宇都宮家庭裁判所烏山出張所 昭和46年(家)77号 審判
〔主文〕申立人の氏「山村」を「富沢」と改めることを許可する。
〔理由〕(申立の要旨)
申立人は結婚前約三年間○○市内において洋裁を習い、昭和二三年一月ころ富沢光夫(大正九年三月二八日生)と結婚した。当時光夫は栃木県○○町○○△丁目○○番地に在つた両親の家の一部で富沢洋服店と称するささやかな洋服店をやつていた。申立人が光夫と結婚して後は光夫は主として洋服仕立の注文取りをし、申立人は生地の仕入れ、裁断、縫製等の実際を担当した。そのうち営業が次第に繁昌するようになり、昭和二六年一月ごろ店舗兼居宅として現住地に現在の建物を建てて引移り、富沢洋服店なる屋号のもとにこれを経営し、その業務の大半は申立人の努力によるものであつた。
申立人は上記のように洋服仕立業を営みつつ、昭和二四年三月二〇日には長女利美を同二六年一二月一九日には長男定光を夫々出産し、この両名を養育し共に高等学校を卒業させ、長女は○○町に在る銀行支店に行員として稼働し、長男は洋服仕立業を翌得せんとして目下同業者のもとにおいて修業中である。
しかるに光夫は数年前より馴染みの芸妓のもとに出奔し家業を捨てて顧みず、親戚知友からの再三の忠告にも耳をかさず、申立人はやむなく調停申立の結果(昭和四六年三月二四日)これと離婚し、居宅営業などはすべて申立人の名義で従前通り洋服仕立業を継続し二人の子女も富沢姓のまま申立人と共に生計を立てることとなつた。そして長男定光(一九歳)は将来申立人と協力して洋服仕立業を現在の店舗において営み、富沢洋服店を継続してゆく決意であり、それに備えて目下仕立職としての修業中である。
しかるに申立人は上記の離婚により富沢姓から一人離脱し、旧姓である山村姓に復氏した。そのため屋号は富沢洋服店であるにも拘らずその経営の中心人物が山村照子となり、個人として従前の富沢照子名義でなしている金融取引契約(銀行、信用金庫、郵便貯金などの金融機関との取引)および租税負担関係(不動産税、営業税など)不動産物件の所有名義、営業上の顧客に対する名義関係、居住地域社会における交際関係など、営業上および生活上継続的関係の維持を重要な要素とするものが極めて多く、その名義の使用せられてきた対象が多数である。従つてこれを個々に変更することが容易でなく、また申立人の如き小規模の個人企業においてはその変更手続を全部について完了するに足る丈の手間もなく、またその負担の煩雑さは計り知れない不便と不利益を伴うものであつて、これを強行するにおいては申立人ら親子三人の生活の破綻を招来するものである。申立人が富沢洋服店なる屋号のもとに洋服仕立業を経営し、その生活を物心両面にわたり維持し来たつた裏には申立人の永年にわたるなみなみでない努力と精進があつたからこそ可能であるので、富沢洋服店と申立人とは不可分であり今更これを名義上改称することは企業を崩解させ、親子三名の生活の基盤を喪失せしめるものであるから、本件改氏の申立は戸籍法第一〇七条第一項にいう「やむを得ない事由」に該当するから改氏の許可を求める。年若く前途春秋に富む子女両名の将来に対してもまた公私の両面に及ぶ影響をもつものであるから、この際従前より使用しており、永年使い馴れ世間にも知悉せられているし、子女両名も現に同姓である富沢姓に改氏されたい。
(認定と判断)
当裁判所の審問<略>取調べた各証拠<略>によれば前記申立の事実はすべてこれを肯認することができる。そして、前記の子女両名もまた申立人が両名の姓である富沢姓に改氏することを切望しており申立人が離婚という悲境に立つに至つた原因の大半は光夫の不貞と不行跡とに基づくものであることを推認することができるとともに、その余の諸般の事情を斟酌すると申立人の本申立は戸籍法第一〇七条にいう「やむを得ない事由」によつて氏を変更しようとするときに該当するものと認めうる。<略>
(藤本孝夫)