大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

宮崎地方裁判所 昭和44年(ワ)62号 判決 1972年3月31日

原告

吉野光江

右法定代理人親権者

父兼原告

吉野英朗

同法定代理人親権者

母兼原告

吉野久美子

右原告ら代理人

川崎菊雄

被告

友清義海

右代理人弁護士

砂山耕渕

右復代理人弁護士

持永祐宣

主文

一、被告は原告光江に対し金一五〇万円、原告英朗・同久美子に対し各金二五万円をそれぞれ支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の負担とする。

四、この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、原告らの申立

「被告は原告光江に対し金七〇〇万円、原告英朗・同久美子に対し各金五〇万円をそれぞれ支払え。」との判決ならびに仮執行の宣言。

第二、請求原因

一、原告光江(以下単に光江という。)は原告英朗・同久美子の長女であり、被告は肩書住所地において産婦人科医院を開業している医師である。

二、本件診療契約の締結

原告英朗・同久美子は、被告との間に、昭和四〇年二月一三日久美子が被告医院に入院の際、生まれる子供に心身の異常があれば被告に診療を依頼する旨の診療契約を、さらに同日光江が出生した時、同児の法定代理として同児に心身の異常があれば被告に診療を依頼する旨の診療契約をそれぞれ締結した。

三、光江の病状および被告の診療の経過

(一)、光江は一三日出生当初身体に異常のみられない新生児であつたが、ただ四〇日の早産未熟児(体重二、二五〇グラム)であつたために、被告の指示に基づき保育器内で保育することになつた。

(二)、ところで、当時被告医院では人手不足の折から保育器の管理を原告英朗、光江の祖母杉田カヲルに委せたので、同人らは被告の指示どおり昼夜保温などに気を配つて看護していた。

(三)、ところが、同人らは同月一五・一六日の両日光江に嘔吐があり、一七日には強い黄だんが見られたので、各日時頃被告の診察をもとめたが、同人はこれに応じなかつた。

(四)、ついで同月二〇日午前看護婦による注射の際にも、それまで暴れていた光江が泣くこともなくぐつたりしているので被告に診察をもとめたのに、同人は保育器の外から一見しただけでそれ以上の診療を行なわなかつた。

(五)、二一・二二の両日何の治療も行なわなかつた被告は二三日になり突然県立宮崎病院(以下県病院という。)に光江を転院させるよう原告英朗らに指示した。

(六)、そこで光江が県病院小児科において診察を受けたところ核黄だんで既に手遅れであるとの診断を受けた。そして同院で約四〇日間入院治療を受けた後、昭和四五年一月二六日宮崎県立整肢学園において脳性麻痺で治ゆする見込は全くない旨の診断を受けた。

四、光江の身体障害およびその原因

光江は、現在首・上下肢に著しい運動機能障害を、さらには重度の言語障害を残しており、これは核黄だん後遺症としての脳性麻痺に起因する。

五、被告の債務不履行責任

(一)、当時の医学界における知識水準によれば、核黄だんは黄だんの強くなつた時点で血清ピリルピン値(以下単に血清ビ値という。)を測定し、それが一定値以上であれば核黄だんを予測しその時点で速やかに交換輸血を行ない、あるいは遅くとも核黄だんの第一期症状の現われた時点で速やかに右同様の措置を講ずることにより前記のような後遺障害を残すことなく完治できた筈である。

(二)、したがつて、新生児を扱う被告は、光江に対する入念な診察・検査を行なうことにより核黄だん後遺症の危険性を予測し、もし右検査・治療に必要な設備を備えていないならば、右のような症状の現われた時点で速やかに設備の完備した専門病院に光江を転院させるなりして核黄だんによる後遺症を未然に防止する注意義務があつた。

(三)、しかるに光江の近親者らの度重なる診療要請にも拘らず、被告は光江に対する綿密な診療を怠つた結果、核黄だんを予測しあるいはその初期の時点で病因を発見できずに右治療の時期を失したものであるから、光江の後遺症は被告の診療契約上の債務不履行に基づくものである。

したがつて、光江の後遺症により生じた原告らの後記各損害を賠償すべき義務がある。

六、損害

(一)、原告光江の慰藉料 金七〇〇万円

同児は、本件医療過誤に基づく前記後遺症により現在日常の起居動作にもこと欠き、付添を要する有様で、今後も一生右同様の状態が続くことを考えるとその心身の苦痛は言語に絶する。

現在および将来にわたる右苦痛に対する慰藉料としては金七〇〇万円が相当である。

(二)、原告英朗・同久美子の慰藉料各金五〇万円

同人らは両親として光江の姿を見るにつけあわれでならず、また不具の子をかかえてその付添に明け暮れる将来を考えるとその精神的苦痛は、はかり知れない。

そして右苦痛に対する慰藉料としては、右両名につき各金五〇万円が相当である。

第三、請求原因に対する答弁ならびに抗弁

一、答弁

(一)、請求原因一項・二項の事実、同三項中(一)、(二)の事実は認める。

(二)、同三項(三)中昭和四〇年二月一五・一六の両日光江に嘔吐があつたことは認めるが、その余の事実は否認する。二月一七日に発現した黄だんの発現時期・その程度は新生児の生理的黄だんのそれと一致していた。

(三)、同項(四)中昭和四〇年二月二〇日以前注射の際光江が暴れていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(四)、同項(五)の中被告が昭和四〇年二月二三日県病院に光江を転院させるよう原告英朗らに指示したことは認めるが、その余の事実は否認する。被告は二月一八日にも右転院の指示をしたのに原告らが被告医院での診療を懇請したのでそのまま診療をつづけた。

(五)、同項(六)の事実は知らない。

(六)、同四項ないし六項の事実は否認する。

二、抗弁

被告は前記光江の診療にあたり、誠実に医学上の法則にしたがい専門知識・技量をもつて義務を履行したもので何ら注意義務違反はないし、また昭和四〇年当時の宮崎県下における一般開業医の知識水準のもとでは新生児核黄だんの早期発見・治療は不可能であつたから、光江の前記後遺症につき、被告には責に帰すべき事由がない。

第四、抗弁に対する答弁

被告の抗弁事実は否認する。

理由

一、本件診療契約の締結

(一)、原告英朗・同久美子が被告との間に昭和四〇年二月一三日久美子が入院の際生まれる子供に心身の異常があれば被告に診療を依頼する旨の診療契約を、さらに同日光江が出生した時に同児の法定代理人として右同様の診療契約をそれぞれ締結したことは当事者間に争いがない。

(二)、ところで右各契約は、新生児に起りがちな病的症状を医学的に解明し、その症状に応じた治療行為を行なうことを内容とする準委任契約であると解するのが相当である。

二、被告医院における光江の病状および被告の診療経過について

(一)、原告久美子が昭和四〇年二月一三日被告医院に入院し、即日光江を出産したこと、同児が出生当初チアノーゼを起していたほかは身体に異常のない新生児であつたけれども、四〇日の早産未熟児(体重二、二五〇グラム)であつたために、被告の診断・指示に基づき保育器内で保育することになつたこと、当時被告医院では人手不足の折から保育器の管理を原告英朗、光江の祖母杉田カヲルに委せたので、同人らは被告の指示どおり昼夜保温などに気を配つて看護していたこと、一五・一六の両日光江に嘔吐があつたこと、二月二〇日以前注射の際光江が暴れていたこと、二月二三日被告が県病院に光江を転院させるよう原告英朗らに指示したことはいずれも当事者間に争いがない。

(二)、<証拠>に前記争いのない事実を総合すると、つぎの事実が認められる。

(1)、光江は出生時チアノーゼを発現していた。

(2)、二月一四日光江はテール様便・血液の混入した尿を排せつした。

被告はブドウ糖、ビタミンACの溶液を栄養補給のため注射した。右措置は以後二月二二日まで続けられている。

(3)、二月一五日光江に血性嘔吐黄だんが出現した。被告は前同様の注射をした。

なお、右嘔吐には日が経つにつれコーヒー残渣様の物が混入するようになつた。

(4)、二月一六日前同様の嘔吐が続くので被告は新生児メレナ(新生児の胃腸管からの出血)と診断の上止血剤としてケーワンを注射した。

(5)、二月一七日前同様の嘔吐が続いた、被告は止血剤としてケーワンのほかアドナACを追加して注射した。

(6)、二月一八日前同様の嘔吐が続いた。被告は正常な新生児に比べて強い黄だんを認めたが、新生児の生理的黄だんと考えて核黄だんの疑いは持たずに前同様の注射をした。

なおこの頃被告はメレナ症状を心配して県病院への転院を杉田にすすめている。

(7)、二月一九日前同様の嘔吐が続いた。被告は前同様の注射をした。

(8)、二月二〇日嘔吐は依然続く。アドナACを除く前同様の注射をした。光江は泣かず、身動きもしなくなつた。またそれまで注射の際泣き暴れていたのに、反応を示さなくなり、その日より哺乳不良となつた。

(9)、二月二一日嘔吐は依然続く。前同様の注射(但しヨンクロンを追加)をした。

(10)、二月二二日嘔吐が続く。光江の声が嗄声(しやがれ声)となり泣き声も弱くなつた。被告はケーワンの注射を行なつた。

(11)、二月二三日嘔吐がはげしくけいれんが生じたので被告は杉田に「治療したけれども嘔吐が止まらないから県病院に転院するように」と強く指示したところ、同人はそれにしたがい光江を退院させた。

(12)、その間被告は、光江を出生の際聴診したほかは保育器外から視診したのみで、別段触診・聴診を行なつていないし、二三日までの間原告らに対して県病院に転院するよう強い指示を与えたことはない。なお被告は少なくとも二二日までの間光江の症状に対して核黄だんの疑いを持たず、その間血清ビ値の測定、交換輸血などを行なつていない。

被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は、県病院への転院の際被告からの電話に基づき梶原医師が作成した光江のカルテ病歴欄に記載されている症状(甲二号証の一証人梶原昌三の証言による。)と被告が作成した原告久美子の体温表の記事欄に記載されている光江の病状とに相違が見られること、光江が前記認定のとおり危険な症状を呈している割には同児についてのカルテの記載が簡略に過ぎることなどにてらしてにわかに採用し難い。

三、光江の県病院に転院直後の病状および同院の診療経過について

<証拠>を総合するとつぎの事実が認められる。

(一)、二月二三日転院直後、県病院小児科部長梶原昌三が光江を診察したところ、黄だんが著しく、落陽現象(まぶたは普通に開いたままで、黒目だけが下方に落ちこみ、上まぶたの方に白眼が見える状態)が見られ四肢は硬かつた。その際の血清ビ値は直接ビ値が4.4mg 1dl間接ビ値が13.2mg 1dlであつた。以上の所見から梶原医師は、光江が既に核黄だんの第二期症状を呈していると診断の上、その時点で交換輸血を行なつても核黄だんによる後遺症を防ぐことは困難と考えて、右措置を講じなかつた。

(二)、二月二四日頃まで全身の黄だん色が著しかつたが、二月二七日に行なわれた血清ビ値測定の際には血清ビ値が一応マイナスになつており、二月二八日には黄だんが消失している。なお血液混入嘔吐は三月四日まで、テール様便は三月六日まで続いている。

(三)、同病院では、ブドウ糖、ビタミンB・C、ケーワンの注射を三月八日まで行なつている。(但しブドウ糖は九日まで)

(四)、その後光江は、四肢冷寒、異常呼吸、全身そう白、チアノーゼなどの症状をたどり、すい弱、回復をくり返した末三月三一日体重一、三〇〇グラム余で退院している。

四、光江の身体障害

<証拠>を総合するとつぎの事実が認められる。

(一)、現在光江には左上肢の運動機能障害、首、右上肢、両下肢に著しい運動機能障害が見られ、日常の起居動作も不可能で、さらに重度の言語障害を伴ない、家人による常時の付添を要する。

(二)、右障害は脳性麻痺に起因するもので、一生治ゆする見込みはない。

五、核黄だんの症状と経過

<証拠>を総合するとつぎの事実が認められる。

(一)、症状の発現は、新生児溶血性疾患(血液型不適合)に因るものであれば生後三〜四日(黄だんの発現は二四時間以内)、特発性高ビリルビン血症に因るものであれば生後五〜七日(但し未熟児の場合には多少遅れることがある。)に発現する。

(二)、第一期症状―筋緊張の低下、嗜眠、吸啜反射の減弱、即ち、黄だんの増強とともに自発運動が少なく、ぐつたりして泣かず、乳を飲まなくなる。

期間は約一日位。

第二期(形成期)―痙性症状(けいれん)、発熱、嘔吐、オピストトーヌス(後弓反張=後ろにそりかえる症状)、四肢が硬くなる。ぼお落陽現象は第一期と第二期の中間に極めて多く発現する。黄だんは次第に消失する。

期間は約四〜五日位。

第三期(緩解期)―痙性症状の消退期、筋緊張の緩和

期間は約一ケ月位。

第四期―筋緊張の昂進、首が座らなくなる、筋がつつぱる、頭部後屈などが長期間続いた後脳性麻痺に移行して、ものをつかめない、お座りが出来ない、非常に汗をかき、喘鳴(ぜいぜい)が起るなどの疾状を見る。

六、核黄だんの予防・治療

前項掲記の各証拠を総合するとつぎの事実が認められる。

(一)、新生児の生理的黄だんに比較して、黄だんの程度が強くなつた時点において血清ビ値を測定し、間接ビ値が約20mg 1dl以上を示したときには交換輸血を考える。

(二)、前期第一期症状の発現段階で交換輸血を行なえば殆んど後遺症を残さないけれども、第二期の段階で右措置を講じても後遺症の防止は困難である。

鑑定の結果中右認定に反する部分は、甲三号証中同人の著述にてらしてにわかに採用し難い。

七、光江の脳性麻痺の病因

証人梶原昌三の証言、鑑定の結果、前記二・三項で認定した光江の病状、五項で認定した核黄だんの症状と経過四項で認定した光江の身体障害を総合するとつぎの事実が認められる。

(一)、新生児溶血性疾患に基づく核黄だんの場合には、生後二四時間以内に黄だんの出現を見るのに、本件では右時点で黄だんが見られないこと、光江の診療にあたつた被告・梶原医師も同様の理由から光江の症状は、新生児溶血性疾患に基づく核黄だんではないと述べていること(証人梶原昌三の証言、被告本人尋問の結果による。)などから、光江の脳性麻痺が右に起因する核黄だんによる可能性は極めて少ない。

(二)、前記光江の症状中、二月一五日に黄だんの発現を見、二月一八日にはそれが新生児の生理的黄だんに比較して強くなり、二月二〇日より哺乳不良となり、注射の際泣かず身動きもしなくなつたこと、二月二三日にはけいれん・落陽現象の発現を見、四肢が硬く、黄だんが著明で血清ビ値がかなり高かつたこと、それも二七日にはマイナスになつており、二八日には黄だんが消失していることと、核黄だんの症状・経過とを対照して考えると、光江は、二月二〇日核黄だんの第一期と同様な症状を発現し、二三日既に第二期の症状を呈しており、二七日頃には第三期の症状に達していることが認められること、実際に光江の診療にたずさわつた被告・梶原医師が右のような症状を核黄だんと診断していること、核黄だんの症状が第四期の段階で脳性麻痺に移行して、四項同様の核黄だん後遺症を残すこと、などによれば、光江の前記脳性麻痺は、特発性高ビリルビン血症に基づく核黄だんに起因するとの高度の蓋然性を認めるに難くない。なお、県病院へ転送直後に測定された血清ビ値(間接)が20mg 1dlに達していないけれども、その時既に黄だんの消退しつつある時期(第二期の症状)にさしかかつていたとも考えられる(鑑定の結果)のであるから右推論に消長を来たさない。ところで光江には前記核黄だんの症状に並列して二月一五日から三月六日までの間メレナ症状の発現を見ているところ、成立に争いない甲三号証・鑑定の結果によれば、右症状は頭蓋内出血の場合にしばしば見受けられること、前記二・三で認定した光江の各症状中には核黄だん以外の脳疾患の特徴を示すものがあり、ことに出生時にチアノーゼ症状を呈している光江のような未熟児には頭蓋内出血などの疾患が正常な新生児に比べて高率に発生し、右疾患の後遺症として脳性麻痺が見られること、そして右疾患と核黄だんとは互に相容れないものではなく、合併症として併立・加重の関係となりうることなどが認められ、右事実によれば、光江の脳性麻痺は核黄だんと並んで、それ以外の頭部疾患とりわけ頭蓋内出血に起因するとの高度の蓋然性もまた否定することができない。

そうした事情を考慮して本件光江の病状の経過をみれば、本件脳性麻痺の結果に対する寄与率は、核黄だんが少なくとも五〇%を占めるとするのが相当である。

八、被告の債務不履行

前記認定によれば、被告は光江の症状を新生児メレナと診断の上、専らそれについての治療を行ない、一八日杉田に対して行なつた転院の勤告、二三日に行なつた転院の指示も、右症状を心配した上のことであつて、核黄だんについては、一八日光江の黄だんが増強した際にも、また核黄だんの第一期症状を発現していた二〇日前後にも、新生児の生理的黄だんと考えてみすごし、少なくとも二二日頃まではその疑いをもたず、被告医院では血清ビ値の測定・交換輸血を行なつていないし、またはそのための県病院への転院措置も講じていない。

さらに、同人の診療記録についてみると、光江のカルテには、病名と診療費計算以外在院中の症状については何らの記載がなく、母久美子の体温表記載欄に添書きされた出生当初の体重等注射薬と嘔吐症状の記載程度しか残つておらず、このことからも被告が光江の症状に対する詳細な観察を尽さなかつたことが推認できる。右のとおり相当期間光江の診療にあたつた被告が単に新生児メレナとしての診療措置しかしなかつたという事実関係のもとでは、前記六項で認定した核黄だんの予防・治療の事実にてらして被告のなした右診療内容は債務の本旨に従わない不完全な履行というべきである。

九、被告の債務不履行と光江の核黄だん後遺症との間の相当因果関係の有無について

(一)、昭和四〇年光江の前記各症状発現の当時被告に核黄だん後遺症の予見が可能であつたか否かについて、

前項掲記の各証拠によれば、昭和四〇年当時核黄だんの症状・経過・その治療に関する知識が一般開業医に十分普及していたとはいい難いけれどもこれらに関して、昭和三〇年代には専門誌をはじめとする文献が相当数発行されており、大学病院・公立病院では既に交換輸血の実施例も相当あつたのであるから、一般開業医はこれらの知識を得ることが可能な状態であり、これを前提として診療に従事すべきであつたことが認められる。

(二)、前記五・六項で認定したとおり、新生児の特発性高ビリルビン血症に基づく核黄だんについて、適宜の時期において交換輸血をすることなくこれを放置した場合には通常脳性麻痺に移行して重篤な身体障害などを伴なう後遺症を残すのに対し、黄だんが新生児の生理的黄だんに比較して、その程度が強くなつた時点で血清ビ値を測定しそれが一定値以上の時には交換輸血を行ない、あるいは遅くとも第一期症状の発現した時点において速やかに右措置を講じた場合には、通常右後遺症を残さない。

(三)、被告の債務不履行は前記認定のとおり、光江が新生児メレナとともに核黄だんを併発していることを看過し、そのため適宜の時期に右検査・治療を行なわず、かつそのための県病院への転院措置も講ずることもなく、光江が被告医院に在院期間中新生児メレナとしての治療措置のみにとどまつたことにある。そして、当時新生児を取り扱う一般開業医としては右後遺症の発現を予測すべきであつたから、被告の債務不履行と前記光江の核黄だん後遺症との間には相当因関係があると認めるのが相当である。

(四)、県病院における治療の当否

前記三・五・六・七項で認定した事実を総合すると、県病院に転院当時光江は既に核黄だんの第二期症状を呈しており、この段階で交換輸血を行なつても後遺症を防ぐことは困難であつたこと、梶原医師はこのような診断のもとに、右措置を講ぜずにメレナ症状に対する止血・栄養補給などの治療のみを行なつていることが認められ、これらの事実によれば、同病院における治療は相当で、光江の前記後遺症に影響を与ていないと認める。したがつて右被告医院退院後の事情が因果関係に関する前記結論を左右するものとも認め難い。

一〇、被告につき責に帰すべき事由の有無。

(一)、被告は診療契約により新生児を取り扱う医師として当時の当該医学界における知識水準に基づき、新生児の症状を詳細に観察した上、その生命・身体に危険な結果を招来するような病因を予測してそれに応じた適切な治療を施し右結果を未然に防止すべき注意義務を有する。

(三)、本件につきこれをみるに、前記認定の各事実を総合すると、被告は光江の病状を詳細に観察した上、二月一八日光江の黄だんが増強した時点、あるいは遅くとも二月二〇日核黄だんの第一期状の発現を見た時点において核黄だんの可能性を予測して血清ビ値の測定を行ない、それが一定値以上を示したときには交換輸血を行ない、もし右検査・治療に必要な施設を有しないならば、右施設の完備した県病院(証人梶原昌三の証言による。)へ速やかに転院の措置を講ずることによつて核黄だん後遺症を未然に防止すべき注意義務があつた。

(三)、しかるに、被告は債務不履行の項で前示のとおり光江に核黄だんを予測するに足りる症状の発現を見たのに、右のような措置を講じなかつた。

(四)、ところで、前記債務不履行につき債務者である被告に帰責事由なしといえるためには、被告が核黄だんの予測・それに対する治療・転院措置を講じなかつたことが不可抗力によるか右措置を講ずることが著しく困難であつた事情を被告において立証しなければならない。ところで、乙一号証被告本人尋問の結果によれば、被告は昭和三九年当時にも核黄だんの疑いある新生児を県病院に転院させており、光江についても核黄だんとカルテに記載しているところをみれば当時、いうまでもなく核黄だんを予見するに必要な知識を有していたものというべく、二月一八日に黄だんの増強を見た時点、あるいは遅くとも二月二〇日第一期症状の発現した時点で右病因を予測することが可能であつたというべきである。

そして、本件弁論の全趣旨によれば被告医院と県病院とはいずれも宮崎市内にあり、緊急の場合にも短時間で転院の措置を講ずることができたものと認められるから、右交換輸血などによる後遺症回避の措置が困難であつたとも認め難い。

本件全証拠によるも、その他被告に核黄だんの予測・治療・そのための転院の措置を不可能または著しく困難にする特別の事情を見出し難い。

したがつて被告の帰責事由不存在の抗弁は理由がない。

一一、損害

(一)、原告光江の慰藉料

光江は本件医療過誤に基づく前記後遺症に悩まされており、生涯にわたつてこれに苦しむであろうことは想像に難くない。

右苦痛に対する慰藉料は後遺症の程度、本件脳性麻痺の結果に対する核黄だんの寄与率が五〇%であることなどから金一五〇万円を相当とする。

(二)、原告英朗・同久美子の慰藉料

(1)、光江が英朗・久美子の長女であることは当事者間に争いがなく、後遺症に苦しむ子を持つ親として精神的苦痛を蒙つていること、今後光江の生涯にわたつて、日夜面倒を見なければならないであろうことを認めることができる。

(2)、ところで、光江の前記後遺症の程度は、生命侵害に比肩しうる程重篤なものであるから、民法七一一条の場合に準じ、父母である原告英朗・同久美子は本件診療契約の当事者として被告に対して本件医療過誤に基づく右精神的苦痛に対する慰藉料請求権を有するというべきで、右慰藉料としては後遺症の程度、前記脳性麻痺の結果に対する核黄だんの寄与率などから各金二五万円が相当である。

一二、結論

以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は主文の限度で認容すべきである。訴訟費用につき民事訴訟法九二条・九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用した。

(舟本信光 白井万久 鎌田義勝)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例