないで毎月二〇〇〇万円もあったと認定するなど、以下に指摘する事実誤認があり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで、所論にかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、原判決挙示の関係証拠によると、原判決の「罪となるべき事実」及び「弁護人の主張に対する判断」における認定判断は、以下に指摘する期首持ち込み現金及び定額郵便貯金の点を除き、相当として優に是認できるのであって、当審における事実取調べの結果によっても、この結論は左右されない。もっとも、原判決には、昭和五二年の右期首在り高及び定額郵便貯金に関して事実の誤認があり、そのうち後者の点において原判決の全部が破棄を免れない。以下順次各所論ごとに説明を付加する。

一  簿外収入額について

1  所論

(1) 原判決は、昭和五一、五二両年(以下「本件各年」ということがある。)における各二億円の資産増加の原因が右各年の診療収入の除外、架空仕入等の架空経費の計上によると認定している。しかし、診療収入の除外についての証拠は、本件対象年外である昭和五三年一〇月分の、しかも現金で支払われる給料の支払い時期に当たる月末の二日分にすぎない。むしろ、渡辺病院の昭和五四年分の売上総額は健康保険収入を含めて年間五九九四万円で、年間治療日数を三〇〇日として計算すると、昭和五一年は一日平均二七万円弱、昭和五二年は二五万円弱となり、被告人が検察官や査察官に述べた一日五ないし六万円の除外のほうが実体に合致するものである。薬品等の購入に関し、日本商事株式会社(以下「日本商事」という。)との間に架空仕入れはなく、一般口座と名付けていた渡辺病院の口座(以下「一般口座」という。)と石蔵利徳仕入れ分の口座(以下「別口口座」という。)との間の口座振替は実体に合わせるためのもので、その間に何らの混同もない。また、一般口座で仕入れた薬品を横流しした事実もない。

(2) 渡辺病院において、窓口で現金収入があるのは、<1>社会保険及び国民健康保険に係る本人の初診料、家族の三割自己負担分、<2>産婦人科その他の自由診療収入、<3>入院の差額ベッド料、文書料等の収入である。このうち、<1>についての収入除外は皆無である。除外可能な<2>、<3>についてみると、産婦人科の診療収入は、病棟管理日誌から認められる出産数を全部正常分娩(自費)と仮定し、その二分の一の中絶件数があると推計し、これらを基礎に計算すると、昭和五一年が中絶件数を二〇一名として八二四一万円、昭和五二年が中絶件数を一九〇名として七七九〇万円となり、そのうち現金収入は相当減額したものとなるはずである。したがって、被告人が産婦人科部門の現金収入の全額を除外したとしても、六〇〇〇万円から七〇〇〇万円を超えるものではない。

2  当裁判所の判断

(1) 本件は、前示のとおり、財産増減法によるほ脱額の算定をした事案である。後に指摘する点を除き原判決の認定した財産が本件各年分の期首及び期末に存在していることは明らかであり、その一部について被告人の妻豊子(以下「豊子」という。)に帰属すると主張しているなど後に触れる財産の帰属の点を除けば、被告人もこれを特に争っていない。関係証拠によると、被告人は、後記渡辺病院経営の傍ら、株式等有価証券について現物取引と信用取引をしていたが、昭和五一年は利益を上げておらず、昭和五二年もさしたる利益を上げていないと認められる。したがって、渡辺病院の経営により、本件各年における財産の増加に見合うだけのこうした収入を上げることが可能な状況にあったかどうかが問題となる。以下、関係証拠によって検討する。

なお、原判決が、所論のように、昭和五三年一〇月の月末における二日分の簿外収入だけから、本件各年分の簿外収入を認定していないことは明らかである。

(2) まず、昭和五一年及び五二年当時の被告人経営の病院(以下「渡辺病院」という。)の規模等について、被告人ら関係者は以下のとおり述べている。被告人の供述(主として被告人の昭和五三年一〇月三〇日付け質問てん末書、検二五九号)によると、医師として、内科を被告人が、外科を被告人の実弟が、小児科を被告人の実妹が、産婦人科を豊子がそれぞれ担当し、それに臨時医師として五、六名が勤務し、レントゲン関係者一三名、薬剤師三名、事務関係者一〇名、看護婦約三〇名、賄関係者約一〇名の総勢七〇名余で構成していたというのであって、関係証拠に照らし是認することができる。なお、渡辺病院事務長上月敏(原審証人、以下「上月」という。)は、昭和四七年病院新館を増築し、ベッド数が増えた「百二三十人入るようになっているんですけど」と述べ、増加したベッド数については無届けであった、というのである。ちなみに、同人は、渡辺病院の昭和四四年当時については、医師が常勤で五名、非常勤で二、三名おり、内科、外科、小児科及び産婦人科の診療に当たり(産婦人科は豊子と勤務医の二名で当たる。)、看護婦は二五名くらい、病室は三四室、ベッド数は一〇〇床(三人部屋三三、一人部屋一)であった、一日平均外来が産婦人科を含めて三〇〇から三五〇名、入院患者が七〇から八〇名くらいであったと述べている(原審第五一回公判期日)。以上によっても、長期的にみて、渡辺病院の事業拡張の一端を窺い知ることができる。

ところが、渡辺病院の診療収入について、上月は、昭和五〇年ころから下降し、同年くらいから窓口現金収入が三分の一になったと述べている(原審第五〇回公判期日)。また、被告人は、薬品の仕入れ率は売上の三五パーセント前後であり、売上の五割がリベートとして返ってきたが、今は規制がやかましく、リベートはその一〇分の一で、大体月三〇万くらいである、同じく昭和四二年ころは、堕胎は、出産一に対し、三ないし五倍であったが、今は出産数の約二分の一から三分の一に減少した、という(原審第六〇回公判期日等)。すなわち、被告人のいう「今は」というのが証言時かどうかは別として、被告人や上月は、本件各年分の病院収入が下降していた旨強調する。そこで、その真偽が問題となる。

(3) 本件各年分の病院の簿外収入について、まず、所論も考察の方法としている、収入(売上)に対する仕入の比率を検討する。本件各年分の各所得税確定申告書謄本(検三、四号)及び検察事務官作成の報告書(検三五四号)によると、昭和四三年分から昭和五三年分までの(ただし、昭和四九年分を除く。)渡辺病院の売上額と仕入額の比率は別表1のとおりである。これらは、右報告書にある被告人の青色申告決算書(一般用)の謄本又は控えから抽出された金額の合計であって、更に検討を要するが、大方の傾向を把握することは可能である。

次に、仕入関係につき、更に他の資料で検討する。渡辺病院に残された資料はそれほど多くない。この点については、昭和五〇ないし五二年分の総勘定元帳のほか、大和銀行寝屋川支店長作成の昭和五三年一〇月三一日付け確認書(検五一号)等があるが、昭和五〇年総勘定元帳(符六六号)と昭和五一年(符一号の1及び一号の2)及び昭和五二年(符八四号)各総勘定元帳とではその科目の立て方に差異があり、また、昭和五一年の総勘定元帳は各項目の内容の記載が個別的でないため、これらにより、この三年分の正確な対比ができない。昭和五〇年分と昭和五一年分との対比も共通の科目に限定しなければならない。それ以前の年分との対比も十分にできない。比較の可能な光熱費について、昭和五〇年を一〇〇とした指数でみると、別表2のとおりであって、電気料金は、昭和五一年が一〇七・四、昭和五二年が一二四・四であり、ガス料金は、昭和五一年が一〇四・八、昭和五二年が一一一・五となる。なお、水道料金については、昭和五〇年、昭和五一年が特に高額であるが、雑記帳(符一一号)の記載等によると、水もれがあったことが窺われるので、ここでは取り上げない。

また、薬品等の仕入れ関係をみると、昭和五〇年分と昭和五二年分について二、三の仕入れ先を抽出して検討する。昭和五〇年分を一〇〇とした場合、昭和五二年分の指数は、日本商事が一三七・三(なお、日本商事の渡辺病院に関する得意先元帳の一般口座(符三二号)の、振替額と値引き額を差し引いた伝票合計額を比較しても、昭和五二年分の指数は一三一・一である)、明和薬品が一九七、重松本店が一七八・三、中西清薬品が一七〇・二、森川医療器が一六一・七といずれも高い指数を示している(別表3)。

他方、仕入とは異なるが、昭和五〇年ないし五二年の総勘定元帳により、支払われた給与手当の額をみると、毎年四月に支給額が増えていることが認められる。支給を受ける人数が増えていることも考えられるが、それでも、昭和五〇年分を一〇〇とすると、昭和五一年分は一一二・九、昭和五二年分は一二六・七に止まる(別表4)。このことは、その間物価とりわけ薬価に、それほどの変動がなかったことを示している。売上や仕入れ、光熱費に関する右各指数の上昇は診療件数ひいては診療収入の増加傾向を裏付けるものといわざるを得ない。

以上検討したところによると、渡辺病院の経営状態は、上月証言にみられるように、昭和五〇年分がピークでその後下降していたというものであったとは到底いえない。むしろ、昭和五一年分、昭和五二年分は、公表売上及び公表仕入額においても、かなり増加していることが認められ、簿外収入についてもその例外ではないと認められる。

(4) 自由診療、更にいえば簿外診療の場合であっても、薬品を使用するのは当然であるから、薬品の使用量は、正確な把握はできないにしても、大まかにいって、どれくらいの患者がいたかを知る一つの手掛かりとなると思われる。前出所得税青色申告決算書(一般用)謄本及び控えにみられる仕入額は、その大半が薬品と思われるところ、薬品会社等に対する反面調査が可能であり、また、経費となるところから、その金額が特に圧縮されているとは思われないのであって、本件で問題となっている架空仕入れは別として、おおむねは実体に沿うと考えられる。そこで、前出別表1の仕入額と売上額との比率(仕入額÷売上額)をみると、昭和四七年分までは三〇前後である。それに対し、昭和五〇年分と昭和五一年分が非常に高いことが分かる。そして、昭和五三年になって再び二九・三と、従前の比率に戻っている。もっとも、被告人は、昭和五三年八月一四日株式会社豊和を設立させ、同社において渡辺病院の薬品関係をすべて扱わせるようにしているが、使用薬品の量自体に影響を及ぼすとは思われない。

所論は、薬品の売上に対する比率について、渡辺病院における薬品の仕入高の売上に対する比率は、昭和五一年分において三八・七パーセント、五二年分において三六・三パーセントで、一般病院の仕入率四〇パーセントと対比して妥当であると主張する。確かに、原審証人吉野紀彦は官公立病院と対比してそのように供述している。しかし、同証人は、また、内科や外科に比べて、産婦人科の場合は若干少なくなるとも供述しており(以上原審第六回公判期日)、産婦人科のある渡辺病院の場合にも官公立病院の比率を当てはめるわけにはいかない。むしろ、本件ほ脱発覚後であることなどから、昭和五三年分の所得税青色申告における売上と仕入れの公表金額は一応実勢を表していると考えてよく、しかも、この比率は本件のような巨額のほ脱がなかったと思われる昭和四七年分までのものとほぼ同水準にあるので、真実に近いとみられる。

そうすると、昭和五一年分の仕入額をもとに、売上額との比率を昭和五三年分と同じとして計算すると、昭和五一年分の売上額は、八億〇八七七万六六九六円となり、売上額において公表売上額との間に一億八九二一万一四二一円の差額が生じ、同様に、昭和五二年分を計算すると、売上額は七億四六九四万〇〇九六円、公表売上額との差は八九七二万三四八四円となる。

(5) 次いで、視点を変えて、簿外現金収入についてみる。前出昭和五〇ないし五二年各総勘定元帳によると、病院の公表収入のうち、収入の大半を占める国民健康保険及び社会保険からの支払金額(昭和五一年から勘定科目八一一及び八一二の各科目ごとの合計額)は、窓口現金収入を含めて、別表5、6のとおりであって、昭和五〇年分と対比して、昭和五一年分及び昭和五二年分の収入は急激に増加している。すなわち、両者を合計すると、昭和五〇年分を一〇〇とした指数が、昭和五一年分は一三八・二、昭和五二年分は一四一・六に達している。弁護人が当審で提出した診療報酬請求控え(当審弁七号証)を検討すると、国民健康保険及び社会保険の報酬支払請求額は、別表7記載のとおりである(ただし、昭和四八年分は、六月分が欠落しており、同年で最も高額の一二月分と同額で計算した。)。昭和五〇年分を一〇〇とした指数では、昭和四八年分は五八・三、昭和四九年分は七〇・六、昭和五一年分は一二五・五、昭和五二年分は一三四・七となり、同様の傾向を示している。

このように、保険収入が年毎に増加している以上、おおまかにいえば、窓口現金収入が比例して増えると考えられる。そこで、総勘定元帳による公表の窓口現金収入(科目四四四)をみると、別表8のとおりである。うち昭和五一、二年分については、当審弁護人らの平成四年一二月二四日付け弁論要旨別表3の各「窓口収入」記載と合致する(同別表の一部に誤記がある。)。そして、その指数は、昭和五〇年分を一〇〇とすると、昭和五一年分が一一〇・〇、昭和五二年分が九八・三である。昭和五〇年分と比べて、昭和五一年分の指数が小さいことや昭和五二年分の指数が一〇〇に満たないことからすると、いささかの疑問が残る。ところで、当審弁護人らは、弁論において、昭和五一年分と昭和五二年分の保険診療による窓口現金収入の額について、弁論要旨添付別表2「弁第七号証により算出した現金収入額一覧」のとおりであって、国民健康保険に関しては全く簿外はなく、社会保険についてもむしろ公表金額のほうが毎月四、五万円多く、したがって、保険診療の窓口現金収入の収入除外は皆無であると主張しており、その点はおおむね首肯できる。しかし、弁護人のいう右の窓口現金収入と前出別表8の公表窓口現金収入額(科目四四四)と対比すると、そのうち保険診療によるものは、昭和五一年分で五八・九パーセント、昭和五二年分では四五・八パーセントにすぎず、その余の額に相当する部分が自由診療に関する公表窓口現金収入となる。そして、結局、自由診療のうち、どれだけを窓口現金収入として公表しているかという問題となり、右公表窓口現金収入と、別表1による仕入額と対比してみると、昭和五一年分は仕入額と公表窓口現金収入の伸びがほぼ同じであるが、昭和五二年分は、仕入れが昭和五〇年分よりは多いにもかかわらず、窓口現金収入は同年分を下回っており、公表の割合が低くなっているものといえる。

自由診療(一般診療)について、本件各年のころ、渡辺病院の経理、所得税の申告に関与している税理士佐保喜一郎は、渡辺病院の所得税の申告について「仕入から見て、また前年の一般診療分収入比率から見て一般診療分収入が過少であると思われるので事務長に話し、本年(昭和五三年)一月から六月分として六月末付けで一二〇〇万円を収入に加算しております。」、「前回も申しましたように、自費診療収入が私の顧問をしている他の病院に比べて少ないのではないかと指摘して五〇年分では一二〇〇万円を申告の段階で加算しております。」と供述しており(昭和五三年一〇月三〇日付け質問てん末書問六、検一二四号)、本件査察前にすでに現金収入が他の同規模の病院等と対比して過少であることが明らかであったため、その一部修正をしているというのである。これによっても、渡辺病院側で公表する現金収入が目立って過少であることは明白であるといわなければならない。

(6) また、薬品の仕入価額が増えれば、注文の薬品に加えてサービスとして無料で添付する同種または別種類の薬品(以下「添付の薬品」という。)の量やあるいはリベートとして返ってくる額も増えるのは自明のことである。被告人は、「ひどいときは五〇%、一〇〇%増しという過当競争が続いてました。」、リベートとか添付は「薬品の種類によって違いますが、四割から五割、六割を超える場合もございます。平均五割ですね。」と述べている(原審第六〇回公判期日)。

所論は、昭和五二年一二月三一日現在の薬用品の棚卸し価格の合計二九一六万七四八〇円であり、(弁一五二号)、病院で使用する薬品の量はそれほど多くないと主張する。しかし、棚卸し額は、年間使用量と異なり、例えば、比較的高価で使用頻度も高い緑膿菌等に効くパニマイシン五〇ミリグラムは、棚卸しでは数量六〇であるが、前出得意先元帳(一般)では、昭和五一年は三〇〇、昭和五二年は三九〇それぞれ購入している。この事実からしても、渡辺病院の薬品の年間使用量が棚卸しの際の薬品の在庫量を相当上回っていることが窺い知れる。

また、所論は、薬品の横流しがなかった旨主張する。しかし、添付の薬品についての処分状況は、被告人が石蔵利徳にその処分を任せていたというほかは何ら明らかにされておらず、これが売却、換金されて同人から被告人に渡っていた可能性は大である。いずれにせよ、薬品に関して、原判決の認定する口座振替のほかにも現金収入の方途があった可能性は否定できない。

(7) 簿外の診療収入となる可能性があるのは、まず、保険の適用外である正常分娩の場合である。次いで、妊娠中絶の場合である。そのうち、正常分娩の場合の収入に関しては、所論(特に当審弁論)のとおりであるといえる。しかし、妊娠中絶に関しては、まず、昭和五一年と昭和五二年の出産児数は所論のとおりであるとしても、妊娠中絶の件数が出産児数の半分であるとする根拠が明確ではなく、直ちに、妊娠中絶による簿外収入が所論の挙げる額にとどまるとは考えられない。

(8) 上月証言によると、現金収入はその日ごとにすべてまとめ、集計したものを被告人の机の引き出しにいれておき、現金は被告人に直接渡していたというのである。もっとも、同証人は産婦人科の分も含めてである、という(原審第五〇回公判期日)。しかし、被告人は、産婦人科の分(二階窓口の分)は、女の子が担当しており、これを豊子に渡し、豊子が被告人に渡したという(昭和五四年一〇月三一日付け検面調書三項・検二七三号、原審第四六回公判期日における豊子の証言も同旨)のであるから、上月証人の誤解とも思われる。そして、被告人は、集まった「全現金収入の中から一部除外して、収入金額よりも少ない金額をメモに書いて、稲田に渡していました。」というのである(前同調書三項)。したがって、被告人がその過程で簿外現金を得ていたことは明らかである。ただ、問題は、その額であり、被告人は毎日五万円程度を抜いていたという(前同調書三項)が、金額については、これまで検討してきたところと符合せず、信用できない。

(9) 当審弁護人らは、弁論において、前に触れているほかにもるる論じて、被告人において原判決の認定するような巨額の簿外収入を得ることは不可能であると主張する。しかし、渡辺病院の現金収入が所論の<1>ないし<3>に限定されるとは思われない。また、当審弁護人らのその点に関する主張は、残っている一部の資料を根拠に、しかも本件期中である昭和五一年分と昭和五二年分だけについてのものである。しかし、本件各年分における巨額の簿外収入の可能性は、本件期中における売上と仕入等の検討だけでは不十分であって、昭和五〇年分あるいは記録上検討可能な昭和四三年分以降と対比して検討するのが相当である。しかも、結果としても、これまで検討してきたとおり、昭和五一年分と昭和五二年分の売上と仕入は昭和五〇年分と比較してその指数が上がっており、診療収入についても前判示のとおりの簿外収入を得ることが計算上窺われる。しかも、その上、その外にも、その金額は明らかではないが、添付の薬品の売却代金や薬品取引のリベート等もあり、いずれにしても、後に認定する本件各年分における期中増加程度の所得を得たことは間違いがないといえる。

二  期首持ち込み現金について

1  所論

(1) 原判決は、期首持ち込み現金等について、期首在り高三〇〇〇万円の現金を算入しているが、期首持ち込み現金は、割引金融債券(以下「割引債」という。)等の無記名債券を含めて、原判決認定の外に、昭和五一年は約三億一〇〇〇万円、昭和五二年は約二億七〇〇〇万円あったものである。被告人は、昭和四八年末には約六億四〇〇〇万円の流動資産を形成し、昭和四九年に入るや、仕手戦の準備を始めたが、同年五月野村證券幹部を京都の石蔵啓至邸に招き、その席上推奨された株を買ったが失敗に終わった。その結果、仕手戦も中止となった。そして、仕手戦中止後は、現金等を査察時発見されなかった自宅大金庫(いわゆる隠し金庫)や、富士銀行天満橋支店や住友銀行伏見支店などの貸金庫に保管していたもので、巨額の現金をこれらに保管していた理由は、被告人の生い立ちに由来するところが大きい。しかし、原判決は、この事実を認めず、仕手戦準備のため五億円の現金を用意する必要性はなかったとしているのは、証拠の正当な評価を誤ったものである。

(2) そして、当審弁護人らが、「社会保険診療報酬請求総括表綴り」の昭和五一年一月分(当審弁八号)と前同昭和五二年一月分(当審弁九号)、「診療報酬請求控」(当審弁七号)と、これらをもとに計算した現金収入額一覧表(当審弁二五号)に基づき、更に田原睦夫作成の報告書(当審弁二一号)により、本件各年分の現金の入出金を挙げているが、とりわけ、昭和五二年二月分は八〇二九万八〇五六円の出金超過となるところ、その超過分は、除外可能な現金をもって賄うことができず、買い越し資金は、被告人の過去の蓄積保管していた現金の投入によるものである。仮に簿外現金三〇〇〇万円あったとしても、あと五〇〇〇万円を他から投入しなければならないところ、一月は病院の休みが多く、一月の簿外収入でこれが賄われたとは到底考えられない。原判決は、昭和五二年二月分はその一部が日興證券大阪支店の稲垣三郎、同京橋支店本田英雄の各口座からの信用保証金等からの振替であると説明しているが、いずれも証拠の見誤りであり、公表現金からの投入の可能性、借入金からの投入の可能性及びその他の簿外預金からの投入の可能性はいずれも見当たらない。昭和五二年分の高額の期首持ち込み現金がなければこれを補うことは不可能である。原判決は、本件当時、簿外現金収入が毎月二〇〇〇万円に上っていて、これを合わせれば四〇〇〇万円ないし五〇〇〇万円となるから、その出金超過を補うことが可能であるとしているが、毎月二〇〇〇万円もの簿外収入があるという証拠はない。

2  当裁判所の判断

(1) まず、関係証拠によると、大蔵事務官が二回にわたりそれぞれ被告人方自宅及び病院並びに貸金庫等を調査した際には、昭和五三年一〇月三〇日には現金二八一二万一二〇〇〇円、昭和五四年一月二四日には現金二二六七万二六五二円の現金を確認しているほか、当時特に多額の現金を必要とする事情もなかったことが認められる。こうした事情によれば、原判決が本件各年の期首期末にいずれも三〇〇〇万円の簿外現金を認めたのは、あながち誤りだとして直ちに否定することはできない。

(2) しかし、所論指摘のように、当審弁二一号証記載の各入出金のうち、とりわけ、昭和五二年一月と二月において、原判決認定の昭和五二年期首の持ち込み現金によって出金をまかなうことができるかを検討しなければならない。原判決は、当審弁二一号証記載の各出金のうち、同年二月の出金約二〇〇〇万円は口座間の振替等によるものであるとするところ、所論はそれが誤りであると指摘する。関係証拠を検討すると、確かに、日興證券大阪支店の稲垣三郎口座の昭和五二年二月二四日付け六四五万円入金(被告人の側からは出金)は、信用保証金からの口座間振替ではなく、現金の入金であることは明らかである。他方、日興證券京橋支店の豊川勝利口座の同月二四日付け七〇〇万円の出金と、同支店本田英雄口座の同月二八日付け七〇〇万円の入金は、それぞれ現金でなされていて、口座間振替とは異なる。しかし、これらは、即日の口座間の入出金で、差引きに変化はないから、その誤りは結論としては問題にはならない。

(3) 次に、前出昭和五二年の総勘定元帳によると、被告人は、昭和五二年一月一二日、同月一七日、同年二月一日、同月五日にそれぞれ現金五〇万円ずつ合計二〇〇万円を自宅に持ち帰っている(この点は、所論も指摘していながら当審弁二一号証には記載が洩れている。)。また、大阪地方貯金局長作成の昭和五四年三月一七日付け回答書(検四六号)によると、郵便局の定額郵便貯金二口(石田陽二名義、昭和五一年七月三一日預入れ額面三〇〇万円、記番号441182―021048、田中秀男名義、同日預入れ額面二〇〇万円、記番号441182―021047)があり、いずれも昭和五二年一月三一日に払い戻されたことが認められる。もっとも、大蔵事務官臼井治作成の査察官調査書(検六号)では、右定額預金二口が昭和五二年分の期末に存在したとみる余地が全くないわけではないが、同調査書では右貯金局長作成の回答書を資料とした旨の記載がなく、その利息の金額も昭和五一年分と昭和五二年分とでは利率がひどく食い違っており、その点に関する限り、同調査書を直ちに信用することはできない。ところで、この入金についても、当審弁二一号証には記載がない。

また、右査察官調査書によれば、昭和五二年二月一五日に大和銀行寝屋川支店の無記名の金銭信託一二九万五〇〇九円(控訴趣意書二〇丁表では、一二六万四九一六円となっているが、これは誤りである。)が支払われており、これもまた被告人の入金となる。これらが当審弁二一号証の記載には見当たらない。

さらに、当審弁二一号証では、昭和五二年二月一六日、日興證券大阪支店稲垣三郎口座の三一七万円と日興證券京橋支店の本田英雄口座の九五一万円の出金は、それぞれシチズン時計新株一万株と三万株の払い込みに当てたものとする。確かに、日興證券大阪支店営業部第二営業課次長土井和夫作成の昭和五三年一〇月三一日付け確認書(検七四号)及び日興證券京橋支店の本田英雄口座の顧客勘定元帳(符八六号)のその部分をみると、いずれも、約定日が二月一六日、記帳日が同月二八日として「シチズントケイシン」一万株あるいは三万株がそれぞれ募集入庫となった旨の記載がある。所論は、原判決が、シチズン時計新株の九五一万円の出金のうちの八〇九万円は、同口座の信用保証金からの振替によると説明しているのは誤りであると指摘している。そこで、右顧客勘定元帳(符八六号)の同口座をみると、原判決の指摘する口座振替二件合計八〇九万円が信用保証金から振替られているが、それがシチズン時計新株三万株のため募集に振り替えられたことは認められず、この点もまた原判決の誤りである。しかし、所論もシチズン時計新株四万株を他から手に入れて、日興證券京橋支店に入庫したと主張するもので、現金が同支店の同口座等に入金された事実をいうものではない。したがって、被告人が昭和五二年二月一六日に現金合計一二六八万円を出金したことを認めることはできない(なお、当時、その頃までにシチズン時計株式会社において新株を発行した事実があったかは疑わしい。)。以上のとおり、当審弁二一号証の現金の入出金についての記載は疑問が多々ある。当審弁護人らは、当審弁二一号証がいわば合意書面と実質同じであるかのように主張するが、そのようにいえないことは明らかであり、これをもとに本件各年の期首持ち込み現金の有無を検討するには、限界があるといわなければならない。

(4) ところで、昭和五二年二月期に、果たして所論指摘の現金の出金を賄うことが可能であるかどうかの点につき、原判決は一箇月当たりの簿外収入額を約二〇〇〇万円として計算している。所論はそれを誤りであると指摘するが、原判決の認定した昭和五二年分の簿外収入額一億九八〇五万五一七一円を、渡辺病院が診療をした日(昭和五二年の総勘定元帳の勘定科目一一一現金勘定科目において、相手勘定科目四四四の記載のある日)の合計日数二九九で割ると、簿外収入は一日当たり六六万二三九一円となり、原判決の説明をもってあながち誤りとはいえない。しかし、ここでは診療をした日毎に計算していくこととする。その入出金を表にすると、別表9のとおりとなる。

次に、それでも、念のため、一応、前記合計一二六八万円を被告人がどこかで現金で出金したとしたと仮定して、計算してみると、別表9のとおりとなる。これによると、昭和五二年二月一七日に出金超過額の累積額がおよそ一八六〇万円近くになっており、その後累積額が減少するものの、同月二三日には再び一八六〇万円近くに上っている。しかし、これは、あくまで試算であって、それだけ現実に金員が不足したかは別問題である。仮に出金超過があっても、他の方途、たとえば、保有株券の出庫を伴う取引や薬品のリベートなどによりその出金超過を補っている可能性がないとはいえない。したがって、一概に、現金の入出金の経緯だけから直ちに原判決の認定した本件各年の各期首持ち込み現金の認定が誤りだということはできない。

(5) 関係証拠によると、仕手戦の準備といえるかどうかは別として、昭和四九年五月二二日ころ、京都の石蔵啓至方に被告人を中心にして、石蔵啓至らが集まり、当時の野村證券大阪支店の部長池内孝を招き株式の話を聞いていることが認められる。さらに、石蔵啓至は、昭和四九年五月連休過ぎころ被告人がロッカーに一〇〇〇万円ずつ束にして入れてあり、五段あるうち最下段は大分空いていた、目勘定で現金五億円以上あったのを確認したと証言している(原審第一二回及び第一三回各公判期日)。また、仕手戦のため準備している現金の額を、当時日興證券京橋支店に勤務していた神保尭は五億円か一〇億円と(原審第三八回期日)、同支店長であった嶋崎秀夫(原審第四二回公判期日)は五億円といずれも被告人から聞いたとそれぞれ供述している。杉本次男(以下「杉本」という。)もその年の四月に被告人のロッカーほぼ一杯に一〇〇〇万円ずつ束にして入っているのを確認していると供述している(原審第一〇回公判期日)。

しかし、他方、被告人の依頼を受けている杉本において株券を換金した形跡はみられず、むしろ、その時期にも株の買い付けなどをしている。また、豊子も、昭和四八年か四九年の初めに、手持ちの債券等をすべて売却して被告人に現金合計一億五〇〇〇万円を提供し、仕手戦が中止となって、昭和四九年、昭和五〇年に何度かに分けて被告人から現金で返してもらったというが(原審第四六回公判期日)、東京証券の大阪支店営業部長北山邦太郎作成の昭和五三年一一月一三日付け確認書(検七一号)により、東京証券における割引興業債券の取引状況をみると、昭和四九年二月から同年五月までころ、割引興業債券の売却の事実はあるものの、その場合でも、満期償還金になにがしかを足して新しい回の割引興業債券を購入しているのである。そして、このようにして購入した割引興業債券について、昭和五〇年に購入した分の合計額からその年に満期償還になった分の合計額を差し引いた額をみると、二七三七万四〇三〇円、昭和五一年分が二二八一万一八五〇円、昭和五二年分が二六五五万二一五〇円に達する。この事実は、被告人や豊子のいう五億円を準備したという事実や、豊子のいう、被告人に貸した分を昭和四九年の半ば過ぎから被告人により何度かに分けてすべて現金で返還を受け、それで絵画等を購入したほかは全部割引債を購入したという事実とも食い違っている。こうした食い違いは、豊子の昭和五四年一一月五日付け検面調書(なおこれは刑訴法三二八条で取り調べ)の供述記載と対比しても明らかであり、さらに、被告人がこの金で豊子が三越では一億円の値札のついていたという四・五カラットのキャッツアイの指輪等宝石二個を宝石店で購入したと述べていること(原審第六二回公判期日)とも食い違っている。しかも、大蔵事務官作成の昭和五一年六月二二日付け査察官調査書(検七号)によると、昭和四九年二月に六〇七万八三五〇円、三月に四六五万七五〇〇円、四月に一八七万〇八〇〇円、特に、仕手戦の準備をしたという五月には七五七万五一二〇円を出して割引債がそれぞれ豊子名義で購入されていることが認められる。したがって、被告人が豊子から現金で一億数千万円を借りたこと、その後、再びすべて現金で返却したという事実は、いずれも認めることができない。

(6) 被告人は、手持ち現金が三億数千万円あったというが、関係証拠によって認められる次のような事実は、被告人の右弁解する巨額の現金手持ちの事実と抵触する余地があるといえる。まず、<1>被告人は、他に入金するためと思われるが、日興證券京橋支店等の仮名口座において出金しており、他方、同日同額が入金の必要な他の仮名口座に振り込まれている。<2>大和銀行寝屋川支店の被告人名義の当座預金口座においては、昭和五〇年から昭和五二年までの間において、昭和五二年七月を除いて、毎年七月と一二月及び昭和五二年には三月にも手形貸付を受けて、病院医師、技師、看護婦その他の従業員に対する給料・賞与の支払いに当てている。ところが、手形貸付を受けた際の同口座の残高は最も多いときで昭和五〇年一二月一三日の一二〇三万〇七九三円であるが、同日手形貸付を受けて出金した一六六七万円余りには及ばない。その他の手形貸付を受けた際の同口座の預金残高は、いずれも五〇〇万円にも達していない。手形貸付を受けておれば支払った利息を経費で落とせる利点のあることは考えられるが、残高に余裕のあった昭和五二年七月に借入を起こしていないことが認められるのは、借入の利息を経費とするためにわざわざ借入を起こしたという弁解との整合性を欠くといわざるをえず、十分な現金がなかったから融資を受けたとみる余地を否定することができない。

(7) 他方、本件各年の期首、期末に現金が幾らあり、期中にその現金を幾ら何に使ったかについては、所論及びこれに沿う被告人の原審及び当審における供述は一定していないばかりか、具体的根拠も乏しいものであり、その上、これらを直接明らかにさせる証拠もない。

(8) しかし、渡辺病院内には、その出入り口が物置の棚を取り除いた奥にあって、人目に付かないように作られた部屋の中に置かれていて、豊子にもその存在が打ち明けられていなかったところの、当審で検証した金庫(原審第五二回公判期日等において、被告人及び原審弁護人がともに隠し金庫と述べている金庫のこと。以下「隠し金庫」という。)がある。また、関係証拠によると、所論指摘のとおり、富士銀行天満橋支店と住友銀行伏見支店に、それぞれ貸金庫を借りていたことが認められる。本件査察調査の際には、大蔵事務官らは貸し金庫を発見できず、右二つの貸金庫借用の事実も判明していなかったのであって、原審公判段階で初めてこれらの事実が弁護人の側から明らかにされたのである。そして、それらに現金を入れていたという被告人の弁解や、被告人から貸し金庫等で現金を受け取ったり、大金庫の現金を見せてもらったという原審証人土井和夫らの証言は、その額は別として、その点では直ちに信用性を排斥することはできないといわなければならない。一方、被告人が杉本を使って株式等有価証券の現物及び信用取引をしており、その取引回数も相当多数回になるのであって、渡辺病院経営に充てる用途とは別に、ある程度の手持ち現金が必要であるという所論も理解できないわけではない。したがって、昭和五三年一〇月と昭和五四年一月の二度にわたる現金・債券等の調査の際に発見できなかった隠し金庫やあるいはその後明らかになった二つの貸金庫に当時、簿外の現金や債券が全くなかったというのも不自然であり、現金か債券がそれらに保管されていたとみざるを得ない。しかしながら、その額については、前判示の説明からも明らかなように、そもそも原判決認定の現金三〇〇〇万円のほかに、さらに、億を超す巨額の現金をそれらの中に保管されていたとは到底思われない。そこで、昭和五三年一〇月三〇日の査察調査の際に、渡辺病院の新館倉庫大金庫に九五三万〇九五〇円、日興證券大阪支店の貸金庫内に一〇〇〇万円があったことに照らし、本件査察時点において、現金等として二〇〇〇万円が、隠し金庫やその際に判明していなかった貸金庫に保管されていたとみるのが相当である。そうすると、前述の三〇〇〇万円だけ認定した原判決の事実認定は、この点に関しては誤りがあるといわなければならない。

ところで、この二〇〇〇万円については、本件各年の期中の増減はあっても、所論の趣旨に従えば、手持ち現金は株式等の取引に備えて常時手持ちしている必要があり、これが変動している格別の証拠もないので、本件各年の期首期末には存在していると認定するのが相当である。そうすると、財産増減法によっている本件においては、本件各年の期首期末については、少なくとも、右の各点で財産に増減はないことになるから、その点について原判決の事実認定の誤りは、判決に影響を及ぼさないこととなる。

三  豊子の資産の混入について

1  所論

原判決は、本件について財産増減法により、被告人の簿外収入を計算しているが、被告人の財産とする中に豊子の固有資産が混入しているので、次のとおり、被告人の財産の増加から除外すべきであり、これを除外していない原判決には事実誤認がある。

(1) 豊子のような医師という特殊な資格を有する青色事業専従者の場合にはその寄与なくして申告者の所得が形成されないから、その青色事業従事者の給与分昭和五一年分三六八二万円(給料一七九六万円+簿外給与一二〇〇万円+受取利息・償還益一〇〇〇万円+謝礼金約三〇〇万円―給料に対する税額六一四万円)、昭和五二年分三九八四万円(一九一八万円+約一二〇〇万円+約一二〇〇万円+約三〇〇万円―六三四万円)は取消益から除外されるべきである。

(2) 昭和五〇年末に豊子に帰属していた資産について、昭和五一年及び昭和五二年中に運用して得た利益は同人に帰属するものであって、被告人の所得から除外されなければならない。すなわら、昭和五一年中の運用益の合計は八六〇万二八八一円(割引債の償還益五四一万〇三二〇円+定期預金利息三五万四五五七円+金銭信託配当金八一万二七四四円+積立預金利息一二万〇一七五円+貸付信託配当金一九〇万五〇八五円)、昭和五二年中の運用益の合計は八九九万六四三九円(割引債の償還益五〇六万四一七三円+定期預金利息一〇八万六〇八四円+金銭信託配当金八六万〇〇六七円+積立預金利息五万五二五〇円+貸付信託配当金一九三万〇八六五円)であって、これらを除外すべきである。

2  当裁判所の判断

(1) 関係証拠によると、被告人は、昭和五一年分及び同五二年分の所得税確定申告に当たり、青色申告書を提出し、青色事業専従者の給与として、豊子について昭和五一年分として一七九六万一〇〇〇円、昭和五二年分として一九一八万八〇〇〇円の申告をしたこと、枚方税務署長は、各青色申告を承認したが、昭和五四年四月一四日付けをもって、右各承認を取り消す旨の決定をしたことの各事実が認められる。

(2) 青色申告の承認取消に関する所論については、原判決が「弁護人らの主張に対する判断」の中(四・事業主勘定について)で、青色申告の承認取消しに伴う増差税額に関してした判断・処理は相当であって、本件のように、青色事業専従者が資格を有する医師であっても、特に別異に取り扱うべき理由があるとはいえない。

(3) さらに、青色申告の承認により認められているのは、豊子の青色事業専従者としての公表給与だけであって、簿外給与や謝礼はもともと青色申告の承認取消しとは関係がない。すなわち、豊子の簿外給与は事業主貸しとして処理すべきであって、直ちに豊子の固有資産となるとはいえない。同様に、患者からの謝礼等は被告人の雑収入となり、これを豊子に渡していれば、事業主貸しとなるものであり、原判決が否認した本件二年分の各給与の額をいずれも事業主貸しとして処理しているのは相当である。

(4) 関係証拠によると、所論指摘の預金などのうち、まず、東京証券大阪支店において売買している割引債は無記名又は架空名義であること、仮名はいずれも女性の名前であるが、証券会社のほうで考え出したものであって、豊子が考えたものでないことなどが認められる。さらに、昭和五三年一一月一〇日償還の四三七回割引興業債券の償還通知が東京証券から豊子あてにされていることが認められるところ、豊子は、東京証券で買った割引債について、原審第四六回、第四八回、第五〇回各公判期日において、要するに、豊子は、当時特定郵便局に勤務していた弟の紹介で東京証券を知り、割引興業債券の取引を始めたもので、その割引興業債券が豊子に帰属する旨証言している。しかし、前判示のような昭和四九年から昭和五二年中における割引債の買い増しの状況と豊子の昭和五一年及び昭和五二年の公表給与収入と対比してみると、直ちには、豊子に帰属するとはいえない。その他それらの債券が豊子に帰属することを窺わせる証拠はない。

また、関係証拠によると、家族名義の預金や仮名の預金等に関して、金融機関の職員との対応を豊子がしていることは認められるけれども、それだけで豊子にそれらの預金等が帰属するとはいえず、豊子に帰属するという豊子の原審証言は、その理由も具体的ではなく、直ちに信用できない。他にこれらが豊子に帰属することを窺わせる証拠はない。他方、豊子名義の預金等については、関係証拠によると、印鑑も豊子自身の印鑑を使用しており、例えば、住友信託銀行における貸付信託の取引状況のように、貸付信託か満期になった際に支払われる金員に少しずつ足しながら貸付信託に投資してその金額を増やしていく方法などはいかにも女性らしい方法で蓄財しているとみられるのであって、これらは豊子に帰属するとみる余地が全くないともいえない。

そこで、関係証拠特に前出査察官調査書(検六号)によると、本件各期中における豊子名義の預金等の増加分は、昭和五一年分は、太平信用組合本店一二月一七日預け入れの定期預金(記番号五二二)一〇〇万円、第一勧業銀行香里支店の定期預金(記番号四―〇六七〇七七)一〇万円にすぎず、昭和五二年分は、太平信用組合本店一二月一九日預け入れの定期預金(記番号三七六〇二)五〇万円、枚方信用金庫寝屋川支店の積立預金(記番号二八四七〇七)六一万一〇七九円、第一勧業銀行香里支店の定期預金(記番号四―三七八九一九)一五万三〇〇〇円、住友銀行香里支店の積立預金(記番号八一七六四一)四〇万円にすぎないことが認められる。

そして、関係証拠によると、昭和五一年分の太平信用組合の一〇〇万円については、同年一二月一二日に満期となり、同月一七日受領した定期積立金の満額(給付金を含む。)が一〇〇万円であって、これを充てたものと思われるから(そうでなくても対応する。)、そうだとすると、結局、豊子名義の預金等が豊子に帰属するとしたとしても、昭和五一年分は一〇万円、昭和五二年分が合計一六六万四〇七九円となることが認められる。

しかし、前記のとおり、原判決は、青色申告の承認取消しにより、豊子に対して支給した給与の額を否認したものの、同時に、源泉徴収税額等を差し引いた実際支給額昭和五一年分一一〇八万二五七〇円、昭和五二年分一一七五万八〇三〇円を、青色申告の承認取消しにかかわらず、いずれも事業主借として認容し、被告人に有利に処理している。その処理によると、仮に豊子が実際支給額全部を預金したのと計算上同一結果となる。ところが、本件各期中に増加した豊子名義の預金等の額及びその利息の合計額は右事業主借による処理をした額に満たないのである。このような右の処理において被告人のため有利に計算されており、重ねて前示預金額を豊子の固有資産として除外するのは相当でない。原判決のこの点に関する認定判断は相当である。

四  第三者の資産の混入について

1  所論

関係証拠によると、本件期中の増加資産中には、日興證券大阪支店で売買が行われたもののうち、全くの第三者のものが混入している、すなわち昭和五一年分に岡田秀男口座、中村広太郎口座分合計一六三七万七三〇〇円、昭和五二年分には岡田英男口座、白畑常吉口座分合計一二四〇万六一〇〇円が混入しているのに、原判決は、これらを看過している。

2  当裁判所の判断

(1) 関係証拠によると、日興證券大阪支店(以下、この項では、特に断らない限り、すべて同支店の口座である。)の岡田英男口座では、(a)「五一―九ファミリーファンド三〇九」について、昭和五一年九月八日五〇〇口単価一万円で約定、同月二八日五〇〇口「ボシュウニュウコ」、(b)「七月号公社債投信」について、同月二七日二〇〇万口単価一・〇一五六円で買い、同月三〇日二〇〇万口売却、(c)「八月号公社債投信」について、同月二七日三〇〇万口単価一・〇〇八三円で買い、同月三〇日三〇〇万口売却、との旨の記載がある。右ファミリーファンド五〇〇口は、昭和五二年一〇月七日単価九五〇五円で売却され、代金四七三万八二四三円がいったん同口座に入金し、即日全額現金で出金し、同ファミリーファンド五〇〇口が出庫となっている。なお(a)については、単価一万〇五〇〇円で五二五万円の記載がある。

次いで、中村広太郎口座では、「五月号公社債投信」について、昭和五一年六月三〇日一〇〇万口を単価一・〇〇九三円、一〇〇万九三〇〇円で買い、入庫し、「六月号公社債投信」について、同日三五〇万口を単価一・〇〇二一円、三五〇万七三五〇円で買い、同年七月二六日五〇万口を売却し、同年八月二六日一〇〇万口を単価一・〇一五四円で買い、同年一〇年五日五〇〇万口を単価一・〇二一一円で、同月九日三〇〇万口を単価一・〇二二三円でそれぞれ売却した旨の各記載がある。

さらに、白畑常吉口座では、「五二―七ファミリーファンド三一九」について、昭和五二年七月二六日七〇〇口を単価一万円で「ボシュウニュウコ」となっており、昭和五三年六月一日売却し、売却代金七三三万一五五九円が出金となっている記載がある。

(2) そこで検討すると、まず、岡田英男口座と他のファミリーファンドの購入・売却・代金の出金の状況が同様であって、所論指摘の入出庫の記載は見当たらず、この取引だけに変わったところがあるとは思われない。中村広太郎口座をみると、前示のほかにも、「四月号公社債投信」を五〇万口購入しており、六月号も購入しているのであるから、五月号を購入しているのはごく自然であると思われる。また六月号について、購入した三五〇万口のうち五〇万口だけ出庫しまた入庫しているが、それがもし別人のものであれば、五〇万口と三〇〇万口に分けて購入するほうが自然であると思われる。白畑常吉口座についても、前記二口座の前判示取引と同様、他の取引と比べて特に変わった取引であるとも思われない。その上、白畑常吉口座において、所論指摘のファミリーファンドが募集入庫となって売却までおよそ半年以上同口座に入庫となったままであり、誤って入庫したとはいいにくい。前記三口座のこれらの取引が第三者のものであるとする理由もはっきりしない。

(3) この点について、昭和四六年六月から日興證券西武支店、同五〇年一〇月から同大阪支店に勤務し、本件当時は同支店営業部次長であった土井和夫は、原審第六六回公判期日において、所論に沿う証言をしている。こうした証言は昭和六一年二月一二日の右公判期日に至って突然なされたものであるが、要するにその二週間程前に杉本から指摘されて所論のとおり第三者の分が混入していることを思い出したというのである。しかし、そもそも土井和夫は、昭和五三年一〇月三一日付け質問てん末書(検三六九号)において、一四の口座を挙げ、石橋達也名義の取引については、そのうちの同年七月二六日付け記帳の「ファミリーファンド三三一」五〇〇口の分一件だけが被告人の分であるが、その余の石橋達也以外の名義の口座はすべて被告人のものに間違いないと述べて、同日付けで確認書を作成しているのである。これによっても、当時すでに土井は個々の取引にまで言及して、被告人の取引であるかどうかを点検していたことが明らかである。そして、その後の昭和五六年一一月一八の原審第一九回公判期日から、翌五七年六月一八日の第二五回公判期日までの間において四回にわたり証人として供述しているのであるが、検察官の、石橋達也を除けば、「それ以外の一二名の仮名になっている口座、そこにあるものすべて被告人のものに間違いないですね。」との質問に対し「間違いございません。」と答えているのである(原審第一九回公判期日)。検察官の問いは、確かに、所論指摘の各口座の各年分を一つ一つ指摘してなされたものではないけれども、証人の前示立場に照らせば、よしんば検察官の右問いに間違いないと答えたのが勘違いであるとしたら、その後三回も証言している間に誤りに気付き、これを訂正する機会は十分にあったはずである。それが、本件からおよそ一〇年前後経過して突然誤りに気づいたといっても到底信用することはできない。しかも、右土井証言を検討すると、証言自体があいまいである上、間違いに気付いた理由というのが、当時、購入した債券はその口座では直ぐ売ることができなかったから、他の口座に移して売却したというのであって、それで杉本から指摘されて思い出したというのである。しかし、所論指摘の口座が同証言に沿った動きを示しているとは思われず、どうしてそれらの取引がその口座の他の取引と区別されて第三者のものといえるのか同証言を検討しても明確とはいえない。むしろ、当時は仮名口座を設けるのは実際上容易であったとみられるから、わざわざ被告人の仮名口座を利用する必要性がなかったのではないかともいえる。同証言は口座を設けなかった理由として面倒だったからというが、首肯できるものではない。土井証言は、杉本の指摘に沿った可能性が高く、到底信用できない。所論は、土井証言が顧客のためを考え、査察官に対して真実を言えなかったというが、土井証人はそうはいっていない。原審第六五回公判調書中の原審証人杉本の供述部分及び同添付の同人作成の報告書によると、杉本は、売買の報告書が同証人又は被告人に届いていない取引が第三者の分であるなどというようであるが、十年近く経過した後の証言である上、その理由とするところも決め手になるとは思われず、いずれにしても信用できない。

五  委託手数料等の既発生債務の控除について

1  所論

被告人には、各証券会社に対し、本件各年末においてすべての信用取引にかかる委託手数料、取引税、受払利息、管理費、名義書換料が具体的債務として発生しており、これらを債務として控除しなければならない。これらの債務額の合計は、昭和五一年が四八四万一四八五円、昭和五二年が六六〇万四七二〇円であるのに、原判決は、これを看過している。

2  当裁判所の判断

しかし、所論の委託手数料等は、その取引の決済の日の年分の必要経費となるから、未清算の段階である年末において具体的に発生した債務として計上し、その相当額を被告人の財産から控除することはできないと解するのが相当である。したがって、所論未清算の手数料等を債務として計上していない原判決の処理は相当である。なお、本件においては、被告人が信用取引をした分は未清算の段階では資産として計算されていないのであるから、その手数料等を債務として計上するのが不相当であることはいうまでもない。

六  架空買掛金、架空支払手形について

1  所論

原判決が渡辺病院の日本商事に対する昭和五一年期首における二七二万八六〇〇円の買掛金、同年期末における八〇一万四六六四円、昭和五二年期末における三二四万八八五三円の各支払手形が架空のものであるとするが、これらは実体を伴ったもので、架空のものではなく、これを認めない原判決は証拠の評価を誤り、事実を誤認している。

2  当裁判所の判断

(1) 関係証拠によると、まず、日本商事では、得意先元帳について、渡辺病院に対する口座として、分冊して「一般」(符三二号)と「別口」(符三三号)の二つの口座を設け、一般口座は渡辺病院、別口口座は同病院五階に事務室を置いていた石蔵利徳に対する各取引のためのものであったことが認められる。そこで、「一般」(符号三二号)と「別口」(符号三三号)口座をみると、昭和五一年八月三一日付けで「コードチガイ」により三八七万七六〇〇円(五一年九月限一頁)、同年九月三〇日付けで「ウリカケキンフリカエ」により九三三万八一〇〇円と九〇〇万円合計一八三三万八一〇〇円(五一年一〇月限一頁)、同年年一〇月三〇日付けで「ウリカケキンザンダカフリカエ」により四七九万八九六四円(五一年一一月限一頁)、昭和五二年一〇月三一日付けで「コーザフリカエ八九〇ヨリ」として九〇〇万円と二一八万四三〇〇円合計一一一八万四三〇〇円(五二年一一月限一頁)がそれぞれ別口口座(口座番号〇六五一〇―八九〇)から一般口座(口座番号〇六五一〇―〇〇〇〇)へと振り替えられていることが認められる。そして、原審公判における日本商事の社員中村一二三(原審第五回公判期日)及び吉野紀彦(原審第六回公判期日)の各証言によると、これらの振替はすべて石蔵利徳からの依頼によるものであって、元帳の記載が異なっているが格別異なった意味はないというのである。また、前出得意先元帳「一般」によると、いずれもこれらの各振替の日にこれら振替分の支払いに当てたと認められる約束手形あるいは小切手による入金処理がなされている。すなわち、昭和五〇年一二月二四日約束手形一通(額面一四二万四六〇二円)、昭和五一年八月三〇日約束手形二通(額面二〇〇万円と二三六万二〇〇〇円)、同年九月三〇日小切手一通(入金額五〇〇万円)、約束手形五通(各額面一〇〇万円三件、八〇〇万円一件及び三五六万六八一〇円一件)、同年一〇月二九日約束手形二通(額面二〇〇万円及び三〇〇万円)、昭和五二年一〇月三一日約束手形五通(各額面二〇〇万円三件、二四一万八四八九円一件及び四〇〇万円一件)による各入金処理がなされていることが認められる。

(2) 石蔵利徳は、昭和五一年九月三〇日付けの合計一八三三万八一〇〇円については、資金繰りの関係で被告人に依頼して振り替えてもらった(昭和五三年一〇月三〇日付け質問てん末書・検二八四号)、昭和五二年一〇月三一日の一一一八万四三〇〇円の振替も同人が被告人に依頼した分であるとそれぞれ供述する(原審第六回公判期日)。それらの約束手形が日本商事と渡辺病院との関係では、薬品の買掛がなくして振り出されたことは優に認められる。もっとも、原判決が認定している他の振替については、石蔵利徳は、納得のいく説明をしていない。

(3) 所論(特に当審弁論)は、これらの振替は、石蔵利徳の管理していた渡辺病院の五階の倉庫から実際に渡辺病院に融通した薬品の清算であって、実体を伴ったものであり、架空ではないと主張する。そこで、日本商事の一般及び別口の得意先元帳(符三二号、符三三号)をみると、確かに、少額の振替や一般から別口への振替などでは、その金額や振替の態様に照らし、実際にも「コードチガイ」のためや、あるいは、所論のいうような、別口口座に納品された薬品を渡辺病院で使用した実体を伴った振替もないとはいえない。しかし、本件で問題となっている口座振替が記載されているのは、別口口座では昭和四九年一二月九日の欄にすでに出現しているが、一般口座では昭和五〇年五月二八日の欄が最初である。それは、実体を伴ったものかあるいは文字通りの「コードチガイ」であって、架空といえるかは疑わしい。一般口座で一〇〇万円を超す額の振替が行われるのは昭和五一年六月三〇日の欄からである。もし、所論のように本件口座振替が実体を伴った口座振替だというのであれば、それまで、どのように清算していたのか、被告人は原審及び当審においても納得のいく供述をしておらず、弁護人らの説明についても同様である。むしろ、被告人は、所論に反して、石蔵利徳との間においては、融通した薬品の清算を毎月行っていた旨の供述さえしているのである(原審第六二回公判期日)。そして、本件口座振替の状況をみてみると、昭和五一年六月三〇日に二〇九万二〇〇〇円、同年七月三一日に一五二万八〇〇〇円、同年八月三一日に三八七万七六〇〇円を振り替えているのに、同年九月三〇日に売掛金残高のほとんどに当たる一八三三万八一〇〇円を振り替えた翌一〇月に、また売掛金残高振替として五〇〇万円近くを振り替えているのである。これによると、昭和五〇年一二月から半年間ほとんど振替らしい振替もなく経過しているのに、昭和五一年六月三〇日の振替額は二〇〇万円をわずか超える額にしかすぎない。一方では、同月から毎月末に清算的振替に及んでいるというのに、同年九月三〇日に前示のように一八〇〇万円余の振替が行われているのである。このような経緯をみると、それが本件振替について架空を否定する所論に沿うとは到底いい難い。しかも、一〇月にまた五〇〇万円余の振替をしているのであって、そのときは一箇月で五〇〇万円近くの薬品を石蔵利徳の薬品から融通を受けたというのであろうか。その後、昭和五二年一〇月末まで一年間このような振替はなく経過しており、その振替額は、一箇月平均一〇〇万円にも満たないものであって、このような振替の時期、額等と対比しても、本件振替が所論のような清算的な実体を伴ったものだと認めることはできない。所論のように年一回九月ころにそのような清算が行われたことを窺わせる証拠はない。石蔵利徳の原審第六回及び第八回各公判期日の供述はあいまいで、これによっても所論のような清算的振替を認めることはできない。

(4) もっとも、関係証拠によると、弁護人ら主張のように、明徳薬品や重松本店などでも、日本商事の場合と同様、例えば明徳薬品のように渡辺病院と渡辺というように分けており、石蔵利徳が渡辺病院の口座を利用し別口の口座を設けている。しかし、これらの場合は、いったん渡辺病院に納品し、値引きを受けた上、別口に転送手続きを経て、実際振替をしており、本件の振替とは全く事案が異なっていることが認められる。明徳薬品や重松本店の例によって、日本商事の本件振替が実体を伴ったものということはできない。

なお、所論は、石蔵利徳は別口口座の日本商事に対する支払いをすべて現金で行っており、一般口座の支払いとは明確に区別されているとも主張する。別口口座の日本商事に対する支払いが全て現金で行われていることは所論指摘のとおりであるが、石蔵利徳が一般口座に振り替えた分については別であり、それは被告人の振り出す約束手形や小切手によるものであるから、所論指摘の点は本件とは関係がない。むしろ、振替後に石蔵利徳が被告人に振替相当分を現金で支払っていることと符号するとさえ考えられる。

(5) 以上のとおり、前判示小切手及び約束手形について、昭和五一年分と昭和五二年分の各期首において未済となっているもののうち、前示振替分に相当する金額を、原判決は架空であると認定しているところ、この認定が誤りであると疑うべき証拠はない。

(6) なお、所論は、本件支払手形が架空のものであったとしても、被告人が同額の求償債権を持つから、財産に増減はなく、したがって、財産増減法によってほ脱額を算出している本件においては、何ら増差所得を生じない、という。他方、検察官は、求償債権がもともと簿外であって、買掛金及び支払手形を否認すると同時に、その見返り勘定である同額の簿外の求償債権も否認されるから、増差所得に影響がない、と反論する。

検察官の右反論は十分首肯できる。あるいは、本件においては、被告人が日本商事に対し振り出した本件約束手形について、その支払いを拒否できないことはいうまでもないところであるから、買掛金及び手形債務を否認する処理ではなく、手形債務を認め、それに応じた額を事業主貸しとして処理することも十分考えられる。いずれにしても、所論は採用することができない。

七  絵画美術品について

1  所論

昭和五二年の増加財産として計上されている三越百貨店において計一四四〇万円で購入した絵画二点及び近鉄百貨店において計二二四万円で購入した美術品二点はいずれも豊子の固有財産であるにもかかわらず、その増加額を被告人の簿外所得に加えた原判決は、事実を誤認している。

2  当裁判所の判断

(1) 関係証拠によると、昭和五二年中の増加は、いずれも絵画で、<1>藤田嗣治の「パレロワイヤル」九〇〇万円、<2>奥村土牛の「瓶花」五四〇万円、<3>穐月明の「石仏」一四万円、<4>同二一〇万円である。これらの売買の状況をみてみると、<1>藤田嗣治の「パレロワイヤル」九〇〇万円は、昭和五二年九月三越の外商担当の上田忠良が渡辺病院までこれを持参して、豊子に対し気に入ったら買ってくれと言って置いてゆき、同年一二月三〇日ころ、買入れの返事があり、上田が病院まで集金に行き、豊子から現金で受け取り、領収書は、金額を等分して四枚発行し、その各宛て名を「上様」とした。また、<2>奥村土牛の「瓶花」五四〇万円についても、上田が取り扱ったもので、同年一一月三〇日に現金で代金を領収した。<3>穐月明の「石仏」一四万円は豊子が近鉄上本町店において店頭買いしたもので、その場で代金を現金で支払った。<4>穐月明の「石仏」二一〇万円は、同年五月八日同店の喜多純一が渡辺病院に届け、豊子からその代金を現金で受け取った。近鉄上本町店の領収書の宛て名もまたいずれも「上様」であった。他方、被告人は、美術にはほとど関心を示した形跡はなく、三越の上田は、被告人と商売の話しはしていないというのであり(主として原審第二八回公判期日)、近鉄の喜多は被告人と会ったことはないというのである(喜多純一の質問てん末書・検一七九号)。したがって、これら美術品の売り込みは専ら豊子に対してなされており、三越や近鉄の関係者も豊子が売買の相手方であると認識していたと思われる。関係証拠によると、現に、豊子の部屋から、「三越値札」一枚及び「三越請求書」一綴りが押収されていることが認められる。

(2) しかしながら、問題は、その買入資金である。原判決は、豊子が所有する現金で購入したという同女の供述は同女が病院の一勤務医であることに照らし信用できないとしている。これに対し、所論は、豊子の医師としての収入等に照らし購入が可能であるというのである。確かに、同女の病院から受け取る給料の公表されている額は年収で、昭和五一年が一一〇八万二五七〇円、昭和五二年が一一七五万八〇三〇円であって、美術品だけを購入するのであれば、これらの給料と、これまでの蓄積財産等を充てれば購入ができないわけではないと考えられる。さらに、豊子名義の預金等は豊子の固有資産であるとする所論に沿って検討してみる。関係証拠によると、豊子は、三越の豊子名義の口座を利用しておらず、現金で支払っていることが認められる。そのうち、<3>穐月明の「石仏」一四万円の支払いはその額に照らして問題はないとしても、<1>藤田嗣治の「パレロワイヤル」九〇〇万円を支払った昭和五二年一二月三〇日ころ、<2>奥村土牛の「瓶花」五四〇万円を支払った同年一一月三〇日、<4>穐月明の「石仏」二一〇万円を支払った同年五月八日、あるいはその前ころにおいて、豊子名義の預金等からみても、これらの支払いに対応する出金は全く見当たらないし、被告人名義のものからの出金も見出せない。豊子が自己の収入のすべてを美術品購入代金だけに充てられたという形跡はない。

ところで、豊子は、これらの美術品を被告人から返してもらった「お金」で買ったと原審第四六回公判期日で供述しているのであって、所論のいう豊子の可処分所得は問題にならないようである。豊子は、昭和四九年ころから、<3>穐月明の「石仏」一四万円を除いたとし、一六五〇万円もの現金を自分の金庫に入れていたというのであろうか。そのような高額を現金で所持していたとは認め難い。これに対して、被告人は、返した現金で豊子は前示宝石等を買ったというのであって、豊子の言い分と食い違っており(前出)、いずれの弁解も直ちに信用することはできない。豊子は、右第四六回公判期日において、その後返してもらってどうなったかとの検察官の質問に対し、「お金で持っているのはおそろしいですし、ぼつぼつ絵に替えていったり、・・・」預金したと供述しており、到底そのような額の現金を所持していたとは認められない。豊子は、また、同公判期日において、研究費等について「なるたけ節約して病院がまだ新しいですし子供も抱えておりますし、病院がなんかのピンチの時に手持ちがなけりゃ困るという気持ちで、ほとんど預金にまわしておりました。」と供述している。こうした豊子の供述からみても、豊子において、この合計一六五〇万万円を現金で手元に置いていたとも思われない。さらに、美術品について被告人は関心がなく、専ら豊子がこれを購入したとする。しかし、関係証拠によると、本件以前においても、大丸百貨店から、昭和四四年一二月に和田英作の「花の図」を一三〇万円、宮本三郎の「花」を二〇〇万円で、昭和四五年六月に岡田三郎助の「風景の図」を四五〇万円で、昭和四七年一一月に金の仏像を一一二〇万円でそれぞれ購入し、三越百貨店から昭和五〇年に梅原龍三郎の「バラ」を一四〇〇万円で購入していることが認められ、金の仏像を除いたとしても、相当の出資である。ちなみに、昭和四四年以降の所得税青色申告決算書(一般)控えによる豊子の給与をみると、昭和四四年が二五五万五二六五円、昭和四五年が四五六万三九三〇円、昭和四六年が四七〇万円、昭和四七年が五六八万円、昭和四八年が八五九万六〇〇〇円、昭和四九年は不詳、昭和五〇年が一五四三万二九〇〇円であって、豊子の給与だけでは到底買えないといわざるをえない。これに加えて、本件期中でみると、例えば、三越百貨店の豊子名義の口座に対する豊子名義の預金口座からの振替支払いだけをみても昭和五一年は四三八万六三五〇円であり、豊子にその所持する金員をもって一六六四万円で美術品を購入するほどの経済的余裕があったとも思われない。被告人は、昭和五四年一一月七日付け検面調書(検二七八号)において「書面骨董類についても、妻豊子がこういうものがあるが買いたいというので、それなら買いなさいという風なことで、私が金を出して買わせました。どのようなものを買ったかについては、私自身はこれといって記憶していません。」と述べている。また、豊子は、原審第四六回公判期日において、本件美術品の購入に関して、被告人から領収書は何枚かに分けてもらえと言われており、それら領収書を被告人に渡していた旨証言しており(原審第四六回公判期日)、このような領収書の処理状況は被告人の検察官に対する前示供述と符号するものである。その他豊子の収入等と対比しても、<3>穐月明の「石仏」を含めて本件美術品がすべて被告人の事業資金によって購入されたと認定した原判決の認定は相当である。

八  賃借マンションの保証金について

1  所論

本件における赤田アパート、ステュデイオ新大阪、新門真ハイツはいずれも杉本が同人の顧客の便宜のために設けたもので、その賃借に伴う保証金はいずれも杉本に帰属するもので、これを被告人に帰属すると認定した原判決は事実を誤認している。

2  当裁判所の判断

(1) しかし、関係証拠によると、この点に関する原判決の認定・判断は是認することができる。以下若干説明を付加する。まず、関係証拠によると、昭和五一年中に支払われた保証金は六〇万円(<1>赤田アパート二〇三号室の分一〇万円、<2>ステュデイオ新大阪(原判決は、「スタジオ新大阪」と表記するが、関係証拠によると、「ステュデイオ新大阪」とするのが相当である。)六三二号室の分五〇万円)、昭和五二年中に支払われた保証金は四〇万円(<3>新門真ハイツ三〇五号室の関係で五〇万円。ただし、<1>赤田アパート二〇三号室の分一〇万円が返還され、一〇万円減少)であることが明らかである。また、これらの不動産賃貸借契約は、三件とも杉本が知り合い(関西建設と杉本経済研究所が隣合わせ)の関西建設の社員山本肇の仲介によりしたものであって、保証金はすべて現金による支払いであることの各事実が認められる。

(2) さらに、関係証拠によると、<1>赤田アパート二〇三号室は本田英雄名義で、<2>ステュデイオ新大阪は豊川勝利名義で、<3>新門真ハイツ三〇五号室は松浦良夫名義で、それぞれ証券会社からの株式等取引の報告書等の郵便物を受け取る目的で賃借したことが認められ、これら本田英雄、豊川勝利あるいは松浦良夫の各名義は被告人の株式等取引の架空名義であって、当然のことながら住所はアパート等のそれぞれの所在地であることが認められる。

そうすると、これらアパートの賃借によって利益を受けるのは被告人であることからして、その費用は被告人が負担し、その保証金も被告人に帰属するとみるのが相当である。

なお、豊子の手帳(符一〇号)をみると、豊子がステュデイオ新大阪の所在地、その所在場所の略図、賃借名義人、管理者の預金口座番号、保証金の額、管理費の一箇月の額等を記入しており、豊子の原審第四六回公判期日における供述によると、被告人の部屋を掃除していたときにそのように記載したメモが置いてあったので、これを書き写したというのであるところ、書き写した動機に関する部分は不自然で信用できず、右手帳の記載も、ステュデイオ新大阪賃借についての前判示認定を裏付けるものといえる。

(3) 他方、杉本は、原審第九回公判期日において、いずれも同人が借主であり、本件マンション等の経費も同人が負担しているというが、同証人も<1>赤田アパート二〇三号室及び<3>新門真ハイツ三〇五号室はいずれも郵便を受け取るために借りた旨述べており、経費負担の点を別とすれば、前示の認定と符号している。また、<2>ステュデイオ新大阪は豊川勝利という東京に居住する人が関西に来たときに宿泊するために借りたと供述しているが、賃借料の負担の供述部分も含め不自然な供述であって到底信用できない。

九  郵便局の定額貯金について

なお、大阪地方貯金局長作成の昭和五四年三月一七日付け回答書によると、被告人の仮名による郵便局の定額郵便貯金のうち、前示の石田陽二名義の三〇〇万円、田中秀男名義の二〇〇万円ほか、田中都貴名義の昭和五一年一二月一七日預入れの二五〇万円、田中高志名義の同日預入れの二五〇万円、田中洋子名義の同年九月一七日預入れの三〇〇万円、大山則康名義の昭和五二年一月一三日預入れの二〇〇万円、大山好子名義の同日預入れの一〇〇万円、榊原登志名義の同月一一日預入れの二〇〇万円及び榊原義人名義の同日預入れの二〇〇万円は、いずれも昭和五二年の期中に被告人に払い戻された疑いが強く、他方、大蔵事務官臼井治作成の査察官調査書(検六号)におけるこの点の記載については、その信用性につき、なお裏付けを必要としているので、疑わしきは被告人の利益に従い、結局、これらの定額郵便貯金はいずれも昭和五二年期中に被告人に払い戻されたと認めるのが相当である。そうすると、昭和五二年期末における財産のうち、定額郵便貯金合計二〇〇〇万円が存在しないことになるから、「その他の預金」から同額減じなければならない。また、それらの定額郵便貯金を元本とする昭和五二年分の未収利息合計一一二万一七五二円と未収利息の同年分の過年度金額九万二〇七二円が誤って計上されたこととなるからこれも減じることになる。

一〇  事実誤認についてのまとめ

以上のとおり、原判決の事実認定には、結局昭和五一年及び昭和五二年の各期首において簿外の現金三〇〇〇万円のほかに二〇〇〇万円を認定していない点において事実誤認があり、この誤りが判決に影響しないものの、さらに、昭和五二年の期中において前記減額分が有価証券等の増加となった可能性を否定できないのであって、そうすると、昭和五二年分の所得は二一二一万三八二四円だけ減じなければならず、その限りにおいて、原判決は原判示第二の事実に誤認があり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかといわなければならない。事実誤認の論旨はその限度で理由があり、その余の論旨は理由がない。

結論

以上のとおり、原判決は、結局、原判示各事実について、各期首における簿外持ち込み現金五〇〇〇万円を、それぞれ三〇〇〇万円と認定した点及び原判示第二の昭和五二年分において、その期中に払い戻されている前示定額貯金九口をその他の預金として合計二〇〇〇万円、その未収利息合計一二一万一七五二円と過年度金額九万二〇七二円を計上した結果、前判示のように、同年分の所得を二一二一万三八二四円多く認定した誤りがあり、原判示第一の事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえないが、原判示第二については、その事実誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判示第一も原判示第二と併合罪の関係にあり、原判決の全部が破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

よって、量刑不当の控訴趣意に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書きにより更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、医師で、大阪府寝屋川市香里本通町一〇番一号において渡辺病院を経営するものであるが、自己の所得税を免れようと企て

第一 昭和五一年分の所得金額が二億七七四八万四一九四円(別紙(一)所得金額計算書及び修正貸借対照表参照)でこれに対する所得税が一億七三〇〇万五三〇〇円(別紙(二)税額計算書参照)であるのにかかわらず、診療収入の一部を除外し、あるいは薬品の架空仕入れを計上するなどし、よって得た資金で架空名義により株式を取得するなどの行為により右取得の一部を秘匿したうえ、昭和五二年三月一五日、枚方市大垣内町二丁目九番九号所在の所轄枚方税務署において、同税務署長に対し、右年分の所得金額が七一〇八万八三七九円で、これに対する所得税額は一九〇七万五四〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま納期限を徒過させ、もって不正の行為により所得税一億五三九二万九九〇〇円を免れた

第二 昭和五二年分の所得金額が二億五五一四万九七九九円(別紙(三)総所得金額計算書及び修正貸借対照表参照)でこれに対する所得税が一億五七六四万五四〇〇円(別紙(二)税額計算書参照)であるのにかかわらず、診療収入の一部を除外し、あるいは薬品の架空仕入れを計上するなどし、よって得た資金で架空名義により株式を取得するなどの行為により右取得の一部を秘匿したうえ、昭和五三年三月一五日、前記枚方税務署において、同税務署長に対し、右年分の所得金額が七八三〇万八四五二円で、これに対する所得税額は二五三五万八二〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま納期限を徒過させ、もって不正の行為により所得税一億三二二八万七二〇〇円を免れた

ものである。

(証拠の標目)

原判決の証拠の標目欄記載の各関係証拠記載のとおりであるから、これらを引用する。

(法令の適用)

原判決の法令の適用欄において摘示する法条のとおりであるから、これらを引用する。

(量刑の理由)

所論にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果も踏まえて検討すると、本件は、医師であり、病院長として病院を経営する被告人が、昭和五一年と五二年の二年分にわたり合計五億二八八九万円余の所得があったのに、診療収入の一部を除外する等の方法により所得の一部を秘匿し、合計二億八六二一万円余の所得税を免れた、という事案である。本件ほ脱の額およそ一六、一七年前を基準とすればそれがきわめて高額であることはいうまでもない。ほ脱の方法も計画的で、巧妙かつ悪質であり、動機に特に酌むべき点はない。ほ脱率も平均しておよそ八六・五パーセントと高いこと等の諸点を考慮すると、被告人の刑事責任は相当重いといわなければならない。

そうすると、被告人がすでに病院を廃院し、豊子との間に本件を機に離婚の争いが生じていること等、本件に対して事実上相当の社会的制裁を受けていること、更正決定に係る本税、加算税を完納していること、被告人には前科がないこと、永年地域医療のために貢献したこと、被告人の年齢、その他所論の指摘する被告人に有利な情状を十分しんしゃくしても、被告人に対し罰金刑はいうに及ばず、懲役刑についてもその執行を猶予することは相当ではなく、主文程度の刑はやむを得ない。よって、主文とおり判決する。

(裁判長裁判官 小瀬保郎 裁判官 萩原昌三郎 裁判官 谷口彰)

別表1

売上額と仕入額の対比

<省略>

検察事務官作成の報告書(検354号)による(ただし、昭和52年分は検4号による。)。

別表2

電気料金及びガス料金

<省略>

別表3

日本商事等薬品仕入れ金額

<省略>

ただし、1月から11月末まで。

別表4

給料賃金の金額

<省略>

別表5

国民健康保険の収入

<省略>

総勘定元帳による(勘定科目812、なお勘定科目444を含む。)

別表6

社会保険の収入

<省略>

総勘定元帳による(勘定科目812、なお勘定科目444を含む。)

別表7

診療報酬請求額(円)

<省略>

診療報酬請求控(当番弁第7号証)による。

別表8

窓口現金収入

<省略>

総勘定元帳による(勘定科目444)

別表9

昭和52年1・2月期現金入出

<省略>

<省略>

別表(一) 総所得金額計算書 No.1

<省略>

修正賃借対照表 No.2

<省略>

No.3

<省略>

別紙(二)

税額計算書

<省略>

別紙(三) 総所得金額計算書 No.1

<省略>

修正賃借対照表 No.2

<省略>

No.3

<省略>

修正損益計算書 No.4

<省略>

昭和六三年(ワ)第七一八号

控訴趣意書

<省略>

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