宇治簡易裁判所 昭和58年(ろ)2号 判決 1985年7月09日
主文
被告人は無罪。
理由
一本件公訴事実は
「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和五七年四月一一日午後八時二〇分ころ、普通乗用車を運転し、京都府宇治市広野町一里山二九番地先の交通整理の行われていない交差点を南方から西方に向い左折すべく同交差点手前で一時停止後発進左折するにあたり、同方向に先行して左折する中野美喜夫(当四〇年)運転の普通貨物自動車に追従していたのであるから、同先行車の動静を注視し、進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意業務があるのに、これを怠り、右方道路の安全確認に気をとられ、同先行車の動静注視を欠いて発展し時速約五キロメートルで左折しようとした過失により、進路前方で左折直後同交差点の西詰付近に一時停止した同先行車後部に自車前部を衝突させ、よつて同人に対し加療約三週間を要する外傷性頸部症候群の傷害を、同先行車に同乗していた百尾君子(当六一年)に対し加療約一〇日間を要する右膝挫傷の傷害を、同神野数(当七三年)に対し加療約三一八日間を要する腰椎圧迫骨折等の傷害をそれぞれ負わせたものである。」
というのである。
二司法警察員作成の昭和五七年四月一三日付及び同年六月二〇日付各実況見分調書、司法警察員作成の「フロントバンバー解体の立会い結果について」と題する報告書、山本和男の昭和五七年四月一四日撮影にかかる被告人運転車両及び中野美喜夫運転車両の写真七葉、証人小藤博美、同柴田捷基、同中野美喜夫、同神野数、同百尾君子、同内藤千恵及び同山本和男の当公判廷における各供述、被告人の検察官及び検察事務官に対する各供述調書、被告人の当公判廷における供述を総合すれば、(一)被告人は、公訴事実記載の日時場所において普通乗用自動車(三菱ギャランシグマ、以下被告人車という)を運転し、同所の市道八軒屋線と府道宇治淀線とがT字形に交わる交通整理の行われていない交差点(当時、北進方向の信号は赤色の点滅、東西方向の信号は黄色の点滅をそれぞれ表示していた、以下本件交差点という)を、南方から西方に向かい左折するにあたり、本件交差点南詰の停止線付近で一旦停止したこと、(二)しかし、同地点からは交差道路である府道宇治淀線の左右の見通しが困難であつたため、被告人は、同地点を発進し、時速約五キロメートルで約五メートル進行した地点において右方を見たところ、右方約二〇〇メートルの府道宇治淀線を西進してくる車両を認めたこと、(三)被告人は、これに先立ち、本件交差点の南方約二二メートル付近の市道八軒屋線を北進していたとき、自車前方の本件交差点南詰付近を先行して左折しようとしている中野美喜夫運転の普通貨物自動車(三菱ミニカ、以下中野車という)を認めたが、中野車は、その直後に本件交差点を左折したので、被告人は、左方道路には中野車はもういないものと考え、その後は右方道路の西進車両のみに気を取られ、左方道路の注視を欠いたまま、前示(二)記載の地点から前示速度で約〇・八メートル進行した地点において前方を見たところ、自車運転席から約二・六メートルの直前に中野車が停止しているのを認め、直ちに急制動の措置をとつたが及ばず、ほぼ西向きに停止していた中野車後部に自車前部を、ほぼ北西方向に斜めに追突させたこと、(四)中野美喜夫は、直ちに中野車から降りて被告人車に歩み寄り、運転席の被告人に対し、大声で被告人の前示運転行為をなじつたこと、(五)衝突後の中野車及び被告人車は、いずれも外観上は本件追突事故によるものと思われる明白な衝突痕は見受けられなかつたが、被告人車の左前部バンパーの内側部分の微量の白い剥脱塗料が付着していたこと、(六)なお、本件事故当時、被告人車には助手席に内藤千恵と後部座席に杉本浩美が、また、中野車には助手席に神野数と後部座席に百尾君子がそれぞれ同乗していたこと、以上の事実が認められる。
被告人は、被告人車が中野車に衝突したかどうか自分では分からないと述べ、また、弁護人も衝突の事実を否認する。しかし、前示のとおり被告人車が時速五キロメートルで進行中、停止していた中野車を認めて急制動の措置をとつたのが、被告人車の運転席から中野車の後部まで約二・六メートルという極めて至近距離であつたこと、また、本件事故後被告人車の左前部バンパーの内側部分に白色の剥脱塗料が付着していたこと、そして右剥脱塗料の付着が、本件事故以外の原因によつて生じたものと認めるに足る資料がなく、かえつて被告人の検察官に対する供述調書によれば、被告人は右剥脱塗料の付着が本件事故によつて生じたものであることを認めていること及び前示(四)の事実に徴すると、本件は、被告人車が中野車に衝突したことを認めるに十分である。
三そこで、本件追突事故により、中野美喜夫、神野数及び百尾君子(以下三名を総称するときは、中野ら三名という)が公訴事実記載のような傷害を負つたか否かにつき検討する。
1 まず、本件追突の際、中野ら三名に加えられた衝撃の程度について考えてみるに、前掲証人中野ら三名の当公判廷における各供述によれば、中野は、本件追突のとき、追突のショックで背中が座席のシートに押しつけられ、首が後方に反つた旨、また神野は、助手席で上体を左方に向けていたが、追突のショックで上体が斜め前方にがくんとのめつた旨、さらに百尾は、後部座席にもたれていたが追突ショックで前にのめつて額を打ちつけ、右膝を前座席の背もたれで打つた旨それぞれ供述している。
しかし、三菱自動車工業株式会社品質保証本部品質保証部業務課長室田良一作成の回答書によれば、停止中の三名乗車にかかる普通貨物自動車三菱ミニカ(以下ミニカという)の後部に、三名乗車の普通乗用自動車三菱ギャランシグマ(以下シグマという)の左前部が前認定の本件事故と同様の角度で追突した場合()において、シグマの追突速度が約三キロメートル毎時ないし約五キロメートル毎時のときにミニカの乗員に作用する加速度は、約〇・一Gないし約〇・三G程度である(また、同様の角度で、ミニカの左後部にシグマの前部中央が追突した場合〔〕の数値は、右の場合よりもさらに低くなる)ことが認められ、そして鑑定人古村節男作成の鑑定書及び同証人の当公判廷における供述(以下古村鑑定という)によれば、〇・一Gないし〇・三G程度の加速度による衝撃は極めて軽度のものであり、右程度の衝撃は、被追突車の乗員に対して、人間の首が後方へ曲りうる生理的限界角度以上にこれを後ろへ曲げさせるほどのものとはいえない(古村鑑定によれば、人間の頭部が後方へ曲りうる生理的限界角度は平均六一度であり、頭部が右限界角度を超えて後方へ曲つたときにむち打ち症が生じうるのであつて、モーターファン昭和四一年一一月号に掲載された加速度の実験結果に関する文献によると、追突速度が一一・二キロメートル毎時のときに、被追突車の乗員の頭部は後方へ一五度曲り、一六キロメートル毎時のときは後方へ六九度曲り、三二キロメートル毎時のときは後方へ八四度曲ることが認められているから、被追突車の乗員の頭部を生理的限界角度以上に後方へ曲げさせるのは、追突速度が一六キロメートル毎時以上の場合の衝撃であり、また、追突速度が一一・二キロメートル毎時の場合の被追突車乗員の頭部に作用する加速度は二・五Gである)というのである。以上のことに、被告人車及び中野車双方に、本件追突による破損がほとんど生ぜず、被告人車の左前部のバンパーの内側部分にわずかに剥脱塗料が付着していた程度であること、及び被告人が、被告人車を中野車後部に停止させたとき感じたショックは、自車のブレーキのショックかと思つた旨の被告人の当公判廷における供述を総合すると、本件追突の際、中野ら三名が受けた衝撃は極めて軽微なものであつたと推認できる。のみならず、そのような衝撃により、中野ら三名の身体に多少の揺れがあつたとしても、それはわずかなものであつたと推認され、中野ら三名が当公判廷で供述する前示状況のようなものであつたとは思われない。(そうすると、本件追突の際の身体の揺れについて述べた中野ら三名の前記各供述部分は、いずれもこれをたやすく信用することができない。)
2 次に、中野ら三名にかかる公訴事実記載の受傷の事実について検討するに、
(一) 医師中野進作成の診断書三通、同医師作成の回答書及び証人中野進の当公判廷における供述によれば、中野ら三名は、本件事故当日の午後九時過ぎころ、城陽市内にある京都きづ川病院を訪れていずれも受診を申込み、同夜の当直医師の診察を受けたが、その際中野ら三名は同医師に対し、三名の同乗していた自動車が追突事故に遭い、いずれも受傷した旨申し述べ、中野は、頸部及び左肩が痛むと訴えたので、当直医師は、中野を診察してその臨床的所見から同人に対し頸椎捻挫と診断したこと、中野は翌四月一二日、再度同病院を訪れて中野進医師の診察を受けたところ、同医師は、中野の頸部レントゲン検査の結果、同人に前屈の制限及び彎曲の消失があるものと判断し、右レントゲン所見に中野の頸部運動検査及び自覚症状、さらに病歴等を総合して、中野に対し加療約三週間を要する外傷性頸部症候群と診断したこと、中野は、さらに四月一三日同病院の外科部長にも同様の診断を受け、結局、四月一五日から同年五月一五日まで同病院に入院して、その間、点滴、投薬、超短波照射等の治療を受けたこと
次に、神野は、本件事故当日の当直医師に対し背中及び腰部の痛みを訴えて診察を受け、翌四月一二日には中野進医師の診察を受けたが、その際にも強い腰部の痛みを訴えたので、同医師は、神野の腰部レントゲン検査をしたところ、第一及び第二腰椎に圧迫骨折があるものと判断し、右圧迫骨折は神野が本件事故の際、車内で腰部を打つたために生じたものと考え、右診察時点において一応加療約三か月間を要する腰椎圧迫骨折及び腰部打撲と診断したこと、そして神野は、右診断による治療のために四月一四日から同年九月一日まで同病院へ入院し、その後昭和五八年六月二日まで通院したが、その間中野医師は、検察官の照会に対して前掲同医師作成の回答書を検察官に送付し、それには神野の傷病名を腰部打撲、腰椎圧迫骨折、外傷性頸部症候群、脳振とうと、また、加療期間を昭和五七年四月一一日から昭和五八年二月二二日までとそれぞれ記載したこと
さらに、百尾は、本件事故当日夜の当直医師に対し、右膝の痛みを訴え、翌四月一二日には中野進医師が百尾を診察したところ、右膝の痛みを訴えた部分が少し赤くなつていたので、同医師は、百尾が本件事故の際車内で右膝を打つたものと判断し、同人に対し加療約一〇日間を要する右膝挫傷と診断したこと、そして百尾は、同病院で四月一一日から同月一八日まで三回にわたり湿布や投薬等の治療を受け、その後、自己の住居地近くにある他の診療所に転院して二、三回治療を受けたこと
の各事実を認めることができる。
(二) 以上認定の事実によれば、なるほど中野ら三名は、本件追突事故によりそれぞれ公訴事実記載のとおりの傷害を負つたことが認められるかのようである。しかしながら、古村鑑定によると、同鑑定人はまず中野について、鑑定資料である京都きづ川病院中野進医師が四月一二日及び五月一五日に中野の頸部を撮影したレントゲン写真を鑑定したところ、中野の頸部にはとくに異状が認められず、十分に後屈できる状態であつたというのであり、また、同鑑定人は、本件追突時に中野は三名に加えられた加速度を、前掲三菱自動車工業株式会社室田良一作成の回答書記載のとおり〇・一Gないし〇・三G程度であることを前提として、その程度の加速度では、被追突車の乗員にむち打ち症を生じさせるほどの衝撃はなく、しかも、中野車には当時ヘッドレストが装着されていたことからしても、中野に本件追突による外傷性頸部症候群(むちうち症)は生じがたいと鑑定している。そして、本件追突時の加速度が〇・一Gないし〇・三G程度であることは、すでに認定したとおりであるから、同鑑定人の右数値を前提とした同鑑定は、十分首肯することができる。
以上の鑑定結果に照らすと、本件追突による衝撃は、むちうち損症を生じさせるほどのものではなかつたばかりか、中野の頸部レントゲン写真からもとくに客観的所見が認められなかつたのであるから、中野には、本件事故による外傷性頸部症候群が客観的に生じていなかつたというべきである。
そうだとすると、中野進医師が中野の頸部レントゲン検査で同人に前屈の制限及び彎曲の消失があるとした診断は、にわかに措信することができず、かりに、当時の中野の自覚所見のみで外傷性頸部症候群と診断することが可能であつたしても、本件追突時の衝撃の程度及びそれによる身体の揺れが、いずれも僅少であつたと推認されること、したがつて、身体の揺れについての中野の当公判廷における供述部分が、必ずしも真実を述べたものとは認められず、右供述部分が信用性に欠けるものであることはすでに示したとおりであつて、これらのことにかんがみると、中野が医師に訴えた前示自覚症状は、果して真実のものであつたかどうか疑問の余地があるといわざるをえない。結局、中野については、中野進医師の同人に対する前示診断結果及びこれに関する証拠をもつて、被告人が本件事故により、中野に対して公訴事実記載の傷害を負わせたとの事実を認定することはできず、他に右傷害の事実を認めるに足る証拠はない。
(三) 次に神野について、古村鑑定によれば、同鑑定人が鑑定資料である京都きづ川病院の神野の診療録を見ると、四月一二日及び四月一四日の各欄にはいずれも第一と第二腰椎に圧迫骨折がある旨(ただし、四月一四日欄の第二腰椎圧迫骨折は<疑>と)記載されているが、四月一二日撮影の神野の腰部レントゲン写真によると、たしかに第一腰椎に圧迫骨折のあることは認められるけれども、それは鑑定時点から少くとも一年以上前に発生したものと推定され、すでに症状は固定したものであり、また、その時点で第二腰椎の圧迫骨折は認められない、ただ第五腰椎と仙骨との椎間関節に変形更化が認められるが、これは長い間力仕事をした者によく認められるもので、本件事故とは無関係であり、当時、神野に腰部の痛みがあつたとすれば、これが原因と思われる、また、その後昭和五八年五月二六日までの間に撮影された各腰部レントゲン写真上の所見はいずれも右と同様であるが、昭和五八年六月二日撮影の腰部レントゲン写真には、新たに第二腰椎の骨折が認められ、これは、同日欄の診療録の記載によると、神野が昭和五八年五月二九日溝に落輪した軽四輪自動車を持ち上げた際に生じたものと考えられる、というのであつて、同鑑定はこれらのことから、神野には本件事故による腰椎圧迫骨折は生じていないと鑑定している。同鑑定人が多数同種の鑑定経験を有する法医学者であるうえに、本件鑑定にあたつては整形外科の専門医の意見を参酌したことが認められることにかんがみると、同鑑定人の右鑑定結果は十分首肯することができる。
以上によると、神野には本件事故による腰椎圧迫骨折は生じていなかつたというべきであり、したがつて、これとレントゲン所見を異にし、神野に本件事故による腰椎圧迫骨折が生じたとする中野進医師の診断結果及びこれに関する証拠は、いずれも措信に価せず、採用のかぎりではない。なお、検察官は、神野の受傷は腰椎圧迫骨折のほか、腰部打撲傷も含まれている旨主張(冒頭陳述)し、前掲中野進医師作成の神野についての診断書及び同医師作成の回答書にはいずれも右傷病名が記載されている(もつとも、前掲回答書には、神野の傷病名として、さらに外傷性頸部症候群及び脳振とうも記載されているが、冒頭陳述によれば、検察官はこれらの傷害についてはとくに主張していないものと解される。)ほか、証人中野進は、当公判廷で神野の腰部打撲について、「神野の腰部の痛みは、腰椎圧迫骨折か腰を打つたことによるものと思つた」あるいは「腰を打つたことにより圧迫骨折が生じた」などと述べている。しかし、神野に本件事故による腰椎圧迫骨折が生じていなかつたことは前認定のとおりであるうえに、神野は当公判廷で、「追突のとき、上体が斜め前方へがくんとのめつた」と述べているに過ぎず、腰部を打つたとは述べていないこと、また古村鑑定書によれば、鑑定資料である京都きづ川病院の神野の診療録には、神野の腰部打撲に関しては何ら記載のないことが認められること、さらに、前示のとおり本件追突による衝撃の程度及び身体の揺れが僅少であつたと推認されることなどに照らすと、本件事故の際、神野に腰椎圧迫骨折を生じさせるほどの腰部打撲があつたとは認めがたい。
以上によると、結局、神野が本件事故により腰椎圧迫骨折及び腰部打撲の傷害を負つた旨の事実は、中野進医師の前示診断結果に関する証拠をもつては、いずれもこれを認めることができず、そして他に右事実を認めるに足る証拠はない。
(四) 次に百尾について、古村鑑定書によれば、鑑定資料である京都きづ川病院の百尾に関する診療録には、四月一一日欄に「右膝打撲」とのみ記載され、損傷の有無、程度は何ら記載されていないことが認められ、また、古村鑑定において、同鑑定人は、百尾の右膝の表皮に剥脱とか亀裂が生じていれば必ず診療録に記載されているはずであるが、何ら記載されていないところからみるとそれらはなかつたものと推定せざるをえず、したがつて、百尾の「右膝挫傷」は、挫傷の意味が表皮剥脱を伴う挫創をいうのであれば、それは生じていないというほかない、というのである。
ところで、証人中野進の供述によれば、同医師は、四月一二日に百尾を診察したところ、同人が痛みを訴えている右膝の部分は、腫れてはいなかつたが少し赤くなつていたので「右膝挫傷」とした、挫傷とは傷や打撲を含めた意味で、通常は出血のないときに多く使用する旨述べている。そして、右中野進医師の供述と前示百尾の診療録に「右膝打撲」と記載されていることにかんがみると、中野進医師の百尾に対する「右膝挫傷」の診断は、表皮の剥脱を伴う挫創ではなく、「右膝打撲」傷をいうものと認めるのが相当である。
そこで、百尾に本件事故による右膝打撲傷があつたか否かについてみるに、すでに述べているように本件追突による衝撃が極めて軽微なものであり、右衝撃による身体の揺れがあつたとしても、わずかなものであつたと推認されること、及び当裁判所の昭和五九年七月二日付検証調書(同年六月二六日検証)添付写真④⑤に撮影された車両(三菱ミニカ)の内部座席の模様によれば、これと同車種である中野車の後部座席に面した前部座席の背もたれ部分が、さほど堅い箇所とは思われないことに徴すると、本件追突の衝撃により、百尾の右膝部分が前部座席の背もたれで打つたとしても、それが打撲傷を生ずるほどのものであつたかどうか、多分に疑念を抱かざるをえない。そしてこれに、前示のとおり本件追突の際の身体の揺れについて、百尾の供述部分が必ずしも真実を述べたものとは思われず、右供述が信用性に欠けるものであることをも考え合せると、百尾が中野進医師に訴えた自覚症状も果して真実であつたかどうかは疑わしい。
結局、百尾に対する右のような疑念が払しよくできない以上、主として百尾の自覚症状に基づいてした中野進医師の前示診断結果に関する証拠(百尾の右膝に少し赤い部分があつたとの同医師の証言を考慮に入れても)をもつては、百尾が本件事故により右傷害を負つた旨の事実を認める証拠とすることはできない。そして他に、百尾の右受傷の事実を認めるに足る証拠はない。
四以上述べたとおり、本件業務上過失傷害は、中野ら三名に対する傷害の点につき証明が十分でないから、結局、犯罪の証明がないことに帰し、よつて刑事訴訟法三三六条により被告人に無罪の言渡しをする。
(丹羽喜太郎)