大判例

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宮崎地方裁判所 昭和44年(ワ)404号 判決 1973年9月17日

原告

株式会社村上屋

右代表者

水谷清昭

右代理人弁護士

小倉一之

被告

合資会社村上屋

右代表者

長野哲人

右代理人弁護士

佐々木曼

篠原一男

主文

一、原告の請求をいずれも棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、本訴請求の趣旨<略>

第二、請求原因

一、(一)、原告会社は代表取締役である水谷清昭が昭和三七年一〇肩書地において「村上屋」なる商号で個人経営の衣料品・家具・時計・貴金属・履物類等の割賦販売店を開業したのが始まりで、その後営業形態を変更して同三九年五月に同所に本店を置く「合資会社村上屋」を設立し、ついて同四三年五月六日に「株式会社村上屋」に組織変更し、その旨登記の了して引続き前記営業を継続して今日に至つている。<中略>

二、被告は肩書地において、「合資会社村上屋」なる商品をもつて衣料品・家具・時計・貴金属・靴・寝具等の割賦販売を業とする合資会社であるが、昭和四三年九月三〇日宮崎市橘通り三丁目四四番地に支店(以下「本件支店」という)を開設してその旨の登記を了し、以来その店頭に別紙目録のように「一〇ケ月払の村上屋橘店」などと表示した看板を掲げて、原告会社とまつたく同種商品の割賦販売業を営みはじめた。<後略>

理由

一請求原因一項(一)・同二項の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二商号の類似性の有無について

原告の商号である「株式会社村上屋」と被告の商号である「合資会社村上屋」とは右両商号を特徴づける重要な部分である「村上屋」という名称がまつたく一致しているから、互いに類似し、混同誤認を生ずるおそれのあることは明らかである。そして被告が商号の略称もしくは通称として「一〇ケ月払の村上屋橘店」とか「クレジット村上屋」などを使用したり、あるいは広告宣伝に「全九州二〇店の販売綱を持つ村上屋」などと表示しても、原告の使用する「一〇ケ月払の村上屋」などと類似し、混同誤認されるおそれのあることは容易に推認し得るところである。

三不正競争の目的の有無について

前一・二項の事実よりすれば、特段の事情が認められならいかぎり、被告は不正競争の目的をもつて商号その他営業の表示として「村上屋」なる名称を使用しているものと推定せざるを得ない。

そこで本件商号等は「村上屋チエーン」自衛のためやむなく使用するに至つたものであつて、不正競争の目的はないとする被告の主張について検討することとする。

(一)  被告主張の「村上屋チェーン」について

<証拠>を総合するとつぎの事実が認められる。

熊本本店の代表者長野正光は昭和二九年四国から熊本市に出て「村上屋」の商号で個人経営の衣料品・家具・洋品雑貨等の割賦販売業を開業し、その後右「村上屋」は、有限会社さらには株式会社と組織変更された。

熊本本店の業績は順調に伸びていつたが、さらに昭和三六年一〇月長野正光の甥に当る被告代表者(長野哲人)が、長野正光の援助を受けて人吉市で「村上屋」の商号により衣料品等の割賦販売業を営むようになつたのを皮切りに、同年一一月には長野正光の友人越智清磨が水俣市で、同三七年一〇には長野正光の甥であり、かつ熊本本店の創業時からの従業員であつた原告代表者(水谷清昭)が宮崎市で、いずれも長野正光の承諾・援助を受けて、「村上屋」の商号を使用し、熊本本店と同種の営業を営むようになつた。

その後徐々に熊本本店を中心として、長野正光の親戚・縁故者らが、主に南九州の主要都市において、長野正光の承諾・援助を受けて「村上屋」の商号で同種の営業を営むようになり、昭和四三年頃にはその数は約二〇店に達した。

これら「村上屋」店は「村上屋会」を結成し、経費の負担軽減や宣伝効果の増大をはかるため、各県単位で共同して新聞・ラジオ・テレビ等の宣伝広告をし、割賦代金の集金については相互に援助し合い、また仕入価格の低廉をはかるため販売商品の大部分は熊本本店の口ききで同店が取引しているのと同じ問屋から仕入れる(従つて一括共同仕入方式をとつていたわけではない)などの便宜をはかり、会員の間の親睦を兼ねた会合も数回もたれた。

被告は勿論原告も右「村上屋会」の一員であつた。

しかし、右「村上屋会」の組織運営機構・加盟店の選定基準・商号の得喪その他各「村上屋」店の権利義務に関する明確な規約等は存在せず、右「村上屋」はその構成員たる各「村上屋」店を法的に拘束するまでの性質をもつものではなく、熊本本店を中心とする事実上の相互協力の関係に過ぎなかつた。

(二)、被告の宮崎進出に至るまでの経緯

前掲各証拠によればつぎの事実が認められる。

長野哲人は昭和四〇年九月延岡市に義弟(渡部勉)をして同種営業の「村上屋延岡店」を開店させ、ついで同四一年一〇月には小林市に実姉をして同種営業の「村上屋小林店」を開店させた。

右開店に際し長野哲人らは「村上屋会」の仲間としては宮崎県における最初の進出者として「村上屋」を営業していた水谷清昭に対して事前の了解を得なかつた。

もともと長野正光が熊本で「村上屋」を開業する当初から、これに兄事してきた水谷清昭は、むしろその後の新参者である長野哲人らのかかる行為に不満をもち、その頃から他店の割賦代金の集金をしないなど、「村上屋会」の一員としての協力を拒むようになつた。

昭和四三年に至り原告会社の従業員であつた水谷五志が自立を希望するや、水谷清昭は、前記のような経緯もあつて、長野哲人らのとの対抗上、延岡市に隣接する日向市に店舗を構えることを強く勧めた。水谷五志としては、当時、すでに前記「村上屋延岡店」があつたし、唐津方面を希望していたが、水谷清昭の強い勧めによつて結局日向市に衣料品等の割賦販売店をだすことを決定した。

そして水谷清昭はこのことの同意を得るために長野正光に相談したところ、同人は当初これに賛成していた。

ところが前記「村上屋延岡店」への影響をおそれた長野哲人は長野正光に働らきかけ、日向店開設はとりやめるよう取りはからいを依頼したため、長野正光は水谷清昭に対して日向店開設は差控えるよう申入れたが、水谷清昭は右申入れを拒絶し、同年六月頃水谷五志をして「村上屋日向店」を開店させた。

右折衝の際長野正光と水谷清昭との間で激しいやりとが交わされ、以後水谷清昭は他の「村上屋」店との協力関係から離脱するに至つた。

しかして、その後僅か三カ月後に被告は長野正光の指示により宮崎市内に本件支店を開設するに至つたわけであるが、叙上認定の事実および弁論の全趣旨はよれば、本件支店開設のような事情で他の「村上屋」店との協力関係を絶つに至つた原告に対する対抗上なされたものであると推認することができる。

宮崎県の中心である宮崎市に協力関係に立つべき原告会社を失なつたことは、他の「村上屋」店の対外的な信用や割賦代金の集金援助などの点で痛手となつたであろうことが認められなくはないが、このことが本件支店開設の主たる動機であつたとまでは認め難い。

(三)、以上(一)・(二)の事実よりすると、冒頭説示の推定を覆えすに足りず、被告に不正競争の目的がなかつたとはいい難い。

四信義則違反・権利濫用の主張について

(一)、1 昭和四六年二月頃原告が支店として延岡市山下町二丁目(前記「村上屋延岡店」とは約三〇〇メートルの距離)に衣料品・洋品雑貨等の割賦販売を営む「クレジット・メリー」を開店したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、昭和四六年五月頃から原告代表者水谷清昭は右「メリー」の店頭に「村上屋本店山下店」・「クレジットの村上屋メリー」などと表示した看板をだし、また、新聞・ラジオ等の宣伝広告にも原告店については「村上屋本店」、右延岡店については「村上屋延岡山下店」などの商号の通称を使用していること、「メリー」は昭和四七年五月水谷清昭を代表取締役とする「有限会社村上屋」に組織変更されその旨の登記を了していることの各事実が認められる。

原告代表者本人の供述中には、「メリー」の店頭に「村上屋」なる名称を記載した看板をだしたのは同店の責任者である石橋正勝(水谷清昭の義兄)が勝手にやつたもので、水谷清昭自身はまつたく関知していない旨の供述部分があるが、右は到底信用することはできない。

ところで右「有限会社村上屋」の商号および同店の使用する前記商号の通称等はすでに延岡市に存在した渡部勉の主宰する「クレジット村上屋延岡店」なる商号と類似し、混同誤認されるおそれのあることは容易に推認し得るところである。

そして前三項(二)掲記の認定事実ならびに弁論の全趣旨に照らすと、水谷清昭の延岡市進出と「村上屋」なる商号等の使用行為は、長野哲人らが水谷清昭に断りなく延岡市および小林市に「村上屋」を開設したこと、ならびに被告が本件支店を開設したことに対する対抗手段としてなされたものと推認することができ、原告代表者たる水谷清昭の右行為は不正競争の目的を有するものといわざるを得ない。

2 前1項掲記の各証拠および成立に争いのない乙第二七号証(写真)によれば、原告を除く「村上屋」店は昭和四五年一月頃の総会で原告の営業との混同誤認をさけるため、「一〇ケ月払の村上屋」なる商号の略称ないし通称を「クレジット村上屋」と改称する旨決定し各「村上屋」店の看板、宣伝広告等にも右通称を使用するようになつたこと、本件支店および渡部勉の「村上屋延岡店」においても間もなく右通称を使用するようになつたこと、ところが原告はこれに符節を合せるように同年九月頃に至り自らの店舗の看板を「村上屋」から「クレジットの村上屋本店」と書き変えたことが認められる。そして延岡市の「有限会社村上屋」においても看板・広告等に「クレジット」なる語を使用していることは前記認定のとおりである。

ところで「クレジット」なる語は「信用売り」等を意味する外国語であるが、わが国においては右外国語が日常生活上普通名詞化して使用されていることは原告の主張のとおりであるけれども、右語が商号等の名称と併せ使用されることによつてその商号等がある程度個性化されることも否定し得ないところである。

そして本件においては、その使用時期および前示認定の原・被告間の紛争の経緯に徴すれば、原告は、南九州の諸県にわたつて商域を拡大しつつある「村上屋」の名声・信用を自らも利用すべく、敢えて右「クレジット」なる語を使用するに至つたものであることが十分窺え知れるのである。

そうするとこれまた原告は不正競争の目的をもつて、被告らの「クレジット村上屋」と混同誤認されるおそれのある状態をみずから招来しているものといわざるを得ない。

(二)、ところで同一・類似の商号等の使用差止の請求権を認める法の趣旨は、公正な営業行為を保護するためにこそ、信義・公平の原則に反する競争を排除しよう、というにある。従つて他人が不正競争の目的で自己の商号等と混同・誤認される恐れのある商号等を使用しているからといつても、一方においてその冒用を難ずる主体みずから、その他人(冒用者)を目し、不正競争の目的で商号等を不正に使用している事実があるときには、信義則にてらし、保護の資格を欠き、少なくとも右他人(冒用者)に対し、その商号使用の差止を請求することは権利の濫用として許されない、と解すべきである。

しかるに前記認定のとおり、原告自身(延岡市の「有限会社村上屋」は名実ともに水谷清昭の経営にかかるものであるから原告と同視すべきである。)延岡市において、被告らを目し、不正競争の目的をもつて商号等を使用しているし、いわゆる「村上屋」の冒用関係においては、まさに「とがめて、これにならう」のそしりにおちついつていまや互いに他を難じ得ない泥試合の態にいたつているから、この点において、原告の行為自体信義誠実の原則に反し、その権利の行使は法の保護に値しないといわざるを得ない。

よつて被告に対し本件商号等の使用の禁止を求める原告の本訴請求は許されないものと解すべきである。

五被告の本件商号使用により原告が受けたと主張する損害およびその額については、これを認めるに足る十分な証拠はない。

六以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がなく、棄却を免れない。

訴訟費用については民訴法八九条を適用した。

(舟本信光 武内大佳 浜崎浩一)

目録<略>

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