宇都宮家庭裁判所 昭和49年(家)62号 審判 1974年9月17日
申立人 横田和之(仮名)
相手方 横田早苗(仮名) 外二名
主文
本籍及び住所栃木県○○郡○○町○○番地亡横田一夫(昭和四〇年八月一〇日死亡)の遺産をつぎのように分割する。
一 別表一遺産目録九、一〇、一一記載の土地は相手方横田年男が取得する。
二 同目録八記載の土地は相手方西川良子が取得する。
三 同目録記載のその余の土地は相手方横田早苗が取得する。
四 相手方横田年男は、本審判確定と同時に、相手方西川良子に対し二、二三二、八四二円、相手方横田早苗に対し二、六五七、八一六円を支払え。
理由
一 主文掲記の被相続人横田一夫が昭和四〇年八月一〇日住所で死亡し、相続が開始したこと、その相続人は妻である相手方早苗。長男である相手方年男。三男である申立人。長女である相手方良子の四名であることは記録添付の除籍謄本、原戸籍謄本、戸籍謄、抄本によつて明らかで、被相続人が遺言をしたことを認められない本件では、相続人らの相続分は法定どおりのものであり、すなわち、妻である相手方早苗は九分の三、子であるその余の三名は各九分の二となる。
二 記録添付の土地登記簿謄本、被相続人一夫所有名義の土地評価証明書、相手方年男、良子の各陳述によれば、同被相続人の遺産は別表一の遺産目録記載の不動産であると認められる。申立人も当初は同様に申立てていたが、調停不成立により審判に移行した後になつて申立を変え、同目録中、八、九、一〇、一一の土地三筆は遺産に含まれず、実質的に申立人の所有である、と主張するようになつた。しかし、申立人は昭和二三年一一月一二日日本内地に帰国復員した旧職業軍人であつて、復員後、農業をしていた父一夫方に帰り、同居を許されてその世帯員となり、農業を手伝つたものであることはその陳述および相手方年男、良子の陳述などによつて明らかであり、上記三筆の土地登記簿謄本によれば、これらの土地は自作農創設特別措置法によつて国の買収したものを一夫に売渡された、と認められるから、その所有権は国より一夫に移つたものというほかはない。これらの土地の売渡の登記をうける昭和二七年一〇月三一日当時またはそれ以前に、申立人が一夫一家の中にあつて営農上主要の地位を占めていたと仮定しても国が売渡の相手を申立人にした事実がない限り、土地の所有権を申立人が取得するいわれはなく、実質的な所有権が申立人に帰属するわけもない。申立人は、さらに、所有権がないにしても、その耕作権をもつている、ともいうが、一夫の世帯員としてこれを開こんし、その後長い年月耕作していた事実の存在だけでは、農地の所有者に対抗できる耕作権(永小作権、賃借権ないし使用貸借上の権利)を取得する根拠とならないし、一夫死亡による相続開始後の耕作にしても、他の相続人より無制限の耕作を許されていたとみるべきではなく、遺産分割実行までの暫定的な措置として従前に引続く農耕を許容されていたにすぎない、と認めるのを相当とするから、この耕作の事実により申立人主張の耕作権が発生取得されるわけはない。申立人その余の主張事実も以上の判断を動かすことはできない。
申立人は、また、別表二5(三)記載の炊事場(床面積二、四七九m2)を遺産にあげているが、鑑定人田中正俊作成の鑑定評価報告書中の写真によつて明らかなように、それは同表5(一)記載の居宅の付属建物であり、ただ未登記であつたため主たる建物贈与による所有権移転(後記参照)後も固定資産課税台帳上一夫の所有名義に残つたにすぎなく、民法八七条二項により主たる建物の贈与にともないこの炊事場も申立人に贈与されたとみるべく、したがつて、これを一夫の遺産というべきではない。
三 そこで、相続人中、民法九〇三条に定める特別受益者があるかどうかを調べる。
(一) 申立人の陳述の一部、記録添付の登記簿謄本、土地と建物の評価証明書、相手方年男、良子の陳述によれば、申立人は生計の資本として別表二記載の土地建物を一夫の生前同人より贈与され、同表5(三)の前掲炊事場を除いてその所有権移転登記を経由していることが認められる。申立人は同表1記載の宅地は登記上横田文子から昭和三七年三月一六日被相続人一夫に贈与され、即日一夫より申立人に贈与されたごとく記載されているが、実際は申立人が直接横田文子より贈与されたものであつて、一夫より贈与されたものでなく、特別受益分にはならない、と主張するが、申立人の陳述自体によつても、この土地は父一夫が従前他より買いうけ取得し、本家の当主であつた横田忠則(一夫の父)に管理を委せていたものであつて、忠則において当時自己の所有名義に登記して管理していたため、その死亡により横田美子が、横田美子死亡により前記横田文子が順次相続してその登記をするに及んで、所有権の帰属に争いが起り、申立人の強力な交渉によつて贈与名義で一夫に返還されることとなつたものと認められる。したがつて、上記申立人の主張は理由がなく、この宅地を含む別表二記載の不動産のすべてを申立人の特別受益分とみるべきである。
(二) つぎに、相手方、年男、申立人、相手方良子の各陳述によれば、同人らは高級船員をしていた一夫より扶養せられて成長したが申立人は旧陸軍士官学校、相手方良子は旧帝国女子専門学校(いずれも旧制の高等専門学校)を各卒業の教育をうけただけであるのに対し、相手方、年男は旧制東京帝国大学理学部卒業の教育をうけている点で、他の弟妹より生計の資として特別の利益を与えられたことがわかる。相手方、年男の陳述によれば、同人は昭和一六年一二月同大学を卒業するまでの約三年間、毎月五〇円ないし六〇円の学資の仕送りをうけ、東京都内に下宿して通学し、授業料年額六〇円を要したことが認められるので、授業料を含む教育費の一切を月額六〇円とみれば、三年間にうけた教育費の合計は二、一六〇円となる。
四 そこで民法九〇三条一・二項に従い、特別受益者を含む各相続人の相続分を算定する。
鑑定人田中正俊の鑑定の結果によれば、一夫の遺産は本年五月一九日の鑑定時当時別表一記載のとおりその価額は合計七八、八五五、七〇〇円となり、申立人の特別受益は別表二記載のとおりその価額が合計四〇、五三六、八七八円となる。相手方年男の特別受益はこれを現在の価額に評価するのに困難であるが、当庁の調査嘱託に対する総理府統計局長の回答によれば、昭和九年より同一一年を基準(一・〇)とする東京都区部消費者物価総合指数は、昭和二一年八月は五七・二、昭和四八年平均は七一九・五であり、昭和一六年当時の指数の計算されているものはみあたらないが、昭和一六年当時は重要物資の生産、流通、価額とも国の統制下におかれ、昭和九年ないし一一年と比べ、戦後におけるほど物価騰貴の甚だしくなかつた公知の事実から考えると、これを前記基準(一・〇)の二〇%上昇程度とみて大差はなく、そうすると、昭和四八年平均の指数七一九・五÷一・二≒六〇〇により、約六〇〇倍の貨幣価値の変動があつたとして計算すれば、相手方年男の大学学費受領による特別受益は昭和四八年平均で二、一六〇円×六〇〇=一、二九六、〇〇〇円と評価され、これをさらに前記鑑定時の本年五月に引直すためさらに物価上昇率を二〇%とみてこれに加えると一、五五五、二〇〇円となる(総理府、統計局の発表によると、本年四月全国の消費者物価指数は昨四八年四月に比べ二四・九%上昇となつているが、前記戦前基準の指数は四八年平均であるため、これより下げて本年五月を二〇%上昇とした)。
よつて遺産と二名の相続人の特別受益の合計価額は一二〇、九四七、七七八円となるが、申立人の相続分はその九分の二=二六、八七七、二八四円であるから、その特別受益四〇、五三六、八七八円はこれをはるかに超過し、申立人は本件の遺産に相続分をうけることができないこととなる。相手方年男の相続分も申立人と同額であるが、その特別受益はこれに足りないから、その不足分を相続できるのは当然である。それゆえ、本件の遺産の価額に、相手方、年男の特別受益一、五五五、二〇〇円を加えた八〇、四一〇、九〇〇円の七分の三=三四、四六一、八一六円が相手方早苗の、同七分の二=二二、九七四、五四二円が相手方良子の、これより特別受益分を差引いた二一、四一九、三四二円が相手方年男の各相続分となる。
五 申立人は、相手方早苗よりその相続分の譲渡をうけたといい、早苗自筆の昭和四九年六月一二日付、同年八月二三日付各書面を提出するが、相手方年男、良子らの陳述によれば、早苗は一夫と婚姻後の若いときから話合つても答がかみ合わず、関係のないほかのことをいい出してこれをまとめるのに忍耐が必要であり、夫の一夫は同人に家事の相談をしたりこれを委せたりすることはなく、ただ一方的に命じるままに働かせるというやり方で、良子が成長するにつれ家事は良子が主婦であるかのようにうけもち、早苗はこれに寄りかかる始末であり、高級船員をしていた一夫がこれをやめて農業に従事し、戦後申立人が復員して農業をしても、一般の婦人と異なつて早苗は全然これに関与せず、専ら家の中で雑事に従事するのみであり、当年八六歳の高齢になつた現在その精神的能力は一層低下していることが認められ、本年八月九日当裁判所が審問をした際も、早苗は正常に応答できず、被相続人の妻として遺産に相続分があることや、生家を出て独立をした長男年男や長女良子が遺産の一部を現物で取得したいとの希望をもつていることを全然知らず、家事審判官よりその旨を説明しても理解に困難なもようであり、参考となる事実や意見を少しもきけなかつた。また、記録によれば、当庁家庭裁判所調査官梶原達観が意向調査の命をうけ、昭和四八年一二月一四日早苗に面接したときも、早苗の陳述の内容にまとまりがなく、調査の目的を達成することができなかつたのである。これらによつて考えると、早苗の精神状態は心神喪失とまではいえないものの、相続人の一人に自己の相続分全部を譲渡するというような、それ自体重要な法律行為であり、かつ、他の遺留分を有する推定相続人年男、良子の利害にも大きな影響を及ぼす行為の是非を判断できる意思能力があるものとはとうてい認めることはできない。前記自筆の書面の筆跡は確かであるが、皮相の意識下における筆記にすぎなく、信頼をおけない。そしてこのような早苗の精神能力の実態は申立人や相手方年男、良子の全部が熟知しているところであるから、この書面の形式に従つて相続分の譲渡を認めることは許さるべきでなく、申立人の主張は採用しない。
六 申立人は復員後の昭和二八年四月から中学校の教員として勤務するかたわら、農業を営み、その妻もこれに協力して現在一夫より生前贈与をうけた農地、本件遺産の一部や小作地を合せ約五四・五四アール(五反五畝)を耕作していること、相手方、年男は神奈川県○○市に妻子とともに居住し、東京都内の○○大学教授の職についていること、相手方良子は東京都大田区に会社員をしている夫や子とともに住み、主婦であることはそれぞれの本人の陳述によつて認められ、上記により相手方早苗に分割せられる遺産は、これと同居し、扶養をしている申立人が現在に引続き耕作または管理することとなるのは容易に推認することができる。これらの点、および本件遺産の分割に関する当事者の希望その他本件にあらわれた一切の事情を斟酌のうえ、相手方年男には別表一の遺産目録中九、一〇、一一に表示の畑二筆を、相手方良子には同八に表示の畑一筆を、相手方早苗にはその余の農地を各取得させ、前認定の相続分の価額との過不足は金銭で清算支払わせることとする。
七 申立人は相手方年男、良子にその希望する上記の各畑を分割するのに反対し、同人らのいうように住宅敷地とするための土地取得であれば、それぞれ三三〇m2(一〇〇坪)程度で十分であり、これを超える相続分は小作地を取得させるようにすべきであるというが、被相続人の生前贈与により自からは一、四一七m2余の宅地に居住していながら、他の兄妹に対しては三三〇m2ぐらいでよいというのはいかにも身勝手な言い分であり、農地の所在地に住所をもたない者の小作地所有は農地法によつて禁止され、これに違反して取得させた農地は国に買収せられることとなるから、小作地を年男や良子に分割するというようなやり方はたやすくなすべきことではない。
なお、前記認定の遺産の評価では、高価のため申立人において買取りの資力がないことは申立人の自陳するところであり、また、相手方早苗にもその資力があるとはみられないから、現在申立人の耕作する農地を相手方年男、良子に取得させることとするものもやむを得ないのである。申立人の援用する農業基本法一六条の趣旨はもとより尊重すべきであるけれども、生前贈与によつて相続分以上の特別利益を得ている申立人との公平を考えるとき、申立人の農業経営に縮少を余儀なくされる不利益はあつても、相手方年男、良子の権利を有名無実とすることはできなく、この措置をもつて農業基本法に違反するとはいえない。なお、申立人が長年中学校教員をしており、その耕作面積が前記のとおりであることからすると、申立人が同法一六条にいう自立経営の農家でないのは勿論、これにならうとして努力する農家であつたものとも認められない。
よつて、主文のように審判する。
(家事審判官 森文治)