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奈良地方裁判所 昭和47年(ワ)251号 判決 1982年3月26日

原告

沢井孝明

原告兼右沢井孝明法定代理人親権者父

沢井芳一

同親権者母

沢井喜子

右原告ら三名訴訟代理人

上田潤二郎

被告

右代表者法務大臣

奥野誠亮

右指定代理人

高須要子

外八名

被告

立松昌隆

被告

奈良県

右代表者知事

上田繁潔

被告

浜田信夫

右被告両名訴訟代理人

米田泰邦

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自

(一) 原告沢井孝明に対し金三、一一五万九、六八九円及び内金二、二〇〇万四、七四二円に対する昭和四七年一一月八日から、内金九一五万四、九四七円に対する昭和五五年一一月二二日から完済に至るまで年五分の割合による金員

(二) 原告沢井芳一及び同沢井喜子に対しそれぞれ金五〇万円及びこれに対する昭和四七年一一月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員

を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨(全被告とも)

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言(被告国、同立松)

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

原告沢井孝明は、後記医療事故の被害者、同沢井芳一及び同沢井喜子は右沢井孝明の両親であり、被告立松昌隆は奈良国立病院(以下、「国立病院」という。)に整形外科医長として、同浜田信夫は奈良県立医科大学附属ガンセンター(以下、「県立ガンセンター」という。)に医師として各勤務するもの、被告国は前記立松を、被告奈良県は同浜田を雇傭し、それぞれの経営にかかる前記医療施設において医療業務に従事させているものである。<以下、事実省略>

理由

第一請求原因1の事実(当事者の地位)については当事者間に争いがなく、右事実と<証拠>を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

一本件事件の経過について

1  国立病院における診断・治療等について

(一) 原告喜子は、昭和四四年二月五日、入浴中に原告孝明(当時一才七ケ月)の左肩胛間部に鳩卵大のふくらみを認め、同月七日、国立病院整形外科を訪れ、同原告のふくらみについて松岡春明医師の診察を受けた。同医師は単なる脂肪腫であつて治療方法としては剔出がある旨を告げた。

(二) 原告喜子らは、その後原告孝明の経過を観察していたが、昭和四五年五月ころ、右腫瘍が鶏卵大くらいに増大してきたため、再び国立病院を訪れ、被告立松の診察を受けた。右当時の同被告の所見によると、原告孝明の左肩胛間部に皮膚の膨隆が認められ、その高さは胸椎の約第三番目から第七番目位にあり、大きさは約四センチメートル×五センチメートルに及び、触診によつて顕著な波動性が認められ、左上肢の上げ下げにより外見的にも腫瘍の伸縮が確認された。同被告は同日原告孝明の血沈検査及びレントゲン撮影を行なつた。

(三) 同月一四日、前記レントゲン撮影の結果により、原告孝明の骨関節には異常はないことが判明したが、左上肢の上下によつて、腫瘍が伸縮していることを示す影像が得られ、現実に右腫瘍に圧迫による緊張があることが明らかとなつた。同月一六日に行なわれた各種臨床的検査の結果は、アキレス腱、膝蓋腱各反射とも正常で、かつ病的反射は認められず、また筋力も正常で、ことさら連動機能等の障害は発見することができなかつた。このため、同被告はさらに精密検査を行う必要性を認め、同月一九日、原告芳一らの同意を得て原告孝明を検査入院させた。

(四) 同日、同被告は右腫瘍の試験穿刺を行なつたところ、血液の混入する粘性の貯留液を得、これが殆んど静脈純血液であつて、試験穿刺後は、数秒で腫腸は元の大きさに復元することが判明し、腫瘍内に可成りの血液供給が行なわれていることが推測された。さらに同日、原告孝明に全身麻酔を施してウログラフィンによる腫瘍造影検査を行なつたところ、腫瘍部位は肩胛骨下から脊椎横突起にまで達し、その高さは胸椎三ないし六番目、大きさは約四センチメートル×五センチメートルの襄状であることが判明したが、一方その被膜の厚さはわからず、かつ前記推測による血液供給路も証明されなかつた。

(五) 同被告は、同月二九日、原告芳一らの同意の下に原告孝明の背部試験切開を行なつた。すなわち、同原告に対し全身麻酔を施して臥位にしたうえ、左肩胛間部の皮膚及び皮下脂肪を弓形に七ないし八センチメートル切開したところ、腫瘍は皮下脂肪との癒着はなく容易に露出可能であつたが、その皮膜は極めて薄く肉眼的にも内容物である血液を写して黒褐色を呈していた。右腫瘍は、外形上は多房性襄腫状血管腫と判断される形状で、五cc程の試験穿刺を行なうと、完全な静脈血を示し、さらに右穿刺後約二秒程で元の大きさに復元し、大きな血液の流入があり、かつ内圧の高いことが現実に確認された。しかしながら腫瘍被膜の薄いことに照らして、右供給路を特定し、これを結束したのちに血管腫自体を剔出することは極めて困難であり、かえつて腫瘍被膜を破綻させこれによつて大出血を生ずる危険性が大きいものと判断されたため、同被告は右試験穿刺後、原告芳一を手術室内に呼び寄せ、露出された原告孝明の血管腫を示して右事情を説明し、原告芳一の同意を得て手術を中止し、直ちに切開部を縫合した。

(六) 同年六月五日、原告孝明は抜糸後国立病院を退院したが、その際被告立松は、本件血管腫については、放射線治療が唯一の治療方法であり、これによつて治癒すると考えられる旨を原告芳一らに説明し、その施設が国立病院になかつたことから県立ガンセンターに勤務する被告浜田医師を紹介した。被告立松は右説明にあたり、放射線治療による放射線の被曝により、可能性としては脊髄放射線症を惹起することもありうるとの知識を有していたものの、本件原告孝明に関し、そのような危険性があることは全く予測せず、同人の両親らに対しても右放射線療法が「安全である」旨を告げた。

2  県立ガンセンターにおける放射線治療について

(一) 同月六日、原告孝明は、被告立松の紹介状(前記国立病院における検査結果、手術着手とその中止経緯につき簡略に記載し、かつ放射線治療を依頼する旨を記載したもの。)を携えて県立ガンセンターを訪れ、被告浜田の診察を受けた。同被告は、即時原告孝明の腫瘍に電子線照射を行なうことを決定し、原告芳一らに対し、「治りますよ。」と告げた。

(二) 同被告は、原告孝明の性状、部位から病巣線量を一回五〇〇ラツド、毎週一回宛一〇回で合計五、〇〇〇ラツドとする旨の照射計画(右各回照射線量及び総線量は、表在性の良性血管腫に対する線量と悪性腫瘍に対するそれのほぼ中間値をとつたものである。)を立て、電子線の最深部飛程を皮下四センチメートルとし、かつベータートロンの線量分布を考慮して腫瘍全体を線量の九〇パーセント領域で包み込めるよう電子線エネルギーを一六メガボルトに設定し、また腫瘍の大きさから照射野を直径六センチメートルと決定し、以上の照射計画と照射上の注意(腫瘍破砕のおそれがあるので注意すべきこと)を同センター放射線技師に指示し、具体的照射を依頼した。

(三) 同センター放射線技師は、右指示に従い、別紙「沢井孝明放射線照射経過」記載のとおり昭和四五年六月九日から同年八月一一日までとりあえず一〇回にわたる照射を行なつた(このうち七回目以降の照射野は四センチメートル径とされ、八回目の照射はコバルト60によるものであり病巣線量は三七一ラツド、表面線量は五〇〇レントゲンである。なお表面線量の単位はいずれもレントゲンである)。

右照射にあたつて原告孝明が照射中に動いて照射野がずれることのないよう、事前にトリクロリールシロップ(睡眠剤)を服用させ、十分な入眠を確認したうえ原告喜子に同孝明を抱かせ、かつ照射中は前記放射線技師が二台の観察用テレビジョンで照射筒(ツーブス)が正しくあてられているかどうかを監視しながら照射を行ない、原告孝明が覚醒するのをまつて帰宅させていたほか、患児及び母親に対する放射線の悪影響を配慮して時折血液検査を行なつていた。

(四) 右期間中の原告孝明の背部形状の変化をみると、二回目の照射の直後には早くも膨隆が減少し、一〇回目の照射が終了した八月二六日の時点でも経過は良好と判断されたため、一応右終了時から三か月程度の経過観察を行うこととされた。しかしながら九月九日には照射部位に米粒大の硬結を認めるのみであつたところ、同月二四日には照射部位の硬化とともに背部の膨隆が認められたため同被告は体内で血管腫が再び増殖を開始したものと判断し、前記三か月の経過観察予定を変更して再度放射線照射を行なうことを決定し、一〇月二二日から前掲別紙のとおり一一月一九日までに更に五回(うち通算一一回目は病巣線量五〇〇ラツド、その他の四回は同二〇〇ラツドである。)の照射を行なつた。

(五) この間、一一月一五日に原告孝明が、がけから転落し、その後跛行、つたい歩きを行なうようになり、起立、歩行が困難となつたため、原告喜子はこの旨を被告立松及び同浜田に告げた。被告浜田は、このため直ちに放射線治療を中止し、国立病院に対し、原告孝明の診断を依頼し、同原告は再度国立病院へ入院の運びとなつた。

3  放射線治療後の原告孝明の症状について

(一) 原告孝明は、昭和四五年一一月二三日、国立病院に入院し、前記歩行困難等の原因究明のため各種検査、診断を受けたが、右検査によると、バビンスキー反射(錐体路障害がある場合に母趾に現われる病的反射の一)が左右ともに認められ、膝蓋腱反射が亢進し、左下肢屈曲運動が不能である一方、脊髄造影検査では通過障害は認められなかつた。症状としては乳の高さ以下の知覚が鈍麻し、歩行が全く不能となつた。このため、同病院では水治療法、電気療法、投薬、注射など各種療法を試み、症状改善に努めたがその効果は現われず、結局症状固定と治療の見込がないため昭和四六年一一月に同病院を退院した。

(二) 右退院の前後を通じ、原告喜子らはさらに関西医科大学、京都大学、京都日赤病院、大阪大学等各所の病院において原告孝明の検査を行なつた。右検査結果によると、原告孝明のレントゲン所見では脊髄に異常はなく、腫瘍による圧迫や通過障害は認められなかつたが、胸椎の三番目(照射による皮膚瘢痕の存する部位)から斜めにおかされており、同部より下部で知覚及び運動の障害が認められ、右運動障害は左側に著しい。また下肢両側に痙性麻痺があり、発汗は乳頭部以上に強い。以上の結果から原告孝明の症状は一部の病院では放射線治療による後遣症(後記脊髄放射線症)であつて治療方法はない、と判断された。

(三) 原告孝明は昭和四九年七月特別児童扶養手当認定を受け、京都府所在の聖ヨゼフ整肢園に入園してリハビリテーションに努め、現在は京都向町養護学校に入学している。

(四) 昭和五五年四月三日、鑑定のために行なわれた検査によると、原告孝明の背部に直径約六センチメートルの皮膚障害が認められ、右は幾分正中線にかかつている。C・Tスキャンによる内部断層撮影所見は、照射野に含まれていると認められる部位(右側肋骨起始部、横突起、右側椎弓、推体及びその周囲)に放射線照射の影響と思しき骨成長阻害、構築異状像、骨融解様所見が認められ、血管腫は全く消失しているが周囲軟部組織の石灰沈着が存在している。

二血管腫と放射線治療及び脊髄放射線症について

1  血管腫とその治療法

血管腫とは、皮膚及び皮下組織における血管の発達異常又は奇形(血管の局部的拡張、分化した血管の増殖、血管形成細胞の増殖など種々のものを含む。)であり、表在性の単純血管腫(ピンク色、鮮紅色、紫色等を呈する斑で、いわゆる「あざ」と呼ばれるもの)、いちご状血管腫(ストロベリーマークとも呼ばれ、表面ぽつぽつしていちご様を呈する丘疹)と非表在性のその他の血管腫に大別される。病理学的見地(組織増殖の異常及び転移の有無)から良性及び悪性の分類が可能であり、また臨床的見地(血管腫の存在部位、治療の難易、放置した場合への危険性など)からも良性、悪性の区分が可能で後者は前者と必ずしも一致しない。通常、良性の血管腫のうちあるものについては、何らの治療を必要とせず、放置しておいても消失してしまうものもあるが、治療を要する場合、その方法としては薬物療法、切除又は剔出(物理的に切り取つてしまう方法)、冷凍療法(二酸化窒素、液体窒素、二酸化炭素等一定の冷却剤を使用して当該血管腫から熱を奪い、これによつて患部壊死をおこさせる方法)及び後記放射線療法の四種類が広く用いられている。

2  放射線治療とベータートロン

放射線治療法とは、電離放射線(X線、ラジウム、同位元素、粒子線等)が本質的に生体組織に対し、有害作用を及すことを利用し、これを直接患部に向けて照射することにより、病巣を破壊し、又は放射線の刺激作用によつて間接的に治療を行う方法で、今日、各種腫瘍等の疾患に対し、前記剔出、切除等の観血的療法と併用的もしくは選択的に用いられている治療方法である。そのうち、ベータートロンは、放射線の物質透過中に発生する二次電子が治療効果を与えることに着眼し、電子(粒子)そのものを放射線源として発生させる装置である。この装置によつて発生する速電子束(加速された電子の束)は、元来組織透過中に吸収、減弱され易く、深部到達力が弱い(飛程が短い)が、この点が逆に治療上の長所となり、適当な電圧の選択により病巣部には比較的容易に大線量を与えることができる一方それより深部にある健常組織に与える線量は極めて少く、照射による障害を軽微に止めることができる。また、深部線量(分布)曲線のマクシマム・ポイントは、必ず皮下となるため、皮膚表面への被曝線量は病巣部に比べて少なく、皮膚反応を軽微に止めることができることもその特徴である。

放射線治療の手順は、まず患者の十分な診察を行ない、レントゲン写真によつて患部を特定し、同時に照射野に含まれることの予測される重要臓器との位置関係を把握する。次に右病巣及び防護したい臓器の位置を図解し、照射野の大きさ、エネルギーの選択を行なつたうえ照射による等線量曲線を右図上に試作して治療計画を定め、これによつて治療を開始する。現実の照射にあたつては、右治療計画が確実に実施されるよう、患者の十分な固定を行ない、照射筒の位置及び照射方向が正確に設定されているか否かに留意して照射を開始する。患者が子供である場合、前記固定には特に注意を要し、催眠剤を与えて安全に入眠したことを確めてから照射を行い、必要があれば母親をつき添わせるなどして万一患者が動いた場合には観察用テレビで制御室に知らせるなどの約束のもとに行う。また、照射が複数回に及ぶときは、毎回ある程度の照射のズレが生ずることは免れ難いため、照射筒の位置及び向きにはさらに十分な確認が要求され、時間的因子を考慮して反応の発現に注意しながら照射を行うべきものとされている。

3  放射線脊髄症(炎)について

放射線脊髄症とは、放射線治療の多用に付随して近時報告されるようになつたいわゆる医源病(医療行為を原因とする疾患)の一つであり、深部病巣部への放射線照射により、不可避的又は過誤的に正常な脊髄組織(脊椎腔)に耐容線量を超える放射線被曝がなされた場合に生ずる脊髄疾患である。その臨床的症状としては①頭部前屈時に四肢や背部に電気的ショック等を感ずる一過性のもの②上下肢下位運動部のノイロン障害像を示すもの③急激な経過をたどつて対麻痺又は四肢麻痺を示すもの④感覚や運動の麻痺が除々に進行するものの四つのタイプが報告されている。右疾患を惹起する要因としては照射線量、照射期間、照射回数、照射野の長さ及び患者の個体差など種々のものがあげられているが、他の原因による脊髄症との識別の基準としては、以下の点が指摘されている。

(イ) 照射野に脊髄が含まれていること

(ロ) 照射終了時から症状発現までの潜伏期間は、通常数か月ないし三年であること(但し、個体差にもより、絶対的な基準ではない。)

(ハ) 症状は照射野に一致してそれより以下の脊髄障害が現われること

(ニ) 照射野、線量及び分割回数・期間に密接に関係し、短期間、少回数で総線量が多いほど発生頻度は高いが、推定脊髄被曝線量(治療を目的とする病巣部への線量ではなく、直接脊髄自体に被曝された推定線量である。)が約四、〇〇〇ないし五、〇〇〇ラツド以上又はNSD(ノミナル・シングル・ドーズの略、これを線量のみでなく分割回数や期間をも考慮した単位である。)換算にして一、四〇〇ないし一、五〇〇レツト(但し、これより下位の数字を掲げる者もある。)以上であること

(ホ) 除々に発現する知覚・運動障害であること

(ヘ) 脊髄液は、ほぼ正常であること

(ト) ミエログラム(脊髄造影)によつても原則として通過障害は認められないこと

また、その発症に至る機制については、現在まで完全な究明はなされていないが、放射線の照射により、神経実質が直接に障害されるとするものと、照射による血管病変等循環障害を媒介とする二次的障害であるとするものとがあり、後者の見解が有力になりつつある。

なお、放射線脊髄症の症例報告は、海外におけるそれが最初で、旧くは一九四一年にアールボン、グリーンフィールドらがこれを行なつており、その後比較的多数の報告がなされているが、その報告時、放射線治療数、発症例数及び発生頻度等の詳細は別紙「放射線脊髄症の発生頻度」記載のとおりであり、このうち一九四八年のボーデンの報告及び一九六九年のフィリップスの報告が著名な報告例である。我国においては一九七〇年の柄川報告が最初であり、長瀬、木屋らの報告がなされたのを契機に本症例につき注目を集めるに至つている。

ところで、これらの報告は、いずれも報告者の体験という比較的限定された症例を集積したものに止まり、これらの結果から別紙「放射線脊髄症の推定脊髄線量」のとおり報告者毎に帰納的に本症例の域値(脊髄の耐容被曝線量とほぼ一致し、それ以上の放射線照射を行うときは一応本症の発生を覚悟しなければならないとする数値)も報告され、右は今日では一般的に前記のとおり四、〇〇〇ないし五、〇〇〇ラツド又は一、四〇〇ないし一、五〇〇〇レツトとされているが、患者の個体差による偏差が著しいうえ、報告の基礎となる具体的症例が限定され、また個々の疾患と照射方法の差異などの理由から、現在に至るまで本症例の域値として絶対的信頼を置くに足る数値は定立されていない。ことに成長期にある小児の組織は一般に成人のそれに比して放射線に対する感受性が高い(わずかの放射線被曝により敏感に反応し易い。)ことが判明しているものの、前記域値(これは成人に対するものである。)をどの程度修正すべきかについては模索の状況にあり、結局のところ、具体的な症例に接した担当医が、その症状に即し、病巣破壊に足る最少限度の照射を行うべきであるとされているほか確たる基準を持たない。本件放射線治療当時は右に加え、日本における本症例の報告はなされておらず、また海外における報告例についても紹介されているものは数少く、前記域値の設定はさらに困難な状況下にあつた。

以上の事実を認めることができ<る。>

第二被告立松、同浜田の過失の有無について

1  原告孝明の現症状について

まず、原告孝明の前記現症状がいかなる原因に由来するものであるかの点につき検討する。

前記認定事実と前掲鑑定の結果及び同柄川証言によれば、原告孝明の現症状は前記放射線脊髄症の識別基準の殆んどすべてに該当し、右症状が本件放射線治療ののちに出現していること、現症状発現後のレントゲン検査によつても、血管腫による脊髄又は循環器系統の圧迫障害と判断されるような所見は得られず、かえつてC・Tスキヤンによる同人の深部断層所見等によれば本件放射線照射野に含まれると判断される領域の筋肉、軟部組織、肋骨、椎弓及び椎体の一部に萎縮、骨融解様所見、骨生長障害、骨破壊造等が認められることなどの事実によると、右各組織にはその耐容線量を超える照射が行なわれたことを推認することができ、右事実と小児の成長期骨や椎弓を透過しても放射線エネルギーはさほど滅弱されないとの事実を総合すれば、原告孝明の脊髄に対しても、前記椎弓等への線量と同程度の放射線被曝がなされたことを合理的に推認することができ、右推認を覆すに足る証拠はない。

この点に関し、被告浜田らは、原告孝明に対する照射は前掲別紙「沢井孝明放射線照射経過」記載のとおり正確に行なわれており、これによる限り、病巣部に対する線量でさえ六、一七一ラツド、二、二〇〇レツトであるにすぎず、脊髄線量はその一〇ないし二〇パーセント領域に止まるのであるから、本件原告孝明の症状が放射線脊髄症であるとすると域値をはるかに下まわる照射によつてこれが出現したこととなること、右症状が放射線治療後極めて短時日のうちに発現していることなどを根拠に本件症状は、放射線脊髄症以外の脊髄症であり、その原因は次の二つのうちのいずれかであろうと主張する。

①  血管腫の肥大により、既に放射線照射の以前から脊髄又は付近循環器に圧迫がおこり、これを原因とする症状が照射中に出現した(圧迫性脊髄炎)。

②  放射線照射の結果、病巣血管腫の消失、硬化がおこり、これに伴つて付近に存在する栄養血管(アダム・キーウイッツ動脈すなわち多くは左肋間部動脈から分岐して髄腔内へ入つているもので、右髄腔内の血管等に栄養補給を行なうもの)が圧迫又は閉塞されたことにより本症状を惹起した。

そこで右主張の当否につき検討する。まず、原告孝明の脊髄に被曝された線量がどれほどであつたかはこれを間接的に推認するほかはなく、被告ら主張のように本件照射計画と線量分布に基づいてこれを推定するか、現在原告孝明の体内組織に認められる所見等からこれを推定するかのいずれかの方法によらざるを得ない。ところで前者の方法は、本件一五回に亘る照射がいずれも照射野、照射方向とも巌密に照射計画どおりに行なわれたことを前提とするものであるから、(照射担当者の主観においてはともかくとして)複数回に亘る照射が現実には若干のずれを伴わざるを得ないことによる修正を行なわなければならない。ところで、一般にベータートロンによる電子線の線量分布は周辺部においては極めて密となるから、わずかの照射野又は照射方向のずれにより予期せぬ部位に大線量の照射が行なわれる結果となることも推測される。従つて右照射におけるずれを考慮に容れる限り、現実の被曝線量は、被告ら主張の推定被曝線量を上まわることは確実であるが、前記照射時のずれが具体的にどれほどであるかは不明であり、右被曝線量もこれを推測することができない。

むしろ、原告孝明の照射野に一致する体内には、放射線照射の影響による組織変化が存在することは前記認定のとおりこれを否定することはできないのであるから、右組織変化を惹起しうる線量から、現実の照射線量を推定することがより直截的でありかつ客観的事実に合致するものと解される(被告らの主張によれば右組織変化の事実さえ十分に説明することができない)。これを本件についてみるに、前記鑑定結果によれば、脊椎骨(椎弓)の一部に発育疎害及び構築異常像が認められ、成長期骨の耐容線量とされている八六〇ないし一、一〇〇レツト以上の照射がなされていることが推認されること、鑑定結果は脊髄自体の耐容線量一、三〇〇ないし一、五〇〇レツト以上の線量が照射された可能性をも指摘していること等の事実からすると、本件照射計画から単純計算される四二九レツト(被告らの主張)をはるかに超えて、現実に前記各耐容線量に近い照射が行なわれた可能性を否定することは困難であると解される。

次に原告孝明の症状が放射線照射によるものでないと仮定した場合の原因につき、検討する。まず前記①の原因については、<証拠>によれば、血管腫による脊髄の圧迫により本症例と酷似する症状を呈することがあり、これを原因とする報告例も認められること被告ら主張のとおりではあるが、他方前記鑑定結果によれば、血管腫の存在した部位及びその付近にみられる体内組織の変化が血管腫の圧迫に起因する可能性は少い旨指摘されているほか、前記認定のとおり、放射線治療を行なつたのちにおいても圧迫性脊髄症を示すレントゲン所見は何ら得られていないこと、さらに血管腫による脊髄の圧迫を生じた場合には、これによる脊髄疾患症状が直ちに出現する筈であると解される(放射線脊髄症の識別基準の一として、個人差により長短の差はあるにせよ、その症状発現は一定の潜伏期間ののちにみられる点があげられていること前記のとおりである。)ところ、本件においては放射線照射前には脊髄疾患症状は全く出現していないこと等の事実に照らせば、本件症状が①を原因とするものとは到底解し難い。また②の原因については、前掲乙第六号証中にはこのような症例が報告されており、その症状も本件症状と類似していることを認めることができる。しかしながら、右報告は、椎体血管腫自体がアダム・キーウイッツの動脈を圧迫している例であつて被告ら主張の症例(血管腫の消失によるひきつり又は圧迫)とは異なるほか、右主張が肯定されるためには、原告孝明においてアダム・キーウイッツ動脈が血管腫消失により影響を受ける部位(すなわち胸椎の第3ないし第七番目の位置もしくはその付近)に現に存在することが確認されなければならないところ、一般的に右血管が肋骨の何番目から出ているかは人によつてまちまちであるというのであり、(前掲乙第六号証の報告は第一一肋間動脈から出ている。)原告孝明の体内において前記範囲内にこれが存在したことを認めるに足る証拠も何ら存在しなかつたものであつてこの点に関する被告らの主張は仮定の域を出ないものというべきである。

最後に本症出現までの潜伏期間が比較的短いとの被告らの主張について検討する。右期間の長短は個人差・照射方法等による偏差が認められ従つて放射線脊髄症の識別基準の一としての数か月ないし三年の潜伏期間の要件は必ずしも絶対的なものでないこと前記のとおりである。本件につき右期間を検討しても(治療終了をどの時点と把えるかに議論の余地はあろうが)一応当初の照射計画の終了時点からみれば約三か月を経過したのちに症状が出現しており、必ずしも本症発現までの最短期間の数か月と矛盾するものではないこと等の事実からすれば、潜伏期間が短いとの一事をもつて原告孝明の現症状が放射線脊髄症ではないと断定することはできない。

以上のとおり、原告孝明の現症状は放射線治療に起因する放射線脊髄症であるとの点はこれを否定することはできないものというべきである。

2  被告立松の過失の有無について

そこで、進んで被告立松の過失の有無につき検討する。原告らは同被告の過失として(一)本件血管腫はあえて放置しておいても危険はなかつたものであり、仮に治療を要するとすれば冷凍療法を選択すべきところ放射線治療を選択、決定した過失(二)転院に際し後医に対し放射線治療方法、照射線量等を指示すべきところこれを怠つた過失(三)説明義務違反(四)本症状出現後放射線照射を中止させなかつた過失の四点を主張するので順次判断する。

(一) 放射線治療を選択した過失

前記認定事実によれば、原告孝明の血管腫は背部皮下から胸椎横突起付近にまで及び、直径四ないし五センチメートルの卵円状のう腫状血管腫であつて静脈血の供給路を有することが合理的に推測される内圧の高いものであり、かつ切開によりその皮膜が極めて薄いことも確認されていること、約一年間に鳩卵大から前記大きさに増大していること、上肢の上げ下げにより血管腫に圧迫が加わり緊張も大となつていたこと等の事実が認められ、これを放置すれば脊髄を圧迫し又は縦隔洞内に浸入して心臓その他の臓器を圧迫するなどの事態を生ずる蓋然性が高度に認められたのであるから医師として何らかの治療を行うべき必要性を肯定したことに何らの過失はない。また試験切開によつて前記血管腫への血液供給路を特定することができなかつたものであるから、剔出不能として他の治療によるべきものとしたことについても何らの過失はないものというべきである。ところで原告らは、剔出が不能であるなら次に考えるべきは冷凍療法であり、放射線療法ではない旨を主張する。なるほど血管腫の治療方法の一つに右療法があること原告ら主張のとおりであり右療法が主として表在性のそれに一定の効果を上げている事実も認められるが、本件血管腫に対し右療法を選択することが可能であり、かつ放射線治療に比較してより適切であつたとの点は全証拠によるもこれを認めるに足らない。かえつて本件血管腫は深部に存在するものであり、脊椎横突起付近にまで達していたほか、その位置が心臓・肺など他の重要臓器に接近していたことが推測されるから、仮に冷凍療法を採用していたとするとこれら重要臓器、骨などの一部に凍結ないし冷凍による影響が及ぶことが避けられないものと解され、右各臓器等に対する悪影響を無視して右療法を選択すべきことが医師の義務であるとは考えられない。これに比べ、放射線治療は一般にエネルギーや照射野の選択如何により、主たる病巣以外に及す影響を比較的小さなものに止めることができ、かつ当時においても本件のような深部に存在する血管腫、ガン等に対し一応の治療効果を有していることも承認されていたものであるから、被告立松がこの方法を選択し、原告芳一らにこの方法によるべき旨を告げて被告浜田に原告孝明を紹介したことは整形外科医師としてむしろ当然のことであり、右判断に何らの過失はない。

(二) 照射に関する指示を怠つた過失

次に、転院に際し、被告立松において後医に対し、具体的照射方法等の指示をなすべき義務があつたか否かを判断する。一般に、今日の医療は医療水準の向上に伴つて各種専門分野毎に高度に分化しながら互いに右専門分野の協働により、患者の治療という究極目的達成に努めており、右のような専門分化と協働とが現代医療制度の特色となつていることは公知の事実である。すなわち整形外科的療法がとりえない疾患に対し、放射線治療が施された本件のような場合にみられるように、例えば右両科の関係は各領域に固有の療法と治療範囲を有する専門分野として独立しながら(整形外科医師は整形外科療法を駆使しうる専門家としてまた放射線治療医は放射線という特殊技術的療法を駆使しうる専門家として異なる治療方法によつて)患者の治癒という同一目的に向けて協力するという関係に立つ。従つて、例えば整形外科医が自己の隣接分野である放射線治療につきその一般的医療水準に達する知識・経験を保持し、双方の分野に亘る専門的判断に基づいて右両分野にまたがる療法を自ら行ない、または一方から他方への転院ないし転科を判断する如き事態は(患者側から見れば望ましいことではあるが)医師に対し本来専門でないすべての隣接分野について万能を要求するものであり、さらに右要求を法的義務にまで高めることは前記現代の医療制度の実情に照らし過大な義務を課するものといわなければならない。すなわち整形外科医としては自己の専門分野についての水準的知識経験を保持するほか、他に取りうる方法等隣接分野の存在と特定を行なうに足る一般的知識を保有することをもつて足りるものというべきである。これを本件についてみるに、被告立松は整形外科医であるから、同人の専門とする療法の及びえない疾患であることが判明した場合に、放射線治療という療法が考えうること、右療法をうけうる施設・病院を特定しこれへの転院、転科をすすめることを行なえば足り、現実に放射線治療の適応事例であるか否かまた具体的治療をどのように行なうかは転院先の放射線治療専門家である同科医師が行なうべき事柄であるといわざるを得ない。従つて前記整形外科医としての要求を超え、具体的治療にあたつての細部の指示を行なうことは不必要であり、むしろ有害でさえあるものというべきであり、この点に関する原告らの主張はその前提を欠くもので失当というほかはない。

(三) 説明義務違反

右認定の事実によれば、被告立松の行なうべき説明は、原告孝明の背部試験切開により整形外科的療法をとりえないことが判明した際にその他の可能な治療方法を指示し、患者をしてこれを受ける時機を失しさせないよう速かに転院措置をとらせることに尽きるものと解されるところ、本件において放射線治療が可能な唯一の方法であつたと判断されること前記認定のとおりであり、同被告は右方法によるべき旨を指示し、被告立松を紹介して現実に転院措置をとつたことが認められるから、被告立松に説明義務の懈怠は何ら存在しない。

原告らは、放射線療法をすすめるに当つては、万が一にも生ずることのありうる現症状をも予測し、右危険性についても説明を行うべきであるのに被告立松はこれを怠り、却つて安全である旨を告げたことを説明義務懈怠にあたる旨主張する。なる程、放射線治療により本件の如き症状がまれに生ずることは当時の医学的水準においてもその可能性は否定できず、その意味で抽象的な危険(結果)の予測可能性はあつたものといえなくはない。しかしながら法的義務としての説明義務が肯定されるか否かは現実の患者にそうした危険がおこるであろうという具体的危険が客観的資料によつて予見され得たか否か及び右具体的危険の告知によつて結果の発生が回避しえたか否かの二点にかかつているものというべきところ、前者についてさえ、被告立松にとつては直接自己の担当しない将来の治療の予測に属する事柄であり具体的危険を予見すべき何らの資料を持たなかつたのであつて右予見を可能にする要素は何ら存在しなかつたものというべきである。よつてこの点に関する原告らの主張もその余の点につき判断するまでもなく理由がない。

(四)  発症後の中止義務

前記認定のとおり、放射線治療は被告浜田の専門であり、これをどのように行なうか、中止すべきか等の判断も担当医たる同人の判断に専属する事項であるということができる。よつて被告立松において右中止を申入れるべき義務はなく、この点に関する原告らの主張もまた理由がない。

以上のとおり、被告立松には原告ら主張の過失ないし懈怠はいずれも認めることができない。

3  被告浜田の過失の有無について

最後に被告浜田の過失の有無につき検討する。原告らは、(一)放射線治療を行なうべきでないのにこれを行なつた過失(二)放射線の過大な照射を行なつた過失(三)照射に際しての患者の固定不十分(四)本症発現後の照射の四点を主張するので順次判断を加える。

(一) 放射線治療を開始、施行した過失

本件原告孝明に対し放射線治療を行なうべきか否かは、同原告の本件血管腫を放置した場合の予後をどのように判断したかの点にかかつているものということができる。ところで、既に認定したとおり、本件血管腫はこれを放置した場合、治療開始前の大きさに止まつていると否とにかかわらず、最悪の場合には生命への危険も高度の蓋然性をもつて予測されたものであり、整形外科的療法も不能に終つた段階ではこれを治癒(ないし保存)する手段としては放射線治療が可能な唯一の方法であつたものと判断される。従つてそのような患者に接し、右療法に着手することは医師としてむしろ当然の義務であると判断され、被告浜田に何らの注意義務違反はない。なお争いのない事実によれば、照射開始にあたり同被告は原告芳一らに対し本件放射線脊髄症発生の可能性につき何ら告げていないとの事実を認めることができ、原告らは右告知義務を主張する如くであるのでこの点につき付言する。前記のとおり、本件放射線照射は唯一の治療方法であり、放置した場合の生命に対する危険性に照らすと照射を行なうことが医師にとつてばかりでなく原告らにとつても必然的選択であつたものと解されるほか、現実の認識として被告浜田は自己の照射計画とその実施によつては原告孝明に現症状が発生する具体的危険性を何ら予見していなかつた(右危険を予見しなかつたことに過失があると評価しえないこと後記のとおり)ものであるから、右危険につき説明を行なわなかつたことが過失であるとすることはできない。

(二) 過大な照射を行なつたこと、固定不十分のまま照射を行なつたこと

前記(二)、(三)の過失は照射計画設定の過失及び具体的照射に付随する過失に帰着するので便宜上一括して判断する。まず照射計画が適正に定立されたか否かは、具体的には病巣の部位形状、その臨床的、病理的性状(悪性か良性か及びその放射線耐容線量如何)、病巣部への照射に不可避的な健常組織への被曝線量の予測等を彼此勘案し、病巣破壊に十分でかつ健常組織に対する被曝が最小となるような照射野の大きさ、方向、電子線エネルギーの選定、一回線量及び総線量、照射間隔と回数が各適正に選定されたか否かということであり、右判断にあたつては当時の放射線医療の一般的水準ことに類似疾患に対する一回及び総線量、重要な臓器の耐容線量、放射線脊髄症の発生域値等につき一般的に主張されていた数値と本件照射の比較が重要である。

これを本件についてみるに、前記認定事実と前掲各証拠によれば、本件血管腫は病理的には良性であるが体内深部に存在する巨大なのう腫状血管腫であり、このような症例自体稀なものであつて参考とされるべき報告も存在しなかつたこと、このため被告浜田は当時表在性のいわゆるアザに対する一応の目安とされていた照射線量一回二〇〇ないし五〇〇ラツド、総線量三、〇〇〇ラツドを参照し、体内深部に存する巨大なものである点を考慮して一週一回五〇〇ラツド、一〇回総線量五、〇〇〇ラツドの照射計画を立てたこと、そうして血管腫全体を電子線エネルギーの九〇パーセント領域で包み込むようエネルギーを選択し、当初の照射野を六センチメートル径と決定し、のちに血管腫の縮少を予測して四センチメートル径にかえたこと、本件では脊髄と血管腫の存在位置から前者への照射は不可避的であつたが右照射計画による限り六センチメートルの照射時で電子線エネルギーの二〇パーセント、四センチメートルの照射時で同一〇パーセント領域に止まるよう照射筒の方向を選定し、これによつて当時報告されていた脊髄放射線症の域値(脊髄線量一日二〇〇ラツド、総線量五、〇〇〇レントゲンないし八、〇〇〇レントゲン等必ずしも一定してはいなかつた。)には達しないことが予測されたことなどの事実が認められ、右事実によれば当初一〇回の照射計画(うち八回目は実際の照射は計画よりも少い。)は一回照射線量、総線量、これによつて生ずる脊髄被曝線量、照射野の大きさ等いずれの見地からみても当時の医療水準に照らし不当な点はなかつたものということができる。また、右一〇回の照射計画が終了したのち経過観察期間中さらに五回にわたる照射を行なつているが、これは縮小を予測された血管腫に再び増大が認められると判断されたことによるものであり、具体的経過に即し、適宜追加照射をすることも許されるとされていた当時の一般的見解に従つたものであつて右選択は担当医の裁量として是認されるものと解される。そうして前記一〇回の照射計画と右追加照射とを合わせ考慮しても、本件照射は病巣部総線量六、一七一ラツド、脊髄総線量一、〇二二ラツド(四二九レツト)に止まり、前記照射当時の報告のほか現在一般に承認されている域値をもはるかに下まわるものであり、本件照射計画(ただしのちの五回は純粋に計画といえるか否か問題である。)の定立につき、何らの過失があつたものということはできない。

次に照射の具体的実施に何らかの過失があつたかを検討する。

まず、前記認定のとおり、その具体的数値は不明であるが、結果的に原告孝明の脊髄にその耐容線量を超える放射線照射がなされた可能性はこれを否定することができないのであるから、照射計画に誤りがない以上、理屈のうえでは右結果は具体的な照射に何らかの過誤があつたのではないかと一応考えることができる。具体的な可能性としては①原告孝明の入眠が不十分で、照射中同人が動いたこと②原告喜子に原告孝明を抱かせたことによる照射野、方向のずれ③毎回微妙に照射野、方向がずれて設定されたことの三つ(うちいずれかもしくはこれらの複合)しかあり得ない。これを本件についてみるに前記認定事実によれば、まず①については、具体的照射に際し、予めトリクロリール・シロップなどの催眠剤を毎回服用させ、十分睡眠したのちに照射室へ入室している事実を認めることができ右認定に反する原告沢井喜子本人尋問の結果は前掲丙第一号証の二の記載と比較し措信し難く採用できない。また後記のとおり照射中は母親と放射線技師による二重のチエツクが行なわれていたものであつて右事実による限り、原告孝明が覚醒して動いた事態はありえないものと判断される。さらに②について検討すると、患児の固定方法としての母親に抱かせる方法は、緊縛に比べ照射野、方向にずれの生じやすい方法であることが経験則上容易に認められる。しかしながら右方法をあえて採用したのは万一にも患児が覚醒するなどによつて照射が脊髄の方向になされることを避けるためであつたことを認めることができそのような方法の選択自体を過失ということはできない。さらに母親自身の動揺は同人及びテレビを通じ放射線技師が十分チエックを行なつていたものと認められるから本件において右事態が生じたことはこれを認めるに足る証拠はない。また③については毎回の照射時におけるツープスの設定がどのような方法で(特に照射野を合致させる作業は何を基準にして)行なわれていたかは全証拠を精査してもこれを明らかにするに足る証拠がない。しかし、前記認定のとおり複数回に及ぶ照射にあたり、毎回右照射野・方向を出来る限り合致させるよう努めることは放射線治療の最も初歩的かつ重大な作業であり、担当技師がこれをおろそかにしたとの事実はこれを認めるに足る証拠がないほかそのような可能性も極めて少いことが推測される。

以上のとおり、具体的事実に照らし、本件照射方法に何らかの過誤も認めることはできない。

(三)  本件発症後の照射

原告らは原告孝明が本症を出現させていることを告げたのに、同被告は第一五回目の照射を行なつた旨主張するが、同被告は右事実を告げられたのは右照射を行なつたのちである旨主張しており、全証拠によつても原告ら主張事実を認めるに足る証拠はない。

よつてこの点に関する原告らの主張も理由がない。

以上のとおり、被告浜田についても原告ら主張の過失はこれを認めることができない。<以下、省略>

(仲江利政 広岡保 三代川俊一郎)

別表ならびに別紙<省略>

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