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宇都宮地方裁判所 昭和42年(わ)130号 判決 1968年7月10日

被告人 荻原昇 玉野薫

主文

被告人荻原昇を死刑に、同玉野薫を懲役一二年に処する。

被告人玉野薫に対し、未決勾留日数中三二〇日をその刑に算入する。

理由

(当裁判所の認定した事実)

一、被告人両名の経歴および犯行に至るまでの経緯

被告人荻原は、本籍地において、材木業に従事する荻原仁治の二男として生れ、小学校一、二年のころ右仁治が家出して女のもとに奔つてからは、農家の手伝をする母トクと芸者となつて家計を助ける姉敏子の働きにより養育されて貧苦のうちに中学校を卒え、上京して製パン工、板前見習などをしていたが、昭和三三年九月ごろ右敏子が肩書住居においてバー「白星」の経営を始めたのを機会に同店に住込んでバーテンとして働くようになり、昭和四〇年六月ごろからは同女から同店を賃借する形式でその事実上の経営を任されるようになつていた。ところが昭和四〇年二月ごろ同被告人はたまたま街頭でふと声をかけたことから知合つた鈴木悦子と交際を続けるうちに恋仲となり、同年五月ごろには秘かに将来を契り合う間柄となつたが、同被告人としては悦子がバー営業を好まないうえに、結局は一介のバーテンに過ぎない身の上では、同女との結婚につき、もと警察署長まで勤めたことのある同女の父親らの承諾を得ることが覚束ないと考えたところから、右白星の店を姉敏子から譲受け、これを小料理屋かおにぎりやに改築して自らその経営者となつて、同女の両親の右承諾を得る一方、将来の同女との結婚生活の安定をも図り、晴れて夫婦となる日を待とうと計画して同女の同意のもとに右計画を進めるうち、同被告人との結婚を待ち佗びる同女から時折右計画の進捗ぶりを質されたこともあつて、昭和四一年暮ごろには、同女に対し来年の秋ごろまでには右改築資金約二〇〇万円を調達して前記計画の実行に着手する旨を約して同女を安心させていた。しかしながら、せつかく白星の経営を任されてもその業績が次第に思わしくなくなつてゆく同被告人としては前記資金の入手につき確実な成算があつたわけではなく、まして右バー営業による同被告人の手取り収益が普通の月でたかだか五万円に達しない状態であるのに、右悦子との交際にさえ毎月数万円を費消するうえ、宇都宮市内の競輪、競馬場にもしきりに出入する同被告人の生活ぶりでは、右資金の蓄積はおろか、日常の生活にさえ不如意の度を増してくるので、次第にあせりを生じ、かねて好む競輪、競馬によつて一気に右資金を獲得しようと考えて、知人や金融機関から借入れた資金を使つていつそう足繁く前記競輪、競馬場に通い、そのつど数万円、ときには数十万円をこれに投じて一獲千金を夢見たが、もとより損失を繰返すばかりで、ついには白星の経営資金にも事欠くありさまとなり、その穴埋めのためにさらに借財を重ねるなどして、昭和四一年一月末にはその額は約一三八万円に達してしまつた。

被告人玉野は、本籍地において、玉野義郎の長男として右義郎の応召中に生まれ、同人が戦死した後は母サイが右義郎の兄清次と再婚し、同人らの手で養育され、中学校を卒業してから上京して洋服仕立職となつた後、昭和三七年一〇月ごろから宇都宮市川向町の橋本洋服店に移り、同店の寮に住み込んでささやかな収入により生活していたが、寮生活にもようやく倦み、同寮に程近い白星の常連となつて、被告人荻原とも親密な交際を続けつつ、日ごろから飲酒に親しみ、このため被告人荻原に対し平常少なからぬ飲食代の債務を負担しており、また、かねて右寮を引払つてアパート住いをすることを望んでいたため、その移転の資金も欲しいと考えていた。

二、罪となるべき事実

第一、かくて被告人荻原は、前記借金の穴埋めや白星の改築資金を工面する必要に迫られ、その金策に焦慮していたところ、たまたま日本生命保険相互会社外交員の豊田賢之輔から、再三にわたり、同社の生命保険に加入するよう勧誘され、被保険者が交通事故などの災害により死亡した場合には満期保険金のほかその三倍の死亡保険金を交付される同会社の「暮しの保険」災害保障特約付生命保険契約につき説明を聞いていたことから思いつき、当時同じく白星の常連で宇都宮市内の栃木トヨペツト販売株式会社に自動車整備工として勤務する荻原一朗(当時二七才)が同被告人の十年来の友人で平常ボーリングなどの遊びもともにして極めて親しく、一朗の方でも日頃同被告人を「兄貴」と呼んで慕い、同被告人に従順なところから、右一朗なら容易に自己の意のままに御し得ると考え、右資金入手の手段として、先ず同人に勧めて同会社との間に同人を被保険者、自己を保険金受取人とする前記内容のような生命保険契約を締結させたうえ、同人を殺害し、これを事故死のように装つて同被告人において同会社から前記災害死亡による保険金の支払を受けて右資金を入手しようと決意するに至つた。そこで同被告人は、その頃白星に立寄つた一朗に、右豊田から生命保険加入の勧誘を受けていることを語つて「一口入つてやつてくれ」ともちかけ、さらに同年二月初旬頃同人が白星に来た際、前記豊田をも白星に呼び寄せ、同所において、同人から前記災害保障特約付生命保険の説明を受けながら、一朗に対し、「お互自動車に乗つていてはいつ事故にあうか判らないから一〇〇万円ずつでも保険に入つておこう、お互に結婚するまでは俺の保険金の受取人は一朗、一朗の保険金の受取人は俺ということにしておいて、結婚したら妻を受取人に直したらいいではないか」と申し述べて、互に相手方を自己の保険金受取人とする生命保険契約を相ともに締結するよう慫慂し、同人が購入した自動車の月賦代金をまだ完済していないからと躊躇するにもかかわらず、「それではそれまでの保険料は自分が立替え払いしてやろう」と巧みに説得して同人を納得させたうえ、その場で、同被告人及び一朗において、それぞれ右豊田に対し、前記会社との間に、自己を被保険者、互に相手方を保険金受取人、満期保険金額一〇〇万円、死亡保険金額三〇〇万円とする、同会社の「暮しの保険」災害保障特約付生命保険契約を結ぶことを取り極め、同月八日ごろ、被告人荻原において前記各契約の第一回保険料充当金として自己において契約するものにつき金四、七〇〇円、一朗において契約するものにつき金四、四〇〇円を支払うなど所要の手続を経て、同月九日付で同会社との前記内容の各生命保険契約の締結を了した。

そしてこのころから被告人荻原は、なお進んで一朗を殺害する方法につき思案をめぐらした末、その手段として、先ず同人に勧めて酒を飲ませ、酩酊させたうえこれを自動車に乗せて走行中の車内で同人の頭部を殴打して気絶させたうえ、右自動車を踏切上に放置してこれを右踏切を通過する列車に衝突させて殺害し、もつて右犯行を踏切事故に偽装すること、右殴打の具としてはかねて実兄から貰い受けて所持するピストル型ライター(昭和四二年押第三六号の九のそれと類似の材質、形状、重量のもの)を使用することを案出したが、このような計画は同被告人単独では遂行できず、右自動車の運転者の外に一朗を攻撃する役割を分担する者が必要なところから、一朗とも面識があり、また何事によらず同被告人の意に逆らわない前記被告人玉野を想起し、同被告人が平常小遣銭にも不自由しているのを幸い、報酬を支払うことを好餌として同被告人を語らつて右計画遂行の仲間に引き入れようと企てた。そこで被告人荻原は前記各保険契約を締結する手続を了した後の同年二月八日午後七時半ごろ、先ず右企画を秘したまま被告人玉野と一朗を誘つて宇都宮市内の飲食店数軒を連れ歩き、酒食をふるまつたうえ、翌九日午前零時過頃、被告人玉野のみを白星に伴い帰り、同店階下奥三畳の間において、同被告人に対し、「お前金が欲しくないか」と問い、「欲しいな」と答えた同被告人に、「人を殴つて気絶させてくれれば一〇万円やる」「殴る相手は一朗だ」「殴つて気絶させてくれればあとは自分が始末をつけ、迷惑はかけない」などと申向けたところ、被告人玉野はさすがにすぐには右申出に応じなかつたが、重ねて被告人荻原が「いやならいいんだ。人を殴るだけで一〇万円払うといえば、競輪場にはやつてくれる者がいくらでもいる」と迫つたので、被告人玉野は前記のとおり金銭に窮していた折であり、また自己の役割が一朗を殴つて気絶させるだけならばと思い、これに応じて一朗を殴打して気絶させることを引受ける旨承諾し、次いで同年二月下旬頃被告人荻原はさらに白星に立ち寄つた被告人玉野に対し、一朗が被保険者となつて生命保険に加入しており、同人が死亡すればその保険金は同被告人が受取ることになつていることおよび被告人荻原が被告人玉野に払う前記一〇万円は事故死に見せかけて一朗を殺害し、右一朗の死亡により被告人荻原において受取る保険金のうちからこれを支払う旨を打ち明けるとともに、その実行の日時が決まれば被告人玉野に電話で通知する旨を伝え、被告人玉野はこれを了承し、ここに被告人両名の間に、被告人荻原において一朗の死亡保険金を入手する目的で同人を殺害する旨の共謀が成立した。

かくて被告人荻原は、被告人玉野に旨を含めて同被告人において被告人荻原が自動車の運転席の窓硝子を拭くのを合図に一朗の頭部を殴打するとの手筈を整えたうえ、同年三月上旬頃と同年四月一四日の二回にわたり、そのつど宇都宮市内の飲食店などで一朗に酒、ビールをふるまつたうえ、被告人荻原においてその知人を捜すとの口実を設けて、被告人玉野とともに、一朗を被告人荻原運転の自動車に同乗させて同市長岡町地内の長岡街道から羽黒街道に向つて進行中、その車内で被告人玉野が前記ライターをもつて一朗の頭部を殴打して気絶させようとしたが、前記一回目の際は同被告人が怖気づいたため手を下さないうちに機を逸し、前記二回目の際は同被告人が被告人荻原より合図がないのにあつたものと誤認して一回一朗を殴打したが、同人が悲鳴をあげただけで気絶するに至らず、その場は被告人荻原が「窓から何か飛んできたのではないか」と取り繕ろい、一朗の疑念を除いたが、結局いずれも失敗してしまつた。

しかし被告人荻原は、右失敗にもかかわらず、反省して前記一朗殺害の計画を思い止まることなく、かえつてあくまでこれを敢行しようと計り、その後とかく逡巡しがちな被告人玉野を励まして、同被告人から、他日再び右計画を実行する場合には同被告人において自己の前記役割を果す旨の約束を得る一方、以上の失敗から、一朗が酒を飲ませても容易に酔わず、また一回ぐらい頭部を殴打しても気絶しないことを知つて、さらに策を練り、このうえは睡眠薬を酒に混ぜて同人に飲ませ、熟睡中の同人を前記ライターで繰返し殴打して気絶させ、その後は自動車に乗せて、同被告人が時折通行してその状況を知つている、宇都宮市簗瀬町地内の東北本線簗瀬町踏切に同人を運び、同所を午後一一時五〇分ごろまたは五三分ごろに通過する各下り列車のいずれかに前記自動車もろとろ衝突させて殺害し、右犯行を踏切事故に偽装しようとの奸計をめぐらしたうえ、被告人玉野にも、一朗には睡眠薬を酒に混ぜて飲ませ、熟睡させてから、交通事故死に見せかけ易い頭部を殴打すること、その後は自動車に乗せて同人を踏切に運び、自動車とともに同人を列車に衝突させて殺害することなど右計画の一部を折にふれて明かしつつ、その実行の機会をうかがつていた。

同年四月一九日は朝から雨が降りつづいていた。被告人荻原はかねて右計画実行の時機は自動車の窓硝子が曇るため、外から、車内の状態を望見しにくい雨天の日を選ぶつもりでいたので、同日を好機として前記計画を実行に移そうと決意し、同日午後零時すぎごろ、先ず一朗を白星に誘い出すために勤先の同人に電話をかけ、「自動車の不凍液を抜いてくれないか」と頼んだところ、平素より同被告人の友情を一途に信じて疑わない一朗は、もとより被告人らの奸計を看破し得るはずもなく、直ちに同夜白星に赴くことを承諾し、他方同被告人は、被告人玉野に対しても、電話により、一朗が同夜白星に来店する旨を告げ、暗にいよいよ同夜を期して前記一朗殺害の計画を実行する旨を伝えたところ、被告人玉野はこれを了承して、被告人荻原に同夜八時ごろまでに白星に赴くことを約束した。

かくて被告人荻原は同日の午後を前記悦子との逢引きに過した後、午後六時ごろから白星の店を開いて待つうち、午後八時ごろに至り、先ず残業を終えた一朗が、次いで被告人玉野が同店に入つて来てそれぞれ飲酒し始めた。午後九時三〇分ごろ、被告人荻原は客が帰つてしまつたのを見届けてから、前記計画に従い、先ずカクテルに混ぜた睡眠薬を飲ませて一朗を眠らせるため、カウンターでビールを飲んでいる同人に対し、「五月に東京でカクテルの競技大会があるので、作つて練習するから味見させてやる、どれでも好きなのを言つてみろ」とカクテルの本を示して尋ねたところ、同人は「それぢやあいろいろ頼むかな」と言いながら、最初に「ルシアン」を注文した。被告人荻原は右カクテルがコーヒー様の色を帯び、かつ原料の振盪に際して多少泡立つ点から、これに睡眠薬を混合しても右カクテルの状態に紛れて一朗には発見されないですむと思い、この機を利用しかねて手許に用意してあつた睡眠薬(ブロムワレリル尿素粉末〇・五グラム入り)二包分をひそかにシエーカーの原料酒等の中に投入してこれを振盪混合し、右睡眠薬入りのカクテルを調合したうえ、これを一朗の前に出したところ、同人は三口位にこれを飲みほした。同被告人はさらに一朗を酔わせようとの下心から、「マテイニー」、パインジユース入りカクテル等を次々に作つて同人に進めてこれを飲ませた。やがて同人はホステスを相手に店内でダンスを始めたが、足がよろめき、同女に助けられて自席に戻り、カウンターの上に顔を伏せてしまつた。被告人荻原はなおも一朗を酔わせようとジンをダブルで入れたジンフイーズ一杯を作り、「これはさつぱりするやつだから飲め」と一朗の前に出したが、同人はこれに口をつけただけですでに飲むことができず、ボツクス席に移らせると、そこで壁に凭れて眠つてしまつた。

これを見て右睡眠薬が効を現わしたことを認めた被告人荻原は、前記ホステスを帰宅させた後、背広に着替え、トレンチコートを着、ゴム半長靴をはき、いずれもかねて買求めて用意してあつた、指紋を残さないための黒革手袋、顔を隠すための黒色野球帽などを用いて身仕度を整え、付近に駐車してあつた一朗の自動車を白星前に運転して来る一方、被告人玉野は、前記寮に引返し、同所に被告人荻原から預り保管していた前記ピストル型ライターを携えて白星に帰り、被告人両名が協力して熟睡している一朗をかかえて右自動車の助手席に運び込み、同日午後一一時前ごろ、被告人荻原において右自動車を運転し、被告人玉野において一朗の左側に添つて右助手席に同乗し、雨をついて白星を出発した。被告人荻原はしばらく右自動車の進路を南にとつて進んだ後東進して前記簗瀬町踏切にさしかかつた際、被告人玉野に対し、「ここでやるんだ」と述べて同所において右自動車を列車に衝突させるつもりであることを告げたうえ、右踏切を渡つて、宇都宮市街地開発組合平出工業団地(工場敷地予定地群)内を南北に走る通称産業道路を北進し、午後一一時ごろ、右道路より約一三〇米ほど東に入つた同団地内の同市平出町四、五四七番地先路上の人通りのない暗がりに停車した。同所において被告人荻原は右自動車の室内灯を、ドアを開けても点灯しないよう壊してから、前記列車が踏切を通過する時刻に合わせるため、被告人玉野とともに、しばらくそのまま車内で待機するうち、午後一一時三〇分ごろ、被告人荻原は、被告人玉野に「やれ」と言い、運転席において助手席の一朗の右腕を掴んでその上半身を起こし、これに応じて同被告人は助手席に立ち上がり、一朗の後頭部を目がけて前記ライターの銃身にあたる部分を握つてその銃把にあたる部分で殴打しようとしたが、一瞬ためらつたところ、「どうした、度胸がなくなつたのか」と被告人荻原に叱咤され、そのまま力任せに打ち下ろし、なお続けて二、三回一朗の後頭部を強打した。このため、一朗はうめき声をあげて被告人荻原の方に倒れかかり、一朗の頭部の傷口から血の飛沫が車内に飛び散り、被告人らにも掛つたので、被告人玉野は怯んで、「マスターもやれ」と右ライターを被告人荻原の方に差し出した。そこで同被告人もこれを手にして、運転席から、思わず起き上ろうとする一朗の肩を被告人玉野が押えている間に、同被告人同様右ライターの銃把にあたる部分で一朗の頭部を一、二回強打した。

その後同被告人は急いで右自動車を運転して同所を離れ、簗瀬町踏切に向つて前記産業道路を約一粁南進したところ、途中一朗がなおもうめき声をあげ、身動きを続けるので、さらに一朗に前同様の殴打を繰返そうと思い、右道路より約三五米東に入つた同町四、〇九八番地先路上の人通りのない暗がりに停車し、同所において、被告人玉野に対し、「またやれ」と言い、同被告人はこれに応じて、後部座席から、前同様に右ライターの銃把にあたる部分で助手席に横たわる一朗の頭部を二回くらい強打し、続いて被告人荻原も被告人玉野から右ライターを受け取り、運転席から、これを前同様にして二回くらい一朗の頭部を強打した。ここに至つて一朗はついに声もたてず身動きもしないで助手席にうずくまつた。

そこで被告人荻原は再び右自動車を運転して同所を出発し、簗瀬町踏切に向つたが、右踏切付近まで近づいたころ、同所を前記予定の列車の通過する響きが聞えたうえに、同所付近の灯火が予期に反してまだ明るいので、前記のような一朗の血の附着したままの衣服で右自動車を降りることは不得策と判断して、にわかに、同所で右自動車を列車に衝突させることを断念してしまい、そのまま右踏切を通過した。

その後は同被告人は、行先のあてもないままに、前記自動車を運転して、川向町、中河原町、西原町と市内の各所を走りつづけ、さらに栃木街道を南進して同市南方の西川田町に向つて走行中、同町内の栃木県宇都宮総合運動場付近の人通りのない暗がりで一朗がはたして死亡したかどうかを確認し、そうしてから同市北方の富士見ケ丘団地付近にある崖に赴き、同所において一朗を右自動車とともに崖下に転落させて右犯行を事故死に装おおうと思いつき、その旨被告人玉野に告げたうえ、先ず前記運動場に向い、翌二〇日午前零時三〇分ごろ、前記西川田町一、八〇五番地の同運動場内硬式野球場東側路上の暗がりに停車した。同所において、被告人荻原は助手席の一朗の状態をうかがつたところ、同人がまだ微かに呼吸していることが判つたので、その場で一朗を窒息死させてしまおうと決意し、被告人玉野に、「窒息させちやうべ」と告げて、車内にあつた座布団一枚(昭和四二年押第三六号の六)を同被告人に手渡し、自らは一朗の上半身を起こしてその顔面を持ち上げると、被告人玉野は右顔面に前記座布団をかぶせて左右の手で右座布団の両端中央部付近を掴んで強く後方に引つ張り続け、その間被告人荻原は自己の背中を右座布団に押しつけて一朗の顔面鼻口部付近を圧迫し、ともに約二〇分間これを継続した結果、同所において一朗を窒息死させて殺害し

第二、次いで被告人荻原は、同所において、前記助手席内の一朗の脈膊を調べて同人が死亡したことを確め、その死体を右助手席に置いたままこれに座布団をかぶせた後、被告人玉野の同乗する右自動車を運転して前記富士見ケ丘団地に向つて出発し、国道四号線、次いで羽黒街道を各北進しつつ右団地手前に達したが、同所において同方面が街灯等のため意外に明るい状況が望見されたので、同方面に進むことを避け、同所において右街道より西方に逸れ、通称水道山と呼ばれる宇都宮市街地北方の丘陵地帯を経て同市戸祭配水場に達する山道に進入し、谷あいより漸次山頂下の登り坂にさしかかつたところ、右坂道一帯は前日来の降雨で路面が軟化していたため、前記坂道の途中、同市山本町二二二番地付近の路上において車輪が路上の轍に落ちて進行できなくなり、被告人玉野と力を合わせて極力脱出を図つたが、徒労に帰したので、止むなく同所より前進することを断念したが、たまたま右坂道の南側一帯に下り傾斜面があるのをさいわい、先ず一朗の死体を右斜面下まで運び降してこれを同所に放置し、次いで進退不能に陥つている前記自動車を右斜面下付近に落とすことができれば、これにより一朗が人車ともに右斜面下に転落、死亡したように装うことができるかもしれないと考え、これを試みようと企て、被告人玉野は被告人荻原の右意図を察知し、ここに被告人両名は共謀のうえ、同日午前二時三〇分ごろ、被告人荻原において右死体の上半身をかかえ、被告人玉野においてこれに従つて右死体の両足を持ち、被告人荻原が先頭に立つてともに同所の道路南端より数歩右斜面下に向つて降りかけたが、途中被告人荻原の足が滑つて右死体をかかえていた手を放したため、被告人玉野もその手を放した結果、右死体は前記道路南端より約七、八米離れた右斜面下に転落したので、そのまま同所に右死体を放置し、もつて遺棄したものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人両名の判示二の第一の所為は刑法六〇条、一九九条に、第二の所為は同法六〇条、一九〇条にそれぞれ該当するので、第一の罪につき、被告人荻原昇に対し所定刑中死刑を、同玉野薫に対し有期懲役刑をそれぞれ選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、被告人荻原昇につき同法四六条一項により他の刑を科さず同被告人を死刑に処し、被告人玉野薫につき同法四七条本文、一〇条により重い第一の罪の刑に同法四七条の但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役一二年に処し、同被告人に対し同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三二〇日をその刑に算入することとし、被告人両名にかかる訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用していずれもこれを負担させないこととする。

(裁判官 須藤貢 野口昇 藤井一男)

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