宮崎地方裁判所 昭和47年(行ウ)4号 判決 1974年12月06日
原告
関岡義昭
右訴訟代理人
鍬田萬喜雄
被告
宮崎県教育委員会
右代表者
大野直数
右訴訟代理人
殿所哲
外三名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告
「被告が原告に対し昭和四七年七月二六日付でした『願により宮崎県公立学校用務員の職を解く。』旨の処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」
旨の判決。
二、被告
主文同旨の判決。
第二、当事者の主張
一、請求原因
1、原告は昭和四三年六月頃、被告によつて採用された地方公務員で、宮崎水産高等学校実習船「進洋丸」の甲板員(用務員)として勤務していたものである。
2、原告は被告に対し、同四七年七月一六日付で退職願を提出した。
3、しかし、右退職願は、前記高等学校長須藤直と進洋丸船長白潟栄三朗との強要によつて提出したものであつたから、原告はこれを撤回しようと決意し、同月二二日夜、原告肩書住所地の母関岡さつきに電話して、同女をして、翌二三日右校長に退職願を撤回する旨通告させるとともに、同月二四日原告の属する宮崎県高等学校教職員組合に右趣旨を伝えさせ、同日、同組合執行委員長中小路安行を介して被告教職員課へ退職願を撤回する旨通告した。
4、ところが、被告は原告に対し、同月二六日付で依願退職を発令した。<後略>
理由
一請求原因1、2、4の事実および昭和四七年七月二四日原告の属する宮崎県高等学校職員組合執行委員長中小路安行が、原告の本件退職願の撤回の意思表示を被告に伝達してほしいとの関岡さつきの意を受け、被告教職員課に対し、原告の右意思表示を伝達した事実は当事者間に争いがない。
二そこで、原告が本件退職願を提出するに至つた経緯およびこれが撤回の意思表示をなした際の状況につき考察する。
<証拠>を総合すると、
1、宮崎県立宮崎水産高等学校は、漁業科、機関科、水産製造科の三学科をもち、特に前二科は将来漁船に乗組み漁業生産の現場で働く技能者の養成を目標としており、漁業科の施設として練習船進洋丸(総トン数376.06トン)を有し、右練習船により年三回の実習航海(一航海約九〇日)を行なつていた。昭和四七年度の運航計画は第一次(印度洋全域、四月一四日から七月一〇日まで)、第二次(八月五日から一〇月三一日まで)、第三次(インド洋北部、ベンガル湾、一二月一八日から三月一五日まで)とあり、第一次航海は、船長以下二二名の船員、実習指導教官二名、実習生三五名を乗せ、四月一六日油津港を出港し、六月二六日シンガポール入港、同月二九日シンガポール出港、七月一〇日焼津港帰港で終了した。
2、右第一次航海の帰途の同年六月三〇日夕刻、南シナ海を航行中の進洋丸甲板上で飲酒、談笑していた八名の船員が、折柄の降雨のため自分らの船室に場所を変えたところ、深夜勤務のため同船室で横になり休憩していた原告が「静かにせよ。」と言つて起きてきて、フラッシュをたいて右談笑中の者らを撮影していた坂元一光の左頬をいきなり平手で二回殴打し、さらに、これを見て激昂し「若い坂元を叩くなら俺を叩け。」と言つて原告に近づいた橋之口辰男を押し倒した。
ここに原告と、激昂した他の船員らとの間に喧嘩が始まり、原告は、食事用のフォーク、やり様に加工した長さ約七〇センチメートルのメカジキの鼻、シーナイフなどを手に持つて対抗したが、結局、多勢には抗しがたく取り上げられたフォークで熊田原正毅からは背部を刺され、橋之口から樫の棒で頭部を殴られて傷つき血を出し、喧嘩騒動は終つた(原告の傷は、同年七月一〇日段階の診断で、約一週間の安静加療を要する頭部打撲兼挫傷、右背部打撲、左小指打撲であつた。)
受傷した原告は、白潟栄三朗船長から応急の治療を受けるとともに、紛争再発防止のため榎木九州美一等航海士の船室に同室させられ、七日夜には当直勤務につくようになつた。
右喧嘩騒動が原告の受傷という事態まで招いたのは、他人の休憩している船室内で飲酒、談笑した船員らの罪もさることながら、これに応じるにいきなり暴行をもつてし、ことさら兇器を持ち出して対抗した原告の短慮な行動と、日頃原告が立腹しやすく協調性がないばかりか船上生活や勤務において規律や時間を守らず他船員に迷惑をかけ続けていたがゆえに他の船員から忌み嫌われていたという事情に最大の原因があつた。
同船は予定どおり第一次航海を終えて同年七月一〇日静岡県焼津港に入港したが、原告は右事件につき関係船員を海上保安庁に告訴したうえ、同僚船員らに「告訴したから、皆足止めだ。」という趣旨のことなど嫌味を言つたので、船内の空気はまた険悪になり再び騒動が起りかねない情勢であつたため、白潟船長の配慮で原告は同地の造船所の寮を借りてそこに一人寝泊りすることになつた。
右のような状況の下で、白潟船長より電話連絡を受け急拠駆け付けた宮崎県立宮崎水産高等学校長須藤直および右船長は、原告や関係船員から事情を聴取するとともに、このまま原告を乗船させることは船の運航を困難にするとの判断のもとに、事件解決のため、関係船員中、原告に傷害を負わせた熊田原、橋之口の両名と本件喧嘩を誘発した原告に対し、責任をとつて辞職するよう説得した結果、同月一六日、まず前記両名が退職願を須藤に提出し、その後暫くして(同日)、原告もこれに従い退職願を提出したうえ下船した。
右校長および船長は、この退職願を直ちに受理するとともに早急に不足人員を補充して予定された航海に備えることにし(ちなみに、原告らは当初から実習船の船員として採用されたもので、その職権上、被告委員会ないし宮崎県の教育機関の他の部署への勤務は全く予想されていなかつたし、また右船員に欠員を生じたときは、船の運行に支障を来さないようにするため直ちに後任者を部外から採用する必要があり、またそれが通常であつた)、校長は後事を船長に託し、自らは同月一七日被告教育委員会に出頭して事情報告を行ない、同月二〇日前記退職願を正式提出した。他方、船長は、原告の後任漆畑正貴をはじめ他二名の雇い入れを決め、同月二〇日より漆畑を乗船させた(原告ら三名の雇止め届は同月二〇日付で、また漆畑の雇用証明書は同月二四日付でそれぞれ関東海運局清水支局に提出された)。しかして、後任の人事がこのように速やかに行なわれることは次の航海を控えた船舶に関することだけに原告としても十二分に予測しえた筈である。なお、進洋丸は同月二〇日に焼津港を出港する予定になつていたが、台風のため、同月二二日になつて同港を出港した。
3、ところが、原告は、退職願提出後約一週間経過した同月二二、三日頃、自己に非はなく、従つて退職する理由もなかつたものと考え直し、右退職願を撤回しようと決意し、その旨を母さつきに電話で伝え、同女はこれを同月二四日、原告の属する前記組合の副委員長福島平大に一六日付の退職願を撤回したいからそのように協力して欲しいと電話で依頼し、その意をうけた同組合執行委員長中小路は同日、被告教職員課第一人事係長東兼道に電話して原告の退職願撤回の意思表示を伝達した(以上の伝達自体については当事者間に争いがない。)。
しかし、原告は右の方法で撤回の意思を表明したほかは、直接、被告委員会、須藤校長あるいは白潟船長に対し、自己の退職願撤回の意思を明確かつ積極的に表示するための面接はもちろん、電話や打電等の措置を全く執ることなく、本件依願免職の辞令が原告に送達された同月二八日まで何らの行動もしなかつた。
4、他方、原告らの退職願を同月二〇日に受け取つた被告委員会では、その教職員課において検討した結果、原告の前記2の挙動を普段の勤務状態や人間関係に照らし地方公務員法二八条の分限免職処分もやむをえないと考えられるが、退職願が出ているので依願退職の措置ですませること(他の二名は同法二九条の懲戒処分が考えられるが、同様に依願退職とすること)および退職による補充船員の確保を直ちに行うことが協議され、その協議結果に基づき同月二四日、不在の教育長に代わり、教育次長が右退職処分を決裁した。
原告ら三名の退職辞令は同日須藤校長に手渡され、同月二八日に原告方に郵送された。
以上の事実が認められ、<証拠判断省略>
三ところで、私人の公法行為である退職願の撤回が前記認定のごとき使者の電話という方法によつて有効になされうるものかどうか問題である。本人の意思確認の手段としては使者および電話という二重の意味において確実性を欠き、その結果退職処分の効力が不安定となり、迅速・確実な行政の遂行に支障を来すこととなる。したがつて、かかる形式よる退職願の撤回を許すことには大いに疑問がある。
四また、退職願を撤回することは、退職願提出者に対し依願免職の辞令が送達されるまでは時期的には原則として自由であると解せられるけれども、無制限に撤回が認められるとすれば場合により信義に反する退職願の撤回によつて、退職願の提出を前提として進められた爾後の手続がすべて徒労に帰し、個人の恣意により行政秩序が犠牲に供される結果となるので、免職辞令交付前においても、退職願を撤回することが信義に反すると認められる特段の事情がある場合にはその撤回は許されないものと解するのが相当である。
そこで本件についてみるに、前示のとおり、原告は自らの行為によつてしかも実習航海中に喧嘩騒動を惹起し、結果的には自分が受傷するという事態にはなつたが、そうなるについては原告の日頃の言動、性癖、勤務態度、人間関係が大きな原因をなしていたののであり、これらの点や、事件後の原告の言動により生じた船内の不穏な空気をも勘案して事態収拾のため、須藤らにより退職願を提出するようにとの説得がなされたもので、右の事情は原告も十分認識していた筈で、それゆえにこそ原告も右の説得に応じ退職願を提出して下船したのであり、被告側でも原告らの退職を前提とする諸手続をとつたのである。そして右諸手続がとられることは原告の予測しうることであつた。しかも、被告においては原告の行状を分限免職処分に該当するものと考えていたのである。
こうした経過や状況に徴すると後任者乗船後になつてからよもや原告より退職願撤回の意思表示がなされることはありえまいと考えるのが、ことが船員に関することでもあり、常識に合致するところ、原告は、退職願提出から一週間以上経ち、同船が原告の後任を補充して出港した後の同月二四日になつて突然被告に対し撤回の意思表示をなしたものであり、かかる時期における撤回が許容されるとすれば、前記退職願の提出を前提として進められた被告の爾後の手続がすべて徒労に帰し、原告の恣意により行政秩序が犠牲に供される結果となるのみならず、第三者たる漆畑が不測の損害を蒙ることを肯認することになるのであつて、かかる結論はとうてい是認できないところである。
従つて、仮に退職願の撤回が本件のごとき方法により有効になされ得るとしても、原告の本件退職願の撤回は、右に述べた理由により、結局、信義に反し許されないものといわなければならない。
そうすると、本件退職願の撤回はその効力を認めることができないので、原告の主張は理由がなく、被告のした本件依願免職処分は適法であるということになる。
五よつて原告の本訴請求を理由がないものとして棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(柴田和夫 笹本忠男 石井宏治)