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宮崎地方裁判所 昭和41年(わ)316号 判決 1968年4月30日

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の概要

被告人は、宮崎市立青島中学校教諭であり、昭和四一年八月一二日から同月一四日までの間、学校教育の特別教育活動による同校の生徒会活動の一環として行う同校青島七区部落生徒会のキャンプ実施に際し、同中学校長の命を受け、同校教諭柴原毅とともに、その指導の任にあたり、同年八月一二日同生徒会の黒木順子(当時一四才)外一〇名の生徒を引卒率して、宮崎県北諸県郡山之口町所在同町町営青井岳キャンプ場でキャンプを実施した。このようなキャンプ設営をするための生徒の引率にあたる教諭たる被告人としては、キャンプ設営に際しては、その職務上生徒の生命身体に対する危険の発生を未然に防止するため事前にキャンプ場の実施踏査を行い、更に同月一三日には南方洋上に熱帯性低気圧の発生したこと、右キャンプ予定地が山間部の渓谷に位置することから、急激な増水のため水難事故発生のおそれもあつたので気象状況には特に注意し、キャンプ設営場所は安全なところを選定するとともに、天候の急変等に即応して日程を変更し設営を中止し、もつて事故の発生を未然に防止する注意義務があつた。然るに被告人は右注意義務の全てを怠り、悪天候をおして漫然右黒木外一〇名の生徒を同月一三日午前九時三〇分頃、前記キャンプ場付近の境川中央に位する岩石、砂利混淆の長さ約一〇〇メートル巾約三〇メートルの中州にキャンプを設営させ、同日午後一〇時頃から降雨のため境川が漸次増水しつつあることを知りながら、何らの措置も講ずることなくキャンプを続けた。ところが翌一四日午前六時頃から、同日午前九時三〇分頃に亘つて右境川が増水氾濫し、右被告人の過失の結果、右生徒等一一名を同中州に孤立させて、避難並びに救助不能の状態に陥らせ前記柴原毅がやむなく右生徒等をキャンプ用のテントを浮袋代りにして右中州より脱出せしめようとしたが、力およばず激流に押し流され、よつて同日午前九時三〇分頃、右生徒のうち黒木順子、増田和子、冨永吉子(以上いずれも当時一四才)、高畑菊代、鈴木喜志代、湯浅富美代、湯地美恵子(以上いずれも当時一三才)、長友はま子(当時一二才)の八名をそれぞれ同所付近で溺死させた。

当裁判所の判断

第一被告人の義務及び結果の発生までの経緯について

被告人は中学校教諭であり、青島七区部落生徒会のキャンプ実施は文部省の学習指導要領で特別教育活動として分類されている生徒会活動の一環としてなされ、生徒の引率は校長の命を受けた被告人の公務であり、その目的は教師としてキャンプ等の生徒による野外活動に往々にして伴う危険から生徒を保護することにあり業務上過失致死傷罪にいう業務に該当するものであること及び被告人は昭和四一年八月一二日正午過青島中学校生徒黒木順子外一〇名を引率して宮崎県北諸県郡山之口町所在の青井岳キャンプ場へ向うべく出発し、同日午後三時頃国鉄青井岳駅に到着したが、当時は降雨であつたため等もあり当夜のキャンプをあきらめ山之口中学校天神分校に生徒らと共に宿泊した。翌一三日午前九時頃同分校から右キャンプ場へ赴いたが、同キャンプ場では折からの雨のためキャンプ場が汚れていた等の事情のため同所を流れる境川の中州にテントを張りキャンプを設営することとした。同日午後同僚教諭柴原毅が応援のため来て一行に加わつた。

その様にしてキャンプ設営をなし、翌一四日午前六時三〇分頃被告人が目をさました時にはトランジスターラジオが台風一三号の接近を告げ、境川の水流は著しく増えており直ちに生徒らを同所より避難させるべく荷物をまとめ、被告人のみどうにか対岸に渡りつき生徒らの脱出方法、場所等を考えていたが、急激な増水のため生徒らの脱出方途もなくなり、被告人は警察官派出所へ救いを求むべく現場を一時立去つた。その間生徒らの孤立した中州は増水のためわずかの未水没地を残して激流に洗われたが同日午前九時三〇分頃、右同僚教諭の柴原毅は生徒らを水中に飛び込ませ対岸にたどりつく以外に方法はないと考えキャンプ用テントを浮袋代りにしてこれに生徒ら全員を川に入らせた結果濁流に押し流されて柴原教諭及び起訴状記載の生徒八名は溺死するに至つた。

右の事実は、被告人の当公判廷における供述、同人の司法警察員及び検察官に対する供述調書、並びに関係人の各供述記載を総合して認めることができる。

第二第三者の行為の介入と本件事故発生の因果関係について

被告人につき具体的注意義務違背の有無を判断するに先だち被告人の行為と本件事故の間に因果関係がないという弁護人の主張につき判断する。

すなわち弁護人は本件は被告人が現場にいない不知の間に被告人と共に引率のため来ていた柴原毅教諭が独自の判断で早まつて中州からの脱出を図りキャンプ用テントを浮袋代りとしてこれにつかまらせて生徒全員を濁流中に入らせた結果であり、当時中州は未だ全員留るに足るだけの水没しない部分はありそのまま留つておれば生徒の入水直後より増水はおさまり押し流される結果の発生はあり得ず、右柴原教諭の行為の介入前の被告人の行為につき注意義務違背の有無を検討するまでもなく、被告人の行為は本件結果との間に因果関係を欠き罪とならないのである。

この点に関しては、証人井上孝三郎、同島中忠博(以上生徒の生残者)、同川越重孝、同西下勝治、同西平勇平、同高野稔、同岸本敏衛門、同管幸佑(以上救助のため現場付近川岸からの本件事故目撃者)の当公判廷における各供述(但し証人管については公判廷外の尋問結果)、島中忠博、井上孝三郎、安永利行、岩元徹郎の司法警察員に対する各供述調書によれば、柴原毅教諭が中州には未だ生徒ら全員が留つているに足るだけの未水没個所があるのにテントを環状にしてこれに生徒全員をつかまらせて濁流の中に入つて行き、その際被告人は現場たる中州及び対岸には居なかつたこと、その後徐々に増水はおさまり水位は下つていつたことはこれを認めることができる。然し右各証拠及び被告人の当公判廷における供述、検察官及び司法警察員に対する各供述調書によれば、当時の状況は次の如きものであつたことが認められる。すなわち、被告人が中州から南岸にたどりつき生徒らの中州からの脱出方法を考えて同所に居た時点には既に相当量の増水のため生徒らを脱出せしめる方途はなく中州に孤立させた状態であり、その後被告人が南岸から北岸の方へ迂回している間の同日午前九時三〇分頃右柴原教論は生徒全員を水中に入れる前記方法を採つたのであるが、当時は約二、六〇〇平方メートルもあつた中州が僅か畳一、二枚の広さを残して水没し、それが激流のため刻々と崩壊し荷物は次々と流され、足元を流砂が洗い増水のためその巾五、六〇メートルにも達した激流は、激しい雨音と相まつて対岸の者の声も全くかき消される程の水音を立て、依然増水しつつあるものと考えられた。そのように約二時間三〇分も中州に孤立したまま救助されるあてもなく放置されて、前記状況下に寒さと不安のため顔色もなく震えていた生徒らを中州から脱出させる以外にないと考えて右柴原教論が生徒を泳いで対岸にたどりつかせるべく生徒らを水に入らせ、生徒らが全員これに従つたことは当時の右各事情及び中州に居る者の不安感等の心理状態からは極めて自然の成りゆきであつたと認めないわけにはゆいかない。「まつておれ」とか「早まるな」と対岸から一部の者が身振りで示したとしても「あのままいても助からないと思つた」「泳ぐより方法がないと思つた」という目撃者の当時の判断(証人高野稔、同川越重孝、同西平勇平の各証言)からも認められる様に、右の如き状況の中州に孤立した者が脱出を図ること、それにより溺死等の結果の発生し得ることはわれわれ通常人の経験則上一般に予期し得ることと言わねばならない。従つて、右柴原教論が生徒を入水させる処置を採つた直前の状態に至つたこと、すなわち生徒らを中州に孤立させ脱出、救出を長く不能の状態に陥らせたことにつき被告人に過失ありとすれば右被告人の注意義務違背は柴原教論の行為の介入があつたとしても、本件結果との間に相当因果関係は否定し得ないものと解される。

第三本件キャンプ地及びその周辺の概要

被告人の過失の有無の判断については、当キャンプ地及びその周辺の状況が重要な意味を有しているのでこの点につき概観する。

司法警察員作成の実況見分調書(三通)、中村敏夫、道久研、下西重雄、島中忠博、被告人の司法警察員、検察官に対する各供述調書、当裁判所の検証調書によると事故発生地付近は鰐塚県定公園の一部である宮崎県北諸県郡山之口町大字山之口青井岳国有林一〇三班付近に所在し青井岳キャンプ場或は青井岳キャンプ村と呼称され昭和三五年頃から山之口町営(但し発足当初は山之口村営)のキャンプ場として、山小屋、井戸、便所、売店、プール等の設備を有し、テントの貸出しもなし、シーズン中(七月―九月)は管理人一名 常駐し近年は毎年一万五、六千人のキャンパーの訪れるところとなつていた。付近の地形等はキャンプ場は鰐塚山系、青井岳山系の渓谷を流域とする境川の迂回地点川岸に位置し被告人らがキャンプを設営した場所は右キャンプ場の山小屋の南方直下にある境川内の砂利、岩石等が高さ水面上約一、五メートルないし二メートル、長さ約一五〇メートル、巾約三五メートル(何れも本件事故直前)の長楕円形ないし紡錘形をした中州のほぼ中央地点である。

第四被告人の具体的過失(注意義務違反)の有無

検察官は生徒がキャンプ等の野外活動を実施する際の引率教諭としては、危険防止のために(一)事前に実施踏査を行う義務、(二)気象状況を確実に把握する義務、(三)安全な場所をキャンプ設営地として選定する義務、(四)天候の変化等に応じてキャンプを中止、変更するなどの措置をとる義務があるが被告人には、これらの全てを怠つた過失があると主張するので以下順次検討を加える。

一、事前実施踏査の義務

そこで本件キャンプの設営につきその義務違背があるかにつき検討すると、当青井岳キャンプ場は、前記の如く種々の施設を有し、シーズン中は、管理人も常駐しており、毎シーズン一万数千人の利用する著名な公営キャンプ場であるうえ、証人島中忠博、同井上孝三郎の当公判廷における各供述、被告人の司法警察員、検察官に対する各供述調書によれば、既に同キャンプにおいて、キャンプの経験を有している者が参加生徒中三名おり、このことは、被告人も知つていたこと、更に被告人は国鉄日豊線の列車内から度々望見したこともあることが認められる。そればかりでなく、被告人は八月一〇日に生徒から申込を受け、本来の青島七区担当者たる高妻教諭に代役を頼まれ生徒の引率を承諾した八月一一日高妻教諭を通じ、山之口町役場へキャンプ場利用、テント予約の申込みをなし、当キャンプを実施した前日の八月一二日には降雨をみたためもあり一旦生徒らを山之口中学天神分校に留まらせてキャンプ場へ自ら行つてテントを予約すると共にその状況を現実に観察しているのであつて、右の各事実から考えると、被告人は、当キャンプを現実に実施する前に既にキャンプ場及び周辺の地形、環境については把握していたものと考えられるし、気象についても、八月一一日以前は快晴続きであり事前実施踏査は参考となり得ず意味がなかつたものと考えられ仮に、それ以前に当地に足を運んでも右被告人が把握していた以上の状況を認識することは無かつたものと考えられる。

事前の実施踏査が要求される理由は、危険発生に関する未知ないし不確定的要素を確実に把握することにあると解されるが、事前踏査によつて認識されるそのような要素は本件の如きキャンプ場についてはほとんど考えられず、事前踏査の義務があるか否かについて疑問であるばかりでなく、前述の諸事情を併せ考えると被告人が県教育長発の「夏期休暇中の児童生徒の野外活動における事故防止について」と題するプリントを受け取り、その中に実施踏査についての注意があつたとしても被告人についてその義務違背ありとは言えないものと判断する。

二、気象状況を確実に把握する義務

この点に関して、被告人の当公判廷における供述、司法警察員、検察官に対する各供述調書によれば被告人はキャンプ地へ出発する日である八月一二日の朝ラジオで「曇ときどき雨」との予報を聞き、九時頃学校に出て新聞の天気図により南方に熱帯低気圧の発生を知り気がかりとなつたが、天気予報などからキャンプができない様なひどい天気にはなるまいと判断した。そこでトランジスターラジオを携帯して、キャンプのため生徒と共に出発したが同日午後七時頃には「雨のち曇」と天気は快方に向う様な予報を聞き、翌一三日の午前七時頃には「山間部では曇ときどき雨」と少し天気の悪くなる様な天気予報を聞き、当日の夜間は特に天気予報は聞いていないが降雨状況等を現認して出水のおそれはないと判断し、更に翌一四日朝六時三〇分頃熱帯性低気圧が台風に発達して沖繩付近にあり、山間部では今後五〇ないし一〇〇ミリの降雨を見るとの大雨注意報を聞いている旨述べており、ほぼこれに沿う天気予報等がなされていることは、宮崎気象台長NHK宮崎放送局長作成の各「回答書」及び「証明書」と題する書面によりこれを認めることができる。夏期等に、熱帯性低気圧が南方洋上に発生し後日これが台風に発達し九州地方に接近し風雨をもたらすこともあるが、これが発生した場合もその後の進路、発達状況、その他の気象条件等により何らの影響をも与えない場合も多いことは経験則上明らかであり、一二日に熱帯性低気圧が発生しており被告人は、これを知てついたとしても、キャンプ引率が決まつてから一日に一、二回の割でラジオの天気予報を聞くなどをなし、それによつて、前述の如く気象状況を把握しており、前記各回答書により各時点の天気予報の内容を検討してみても、この点に関する証人黒木義秋(宮崎地方気象台技術課長)の証言からみても、被告人の気象状況の把握が甘きに失していたとは認められず、これについての義務違背の有無については本件各証拠上消極に解さざるを得ない。

三、安全な場所をキャンプ設営地として選定する義務

次に問題となるのは、被告人が境川の中州上にテストを張つてキャンプを設営したことに過失が認められないかである。

この点に関しては、道久研(管理者たる山之口町土木課長)下西重雄(同町町長)の司法警察員および検察官に対する各供述調書によれば同人らは中州は当キャンプ場の範囲に含まれるとは考えていなく正規のキャンプ場は、便所等のある東方(川下)の雑木林内及びプール横の杉林内のみに限られ、中州にテントを張るというのは予想外である旨述べ証人管幸佑(同キャンプ場の常駐管理人)も今までも中州にテントを張つたのを見かけたこともないし、被告人が中州に張ろうとした際増水の危険があるからこれを止める様注意した旨証言している。

そこでキャンプ設営場所として中州は除外されていると考えられていたか否か、更に、管理人管幸佑が被告人がキャンプする際そのことを注意したとする証言の信ぴよう性について検討を加える。

なる程、山之口町が国有林を正式に借受けている区域は右杉林から雑木林までの範囲であることは宮崎営林署長の「回答書」と題する書面等により明らかであるが青井岳キャンプ場ないし、青井岳キャンプ村と呼称されるものが右範囲に限定されると一般に考えられていたか否かは、以下に述べる事情を考慮するとき極めて疑問である。すなわち、右キャンプ管理の責任者たる前記下西重雄、道久研の前記各供述調書によると町の担当係員やキャンプ場の常駐管理人に対し、本件発生までかつて一度もキャンプ場の範囲を明確に指示、説明したことは無かつたし、昭和三八年頃キャンプ場の案内板を林道からの入口に立てたことはあつたが、すぐに破壊されてしまい、その後はキャンプ場の範囲を示す標識等も一切設置したこともなく、又同年頃本件中州南の対岸も含めて公園整備計画を県宛に申請していることが認められ、管理人の管幸佑さえもその証言においてキャンプ場の範囲はよく知らなかつたと述べている。

又以下の各証拠によれば、本件キャンプ場の雑木林、杉林のみならず、中州南の対岸の河原にもキャンプが現に行われていたことが認められる。

中園洋子の司法警察員、検察官に対する各供述調書によれば同人らがキャンプに来た八月一二日には、中州にはすでにテントが二張張つてあり他に何組かのキャンプをした形跡が認められ、同夜は、右中園らは中州のほぼ中央地点にテントを張つてキャンプをしている事実が認められるうえ、従前中州上でキャンプの経験ありという証人西平勇平の証言もあり、証人川越重孝(付近住民)の証言では、今まで中州にテントを張つているのを見たがこんな事故もなかつたし、当然のことと思つていたとのことであり、又中州にも対岸の河原にも当夜及び今までキャンプをしているのを目撃している者も多数いる(証人岸本敏エ門、同高野稔、同川中幸明の各証言、被告人の司法警察員等に対する各供述調書)ことも認められる。

前示認定の如き、当キャンプ場の範囲は、全く指示されたこともなく境川の中州や河原も当然それに含まれるものと一般の利用者には考えられキャンプが行われていた事情から中州のみがキャンプ場から除外されていたと考えるとする前記山之口町当局者の各供述は信用できず、一般利用者や被告人らがキャンプ場の範囲内と中州を考えていたこともあながち不当であるとは認められない。のみならず被告人らのキャンプ実施日に接近した日に当キャンプ場で行つた中園洋子の前記各証拠、石川忠仲、松田敏の司法警察員に対する各供述調書、証人石川紗智子、同川中幸明、同松浦茂義、同西下勝治の当公判廷における各供述によれば、何れも管理人管幸佑からはキャンプ場の範囲、キャンプ場所等について指示等を受けたことは一切なく、かえつて、右中園らは中州にテントを張つていい旨の管理人の返答を得てキャンプしており、更に、湯浅真知子、井上孝三郎の司法巡査に対する各供述調書、島中忠博の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、証人井上孝三郎、同島中忠博の当公判廷における各供述、被告人の当公判廷における供述および前記供述調書によれば被告人らは右管理人から、林の中にあるテントを持つて行つて中州に張つて下さいと言われて中州に張つたこと、その際テントの使用料を被告人は同管理人に支払つていることが認められ、以上の各事実から右管理人が被告人に対し中州は危険だからキャンプを止める様注意したとする前記証言は信用できない。

以上の諸事実に加え、前記第三記載の通り、右中州は、当時高さ水面上約1.5メートルないし2メートル、面積約二、六〇〇平方メートル余もあり、前記キャンパー並びに、参加生徒、被告人らの供述等の各証拠によれば、境川の水流は足のくるぶしまでの程度(水深一〇センチないし二〇センチ)しかなく右中州が南側の護岸及び対岸から各約一〇メートル離れた場所であるとは言え同所がキャンプ設営地として危険であると判断しなかつたことが必ずしも理由がないものとは言えない。そのうえ、被告人が右中州をキャンプ設営地としたのは、以上の諸事情の外に右各証拠によれば当時雑木林内のキャンプ場所が残飯等の汚物が散乱し、これにハエが群がる程汚れており汚物と便所の異臭が一帯に満ち、付近は雨のため濡れそぼつており、食事をしたりキャンプを張るに耐えないと考えていたところそれまで中州でキャンプをしており、帰途についていた前記中園洋子から中州はきれいだから中州のテントを使つて下さい、自分らもテントを片付けなくてすむと勧められたうえ管理人も林の中のテントを持つていくことを指示し、中州にあつた二張のテントをそのまま利用し、更に、運びこんだテントを一張りその上流地点に張つたこと、当時降雨は間断的に降つていたとはいえ、小雨の程度で境川の水流を見ても増水の徴候は全く認められなかつたことでもあり、以上の各事情を綜合するとき被告人が中州をキャンプ場所と選定したことに過失ありと断定することはできない。

四、天候の変化等に応じ、キャンプ設営を中止、変更するなど危険回避の措置をとる義務

次に気象の変化、増水状況等に応じ機を見てキャンプの設営中止、変更するなど危険回避の措置をとるべき義務違背の点について検討を加える。

湯浅真知子、井上孝三郎の各司法巡査に対する、島中忠博、被告人の各司法警察員および検察官に対する各供述調書

証人井上孝三郎、同島中忠博、被告人の当公判廷における各供述によれば、一二日に国鉄青井岳駅に降りてから雨になつたので一時山之口中学天神分校に生徒らを留まらせ、被告人が一旦同所から約1.5キロメートル離れたキャンプ場に赴きキャンプ場の状況、降雨状態から見て、当夜は、同分校の教室内で宿泊させ、翌一三日は、九時過頃出発したが出発後にわか雨に降られたが、降つたり止んだりで大した雨でははく、キャンプ場を流れる境川も全く増水の徴候はなく前記の事情下に中州にテントを張つたことが認められる更に当日被告人の応援に来た柴原教論や被告人が夕方一旦は生徒らに対して帰ろうかと生徒らに促したこともあるが、これは増水のことを考えたからでははく、薪が濡れていて火がつかなく炊事に難渋したり、衣服やテントがぬれてキャンプ活動をしても愉快でないために言つたことと認められる。又その後も相変らず小雨が断続的に降る程度であり境川の水位は何ら変つていないことは、生徒の湯渡真知子は就寝前の午後一〇時三〇分頃は雨は降つていたが水の量は来た時と同じであつたことを知り、島中忠博は、翌一四日午前二時頃テントを直すために起きた際に川の水で足を洗つたが水は増えていなかつたことを見ており、被告人も一三日の午後一一時頃生徒らのキャンプを見回つた時川の水面を懐中電燈で照らして見たが川水の量に異常はなかつたことを認めているし、翌一四日右島中と女生徒らは、五時頃からトランプをテント内で行つているが増水や異常な雨の気配は感じていない。従つて、この間に増水に対処してキャンプ設営を中止、変更する必要のある程の事態の変化は本件証拠上認めることができない。ところが、右各証拠によれば、一四日午前六時三〇分頃被告人が目を覚した際ラジオで熱帯性低気圧が台風に発達し、沖繩付近にあり、今後山間部では、五〇ないし一〇〇ミリの降雨があるという大雨注意報を聞き、直ちに、テントから出て川面を見た時には相当の増水をしており、生徒らが対岸へ渡れないおそれもあつたので、直ちに柴原教論と共に生徒らを起し荷物などをまとめさせ、中州からの脱出のために中州から対岸のキャンプの協力でロープをつたつて南側の対岸に被告人が泳ぎつき、同所から生徒らの脱出するための場所を探しているうちに全く急激に増水し、中州からの脱出及び救出は不可能となつたこと、この間に被告人は、荷物等の片付け、ロープを張つて対岸にたどりつくこと、対岸から脱出口を探し歩いていることが認められ、それから直ちに救助を求めに走つているのであつて午前七前二〇分頃にはすでに川越重孝が対岸にかけつけていることから考えても、極めて短時間の間のことであつたと考えられる。

以上の経過から見て本件事故発生に至る前である一四日の午前五時頃までは、直ちにキャンプを中止したりする必要を感ずることはあり得ず、同日午前六時頃からの急激な降雨のため一時に同河川が増水氾濫し、被告人が同所から生徒らを脱出させようとした時は、もう生徒らが脱出することは無理な程の激流と化し手の施し様がなかつたことが認められ当時の出水はその時点までの前日来の雨の影響も否定し得ないとしてもこの様な降雨、増水の状況下で被告人につきキャンプ設営を中止、変更し、危険の防止に必要な措置をとることの義務違背を問うことは、不可能をも強いるにひとしく疑問であると言わざるを得ない。

そこで進んで、本件事故の原因たる右異常な降雨、出水の面から、被告人の責任について検討を加えることとする。

第五本件事故発生の原因たる異常な局地的集中豪雨、及び境川の増水について

一、従来及び本件当時のキャンプ場周辺の降雨量及び境川の増水状況、道久研の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、中島実、川越重孝の司法巡査に対する各供述調書、証人高野稔の証言、建設省宮崎工事々務所長作成の回答書「日雨量年表」によれば、キャンプ地周辺たる青井岳地区は急峻な山に囲まれた多雨地帯であり、県内他地点より比較的降雨日数、降雨量が多く、更に境川は山間の渓谷を流れる急流であるため降雨による増水も著しいことが認められる。

そこで、先ず、当キャンプ場より約二キロメートル境川の上流地点の青井岳駅構内にある建設省青井岳自記雨量観測所の観測結果(建設省宮崎工事事務所長作成の「回答書」と題す書面)により、当観測所設置の昭和二九年来の事故当日前に至る一三年間の一日の雨量について見ると四〇〇ミリを超えたもの昭和三〇年一回、三〇〇ミリ以上四〇〇ミリ以下は三回、二〇〇ミリ以上三〇〇ミリ以下は一二回記録していることが認められ日雨量が二〇〇ミリを超えるのは一年に一回程度であることがわかる。一方同工事事務所調査課長作成の「証明書」と題す書面によつて見ると本件事故の発生した昭和四一年八月一四日の日雨量は四六八ミリに達し、事故直前の同日午前六時から九時までの三時間のみでも二〇三ミリを記録している。このことは、日雨量の合計では、かつて過去一三年に一回しか記録しなかつた降雨が、又事故直前の三時間では一日の降雨量にしても一年に一度程度しかない二〇〇余ミリという全く記録上異例の異常な集中豪雨があつたことを明らかにしている。一日二〇〇ミリの降雨でさえ証人黒木義秋(宮崎地方気象台技術課長)は宮崎市内の降雨量では最近一〇年間を調べて見てほとんどないと証言している。

更に右異例の集中豪雨に伴う境川の増水が異常な出水であつたことは境川流域に永年住む住民が昭和一四年以来の増水だ(証人管幸佑)とか昭和一四年と同三九年と今回が大きな出水として記憶している又は今までに境川にこの程度の氾濫は三回位あつた(証人高野稔、同小屋秀雄、川越重孝、同中島実の司法警察員に対する供述調書)と述べているところよりも明瞭である。

次にその増水の急激さについてであるが、今回と同程度増水したと右各証言等から認められる昭和三九年の例では一日平均一三〇ミリの降雨の日が一週間連続しているのであつて、この場合は集中豪雨ではなく徐々に長時間の間に増水したものであることが推定されるし、付近住民である証人高野稔、同西平勇平の「あれだけの短時間であんなに水が出たのは初めてである」という各証言から見るとかつて例のない程の急激な増水であつたことがうかがわれ、これに反する証拠は存在しない。

二、本件集中豪雨及びそれに伴う増水の予見可能性

右認定の如く当日の事故直前三時間の集中豪雨が全く記録的、異常のものであり、それに伴う境川の増水の急激さも過去に例を見ない程度のものであること自体これを予見することの困難さを示して余りあるものがあるが、前記証人黒木義秋の証言及び福岡管区気象研究会誌における同人の論文「昭和四一年八月一四―一五日の宮崎県の集中豪雨について」によれば本件集中豪雨の範囲は二〇平方キロメートル位の小規模のもので、特殊な条件の重なり合いで生ずる現象であり予測は非常に困難であり、更に熱帯性低気圧或は台風は当時沖繩付近にありその直接の影響とも言えないとして、気象観測の専門官たる同人もその予測はなし得ないとし、現に宮崎地方気象台の予報も同気象台長、NHK宮崎放送局長の「回答書」及び「証明書」と題する各書面によれば前日の八月一三日夕刻まで「今日はくもり時々にわか雨」「明日は南東の風晴れたり曇つたり」と全く集中豪雨をうかがわせるような予報はなされておらず、翌八月一四日午前五時三〇分発表の大雨波浪注意報においてさえ「沖繩付近に熱帯性低気圧があつてゆつくり北西に進んでいますので雨は長続きしそう、今後の雨量は海岸地方で一〇〇ないし一五〇ミリ山沿い地方では五〇ないし一〇〇ミリに達しますからがけくずれや山くずれに注意して下さい」という程度の予報をなしているのみである。

そのほか、事故直前までの青井岳付近の降雨量が八月一二日46.8ミリ、一三日61.6ミリ、一四日(〇時より五時まで)四三ミリと境川の水位に変化の認められる様な降雨がなかつたことなど諸般の事情から考えると出発前に先輩の教諭から出水には注意せよとの注意を受け、本件集中豪雨が既に発生していた熱帯性低気圧に遠因があり、前日及び事故の朝までの断続的降雨が増水に影響するところがあつたとしても、本件事故直前の三時間内に二〇〇余ミリという突発的異例の局地的集中豪雨及びそれに伴う異常に急激な境川の増水の現象は通常人の注意能力をもつてしてはとうてい予見することは不可能なことであつたと判断しなければならない。

第六結語

以上を要約するに、本件キャンプ設営地が管理人の常駐する著名な公営キャンプ場内と一般に考えられていた場所であることなど諸般の事情を考慮するとき、被告人につき事前に実施踏査をする義務違背、キャンプ場所選定に関する義務違背ありとは断定できず、又事故直前に至るまでの気象状況、降雨量、天気予報などを見るとき被告人につき気象状況を確実に把握し、その変化に即応してキャンプを中止するなど危険の発生を未然に防止する措置をとるべき義務の違背があつたものとも考えることができないばかりでなく、本件事故は全く異例の突発的局地的集中豪雨という偶然的、不可抗力的事実に基因するものであり、被告人につき本件事故発生につき過失は認められないものというべく、結局犯罪の証明が無かつたことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

以上の理由によつて主文のとおり判決する。(筒井英昌 岩井康倶 松村恒)

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