大判例

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宇都宮家庭裁判所足利支部 事件番号不詳 決定

少年 R(昭和一七・一・一五生)

主文

この事件を宇都宮地方検察庁足利支部検察官に送致する。

理由

この少年に対しては罪質及び情状に照して刑事処分を相当と認めるので少年法第二〇条によつて主文の通り決定する。

一、罪となるべき事実

少年は昭和三三年一二月二五日午前一一時三〇分頃、足利市○○町×××番地△△屋質店ことU子方に赴き、同店雇人Wを殺害して金品を強取することを決意し、その場において所携の左官用金槌で右Wの頭部を数回に亘つて殴りつけ、その抵抗を排除した上同家屋内にあつた右U子所有の現金約六四、二〇〇円在中の赤皮財布一個及び腕時計二個を強取し、間もなく右Wを頭部打撲によつてその場で死亡させ、その目的を遂げたものである。

二、上記事実に適用すべき罰条

刑法第二四〇条後段

(裁判官 大島隆司)

別紙

少年は、昭和一七年一月一五日、相当手広く左官業を営む、父S、母T子の戸籍上の長男として生れた。少年出生以前に、最初は男子が死産、次いて女子四人が生れたが、長女次女は生後二年位で相次いで死亡、三女も幼少時病弱で、父母を心配せしめたという家族前史の中へ、父が三四才、母が二九才と比較的高年齢になつてからの長男として生れたこと、出生直後から少年に右陰嚢ヘルニアがあり、少年が泣いて力むと、すぐにそれが出るというので、当時健在であつた祖母と母とは、泣かせまい、泣かせまいとして、掌中の珠玉のように少年を育成した。当時、戦時下では軍需による建設ブーム、戦後は住宅復旧の為のブームと、父の左官業は順調に発展し、常時数名の左官見習を使い、時には三〇~四〇名の職人を擁して工事をすすめ得られた家計とあいまち、少年の如上の生活は五歳位迄続いた。この故にか、幼少時の少年は極めて温和で内向的、屋外に出て、他の児童と活発に遊戯をするなどのことはなく、出ても主に女子を相手に遊び、小学時代を通して、少年より四年半遅れた弟に比して、着物や履物の耐用期間は三~四倍も長かつたという。昭和二二年五月、少年の父方叔父が恋人と情死した際、多額の費用を父が負担したことと、事業家として気力、才覚に乏しかつた父の左官業は、その叔父の死を境にして衰運に傾き、表面は盛大に見えて、徐々に家計内容は苦しくなつて来た所へ、昭和二七年夏、北海道で請負つた工事で五六万円の見込違いを生じたのが決定的な打撃になり、再起不能となつてしまつた。父は跡始末の為予定より長期間家をあけ、この間満足な送金もない上、折悪しく当時から持病の喘息が、季節により非常に悪化する母が、病体を押しての裁縫内職や、借金により、母姉二人弟二人と少年の六人が口を糊した。当然学資にもこと欠く有様だが、手職をつけねばならぬと姉達を私立高女(家政学校)に通学させたので、少年等は満足に昼食も携行出来ず、雨夫には傘がない、自身はヘルニアを笑われるなどで萎縮し勝な少年は、IQ一〇一を示す普通知能を有しながら、小学校高学年りよ中学二年頃迄に、年間三〇~四〇日の怠学を示すようになつた。昭和三一年、父が足利市内の左官業者に職人として出るようになつてから、乏しいながら家計に安定の兆が見え、中学三年に進級した少年は、最初高校(工業)進学を希望、家計上不可能を知るや、近辺の大工場の工員になることか強く希望した。しかし父は、三代続く家業の絶えるのに未練を残し、雇主からの相当な借金を返済する為には、親子二人で働いた方がよいとする打算上の考えを含めての考え方により、嫌がる少年を強引に左官職見習にさせた。アキラメを見せた少年は、当初二ヵ月程は精勤し、以前からの少年の言動“俺が早く一人前になつて家族に楽をさせるから”を裏づけるかに思われ、家庭の大きな期待を荷負つたのである。しかしながら、そのスパートも父自身が以前親方であつたプライドを捨て切れず、裸一貫懸命に出直そうとの気力がなく、何かと理由ずけて勤務を休むのに習い、自身はヘルニアに悩み、少年も徐々に言い訳を造つては勤めを怠るようになつた。従つて苦しい家計に改善が見えず、家庭は笑い、明るさが湧かない硬化したものであつた。家庭では、少年の、年齢よりはマセて借金取りへの言い訳を父を押しのけて自ら頭を下げる、質屋への質草運びは言いつけられるままにやる、年よりも老けた感じを与えるなどに、傑出した子供を持つたとの満足感を持ち、大きな期待をかけて、年中貧乏話しをグチリ、貧乏家計の負担という冷たい世間の風を、真向から少年に浴せたのである。そこで、少年には一方に背伸びした感情と、未熟な大人気分を持ち、反面、貧乏暮しにアキアキしたとする、やり場のない感情を持たしめてしまつたのである。安易な金の取得手段を考えたとしても、少年のみを責むるには、苛酷に過ぎる過程を、少年は嫌という程潜らなければならなかつたと推察される。

昭和三三年夏、昔日を夢見る父は再度北海道に工事を請負つたが、一一万円の嗟跌を来たし、同年一二月初引揚げた時は、二五円を余すのみであつた。この直前少年は、東京で半職人の扱いを受け請取り仕事で日給換算九八〇円、一〇日程稼働、一二月一五日帰宅した。すぐに再上京する訳だつたが、連絡の不備によりその後を無為に過し、一二月二四日クリスマスイーヴを迎えた。この日、友人の誘いを受け、二人で女友達を連れて遊ぶ計画を樹てたが、目指す女が不在で空しく貧しい家庭に帰つた。少年は自分を極めて惨めに感じ、一度位は華やかな正月を迎えたいと寝ながら考えた。その夜、強盗殺人を犯し、遠方に逃走幸福に暮したという成功体験を夢に見、翌昭和三三年一二月二五日朝、金銭強取を決意、二ヵ月分の電灯料を当日迄に払込まなければ、電灯線を切られるとの金策に出されたのを幸いに、かねて少年が自分の小遣銭作りに行きつけていた足利市○○町の△△屋質店が、少年の未成年を知つての上で、何度も質草を取つて置きながら、つい先日、少年が月賦代金支払未完の新品自転車を入質した位で、警察に密告したのは身勝手過ぎるとのウラミを根底に、同店は店舗住宅が別で、時には通い番頭W(当七二年)が一人で居ることもあるという条件を利用、最初は殴打して気絶させ金品を奪取するとの意向で、同日一一時頃同店におもむいたが、なるべく手掛りを残すまいと、入質カードを出させたり、外部の様子をうかがつたりして時間を費やしたので、気絶させたのでは蘇生して犯行がすぐにバレ、足がつくと殺意を起し、Wが無心に少年に背を見せて仕事にとりかかつた瞬間、用意しておいた左官用金槌を以て、同人の頭部を数度にわたり殴打、昏倒せしめ、同人の抵抗を排除して、金六四、二〇〇円、時計二ヵ他一点を強取、原田は頭部殴打により、間もなく死亡したのである。

以上非行は、刑法第二四〇条後段に該当し、年少者とは言え、世人に顔をそむけさせる残酷な行為である。少年の不遇な生育歴、環境には幾多の掬すべき要因があることを認めるが、社会調査、宇都宮少年鑑別所技官の鑑別結果、当庁嘱託医の精神鑑定結果等によつても、特に強く少年を保護処分に付すべき理由が見当らない。社会に与えた重大なる動揺、近時兇悪重大化しつつある少年非行等を考慮し、刑事処分を相当と認め、少年法第二〇条を適用して、検察官送致の決定をした。

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