宇都宮地方裁判所 昭和53年(行ウ)2号 判決 1979年7月19日
原告 岡崎ノブ
右訴訟代理人弁護士 岩淵収
右訴訟復代理人弁護士 高橋信正
被告 真岡労働基準監督署長 和南城喜美次
右指定代理人宇都宮地方法務局訟務課長 高塚育昌
<ほか三名>
主文
被告が昭和五〇年四月一六日付で原告に対してした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金及び葬祭料の支給をしない旨の処分を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
主文と同旨
二 被告
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 訴外亡岡崎清次は、生前、訴外岡崎釼の経営にかかる製材工場(商号 岡崎林産、所在 栃木県真岡市中郷二七五番地)に製材工として勤務していたところ、昭和四九年九月一八日午後四時一〇分ごろ、同工場において材木の送材車を修理中突如同車が動き出し、同車と製材台との間に身体を挾まれたため、両側肋骨骨折、肺損傷、肝破裂の傷害を被り、同日午後六時二分ごろ訴外芳賀赤十字病院において死亡した。
2 原告は亡清次の妻であり、その葬祭を行ったものである。
3 そこで、原告は、昭和四九年一〇月一〇日ごろ被告に対し、労働者災害補償保険法に基づき、遺族補償年金及び葬祭料の請求をしたところ、被告は昭和五〇年四月一六日原告に対し、亡清次は左記事由により労働基準法九条に規定する労働者と認められないことを理由として、遺族補償年金及び葬祭料の支給をしない旨の決定(以下本件処分」という。)をした。
記
亡清次が釼から支給を受けた金員は、毎月時間外手当などを含まない一定額であり、労働時間に対応して支給された賃金でなく、企業利益の暫定的配分と認められ、かつ、亡清次は釼及びその家族と同居し、同一生計を維持して独立した生計を営んでいなかった者であり、釼と一体的立場で事業利益をともにする者である。
4 原告は右処分に対し、昭和五〇年五月一二日栃木県労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたところ、同審査官は同年九月二二日これを棄却する旨の裁決をした。
更に、原告は右裁決に対し、昭和五〇年一一月一七日労働保険審査会に再審査請求をしたところ、同審査会は昭和五二年一二月二七日これを棄却する旨の裁決をし、該裁決書が昭和五三年二月二〇日原告に送達された。
5 しかしながら、被告の処分は、亡清次が労働基準法九条に規定する労働者に該当するのに、これを否定した違法処分であるから、その取消を求める。
二 請求原因に対する認否
1の事実のうち亡清次が製材工として勤務していたとの点は否認する。
その余の事実は認める。
2ないし4の事実は認める。
5は争う。
三 被告の抗弁
1 亡清次は、釼の実弟であり、かつ、釼を養親、亡清次を養子とする養子縁組を結んでいた間柄であり、釼が製材業を営むに至った昭和二三年一〇月ごろから、釼の居住する建物と棟続きの建物に居住し、家賃・電気料の支払をすることもなく経過した。釼は昭和四八年ごろ、従前の居住場所とほぼ相隣接する事業場敷地内に居宅を新築したが、その後も亡清次と釼との生活状況は変りなく、本件事故前ごろ食事については、亡清次が釼に対し一か月金三万円(一人につき一万円の割合による三人分)を支払い、亡清次及びその家族が釼宅において、釼及びその妻と摂取し、また、入浴もともにするなどして同人らは同居し、同一の生計を営んでいたのである。
2 そこで、亡清次及びその家族は、住民基本台帳において、釼を世帯主とする同一世帯に登載され、国民健康保険及び米穀通帳などにおいても同様の掲記がなされている。
3 釼は本件事故当時、その妻、亡清次及びその妻である原告のほか一〇名前後の従業員を使用して製材業を経営し、亡清次には他の従業員より低くない金額であるが、他の従業員と異なり時間外手当などを含まない一定額である金一〇万円を支給していたことから、該金員は労働の対価ではなく経営主体である釼と同一体の立場で事業利益をともにし、その配分を受けていたものとみるべきである。
4 ちなみに、亡清次は釼の昭和四七年度所得確定申告において釼と同一の生計を営む事業専従者として取り扱われている。
5 以上の事実を総合すると、亡清次は、将来養父である釼の事業を引き継ぐ目的でこれに従事し、事業主である釼と一体の立場にあるものというべく、釼の経営する製材事業においてその支配従属関係にない者であるから、労働基準法九条にいわゆる労働者に該当しない。
四 被告の抗弁に対する認否
1の事実のうち、亡清次及びその家族が釼と同居し、同一生計を営んでいたとの点は否認する。
亡清次及びその家族は食事及び入浴以外の生活関係において独立した生計を営んでいた者であり、釼と同居していたことはない。
その余の事実は認める。
2の事実は認める。
3の事実のうち、亡清次が製材事業の経営者である釼と同一体であり、その事業利益をともにし、その配分にあずかっていたとの点は否認する。
亡清次は釼の指揮監督のもと他の従業員と変りなく労働に従事していた者であり、その支給にかかる金員は労働の対価である。
その余の事実は認める。
4の事実は不知。
5は争う。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1の事実のうち、亡清次が製材工であったとの点を除くその余の事実及び同2ないし4の事実については当事者間に争いがない。
《証拠省略》によれば、亡清次は昭和四三年ごろから、釼経営の製材工場において製材工として勤務稼働していたことが認められる。
二 被告の抗弁1の事実のうち、亡清次及びその家族が釼と同居し、同一の生計を営んでいたとの点を除き、その余の事実及び同2の事実は当事者間に争いがない。
しかしながら、前顕証拠によれば、岡崎林産は釼の経営にかかり、その妻、亡清次及びその妻である原告のほか一〇名ぐらいの従業員が勤務稼働するに過ぎない零細な製材工場であり、その対外的業務はもちろんのこと対内的業務の指揮監督は釼においてこれに当たり、同人が不在のときには岡崎林産に最も長く勤務している桜井昭王が代行するのが常であって、亡清次はその業務につき釼に全く従属した関係において他の従業員と変りなく現場作業に従事していたものであること、亡清次方では同人の妻である原告も右製材工場に勤務稼働するに至ってから、原告においてその家族の食事の準備をすることが困難となり、亡清次及びその家族は相隣接して居住する実兄釼宅において食事をともにするに至り、前記のとおり食事代金三万円を毎月支払い、入浴などもともにしていた(この点当事者間に争いがない。)が、亡清次及び原告は右製材業に従事した結果、毎月釼から支給される総額金一四万円(前記のとおり亡清次が金一〇万円、原告が四万円)をもって、その家族の生計を維持していたことが認められる。
三 以上の事実関係を総合すると、亡清次は、釼経営の製材業において釼に雇傭され、支配従属関係のもとに労働に従事し、その対価として賃金を得ている労働者とみるべきであり、釼と一体となり事業利益をともにする経営者的立場にあったものとは到底認め難い。更に、亡清次は食費・住居・光熱費などの点において、実兄であり、かつ、養親である釼から応分の援助を受けていたことがうかがわれるが、それはあくまでも便宜上の生活関係であって、亡清次及びその家族は本来的に釼とは別居し、独立してその生計を維持していたものとみるのが相当であり、亡清次は釼経営にかかる製材事業における事業専従者とみることはできない。
なお、釼が昭和四七年度分事業所得確定申告において、亡清次を事業専従者として掲記している(この事実は《証拠省略》により認められる。)とか、住民基本台帳、国民健康保険などにおいて、釼と同一世帯員として取り扱われているとかの点は、税務対策などの点もうかがわれ、これらの点をもってしても右認定判断を左右するに足りない。
したがって、亡清次が労働者とは認められないとして行われた被告の本件処分は違法であるから取消を免れないものというべきである。
四 よって、原告の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥平守男 裁判官 相良甲子彦 卯木誠)