大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

奈良地方裁判所 平成6年(ワ)419号 判決 1995年9月06日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

喜多芳裕

被告

乙山太郎

右訴訟代理人弁護士

本家重忠

主文

一  被告は原告に対し、一一〇万円及びこれに対する平成六年九月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し、六三三万二〇〇〇円及びこれに対する平成六年九月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、社団法人奈良県建設業振興会(以下「振興会」という)に勤務していた原告が、振興会の理事を務める被告から不法行為(いわゆるセクシュアル・ハラスメント)を受けたとして、民法七〇九条に基づき、被告に対し、損害賠償として六三三万二〇〇〇円及びこれに対する不法行為後の平成六年九月二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めている事案である。

一  争いのない事実等

1  原告(昭和四六年一月七日生)は、平成五年三月に大谷女子大学文学部を卒業後、同年四月から振興会に勤務していたが、平成六年九月三〇日をもって退職した。原告の在職中振興会には五名の理事がいたが、常時出勤して職員に指示を与えていたのは、理事長と呼ばれていた被告(平成七年四月一九日当時で六一歳)であった。

2  平成六年六月四日、原告と被告は、漫画家の池田理代子の講演を聞くため八木の文化会館へ行き、講演終了後橿原ロイヤルホテルで夕食を共にし、近鉄の橿原神宮前駅から特急に乗って帰路についた。

3  平成六年六月一七日、原告と被告は、伊勢にある被告の別荘へ行き、被告の長男家族や振興会職員の山田麻起子(以下「山田」という)と共に同月一九日まで過ごしたが、この間の同月一七日、被告は、原告と二人だけで居間にいる時、原告に頬擦りをして抱き上げた。

二  争点

1  被告による不法行為(いわゆるセクシュアル・ハラスメント)の有無

(一) 平成六年六月四日、近鉄の橿原神宮前駅から乗った特急の車内で、被告が原告の手を握って自分の頬にあてたり、原告の太腿を触ったりしたか。

(二) 平成六年六月一七日、被告が原告に伊勢の別荘への同行を命じた上、その居間において、原告の腕を引っ張って隣に座らせ、腰に手を回したり胸を触るなどの行為をし、さらには「僕はパイプカットの手術をしているから」などと言いながら性交渉に及ぼうとしたか。

(三) 平成六年六月二一日の勤務時間中、被告が原告を応接室に呼び出した上、「なぜ抱きしめることに嫌悪感を持つのか、僕のことが嫌いだからか」などと言い、「『私はこんなことはできません』なんてことは、ここで仕事をしている時は言ってはいけない」「ここで仕事をしている時は自己を主張してはいけない」などと言って、暗に被告の求めに応じなければ解雇する旨をほのめかしたか。また、同年七月二日の勤務時間中にも、被告が原告を応接室に呼び出して、「性欲が出た時はどうしているのか」「まだ処女なのか」と尋ねるとともに、「君が以前酒に酔って吐いた時でも僕は君の唇にキスをすることができた」などと告げたか。

なお、原告の主張の詳細は、別紙「被告によるセクシュアル・ハラスメント」記載のとおりである。

2  原告の退職と被告の不法行為との間の因果関係

(原告の主張)

被告は、原告が自分の意思に従わないことが判明すると、個人的な写真の整理やそれまで命じたことがなかった課題を与えての作文の提出などを命じ、前者につき原告が不満を述べたことをとらえ、後者については課題を満たしていないとして、解雇通告ともとれるような表現で自宅待機を命じた。このように被告は、原告が退職せざるをえないような状況に追いやったのであって、原告の退職と被告の右不法行為との間には相当因果関係がある。

3  原告の損害額

(一) 慰藉料 三〇〇万円

(二) 逸失利益 九二〇万円

(原告の主張)

平成六年版労働白書によると、平成五年度の大卒女子の平均勤続年数は5.4年であるから、被告の右不法行為がなければ、原告は平成六年一〇月以降もなお三年一〇か月は勤務していた蓋然性が高い。原告の退職前の給与月額は二〇万円であるから、賞与を計算外としても、三年一〇か月分の給与相当額九二〇万円は、被告の右不法行為と相当因果関係のある損害である。

(三) 弁護士費用 六〇万円

(四) 本訴における請求額

六三三万二〇〇〇円

三  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これをここに引用する。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1  原告は、その本人尋問において要旨次のとおり供述している。

(一) 原告は平成五年四月から振興会に勤務するようになり、三か月の試用期間を経て同年七月から本採用職員として稼働していたが、同年八月上旬、被告から「盆休みに伊勢の別荘へ一緒に行ってほしい」と誘われた。その場には先輩の山田もおり、原告は山田に対して家族と相談してみるとだけ返事しておいたが、翌日原告は被告に呼ばれ、「一度行くと言ったのに行かないというのでは信用がなくなる」と叱責された。原告はとりあえずこの場では「もう一度家族と相談してきます」と返事をしたが、毎月一日の朝礼の機会などに、被告から「今は就職難だから再就職は難しい」などといった話を聞かされていたため、被告の申し出を断れば辞めさせられるかもしれないという気持ちになり、不承不承山田と共に伊勢の別荘へ行くことを承知した。

(二) 原告は平成五年八月下旬ころ、被告及び山田のほか被告の長男らと初めて伊勢の別荘へ行き、掃除をしたり近くの海へ行ったりして一泊二日を過ごし、その後も平成六年六月までの間に三回くらい山田らと伊勢の別荘へ同行した。平成五年一〇月ころにも伊勢の別荘へ行ったが、原告は奈良へ帰ってきた後被告から応接室に呼び出され、伊勢で楽しそうな顔をしていなかったとして、「そんな嫌そうな顔をするのであれば、いてもらってもしかたがない」と言われた。原告は「これから気をつけます」と謝ったが、これを聞いた被告は、今後とも続けてくれるのであればと言って手元にあった就職希望者の履歴書を破棄したため、原告は「私もいつでも辞めさせられるんだ」という気持ちになった。

(三) 原告は平成六年六月四日、被告から誘われて池田理代子の講演会に行き、橿原ロイヤルホテルで夕食をした後、近鉄の橿原神宮前駅から特急に乗った。最後部の車両に乗って被告が右側(窓側)に、原告はその左側(通路側)に座ったが、被告は、服の上からではあったが原告の右太腿を触ったほか、右手を握ってこれを自分の頬にあてたりした。これに対し原告は特に拒絶する行動には出ず、被告から次の停車駅の八木駅で降りていいと言われたので「失礼します」と挨拶をして下車した。

(四) 原告は平成六年六月一七日(金曜日)、被告から誘われて休暇を取って伊勢の別荘へ行った。この日は、被告の長男家族のほか、山田も勤務終了後に別荘へ来ることになっていたが、朝から被告と同行したのは原告だけであった。原告は、別荘到着後いったん外に出て食事をし、その後別荘に戻って掃除をしたりして過ごしていたが、掃除を終えて居間で休憩していると、左前のソファに座った被告が原告に隣へ座るように言い、原告が黙っていると、被告は原告の腕を引っ張って自分の左隣に座らせた。そして、原告の肩に左手を回し、「養女になってほしい」などと言いながら、胸から腰へと徐々に左手を下ろしてきて、さらには右手を引っ張るようにして原告を立ち上がらせて抱きしめ、頬擦りをしたのち抱き上げた。原告はこの時も拒絶の言葉を述べたりしなかったが、手で被告の体を押し返すようにすると、被告もそれ以上のことはせず原告を抱き上げるのをやめた。その後約二時間して被告の長男家族が別荘に現れ、その日の夜には山田もやって来て、原告はこれらの者と別荘で二泊したのち同月一九日に奈良へ戻った。

(五) 原告は平成六年六月二一日、勤務中に被告から応接室に呼び出されて、「なぜ抱きしめることをいやがるのか」「父親のように思っているのだから反対に抱きついてきてほしかった」などと言われた。また、同年七月初めにも被告から応接室に呼び出され、「まだ処女なのか」「性欲が出た時はどうしているのか」と尋ねられた。原告はこれらの質問には答えずただ黙っていたが、被告は続けて「君が以前酒に酔って吐いたことがあったが、僕はその吐いた後の唇にもキスができるくらい君のことを大事に思っている」と告げた。

(六) 原告は平成六年七月下旬、山田から写真(被告の個人的な写真を含む)の整理を命じられた。原告はこのような仕事を命じられることを不満に思い、不服そうな顔をして作業していたところ、被告から呼ばれて「勤務態度が悪い」と言われ、「今後も勤めるについてどういう気持ちでいるのか、今自分の言いたいことを作文に書いてきて下さい」と指示された。原告は同月二八日に乙第六号証の8の作文を提出し、その中で、山田に対する謝罪の言葉と反省の気持ちを表すとともに、若い時にできることはしておきたいと思うので、急ぎの仕事の場合を除いて休日は休めるようにしてほしいといった趣旨のことを書いた。これを見た被告は「こういうことを書いてほしかったわけじゃない。幹部職員としてやっていく気があるかどうかだ」と言って、もう一度作文を書くように指示したが、原告が同月三〇日(金曜日)に同号証の9の作文を提出すると、今度は「おいといてほしい」と言った。

(七) 原告は、被告の右言葉を「辞めてもらう」という意味に理解し、八月一日(月曜日)は出勤せず、原告代理人の事務所を訪れて今後どのように対応すべきかについて原告代理人と相談したが、その日の夜、被告から電話があり、八月三日に出勤するように言われた。同月三日に出勤した際、原告は、被告から「君がいなかったから寂しかった。引き続き勤めてほしいので、もう一度事務所に出てきてほしい」と言われたが、この時点では原告代理人とも相談した上で早く振興会を辞めたいという気持ちに固まっていたため、ただ「両親と相談してきます」とだけ答えた。そして、同月四日付けで被告に宛てて、本訴において主張しているのとほぼ同趣旨の内容証明郵便を出し、その中で、損害賠償請求の意思を明らかにするとともに、同年九月末日をもって振興会を退職する旨の意思表示をした。

2  一方、被告は、その本人尋問において要旨次のとおり供述している。

(一) 被告は、原告を山田に次ぐ幹部職員として育成するため、原告と同時期に採用した短大卒の他の職員(永井明日香〔以下「永井」という〕、中野智栄子及び浅野真希)にも増して、採用当初から原告と積極的に親睦を深める機会をもってきたが、平成五年の八月ころ、初めて原告を誘って伊勢の別荘へ行き、その後も平成六年六月一七日までの間に四、五回原告と伊勢の別荘へ行った。しかし、いずれの機会にも誘うときは必ず事前に相談しており、これに対して原告が行きたくないとの態度を示したことはないし、原告と二人だけで行く計画を立てたこともない。

(二) 平成六年六月四日の講演会は、被告が休暇を取って一緒に行かないかと誘ったところ、原告も是非連れて行って下さいと言ってこれに応じたものであり、講演会は午後一時過ぎころから始まり、午後四時前ころに終わった。講演終了後は、橿原ロイヤルホテルに行って、予約していたレストランで午後五時半ころから約二時間かけて夕食を共にし、その後同ホテルの地下にある寿司屋で時間をつぶしたが、時計を見ると午後九時前になっていたので、あわてて近鉄の橿原神宮前駅に向かい、特急の最後部車両に飛び乗った。電車に乗ってから原告が八木駅で降りるまで、原告の供述するような行為は一切していない。

(三) 平成六年六月一七日の伊勢行きは、最初から被告の長男家族四名と山田もその日のうちに別荘で合流するという予定で誘ったものである。別荘には昼ごろに着き、いったん外に出て原告と食事をしたのち、午後三時ころ別荘に戻ってきてトレーニングウェア姿で掃除をしたりしていた。そして掃除を終えて被告が居間のソファに座って休んでいると、原告が右前のソファに座ったため、「こちらの方が景色がよく見えるから隣にお掛け」と誘ったところ、原告が被告の隣に座った。被告はこの時、「肉親の間では子育ての期間にスキンシップというのがちょいちょいあるね」と言いながら、原告の肩を持って頬擦りをし、赤ん坊を抱くようにして抱き上げたが、原告が恥かずかしそうな態度を示したので、二、三秒ですぐに下ろした。以上はいずれも冗談でしたものであり、その後はまた笑顔で会話を続け、原告も合流した長男家族や山田と共に別荘で二泊し、同月一九日に一緒に奈良へ戻った。

(四) 伊勢から帰ってきた一日ないし二日後、仕事の打合せか何かで原告と応接室に二人になった時、原告から「抱き上げられてびっくりした」との発言があったため、被告が「びっくりさせていけなかったね」と謝ると、原告は「男性一般に近付かれるのが生理的に嫌なだけですから、そんなに気にしないで下さい」と言っていた。しかし、原告が1の(五)で供述するようなやり取りは一切なかった。ただ、同年七月初めに応接室で話をした際には、以前原告が酒に酔って吐いた時のことを話題にし、「僕はあの時、君の気分を和らげるために『ちゅうするよ』って、おまじないしてあげた」と冗談で言ったことがあった。

(五) 平成六年七月下旬、山田が原告に写真(被告の個人的な写真を含む)の整理を命じたところ、それまでは指示どおり忠実に仕事をしていた原告が反抗的な態度を示した。被告は山田からその旨の報告を受けたが、このこと自体への対応は山田に任せ、特に口をはさまなかった。同月二八日、被告が原告に対し、中堅幹部職員になるための決意を書くようにと作文の提出を求めたところ、乙第六号証の8の作文が提出されたが、出題意図に沿った内容が全く書かれていなかったので、被告はもう一度作文を提出するように指示した。しかし、同月三〇日に提出された同号証の9の作文にも、出題意図に沿うような内容が書かれていなかったので、被告は原告に対し、中堅幹部職員になるのが重荷だというのであれば、それはやめて一般職員として頑張ってほしいという趣旨で「おいといてもらう」と告げるとともに、少し疲れた様子も見受けられたので自宅待機を指示した。

なお、右のような作文は、原告の採用当初から研修の一環として、定期的に課題を与えて書いてもらっていたものであった。

(六) 同年八月一日の夜、被告は今後も仕事を続けてもらいたいという気持ちを伝えるため、原告の自宅へ電話をかけ、同月三日から再び出勤してほしい伝えた。そして同月三日、出勤してきた原告と話し合い、「中堅幹部職員が重荷であれば、一般職員として大いに働いてもらいたい」と言ったが、これに対して原告は、「今はもう自分の一存では決められない状況になっているので、帰って家族とよく相談する」と答えた。

3  右のとおり、原告と被告の各供述は、前記各争点を中心に対立しているのであるが、次の諸点に照らすと、右各争点に係わる原告の前記供述と相反する被告の供述部分は、採用することができない。

(一) 争点に係わる被告の供述が、その核心部分において不合理であること

被告は、前示のとおり、本件の核心部分ともいうべき平成六年六月一七日の伊勢の別荘での出来事について、「肉親の間では子育ての期間にスキンシップというのがちょいちょいあるね」と言いながら、冗談として、原告の肩を持って頬擦りをし、赤ん坊を抱くようにして抱き上げたと供述しているのであるが、職場を離れての旅行とはいえ、六〇歳の男性理事長と二三歳の女性職員との関係において、子育て期間中のスキンシップの話題から、どういう経緯でそれが頬擦りや抱き上げるという行動に発展するのか、その過程は理解困難であり、被告の右供述内容は極めて不合理であるというほかはない。

(二) 原告が1の(三)、(四)で供述しているような事実があったとされる直後に、原告の同僚職員が、原告から直接そのような事実があったと聞かされていること

原告の供述により真正に成立したものと認められる甲第一一号証(録音テープ筆記録)、原告及び被告の各供述によれば、原告は平成六年八月二四日、被告から命じられて振興会に出勤したが、午後五時前ころ被告代理人から電話があって、いったん被告代理人の事務所へ言った被告が振興会事務所へ戻ったきた後、被告から、原告を含む職員全員に応接室へ集まるよう指示があったこと、この場では、主として被告が一方的に話すような状況で本件をめぐる事実関係について説明をしたが、被告の話が、喜びの時や悲しみの時には抱き合ったり、頬擦りするぐらいのことはするが、セックス目的で触ったりしたことはないという内容に及んだ際、同僚職員の永井は、「私が口をはさむのもあれですけど、甲野さんがそれが何回かあった後、私も何回か聞いているんです、どういうことがあったって。その都度って言っていいほどだいぶ聞いているんですけど」「何もないことを次の日とかに言いますか」「わざわざその通り作ったように私に言いますか」などと話していたこと、この永井の発言を受けて被告も、「それは、何かはあるわけだ。何かはあるけれども、それはセックス目的でもなんでもないわけや」と話していたこと、山田、永井を除く他の同僚職員も原告から話を聞いている旨を被告に申し述べていること、が認められる。

そして、その会話の前後の文脈や原告本人の供述からすると、永井の発言中にみられる、何回かあった「それ」とは、少なくとも平成六年六月四日と同月一七日の各出来事を指しているものと推認され、原告はそれぞれの出来事があった直後に、前記1の(三)、(四)の供述と同様の話を同僚職員にしていたものと認められる。

(三) 原告があえて創作して前記のような供述をすべき理由のないこと

原告は、被告自身も供述するとおり、振興会に就職した平成五年四月から平成六年七月ころまでは、被告の指示どおり忠実に職務に精励していたのであり、原告の供述態度に照らしても、このような原告があえて右のような話を創作して同僚職員にする理由はないと考えられる。

4 そうすると、争点1の(一)ないし(三)に関しては、原告が前記1の(三)ないし(五)において供述しているような事実があったものと認めるのが相当である。そして、右1の(三)及び(四)における被告の行為が、原告の明確な拒絶の態度にあっていないとはいえ、その意思に反するものとして不法行為を構成することは明らかであり、同じく1の(五)における被告の言辞も、その内容、振興会における被告と原告との関係、性差、年齢差等に照らすと、原告に著しい不快感を抱かせるものとして不法行為を構成するというべきである。

なお、原告は、被告による不法行為の内容として、争点1に摘示したとおり主張するが、被告の不法行為として認定することができるのは、右の限定にとどまってこれを超えるものではなく、他にその主張を認めるに足る的確な証拠はない。

二  争点2について

原告は、被告の右不法行為後の対応をとらえて、個人的な写真の整理をさせたり作文の提出を指示したりしたこと自体が新たな不法行為を構成し、その退職との間に因果関係があると主張するが、写真の整理自体は山田から命じられたものであって、そこに被告による報復的色彩を看取することはできないし、同時期に採用された職員のうち原告だけが四年制大学の卒業生であったこと、伊勢の別荘へは原告だけでなく山田も同行していたこと等からすると、被告の供述中、採用当初から原告を山田に次ぐ幹部職員として育成しようとしていたとする部分は、あながち信用できないではなく、原告に対する作文の提出指示も、その研修の一環としてされたものと理解することができる。そして、「おいといてほしい」との言葉についても、それがどのような文脈で用いられたのか、原告の供述自体によっても定かではなく、前認定の不法行為後の被告の対応を原告に向けられた新たな不法行為とみることはできないし、被告のこれらの行為あるいは前認定の不法行為によって、原告が退職を余儀なくされたということもできない。

したがって、原告の右主張は、採用することができない。

三  争点3について

1  慰藉料

原告が、就職難といわれる時期に大学を卒業し、純粋な気持ちのまま初めて就いた職場において、理事長の被告から前示のような不法行為を受けたことや被告のその後の対応等、本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、原告に対する慰藉料額は、一〇〇万円と認めるのが相当である。

2  逸失利益

前示のとおり、原告の退職と被告の不法行為との間に相当因果関係があると認めることができない以上、逸失利益の賠償を認めることはできない。

3  弁護士費用

本件事案の難易、認容額、審理の経過に照らすと、前示不法行為と相当因果関係のあるものとして被告に賠償を求めうる弁護士費用の額は、一〇万円と認めるのが相当である。

4  まとめ

そうすると、原告の本訴請求は、原告に対し、一一〇万円及びこれに対する不法行為後の平成六年九月二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

四  結語

以上の次第で、原告の本訴請求を右の限度で認容してその余を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官前川鉄郎 裁判官井上哲男 裁判官石原稚也)

別紙被告によるセクシュアル・ハラスメント<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例