奈良地方裁判所 昭和25年(行)8号 判決 1952年1月30日
原告 羽根忠治郎
被告 奈良労働者災害保険審査会
主文
被告が昭和二十五年十月二十四日付でなした、原告の申立は認めない、原告は昭和二十五年四月十七日付大監第二九九号を以て大淀労働基準監督署長から返還を請求された療養補償費金五千五百二十円、休業補償費金一万七千九百一円六十七銭及び障害補償費金二十七万三千九百十二円八十銭合計金二十九万七千三百三十四円四十七銭を奈良労働基準局歳入徴收官に返納されたいとの決定はこれを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、請求の趣旨及び原因
原告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求め、その請求の原因として次のように述べた。
原告は早稲田大学専門部政治経済科を卒業後、大阪乗合自動車株式会社、大阪交通株式会社、大阪水圧工業株式会社、相栄物産合資会社に相次いで俸給生活者として勤務し、次いでユタカ物産株式会社の社長に就任したが、同会社は経営不振のためこれを辞し原告が昭和二十年四月以降非現業取締役として席を連ねる羽根木材株式会社(製材業を目的とし、本店所在地奈良県吉野郡大淀町資本金百万円取締役四名、監査役二名、使用人約二十六名の小会社、以下単に羽根木材と称する)に採用方を懇願したところ、現業取締役として入社せらるることは諸般の関係上困難なるも同郡吉野町所在、同会社吉野支店の現場監督並びに撰別工としてならば採用する旨の回答があつたので、原告は昭和二十四年四月一日右支店長辰己万治郎と同支店所定の就業規則、賃金規則に基く雇傭契約を結び、月額金一万五千円の賃金を受け労働者災害補償保険(以下単に労災保険と称する)法の強制適用事業である同支店で現場監督並びに撰別工として同日から勤務することとなり、同支店では備付の労働者名簿賃金台帳にそれぞれ所要の記入をなし又労災保険の保険料を支払い、原告は同地区における吉野連合労働組合に加入して全く一労働者として勤務中、昭和二十四年七月十三日杉薄板の耳取作業中、右手の小指及び薬指の二本を耳断機の鋸にて切断したるを以て大淀労働基準監督署に災害補償の給付方を請求し、療養補償費金五千五百二十円、休業補償費金一万七千九百一円六十七銭及び障害補償費金二十七万三千九百十二円八十銭合計二十九万七千三百三十四円四十七銭の給付を受けた。
然るに昭和二十五年四月十七日右監督署から、奈良労働基準局地方監察官の実地調査の結果原告は昭和二十一年以後羽根木材取締役として法人の執行機関であり同資格の下に昭和二十四年四月吉野支店に勤務し負傷したもの故労働者と認め難きにより先に給付せる前記補償金を昭和二十五年四月三十日迄に当署に返還せられたい旨の処分通知を受けたので、原告は同年五月二十二日奈良労働基準局保険審査官に審査の申立をなしたがその申立を認めない旨の決定があつたので、更に同年八月二十一日被告に再審査の申立をなしたところ、被告は同年十月二十四日主文第一項記載の如き決定をなし、原告は同年十一月三日右審査決定書の送付を受けた。
然し乍ら原告は前記のとおり非現業取締役の資格の下に負傷したものではなく現場監督並びに撰別工として稼働中、前記負傷をしたものであるから、当然労災保険法の適用を受け前記災害補償の給付を受ける権利を有する。原告の審査申立を棄却し既給付災害補償金の還付を命じた被告の右決定は違法な処分であるから、その取消を求めるため本訴に及んだものである。
被告の主張に対し次のように述べた。
(一) 羽根木材吉野支店長辰己万治郎は同会社監査役であるが同支店に関する限り使用人選任の権限を授与せられている。仮りにかかる授権が無効であるとしても、原告と羽根木材との間に外形上存する契約に基き、原告は労務を供給し同会社は原告を指揮しその労務を管理するもの故、両者間には事実上の労働関係が存在し当然労働基準法の適用がある。
(二) 原告は羽根木材の取締役であると同時に同会社の労働者である。会社の業務執行者たる取締役と雖も、他面事務又は労務の一部を担当し、その対価として給与又は賃金を受くることは法の禁じない所であり、その限度において労働者として取扱わるべきものである。原告の賃金は前記経歴、通勤費、食費等を考慮に入れて定められたものであつて労務に対し高きに失することはない。
第二、答弁
被告代表者は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として次のように述べた。
原告主張の事実の中、原告の学歴、経歴(ユタカ物産株式会社の社長就任まで)が原告主張の如くであること、原告が昭和二十年四月以降現在まで羽根木材の取締役であること、羽根木材が製材業を営業の目的とし原告主張の如き会社であること、同会社が吉野町に支店を有し原告が右支店において原告主張の如き労務に服し昭和二十四年七月十三日原告主張の如き作業中、その主張の如き負傷をして大淀労働基準監督者に労働者災害補償の請求をしてその主張の如き災害補償金の給付を受けたが、昭和二十五年四月十七日右監督署から、地方監察官の実地調査の結果に基き右補償金を返還すべき旨の処分通知を受け、同年五月二十二日奈良労働基準局保険審査官に審査の申立をして認められず、更に同年八月二十一日被告に再審査の申立をし、同年十月二十四日被告が原告主張の如き決定をなし、同年十一月三日右審査決定書が原告に到達したことはいずれもこれを認めるが、その余の事実はすべて否認する。
(一) 原告と羽根木材吉野支店長辰己万治郎との間に原告主張の如き雇傭契約は存在していない。仮りに右契約が存在したとしても次の理由により無効である。
(1) 同会社は右支店長に対し右契約締結につき授権をしていないのである。
(2) 仮りに右契約締結につき授権があつたとしても、同支店長は同会社の監査役で取締役、支配人等を監督する地位にあるから、その職責上被監督者の地位にある取締役から授権を受けることはできない。かかる授権は商法第二百六十七条の規定に違反し無効であり、又監査役兼支店長が会社の重要業務を執行し更にその会社の取締役を雇い入れることは商法の商業使用人に関する規定、会社関係の規定に照し商法上許されないところで無効であり更に又民法上もかような行為は同法第九十条違反の行為として無効である。
(二) 会社の取締役は労働基準法及び労災保険法上の使用者であるから同時に同一会社の労働者たることはできないのである。原告は羽根木材の取締役で同会社の業務執行権を有つているものであるから、他の一般労務者とその本質を異にし、事業主体に対し使用従属の関係に立たず、従つて労働基準法第九条に所謂労働者でなく使用者であり労災保険法の適用により労働者としての取扱を受けることができない。原告の羽根木材吉野支店における労務が原告主張の如くであることは認めるが、右は同会社の取締役としてその委嘱を受けて行つたもので労働基準法に定むる労働ではない。労働者は使用者から賃金を支払われる者であるが、原告は賃金を受取つていないのである。原告の受けた月額一万五千円の金員は同会社から支給した取締役としての報酬又は手当、若くは社長羽根実との特殊関係に基く贈与である。右金額は原告の如き木材業に経験のない者の労務に対する賃金としてはその他の右会社の労働者に比し不当に高いものであり、このことはそれが賃金でないことを示している。
以上の理由により原告は労働者として災害補償の給付を受けることができない者であるから右返納を命じた被告の前記決定は違法な処分ではない。従つてこの取消を求める原告の本訴請求は失当であるから棄却さるべきものである。
第三、疎明<省略>
理由
訴外羽根木材が奈良県吉野郡大淀町に本店を有し製材業を営業の目的とする会社であつて原告がその主張の如き経歴の者で昭和二十年四月以降右会社の取締役であること、右会社が同郡吉野町に支店を有し原告は右支店において労務に服していたところ昭和二十四年七月十三日同支店で杉薄板の耳取り作業中、右手の小指及び薬指の二本を切断して大淀労働基準監督署に労働者災害補償の請求をして原告主張の如き災害補償金の給付を受けたが、昭和二十五年四月十七日右監督署より地方監察官の実地調査の結果に基き右補償金を返還すべき旨の処分通知を受け、同年五月二十二日奈良労働基準局保険審査官に審査の申立をしたけれども認められず、更に同年八月二十一日被告に再審査の申立をしたのに対し同年十月二十四日被告において主文第一項記載の如き決定をしたことは当事者間に争がない。而して右会社吉野支店における事業が労災保険法の強制適用事業であつて原告が同法に基き前記補償金の給付を受けたことは当事者弁論の全趣旨により明らかであるが、原告は被告の右決定は違法な処分である、即ち原告は羽根木材の非現業の取締役ではあるけれども他面右会社吉野支店長との間の雇傭契約に基き労働者として右支店において作業中負傷したもので労災保険法上の労働者として前記補償費を受けたのは当然であるのにこの返納を命じた被告の右決定は違法なるにより取消さるべきものであると主張するに対し被告は原告と羽根木材吉野支店長との間の雇傭契約は存在しない、仮りに右契約が存在するとしても商法上、民法上無効である。原告が受けていた金一万五千円は取締役としての委任の報酬である、又原告は同会社の取締役であるから労働基準法労災保険法上同会社の労働者たり得ないものである。従つて被告の決定は違法な処分でない旨抗争するので以下原告主張の雇傭契約は存在するかどうか、及びその効力。原告は労働基準法労災保険法上羽根木材の労働者として認められるかどうかの点について順次考察する。
先ず雇傭契約の存否について考えるのに、前記当事者間に争いがない事実に証人辰己万治郎の証言により成立を認むる甲第一乃至第三号証、証人吉田功の証言により成立を認むる同第四号証の各記載証人羽根実、同辰己万治郎、同吉田功の各証言、並びに原告本人訊問の結果を綜合すると、原告は先に勤務していた訴外ユタカ物産株式会社が経営不振に陥つたので自己が非現業取締役になつている羽根木材の代表取締役社長羽根実に右会社の実務に当りたい旨採用方を申入れたが一且断わられ、同会社吉野支店長訴外辰己万治郎に家庭事情等を訴えて採用を懇願した結果、同支店長は社長に、原告を雇入れることは会社に有利なる旨述べて、原告は本社では仕事をさせない、右支店において一般労務者と同じ様に働かせるという条件付で原告雇入れの件を社長から一任されたので、昭和二十四年四月一日同支店長は原告を同支店の現場監督並びに撰別工として雇入れ右労務の報酬としての賃金は、原告が先に自動車部分品の購入、材木の売買に関係し、工場長を勤めた経験があること、交通費、家族手当等を考慮に入れて月額一万五千円と定め、その後右雇入れ及び賃金額の決定について同社長の承諾を得たこと、原告の雇入れ後同支店では備付の労働者名簿、賃金台帳に原告を労働者として所要事項の記入をし、原告は吉野連合労働組合に加入し、一労働者として工員掛取締の外、とろ押し、耳断結束等の実労働に従事していたことが認められる、被告は原告が受けていた金額が他の同会社の労働者に比し多額であることを以て右は賃金でなく取締役としての委任の報酬であると主張するが右金額が右の如く他の労働者より多額であることの故に前記認定の妨げとなるものではなく他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
そこで右原告雇入れの効力について被告の抗弁する点を考へるのに羽根木材吉野支店長辰己万治郎が同会社の監査役であることは当事者間に争いがなく、原告雇入れ当時の商法第二百七十六条第一項は監査役は取締役又は支配人を兼ねることを得ない旨規定しているが右規定は本件の如く取締役又は支配人でない支店長である右辰己万治郎が自己の会社の監査役に就任し、その支店長たる資格において代表取締役である社長から原告の傭入について授権を受けるが如きことを禁止し、かかる授権を無効とする趣旨とは解し難く又前記認定の如く原告を雇傭したことが原告が右会社の非現業取締役であるということの故に商法の商業使用人に関する規定、会社内部関係、会社機関に関する規定等に照し商法上無効であるとする理由はないと考えられるし又、民法上公序良俗に反する無効のものと認めることもできない。
次に労働基準法労災保険法において取締役である者が同時に同一会社の労働者として認められ得るかどうかという点について考えるのに、労働基準法は第九条において労働者とは職業の種類を問わす事業に使用される者で賃金を支払われる者をいう、第十条において使用者とは事業主又は事業の経営担当者その他、その事業の労働者に関する事項について事業主のために行為をするすべての者をいう、とそれぞれ規定している。右二条の規定と広く同法並びに労災保険法の目的等を考え合せると、事業において使用される者で賃金を支払われる者はすべて労働者であり、取締役である者が同一会社で業務執行外の事務又は労務の一部を担当し、その対価として給与又は賃金を支払われるとき、その一面において労働者として取扱われるべきものと解するを相当とする。取締役が右の如く業務執行外の事務又は労務に服し、これに対し給与を受くる契約をなし、これに従事することは労働基準法及び労災保険上許容されている所であり敢てこれを違法と断ずる根拠はない。尤も労働組合法第二条は会社の役員その他使用者の利益代表者の加入を許す労働者の団体は労働組合として取扱わない旨規定し会社の役員その他使用者の利益代表者は組合員たり得べき労働者でないことを明かにしているが、右規定の趣旨は労働組合の自主性を確立させるにあつて実際労働に服する労働者の保護を目的とする労働基準法、労災保険法において、労働者として取扱うべき者の範囲を労働組合の組合員たり得べき労働者に限定すべき理由は存しないのである。労働基準法、労災保険法においては、その法の目的に適合する如く労働者の意義を定むるのが妥当であり、取締役と雖も、一労働者として実際労務に服する場合、各種の危険にさらされ災害をこうむることがあるのは自己の会社であると否とを問わず、全く同一であり、唯その者が自己の会社に勤務するの故を以てこれに対し労働者として労災保険法の保護を拒否する理由はない、本件において原告は羽根木材に取締役として名を連ねている者であるが他の一面において前記認定の如く原告が羽根木材から賃金を支払われる労働者である以上労災保険法上の労働者として認めるのが相当であると考える。
然らば原告は労災保険法の適用により前記災害補償の給付を受くべき権利があることが明白であるから、原告の審査申立を棄却し既給付災害補償金の還付を命じた被告の決定は違法であつて到底取消を免れないものといわねばならない。
すると原告の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決した次第である。
(裁判官 坂口公男 竹内貞次 中西二郎)