大判例

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大阪高等裁判所 昭和63年(ネ)200号 判決 1989年2月28日

控訴人

甲野太郎

被控訴人

日本弁護士連合会

右代表者会長

藤井英男

右訴訟代理人弁護士

佐古田英郎

喜田村洋一

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人の昭和五八年三月一二日の臨時総会において議決された日本弁護士連合会会則第九五条の改正による同年四月一日以降の増額会費月額一〇〇〇円のうち九〇〇円について、控訴人の納入義務が存在しないことを確認する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴人は、主文と同旨の判決を求めた。

(なお、被控訴人は当審において本案前の抗弁を撤回した。)

第二  当事者の主張

左のとおり訂正、付加するほか、原判決の事実摘示と同一(ただし、本案前の抗弁に関する部分を除く。)であるからこれを引用する。

一  原判決事実摘示の訂正、付加<省略>

二  控訴人の主張

(一)  被控訴人の昭和五八年三月一二日開催の臨時総会における本件会費増額に関する会則の一部改正の議決(以下「本件議決」という。)の当否について司法判断が及ばないとした原判決の結論は、以下に述べるとおり、被控訴人の会費の性格及び被控訴人の目的と事業活動の限界についての解釈を誤ったことによるものであり、控訴人の財産権及び思想、信条の自由についての憲法上の保障を無視したものである。

(1) 弁護士は、公認会計士、医師など他の職業専門家と同様に、その資格を取得したうえ登録免許税を納付して弁護士名簿に登録されれば、その資格を公認され、以後弁護士業務を自由に行い得るのが本則である。それにもかかわらず、弁護士は弁護士会及び被控訴人への入会を強制されている。これは国の立法政策の問題であるが、医師等については強制加入制度が採用されていないのに弁護士について強制加入を要求する合理的な理由を見出すことは困難であり、このような制度を採用した場合でも、憲法上保障された結社の自由との関係で、弁護士会及び被控訴人の目的とその事業活動には限界があり、また、弁護士会や被控訴人が弁護士に賦課し得る負担もその本来の事業活動に必要なものに限定される。

被控訴人の目的及び事業活動の限界、被控訴人の現在の事業活動の一部が右限界を逸脱していることは、控訴人において原審で詳述したとおりである。

(2) 原判決は本件の会費増額分(共済事業繰入分を除く。)が控訴人主張の目的外事業の費用に充てられていることが確実であるとは認め難いとするが、増額会費がいかなる支出に充てられるかを特定することはおよそ不可能であるものの、被控訴人が少なくとも控訴人の主張する目的外の違法支出を廃止すれば本件値上が全く必要のなかったことは、次に説明するとおり計数上明らかである。

被控訴人の昭和四一年以降昭和五七年までの事業活動による支出、その内訳等は別表1記載のとおりである。

右別表から明らかなように、弁護士会員数は昭和四一年から昭和五七年の間に六割弱の増加(1.59倍)に過ぎないのに、一般会計の実支出総額(支出総額より共済部繰入額を控除した金額)はこの間10.9倍に達し、会員たる弁護士の納付すべき純会費(共済部繰入金を控除した額)は八倍強となっている。右期間の消費者物価指数の上昇率は約3.17倍(昭和五五年を一〇〇とした場合、昭和四一年は34.0、昭和五七年は107.7)であるところから、会員数の増加率1.59倍に右消費者物価の上昇率3.17を乗じた5倍強が本来の支出増加率と考えられるところ、右のとおり支出増加率は10.9倍と2倍になっている。被控訴人の支出額が右のように増額した最大の原因は特別委員会費(47.65倍)と人権関係費(12.28倍)の増加であり、ついでこれらの事業の実施を最大原因とする職員数の増加(昭和四一年は三七名のところ昭和五七年は五四名)に起因する人件費の増加(10.93倍)にあたることは一見して明らかである。その他右事業の実施に際しての担当副会長の出席、正副会長会議の開催等による役員旅費(会議費中の科目)の増加もその原因となっている。

被控訴人は昭和五五年度に従前の会費月額五〇〇〇円(共済部繰入金三五〇円)を月額六〇〇〇円(共済部繰入金同右)に増額したが、この増額により昭和五五年度ないし昭和五七年度の間にいかなる項目に支出増加が生じたかを検討すると別表2のとおりである。これから明らかなように、共済部繰入額を除く実支出額は昭和五五年度七億一七五六万円弱に対し昭和五七年度は八億五八八三万円強と一億四一二七万円強増加している。右支出増加がいかなる項目に生じているかをみるに、被控訴人の目的外事業活動である特別委員会費の増加に特に顕著である。また人件費、役員旅費及び会報出版費の各増加分の大部分も右目的外事業活動に起因していることも容易に推測されるところである。すなわち、昭和五五年度における被控訴人の会費値上による会費増収額の大部分が直接又は間接的に被控訴人の目的外事業活動の支出に消費されていることは、右別表の科目別支出金額の増減状況から明らかなところである。

この結果昭和五七年度の被控訴人の目的外事業活動の支出金額は、この直接的支出に限っても一億五五九一万円強に達し、その金額は同年度の会費実収入額(共済部繰入額を控除した額)の20.1パーセントに達している(右金額は、目的外事業活動の委員会費に、通信費及び印刷費のうち右各委員会の使用分を加算したものである。このように目的外事業活動の委員会の通信・印刷費は通信・印刷費の総支出額の48.9パーセントに達しており、この割合は人件費その他の間接費についても同様と考えられるから、昭和五七年度の被控訴人の目的外事業活動の費用総額は最も少なくみても収入会費総額の四〇パーセントである三億一〇一二万円強を下回ることはないと云えよう。)。

右のとおり、被控訴人が昭和五七年度において会費収入総額の20.1パーセントに相当する一億五五九一万円強の直接的目的外支出だけでも行っていなければ、同年度の繰越金額は二億七〇〇〇万円以上となり、昭和五八年に会費を増額すべき理由は全く存在しなかったものである。

(3) 原判決は本件議決を司法判断の対象とすることはできないとしたが、本件議決は、被控訴人の内部組織に関する議決ではなく、会員たる控訴人に対し直接的に財産上の義務の賦課、負担を課する行為である。被控訴人の役員選挙の効力等についての紛争等組織の内部的問題にとどまる紛争については、原判決のいうように自律的法規範によりこれを解決すれば足り、裁判所が介入する必要はない。しかしながら、その決議の効力が私人に対し財産上の負担を及ぼすものであり、かつその負担を任意に回避することができず(強制加入団体では当然である)、しかもその負担が法律上義務のないものであるときは、その排除を求め得ることは当然である。被控訴人は弁護士法に基づき設立された公法人であり、弁護士法の授権に基づき会員たる控訴人に対し、弁護士業務継続の特権を対価として、会費としての財産上の負担を課するものであり、会費の賦課は一種の公権力の行使の側面を帯有する。公権力の行使が形式的に適式であってもその内容が無効であるときは、その無効を主張しうることまたその無効の裁判上の確認を求め得ることも当然の事理に属する。

(4) 控訴人が弁護士業務を継続しようとする限り被控訴人に対する会費納入義務を免れることはできないところ、被控訴人が違法な事業活動に要する経費を控訴人に負担させようとする行為に対して控訴人においてその排除を求めることが許されないとするならば、憲法二九条及び三二条に違反することとなる。また、被控訴人において本来の事業活動の範囲をこえた事業活動を行っていることは既述のとおり違法であるとともに控訴人はこれに賛意を表することができないが、控訴人が会費としてその費用の支弁を強制されその救済を求め得ないとするならば、憲法一九条及び二一条にも違反する。

(二)  控訴人に対しその意に反し本件増額会費の負担を課さんとする被控訴人の会則は弁護士法にその根拠を有するものであるが、以下に述べる理由によって同法は憲法七七条一項に違反し無効であり、したがって被控訴人の会則も無効である。

(1) 現行憲法は、その制定の経緯から明らかなように実質上連合国総司令部の指令に基づくものであり、英米法の司法権の優越と司法の自治を基盤とし、特に米国の制度に範をとっているものであるから、同法七七条の裁判所規則制定権についても当然法源国たる米国法により解釈すべきである。日本の学説の一部には国会の法律制定権と裁判所の規則制定権との関係について国会の法律制定権の優位を主張する者があるが、これは右立法の経緯に思いを至さず英米法の理解を欠くことによるものであって誤りである。

(2) 憲法七七条は最高裁判所に弁護士に関する規則制定権を付与している。これは、英米においては弁護士は比喩的に「裁判所の職員」と称されているとおり司法の一機関であり、弁護士に関する規制は司法の自治権に基づいて司法部内で定めるべきものであり裁判所の固有の権限であるとする歴史的伝統に由来するものである。

憲法の右規定は明確であり、弁護士に関する事項は最高裁判所規則により定められるべきものであって、国会の定める法律によることはできないものといわねばならない。

(3) 弁護士法を制定した際には、憲法七七条の最高裁判所の規則制定権と国会による法律の制定権との関係の解釈に関し、米国法制について大きな誤解が存在し、米国における裁判所の規則制定権は最終的に議会における承認を必要としているところから、議会の法律が裁判所規則に優先するものと判断して、弁護士法の制定に踏み切ったものと解される。

しかしながら、米国において訴訟手続に関する裁判所規則について議会の承認を必要とする根拠は、裁判所の規則制定権が必ずしも憲法上の授権に基づくものと断定し難く、議会の授権に基づくものとする説との妥協によるものである。したがって、憲法の明文にその根拠を置くわが国の最高裁判所の規則制定権の解釈に、米国の右のような慣習を参照すべき理由はない。のみならず、弁護士に関する裁判所の規則制定権については、米国においても裁判所の固有の権限に属するものとされ、議会の制定する法律がこれに干渉することはできないとされている。もちろん、弁護士に関する裁判所規則についての議会の承認を受ける慣習もない。

以上のとおり、訴訟手続についての最高裁判所の規則制定権は別として、弁護士に関する事項は最高裁判所の規則によってのみその規制がなされるべきものであり、これを弁護士法に委ねたことは明らかに憲法七七条に違反すると解すべきである。

(4) なお、米国の訴訟手続規則制定権の歴史に見られるとおり、実体法と手続法との錯雑する分野において妥協的取扱いとして議会と司法部とが相互にその権限を委譲、授権しているとも解されるので、わが国において、最高裁判所が本来有する弁護士に関する規則制定権を国会に委譲、授権した結果弁護士法が制定されたものと解すべきかどうかの問題が存する。

しかしながら、米国の裁判例に見られるように、弁護士に関する規則制定権は、司法の自治に属し司法に固有の権限であるところから、三権分立の原則に照らし、国会または行政府に全面的に委譲しうるものではない。また、わが国最高裁判所が現在までにその固有の権限を委譲した事実も見受けられない。

(5) 以上のとおり、弁護士法は憲法七七条一項に違反しているから無効であるというべきであるが、弁護士法の規定のすべてを無効にするべきかどうかの問題はある。すなわち、弁護士となる資格要件等については公益的見地から国会の制定法に委ねたことはあながち不当とは解されない。しかしながら、弁護士がその職務を行うことに関する諸事項は、最高裁判所の規則により定められるべきであり、その授権がなされて(但し授権の効力には疑義がある。)始めて法律によりこれを定めうるものであろう。

被控訴人の弁護士法および弁護士会に関する主張と解釈は、司法の自治を弁護士の自治と誤解しているのみならず、被控訴人の諸活動が本来の目的を著しく逸脱していることにも全く反省がない。このような被控訴人の謬見と違法行為を是正するためには、敢て弁護士法の違憲の主張を提出せざるをえないところである。

三  被控訴人の主張

(一)  控訴人の当審における主張(一)は争う。

(1) 現行法において弁護士自治が採用されたのは、旧々弁護士法時代からの弁護士の要望に応えたものでもあるが、特に弁護士法一条が弁護士の使命として「基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること」を掲げたことから、弁護士がときには国家機関の非違を正すべき職務を負う場合があることを考慮し、このような責務の遂行にあたって国家機関の監督を受けることがあってはその責任を果たしえない場合があることに鑑みて、国家機関のいずれからも監督を受けないという現行の制度を採用したのである。

そして、右のように弁護士の職務の独立性を担保するための措置として弁護士自治を採用した反面において、個々の弁護士においてかりそめにも非難に値する行為があった場合にはこれを是正しうる制度を確保する必要があるところ、そのために最も適切妥当と考えられたのが弁護士会による監督という方策であり、これを実効あらしめるために個々の弁護士を弁護士会及び被控訴人に強制的に加入させることとしたのである。

このように、弁護士自治と弁護士会への強制加入は、表裏一体のものとして考案され実施されてきているのであって、強制加入という点についても、弁護士という職能に応じた適正な規制というべきである。

(2) 右のとおり、弁護士の職責ならびに職務の特殊性に基づき、国家機関の監督を排除して自治を与え、その反面として弁護士会への強制加入を規定した現行弁護士法の下では、弁護士会に対しても大幅な自治が認められるべきことは多言を要しないところである。個々の弁護士に対する直接の干渉を排除したとしても弁護士会に対する干渉を許したのでは、結局において個々の弁護士に対する抑制に通ずる結果となるのである。したがって、弁護士会に対して国家機関が実質的に監督権を行使するに等しいような行為をなすことは許されず、このことは裁判所についても等しく妥当するところである。

したがって、弁護士法に基づく弁護士会あるいは被控訴人の目的をいかに解釈し、現実にいかなる活動を行うかにあたっては、何よりも弁護士会ならびに被控訴人の解釈が尊重されるべきであって、これと同旨の原判決は正当である。

(3) 弁護士法は、弁護士自治を基本理念とし、その当然の系として弁護士会の自治をも認めその活動の自由を保障している。そして、弁護士会の活動を可能ならしめるために弁護士会がその会員から会費を徴収すべきことも当然の前提としているのであり、これについては弁護士会の会則に規定しなければならないとしている。

したがって、弁護士会がその活動の内容をその自治権に基づいて決定し得るとされる以上、その根拠となる会費についてその額あるいは徴収方法などをどのように決定するかについては、弁護士会の自治の範囲に含まれるものと解されるのである。

(二)  控訴人は弁護士法が憲法七七条一項に違反し無効であると主張するが、憲法の文言、構造及びその制定過程に現れた立案者の意思を見るならば、この主張が成立する余地がないものであることは直ちに明らかとなる。

(1) まず、弁護士に関する法規範として現在存在するものは弁護士法及びその下に制定された被控訴人の会則等の定めのみであって、最高裁判所は現在に至るまで憲法七七条一項に基づき弁護士に関する全般的規則を制定していない(個々の最高裁規則の中に弁護士にも適用されるものがあることは別論である)。

このように、弁護士については法律のみが存在し最高裁規則が制定されていないのであるから、法律と規則との効力の優劣はそもそも問題とならない。すなわち、控訴人の前記主張が成立するためには、憲法七七条一項に規定されている事項については最高裁規則でのみ定めることができるのであり、これに関する法律を制定してはならないという解釈によらなければならないのである。

(2) 弁護士法において弁護士及び弁護士会(被控訴人を含む)に関する基本的事項が定められているが、これらの事項について法律で規定することが許されることは、憲法の審議にあたった第九〇回帝国議会において立法担当者が「この弁護士法で弁護士に関する大体の事柄は規定されます(中略)唯裁判をスムースにする為に裁判所内部に於て色々の事務打合せの規則等があります。そこでこの弁護士の極く内輪の規定に付ては、最高裁判所で総てこれを規定する、これに従って弁護士会が行動すると云うことになるのであります」云々と答弁していることからも明らかである。

すなわち、立法担当者は、最高裁の規則制定権の存在にもかかわらず、弁護士に関する基本的事項は法律(弁護士法)によって規定されるべきことを当然の前提としており、ただ、弁護士が裁判官、検察官と並んで訴訟の当事者となるものであることから、その円滑な進行のために一定の「ルール」を作ることが考えられるとしているに過ぎないのである。弁護士に関する最高裁規則のこのような考え方は、「司法の運営に関する事項には専門的技術的な性質のものが多いので……司法の運営を順調合理的にするためには、この点を裁判所に任せるのが適当である。」と説明されている最高裁の規則制定権の根拠にも合致するものである。

右のとおり、弁護士に関する事項を法律で定めることができるとするのは憲法の起草者たちの一貫した立場であったのであり、前述のような控訴人の解釈を容れる余地はない。

(3) 次に、控訴人の前記解釈は、この点についての最高裁の解釈とも矛盾するものである。

憲法が弁護士という職業を前提としていることは、ここで問題としている七七条一項で「弁護士」と規定するほかに三四条、三七条三項において「弁護人」の存在を認めていることからも明らかである。特に三七条三項においては「資格を有する弁護人」という文言を用いており、弁護士の身分を含むその基本的制度が少なくとも何らかの法規範において規定されることを当然に予定しているのである。

ところで、控訴人の主張のように弁護士に関する事項は最高裁規則のみが規定し得る事項であって現在の弁護士法が違憲であるとの立場をとるならば、弁護士法によって認められた弁護士資格も当然に無効となり、憲法が予定した弁護士制度が存在しないこととなろう。しかし、このような事態が憲法に適合しないものであることは多言を要しないところである。

さらに、最高裁規則の所轄事項について、最高裁が控訴人の見解と同じく専ら規則で定めるべきで法律によって定めることはできないと解したのであれば、憲法の理念を実現すべき最高裁は直ちに弁護士に関する規則を制定したはずであるところ(この場合には、法律と規則との効力の優劣が問題となりうる)、前述のとおりこのような規則は弁護士法が制定されてから四〇年に近い現在に至るまで制定されていない。したがって、控訴人の右のような解釈が最高裁の確立した憲法解釈と両立し得ないものであることは明らかである。

(4) 控訴人は、憲法七七条の裁判所規則制定権は法源国たる米国法により解釈すべきものである旨主張している。しかしながら、日本の憲法として成立し、日本人によって解釈、運用されるものとなった以上、専ら日本的感覚によって解釈されることは理の当然であって、控訴人の右のような解釈態度は根本的に誤ったものと評さざるを得ない(このことはもとより米国法等の解釈を参照すべきことを否定するものではなく、米国法等により日本法の解釈が決せらるべきではないというにすぎない。)。

そして、憲法は、国会を国権の最高機関であり国の唯一の立法機関であると規定するとともに、司法権の行使についても法律で規定すべき場合を多数認めている(三一条、四〇条、六四条二項、七六条一項、七九条一項、四項、五項、八〇条一項など)。このような憲法について、七七条一項に規定された事項は規則の専属的所轄事項であり、国会の関与は一切否定されるべきであるとする解釈は到底成立し得ない。そして、憲法七七条一項に掲げられた事項についても法律を制定することができるとの結論については、学説がほぼ一致して認めているところであるし、現行弁護士法の立案に携わった衆議院法制局も同じ見解であった。

以上のとおり、弁護士に関する事項を規定した法律を制定することができるという結論は、憲法の文言・構造、立法者意思から導かれるところであり、これはまた最高裁の解釈、学説によっても一致して認められたところでもある。したがって、これに反する控訴人の主張が到底認められないものであることも明らかであり、現行の弁護士法が憲法の下で有効に制定されたことに疑問の余地はない。

第三  証拠関係<省略>

理由

一当裁判所も、控訴人の被控訴人に対する本訴請求は理由がないからこれを棄却すべきであると思料する。その理由とするところは、左に付加するほか、原判決の理由説示中の本案についての判断の部分(原判決二三枚目裏初行から二七枚目裏二行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。

(原判決理由説示の訂正)

(一)  原判決二四枚目表一一行目<本誌六八七号一九八頁第三段二一行目〜二二行目>の「対象とすることはできず」を「対象とすることを控え」と改める。

(二)  同二五枚目表末行<前同第四段二八行目>の「源資」を「原資」と改める。

(三)  同二五枚目裏について、四行目から五行目<前同一九九頁第一段二行目〜三行目>にかけての「裁判所の司法審査の対象とすることはできず」を「裁判所は司法判断を控えるべきであって」と改め、一〇行目から一一行目<前同一一行目>にかけての「裁判所の司法審査の対象となりうる場合」を「裁判所がその当否について判断を加える場合」と改める。

(四)  同二六枚目表一一行目<前同二九行目>の「長期展望」を「長期的展望」と改める。

(当審において付加する理由説示)

(一)  控訴人は、本件議決の当否を裁判所の司法審査の対象とすることができないとした原判決の判断を非難し、これが控訴人の財産権及び思想、信条の自由等をも侵害するものであって違憲である旨主張する。しかしながら、弁護士に課せられた職責を全うするためにその職務の独立性を確保すべく、弁護士及び弁護士会(被控訴人を含む。以下同じ。)に極めて高度の自治を認め(なお、弁護士自治の原則を徹底させるために弁護士の弁護士会への強制加入制を採用したことは肯認されるべきであり、弁護士会の自治活動に要する経費を弁護士が負担すべきことも当然である。)、裁判所を含む国家機関による弁護士及び弁護士会に対する監督を一切認めていない弁護士法の精神に鑑み、明白に違法であるとはいえない本件議決の当否については司法判断を控えるべきであるとした原判決の判断(なお、前記のとおり当審において原判決の理由説示を引用するに際してその表現を一部改めたが、その趣旨は同じであると解される。)は正当というべきであって、これに反する控訴人の当審における主張(一)を採用することができない。

(二)  次に、控訴人は弁護士法が憲法七七条一項に違反しているから無効であると主張するので、この点について以下検討を加える。

憲法制定の当初において、アメリカにおける裁判所規則制定権の沿革等を根拠として、憲法七七条一項に掲げられた事項については裁判所規則でのみ定めるべきである旨の見解が存し、控訴人の右主張はこれに従ったものである。しかしながら、裁判所規則制定権の規定はアメリカのそれに倣ったものではあるが、その解釈に際してはアメリカにおける沿革等に拘束されるものではなく、憲法の他の条項とも併せて合理的に解釈されなければならない。そして、憲法七七条一項には「訴訟に関する手続」が掲げられているが、憲法三一条の規定との関係上刑事訴訟手続についてはその全てを裁判所規則で定めることは許されず、被告人の重要な利益に関する事項等については法律の定めを要すると解すべきであるし、弁護士についても、その職責(憲法上も刑事被告人に資格を有する弁護人を依頼する権利を保障しており、弁護士が国家の訴追機関と対立する立場に立つことがあることを予定しているとみるべきである。)に鑑みるときは、少なくともその資格、職務等については法律によって定め、裁判所の監督に服せしめないのが憲法の精神に合致するものというべきである。すなわち、控訴人主張のように弁護士を司法の一機関とみて弁護士に関する規制も裁判所が司法の自治権に基づいて定めるべきであるとの制度は、わが国の憲法の採用するところではないと解される。また、憲法四一条において国会を国権の最高機関であって国の唯一の立法機関であるとしていること等わが国の法体系から考えると、英米法における沿革にかかわらず、わが国においては法律が裁判所規則に優越する効力を有するものと解すべきである。このようにみてくると、憲法七七条一項をもって弁護士に関する事項についてこれを法律で定めることを禁止したものと解することはとうていできず、弁護士に関する事項一般について定めた弁護士法は憲法の右条項に違反するものではないと解される。

なお、憲法七七条一項に掲げられた事項中刑事訴訟手続に関する事項を法律で規定することが憲法の右条項に違反しないことは最高裁判所の判例(昭和三〇年四月二二日第二小法廷判決・刑集九巻五号九一一頁)であるところ、弁護士に関する事項についてもこれと別異に考えるべき理由はない。

右に説示したとおり、控訴人の当審における主張(二)を採用することはできない。

二以上により、控訴人の被控訴人に対する本訴請求は理由がないからこれを棄却すべきであり、これと同旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がない。よって、本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官今富滋 裁判官妹尾圭策 裁判官中田昭孝)

別紙<省略>

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