奈良地方裁判所 昭和55年(ワ)98号 判決 1980年12月05日
参加人
株式会社橿原ミニゴルフレストラン
右代表者
東川弘
右訴訟代理人
光辻敦馬
脱退原告
奈良森林開発株式会社
右代表者
嶋田三郎
被告
松本利裕
右訴訟代理人
川崎敏夫
主文
一 被告は参加人に対し、金一、七七〇万一、三六二円及び内金八一一万〇、七〇五円に対する昭和四三年一二月二五日から支払ずみまで年六分の割合による、内金九五九万〇、六五七円に対する昭和四九年一月一八日から支払ずみまで年五分の割合による各金員を支払え。
二 参加人のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決は、主文第一項に限り、仮にこれを執行することができる。
事実《省略》
理由
第一参加人の請求について
一全取引について
1 原告が昭和四六年頃まで木材市場を経営していた株式会社であり、昭和四〇年頃被告を雇い入れたこと、被告は右入社当初から昭和四三年五月二八日までは営業部長・現場責任者として、同年同月二九日以降退社した昭和四七年四月二五日までは営業担当取締役として、原告会社に勤務し、右業務を担当していたことは当事者間に争いがない。
2 <証拠>を総合すれば、以下の事実を認めることができる。
原告会社は肩書住所地に貯木場、事務所をおき、木材の市場を経営して、その販売手数料の獲得を目的としていた会社であるが、そのかたわら、右市場への出材量を確保し、あわせて出材業者の便に供するため、出材業者が山林の立木取引を行なうに際し、その申入れに応じ、立木買受代金及び出材に要する費用等を前渡金として貸付け、右貸付金により買受けた立木を原告の市場へ出材させ、同所でこれを市売りした売却代金をもつて前記貸付金の元利に充当する旨の前渡金契約及び受託販売契約の各取引を行なつていたものであること、原告会社には、代表取締役竹原信義以下一〇名程度の取締役が選任されていたが、被告が原告会社に入社して以来、平素は主として経営を担当する被告と、経理を担当する小石興八郎の二名が常時事務所に出勤し、他に二、三の事務員を使用して日常業務にあたつており、代表取締役の前記竹原が、週に一、二回事務所に出勤するほかは、他の取締役は殆んど原告会社の業務に携わることはなく、わずかに年二回開催される定例取締役会及び要急案件の発生により随時招集される臨時取締役会に出席する程度であつたこと、ところで前記前渡金契約及び受託販売契約は、予め貸付を受けようとする出材業者が原告会社に対し、買受くべき山の所在地、立木の種類、石数、買受予定値段及び原告会社への出材予定等を報告し、営業を担当し、立木取引に明るかつた被告が、右申入れに対し、直接現地山林を見分するなどしたうえ、原告会社として貸付を実行するかどうか及びどれだけの貸付を行なうかを判断していたこと、右貸付等の正規の手続は、被告の右判断に従つて前渡金申込書及び受託販売契約書を作成し、前者については被告が貸付禀議書を起こしてこれに対する代表取締役の承認を得たうえ貸付が実行されるというものであつたが、立木の入札等、事柄の性質上、右承認を得る暇のない場合や、出材業者の連絡の都度行なわれる個々の出材費用の貸付については、被告がある程度の裁量権をもつて、単独で決定・実行し、事後に代表取締役の承認を得るという方法もとられていたこと、右のように契約の締結がなされると、出材業者は貸付を受けた前渡金をもつて立木を買受け、現地に赴いて人夫等を雇い入れて立木の伐採・搬出を行ない、これを素材としたうえ、逐次原告会社の市場に出材し、一方原告会社では、前記立木の買受代金のほか、現地の出材業者からの連絡により、人夫賃その他の出材費用を手形又は現金で現地へ送金し、出材にかかる木材を自己の経営する市場で売却した代金をもつて右前渡金の利息・元本に充当する手続を行ない、右のような取引が出材の完了まで続けられたこと、出材の完了した時点で、前渡金債務に未払金があれば、出材業者がこれを弁済し、右前渡金元利以上の売上金があれば、これを出材業者に利益金として交付するという方法で最終的な清算が行なわれたこと、
以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。
二丸十林業との取引について
(一)1 <証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができる。
訴外榎本久は、昭和四二年までに、個人として原告会社との間で、前記のような前渡金契約及び受託販売契約の各取引を行なつていた出材業者であるが、同年八月頃、訴外岡鼻一平からの誘いに応じ、同訴外人らと共同で山林取引を行なうこととしたこと、その際、被告が右岡鼻を通じ、原告会社としても右取引のあと押しをする旨伝えていたが、榎本は、取引金額が大きくなることから、被告に対し、個人としても右取引に参画してくれるよう申入れ、その頃被告の了承を得て以上三名に訴外平野文朗を加え、丸十林業(代表榎本久)の名称で、立木取引及び出材を開始したこと、当初、榎本及び岡鼻の両名は、買受に適当な山林を物色し、種々下見なども行なつていたが、同年八月頃新聞紙上で大沼官行造林(和歌山県牟婁郡北山村里ケ峯所在)の立木が公売に出されていることを知り、右両名が現地を調査し、杉・松・檜の合計七、〇〇〇石程度の出材が見込まれると判断してその結果を被告に報告し、これに対し被告は金額二、六〇〇万円以下で右造林の立木を買付けるよう右両名に指示したこと、右両名は、その指示に従い、同月二二日、右立木を二、一〇〇万円で落札することに成功し、これと前後して、丸十林業名義で原告会社と前渡金契約及び受託販売契約を締結したこと、右各契約書は、原告会社でこれを担当していた被告がこれを作成したこと、その後右契約に基づき、第一回前渡金一七〇万円が同年八月二三日に、第二回前渡金四五万円が同月二四日に、第三回前渡金(立木買付代金)二、二一七万二、〇〇〇円が同年九月一日に、それぞれ原告会社から丸十林業に支払われたのを始めとして順次、別表(一)記載のとおり、昭和四三年一一月三〇日まで合計三七回にわたり総額四、二八九万一、五六〇円が貸し渡されたこと、この間、昭和四三年一月ころ、丸十林業は、被告の同意の下に、右大沼官行造林付近に存するこれとは別個の山林立木を一三〇万円で買受け、伐採・出材を合わせて行なつたこと、右両山林の立木の出材は、昭和四二年一〇月頃から始まり、当初は榎本・岡鼻の両名が現地に残つて人夫の手配等を行なつていたが、良材が出はじめた段になつて被告は右両名に対し、被告の義父にあたる訴外竹本を出材・搬出の現場責任者として派遣すること、榎本らは、時々の見回わりだけをして、その他は、各自の経営する製材業に専念するよう申入れ、右両名はその申入れに応じてその後は現場を離れ、出材は前記竹本の手によつて行われるようになつたこと、出材された素材が原告会社市場へ出荷されたのは、昭和四二年一二月上旬からで、翌四三年三月ころまでは比較的大量の出荷がなされ、その都度右売却代金をもつて前渡金に充当されていたほか、運搬の関係上、山一木材、十津川市場等へ出荷され、その売却代金だけが原告会社に入金されるものも一部あつたこと、原告あての最終の出材は昭和四二年一一月一八日の三五本であるが、同年一二月二四日の清算時点では、当初見込を大巾に下回わり、出材材木の材質不良等の理由から、前渡金未返済金、利息等一、一七一万〇、七〇五円の赤字となつたこと、このためそのころ、被告、榎本、岡鼻の三名(前記訴外平野は、既に丸十林業から除名されていた)は、榎本の手元にあつた本件取引に関する一切の伝票等を持ち寄り、原告会社の帳簿とつき合わせて前渡金の交付額等を検討し、右未払債務額に間違いのないことを確認したうえ前同日訴外岡鼻が六〇万円の手形三通を、訴外榎本が一八〇万円の手形一通を、また翌昭和四三年一月二〇日被告自身も右同額の手形一通を原告会社に対し交付し、一部返済を行なつたこと、その後前記榎本の差入れた手形は不渡となり、原告会社に対し、結局八一一万〇、七五〇円の債務が残つていること
以上の事実を認めることができ、右認定に反する被告本人の供述(後記)は採用しない。
2 ところで、被告は、個人の資格において丸十林業の取引に参加したことを争い、単に榎本の保証をなしたにすぎぬ旨主張するが、前記認定事実によれば、買受山林の選択、値段等の指示はもとより、通常の山林取引においては一応出材業者の自主的な管理・指揮に委ねられる立木の伐採・搬出の際に、被告の義父を現場責任者として派遣し、榎本・岡鼻らの関与を排斥していること、証人榎本の証言によれば、これまで被告は、類似取引につき、出材業者にアドバイスすることはあつても個人として同人らの債務につき保証をしたという事例は一度もなかつたこと、榎本らは、被告が単に原告会社の経営担当者として本件取引に関与したというより、終始丸十林業の共同事業者として参加していたとの意識をもつて疑わなかつたこと、清算段階において被告は榎本らとともに一応返済義務を認め、同人らと同額の弁済をなしていること、さらに、当然作成され、一旦は榎本に交付された本件前渡金申込書・受託販売契約書を、後日被告自ら回収し、原告会社に残されているべき同一書類も被告退社後見当らないことから右各書類には、被告が契約当事者として表示されていたことも推認されることなどの諸事実に照せば、丸十林業の行なつた取引には、榎本、岡鼻とともに、被告も個人の資格において加わつていたものと認めるのが相当である。
そうして右丸十林業にとつて、立木買受及びその出材の事業は、絶対商行為であり、その資金調達方法としての本件前渡金借入行為は附属的商行為となるから、被告は右残債務につき他の二名と連帯して支払をなすべき義務を負う。
3 遅延損害金について
参加人は、原告と右丸十林業との前渡金契約につき、その弁済期を昭和四三年一二月二四日と定め、遅延損害金を日歩三銭二厘と定めた旨主張する。ところで、前掲榎本証言及び被告本人尋問の結果によれば、丸十林業と原告との間で、当初弁済期及び遅延損害金の約定をした事実は認められるが、具体的期日及び利率についてはこれを直接認定しうる証拠はなく、わずかに昭和四三年一二月二四日に清算のため、榎本及び岡鼻の両名が手形でもつて各一八〇円の弁済をしている事実が認められるに止まるが、前掲第一の一の2の事実からすれば、本件取引における弁済期は、一応の出材完了を見込んで定められるものと解されるから、遅くとも清算のための債務の弁済がなされた時点には、弁済期は到来していることが明らかであり、本件弁済期は、前記清算の行われた昭和四三年一二月二四日と認定するのが相当である。また損害金については、日歩三銭二厘の約定を認定するに足る証拠はないから、商行為一般の原則により、参加人の申立の範囲内である年六分の割合の限度でこれを認めるのが相当である。
(二) 抗弁事実について
被告は、債務の弁済に代えて、被告個人が榎本久に対して有していた抵当権付債権五〇〇万円を原告会社に譲渡し、かつ登記必要書類を交付することによつて、これを履行した旨主張する。証人小石興八郎(第二回)、同榎本久の各証言によれば、原告会社の経理を担当していた小石は、被告から、右榎本所有の不動産につき、抵当権を設定してくる旨告げられていたこと、被告はそのために幾度か榎本の元へ足を運んでいたこと、榎本は、被告の申入に応じ、自己所有不動産に抵当権を設定することを承諾し、登記必要書類を被告に交付したことの事実を認めることができるが、一方前記証拠によれば、右抵当権は、榎本が個人取引により、原告会社に負担していた債務を担保するためにその設定を了承したものであつて、その当時榎本は被告に対しては、何らの債務を負担しておらず、従つて被告を担保権者とする旨の同意を与えたものではないこと、しかるに、被告は預かつた書類をほしいままに利用して、その後自己を抵当権者として抵当権を設定したうえ、退社に際しても、原告会社名義に訂正するなどの措置に出たことも、登記必要書類を引き渡すなどの態度に出たこともなかつたことの各事実を認めることができ、右認定に反する被告本人の供述は措信し難く採用しない。
右事実によれば、被告が代物弁済したと主張する抵当権付債権は、本来原告会社に帰属すべきものであつて、被告の原告会社に対する債務の存否にかかわらず、これを原告会社に移転すべきものであるから、そもそも代物弁済の目的となすことを得ないことはもちろん、右履行がなされた形跡も認めることはできず、結局被告の抗弁は理由がない。
三三共との取引について
(一)1 <証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができる。
訴外東浦勝は、昭和四三年七月ころ、親交のあつた訴外亡松本治三郎に対し、東京都北多摩郡 原村本宿所在の山林(以下「関東山」という。)の立木取引をもちかけ、同人の実子にあたる被告(右被告と治三郎の身分関係については当事者間に争いがない。)に対し、原告会社から前渡金借入を申入れたこと、実父からこれを聞いた被告は、当時石田林業の名称で、上田山、岡常山、大沢山、名張山及び黒川山等の立木取引に関し、原告会社との間で前記第一、一の2記載の前渡金取引及び受託販売取引を行なつていた訴外亡石田弘に対し、右関東山取引の話をもちかけ、前記東浦及び松本治三郎と共同で、新たな山林取引を行うよう勧めたこと、石田は、その頃既に福知山所在の山林取引を企図していたが、被告の勧誘もあつてこれを了承し、前記二名と共同で右関東山の立木を買受けることを決意し、右石田が代表格となり、「三共」の通称で本件取引が開始されたこと、被告は、右三共に対し、後記契約書作成前の同年七月二三日、九〇〇万円、一〇〇万円及び一五〇万円の三通の原告会社の手形を、右関東山立木買受代金として交付していたが、同年同月二四日、石田が原告会社に出頭し、とりあえず前渡金を一、八〇〇万円、弁済期を同年一二月末日、利息を日歩四銭二厘、損害金を日歩三銭二厘とする前渡金契約及び受託販売契約を締結し、被告は原告会社営業担当取締役として前渡金申込書及び受託販売契約書を作成したこと、右作成にあたり、被告は、石田及び東浦に代わつて各契約書に右両名の署名を行ない、石田弘名下に同人の捺印をもらつたほか、父治三郎を代理して同人の署名を行ない、右名下に被告自身が平素使用している印章を押捺したこと、右各書面には石田を申込者及び委託者とし、他の二名をその連帯保証人とする記載がなされたが、実質的には、右三名の共同事業とすることで予め当事者間の合意がなされていたこと、原告会社は、三共に対し、前記のとおり同年七月二三日に手形三通、額面合計一、一五〇万円を貸し渡したほか同月二五日現金で六〇〇万円、八月三日現金五〇万円を貸し渡すなど別表(二)<省略>記載のとおり、昭和四四年六月五日まで一五回にわたり総額二、五九六万二、二五〇円を貸し渡したこと(同別表中番号6及び同15に各該当する前掲<証拠>は、対丸十林業の関係で貸渡した際のそれであるとの小石証言(第一回)は、<証拠>に照らし措信し難く、採用しない。また同別表中番号11の三〇〇万円については、前掲<証拠>中に記載がないが、前掲<証拠>によれば参加人主張年月日に右金額が貸渡されていることが明白であり、同15については前掲<証拠>中の該当日付欄の前後の差引残高からすれば返済金欄に計上されている二万二、〇〇〇円は本来貸付金欄に記載すべきことが明白であつて、原告から三共に貸渡されたことは疑いない。)そうして、右三共は、立木を伐採して原告会社へ出材し、同四三年一〇月二三日に右売却代金が返済金に充てられたのを始めとして昭和四五年三月三一日まで右出材が続けられ、その都度各売却代金が前渡金債務に充当されていたが、昭和四六年三月三一日の時点においては、結局一、一八三万九、八三〇円の前渡金元利が残つたこと(前掲<証拠>中、最後の出材がなされたのちの昭和四五年九月一一日欄に、二〇〇万円及び三〇〇万円の貸付が行なわれているかの取扱がなされているが、弁論の全趣旨によれば、右は、昭和四四年一月一八日に、三共からの手形差入により、計算上返済ずみとされていた同年四月一九日付及び同月三〇日付の各手形が不渡となつたため、貸付金として事後処理されたものと推認される。また前掲<証拠>中最後尾に記載もれ扱いされている昭和四三年八月二七日貸付(各一〇〇万円、五〇万円及び五〇万円、ただし昭和四三年一〇月二五日支払期日の手形によるもの)は、前掲<証拠>による貸付と認められ、右証拠によれば、単に手形が切替えられたに過ぎぬものであつて、新たな貸付がなされたものとは認められない。)
以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。
2 被告の責任について
商法二六五条は、会社の取締役が右取締役たる地位を離れ、個人として会社と取引し、又は第三者のために取引を行う場合には、必ず取締役会の承認を得ることを要する旨を定め、同法二六六条一項五号は、右規定違反により会社に損害を与えた取締役は、その損害額全額を賠償すべきことを定めている。
これを本件についてみるに、右認定事実と前記第一、一の2の事実を総合すれば、被告は昭和四三年五月二九日に原告会社の取締役となり、本件三共との取引当時右の職にあつたこと、同取引につき、被告は一面では父治三郎の代理人として、他面においては原告会社取締役として契約の締結にあたり、かつ別紙(二)記載のとおり、三共に対し各金員を貸し渡しているのであるから、いわゆる忠実義務に反し、会社の局外者として自己又は第三者の為めに会社と取引関係に立つたものと認められるところ、被告は右取引関係につき、取締役会の承認を受けたことにつき何ら主張立証をしない。(事後的に代表取締役の決済を受けた事実は認められるが、右一事をもつて、取締役会の承認に代えうべきものとは考えられない。)そして、弁論の全趣旨によれば、訴外東浦勝は行方をくらまして久しく、同松本治三郎及び同石田弘はいずれも本件貸金債務につきその存在を争うなどして、弁済期経過後も右債務の返済をせず、結局原告は未弁済の前渡金元利及び遅延損害金の合計額相当の損害を蒙つたことが認められる。
そうすると、商法二六六条一項五号により、被告は原告に対し、右損害のうち、九五九万〇、六五七円と、これに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四九年一月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払債務を負担していたことが明らかである。(参加人は、原告が右三共との取引の遅延損害金を日歩七銭四厘と定めた旨主張し、被告に対し、弁済期経過後の昭和四四年九月一日以降、右割合による損害金債権を有していたものとして本請求に及んでいるが、本請求は商法二六六条一項による法定の損害賠償請求であるから、右損害賠償義務の履行期は履行の請求のあつた時、履行期後の遅延損害金は民法所定年五分の割合によるものと解するのが相当である。)
(二) 抗弁事実について
被告は、訴外石田から、関東山取引の債務担保のため、抵当権設定に必要な書類の交付をうけ、これを原告に交付したのにかかわらず、原告は懈怠によりその担保を喪失したから、本件債務についてはその限りで被告の責任は尽された旨主張する。<証拠>によれば、原告が石田との間でその所有不動産に抵当権を設定するなどの話がもちあがつたが、それは被告退社後に行なわれたものであること、右話し合いも被告が行なつたものではなく、参加人代理人や小石らが行なつたものであり、しかも右のとおり抵当権を設定する話をもちかけられた石田は、原告の同意のもとに該不動産を任意売却し、右代金を原告会社に支払つたこと、右支払金も、本件関東山取引の債務には全く充当されず、石田が個人取引により原告に対し負担していた先順位の債務にすべて充当されたことが明らかであり、右充当方法をもつて必ずしも信義に反するものとは認められない。よつて被告の抗弁は理由がない。
四以上の認定事実によれば、原告は被告に対し、前渡金等債権一、七七〇万一、三六二円および内金八一一万〇、七〇五円に対する昭和四三年一二月二五日から支払ずみに至るまで年六分の割合による、内金九五九万〇、六五七円とこれに対する昭和四九年一月一八日から支払済みまで年五分の割合による各遅延損害金債権を有していたことが明らかである。
五<証拠>によれば、原告は、昭和五四年一二月二五日参加人に対し、前四項記載の債権を全額譲渡し、昭和五五年二月一九日付書面をもつてその旨被告に通知し、右通知はそのころ被告に到達したことが認められる。
第二結論
以上の事実からすれば、参加人の被告に対する請求は、金一、七七〇万一、三六二円および内金八一一万〇、七〇五円に対する昭和四三年一二月二五日から支払ずみまで年六分の割合による、内金九五九万〇、六五七円に対する昭和四九年一月一八日から支払ずみまで年五分の割合による各遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(仲江利政 広岡保 三代川俊一郎)