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宇都宮地方裁判所 昭和23年(行)66号 判決 1949年5月27日

原告

田村音治

外五名

被告

栃木県知事

主文

第一次の請求につき原告等の請求はこれを棄却する。

第二次の請求につき原告澤村の訴を却下しその余の原告等の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

請求の趣旨

第一次の請求として、別紙目録記載の土地(所有者氏名、所在、地番、地目、地積、対価)の所有権が夫々原告等に属することを確認する。

事実

原告等訴訟代理人は、その請求の原因として請求の趣旨に表示した土地はもと原告等の所有農地である。被告等は自作農創設特別措置法(以下自創法と略称)に基き、原告田村に対しては昭和二十三年二月二日、同片野榮之助に対しては同年三月二日、同片野〓七及び同沢村に対しては同年七月二日、同高田に対しては同年十月一日、同小林に対しては同年十二月一日に原告等の前記農地位に未墾地を、夫々別紙記載の如き対価をもつて買收する旨の処分をして、原告田村、同片野榮之助及び同片野〓七に対しては同年十一月十五日、同沢村に対しては昭和二十四年一月十八日、同高田及び同小林に対しては同年二月二日夫々買收令書を交付した。右買收処分における買收の対価は自創法第六條の規定するところによつたものであるが、同條に定める買收の対価即ち田については地租による賃貸価格の四十倍、畑については同じく賃貸価格の四十八倍の範囲内の価格は右買收当時における経済事情がら見て相当な価格であるとはいえない。然るに憲法第二十九條には「財産権はこれを侵してはならない、私有財産は正当な補償の下にこれを公のために用ひることができる」と規定し、正当な補償をしなければ、私人の財産権を侵害することができないことを明定し、以て私人の財産権を保障している。憲法にいう正当な補償は私人の財産権を公のために徴收するについての対価であるから、その徴收当時における一般経済事情を考慮して、公平妥当に決すべきものであることは言をまたない。自創法第六條に定める前記買收価格が憲法にいう正当な補償に該当するか否かは專ら買收処分の当時における経済事情から見て相当対価に該当するか否かにより決すべき問題である。或る時期に正当な補償であるのに十分な価格といえども、他の時期には経済事情の変化によつて正当な補償であるのに足りないことがありうるのであつて、專ら買收処分の当時における経済事情を基準として正当な補償か否かを決定すべきものである。自創法第六條が定めた買收対価の中、田について政府が公表した資料によつて見れば、反当玄米收量を二石としてこれを基礎として收支計算を行い、自作農が收得する純收益金を算出し、これを国債利廻により逆算して自作農が有する反当経済価値即ち自作收益価格なることを算定し、この金額が標準賃貸価格金十九円一銭の約四十倍に該当するということにある。然るに右計算の内容として掲げられた事項の中單に收入の部のみについて見るも、米価はいずれも政府が任意に法令により定めた政府の買上価格又は消費者価格等を標準としているものであるが、これは憲法の規定する正当の補償であるかどうかを解決するについての標準とはならない。憲法第二十九條が正当な補償を要求する財産の価格なるものは経済界における取引上認められる本質的経済価格を云うものであつて法令により任意に定め又は制限された価格若しくはかくの如く定められ又は制限された価格を基礎として算出された価額をいうものではない。米の本質的経済価格を算出することが相当困難であることは、認められるけれどもさればとてこれをもつて、自創法が採つた買收農地の価格算定の基礎とした米価を正当ならしめる理由とすることはできない。自創法の規定する買收価額は前述の政府のとつた資料に基く算定後における経済界事情の激変は少しも考慮に入れることを予定していないため、田一反の買收対価が鮭三尾の代価にも及ばないというが如き奇怪な結果となり、その対価は今日の経済事情よりすれば殆ど名目上のものとなつた。以上述べるところにより明な如く自創法第六條に規定する対価をもつて農地を買收することは憲法第二十九條に違反する処分であると信ずる。從つて自創法第六條の規定に基いてした被告の前記買收処分は無効で原告等は本件土地の所有権を失わないものといわねばならない。原告等は自作農の創設という政府の政策を攻撃する意思は毛頭ないが、かくの如き低廉な対価をもつてされた買收には到底服することができないのである。ここにおいて原告等は第一次には右の買收処分が無効であることを主張し、原告等が本件土地の所有権を失わないことの確認を求めるのである。仮に買收処分が無効でないとしても、その対価は憲法第二十九條の定める正当な補償でないこと前述の如くであるから、被告等の買收処分は違法である。從つてその対価を別紙中希望価格の通り変更する判決を第二次に予備的に請求するのである。

と述べ、被告等の答弁に対し、原告沢村に対する買收令書の交付が昭和二十四年一月十八日であることは認めるが本件対価增額請求(予備的請求)は自創法に基くものでなく、買收処分対価の違憲性を理由にその変更を求めるのであるから、同法所定の出訴期間の制限に服すべきものでないと述べた。

被告等訴訟代理人及び被告等指定代表者等は主文第一項と同趣旨の判決を求め、答弁として

第一次の請求に対し、原告等は所有権確認を求め被告を栃木県知事としている。然し栃木県知事は自創法の規定する所による買收令書の交付をもつて、農地の買收処分をするが、これにより原告等は所有権を喪失し、その所有権を原始的に取得するのは国であつて栃木県知事でない。即ち国が被告たるべきで栃木県知事を被告とするのは失当である。本案については原告等がその主張の農地等の夫々所有者であつた点、その主張の農地等に対し夫々原告等主張の如き内容で買收処分のされた点はこれを認めるが、その他の点は否認する。以下原告等の請求に対し論駁を行うのであるが、先づ第一に農地や米について原告等の主張するが如き取引上認められる本質的経済価格というようなものは現実には存在しない。農地調整法(以下農調法と略称)第六條の二は農地の価格を法定し、自創法はこの法定価格と同樣の価格を保証するものである。法定価格の他に闇価格の存することは認めるが原告等と雖も闇価格を主張するものでないことは自ら認める所であるから、原告等主張の価格は法定価格でもなく闇価格でもない架空の価格となり到底認容し難い。元來価格とは交換価値の貨幣による表現である。從つて市場の存在が前提となるのであるが価格は如何にして決定されるかというに、市場で決定されるものはいわゆる競走価格であり、獨占価格も亦市場で決定される。市場で決定されないものは法定価格(統制価格、行政価格、政治価格ともいう)である。これは国家の強権力によつて決定されて強制される価格で、法定価格は市場から離れて決定され寧ろこれによつて市場の需給関係を支配せんとするものである。国家が法定価格を決定する理由は種々あるが、価格の形成を自由市場に放任するならば価格の暴騰により国民生活を破壊する等公共の福祉を害するに至る惧ある場合などそれである。公共の福祉のため又国家の特殊な政策目的を達するためこれを採用することがある。市場価格の方は需要供給の相関関係により平均利潤を確保するような価格に帰一せざるを得ないことになる。換言すれば自由経済における価格は経済原則に從い決定されるが統制経済においては国家目的を達するために価格を統制するのである。唯経済法則を全然無視することの出來ないことは言うまでもない。然らば農地の価格は如何に決定せられるかというに自由経済のもとにおいては農地は生産手段であると同時に商品として取扱われるがそれは自然の所與であつて他の商品のように労働の生産物ではない。この意味において農地は商品とは異るものである。農調法は農地の移動を制限し、もつて不融通物とし、農地の商品としての内容を喪失させている。商品が人の労働によつて生産され、市場で交換されることによつて価格をもつに反し農地はこのような意味において価格を有することはできず、それは農産物を生産しその生産された農産物価格から地代を生ずるという意味において価格をもつのである。即ち地代利子率で資本に還元したものが農地価格である。然らば地代は何故生ずるかというに、農地は自然の所與であつて自然的生産條件を平均化することはできない。從つて下田を基準とすることになるのであるが、農産物についても利潤平均化の法則が作用するが故に下田にも平均利潤が確保せられ、又上田にも平均利潤が確保せられる。從つて上田においては平均利潤と生産費を手許に確保した後にもなお平均利潤以上に出る利潤が生ずるのである。これが地代となるのである。換言すれば農産物価格から生産費を差引きその純收益から平均利潤を差引き残つた部分が上地所有者に帰属する地代である。(農調法は小作料の引上を禁止し小作料はすべて金納とし、物納又は代金納を禁止した)然し我が国経済は戰爭中の戰時統制経済より戰後統制経済に移行したがつづいて統制経済が行われてをり、農地の価格も亦法定価格が決定されたのである。即ち農調法第六條の二がそれであつて、農産物即ち米の価格より生産費と平均利潤を差引いた残の地代部分を基準としてこれを国債利廻りで資本還元したものをもつて農地価格とした。これがいわゆる自作農收益価格である。この価格を外にして農地価格はない。第二は農地の価格を米の価格と共に法定し、又米の価格を引上げても農地の価格を引上げないことは正しい。それは先づ憲法第二十九條第二項に規定するが如く財産権の内容を公共の福祉に適合するように定めたことになるからである。我国は昭和二十年八月十四日なしたポツダム宣言の受諾並に同年九月二日行われた降伏文書の調印の結果国家の根本観念を変革し、政治的にも、経済的にも民主主義化せねばならぬこととなつた。それで農村における民主的傾向の促進を図るべく農地関係を調整し、且つ耕作者の地位を安定しその労働の成果を公正に享受させ、又自作農を急速且つ広汎に創設し農業生産力の発展を期することとなり、昭和二十年十一月二十二日農地改革が閣議決定を見るや、既存の農調法を改正し、又自創法を制定し且つ改正したのであつて、農調法にて農地の価格を決定し自創法にて買收対価を定めると共に、買收計画はこれを原則として昭和二十年十一月二十三日の現況に遡及させることとし、手続の遅延による不公平を除去し、価格も一定して、買受ける農民が買受代金支拂によつて農業生産力の発展に支障を來さしめず又インフレーションによる財政の過大な負担を避けることとしたのは一に公共の福祉のためであることは一点の疑も容れない。尚農地の価格算定に際し自作收益価格を採用し、地主採算価格によらなかつたのは、農調法にて農地価格及び小作料の統制小作料の金納化、小作地引上の禁止制限、使用目的変更の制限をすることとなつたため、農地所有権の内容は現在耕作するものが自ら使用收益することを本質とする財産権となり、又所有者が小作料を收納するだけの財産権となつたのであり、農地改革の精神からも働く農民が自己の農地を耕作する場合の価格によることが当然であると言えるし、しかも地主採算価格は自作收益価格より低かるべきであるのに、我国における小作料は諸外国の小作料よりも高く小作人がその最低生活を営む経営以外は全收益を小作料に支拂うというのが普通で、時には小作人の労働力の再生産費さえ喰込む程高率であつたので、働く農民の自作收益価格より、働かない地主の採算価格の方が高くなつていた。これを農地価格の基準とすることは許されない。なお又農地価格はこれを決定した後他の物価に変動があつたけれども、これを変更しなかつたことについても、農地所有権の内容が小作料を收納するだけの財産権となつたということは元金に対し利息を收納する預金若くは国債の額面が他の物価の変動によつて変更されないと同樣農地価格も他の物価の変動によつて変更されないともいえる。又物価政策からしても統制経済の行われている我国においては合理的に物価体系を樹立運営すべきであり、他の物価はインフレーションによる生産費の騰貴以外特別の理由のない限り引上ぐべきではなく、農地価格もインフレーション阻止という我国重要の政策から見ても他物価を引下げることあるもこれを引上げるべきでないことは明白である。況んや農地価格は全物価体系の基調をなすのであつて、日本の現状から引上げるべきではない。これと反するときは国家財政は破局に陷るべくかくては農民の負担は增大し、農村の民主化生産力の增強は不可能となり、又物価体系は混乱することとなり、公共の福祉は害されること甚しいのである。最後に我国は降伏後連合国最高司令部の管理下にあるところ、第一次農地改革案を国会にて審議中昭和二十年十二月九日に最高司令官は農地改革について覺書を発表し、政府は民主化に対する経済的障害を除去して個人の尊嚴を全からしめ、且数世紀にわたる封建的圧制の下農民を奴隷化して來た経済的桎梏を打破するため小作人に相応する年賦償還による小作人の農地買收制を設くべきことを指示し、又昭和二十一年一月二十九日第六回対日理事会において、農地問題に関しソ連代表は田は一反歩平均四四〇円以下畑は一反歩平均二六〇円以下たること、昭和二十年十二月二日以後の土地の売買その他土地の委讓は一切無効と看做すこと等、英国代表は、田は一反歩二二〇円畑は一反歩一三〇円の政府補助金は土地価格を高く吊上げることになるから好ましくないこと、小作人の購入代金は二十四年期間以上の公債で地主に支拂うこと、十年以上に亘る地主への支拂を認めることは前貸の不当に膨脹することを防止するものである。本計画規定は昭和二十年十二月八日現在の土地に適用するもので、右時期以後における売買名儀のみによる地主の耕作等凡て承認せられぬこと等の各提案があつた。又昭和二十一年八月十四日最高司令官の声明は自創法案及び農調法改正法案に対し、日本政府が決定した農地改革案を檢討し満足した、日本政府が古い地主制度の根底を衝くために勇氣と決断を示したことは慶賀に堪えない。日本政府が採択し承認したこれらの改革案がこれまで数百万の農民の勤労を搾取し続けた封建的地主制度の害毒を日本農村から一掃することを確信する。日本の安定と福祉に寄與すべきこの改革案に対し裏書を與えるものであると発表し右法案の国会通過に当り同年十月十一日農地改革法の各條項及び日本の国会が多数でこの法案を承認したこと又日本政府がこの計画を二年以内に実行するという意図を示していること、これらのことは極めて広汎又困難な問題が勇敢に取扱われていることを証拠立てていると発表した。又昭和二十三年二月四日最高司令官の農地改革に関する覺書は土地改革計画の実施は日本に純然たる自由で且つ民主的な社会を建設するための先決要件である、本改革の迅速果敢な実施は不可欠な至上命令であると明言した。故に農地価格を法定し且つ米価格の引上にも拘らず農地価格を据置き昭和二十年十一月二十三日の現況で農地の買收計画を遂行することは連合国最高司令官の意図にも合致する次第である。勿論自創法及び農調法は憲法施行前制定されたものであるが、憲法施行によつて排除せられるものでないことは明白であり、ポツダム宣言受諾が憲法第二十九條によつて誠実に遵守せらるべきことも当然であつて、農地価格を固定し且つ米価を引上げたに拘らず農地価格を据置き昭和二十年十一月二十三日の現況にて農地の買收計画を実施することは適切妥当な農地改革の遂行であると断ぜざるを得ない。從つて原告等の農地等に対する被告の買收処分における買收対価は正当な補償であつて、何等憲法第二十九條に違背するものでないのである。

予備的請求に対して、原告沢村に対して買收令書を交付したのは昭和二十四年一月十八日であるから、同原告の訴は自創法に規定する出訴期間を経過して提起されたから不適法である。又原告等は何れも栃木県知事を被告として、買收処分における買收対価に対し自創法第六條所定の最高額を超えて增額変更を求めるのであるが、法律の執行機関に過ぎない栃木県知事においてその変更について何等の権能を有しないからして原告等は栃木県知事を被告として斯る請求をなしえないのであるから、栃木県知事を被告とする部分は失当であると訴訟要件又は権利保護要件に関し答弁し、本案については第一次の請求に対する答弁と同樣に答弁した。

以上によつて原告等の本訴請求は何れも失当であるから棄却すべきものであると述べた。

理由

第一、原告等の第一次の請求(所有権確認の請求)について、被告等は当事者適格を有するかについて判断する。

右の訴が被買收農地の所有権が原告等に属することの確認を求めると言うのであるから、訴訟の目的物は私法上の権利関係である土地所有権確認の請求であるように見えるが、原告等の請求の眞意は寧ろ栃木県知事が買收令書の交付によつて行つた農地買收処分の無効確認を求める趣旨若くは無効確認をも併せて求める趣旨であると解されるから、右の請求は行政事件訴訟特例法第一條の「公法上の権利関係に関する訴訟」に属するものと言うべきである。さてこの公法上の権利関係に関する訴訟について、同法中の「行政庁の違法な処分の取消又は変更に係る訴訟」に関する規定を準用して、処分をした行政庁即ち本訴においては、農地買收処分を現実に行つた栃木県知事を被告とすべきことはなお疑問があるのみならず、自作農創設特別措置法第十二條によれば知事が買收処分をしたときは、当該農地の所有権は政府がこれを原始的に取得するので、その所有権の実質的帰属主体は政府即ち国であるから、原告等は国に対しその主張する公法上の権利関係の存在を爭うべきである。しかも知事が国の訴訟をこれに代り、又はこれと並んで第三者として追行しうべき法的根拠はない。しからば原告等の第一次の請求においては、国は被告としての当事者適格を有するけれども、栃木県知事は当事者適格を欠くから、知事を被告とする部分は棄却すべきものである。

第二、原告等主張の別紙記載農地がもとそれぞれ原告等の所有に属すること、被告栃木県知事が自作農創設特別措置法に基いて右農地を原告等主張の如き対価及び内容をもつて、買收処分をしたこと及び右対価が同法第六條第三項本文の規定により定められたことは何れも当事者間に爭がない。原告等の請求は同法所定の対価は憲法第二十九條第三項の規定する「正当な補償」でないから、右買收処分は憲法に違背し無効であると言う主張を前提とするから以下順次同條及び自作農創設特別措置法の趣旨を対比究明する。

(一)、憲法第二十九條はその第一項において一応財産権の不可侵性を原則として掲げているが、その第二項においてそれを天賦自然の神聖不可侵な絶対的な権利と認める純個人主義的資本主義的立場を止揚し、財産権の公共性を強調し、その社会的被制約性を明示すると共に、その第三項において、不可侵性と公共性の調和を図るため、私有財産を公共のために用いる場合にはこれに対し正当な補償を与えるべきことを規定した。かくの如く私有財産権も公共のためにする制約を潜在的要因とし、その公共性を具現するためには、これを裏づけ、これを保障する損失補償制によつて担保され、しかしてその公共性の発現において始めて法の最高共通の理想である正義公平の実現に奉仕しうるのである。そして憲法第二十九條の具有する正義公平の内容は我国経済の封建的障碍を除去して、その民主的成長を期待するという理想に関連するものである。これを要するに同條の趣旨は私有財産制度を認め、財産権の不法な沒收を許さないだけで、各人にその労働の成果を公正に享受させ、経済的機会の均等を与えるという、社会的基盤の形成のためには、不均衡な財産権を再分配する必要のあることを予定し、かゝる理想のもとにのみ財産権も基本的人権として保障されるということである。その公共性を無視して、経済民主化による生存権の保障を防害する如き状態に放置してまで、財産権の絶対性を誇るべき根拠は認められない。故に何が「正当な補償」であるかは原告等所論の如く「徴收当時における一般的経済事情」のみを考慮して決すべきものではなく、それは具体的に侵害を認める法律の目的、侵害行為の態樣、及び被侵害利益の性質を考え、更に憲法の理念に鑑み、社会の通念に照らし、客観的に公正妥当なりや否やを判断して決すべきものである。從つて正当な補償とは常に必ずしも原告等主張の如き「経済界における取引上認められる本質的経済価格」の補償という如き所謂「完全な補償」を意味する訳でなく、被侵害者において、その損失を或程度受忍すべきことが社会上正当性を失わないかぎり、しかも財産権がその損失により公共性を帶有して法理念の実現に寄与しうるかぎり、唯損失の一部を補償するも十分であると解する。それは具体的な事例によつて異るのであつて、時には完全な補償であることもあろうし、又時に経済界ににおける取引上認められる本質的経済価格に比してはるかに下廻る一部の補償に止まることもあろう。その何れもが憲法のいう正当な補償でありうるのである。

(二)、自作農創設特別措置法の目的が耕作者の地位を安定し、その労働の成果を公正に亨受させるため自作農を急速且つ広汎に創設し、又土地の農業上の利用を增進し、もつて究極において、「農業生産力の発展」と「農村における民主的傾向の促進」を企図するものであることは、同法第一條の規定するところである。数世紀にわたる封建的圧制のもとに、農民を奴隷化してきた経済的桎梏を打破して、公平且つ民主的基盤により土地を再分配し、我国農業の民主化を実現しようとすることである。しかし農地改革の意義は單にそれのみに止まらず、労働関係と独占資本に関する諸立法により企てられている産業体制と企業運営の民主化の基礎條件をなし、遂には我国経済の全領域にわたる民主化の実現を企図するものである。しかもそれが民主々義的な社会建設の重要な一翼を担うものであることはいうまでもない。されば憲法第二十九條は農地改革という我国経済の民主々義的傾向の助長強化に欠くことのできない重要な施策を肯定し、その根底をなしているものである。かゝる見地に立つてのみ自作農創設特別措置法第六條の規定する買收価格が「正当な補償」であるかどうかを檢討するのが正当である。

同法同條の規定によつて農地買收対価決定の方法を見れば、市町村農地委員会が農地買收計画を定めるに当つて、原則として、当該農地について土地台張法の定める賃貸価格に、田にあつては四十、畑にあつては四十八を乘じて得た額の範囲内でこれを定めることになつている。この算出方法は田について見ると、昭和十五年乃至昭和十九年までの五ケ年の中庸田反当実收高二石を自作農が供出すべき部分と保有しうる部分とに分け、それぞれ第一次農地改革(昭和二十年末)当時の価格で金銭に換算すると、二百二十円三十六銭となりこれに反当副收入を加え、それから反当生産費を引いた三十六円三十八銭が反当純收益となり、これから四分の利潤を控除した地代相当部分(土地を所有することによる毎年の收益)を国債利廻り三分六厘八毛で還元して、自作收益価格七百五十七円六十銭を得たうえ、これを中庸田の反当標準賃貸価格十九円一銭で除して得た三十九・八五を切上げて四十倍とし、又畑については昭和十八年三月勧業銀行調査の田の売買価格七百二十七円に対する畑の売買価格四百三十九円の比率である〇・五九倍を田の自作收益価格に乘じて得た反当四百四十六円九十八銭を畑の自作收益価格としてこれを中庸畑の反当標準賃貸価格九円三十三銭で除して得た四十七・九倍を切上げて四十八倍とし、これを基礎として田及び畑の買收価格をそれぞれその賃貸価格の四十倍及び四十八倍としたことは顯著な事実である。

(三)、もとより資本主義的自由経済組織の下では、土地も亦個人の所有に任ねられ、農業上の主要生産手段として、自由に売買讓渡貸借されて、その価格は一般財貨におけると同樣需要供給の法則と一物一価の原則に支配された。しかし土地は自然の所与であつて人間労働の生産物でないから、他の財貨と異つて、これに加えられた改良費以外には生産費が存在しない。かゝる一般に生産費が考えられず、しかも收益を生ずる財貨の正常価格は收益価格であるといわれる。これを農地について見れば耕作者がこれを生産手段として使用することにより、一定の生産物を挙げ、この生産物価格を基礎として、土地所有者が当該農地貸与の代価として年々一定の地代を獲得しうるという意味において価格をもつのである。即ち農産物価格の中から獲得される地代を社会一般の利子率で資本還元したもの、即ち收益上の元本として価格をもつものである。これ自作農收益価格であつてこれ以外に農地価格はない。されば農地買收価格算定の基準を收益価格に求めることの合理性は、こゝにおいて推認されるところであるが、このことを更に原告等が爭う農地所有権の内容について檢討するも、農地調整法が農地の移動の統制(第四條)潰廃の統制(第六條)土地取上の制限(第九條)小作料の金納化(第九條の二)小作料の統制(第九條の三乃至九)小作契約の書面化(同條の十)等の規定を設けたことによつて、農地を現に耕作する者の利用收益権を強化し、その結果原告等の被買收農地所有権は既に当該農地を自由に使用処分しうる権利ではなく、統制された一定金額の小作料の收益財産という金銭債権的なものに転化していることが肯定されるであろう。換言すれば原告等は一般に前述の如き自作收益価格の範囲においてだけその被買收農地所有を正当な財産権として認められるものと言わねばならない。また自作農創設特別措置法がかゝる農地所有権を收用して現に耕作する小作農にこれを附与しようとしていることから推して、耕作者側から見れば農地所有権の本体は農地を自ら耕作して利用收益することに存すると解するも一般である。何れにしてもこれらは農地所有権に対する外部からの制限でなく憲法第二十九條に基いて決定された農地所有権そのものの内容であり、農地所有権に内在する性格であつて、このことはまた既に解明した同條の趣旨に照し明白である。よつて農地買收の正当な補償とは右の如き内容の農地所有権の対価でなければならない。

されば農地所有権の買收対価が前述の如く算定した自作收益価格を基準として田については賃貸価格の四十倍畑についてはその四十八倍と決定したことは、憲法及び農地改革の目的、及び農地所有権の性質並に農地価格の全体に照して誠に正当であると判断される。

(四)、次に自作農創設特別措置法に規定する買收対価はその後のインフレーションの進行に伴う貨幣価値の暴落を予定していないから、同法制定当時は正当な補償たるに十分な価格であるとしても、その後に行われた買收当時においては正当な補償にならないという原告等の主張について判断する。おもうに農地改革についての連合軍最高司令官よりの日本政府に対する屡次の覚書に示された指令を待つまでもなく、我国経済民主化のため重要な施策である農地改革が極めて広汎且つ困難な事業であるに拘らず、急速且つ果敢に実施せらるべきことは憲法及び自作農創設特別措置法の当然の要請である。加之同法所定の目的(第一條)買收農地の予定(第三條)買收の基準日の遡及(第六條の二乃至五)政府の買收及び売渡時期の指定(同法施行令第二十一條)等の規定の趣旨及び目的を合理的に解釈すれば、同法制定当時(昭和二十一年十二月二十九日)買收予定農地一般について昭和二十年十一月二十三日の現況で同法所定の価格をもつてする売買一方の予約が成立し、都道府県知事が同法第九條の規定による手続を経た時に、当該農地買收について、右の予約が完結したと同樣に解すべきである。果して然らば物価の昂騰に拘らず買收対価を同法制定当時のものに据置くことも亦失当とは言われぬのである。

以上の如く考察し來れば自作農創設特別措置法はその定める農地買收対価の点について憲法第二十九條第三項の規定に牴触しないものと認めざるを得ない。よつて買收処分の無効を前提とする原告等の第一次の国に対する請求はその理由がないから、何れもこれを失当として棄却すべきものである。

第三、次に原告等の第二次の予備的請求(対価增額の請求)について審査すると、原告沢村に対する本件買收令書の交付が昭和二十四年一月十八日であることは当事者間に爭がないから、同原告は自創法第四十七條の二に從い一ケ月内に本訴を提起しなければならなかつたのに、右期間を経過して本訴を提起したのであるから、本訴は不適法である。たゞ原告は対価增額の請求は自創法に基くものでなく、買收処分対価の違憲性を理由にその変更を求むるものであるから、前條の出訴期間の制限に服するものでないと主張するが、原告が行政処分の変更を求むるものであることはその主張に徴し明らかであるから、同第四十七條の二の出訴期間の制限を受くるものと解するの外なく原告の主張は採用することが出來ない。よつて原告沢村の右訴は不適法として却下すべきである。そこでその余の原告等の請求について見ると被告は同原告等は何れも栃木県知事を被告として買收処分における買收対価に対し自創法第六條所定の最高額を超えて增額変更を求めるのであるが、法律の執行機関に過ぎない栃木県知事においてその変更について何等の権限を有しないから栃木県知事を被告とする請求は不当であると主張するが、行政処分の変更の訴提起が許されているのは行政事件訴訟特例法第一條により明らかであつて、前記買收処分変更の訴が許されないという根拠は見出せない。買收処分の対価を增額変更すべき旨の裁判があつたときは、新なる行政処分を惹起することあるも、処分変更の本質から來る当然の結果であり、その裁判は関係行政庁を拘束するものであることは同法第十二條の規定するところであるから、行政処分をした行政庁は行政処分変更の裁判を忠実に執行すべき義務があり、その執行のため必要ならば行政法令の改廃の措置を講ずるのは当然である。それだから、被告の買收処分の変更を許さないとの主張は之を採用することができない。但し買收処分の変更は処分庁である知事を被告とすべきであるから、前記訴訟中国を被告とする部分は、当事者適格を欠き権利保護要求を欠くものとして棄却せらるべきである。次に被告栃木県知事に対する右変更の請求については、前説示のように右買收処分に於ける対価について原告主張の事由による違法がないから、その存在を前提とする原告等のこの点に関する請求も理由がないから、棄却すべきである。よつて訴訟費用につき民事訴訟法第八十九條第九十三條第一項本文を適用し主文のように判決する。

(別紙目録省略)

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