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宮崎地方裁判所 昭和61年(ワ)28号 判決 1989年4月24日

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告伊比井俊宏に対し金一七五〇万円、原告伊比井照子に対し金二五〇万円、原告伊比井俊明に対し金一五〇万円及びこれらに対する昭和五七年七月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告伊比井俊宏(以下「原告俊宏」という。)は、原告伊比井俊明(以下「原告俊明」という。)と原告伊比井照子(以下「原告照子」という。)の長男として、昭和五七年七月二二日(以下単に月、日を記す場合はいずれも昭和五七年のことである。)、被告開設の岩切助産院において出生した。

2  出産介助契約の締結

原告照子は被告との間において七月二一日、原告俊宏の出産介助についての契約を締結し、同日岩切助産院に入院した。

3  原告俊宏の出生と障害の発生の経緯

(一) 同月二二日午前二時ころ、原告照子は陣痛が約五分間隔となり、かつ強くなってきたので被告の指示により分娩室に入った。

同日午前七時四五分ころ、原告照子は破水したが、その際、羊水は全て流出した。そして、破水と同時もしくはその直後に児頭排臨となったため、被告は分娩に立会った石山きみ子(原告照子の姉、以下「石山」という。)及び伊比井チヨ子(原告俊明の母、以下「チヨ子」という。)に指示して、腹圧法を実施させた。同日八時四五分ないし午前九時ころ児頭発露となったが、その後も、石山とチヨ子は被告の指示により交替で腹圧法を続けた。

被告は発露に至ってから右手の薬指に石付きの指輪をしたままの状態でその指を児頭と産道の間に挿入して児頭の周囲を何度も回し、児頭の娩出を促した。そのうち児頭の右上部分から鮮血が出るに至った。これに対し被告は指でなでる程度で何らの処置も講じなかった。そのころ被告が胎児の児心音を聴取したところ、児心音は低下していた。こうして、児頭排臨から約四時間、児頭発露から三時間以上経過した同日午前一一時四八分、原告俊宏が出生した。

(二) 出生直後の原告俊宏は頭の一部に外傷があり、かつ、長時間の産道の圧迫が原因で頭部は極端に窪んでいた。更に、全身は青黒くなっており(全身チアノーゼ)仮死状態で出産し、そのため一向に泣こうとしなかった。

被告は直ちに原告俊宏を抱いて、「くの字」形に何度も曲げて屈伸させ、足の裏をはじいたり、湯をかけたり気管カテーテルで口腔、鼻腔内に進入した羊水等を吸う等の処置を講じた。そして、出生後約二分してようやく原告俊宏は第一声を上げたが、その声は弱々しいものであった。

また、原告俊宏は目を開けたままで、かつ、両手を広げたままの状態であり四肢が震えている状態であった。

このような状態は翌日の二三日まで続き、その間原告俊宏は滋養湯を全く飲もうとしなかった。

そこで被告は同日、午後になって急遽原告俊宏を県立宮崎病院(以下「県病院」という。)に連れて行き、同病院の小児科を受診させたところ、原告俊宏はそのまま入院することになった。

(三) その後、原告俊宏は県病院において新生児仮死、頭蓋内出血、頭蓋内出血による後遺症(脳性麻痺、二次性テンカン、精神遅滞)との診断を受けた。

4  原告俊宏の現在の状態

原告俊宏は一〇月二五日以降宮崎県整肢学園で一か月に二回の割合で運動発達訓練を行なってきたが、昭和五九年一〇月三一日、同学園において脳性麻痺で治癒する見込みは全くない旨の診断を受け、身体障害等級第三級の認定を受けた。

その後、原告俊宏の症状は悪化し、身体障害者等級表による級別体幹二級一の認定を受け、現在原告俊宏はテンカンの発作が一日で多い時には七、八回、少ない時でも二、三回起き、食事も自分一人で行うことができず、体幹機能障害により歩行が不安定で、終始介護を要する状態であり、その状態は将来にわたり回復する見込はない。

5  原告俊宏の頭蓋内出血の原因

原告俊宏は分娩第二期の終りである児頭発露(継続時間は通常二〇分程度である)の段階で、三時間以上もの長時間に亘って産道内に停滞し、その間頻繁に襲ってくる陣痛(子宮収縮)により酸素供給が間断なく庶断されて、低酸素もしくは無酸素状態に陥り、児心音が低下するなど生命に危険が及ぶ状態になっていたこと、さらに、右状態に加えて、原告俊宏は長時間にわたり産道による圧迫や腹圧法の実施による圧迫によって、その児頭に過度の圧迫を受けたことなどが原因となって児頭発露の段階において頭蓋内出血を生じたものである。

6  被告の責任

(一) 児頭発露の段階は分娩期の中で最も児頭を強烈に圧迫する時期であり、この段階が長びくと児頭に頭蓋内出血等の損傷を与える可能性が大きいため、専門医師にあっては児頭発露の段階が長びく場合露出した児頭を子宮口内に押しやり、そのうえで帝王切開術に切替えて児体を娩出させるかもしくは膣会陰切開術を行って児体の娩出を容易にする等の処置を講じて胎児の安全に万全を期すのが通常である。ところが、助産婦の場合には職業上右各手術を行う権限はなく、かつ、これを行う設備を有していない。したがって、被告としては胎児発露の段階が二〇分以上経過した時点もしくは、発露の段階で胎児の心音が低下し始めた時点において異常分娩である旨判断して直ちに医師に連絡し、爾後は医師診療を請わしめる注意義務があったというべきである。

しかるに被告は、右注意義務を怠り、自ら自然分娩を強行したため原告俊宏に頭蓋内出血を生ぜしめたものである。

(二) 腹圧法は、児頭の排臨から発露の状態に移行する段階で行うものであり、発露から娩出までは原則として腹圧法を実施してはならず、また、この腹圧方法は、産婦によって個人差が大きいので、会陰、児頭との関連や陣痛、腹圧の程度等特に注意して実施しなければならないので、助産婦自らもしくはこれと同等の経験のある看護婦しか行えない性質のものであり、腹圧法に無知で無経験な素人にこれを実施させてはならない注意義務がある。

しかるに、被告は、右注意義務に違反し、児頭発露の段階で腹圧法については全く無知、無経験の近親者に対し約四時間余りにわたって原告照子の下腹部を手の甲で押えるという誤った方法による腹圧法を実施させたため、原告照子の陣痛発作による児頭の圧迫をさらに補強する結果となり、原告俊宏に頭蓋内出血を生ぜしめたものである。

したがって、原告俊宏の後遺障害は被告の注意義務違反によるものであるから、被告は、原告照子に対しては債務不履行に基づき、また、原告俊宏、原告俊明に対しては不法行為に基づき、原告らの蒙った後記損害を賠償すべき責任がある。

7  損害

(一) 原告俊宏の損害

(1) 逸失利益

原告俊宏は前記後遺障害により労働能力を一〇〇パーセント喪失した。一八歳の月額平均給与額一一万七二〇〇円(東京三弁護士会交通事故処理委員会編昭和五七年二月損害賠償額算定基準別表[3]全年齢平均給与額及び年齢別平均給与額表による)に就労可能年数を六七年間とし新ホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると原告俊宏の逸失利益は次のとおり四〇八一万七一〇三円となる。

(11万7200×12)×29.0224×100/100=4081万7103

(2) 慰謝料

原告俊宏の苦痛を慰謝するには、六二七万円が相当である。

(二) 原告照子、原告俊明の損害

原告照子、原告俊明は、原告俊宏が重篤な障害を負ったことにより筆舌に尽し難い苦痛を受けている。

この苦痛に対する慰謝料としては原告照子に対しては五〇〇万円、原告俊明に対しては三〇〇万円が相当である。

よって、被告に対し、原告俊宏は右損害のうち一七五〇万円、原告照子は右損害のうち二五〇万円、原告俊明は右損害のうち一五〇万円及びこれらに対する原告俊宏、原告俊明については不法行為の日であり、原告照子については債務不履行の日である昭和五七年七月二二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2(一)  同3(一)の事実のうち、七月二二日午前二時ころ原告照子が五分おきに陣痛があると訴えたこと、同日午前七時四五分、原告照子が破水したこと、同日午前一一時四八分原告俊宏が出生したことは認め、その余は否認する。

(二)  同3(二)の事実のうち、原告俊宏の出生後、被告が気管カテーテルで原告俊宏の口腔、鼻腔内に侵入した羊水等を吸いだしたこと、足の裏をはじいたりしたこと、出生後約二分して原告俊宏が第一声を上げたことは認め、その余は否認する。

(三)  同3(三)の事実のうち、七月二三日に被告が原告俊宏を県病院に連れて行き、同病院の小児科を受診させたこと、原告俊宏がそのまま同病院に入院することになったことは認め、その余は否認する。

(四)  同3(四)の事実は不知。

3  同4の事実は不知。

4  同5ないし同7の事実は争う。

三  被告の主張

七月二二日午前二時ころ、被告は、原告照子から五分おきに陣痛があるとの訴えを聞き、分娩室で内診したが、子宮口が二指程度しか開いていなかったので浣腸を施して部屋に帰して休ませた。

被告は原告照子から破水したという訴えを聞いて、右を確認のうえ分娩室において再度内診したが、子宮口が未だ開大していなかったし、胎児の心音も順調だったので、部屋に帰し休ませた。

同日午前九時ころ、分娩室で原告照子を内診したが、子宮口は三指しか開いていなかったので、呼吸法を教えて部屋に帰した。

同日午前一時三〇分ころ、原告照子を内診した際には子宮口は四指近く開大していたが全開していなかったので、分娩台において腰をマッサージしたり、子宮底の輪状マッサージを行い、子宮口の全開を待った。

そのうち子宮口は全開となり、同日午前一一時三〇分排臨となった。

しかし、原告照子は肥満体で腹圧がないことから腹圧のヒントを与えるため付添人である同原告の姉らに対し、原告照子の子宮底を下の方に押すように指導した。

一方、被告は原告照子の外陰部入口を右人差指頭で伸展して子宮口の開大を促し、児頭発露に至るまでこれを続けた。

そして児頭発露から、短息呼吸をさせながら、児を自然に娩出させた。

原告俊宏は心拍もあり、胸部の呼吸も見えていたが第一声がなかった。被告は直ちに気管カテーテルで口腔、鼻腔、気管内に侵入した羊水粘液等を吸出したところ、すぐゲッゲッと言い呼吸をはじめた。しかし発声がないので足の裏などを手ではじいてみたり、児背を二、三回たたいたが、発声がなく、口の回りにチアノーゼが出てきたので浴槽に入れ、胸部に水をかけ、浴槽に横たえたまま肢及び膝間関節を屈伸し、腹部を圧迫すること二、三回で泣き出した。この間約二分程度である。

翌二三日、午前九時すぎ被告は原告俊宏を沐浴させ、その後、水分補給のため滋養糖液を飲ませようとしたが飲まないので嚥下機能に異常があるものと思い、直ちに県病院に電話連絡し、午前中に同病院につれて行ったものである。

以上のとおり、本件分娩は正常分娩であり、その過程に何ら異常はなかったものであり、被告において、分娩時原告俊宏に頭蓋内出血が発生することを予見するのは不可能であった。

第三  証拠<省略>

理由

一  当事者等

請求原因1(当事者)、同2(出産介助契約の締結)の事実は当事者間に争いがない。

二  原告俊宏の出生と障害の発生の経緯

七月二二日午前二時ころ、原告照子が五分おきに陣痛があると被告に訴えたこと、同日午前七時四五分、原告照子が破水したこと、同日午前一一時四八分原告俊宏が出生したこと、出生後、被告が気管カテーテルで原告俊宏の鼻腔内に侵入した羊水等を吸いだしたり、足の裏をはじいたりしたこと、出生後約二分して原告俊宏が第一声をあげたこと、七月二三日、被告が原告俊宏を県病院に連れていき同病院の小児科を受診させたこと、原告俊宏がそのまま同病院に入院することになったことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

原告照子は、七月一九日午前九時ころ血性分泌が開始し、同月二一日午後一時三〇分、不規則な陣痛が起きてきたため被告方に入院したが、それまでの原告照子の妊娠の経過は順調で胎児は順調に成長していた。同月二二日午前二時ころ、陣痛の間隔が五分おきになったため、被告は、原告照子を分娩台にあげて内診したところ、子宮口は二指開大程度であった。その後、原告照子は褥室に戻らず、分娩台に横になったまま子宮口の開大を待ち、陣痛の間隔が短くなるたびに被告を呼んで内診を受けたが、子宮口の開大は進行しなかった。同日午前七時四五分、原告照子は分娩台上で破水したが、その量は少量であり、混濁はなく、内診の結果、子宮口はまだ全開大にはなっていなかった。その後、子宮口は全開大となり、児頭の排臨に至ったが、原告照子は初産であり、また肥満で腹圧がきかなかったため、被告は付き添っていた同原告の姉らに、いきみにあわせて子宮底を下方に押すよう腹圧法を指示し、みずからは、産道の伸展を促すため、右人差指で原告照子の膣口を何度もマッサージした。そうしているうちに、児頭発露となったが、その後も引き続き腹圧法と膣口のマッサージを行い、同日午前一一時四八分原告俊宏が出生した。出生時の原告俊宏の体重は三三〇〇グラム、身長五三センチメートル、頭囲三五センチメートル、胸囲三二・五センチメートルであった。

出生直後、原告俊宏には心拍はあったものの、第一声はなく、全身に軽度のチアノーゼが出ていた。被告は、原告俊宏の頭を片手で持ち、片方の手で足を握って何度も体を屈伸させた後、浴槽に入れて、胸部に水をかけたり、足の裏を指ではじくなどし、次いで、気管カテーテルで口腔、鼻腔、気管内の羊水等を吸いだしたところ、出生から約二分後、ようやく泣き出した。

その後、原告俊宏は一般状態に特に変化はなく、生後七時間目に与えられた糖水も嘔吐することなく飲んだが、翌二三日午前九時すぎ、沐浴後に与えられた糖水を飲もうとしなくなり、さらに、昼ころには四肢にふるえが出現してきたため、被告は原告俊宏を県病院小児科に受診させ、原告俊宏はそのまま同病院に入院することとなり、同日同病院で採取した随液の検査では頭蓋内出血の所見は認められなかったが、同月二六日CTスキャン検査の結果頭蓋内出血が確認され、昭和六〇年五月八日、同病院において、新生児仮死、頭蓋内出血、頭蓋内出血による後遺症(脳性麻痺、二次性テンカン、精神遅滞)と診断された。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠は、次のとおり採用できない。

1  排臨の時期について

原告らは破水と同時もしくはその直後に排臨の段階になったと主張し、証人杉田幸子、同石山きみ子も、それに沿う供述をするが、<証拠>によれば、初産婦では外子宮口に著しい抵抗があり、子宮口の拡大までに時を要すること、破水は外子宮口がほぼ全開大したころに起こるが、ときには子宮口開大が未だ五センチメートル以下で、胎児先進部がまだ骨盤入口に嵌入しないのに起こる(早期破水)こともあることが認められ、この知見によれば、前記認定の分娩の経過は必ずしも初産婦である原告照子の分娩の経過としては不自然なものではなく、また、成立に争いのない甲第三号証、証人石山きみ子の証言によれば、破水前から原告照子の分娩に立ち合った姉の石山は、自身二回の出産経過を有するものであるが、同人は、出産直後、被告に対し、「ひまがいったのは先に破水したからですか。」と分娩に時間がかかった原因について質問していることが認められ、これによれば、同人も、原告照子の破水は、通常の経過とは異なり、子宮口全開大前の段階での早期破水であったという認識を有していたと認められるのであって、これらの点に被告本人尋問の結果をあわせ考えると、証人杉田幸子、同石山きみ子の前記各供述はにわかに採用できないというべきである。

一方、被告は、破水した午前七時四五分に二指開大、午前九時ころに三指開大、午前一〇時三〇分に四指開大近く、午前一一時ころに全開大になり、排臨となったのは午前一一時半ころであり、その後すぐに発露になったと供述し、被告の作成した前掲乙第一号証(助産録)には、排臨の時刻として午前一一時三〇分という記載がある。しかしながら、被告の排臨の時期に関する右供述及び乙第一号証(助産録)の記載には、次のような疑問点があり、にわかには措信できない。

(一)  まず、被告は、午前七時四五分に原告照子を内診した後、一旦褥室に帰し、午前九時に分娩室に同人を呼んで行った内診の後も、未だ開大していなかったので呼吸法を教えて褥室に婦したと供述するのであるが、これは、原告照子は、破水以降分娩台上に終始横になっていたとする証人石山きみ子、同杉田幸子らの証言に照らし信用できず、このように、破水後、妊婦が分娩台上にいたか否かという分娩の経過における基本的な事柄について事実に反する内容をその供述中に含むことは、ひいては、被告の供述する破水後の子宮口の開大の時間的経過についての信用性にも疑念をさしはさまざるをえない。

(二)  被告の供述では、排臨と発露の間にほとんど時間的経過がなかったとされているが、前掲乙第三号証によれば、排臨の状態は二〇分から六〇分継続するのが通常であることが認められ、個人差はあるにしても、原告照子が初産婦であったことも考慮すると、被告の供述は排臨の継続時間が短かすぎる点でも不自然といわざるをえない。

(三)  そして、後記のとおり、出産直後、被告と分娩に立ち会った姉らとの間で、排臨以降分娩まで相当の時間がかかり、被告においても会陰切開等を考えるような状況であったことを窺わせるような会話がなされていること、証人石山きみ子は、同人は感覚的には長時間にわたって腹圧法を実施し、その間、疲れたり気分が悪くなったりして、休憩のためチヨ子と交代した旨供述していることなどに照らして考えると、排臨の時刻は被告の供述する時刻よりもさらに以前であった可能性が高い。

以上のとおり、破水直後に排臨となったという原告の主張も、午前一一時三〇分に排臨になったという被告の主張も、いずれも採用しがたく、結局、証拠上は、排臨になったのは、破水後、相当時間経過後であると認定することができるにとどまるというべきである。

2  発露の時期について

次に、原告らは、破水直後に排臨になったという主張を前提にして、その約一時間後から発露の状態になったと主張し、証人石山きみ子、同杉田幸子はそれに沿う供述をする。しかしながら、排臨は、破水直後になったものでないことは右のとおりであり、証人杉田幸子の証言は排臨と発露の区別をはっきり認識したうえで、発露に移行した時刻について明言したものではなく、また証人石山きみ子の証言によれば、当時、石山きみ子も発露という医学用語を知らなかったこと、同人は、被告の指示で原告照子の左脇に立っていきみに合わせて腹圧法に専念していたが、その位置からは膣口を見ることはできず、実際に膣口の状態を見ることができたのは、腹圧法に疲れて母と交替した際であったこと、そして、その交替した時刻について時計で確認したこともなかったことが認められるのであって、このような状況からすれば、同証人の原告らの主張に副う証言も、発露と排臨の段階を正しく区別したうえで、その移行時刻を告げたものであるかは疑わしく、むしろ、産道内にはまっていた児頭を娩出させるために腹圧法を実施したという程度の理解のもとに、腹圧法の実施時間をそのまま児頭発露の時間として告げた可能性が高いというべきである。

もっとも、<証拠>によれば、出産後、分娩に立ち会った原告照子の姉の石山、杉田幸子(以下「杉田」という。)及び原告俊明の母であるチヨ子と被告との間でかわされた会話のなかには、

(一)  杉田「長かったねえ。しかし照子んとわねえ。」石山「うん、初めてで男ん子やったかいでしょうかねえ。」被告「そうねえ。」という部分

(二)  杉田「はよ切ってもらうといいごつあったもんねえ。見ちょてねえ。」……被告「もうもうと思った。」杉田「じゃ。先生も我慢しちょってよ。切りゃらんかった。」被告「もう切らにゃこら赤ちゃんが参ると思ったもんねえ。心音を聞きながら赤ちゃんを生ませたとよ。……心音が駄目になるこつあるもんじゃかい。」という部分

(三)  (体重が三三〇〇グラムで標準であったということを聞いて)チヨ子「へえ。本当何でやったんですかねえ。」被告「初産はあんげあっとよ。」義母「やっぱりこう気張りが足らんとですねえ。」被告「腹圧がきかないこと。」という部分

(四)  (頭囲が三五センチメートルあったということを聞いて)チヨ子「そんなやったから出らんかったんでしょうかねえ。」……(原告俊宏のひたいを指して)杉田「ここんとこ。ここで出らんかったっちゃわあ。ここんとこ。」など分娩に立ち会った者らが原告俊宏のひたいが出ていたために、ひっかかって出てこなかったと述べている部分

(五)  (原告照子に対し)杉田「ものすごあんたあ。出かかって出らんかいよ。見ちょるほうがあんた。」被告「見ちょるほうがのしゃらんかったとよー(たまらなかったという意)」と語りかけている部分

(六)  杉田「(新生児が出生直後)泣かんかったからびっくりしたもん。」被告「もうあれだけあれあんた、あれすれば気絶するあ。」という部分

(七)  (原告照子の膣口をさして)被告「出たり入ったりでここらへんがかすっちょるけんどこらもうしょうがないがねえ。」と述べている部分

が認められ、これらの会話を総合すると、原告照子の陣痛が微弱腹圧が弱かったため、排臨以降児頭の娩出までに相当の時間が経過し、被告を含め分娩に立ち会った者らにおいて会陰切開等を考えるような状況があったものと一応認めることができよう。

しかしながら、発露の時間がどの程度であったかについては、右会話内容からは必ずしも明らかではないというべきである。すなわち、(二)は発露の状態が相当長かったことは窺わせるが、(一)、(三)ないし(五)はそれが発露の段階での状況を前提にした感想なのか、それとも排臨の段階をも含めての感想なのかは、必ずしも明らかではなく、また、(六)についても、被告の発言は、胎児が排臨ないし発露の状態で長時間産道に置かれた状況を述べたものとも解する余地があり、(七)については、むしろ排臨の時間が長かったことを窺わせるものであって、結局、右会話からは、発露の時間がどの程度であったかは明らかにしえないのである。

一方、被告は、発露は約二〇分間であったと主張し、<証拠>によれば、被告は、県病院の小児科に原告俊宏を受診させた際、医師に対し分娩前後の状況について説明したなかで、発露から分娩まで二〇分間であった旨を述べていることが認められるが、前掲甲第三号証によれば、被告は、分娩後、相当時間が経過したのちに、杉田幸子に対し、「何時やったあ。」と分娩時刻を尋ねていることが認められ、これによれば、被告は分娩中、発露になった時刻について時計で確認していたか疑わしく、二〇分という数字は被告の経験に照らして感覚的に述べられたものである可能性も否定できず、この点に関する被告本人の供述も措信できず、二〇分以上発露の状態が続いたことも否定できない。

3  分娩直後の原告俊宏の状態及び新生児仮死の程度について

被告は、出生直後、原告俊宏は口の周囲にチアノーゼが出た程度であったと供述するが、前掲甲第一号証、証人前村友絵の証言によると、被告は、県病院の小児科の診察室で医師に対し、原告俊宏の体色が悪かった旨述べていることが認められるのであって、右供述はにわかには措信できない。なお、チアノーゼの程度について、前掲甲第一号証(診療録)には全身チアノーゼツープラスという記載がなされており、これは、証人浜田恵亮の証言によると医学上は中等度以上のチアノーゼを意味するものであることが認められるが、右記載をした証人前村友絵は、被告が体色が悪かったと述べたのを聞いて、カルテ上右のように表現したものであり、必ずしも正確でない旨供述しており、また、証人橋本武夫の証言によると、一般に、ツープラスのチアノーゼの状態に陥った新生児を前記認定の被告のとった程度の蘇生法で蘇生させることは非常に困難であることが認められ、これらに照らして考えると、右記載内容は採用できず、原告俊宏のチアノーゼの程度は軽度のものであったと認められる。

そして、前記認定の出生直後の原告俊宏の状態、被告のとった処置、啼泣までの時間に証人橋本武夫の証言を総合すると、原告俊宏の仮死の程度は軽度であったと認めるのが相当である。

三  原告俊宏の頭蓋内出血の原因

証人橋本武夫の証言によれば、頭蓋内出血が発生する確率が高いのは、発露前後から分娩までの段階であり、その発生原因としては、<1>産道による圧迫により骨折、血管の破綻などの分娩損傷が生じ、頭蓋内出血に至るもの、<2>臍帯巻絡や胎盤の血液循環の悪化、遷延分娩などによって胎児に低酸素症が生じ、そこに産道による児頭の圧迫という外力が加わって頭蓋内出血が発生するものなどがあり、このうち児頭の圧迫という機械的な因子が頭蓋内出血の発生に最も大きく関与していると考えられていること、発露の時間と頭蓋内出血の関係については、低酸素症の程度、その他の因子も関連するため、数分の発露であっても頭蓋内出血が発生することも十分考えられるが、一般的には、発露の時間が長いと頭蓋内出血の可能性は高くなるということができ、右段階よりも前であっても、胎児仮死などが生じた場合、あるいは出生後においても、新生児仮死等により低酸素症あるいは酸血症が極度に進んだ場合には、頭蓋内出血が起こりうるとされていること、以上の医学的知見が認められる。

そこで、この医学的知見に照らして前記認定の分娩の経過を検討するに、まず、原告俊宏の仮死の程度が軽度であり、低酸素症が極度に進行した状態ではなかったことからみて、出生後に頭蓋内出血が発生した可能性は低く、破水から分娩に至る経過の中で頭蓋内出血が発生していたと認めるのが相当であるが、その原因として考えられる因子としては、<1>排臨、発露の間に受けた産道による児頭の圧迫のほか、<2>前掲甲第一号証、乙第一号証、証人橋本武夫の証言によれば、原告照子が破水した時点では羊水に混濁はなかったのに、分娩時に出た羊水(少量)は混濁しており、これは、原告俊宏が、破水後、分娩までの間に低酸素状態に陥ったことを示すものと認められるところから、低酸素状態が関与した可能性も否定できないというべきであろう。(<2>の低酸素状態については、それがどの時点で、何が原因で発生したかについては、これを明らかにする証拠はない。)

なお、前記認定のとおり、排臨以降、腹圧法が実施されており、産道による圧迫以外に人為的な外力も原告俊宏の児頭に作用したと一応考えられるが、証人橋本武夫の証言によれば、排臨発露を通じ、いきみにあわせて通常の力によって適切に腹圧法を実施するかぎり、それが原因で胎児の児頭に頭蓋内出血を生ぜしめることはないことが認められ、これによれば、本件において、不適切な方法により、また過度の力をかけて腹圧法を実施したと認めるに足りる証拠もない以上、腹圧法の実施が頭蓋内出血の原因になったと認めることはできない。

四  被告の責任

1  原告らは、発露が三時間以上続いたことを前提として、発露になって二〇分後には医師に連絡をとり、会陰切開等の手段によって早期に原告俊宏を娩出させるべきであったと主張するが、<証拠>によれば、分娩の持続時間については、娩出力の強弱、産道抵抗の大小、胎児の大きさ、胎位・胎勢、年齢や分娩回数、人種等によって著しく異なるが、日本女性の場合、初産では、分娩第一期は(分娩開始から子宮口の全開大まで)は約一〇ないし一二時間、分娩第二期(子宮口の全開大から分娩まで)は平均すると約二ないし三時間であり、このうち、特に問題となる排臨の継続時間、発露から娩出までの時間は、前者が約二〇分から六〇分、後者は発露後に一ないし数分以内に反復去来する二、三回の陣痛で児頭が娩出され、続いて後続胎児部分も排出されるのが通常であることが認められるところ、本件における排臨ないし発露の継続時間については前記のとおりこれを確定するに足りる証拠はなく、原告照子の分娩は、初産としては、全体的にはほぼ平均的な時間内に分娩が推移したとは言うものの、前記認定のほか<証拠>によると、時間は特定し得ないが排臨から娩出に至る経過中に、原告俊宏の心音が低下し、原告照子の陣痛が微弱で腹圧が弱い(心音の低下、陣痛、腹圧の強さがどの程度かは必ずしも明らかでない)ので、原告照子の姉や母親らに腹圧法を指示し、一時は会陰切開も考慮しなければならないようなかなり緊迫した状況もあったこと、このような場合専門医師であれば、必要に応じて陣痛促進剤の投与、会陰切開、経過によっては吸引分娩、鉗子分娩等の医療処置がとられることが認められ、前記認定の頭蓋内出血発生の機序に照らすと、右の医療処置が適切に行なわれることによって、頭蓋内出血の発生を防止し得た可能性も否定し得ない。

したがって、もともと医療行為や応急処置を除き異常分娩に対する処置を禁止されている被告(保健婦、助産婦、看護婦法三七条、三八条)としては、右のような状況になった時点で、直ちに原告照子や立会った近親者に右状況を説明し、専門医師による出産介助を勧めるなどして専門医師による出産介助を受ける機会を与えるべき義務があったかどうかが問題となるところである。

しかし、<証拠>によると、出産に立会った原告照子の姉ら近親者の側においても、心音の低下は別としても前記認定の緊迫した状況を認識し、心中秘かに専門医師による出産介助を願ったが、被告に対する気兼ねからか強いて口に出すことまではしなかったことが認められること、前記認定によると、出産の経過中のどの時点で右義務を認めるべき状況となったかを時間的に確定し得ないこと、被告が直ちに嘱託医ないし他の専門医師の出産介助を求める措置をとったとして、頭蓋内出血の原因となる事態の発生を防止するに十分な時間の余裕があったかも明らかでないこと、また専門医師としても、経過によっては鉗子分娩、吸引分娩の手段をとらざるを得ないが、前記甲第四号証によると、右分娩法自体頭蓋内出血の危険性が高いことが認められ、右の諸事情を考えると、被告に右義務違反があったことを認めるのは困難であり、これを認めるとしても、右義務違反と原告俊宏の頭蓋内出血の発生との間に因果関係を認めることはできない。

また前記認定の原告照子の破水の時期、その量が少量であって混濁がなかったことを考えると、この時点で直ちに異常分娩とは言えず、また被告に頭蓋内出血発生を予見し、その発生を防止するために専門医師による出産介助を請わしめるべき義務を認めることもできない。

2  次に、原告は、分娩に立ち会った姉らに腹圧法を実施させたのは注意義務違反であると主張するが、姉らの実施した腹圧法に不適切な点があったことを認めるに足りる証拠はなく、前記のとおり右腹圧法の実施と原告俊宏の頭蓋内出血との間に因果関係も認められないのであるから、右主張も採用できない。

五  結論

以上のとおり被告の行為には債務不履行または不法行為上の注意義務違反を認めることはできないから、その余の事実について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がない。よってこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川畑耕平 裁判官 寺尾 洋 裁判官 多和田隆史)

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