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奈良地方裁判所 昭和45年(わ)239号 判決 1974年7月23日

主文

被告人を懲役四月処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(本件にいたる経過の概略)

一、被告人は、沖繩県中部のコザ市に近い中頭郡北中城村字安谷屋で、郷里である同村字瑞慶覧が米軍基地となつたため同地に移住していた崎浜盛永、同千代の長男として出生し、北中城小学校、北中城中学校を経て普天間高等学校を卒業した後、昭和四一年四月、当時のいわゆる国費留学生として奈良教育大学に入学したものであるところ、右大学の二回生となつた昭和四二年ころから、学業のかたわら、わが国学校教育の諸問題のほか沖繩軍事基地問題、ベトナム戦争問題等、種々の時事問題に関心を深め、学友らとともにその研究討議あるいはこれに関する実践活動に参加するようになり、昭和四三年七月ころからは、同大学のいわゆる長期整備計画をめぐり、これを同大学の充実発展のため必要適切であるとする当局側と、教育養成制度改悪ひいて学校教育改悪をもたらすとの認識に立つてこれに反対する学生らとの間に激化しつつあつた学園紛争において、学生側の代表的組織であつた教育養成制度改悪反対斗争委員会に参加して積極的な活動を行ない、昭和四四年七月以降のいわゆる「全学バリケードストライキ」を含む一連の斗争行為においても活発な行動をし、同年九月二三日の機動隊導入による封鎖解除に際しては激しく抵抗して逮捕され、起訴されるにいたつたのであるが、その後昭和四五年に入つて、映画「橋のない川(第二部)」上映阻止運動に加わることとなり、その過程で本件となつたものである。

二、映画「橋のない川(第二部)」は、株式会社ほるぷ映画(社長今井正)が住井すえ同名の小説に基づくものとして昭和四四年一二月ころに撮影を開始し、翌四五年に入つて完成したものであるが、同五月二二日、部落解放同盟中央本部は中央執行委員長朝田善之助名義をもつて同社に抗議し、上映中止または内容修正を求めたほか、その中央機関紙解放新聞(同年六月一五日付)に同映画に対する糾弾要綱を掲載し、同映画の問題点を指摘した。右抗議、糾弾の骨子は、さきに同社が同じ原作により映画「橋のない川(第一部)」を製作した際、十分な用意を欠き、同映画は製作者の主観的意図とは逆に部落差別を助長する結果となる多くの問題を残したので、当時同社と右同盟との間に、第二部製作にあたつては両者が有機的連絡を保ち、第一部の弱点を補なうほどにその内容を高める旨の合意が成立していたのに、同社はこの合意を履行することなく、製作したため、本映画は原作にもないような差別的場面の羅列に終始し、いたずらに観客の部落に対する好奇心と猟奇心をそそり部落差別を助長する興行商品となつているばかりでなく、部落大衆の差別に対する苦難にみちた永い不届のたたかいの成果である全国水平社結成、ひいては部落解放運動を、あたかも一インテリ帰郷者が一夜にしてなしとげたかのごとくわい小化し卑俗化するものとなつている、などの点を含むものであつた。同年九月に入り、部落解放同盟奈良連合会(委員長米田富)においても同映画に対して同様の態度をとることを決定し、当時の青年対策部員(以下単に青対部員ということがある)が中心となつて奈良県内における同映画の上映に反対するため、一般市民を対象とする啓蒙宣伝ビラを作成配布するなどの行動を開始し、学生団体その他これに賛同するものもしだいに多くなつて来た。

これに対し、同映画について異なる評価をし、奈良県内における同映画の上映を積極的に実現しようとする人々もあり、これらの人々により、「映画橋のない川第二部をみる会」奈良県実行委員会(代表者安川重行)が組織され、同委員会が主催者となつて、昭和四五年一〇月二二日、二三日の両日にわたり奈良市内の県立文化会館で上映するほか、同年一一月七日に天理市内で、同月一四日に橿原市内で、同月二九日に吉野町内で、同年一二月一九日、二〇日の両日に大和高田市内で、というように順次同映画を上映する予定が立てられ、上映反対者らとの間に対立が生じていた。

そして、第一回目の上映日である同年一〇月二二日には、前記県立文化会館前広場にかなりの数の上映反対者が参集して抗議行動を行なつたが、その際、同日午後一時三〇分ころ、参集者らと主催者との間に衝突が発生し、白昼、公衆の面前で負傷者まで出すという事態になつた。以後の上映にあたつても、(動員力の関係で宣伝文書の新聞折込配布にとどまつた吉野町を除き)上映場所付近で上映反対者らは集団で抗議行動をし、右同様の事態の発生に備えて警察による警備が行なわれるようになつた。

被告人は、前記のような部落解放同盟奈良県連合会青年対策部員らの宣伝活動を通じて同映画の問題点を知るとともに、旧幕藩体制のもとで人民支配機構の一環として人為的に制度化され助長されて来た部落差別についての認識を深め、沖繩県民に対して徳川時代以来、戦前戦後を通じ今日にいたるまで加えられて来さたまざまな差別迫害と思いあわせて同映画上映阻止運動に強く共感し当時加入していた日本社会主義青年同盟奈良地区本部学芸大学班(以下単に社青同ということがある)において右運動を全面的に支持することとなるとともに積極的にこの運動に加わり、文化会館における上映第二日目以降、天理市および橿原市における各阻止行動にも直接参加していたのである。

三、昭和四五年一二月一九日、被告人は、同日午後一時三〇分ころから奈良県大和高田市北本町九番映画館高田キネマで上映される予定となつていた映画「橋のない川(第二部)」の上映阻止行動に参加するため、同日午後零時ころ、社青同や天理大学差別に反対する会の関係者らと共に、前記高田キネマから約二〇〇メートル離れた近鉄大阪線大和高田駅に着き、同所で青対部員らと合流し、同駅前付近で集会を行なつたうえ二〇数名の一団となつて、「部落解放」、「差別映画糾弾」、「上映阻止」などのシュプレツヒコールをして気勢をあげるかたわら通行人にビラ配りをしながら、午後一時二〇分ころ前記高田キネマ前の路上に到着し、そこでさらにトランジスターメガホンを使つてシュプレツヒコールをしたり、アジ演説をしたり、通行人にビラ配りをするなどしたが、午後一時三〇分ころ、警備のため出動していた機動隊員により無許可街頭集団行動として制止されたため、そこから約六〇メートル南方の同市北本町六番二四号先通称大国町交差点南東角歩道上に移動し、以後約二時間三〇分にわたり、その歩道上に座り込んで集会を開き、シュプレッヒコールをしたり、アジ演説をし、通行人にビラ配りをするなど、同映画上映に対する抗議、糾弾行動を続け、また、被告人を含む一部のものは、大和高田駅付近および高田キネマ北方路上に迂回して同様の行動を試みたりしていた。その間、機動隊約一個分隊は同交差点北側から前記高田キネマ前に通ずる道路の人口付近にいわゆる阻止線を張り、被告人らの行動を監視していた。

なお、同交差点は、同市内を通る幹線道路である県道大和高田停車場線と市道相生町線等とが交わる地点で、当時人車の交通はかなりひんぱんであつた。

午後四時すぎになつて、被告人らは全員が前記歩道に集結し、「橋のない川上映を阻止するぞ、反帝学評は最後の最後まで戦うぞ、官憲の弾圧を粉砕するぞ」などのシュプレツヒコールをしたのち、被告人ほか二名が各自一本ずつの旗を持つて先導し、それに続く集団は三列縦隊の行進隊列となつて前記歩道上から交差点内に進出し、シュプレツヒコールを繰り返しながら交通信号および交通状況を無視して交差点内いつぱいに小走りのジグザグ集団行進を開始した。そこで、警備の任に当つていた奈良県警察本部警備部機動隊指揮者豊森新之助らにおいて、右は大和高田市「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例」(昭和二五年一二月二三日条例第一三号)等に違反する無許可街頭集団行進であると認め、右集団行動参加者全員に対し、「大和高田市条例等に違反するから直ちに集団行進を止めて歩道に上がるようにせよ」との警告を数回発したが、被告人らはこの警告に応ずることなくそのままジグザグ行進を続けて交差点北側の前記阻止線に接近していつたため、同所付近から機動隊に制止のための規制措置を受けるにいたり、並進規制によつて交差点南東角に誘導され、同所歩道上に押し上げられた。被告人らの集団は、その後も停止することなく隊列を整えて同歩道上をさらに東に向つて行進を続け、機動隊はその北側の車道上をこれと並進して規制を継続していたが、間もなく歩道の切れる部分となり、先導していた被告人ら三名が一段低くなつている車道上に降りたところ、機動隊が先導者らとそれに続く集団隊列との間を遮断する形で進出し、集団隊列を歩道上に留まらせるべく圧縮規制を開始したので、集団隊列は行進を停止し、被告人らは集団隊列から引き離されて車道上に取り残された形となつた。これに激昂した被告人は、車道上から右歩道に立ち戻り、歩道上で集団隊列の先頭部分と相対して右規制措置に従事中の機動隊員を押しのけようとして本件に及んだ。

(罪となる事実)

被告人は、昭和四五年一二月一九日午後四時すぎころ、奈良県大和高田市北本町六番二四号先通称大国町交差点付近路上で、同所における無許可街頭集団行進規制措置に従事中の奈良県警察本部警備部機動隊巡査井手正美(昭和二四年九月二一日生)に対して、その背後から左手でその左肩胛部を強く突く暴行を加え、もつて公務員である同人の職務の執行を妨害するとともに、右暴行により、同人に対し、加療約三日間を要する左肩胛部打撲傷を負わせたものである。

(証拠の標目)<略>

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件当日高田キネマ周辺において警察官職務執行法第五条にいうような犯罪の発生またはその近接性が予想される事態が存しなかつたから警察部隊出動の法的根拠がなく、また無届デモ等につき警告、制止その他所要の措置がとられることを定めた大和高田市公安条例は憲法の保障する表現の自由、適正手続条項に違反して無効であり、かりにそうでないとしても正当行為である本件上映糾弾斗争に対して右公案条例は適用の余地がないから本件集団行動に対する警察部隊の規制措置もまた法的根拠を欠き、かつその規制措置の程度は相当性の範囲を逸脱して違法であり、それ故本件公執行妨害罪は成立しないと主張するので、この点につき以下に判断を示す。

警察法二条によれば、警察はその責務として、個人の生命、身体、財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧等、公共の安全と秩序の維持に当たるべきものとされているところ、前記のとおり、県立文化会館における映画「橋のない川(第二部)」上映第一日目に際し、白昼、公衆の面前で、主催者側と上映反対者らとの間に衝突が発生し、負傷者まで出るという事態があつたのみならず、その後も同映画の上映が続けられ、これに対する抗議行動も繰り返されていて、上映推進者らと反対者らとの対立関係はなんら改善されないまま本件当日に及んでいたのであり、かつ、本件当日の右映画上映に関し、高田キネマ管理者からも、あらかじめ、危険な事態の発生する不安があるとして警察による警備を要請する文書が高田警察署長宛に提出される情況にあつたのであるから、警察としては前記のような事態の再発を防止するため所要の警備を尽くすべきこともちろんであつて、その出動に法的根拠を欠くものとはとうてい言えない。また、警備のための出動自体はなんら強制力の行使ではなく、警告、制止の要件として犯罪の発生、近接性等を定めた警察官職務執行法五条の規定はこれと関係がないこと多言を要しない。

つぎに、所論大和高田市条例(昭和二五年市条例第一三号)について考えると、一定の思想や主義、主張等を、一般大衆あるいは政府当局者その他の関係者に伝達しようとする場合、著名でもなく新聞、雑誌、ラジオ、テレビ等のマスメデイアをも利用できない人々にとり、集会、集団行進、集団示威運動のような集団行動はほとんど唯一の効果的表現方法であつて、民主的な社会においては、表現の自由保障の一形態としてこれに対し憲法上の保障が与えられなければならない。しかし、その反面、集団行動による表現は、多数人の集合体によつて物理的支持されている点において純然たる言論による表現とは異なるものがあり、時に不当な威力の行使となり、あるいは平静を失つて逸脱行動に走る可能性すら包蔵していることは否定しがたく、かかる事態の惹起までが表現の自由として憲法上の保障を受けるべきいわれはないから、集団行動に対し、右のようなことを防止し、公共の秩序を維持するため、最少必要限度の規制が加えられることはやむをえないところであるほか、集団行動は、その性質上、一時的とはいえ公道、公園その他公共の資源を排他的に使用し、交通の自由な流れや他の市民による公共の資源の使用を妨げるなど、一般市民にある程度の不利益をもたらすものであつて、右のような公共の資源が有限なものである以上、集団行動参加者と、それ以外の市民との間の利害の調整もまた必要である。

所論条例が、道路その他公共の場所等で集団行動を行なおうとするときは、遠足、修学旅行、冠婚葬祭等本来の意味の集団行動とはいえない場合を除き、所定の事項を記載した申請書により公安委員会の許可を受けるべきものとし、公安委員会は正規の申請に対して集団行動の実施が公共の安寧を保持するうえに直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外はこれを許可すべく、一定の事項(これらの事項の定め方は合理的範囲内にとどまつていると認められる)に関し必要な条件を付しうることなどを定めていることは、公安委員会が諸般の状況を具体的に検討考慮して当該集団行動の実施が明らかに公共の安寧の側持上直接危険を及ぼすものであるか否かを確認し、予想される弊害の防止のため必要最少限度の措置を講じうることとするとともに、当該集団のため、道路その他の公共の資源につき、一般公衆との利害の調整を計つたうえ、一定限度の優先使用権を付与してその集団行動を実効あらしめる途を開くものであつて、集団行動の前記のような性質に対応する合理的規制であるというべく、なんら憲法の所論条項に違反する点はなく、したがつてこれらの規定に違反する集団行動には前記のような憲法上の保障は及ばず、所論条例が、かかる集団行動の参加者に対し、公共の秩序の保持のため、違反行為是正に必要な限度で、警告、制止その他所要の措置が講ぜられるべき旨を定めていることもまたなんら憲法の所論条項に違反しないことが明白である。

そして、本件集団行進は、右条例による許可申請の手続を経ることもないまま、前記のとおり市内幹線道路上の交通ひんぱんな交差点において、交通信号および交通状況を無視して交差点いつぱいに小走りのジグザグ集団行進をしたものであるから、同条例に基づき、これを中止すべき旨の警告が発せられることは当然であり、さらに数回にわたる警告を無視して行進が継続されたのであるから、同様、これに対し制止の措置がとられたのは、まことにやむをえないところである。

もつとも、本件集団行進は、前記のとおり映画「橋のない川(第二部)」が部落差別を拡大助長するものである等との認識に立ち、その上映に対する抗議行動の一環としてなされたものであつて、部落差別に対する糾弾活動としての性格を有したことは明らかである。そして一般に部落差別に対する糾弾活動としての集団による抗議、説得ないし呼びかけ等の行動は、差別根絶のため必要有効な一手段として正当化されうるものであり、たやすくこれを違法視すべきものではない。しかしながら、前記のような態様の無許可集団行進をしなければ被告人らの意図した映画「橋のない川(第二部)」上映に対する抗議の目的を達成できず、あるいは当日の抗議行動全体が無意味に帰するというようなことは客観的に認められないのであつて、右のごとき行動までが、その主観的意図の故に正当化され、右条例の適用が排除されると解すべき根拠は全く存しない。

さらに本件犯行は、前記交差点における規制活動に引き続き、なお、集団行進継続中と認められる被告人らの集団を歩道上に留めるため実施されていた規制活動中に行なわれたものであり、当時規制の程度においてもなんら相当性を欠いていなかつたことが認められ、当該警察官の職務の執行はもとより適法であつたというのほかはない。

以上のとおり、弁護人の主張は理由がない。

(法令の適用)

被告人の判示所為中、傷害の点は刑法二〇四条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条による新旧比照)に、公務執行妨害の点は刑法九五条一項にそれぞれ該当するので、同法五四条一項前段、一〇条により重い傷害罪の懲役刑で処断することとし、その刑期の範囲内で被告人を懲役四月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとして主文のとおり判決する。

(田尾勇 高木實 東修三)

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