大判例

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宇都宮簡易裁判所 昭和33年(ろ)37号 判決 1958年11月06日

被告人 大貫新一

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人は昭和三十三年一月一日午後八時三十分頃、鹿沼市上久我九二三番地小林福一方附近県道上に於て、些細な事から小島善重と口論の末手拳で同人の頸部顔面等を殴打して因て同人に対し全治約四週間を要する左化膿性全眼球炎の傷害を与えたものである。」というのである。

しかして検察官は右公訴事実の証明は十分であつて、被告人の己むを得ず反撃に出たとの弁解は逃避する余地のある状況下での行為であるから理由に乏しく、被告人の有罪は免れないと論断するのに反して、被告人及び弁護人は小島善重の証言中には虚偽が多く、同人からしつこく追駈けられ進路まで妨害されたうえ殴打暴行されたため、被告人は逃げようとして逃げ切れず正当防衛行為に出たものであるから、被告人は結局無罪に帰着すべきものであると弁疏するので、以下その当否を審按する。

そこで本件公判に顕われた全証拠(但し次の認定事実に抵触する部分はこれを除く。)を綜合すると、次の事実を認定することが出来る。すなわち

一、(両者の間柄)被告人と小島とは相共に鹿沼市上久我に生育し、終戦後相前後して、魚屋を開業したものであるが、両者の住居は僅か七、八町位の間隔しかなく且つ、その行商範囲も同じの同業者として顔見知りのため未だ喧嘩はしないが、商売仇として必ずしも懇意の間柄でなく、なかでも小島は被告人に対し不快の念を抱いていた。

二、(性質素行)被告人は平素どもりで口重く、酒を飲めば朗らかに陽気となり、これまでに他人と喧嘩をした風評は殆どなく(武田証言)、どちらかと言えば、あつさりしてお人好しであるが、ぐずであり、愚直と見られる性質であるのに、小島は短気で自分の言つたことを何処までも通し(妻トヨ証言)、一国で平素でもしつこくからむ方であつて、他人と口論喧嘩をしたことは尠くなくとかく酒癖は悪い(荻原証言)性質である。

三、(当時の酩酊の程度)昭和三十三年一月一日、被告人は平常のとおり商売に出て、午後三時頃から夕方頃までの間、立寄り先三個所で祝酒として合計清酒三合位と焼酎五勺位とを御馳走になり、平素の適量を稍々上廻る程度の酒で酔い相当好い気分になつていたが、分別のつかない程度でなかつた(大貫清証言)のに反して、小島は暮の晦日の晩から飲み続け(前同証言)、同日も午後二時頃から部落の新年宴会外一個所で清酒合計約七、八合を飲んで相当酩酊し、立寄先大橋正之助方では少し休ませて貰つたが(小島証言)、それでも平素の適量を遙かに超える酒量のためグデングデンの酔払らい振り(小島トヨ証言)であつた。

四、(小島の転落)当日午後六時過ぎ頃、被告人が魚箱を載せた自転車に乗つて加蘇神社へ通ずる県道を西から東え自宅に向い帰ろうとして上久我馬返部落内神山昭方前附近に差し蒐つた際、後から追越して自転車で行つた男が小島と気付いたが、小島が被告人の約三間程先の道路左側畑の中に車諸共転落したので、被告人は下車してその場所に近づき、小島に対し、「善やんどうしたい。怪我しねいかい。」と見舞の言葉をかけたところ、小島は何か返事をしたようであつたが、はつきり聞き取れなかつた。そして小島は起き上り又自転車に乗つて先へ行つて仕舞つた。

五、(観音堂先での交渉)被告人がそれから約五百米ある観音堂先まで行くと、小島が自転車から降りて待つており、被告人が近づくと、小島は両手を一杯に拡げて、「止まれ。」と言つて前進を妨害したので、下車して止まると、「喧嘩すべや。」と言うので、被告人は「今日はお朔日のことだし喧嘩してもしようがない。俺が家まで送つて行くから帰るべや。」と言つて、小島をなだめ、二人共自転車を押し歩いて、別段何等の言葉のやりとりなく、小島方まで行つた。

六、(小島方での暴言等)被告人は小島より稍々遅れて小島方へ這入り、煙草を一息つけながら、小島の妻に対して、「善やんを送つて来たよ。」と声を掛けて板間の上り端に腰をおろすと、小島は居間に上つて、一升壜から焼酎を茶碗に注いで独り飲み初めながら、「お前に呑ませる酒はない。」と言うので、被告人は「自分は飲んでいるから沢山だ。家に帰るんだ。」と返答すると、小島は「この蛆虫野郎。」と怒鳴つたので、「正月から蛆虫野郎とはひどかんべ。蛆虫野郎は何処に這つて行くか分らないぞ。」と言つてやつたら、小島は被告人を目がけて拳固で頭を殴つて来たため、腕で防いだが、頭と腕を続けざまに二、三回程殴られ、小島の妻が右殴打を制止した際、「今日はお元日だし同業者であり子供まであるのに、喧嘩してもつまらなかんべ。」と言いきかせたところ、小島はなおも殴りかかるので、殴られまいと思つて、僅か五分足らずして急いでそこより外へ出て、表入口の道端に置いた、約十三、四貫程の重量のある魚箱の積載してある自転車を東の方え押し出して帰ろうとした。

七、(須永祐作の仲裁)かくて被告人は同所上田ハナ方柿の木前県道上において、自分の自転車の魚箱を靴下履きのままの姿で後から追駈けて来た小島のため握られて仕舞つたから、逃げ出る訳に行かないばかりか、魚箱諸共自転車を左右に二、三回揺り倒された。その頃、小島の妻も家から追つて来て夫を掴かみ、被告人に逃げて貰らうつもりで、大声で怒鳴つてこれを制止しようとするけれども、一向夫が手を離してくれない。かくてこの騒ぎに飛び出して来た須永祐作が仲裁に這入つてくれて、先づ小島を取押えたうえ引離してくれ、同所須永久方前辺で、被告人に対し「逃げろ。」と言つて足で被告人の自転車を蹴り出してくれたので、漸く被告人は前進することが出来た。一旦小島は引分けられたにも拘らず、須永が手を離すや、又も被告人の後を追駈けたが、その辺が暗くて姿が見えないものか、一、二分にして戻り、遂に小島は自宅に向つて独りで帰つて仕舞つた(須永証言)。

八、(大貫清方での挑戦)被告人は右祐作の仲裁により漸く虎口を脱し小島がなおも追駈けて来るような事は最早あるまいと思つたので(被告人供述)、同日午後三時半頃立寄つた際の用件を思出して、帰り途にある大貫清方え同日午後七時三十分頃立寄り、煙草を貰らいながら炬燵にあたつて世間話をしていると、三十分程経過した午後八時頃、長靴に履き替えて来た小島が、何の断りもなく黙つて右清方表硝子戸を開いて家の中に這入り、さらに居間の障子を明けて、被告人の姿をみて被告人に対し、何べんも「新公表へ出ろ。」と繰り返して怒鳴つているので(大貫清証言)被告人は「なんだ、善やん又ここまで来たんかい。俺は喧嘩をしないと言つたら何処までも喧嘩はしないんだ。」と返事をしたところ、小島は「表へ出なければ自転車を持つて行く。」と言い放つて被告人の悪口をならべ初めたため、大貫清が正月早々黙つて他人の家へ這入り込み喧嘩しに来るとは迷惑千万だふざけた真似をするなと言つて立腹し、右清と善重とが口論しかけたので、右清に便所に行く振りをして席を立つて貰らつたその隙に乗じて外へ抜け出して、向側池上方軒下に置いてあつた自転車を押し出し、これに乗つて夢中で自宅に向つて急いだ。その頃別に喧嘩をする気配はなかつたが、小島は自宅へ戻らないで、早くも表県道右側に待機していて、被告人が出掛けると間もなく、空自転車に乗つて後を追うように同一方向東の方へ下つて行つた。

九、(現場までの模様)次いで被告人が前同県道を東へ進んで早川熊作方前辺へ来た際、後から追駈けて来た小島より「待つていろ。」と呼びかけられ、続いてその先の檜佐マツ方前道路の進行方向左側を走つていた際には、その道路の左側の端を自転車姿の小島に追い越されたが、その間別段両者間には言葉のやりとりはなかつた。

十、(現場での格闘)被告人は引続き県道左側を走つて行くと、同日午後八時三十分頃、上久我寺山部落内小林福一方前辺で、小島が自転車を横向きに置いて進路を塞いでいるため(神山登証言)、約四尺ばかりの間隔はまだあつたが、道路の両側は石がゴロゴロして路面が悪く他に避けられなかつたので、そのまま車を止め下車しないでいると、小島は早速被告人の車の後に廻り、車体を立てかけ、左横に近寄つてやにわに、被告人の後頭部を一回拳固で殴りつけて来たので、左側へ下りて自分の自転車の後方道路の中央辺へ逃げたところ、被告人は小島のため追付かれて左腕を捕えられ捩られたが、これを一応振り切つたものの、このままではどんなことをされるか分らないと怖ろしく思つて、遂に相手にかかり、両者の取つ組み合いとなり、そのまま砂利で凸凹の甚しい路面に一諸になつて真横に倒れて格闘となり、お互に二、三回ほど上になり下になりゴヲロゴロ転がりながら、殴り合いが初まつて小島から目茶苦茶という程何回となく頭や顔を殴られ顔をひつかきむしられたので、被告人も亦右手の拳固で四、五回小島の頭や顔等を殴り返へしたが、被告人が仰向きになつた小島の上に馬乗りになつた際には却つて小島から両手の親指を逆にきつく握られ自由を失つたため、救援を求めて「助けてくれ。」と叫んだところ間もなく現場を神山登外四名の若い衆が自転車で通り合わせたので、被告人の方から「善やんを何とか押えてくれ。」とたのんだため(神山登証言)、若い衆に仲裁に這入つて貰うことが出来たが、引分けられた後も、「こんなに傷つけられて承知しないぞ。」と叫ぶ小島から、引続いて何回も追駈けられ、石など投げられて頭に瘤が出来たほどだし、又何かやられそうな気配もあつた。かくて小島は若い衆に取押えられ両抱えで自宅へ連れ戻らされたが、被告人は独りで帰宅した。この喧嘩によつて、小島は頭部に打撲症(小島トヨ証言)を受けた外全治約四週間を要する左化膿性全眼球炎の傷害(吉沢医師診断書)を受け、元来左眼はほし眼として視力のないところ義眼に入れ換えざるを得なくなり(小島証言)、被告人も亦頭部顔面等に打撲症(大貫フジ証言)を受けた外全治約八十日以上を要する左肘関節部打撲症の傷害(石島医師診断書、被告人供述)を与えられたものである。

しかして全証拠を彼此照合検討してみると、被告人の供述には細部の点において多少の差異変化が窺われないこともないが、大筋においては終始一貫し克明詳細を極め真実性に富む部分が多い。しかるに小島の供述には、例へば、(一)小島が大橋正之助方を出たのが午後八時頃で現場で喧嘩して倒れたのが夜の八時頃とあるから、時間の点は当てにならない。(二)須永祐作による仲裁引分の際における「その後大貫清方で被告人が待つている。」との点は同仲裁人のはつきり否定しているところであつて虚構も甚しい。(三)小島が池上方前から後を追うため被告人と反対側の道路右側に待機しながら現場に及んで被告人の車の左側に位置したこと(小島の指示説明)は小島において右側を追越して先廻りして左側に及んだとの立証のない以上矢張被告人の車の左側を追越した事実を裏書きするものである。(四)現場における両者の車の置場所に関する小島の指示説明(検証調書添付写第二〇)は被告人のそれ(同上一九)の場合と比較するまでもなく遙かに神山登証言に合致していない。(五)被告人から石で殴打されたと強調する点は検察官も取上げていない等、種々喰違う部分が多い。従つてその証言は被告人の供述に照らして信憑性に乏しい。

しかも妻小島トヨの証言についてみるも、例えば、妻の立場として、前記上田ハナ方柿の木前附近における小島の被告人に対する追跡の際は先づ夫善重の手を車台より引離して被告人を前進逃避さすべきにも拘らず徒らに被告人の緩漫振りを責める如く騒いだり、次いでその先須永久方前における引分の際は先づ夫善重の体を押えて取敢えず連れ戻るべきにも拘らず祐作に委せた如く独り自ら帰宅するという省みて他を言う無責任振りであつて、その証言はいずれも夫からの伝聞証言か又は夫庇護の証言が多くて、到底これを全面的に信用することは出来ない。

以上のとおり前記認定事実に反する証拠は措信出来ず且つ、前記認定事実を覆えすに足りる他に証拠は存在しないから、前記認定の一連の事実によれば、当時小島において、頼みもしないのに送つて行つてやつたという被告人の挨拶が癪であるとの言分があるにしても、被告人の単なる親切心に出でたる見送りの厚意を理解しようとせず、これを無視して被告人に対して敢て非礼極まる侮辱的言動をなし、被告人が小島方から既に辞去した以上再三の制止を肯かないで殊更被告人を追跡して見送りの訳をしつこく追究すべき理由も実益も毫末見出されないにも拘らず、見送られたとする区間より遙かに遠い本件現場まで態々被告人の後を追い詰め、加えるに、被告人の進路を妨害したうえ被告人に対し再び殴打暴行の暴挙に及んだものに相違なく、勿論被告人をなめ切つた挑戦的心情の発露に外ならないので、被告人にとつて正に急迫不正の侵害である。小島のかかる最後の追撃戦に対して元来応戦の意思のない全然手出しをしていない被告人の生命、身体及び財産は正に危殆にひんしている。逃げ切れないで格闘に及び小島に対し手拳の殴打を加えたのは、己むを得ない自己防衛の反撃と謂わなければならない。

ここにおいて、検察官は本件現場における小島の車と被告人の車との間に約四尺ばかりの間隔があつたことを以つて未だ逃避する余地のあつた状況下であると被告人を非難しているが、検証調書添付写真でも明らかなとおり、本件現場はその幅員において前記上田ハナ方柿の木前辺より遙かに広いが、路面はバスの轍以外却つて凹凸が甚しいから、月まわりの薄暗い当夜しかもかかる悪路を横断又は斜断して逃避する場合において、白昼空車を操縦するような早業を望むことは到底出来ない。被告人は進路の妨害と殴打の一撃を受けて前進を断念し、貴重な商品を放置したまま単身後方に逃避したが又もや左腕に暴行されて生命身体の危険を感じ、恰も「蛇に狙われる蛙」の如き絶対絶命の窮地に追い込まれたも同然であるから、かかる状況下においてなお且つ被告人に逃避を要求するは酷に失すると言うべきであつて、しかも小島の暴挙を不問にしたうえ被告人に難きを強いる検察官の見解には到底賛成出来ない。

更に被告人が後日示談したとか又は小島方を訪ねたこと等は被告人の所為における正当防衛の成立に何等の消長を来たすものではない。

してみると、本件は小島善重の急迫不正なる侵害に対し被告人において自己の生命、身体及び財産の権利を防衛するため己むを得ずなしたる反撃行為であるから、本件は正に刑法第三十六条第一項に該当する。

よつて刑事訴訟法第三百三十六条第一項前段に則り、本件公訴事実につき、被告人に対し無罪の言渡をなすこととしたうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 遠藤昌義)

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