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宮崎地方裁判所延岡支部 昭和50年(ワ)186号 判決 1984年3月28日

目次

当事者の表示

主文

事実

(当事者の求めた裁判)

第一節 請求の趣旨

第二節 請求の趣旨に対する答弁

(当事者の主張)

第一編 請求の原因

第一章序

第二章加害行為

第一節 汚染源

第一 序

第二 鉱煙の排出

一 戦前における亜砒酸の製造

1 旧亜砒焼き窯による亜砒酸の製造

2 反射炉による亜砒酸の製造

3 戦前における亜砒酸の生産量

二 戦後における亜砒酸の製造

1 新亜砒焼き窯の構造並びに設置場所

2 新亜砒焼き窯による砒鉱の焙焼

3 戦後における亜砒酸の生産量

三 亜砒焼き窯からの亜砒酸の排出

1 焙焼法による亜砒酸生産における収率

2 亜砒酸の粒子の性状

3 集砒室による回収の限界

4 新亜砒焼き窯集砒室内の煙の通過速度について

5 亜砒酸による大気汚染の実例

6 杉の年輪中の砒素量と家屋塵埃中の砒素量

7 亡佐藤仲治の実験について

8 まとめ

四 亜砒酸ガスの排出

第三 捨石及び鉱滓の堆積

一 堆積場所

二 堆積方法

1 野積みのままに放置

2 被告主張の欺瞞性

三 捨石の有害性

1 捨石と鉱石との完全な選別は不可能である

2 捨石の分析結果

3 捨石による環境被害

四 亜砒焼き窯の放置

1 旧亜砒焼き窯の放置

2 新亜砒焼き窯の放置

3 亜砒焼き窯も汚染源である

第四 坑水の放流

一 坑水による汚染のメカニズム

二 大量の坑水の流出

三 坑水の土呂久川への放流

第五 汚染の継続

第二節 環境破壊――鉱毒被害

第一 土呂久の地形の特徴と大気汚染

一 土呂久の地形の特徴

二 谷と大気汚染

三 土呂久の気象と大気汚染

1 気温の逆転

2 煙流実験と逆転層

3 汚染の範囲

第二 土壌汚染の実態

一 土壌汚染の原因

二 土壌汚染の実態

1 科学者会議宮崎支部の調査

2 宮崎県の調査にみる土壌汚染

3 杉の年輪と汚染

第三 川水、生活用水の汚濁

一 住民の目で見た土呂久川の汚濁の実態

二 科学者会議宮崎支部の水質調査

三 宮崎県による水質調査

1 河川、坑水

2 飲料水

四 汚濁水の毒性

第三節 環境破壊がもたらした生活破壊

第一 大正年間の環境破壊と生活破壊

一 牧然報告等にみる生活破壊の実態

1 鉱山操業前の土呂久

2 住民の生活破壊

3 和合会議事録にみる住民の混乱

二 斃死牛の解剖所見と畜産の被害実態

1 牛馬の被害

2 行政と被告の主張の奇妙な一致

3 斃死牛解剖所見と死因

第二 昭和における環境破壊と生活破壊

一 戦前

1 和合会議事録にみる「煙害」

2 斎藤教諭の調査結果による生活破壊

3 本件被害者らの供述にみる環境破壊

4 鉱山側の煙害に対する態度

二 戦後

1 亜砒焼き再開

2 新亜砒焼き窯による環境・生活破壊

第四節 被告の鉱害矮小化

第一 土壌汚染は鉱化作用によるものではない

第二 日本気象協会の「環境大気調査報告」の非科学性

一 気象協会報告の意義

二 「気象観測」の手法について

三 拡散実験について

1 拡散シミュレーションによる計算の限界

2 風洞実験の限界

四 結び

第三章因果関係

第一節 砒素中毒症の病像

第一 序論

第二 砒素及び砒素化合物

第三 砒素の人体に対する作用

一 吸収経路

二 作用機序

三 排泄

第四 砒素中毒症の病像

一 一般的病像(症状の全身性、広範性)

二 中毒及び汚染形態と臨床症状

三 発癌性

四 進行性及び遅発性

第二節 土呂久における砒素中毒症

第一 慢性砒素中毒症の存在

一 砒素中毒症の発見

二 慢性砒素中毒症の医学的確認

三 公害地域指定と慢性砒素中毒症認定の増大

1 地域指定及び行政認定の状況

2 行政認定の意味

第二 曝露形態の特徴

一 多経性及び長期性

二 継続性

三 曝露濃度

第三 土呂久における慢性砒素中毒症の病像

一 臨床症状に関する研究報告

1 太田報告

2 堀田報告

3 各臨床報告における出現頻度の比較検討

二 まとめ

第三節 本件被害者らの健康被害

第一 総括的検討

一 はじめに

二 臨床症状の個別的検討

1 皮膚症状

2 慢性呼吸器障害

3 眼、鼻、口の粘膜障害

4 心臓・循環器障害

5 慢性胃腸障害

6 肝障害

7 神経系の障害

8 造血器の障害

9 腎障害

10 癌

三 鑑別診断の方法について

第二 本件被害者ら各人の健康被害

第三 まとめ

一 広範性及び進行性

二 予後の重大性と症度の同一性

第四章被告の責任

第一節 被告の法的責任

第一 被告に対する請求の根拠

第二 被告の主張に対する反論

一 稼業の有無と鉱業権者の責任

1 従来の不法行為責任に関する原則の修正

2 稼業と鉱害発生との関連性

3 鉱業権と稼業の義務

4 盗掘の場合

5 資源庁通達の意味

6 第七四回帝国議会委員会議事録について

二 昭和一四年以前の損害と鉱業法の適用

1 法律不遡及の意味

2 旧鉱業法七四条の二第三項と遡及、不遡及

3 附則の役割

4 まとめ

三 鉱業権者と製錬業者の分離論に対する反論

1 採登六五号鉱区と亜砒酸製造との関係

2 鉱業権者による亜砒酸の製造

3 亜砒酸製造ライセンス論への反論

4 本件鉱山における採掘と製錬の一体性

5 斤先掘契約の主張

四 鉱業法一一六条の主張に対する反論

第二節 被告の加害責任

第一 はじめに

第二 加害責任

第五章損害

第一節 損害総論

第一 損害賠償の目的

一 損害論の出発点

二 本件損害賠償の目的

第二 損害と特質

一 総体としての被害

1 健康被害

2 環境破壊

3 生活破壊

4 家庭破壊

5 村落共同体の破壊

二 損害の特質

1 健康被害の全身性と進行性

2 地域ぐるみの汚染と全人間的破壊

3 長期の人権侵害と行政の放任

4 公害の側面から見た特質

第三 損害賠償

一 包括請求

二 一律請求

三 一部請求(本訴請求額の基準)

第二節 損害各論

第一 本件被害者ら各人の損害

第二 受領補償金の控除

第三 相続関係

第四 弁護士費用

第二編請求の原因に対する認否

第三編請求の原因に対する反論《省略》

第一章序

第二章加害行為に関する反論

第一節 土呂久鉱山の歴史、特に亜砒酸製造について

第一 土呂久鉱山の沿革と周辺地域の盛衰

一 藩政時代の土呂久鉱山

二 明治・大正時代、昭和初期の土呂久鉱山

三 昭和(戦前)における土呂久鉱山と周辺地域

四 昭和(戦後)における土呂久鉱山と周辺地域

五 被告会社と中島鉱山株式会社とのかかわり

第二 土呂久地区における亜砒酸製造

一 旧々窯時代(大正中頃から昭和一〇年頃まで)

1 亜砒酸製造者

2 亜砒酸製造方法

3 亜砒酸製造と被害

二 旧窯時代(昭和一〇年頃から昭和一六年まで)

1 亜砒焼の継続

2 亜砒酸製造方法

3 亜砒酸製造と被害

三 新窯時代(昭和三〇年から昭和三七年まで)

1 亜砒酸製造の開始と地域との関係

2 新窯の位置、構造、対策

3 戦後における操業の実態

第二節 環境論(土呂久鉱山と環境汚染)

第一 亜砒酸粉・亜硫酸ガス

一 亜砒酸粉について

二 亜硫酸ガスについて

三 原告らの反論について

1 亜砒酸粉の排出

2 天井ダストからの硫黄、鉄分の検出

3 亡佐藤仲治の実験なるもの

四 その他原告らの主張について

1 杉の年輪に鉱煙による生育阻害は認められない

2 池田牧然報告書

3 焙焼炉排煙中のカドミウム等の重金属について

第二 大気関係

一 原告らの汚染物質閉じこめ論について

1 山谷風に関連して

2 土呂久地域の地形に関連して

3 逆転層に関連して

4 逆転層形成のメカニズムについて

二 野中証言と守田証言について

三 原告ら主張の「野中煙流実験の意義」に対する反論

1 原告ら主張の誤り、その一

2 原告ら主張の誤り、その二

四 「日本気象協会による環境大気調査の非科学性」に対する反論

第三 水質関係

一 亜砒酸粉・無水硫酸による汚染について

二 溶出した砒素による汚染について

三 砒素濃度と河川水への影響について

四 「汚染」と「含有」について

五 硫化物は不溶性であることについて

1 不溶性、可溶性の意義

2 土呂久地区ズリの溶解度

3 バックグランドによる影響

六 ズリ堆積場対策について

七 坑内水について

八 廃水・亜砒焼き窯の放置について

九 飲料水について

第四 土壌関係

一 原告ら主張の根拠

二 原告ら主張の土壌汚染、その一

三 原告ら主張の土壌汚染、その二

四 バックグランドにより影響

第五 農林、畜産等の分野の被害

一 土呂久地域における生活状況について

二 「牛馬の被害」について

三 「農作物の被害」について

四 「蜜蜂の被害」について

五 「樹木の被害」について

六 その他

第三章因果関係に関する反論

第一節の一 砒素化合物の毒性について

第一 砒素化合物の一般毒性について

一 曝露量と毒性の関係

二 慢性砒素中毒の一般的病像(「全身性障害」なる主張の誤り)

1 砒素の生体に対する作用機序

2 砒素中毒病像の文献・報告

3 複合経路汚染における病像

三 「進行性及び遅発性」に対して

第二 砒素化合物の特殊毒性(発癌性)について

一 砒素の発癌性

二 癌の潜伏期間

三 肺癌その他

第三 亜硫酸ガスの毒性について

第一節の二 因果関係の考え方について

第一 本件での因果関係の考え方

第二 一般的因果関係の要件

第三 疫学的因果関係(疫学四条件)

第四 個別具体的因果関係の要件

第二節 「土呂久における砒素中毒症」に対して

第一 「慢性砒素中毒症の存在」について

一 行政認定の意味

二 太田、中村、堀田の各報告について

第二 「土呂久における慢性砒素中毒症の病像」について

一 臨床診断の方法・基準

1 行政認定の基準

2 原告らの認定基準批判について

二 「多彩な全身的障害」なる主張の問題点

1 倉恒、中村各報告の引用の誤り

2 太田、堀田各報告の信用性の欠如

3 堀田医師の診断基準・方法について

第三節 「本件被害者らの健康被害」に対して

第一 総括的検討について

一 はじめに

二 各症状別にみた砒素中毒との関係

1 皮膚症状

2 呼吸器症状

3 粘膜障害、特に目・鼻及び歯の障害

4 心臓・循環器症状

5 消化器症状

6 肝障害

7 神経系の障害

8 造血器症状

9 腎・尿路の症状

10 癌

三 堀田診断の共通的問題点

第二 各人別の症状診断について

第三 まとめ

第四章被告の責任に関する反論

第一 鉱業法第一〇九条は、鉱業の稼業実施のない本件被告に適用がない

一 鉱害賠償の基本原則

二 原告らの反論について

第二 非鉱業権者の行為について被告に責任はない

一 非鉱業権者の行為は鉱業法第一〇九条の原因行為に含まれない

二 昭和一二年以前の土呂久における亜砒酸製造

三 昭和一二年以前の亜砒酸製造者

四 買鉱製錬業は鉱業法上の施業ではない

五 原告らの反論 その一

六 原告らの反論 その二

第三 旧鉱業法改正法施行前(昭和一五年以前)に発生した鉱害については、鉱業権譲受人は賠償責任を負わない

第四 鉱業法一一六条の適用

第五章損害に関する反論

第一 「総体としての被害」なる主張の誤り

第二 「全身性・進行性の被害」なる主張の誤り

第四編抗弁《省略》

第一章和解

第一節 和解の経緯

第一 第一次斡旋及び和解の成立

一 宮崎県の措置

二 当事者らの県知事に対する斡旋依頼

三 斡旋案の作成(斡旋和解の対象)

四 斡旋の状況

五 和解の成立

第二 第二次斡旋及び和解の成立

一 当事者らの県知事に対する斡旋依頼

二 斡旋依頼に対する県知事の態度

三 斡旋案の作成

四 斡旋の状況及び和解の成立

第三 第三次斡旋及び和解の成立

一 当事者らの県知事に対する斡旋依頼

二 県知事による意思の確認

三 守る会による申入れと斡旋依頼意思の再確認

四 斡旋の状況

五 和解の成立

第四 第四次斡旋及び和解の成立

一 当事者らの県知事に対する斡旋依頼

二 斡旋の状況及び和解の成立

第五 第五次斡旋及び和解の成立

一 当事者らの県知事に対する斡旋依頼

二 斡施の状況及び和解の成立

第二節 限定的解釈論の不当性

第二章消滅時効及び除斥期間

第一節 消滅時効

第二節 除斥期間

第三章請求権の自壊による失効

第五編抗弁に対する認否《省略》

第六編抗弁に対する反論《省略》

第一章和解に関する反論

第一節 斡旋者たる知事の基本姿勢

第二節 本件知事斡旋の経過

第一 第一次斡旋の経過

第二 第二次斡旋の経過

第三 第三次斡旋の経過

第四 第四次斡旋の経過

第五 第五次斡旋の経過

第三節 限定的解釈論

第二章消滅時効・除斥期間に関する反論

第一節 現在なお進行する損害

第一 損害の進行性

第二 加害の継続

第三 まとめ

第二節 短期消滅時効の起算点について

第一 公害認定と「損害を知つたとき」

第二 「賠償義務者を知つたとき」

第三 まとめ

第三節 除斥期間の主張について

第七編再抗弁《省略》

第一章錯誤

第一節 要素の錯誤

第二節 県知事側の病像の把握

第三節 補償の対象についての被告主張に対する反論

第四節 錯誤の明白、重大性

第二章公序良俗違反

第一節 本件知事斡旋の無効性

第二節 本件知事斡旋の問題点

第一 知事斡旋の目的からくる必然的不公正

第二 一貫した被害者要求の押えつけ

第三 三人委員会の役割

第四 第一次斡旋における外部との遮断

第五 公健法をめぐる問題

第六 佐藤健蔵に関する斡旋案中留保条項について

第七 被害者らの無知、窮迫について

第八 契約内容の不当性について

第九 行政と被告の一体性について

第一〇 多数の補償金受領者の意味

第三節 公序良俗違反の明白性

第三章時効の援用の権利濫用、信義則違反

第八編再抗弁に対する認否《省略》

第九編再抗弁に対する反論《省略》

第一章本件和解契約の有効性

第二章錯誤に関する反論

第三章公序良俗違反に関する反論

第一節 被害者らの無知について

第二節 被害者らの窮迫について

第三節 交渉方法の信義則違反について

第一 第一次斡旋の実情

第二 第二次乃至第五次斡旋の実情

第四節 契約内容の不当について

第五節 その他斡旋を不当とする原告らの主張について

第一 公健法をめぐる問題について

第二 佐藤健蔵に関する斡旋案中の留保条項について

第六節 知事斡旋の意義と効用

(証拠)《省略》

理由

第一章鉱害

第一節序

第二節鉱害の原因(原因行為)

第一 鉱煙の排出

一 はじめに

二 大正中頃から昭和元年まで

三 昭和六年から昭和一六年まで

四 昭和三〇年から昭和三七年まで

五 焙焼炉からの亜砒酸及び亜硫酸ガスの排出

第二 捨石及び鉱滓の堆積

第三 坑内水の放流

第三節環境汚染

第一 大気汚染

一 逆転層の形成

二 土呂久地区の大気汚染

三 被告の反論について

第二 土壌汚染

第三 河川水の汚染

第四節総括

第五節原告らの農業被害等の主張について

第一 牛馬の斃死

第二 農作物、椎茸、養蜂の被害

第二章 因果関係(総論)

第一節砒素中毒症の基礎的知見

第一 砒素の代謝及び毒性

一 代謝、毒性に関する知見

二 被告の反論について

三 集団的中毒の事例

第二 砒素中毒の症状(概要と特質)

一 症状の概要

二 癌(悪性腫瘍)

三 砒素中毒の特質

第二節土呂久における砒素中毒症

第一 慢性砒素中毒症の存在

一 宮崎県調査と倉恒報告

二 公害地域指定及び行政認定

三 その他の報告等

四 まとめ

第二 臨床症状

一 各種調査研究

二 まとめ

三 被告の反論について

第三章 因果関係(各論)

第一節本件被害者らの鉱毒(砒素及び亜硫酸ガス)曝露

第二節本件被害者らの症状

第三節症状と砒素曝露との因果関係

第一 はじめに

第二 本件被害者らの慢性砒素中毒症罹患

第三 各症状と砒素との関連性

一 皮膚症状

二 呼吸器症状

三 眼、鼻、口の粘膜障害

1 眼粘膜

2 鼻粘膜

3 口腔粘膜(歯の障害)

四 心臓・循環器障害

五 胃腸障害

六 肝障害

七 神経系の障害

1 末梢神経障害(多発性神経炎)

2 視力、視野障害

3 聴力障害(難聴)

4 嗅覚障害

5 自律神経障害

6 中枢神経障害

八 レイノー症状

九 造血器障害(貧血)

一〇 腎、尿路の障害

一一 内臓癌(内臓悪性腫瘍)

1 肺癌その他呼吸器癌

2 肝癌、泌尿器癌、乳癌その他

3 潜伏期間

第四 各被害者毎の因果関係

第四節亜硫酸ガスの影響

第四章 責任

第一節序

第一 本件鉱山の鉱業権及び鉱業権者の推移

第二 本件鉱山における砒鉱の採掘、亜砒酸の製錬及び操業期間

第二節被告の責任

第一 はじめに

第二 旧鉱業法改正法施行前に生じた損害について

第三 鉱業権者の鉱業の実施の有無と現行鉱業法一〇九条一、三項の解釈

第四 昭和一二年以前の亜砒酸製錬に基づく損害について

第五 鉱業法一一六条の不適用

第三節総括

第五章 抗弁及び再抗弁について

第一節和解

第一 斡旋の経緯

第二 和解契約の解釈

第三 錯誤の主張に対する判断

第四 公序良俗違反の主張に対する判断

第二節消滅時効及び除斥期間

第一 除斥期間の主張に対する判断

第二 消滅時効の主張に対する判断

第三節請求権自壊による失効

第六章 損害

第一節損害額の算定にあたり考慮すべき事情

第一 本件被害者らに共通の事情

第二 個別事情

第三 まとめ

第二節原告佐藤ハツネの賠償請求権の不存在

第三節賠償額の算定

第一 損害額

第二 相続

第三 弁護士費用

第七章 結語

別表

個別主張・認定綴

一 亡佐藤鶴江

二 亡鶴野秀男

三 亡佐藤仲治

四 原告佐藤ミキ

五 亡佐藤数夫

六 亡佐藤勝

七 亡鶴野クミ

八 亡佐藤ハルエ

九 原告佐藤ハルミ

一〇 原告佐藤高雄

一一 原告佐藤チトセ

一二 原告清水伸蔵

一三 原告陳内政喜

一四 原告陳内フヂミ

一五 原告甲斐シズカ

一六 亡佐保五十吉

一七 亡松村敏安

一八 亡佐保仁市

一九 原告佐藤實雄

二〇 原告佐藤ハツネ

二一 亡佐藤健蔵

二二 原告佐藤正四

二三 亡佐藤アヤ

亡佐藤鶴江訴訟承継人

原告

佐藤安夫

外六〇名

右原告ら訴訟代理人

鍬田萬喜雄

岡村正淳

池田純一

佐々木正泰

矢島惣平

加藤満生

長瀬幸雄

西田収

成見正毅

岩佐政彦

佐々木龍彦

吉田孝美

柴田圭一

浜田英敏

徳田靖之

牧正幸

千場茂勝

竹中敏彦

松本津紀雄

加藤修

福田政雄

荒木哲也

坂東克彦

森田宗一

梨木作次郎

富永俊造

大賀良一

高野孝治

木梨芳繁

辻本章

岩城和代

原正己

馬奈木昭雄

小堀清直

亀田徳一郎

蔵元淳

井之脇寿一

成見幸子

後藤好成

被告

住友金属鉱山株式会社

右代表者

藤崎章

右訴訟代理人

山口定男

成冨安信

佐藤安正

主文

一  被告は、表1―1、2「認容金額一覧表〔一〕、〔二〕」掲記の各原告に対し、それぞれ同表の「認容金額」欄記載の金員及び同表の「弁護士費用以外の部分」欄記載の内金に対する昭和五八年二月二三日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  第一項掲記の原告らのその余の請求を棄却する。

三  原告佐藤ハツネの請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決は、第一項記載の認容金額につき各三分の二の限度において、仮に執行することができる。

事実

(当事者の求めた裁判)

第一節請求の趣旨

一  被告は、表2―1、2「請求金額一覧表〔一〕、〔二〕」掲記の各原告に対し、それぞれ同表の「請求金額」欄記載の金員及び同表の「弁護士費用以外の部分」欄記載の内金に対する同表「遅延損害金の起算日」欄記載の年月日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言。

第二節請求の趣旨に対する答弁

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

(当事者の主張)

第一編 請求の原因

第一章  序

一1旧土呂久鉱山(宮崎県採掘権登録第六五号、同第八〇号)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸に所在し、同鉱山においては大正九年頃から砒鉱の採掘、亜砒酸の製造が本格的に行われるようになり、右操業は昭和一七年頃中止されたものの、戦後昭和三〇年再開され、同三七年同鉱山が閉山されるまで続けられた(以下「本件鉱山」ともいう。)

2本件鉱山の坑口、坑道、焙焼炉、ズリ捨場を初めとする諸施設は、時代により変遷はあつたが、土呂久川がコの字形に湾曲する字名を之口、吹谷と呼ばれる地域に、土呂久川を間に挾んでその両岸一帯に存在し、社宅も同所にあつた。坑口は土呂久川東岸から山の斜面にかけて一番坑、二番坑、三番坑、四番坑と続き、やゝ下手に大切坑があつた。戦前は一番坑付近の土呂久川沿いの平地に砒鉱の選鉱や砕石、団鉱作り及び砒鉱の焙焼を行う作業場が設けられていた。戦後は昭和三〇年三番坑の上方、土呂久川べりからの高さ約一〇〇メートルの、山の斜面を切り開いた地点に新式の焙焼炉が一基建設され、従来のものに変わつて稼動し、亜砒酸の製錬が行われた。

3本件鉱山の鉱業権者の推移は次のとおりである。

(一) 採登第六五号鉱区

大正三年七月二八日 山田英教

大正六年七月二五日 大谷治忠

大正一四年三月二日 渡部録太郎

昭和六年四月一六日 中島門吉

昭和七年四月四日 関口暁三郎

中島門吉

昭和九年三月一九日 中島門吉

昭和一一年九月一四日 中島門吉

中島和久平

昭和一二年一月一八日 岩戸鉱山株式会社

(二) 採登第八〇号鉱区

大正八年(但し、正確には大正七年七月二日以降同八年七月一日までの間に登録)

竹内令

昭和八年(右同) 竹内勲

昭和九年(右同) 中島門吉

昭和一二年一月二八日 岩戸鉱山株式会社

但し、採登第六五号鉱区と同様、昭和一一年九月一四日に中島門吉単独から、中島門吉と中島和久平の共同に移り、その後岩戸鉱山株式会社に移転した可能性もある。

(三) 採登第六五号鉱区、同第八〇号鉱区

昭和一八年四月一日

中島鉱山株式会社(岩戸鉱山株式会社が社名変更)

昭和一九年四月二〇日

帝国鉱業開発株式会社

昭和二五年六月三〇日

中島産業株式会社

昭和二六年八月二九日

中島鉱山株式会社

昭和四二年四月一九日 被告

二原告らは、いずれも本件鉱山の操業当時、鉱山の所在地である高千穂町大字岩戸のいわゆる土呂久地区(惣見、畑中、南の三集落を中心とする土呂久川渓谷沿いの地域)に家族とともに居住し、本件鉱山による環境汚染に起因して健康障害その他の被害を受けた者もしくはその相続人である。

三被告は東京都港区新橋五丁目一一番三号に本店をおき、鉱業、採石、金属加工等を業とする会社であるが、前記のとおり昭和四二年四月一九日訴外中島鉱山株式会社から本件鉱山の各鉱業権を取得し、昭和四八年六月二二日これを放棄し、同月三〇日鉱業権消滅の登録をした。

第二章  加害行為

第一節汚染源

第一序

土呂久鉱山の起りについては、定かでないが、一六世紀ないし一七世紀に銀山として開発され、以後、幾多の盛衰を経て、明治一七年頃までは、細々と銀山として稼行されていた模様である。

その後明治二七年竹内令が採掘にかかつたとされているが、これが亜砒酸製造鉱山として変貌を遂げたのは、大正九年頃のことであり、以後、土呂久地区は、従来とその様相を一変し、大気、水、土壌のすべてが砒素による濃厚な汚染を受けることとなつた。

原告らが本訴において主張する汚染物質は、この砒素並びに副次的に右砒素による被害を増幅させた亜硫酸ガスであり、その汚染源は、

① 大正九年頃より昭和一七年頃までおよび昭和三〇年より同三七年までの亜砒酸製造期間中に排出された鉱煙

② 右大正九年頃の亜砒酸製造の本格化以来今日まで継続して土呂久に堆積され続けてきた捨石および鉱滓

③ 同様継続して放流され続けてきた坑水

である。

以下右三つの汚染源毎にその実態を順に述べることとする。

第二鉱煙の排出

土呂久鉱山において亜砒酸が製造されていた前記期間中、砒鉱を焙焼する窯からは、大量の亜砒酸と亜硫酸ガスが、土呂久の谷間に排出され続けた。

土呂久における亜砒酸の製造方法は、戦前、戦後を通じて同一原理即ち砒鉱を焙焼し、鉱石中の砒素を酸化し昇華させたうえ、集砒室に沈降させ回収するという方法によつた。

これに使用された窯は、戦前においては、いわゆる旧亜砒焼き窯と反射炉、戦後はいわゆる新亜砒焼き窯である。

以下、亜砒酸製造の実態を簡単に述べ、次いで、それに伴い多量の亜砒酸並びに亜硫酸ガスが排出された状況を述べる。

一戦前における亜砒酸の製造

1旧亜砒焼き窯による亜砒酸の製造

(一) 旧亜砒焼き窯の構造

(1) 戦前土呂久鉱山に設置されていた亜砒焼き窯には、後記反射炉を別にして粗製窯と精製窯の二種類が存在した。

(2) この粗製窯は、高さ約三メートル、幅約四メートル、奥行約一〇〜一一メートル程度の大きさで、内部には炉と三室程度の集砒室があり、それら全体が石を積み上げ、粘土で固めて作られた極めて原始的な構造のものであつた。

(3) 精製窯も、粗製窯とほぼ同様の大きさであり、同じく内部に炉と集砒室があり、その構造も粗製窯と同じ石積みの原始的なものであつた。

(4) 旧亜砒焼き窯には脱煙、脱硫、集じんの装置は設けられていなかつた。

(5) 旧亜砒焼き窯は、大正九年以降順次その数を増やして行つたと思われるが、都合、粗製窯は、一番坑の手前に約七基、三番坑の坑口付近に二基、四番坑の坑口付近に二基、後記反射炉の横に一基設置され、精製窯は一番坑の手前に一基設置された。

(二) 粗製窯による砒鉱の焙焼

(1) 坑内より採掘された砒鉱(塊鉱)は、選鉱された後、約三〜五センチメートルの大きさに砕石された。

またその際生じる砒鉱の粉末(粉鉱)は、水と粘土を加えてねりまぜられ、こぶし大の大きさに団子状に丸められた(団鉱)。

(2) この塊鉱と団鉱が粗製窯の炉に薪と共に装入され、点火後は、当初は薪により、その後は、鉱石中に含まれる硫黄の自燃によつて、鉱石中の砒素が酸化され、昇華させられて、亜砒酸の気体となり、炉に続く集砒室に導かれて、冷却、凝集されて同室内に沈降した。

(3) 粗製窯による焙焼は、点火後は終了まで鉱石や薪を追加することはなく、約五日ないし一週間空気の調節をするのみでそれを継続した。

そして、焙焼が終ると集砒室より亜砒酸を取り出したが、集砒室には、一号室に純度のよい精砒が沈降し、二号室、三号室に純度の落ちる粗砒が沈降した。

(三) 精製窯による粗砒の精製

粗製窯から取り出された純度の落ちる亜砒酸は、精製窯で精製された。

精製の場合には、相当量の燃料(木炭が使用された)が使用され、その燃料による熱のみによつて、粗砒を昇華させ、あとは粗製窯による焙焼の場合と同様、これを集砒室に導き、冷却凝集させて沈降させた。この炉には、粗砒と木炭が一定時間毎に交互に投入されて、連続的に精製が続けられ、ほとんど一年中稼動していた。

2反射炉による亜砒酸の製造

(一) 反射炉の構造

昭和一〇年ごろ、大切坑の手前の土呂久川東側川べりのズリの横に反射炉と呼ばれた炉が一基設置された。

この炉は、コンクリート造りで、高さ約二メートル五〇、幅約四メートル、奥行約一五〜二〇メートルの大きさで、内部は、炉とそれに続く三室の集砒室が設けられていた。反射炉にも脱煙、脱硫、集じんの装置は設けられていなかつた。

(二) 反射炉による砒鉱の焙焼

(1) この反射炉で焙焼されたのは、東岸寺の選鉱場より返送されてきた砒鉱の粉鉱である。

これは、錫の鉱石と共に採掘された砒鉱が、一旦東岸寺の選鉱場に送られ、そこで粉砕されて、浮遊選鉱の方法により、錫鉱と砒鉱に分けられ、その砒鉱を多く含むスライムが返送されたものである。

(2) 反射炉は、一般に、粉鉱の焙焼の際に用いられる方式の一つであるが、反射炉による焙焼は、前記旧亜砒焼き窯と異なり、炉で燃焼させる燃料の反射熱によつて、鉱石を焙焼するというものであり、燃料の上に直に鉱石を投入するというものではない(従つて、燃料の投入口と鉱石の投入口は別である)。

土呂久における作業では、燃料として木炭とコークスが使用され、二時間おきに、炉の鉱石投入口をあけて粉鉱を投入し、また中の粉鉱を鉄の棒でまぜ返しながら、昼夜三交代毎日連続して焙焼を継続した。

(3) なお、この反射炉による焙焼は、従来の旧亜砒焼き窯と比較して、格段に煙の排出量が多かつたため、住民からの反対の声も特に強く、そのために鉱山は昼間は出来るだけ煙を出さないようにし、夜間に操業を強化するようなことをした。

被告は、夜間のみ操業を強化することなど不可能であると主張するが、前述の焙焼の方法からして、燃料や粉鉱の投入量を調節することにより、それが可能なことは明白である。

(4) 反射炉で生産された亜砒酸は、純度が低いため、これを精製窯まで運んで、前同様の方法により精製した。

3戦前における亜砒酸の生産量

戦前の土呂久鉱山における亜砒酸の生産量は、大正一四年より昭和一七年までの間に、合計二、三五四トン(年平均一三〇トン)に及んでいる。

二戦後における亜砒酸の製造

1新亜砒焼き窯の構造並びに設置場所

新亜砒焼き窯は、直径1.5メートル、高さ三メートルの鉄製の円筒形堅型炉一基と、約三メートル四方の集砒室四室からなり、集砒室は石積みとなつており、窯全体が木造板葺の平家建家屋様のもので覆われていた。新焙焼炉にも脱煙、脱硫、集じんの装置は設けられていなかつた。

この新亜砒焼き窯は、昭和三〇年三月、旧四番坑手前の山の斜面を切り開いた地点に完成した。

2新亜砒焼き窯による砒鉱の焙焼

(一) 砒鉱焙焼の方法

(1) この窯による焙焼方法も、塊鉱と団鉱を焙焼し、鉱石中の砒素分を酸化し昇華させて、集砒室で沈降させ回収するというものであつて、戦前の旧亜砒焼き窯による場合と製造原理において全く異なるところはないが、より生産の効率を図るため、連続式の操業方法をとつたところに特徴がある。

即ち、炉に鉱石と燃料(コークスが使われた)を投入し、下方から点火した後も、一〇分〜一五分おきに焙焼の終つた鉱石を下方から取り出しつつ、一方同時に上方から鉱石と燃料を投入し続け、炉での焙焼作業を毎日二四時間とぎれることなく継続していく方法がとられた。

(2) 集砒室に沈降した亜砒酸のうち、三号室、四号室に沈降した分は純度が落ちるので再度精製された。

この精製も同じ新亜砒焼き窯で行われ、その場合には、ころあいを見て鉱石の焙焼を一旦中断して行つた。

(二) 連続操業の実状

右焙焼作業も、住民対策のため夜間に操業を強化した。

被告は、新亜砒焼き窯による焙焼は、自然通風を利用した鉱石の自燃による連続操業であるから、夜間にのみ操業度を高めることなど不可能である旨主張するけれども投入する鉱石量を調節することによつて、夜間により多く操業することは十分可能である。

3戦後における亜砒酸の生産量

戦後の土呂久鉱山における亜砒酸の生産量は、年平均76.7トンであつた。

三亜砒焼き窯からの亜砒酸の排出

戦前の旧亜砒焼き窯、反射炉および戦後の新亜砒焼き窯のいずれからも、鉱石の焙焼に伴い多量の亜砒酸が窯から排出され、大気を汚染した。

1焙焼法による亜砒酸生産における収率

(一) 焙焼の場合の一般的収率

一般に鉱石を製錬する場合、鉱石中の有用分がすべて回収されることはなく、一部鉱石中に残存したり、回収過程で飛散したりするロスが必ず生ずるものである。

このようなロスがどの程度かを示すため、各種精錬ごとに、その収率(実収率又は回収率ともいう)ということが、通常言われている。

即ち、収率九〇パーセントであれば、一〇パーセントはそのようなロスがあると言うことである。

精錬に関する教科書的文献によれば、本件の如き、砒鉱の焙焼による亜砒酸の製造の場合の収率は、粗製の場合で七〇〜九〇パーセント、精製の場合で八〇パーセント程度と言われている。

従つて、粗製、精製両過程を通じた全体の収率は、各収率を乗じた五六〜七二パーセントということになる。

即ち、一般に亜砒酸の製造にあたつては、通常二八〜四四パーセントのロスの生ずることが当然とされているのであり、昇華した亜砒酸が回収しきれずに一部飛散してしまうものであることは、そもそも常識的なことなのである。

(二) 土呂久における収率

土呂久の場合においても、新亜砒焼き窯の建設にあたり、当時の小宮新八所長は、品位三〇パーセントの鉱石の場合、塊鉱の焙焼の場合で実収率八〇パーセント、粉鉱の場合で焙焼実収率八〇パーセント、精製実収率九〇パーセントとして、計算を行つており、亜砒酸の飛散ロスが生ずることは、会社側にとつても、当然のこととされていたのである。

このことは、同所長が、亜砒酸製造の原価計算をするにあたり、一箱(五〇キログラム入り)の亜砒酸から七〇〇円の利益が生ずるとじたうえで、

「害があつた場合一c/sに対して一割即ち七〇円迄位出しては如何

一箱七〇円出せば一トンで七〇×二〇=一、四〇〇円

保証を一ケ月=一〇トンで七〇×二〇〇=一四、〇〇〇円となる」

と記し、亜砒酸が飛散することを前提として、その結果害が出た場合の補償費の計算をなしていることからも明らかである。

2亜砒酸の粒子の性状

(一) 廃煙中の粒子の分類

(1) 一般に廃煙中の粒子は、いわゆるダストとフュームに分類される。

ダストとは、鉱石、燃料、熔剤が、採鉱、炉等で処理され、取扱われるときに衝撃により破砕されて、機械的に生じるもので、それはもとの鉱石等と同じ化学的、鉱物学的成分を有するものであり、大きさは、大体五〜五〇ミクロン程度である。

フュームとは、炉の中で装入物が高温により揮発し、その後、壁と接触して再び固体形に凝つたものを言い、もとの装入物と異なる性質を有するものであり、大きさは、一ミクロンから一〇〇分の数ミクロンという微細なものである。

(2) なお、一般に直径一〇ミクロンないしそれ以下の粒子は、吾々の普通の出会う空気の動いている状態では沈降しないが、大気中に存する沈降しない粒子も常に大きい粒子に凝集する傾向があるため、時間のたつにつれて沈降する現象が生ずると言われている。

(二) 亜砒酸の粒子の大きさ

(1) 本件で問題となつている亜砒酸は、前述のとおり、一旦揮発した後、固体化したものであるから、いうまでもなくフュームである。

従つて、この粒子は一般的に沈降し難く、極めて飛散しやすい。

(2) 但し、前述のとおりフュームは時間の経過に伴い、次第に凝集する傾向があるので、亜砒酸の粒子も集砒室内で一部凝集して大きくなつたものが沈降することになる。

(3) 一般に亜砒酸の粒子の大きさは「半径二〜三ミクロンから時には数分の一ミクロン」とか「5.5ミクロン以上の大きさのものが二三パーセント以上」とかいわれており、飛散しやすいものであることは明らかである。

前述の如く、粗製、精製各過程において、相当の飛散ロスが生ずるとされているのも当然のことと言えよう。

3集砒室による回収の限界

(一) 廃煙捕収の各種方法

一般に廃煙中の浮塵の捕収方法には、重力沈降法、サイクロン、スクラバー、バッグフィルター、電気収塵法(コトレル法)、音波凝集法などがある。

これらのうちどれを選ぶかは、その対象とする物質の性状、粒子の大きさ等によつて異なるのであり、それぞれの守備範囲を異にする。

(二) 重力沈降法の限界

重力沈降法とは、煙の通路を拡大してその流速を減少させて、浮塵を自然に沈降させる方法であり、本件の集砒室による回収方法がまさにそれである。

ところで、この方法は、一般に一〇〇ミクロン以上の粗粒を回収する場合に用いられるものである。

従つてそれ以下の粒子の場合には不完全な効果しか期待できない。

この方法の利点は、ただ設備が簡単で費用が安価であるということのみである。

(三) 土呂久における集砒室の設計

(1) 土呂久鉱山における亜砒焼き窯の集砒室は戦前において三室程度、戦後は四室で、その大きさも極めて小さなものであり、煙突に集塵措置を講ずる等の工夫も全くなされていない。

この程度のもので、亜砒酸が完全に回収されることなど期待しうべくもない。

(2) なお、戦後の新亜砒焼き窯は、戦前のものに比し、集砒室を一つ増やしているのであるが、土呂久鉱山亜砒酸炉建設計画書には「本計画は四室の計算なれ共、土呂久にて計画中のものは五室の予定である」との書き込みがあり、一旦は、集砒室を五室にして、より亜砒酸の回収を図ろうとしたと解されるのに、費用を惜んで結局それすら実行しなかつたのである。

4新亜砒焼き窯集砒室内の煙の通過速度について

(一) 粒子の大きさと通過速度との関係

被告は、新亜砒焼き窯における煙の通過速度は、計算上秒速二センチメートル程度であり、このような速度であれば、亜砒酸が外部に排出されることはない旨主張している。

しかしながら、この主張は、以下の点からして全く失当である。

まず仮りに右の計算が正しいとすると、新亜砒焼き窯の集砒室(長さは約一四メートル)を通過するのに一二分弱かかることになる。

ところで、亜砒酸の粒子の大きさを仮りに一〇ミクロンとした場合、静止した空気中におけるその沈降速度は、分速一八センチメートルであるから、右所要時間中の沈降距離は約2.16メートルにすぎない。これが五ミクロンの粒子であれば、同じく沈降速度は分速4.5センチメートルであるから右沈降距離は、わずか約五四センチメートルである。

新亜砒焼き窯の集砒室の高さは、約三メートルであるから、右の沈降距離では、その入口のもつとも高い位置にある亜砒酸粒子は、沈降、回収されないことが明らかである。

即ち、粒子はその大きさによつて、沈降速度が大きく異なるのであり、それを無視して、煙の通過速度のみを論ずることは、全く無意味なのである。のみならず、被告の計算したところによつても、新亜砒焼き窯から亜砒酸が排出されたことが逆に裏付けられるのである。

(二) 被告の計算自体の不正確性

次に被告の計算自体その前提において正確でない。

即ち、被告は煙の通過速度を計算するにあたり、煙の量を一日当り一〇、〇〇〇Nm3としているが、現実には、その量はもつと多かつたと推定される。

(1) 被告の計算は砒鉱の一日処理量を一トンとして計算したものであるが、土呂久鉱山亜砒酸炉建設計画書によれば、鉱石の一日処理能力は二トンと記載され、被告自身の主張によつても、最大処理能力は1.5トンとされており、現実にも一トンを起える鉱石が焙焼されていた。

(2) 亜砒酸の生産量から逆算しても、一日一トンを上回つたときがあつたことは明白である。

まず、操業予算表抜粋によれば、昭和三一年度の一〇月、一一月、一二月は各一二トンの亜砒酸を生産したことがうかがえる。

次に、前記小宮新八所長作成のレベルブックによれば、鉱石中の砒素品位を三〇パーセント、水分を一〇パーセントとすると、おおむね亜砒酸一トンを生産するのに必要な鉱石は約3.5トンという計算になる。

従つて、この割合で右一〇月ないし一二月の一ケ月の処理鉱石量を計算すると、一ケ月当りの鉱石量は約42トン(12×3.5)となり、一日当り約1.4トンとなる。

なお被告提出にかかる統計表によれば、戦後における一ケ月の最大生産量は昭和三二年一一月の17.9トンであり、次いで同三〇年七月の13.9トンであり、この量を前提として前同様の計算をすると、これらの月の鉱石処理量は、三二年一一月が62.65トン(一日当り約2.08トン)、同三〇年七月が48.65トン(一日当り約1.62トン)となる。

(3) 被告の計算はまた、鉱石中の水分を五パーセントとして計算したものであるが、前記レベルブックには、「土呂久砒鉱元鉱水分約二〇%」という記事もあり、従つて、鉱石中の水分が水蒸気として蒸発した量も被告の計算した量よりずつと多かつたと思われる。

(4) 被告の計算による亜硫酸ガスの濃度も、現実の数値と合致しない。

福岡鉱山保安監督局の調査によれば、昭和三五年と同三七年に煙突からの排煙中の亜硫酸ガスの濃度は、0.2パーセント、即ち、二、〇〇〇PPMであつた。

一方、被告の計算によれば、亜硫酸ガスの濃度は八、〇〇〇PPMであつて、右の現実の測定値の四倍である。これは、全体の排煙量を約一〇、〇〇〇Nm3とし、亜硫酸ガスの排出量を約八〇Nm3とするところから導かれているものであるところ、亜硫酸ガスの排出量については、鉱石の処理量を一日一トン、鉱石中の硫黄分を一三パーセントという前提をとり、その焙焼における化学反応式から計算したものであろうから、鉱石の処理量と品位をそのように前提とする限り動かし難いものと思われる。

従つて亜硫酸ガスの排出量が八〇Nm3である以上は、二、〇〇〇PPMという現実の実測値からするならば、排煙全体の量は四〇、〇〇〇Nm3でなければならないことになる。

(5) 以上、被告が集砒室の煙の通過する速度を計算するにあたり前提とした一日当り一〇、〇〇〇Nm3という数字自体、現実とかけ離れた根拠を欠くものと言うべく、実際には排煙量はもつと多かつたのであり、従つて集砒室内の通過速度ももつと速かつたのである。

(6) ちなみに、日本気象協会作成にかかる「土呂久地区環境大気調査報告」(以下「気象協会報告」という)が、現地の気象条件を無視した非科学的なものであることについては、後述のとおりであるが、それは、右被告主張にかかる排ガス量を前提としており、煙源条件においても、全く現実とかけ離れたものとなつていることが明らかである。

(三) また被告は、炉や各集砒室間の煙道の通過速度を検討していないが、煙道の通過速度は、仮にその直径が煙突と同程度であつたとすれば、被告と同一の条件で計算しても、秒速4.4〜3.3メートル程度ということになる。即ち、集砒室には、煙道から右の速度で煙が吹き込み、排出されていた(現実の排煙量からすればより速い速度で吹き込んでいたと考えられる)のであつて、これによつて内部が攪拌されて砒素が沈降しにくい状態になつていたことも十分考えられるのである。

5亜砒酸による大気汚染の実例

被告は、仮に焙焼窯より亜砒酸が排出されることがあつても、亜砒酸の比重は3.86で空気よりはるかに重く、炉の直近周辺に落下し尽し、遠くへ飛散することはないとも主張している。

しかしながら、微粒子の沈降速度は、前述のとおり、その大きさによつて大きく異なるが、その比重などほとんど関係ないのであつて、仮にも被告の主張するような議論が成立するとするなら、亜砒酸による大気汚染の例など全く存在し得ないはずである。

しかしながら亜砒酸による大気汚染の例は米国モンタナ州アナコンダ製錬所の例を初め、文献上も明白且つ多数存在するのである。

6杉の年輪中の砒素量と家屋塵埃中の砒素量

土呂久において現実に、亜砒酸の粉塵が窯から排出され飛散したことについては、杉の年輪および家屋塵埃中の砒素量の分析からも客観的に裏付けられている。

(一) 杉の年輪中の砒素量

岡山大学公衆衛生学教室は、小又川上流の鉱山から北北東1.5キロメートルの地点の樹齢七〇年の杉の年輪の中の砒素量を分析定量した。

その結果、亜砒酸生産に伴つて年輪中の砒素量が増加し、操業が停止すると年輪中の砒素量が急激に低下するという関係が認められ、同時に年輪中と砒素量との間には、一パーセント以下の危険率をもつて、統計学上の逆相関の関係が認められた。

この杉は、鉱山から上流1.5キロメートルの地点にある関係上、水質汚染の影響は考えられないから、まさに大気汚染によるとしか考えられないのである。

(二) 家屋塵埃中の砒素量

(1) 宮崎県が昭和四六、七年に実施した「土呂久地区の鉱害にかかわる社会医学的調査」中の環境分析調査(以下「県環境分析調査」又は「県調査」という。)における土呂久地区の家屋天井の塵埃の調査によれば、最高八、〇〇〇PPMの砒素が検出され、かつ家屋が亜砒焼き窯に近接すればするほど塵埃中の砒素濃度が高いことが明らかとなつた。

(2) 被告は、右塵埃中の砒素は硫化物であり、バックグラウンドによると主張している。被告の本訴におけるバックグラウンド説に対しては、後に詳細に反論するが、ここでは右塵埃に関連する限度で次の点を指摘しておく。

① 被告が右塵埃中の砒素を硫化物であると主張する根拠は、被告において独自に土呂久地区の家屋の塵埃の分析を行つたところ、砒素分のみならず、鉄分や硫黄分も当該塵埃中から検出されたのであり、この点からするならば、この砒素の結合形態は硫化物と思われるというものであるところ、少なくとも、直接的に当該砒素分が酸化物であるか硫化物であるかが検査されたわけではないのであるから、それだけでは当該塵埃中の砒素分が全て硫化物であるという根拠とはならない。

確かに鉄分や硫黄分と並び、鉛、亜鉛、銅といつたものも検出されたのであれば、当該塵埃がすべて窯からの排煙によるものとすることはできず、従つて当該塵埃中の砒素の中にも窯以外のものに由来するもの、即ち硫化物としての砒素もあるであろうが、だからといつて、当該塵埃中の砒素分がすべて硫化物であると決めつけることも誤りであり、酸化物としての砒素も同時に存在していると考えるべきである。

② このことは、被告による塵埃の検査結果によつても、塵埃中の砒素分については、県の調査におけると同様に焙焼炉に近接するに従い、その濃度が高くなる傾向が認められるのに対し、同じく塵埃中の鉄分や硫黄分については、そのような傾向が認められないことからも明らかである。

③ 大正一四年に土呂久地域の実態を調査した獣医池田牧然の報告書(以下「池田牧然報告書」という。)には、当時の農作物等の被害につき、「被害ノ模様ガ恰モ煙ノ如ク、鉱山ノ付近ガ濃厚デ遠ザカルニ従ヒ薄クナッテイル」と記載されており、現実にも空からの排煙の影響は、相対的なものではあるが、窯との距離に関係していた。

④ そもそもバックグラウンドであれば、地表の汚染のレベルは、長期間の風化、風送によりおおむね均質化しているはずである。

しかるに県調査結果や被告自身の調査によつても、わずか百メートル、二百メートルの違いで、塵埃中の砒素濃度に相当の差があるのであり、このようなことは、バックグラウンドとしては通常考えられないばかりか、前記の如く、窯との距離とその濃度に一定の関係がみられるということ自体、合理的な説明がつかないはずである。

⑤ 家屋塵埃中の砒素量と窯との距離の関係は、何も土呂久に限つたことではない。

土呂久と同様砒素による大気汚染が問題となつた島根県笹ケ谷鉱山においても、宮崎県旧松尾鉱山においても、等しくみられる現象である。

7亡佐藤仲治の実験について

(一) 亡佐藤仲治は昭和一〇年ごろ、試みに、亜砒焼き窯から西南約二〇〇メートル、反射炉から西約六〇メートルの位置にある自宅の庭先で、朝から夕方まで新聞紙を広げていたところ、小さじ三杯分くらいの粉塵がたまつたことを確認し、本訴でこれを供述した。

(二) しかるところ、被告は、右が窯から排出された亜砒酸だとする仲治の供述をとらえ、それをもとに計算してみると、窯から飛散した亜砒酸量の方が、窯から回収された亜砒酸量より多くなり、非科学的であると論難している。

(三) しかしながら、被告の計算は、庭先に降下した粉塵が全て純度九九パーセント以上の亜砒酸であることを前提としているが、仲治は、当該粉塵は相当の不純分を含む亜砒酸であると述べているのである。

一般に窯から排出される亜砒酸は、相当の不純物を含むものである。特に、仲治の試みは、反射炉が出来て格段に煙が多くなつたことを契機とするものであつてその粉塵中には、旧亜砒焼き窯からのもののみならず、反射炉からのものが相当にあつたと思料されるところ、この反射炉においては、集砒室内部に沈降した亜砒酸さえ全て純度が悪く精製したのであるから、そこに沈降しなかつた亜砒酸は、更に多くの不純物を含んでいたと考えられる。また排煙中には、亜砒酸以外にも、燃料その他の炉への装入物に基因する粉塵が相当に含まれていることも当然である。

従つて、このような粉塵を、全て純度九九パーセント以上の亜砒酸として計算すること自体、全く非科学的である。むしろ、当該粉塵の純度を考慮に入れれば、仲治の供述は、亜砒酸生産量と比較しても、何ら不合理なところはないのである。

(四) そもそも、前述のとおり、亜砒酸焙焼における収率は、粗製で七〇〜九〇パーセント、精製で八〇パーセント等と言われているのであるから、飛散する分と回収分の割合はほぼ一対四ということになる。

従つて、この収率が五割程度に低下すれば、外に出る量と回収される量は等しくなるのである。

ところで亜砒酸の焙焼は、下手な者がやると、亜砒酸が外に飛び出して製品がとれないとされており、やり方によつてはその収率が極端に低下し、むしろ窯の外に出る方が多くなるのである。

してみれば、仮に、窯より飛散した量が、窯で回収した量より多いことがあつたとしても何ら問題はないのである。

(五) 要するに仲治は煙のあまりのすさまじさのために、自ら素朴に試みたことを、そのまま素直に供述しているにすぎないのであり、以上の点からしても、その内容に何ら不合理なところはなく、それに対する被告の論難こそ非科学的である。

8まとめ

以上種々論じてきたところからすれば、被告の、亜砒酸は窯から出ないとか、仮に出ても飛散することはないといった主張がまったく失当なものであることは明らかであり、日本有数の鉱山企業である被告が、このような主張を維持してはばからないこと自体、極めて遺憾である。

池田牧然は、大正年間において、右の如き主張に対し、

「亜砒酸ハ風ニ吹カレテ散布スルモノデナイカラ亜砒酸ノ直接被害ハナイト云ハレタ事ヲ閃聞シタ果シテ事実デアルカ若シモ地位アリ学識アル人ガ其ンナ事ヲ云ハレタトスレバ意外ニ驚カザルヲ得ナイノデアリマス」と述べて、その意図を怪しんだが、半世紀を経た今日においても、被告は同様の姿勢をくり返しているのである。

四亜硫酸ガスの排出

亜砒酸の焙焼は、前述のとおり主として鉱石中の硫黄分を自燃させて行うものであるから、それに伴い、必然的に亜硫酸ガスが発生する。

そして、亜硫酸ガスは、常温で気体であるから、発生したすべてが、窯から排出され、土呂久の谷間を汚染したのである。

この亜硫酸ガスが排出されたこと自体は、被告も認めるところであり、またこの亜硫酸ガスは鼻をさすような臭気を伴うものであるところ、それが広く地域に充満していたことは、疑いのない事実である。

第三捨石および鉱滓の堆積

一堆積場所

鉱山の操業に伴い、必然的に多量の捨石(ズリ)や鉱滓(カラミ)が生ずるが、それらはそのまま鉱山作業所の周辺に堆積された。

堆積場所は、操業の経過に伴い、次第に増えていつたが、具体的には一番坑手前の川べり、大切坑付近の川べり、佐藤操方の横、各坑口付近新焙焼窯手前の谷間等である。

二堆積方法

2野積みのままに放置

捨石や鉱滓は、前記場所に単にそのまま積み重ねられ、或いはころがされていつたのみで、堆積場所に対し崩壊流出防止や、雨水の浸入、浸出或いは粉塵の発生等を防止する何らの措置も講じられていなかった。

特に戦前においては、砒鉱の焼きがらは昭和一〇年ごろまでは、そのまま川に投げ捨てられていたのであり、また土呂久川の川べりの捨石にあつては、戦前戦後を通じて大雨等の場合にそれが土呂久川にそのまま流れ込むような状況であつた。

2被告主張の欺瞞性

被告は、捨石、鉱滓の集積は、鉱山保安法上、監督局に届出て認可を受けねばならず、勝手にころがして廃棄できるものではないから、当然石垣積等の崩壊流出防止の措置が講じられていたものと推測されると主張している。

しかしながら、これは、明々白々な事実を無視した強弁であるばかりか、仮に被告主張の如き認可が必要であるとしても、この主張は、取締法規があつたが故に、それに違反する行為はなかつたと言うが如き暴論である。

しかも、捨石や鉱滓の堆積に関し、そのような認可を受けていたという具体的な主張、立証は全くないばかりか、戦後の本件鉱山の亜砒酸焙焼の責任者である日野清吉自ら次のとおり述べている。

即ち、戦後新亜砒焼き窯の建設につき、鉱山保安監督局に対し、その認可申請をするにあたり、図面上は、雨水等の流入を防止するための排水溝、捨石鉱滓の崩壊流出防止のためのかん止石垣等を認可をとおすため記載したが、実際はそのようなものは作らなかつた。また、局の者が後で見に来ても、その点はクレームはつかなかつたというのである。

まさに取締法規の存在など、書類上のつじつま合せをしただけで、堂々とこれを無視していたのであり、またそれを監督すべき立場の行政もそれを黙認していたのである。

さらに言えば、鉱山は新亜砒焼き窯の建設にあたり、岩戸村との間で契約を締結しているが、その契約書第二条には、「焙焼炉施設は法規のとおり実施し、鉱さいの処理については厳重に対策を講じ、自然飛散の防止及び河川流入を防止する施設をするものとする」とうたわれている。

要するに、鉱山は単に法規の要請するところを怠つたというだけでなく、住民との契約に特にうたつたことも、何ら意に介することなく無視したのである。

三捨石の有害性

1捨石と鉱石との完全な選別は不可能である。

被告は、捨石は鉱石と共に掘り出され、選鉱の際除けられた土砂にすぎないから、有害物は含まれていないというのであるが、土呂久鉱山における鉱石の選鉱は、全て手選によつていたのであり、そのような簡単な手段である以上、完全な選別など不可能であつて、捨石中にも一部鉱石が含まれてしまうことは不可避である。

また土砂とはいつても、鉱床に長期間密着していたものであるから、地表の通常の土砂と比較し、有害物の含有量が相当に多いものであることは当然である。

2捨石の分析結果

このことは、土呂久において、宮崎県、福岡鉱山保安監督局および生田助教授がそれぞれ行なつた捨石の分析結果のいずれにおいても、高濃度の砒素が検出されていることからも明らかである。

なお、被告自身の分析結果も宮崎県の行なつた分析結果とほぼ同様であつたということである。

3捨石による環境被害

現実にも、戦後この捨石を土呂久地区の道路に敷きつめたところ、雨でそれが田に流出し、作物が出来なくなつた事実が存在するのである。

ちなみに、土呂久と同様砒鉱が採掘された島根県笹ケ谷鉱山においても、雨で捨石が田に流出して、作物ができなくなつたことがあつたことが報告されている。

なお右笹ケ谷鉱山における捨石の風化した表土や坑口付近の堆積場などからは、一万PPM以上の砒素が検出されており、宮崎県松尾鉱山の捨石においては、四、〇三〇PPM、また大分県木浦鉱山の捨石においては二三、〇〇〇PPMという値が報告されているのであつて、これら他鉱山の分析結果からも、捨石の有害性は明白である。

更に捨石や鉱滓は、それへの雨水の浸出入による汚染のほか、それ自体風に吹かれて粉塵となり、周囲の大気、土壤、水質を汚染する発生源となるものである。

それを防止するには、覆土植栽等がなされなければならないが、土呂久においては、一切そのような措置はとられず、野ざらし雨ざらしのままで放置されてきたのである。

四亜砒焼き窯の放置

1旧亜砒焼き窯の放置

昭和一七年ごろまで使用された旧亜砒焼き窯は、それによる亜砒酸焙焼が終了した後も、撤去されることなく、そのまま放置された。

この旧亜砒焼き窯は、前述の如く石積みの極めて原始的な造りのものであつたから、時の経過と共に自然に崩壊し、原形をとどめないようになつていつた。

当然のことながら、亜砒焼き窯の内部には、多量の亜砒酸が付着残留しているのであり、そのような窯が何らの措置を講ぜられることなく、昭和四〇年代に至るまで崩壊するままに雨水にさらされ続けたのである。

2新亜砒焼き窯の放置

新亜砒焼き窯についても、昭和三七年の操業中止後内部に多量の亜砒酸を付着させたまま放置された。

これが取り毀され覆土されたのは、昭和四六年末であるが、その際内部より回収され、佐賀関精錬所に送られた亜砒酸の量は約二トンであつた。

被告は新亜砒焼き窯に残されていたものは、窯のハツリカスであり、亜砒酸ではないと主張しているが、それが亜砒酸であることは宮崎県調査での分析結果からも明白である。

また、被告は新亜砒焼き窯の内部に雨水が流れ込むことはないから、内部の亜砒酸が雨水にさらされ、周囲を汚染したことはないと主張するが、新亜砒焼き窯の木造の屋根等は、相当に破損し腐蝕しており、集砒室の屋根も三号室、四号室は鉄板ではなく松板であつたというのであるから、同様に破損、腐蝕していたと考えられ、雨水が内部に流入し、亜砒酸を外部に流出させていたことは明白である。

3亜砒焼き窯も汚染源である。

これら亜砒焼き窯の放置は、捨石や鉱滓の堆積と同様、土呂久の土壤、水質を汚染してきたことが明らかである。

また、鉱業法は損害賠償の責任原因事実として、土地の掘さく、坑水もしくは廃水の放流、捨石もしくは鉱滓の堆積、鉱煙の排出の四つをあげているが、亜砒焼き窯の放置も右捨石や鉱滓の堆積に準ずるものとして、それに含めて解釈すべきである。

第四坑水の放流

一坑水による汚染のメカニズム

鉱山における坑水による汚染のメカニズムについては、一般に次のように説明されている。

即ち、地表に降つた雨水は、一部地表を流れ、一部蒸発し、一部は地下に浸透し、土壤や岩石の隙間を通つて降下する。この降下した雨水が金属鉱床に接触すると、その量や種類は鉱床の種類によつて異なるが、当該鉱床中の金属分が溶出することとなる。

そこにさらに鉱物の採掘作業が始まると、鉱石の破砕、通気量の増加、水脈の変更、異動、時には水量の増加などの原因によつて、鉱物の酸化、溶解が促進され、一般に水質汚濁の度合が増加する。この鉱床地帯を通過した水は、主として坑道の坑口を通して坑外に排出され、この坑水は鉱山の操業中に限らず、鉱山の操業が終結した後にも依然として坑口から流出し、公共用水の水質汚濁の原因となるほか、それが農業用水として利用される場合には、土壤汚染を通じて農産物に被害を及ぼすことになる。

二大量の坑水の流出

土呂久鉱山では戦前より、坑水の流出が多く、昼夜三交替での排水作業を必要とするほどであつた。もつとも戦前大切坑ができた後は、坑水は全て大切坑より導水勾配に導かれて排水されるようになつたため、一時排水作業の必要がなくなつたが、その後大切坑より更に下部に坑道が掘り下げられて行くに及び、再び二四時間三交替の排水作業が続けられた。

大切坑には、幅と深さそれぞれ約五〇センチメートルのU字溝が設けられていたが、常時このU字溝一杯に水が流れている状況であり、大雨のあとには、この溝から水があふれ、時として人間の腰の高さくらいにまでなることもあつた。

また戦後、この坑水の流出のため、坑道が水没し、一時休止のやむなきに至つたこともあり、また昭和三七年の閉山も、この水没事故が契機となつているのである。

三坑水の土呂久川への放流

このような多量の坑水は、砒鉱の鉱床の間等から流出してくるものであるため、前述のとおり当然のことながら、相当量の砒素分、その他の有害物質を含んでいるものであるが、それらを除去するための措置は何ら講ぜられないまま土呂久川に放流され続けた。

そしてそれが下流の東岸寺用水にとり入れられ、田畑の灌漑用水、飲料水、生活用水等として使用されたのである。

戦前の土呂久鉱山の神崎所長は、坑水を土呂久川に放流はしたが、それは石灰岩の間から出てくるきれいな水であつたと述べているけれども、当時は砒素等の含有量の分析もされておらず、右の言は、単に見た目にきれいであつたことをもつて安易に放流していたということを意味するものでしかない。

なお、土呂久地区の児童の健康状態の異常に気付き、そこから本件土呂久鉱害を調査、公表した岩戸小学校教諭の斉藤正健氏が、土呂久地区の父母から得たアンケート調査の回答によれば、

「閉山となり、その時鉱内より水が噴出し、その時用水の水も乳液の様な水が何日も流れました」「用水はいつも底が見えないほど、どろどろの青白い水が流れ、それを飲料水に使つていた」等の状況が存したのであり、決して見た目にも常にきれいな水とは限らなかつたのである。

第五汚染の継続

以上に、本件鉱山における環境汚染源としての鉱煙の排出、捨石や鉱滓の堆積、および坑水の放流について述べてきたが、このうち鉱煙の排出については、前記の亜砒酸製造が行なわれていた期間に限られる。

しかしながら、後の二つは、その性質上、当然のことながらそれと関係なく、鉱山が閉山になつた後も操業時と同様汚染源として存在し続けてきた。

これは、都市型公害と異なる鉱山鉱害における環境汚染の大きな特質の一つである。

即ち、一般の工場においては、操業を停止すれば、煙や水も出なくなるためそれによる環境汚染も停止するが、鉱業においては、製錬や選鉱過程から生ずる鉱煙や廃水は、操業停止によりとまつても、鉱業の用に供された坑道から出る坑水や捨石又は鉱滓の堆積物は。操業が停止されてもそれがそのままの形で存在し続ける限り、相変らず環境汚染源としての地位に変化はないのである。

要するに鉱山鉱害における環境汚染は、操業による汚染のみではないのであつて、これは鉱山鉱害の本質ないし宿命である。

ちなみに国は、昭和四八年、金属鉱業等鉱害対策特別措置法を制定し、鉱業の用に供される坑道及び捨石又は鉱滓の集積場の使用の終了後における鉱害を防止するための施策につき、立法上の措置を遅まきながら講じたが、これはまさに右の鉱山における汚染の特殊性を踏まえたものにほかならない。

本件鉱山においても、この理は例外でなく、昭和一七年頃の休山から戦後昭和二二年頃の再開までの間および昭和三七年の休山以降の時期においても、捨石および鉱滓は堆積され続け、坑水は放流され続け、それによる汚染は継続したのである。

第二節環境破壊――鉱毒被害

第一土呂久の地形の特徴と大気汚染

一土呂久の地形の特徴

土呂久地域は祖母山、障子岳、古祖母など標高一、六〇〇メートルから一、七〇〇メートルの山なみに囲まれた谷間の山村である。中央の谷底を流れる土呂久川はその源を古祖母に発し、惣見地区を通つて支流小又川を合し、山なみにぶつかつて鋭く屈曲し、畑中地区を下つて支流畑中川と合し、やや平坦な南地区を南下して立宿・東岸寺を経て岩戸川本流に合流する。

昭和三〇年から亜砒酸を生産した新焙焼炉附近でみれば山頂までの比高三〇〇メートル斜面上部の谷幅約一、五〇〇メートル、谷壁を形作る山の斜面は急峻で土呂久川の屈曲に合わせて複雑に凹凸する。文字通り周囲を山に囲まれた閉鎖的な地形である。

二谷と大気汚染

環境汚染の第一次的な、または主要な原因は大気汚染と言つて良い。

前記斉藤教諭がアンケート調査により環境破壊の実態を調査したところ、天気の良い日には草を払うと白い粉が舞つていたこと、大豆や小豆の葉が黒くなり花が咲かずに結実しなかつたこと、梅・柚子・かぼす等の木が枯れた事実が明らかとなつた。これら農作物の被害は鉱山の操業当時深刻な大気汚染があつたことを示している。

被告は焙焼炉の煙突から煙は出ないし、亜砒酸粉は飛散することはない旨主張するが、住民の語る前記被害の事実は、大気の汚染以外にその原因を考えることができない。

煙突から出た煙や汚染物質は風によつて運ばれながら次第に清浄大気と混合し、拡散希釈されてゆく。大気中の汚染物質の濃度は空気中の移流(風)と乱流運動によつて影響される大気の安定度が重大なかかわりを持つ。大気の不安定の時には上下層の空気の交換が活発であるので汚染物質は上空に拡散し易いが大気の安定の時には空気の交換が少なく拡散も弱くなる。そしてこのような空気の動きは、地形によつて影響され、渓谷や谷間では、山の斜面が太陽熱で熱せられた結果、日中は谷の上部や斜面の上方部へ向つて吹く谷風が、夜間には山腹の放射冷却のため空気の密度が大きくなつて、日中とは逆に斜面に沿つて下方へ吹き降りる山風が吹く。

更に、日本科学者会議宮崎支部の「土呂久大気環境調査報告」(以下「科学者会議報告」という。)は、山谷風のような局地的循環風が汚染物質を効果的に拡散するという保証はないと指摘しているが、被告の依嘱による気象協会報告の中の山谷風のモデルによると、日の出頃から夜の始まりにかけて循環風のあることが示されており、循環風の中では汚染物質は谷の上を越えて拡散することなく、谷の内部で循環しながら環境を汚染し続けてゆくことの可能性が理論的に明らかにされている。

すなわち、日中は循環風によつて汚染物が谷の内部を循環し、夜間は山風が谷間の内部に散在している汚染物質を長い間狭い区域に閉じ込めるとともに、大気が安定しているときには汚染の濃度をより一層高める要因となる。

三土呂久の気象と大気汚染

1気温の逆転

土呂久鉱山は昭和三七年以後鉱煙を排出していない。従つて煙の拡散の状況は住民の証言や気象学上の一般理論及び実験から推定するほかない。

大気が安定しているときには汚染物質は拡散し難くなり、気温逆転となると一層拡散し難くなることは、前記気象協会報告でも明らかである。

土呂久地区において、濃密な汚染を起こす程の大気の安定が存在したかどうかは、宮崎大学の野中善政講師の実験によつて確認された。その結果は次のとおりである。

標高五二〇メートル(新亜砒焼き窯のあつたところと同じ高さ)の地点(B点)、同六四〇メートル(A点)、同七六〇メートル(C点)の各地点における昭和五三年五月一日より同年末までの気温観測のデータが示すところでは、

一般的にA点の最低気温が焙焼炉地点より高いこと。

春と秋に逆転層形成の時刻が早まり、その持続時間も長く、夏では午後四時頃より一七時間程逆転現象が存すること。

晴夜には放射冷却が盛んで逆転が多いこと。

観測期間中の六一パーセントに当る日に逆転現象が見られた。そして、標高六四〇メートル前後のところから七六〇メートルまでは逆転層を形成し、その下方、つまり谷の下方は気温が低いのであるから、煙は六四〇メートルの上方には上らないであろうことが理論的にも実証的にも認められるといつてよい。

加うるに土呂久の谷の東西の山頂は八五〇メートルないし八七〇メートルであるから、逆転層の上限の高さは山頂の下にあり、従つて煙が山頂を越えて拡散する可能性もないことが明らかとなつた。

2煙流実験と逆転層

気温観測の結果、その存在が明らかになつた気温の逆転現象は、野中講師が実際に行なつた煙流実験(以下「野中煙流実験」ともいう。)の結果でも実証されている。

気温が逆転した状況下での午前六時三〇分に発煙し上昇した煙塊は標高約七五〇メートルに達した後、東風、南東風に乗つて水平に拡がり、二五分後には斜面風で谷間に二層になり、四五分後には北々西の風で更に一様に谷上に拡がり、下層が次第に煙で曇り乱流の影響を受け煙の層が波うちながら谷をいぶしている状況が認められる。煙は下層へ沈降する傾向を見せつつも、七五〇メートルの高さより上に上昇することはなかつた。

逆転層が消滅した午前九時過ぎには、煙は上方へ拡散した様子があるが、それでもなお山頂を越える状態ではない。この実験は昭和五三年一一月五日の早朝僅か二時間四五分の試みに過ぎないが、気温が逆転し始めた一一月四日の夕刻からの煙であるならば谷間全体を覆う状況を現出したであろうことを容易に推定することができる。

同年一二月二四日の煙流実験は新亜砒焼き窯より一〇〇メートル以上下方の反射炉跡地でなされたが、やや風の強い条件下でも煙は大気の下層でたなびく傾向を示し、大気が谷底で安定した状態を現出している。

3汚染の範囲

(一) 亜砒酸粉塵の場合

鉱石の焙焼によつて生成する亜砒酸粒子が焙焼炉の煙突から排出され、土呂久の谷の中を覆つたことは疑う余地がない。

亡佐藤仲治が庭先で広げた新聞紙に亜砒酸が白くたまつた事実、草や木の葉にきらきらと光る粒子が見られたという事実、地域住民の自治組織和合会の議事録の中に「煙害」という語が何回となく出てくる事実は、亜砒酸その他の汚染物質が上空へ拡散することなく、谷間に滞留し、そして降下していたことを明白に証明している。

この大気汚染の範囲はどうであつたか。

発生源より排出される汚染物質は、距離が遠ざかるにつれてその濃度を漸減するといわれる。

土呂久と同様に亜砒酸を生産し、環境を汚染された笹ケ谷地区の環境調査においては、古い家屋の天井裏及びはり等の塵埃中の砒素の測定の結果、旧精錬所からの距離が近い程ダスト中の砒素量が多く、遠くなるにつれて少なくなる傾向があつた事実が指摘されている。

ここで注目すべきことは笹ケ谷地区では精錬所の煙突は山頂にあつて、排煙は周囲にさえぎるものがなかつたにもかかわらず環境を汚染していたという事実である。

一方宮崎県環境分析調査での土呂久地区の家屋の砒素蓄積量調査の結果、天井の梁上面の煤塵から検出された砒素は、焙焼炉より遠ざかるにしたがつて、その濃度が減少している事実が示された。砒素の検出範囲は、旧亜砒焼き窯より北西六〇〇メートル、南へ一〇七〇メートルに及び、土呂久地区の五五世帯は旧亜砒焼き窯より二〇〇〜一二〇〇メートル、新亜砒焼き窯より五〇〇メートル〜一三〇〇メートルの範囲内にすべて納まつているから、砒素の検出結果は土呂久全域に汚染が広がつていたことを証明している。

更に興味深い事実がある。土呂久鉱害が公けになつて以後、宮崎県当局は泥繩式に鉱滓堆積場を埋立てたが、埋立後の鉱滓堆積場周辺の大気粉塵の調査の結果によれば、ズリ堆積場跡より約四〇メートルの雨といの中の降下塵の中に砒素二、二〇〇PPM、椿の葉表面の塵埃の中に砒素一、三〇〇PPM、三〇〇メートル先の橋の欄干上の砂塵中に砒素五四〇PPMが検出されている。このことは不完全なズリ堆積場の埋立が環境汚染源であつたこと、これより遠ざかるにつれて大気汚染の程度が薄まつていることを示しているものと言えよう。

前記のとおり、土呂久地区における大気の砒素汚染は、汚染源より遠ざかるにしたがつてその程度が異つていることは、笹ケ谷地区のそれと全く同一の傾向を示した。この事実は、被告主張のバックグラウンド説では到底説明することのできない現象である。

ところで、前述のように笹ケ谷地区では煙突が山頂にあつたにもかかわらず、汚染物質たる亜砒酸は同地区の環境を汚染していた。このことは、被告が土呂久地区の環境汚染を矮小化している主張の根拠のないことを示したものということができる。

前記の笹ケ谷周辺地区の環境調査では、笹ケ谷は煙突からの排煙をさえぎるものがなかつたが、土呂久は狭い谷間であつたが故に笹ケ谷の一〇〜一五キロメートルの家屋では土呂久の五〇〇メートル以内のものと同じレベル(最高二一八PPM)、二〇〜五〇キロメートルで土呂久の五〇〇〜一〇〇〇メートルのものと同じレベルの砒素量であつて、土呂久は局所的な濃密な大気汚染があつたとしている。

(二) 亜硫酸ガスの広がり

亜砒酸の精錬は、前述のとおり、必然的に亜硫酸ガスを発生させる。

土呂久においても鉱石の焙焼によつて亜硫酸ガスが大量に発生した。

ところで、前記気象協会報告によれば、高千穂の平均風速は一〜二メートルと認められ、かつ土呂久は高度差が三〇〇メートルあり、はっきりした南北の走向をもつ谷に存在するので、南北の山谷風が高千穂の場合よりも顕著であると指摘されている。これによれば、土呂久では年平均風速が秒速二メートルと推定してもおかしくはない。この風が谷間の大気汚染に影響を与えたことは容易に推定できる。

また、戦前の旧亜砒焼き窯は、新亜砒焼き窯に比べより原始的な構造で、谷底である川べりに存在したから、亜硫酸ガスは谷底に広く滞留したであろうことは容易に想像できよう。

第二土壤汚染の実態

一土壤汚染の原因

前述の通り、土呂久の谷間は深刻な大気汚染があつた。大気中を風によつて運ばれた亜砒酸粉等は地表に降下し、水田や畑等の農用地・牧草地を汚染した。また、それは土呂久川やこれから導入する東岸水用水などの生活用水にも容赦なく降下して水を汚濁した。地表に降下した亜砒酸粉は土中に浸透し、或いは表流水・地下水に溶け込んで土壤を間断なく汚染した。

また、鉱山操業中に生ずる捨石(ズリ)、鉱滓(カラミ)等は、土呂久川に沿い、或いは谷間に小山のように捨てられて堆積したが、この上にも亜砒酸粉は降下し、ズリ、カラミそのものに含まれる砒素とともに、雨の日には浸出水の中に溶け込んで土呂久川に流れ、土壤汚染の原因となつた。

また、亜硫酸ガスは空気中の水分と結びつき、或いは酸化されて地表を汚染した。

鉱山は、昭和一六年に一旦操業を中止し、昭和三〇年の操業再開の後昭和三七年に閉山となつたが、操業の中止・閉山後にも企業は砒素・銅・鉛・カドミウム等の有害重金属を含んだズリ山をそのまま放置し、亜砒酸を大量に附着させたままの新亜砒焼き窯を取壊すことなく放置した。そのため、操業がなくなつた後も雨水はこれらの放置されたズリ山などに汚染物質を溶け込ませて土壤汚染を継続せしめた。

二土壤汚染の実態

1科学者会議宮崎支部の調査

(一) 有害重金属等の検出

宮崎大学農学部生田国雄助教授は、水田、畑等の、通常の土壤中に含まれる重金属について衝撃的な調査結果を報告している。

ズリ堆積場に近い佐藤操所有の旧水田・畑は通常の土壤中に含まれる砒素含有量の平均値六PPMの六三〇倍ないし九〇〇倍という高濃度の砒素に汚染されており、同所より南へ二〇〇メートルの水田でさえも表層土で五七倍以上の高い砒素で汚染されていた。また、鉛・カドミウム・銅・錫・亜鉛の含量は通常の土壤の平均含量よりもはるかに高く、鉛で四九倍、カドミウムで九七倍、銅で三〇倍、錫で二五倍、亜鉛で二二倍という高濃度に達する。銅・亜鉛・鉛などは土壤中に大量に含まれると農作物等の生育を阻害するものといわれており、以上の分析結果はこれら重金属類の複合汚染を受けていることを示している。

そして、同助教授によれば、大切坑を中心にズリ堆積場から距離が遠ざかるにつれて水田畑地の砒素含量が漸減する傾向があることが指摘されており、ハウスダストに見られる砒素含量に示された大気汚染と相関関係にあることが明らかである。

また、鉱滓からは最高二九五、〇〇〇PPMという驚異的な高濃度の砒素が検出された。本件鉱山ではズリ・鉱滓の処理はそれぞれ別個の堆積場を設けることなく、同一場所に混合して堆積させていたので、各所のズリ堆積場にあつた鉱滓とそれに含まれる砒素量は膨大なものであつたろうと推定される。

(二) 汚染原因物質の放置

被告は、以上の分析結果は特殊な一部の土地のものであつて、土呂久地域一帯の一般値、代表値であるとは言えず、これをもつて、全体を推し測ろうとすることは誤りであると主張する。

しかしながら、被告の右主張はその発想において根本的な誤りをおかしている。生田助教授の採取した試料は、指摘のように限られた土地やズリ堆積場等から得られたものではあるが、問題は砒素・銅・亜鉛・鉛・カドミウム等の有害重金属類を大量に含有した鉱滓や農用地が操業中はもちろんのこと閉山後にもなんらの処理がなされることなく、長い年月の間土呂久の谷間に放置され環境を汚染する汚染源として存在したことにある。長年月放置されたズリ堆積場のズリやカラミは風化作用と風送による汚染物質の排出源となつていたことは、雨どいや橋の欄干上の塵埃から高濃度の砒素が検出されていた事実から十分推認することができる。

また、ズリ堆積場や農用地に降つた雨が表流水、浸出水となつて土呂久川を汚濁し、土壤を汚染する原因をなしていることも否定できないであろう。

「日本科学者会議宮崎支部報No.21」に記載されている討論の中では、ズリ山から水に溶解して運ばれたもの、ズリ山から飛来する粉塵に含まれているものが畑・水田の汚染の原因をなしていると考えられる旨指摘されている。

2宮崎県の調査にみる土壤汚染

(一) 宮崎県の分析結果

(1) 前記宮崎県調査において、大切坑前の貯鉱場鉱石・ズリ、大切坑ズリ、新亜砒焼き窯付着物・カラミ、同焙焼炉下ズリ、沢カラミ等の成分分析が行われた。その結果砒素の濃度は最低一、三〇〇PPM、最高は七五六、〇〇〇PPMというもので、いずれも驚くべき程の高い濃度のものが放置されていた事実が明らかとなつている(前記県調査成績)。これらの試料採取点のうち、例えば大切坑ズリは雨天のときには直接水が土呂久川に流れ落ちる場所にあり、鉱山操業中には大気中の亜砒酸粉塵と一緒に川の汚濁に一役買つたものといえよう。

農用土壤の分析結果についても、土呂久地区の砒素濃度はボーエンによる自然含有量0.1〜40PPMをはるかに超えているばかりでなく、周辺の部落よりも明らかに高い数値であつた。

(2) 一方、宮崎県総合農業試験場による農用地の土壤分析結果によつても、土呂久地区は周辺の小芹、立宿などの部落に比べ砒素汚染の程度が高いことが明らかである。

もつとも、その分析値は右県調査成績にみる数字に比し、かなり低いものとなつているが、それは分析の手法の違いによるものにすぎず、いずれにしても、土呂久の農用地は高濃度の砒素で汚染されている事実は疑う余地がない。

(二) 砒素の農用地汚染

砒素は土壤中に大量に存在する場合には、そこに生育する植物は生育阻害を受け、場合によつては枯死してしまうといわれる。環境庁土壤農薬課編の「土壤汚染」によれば、宮崎県神山川流域における砒素に汚染された畑、水田の砒素濃度は九〇〜九五〇PPMで宮崎県調査による土呂久の農用地の砒素濃度より低いが、生育状況は三割から五割の減収となつていることが示されている。

ところで、右「土壤汚染」では、砒素は摂氏一〇度より溶解度を増し、二〇度以上になると多量に溶出する。宮崎県の調査の結果でも二〇度で鉱滓から一、一〇〇〜六、三〇〇PPMの多量の砒素が溶出したことが判明している。そうだとすると、鉱山操業中、閉山後に土呂久の谷間に放置されたズリ堆積場、至る所にごろごろ散乱していた焼滓から雨で溶け出した砒素による汚染はまことに測り知れないものがある。

宮崎県が土呂久地区を砒素汚染地域に指定し、現に農地の客土を行うなど、土質の改良工事を実施している事実も、農作物の生育に重大な影響を与えた汚染のあつたことを示すものである。

更に付言するならば、昭和二八年、本件鉱山の労働組合は、旧亜砒焼き窯のあつた土呂久川辺から下流約一キロの地域を「旧焙焼炉による米作不能地帯」と地図上に明示しているが、この事実は、新亜砒焼き窯建設以前に既に水田耕作が不可能となる程砒素汚染が激甚であつたことを物語つている。

3杉の年輪と汚染

(一) 杉の年輪幅と操業との関係

(1) 土壤の中に多量の砒素が含まれているときには、植物体の生育を阻害する。

前記斉藤教諭が樹齢六〇年と三〇年の杉の年輪の幅を調査したところ、鉱山の操業時には年輪の幅が狭く、操業が止んだ後は順調な生育を示した事実が判明した。

斉藤教諭の年輪調査の結果は、宮崎県調査によつてその正しさが裏付けられている。

すなわち、それによると昭和一〇年から二〇年の間と、二九年から三八年の間の年輪幅が小さくなつているが、この期間は鉱山の操業とほぼ一致していたから、鉱煙の影響とみられるとする。これに対し、対照地区たる山附地区の杉は年輪幅の相違がなかつた。

このような操業期間と年輪幅との相関関係は、岡山大学医学部公衆衛生学教室の研究によつても完全に裏付けられ、操業中に生育阻害を受けた狭い年輪から砒素が検出されている。

(2) これらの事実は、大気を汚染した亜砒酸が風送されて山林の土壤を汚染し、杉の根から樹幹に吸収され、そして砒素は杉の生育を阻害したという証拠にほかならない。

とりわけ、斉藤教諭の調査にかかる六〇年生の杉は、亜砒焼き窯より北方六〇〇メートルの地点のもので、小又川の上流にあり、この杉に操業期間と年輪幅との相関関係が認められたとの事実は、亜砒酸が土呂久川下流地帯のみならず、上流地帯の山林土壤を汚染していたことを示す重要な証拠である。

(二) 宮島教授の杉の成育調査

被告は右に述べた年輪幅と操業との相関関係を否定し、その論拠として九州大学農学部宮島寛教授による材木の生育調査結果を援用する。

しかしながら、同教授は、新亜砒焼き窯から北北西約七〇メートルという汚染源に近い杉・アカマツについて砒素が入つたから生長が低いのか、生長が低いから濃度が高いのかわからないとは言いながらも、砒素濃度が高い時に年輪幅が小さく、その原因は操業中止後の土壤中の可溶性の砒素が吸収され蓄積されたことにあるとして、土壤の砒素汚染が生育を阻害する要因である事実を認めているところである。また、新亜砒焼き窯の南南東六七〇メートル地点の杉についてみると亜砒酸生産量の少ない昭和三三年に比し、その前後の生産量の多い年には年輪幅が小さく、生長率が低いという事実を認めている。

第三川水・生活用水の汚濁

一住民の目で見た土呂久川の汚濁の実態

土呂久地区を南北に流れる土呂久川は、農業用水、生活用水として住民の生活にとつて不可欠のものであつた。この水が亜砒酸等によつて汚れていた事実は、大正一四年の池田牧然報告に示されている。

すなわち「山川ノ水ハ清ク澄ミ渡ッテ居ルガ川中ノ石ハ赤色ニ汚レテ三年前迄居タ魚類ハ今ハ一尾モ見エヌ」と。

大気中から、沈降した亜砒酸粉塵、川べりや至るところに野積みのまゝ放置されたりズリ山から流れ落ちる雨水が砒素を溶かし込んで土呂久川を直接汚濁せしめたことは疑う余地もなく、そのために魚一匹住めない川となつた。

斉藤教諭の行つたアンケート調査の結果では、住民は土呂久川の水を生活用水として利用していたが「用水はいつも底が見えない程どろどろの青白い水が流れ、それを飲料水に使つていた」のであり、水田では稲が生育しなかつた事実があまりにもすさまじい水の汚濁の実態を示している。

また、土呂久の児童・生徒もズリ堆積場近くの溜り水が濁つていたことをその澄んだ目で観察している。

二科学者会議宮崎支部の水質調査

科学者会議宮崎支部が昭和四七年に行つた土呂久地区の水の調査結果が示すところでは、新亜砒焼き窯のズリ堆積場近くの巨岩のオーバーハング部分から滴り落ちる水は砒素一八〇PPM、大切坑坑内水0.085〜0.1PPMと高濃度の砒素に汚染されていた。

土呂久川水系の調査では、溜水より0.544PPM、東岸寺用水取水口より0.08PPMの砒素が検出された。南部落飲料水からは水道水の許容基準0.05PPMを越える砒素が検出されたほか、許容基準に近いものが幾つもあつた。

三宮崎県による水質調査

1河川、坑水

県調査における河川の底質調査分析の結果では、大切坑下流側の河砂から六六、九〇〇PPM、東岸寺用水取水口河砂から四、七六〇PPMもの高濃度の砒素が検出されており、川底の土砂に大量の砒素が含まれていることが判明している。大雨のため土呂久川が増水し、流れが早くなつた場合には、底の土砂を洗つて水の高濃度の汚濁が当然に予測されるところである。

河川等の水質分析結果によれば、東岸寺用水取水点において、最低0.031PPM、最高0.112PPMの砒素が検出され、一一回の採水の平均濃度は0.069PPMに達し、水道水の許容基準をはるかに越える砒素が恒常的に存在していたことを示した。そして昭和四七年六月二三日の採水当日は雨量一〇六ミリ、流量毎分四〇立方メートルで、このときには、0.031PPMと最低に達し、明らかに増水した水に稀釈されたものと認められるが、それでも許容基準に近い数値であつたことは注目すべきである。また採水時の水温は14度から16.8度と相当に低温であるにもかかわらず、高濃度の砒素が検出されているから、水温の高い夏にはなお高濃度に達するものと推定することができよう。

坑内水、浸透水についてみると、大切坑坑内水からは0.04PPM、最高0.108PPMの砒素が検出され、九回の採水の平均は0.75PPMである。

このような河川等の水質・底質調査の結果について、県調査の要約では、大切坑坑内水の流入後岩戸川の合流点に至るまでの間は環境基準を上廻る砒素が多いと指摘し、更に雨天時には晴天時に比して砒素濃度は減少しているが、水量が著しく増しているために、砒素による汚染負荷は増大しているとも指摘しているのであつて、土呂久川水系の汚濁は極めて危険なものであることを裏付けている。

2飲料水

飲料水についてみると、住民は東岸寺簡易水道または一部湧水を利用しているが、県調査の結果はすべて水道水の基準0.05PPMを下回るものとなつていた。しかしながら試料の採水は概ね秋冬、初春頃で、気温・水温の低い時期になされており、気温・水温の高くなる夏のものではない。それでも簡易水道取水点で0.04PPMと高い濃度を示したときもあつたのであつて、気温・水温の高くなる夏場には、砒素の容出量が高まることも推定される。宮崎県も、東岸寺簡易水道及び一部の湧水について砒素の含有量が高いので継続的に水質検査の必要があることを指摘し、水質の安全性を完全に保障するものではなかつた。

生田国雄助教授ら科学者会議宮崎支部も、飲料水の安全性は充分ではなく、公衆衛生的に見て危険な状態であるとして、高千穂町に対し、土呂久地区飲料水の改善を要請しているが、以上に述べた気温・水温と砒素量との関係に照らせば当然のことである。

四汚濁水の毒性

以上の科学者会議宮崎支部・宮崎県による水質調査の数値は本件鉱山が操業を中止し、廃止鉱山となつて一〇年後のものである。一〇年経過しても、土呂久地区の河川水は環境基準を上廻る砒素があり、坑内水は依然として高濃度の砒素に汚染されていたのであつた。

その結果、ズリ堆積場近くの佐藤操方の水田は耕作不能のまま放置せざるを得なかつた。土呂久川の水を利用する水田は大量の砒素に汚染され、宮崎県は水田の客土工事を行つて土壤の改善を行わざるを得ない状態にあつた。水質汚濁はなお継続しているものと言わざるを得ない。

閉山後でもこのように河川水は砒素で汚染されているのであるから、操業中の水質汚濁は想像を絶するものがあろう。亜砒酸は大気中から直接土呂久川、東岸寺用水に降下したであろうし、放置されたズリ堆積場から流れる水はその汚濁の程度を増したであろう。

池田牧然が川には魚一匹住んでいないと報告した程に土呂久川は鉱毒で汚染されたのである。新亜砒焼き窯操業中の昭和三四年には、土呂久川のヤマメが死体となつて流れたといわれるが、土呂久川は毒水の川であつたと言つてよい。

第三節環境破壊がもたらした生活破壊

第一大正年間の環境破壊と生活破壊

一牧然報告等にみる生活破壊の実態

1鉱山操業前の土呂久

土呂久鉱山は、大正九年頃から亜砒酸製造が本格化した。操業前の土呂久住民の生活を当時の獣医池田牧然が見事に描き出している。

土呂久の主要な農産物は椎茸であつて農家は椎茸の生産によつて生計をうるおしていた。養蜂も盛んで、多い者は百箱以上も持つている程であつた。

また、畜産業にすぐれた実績を有し、優秀な馬と牛が飼育されていた。

住民は天恵の自然を利用して恵まれた生活を営んでいたのであつた。

2住民の生活破壊

鉱山の操業によつて亜砒酸が生産されて数年にして土呂久の谷間は荒涼たる沈黙の世界と化した。大正一四年当時の環境破壊の実状は右池田牧然の報告書によれば次のとおりである。

二、三年生の杉は萎縮して成長が止り、或いは枯れて赤ばみ、竹林も殆んど枯れ、雑木も立枯れて、山の斜面は火事の焼跡のような悲惨な状況になつてしまつた。

耕地も荒れ果てて、作付けもできないような状態であり、土呂久川の石は赤変し、魚は死滅していた。椎茸の原木には茸が生えず、蜜蜂も死滅し、野鳥も住めなくなつた。重要な産業であつた畜産業も牛馬の斃死が相次ぎ、壊滅的打撃を蒙つた。

畜産業の損害について、大正一四年四月八日付の日州新聞は「昔は外六馬とて名声を馳ていた程に一農家で五、六頭も飼つていたが、この災難を恐れて今では外部落に僅数頭しか飼つていない。その僅数頭の中二匹迄がまた本年にはいつて亜砒酸中毒を受けたらしく非常な重態に陥つたので岩戸村落は上下をあげての大騒ぎである」と報じた。

このように、鉱煙は住民の生きるための生活基盤そのものを全面的に破壊した。このような悲惨な環境破壊は、和合会の議事録の中に見ることができる。

和合会議事録によれば、鉱煙による被害の記載は大正一二年五月二五日が最初である。そこには「亜砒酸害毒豫防法設備に関する件害毒豫防トシテハ完全ナル設備ヲナシ……」とあり、更に同年一一月二五日には「亜砒酸煙害ニ関スル事項ノ件」と記載され、それ以降議事録の中に「煙害」の語句がしきりに出てくる。

大正年間の山間の僻地の住民には、現代情報化時代と異なり、鉱害に関する科学的知識は、おそらく皆無であつたと考えられるが、住民の被害本能は環境を破壊し、農業を壊滅せしめた原因物質が亜砒焼き窯の煙であつたことを知つたに違いない。和合会議事録の中に頻繁に出てくる「煙害」の語は、前掲新聞報道のとおり地域をあげての死活問題として騒がれたことを物語るものである。

3和合会議事録に見る住民の混乱

和合会議事録によれば、大正一二年一一月二五日の議事録には

「交付金トシテ壱ケ月五拾円ヲ事務所ヨリ支払ヲ受ク可キ事」とあり、大正一三年四月七日のところでは

「一 亜砒酸窯築造ノ件ハ此会解決セリ

一 窯築造手間勘定アリ」

とされ、住民が和合会の中で煙害による被害について具体的にいかなる問題を検討したのか明らかではない。この議事録の記載は、当時亜砒焼き窯が増設され、和合会に幾らかの金銭が支払われた事実を示している。

しかし、亜砒焼き窯建造の件は解決しても、煙害は全く解決しなかつた。一年後の大正一四年五月一〇日の議事録には「一、亜砒酸製造ニ関スル件来ル八日当事者ヨリ役員ニ対シ相談ノ要求アリテ拾日総会ヲ開キタルモ役員及煙害者ヲ同行ノ上事務所ニ行ク事トス」とあり、鉱煙による農業被害がひどく、鉱山側と交渉が行われていた事実を推測することができる。

大正一五年三月から五月までの議事録の記載は鉱山より交付された金員の配分をめぐつて被害住民の間で争いが起こつた事実を示している。同年五月二六日の記載箇所には「被害金分配ニ関スル件 右之件ニ関シテ被害者ノミニテ決定セザル場合ハ本和合会役員ニテオ互相当ノ分配方ヲ講ズル事」とあり、被害金の分配について部落共同体の内部で深刻な対立が生じた事実を認めることができるのであつて、鉱害は平和な土呂久地区の住民の心に亀裂をもたらしたのであつた。

二斃死牛の解剖所見と畜産の被害実態

1牛馬の被害

前掲池田牧然報告書及び獣医師鈴木日恵の証言によれば、土呂久の牛は栄養不足で元気がなく、歩行は不活発、皮毛には光沢がなく、食欲不振、脈搏弱く、胃腸の蠕動微弱、泡を吹いて全身振戦の症状は病名も付けられない異常なものであつた。しかも、一般的には栄養が悪く、下痢するものが多く、流産したり、雌牛には受胎しないものが多かつた。

そして、更に池田牧然は注目すべき事実を刻明に述べている。

栄養不良の牛が四キロ先の立宿部落に転地療養すると、二、三ケ月で症状が快復したが、土呂久に戻ると採食しない。しかし被害を受けていない部落から飼料を持つて来て与えると喜んで食べるが、土呂久の飼料は他部落から来た牛に与えると食べなかつたというのであつた。

この事実は、土呂久の大気が亜砒酸粉や亜硫酸ガスで汚染され、これら汚染物質が牛馬の飼料である牧草を汚染し、汚染された牧草を食した牛が前記のような悲惨な症状に苦しんだという疑う余地もない因果関係の存在を示すものである。

右のような畜産被害は、牧然報告によれば、かつて八五〜六頭の馬が僅かに三二頭、六二〜三頭の牛が五五頭に減つたが、斃死牛馬が多くなつて他部落に預託した牛が二〇頭程に達し、残つた牛も前述の栄養不良等の症状に苦しんでいて、畜産業は壊滅的打撃を受けた。

この畜産被害は、名馬が死亡、その血統書のみがむなしく残つている事実からも明らかである。

2行政と被告の主張の奇妙な一致

したがつて、住民は、畜産組合に対して対策を求めていた。前掲日州新聞が畜産農家の実態を生々しく報道したのは当然であつた。

住民の切実な訴えに対して、当時福岡鉱務署当局は、「亜砒酸は鉱石の中よりガス体として導き、之を冷却凝結せしめて亜砒酸をとるのであるが、其の時冷却しきれないガスが亜砒酸ガスと共に野外へ遁れ出ることは事実であるけれどもアヒサンガスは重みのあるものであるから直に下降し従つて拡がる範囲が限られているので遠距離の草木にまでしみ込むことは学理上立証されないのでアヒサンガスの遊離分散する区域は常に一定範囲草木が枯れ果てているからそれより遠くまでアヒサンは絶対に作用せぬのだ」として、住民の被害対策の要求に応えなかつた。行政当局のこのような姿勢は鉱山側の住民に対するそれと完全に一致していた。牧然報告書によれば、大正一三年にある技術者が「亜砒酸ハ人畜ニハ被害ヲ及ボスモノデハナイト云ツタ」し、「亜砒酸ハ風ニ吹カレテ散布スルモノデハナイカラ亜砒酸ノ直接被害ハナイト云ハレタ事ヲ閃聞シ」たとして、亜砒酸と被害との因果関係を否定し、被害を矮小化した。

大正一四年当時の行政当局・鉱山側の右のような立場は五〇年以上も経過した後でも被告主張の中に変ることなく維持されていることに驚く。

被告は、「焙焼炉で生成された昇華亜砒酸の蒸気は収砒室に導かれ、温度の低下と広い室内断面のもたたらす右の如き低速度により、すべて凝集、沈降して亜砒酸となるので、蒸気のまま大気中に放出されることはない。煙突口における排煙速度もたかだか毎秒二ないし三メートルであり、煤塵や亜砒酸粉の排出量は殆んど論ずるに足らない……仮に微量の排出があつたとしても、亜砒酸の比重は3.865で空気より遙かに重く、炉の直近周辺に落下し尽し、遠くへ飛散することはない」と主張しているが、この見解は大正一四年当時の行政、鉱山側の主張と全く同じである。

かような主張は、亜砒酸等の汚染物質が山谷風等の風に乗つて大気を汚染するメカニズムを否定するものであつて、合理的な根拠を欠く暴論である。被告主張のとおり亜砒酸粉が炉の直近付近にしか落下沈降しないというのであれば、土呂久の大気は常時無風状態であつたということになろうし、亜砒酸精錬所のあつた笹ケ谷地区が広大な範囲で砒素に汚染されていた事実をどのように解するのか理解し難いところである。

3斃死牛解剖所見と死因

獣医池田牧然は大正一四年四月七日斃死牛の解剖を行い、その所見を発表している。それによれば、甚だしい栄養不良、前胃機能衰弱のための反芻作用の停止、肺気泡及び小気管支内の滲出物による充填並びに組織増殖或いは萎縮、気管支リンパ線の腫脹、胃壁の剥離変色・肝臓胃臓実質の脆弱変色等、全身的疾患に冒されており、池田牧然は重病牛の症候及び周囲の草木、その他の動物等の事情など疫学的諸条件を考察して連続せる有害物の中毒によるものではないかとの疑いを明らかにしている。

ところで、亜砒酸と斃死との関係について、日本科学者会議宮崎支部の小野寺良次氏は次のようにそのメカニズムを明らかにした。すなわち牛のような反芻動物の第一胃はルーメンと呼ぼれて四つの胃全容積の約八〇パーセントを占め、そこにはバクテリア及びプロトゾア(原生動物)を主とする微生物が棲息して膨大な発酵槽を形成する。牛が摂取した飼料はルーメン内において微生物による発酵作用を受け草の繊維素も発酵によつて揮発性脂肪酸に転化され、また植物性蛋白質はプロトゾアによつて動物性蛋白質となる。こうして生成された揮発性脂肪酸及び蛋白質は牛の主要なエネルギー源、蛋白源となつているから、このような機序より見てルーメン内の微生物が死滅すれば宿生動物たる牛は死亡する。そして実験結果では、プロトゾアは一〇PPMの亜砒酸濃度で死滅し、バクテリアは五〇PPMの亜砒酸濃度でその生息に影響が出ているといわれる。

右の研究結果よりすれば、亜砒酸粉が付着したままの牧草を食した牛が、強力な毒性によつて胃を冒され、或いはその他の脳署を冒されたと推定するのは容易な結論であろうと思われる。

第二昭和における環境破壊と生活破壊

一戦前

1和合会議事録に見る「煙害」

本件鉱山における亜砒酸生産高は池田牧然が斃死牛を解剖した大正一四年には実に491.2トンという膨大なものであつたが、昭和に入つても昭和三年と五年を除き昭和一七年まで生産が継続した。その生産高の推移をみると次のとおりである。

年度

産額(トン)

昭和1

121.1

2

6.0

3

4

9.0

5

6

130.1

7

159.3

8

49.2

9

149.8

10

151.2

11

45.5

12

134.1

13

225.6

14

229.2

15

283.0

16

166.2

17

3.5

これによれば、昭和六年から亜砒酸の生産が本格化したということができる。そして和合会議事録には、昭和八年一一月二六日以降「煙害」の語句が頻繁に出てくるようになつた。このことは生産が本格化して三年目から亜砒焼き窯の煙が環境に被害をもたらして来たことを示している。議事録中の「煙害」の語が出てくる実状は次のとおりである。

昭和八年一一月二六日

一 煙害ニ関スル件 右の件ニ付テハ石黒主任帰山サレ次第和合会役員全員全部面談スル事  被害調査ヲ各組ニテナシ会長マデ出番ノ事

昭和九年三月九日

一 煙害ニ関スル件 煙害ニ関シテハ和合会ヨリ交照委員ヲ設ケ三月一二日鉱山主任ニ対シ交照スル事ヲ決ス(但シ各組ヨリ二名宛ツ)

昭和九年五月二五日

一 煙害の件 本日中ニ各組ヨリ二名宛ツ委員ヲ選定シ右件ニ付鉱山事務所ニ交照スル事ニ決定ス

昭和十年五月二五日

一 亜砒酸煙害ニ関スル件 会長不在ニ付少細ナル事ハ次回ニ延期ス

昭和十一年旧正月二十四日

一 亜砒酸製造ニ関スル件 煙害費ハ毎月受取高ノ二割五分ヲ会ニ積ミ込ミ残金ヲ只今迄ノ被害者ニテ分配スル事

昭和十一年四月三日

一 亜砒酸煙害契約の件 右ノ件ニ付テハ臨時総会ニテ協議ノ結果鉱山主任松尾一男氏ト本和合会ト契約書ヲ取変シ両者各壱通宛ツ保有スル事ニ決定ス

一 亜砒酸ガマ増加ニ関スル件 本件ニ付イテハ各役員鉱山ニ参上シ主任松尾ニ対シ今後増設ノ亜砒ガマハ出来得ル限リ煙道ヲ延バシ且安全ナル設備ヲナシ煙害ノ少ナキカマヲ増設方ヲ相談申上グル事ニ決定ス

昭和十一年十一月二五日

一 鉱山(ハンシャロウ)、煙害問題並ビニ許可が有ルヤ否ト通路問題ニ付キ役場ニ行キ村長ニ照合スル事ニ決定ス

昭和十二年三月六日

一 亜砒酸煙害ニ関スル件 煙害ノ件並ビニ煙害料金配分ニ付テハ近日内役員会ヲ開キ協議ノ結果程良キ方法取ル事ニ決定ス

昭和十二年三月二〇日

一 亜砒酸煙害料分配ニ関スル件 右之件役員会ニ被害者一同一任サル依テ役員会ノ決議ノ結果左記決定ス故ニ今後ノ分配ハ左記ニ依リ施行スルモノトス

左記(亜砒一箱ニ対シ金一二銭煙害料)

三・〇銭和合会 二・〇佐藤節蔵一・七佐藤忠行 一・六小笠原要三郎 一・三佐藤兼三郎

一・二佐藤茂 〇・七佐藤肋 〇・五佐藤良蔵

煙害料ハ今後和合会会計ニ於テ受取ニ行クモノトス 但シ金(空欄)ノ手当金ヲ煙害料ノ内ヲリ天引シ支給スルモノトス

一 ハンシャロウノ設備ニ関スル件右の件ニ付左記委員ヲ設ケ明二十一日鉱山主任ニ申込ル事(以下略)

昭和十二年三月三十一日

一 ハンシャロウ煙害ニ関スル件 本件ニ付イテハ先般委員ヲ設ケ鉱山主任ニ打合セシ所向ウ、一、二ケ月中ニ設備ヲスルカラソレマデ待ッテ呉レル脳様トノ御話ナリシモ煙害甚ダ多イタメ寸時モ待ツ事出来兼ネルタメ今回委員ヲ選定シ一時モ早ク設備ヲ急グ様申込ミ其レニ応ジ呉レザル場合ハ万巳ムヲ得ズ村長ノ手ヲ経テ県係員マデ交照ノ上設備ノ完全ヲ計ル事ニ決定ス

若シ県ニ出張ノ費用ハ十二年二月廿日ヨリ三月廿日マデノ煙害料金ヲコレニ当テルモノトス

一 県並ビニ村役場ニ出張委員 左記決定ス

会長 佐藤清八 区長 佐藤民蔵評議員 小笠原利四郎

一 鉱山事務所ニ交照委員 左記決定ス

評議員 小笠原利四郎 佐藤節蔵佐藤栄造

昭和一三年二月二三日

一 煙害問題ニ付県行費用払戻シニ関スル件 被害者ノ意見ニヨリ払戻シヲナス事トナレリ 後日必要ノ場合ハ其費用ヲ積込ム事トナレリ

一 煙道延長協議ノ上五月マデ延期スルコトナレリ

昭和十六年二月一九日

和合会鉱山契約満了ノ件 鉱山トノ契約ハ会員ノ一致拠リ中止ノ事

昭和十六年十一月二十六日

一 煙害問題ノ件 右ノ件ハ次回ニ延期シ其節討議スル事

昭和二十三年三月四日

一 鉱山ノ煙害ニ関スル件 各組ヨリ一名宛ツ交照委員ヲ鉱山ニ出シ交照スル事ニ決定

以上の議事録記載によれば、住民は深刻にして激甚なる鉱煙の被害に苦しみ、毎年のように鉱山側と被害補償についての交渉をなし、特に昭和一一年には亜砒焼き窯増設の計画に対して安全設備を要求する程であつた。

そして昭和一〇年頃に大切坑の対岸に反射炉が設置されたが、その鉱煙による被害は激しく、住民は安全な設備を要求して、鉱山側の一、二ケ月待てとの回答に寸時も待つことはできないと県当局との交渉を決定した程であつた。いかに煙害がひどかつたことか、和合会議事録の簡潔な文章から容易に想像することができよう。

本件鉱山は昭和一七年に亜砒酸3.5トンを生産して以後、戦後の再開に至るまで操業を中止したが、鉱煙の去つた昭和二三年三月に住民が煙害問題で鉱山側と交渉する旨の議事録の記載は、操業中の土壤汚染が依然として継続し、農業被害が絶えなかつたことの証左である。

2斉藤教諭の調査結果による生活破壊

戦前の鉱煙による環境及び生活破壊の実態は斉藤正健教諭の真摯な調査レポートに刻明に発表されたが、その真実性は疑う余地もない。同人が教育研究全国集会で発表した資料がそれである。

同人が旧岩戸村村会議員佐藤十一郎より取材したところによれば、昭和一〇年から一六年までの間、亜砒焼き窯、特に反射炉からは黒や黄色の煙が土呂久南側を中心に谷間を這い、煙は谷間を上つたり下つたりして農作物に被害を与えたとの生々しい事実が語られた。この情景は煙が風に乗つて谷間に広がつていたことを再現するものであつて、野中煙流実験の結果の正しさを裏付けるものということができる。

佐藤十一郎は和合会の代表らと共に昭和一六年福岡鉱山監督署へ出掛けて被害の状況を陳情した人物であつたから、同人の供述は十分に信用し得るところである。

また、住民のアンケート調査の中には、「夜は多量に煙を出すので朝は雲海のように煙がいつぱいでした」と述べられていてこの情景は土呂久の谷が夜間逆転層の下で煙に閉じ込められていたことを示すものである。

このような鉱煙の影響で、大豆や小豆は大きくなると葉が真黒になり、花が咲かないので結実せず、柿・梅も実を結ばなかつた。椎茸も生育せず、牛は流産、死産するものもあり、牛を一山越えた部落に預ける者もあつた。池田牧然の報告書が述べたと同じ農業、畜産の壊滅であつた。

3本件の被害者らの供述にみる環境破壊

右に見た深刻な環境破壊の実態は、本件被害者らの供述からも生ま生ましく明らかにされている。

(イ) 亡佐藤数夫は戦前反射炉の南五〇メートル程の所に居住していたが、同人宅と反射炉との間にある田圃では風向きによつて反射炉から激しく煙が吹き寄せ、家に逃げ帰るような凄まじい汚染が現出して、田の作物にはぎらぎらした白い物が降ちていた。

(ロ) 亡鶴野秀男の供述によれば、亜砒焼き窯から約四〇メートルの社宅付近に煙が広がり、真向いの山が見えない程で朝は雲海のような状態で土呂久川の川下にたなびいていた。社宅は杉皮葺、床は竹を組んで床板とする粗末なものであつたから煙は容赦なく屋内に入つていたという。

(ハ) 原告佐藤ミキの生家は、亜砒焼き窯より五〜六〇〇メートル離れていたが、朝は鉱煙は雲海の如く南、畑中部落を包み込むように土呂久川沿いに流れ、のどを刺すような臭気がして、煙は屋内に浸入していた。そして畑のとうきびを束ねるとざらざらしていたという。

(ニ) 亡佐藤仲治の供述によると、同人は亜砒焼き窯の近くに居住していたが亜砒酸粉は庭に広げた新聞紙に白くたまる程飛散していた。米・麦は四〜五割の減収、椎茸も三〜四割の減収、筍も全く生えない程竹林は全滅し、狂い死にする馬や流産する馬も出たという。そして夜は、ぼうふらも死滅するため蚊張も吊つたことがないというのである。

4鉱山側の煙害に対する態度

(一) 被告は、右に見た和合会議事録の「煙害」を否定するのであるが、被告提出の証拠によつても亜砒焼き窯から亜砒酸粉及び亜硫酸ガスが排出するものであることが明らかである。

すなわち、中島鉱山株式会社の「亜砒酸製造法」には、当時の亜砒焼き窯による亜砒酸製錬に際して「焚キ口ヲ粘土ニテ打チ付ケ、若干ノ通風口ヲ残シテオイテ、燃焼ノ都合ヲ加減シ、煙ノ勢ガ強過ギテ亜砒酸ガ煙突カラ飛ビ出サザル範囲内ニ出来ル丈ケ速ク燃焼シ尽スヤウ調節スルニ技術ヲ要スルモノナリ」として、煙突から亜砒酸粉が排出されることを認めている。そして、亜砒酸粉の排出を防ぐには相当の技術を要するというのである。しかも、「亜砒酸瓦斯ハ気体故煙突ヨリ大気中ニ抜ケ」るとしていることからも、当時の亜砒焼き窯の煙突から亜砒酸粉と亜硫酸ガスが排出されていた事実は明白である。

戦前の鉱山所長神崎三郎も「鉱石を焼く温度を高くすると製品が空気中に飛び出し、温度を低くすると焼けなかつたり火が消えたりしますので、大変むつかしいのです。下手な者が焼くと外に飛び出して製品が採れないのです」と証言しており、これによつても、前述の「大気中に白い粉がぎらぎらしていた」旨の本件被害者らの供述は裏付けられている。

(二) しかるに、同人は亜砒酸の粉が降つた事実はないとか、鉱煙が社宅に侵入したことはないなどと臆面もなく証言している。そうであるならば、同人の本件鉱山在職中に何故に鉱害補償がなされたのか理解に苦しむ。鉱山が昭和一三年三月一九日付で福岡鉱山監督局へ提出した「鉱業ニ因ル被害状況報告ノ件」と題する書面によれば、「精錬作業ニ基因スル煤煙ニ因ル」鉱害補償として「亜砒酸一箱精製毎ニ部落ノ代表者ヘ煙害料トシテ拾弐銭ヲ支払フ」と記載され、しかも鉱煙は「部落一帯」とされている。加えて、鉱山側の「昭和一二年中ニ於ケル鉱業被害ソノ他ニ関スル件」と題する福岡鉱山監督局宛の報告文書には、被害地面積として「附近二部落一帯(凡ユルモノヲ含ム)」と記されているのであつて、これらの資料に照らしても、鉱煙は土呂久地域一帯に広がつていた事実を鉱山側が認めていたのであつた。

なお、被告は同人が昭和一一年より同一六年まで居住した鉱山社宅の写真により、鉱山社宅は原告らが主張するような粗末なものではなかつたとするのであるが、鉱山の最高幹部であつた人物の社宅と末端の労働者の社宅とを同一視するの誤りをおかしているのみか、昭和五一年四月四日に撮影されたとする右の写真では、四〇年以上も経過して、閉山後無人であつたと思われ、通常ならば相当に朽廃するであろう木造建物がその痕跡もなく保存されたことに奇異の感を抱く。

土呂久住民にとつて鉱害の象徴的存在であつた喜右衛門屋敷が朽ちることなく残されていた事実を併せ考えると、右写真に示された建物の保存状況は、むしろ鉱煙の凄まじさを想起させるものである。

二戦後

1亜砒焼き再開

昭和三〇年に新亜砒焼き窯が戦前の旧亜砒焼き窯より約一〇〇メートル上方に新設された。その新設計画は試験焼きということであつたが、昭和二八年十二月一一日付の和合会議事録には、

「何回モノ同伴ニヨリ試験焼ニテモ焼イテモラッテハ困ルト会長他一名鉱山に出向キコトヲワッテ戴ク事ニ決議ス」

とあり、住民は新設に強く反対したことが窺われる。

しかし、結局住民は屈服させられ、亜砒酸の生産を認めさせられたが、その際月額処理鉱量は砒鉱二〇トン、含銅砒鉱二〇トンとする試験的操業とすること、鉱滓の処置、自然飛散の防止、河川流入の防止等の鉱害予防施設を設ける等の条件付で新亜砒焼き窯の設置を認めた。

昭和三〇年以降の亜砒酸の生産量は次のとおりである。

すなわち、生産再開後閉山に至るまでに537.1トン、年平均67.1トンに達し、毎月概ね五ないし七トン生産されていた。

年度

生産高

(トン)

昭和30

55.7

31

83.2

32

61.4

33

17.5

34

48.3

35

105.0

36

112.0

37

54.0

和合会と中島鉱山株式会社との間の前記契約によれば、月額処理鉱量は四〇トンであるが、亜砒酸生産量は月によつては右平均量をはるかに超えていたから、月額処理鉱量も契約に違反し大量に達したことが窺われる。

したがつて、排煙量も増加したと推定することができる。

2新亜砒焼き窯による環境・生活破壊

(イ) 新亜砒焼き窯は戦前の旧亜砒焼き窯より一〇〇メートル上方に建設されたから、鉱煙は低地に比べ遠くへ運ばれていつたと容易に推定することができる。

亜砒酸焙焼の責任者日野清吉は、「煙は山に登つて行くと見えたり見えなかつたりする」程度で、「水蒸気が多いから白く見えた」に過ぎない旨証言しているが、山神社の二〇〇本位の桜の木は葉が先に出て花が咲かなかつた事実を述べているから、鉱煙の影響が桜の木に及んだことは否定し得べくもなく、煙に関する前記証言は全く信用性を欠く。

昭和三四年四月、住民は高千穂町長に対して鉱煙のため「植林、牧草の生育不良、椎茸不作、みつ蜂の死滅」を理由として施設の改善と契約の履行について斡施するよう陳情している。特に施設の廃止を地区民が希望している旨の陳情の趣旨は、いかに甚大な環境・農業破壊があつたかを物語つている。

(ロ) 住民と鉱山側との契約では、鉱害防止施設を設けることとされていたが、その実状はどうであつたか。

操業開始の翌年の写真によれば、大切坑から出たズリは土呂久川の川べりすれすれのところまで山積みされており、亜砒焼き窯直下の谷にズリが積まれている。昭和四八年五月当時には谷という谷がすべてズリで覆われているのみか、土呂久川に鉱滓が落下するばかりに放置されていた。鉱山事務所付近には鉱滓が大量に置き去りにされ、亜砒酸の結晶が認められる焼滓がそのまま残されている。焙焼炉の前にはズリ、鉱滓、団鉱が山のように積まれて放置された。そしてズリは一部道路の修理にも使われた。

このようなズリ山に雨が降れば、亜砒酸を含んだ水は谷を下り、ズリ山の浸出水となつて土呂久川を汚濁し、或いは田畑等の農地を汚染した。住民のアンケート調査の中には「鉱山のバラスを道路に敷いたため、雨水が水田に入り、米は太らず実りが悪かつた」とあり、農業に甚大な被害を与えた。

前掲陳情書には植林、牧草の被害、椎茸の不作、みつ蜂の死滅とあるから、池田牧然報告に見られるのと同様の重大な環境破壊なくしては、このような深刻な被害は起こり得ない筈である。

第四節被告の鉱害矮小化

第一土壤汚染は鉱化作用によるものではない

被告は鉱山地帯においては広範囲に鉱化作用が続いているから、砒素をはじめ重金属類が非鉱山地帯の土壤中の含有量より多く、土呂久の土壤汚染は鉱山稼行とは無関係であるかの如く主張する。

しかしながら、和合会議事録によれば、亜砒酸による被害の記録は大正一二年五月二五日に至つて初めて登場する。同日付の記録は「亜砒酸害毒予防法トシテハ完全ナル設備ヲナシ事業サレン事会員一同萬乗一致ニテ当事務主任ヘ願フ事」とあり、これより前には煙害問題に関する記述はないのである。大正九年頃より本格化した操業による土壤汚染、大気汚染の影響は、二年後位より顕在化し、深刻化してきたことを示すものであつて、議事録中の右の記載は鉱山の操業なくしてはあり得なかつたと解するほかはない。

原告らは、既に池田牧然報告を引用して操業前と操業後の土呂久の自然環境の深刻な変化とその影響を述べたが、このような変化の実状は鉱化帯論やバックグラウンド説では説明がつかない筈である。

被告主張の鉱化作用なるものは、土呂久鉱山地帯の古代の地塊運動により諸岩石を変質せしめて鉱床を形成するに至つた過程を意味するに過ぎず、したがつて砒素を含有物とする鉱石が存在するからといつて直ちに土壤汚染と結びつけることはできない。

また、原告らは汚染源たる焙焼炉より遠ざかるに従つて、天井ダスト中の砒素含量が減じている事実を指摘し、宮崎県調査の要約もその原因が操業による大気汚染によるものであることを示唆しているのであるが、これは笹ケ谷地区の土壤汚染と同じパターンである。

更に被告はハウスダスト中に鉄分や硫黄が含まれていたことをもつてバックグラウンド説の根拠ともなしている。

しかし、土呂久鉱山から産出される鉱石には硫砒鉱、硫砒鉄鉱などがあり、それに硫黄や鉄の含有が高いことは被告指摘のとおりであるとしても、これらの鉱石は露天掘りで産出されたものではなく、坑道を掘削して産出されたものである。掘り出されたこれらの鉱石のすべてが焙焼に用いられたとは考えられず、砒素含量の少ないものは捨石として処理され、ズリ堆積場に放置されたのであるから、鉄や硫黄の微粒子が風送されてもおかしくはない。

第二日本気象協会の「環境大気調査報告」の非科学性

一気象協会報告の意義

(一) 被告は、土呂久地区に激甚なる大気汚染が存した事実を否定し、その根拠として日本気象協会による環境大気調査報告(気象協会報告)の結果を誇らし気に引用し、同協会の権威なるものを強調し、野中煙流実験と観測の成果を矮小化している。

しかしながら、気象協会報告がいかに精緻な計算や実験の成果を誇つていても、それは生まの事実ではない。それは、仮定的に設定された条件を前提とした仮説であつて、真実の実態を反映するものではない。条件設定を適当に変えれば、予定された結論を計算や模型実験から自由自在に引き出すことができる。仮説は、科学的な実態調査とそれに基づく検証によつて、その正しさを証明すべきであるのに、実地検証のない仮説は単に理論を弄ぶに過ぎない。

環境アセスメントは、被告主張の環境影響要因及び要素の確認→現況把握→将来予測→解釈・評価という四段階から成るとしても、右気象協会報告には「現況把握」という最も重要な部分が欠除するという致命的な欠陥がある。土呂久地区の気象に関するデータがないという理由で、地形も気象条件も全く異なる延岡・阿蘇山測候所、大分気象台、高千穂・鞍岡農業気象観測所のデータを用いて恣意的に統計処理・考察を加え、それに基づいて「将来予測」をなしても、科学的には全く意味がない。

(二) 本訴訟において、原告らは土呂久地域に深刻な大気汚染の存在した事実を、斉藤正健教諭の収集したアンケート調査結果や証言、あるいはこれを裏付ける被告提出の証拠等々に基づいて論証した。

野中善政氏の行つた煙流実験や観測は、大気汚染のあつた事実を気象の面からもその真実性を確認するためのひとつの方法として行われたものであつて、原告らはその結果を大気汚染の事実を推認せしめる資料として援用した。本訴訟における争点のひとつである大気汚染の事実の立証方法としてはこの程度で必要且つ十分である。

被告は、右野中現地調査を環境アセスメント手法としては不十分であると非難するけれども、被告自身は、かかる調査すらも全く行つていない、気象協会報告の非科学的な「現地把握」の実態に目を覆つていると言わなければなるまい。野中氏は、百葉箱によつて気象測定を行つているが、同協会はかかる簡便な観測すらもしなかつたのである。

二「気象観測」の手法について

日本気象協会が気象観測を行なわなかつた理由として、被告は、「土呂久では、昔から継続的な気象観測が全く行われていない、そのため土呂久地区の気象を推定するためには、土呂久地区を中心とした周辺地域気象官署の観測資料を用いた」という。

しかしながら、延岡・阿蘇山測候所・大分気象台・鞍岡農業気象観測所の各既存データにいくら統計処理を施したとしても、それらのデータには、土呂久地区のデータを含んでいないのであるから「無」から「有」を生ずる筈がない。土呂久地区とは無関係のデータから生み出された結果をもつて土呂久の気象であると推定されてしまつては原告ら住民にとつて迷惑千万も甚だしい。

三拡散実験について

1拡散シミュレーションによる計算の限界

被告は、客観性・代表性の期待しうる現地調査は不可能であるから、拡散シミュレーションによる濃度計算を行つたもので、その手法が科学的だと主張している。

原告らは完全かつ網羅的な現地観測の必要性を主張しているのではない。計算結果が合つているかどうかを検証することは、我が国有数の企業である被告会社の資金力の範囲でも相当に可能ではなかつたのかを問題にしたいのである。被告のいうように、現地調査が不可能と予想されるならば、気象協会のとつた方法を検証することも不可能と予想されなければなるまい。したがつてその手法が正しいと主張することも不可能であると予想されなければならないであろう。

ところで、大気が地表に沿つて流れる場合、大気と地面及び大気と大気間に働く粘性力によつて、地面近くの大気は混合しながら、高さ方向に速度、温度、密度及び濃度等が変化する。この変化する層は乱流境界層と言われているが、その特性は地面の形状にも関係し、地面に凹凸があると気流は地面からの剥がれと再付着を繰返して、凹部には渦が発生し、流れの場が複雑になる。

また、大気の温度は原則として高さと共に、日中は減少し、夜間は上昇して、いわゆる逆転現象が生ずる。このことは、土呂久地区でも当てはまり、その存在は野中氏の気温観測の結果で明らかである。そして土呂久の複雑地形からして、右に述べた地表に沿う流れも加わり、時間、空間的に複雑な速度、温度変化が生じるものと推定される。

このような場での拡散現象の理論は未だ作られていないのである。気象協会の行つた数値シミュレーションでは汚染濃度を求める際必要となる気流の風向、風速をポテンシャル理論から導かれた式に、現地での測定結果ではない境界条件を仮定して求めているが、土呂久の複雑な地形における気流速度をこのような方向で求めることは不可能である。ちなみにポテンシャル理論は流体の粘性力に起因する乱流境界層及び熱成層を省略した近似理論であつて、これによる解析結果が実際の現象と比較的一致するのは非常に単純な流れの場、例えば静止流体中を定速度で移動する流線形の物体のまわりの流れに対してのみであると言われている。

気象協会報告自体も「もともと、この計算は空気を非圧縮で粘性のない気体として取扱つている。そのため山岳等の障害物の蔭で発生しやすい渦、すなわち地形の後流渦を再現し得ない。この渦は気流に大きな影響を与えるばかりでなく、汚染物質の拡散にも大きな影響を与える。この渦の存在を計算上、無視していることに一つ問題がある。更に濃度推定の拡散モデルで見ると複雑な起伏をもつ山肌に煙が近接してから後の煙の挙動が計算の中でうまく反映されていない心配がある」として、複雑地形のもとではポテンシャル理論は妥当しないことを認めているにもかかわらず、被告は現実におこり得る気流のすべての状態が同報告の方法で表現できると強弁し、その矛盾を顧みないのである。

また、右報告に携つた守田康太郎氏も、剥離現象についてポテンシャル流では出てこないので、数値計算でも考慮されていないと明言しているのに、被告は考慮されていると強弁している。

2風洞実験の限界

風洞実験について、被告はしきりにその効用を主張している。風洞実験が多面的に利用されている事実は被告主張のとおりであるとしても、被告の主張するところは余りにもその効用を絶対視してそれが一定の条件の下で制約された実験結果のみを表すものであることを念頭に置かない誤りをおかしている。例えば、守田氏も認めているように、風洞実験は大気が中立状態の場合にのみ、一定の条件下で一定の結果が得られるに過ぎず、また複雑地形をモデルとした実験は、未だ研究途上であつて確立された研究の手法は存在しないのである。

ところで風洞実験においては、模型が実際の地型や煙突、川床等の位置関係が幾何学的に相似すること、風洞内での気流の力学的性質が実際の野外で起つているものと相似すること、実際の野外における煙の拡がり方と風洞内での拡がりがモデルの縮尺率に応じて同じになること、すなわち拡散の相似という三つの条件を充す必要がある。

第一の幾何学的相似の点について、気象協会報告は「地形的にも気流の影響の大きい古祖母山とこれより土呂久をはさんで南北に延びる東側と西側の尾根が充分含まれることが必要である」と正当に指摘しているが、実際に作られた模型は、半径三キロの円形部分の模型一個だけであつて、山岳風の影響が十分に考慮されていないと考えられる。また模型はあくまでも模型に過ぎず、実際の地形を完全に再現することは不可能であるから、幾何学的に相似するからといつて、実験結果を絶対視することはできない。

守田氏は、地形模型を地形図によつて作つたと述べて、幾何学的相似については完全でないことを認めているのであつて、模型の作成にも限界があることに注目すべきである。

第二に、山の空気の流れに与える影響について相似であるためには

フルード数=慣性力/重力

が模型と大気で一致しなければならないとされる。本件模型の縮尺が二十分の一であるから、フルード数を等しくするためには、現実の風速が秒速一メートルの場合には、風洞内風速も縮尺に見合つたものでなければならない。実験は、的が小さくなつているのに同じ矢を射ているのである。

第三に、拡散の相似について、被告は実際の現象を風洞内で再現させるための相似法則としてレイノルズ数(正確には乱流レイノルズ数)という要素があり、自然現象と風洞内模型とのレイノルズ数を一致させることにより、力学的に相似が成立するという。この主張自体は正しいが、気象協会報告の風洞実験では右の相似性は全く失なわれてしまつている。その理由は次のとおりである。

すなわち、レイノルズ数の式のうち、渦拡散係数Kは場所によつて変るのであつて、これは現地での観測によつて算出する以外にはない。しかるに、気象協会の風洞実験では、これを大気中で約10m2/Sとして計算し、「大気中で一般にこの程度」であるとして平然としている(守田氏の証言)。風洞実験は平坦地を模型とした研究が多く、山岳のような複雑地形をモデルとする例はないのに、右係数を一般則として土呂久の場合に当てはめるのは無謀というほかはない。更に右報告では、アメリカのターナの拡散パラメーターを用いたとされており、それではアメリカの大草原での値をとつたものとしか解しようがなく、急峻な峡谷地帯である土呂久地区に適用することの非科学性は余りにも露骨である。

また、レイノルズ数の式のうち、代表長さ(L)として模型の長さをとつているが、乱流レイノルズ数では「山の高さ」をとるのが常識となつているとされている。「複雑地形下の大気拡散場と大気汚染濃度との関係についてはアメリカについてもここ数年前から本格的に取組まれ、かなり大規模な実験や理論的研究が始められたばかりで、平坦地における拡散場情報と比較して著しく貧弱である」ことから、山の高さを無視して模型の長さをとつたものと解される。

このように「自然現象と風洞内模型とのレイノルズ数を一致させる」ことの必要性を述べながら、相似法則としてのレイノルズ数の算出に不可欠の現地観測をしなかつた実験の粗雑さは覆うべくもない。

したがつて、被告の誇る気象協会報告の結果は検証ができないのであるから正しいかどうか論じようもない。

四結び

以上にみたとおり、日本気象協会の「環境大気調査報告」なるものは、方法論としても誤つた手法であること明らかであつて、その結果をもつて土呂久地区の大気汚染が甚しく微弱であつたとする証拠とは到底なり得ないものである。

第三章  因果関係

第一節砒素中毒症の病像

第一序論

一本訴提起前に死亡した訴外亡佐藤勝、同佐藤健蔵、本訴係属中に死亡した承継前の原告亡佐藤鶴江、同鶴野秀男、同佐藤仲治、同佐藤数夫、同佐藤ハルエ、同佐保五十吉、同松村敏安、同佐保仁市、同佐藤アヤ並びに原告佐藤ミキ、同鶴野クミ、同佐藤ハルミ、同佐藤高雄、同佐藤チトセ、同清水伸蔵、同陳内政喜、同陳内フヂミ、同甲斐シズカ、同佐藤実雄、同佐藤ハツネ、同佐藤正四、(以下、この二三名を総称して「本件被害者ら」ともいう。)は、土呂久地区に居住する等して、ここを生活の場とすることにより、本件鉱山から排出された砒素の曝露を受け、砒素中毒症に罹患した。砒素中毒の形態は、長期慢性中毒及び操業盛期における亜急性中毒の反復であり、現症状は慢性砒素中毒症である。

二本件鉱山から排出された有害物質は砒素だけに限らず、亜砒酸ガスの外、銅、アンチモン、亜鉛等の重金属も含まれており、厳密にいえば、土呂久地区の鉱毒汚染は複合汚染であるが、健康障害に最も主要な役割を果した物質は砒素であり、これにより全ての健康被害を説明できる(但し、これと併せて呼吸器障害の増悪要因として亜硫酸ガスが複合的に作用したことが明らかである。)。

よつて、本訴においては、本件被害者らの健康被害は砒素中毒によるものであると規定し、以下本件被害者らの健康被害と本件鉱山から排出された砒素との因果関係を明らかにする。

第二砒素及び砒素化合物

砒素は、窒素族元素の一つであり、金属と非金属の中間の性質を備えた類金属である。単体の砒素それ自体の毒性は極めて微弱であるが、酸化されて砒酸、亜砒酸の型となる。

砒素化合物の中では、三価の砒素が最も毒性が強く、代表的なものは亜砒酸(三酸化砒素)である。本件鉱山で精製され排出された大部分の砒素の形態は、この亜砒酸である。五価の砒素は、三価の砒素に較べて毒性が弱いとされているが、生体内に吸収された場合、その一部は三価の砒素になる。

亜砒酸は、古来から知られた代表的毒物であり、その致死量は経口投与でLD50(投与を受けた者の半数が死亡する量)が体重一キロあたり1.43ミリグラムとされている。

亜砒酸には、非晶系、等軸晶系、単斜晶の結晶又は無色粉末の三種がある。

通常の亜砒酸は、右のうち等軸晶系の小結晶、即ち白色粉末で、沸点四六五度で、水に溶ける。

昇華した亜砒酸は、粒子の大きさが0.1ミクロンぐらいの大きさのヒュームとよばれる微細な粒子であり、煙状になつて拡散し、大気を汚染する。

第三砒素の人体に対する作用

一吸収経路

亜砒酸の人体への呼吸経路はさまざまである。亜砒酸によつて大気が汚染されている場合には、呼吸により気道系を通じて吸収される。皮膚、粘膜からも直接的に吸収される。大気汚染の結果、土壤や農作物もまた汚染されるに至つた時は、農作物の摂取という形で経口的にも吸収される。水が汚染され、水を介して農用地が汚染された場合にも水又は汚染された農作物の摂取により、経口的に吸収される。

二作用機序

人体に吸収された砒素は、人体の細胞内にあるSH基酵素と結合してその酵素の働きを阻害する。この酵素は細胞の酸化還元即ち細胞の新陳代謝にとつて不可欠の酵素であり、全身に分布している。従つてこれの作用が阻害される結果、全身の臓器に広範な障害が発生する。

三排泄

人体に吸収された砒素の排泄は、腎、汗腺、気管支粘膜及び便から行われ、主としては尿中に排泄される。体内に摂取された砒素の排泄は緩徐であるとされている。

第四砒素中毒症の病像

一一般的病像(症状の全身性、広範性)

砒素中毒症は、「全身の諸臓器に広範な障害をもたらす全身性の中毒症状」である。

このことは、以下のとおり、内外の多くの報告、文献によつて確認された疑う余地のない事実である。

1 鯉沼茆吾「本邦ニ於ケル工業的金属中毒」、後藤稠外編「産業中毒便覧」、石西伸外「砒素及び砒素化合物」、海外技術資料研究所「今後の重要公害汚染物質三〇種」、田坂定孝「臨床中毒学」、CHORGEL WALDBOTT「環境汚染病」、「日本薬局方註解」等、砒素中毒に関する教科書的文献は、いずれも砒素が全身性の障害をもたらすものであることを明らかにしている。

2砒素が多彩な全身障害をもたらすものであることは、内外の多くの臨床報告によつても豊富に実証されている。すなわち、わが国における集団的な砒素中毒の発生事例として、新潟県中条町で発生した井戸水の砒素汚染による慢性砒素中毒症、山口県宇部市における砒素入り醤油中毒事件、森永砒素ミルク事件、山元亜砒酸製造による笹ケ谷地区住民健康被害事件、同じく宮崎県旧松尾鉱山労働者健康被害事件等に関する各報告があり、外国における集団的砒素中毒発生事例についても、ドイツにおいてブドウ園従業者に発生した慢性砒素中毒、廃棄された毒ガス兵器による慢性砒素中毒、スエーデンのレーンスチェールの溶鉱工場で発生した職業性の慢性砒素中毒、ノースキャロライナにおける無機砒素による中毒の事例、台湾において砒素を含んだ井戸水によつて発生したブラックフット病、チリのアントファガスタ市における公共飲料水の砒素汚染による慢性砒素中毒等に関する各報告があり、これらの中毒症例は、砒素曝露の経路、期間、量等において様々のバリエーションがあり、発現した症状も一様ではないが、全体として砒素が全身の諸臓器に広範な障害をもたらすことを網羅的に証明している。

3「土呂久鉱毒病(慢性砒素中毒症)の臨床的研究」(以下「堀田報告」という。)

堀田宣之らは右論文において、右各文献、報告等内外約一〇〇編余に基づいて砒素中毒症の臨床症状を詳細に検討、報告しており、これによれば、砒素中毒症の臨床症状は表4―1の通り要約される。

4まとめ

以上の各文献、報告に照らし、砒素中毒症が「全身の諸臓器に広範な障害をもたらす全身性の中毒症状」であることは明らかである。とりわけ最も頻繁に侵襲されるのは、皮膚、粘膜(消化管、呼吸器、口、眼、鼻)、神経系、造血臓器、肝臓、心臓循環器系である。

但し、このことは、一人の中毒症患者に右各症状が全て発症するということを意味するものではなく、個々の症状は多様で様々なバリエーションがある。しかしながら、砒素が全身の臓器に広範な障害をもたらすものであることは明白なのである。

二中毒及び汚染形態と臨床症状

砒素中毒の臨床症状は、汚染の型(汚染量、汚染期間、汚染経路)により、症状発現までの期間や各症状の症度及び経過は異なるが、発現する症状の種類や発現形式は一部の局所症状を除き、基本的には殆んど左右されない。

つまり経口、経気道、経皮あるいは複合汚染のいずれでも、また急性、慢性を問わず、ほぼ同じ種類の症状が一定の順序で出現し、最終的には、汚染形態を問わず、いずれも広範な全身性中毒症状として基本的には同じ形を呈するのである。

三発癌性

1文献的検討

砒素は代表的な一〇又は二七の発癌物質の一つである。

「今後の重要公害汚染物質三〇種」によれば、砒素は皮膚、肺、肝臓の癌の原因になると考えられ、口腔、食道、喉頭、膀胱の癌の原因になる疑いがもたれているとされ、「産業中毒便覧」によれば、砒素により肺癌及び皮膚癌が発生することは疫学的に疑う余地がなく、肝癌及び肝の血肉腫に関しても、疑わしい点で十分注意する必要があるとされる。

世界の環境癌研究の第一人者であるヒューパーによれば、砒素は皮膚と肺と肝臓の癌の原因である。西山茂夫は、砒素剤による悪性腫瘍の特徴として内臓癌では気管支癌、肝癌が多いことを挙げている。ロス(Roth)もドイツ、ブドウ園従業者事件での剖検の結果、一〇例の肺癌(五九%)、五例の肝癌、一例の食道癌を見出し、ブラウン(Braun)も右事件での患者の一六例中、肺癌九例、尿管癌一例を報告している。

サマー(Sommer)らは文献的に一八例の内臓癌を集計しているが、その内訳は肺癌七例、口腔癌三例、泌尿生殖器癌四例、乳癌二例、食道癌二例、胃癌一例で、砒素による内臓癌は、口腔、食道、肺、泌尿生殖器に好発すると述べている。

ウェン・ピン・ツウェンによれば、砒素による皮膚癌及びブラックフット病患者と一般住民との間において、死亡原因に占める癌の割合を比較すると、皮膚癌有所見者26.9%、ブラックフット病患者18.8%、一般住民13.1%、台湾全人口7.9%である。癌の中で皮膚癌及びブラックフット病患者に共通して高い比率を示しているものは、肺、皮膚、膀胱、肝臓の癌である。

3要約

以上の諸文献、報告から、砒素の発癌作用は次の通り要約される。

(1) 砒素と癌との関係

砒素は明らかに癌の発生に寄与する物質であり、それが影響する癌の種類は多彩であつて、あらゆる種類の癌の発生に寄与する疑いが強い。従つて砒素中毒と認められた患者に癌が発生した時は、原則として癌の種類を問わず砒素の作用によるものと認めるべきである。仮に癌の種類によつて、砒素との因果関係に濃淡を認めるとしても皮膚、肺の癌の原因になることは明白であり、肝臓癌もほぼ同様である。

食道、喉頭、泌尿生殖器癌についても、砒素が影響する蓋然性はきわめて高い。その余の癌についても砒素の影響は否定できない。

(2) 発癌までの期間

西山茂夫によれば砒素癌の潜伏期は一五〜三〇年である。ノイバウエル(Naubaur)によれば、最短三年、最長四〇年、平均一八年、サマーらによれば一三〜三〇年平均二五年、ロスによれば一三〜二二年とされる。

3被告の反論について

砒素の発癌性については、未だ動物実験による成功例をみていないが、だからといつて人体に対する砒素の発癌性は否定されるものではない。砒素の発癌性は長期慢性中毒においてみられるものであるが、砒素は猛毒であるため、通常の実験用小動物では砒素を投与して長期慢性中毒を実験的に作り出すことがきわめて困難だからである。

変異原性検査においても未だ陽性の結果が確認されていないが、これが陽性でないからといつて発癌性が否定されるものではない。

また、被告が砒素の発癌性に疑問を呈すべき根拠として援用している昭和五六年の砒素シンポジウムにおいても、意見がわかれたのは、発癌物質そのものか強力な促進物質にとどまるかという点だけであつて、癌の発生に砒素が寄与すること自体については疑う余地のないところとされたものというべきである。

四進行性及び遅発性

発癌について前述したところや、ドイツのブドウ園従業者事件において肝障害の晩期発生が指摘されていること(ロス)、ブラックフット病等の事例において循環障害の進行性・遅発性が指摘されていること(曽文著、イエー)等内外の文献、報告からも明らかなように、慢性砒素中毒症の症状は、長期間にわたり継続するだけでなく、砒素曝露の終了後も長期間にわたつて、体内の諸々の部分に時期を異にして発生し、増悪していくものであり、遅発性に癌等の重大な障害を発生させ、遂には死に至るまで悪化するものである。

第二節土呂久における砒素中毒症

第一慢性砒素中毒症の存在

一砒素中毒症の発見

本件鉱山から排出された砒素により、地域住民が広範に健康を障害されている事実は、昭和四六年一一月一三日の宮崎県教研集会において前記斉藤正健教諭が報告(以下「斉藤報告」という。)したことにより初めて世の注目を集めるところとなつた。

二慢性砒素中毒症の医学的確認

1斉藤教諭による報告が端緒となつて宮崎県は、昭和四六年一一月二八日、土呂久地区住民の健康診断(以下「県健診」という。)に着手し、その健康調査と疫学調査、環境分析調査(宮崎県調査)の結果を「土呂久地区の鉱害にかかわる社会医学的調査の要約」にまとめた。倉恒匡徳九大医学部教授を委員長とする土呂久地区社会医学的調査専門委員会(以下「倉恒委員会」という。)は、右調査結果(熊大医学部附属病院及び宮崎県立延岡病院でなされた精密検査等第三次健診の結果を含む。)に基いて、土呂久地区住民七名について慢性砒素中毒症との結論を下した(以下これを「倉恒報告」という。)。

2熊大医学部皮膚科教室の中村家政(以下単に「中村」という。)らは、右七名について詳細な検討を遂げ、慢性砒素中毒症と診断するに至つている(以下これを「中村報告(一)」という。)。この倉恒、中村(一)の各報告に照らし、右七名が慢性砒素中毒症に罹患していることは疑う余地はない。而して右七名中四名は、土呂久鉱山就労歴を有しない。

3従つて、右倉恒報告及び中村報告(一)だけでも、土呂久地区に非職業性曝露を含む慢性砒素中毒症の地域的発生があつたことは明白である。

三公害地域指定と慢性砒素中毒症認定の増大

1地域指定及び行政認定の状況

(一) 昭和四八年二月一日、環境庁は土呂久地区を公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(以下「公健特別措置法」という。)に基づき慢性砒素中毒症の多発地域に指定した(以下これを「地域指定」という。)。

以後宮崎県知事は、右特別措置法及び公害健康被害補償法(以下「公健法」という。)に基づき、慢性砒素中毒症の認定をなしてきた(以下これを「行政認定」又は「公害認定」という。)。右認定を受けた患者(以下単に「認定患者」という。)の数は、今日までに一三九名に及んでいる。

(二) 右地域指定によつて、土呂久が「人の事業活動による砒素汚染地域」であること及び「砒素によることが一般的に明らかでありかつ砒素によらなければかかることがない疾病が多発している地域」(公健法二条二項)であることが国レベルで承認された。

又、右行政認定は各科の専門医による検診及び評価に基いてなされているのであり、次に述べる認定基準に拘束されているため、狭きに失することはあつても、一三九名が慢性砒素中毒に罹患している事実は否定すべくもない。

2行政認定の意味

(一) 右行政認定の基準は、当初は、曝露歴の外に、①慢性砒素中毒症に特徴的な色素異常及び角化の多発、②鼻粘膜瘢痕または鼻中隔穿孔のいずれかがあることが必須要件とされ、昭和四九年五月に、①を疑わせる所見又は砒素によると思われる皮膚症状の既応歴があつて、慢性砒素中毒を疑わせる多発性神経炎が認められる場合が追加されたものである(なお、昭和五六年に更に、慢性気管支炎の症状が、総合検討のうえで判断すべき項目として追加された。)。

(二) しかし、これら要件とされている症状は慢性砒素中毒において特徴的とされている症状のみであり、砒素曝露歴のある者がこれらの症状を備えている場合にこれを慢性砒素中毒症と診断することは医学的に殆んど異論をみない。つまり、右要件の拘束の下になされる認定作業では、かかる医学上異論のない事例しか認定の対象にならないのである。

しかし、慢性砒素中毒症が常にかならず右症状を随伴するという証明はなく、慢性砒素中毒の認定要件を右三症状に限定する医学的根拠は全く見当たらないのであつて、かかる認定基準に基づく認定作業は、疑わしきを広く救済する観点でなされてきたのではなく、逆に、右症状を備えていないものはこれを除外し、切り捨ててきたものというべきである。

従つて、一三九名もの人が認定を受けている事実は、土呂久に於ける慢性砒素中毒症の多発を証明する動かし難い事実であり、慢性砒素中毒症の存在そのものを争う被告の主張は強弁以外の何ものでもない。

第二曝露形態の特徴

土呂久における慢性砒素中毒の病像を考えるにあたつては、次のような曝露形態の特徴に十分留意する必要がある。

一多経性及び長期性

本件鉱山から排出された砒素による環境汚染の実態は、第二章で詳述したとおり、極めて複雑で多経的重層的である。

従つて人体に対する侵入経路も経気道、経皮膚粘膜、経口と多岐に亘つている。また、曝露の開始は、亜砒焼きが本格的に開始された大正九年頃にさかのぼり、長期間に亘つて曝露を受けてきた者が殆んどである。

二継続性

本件鉱山に於ける亜砒焼きは、昭和一七年から同二九年まで中断し、戦後は昭和三〇年から三七年までの七年間に亘つてなされているにすぎない。そこで、右中断の時期及び昭和三八年以降、砒素中毒症発症レベルの汚染が続いていたか否かが問題になる。

しかし、第二章で詳論した通り、亜砒焼きの中断ないし中止以後においても鉱山の鉱滓、ズリ、坑内水等による水質の汚濁及び下流域に於ける土壌汚染の継続があつたことは明白であり、これが引き続き地域住民の健康に影響を及ぼした可能性(それ以前から受けていた健康障害の遷延・増悪に寄与した可能性)は否定できない。従つて、土呂久住民は、原則的には大正九年から今日まで何らかの程度で土呂久鉱山から排出された砒素の曝露を受けており、その間の大正九年から昭和一七年までと、昭和三〇年から同三七年までの間の二つの本格的操業期には特に大気汚染を含む濃厚な曝露を受けたというべきである。

三曝露濃度

1被告は、土呂久においては鼻中隔穿孔、肺気腫、壊疸等がないことを理由に、土呂久住民の砒素曝露はそれほど濃厚ではなかつたかのような指摘をなしている。しかし鼻中隔穿孔は、亜砒焼き作業そのものに従事したような場合でなければ発生しない職業性曝露・直接曝露による症状であつて、これのないことは、土呂久における曝露の基本的態様が非職業性曝露であつたことを示すにすぎない。のみならず、土呂久においては、操業期の濃厚汚染の時期からは既に数十年が経過し、重症者はその多くが既に死亡しているとみられるのであり、生き残りの人々に右のような症状がないからといつて、その症状の程度を軽度ときめつけたり、曝露濃度が低かつたなどと推認するのは誤りである。

2なお、被告は、汚染濃度が中毒発性レベルであつたことが数値をもつて具体的に証明されなければ健康被害の原因を砒素に帰することはできないかの論難をなしている。しかし、原因物質の濃度は、要するに、当該物質の性質上、健康被害発生の危険を肯定するに足る程度の濃度が存在したと推認されれば足り、その程度に達していたか否かは、被害の発生状況や汚染状況に関する具体的生活体験(煙の拡散状況やこれを吸飲した場合の刺激等)、鉱山周辺の砒素濃度等の情況証拠により認定しうるのである。しかして、土呂久地区が鉱山から排出された砒素で汚染された事実、しかもその汚染状態が深刻なものであつた事実は第二章で詳論したとおり明白であり、そのような地域に、砒素中毒と認められる健康被害が多発している以上、土呂久の砒素汚染濃度が中毒発生レベルを越えるものであつたことは明らかであつて、その濃度の数値的特定は不要かつ無意味である。

第三土呂久における慢性砒素中毒症の病像

一臨床症状に関する研究報告

土呂久における慢性砒素中毒症の臨床像に関する総合的な研究としては、①太田武夫外「廃鉱山の鉱毒に関する社会学的研究第一報旧土呂久鉱山従業員及び住民の健康被害」(以下「太田報告」という。)、②堀田らによる「土呂久鉱毒病(慢性砒素中毒症)の臨床的研究」(堀田報告)、③中村家政外「慢性砒素中毒症――土呂久地区廃止鉱山周辺の症例――」(以下「中村報告(二)」という。)、④常俊義三外「砒素による人体影響についての臨床疫学的研究報告書」(環境庁の委託による昭和五四年度調査研究報告、以下常俊報告(二)という。)等がある。以下右各報告に基づいて、これまで明らかにされた土呂久健康被害――慢性砒素中毒症の病像を明らかにする。

1太田報告

太田、柳楽翼ら岡山大学医学部衛生学教室のメンバーらは、昭和四九年一〇月中旬、土呂久地区において住民検診をなし、その結果に基づいて右報告をなしている。

右報告によれば、次のとおり、土呂久地区住民が全身的に多様な健康障害を受けていることが明らかである。

(一) アンケートによる自覚症状調査では、頭痛、頭重、全身倦怠等の全身症状一五項目に亘る自覚症状頻度は表4―2の(1)のとおりで、対照群と比較すると、一二項目において有意に有症率が高かつた。

(二) 医師による問診の結果でも、同表(2)(イ)の各症状の訴えが五〇%以上の者に認められた。

(三) 又、四肢の知覚異常の出現率は三分の一ないし半分以上の者に及んだ。

(四) これらの数値、例えば、咳症状、上肢の痛覚低下、上肢のレイノー症状等の頻度は、対照群や他の集団等と比較して極めて高い数値であつた。

2堀田報告

堀田らは、昭和五〇年四月から一一月までの間に九一名の土呂久住民について問診、診察及び集団臨床検査を施行し、その結果に基づいて土呂久住民の健康被害の臨床症状を詳細に検討し報告している(堀田報告)。九一名の対象者のうち八三名が慢性砒素中毒症と診断されている。

右臨床研究によれば、土呂久住民にみられる臨床症状の出現状況は次の通りである。

(一) 土呂久住民の病状のうち、砒素によつて出現することの明らかな症状で高頻度に認められる重要な症状は次の通りである。

神経系――嗅覚障害、難聴、求心性視野狭窄、視力障害、多発性神経炎、自律神経症状(特にレイノー症状)、中枢神経障害。

粘膜系――結膜炎、角膜炎、副鼻腔炎、咽頭炎、気管支炎、気管支喘息様症状、胃腸炎、歯の障害。

心・循環器系――心臓障害、高血圧、脳循環障害。

皮膚――色素沈着、色素脱失、異常角化症。

その他――肝障害、腎障害、貧血。

(二) 自覚症状は多彩で、特に表4―3の(1)のとおり、手足のしびれ以下頭痛、頭重まで一一の症状は五〇%以上の高率でみられた。

(三) 各臨床症状の出現頻度は同表(2)のとおりの高率である。

(四) 個々の病像のパターンは多様で類型化は困難であるが、各病像の前景症状群は神経症状、粘膜症状、心・循環器症状、皮膚症状などに代表される。

(五) 対象者九一名の健康障害の症度は重症七名、中等症六名、軽症一九名であつた。現病歴から全体的経過をみると、増悪八五名、遷延四名、軽減二名で漸次増悪の傾向を示す者が大部分である。特に初期症状群(皮膚粘膜刺激症状)では、胃腸・眼・鼻の粘膜症状および皮膚炎などは軽減ないし治癒した者が比較的多いのに反し、呼吸器症状は遷延ないし増悪の経過を示す者が多かつた。

3各臨床報告における出現頻度の比較検討

(一) 中村家政熊大医学部教授らは、四八名の慢性砒素中毒症認定患者の臨床症状を詳細に分析して中村報告(二)にまとめ、常俊義三宮崎医科大教授らは、同じく九二名の認定患者の臨床症状を詳細に分析して常俊報告(二)にまとめている。

右両報告にみられる臨床症状の出現頻度と前掲堀田報告における臨床症状の出現頻度を一覧表で対比すると表4―7の通りである。

(二) 右各報告は、いずれも土呂久の慢性砒素中毒患者が呼吸器、消化器、耳鼻咽喉系、眼、神経系その他、全身に亘る多彩な臨床症状を高率に有していることを明確に示している。しかも各報告にあらわれた出現頻度は、研究対象や方法の違いにもかかわらずほぼ共通の傾向を示している。

二まとめ

以上述べたところによつて、土呂久地区住民が全身に亘り健康を障害されていることは明白である。それらの臨床症状は、後に考察するとおり慢性砒素中毒の臨床症状として認められるものであり、土呂久における慢性砒素中毒の臨床像も全身の諸臓器に亘る広範な健康障害―全身性の中毒であることを明確に裏付けている。

第三節本件被害者らの健康被害

第一総括的検討

一はじめに

本件被害者らは、慢性砒素中毒症により全身的に健康を障害され、半数以上が既に死亡するに至つている。その臨床症状は多彩であり、医師堀田宣之の診断結果(以下「堀田診断」という。)にあらわれている臨床症状(同医師作成の診断書(以下「堀田診断書」という。)又は意見書(以下「堀田意見書」という。尚、上記診断書と総称して単に「堀田診断書」ということもある。)において、慢性砒素中毒症と診断されたもの)を整理すると、表4―12のとおりとなる。

そこで、右表に示された個々の臨床症状と慢性砒素中毒症との因果関係について一般的考察を加える。

なお、以下の考察の前提となる本件被害者らの土呂久居住歴と鉱毒曝露状況は、第五章第二節損害各論で述べるとおりである。

二臨床症状の個別的検討

1皮膚症状

(一) 慢性砒素中毒症による皮膚症状の報告は極めて多い。それが土呂久においても多発していることは、前掲堀田、中村、常俊の各報告に照らし明白である。皮膚症状は土呂久における慢性砒素中毒症の行政認定要件の一つにもなつており、慢性砒素中毒症が特有の皮膚症状をもたらすことは明白である。

(二) 急性期においては「亜砒まけ」と呼ばれる接触性皮膚炎及びアレルギー性皮膚炎の型をとる。慢性中毒症においては、代表的に侵襲される「標的組織」であり、湿疹状皮膚変化から重篤な症状まで存在する。代表的な症状は、色素沈着、白斑(色素脱失)、異常角化症であり、足底の異常角化は、歩行時の疼痛、歩行困難をもたらす。異常角化症は前癌状態であり、また、砒素角化症は緩徐ではあるが、次第に悪性化へと進行し、進行すると多発性ボーエン病、皮膚癌が発生する。ボーエン病は、皮膚の悪性腫瘍即ち癌の一種である。中村報告(二)では、四八名の認定患者中一一例のボーエン病様症状が認められている。更に、砒素性のボーエン病患者は、内臓癌を伴う率も高い。砒素による皮膚病変は、それ自体の悪性化と内臓癌合併の可能性の高い進行性の危険な障害なのである。

(三) 本件被害者らの中で特徴的な皮膚症状が認められている者は、二三名中二二名とほぼ一〇〇%に近い高率である。ボーエン病と明確な診断を受けるに至つている者は八名、ボーエン病様変化を認められている者は五名に及んでいる。

(四) 以上に照らし、本件被害者らの皮膚症状が砒素によるものであること及びそれが悪性化へと進行しつつあることは明白である。

2慢性呼吸器障害

(一) 慢性砒素中毒症が慢性呼吸器障害をもたらすことも明白である。レーンスチェール事件、アントファガスタ事件その他内外多数の報告例も存在する。慢性粘膜カタルは慢性砒素中毒の典型症状で、特に呼吸器ではその特徴を頻繁にあらわし、気管支粘膜障害は最も重要な症状であり、患者の健康状態、作業能力、予後を決定的に支配する。慢性気管支炎を有する者は、気管支周囲炎、気管支拡張症、肺炎、肺気腫、気管支喘息様症状、気管支癌、胸膜炎等を併発することも多い。

土呂久の場合も、前記各報告で高頻度に呼吸器障害が認められている。

(二) 環境庁の委託による常俊義三らの昭和五三年度調査研究報告書(以下「常俊報告(一)」という。)によれば、宮崎県西米良村との比較で、持続性咳、痰の訴症率は土呂久地区が明らかに高率であつた。環境庁の昭和五六年度「慢性砒素中毒に関する会合検討結果報告書」(以下「環境庁昭和五六年度検討結果」という。)の別添資料は、右事実に基づき「慢性気管支炎に該当する呼吸器症状、疾患の多発が懸念される」とし、その結果、慢性砒素中毒症の行政認定に関して、慢性気管支炎の症状が認定基準に準ずるものと位置づけられ、障害度の評価においても、「その原因を総合的に検討した上で」、これに基づく障害をも含めて評価を行つて差し支えないとされるに至つている。

(三) 本件被害者らにも一五名に慢性呼吸器障害が認められており、これが砒素に起因するものであることは明らかである。

3眼、鼻、口の粘膜障害

(一) 眼粘膜

眼では、結膜、角膜が侵襲される。土呂久においても前記各報告で結膜炎、角膜炎或いは角膜障害が高頻度に認められている。

(二) 鼻粘膜

(1) 鼻粘膜が障害されることも明白であり、鼻粘膜瘢痕ないし鼻中隔穿孔は、認定基準にも採用されている。土呂久においても、前掲各報告では鼻粘膜萎縮、鼻粘膜瘢痕が高頻度に認められている。鼻炎ないし副鼻腔炎も惹起される。前掲各報告では慢性副鼻腔炎、慢性鼻炎が高頻度に認められている。

(2) 鼻粘膜障害は、二次的に嗅覚を障害する。ブドウ園従業者事件でも完全な嗅覚脱失を生じた例が報告されており、土呂久においても、前掲各報告で、嗅覚脱失、嗅覚低下が高率に認められており、これほど高率に出現する原因は砒素による粘膜障害以外に考えられない。

(1) 口腔の粘膜障害として、フローンは、ブドウ園従業者事件の患者二三例中一九例に強度の歯牙欠損を認め、そのうち数年来義歯使用の三例の経過の中に著明な歯周炎と強度のカリエスがあつたことを報告している。

(2) 本件においても、前述の角膜、結膜等の粘膜の侵襲状況からいつて、口腔膜全体が侵襲されていたことを否定することはできないのであり、歯槽膿漏とか歯ぐきからの出血として自覚されていたものが、もつと広範な口腔粘膜の侵襲を伴つていた可能性も強い。従つて、歯牙の欠損が砒素に起因する口腔粘膜障害によるものであることを否定することはできない。また、本件において砒素による歯牙欠損と主張しているのは、若い年齢で歯牙の大半を失うに至つたケースのみであり、加齢によるものとは明らかに区別される。

4心臓・循環器障害

(一) 砒素による循環障害としては、四肢の循環障害による壊疸がよく知られている。

代表的な例は台湾のブラックフット病であるが、アントファガスタ事件やブドウ園従業者事件においても、同様の発生が報告されている。

しかし、砒素による循環障害は末梢循環障害に限られず全循環系に及ぶものである。それは、イエーらのブラックフット病患者の解剖所見報告やローゼンベルグのアントファガスタ事件の死亡幼児の解剖の結果報告から明らかであるし、ツェンによると、ブラックフット病患者の死亡原因中、心循環障害によるものは合計41.0%で全死因の半分近くを含め、一般住民の18.7%を大きく上回つているとされている(表4―11)。

しかもこれは、台湾、アントファガスタあるいはブドウ園従業者に限られているわけではなく、これら以外にも、砒素汚染飲料水、砒素殺虫剤、砒素含有製剤等により末梢循環障害、就中壊疸が発生した多数の報告例が存在するし、わが国においても、森永ミルク中毒児の剖検結果によれば「主要病変は要するに慢性砒素中毒に基因する全循環系の障碍」であるとされているのである。

堀田は、砒素による循環障害に関する右のような最新の知見を踏まえて、血管病変は慢性砒素中毒の基本的障害であるとしている。

(二) 以上の事実に照らし、慢性砒素中毒が心臓及び全身の動脈系に動脈硬化性変化をもたらすことは明白であり、その結果、全身的な循環障害が起こることも明らかである。

(三) 注目すべきことは、循環障害が砒素曝露から離れてもなお進行性あるいは遅発性の経過を示す点である。このことは、ブラックフット病において砒素を含んだ井戸水をある年限飲用すると、飲用停止の若干年後になおブラックフット病や皮膚癌を発生し得ることが証明されていることから明らかである。

従つて、汚染から離れた後に循環障害が発生した場合においても、砒素の影響を否定することはできないのである。

(四) そして、本件被害者の亡松村敏安の解剖所見によれば、同人は全身の動脈系の高度の硬化病変を呈していて、ブラックフット病に関するイエーらの解剖結果ときわめて類似しており、土呂久においても、砒素による高度の循環障害が存在している事実を裏付けている。

また、常俊報告(一)によれば、土呂久の高血圧の頻度は、対照地区にくらべて高率であつたことが確認されているし、本件被害者らの中でも心臓循環障害が認められているものは実に二一名に及んでいる。

更に、行政認定の関係でも、心臓ないし脳循環障害で死亡した本件被害者松村敏安・佐保仁市らの死亡につき砒素起因性が認められ、公健法に基づく遺族補償の支給決定がなされている。

5慢性胃腸障害

(一) 砒素が慢性の胃腸障害を起こすこともよく知られている。急性及び亜急性期においては、吐気、嘔吐、腹部疝痛、下痢を伴い、慢性では、脱力感、食欲不振、嘔気などを伴う。土呂久でも、慢性胃腸障害が高頻度に認められている。

(二) 本件被害者らのうち慢性胃腸障害が認められているのは二三名中一五名できわめて高率である。右出現頻度の高さと個々の症状の経過からいつて、本件被害者らの胃腸症状は、慢性砒素中毒によるものというべきである。

6肝障害

(一) 砒素による肝障害の報告も多い。ブドウ園従業者事件に関するロスやペインの各報告によれば、肝障害、肝硬変の多発が確認され、また肝障害の晩期発生が指摘されているし、ローゼンベルグは、前記アントファガスタの死亡例五名の解剖で、四例に広範囲な肝臓の障害、一例に肝硬変性変化を確認している。

わが国においても、新潟井戸水事件の患者の肝生検の結果、「慢性砒素中毒の際には肝細胞の障害が起り得ることが明らかとなつた」と報告されている。

(二) 右のとおり、砒素が慢性の肝障害をもたらすことは明らかであり、しかもそれは、砒素の作用からかなりの期間を経過した後においても晩期発症しうるのである。環境庁も肝障害が慢性砒素中毒により発症することを認め、「慢性砒素中毒に特徴的な皮膚病変や末梢神経障害が認められている場合には、これが認められない場合よりも肝障害……と砒素との関連が濃厚と考えられるので……肝硬変……を慢性砒素中毒によるものとみなして差支えない」との見解を公表している。

(三) 従つて、慢性砒素中毒症と認定された患者に肝障害が認められた場合には、これに対する砒素の影響を認めるべきである。

7神経系の障害

(一) 多発性神経炎

(1) 慢性砒素中毒症において末梢神経の障害がみられ、多発性神経炎の像を呈することはよく知られている。前記のとおり、行政認定に関しても、昭和四九年に、多発性神経炎は皮膚症状及び鼻粘膜瘢痕又は鼻中隔穿孔と並ぶ認定要件として採用されるに至つている。症状は、下肢、上肢の神経炎であり重篤な場合は感覚異常、じんじん感のほか、疼痛、躯幹部の灼熱感、皮膚の敏感症などがあり、歩行困難を伴う。症状は原則として両側性に認められ、四肢深部反射は消失ないし低下を示し、四肢筋力の低下、筋萎縮を伴うことがある。

土呂久においても前記各報告において多発性神経炎ないし、その疑いが高頻度に認められている。

(2) 多発性神経炎にも、いろいろな原因があることが指摘されているが、土呂久地区における多発性神経炎の全般的発症を説明するものとして、砒素に匹敵するものは、一般的には考えられない。個別的診断においても、堀田が他原因との鑑別をなしていることはその検討内容に照らし明白である。

(二) 視力・視野障害

砒素が視力、視野の障害をもたらすことも、よく知られている。所見としては、視神経炎、網膜血管変化、網膜浮腫出血、硝子体混濁などが知られ、盲目に至つた例も多数報告されている。

土呂久においても、前記の各報告によれば視力障害、求心性視野狭窄(ないし異常)が高頻度に認められている。本件被害者らの中で視野狭窄が認められた者は、二三名中九名に上つている。

なお視力・視野の異常は緑内障、その他の原因でも起こるけれども、それとの鑑別は堀田診断において十分になされている。

(三) 聴力障害

(1) 砒素による聴覚系への障害は実験的に証明されているし、森永砒素ミルク中毒児の一五年後の追跡調査では、一八例中四例の神経性難聴が発見されておりベンコーらも、高濃度砒素を含有している石炭を燃焼していた発電所近くに居住していた一〇才の児童五六人のグループについて聴力損失の存在を確認している。

土呂久においても、前記各報告により、難聴の高率な出現が確認されている。

(2) 聴力の損失は、加齢に応じて増大する傾向があることは否定できないが、環境庁の委託に基づく大野政一らの研究(以下「大野報告」という。)によれば、山附地区との比較で、土呂久地区では、六五才以下の認定患者においては、会話領域において、それぞれの年齢層にみられる聴力損失の平均値より損失が大であり、「砒素の影響は十分考慮されねばならない」とされている。

(四) 嗅覚障害

土呂久住民の嗅覚障害は前述した通り、慢性鼻炎による二次的障害が多いと思われるが、その中には神経性の一次的障害が含まれている可能性がある。

(五) 自律神経失調症状、レイノー症状

砒素による自律神経系への影響に関しても多数の報告がある。頭痛、めまい、振戦、性欲喪失、発汗過多、四肢寒冷などが起こる。自律神経の作用による末梢血管の拡張収縮が障害される結果、末梢循環障害が起こり、レイノー症が起こる。

堀田報告では、九一名中二三%にレイノー様症状の訴えがみられており、発症機序が自律神経障害又は末梢血管障害のいずれであるにせよ、その頻度はかなり高いものがあり、砒素の影響が認められるべきである。

(六) 中枢神経障害

(1) 中枢神経系に対する砒素の中毒作用は、有機砒素製剤による劇症型の中毒に典型的に示されるが、慢性中毒においてもしばしば頭痛、めまい、倦怠、傾眠、記憶減退、精神活動の低下、抑うつ状態、一過性意識障害、せん妄状態、全身けいれんなどの中枢神経症状がみられる。経口慢性中毒が中枢神経障害をもたらすことについても明確な報告例が存在する。

被告は砒素中毒による脳の器質的障害は、脳血液関門の働きにより阻止されるかのように主張するが、砒素は血管に対する障害作用をもち、脳血管障害を通じて二次的に脳循環障害をもたらし、中枢神経障害を惹起するのであるから、脳血液関門の存在も何らの意義も有しない。

(2) 砒素性の中枢神経症状における臨床像は、高血圧性血管障害にみられる症状群と同じで広汎性の脳症状を示す。従つて特に高齢者の場合、一般の高血圧による症状との鑑別は臨床的には不可能である。

しかし砒素が血管障害をもたらし、その結果脳循環障害がもたらされることは明白なのであるから、慢性砒素中毒症と認定された患者に脳循環障害によるとみられる中枢神経障害が存在する時には、砒素の影響があるものと認めるべきである。

8造血器の障害

貧血等の造血器の障害についても多彩な報告がある。新潟井戸水事件では、造血器の障害が詳細に検討されている。砒素は、大量或いは長期に亘り生体内に入ると、血液毒として働き、骨髄抑制作用を有し、再生不良性貧血の原因となることがわかつている。

堀田報告では、一一名が貧血で治療中であつた。本件被害者らの中で貧血が認められているのは六名であるが、これについても、砒素の影響は否定できない。

9腎障害

新潟井戸水事件においては、尿タンパク陽性等のデータにより、腎障害が存在することが証明されている。ブラックフット病患者においても、泌尿器系の悪性腫瘍が非常に多い。

なお、前述のとおり、砒素が各臓器を侵襲するのは、血管病変により循環障害がもたらされることによるのであるから、砒素の排出が生体内で解毒化された形でなされるとしても、それによつては腎障害の発現を否定しえないし、障害の晩期発生の可能性も否定できない。

本件被害者らの中では六名に腎障害が認められており、これについても砒素の影響が認められるべきである

10癌

(一) 砒素の発癌性一般については前述した。土呂久地区そして本件被害者らにおける癌発生状況も、時が経てば経つ程、砒素曝露に伴う発癌の危険性の高さを証明している。昭和五六年一〇月の段階で土呂久における慢性砒素中毒症認定患者一三四人中、死亡者は、二二名であつたが、うち九名が癌によるものであつた。内訳は肺癌六、尿道癌一、尿管癌一、前立腺癌一とされている。死因中に占める癌全体の比率の高さに加え、肺及び泌尿器の癌の出現頻度の高さが際立つた特徴となつている。しかも、その後本件被害者らの中でさらに佐藤数夫、鶴野クミの両名が死亡するに至つているが、佐藤数夫の死因は、喉頭癌からの転移による転移性の肺癌であり、鶴野クミの死亡の直接死因は心不全となつているが、乳癌からの転移性の脳内腫瘍があつたことが認められている。

(二) 本件被害者らの癌(悪性腫瘍)の発生状況は、次の通りである。

(1) 癌が直接死因となつたもの

亡佐藤仲治、亡佐藤健蔵 肺癌

亡鶴野秀男 尿管癌

亡佐藤ハルエ 尿道癌

亡佐藤数夫 喉頭癌及び転移性肺癌並びに基底細胞癌

(2) 死因以外の悪性腫瘍

亡佐藤鶴江 悪性角化症

亡佐保仁市、亡松村敏安、亡佐保五十吉、佐藤高雄、陳内政喜、陳内フヂミ、甲斐シズカ ボーエン病

亡鶴野クミ 乳癌・転移性脳内腫瘍

以上の通り悪性腫瘍が認められている者は、二三名中一四名になる。

右の外ボーエン病様症状が認められている者に亡佐藤ハルエ、佐藤ミキ、佐藤ハルミ、亡鶴野クミ、亡佐藤勝らがあり、本件被害者らにおける悪性変化の発生頻度の高さは、異常なものがある。

(三) 本件被害者らの悪性変化のうち肺癌については、発癌性一般について前述した通り砒素との因果関係が認められており、環境庁も既に昭和四九年に慢性砒素中毒症認定患者の障害度の評価にあたりボーエン病、皮膚癌、肺癌については、これを慢性砒素中毒によるものとみなして差し支えないとの公式見解を出している。

(四) しかし、砒素に起因する悪性腫瘍を右の三種類に限定することは、砒素が各種の臓器癌をもたらすことが知られている事実や土呂久における癌の全体としての出現率の高さに照らし問題があると言わざるを得ない。そもそも発癌物質というのは、人体の細胞に対して影響を及ぼすものであり、全身の臓器の中で右の三種類の臓器のみに発癌作用が働くということは考えられない。従つて、原則として全ての癌との関係において砒素の発癌性が認められるべきである。

(五) のみならず、本件被害者らの癌に関しては、過去の報告例で砒素によつて発癌することが既に裏付けられている。すなわち、

(1) 亡佐藤数夫の喉頭癌については、大野政一らが砒素によつて発症したと考えられる喉頭癌の一例として報告をなしている。なお同報告では、亡数夫に皮膚癌(皮膚の基底細胞癌)が存在することが砒素起因性を肯定する根拠としてあげられている。

(2) 泌尿器の癌も亡鶴野秀男、亡佐藤ハルエ両名に認められているが、前述した通りブラウンやサマーらは泌尿生殖器癌を報告しており、加えて砒素性の皮膚癌ないしボーエン病は、内臓癌を併発することが多く、亡佐藤ハルエにもボーエン病様変化が認められている事実等に照らし、右両名の癌も砒素の影響によるものと認められるべきである。

(六) そして、右に述べた各種の癌の発生やボーエン病の多発によつて慢性砒素中毒症認定者には全体的に発癌作用が及んでいることが証明されているのであるから、右に述べた以外の癌についても、同様に砒素の影響を認めるべきである。

三鑑別診断の方法について

1土呂久地区において慢性砒素中毒症が多発していることは、前述の通り明白であり、本件被害者らも後述する通り慢性砒素中毒症に罹患している。しかし慢性砒素中毒の症状は前述した通り非特異的症状の組み合せからなつている。従つて個々の症状だけをとり出すと、それらは全て他の原因によつても起こり得るものばかりであり、他原因によるものと鑑別することは極めて難しい。

しかし、本件被害者らが土呂久において砒素曝露を受けたことは明白であり、慢性砒素中毒症に比較的特徴的な、皮膚症状、多発性神経炎等の多発も証明されている。それ以外の症状でも曝露初期に、粘膜刺激症状群がみられるなどの初発の特徴が確認されている。従つてこれらの症状を手掛りとすることにより慢性砒素中毒症の診断をなすことは十分可能である。

而して、慢性砒素中毒症がいかなる臨床症状を呈するかは、前述した通り文献的に明確に証明されているのであるから、慢性砒素中毒症と診断される患者に、砒素により発生することが確認されている症状の発生がみられ、地域的にも多発している場合には、これに対し砒素が影響している可能性は極めて強い。そのような症状が単独にではなく複数の組み合せで存在し、その初発や経過について砒素曝露との関連性が肯定されるような場合にはなおさらである。個別的にみれば非特異的で、他原因によるものとの鑑別が不可能にみえる症状であつても、このように、その症状の初発や経過、出現頻度、他の症状との組み合わせ、砒素曝露との関連性を検討していくことによつて、砒素との因果関係は明確に証明され得るものである。もちろん初発や経過に照らし、症状の全体的経過を説明するに足るより有力な原因が確認されるような場合にはこれを除外するのは当然である。

2堀田医師は、右のような考察を経て、本件被害者らの症状について詳細に慢性砒素中毒症の診断(堀田診断)を下しているのであり、裁判上の因果関係の証明も、これを以て足りるというべきである。従つて、本件被害者ら各人の健康被害については、右堀田診断を基礎に認定すべきものである。

3第二次水俣病訴訟判決(熊本地判昭五四・一一・二八判時九二七号)も、水俣病の病像につき次のように判示している。

「右疾患のどの範囲までを水俣病として捉えるかについて検討するに、前判示の如く、有機水銀による魚介類等の汚染が広範囲かつ長年月にわたつており、これらの摂取の量、時間等も各個人によつて当然相異すること、有機水銀中毒の症状の出現にも多様性があることを考慮すると、水俣病を単にハンターラッセルの主症状を具備したもの、もしくはこれに準ずるものといつた狭い範囲に限ることは相当といえず、原告らあるいは患者らがどの程度有機水銀に曝露されてきたのかを出生地、生育歴、食生活の内容等により考察し、さらに各人に有機水銀中毒にみられる症状がどのような組合せで、如何なる程度ででているかを検討し、その結果各人の症状につき有機水銀摂取の影響によるものであることが否定できない場合には、これを本訴において水俣病として捉え、損害賠償の対象となすを相当とするというべきである。」

本件も多くの非特異的症状を含む全身性の中毒症である点において水俣病と共通しており、同様の基準によつて非特異的症状に関する因果関係の認定がなされるべきである。六価クロムによる職業性中毒に関する東京地裁昭和五六年九月二八日判決(判時一〇一七号)においても、他原因との「臨床的」鑑別や厳密な疫学的有意差は、非特異的症状について因果関係を認定するための絶対的な要件とはされていない。

第二本件被害者ら各人の健康被害

本件被害者ら各人の慢性砒素中毒症罹患の事実とその症状の内容、経過等健康被害の実情は、別紙「個別主張・認定綴Ⅰ、原告らの主張」中の各「健康被害」欄記載のとおりである。

第三まとめ

一広範性及び進行性

本件被害者らは、前述した通り、慢性砒素中毒により広範に健康を障害されている。しかもその症状は、個別的にみれば固定し、あるいは汚染の最盛期に比べれば軽快しているものもないわけではないが、心臓循環障害や高頻度を示している各種の癌ないし前癌状態(異常角化症、ボーエン病様組織所見)の出現等にみられるように全体としては増悪している。これらの健康被害は、慢性砒素中毒という一個の中毒症の発現なのであるから、本件被害者らの健康被害は全体として一つの被害として把えられるべきものであり、個々の症状ごとに把えられるべきものではない。従つてその健康被害は、全体として今なお進行中の被害であり、過去における慢性砒素中毒の単なる後遺症ではない。

二予後の重大性と症度の同一性

本件被害者らの健康被害の程度も、現在までの状況を単純に比較すれば症度の違いが見受けられる。しかし、予後の問題にしては、例えば悪性変化が今後誰に出現するか全く予測はつかない。一見軽症に見える者に現にボーエンないしボーエン病様の悪性変化の出現がみられている例も存在する。このような慢性砒素中毒症の特性に照らすと、慢性砒素中毒の症度は、全ての中毒者が等しく発癌等砒素に起因する死亡の危険にさらされている点で、基本的に同一に評価されるべきものである。

既に一二名もの被害者が死亡し、しかもそのうち一〇名が本訴提起の後の死亡であることに照らすとこのことは明らかである。

従つて本件被害者らの症度の評価は一見軽症にみえる者についても死亡の危険にさらされた危険な健康障害であるとして、死亡者らと同等の評価がなされるべきである。

第四章  被告の責任

第一節被告の法的責任

第一被告に対する請求の根拠

被告は、昭和四二年四月一九日、本件鉱山の鉱業権(宮崎県採登第六五号鉱区および同第八〇号鉱区)を取得し、同四八年六月二二日これを放棄し、同月三〇日鉱業権消滅の登録をした。従つて、被告は

① 右昭和四二年四月一九日以前に発生した損害については、鉱業法一〇九条第三項の鉱業権の承継人として、

② 同日以降同四八年六月三〇日までの間に発生した損害については、同法一〇九条第一項前段の損害発生時の鉱業権者として、

③ 同四八年六月三〇日以降発生した損害については、同法一〇九条第一項後段鉱業権消滅時の鉱業権者としてそれぞれの責任を負うものである。

第二被告の主張に対する反論

一稼業の有無と鉱業権者の責任

被告は、不法行為責任は自己の行為に対して責任を負うのであり、他人の行為に対して責任を負うものではなく、これが法の基本理念であり原則であるとして、鉱業法上の損害賠償責任の規定も稼業なき鉱業権者には適用されないと主張している。しかしながら、これは次のとおり明らかに失当である。

1従来の不法行為責任に関する原則の修正

鉱業法は被告主張の如き従来の不法行為責任に関する原則を修正したものである。

(一) 即ち鉱害は未採掘鉱物の採収や製錬の為の人と機械との複雑なしくみによる各種原因行為によるものであり、その損害の発生までに相当の時間の経過を要し、その範囲は広範囲に亘る。従つて鉱害の原因がどの時代の誰の行為によるものであるかを証明することは極めて困難である。そこで鉱業法は鉱害の原因となつた行為やその行為主体を直接問題にするのではなく、より根本に遡つて、その行為や行為者の基礎にある鉱業権自体に着目し、鉱業権自体に鉱害に関する匿れた責任が附着しているものと捉えたのである。従つて当該鉱業権に基礎を置く行為によつて発生した損害である限り、当該行為が行なわれたのがいつで、それを行つたのが誰であるか、といつたことを法は問わないこととしたのである。そして、このようにすることは、鉱害の原因に関係ない者に賠償責任を負わせる結果となる場合もないとはいえないが、損害発生当時の鉱業権者は、その損害が前鉱業権者の作業によるものであることを立証した場合でも、賠償の責任を免れることはできないとしたのである。

(二) このことは特に鉱業法第一〇九条第三項において、損害発生の後に鉱業権を譲り受けた鉱業権者に対し、その損害について責任を負わせていることからも明白である。この場合、その損害は当該鉱業権者の行為によるものでなく、従前の鉱業権者即ち「他人」の行為によるものであることは当然であるから、もはや鉱業法が被告主張の如く他人の行為について責任を負わないとの原則を大きく修正していることは疑うべきもない。

(三) このような不法行為責任の原則に関する修正は、鉱害という一種の不法行為の特殊分野におけるその実情に見合つた法の発展にほかならない。

(四) ちなみに、被告は鉱業法が何ら合理的理由もなく、他人の行為に対して、全く関係のない稼業のない第三者に責任を負わせるとすれば、法の理念である正義公平に反し、不当な財産権侵害として憲法違反のそしりを免れないと主張する。

しかしながら、そこに合理的な理由の存することは前述のとおりであり、また鉱業法が責任を負わせる「他人」といつても、それは全くの赤の他人ではなく、いわば鉱業権という糸によつて強く結びついている他人なのである。そして、もし鉱業権者がそのような責任を負うことを厭うのであれば、当該鉱業権を取得しなければよいだけのことであつて、そこに何ら憲法違反の問題など入り込む余地はない。

2稼業と鉱害発生との関連性

(一) 更にこの問題を考えるにあたつて重要なことは、鉱山鉱害は、稼業によつてのみ生ずるのではないということである。鉱山における鉱害は稼業を休止ないし廃止した後も、坑水の放流や捨石もしくは鉱滓の堆積が継続する限り、それらを汚染源として発生し続けるのであつて、正にこれが鉱山鉱害の都市型公害に於けると異なる大きな特質である。

鉱業法の賠償規定は、まさにこのような稼業の中止イコール汚染行為の中止とならないという鉱山鉱害の特質をも踏まえて、制定されたと理解すべきである。

(二) そもそも、鉱業法第一〇九条第一項に規定する四つの原因行為の態様についても、土地の掘さくや鉱煙の排出については、稼業に伴ういわば作為の形態においてしか通常考えられないが、坑水の放流や捨石もしくは鉱滓の堆積については、それのみではない。即ち稼業時に於ける作為形態としての個々に反覆継続される放流行為や捨石、鉱滓の堆積行為のほかに、稼業時か稼業時でないかを問わないところの不作為形態としての坑水を流れるままに放置する行為、捨石・鉱滓を堆積したままに放置する行為が考えられるのである。

そして後者の不作為の態様によるものも、前者と共に鉱害の発生源であることに変わりはなく、いな場合によつてはそれ以上に重要なのである。例えば捨石の堆積を例にとれば、その汚染のメカニズム(例えば堆積場に雨水等が浸入してその中の有害物質を溶出させ、それが公共用水域に流れこんでその水質を汚染する等)からして、個々の堆積行為自体が直接に汚染行為になるのではなく、一定期間そこに堆積したまま放置しておくことが、即ちそのような不作為がむしろ汚染行為となるのである。

従つて鉱業法一〇九条所定の原因行為が、かような不作為をも含むものであることは当然であつて、このような不作為による行為は、稼業をしない鉱業権者も当然行なつているのであるから、同法が稼業してない鉱業権者にも適用されるのは、当然と言わねばならない。

(三) 被告は、右に関連して、

① 鉱業権は土地所有権又は土地使用権とは別個の権利であり、その譲渡自体に、当然に掘さくされた坑道、坑水もしくは廃水の放流される土地、鉱滓の堆積場やその堆積された土地等の譲渡を包含するものでないと主張し、

② 旧鉱業権者の稼業によつて生じた坑道等を完全に埋め戻したり、坑水が完全に坑外に出ないよう止水したり、旧鉱業権者の稼業によつて堆積した捨石鉱滓を全部他の場所に移置するというようなことは、鉱業法が義務として命じているわけではなく、実際にも不可能であつて、これら鉱業権者の義務に属しない行為につきそれがなされないことが鉱業法一〇九条一項の鉱害発生行為をしたことにあたるというのは暴論であると強弁して、そのような立論を前提にして稼業なき鉱業権者に鉱業法第一〇九条第一項を適用することを論難しているが、これも全く失当である。

(1) まず右①について言えば、鉱業法第一〇四条により、鉱業権者は、坑口、排水路等の開設、土石鉱滓等の堆積等のため他人の土地を使用することができる。

またこの規定により、鉱業権者が取得した土地使用権は、鉱業権の譲渡がなされた場合、鉱業法第九条の「この法律に規定する鉱業権者又は租鉱権者の権利義務は、鉱業権又は租鉱権とともに移転する」との規定により、新鉱業権者に移転する。

従つて新鉱業権者は鉱業権の移転により当然坑水の通過する坑道、排水路、捨石や鉱滓の堆積場等の土地使用権も取得するのである。

(2) 次に右②について言えば、被告主張の不可能ということが、もし物理的に不可能ということであれば明らかに誤りであり、それは単に鉱業権者として経済的に見合わないというだけのことにすぎない。

またそもそも鉱業法等による公法上の規制や義務を守つてさえいれば、鉱害は一切発生しないということではないから、そのような規制や義務に違反していないからといつて、鉱業法第一〇九条第一項の適用を免れるものではないことも、勿論である。

(3) ちなみに、確かに鉱業法自体は、鉱業権者に対し、坑水や捨石、鉱滓の堆積等に関する鉱害防止対策の義務付けを行なつていないが、これは鉱業法とは別個に、鉱山保安法にてこれを規定しているからにすぎない(但し、戦前は鉱業法がこれを規定していた)。そして鉱山保安法第四条第二号は、鉱業権者に対し、「ガス、粉じん、捨石、鉱滓、廃水及び鉱煙の処理に伴う危害又は鉱害の防止」のため、必要な措置を講ずべきことを規定している。

この条項は、鉱業権者たる地位に立つ者に対して、その地位に着目して、その守るべき一般的な義務を掲げたのであり、現鉱業権者は自らの鉱業の実施により生じたこれらのものはもとよりのこと、自らは実施しないが、過去の鉱業権者が行なつたものについても必要な措置義務を負うものと解されている。

更に鉱山保安法第九条の二第二項は、鉱業権の移転があつた場合、捨石又は鉱滓の集積場、坑道等について、鉱業権の承継人は、それらに係る義務も承継することが規定されている。

以上よりすれば、被告の右主張が失当であることは明白である。

3鉱業権と稼業の義務

(一) 鉱業権は、そもそも稼業する権利のみではなく、稼業する義務をも含むものである。即ち鉱業権は、国家から与えられた権利であると同時に、鉱業権者の営む鉱業は、国家的事業たる性質を有し、国家に対し鉱業実施の義務を負うのであり、権利の上に眠ることは許されないとされている。

(二) これは鉱業法第六二条に「鉱業権者は鉱業権の設定又は移転の登録があつた六ケ月以内に事業に着手しなければならない」と規定されていることからも明らかであり、反面から言えば、稼業する意思や能力のない者が、鉱業権を取得することを許容していないのである。

即ち鉱業法は、鉱業権者に対して、鉱業の実施と損害賠償の二つの義務とを共に同時に負わせているのであつて、そもそも「稼業を全然することのない鉱業権者」やそのために「賠償義務を負わない鉱業権者」の存在など法の許容しないところなのである。

従つてそのような鉱業権者があるとすれば、それは法の趣旨や精神をことさら無視したものであり、結局のところ、右二つの義務のうち稼業実施という国家に対する義務に違反しているというだけであつて、そのことが何ら損害賠償の責任を免れる理由になどならないのである。

(三) ちなみに被告は、昭和四四年四月一日、土呂久鉱山につき、鉱業法第六三条の規定に基づく施業案の認可申請をし、その認可を受けている。

これは、被告自身、土呂久鉱山の鉱業権取得後、そこで鉱業を実施することを意図し、計画していたことを如実に示すものである。

そして被告は現に土呂久鉱山ないしその周辺で、探鉱、地質調査、ボーリング等を行なつているのであり、ただ本格的な稼業に入らなかつたのは、斉藤教諭による本件鉱毒事件の告発という突発事態があつたからにすぎない。

要するに被告は、土呂久鉱山で本格的な稼業をしなかつたといつても、そもそもその意図は有していたのであり、鉱害事件の発覚によつてあわててそれを取りやめたにすぎないのであつて、このようなことが被告を免責する理由になどなろうはずがない。

4盗掘の場合

被告は盗掘の場合を例にとり、盗掘によつて損害が生じた場合には、当該鉱区の鉱業権者でなく、盗掘者が民法上の不法行為責任を負うと解されていることをもつて、自らの主張の根拠としている。

しかしながら、前述の如く、鉱業法の賠償規定は、当該原因行為の基礎となつている鉱業権自体に着目したものであるところ、盗掘の場合は、当該鉱業権とは全く無縁の行為であり、盗掘者も鉱業権者とは全く無関係なのであるから、鉱業権者が責任を負わないことは当然なのであつて、このことは何ら被告の主張を理由づけるものではない。

5資源庁通達の意味

被告はまた昭和二六年九月八日資源庁五五〇号通達も、その主張の根拠としているが、これも失当である。

右通達は、「『当該鉱区の鉱業権者』とは、損害発生の原因たる作業を行つた鉱業権者と解し、損害発生地域にある鉱区の鉱業権者であつても原因作業に全く無関係なものは含まれない」とされていることからも明らかなように、損害発生地域に複数の鉱区が隣接ないし重複して存在している場合のことを問題にしているのである。

例えば、ある地域である鉱石の製錬に伴う亜硫酸ガスの発生による煙害のみが問題となつている場合、同じ地域に右製錬と無関係な石炭を採掘している鉱区が隣接ないし重複してあつたとしても、右石炭鉱区の鉱業権は、煙害発生の原因行為と全く無関係であるから(そして前述のとおり鉱業法は原因行為が基礎を置くところの鉱業権に着目して損害賠償責任を規定したものであるから)、右石炭鉱区の鉱業権者が責任を負うことはない(そしてこのような場合右鉱業権者が自ら石炭採掘という稼業をしているか否かを問わないことも、勿論である)。

右資源庁の通達は、このような場合を考えて、鉱害発生地域に存する鉱区の鉱業権者であつても、自らの鉱業権と当該鉱害の原因行為が無関係であることを立証した場合には、責任を負わないものであることを明らかにしたにすぎないのである。

6第七四回帝国議会委員会議事録について

第七四回帝国議会貴族院鉱業法中改正法律案特別委員会の質疑における政府委員の答弁中には、鉱業権の承継があつて、承継後の鉱業権者が、自らは何ら捨石鉱滓堆積をしなかつた場合には、当該譲り受け鉱業権者は責任を負わないかの如き答弁をしているように見える部分があるが、その少し前の部分を見ると、このときの議論は、鉱業権の承継のあつた場合のことを言つているのではなく、鉱業権が一旦放棄され、同一地域にその後また新たに鉱業権が出願設定された場合のことを言つているのである。従つて、このような場合には、従前の鉱業権と後に設定された鉱業権とは別個のものであり鉱業権の連続性がなく、当該捨石や鉱滓と後に設定された鉱業権とは無縁なものであるから、後の鉱業権者が責任を負わないのは当然なのである。

二昭和一四年以前の損害と鉱業法の適用

被告は、現行鉱業法第一〇九条と同旨の旧鉱業法第七四条の二は、昭和一四年法律第二三号による旧鉱業法の改正によつて新たに制定された規定であるが、同法の施行に関する同法改正法附則の第四項には、同法第七四条の二第三項があげられていないので、同法施行(昭和一五年一月一日)以前に発生した損害については、同法第七四条の二第三項は全く適用されないと主張している。しかしながら、右主張は次の理由により失当である。

1法律不遡及の意味

本件については、議論に混乱をもたらさない為にも、まず法律不遡及の原則の意味から出発する必要がある。

法律不遡及の原則がとなえられる所以は、法的安定性という見地から、即ちいかなる行為からいかなる法律効果が発生するかということが、当該行為主体に当該行為の時点で、あらかじめ判明していなければいけないところ、新たに制定された法律を既往の行為に遡つて適用すると、この要請がくずれるからである。

従つて法律の遡及、不遡及を分けるその基準とは、当該法律による効果を発生させるところの要件たる行為が、当該効果を受ける行為主体によつて行なわれたのが、当該法律の施行前か後かということである。

2旧鉱業法第七四条の二第三項と遡及、不遡及

(一) ところで旧鉱業法第七四条の二第三項の規定は、既に発生している損害賠償義務について鉱業権の譲渡が行なわれた場合、新鉱業権者にも当該義務を連帯して負担させるというものである。これを、

① 当該法律効果を受ける行為主体

② 行為主体に付与される法律効果

③ 当該効果を発生させる行為内容

の三つに分けてみると、

① 当該法律効果を受ける行為主体は新鉱業権者であり、

② 行為主体に付与される法律効果は既に発生している損害賠償義務の負担ということであり、

③ 当該効果を発生させる行為は鉱業権の譲り受け

ということになる。

従つて、右旧鉱業法第七四条の二第三項について言えば、鉱業権の譲り受けという行為のなされた時点が、右規定の施行時より前か後かということが、遡及、不遡及を分ける基準となる。

(二) 以上よりすれば、旧鉱業法第七四条の二第三項の規定を、同法施行後の譲渡行為に適用するのは、右法規を施行したことに基づくあたり前のことであつて、何ら「遡及適用」という概念が入る余地はない。

旧鉱業法第七四条の二第三項について、遡及適用ということが問題となるとすれば、それは右規定の施行前に行なわれた鉱業権の譲り受け行為に同法を適用する場合のみである。

3附則の役割

(一) ところで法律の附則とは、当該法の施行日や経過規定を定めるものであるが、新法につき、特に遡及適用させる条項がある場合や、念のため注意的にその適用関係を明確にしておく必要がある場合には、その条項に関してのみ附則にそれを掲げる。そして、その必要を認めない部分については、法律不遡及という一般原則に委ねて特にこれを掲げることをしない。

(二) この意味で、前記旧鉱業法改正法附則四項は、同法第七四条の二第一項、第二項、第四項のみを掲げ、同第三項についてはこれを掲げていないから、同第三項が不遡及であることは間違いない。

しかしここに言う不遡及の意味は、前述のとおりであつて、同規定の施行日以前の鉱業権の譲り受け行為には同規定を適用しないというにすぎない。言いかえれば附則四項が、右第七四条の二、第一項、第二項をかかげたのは、施行前に発生した損害について、同条項を遡及適用するということを明らかにする意味のみであつて、右施行前に発生した損害について、第七四条の二第三項の規定の適用を一切排除した趣旨ではなく、同条項については、遡及効を否定し、法律不遡及という一般原則に委ねることにしたにすぎないのである。

(三) ちなみに同附則四項に掲げられている第七四条の二第一項、第二項の規定は、損害発生時の鉱業権者、又は損害発生時に鉱業権が消滅しているときには、消滅時の鉱業権者が損害賠償義務を負うという規定である。そしてこの場合、これら鉱業権者が右規定によつて負担させられる損害賠償義務を発生させる要件たる行為は、同条第一項について言えば損害発生時に当該鉱業権を所持していたということである。また、同条第二項でいえば損害発生前の最後に当該鉱業権を所持していたということである。従つてこれらの行為の存する時点が遡及、不遡及を分ける基準なのであるから、同法施行前に発生した損害について第七四条の二第一項、第二項を適用することは、正に法の遡及適用にほかならず、同附則四項がこれを掲げたのは当然なのである。

なお、同附則二項は「第七十四条ノ四及至第七十四条ノ七ノ規定ヲ除クノ外本法施行前ニ為シタル作業ニ因リテ本法施行後ニ生ジタル損害ニモ之ヲ適用ス」と規定しているが、これは法の遡及適用を規定したものではない。

即ち、このことは鉱害賠償規定が「重点を作業に置かず、損害に置き、賠償義務者を以て作業をなした鉱業権者とせず、損害発生の時の鉱業権者とした法律の建前から考え、当然のこと」(平田慶吉「増訂鉱業法要義」三九三頁)だからである。これは、鉱業法の賠償規定が当時として画期的なものであつたため、念のため注意的にその適用関係を明確にするため規定されたものである。

4まとめ

(一) 以上よりすれば、旧鉱業法改正法附則に関する被告の主張は、遡及効の意味と附則の役割とを誤解したものであり、理由のないことが明らかである。

そもそも、単純に考えてみても、前鉱業権者が負担している賠償義務について、それを新鉱業権者に負担させるか否かの問題は、右鉱業権譲渡の時点を基準として考えればよいことなのである。

そして、既に発生している賠償義務について、それを負担するのを厭う者は、当該鉱業権を譲り受けなければよいだけのことであつて、そこに何ら不測の損害を新鉱業権者に与えることになどならない。

(二) そもそも改正法は、鉱害被害者を広く救済することを目的として制定されたものであり、そのため特に第七四条の二第一項と第二項について法の遡及適用まで認めたものであるところ、被告の主張に従えば、第七四条の二第三項については、法の遡及適用は勿論、法の本来の適用すら附則が一部制限しているという結果になるのであつて、右立法目的と大きくかけ離れるばかりか、譲り受け鉱業権者にそのような優遇措置を与えるべき合理的な理由など全く存しないのである。

三鉱業権者と製錬業者の分離論に対する反論

被告は、昭和一二年以前の本件鉱山における亜砒酸製造は、鉱業権者がなしたものでなく、川田平三郎、宮城正一、野村弥三郎、佐藤喜右衛門、富高砂太郎、鶴野政市らがなしたものであり、その結果発生した鉱害については、鉱業権者に責任はないと主張している。

これは次の理由により全く失当である。

1採登六五号鉱区と亜砒酸製造との関係

(一) 被告は、原告が訴状に本件鉱山の鉱業権者として記載した山田英教、大谷治忠、渡部録太郎、関口暁三郎らが、砒鉱の製錬を行つた事実はないと主張し、これを鉱業権者と製錬業者の分離論の一つの根拠としている。

しかしながら、山田、大谷、渡部、関口らは、いずれも採登六五号鉱区の鉱業権者であり、同鉱区の鉱種に砒鉱が加わつたのは、大正一四年鉱業権者が渡部録太郎になつてからである。

従つてそれより前の山田英教、大谷治忠については、同人らは砒鉱の採掘すら行なつていないのであり、その製錬を行なわなかつたのは当然である。

(二) そもそも、昭和一一年以前における亜砒酸製造は、もつぱら採登八〇号鉱区の鉱業権に基づくものであつた。これは次の事実より明らかである。

(1) 採登八〇号鉱区が大正一三年より昭和一一年まで外録鉱山と呼ばれていたのに対し、採登六五号鉱区は、大正一四年より昭和七年まで吹谷鉱山という別の名前で呼ぼれていた。

(2) 採登六五号鉱区は、採登八〇号鉱区と比較してその範囲が極めて広く、かつ採登八〇号鉱区を囲んでその外側に位置している。

(3) 昭和一〇年以前の土呂久鉱山の坑道は、三本程度であり、それはいずれも採登八〇号鉱区の鉱区内に存した。

(4) 前記鉱区一覧によつても、採登八〇号鉱区については毎年砒鉱ないし亜砒酸の産出額が記載されているが、採登六五号鉱区では昭和四年度を除きそのような記載はない。

(5) 採登八〇号鉱区の鉱業権者の住所は岩戸村であるが、採登六五号鉱区の鉱業権者は他所が住所となつている。

以上の事実を総合すれば、昭和一一年採登六五号鉱区と八〇号鉱区が合併施業となる以前の本件鉱山での亜砒酸製造は、主として採登六〇号鉱区の鉱業権に基づくものであつたことが明らかである。

してみれば、本件の記録上、右六五号鉱区の鉱業権者である渡部、関口らが砒鉱の製錬を行なつたとの事実が見当らないのも当然である。

2鉱業権者による亜砒酸の製造

(一) 竹内令による亜砒酸の製造

大正九年より昭和八年まで、本件鉱山で亜砒酸製造を行なつたのは、鉱業権者である竹内令(昭和七年から八年までは、その子の竹内勲)である。

被告主張にかかる川田平三郎らが本件鉱山において亜砒酸製造に従事したことは事実であるが、それは、いずれもこの竹内令に雇われて、いわば鉱山の所長として責任者の地位にあつたかないしは鉱業代理人としての地位にあつたにすぎない。

このことは、高千穂町史に、竹内が亜砒酸製造事業を行なつていた旨記載されていることや、同人の住所が岩戸村であることなどから明らかである。

また、川田らが独立した製錬業者でないことは、同人らが採掘をも行なつていたことからも明らかである。

(二) 中島門吉による亜砒酸の製造

昭和九年より同一一年まで、本件鉱山で亜砒酸製造を行なつたのは鉱業権者である中島門吉である。

被告は、昭和一二年以降は鉱業権者である岩戸鉱山株式会社が自ら亜砒酸製造を行なつたことを認めているが、岩戸鉱山株式会社は中島門吉が中心となつて設立し同人が代表取締役となつている会社である。従つて、中島門吉から岩戸鉱山株式会社への鉱業権の移転は、鉱業権者がいわば形式上法人成りしたにすぎない。してみれば、亜砒酸製造の形態も、鉱業権者が中島個人の時点と岩戸鉱山株式会社になつた時点とで差異があるとは考えられない。このことは、鈴木仙陳述書に、中島が本件鉱山を買収した後、従来から亜砒焼きをやつていた者から従前同様やらせてほしい旨依頼を受け、そこで亜砒焼きの請負契約を結んだと述べられていることからも明らかである。

3亜砒酸製造ライセンス論への反論

被告は、亜砒酸の製造は、ライセンスなしにはできないからここに鉱業権者と製錬業者の分離の必然性が存在すると主張する。

しかし、以下のとおりこの論も全く当を得ないものである。

(一) 確かに被告主張の明治二二年法律第一〇号、同年内務省令第五号によれば、亜砒酸製造者は地方庁の免許鑑札を受ける必要がある。

しかしながら、被告は前記竹内令が、右免許鑑札を有していなかつたことを立証しているわけではない。また鉱業権者自身亜砒酸に関する知識を習得し、或いはそのような知識を有する者を雇うことによつて当該免許鑑札を取得するのに何の障害もなかつたはずである。

(二) 更に、被告の主張からすれば、前記川田らが右免許鑑札を有していたということになるのであろうが、その点の立証も全くない。

また仮りに川田らがそのような資格を有していたとしても、そのことが川田らが竹内から独立した製錬業者であつたことに当然結びつくものでもない。竹内がそのような資格のある川田らを雇つていたとしても、何ら不自然なところはないからである。

4本件鉱山における採掘と製錬の一体性

本件鉱山においては、採掘と製錬がまさに一体となつて一つの連続する不可分の事業として行なわれていたのであり、製錬のみが独立していたものではない。

このことは、次の事情より明らかである。

(一) 場所的一体性

製錬は、土呂久川川べりの一番坑坑口の手前で行なわれ、製錬に伴う焼きがらは、採掘選鉱に伴う捨石と同じく、土呂久川べりや川の中に、一緒に堆積ないし投棄されるなど、製錬と採掘の場は密着していた。

(二) 作業の一体性

土呂久における亜砒酸製造は、坑内より採掘、搬出された鉱石が一番坑の前の作業場で選鉱され、同所で焙焼するのに適当な大きさに砕かれたうえ、そのまま同所にある亜砒焼き窯で製錬されるという一連の統一的作業によつて行なわれていた。

従つて勿論土呂久において、他の鉱山より買鉱した鉱石が製錬されたという事実もない。

(三) 作業従事者の一体性

後記の如く、本件鉱山では、坑内作業を希望して雇われた者が人手が足りないということで製錬作業に回され一年後くらいに坑内作業についたり(佐藤仲治の例)、製錬作業に従事する者が時々坑内作業をしたり(佐保五十吉の例)、逆に坑内作業に従事する者が時々製錬作業に従事したり(佐藤実雄、佐藤ハルエの例)といつた状況であつた。

即ち、本件鉱山では、各作業毎に従業員がはつきり分かれているということもなかつたのである。

(四) 鉱山施設の一体性

鉱山事務所は、採掘と製錬毎に別の事務所が存在したのではなく、常に一つであり、同一事務所にて採掘や製錬に関する事務がとられていた。

また、従業員のための鉱山住宅についても製錬に従事する者も坑内作業に従事する者も共に同一の鉱山住宅に居住していた。

以上よりすれば、土呂久鉱山における砒鉱の製錬が採掘作業と一体不可分の、一個の統一的企業として行なわれていたことは明白である。

従つて、この点からしても採掘と製錬の分離をいう被告の主張が失当であることは明らかである。

5斤先掘契約の主張

仮りに、被告主張の如く土呂久で製錬を行なつていた川田らが、鉱業権者に雇われていた者ではなく、鉱業権者とは別個の第三者であつたとしても、以下に述べる理由により、鉱業権者は責任を免れない。

(一) 川田らによる斤先掘

(1) 川田らは、製錬のみを独立して行なつていたのではなく、採掘をも行なつていた。

前述の如く、本件鉱山における採掘と製錬が一体不可分のものであつたことからすれば、製錬のみを採掘と異なる独立した第三者が行なつていたなどということは考えられないのであり、仮りにも川田らが鉱業権者とは別個独立に製錬を行なつているとしたら、同時に川田らは、それと一体をなす採掘も同様に行なつていたと考えざるを得ない。

そしてこのことは、以下に述べるところからして、十分に裏付けられている。

(2) 被告主張の如き、鉱業権者が鉱石を採掘し、それを川田らに売鉱し、川田らが右鉱石でもつて製錬をなしたなどという事実は、本件記録上どこからもうかがわれない。

(3) 被告が右主張の根拠とする佐保仁市、佐藤仲治、佐藤ハルエ、佐藤数夫、佐藤正四、鶴野クミの各供述も、川田平三郎が、製錬のみを行なつていたという趣旨でないことは明白であり、佐保五十吉の供述(同人が大正末期亜砒焼きに従事した頃の雇い主は、鶴野政市であるというもの)も、賃金は政市からもらつていたのではなく、政市が会社に伝票を書いて会社からもらつていたというのであつて、鶴野政市が独立した製錬業者であつたということではないのであるから、被告主張の根拠となるものではない。

(4) むしろ被告指摘の各人の供述も含めた関係者の供述によれば、川田らが採掘から製錬まで一貫して行なつていたことが明白である。

(5) また被告が自らの主張の根拠として指摘する宮崎県調査の要約にも、鉱山の「経営者」として、宮城正一および川田平三郎の名前があげられているのであり、これは即ち同人らが採掘から製錬まで一体となつた鉱山事業そのものを経営していたことを意味するものである。

(6) 以上のとおり、川田らはいずれも採掘を行なつているのであり、同人らが鉱業権者に雇用されていたものでなく別個独立の事業主体であつたとしたならば、その実態は、次に述べる斤先掘に外ならない。

即ち、川田らの採掘行為は、同人らが鉱業権者に雇われているのでない以上は鉱業権者との一定の契約に基づくものであるか、或いは盗掘でしかない。そして盗掘であるとは被告もまた主張しないところであるばかりか、高千穂町史によれば、竹内は事業を川田に譲り、川田より歩合をとつたとあり、川田が鉱業権者である竹内と契約関係にあつたことが明らかだからである。

(二) 斤先掘契約の内容

斤先掘とは、鉱業に従属する請負業者の発展したものだと言われ、その態様も種々のものが存するが、一言で言えば、鉱業権者が自ら鉱業を実施せず、一定の対価のもとに、その全部又は一部を第三者に行なわしめる契約である。

この契約の法的性質については、鉱業権者の賃貸借とする説その他学説は分かれているが、後述のとおりこれを無効とするのが通説、判例である。

(三) 斤先掘契約の公知性

斤先掘契約が日本において慣行として広く存在していたことは、鉱業法に関する各種文献に等しく指摘されているところであり、いわば公知の事実である。そして、学説、判例がこれを無効としてきたにもかかわらず、監督官庁はこれを黙認してきたのであり、そのためこの慣行は、公然と存在し続けてきた。

(四) 斤先掘契約の無効性

斤先掘契約が前記の如く無効とされる理由は、「その契約の実質が鉱業権者自身又はその監督の下に立つ鉱業代理人以外の者に鉱業を管理させるに帰し、鉱業経営の経済的重要性とその危険性とに鑑み、到底その効力を認め得ないからである」(最判昭和二七年一二月二六日民集六巻一二号一三〇二頁)。

即ち、鉱業法は、鉱業自営主義の原則――鉱業は鉱業権者自身又はその監督に服する者によつて実施されなければならないとする主義――をとつているのであり、斤先掘契約は、この原則に違反するのである。

そして、この鉱業自営主義がとられる大きな理由の一つは、右最高裁判例にも指摘されているように、鉱業に伴う危害の防止即ち鉱業警察上の観点からである。

(五) 斤先掘と鉱害の賠償責任者

斤先掘は、前述の如く法的に無効とされるのであるが、斤先掘者の行為によつて第三者に損害を与えたときは、鉱業権者が責任を負うとするのが通説であり、判例もまた同様である。

従つて、本件においても、川田ら斤先掘者の行為によつて発生した損害について、鉱業権者が責任を免れることができないのは明らかである。

(六) 請負の場合と鉱業権者の責任

(1) 被告は、原告の、鉱業権者以外に砒鉱の製錬に従事した者があつたとしても、それらはその当時の鉱業権者の支配下に当該鉱業権者の製錬業務を下請けしていたに過ぎないとの主張に関し、民法七一六条を援用して、請負人の行為は当然に注文者たる本人に責任を及ぼすものでなく、鉱業権者に責任はないと主張している。

(2) 原告の右請負に関する主張は、前記斤先掘の主張により事実上訂正されているものであり、その限りでここで論ずる必要性はないのであるが、そもそも鉱業法の趣旨からして、たとえ民法上の請負であつたとしても鉱業権者が責任を免れるなどということはあり得ないことである。

(3) 即ち、鉱業法は鉱業の実施に関する責任は、全て鉱業権者が負うべきものとの原則に立つている。

このことは、旧鉱業法第一〇四条が「鉱業権者ハ其ノ代理人、戸主、家族、同居者、雇人其ノ他ノ従業者ニシテ其ノ業務ニ関シ本法ヲ犯シタルトキハ自己ノ指揮ニ出テサルノ故ヲ以テ本法ノ処罰ヲ免ルルコトヲ得ス」と規定し、鉱業権者はたとえ自己の指揮監督に服さない者の行為についても処罰を免れないとしていることからも明らかである。

そして、右第一〇四条にいう従業者については、

「荀モ鉱業権者ノ権利ニ基キ鉱業ノ経営ニ従事スル者ハ鉱業権者自身ノ選任又ハ許容ニ依ルト其鉱業代理人ノ許容ニ依ルト将タ又鉱業権者ノ計算ニ於テ之ニ従事スルト自己ノ計算ニ於テ従事スルトヲ問ハス総テ鉱業法第百四条ニ所謂鉱業権者ノ従業者ニ該当スルモノ」(大判大正四年二月二七日刑録二一輯一六七頁)

とされているのであり、前述の斤先掘者もこの従業者に該当すると解されている。してみれば、民法上の請負契約に基づき稼働している者も当然この従業者に含まれるのであり、鉱業権者はこの者の行為について鉱業法上の処罰すら免れ得ないのであるから、民事上の責任についても、民法七一六条を援用してそれを免れることができないのは当然と言わねばならない。

四鉱業法一一六条の主張に対する反論

被告は本件被害者中鶴野秀男ほか一五名について、これら被害者の健康障害は、鉱山就業に伴う業務上の疾病であるので、鉱業法第一一六条の規定により、鉱害賠償規定の適用はない旨主張している。

しかしながら、このような主張が失当であることは多言を要しないところである。

即ち、前記被害者らの疾病が業務上の疾病であることの立証責任は被告にあるところそのような立証はなされていない。いなむしろ以下の点からすれば、それを業務上の疾病とすることなど到底できないことが明らかである。

1本件における亜砒酸や亜硫酸ガスによる汚染は、職場領域のみに限局されたものでなく、居住環境を含む土呂久地区全域に広範囲に及んでいること。

2現実にも慢性砒素中毒症の認定を受けた者の中には、多数の鉱山就業歴を有しない者が存在すること。

即ち、居住性曝露のみで健康被害を発生させるに十分であつたこと。

3従つて鉱山就業と疾病との間には、鉱山に就業することがなければそのような疾病に罹患することもなかつたという意味での因果関係は成り立たないこと。

4現実にも前記被害者らの疾病と鉱山就業との間には、被告主張のような相関関係はないこと。

なお、鉱山就業歴を有する者にとつて、職業性の曝露と居住性の曝露が競合していることは事実である。しかし、それらの者の疾病のうち、どの部分が職業性曝露によるものであり、どの部分が居住性曝露によるものであるかを区分するなど、実際問題として全く不可能であり、また無意味でもある。そして、前記のとおり鉱山に就業することがなければ、そのような疾病に罹患することもなかつたという関係にないのであるから、同じ被害住民でありながら、たまたま鉱山就業歴も有するからといつて鉱業法による救済の道を閉ざすことは極めて均衡を失し不合理でもある。また広く鉱害被害者の救済を図ろうとした鉱業法の精神にも、大きく反することである。

第二節被告の加害責任

第一はじめに

被告は、本件の責任を回避しようとする論拠の一つとして、「被告が、土呂久鉱山において何等鉱業を行つたことはない」旨をくり返し強調する。

そこで以下、原告らは、被告と中島鉱山株式会社(以下中島鉱山という)との戦後の深いかかわりの事実を指摘し、被告が、中島鉱山の操業を資金的・人的に援助ないし支配して来た事実に基づく本件の実質的加害責任を負うものであることを明らかにする。

第二加害責任

一被告と中島鉱山とのかかわりについて

被告ないし被告の子会社と、中島鉱山のかかわりとして左記諸事実が存在する。

1 被告は、昭和二五年頃中島鉱山と買鉱の取引を開始し、昭和三三年まで取引を継続したこと。

2 中島鉱山に対し、被告が買鉱を目的とした前渡金を融通していたこと。

3 被告は、中島鉱山から予期した鉱石(亜鉛鉛鉱・銅鉱など)の供給をうけられないままに融資が焦げつき、中島鉱山解散時に一億二千五百万余円の前渡金債権を有したこと。

4 被告は、昭和三〇年二月に中島鉱山に対し、黒葛原鉱山の鉱業権(鉱区番号宮崎採登第一号)を譲渡したこと。

5 昭和三三年中島鉱山の主力鉱山である本件鉱山において出水により大切坑以下の水没により操業の休止を余儀なくされ、中島鉱山の経営が危殆に瀕したことから、被告は、同年一〇月被告の子会社大口鉱業の代表者を中島鉱山の代表者に就任させたこと。

6 昭和三三年一一月大口鉱業が鯛生鉱業を吸収合併し、被告が合併後の鯛生鉱業の株式の80.66%を所有し、その役員は、被告の役員、従業員等によつて占めていること。

7 被告が、本件鉱山の稼行状況を視察していたこと。

8 中島鉱山の解散に際し、被告の同社に対する前記債権の代物弁済として、中島鉱山が有している土呂久地区などの鉱業権(そのすべてであることも明らかな事実)を土地所有権とともに取得したこと。

二被告の弁解について

被告は、中島鉱山に対し有した一億二千五百万余円の債権が、昭和二五年から開始した買鉱のための前渡金が焦げついたものとし、あたかも被告が中島鉱山に対する取引上の債権者としての立場でのみ、かかわりを持つたかの如く主張する。

しかしながら、被告から中島鉱山に対して、昭和二五年以降昭和三三年迄、長期に亙つて買鉱の実績もない侭に巨額な金員の提供が為されたことは、前渡金の名目如何に拘らず、被告が中島鉱山の操業のために、資金的援助を行つてきたことを如実に物語るものである。被告が、中島鉱山に対して、単なる取引上の立場を離れてその操業における経済的援助を為していたことは明白である。

1 昭和三二年一月から一二月迄の前記中島鉱山の営業報告書によれば、中島鉱山は、市況の低迷に加え本件鉱山の湧水による坑道の水没・台風被害等のために、大幅な減益に陥入る状況のなかで、多額の資金を要する採鉱や操業設備資金について、被告から一、六〇〇万円を借入れて調達したことが明記されている。

2 また中島鉱山は、昭和三三年四月資金繰が困難となつた状況の中で、被告に対して割賦弁済をもつて返済することを前提に、金二九〇万円の運転資金の融資依頼を行つている。

右の如き融資は、その依頼の趣旨、文面からしても、継続的にしばしば行われていたことが、十分に推認される。

右各事実からしても、被告が、中鳥鉱山に対し、単なる取引関係を超えて、その操業に対する経済的援助を為していたものであることは疑問の余地がない。

また、昭和三三年一〇月以降(大口鉱業の及川浩が中島鉱山の代表取締役に就任した時点)の中島鉱山は探鉱を主として再建に努めた。

鉱業における探鉱が、多額な資金を要することはいうまでもなく、経営が危殆に瀕した中島鉱山に、探・採鉱を可能とした資金は、被告ないし子会社の鯛生鉱業の計算においてまかなわれたものであることは明らかである。

かかる被告の中島鉱山に対する資金的かかわりの諸事実に徴するとき、被告が、実質的に自己の計算において中島鉱山の操業をなして来たことは蔽うべくもない事実である。

三役員人事掌握の実態

昭和三三年一〇月以降において中島鉱山の代表者及び取締役・監査役など役員に就任した者は、鈴木仙を除いていずれも被告及び子会社の代表取締役をはじめとする役員で占められている。

四むすび

以上のとおり、被告は戦後の土呂久鉱山の操業を終始、実質的に援助しこれを自己の計算において支配して来たもので、本件の責任について、これをいささかでも酌量ないし軽減することは許されないものである。

第五章  損害

第一節損害総論

第一損害賠償の目的

一損害論の出発点

1土呂久鉱毒事件は休廃止鉱山鉱毒被害の代表例である。被害者である原告らに対する損害賠償は、右に述べた被害の特殊性を十分に認識したうえで、なによりもまず、被害者ら一人一人の語る言葉を素直な心で聞き、被害の実体を把握することから出発しなければならない。この被害者の訴えは、今日迄の多くの公害訴訟・薬害訴訟等においても、常に最重視されてきたところである。

2原告らは昭和四六年に土呂久鉱毒事件が明るみにでて以来、自ら体験した鉱毒の被害を、機会ある度に幾百回となく訴えてきた。そこには矛盾も誇張もない。その言葉には、その後の国の休廃止鉱山鉱害対策、公害健康被害補償対策を推進させた重みがある。

3公健法に基づき、土呂久は慢性砒素中毒症の多発地域に指定された。検診を重ねる度に認定患者の数は増加し、今や地域ぐるみの被害を受けたことは、まぎれもない事実である。前記のとおり、同法に基づく行政認定は、要件が制約されており被害者を切り捨ててきたものというべきであるが、この制約のもとでも、本件被害者らは亡佐藤勝を除く全員が慢性砒素中毒症と認定された。右佐藤勝にしても、旧公健特別措置法から現行公健法に移行する際、立法上の空白によつて認定の機会を奪われたに過ぎない。

にも拘らず、被告は、一方では知事斡旋を受諾して本件鉱山の鉱毒が地域ぐるみの被害を与えた事実を認めながら、他方、本訴においては、被害を否定し事実を曲げようとしている。そのためには手段を選ばず、第一回の現場検証では非礼をも顧みず、原告の一人が急な坂道を歩く姿を撮影した。

二本件損害賠償の目的

1鉱業法第一一一条一項は、「損害は、公正且つ適切に賠償されなければならない」と定めて、賠償の基本理念を明確にした。

損害賠償は、被害を回復するための法的手段の一つである。その目的が、被害の回復であることは論を俟たない。ここで被害とは法益の侵害、即ち、不可侵が保障された権利ないし利益又は保護に値する利益の侵害を意味する。と同時に、後述する包括請求の見地から、賠償すべき損害そのものをも示す。

2本件被害者らが蒙つた被害は、既述のとおり、最も深刻且つ甚大な健康被害を中心に、環境破壊、生活破壊、家庭破壊、村落共同体の破壊に及んだ。これらが、人として当然享有し、絶対不可侵が保障されている基本的人権に対する侵害であることは明らかである。憲法第一三条の個人の尊重、生命・自由及び幸福追求の権利並びに市民的及び政治的権利に関する国際規約第二三条の家庭(家族)の権利などを含む、基本的人権に対する侵害と言わねばならない。本件被害者らは基本的人権を鉱毒によつて直接侵害され、更に、本来鉱害の防止、被害救済の責務を負う国及び自治体からも無視されるという意味で、「二重の人権侵害」を受けたものである。

従つて、損害賠償の目的は、本件鉱山の鉱業権者らが侵害し、国及び自治体の放任に乗じて侵害し続けてきた、本件被害者らの基本的人権を回復することにある。

第二損害と特質

一総体としての被害

本件の被害は、健康被害が最も深刻且つ甚大であることは勿論のことであるが、被害は生命・不可侵性に対する侵害だけではない。又、これに財産的被害を加算しただけのものでもない。

侵害された内容は以下に述べるとおりであつて、健康被害に止まらず、社会的、経済的、家庭的、精神的被害などのすべてを包括する総体である。

1健康被害

これは、第三章で詳述したところである。健康被害によつて本件被害者らは生存する能力を、或いは生存そのものを奪われた。

鉱毒によつて、土呂久の住民は、一家族全員が死に絶える等死亡者が相次ぎ、多くの住民が数世代にわたる苦しみを受けた。救済の方法も知らず、業病としての忍苦を強いられてきた。本件の健康被害は、このような長期にわたる人間破壊である。

2環境破壊

鉱毒は、まず、土呂久の恵まれた自然環境を破壊した。本件被害者ら土呂久住民はこのような環境の中で鉱毒に汚染された大気に曝露し、或いはこれを吸入し、汚染、汚濁された食物、飲用水の摂取を余儀なくされて、上記の健康被害を蒙つた。鉱毒は、健康な人間生活のあらゆる領域において、土呂久住民から生存の前提たるべき環境と条件を奪つた。

3生活破壊

鉱毒はさらに、生活基盤を破壊することによつて本件被害者ら住民の生活を破壊した。

土呂久は元来清浄な空気と水に恵まれ、住民はその自然の中で田畑を耕し、畜産、養蚕、養蜂を行い椎茸を栽培し、木材、薪炭を産出するなどして、長年平和に生活を営んできた。しかし、本件鉱山の排出する鉱毒のためその生産基盤であつた自然環境は一変した。それは生活に必要不可欠な大地、山林、畑、建物、道路、農作物等をはじめ、地域のありとあらゆるものを汚染し、生産基盤を破壊すると同時に、地域の生活を破壊した。

4家庭破壊

鉱毒は本件被害者ら土呂久住民を、家族ぐるみ侵襲した。一家が死滅して廃屋となつた喜右衛門屋敷は、鉱害被害の凄まじさの証左であり、土呂久の象徴的存在となつた。乳児の死亡、死産、一家の主柱や主婦が罹患して倒れるなど、住民の個人生活、家庭生活は完全に破壊された。娘時代に発病した被害者は、生涯結婚できず家庭を形成する権利も奪われた。

5村落共同体の破壊

人間は社会的な存在であつて孤独では生きられない。鉱毒は、単に本件被害者らの健康や自然環境、生活環境、家庭生活を破壊したのみではなく、住民が豊かな生活を営んでいくために必須の基盤である村落共同体を破壊した。土呂久の豊かな風土や生活基盤に成り立つていた共同体は、鉱毒によつて構成員が数世代に亘り無数に苦しめられ、被害補償をめぐつて対立と抗争が生じて分裂した。同じ土呂久の住民でありながら、敵か味方か意識しなければならない分裂状態は、後述する県知事斡旋に続く。

鉱毒は本件被害者らから、本来共同体の一員として享受し得たはずの諸々の生活利益を奪つた。これを切り離して論ずることは、数世代にわたる村落共同体全体の被害という土呂久鉱毒被害特有の深刻さ、悲惨さを見落すことになる。これを無視しては、本件被害者らの幸福追求の基本的人権は回復することはできない。

以上の全被害が、第二章で詳述した責任発生原因事実によつて生じたものであり、それと相当因果関係のあることは、前述のところから明らかである。従つて、被告は、右全被害について、損害を賠償すべきである。これにつき被告が予想したことも、予想し得たことも必要ではない。

二損害の特質

本件被害者らが蒙つた損害には、左に述べる特質があることを考慮しなければならない。

1健康被害の全身性と進行性

(一) 前記のとおり、土呂久の砒素中毒の病像は、全身の諸臓器に広範な障害をもたらす全身性の中毒症状である。鼻、気管支、肺臓、胃、腸、肝臓、皮膚、粘膜、神経系統等全身に症状は及び、発癌に至る危険が高い。本件被害者らは、砒素中毒という一個の中毒の発現として、全身のありとあらゆる臓器を病んでいるのである。このような全身症状は、個々の症状のもたらす苦しみも、全身諸臓器にわたる症状との関連で把えなければならない。

(二) 個々の症状の中には、症状自体としてはありふれたもののように見えるものもある。しかし、それらが全身諸臓器にわたると、累積され超過した、特有の激しい苦痛と生活障害をもたらす。既存の苦痛をようやく耐えていた者にとつては、わずかな苦痛が加わつても耐えられない苦痛となる。

(三) 全身症状は長期間継続している。本件被害者らは、初発以来何十年もの長期間にわたり、苦痛を受けている。治療方法は症状毎の対症療法しかなく、業病として一生を病いのなかで過ごし、多くの被害者が死亡した。

(四) 全身性の中毒症状であるため多彩な症状が発現するが、いずれの被害者も重篤状態にあり、前景症状と症度は必ずしも一致しない。一見元気で入院もせず、法廷に出頭していた被害者が、次々と死亡している。

(五) 本件被害者らの砒素中毒症は、初発からかなり長期間経過している。鉱山操業中の砒素の大量曝露が止んだ後も症状は好転せず、現在も増悪に向つて進行している。毎日を死と隣り合わせている苦しみは筆舌に尽し難い。

提訴した本件被害者らは、「生き残つた者」であつたが、本件訴訟係属中、そのうち佐藤鶴江、鶴野秀男、佐藤仲治、佐藤数夫、鶴野クミ、佐藤ハルエ、佐保五十吉、松村敏安、佐保仁市、佐藤アヤの一〇名が死亡した。いずれも砒素中毒症に起因して死亡したものである。

長期間砒素中毒症に罹患した者の発癌率は高く、医学的にも症状の進行性は説明されている。しかし、何よりも右の痛ましい事実は、本件被害者らの症状が進行し、死に向つて増悪していることを如実に証明した。

このような全身性で進行性の健康被害者は、個々の症状を損害として捉えることができないものであつて、その健康障害を全体的に一つのものとして捉えるべきである。

2地域ぐるみの汚染と全人間的破壊

第二の特質は、鉱毒による汚染が被害者らの人間性を全面的に破壊した点である。鉱毒被害の特質と言つてもよい。

長期間にわたつて、地域ぐるみ鉱毒の汚染を受けた土呂久は、その様相を「土呂久の中の鉱毒」から「鉱毒の中の土呂久」へ一変した。本件被害者ら住民は、働く時も休む時も、考える時も憩う時も、食べる時も寝る時も、あらゆる時点で被害を受けた。又、生活の本拠である自宅の中でも、生産の場である田畑、山林、牧場等でも、歩く道の上でも、行くところすべての場所において被害を受けた。

被害は健康被害の他、生活破壊、家庭破壊、村落共同体の破壊に及んだ。これらの被害は、あらゆる領域において、それぞれが関連しあい、相乗的に拡大し、累積した。一家は死に絶え或いは離散し、数世代にわたる苦しみを受けてきたのである。

土呂久鉱毒事件は、住民の基本的人権をすべての側面から侵害し、人間性を全面的に破壊するものであつた。

3長期間の人権侵害と行政の放任

損害の特質として更に指摘しなければならないのは、鉱山企業がその威光を笠に、「国のため」、「地下資源開発のため」という大義名分を盾にして、行政の放任に乗じて、被害を約半世紀もの長い間、放置してきた事実である。

本件被害者ら土呂久の住民は行政による一片の救済も与えられなかつた。国には鉱業権者を監視監督する行政上の責任があり、県など自治体には住民に対する福祉として救済の責任がある。行政はこの自覚乃至認識を全く欠き、住民らの被害救済の上申を無視した。被害者の人権は鉱山企業のみならず、行政によつても侵害され、これが「二重の人権侵害」と言われる所以である。

しかし、このことは鉱毒の被害に対する鉱山企業の責任を免責するものでは勿論ない。従来から加害者、被害者の勢力関係又は政治的考慮等の要素によつて左右されることが多いため、鉱業法第一一一条一項は、特に、「損害は、公正且つ適切に賠償されなければならない」と定めたが、鉱山企業は鉱業法の基本理念を無視し、逆に、財力と威光を笠に着て、「国のため」、「地下資源開発のため」という大義名分を盾に利潤を追求し、なんら憚るところなく、本件被害者らの人間性を破壊し続けたのである。

鉱山企業の非倫理性は強く非難されなければならない。又、弱者の立場に置かれ何等抵抗する術もなかつた本件被害者らの苦痛は、特に考慮されなければならない。

4公害の側面から見た特質

公害の原点である鉱毒被害として、公害の損害賠償における特質もすべて兼ね備えている。

熊本水俣病判決が公害の損害賠償における特質として指摘した次の五点は、その後多くの公害訴訟、薬害訴訟等でも引用され、損害賠償を決定する際の参酌事由となつた。即ち、第一は被害者と加害者との非代替性、第二は被害者側の被害回避不可能性、第三は被害のひろがりの広範囲性、第四は環境汚染による被害の共通性、第五は企業の利潤追求性と被害者側の利益不存在である。本件損害がこれらの特質をすべて備えていることを、ここで縷々述べる必要はない。

被告は本件鉱山での自己の稼行を強く否定している。しかし、損害賠償に関しては、このような被告の主張は意味をもたない。被告は利潤を追求する予定でいたところ、自己の都合で操業しなかつたに過ぎない。被告が被害者側ではなく加害者側であることは明らかである。被告には鉱業権を取得するかしないか選択する自由もあつた。被告が主張するように、債権回収の目的があり、代物弁済によつて目的を達成し、回収不能による損失を免れようとする計算があつたとすれば、同じ計算に損害の賠償も含まなければならない。

第三損害賠償

一包括請求

原告らは、損害を包括して、賠償請求するものである。原告らの包括請求の正当性は、以下述べるとおりである。

1上述したとおり、本件被害者らは本件鉱山の鉱毒によつて、甚大且つ重篤な健康被害を受け、多数の者が提訴後相次いで死亡した。更に、社会的、経済的、家庭的、精神的など多岐にわたつて様々の被害を受け、これらの被害は相互に関連し合いながら、累積して超過した被害になり、相乗して被害を拡大し、全人間的破壊をもたらした。これらの被害を包括した総体が本件被害者らの損害であり、損害は包括的に把握しなければ、本件被害者らの全人間的破壊を評価することは不可能である。

2かつての判例・通説は、人身被害(死傷)それ自体を損害として把握することなく、損害とは加害原因がなかつたとしたならばあるべき利益状態と、加害がなされた現在の利益状態との差(とくに、その金銭評価上の差)をいうとする立場(差額説)を前提にして人身被害から生ずる損害を把握してきたが、かかる差額説は、多発する交通事故の被害者救済に十分な役割を果たしえなかつた。不意の事故に会つた被害者にとつて、差額の主張と立証は極めて困難である。かくして、損害額の算定を差額の枠から外すため、死傷それ自体を損害として把握する見解(死傷説)が、差額説に代わつて採用されたのである。

3スモン訴訟のほとんどの判決は全人間的な破壊を損害として認め、慰謝料の支払を命じた。それらの判決は、慰謝料の補完作用との対比乃至はその拡張、被害の人に及ぼす不利益の多様性と複雑性、個々の損害項目を立証することの困難性などを挙げて、損害のすべてを包括的にとらえ、正面から包括請求を肯定した。

4本件被害者らの損害に差額説を適用することの不当性は、明らかである。その長期間にわたる損害を細分化して主張し、立証することは不可能であり、累積しながら進行する損害を差額で評価することは不可能である。

鉱毒被害はスモンの被害と同様全人間的破壊であつて単なる健康被害ではない。又、慰謝料の補完作用との対比乃至はその拡張、被害の人に及ぼす不利益の多様性と複雑性、個々の損害項目を立証することの困難性なども、土呂久の鉱毒被害にそのまま共通する。むしろ、これらは、長年見捨てられてきた休廃止鉱山鉱害の特殊性とさえいえる。

従つて、前記の各スモン判決が採用した包括請求は、原告らに対して、更に強い必要性にもとづいて、認められなければならない。

二一律請求

1原告らは、損害額を一律に、慰謝料の形式で請求するものである。

差額説を前提に財産的損害と精神的損害とに区分し、後者に対して慰謝料を認める見解は採用できないが、損害のすべてを包括的にとらえた場合の損害賠償を、慰謝料として請求することは当然許される。前記の各スモン判決が採用した包括請求も慰謝料請求である。

2慰謝料の額の算定にあたつては、第二の「損害と特質」で述べた事由を斟酌しなければならない。即ち、本件の被害は、健康被害を主要なものとして、環境破壊、生活破壊、家庭破壊、村落共同体破壊に及んだこと、地域ぐるみ鉱毒に汚染され、被害は全人間的破壊をもたらしたこと、鉱山企業は行政の放任のもとで長期間鉱毒を流し被害を放置し、非難されるべきこと、原告らは公害の被害者として救済されなければならないことである。

更に、土呂久鉱毒事件が明るみになつてから、被告が県知事斡旋を通じて被害者に示した態度は、到底誠意があるとは言えない。且つ県知事斡旋を盾にして、自主的な交渉には全く応じようとしなかつたことは、以前の鉱業権者が権力の威光を笠に着て、被害を無視しつづけた歴史の繰り返しであつて、被害者らの苦痛を倍加させた。

本訴訟の応訴態度においても、被告は争う余地のない事実まで争い、立証の必要があると称して、又調査検討中と称して、訴訟を延引した。読めば逆の意味をもつている資料を、都合の良い所だけ抜粋して証拠に提出したり、水俣病事件の裁判を原告本人が引用すれば、新潟の事件か、熊本の事件か、判決書か訴状等訴訟資料か確かめもせず、年月日が違うから嘘だと決め付けて苦しめた。

このような態度も当然斟酌されなければならない。

3慰謝料の額の算定にあたり、以上の事由を斟酌すると、被害の面でも加害の面でも、斟酌事由には同一性がある。包括的損害に対する慰謝料の算定においては、同様の被害者は格別の理由がないかぎり、一律の同額とすべきであり、特に、土呂久の鉱毒被害は長期間、地域ぐるみの汚染による被害である。差をつける合理的な理由がない限り、一律の額とすべきである。この点で、健康被害に個人差があることは否定できないが、重要な意味をもつ重篤性と進行性においては、ランク付けをしなければならない程の差は見いだせない。

三一部請求(本訴請求額の基準)

1そこで、原告らは、本件訴訟の口頭弁論終結時(死亡被害者については死亡時)において発生している全損害の内、明らかに認容されるべき金三、〇〇〇万円(被害者各人につき・弁護士費用は除く。)を基準にして、一部請求するものである。

本件被害者らのうち、公健法による給付として補償金を受領したものがいるが、補償金の額を控除してもなお残る損害の一部請求として、金三、〇〇〇万円の請求をするものである。

2金三、〇〇〇万円の慰謝料は、原告らにとつて控え目の金額であつて、他の損害賠償訴訟の判決認容額と比較しても正当な額である。すなわち、スモン訴訟の各判決や日本化工クロム労災訴訟、クロロキン訴訟等の判決の認容額及び本件の損害の甚大さを考慮するならば、金三、〇〇〇万円の慰謝料は最低限度の金額として、当然全額認容されるべきである。

第二節損害各論

第一本件被害者ら各人の損害

本件被害者ら各人の、土呂久地区(及びその近隣)居住歴とこれに伴う本件鉱山への曝露状況並びに右曝露に起因する健康被害、家庭と生活の破壊等個別被害の実情は、別紙「個別主張・認定綴Ⅰ、原告らの主張」記載のとおりである。

第二受領補償金の控除

表5―2「補償金受領一覧表」記載の各被害者(但し亡佐藤健蔵についてはその相続人ら)は、同表記載の各金員を被告から受領しているので、これを前記の本訴請求基準損害金各三、〇〇〇万円から控除する。

第三相続関係

本件被害者らのうち、表2―2「請求金額一覧表〔二〕」の(一)欄記載の一一名は、それぞれ、別紙「個別主張・認定綴Ⅰ、原告らの主張」の各冒頭括孤書記載の年月日に死亡したので、右各被害者の本件損害賠償請求権は、各被害者と右「請求金額一覧表〔二〕」の(三)欄記載の身分関係にある各原告ら(以下「遺族原告ら」という。)が同記載の各法定相続分に応じて同表記載のとおり相続した(但し、亡佐藤健蔵の関係は、その妻タツ子が一旦亡健蔵の権利の三分の一を相続したが、右タツ子もその後昭和五二年五月三日に死亡したので、同人の相続した分も原告佐藤慎市ら三名が各三分の一宛相続し、結局亡健蔵の請求権は全体として原告慎市らが右の表記載のとおり承継したこととなる。)

なお、右により、原告佐藤ハルミは自身の被害に基づく損害賠償請求権と亡佐藤仲治から相続した請求権とを、原告佐藤実雄も自身の被害に基づく請求権と亡佐藤ハルエから相続した請求権とを、原告佐藤慎市ら三名は亡佐藤健蔵から相続した請求権と亡佐藤アヤから(代襲)相続した請求権とを、それぞれ併わせ有し、本訴においてその両者を請求するものである。

第四弁護士費用

原告らは、本訴の追行を原告ら代理人弁護士に委任し、その費用・報酬として表2―1、2「請求金額一覧表〔一〕、〔二〕」の各「弁護士費用」欄記載のとおりの金員を支払う旨約したので、右各金員も損害金として併わせ請求する。

第六章  結語

よつて、原告らは被告に対し、鉱業法一〇九条に基づく損害賠償として、表2―1、2「請求金額一覧表〔一〕、〔二〕」の「請求金額」欄記載の各金員及び同表の「弁護士費用以外の部分」欄記載の各内金に対する同表「遅延損害金の起算日」欄記載の各年月日(各訴状送達の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二編 請求の原因に対する認否

第一章  (序)

一1  認める。(もつとも本件鉱山において砒鉱の採掘、亜砒酸の製造が本格的に行なわれるようになつたのは大正中頃からであり、戦前の操業が終わつたのは昭和一六年秋である。)

2  認める。

3  昭和一二年一月二八日訴外岩戸鉱山株式会社が本件鉱山の各鉱区の鉱業権を取得したこと及びそれ以降の本件鉱山の鉱業権者の推移は認めるが、その余の事実は争う。

二  争う。

三  認める。

第二章  (加害行為)

第一節(汚染源)

第一(序)

争う。

第二(鉱煙の排出)

冒頭の事実のうち、本件鉱山における亜砒酸の製造方法及びこれに使用された窯の種類については認めるが、その余の事実は争う。

一1(一)(1) 認める。

(2)ないし(4)争う。

(二)、(三) 争う。

2(一) 反射炉設置の時期、場所及び個数については認めるが、その構造については争う。

(二) 争う。

3 争う。

二1 認める。

2(一)(1) 新焙焼炉による焙焼の原理及び同焙焼炉が連続式の操業方法をとつたことは認めるが、その余の事実は争う。

(2) 争う。

(二) 争う。

3 争う。

三 冒頭の事実は争う。

1ないし5

新焙焼炉からの亜硫酸ガスにつき、福岡鉱山保安監督局によつて昭和三五年と三七年に濃度測定がなされ、煙突からの排煙の亜硫酸ガスの濃度がいずれの場合も0.2パーセント(二、〇〇〇PPM)であつたことは認めるが、その余の事実は争う。

6(一) 争う。

(二)(1) 昭和四六、七年に原告ら主張の宮崎県調査が行われたこと、土呂久地区の家屋の塵埃から砒素が検出されたこと及びその数値については認めるが、その余の事実は争う。

(2) 争う。

7、8 いずれも争う。

四 亜砒酸の焙焼により必然的に亜硫酸ガスが発生することは認めるが、その余の事実は争う。

第三(捨石及び鉱滓の堆積)

一 鉱山の操業に伴い、必然的に多量の捨石(ズリ)、鉱滓(焼ガラ)が生ずること、捨石は坑外へ搬出されたものは坑口付近に、鉱滓は戦前は土呂久川と焙焼炉の間に、戦後は山腹部にそれぞれ堆積されたことは認めるが、その余の事実は争う。

二ないし四

争う。

第四(坑水の放流)

争う。

第五(汚染の継続)

争う。

第二節(環境破壊――鉱毒被害)

第一(土呂久の地形の特徴と大気汚染)

一 土呂久地域は岩戸川の支流土呂久川を底部とする高度差が数百メートルに及ぶ谷あいとなつていること、この谷は紆余曲折しながらほぼ南北に向き、北側は古祖母山へ続き、南側は岩戸・東岸寺へと続いていること、この間いくつかの谷が交錯し土呂久川は支流の小又川・畑中川等を合わせて南下し、岩戸川へ合流することは認めるがその余の事実は争う。

二、三

いずれも争う。

第二(土壌汚染の実態)

一 本件鉱山は戦前は昭和一六年に操業が中止され、戦後昭和三〇年に再開され、昭和三七年に閉山されたことは認めるが、その余の事実は争う。

二1 争う。

2 宮崎県が土呂久地区を砒素汚染地域に指定し、農地の土質の改良工事を行つたことは認めるが、その余の事実は争う。

3 争う。

第三(川水・生活用水の汚濁)

争う。

第三節(環境破壊がもたらした生活破壊)

第一(大正年間の環境破壊と生活破壊)

本件鉱山は大正中頃から亜砒酸製造が本格化したことは認めるが、その余の事実は争う。

第二(昭和における環境破壊と生活破壊)

争う。

第四節(被告の鉱害矮小化)

第一(土壌汚染は鉱化作用によるものではない)

争う。

第二(日本気象協会の「環境大気調査報告」の非科学性)

争う。

第三章  (因果関係)

第一節(砒素中毒症の病像)

第一(序論)

一、二 争う

第二(砒素及び砒素化合物)

一、二 亜砒酸(三価の砒素化合物)が毒物で、砒素化合物の中で最も毒性の強いことは認めるが、その余は争う。

第三(砒素の人体に対する作用)

一ないし三 争う。

第四(砒素中毒症の病像)

一ないし四 争う。

第二節(土呂久における砒素中毒症)

第一(砒素中毒症の存在)

一 土呂久地区における慢性砒素中毒症の存在が原告ら主張の斉藤報告を契機として明らかにされたことは認めるが、その余は争う。

二1認める。

2、3 争う。

三1(一) 認める。

(二) 争う。

2(一) 認める。

(二) 争う。

第二(曝露形態の特徴)

一ないし三 争う。

第三(土呂久における慢性砒素中毒症の病像)

一、二 争う。

第三節(本件被害者らの健康被害)

第一(総括的検討)

争う。

二1 皮膚症状が行政認定の要件の一つになつていること、砒素中毒の急性期の皮膚症状や慢性中毒の代表的な皮膚症状が(一)主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。

2 砒素が呼吸器障害と結びつく可能性が肯定されていること、現行の行政認定の基準でも慢性気管支炎の症状が総合検討のうえで判断すべき項目となつていることは認めるが、その余は争う。

3(一) 争う。

(二) 鼻粘膜瘢痕又は鼻中隔穿孔が行政認定の基準に採用されていることは認めるが、その余は争う。

(三) 争う。

4ないし6 争う。

7(一) 多発性神経炎が行政認定の基準にも加えられた主要症状の一つであることは認めるが、その余は争う。

(二)ないし(六) 争う。

8ないし10 争う。

三 争う。

第二(本件被害者ら各人の健康被害)

亡佐藤勝は慢性砒素中毒症の行政認定を受けていないこと、その余の各人が原告ら主張年月日に慢性砒素中毒症の行政認定を受けたこと、亡佐藤勝、亡佐藤健蔵が本訴提起前に死亡したこと及び亡佐藤鶴江、亡鶴野秀男、亡佐藤仲治、亡佐藤数夫、亡鶴野クミ、亡佐藤ハルエ、亡佐保五十吉、亡松村敏安、亡佐保仁市、亡佐藤アヤが原告ら主張年月日に死亡したことは認めるが、その余は争う。

第三(まとめ)

一 争う。

二 本件被害者らと主張される者のうち一二名が死亡しており、そのうち一〇名が本訴提起後の死亡であることは認めるが、その余は争う。

第四章  (被告の責任)

第一節(被告の法的責任)

第一(被告に対する請求の根拠)

被告は、昭和四二年四月一九日、本件鉱山の鉱業権(宮崎県採登第六五号鉱区及び同第八〇号鉱区)を取得し、同四八年六月二二日これを放棄し、同月三〇日鉱業権消滅の登録をしたことは認めるが、その余は争う。

第二(被告の主張に対する反論)

訴外岩戸鉱山株式会社が昭和一二年一月二八日本件鉱山の各鉱区の鉱業権を取得した後本件鉱山において砒鉱の採掘、亜砒酸の製造を行つたことは認めるが、その余の事実は争う。

第二節(被告の加害責任)

第一(はじめに)

争う。

第二(加害責任)

一 認める。

二ないし四 争う。

第五章  (損害)

第一節(損害総論)

第一(損害賠償の目的)

一、二 争う。

第二(損害と特質)

一 争う。

二 本訴提起後原告ら主張の一〇名が死亡したことは認めるが、その余は争う。

第三(損害賠償)

一ないし三 争う。

第二節(損害各論)

第一(本件被害者ら各人の損害)

亡佐藤鶴江、亡鶴野秀男、亡佐藤数夫、亡鶴野クミ、亡佐藤ハルエの最後の住所及び原告佐藤ミキ、同佐藤高雄、同佐藤チトセ、同佐藤実雄、同佐藤ハツネ、同佐藤正四の現住所が高千穂町大字岩戸であること、亡佐藤仲治の最後の住所地及び原告佐藤ハルミの現住所が同町大字押方であること、原告清水伸蔵、同陳内政喜、同陳内フヂミの現住所が同町三田井であること並びに原告ら主張の一二名の死亡の点は認めるが、その余は争う。

第二(受領補償金の控除)

各補償金を交付したことは認める。

第三(相続関係)

各死亡の点は認める。

第四(弁護士費用)

不知。

第三編 請求の原因に対する反論

第一章  序

原告らは、本件訴訟で賠償を求めている損害は、「半世紀以上にわたる鉱山企業による侵害行為、なかんずく亜砒焼によつてもたらされた生命健康の破壊、さらには社会的、家庭的被害などのすべてを包括する総体」であるとしている。しかしながら原告らの右主張は誤謬に満ち、誇張歪曲されたものである。そのことは以下順次詳述するところであるが、それに先立ち、本件訴訟のもつとも根幹となるべき次の諸点を指摘し、被告には鉱業法の責任が一切存しないことを強調したい。

すなわち、

(一)  本件は、加害者不在の訴訟である。本件で被告と名指された住友金属鉱山株式会社は、一債権者として債権回収の一手段に鉱業権を取得(代物弁済)しただけで、本件土呂久において一片の鉱業の稼行もせず、いわんや本件訴訟の中心をなす、慢性砒素中毒罹患の原因となる亜砒焼の如きは、煙一本立てず、鉱石一塊も焼いていないのである。本件は右の通り、土呂久の鉱業権を代物弁済取得した債権者たる被告が、偶々鉱山会社であつたために、原告らは鉱業法を引用しているが、土呂久の鉱業権に対する被告の立場は、鉱山会社でない者の場合と全く同一であり、例えば金融機関が債権者であつて、本件鉱業権を代物弁済に取つた場合と同様の立場である。もし代物弁済債権者が金融機関であつたなら、その関係が一層明瞭であるため、原告らも鉱業法第一〇九条の請求を為すことはなかつたであろう。その例を考えれば、本訴請求がいかに的外れのものであるか明らかになろう。

(二)  本件は、鉱業法第一〇九条に基く損害賠償請求であるから、同法条による賠償請求を行うためには、同法条所定の法律要件に該当する事実が、まず存在するのでなければならない。同条は、対象行為として鉱業権者の稼行行為としての土地の掘さく、坑水廃水の放流、捨石鉱滓の堆積又は鉱煙の排出を挙げている。従つて、右に挙げたように、本件請求の中心となる亜砒焼が、鉱業権者の稼行行為としてなされたものであることが第一の前提となるところである。しかるに、いかに遅くとも昭和一二年岩戸鉱山株式会社が鉱業権者となる以前の亜砒焼を鉱業権者が実施した事実のないことは証拠上明らかである。従つて、遅くとも昭和一二年より以前の、亜砒焼による排出物による損害が鉱業法による本件賠償請求の対象とならないことは自明の理である。

(三) また本件は、鉱業法第一〇九条でも特にその第三項を根拠とする賠償請求であるところ、同項は法律改正により新設された規定であつて、右規定の新設、実施の時(昭和一五年一月一日)以前に発生した損害に対しては適用されないところ、原告らの主張によれば、その健康被害等の損害の大半は、亜砒酸製造の本格化した大正九・一〇年の頃から昭和の初頭にかけて発生したというのであり、そうでないものの損害発生の具体的時期の主張もなく、結局いずれも昭和一五年一月一日以降の損害であると認めるべき根拠はないのであるから、そのようなものは、本件請求の対象とならない。

(四) 戦後における亜砒焼は、鉱業権者の手によつて行なわれたものと思われるが、それは部落より約百メートル上の山腹に設けられた新型炉によつて、十分な排煙対策を講じた設備と操業方法によるものであつて、職業的曝露ならともかく、環境汚染はなく、これによる損害は全く考えられない。

第二章  加害行為に関する反論

《省略》

第三章  因果関係に関する反論

《省略》

第四章  被告の責任に関する反論

まず、鉱業法第一〇九条は、無過失賠償責任を定めた規定であるといわれている。而して、無過失賠償責任というものは、現行民法の大原則の一つである故意過失責任賠償の原則に対し、重大な例外となる規定である。例外規定というものが厳格且狭義に解釈されるべく、いやしくも拡張適用など許されないことは、法解釈における大原則として疑いないところである。

第一鉱業法第一〇九条は、鉱業の稼業実施のない本件被告に適用がない

原告らは、鉱業法第一〇九条第一項ないし第三項に基き、被告会社に対し損害賠償を求めるというが、鉱業法第一〇九条は、不法行為の理念、原則の示すとおり、鉱業権者であるという事実ないし、鉱業権を譲り受けたという事実のみによつて鉱害賠償の責任を負わせるものではなく、鉱業の稼業実施に伴う同条所定の特定の原因行為がなされたときに、果していずれの稼業が原因であるか否かを別として、稼業実施をした各鉱業権者が、連帯して賠償義務を負うとしたものと解せざるを得ないのである。

ところで、本訴請求の基礎として問題とされる鉱業権は、宮崎県採掘権登録第六五号、同第八〇号であるが、土呂久鉱山は水没により昭和三七年以降休山し、前鉱業権者である訴外中島鉱山株式会社は昭和四一年一二月二〇日解散し清算手続に入り、被告会社はその清算処理上昭和四二年四月一九日、同訴外会社に対する債権合計一億二千五百万円余の代物弁済として右鉱業権を取得したものである。この取得の経緯からも看取される通り、被告会社は鉱業権取得後、右鉱区に於て鉱物の採掘など鉱業の実施は一切しておらない。従つて、原告らに対し、鉱業法第一〇九条ないし三項に基く特別の鉱害賠償の責任を負うものではないといわねばならない。

一鉱害賠償の基本原則

1不法行為責任は、自己の行為に対して責任を負うものであり、他人の行為に対して責任を負うものではない。これが不法行為責任に関する法の基本理念であり、原則である。

鉱害賠償責任の本質は、鉱業経営なる危険行為を通じて事業利益をあげるものは、その危険行為から生じた損害について無過失責任を負うものと解されているが、鉱業法第一〇九条が規定する鉱害賠償責任も不法行為責任であつて、前記原則を排除するものではなく、鉱害の原因を作出したものが、その原因によつて生じた損害に対して責任を負うことに変りはない。

一般に民事上の損害賠償責任が成立するためには、まず加害行為があり、これと損害との間に因果関係が存在しなければならず、これは鉱害賠償の成立においても同様である。

すなわち、鉱業法一〇九条一項は「鉱物の採掘のための土地の掘さく、坑水もしくは廃水の放流、捨石もしくは鉱さいのたい積、又は鉱煙の排出によつて他人に損害を与えたときは、損害の発生の時における当該鉱区の鉱業権者が、損害発生の時既に鉱業権が消滅しているときは、鉱業権の消滅の時における当該鉱区の鉱業権者が、その損害を賠償する責に任ずる」と規定しているが、右に規定する各原因行為が、いずれも鉱業法第四条にいう鉱業つまり鉱物の試掘・採掘及びこれに付属する選鉱・製錬その他の事業を前提としての行為であることはもちろんである。

かくて鉱業法は、鉱業権者であるという事実のみによつて鉱害賠償の責任を負わせるものではなく、鉱業の稼行実施に伴う鉱業法第一〇九条一項所定の原因行為がなされ、鉱物の採掘のための土地の掘さく、坑水もしくは廃水の放流、捨石もしくは鉱さいのたい積又は鉱煙の排出を原因として損害が発生したときに、その鉱業の稼行実施作業をした当該鉱区の鉱業権者が賠償義務を負うものとし、これをもつて鉱害賠償の基本原則としたものと解される。

2その故に、鉱業法第一〇九条一項にいう損害発生の時における当該鉱区の鉱業権者とは、「損害発生の原因たる作業を行つた鉱業権者を指し、損害発生地域にある鉱区の鉱業権者であつても、原因作業に全く無関係たることの明らかなものは含まれない」(昭和二六年九月八日資源庁五五〇号通達)と解されており、また盗掘によつて損害が発生したような場合も、当害鉱区の鉱業権者ではなく、盗掘者が民法上の不法行為責任を負うものと解されているのである。

3ただ、複数の鉱業経営者が関与することにより、鉱害の原因を作出したのが誰であるかを立証することが困難となつた場合に、その立証を容易にするために鉱業法第一〇九条が規定されるに至つたもので、同条は、他人の行為に対してその行為と全く無関係の第三者に責任を負わせる規定ではない。従つて、鉱業権移転の場合あるいは数人の鉱業権者が隣接している場合であつても、一方の鉱業権者が稼業実施をしていないときは、鉱業法第一〇九条が規定される根拠となつた賠償責任者の確定の困難性ということは全くないから、稼業実施をしていない鉱業権者は、同法一〇九条によつても賠償義務を負うことはないと解しなければならない。

4鉱業法第一〇九条第一項が「同条所定の原因行為によつて他人に損害を与えたときは、損害発生の時における当該鉱区の鉱業権者がその損害を賠償する責に任ずる」と、不法行為の基本原則を規定するほか、なお「損害発生の時既に鉱業権が消滅しているときは、消滅の時における当該鉱区の鉱業権者がその損害を賠償する責に任ずる」と定めた立法趣旨についても同様に解される。

5なお、鉱業法第一〇九条二項が、損害が二以上の鉱区の鉱業権者の作業によつて生じたとき、またはその作業のいずれによつて生じたか明らかでないときは、各鉱業権者が連帯して損害を賠償する義務を負うとするのも、鉱業の実施者が責任を負うことを裏付けるもので、前記したと同様の趣旨に解すべきであるのはいうまでもなかろう。

6鉱業法第一〇九条第三項は、「損害の発生の後に鉱業権の譲渡があつたときは、損害の発生の時の鉱業権者及びその後の鉱業権者が連帯して損害を賠償する義務を負う」と規定する。前記したとおり、鉱業法第一〇九条第一項・第二項が鉱害賠償責任を負う鉱業権者を、鉱業の稼業実施をした鉱業権者としていることは明らかであるが、鉱業法第一〇九条第三項においても同様である。

蓋し、鉱業法第一〇九条第一・第二項と同条第三項とで、文言、規定の趣旨において何ら差異はなく、損害発生後に鉱業権を譲受けた者が、引続き稼業実施をなしているときは、損害の進行、増発にも当然の影響を与えたと考えられ、危険責任の本質からしても、この者に損害発生時の鉱業権者と連帯して賠償義務を負担せしめても酷でなく、それが被害者を保護する所以であると鉱業法が考えたものと解されるからである。

かくて、鉱業法第一〇九条三項は、前鉱業権者の賠償義務を権利の譲渡によつて免責するものではないことを明らかにすると同時に、損害発生後の鉱業権譲受人に対しても(鉱業法はこの者もまた鉱業の稼行をしていることを当然の前提としているから)、その者の稼行によつて生ずることあるべき因果関係の錯綜を避け、被害者保護をはかる趣旨であり、何ら鉱業を実施することなく、鉱業法所定の特定原因行為を行なつていない鉱業権者にまで、損害賠償の義務を負わせるものではないと解すべきである。

もしも、鉱業法第一〇九条第三項が、何ら合理的理由もなく、他人の行為に対して、全く関係のない稼業のない第三者に責任を負わせるものであるとするならば、法の理念である正義公平に反し、不当な財産権侵害として憲法違反のそしりを免れないであろう。

7もともと、鉱業法が鉱業権者というものは必ず鉱業の稼行実施を行なつているものであることを前提とした立法であることは、その全法条からして明白に看取されるところであり、鉱業の稼行実施をしていない鉱業権者を予定して規定されたものではないのであつて、鉱業法第一〇九条にいう鉱業権者も同様である。

鉱業法が損害発生時の鉱業権者、また損害発生の時にすでに鉱業権が消滅している場合には、鉱業権消滅時の当該鉱区の鉱業権者に賠償責任を負わせた立法趣旨も右の通り鉱業権者の稼行を前提とした鉱業法のたてまえからして「同一鉱区に於いて引続き鉱業が経営せられて居り、それに因り損害を生じた場合に、其の損害の原因が何れの時期に為されたかを正確に認定することは殆ど不可能である」という鉱害の特性上、損害の原因がいずれの経営者の時代に行われた作業によるかを、被害者をして立証せしめることは困難を強いることになるからして、被害者を保護せんとしたものである。

従つてその立法趣旨からしても、鉱業法が前記基本原則を否定し、鉱業の実施に伴う鉱業法第一〇九条一項所定の特定行為にも及ばぬ何ら行為なき鉱業権者にまで賠償責任を負わせるものではないことは明らかである。

二原告らの反論について

1原告らは、鉱業法第一〇九条は損害賠償義務の主体をすべて「鉱業権者」としており、もし被告主張のように稼業実施を前提にするならば、端的に「鉱業を実施する者」ないし「鉱業を実施した鉱業権者」と規定するはずであるという。しかしながら、前記したように鉱業法は、鉱業権者というものは、鉱業の稼業実施を行うものであることを当然の前提とした立法であることからして、敢て原告主張のような畳語ともいうべき字句を用いなかつたのであつて、原告らの主張は理由がない。

2原告らは、昭和二六年九月八日付資源庁五五〇号通達をもつて、鉱業法第一〇九条後段のみに関係するものであると主張するが、右通達自体何らそのような制限を設けておらず、また原告ら主張の場合に限るべき合理的根拠は何もない。

鉱業法第一〇九条第二項でいう鉱業権者とは、同条第一項でいう損害発生の時における当該鉱区の鉱業権者であることはもちろんである。同条第二項でいう鉱業権者が、右通達でいうところの損害発生の原因たる作業を行つた当該鉱区の鉱業権者を指し、原因作業に全く無関係なことの明らかなものを含まないことは、条理上、その前段の場合も後段の場合も全く同様であり、これは自明の理といえるところであつて、ことさら原告ら主張のように後段の場合に限定されると解すべき合理的な根拠はない。もし右通達につき、原告らの主張するような解釈を採つたと仮定すれば、一方では鉱業法第一〇九条第一項が原因たる作業を行つていない鉱業権者であつても、責任を負わねばならないと規定しながら、他方では、鉱業法第一〇九条第二項が「前項の場合において」として、第一項の場合を当然の前提とし、その上に立つて規定している明文を無視して、鉱業法第一〇九条第二項は、原因たる作業を行なつていない鉱業権者は全く責任を負わないと規定するものであるかの如く解することとなり、その間に自家撞着を免れないこととなるのである。のみならずかかる原告らの解釈が、不法行為法の理念とする公平の原則にも反することはいうまでもなかろう。

かくて、原告らの横の関係の場合と縦の関係の場合とで別異に解すべきであるとの主張は、合理的根拠を欠くといわざるを得ない。

もともと、鉱業法第一〇九条第二項は横の関係のみを規定したものではない。同条同項での二以上の鉱区の鉱業権者の作業は、同時に行われると、時を異にして行われるとを問わないものであり、したがつて、たとえば甲鉱業権の消滅した後、同一区域に乙鉱業権が設定され、損害が発生した場合、その損害が両鉱業権者の作業を共同原因とするときは両者は連帯の責任を有するのである。

3また、原告らは、鉱業法第一〇九条第四項が、鉱業権者が租鉱権者と連帯して損害賠償の義務を負う場合があることを規定していることからして、この場合の稼業実施者は租鉱権者であるから、何ら稼業実施しない鉱業権者が賠償責任を負担することのあることを鉱業法は予定しているという。

しかしながら、右の場合は、法律上鉱業権者も租鉱業権者も稼業を通じて、自らも稼業を実施しているものと取扱われるのであるから何ら異とするに足らない。

4さらに、原告らは鉱業法第一一〇条第二項の規定を引いて、この場合も実際に鉱業を実施していない鉱業権者が、同法第一〇九条第三項により、鉱業権を譲受けたことを理由に賠償義務を負うことのあるのを予想したものであるという。

しかしながら、前記のように鉱業法第一〇九条第三項の場合も、鉱業権を受けた鉱業権者が引続き鉱業の稼業実施をしていることにより賠償責任を負うとされるものであるところからして、前後両鉱業権者の稼業があると、譲受人も連帯して賠償義務を負うのであるが、その場合でも譲受人の稼業が損害発生と因果関係がない場合には、内部的に損害発生時の(譲渡した)鉱業権者が全責任を負うべきものであるから、同法第一一〇条第二項はかような状況下で、後の鉱業権者が賠償義務を履行したときは、損害発生のときの鉱業権者に対し、全額の償還を請求することができるとしたものである。したがつて、むしろこのこと自体他人の稼業行為に対して第三者が責任を負うことのないことを明らかにしているものといわねばならない。

5原告らは、鉱業法第一〇九条第一項が定める土地の掘さく、坑水もしくは廃水の放流・捨石もしくは鉱さいのたい積は、「掘さくされた」、「放流された」、「たい積された」状態が放置されたことに対する責任をうたつており、鉱業権者が操業をしないときでも、右危険状態によつて損害が発生し、このような損害についての賠償責任を否定する理由はなく、被告会社はすでに前鉱業権者の創出した危険状態を支配して、これを放置することにより危険を増大させたものであり、まさしく被告会社が鉱害の原因行為を行つたものとして、鉱業法第一〇九条第一項により責任を負うべきものであるという。

しかしながら、原告らの右主張は、鉱害賠償責任が鉱業法によつて特別に規定された特殊責任であり、鉱業法が法律の定める一定の事実を原因として生ずる損害に限つて賠償責任を認め、他の事由による損害はたとえ鉱業経営と関連するものであつても、鉱業法上の賠償責任を生ぜず、民法の不法行為やその他の法令によつてその責任を定めるべきものとした法の趣旨を無視した不当な見解である。

すなわち、鉱業法第一〇九条第一項の定める「鉱物の掘採のための土地の掘さく」・「坑水もしくは廃水の放流」・「捨石もしくは鉱さいのたい積」または「鉱煙の排出」が、いずれも鉱業法第四条にいう鉱業の実施に伴つてなされるものを指していることは、先に述べたとおりである。

鉱業法第一〇九条第一項が、鉱業を実施して「土地を掘さくする」、「坑水もしくは廃水を放流する」、「鉱さいをたい積する」、「鉱煙を排出する」行為を自ら行うこと、すなわち、鉱害の原因を作出する行為(作為)自体をその賠償責任の発生要件としていることは、同条同項の規定自体からして明らかであつて、同条項は原告らの主張のように「掘さくされた」、「放流された」、「たい積された」、「排出された」という状態自体をもつて鉱害賠償責任の発生の要件とはしていないのである。それは、鉱業権なるものが土地所有権または土地使用権とは別個独立した権利であつて、その譲渡自体は当然に掘さくされた坑道、坑水もしくは廃水の放流される土地や設備、鉱さいのたい積物やそのたい積された土地、鉱煙の排出設備自体の譲渡を包含するものではないことからしても明らかであろう。

また見方を変えていえば、いかに鉱業権の譲渡があろうとも、新鉱業権者が、旧鉱業権者の稼業によつて生じた掘さく跡(坑道・切羽など)を完全に埋め戻したり坑水が完全に坑外に出ないように止水したり、または旧鉱業権者の稼業によつてたい積した、捨石・鉱滓を全部他の場所へ移置したりするということは、鉱業法が義務として命じている行為でもなく、実際にも不可能なことである。原告らの主張は、このように新鉱業権者の義務に属しない行為について、それがなされないことが被告として鉱業法第一〇九条第一項の鉱害発生行為をしたことにあたるというに等しく、暴論というほかはない。

捨石・鉱滓のたい積については、鉱業権者が勝手に放置できるものでも、するものでもなく、鉱山保安法等法令に則つて旧鉱業権者が処置してきたものである。被告も鉱山保安法等によつて必要な保安措置は実施しており、どこにも義務違反はない。

かくて、被告会社が鉱業法第一〇九条所定の鉱害の原因行為を行つたとの原告らの主張は理由がない。

6原告らはまた、「鉱業権者である企業がいかなる形態で鉱業権を実施するかは、もつぱら当該企業の損益の観点から決められることであり、鉱業権は保有するが現実に操業しないということは、そのような形態で鉱業権を維持することが企業にとつて利するとの判断によるものにすぎず」というが、被告会社が本件鉱業権を登録したのは貸付金に対する代物弁済としてであつて、鉱業権の稼業を実行するためのものではなかつたのであり、現に被告会社は本件鉱業権の実施作業を全く行つていないのである。鉱業法が規定する鉱害賠償責任が、危険責任であることは前記したとおりであつて、鉱業権を保有すること自体をもつて責任発生の根拠とするものでないことはいうまでもない。

第二非鉱業権者の行為について被告に責任はない

一非鉱業権者の行為は鉱業法一〇九条の原因行為に含まれない

鉱業法第一〇九条は鉱害賠償の原因行為と定められている「鉱物の掘採のための土地の掘さく、坑水若しくは廃水の放流、捨石若しくは鉱さいのたい積、又は鉱煙の排出」なるものは、すべて鉱業権者による鉱業の稼行としてなされる行為を指すものであり、鉱煙の排出といえども、鉱業権者から鉱石を買つて製錬する業者の如き第三者(非鉱業権者)の行為を含むものでないことは、自明の理である。鉱業権者が掘採して売鉱した鉱石を、いかなる製錬業者が取得して製錬した場合でも、製錬業者の排出物による被害までも、鉱石を売鉱した鉱業権者が、右法条に基いて責任を負うべきいわれはない。そしてこの理は、買鉱した製錬業者の製錬場が、鉱山の遠隔地にあるか、近隣にあるかによつて異るものでないのも当然である。本件の場合、その製錬場は鉱山の山元に近接して存在していたのであるが、たとえそのような場所的近接が存しても、そのことによつて第三者経営の製錬業が鉱業権者の行為となるものでないことは、遠隔地の製錬場の場合と異るところはない。要するに、右法条の対象となる「鉱煙の排出」は、鉱業権者が採鉱・選鉱に関連して放出する排煙か、または鉱業権者自ら製錬を行う場合における製錬場の排煙を指すものにほかならない。

二昭和一二年以前の土呂久における亜砒酸製造

ところで、土呂久鉱山における亜砒酸製造は大正九年頃にはじまつたとされているが、右亜砒酸製造に鉱業権者が関与するに至つたのは、早くとも、昭和一二年岩戸鉱山株式会社が土呂久の鉱業権を取得して以降のことであり、それ以前における土呂久の亜砒酸製造は、原告ら主張の鉱業権者によつて為されたものでない。また、大正九年頃にはじまつたとされる土呂久における亜砒酸製造は後記するとおり、鉱業権者とは別異の地元住民がこれを行なつていたものである。

従つて、仮に原告らが主張するように大正九年頃にはじまつた土呂久における亜砒酸製造が本件原告等に被害を蒙らしめたとしても、右当時の損害の責任は、鉱業権者には存しないのである。

三昭和一二年以前の亜砒酸製造者

1原告らの主張によると、昭和一二年一月二八日中島鉱山株式会社(旧商号岩戸鉱山株式会社)が本件鉱業権を取得するまでの鉱業権者は、六五号区は、大正三年七月二八日山田英教、以後順次、大谷治忠、渡辺録太郎、中島門吉、関口暁三郎、他一名、中島門吉、他一名と推移し、八〇号鉱区は、大正八年竹内令、以後、竹内勲、中島門吉と推移したとされている。

2原告らは、第一二準備書面(昭和五七年一二月一五日の第五七回口頭弁論期日で陳述)及び最終準備書面(昭和五八年二月二三日の第五八回口頭弁論期日で陳述)において、大正九年以降土呂久で亜砒酸製造が行われたのは採登第八〇号鉱区においてであるし、大正九年より昭和八年まで右亜砒酸製造を行つたのは、鉱業権者である竹内令(昭和七年から八年までは、その子の竹内勲)であるとの新たな主張をなしているが、右は時機に遅れた攻撃防禦方法であるから排斥されるべきである。

3原告らの主張によつても、右鉱業権者である大谷、渡辺、関口等が砒鉱の製錬を行なつたとの事実は見当らないのはもとより、そのように見るべき証拠はまつたく存在せず、かえつて、砒鉱の製錬を行なつたのは、川田平三郎、宮城正一、野村弥三郎ら、および土呂久地区住民である佐藤喜右衛門(喜右衛門窯に名をとどめる)、富高砂太郎、鶴野政市らであつて、鉱業権者とは別人であることが明らかである。

四買鉱製錬業は鉱業法上の施業ではない

鉱業法規上、改正前の日本坑法は、その第九条において、「有鉱質坑ヲ開ク者ハ製鉱ノ業ヲ兼ヌ可シ」と定め、鉱業権者は製錬をも実施することを金属鉱業施業の必要条件とする、いわゆる製錬業兼営強制の原則を採つていたが、日本坑法の一部改正(明治二三年七月法律第五五号)によつて右条文は廃止され、爾来法は採掘と製錬の分離を認めた。その結果、製錬事業は、当然には鉱業権実施の一部とはならず、製錬業に対し鉱業法の適用ありとするためには、鉱業権者が(鉱物の採掘事業の延長として)自ら直接製錬業を営む場合に限定されるに至つたのである。のみならず、そもそも砒鉱の製錬(亜砒酸製造)は、他の鉱石の製錬と異なり、薬品製造事業の一面をもち、しかも亜砒酸は毒物であるため、薬事法上の厳格なる規制を受けるものである。すなわち、亜砒酸製造を行なう者は、薬事法上の許可、毒物劇物取締法上の免許登録を得た者であることが必要とされ、そうである以上、鉱業権者が採掘の延長として当然になし得る事業でないのはいうまでもない。(明治二二年三月一五日法律第一〇号「薬品営業並薬品取扱規則」)

砒鉱の製錬、すなわち、亜砒酸製造業者が採掘事業を実施している鉱業権者と主体を異にする場合があるのは、この点からも必然性が存するのである。

而して、土呂久地区において昭和一二年一月二八日岩戸鉱山株式会社が鉱業権を取得するよりも前になされた亜砒酸製造は、先に述べたとおり川田平三郎ら全て鉱業権者とは主体を異にする者による行為である。中島鉱山株式会社以前の鉱業権者は、いずれも右法規に基く有資格者でなかつたため、法的にも自ら砒鉱の製錬を行うことが不可能であり、専ら有資格の川田ら製錬業者に売鉱し、これら有資格の川田らが自らの経営としてこれを焼き、亜砒酸を製造していたのが実情である。

叙上の事実からして、土呂久地区における岩戸鉱山株式会社の鉱業権取得に先立つて行なわれた亜砒酸製造は鉱業法上の施業とはいえず、このような亜砒酸製造事業により生じた損害は鉱業法第一〇九条(旧鉱業法第七四条ノ二)所定の原因行為によるものでないから、鉱業権者に対しては何らその損害の賠償を請求し得ないものであることは明らかである。

五原告らの反論 その一

原告らは、右川田らのなした砒鉱の製錬は、「当時の鉱業権者の支配下に当該鉱業権者の製錬業務を下請けしていた」と主張する。しかし、原告らがいう「鉱業権者の支配下に」とは、そもそも(例えば、請負契約、売買契約など)如何なる法律関係の主張か明らかでないのみならず、「下請」というからには元請人が存在しなければならないが、そのような「下請」関係なるものの存在、内容につき原告らは何ら主張、立証をしていないのであり、未だ主張としてまつたく不備であるといわなければならない。

亜砒酸製造が鉱業権とは別のライセンスを必要とすること前述のとおりであり、この免許を有しない鉱業権者は、亜砒酸製造をなし得ない以上、亜砒酸製造者を「支配」したり、「下請」に使用したりする関係が発生するいわれはない。

仮に、原告らのいう「下請」を「請負」と解するとしても、そもそも請負人の行為は注文者たる本人に当然に責任を及ぼすものではなく(民法第七一六条)、本件の場合、かゝる請負人の行為の責任がとくに本人に帰責されると見るべき証拠はまつたく存在せず、鉱業法上も、請負人の行為(亜砒酸製造)は既述のとおり同法上の施業に該らないものであるから、その行為(亜砒酸製造)に絡む法的責任が鉱業権者に生ずる余地はない。

六原告らの反論 その二

原告らは、仮に鉱業権者でないものが砒鉱の焙焼をしていたとしても、いわゆる斤先掘ないし請負掘契約であつて、この場合、鉱業法上の損害賠償義務を負うのは、鉱業権者であるという。

しかしながら、土呂久鉱山において、原告ら主張のような斤先掘ないし請負掘契約が存在したと認めるべき証拠は全くない。

なお、斤先掘ないし請負掘契約に基く稼行による損害賠償義務を鉱業権者が負う場合があるとしても、それは民法七〇九条の不法行為責任でしかなく、鉱業法一〇九条により賠償義務が発生するということはない。また、鉱業権は試掘権及び採掘権の二種類であつて、いわゆる斤先掘ないし請負掘なるものが禁止されるとしても、試掘、採掘に限られるのであつて、製錬については、その対象外といわねばならない。従つて、いずれにしても亜砒焼について鉱業権者が責任を負うということはない。

第三旧鉱業法改正法施行前(昭和一五年以前)に発生した鉱害については、鉱業権譲受人は賠償責任を負わない

一本件で原告らは、被告に対し、鉱業法第一〇九条第三項により、損害発生後の鉱業権譲受人としての責任を主張している。而して同条項のように、事後の鉱業権譲受人にも連帯責任があることを、法が初めて定めたのは、昭和一四年法律第二三号(以下旧法改正法という。)による旧鉱業法(明治三八年法律第四五号)の改正の時であり、このとき旧鉱業法第七四条の二として、現行法第一〇九条と同趣旨の規定が導入されたのである。

すなわち、

第五章  鉱害ノ賠償

第七十四条ノ二 鉱物掘採ノ為ノ土地ノ掘鑿、坑水廃水ノ放流、捨石鉱滓ノ堆積又ハ鉱煙ノ排出ニ因リテ他人ニ損害ヲ与ヘタルトキハ損害発生ノ時に於ケル当該鉱区ノ鉱業権者、損害発生ノ時鉱業権消滅セル場合に於テハ鉱業権消滅ノ時に於ケル当該鉱区ノ鉱業権者其ノ損害ヲ賠償スル責ニ任ス

前項ノ場合ニ於テ損害カ二以上ノ鉱区ノ鉱業権者ノ作業ニ因リテ生シタルトキハ各鉱業権者ハ連帯シテ損害ヲ賠償スル義務ヲ負フ損害カ二以上ノ鉱区ノ鉱業権者ノ作業ノ中執レニ因リテ生シタルカヲ知ルコト能ハサルトキ亦同シ

前二項ノ場合ニ於テ損害発生ノ後鉱業権者其ノ鉱業権ヲ譲渡シタルトキハ損害発生ノ時ノ鉱業権者及其ノ後ノ鉱業権者ハ連帯シテ損害ヲ賠償スル義務ヲ負フ

前三項ノ賠償ニ付テハ共同鉱業権者ノ義務ハ連帯トス

と規定が設けられた。

ところで、右旧法改正法により導入された旧第七四条の二の施行に関しては、旧法改正法附則中に、

附則

(一項) 本法施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

(二項) 第五章ノ改正規定ハ第七十四条ノ四乃至七十四条ノ七ノ規定ヲ除クノ外本法施行前ニ為シタル作業ニ因リテ本法施行後ニ生シタル損害ニモ之ヲ適用ス

(三項) 本法施行前ニ生シタル損害ニシテ補償金、手当金、見舞金其ノ他何等ノ名義ヲ以テスルヲ問ハズ被害者ガ其ノ賠償ヲ受ケズ又ハ賠償ヲ受ケタルモ其ノ額ガ著シク少額ナリシモノニ付テハ被害者ハ賠償又ハ其ノ増額ヲ請求スルコトヲ得

(四項) 第七十四条ノ二第一項、第二項及第四項、第七十四条ノ三、第一項、第七十四条ノ八、第七十四条ノ九竝ニ第七十四条ノ十一乃至第七十四条ノ十五ノ規定ハ前項ノ場合ニ之ヲ適用ス但シ第七十四条ノ十一第一項ノ三箇年ノ期間ハ被害者ガ本法施行前ニ損害及賠償義務者ヲ知リタルトキハ本法施行ノ日ヨリ之ヲ起算ス

と定められたのであるが、ここに注意すべきは四項である。同項は「前項の場合」すなわち三項に定める「本法施行前に生じたる損害」の賠償請求に適用する法条を列挙した規定であるが、ここに旧第七四条の二関係では、第一、二、四項のみ掲げられ、旧法改正法第七四条の二第三項(現行法第一〇九条第三項)は掲げられず、その結果、損害発生後の鉱業権譲受人が旧鉱業権者と連帯して賠償義務を負う事態は、旧法改正法の施行以前の行為に対し不遡及であることがここに定められているわけである。この点に関し学者は、譲受人の連帯賠償責任というものはこの法律(旧法改正法)が初めて規定したところであつて、従来かかる習慣もない問題であるから、既往に遡るのは穏当を欠くとか、法律施行前の損害につき遡つて連帯債務を負担させるのは不意打であつて妥当を欠く等と解説している。

その後、旧鉱業法を廃止した現行鉱業法も、鉱害賠償に関しては、旧鉱業法第七四条の二と全く同旨の第一〇九条を置き、旧鉱業法当時と同一法制を維持しているのである。

二鉱業権譲受人に対し、譲受前すでに発生した鉱害の賠償責任を負わせる法規が新設された昭和一四年の旧法改正法(昭和一五年一月施行)は右のとおり不遡及なのであるから、昭和一五年以前(昭和一四年末まで)に発生した鉱害は、鉱業権譲受人に対し賠償責任を負わせることはないのである。

右法改正が施行された当時の土呂久鉱山の鉱業権者は、中島鉱業株式会社であるが、同社はそして被告も前記法条により、昭和一四年末までに生じた鉱害については、たとえ(同社以前の)旧鉱業権者の稼行によつて発生したものであつても、その責を負うことはないのである。

第四鉱業法一一六条の適用

原告らの本訴請求は、鉱業法第一〇九条に基づくものであるが、鉱業法一一六条は、鉱業に従事する者の傷病(業務上傷病)に関しては同法第一〇九条を含む鉱業法第六章の規定を適用しないものと定めている。

ところで、原告らの主張によると、左記原告又は死亡者らは、本件鉱山に勤務歴を有し鉱業に従事していた者であつて、しかも本人供述等によると、主張の症状の発症時期と右鉱業従事期間との間に符合するとみられる者が多い。そうであれば、これらの原告に主張の如き症状が存し損害が発生していたとしても、それらの損害は非職業的曝露に起因したものではなく、むしろ業務に起因するものであり、鉱業法第一一六条によつて同法第一〇九条にもとずく賠償の対象外であるから、この点からしても左記原告らの本件請求は失当である。

(1)  亡鶴野秀雄は、昭和一二年から一六年まで本件鉱山に勤務し、鉱山勤務の頃から亜砒まけ、色素沈着、白斑などが出現し、また、るいそうがひどかつたが、昭和三〇年から三七年まで再び本件鉱山に勤務した。

(2)  亡佐藤仲治は、昭和六年から一六年まで本件鉱山に勤務し、鉱山勤務の頃は鼻、眼、腹痛、下痢、腰痛などが続いた。

(3)  原告佐藤ミキは、昭和一〇、一一年に本件鉱山で就業し、また、昭和一三年からも二年間本件鉱山に勤務し、この頃、亜砒まけ、腎炎、四肢脱力、視力障害が出現した。

(4)  亡佐藤数夫は、昭和六年から一七年まで本件鉱山に勤務し、その頃、眼、皮膚、歯の症状が出現しており、昭和二八年から三八年まで再び本件鉱山に勤務し、その頃から胃腸障害、肘関節障害等が起つた。

(5)  亡佐藤勝は、昭和七年頃から一六年頃まで本件鉱山で就業し坑木の調達等に従事しており、その間、二〇歳頃、すなわち昭和一〇年頃から手足のしびれ、脱力、色素沈着、角化が出現した。

(6)  亡鶴野クミは、大正一〇年から昭和二年まで本件鉱山で亜砒焼に従事し、その頃、亜砒まけをはじめ眼、鼻、呼吸器等の症状が出現した。

(7)  亡佐藤ハルエは、大正一五年から昭和八年まで本件鉱山に勤務し、その頃、喘息、舌の異常等が出現した。

(8)  原告佐藤高雄は、昭和八年から一六年まで本件鉱山に勤務し、その頃から咳、鼻、嗄声、耳、胃腸、腰痛等の症状が出現しており、その後、昭和二九年から再び本件鉱山に勤務し昭和三四年まで就業した。

(9)  原告清水伸蔵は、昭和二九年から三七年まで本件鉱山に勤務して亜砒焼に従事し、亜砒焼に従事してから亜砒まけ、胃腸や呼吸器の症状、視力低下、嗅覚障害が発症した。

(10)  原告陳内政喜は、昭和一二年から一七年まで本件鉱山に勤務し、その頃から亜砒まけ、胃腸、呼吸器、鼻、口腔、眼などの症状が出現した。

(11)  原告甲斐シズカは、昭和一一年本件鉱山で亜砒焼に従事し、その頃から頭痛、目まい、眼の症状、身体のむくみが出現した。

(12)  亡佐保五十吉は、大正一二年から一五年まで本件鉱山に勤務し、その頃、咳痰、喉、頭痛、目まい、眼、鼻、皮膚等の症状が出現した。

(13)  亡佐保仁市は、昭和八年から一二年まで本件鉱山に勤務した。同人は、幼少時、大正一二年から一五年まで鉱山社宅に居住の頃、眼、鼻、胃腸等の症状が出現していた。

(14)  原告佐藤実雄は、大正九年から一四年まで本件鉱山に勤務し、その間に亜砒まけ頭痛、咳、喉、頭痛などが発症しており、その後昭和一五年に再び本件鉱山で就業した。

(15)  亡佐藤健蔵は、昭和一一年から一三年まで本件鉱山に勤務し、その頃から腎障害、手足腰痛などが発症しており、その後、昭和一四年から一六年まで本件鉱山で再就業し亜砒酸運搬に従事した。

(16)  原告佐藤正四は、昭和八年から一二年まで本件鉱山で就業し、その頃、眼じり、口角部、鼻粘膜などのたゞれ等が出現した。

第五章  損害に関する反論

《省略》

第四編 抗弁

《省略》

第五編 抗弁に対する認否

《省略》

第六編 抗弁に対する反論

《省略》

第七編 再抗弁

《省略》

第八編 再抗弁に対する認否

《省略》

第九編 再抗弁に対する反論

《省略》

理由

第一章  鉱害

第一節  序

宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸の土呂久地区(惣見、畑中、南)は、土呂久川を底部とする高度差が数百メートルに及ぶ谷あいにあること、この谷は紆余曲折しつつもほぼ南北に向き、北側は古祖母山へ続き、南側は岩戸、東岸寺へと続いていること、この間いくつかの谷が交錯し、土呂久川は支流の小又川、畑中川等を合わせて南下し、岩戸川へ合流すること、右土呂久地区所在の旧土呂久鉱山(宮崎県採掘権登録第六五号、同第八〇号。)において大正中頃から本格的に砒鉱の採掘、亜砒酸の製錬が行われるようになつたこと、坑口、坑道、焙焼炉、ズリ捨場を初め、本件鉱山の諸施設は、時代により変遷はあつたが、土呂久川がコの字形に湾曲する字名を之口、吹谷と呼ばれる地域に、土呂久川を間に挾んでその両岸一帯に存在したこと、社宅も同所にあつたこと、坑口は土呂久川東岸から山の斜面にかけて一番坑、二番坑、三番坑、四番坑と続き、やや下手に大切坑が位置していたこと、戦前は一番坑付近の、土呂久川沿いの平地に砒鉱の選鉱や砕石、団鉱作り及び砒鉱の焙焼を行う作業場が設けられていたこと、戦前は少くとも昭和一六年までは亜砒酸の製錬が行われたこと(ただし、原本の存在と成立に争いのない甲第三四号証によれば、昭和二年から五年までの期間は本件鉱山における亜砒酸の製錬はほとんど停止し、そのうち昭和三年及び五年の両年は右製錬がまつたく行われなかつたことが認められる。)、戦後昭和三〇年三番坑の上方、土呂久川の川べりからの高さが約一〇〇メートルの場所に、山の斜面を切り開いて新式の焙焼炉が一基建設され、これが従来のものに代わつて稼動し、亜砒酸の製錬が再開されたこと、それ以降昭和三七年まで右製錬が続けられたが、昭和三七年本件鉱山が閉山され、操業が終わつたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

第二節  鉱害の原因(原因行為)

第一鉱煙の排出

一はじめに

本件鉱山における亜砒酸の製錬法は、戦前戦後を通じ砒鉱を焙焼炉で焙焼し、鉱石中の砒素を酸化し、昇華させたうえ、集砒室(収砒室)に沈降させ、これを回収するという方法によつたことは当事者間に争いがない。

二大正中頃から昭和元年まで

前記のとおり、大正中頃から本件鉱山における亜砒酸の製錬が本格化したのであるが、大正一四年当時のその状況をみると、<証拠>によれば、本件鉱山には粗製窯がそれぞれ数基設置されて移動していたこと(その具体的な位置関係などは不明)、焙焼炉の煙突から煙が立ち昇り、焙焼炉付近に刺激臭が漂つていたこと、従業員は顔に覆面をし、口にマスクをかけて作業を行つていたこと、焼滓は土呂久川に直接投棄していたこと、焙焼炉付近の樹木は枯死していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

三昭和六年から昭和一六年まで

<証拠>を総合し、これに前記当事者間に争いがない事実を合わせると、次の事実が認められ、証人神崎三郎の証言中右認定と異なる部分は、前掲各証拠と対比し措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1亜砒酸の製錬作業

(一) 砒鉱の焙焼

(1) 坑内で採掘された砒鉱は一番坑近くの土呂久川沿いの平地に位置する作業場まで運搬され、同所でまず鉱石の選鉱作業に付された。

選鉱作業は女予従業員が「がんづめ」等の道具を用いて手作業で行い、塊鉱の大きいものは焙焼の際の火の通りを良くするため、男子従業員がハンマーで約三センチメートル四方の大きさの鉱石に砕いた。

右砕石作業により生じる砒鉱の粉末(粉鉱)に水や粘土を加えて足(多くの場合素足)で練り混ぜ、これを素手で拳大の団子状に丸め(団鉱)箱に入れて焙焼中の炉の上に持つてあがつて、これを並べ乾燥させた。

この団鉱作りの作業も女子従業員が行つた。

(2) 焙焼炉は前記作業場に粗製窯が数基、精製窯が一基あつて稼動した。

焙焼炉は粗製窯、精製窯を問わず、粘土で石を積みあげた、炭焼窯にも似た極めて簡単な構造のもので、高さが約三メートル、横約四メートル、奥行一〇ないし一一メートル位の規模であり、炉と三室の集砒室(炉に近い順に一号、二号、三号の各室)から成り、三号集砒室の先端に高さ約三メートルの煙突があり、炉と各集砒室はそれぞれ煙道で結ばれていた(以下これを「旧焙焼炉」という)

旧焙焼炉には右以外に脱煙、脱硫、集じんの装置は設けられていなかつた(これは後記反射炉や新焙焼炉についてもまつたく同様であり、そのうち新焙焼炉については当事者間に争いがない)。

(3) 前記の要領で作られた砒鉱の塊鉱や団鉱はまず粗製窯で焙焼された。この作業はおおむね次の要領で行われた。

粗製窯の炉の手前の開口部から炉内に入り、一番下に燃料の薪を並べ、その上に塊鉱を乗せ、これを繰り返して薪と塊鉱を炉内に重ねていき、同時に炉の手前の開口部を薪と粘土で塞いでいく。次に炉の上部にある鉱石投入口から薪と団鉱を投入し、炉内が薪と鉱石で一杯になつたら、炉の下部にある火口から点火し、炉の一番下に並べた薪が燃え始めるのを待つて鉱石投入口を鉄板で覆つた。このような状態のまま約一週間焙焼を続け、その間製錬夫が火口の前に石を並べるなどの方法で炉内に送り込む空気の量を調節したが、これは製錬夫が専ら自己の経験と勘に基づいて行つた。

燃料の燃える熱と鉱石中に含まれる硫黄の自燃による熱によつて鉱石中の砒素成分が酸化されて亜砒酸が生成され、昇華し、煙とともに煙道を通つて各集砒室に導かれ、自然に冷却されるが、その過程で亜砒酸は凝結して、0.1ミクロンないし1ミクロン程度の微細な粒子(フューム)状から次第により大きな白色の粒もしくは粉末状になり、純度が高く比重の重いものから順に一号、二号、三号の各集砒室に沈降した。

その間粗製窯の煙突、石積の隙間から絶えず煙が排出されたが、石積の隙間は粘土で塞いでも焙焼炉の熱でたちまち粘土が乾燥して亀裂を生じ、煙が噴出した。

(二) 亜砒酸の回収

約一週間で砒鉱の焙焼が終わると各集砒室の取出口を開き中から沈降した亜砒酸を取り出すが、これはまず外からかき出し棒を用いて亜砒酸をかき出す方法でなされ、この方法で取り出せない亜砒酸(集砒室の壁や天井に付着した亜砒酸等)については、製錬夫が高温の余熱の残る集砒室内に入つてかき出し作業を行い、回収した。

製錬夫は亜砒酸の粉末を吸入したり、これが身体に付着するのを防ぐため、顔や首に「練りおしろい」を塗り、その上にタオルを数枚巻きつけて作業に当つたが、亜砒酸の粉末が身体に付着するのを防ぎ得ず、目の縁、顔などの部位に炎症(亜砒まけ)を生じた。

(三) 精砒の梱包、粗砒の精製

一号集砒室から回収された亜砒酸は製錬場でふるいにかけられ、純度の落ちる大きな結晶体を除外し、ふるいの下に落ちた純度の高い亜砒酸の白い粒末(精砒)をスコップで木箱に詰め、梱包した。この作業の際亜砒酸の白い粒末が舞いあがり、作業場及びその周辺に飛散した。

二号、三号集砒室から回収された純度の低い黄味がかつた亜砒酸や前記ふるいで除外された亜砒酸(粗砒)は再度精製窯で焙焼、精製された。その要領は燃料に木炭を用いる点を除けばおおむね粗製窯による焙焼の場合と同様であつた。この精製の際も焙焼炉の煙突及び石積の隙間からは絶えず煙が排出され、また精製された亜砒酸を木箱に詰める際は亜砒酸の粉末が周囲に飛散した。

このようにして製造された亜砒酸の純度は精製前のものが九〇ないし九五パーセント、精製後のものは99.9パーセントといわれている。

(四) 捨石(ズリ)焼滓(カラミ)の処理

鉱石の採掘作業で出た捨石(ズリ)は各坑口付近に投棄し、選鉱作業で出た捨石、粗製窯から出た鉱石の焼滓(カラミ)は、そのまま土呂久川に直接投棄し(昭和一一年頃まで)、あるいは作業場付近の土呂久川の川べりや対岸の佐藤操方裏のズリ捨場に捨てた。

各ズリ捨場は長年のうちに捨石や焼滓が堆積して小山状になつた。これらは(戦後のものも含めて)野ざらしのまま放置され、昭和四六年、四七年に至つて漸く覆土、植栽等の防護工事が行われた。

(五) 反射炉による砒鉱の焙焼

昭和一一年頃、大切坑近くの土呂久川の川べりに反射炉と呼ばれる焙焼炉が一基建設されて従来の焙焼炉とともに稼動した。これはコンクリート造りで、高さ約2.5メートル、横約四メートル、奥行約一五ないし二〇メートルの規模のもので、炉と三室の集砒室及び煙突から成つていた。反射炉では錫鉱を選別した残りの粉鉱状の砒鉱を焙焼したが、燃料は木炭ないしコークスを用い、約二時間(夜間は短縮されて約一時間)間隔で炉の蓋を開き、焙焼中の鉱石の柄のついた「かなみ」と呼ばれる道具でかきまぜ、燃料と鉱石を補充しつつ、昼夜三交替で連続して焙焼を行つた。右のかきまぜ作業の際炉内から外へ多量の煙が噴出した。全体としてみてもこの反射炉は従来の焙焼炉と比較して排煙量が一段と多かつた。

反射炉から回収された亜砒酸は純度が低く、製品にならなかつたため、前記作業場まで運搬され、精製窯を使つて精製された。

(六) 亜砒酸の生産量

大正一四年から昭和一六年までの本件鉱山における亜砒酸の生産量は合計2350.5トンであり、多い年では491.2トン(大正一四年)、二八三トン(昭和一五年)に及んだ。

2鉱山操業当時の製錬場、その近辺及び土呂久地区の状況

戦前鉱山が操業していた当時、亜砒酸の製錬場は、飛散した亜砒酸で地面が白く化し、また製錬場近辺では樹木が枯れた。

焙焼炉から排出された煙は刺激臭を伴つて焙焼炉のある作業場一帯に立ち込めただけでなく、土呂久川上流惣見まで、下流は畑中、南付近まで達し、土呂久地区一帯を覆つた。

四昭和三〇年から昭和三七年まで

<証拠>を総合し、これに前記当事者間に争いがない事実を合わせると、次の事実が認められ、証人日野清吉の証言中右認定と異なる部分は前掲各証拠と対比して措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1新焙焼炉による亜砒酸の製錬

(一) 昭和三〇年三番坑の上方、土呂久川の川べりからの高さ約一〇〇メートルの、山の斜面を切り開いた地点に新式の焙焼炉(以下「新焙焼炉」という。)が一基建設され、従来のものに代わつて稼動し、昭和一七年以降中止されていた亜砒酸の製錬が再開された。

この新焙焼炉の規模、構造、焙焼方法は次のとおりである。

(1) 新焙焼炉は外径1.5メートル、内径一メートル、高さ三メートルの、内側に耐火れんがを張りめぐらした円筒型の鉄製炉と横及び高さがそれぞれ三メートル、奥行一二メートルの四室の石積みの集砒室及び煙突から成り、炉と各集砒室は煙道で結ばれていた。

(2) 新焙焼炉による焙焼方法も原理的には旧焙焼炉や反射炉と異なるものではないが、より生産の効率をあげるために連続操業ができる構造になつていた。

すなわち、燃料(コークス)と砒鉱を入れて点火した後も一時間に二、三回の割合で炉の上部の投入口から燃料と鉱石を投入し(夜間はその回数も一回あたりの投入量も増やされた。)、これらを補充しながら、一日三交替で昼夜連続して焙焼を行つた。

焙焼中煙突からは絶えず多量の煙が排出された。

(二) 右焙焼に供する砒鉱を選別するための選鉱場は当時は大切坑の対岸にあり、同所で選鉱された鉱石はケーブル、トロッコで前記新焙焼炉のある場所まで運搬された。

鉱石の焙焼により集砒室内に沈降した亜砒酸は、適宣回収作業を行つたが、これはふるいにかけ、純度の低い粗砒は同じ焙焼炉で精製に付した(月に二、三回)。これらの回収作業はおおむね戦前と同じ服装、要領で行われた。

会社から防じんマスク、長靴の支給があつたものの、防じんマスクはこれをつけて集砒室内に入るとゴムが溶けて使用に堪えず、結局従業員は戦前と同様、顔にタオルを巻きつけて作業に当つた。右服装では皮膚に亜砒酸が付着するのを防ぎ得ず、従業員は目の縁、鼻、口等に亜砒まけができた。

焼滓(カラミ)は焙焼炉の下にかき落し、そのままトロッコで運び出して、新焙焼炉の前方の、土呂久川東岸へ続く山の斜面にすべて投棄された。

こうして昭和三〇年から昭和三七年までに本件鉱山で生産された亜砒酸は合計537.1トンであり、年平均67.1トンである。

2鉱山操業当時の製錬場、その近辺及び土呂久地区の状況

前記各作業中製錬場では亜砒酸の粉末が舞いあがり、焙焼炉の建物の梁には亜砒酸の粉末が溜まつた程であり、また焙焼炉から排出される煙は臭気を伴ない惣見、畑中、南付近にも広がつて土呂久地区を覆い、製錬場付近では樹木が枯死し、草は生えなかつた。

五焙焼炉からの亜砒酸及び亜硫酸ガスの排出

1亜砒酸の排出

(一) <証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 金属工学の知見上、本件鉱山におけるような焙焼法で亜砒酸を製造する場合の収率(回収率)は、粗製七〇ないし九〇パーセント、精製八〇パーセントとされており、右以外の砒素成分が焼滓中に残存したり、あるいは焙焼炉の集砒室内に沈降しないで煙突等から外部に漏出する(右煙突等からの亜砒酸の漏出の点は、鉱石を焙焼するわけではない精製の場合もやはり収率が存在することからして否定できない。)ことは、自明のこととされている。

本件鉱山の新焙焼炉についてもこれを設計、建造した中島鉱山株式会社自身が右収率は品位三〇パーセントの鉱石の場合八〇パーセント(精製収率九〇パーセント)であるとし、砒素成分が一部外部に漏出することを当然の前提としていた。

(2) 大正一四年四月八日付日州新聞には、宮崎県西臼杵郡、殊に鉱山の多い岩戸村土呂久方面で亜砒酸の採掘が始まつて以来飼育している馬が奇病に罹り、死んでしまい、頭数が激減したので岩戸村は大騒ぎになり、県当局に対し、鉱山に善後策を講じるよう運動を起した旨の記事があり、右記事中には福岡鉱務署が焙焼炉からの亜砒酸の排出について、次のとおり説明したとある。

亜砒酸を鉱石の中からガス体として導き、これを冷却凝結させて亜砒酸を採取するのであるが、その時冷却し切れない亜砒酸ガスが亜硫酸ガスとともに野外へのがれ出ることは事実であるけれども、亜砒酸ガスは重味のあるものであるから、直ちに下降し、したがつて広がる範囲が限られているので遠距離の草にまでしみ込むことは学理上立証されないことで、亜砒酸ガスの遊離、分散する区域は常に一定の範囲草木が枯れ果てているから、それから遠くへは亜砒酸は絶対に作用しない、以上のとおり説明したとある。

そうすると、一般に回収し切れない亜砒酸が亜砒酸ガスとともに焙焼炉から外部へ排出されることは、その排出された亜砒酸が拡散する範囲如何についてはともかく、当時の鉱山の監督官庁も肯定するところであつた。

(3) 昭和四七年の宮崎県調査において、土呂久地区内家屋のじんあい(ハウスダスト)を採取し、砒素量を測定したところ、表3―1の結果が出た。

右調査結果では新旧焙焼炉に近い家屋ほどハウスダストから検出された砒素量が多く、中でも新旧各焙焼炉に最も近い家屋(A)のその数値は他の家屋のそれと比較して格段に高く、このことはハウスダストの砒素量と焙焼炉における亜砒酸の製錬との関連を強く窺わせるに足るものと評価できる。

(4) 亡佐藤仲治が昭和一一年頃、焙焼炉から排出される煙が多い日に、試みに、旧焙焼炉から西南約二〇〇メートル、反射炉から西約六〇メートルの位置にある自宅の庭先で早朝から夕刻まで新聞紙を広げておいたところ、焙焼炉で砒鉱を焙焼したときにできる亜砒酸と同じ色の白っぽくてやや黄味がかつた粉末が溜つていた。

(二) 以上の認定事実に新旧焙焼炉及び反射炉の構造、それらに脱煙、集じん装置がなかつたこと、焙焼方法、焙焼により昇華発生する亜砒酸の性状、焙焼中の煙の排出状況、製錬場近辺の植物の生育状況に関する前記認定事実を考え合わせると、戦前戦後、焙焼炉の種別を問わず、焙焼によつて昇華発生した亜砒酸のうち集砒室内で凝結沈降し切れない一部の亜砒酸は、フュームの形態で焙焼炉の煙突、石積みの隙間から煙とともに外部に排出されたものと認めるのが相当である。

(三) 被告の反論について

(1) ハウスダストに関する反論について

被告は、被告が独自にハウスダスト調査を行つたところ、土呂久地区の前記宮崎県調査の対象となつた家屋とほぼ同じ位置にある家屋のじんあいから、砒素のほか、一ないし三パーセント(一万ないし三万PPM)もの多量の硫黄や鉄分が検出された、土呂久地区は砒素の鉱化、鉱床地帯にあるため元来土壌中に広範囲にわたり砒素(硫化物の砒素)が存在するが、被告の右調査結果からして、前記宮崎県調査におけるハウスダスト中の砒素は、右土壌中の砒素が風送されたものとみなすべく、砒鉱の焙焼によつて生成する亜砒酸(酸化物の砒素)とはみられないから、前記宮崎県調査結果をもつて本件鉱山における焙焼炉から亜砒酸が排出されたことの証左とはならない旨主張する。

しかしながら、前記宮崎県調査で土呂久地区内のハウスダストから検出された砒素が、すべて土呂久地区の土壌中の硫化物たる砒素が風送されたものと認めるべき的確な証拠はないし、右(一)(3)認定の焙焼炉からの距離との相関性に鑑みても、被告の主張は採用できない。

(2) 亡佐藤仲治の亜砒酸採取に関する反論について

被告は、旧焙焼炉を中心に旧焙焼炉から亡佐藤仲治方までの距離を半径とする九〇度の角度の扇形の平面を想定し、亡佐藤仲治本人尋問をもとに右平面上に降つた一日あたりの亜砒酸の量を計算し、他方、当時本件鉱山における一日あたりの亜砒酸の生産量を計算し、両者を比較すると前者が後者の何倍もの量になるからこの点に関する亡佐藤仲治本人の供述は非科学的、非現実的であり、作話である旨主張する。

しかしながら、被告の計算にはいくつかの前提がなされているが、その中には亡佐藤仲治方に降つた亜砒酸の純度、それが前記扇形の平面全体にわたり一様に降つたとの前提等、現実の条件如何で大きく左右されるべきものがあることを考慮すると、被告の前記計算結果をもつて直ちに亡佐藤仲治本人の前記供述が信用できないものとすることはできず、被告の主張は採用できない。

(3) 新焙焼炉からの亜砒酸の排出に関する反論について

被告は、砒鉱の焙焼によつて昇華発生した亜砒酸は集砒室に入つて約二〇〇度を下回ると固体になり沈降するが、焙焼は自然通風により行うため、亜砒酸は集砒室内を毎秒二センチメートル程度の遅い速度で流れ、徐々に冷却され、すべて凝集して集砒室内に沈降する、焙焼炉の煙突からの排ガス温度は約七〇度程度にすぎないからこの点からも亜砒酸が焙焼炉の煙突から排出されることはあり得ない旨主張する。

しかしながら、砒鉱により昇華発生した亜砒酸の集砒室内における流速や焙焼炉の煙突における排ガスの温度その他、亜砒酸がすべて集砒室内で凝集、沈降したとの被告主張の前提諸条件のいずれについても、これを認めるに足りる証拠はなく、前記のとおり砒鉱の焙焼によつて昇華発生した亜砒酸の一部が焙焼炉の集砒室に沈降することなく焙焼炉の煙突、石積みの隙間から外部に排出されたものと認定することを左右しうる資料はないというほかないから、被告の主張は採用できない。

2亜硫酸ガスの排出

戦前戦後、焙焼炉の区別なく砒鉱の焙焼により焙焼炉から相当量の亜硫酸ガスが外部に排出されたこと、昭和三五年と昭和三七年に福岡鉱山保安監督局が新焙焼炉について亜硫酸ガスの排出濃度を測定したところ、いずれの時も煙突出口で0.2パーセント(2000PPM)であつたことは当事者間に争いがない。

第二捨石及び鉱滓の堆積

一本件鉱山においては、戦前戦後砒鉱の採掘、亜砒酸の製錬によつて生じた大量の捨石、鉱滓(焼滓)は各坑口、一番坑付近の土呂久川川べり(昭和一一年頃までは同所から土呂久川へ直接投棄された。)佐藤操方付近、大切坑付近の川べり、新焙焼炉前方の斜面に投棄されたこと、長年のうちに堆積した捨石、鉱滓は小山状を呈したこと、それらは野ざらしのまま放置され、昭和四六、四七年になつて漸く覆土、植栽の防護工事が始められたことは前記認定のとおりである。

二捨石、鉱滓中の砒素と溶解度

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1宮崎県調査において、昭和四六年から四七年にかけて本件鉱山の大切坑跡及びその近辺、新焙焼炉跡、三番坑跡下方等から採取した捨石、鉱滓の成分分析を行つたところ、砒素は一三〇〇ないし三万五七三四PPMという極めて高い数値であつた。

2捨石、鉱滓中の砒素は水に溶出する。宮崎県調査において本件鉱山の新焙焼炉跡付近で採取した捨石、鉱滓について溶解度の試験を行つた結果は表3―2のとおりであつた。

(試料No.1、No.2は試料を五メッシュ以下に粉砕、五〇gを五〇〇CCの純水中で約一二時間激しく振温したもの、A法は二〇〇メッシュ以下に粉砕した試料五gを一〇〇CCの純水に浸漬し、一日一回かくはんしたもの、B法は粉砕しない五〇gの試料を一〇〇〇CCの純水に浸漬静置したもので、それぞれ上澄液中の砒素を定量分析した。

三焙焼炉の放置

1<証拠>を総合し、これに前記当事者間に争いがない事実を合わせると、戦前本件鉱山において使用された旧焙焼炉は、昭和一六年の鉱山操業中止後は、焙焼炉の石積み等に白い亜砒酸の結晶が付着していたにもかかわらず、そのまま放置され、昭和四六年になつて漸く覆土が行われたこと、右防護工事後も同所付近に残存していた鉱滓中に亜砒酸の白い結晶が認められたこと、鉱山操業当時新焙焼炉のある製錬場では作業中亜砒酸が舞いあがり、焙焼炉の建物の梁には右飛散した亜砒酸の粉末が溜まつていた程で、製錬場は亜砒酸で強く汚染されていたこと、新焙焼炉は昭和三七年の閉山後昭和四六年に解体、覆土の工事が行われるまでそのまま放置されていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2このように亜砒酸製錬の操業中止後、これに使用された焙焼炉を初め、亜砒酸の付着、残存する製錬施設が亜砒酸の飛散、流出等を防止する適切な防護措置が施されることなく放置された場合、右不作為は、捨石、鉱滓の堆積に準じ、鉱業法上の鉱害賠償責任の要件となる原因行為にあたるものと解するのが相当である。

第三坑内水の放流

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

一本件鉱山は戦前から坑内水が多く、戦前大切坑が開かれるまでは一番坑において従業員が手押ポンプ三台を使い、昼夜三交替で常時排水作業を行つた。大切坑が開かれてからは各坑道の坑内水は右大切坑に導かれたが、坑内のU字溝は常時坑内水が大量に流れ、大切坑において従業員が動力ポンプ十五、六台を使用し、昼夜三交替で排水作業を行つた。

戦前戦後を通じ、坑内水はすべてそのまま土呂久川へ放流された。

そのうえ本件鉱山閉山後も長期にわたり多量の大切坑坑内水が土呂久川へ自然流入し続けた。

二宮崎県が昭和四三年から四七年にかけて大切坑の坑内水を採取し、成分分析を行つたところ、0.016ないし0.108PPMの砒素が検出された。

第三節  環境汚染

第一大気汚染

一逆転層の形成

1<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 地表面は日中日射によつて暖められるが、夜間は熱放射のため冷却する。それにつれて地表面に接続する空気も冷却されるが、上層の空気は下層の空気程冷えないので、気温の逆転層が形成される(放射性逆転)。翌朝日射により地表面が暖められると接地気層の空気も暖められて日中の気温状態に戻る。この逆転層の厚さは一二〇ないし二五〇メートルである。放射性逆転は夜の長い冬の方が夏に比べて発生し易く、また強い。

渓谷や盆地内では夜間熱放射により生じた重い空気が山の斜面に沿つて低地に流れ込む。そのために谷の中では底部に近いほど気温が低くなり、逆転層が生じる(地形性逆転)。

逆転層があると、よほど高温で軽い煙を除き、煙は逆転層の下に閉じこめられる。特に放射性逆転と地形性逆転が競合すると逆転は一層強まり、汚染物質はまつたく谷間に閉じ込められる。

(二) 野中善政による逆転層の観測

宮崎大学講師野中善政は昭和五三年五月一日から同年末まで土呂久地区において標高五二〇メートルの地点B(佐藤操方付近)、山の斜面上の標高六四〇メートルの地点A(新焙焼炉跡とほぼ同じ高さ)、同七六〇メートルの地点Cの各地点の気温を観測した。

それによるとAB地点の気温は観測日数一六六日中一〇一日(六一パーセント)逆転した。C点をも含めた観測日数が少ないため、C点の気温との関係は十分明らかでないが、逆転層がよく発達した場合はC点をも含めて気温が逆転した。

(三) 野中善政による煙流実験

右野中講師が昭和五三年一一月五日土呂久地区で前記ABCの各地点の気温が逆転した日に煙流実験を行つたところ、新焙焼炉跡(A地点とほぼ同じ高さ)から発煙上昇した煙は、逆転層の上限と考えられる標高七五〇メートル付近まで達した後はそれ以上上昇せず、層状になりながら水平に広がるのが観測された。

2以上の認定事実に土呂久の地形に関する前記(第一章第一節)当事者間に争いがない事実を考え合わせると、土呂久地区においては放射性逆転、地形性逆転が生じ、その出現頻度も年間相当日数に及び、逆転層の高さも逆転層がよく発達した日は新焙焼炉跡の高さをはるかに超えることが認められる。

二土呂久地区の大気汚染

昭和四七年に宮崎県が行つた土呂久地区のハウスダスト調査の結果砒素が検出された範囲は前記認定のとおりであり(前掲乙第一〇九号証によれば土呂久地区の惣見、畑中、南のいずれも右ハウスダストから砒素が検出された範囲にほぼおさまることが認められる。)、土呂久地区一帯に本件鉱山の焙焼炉から排出された亜砒酸が到達した形跡が明らかというべきである。

また前記土呂久地区の地形及び大気条件に関して認定したところに、その他本件各焙焼炉から鉱煙等が現実に早期に希釈、拡散されえたものと確認するに足りる事情も見当らないことを合わせ考えると、本件焙焼炉から排出された亜砒酸、亜硫酸ガスは容易に拡散、希釈されることなく、土呂久地区の大気中に相当時間滞留したものと認めるのが相当である。

以上の点に、前認定の亡佐藤仲治の粉末(亜砒酸を含む粉塵)採取の体験をはじめ本件各被害者らが土呂久地区での生活の中で鉱煙、刺激臭、粉塵等につき日常的に体験したところ(後記第三章第一節―別紙「個別主張・認定綴Ⅲ、当裁判所の認定」の「2、曝露状況」欄―認定の諸事実)を総合すると、土呂久地区においては、惣見、畑中、南の全体にわたつて、本件鉱山の焙焼炉から排出された亜砒酸及び亜硫酸ガスにより大気が汚染され、これが本件鉱山の操業期間中継続していたものと認めるのが相当である。

三被告の反論について

1気温の地形性逆転発生の条件に関する反論について

被告は土呂久地区は盆地ではなく谷あいであり、しかも谷の底部自体がかなりの急傾斜で北から南へ下つているから冷気は滞留せず、逆転層は生じ得ない旨主張する。

しかしながら、前記認定事実によれが渓谷についても気温の地形性逆転は生じ得るから、前記のような地形をもつ土呂久地区が右地形性逆転の生じる一般的条件に特段欠けるところはないというべきであり、被告の主張は採用できない。

2山谷風に関する反論について

被告は土呂久地区のような山間地帯には山谷風が起り、谷風は山頂を越えて吹きあがるから、汚染物質が谷底に滞留することはない旨主張する。

しかしながら、<証拠>によれば、谷風の上方には補償流が存在し山谷風は閉じた循環系をなしているし、夜間は山風が谷に向かつて吹きこれは汚染物質の拡散を妨げる方向に作用するから、山谷風の存在をもつて直ちに汚染物質が効果的に拡散されるものとはいえず、被告の主張は採用できない。

3日本気象協会の環境大気調査に基づく反論について

被告は、気象協会報告(被告が財団法人日本気象協会に依頼して行つた土呂久地区の環境大気調査報告)によれば、数値シミュレーションでは亜硫酸ガス濃度の一時間値が国の環境基準を上回わるものは一例もなく、逆転層が発生した場合地表濃度は二倍程度であるが、その場合も環境基準値は超えず、亜硫酸ガスによる広範な高濃度汚染の可能性はない、風洞実験でも谷の中に吹き降りて谷の底部に高濃度汚染をもたらすような気流はない旨主張する。

しかしながら、<証拠>によれば、右数値シミュレーションに入力された数値は、土呂久地区で現実に観測した気象データをもとにしたものではなく、阿蘇、延岡、大分等の気象データから土呂久地区の気象データを推定し、これをもとにしたものであること、またそれは地形による後流渦や山腹での汚染物質の反射等の現象が十分に反映されているかどうか疑問が残ること、風洞実験はこの点を補うものであるが、風洞実験でも熱現象は再現できないし(したがつて、土呂久地区において発生する逆転層の作用は実験条件に入つていないことになる。)、その他原告指摘のような不充分さを克服しきれているものとは確認しえないこと、複雑な地形を対象にした数値シミュレーションはいまだ完全な手法とはいえない段階にあること並びにその計算結果や実験結果が土呂久における実際の大気現象に適合するものであるか否かの報告者の検証は全くなされていないことが認められ、これらの点にかんがみると、被告主張の数値シミュレーションや風洞実験の結果をもつては、土呂久地区における砒素及び亜硫酸ガスによる大気汚染の事実を否定することはできないというべきである。

第二土壌汚染

一土呂久地区の土壌汚染

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1宮崎県が昭和四五年ないし昭和四七年に土呂久地区及び上村、上寺等その周辺地区で採取した農用土壌(田、畑)について砒素量を調査したところ、表3―3の(1)のとおりであり、これによると土呂久地区の農用土壌の砒素量は明らかに多く、周辺地区のそれは比較的少ない。

2宮崎県総合試験場が昭和五〇年から昭和五一年にかけて岩戸川流域の農用土壌の汚染調査を行つた結果は表3―3の(2)のとおりであり、これによると土呂久地区の農用土壌の砒素量は、立宿、小芹等の周辺地区と比較し明らかに多い。

3宮崎大学農学部助教授生田国雄が、昭和四七年土呂久地区(惣見)の佐藤操方近くの旧水田、畑地、同人方より約二〇〇メートル南の水田等より土壌を採取し、その中の砒素を初めとする重金属の含有量を分析した結果は表3―3の(3)のとおりであつた。

二以上の認定事実と通常の土壌中の砒素量(ボーエン値)は0.1ないし40PPM(平均6PPM)とされていること(これは当事者間に争いがない。)を考え合わせると、土呂久地区の農用土壌中の砒素量は他地区や通常の土壌と比較して格段に多いといわざるを得ない。

三前記認定のとおり本件鉱山の焙焼炉から排出された亜砒酸は土呂久地区の大気や地表を汚染したこと、ズリ捨場の捨石、鉱滓中の砒素が雨水の作用で一部溶出した事実は否定できないこと、土呂久地区においては戦前戦後土呂久川の水を農業用水として利用している地域があるが(この限度では当事者間に争いがない。)、後記認定のとおりこの土呂久川の水は一部の流域を除き本件鉱山の操業により排出される砒素で汚染されていたことに照らして考えると、前記のとおり土呂久地区の農用土壌中の砒素量が他地区や通常の土壌と比較して格段に多いのは、特段の事情のない限り、右本件鉱山の操業により排出される砒素が農用土壌中に降下、流入し、これが長年の間に蓄積されたためであると認めるのが相当である。

四被告は、土呂久地区は地質学上砒素の鉱化、鉱床地帯の上にあるから、土壌中に広範囲にわたり砒素が存在するのは当然であり、各種調査により土呂久地区の農用土壌から砒素が検出されたからといつてそれは本件鉱山の操業によるものではない旨主張する。

しかしながら、<証拠>によれば、土呂久地区を含む祖母傾山一帯の広い地域が砒素の鉱化、鉱床地帯の上にあることが認められるが、それにもかかわらず、前記認定のとおり宮崎県調査、宮崎県総合農業試験場調査において土呂久地区と周辺地区の農用土壌の砒素量に顕著な差がみられたことに照らして考えると、右土呂久地区が砒素の鉱化、鉱床地帯の上にある事実をもつて前記認定を覆すことはできず、他に前記特段の事情についての主張立証はない。

第三河川水の汚染

一公害対策基本法(昭和四二年法律第一三二号)第九条の規定に基づき「水質汚濁に係る環境基準について」(昭和四六年環境庁告示第五九号)をもつてなされた水質の汚濁に関する環境基準のうち人の健康の保護に関する環境基準によれば、砒素については全公共用水域につき0.05PPM以下とされている。また<証拠>によれば、世界保健機構による給水栓水中の砒素の許容濃度も0.05PPMとされていることが認められる。

二<証拠>によれば、宮崎県が昭和四四年から四七年にかけて土呂久川の各地点から採取した試料について水質分析を行つた結果は表3―4のとおりである。これによると、本件鉱山より上流にあたる地点で採取された試料の砒素濃度は低かつたが、本件鉱山より下流でかつ土呂久川が岩戸川と合流するまでの流域(東岸寺用水取水点を含む。)で採取された試料の砒素濃度は高く、0.05PPMを超えたものや、これに近い値のものが多かつた。しかし更に下流の土呂久川が岩戸川と合流した地点で採取された試料の砒素濃度は再び低くなつた。

三前記認定のとおり本件鉱山閉山後も多量の大切坑坑内水が土呂久川へ流入したこと、宮崎県が昭和四三年から四七年にかけて行つた大切坑の坑内水の水質検査で0.016ないし0.108PPMの砒素が検出されたことに照らして考えると、土呂久川の前記流域すなわち本件鉱山の下流から岩戸川に合流するまでの流域で砒素濃度が高いのは、特段の事情のない限り、右大切坑の坑内水が大量に土呂久川に流入したためであると認めるのが相当である。

四被告は、土呂久地区は地質学上砒素の鉱化、鉱床地帯の上にあるから、元来広範囲にわたり砒素が存在し、土呂久川も自然に砒素を含有するのであり、土呂久川の含有する砒素は本件鉱山の操業によるものとはいえない旨主張する。

しかしながら、前記認定のとおり土呂久地区を含む祖母傾山一帯の広い地域が砒素の鉱化、鉱床地帯の上にあるとが認められるものの、土呂久川全体の中で前記流域だけが砒素濃度が高いことに照らして考えると、右土呂久地区が砒素の鉱化、鉱床地帯の上にある事実をもつて前記認定を覆すことはできず、他に前記特段の事情についての主張立証はない。

五ところで、本件鉱山操業当時は前記認定のとおり焙焼炉から排出された亜砒酸が土呂久地区の大気や地表を汚染したこと、ズリ捨場に堆積された捨石、鉱滓や旧焙焼炉跡に残存した砒素が雨水の作用で一部溶出した事実及びこれらの亜砒酸や砒素の一部が雨水の作用で土呂久地区の底部にあたる土呂久川へ流れ込んだ事実はいずれも否定できないこと、戦前の一時期捨石、鉱滓が直接土呂久川へ投棄されたこともあつたことを考え合わせると、本件鉱山操業当時は、土呂久川の前記流域の砒素濃度は前記宮崎県調査時と比較して一段と高かつたこと、すなわち土呂久川の右流域が砒素により汚染された状態にあつたこと(従つてここから取水される東岸寺用水も同様であつたこと)は推認するに難くないというべきである。

第四節  総括

以上によれば、長年にわたる本件鉱山における鉱煙の排出すなわち亜砒酸や亜硫酸ガスの焙焼炉からの排出、砒素を含んだ捨石・鉱滓の堆積、焙焼炉跡の放置、坑内水の放流により土呂久地区の大気、土壌、河川水(土呂久川)が汚染され、土呂久地区住民が生活過程において右砒素や亜硫酸ガスに曝露することを余儀なくされたことは明らかというべきである。

第五節  原告らの農業被害等の主張について

第一牛馬の斃死

一原告らは、戦前本件鉱山における亜砒酸の製錬により、土呂久の重要産業であつた畜産業は牛馬の斃死が相次ぎ、壊滅的打撃を被つた旨主張するのでこの点について検討する。

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1土呂久地区では大正十一、二年以降かなりの数の牛馬が同一症状の病気に罹り、少なからぬ頭数の牛馬が斃死した。

これらの牛馬の症状は、食欲不振、栄養不足、生気がない、皮毛に光沢がない、胃腸のぜん動微弱、口から泡を吹いて全身の振戦を起こす、流産、受胎不能等を内容とするものであつた。

2土呂久地区の右栄養不良の牛を地区外の立宿部落に転地療養すると二、三か月で症状が回復した。

3獣医池田牧然は大正一四年斃死牛の解剖を行つたが、その結果同医師は有害物による中毒死の疑いありとの結論を出した。

4反すう動物の胃にはバクテリア及びプロトゾアが棲息して消化を助けている。これらの微生物が死滅すると宿主動物も死亡するが、バクテリアやプロトゾアは亜砒酸により死滅しもしくはその生存に影響が出る。

二以上の認定事実に前記認定のとおり、本件鉱山操業当時焙焼炉から排出された亜砒酸が土呂久地区の大気や地表を汚染したことを合わせると、土呂久地区における牛馬が、前記のような症状を呈し斃死したのは、格別の反証のない本件においては、焙焼炉から排出された亜砒酸により牧草が汚染され、牛馬がこれを食べたため砒素中毒にかかつたものと認めるのが相当である。

第二農作物、椎茸、養蜂の被害

一原告らは、本件鉱山における亜砒酸の製錬により、土呂久地区では米、豆類等の農作物や椎茸の不作、蜜蜂の死滅等の重大な被害を被つた旨主張するのでこの点について検討する。

<証拠>を総合すれば、本件鉱山操業当時土呂久地区では米、豆類等の農作物や椎茸の減収、不作及び従来盛んに行われた養蜂の不振という被害がみられたこと及び一般に土壌中の砒素濃度が一定の濃度(二〇ないし七〇PPM)になると植物体は生育阻害を受けるとされていることが認められ、これを覆すに足りる証拠はないが、本件においては右農作物等の被害の生じた年、範囲、態様、程度、被害額等を具体的に認めるに足りる証拠はない。

二土呂久地区の農用土壌や大気が本件鉱山から排出された砒素や亜硫酸ガスにより汚染されていたことは前記認定のとおりであるから、前記土呂久地区における米、豆類、椎茸の不作、養蜂の不振についてその原因を検討する場合、右砒素や亜硫酸ガスのこれらの農作物等に対する作用の点を無視することはできないが、もとよりこれらの農作物等の被害は砒素や亜硫酸ガスの作用以外の他の原因によつても起り得ることは多言を要しないところであり、そのうえ、前記のとおり土呂久地区においてこれらの農作物等の被害を生じた年、範囲、態様、程度等も具体的に確認しえないのであるから、他に、右農作物等の被害が本件鉱山からの砒素や亜硫酸ガスに起因することを裏付けるに足る資料も提出されていない以上、これらの被害と本件鉱山から排出された砒素や亜硫酸ガスとの因果関係はいまだ肯認しえないというほかない。

第二章  因果関係(総論)

第一節  砒素中毒症の基礎的知見

第一砒素の代謝及び毒性

一代謝、毒性に関する知見

<証拠>によれば、砒素の代謝及び毒作用に関し、成書ないしこれに準ずるような文献に記述されている知見は、大要次のとおりであり、これらの知見の妥当性に疑問を抱かせるような証拠はない。

1砒素(化合物)は古くからよく知られた毒物で、医薬品(フォーレル(Fowler)水等)、殺鼠剤、農薬等として利用されてきたが、単体の砒素自体にはほとんど毒性がなく、その無機化合物特に三価の砒素化合物の毒性が強く代表的なものは亜砒酸であつて、その人間におけるLD50(経口投与を受けた者の半数が死亡する量)は、体重一キログラムあたり1.43ミリグラムとされている。五価の砒素は毒性が弱いが、生体内に吸収された場合、その一部は三価の砒素になる。

2砒素化合物の人体への侵入経路はさまざまであるが、気道系、皮膚粘膜系、経口系と大別され、特に複合的形態をとる。労働環境において事例の多い亜砒酸粉じん曝露のような大気汚染による場合は、呼吸器系からの吸入及び皮膚接触が中心をなす。水汚染や汚染食物等の摂取による場合は経口的に吸収される。砒素化合物は皮膚、粘膜からも直接的に吸収される。呼吸気系からの曝露時には、肺からも体内に吸収されるが、一部は嚥下され消化管から吸収されることもある。

主に肺及び消化器から吸収された砒素化合物は、その大半が赤血球の中に存在し、血清中のものはたん白と結合し、全身の諸組織に運ばれ、二四時間以内に血液より離れ、主に肝、腎、肺、消化管壁、脾、皮膚に分布する。少量は脳、心、子宮にも分布し、骨及び筋肉も濃度は低いが分布総量としては大きく、皮膚とともに体における砒素の主な蓄積組織と考えられる。

3体内に吸収された砒素は主に尿中に排泄されるが、尿中にも少量排泄され、汗腺、気管支粘膜から、或いは毛髪、皮膚の脱落等によつても排泄される。三価の砒素は、体内でメチル化が起り、毒性の著しく低いメチルアルソン酸やジメチルアルシン酸になる。そして尿中には、これら有機砒素の形でも排泄される。

4砒素は、一般に原形質毒で、酸素活性、特にSH基系酵素活性の阻害作用がある。この酵素は細胞の酸化還元即ち細胞の新陳代謝にとつて不可欠の酵素であり、且つ全身に分布しており、これが不活性化される結果組織呼吸が低下する。砒素はまた、平滑筋麻痺及び血管系、神経系特に末梢神経系への毒作用を持つ。血管系への作用は古来(毛細)血管毒とも表され局所の毛細血管を麻痺するとされる。但し、毛細血管麻痺は交感神経麻痺の二次的現象とする考えもある。更にまた、「SH基酵素と結合してDNAポリメラーゼ(複製酵素)を阻害し、…癌化の一因となると推論される。」とも、「細胞核の染色体に障害を与え、有糸分裂中期の遮断作用を持つている。」ともいわれる。

二被告の反論について

<甲号証>によれば、成書等には「人体内に摂取された砒素の排泄は緩徐である。」旨記述されているところ、これに対して、被告は、「砒素は、体内で速かにメチル化、酸化(五価へ)されて無毒化するだけでなく、極めて速かに排泄され消失する。」旨主張し、証人山内博はこれに沿う証言をし、<乙号証>も右主張を裏付けるのかの如くであるけれども、右各書証に報告されている実験は一回的ないし極く一時的な投与の事例にすぎないうえ、これらの実験においても、相当期間経過後も未反応のままの三価の砒素や排泄されないで残留する砒素が一定量存したことは各報告自体から明らかであるし、また、殆んど唯一の継続的(七か月)投与動物実験の報告(乙第三二五、三二六号証、前者は成立に争いがなく、後者は証人山内の証言によつて真正に成立したものと認められる。)には、投与中止四か月後においても肝臓に相当量の砒素が残留していることが示されており、又、慢性砒素中毒に特徴的な肝臓の病理組織像も認められていて、むしろ被告主張とは相反するものと解される。結局右各実験結果等をもつてしても、成書類の記述を覆して被告主張の如く速やかに無毒化・排泄されるとまでいうことはできない。

三集団的中毒の事例

<証拠>、<各証言>によれば、集団的(慢性)砒素中毒の発生事例の著名なものには次の諸事例があり、それぞれ各掲記の研究者らによる臨床症状の研究報告等がある。

砒素醤油事件(昭和三一年、宇部市)

○製造過程において砒素の混入した醤油による中毒事件(但し亜急性中毒)

○水田信夫ら

新潟井戸水事件(昭和三五年、新潟県北蒲原都中条町)

○三硫化砒素製造工場の廃水が井戸水を汚染したことによる中毒事件

○寺田秀夫ら

森永砒素ミルク事件(昭和三〇年、西日本)

○製造過程において砒素が混入した森永製調整粉乳による中毒事件

①永井秀夫ら、②岡山県(浜本英次、小田琢三ら)③中川米造ら、④西田勝ら、⑤湯浅亮一、⑥川津智是ら、⑦大島利文ら⑧佐藤武雄⑨蒲生逸夫、⑩岡本祐三ら、⑪大平昌彦⑫山下節義ら

笹ケ谷事件(島根県鹿足郡津和野町)

○山元亜砒酸製造による元従業員及び地域住民の中毒事件

○鳥取大学医学部調査部会(石原国ら)

旧松尾鉱山事件(宮崎県児湯郡木城町)

○砒鉱の採掘及び山元亜砒酸製造による元鉱山従業員の中毒事件

○調査専門委員会(久保田重孝ら)

ブドウ園従業者事件(ドイツ、一九二〇年代から同四〇年代)

○砒素含有殺虫剤を散布したブドウ園従業者の職業性中毒事件

①フローン(Frohn)②ハジョロワ(Hadjioloff)③ドゥーレ(Dorle)ら④ハーレン(Harren)ら⑤パイン(Pein)⑥ロス(Roth)⑦ブッツェンガイガー

ブラックフット病の事例(台湾、一九二〇年代から同六〇年代)

○砒素を含有する井戸水を飲料水に使用している台湾西南海岸地帯住民の中毒事例

①イエー(Yeh)ら②曽文賓③ウェン・ピン・ツウェン(W.P.Tseng)

アントファガスタ事件(チリ、アントファガスタ市、一九六〇年代)

○公共飲料水が砒素で汚染されたことによる中毒事例

①ローゼンベルク(Rosenberg)②Zaldivar③ヴォルゴノ(Borgon)ら

砒素ビール事件(イギリス、一九〇〇年)

○ビールに砒素等が混入したことによる中毒事件

①フロスト(Frost)②レイノルズ(Reynolds)

レーンスチェール事件(スェーデン、レーンスチェール、一九二九年から同四三年)

○銅製錬工場で発生した職業性の中毒事件

○ルンドグレン(Lundgren)ら

廃棄毒ガス事件(ドイツ、一九四一年)

○廃棄された化学兵器(毒ガス)によつて井戸水が汚染されたことによる中毒事件

○リネヴェー(Linneweh)

ノースカロライナの事例(アメリカ、ノースカロライナ州、一九五二年から同六四年)

○右期間にノースカロライナ州内で発生した中毒例(但し急性中毒散発例の集約)

○ジェンキンス(Jenkins)

オレブロ銅製錬所の事例(スウェーデン)

○砒素を含有する銅製錬所労働者に発生した中毒事例

○Axelsonら(一九七八年)

第二砒素中毒の症状(概要と特質)

一症状の概要

<証拠>によれば、一般に、成書等においては、砒素中毒の症状(但し、癌については二項で述べる。)に関して概ね次に摘示するように要約、記述されていることが認められる。

これらの知見は、後に各組織・器官毎の障害・症状について検討、説示するところ及び同所に掲げる各証拠に照らして、十分に網羅的とはいえないけれども、その妥当性について疑問を抱くに足る根拠はないものということができる。

1後藤稠外編「産業中毒便覧」(一九七七年)

(一) 急性・亜急性中毒

刺激作用、腐蝕作用がある。呼吸器系症状として咳嗽、呼吸困難、胸痛、めまいがあるほか、頭痛、四肢脱力感が起り、その後嘔気、嘔吐、腹部疝痛、下痢、全身疼痛、麻痺等が起る。また、粉じん、フュームに曝露することにより、皮膚及び粘膜の刺激症状として、亜砒まけと俗称される皮膚炎、鼻炎、喉咽頭炎、気管炎、気管支炎、結膜炎等が起る。

(二) 経気道性の慢性中毒

全身作用を示すことがあり、皮膚、粘膜の異常、消化管、神経系特に末梢神経系の異常が認められる。また、まれではあるが、心循環器系及び肝の異常が認められる。

(1) 皮膚は、慢性中毒においては標的組織であり、湿疹状皮膚変化から重篤な症状まで多様であるが、角化症、疣贅、皮膚黒化症、色素脱色症(白斑)が現われ、色素脱色と皮膚黒化症とが混在して特徴ある「雨滴れ様色素沈着症」の像を示すこともあり、進行すると多発性ボーエン(Bowen)病及び皮膚癌が認められるようになる。

(2) 粘膜症状としては、鼻炎、気管炎、気管支炎があり、ときに鼻中隔穿孔をきたす。結膜炎、重篤な場合は角膜潰瘍が認められる。

(3) 胃腸症状は、主として経口性の慢性砒素中毒症の場合に認められるが、経気道性の場合も、まれではあるが、脱力感、食欲不振、嘔気等の症状を伴う胃腸症状を呈することがある。

(4) 末梢神経障害では、下肢、上肢の多発性神経炎を呈することが多く、重篤な場合は感覚異常、じんじん感のほか疼痛、躯幹部の灼熱感、皮膚の敏感症等がある。下肢の多発性神経炎では歩行困難を伴う。症状は両側性に認められ、疼痛が比較的激しい。

(三) 経口性の慢性中毒

貧血が認められ、その場合皮膚症状が明らかであり、また白血球減少症も伴う。これは骨髄性の障害と考えられる。肝障害、肝硬変症、肝癌の報告がある。心臓血管系の障害として心電図異常、心筋症があり、また末梢血管系における血管内膜炎、壊疸もみられる。

2田坂定孝「臨床中毒学」(一九六〇年)

(一) 局所刺激作用

接触部位に発赤、湿疹、潰瘍等の症状を来す。粘膜には炎症(結膜炎)潰瘍が見られる。鼻中穿隔孔、刺激性咳嗽や嗄声を伴う咽頭乾燥症を来す。

(二) 全身中毒症状

(A) 急性型

初期症状は頭痛、目まい、悪心、嘔吐。胃痙攣、水様下痢便が現われ、次いでショック症状が発生し、皮膚蒼白、チアノーゼ、脈搏の細頻数、血圧低下を来し、種々の筋肉の攣縮が見られ、腎機能障害が起る。脳の循環障害の結果昏睡、錯乱が来、軽度の肝障害を来すこともある。重症例では全身血管麻痺のもとに死亡する。急性期を脱すると三週間後に慢性中毒の場合と同様の多発性神経炎が発生する。吸入による場合は、初期に胸部の圧迫感、疼痛が著明、次いで呼吸器系の刺激症状を来し、間もなく胃腸障害、ショック症状が発生する。

(B) 慢性型

次の如き主要な症候があるが、個人差が強い。①手足の角質増生症②皮膚色素沈着③結膜炎④気管炎⑤多発性神経炎⑥胃腸症状。

(1) 皮膚は、定型的な色素沈着がみられる。粘膜は著しい乾燥を示し、結膜炎、咽頭炎、喉頭炎が発生する。

(2) 循環器では、末梢循環が障害されて、四肢末端紫藍症が現われ、小動脈枝の完全な閉塞を来すことがある。高色素性貧血が出現しうる、悪性貧血の記載もある。白血球像はリンパ球の減少を示す。骨髄像では赤芽球が増加し、この細胞の分裂が障害される。

(3) 多発性神経炎の定型的症状が証明される。多くは下肢、前腕の末梢部より対称的に麻痺が上行し、感覚運動両神経が侵される。感覚麻痺と同時に疼痛を訴える。比較的多く嗅覚障害を来す。

(4) 精神障害も珍しくない。精神的肉体的機能が低下し、自覚的には強度の疲労感が伴う。同時に食欲不振と悪液質におちいる。

(5) 心筋障害として、心電図異常を来すことがある。

(三) 予後は慢性中毒では治療手段を尽くしてもある程度の永久障害は免れない。病理解剖では、慢性中毒の場合、心筋、肝、腎の脂肪変性、肝の肥大が認められ、障害された神経は組織学的髄鞘細胞破壊の像を示す。

3「砒素および砒素化合物(メタロイド)」(石西伸外、「日本臨床」三一巻六号、一九七三年)

「環境汚染にかかわる砒素中毒症は多くの場合慢性砒素中毒症あるいは砒素曝露中断後長時間後に発見される慢性砒素中毒症、あるいは後遺症の症状を呈する」として、環境汚染の態様毎に、砒素中毒症の症状を次のとおり記述する。

(一) 大気汚染系

(1) 初発症状は皮膚及び呼吸器系におこる。即ち、「亜砒まけ」といわれる皮疹ができ、湿疹様に悪化する。これに伴い慢性の眼瞼結膜炎、鼻炎などがある。上気道系を中心とした刺激炎症症状を訴え、気管、気管支炎が認められ、長期にわたる場合は慢性気管支炎が常在するようになる。

(2) 右が経過した後、皮膚症状として角化症、砒素黒皮症、白斑が認められる。

(3) その前後に全身倦怠、易疲労、眩暈、るいそう、息切れなどの全身症状及び貧血症状が主訴として訴えられ、高度のものは神経痛様疼痛、四肢脱力、歩行障害、四肢しびれ感、知覚異常など、多発性神経炎の症状を訴える。

(4) この他肝機能障害、心筋障害などが考えられているが、今後の研究にまつところが多い。

(二) 水質及び土壌汚染系

(1) 症状は徐々に発現することが多く、全身症状が自覚症状として最初に起ることが大気汚染系と異なる。

(2) 自覚症状としては疲労、倦怠感、眩暈、るいそう、息切れなどが多く、四肢末梢の神経痛様疼痛やしびれ感、眼脂、慢性結膜炎症状、鼻汁などの訴え、場合には皮膚の異常の訴えがある。

(3) 他覚症状としては、皮膚症状、貧血、白血球減少、肝腫が主徴候である。貧血は再生不良性の像に近い。心筋になんらかの異常をきたす者があるとの警告がある。

(4) なお、皮膚症状を欠く場合においても他の症状の発現することを充分考慮すべきである。

二癌(悪性腫瘍)

<証拠>を総合すれば、砒素と癌との関連性につき成書等に記述されている知見を要約すると、次のとおりであると認められ、後に詳しく検討するとおり、結局のところ、この要約知見の限度では、その妥当性を揺がすに足る証拠はないものというべきである。

1砒素化合物に発癌性のあること、殊に皮膚癌及び肺癌と砒素との間に関連性のあることは十分な証拠があり、疫学的に証明されている。

2肝癌、肝血管肉腫についても比較的多くの報告が見られるが、関連性は十分には証明されていないとの評価もある。

3口腔癌、食道癌、泌尿生殖器癌、乳癌等の報告例もあるが、評価するには十分でないとされる。

4各癌の潜伏期間については、最短三年から最高五〇年まで諸説論じられている。

5なお、動物実験においては、未だ、明瞭な発癌作用を示す報告はない。細菌に突然変異及び類似の効果を及ぼす証拠についても結論がえられていない。

三砒素中毒の特質

<証拠>によれば、熊本大学体質医学研究所医師堀田宣之らは、上来掲記の各報告、文献等内外一〇〇編余に基づいて砒素中毒症の臨床症状を詳細に検討し、その症状の特質を、「土呂久鉱毒病(慢性砒素中毒症)の臨床的研究」(昭和五四年三月、堀田報告)において、次のとおり要約、報告していることが認められる。

そして、上来認定の砒素の代謝・毒性、中毒の症状等についての成書等における知見並びに後に各個症状について検討、説示するところに照らして、この見解は、基本的には、その妥当性を揺がすに足りる根拠はないものというべきである(成書類のいくつかは、曝露経路毎に症状を論じていることは前摘示でも明らかであるが、それらも、その記述内容を検討すると、基本的には右見解と抵触しないものと解される)し、証人柳楽はこれを積極的に支持しており、<証拠>等もむしろその妥当性を支えるものということができる。

そして<証拠>中これに一部抵触する部分は採用しがたく、他に右見解の妥当性を覆がえすような証拠はない。(但し表4―1に掲げられている個々の症状のうち、次章第三節で触れていない症状は、本件被害者らとは係りのない症状であるので、本訴においては関連性の有無・程度についての判断を差し控える。)

1砒素の毒作用の普遍性

砒素により活性を阻害されるSH基系酵素は全身に分布しすべての細胞代謝に不可欠であるから、砒素中毒は、いかなる生体組織にも影響を与え得るといわれている。

2個体差

一方で、砒素に対する人体反応には個人的特異性があることが指摘されており、Scheldenは個体が示す臨床反応だけでなく、個々の臓器の生物学的親和性にも大きな個人的変動があると述べている。

これらの変動をもたらす要因は知られていないが、個体差はおおむね砒素に対する感受性や耐性あるいは特異体質の表現とみなされている。

3症状の広範性

砒素中毒は全身の諸臓器系に多彩な症状を発現させる。内外の約一〇〇編の文献から拾つた砒素中毒の臨床症状を要約すると表4―1のとおりである。

皮膚、粘膜、神経系、造血臓器、心臓、循環器系等は最も普遍的に侵襲される組織である。

4発現形式

しかし、個々の病像は多様で、症候学的には様々なバリエイションがある。また汚染の型(汚染量、汚染期間、汚染経路)により病状発現までの期間や各症状の症度及び経過は異なるが、発現する症状の種類や各症状の発現形式は一部の局所症状を除き、汚染の型によつて殆んど左右されない。つまり、経口、経気道、経皮あるいはこれらの複合形態汚染のいずれでも、また急性、慢性を問わず、ほぼ同じ種類の症状が一定の順序で出現してくる。一般に、皮膚及び粘膜の刺激症状で始まり、ついで多発性神経炎が起つてくる経過をたどるものが多く、古くから、発現形式をⅠ消化器系、Ⅱ喉頭及び気管支カタル、発疹、Ⅲ知覚障害、Ⅳ麻痺の四段階に分類し、急性中毒と慢性中毒の間で各症状の発現及び経過は異なつても、症状発現の順序は異ならないと指摘されている。

5症状の非特異性

砒素中毒の病像はすべて非特異的症状の集合(組み合わせ)から成り立つている。慢性砒素中毒で比較的特異性の強いといわれている皮膚症状においてさえ、色素沈着・色素脱失・異常角化などの併発パターンの特徴が診断の重要な指標となることが指摘されている。皮膚症状以外の症状もきわめて多彩で、その個々の症状は非特異的症状で、別個には多くの原因でも起こり得る症状であるから、その診断にあたつては、皮膚症状を含めてその他の症状も併発パターンの特徴が重視されねばならない。

第二節  土呂久における砒素中毒症

第一慢性砒素中毒症の存在

一宮崎県調査と倉恒報告

1原告ら主張の斉藤教諭の昭和四六年教研集会報告が契機となつて土呂久地区における砒素中毒症の存在が明らかにされたこと、宮崎県は同年一一月二八日、住民の県健診に着手したこと、その健康調査と疫学調査、環境分折調査の結果(宮崎県調査結果。熊大医学部附属病院及び宮崎県立延岡病院でなされた精密検査等第三次健診の結果を含む。)に基づき、倉恒委員会は、住民七名につき慢性砒素中毒症との結論を下したこと(倉恒報告)、以上の事実は当事者間に争いがない。

2そして、<証拠>によれば右倉恒報告では、右健康調査結果を考察し、右のほか次のとおり述べていることが認められる。

(一) 土呂久地区受診者二四一名からは皮膚有所見者二四名(要経過観察者一五名を含む)が出、対照地区の高千穂町山附地区(年齢構成、職業等において土呂久地区と近似する。)と比較して著しく高率であつた。その皮膚所見は砒素曝露者に好発する類のものであつて、過去における亜砒酸曝露によつて起つたものと考えるのが自然である。このことは、焙焼炉の近くに住む者に皮膚有所見者がより多く、職業性曝露のない一般住民のみについてみるとこの傾向がよりはつきりしていることからも支持される。

更に重要なことは第三次健診で慢性砒素中毒症と考えられる前記七名が見出されたことである。この異常な事実は、土呂久地区の特殊性即ち亜砒酸製造という事実によつて説明することが可能である。

(二) また、前記七名のうち四名は本件鉱山従業歴のない者であつたし、皮膚有所見者率は、従業歴ある者に高率ではあつたが、一般住民との間に有意差はなかつた

このことは、一般住民の中に非職業性曝露を高度に受けた者のいることを示している。

3右県調査及び倉恒報告には、後記のような不充分さが指摘されるけれども、慢性砒素中毒の存在の確認とその原因等に関する右考察の限度では、その妥当性を左右する証拠はない。

二公害地域指定及び行政認定

1指定、認定の状況

環境庁は、昭和四八年二月一日、公健特別措置法に基づき土呂久地区を慢性砒素中毒症の多発地域に指定したこと、以後宮崎県知事は右特別措置法及び公健法に基づき慢性砒素中毒症の行政認定をなしてきたが、その認定患者数は今までに一三九名に及んでいること、以上の事実も当事者間に争いがない。

2行政認定の基準と実情

<証拠>によれば、右行政認定の基準は次のとおりであること及び宮崎県知事は各科の専門医による検診、評価を基に、右認定基準に則りその枠内で行政認定を行つてきていることが認められ、これに抵触する証拠はない。

(一) 当初の基準(認定に必要な要件)

次の(1)に該当しかつ(2)にも該当すること。

(1) 砒素濃厚汚染地域に居住し、三酸化砒素に対する長期にわたる曝露歴を有したこと

(2) 次のいずれかに該当すること。

①皮膚に砒素中毒に特徴的な色素異常及び角化の多発が認められること。②鼻粘膜瘢痕または鼻中隔穿孔が認められること。

(二) 昭和四九年五月追加改訂

右の(2)の③として、

「①を疑わせる所見又は砒素によると思われる皮膚症状の既往があつて、慢性砒素中毒を疑わせる多発性神経炎が認められること」を追加。

(三) 昭和五六年追加改訂

なお書として、

「(1)に該当し、(2)の①を疑わせる所見又は砒素によると思われる皮膚症状の既往があり、かつ慢性気管支炎の症状がみられる場合には、その原因に関し総合的に検討し、慢性砒素中毒症であるか否かの判断をする。」を追加。(尚、右認定基準の内容、追加については概ね当事者間に争いのないところである。)

3行政認定の意義

<証拠>によれば、(1)右認定基準掲記の皮膚症状、鼻粘膜・鼻中隔症状は(なお、多発性神経炎も)、慢性砒素中毒において特異的とまでは言えなくても、「特徴的な症状」「好発する症状」「重要症状」「主症候」とされていること、(2)従つて、砒素曝露歴者が右基準所定の症状を備えている場合にこれを慢性砒素中毒症と診断することは、医学的に殆んど問題のないところであること、(3)他方慢性砒素中毒症に常に右症状が随伴すると解すべき根拠はなく、むしろこれらを欠く場合もあり、認定要件を右三症状に限定すべき医学的根拠は見当らないとされていること、(4)土呂久地区においては、皮膚無所見者においても、皮膚以外の症状の出現状況は皮膚有所見者とさほどの差はないこと(後記第二、一、3)、以上の事実が認められ(尚、右(1)は乙第二七三、三三二号証、証人川平の証言でも異論のないところである。)、この事実に、前説示の砒素中毒の個体差、全身性、広範性を合わせ考えると、右認定基準のもとで一三九名もの患者が認定されてきたことは、土呂久地区において慢性砒素中毒症が多発していることを裏付けるに十分な事実というべきである。

4被告の反諭について

被告は、右行政認定は行政上の救済措置特有の寛大さをもつて疑わしきは救済(認定)するとの立場でなされている旨主張するが、その主張を裏付けるに足る証拠はなく、むしろ、宮崎県知事のなす認定処分が右認定基準を相当厳格に遵守してなされているものであることは前掲甲第二二三、二四六号証の公害健康被害補償不服審査会の裁決からも十分看取しうるところである。又、右審査会の原処分取消裁決に基づき、より総合的判断で認定された事例のあることは右書証から明らかであるけれども、弁論の全趣旨によれば、かかる事例は極く少数にすぎないと認められる。従つて被告の主張は採用できない。

三その他の報告等

1中村報告(一)

<証拠>によれば、前記宮崎県調査の第三次健診を担当した熊大医学部教授の中村家政らは、前記七名について諸検査、検討を行つた結果、慢性砒素中毒症と診断し、その詳細を報告していること(中村報告(一))が認められる。

2堀田報告

また、<証拠>によれば、堀田らは、昭和五〇年四月から一一月までの間に土呂久地区住民(過去居住歴者を含む)中九一名(うち本件鉱山従業歴のある者は六二名)について問診、診察、集団臨床検査を行い、これを詳細に検討し、合わせて砒素中毒の歴史的・文献的考察を行つた結果、九一名のうち八三名を慢性砒素中毒症、四名を同疑いと診断したこと(堀田報告)が認められる。

3その他、土呂久地区住民あるいは認定患者の症状等に関して、後掲の如き各種調査、研究報告が在するが、後記のとおり、それら各報告も、土呂久地区に、本件鉱山従業歴の有無を問わず、慢性砒素中毒症が多発していることを裏付けるものではあつても、この事実自体に疑問をさしはさむ見解は何ら見当らない。

4まとめ

以上認定したところに、第一章で認定、説示したところを合わせれば、土呂久地区においては、本件鉱山から排出された砒素による環境汚染、曝露に起因して、慢性砒素中毒症が地域的に多発していることは明らかというべく、これを覆すに足る証拠はない。

第二臨床症状

一各種調査研究

土呂久地区住民あるいは認定患者の臨床症状等に関する各種調査、研究の報告として、前掲宮崎県調査結果、倉恒報告、中村報告(一)、堀田報告をはじめとして次のようなものがあり、それらの内容は次に認定するとおりである。

1宮崎県調査結果及び倉恒報告(昭和四七年七月)

(一) <証拠>によれば、倉恒委員会は、県調査結果を考察し、前記のほか次のとおり報告している。

(1) 健診の結果見いだされた疾病は、皮膚疾患のほか貧血(女)、結膜炎・白内障・トラコーマ等の眼疾患、低血圧症等が、対照地区と比較して有意に高率であつた。これは既往歴調査や自覚症状調査とあいまつて、無視できない所見である。(尚、甲第一七号証の県調査結果要約によつて、右既往歴調査、自覚症状調査の結果をみると既往歴者数、既往歴件数とも土呂久が高い傾向にあり、眼疾患の既往歴数も有意に高く、又、自覚症状件数も多い傾向にあり、皮膚、咳・痰、視力障害の自覚症状は有意に高く、その他リューマチ、皮膚の感覚異常、燕下困難、脈搏異常、めまい、胸部圧迫感、がんこな悪心嘔吐、がんこな下痢、黄疽等多くの自覚症状が土呂久住民に多くみられている。)

(2) 過去の受療状況についての調査によると、トラコーマ(女)、眼の炎症性疾患(男)、白内障(女)、その他の眼の疾患、気管支炎・肺気腫、慢性関節リューマチ及び類似症(女)、腰痛等の筋骨格系及び結合織の疾患(男)、等の罹患率が、有意に高いが、その他の伝染病、寄生虫病の罹患率は対照地区の方が高かつた。又、鉱山従業歴のある者とない者との受療状況を比較すると、右のいずれについても有意差は認められなかつた。

(3) 昭和二〇年以降の死亡原因調査によると、対照地区と比較して、悪性新生物、性尿器系疾患、周産期疾病による死亡の割合が土呂久地区の方が高く、悪性新生物の中に肺癌が土呂久にのみ二例含まれていること、性尿器系疾患の中で「その他の腎炎及びネフローゼ」による死亡が土呂久にのみ六例あること等が注目される。

(4) 肺癌死亡者のケースコントロール調査では、高千穂保健所内での肺癌死亡者の中には土呂久地区居住歴のあるものが異常に高率で、対照群(非肺癌死亡者群)と比し有意差があつた。但し、土呂久鉱山就業歴や喫煙等の要因も関与していることが示された。

右肺癌による死亡については鉱山操業に起因する砒素等曝露の影響は否定できないと考える。(尚、県調査結果要約によれば、右のほか喫煙状況もマッチさせたケースコントロール研究によると、肺癌死亡者群にのみ土呂久居住歴者が見られ、対照群にはいなかつたが、例数が少く差は有意ではないと報告されている。)(尚、右の点については、原本の存在・成立ともに争いのない甲第一二九号証も、甲第一七号証(の一部)と同一内容である。)

(5) 右のとおり土呂久地区と対照地区の間には、皮膚所見のほかにも健康上の様々な差異のあることが認められた。

(二) 尚、前説示の如き認定基準のもとで多数の行政認定患者が出ていること及び後記各調査研究報告に比照し、又、<証拠>にも鑑みると、右の県健診は、住民の健康障害を的確に把握しきれない不十分なものであつたといわざるをえないが、右認定のところからすれば、かかる不十分な健診においても、その他の調査と合わせることによつて、土呂久住民の健康の偏りの状況がある程度示されているものということができる。

2中村報告(一)(昭和四八年)

<証拠>によれば、前記中村報告(一)では、前出の慢性砒素中毒と診断した七名について次のとおり報告している。

(一) 皮膚所見は全例に認められ、一例に悪性角化症を認めた。

(二) 全例に何らかの呼吸器系障害が認められ、胸部レ線所見では、一例を除いて肺線維化像、肺気腫像、胸膜肥厚などが認められ、皮膚所見と併せ考えると砒素との密接な関連性を否定できない。

(三) 六例に感音系難聴、五例に嗅覚の脱失ないし低下が認められた。なお、鼻中隔孔ないし瘢痕は一例もなかつた。

(四) 全例に視力低下、視野狭窄がある。

(五) 三例に神経痛様症状、五例の脳波に軽度の異常所見が認められた。

3太田報告(昭和五一年)

<証拠>によれば、岡山大学医学部衛生学教室の太田武夫、柳楽翼らは、昭和四九年一〇月中旬土呂久地区において、住民一〇四名(うち認定患者一九名、なお、当時の認定患者総数四八名。また本件鉱山従業歴者は五八名)の自主検診を行ない、その結果を次のとおり報告している。

(一) 自記式自覚症状調査(回答者七九名)では、全身症状一五項目に関する訴えの頻度は、表4―2の(1)のとおり高率であつた。

これを、昭和四四年になされた宮崎県東臼杵郡西郷村、南郷村、北郷村(土呂久地区と接近しかつ類似地形の山間農村)の住民検診の結果と比較すると、大部分が男女ともに土呂久地区住民の方が統計的有意差をもつて有症率が高く、男女合計でも同表のとおり一二症状において有意に高率であつた。

(二) 医師による一〇四名の問診の結果でも、同表(2)(イ)の各症状は五〇%以上の者に訴えが認められ、同表(2)(ロ)の各症状も三〇%以上の訴え率を示した(証人柳楽によれば、これは健康調査一般の例に対比して、著しい高率であるとのことである。)。

(三) 四肢の知覚検査の結果も、同表(3)のとおり極めて高い有所見率であつた。右の上肢痛覚低下の有所見率は、対照群(高知県中村市の農村ハウス園芸地区調査結果)と比較して有意に高率であつた。

(四) 上肢レイノー症状を示す者が19.2%あり、これは振動工具取扱者における報告に匹敵するものであつた。

(五) 咳、嗄声、痰など呼吸器系症状も高率であり、例えば、咳症状の前記53.8%は無水フタル酸製造職場(強い呼吸器障害を惹起するといわれている。)の労働者の有症率に匹敵するものであつたし、自記式自覚症状調査の呼吸器症状に関する項目(咳・痰、息苦しい、喘鳴)を他の集団で得られた有症率と比較しても極めて高率であつた。

(六) 右のとおり、土呂久地区住民は、全身にわたる多様な健康障害を自覚的、他覚的に有しており、対照群との比較においても、有症率、有所見率とも著しく高率であつた。

その主要な自覚症状及び他覚的所見として、頭痛・頭重、全身倦怠感、眩暈、微熱感、顔色不良、るいそう、身体不安感、不眠等全身症状、眼脂・流涙・結膜充血・視力低下等眼症状、鼻汁、嗄声、咳・痰、喘鳴、動悸、胸苦等の上・下気道および胸部症状、レイノー症状、嘔気、腹痛等消化器症状、腰痛、肩こり、上肢筋肉痛、上肢神経痛、四肢知覚異常、四肢痛、触覚低下等四肢骨格・筋・神経系の症状、皮膚症状等があげられる。

(七) そして、砒素中毒に特有の皮膚所見を有する者が多い点から、砒素中毒の存在することは明らかであるが、このような広範な健康障害の原因を砒素単独によるものとして説明することは決して科学的とは言えない(証人柳楽によれば、右記述は、「その健康障害は全て砒素及び亜硫酸ガス等硫黄酸化物の有害作用で説明が可能であるが、砒素以外の重金属の影響が全くなかつたとするのは科学的には正確でない。」との意味であるとのことであり、同旨の見解が倉恒、堀田各報告にも述べられている。)。

(八) なお鉱山就労歴者と非就労歴者との有症率を比較すると、同表の(4)に示す一六の症状において差が認められた(但し、同表によると、右の大部分は非就労歴者の有症率も相当高いことが認められるし、証人柳楽によれば、他の五二項目の症状においては差が認められなかつたとのことである。)。

又、行政検診受診歴者中の認定患者と非認定患者の有症率を比較すると同表の(5)に示す一一の症状又は六の症状(各年齢階層別に同数化して比較)においてのみ差が認められたが、これらは非認定患者群の有症率も高かつた。

更に又、皮膚症状を有する者とその他の者について、他の症状の有所見率を比較すると、同表の(6)に示す六症状についてのみ、皮膚有所見者が高率であつたが、これらは皮膚無所見者における頻度も決して低くはなかつた。

4堀田報告

<証拠>によれば、堀田らは、先に述べた九一名の土呂久住民の診察調査、砒素中毒の文献的検討等の結果を、要旨次のとおり報告している。尚、報告にある臨床症状の出現頻度を要約すると表4―7の①欄のとおりとなる。

(一) 問診による土呂久地区住民の自覚症状は多彩で、特に表4―3の(1)のとおり、手足のしびれ以下頭痛・頭重まで一一の症状は五〇%以上の高率でみられた。他に、三〇%以上にみられた自覚症状として、同表の易疲労以下一六の症状がある。

(二) 臨床症状も多彩で全身にわたり、その出現頻度は同表(2)のとおりの高率であつた。

(三) これらの多彩な症状群は、大別して、神経症状、粘膜症状、心循環器症状及び皮膚症状に分けられ、その各々につき、土呂久住民に高頻度に、共通してみられる重要な症状は次のとおりである。

そして、これらの症状はいずれも、砒素中毒によつて出現することが歴史的・文献的考察によつて明らかである。

神経系――嗅覚障害、難聴、求心性視野狭窄、視力障害、多発性神経炎、自律神経症状(特にレイノー症状)、中枢神経障害。

粘膜系――結膜炎、角膜炎、鼻炎、副鼻腔炎、咽頭炎、喉頭炎、気管支炎、気管支喘息様症状、胃腸炎、歯の障害。

心・循環器系――心臓障害、高血圧、脳循環障害。

皮膚――色素沈着、色素脱失、異常角化症。

その他――肝障害、腎障害、貧血。

(四) 諸症状の組み合わさつた個々の病像のパターンは多様で、類型化は困難であるが、各病像の前景症状群は、右の神経症状、粘膜症状、心循環器症状、皮膚症状などに代表され、これらの一つ又は複数が核となつて病像の前景をなしている。これら前景症状群により病型(及び全体的症度)を分類すると表4―3の(5)のとおりである。

(五) 九一名の本調査時の健康障害の全体的症度は、重症七名、中等症六五名、軽症一九名であつた。

(六) 各症状の発現時期やその経過は、個々の疫学的条件で多少異なるが、

(1) 個々人の発病から現在までを前・中・後期に大別し症状の発現時期をみると、表4―3の(3)のとおりで、前期には胃腸炎、結膜炎、角膜炎、鼻炎、咽頭炎、候頭炎、気管支炎、皮膚炎(亜砒まけ)などが集中している。皮膚炎及び気道・眼・消化管などの粘膜炎症は初発症状としてみられている者が多い。このことは、砒素中毒の初期症状群としての皮膚粘膜刺激症状の存在を特徴的に浮き彫りにしている。

神経症状、心循環器症状及び皮膚の色素沈着・色素脱失・異常角化などは、大部分が中―後期に出現している。

(2) 数十年の隔りがあつても、各症状の初発と現症の間には、連続性ないし後継性がみられる。

(3) 各症状の発現・経過は、全般に緩徐で、急激な改善・増悪を伴わない。

(4) 各系統別症状群毎に経過をみると、表4―3の(4)のとおりで、初期症状群(皮膚粘膜刺激症状)では、胃腸・眼・鼻の粘膜症状及び皮膚炎などは軽減ないし治癒した者が比較的多いのに反し、呼吸器症状は遷延ないし増悪の経過を示す者が多い。消化器症状の中では、中―後期に肝障害を発現する者が多くみられた。神経症状及び心循環器症状は、大部分が増悪傾向にあつた。

(5) 全体的な経過からみると、増悪八五名、遷延四名軽減二名で、漸次増悪の傾向を示す者が大部分である。

(七) 対象者九一名にみられた主要症状の大部分は、その出現頻度の高さ、各症状の発現とその経過、現病像のパターン及び疫学的事項との関連から判断して、本件鉱山の操業に起因する慢性砒素中毒症状と考えられる。

5中村報告(二)(昭和五一年)

<証拠>によれば、前記中村らは、昭和五〇年までに行政認定を受けた患者四八名(うち本件鉱山従業歴のある者二四名)の臨床症状及び異常検査所見を検討して、その出現状況を表4―7の②欄及び表4―4のとおり報告し、且つ次の旨述べている。

(一) 土呂久地区認定患者には、皮膚症状、呼吸器症状、耳鼻咽喉症状、眼症状並びに神経症状が高率に認められている。

(二) 土呂久地区居住、鉱山勤務歴のある八一歳の女性が、認定前に昭和五一年肺癌で死亡しており、多発性ボーエン病も併発していた。認定患者からも一名の肺癌死亡例があり、今後悪性腫瘍について長期にわたる経過観察が必要である。

6常俊報告(一)(環境庁昭和五三年度委託研究報告)

(一) <証拠>によれば、環境庁の委託を受けた「ヒ素による人体影響についての臨床疫学研究班」の宮崎医科大教授の常俊義三らは、土呂久地区居住歴者一八二名と対照地区(宮崎県西米良村竹原地区及び椎葉村大河内地区。いずれも土呂久地区と生活環境の類似した山間農村)住民四二八名につき、健康調査を実施し、その結果を比較検討して、次のとおり報告している。

(1) 問診による自覚症状の調査結果は表4―5の(1)のとおりで、持続性せき、持続性たん、持続性せき・たんとも、その訴症率は対照地区に比し高率であつた。

なお、喘鳴発作を訴えたものの率も、男女とも土呂久地区(男5.1%、女8.7%)が対照地区(男2.9%、女0.9%)より高値であつた。

(2) 呼吸機能検査(但し検査時に高血圧、心疾患を有する者等検査により障害発生の恐れのある者は除外し、土呂久地区一六六名、対照地区四〇七名について検査)の結果では、

(ⅰ) 呼吸機能障害の頻度は同表の(2)のとおりで、閉塞性障害(呼出障害+混合性障害)の頻度は、男では対照地区が高値(但し差は僅か)、女では土呂久地区が高値であり、拘束性障害については男女とも土呂久地区が高値であつた。右は自覚症状の有訴率の差を充分に説明しうるものではなかつた。

(ⅱ) その他の検査結果では、同表の(3)のとおり、FVC、FEV10は概ね男女とも土呂久地区が低値であつたが、これのみで呼吸機能低下の有無を論じることはできず、他の検査値は殆んど両地区間に有意の差はなかつた。

結局、訴症率の差を裏付ける充分な成績は得られなかつた。

(3) 血圧の測定結果は、同表の(4)、(5)のとおりで、最大血圧・最小血圧の平均値及び高血圧者の頻度とも、土呂久地区が高値であつた。

(二) なお、右報告では、呼吸機能検査の結果は有訴率の高さを裏付けるには充分でないとされているけれども、呼吸機能障害全体の出現状況に明らかな差が示されていることは、堀田報告における同様の検査結果ともども、軽視しえないところと解される(しかも、右調査における検査対象者の限定と(3)の高血圧の頻度を考慮に加えると、一層このことが言える。)。

7常俊報告(二)(環境庁昭和五四年度委託研究報告)

<証拠>によれば、前記「疫学研究班」の常俊義三らは、昭和五五年三月末現在の認定患者一三三名のうち、昭和五一年度から五三年度にかけての三回の宮崎県検診の受診歴のある九二名(うち本件鉱山従業歴のある者は六四名)の検診資料を集約、整理して、各疾患・所見の有症率・有所見率を表4―6のとおり報告している。それを要約すると表4―7の③欄のとおりとなる。

8村山英一らの症例報告(昭和五一年)

<証拠>によれば、国立熊本病院の医師村山英一らは、慢性砒素中毒症と診断された土呂久地区居住歴鉱山従業歴のある一患者に、皮膚症状のほか慢性気管支炎、嗅覚障害、求心性視野狭窄、眼底血管はK・WⅡ群、構音障害、混合性難聴、筋力低下、登はん性起立、共同運動障害、顔面と四肢に末梢性の感覚障害、口のまわりのしびれ感、深部感覚障害、深部反射の減弱と消失が認められた旨報告し、「四肢・躯幹に多発性神経炎の症状が持続し、三叉神経領域にも感覚障害が認められた。」旨述べている。

9大野報告(環境庁昭和五二年度委託研究報告)

<証拠>によれば、環境庁の委託を受けた前記疫学研究班の大野政一らは、七五歳以下の土呂久地区住民(認定患者、認定申請者)五九例及び対照の山附地区二六例の聴力損失の検査値を、その年代における平均損失値と対比して検討し、その結果を次のとおり報告している。

(一) 六五歳までの中毒者の全例が会話領域において、各年代の平均値より聴力損失が大であり、測定条件による聴力損失値を大きめに一五dbと仮定しても、三二例中一七例に聴力損失が認められ、中には高度の難聴例もあり、砒素の影響は充分考慮されねばならない。(内訳でみると、五〇歳以下では測定条件を考慮しても難聴者が多い。五一―五五歳では、中毒者(六例)中一例の聴力損失が極大。五六―六〇歳では、対照群にも聴力損失があるが、中毒者(七例)中四例にはより高度の損失が認められる。六一―六五歳では、中毒者七例中五例、対照群六例中一例に損失が高度で、特に会話領域では中毒者全例が平均値より二〇db以上の損失、対照群は一例のみ。)

(二) 六六歳以上では、対照群にも損失の大きな例が多く個体差による生理的低下を考えると、例え砒素による難聴が存在していたとしても、加齢による損失によりマスクされてしまい、鑑別判断することは困難であることが示されている。従つて砒素の影響は考慮されても、聴力低下の第一の原因としてあげることには問題がある。

10末梢循環障害に関する堀田宣之の報告(以下「堀田第二報告」ともいう。)

<証拠>によれば、堀田宣之は、土呂久地区における末梢循環障害に関し次のとおり報告している。

昭和五〇年から五三年に検診した住民一二〇人にみられるレイノー症候群と循環系障害は表4―8の(1)のとおり高率で、且つその間の関連も高い。

レイノー症候群の経過は、軽快6.45%、改善25.8%、不変45.16%、増悪22.58%で大部分が遷延している。

二まとめ

1以上の各調査、研究によれば、土呂久地区住民(過去居住歴者を含む。)には、行政認定患者は勿論、未認定者においても、本件鉱山従業歴者は勿論、従業歴のない者においても、全身にわたる多彩な健康障害が高頻度に出現していることが明らかであり、各個の症状をとつて他の地区・集団と比較してもより高率に――相当部分は統計的有意差をもつて、他は有意差の確認には至らないまでも――出現していることが認められる。

2そして、このような地域的に特殊な健康状態――集団的な健康の偏り――を説明しうる要因について審案するに、まず第一にその有力な因子として本件鉱山に起因する環境の砒素汚染が挙げられるのに対し、他には何らこれを説明するに足る要因は見当らないといわなければならない。

3すなわち、右環境汚染は、倉恒報告もいうように土呂久地区の特殊性の最たるものであり、このことと、先に認定した汚染と曝露の状況・程度、砒素の毒作用、慢性砒素中毒症の一般的病像・特質とその土呂久地区における多発状況等に鑑みると、前記太田、堀田各報告や証人柳楽、同堀田の各証言にあるとおり、それは、右の集団的な健康の偏りを総体として説明するに足るものということができる。

これに対し、前記県調査をはじめとする各種調査研究によつても、その他本件全証拠を仔細に検討しても、「様々な要因に関連する」(倉恒報告)とか、「一般的に食生活を含めた環境要因に左右される」(常俊報告(一))とかの一般的・抽象的可能性が論じられているだけで、前記集団的健康の偏りを説明しうる具体的な可能性をもつた要因は、何ら提出も示唆もされていないのである。

なお、本件と同じ山元亜砒酸製造による中毒の事例である笹ケ谷事件に関する調査研究報告(甲第一二六ないし一二八号証、証人柳楽の証言)においても、以上と同様、地域住民に多彩な健康障害が出現していることとその有力要因としての環境砒素汚染が指摘されている。

4もつとも、前掲常俊報告等には、本件鉱山における職業性曝露を強調する趣旨の記述があるけれども、前認定のとおり、鉱山非従業者層にも、多数の認定患者、多彩な健康障害が出現しているのであるから、右職業性曝露は、土呂久における集団的な健康状態の特徴を全般的に説明しうる因子とはなりえない(尚、右常俊報告自体もかかる因子として述べているものでないことは、その記載全体から明らかである。)。

また、右同様、常俊報告等には、幾つかの症状・所見につき「高齢者ほど高率である。」旨の記述があり、この点が土呂久地区住民の健康状態に及ぼしている影響の無視しえないことはその余の報告等からも窺えるところであるけれども、右の点は、一部の症状に係る一般的可能性要因にすぎないことが常俊報告自体からもその余の報告からも明らかであるし、又、土呂久地区の健康状態がその年齢構成にかかわりない偏りを示していることも前記各報告から明らかであるから、右の点も土呂久の健康状態の集団的特徴を説明する因子とはなりえない。

5従つて、土呂久地区住民の健康障害については、個々の症状、個々の患者毎に、それぞれの発症要因を検討すべきなのは勿論であるけれども、その前提として、その健康障害状態全般の共通的・特徴的要因としての環境汚染の影響を十分考慮する必要があるものということができる。

三被告の反論について

1被告は、自覚症状の出現頻度の高さについて心理的歪によるものである如く或いは不定愁訴の類であるかの如く主張するけれども、それらはいずれの調査においても高頻度に且つ類似の傾向をもつて出現しており、且つこれに整合するような客観的所見、疾患、既往等も認められているのであるから、単なる心理的歪とか不定愁訴の類でないことは明らかである。

2また前記各調査のいくつかにつき対照群との比較やそれによる有意差が示されていない点を指摘してその結論や意義を否定するかの見解(国立療養所沖繩病院の医師川平稔による「ヒ素中毒症に関する最近の知見とりわけ土呂久地区における症状について」(従来の報告例に基づいて土呂久地区の慢性砒素中毒症の臨床像を検討した論文。以下「川平論文」という。)――前掲乙第二七三、三三二号証)が見られ、被告もこれに依拠した主張をする。しかしながら、対照群との有意差の確認がないということは、その調査に示された個々の事項の出現状況につき、統計学的見地からする、「偶然に生起する可能性は極小であること」の確認がなされていないことを意味するだけで、かかる限界があるにしても、それらの症状が高率に、しかも広範な症状がいずれも高率に出現しているとの調査結果自体は何ら左右されるものではないし、鉱害賠償請求の本件訴訟において、その要件としての原因行為と損害発生との間の法的因果関係を判断するに必要な限度で、これを他の資料等との総合考慮のうえでの積極的一資料に供するについての意義を否定されるものでもない。

3更にまた、倉恒報告や常俊報告等の中には、前記健康状態の偏りと環境汚染との関連性につき消極的な見解が述べられている部分もあり、被告はこれに依拠して関連性は認められない旨主張しているが、それらの各報告等も、その関連性を肯認するに妨げとなる何らかの事情を見出しているというわけではなく、ただ、医学的にこれを確定するには未だ資料・知見が充分でないとしているにすぎないのであるから、前同様訴訟上法的因果関係を認定するに必要な限りにおいて、前説示のとおり解することの妥当性を覆すほどのものではない。

第三章  因果関係(各論)

第一節  本件被害者らの鉱毒(砒素及び亜硫酸ガス)曝露

一第一章で認定したところに検証(第一、二回)の結果及び別紙「個別主張・認定綴Ⅲ、当裁判所の認定」の「認定に供した証拠」欄掲記の各証拠を総合すれば、本件被害者らは、同綴Ⅲの各「1、居住歴」欄記載の期間、土呂久地区内の各記載の場所に居住して、前記のように鉱毒(砒素及び亜硫酸ガス等)で汚染された環境のもとで生活し、同各「2、曝露状況」欄記載のとおり、汚染された大気等に曝され、これを吸入し、且つ、汚染された飲用水、農作物等の摂取を余儀なくされ、もつて、長期間にわたり継続的に、しかも殆んど四六時中、経気道、経口、経皮、複合的に曝露を受けてきたものと認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。

二そして、このような長期継続的・多経的な曝露は、前章第一の三掲記の各中毒例の中にもその他にも、同様の事例の存在を認めるに足る証拠はないものというべく、本件砒素曝露のこの特徴は、各症状との因果関係を検討するにあたつて、十分考慮する必要があるものと解される。

三なお、土呂久地区が砒素の鉱化、鉱床地帯の上にあることは第一章第三節第二、第三認定のとおりであり、従つて本件被害者ら土呂久地区住民が右自然賦存の砒素(硫化物)に曝露、摂取した可能性も想定しえないではないけれども、次の1ないし3に述べる諸点に鑑みれば、右自然賦存の砒素曝露が仮にあつたとしても、それは軽微なものにすぎず、これにより砒素中毒症が発症するほどのものでは到底ないことが認められるから、次節以下で認定する本件被害者らの慢性砒素中毒症罹患と本件砒素曝露(本件鉱山に起因する砒素曝露)との間の相当因果関係を肯認する妨げとなるものではないし、これに基づく損害賠償義務の範囲にも何ら消長をきたさないものというべきである。

1第一章第三節で認定したとおり、鉱化、鉱床地帯の上にあるのは土呂久地区だけでなく周辺の広い地域一帯であるのに、土壌や河川水中の砒素含有量は土呂久地区だけが顕著に高いこと。

2また、右の土呂久以外の鉱化地帯において、慢性砒素中毒症(もしくは土呂久地区と同様な健康状態の偏り)が生じていることを窺せるような資料は何もないこと。

3自然賦存の砒素に起因する被害であるならば、古来継続すべきものと解されるところ、<証拠>によれば、土呂久地区においては、大正後期になつて牛馬の斃死等の被害が論じられるようになつたもので、それ以前には人間の健康被害はもとより牛馬等の被害も論じられた形跡はないこと。

第二節  本件被害者らの症状

別紙「個別主張・認定綴Ⅱ」の各「5、認定に供した証拠」欄掲記の各証拠を総合すれば、本件被害者らにはそれぞれ同綴Ⅲの各「3(A)、症状(発症、経過、現症)」欄記載のとおりの健康障害(現症・自覚症状)があること及び各症状の出現とその経過も同欄記載のとおりであること(但し、発症の時期やその後の経過状況が証拠上不明、不詳なものは概ね記載を省いてある。)が認められ、これに抵触する被告の反論・反証は同綴の各「3(C)、被告の反論について」の欄記載の理由により、右「3(C)」の欄で触れる以外の反論・反証(前掲乙第二七三、三三二号証及び証人川平の証言)については前掲記の各証拠に対比して、いずれも採用しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、右各健康障害のうち、第三節で砒素曝露との因果関係を肯認しえたものを部位・器官別に要約すると表4―13のとおりとなる。

第三節  症状と砒素曝露との因果関係

第一はじめに

上来認定してきたところに、<証拠>を総合すると、本件訴訟上、本件被害者らの右各症状と本件砒素(及び亜硫酸ガス)曝露との間の法的因果関係の存否を判断するには、次のような観点で検討、判断するのが相当であると解される。

一まず、各症状が、医学上、一般に砒素によつて起り得るとされているかどうか、その関連性の有無・程度、砒素中毒症の中で占める位置・比重等を、前掲記その他本件に顕われた諸種の報告及び成書的知見に基づき検討する。それとともに、各症状の土呂久地区住民、認定患者又は本件各被害者らにおける出現頻度を、前記各調査研究及び右第二節で認定した事実に基づき検討する。

一方、本件被害者ら各人につき、前記砒素曝露の状況並びに行政認定の有無及び特徴的な症状(皮膚症状、鼻粘膜症状、多発性神経炎等)や初期粘膜刺激症状群の有無、各症状の併発組み合わせ状況等から、慢性砒素中毒症罹患の有無を判断する。

そのうえで、本件被害者ら各人の症状の種類、併発組み合わせの状況並びに症状発現の時期・経過・形式を検討し、合わせて砒素以外の発症原因を窺せる事情の存否を検討する。

二しかして、前認定の砒素の代謝と作用、砒素中毒の機序と特質、本件砒素曝露の長期継続性・多経性、土呂久地区における集団的な健康の偏りの存在と砒素曝露がその唯一の共通的・有力要因と認められること等の事実関係に鑑みると、本件被害者らに皮膚症状や多発性神経炎(これらは特徴的な症状とされており且つ行政認定要件ともなつている。)等が認められ、慢性砒素中毒症に罹患していると診断される場合には、その砒素曝露は、右以外の身体諸組織・器官にも何らかの障害を与えている蓋然性が高いと考えるのが自然である。

従つて、そのような場合に皮膚症状等以外の砒素によつて起こり得るとされている症状が生じておれば、特段の事情のない限り、その症状の発現には砒素が寄与・加功している蓋然性があるものと認めるのが相当である。

三特に、その症状が、慢性砒素中毒症の中で主症状、重要症状あるいは一般的な症状であるとされていたり、高率ないし多数の出現が報告されたりしている場合や、土呂久地区住民や認定患者の中で高率の出現が確認されているものである場合は、原則的に、両者間の相当因果関係を肯認しうる程度の寄与・加功が存するものと認めるのが相当である。

なお、本件の砒素曝露の態様が多経的であること並びに砒素中毒の特質に鑑みると、右の一般的な出現状況の参酌にあたつては、基本的には、経気道、経口、経皮の曝露経路の如何にかかわりなく、各中毒事例の状況を、本件に援用しうるものとみて差し支えないと解される。

また、個々の症状の初発時期や経過が砒素曝露との整合的な相関性を肯定しうるような場合にも、同様に、原則的に相当因果関係を認めうるものと解するのが相当である。

それ故、右のような各場合には、その症状の全体的経過を砒素の加功なしに充分説明しうる有力な発症原因が確認されるなど、砒素の寄与・加功を肯認するに妨げとなる特段の事情が認められない限り、その症状は砒素曝露と相当因果関係があるものと判断すべきこととなる。

四次に、出現頻度の高さや症状の経過と砒素曝露との相関性を的確に確認しえない場合においても、成書的知見や症例報告の存在と他の症状との併発組み合わせ状況や発現の順序からして砒素の寄与をかなりの程度窺わせ、且つその発症・経過が砒素の寄与と矛盾するようなものでもなく、他に有力な発症原因も見出せない場合は、これもまた、両者間の相当因果関係を肯認して差支えないものと解するのが相当である。

五被告の反論について

1ところで、環境庁昭和五六年検討結果及びその別添資料(島根医科大副学長の石原國らで構成する「慢性ひ素中毒症に関する会合」が、環境庁の依頼により、我が国の環境汚染による慢性砒素中毒症の病像の特徴や診断方法等について検討した結果の報告書及びその基礎となつた資料――前掲甲第二七三号証、証人川平の証言により真正に成立したものと認められる乙第二五九号証)、や前掲倉恒報告、常俊報告、川平論文及び証人川平の証言中には、皮膚症状、鼻粘膜障害、多発性神経炎(及び肺癌)以外の症状につき、それが非特異症状で多様な因子によつても発現しうることを強調して、砒素曝露との関連性につき消極的な見解を述べる部分があり、被告は、これを援用して、その因果関係は認められない旨主張するけれども、右各報告等も、各症状の発現に砒素曝露が寄与・加功している蓋然性を否定する趣旨でも、その関連性を肯認する妨げとなる事情を見出しているというわけでもなく、ただ医学的にはその関連性は未だ「十分には証明されていない」或いは「砒素のみによるものとは証明されていない」と論じているにすぎない。

2しかるところ、訴訟上の因果関係の立証は、自然科学的証明ほどの厳密さが必要なわけではなく、経験則に照らし全証拠を総合検討して高度の蓋然性が肯定されれば足りるのであるし、且つ、因果関係が肯認されるには、唯一の発症原因である必要のないのはもちろん、根本的な或いは最有力な発症原因である必要もなく、他の要因との競合関与によつてであれ、その発症に相当程度寄与・加功しているものと認められれば足りるものと解されるから、鉱害賠償義務の存否を決するにつきその要件たる原因行為と損害発生との間の法的因果関係の存否を判断する限りにおいて、前記一ないし四のとおり解することと、右に述べた各報告等の見解とは、何ら矛盾抵触するものではないと解される。

3そして他の要因の影響に関しては、後に個々の症状、被害者毎に被告の指摘する具体的因子について検討することとし、ここでは、老人性の変化との関りについて、一般的に検討する。

(一) 本件被害者らに高齢者の多いことは原告らの主張自体から明らかである。そして、いわゆる老人性変化(加齢・老化現象)によつても、砒素中毒で生ずるとされる後記各症状の一部(皮膚症状、呼吸機能低下、慢性胃炎、動脈硬化、高血圧、視力・視野障害、難聴、嗅覚障害、末梢神経障害、精神症状等)と同様ないし類似の症状が発現しうること及び土呂久地区住民に見られる症状の幾つかについては高齢者ほど高率に出現している旨の報告があることは、前掲(前章第二節第二)の各報告、<証拠>によつて認めることができる。

(二) しかしながら、前章第一、二節及び本章前節で認定した事実に、右掲記の各報告、各書証、甲第一九七、一九八号証、証人柳楽、同堀田の各証言を総合すれば、(1)老化によつて常に或いは当然に右にいう老人性変化が生じるものでないことは勿論、老人性変化とされるものには加齢による生理的変化だけでなく、他の疾患や因子との競合によって病変が惹起される場合も含まれること、(2)砒素は諸組織の老化を促進させる作用を持つているとされること、(3)前記のとおり、土呂久住民、認定患者の健康の偏り、症状の出現は年齢にかかわりなく或いは老化現象による出現の程度を超えて、認められていること、以上の事実が認められ、また、各症状に関して後述するとおり、(4)砒素中毒による神経症状、皮膚症状、呼吸器症状、心臓循環器障害、肝障害等は、一般に、砒素曝露から相当期間又は長期間経過後に発症ないし増悪することも多いとされていることが認められるのであつて、これらの点に鑑みると、右一ないし四の観点から因果関係につき積極的に解しうる場合には、その個々の障害・症状の具体的内容やその発現・経過の状況、他の症状や他の疾患の併発状況等の中に砒素の寄与に疑問を抱かせる事情が見出されるのでない限り、右老化現象の点は、仮に存するとしても、砒素と競合的に関与しているにすぎず、砒素と各症状との因果関係を覆すに足る事由とはなしえないものというべきである。まして、本件被害者らにおいて若年で発症し、遷延ないし増悪して現在に至つているものと認められる症状(嗅覚障害等)に関しては、右老化現象の点は、症状の増悪に関与していることは考えられても、発症に寄与していることはありえず、到底、砒素起因性の認定に抵触するものとはなりえない。

第二本件被害者らの慢性砒素中毒症罹患

一本件被害者らのうち亡佐藤勝を除く二二名が原告ら主張の頃に慢性砒素中毒症の行政認定を受けたことは当事者間に争いがなく、これに、前章第二節第一の二で認定した行政認定の基準・実情・意義、本章第一、二節で認定した曝露状況と症状並びに証人堀田(第一、二回)同柳楽の各証言及び別紙「個別主張・認定綴Ⅲ」の各「5認定に供した証拠」欄掲記の各証拠を総合して、第一の一で述べた観点から検討すると、右二二名が慢性砒素中毒症に罹患していることは明らかである。

二次に亡佐藤勝は行政認定を受けていない(これは当事者間に争いがない。)けれども、<証拠>によれば、亡勝は、昭和四八年の県健診結果や宮崎県公害健康被害認定審査会の判定会議では認定相当であると結論されたこと(ただその会議前に死亡していたため認定を受けられなかったにすぎないこと)が認められ、この事実に、その他右一掲記と同様の各事実、証拠を総合し、右一同様に検討すると、同人が慢性砒素中毒症に罹患していたことも明らかというべく、これを左右するに足る証拠はない。

三なお、原告佐藤高雄には皮膚症状の現症がないが、このことによつては、慢性砒素中毒症に罹患しているとの右認定が左右されるものでないことは、前章第二節第一の二説示のとおりである。

第三各症状と砒素との関連性

一皮膚症状

1皮膚症状が行政認定の要件の一つになつていること、急性期の皮膚症状、慢性中毒の代表的皮膚症状が色素沈着、白斑(色素脱失)、角化症であることは当事者間に争いがない。

2上来認定のところに、<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、乙第二七三、三三二号証、証人川平の証言もこの認定を左右するには足りず、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

(一) 皮膚については、慢性砒素中毒の症例は極めて普遍的で、成書類でも「標的組織」といわれている。その症状は、砒素によつてしか生じないほどの特異的なものではないが、同様の症状を呈する疾患は少く、砒素中毒症に特徴的な症状ということができる。もつとも、老人性皮膚疾患に類似の症状を呈するものがあるけれども、専門医にとつてはその鑑別は困難でないとされている。

(二)(1) 右皮膚症状(色素沈着、色素脱失、角化症)は、一般に、晩発生であるとともに非可逆的であるのが通例で、徐々に悪化進行し、次第に悪性化する。進行するとボーエン病や皮膚癌(基底細胞癌、有棘細胞癌等)が発症するとされている(なお、色素沈着が早期に消失したとの報告例も少数存在するが、それは中毒の程度、症状の全体が軽微であつた事例と認められる。)。ボーエン病は表皮内癌の一種で癌そのものないしその前駆症であるとされているし、砒素角化症自体すでに前癌状態であるとの見解も相当有力である。

(2) これら皮膚悪性腫瘍と砒素との関連性については、フォーレル水を内服した皮膚病患者二六二名について、曝露と皮膚癌との間の量―反応関係を指摘したFriezの報告、ブラックフット病患者について曝露量と皮膚癌発現との間の関連性を確認したツウェンやイエーらの報告、アルゼンチンのコルドバ地方での砒素含有飲料水による砒素中毒症患者中一二〇例に皮膚癌、ボーエン病を認めたBorda, Telloの報告、ブドウ園従業者事件で多数の皮膚癌、ボーエン病を認めたパイン、ブッツエンガイガー、ロスらの各報告、愛媛県波方町における砒素黒皮症(いわゆる「黒んぼう」事件)の患者二三名中七例にボーエン病(うち二例は有棘細胞癌に移行)を認めた今村貞夫らの報告、砒酸鉛の製造作業者二八名中に三例のボーエン病を認めた浜田稔夫らの報告、その他亜砒酸製錬、砒素農薬散布、砒素医薬品使用等によりボーエン病、皮膚癌を生じた数多くの症例についての内外の諸報告が存在し、IARC(国際癌研究機関)の一九七三年、一九八〇年の各報告でも、「確実な因果関係がある」「皮膚癌の発癌物質であることは十分な証拠がある」とされ、前章第一節掲記その他の成書類、皮膚科関係文献においても、一般に「砒素により皮膚癌の発生することは疫学的に疑問の余地がない」とされている。

(3) 環境庁も、昭和四九年九月二八日、「公害健康被害補償法の施行について」と題する通知で、障害度の評価に関して、各県知事に対し次のように通知している。

「ボーエン病、皮膚癌は皮膚の色素沈着、角化症に続発しておこりうると考えられる……ので、慢性砒素中毒症で認定された患者については、ボーエン病、皮膚癌を慢性砒素中毒によるものとみなして差し支えないとされている。」

(4) 更に、前掲環境庁昭和五六年検討結果でも、慢性砒素中毒の症状として、「ボーエン病や皮膚癌を生じる可能性がある。」とされている。

(5) この砒素による皮膚悪性腫瘍は、その潜伏期が(後に癌一般について述べると同様)一五ないし三〇年と極めて長期であるとされており、現に右の各症例も、極く一部の例外を除き殆んどが長い潜伏期後の発症である。

(6) また、それは内臓癌との合併が多いことも特徴とされている。ボーエン病は表4―9記載の各報告にもあるとおり、内臓癌等を伴う率が高く、それは「系統的な発癌性病変の皮膚表現である」とさえいわれている。右の表にもあるとおり、通例ボーエン病が先行しそれから数年ないし二〇年後に内臓癌の発生をみるといわれている(Grahamら平均8.5年、Peterka,ら六ないし一〇年、上野賢一ら四ないし二〇年、荒田次郎ら平均二五年等)。

(三) 土呂久地区においても、右皮膚症状が多発していることは前記各報告で明らかであり、本件被害者らにおいても、二三名中二二名に出現している。

また、前掲中村報告(二)では、当時の認定患者四八名中四名に組織学的に確認されたボーエン病、一名に基底細胞癌が認められ、その他にボーエン様症状を呈する者七名が認められている。本件被害者らにおいても、前認定のとおり、一名に基底細胞癌(右中村と同一例)、八名にボーエン病、五名にボーエン病様症状、が認められており、そのうち三名に内臓癌の併発が認められている。

3被告の反論について

(一) 老人皮膚疾患に右と類似の症状を呈するものがあることは右掲記の各証拠により認められるけれども、同時に、専門医にとつてその鑑別は困難でないとされていることも認められる。そして、本件被害者ら(但し原告佐藤高雄を除く。)は、専門医による検診を受けたうえで慢性砒素中毒の皮膚症状を認められ、行政認定ないし認定相当の判断を受けていること前認定のとおりであるから、その鑑別に疑問の余地はない。

しかも、前掲甲第二二三号証によれば、右行政認定に際しては土呂久地区における慢性砒素中毒皮膚症状の特徴の具備を相当厳格に要求していることが認められるから尚更である。

(二) またボーエン病や皮膚癌が多因的であることも右掲記の各証拠から認められるけれども、本件の場合は、その前提症状たる色素異常や角化が砒素によることは右のとおり明らかであるうえ、他にボーエン病や皮膚癌の発症要因となつた刺激物等の具体的指摘は何ら存しない。

(三) 砒素の発癌性につき動物実験及び突然変異原性試験においては証拠が十分でないとされていることは前記のとおりであり、これは皮膚癌についても変りがないけれども、前掲乙第二七七、二七八号証にもあるとおり、大部分の動物実験は実験期間、生存率、曝露レベル等に欠陥があつて適切ではないとされており、このことに前説示のとおり砒素による癌の潜伏期間は極めて長いとされていることを合わせ考えると、右動物実験等の状況をもつてしては、砒素が皮膚癌の発症に寄与・加功するものであることを覆すには足りないものというべきであるし、被告主張の一九八一年の米国砒素シンポジウム(前掲乙第三二〇、三二四号証)においても、癌原性物質そのものであるか単なる助癌原性物質ないし癌促進物質にすぎないかは見解が分かれたけれども、それが癌(ことに皮膚癌、肺癌)の発生に寄与すること自体は否定されていないものと認められる(これに反する証人山内の証言は採用しがたい。)。

二呼吸器症状

1砒素が呼吸器障害と結びつく可能性が肯定されていること、現行の行政認定基準で慢性気管支炎の症状が総合検討のうえで判断すべき項目となつていることは当事者間に争いがない。

2右争いなき事実及び上来認定のところに、<証拠>を総合すれば次の事実が認められる。

(一) 慢性砒素中毒が慢性呼吸器障害をもたらすことは、レーンスチェール事件における呼吸器障害(鼻、喉頭、気管支炎、肺気腫)の多発、気道全体の粘膜の慢性的変化の確認(ルンドグレンら)、アントファガスタ事件における皮膚有所見者での持続性咳の訴え、呼吸器系疾病の既往歴の高頻度な出現、児童における気管支拡張症の多発、五例の児童の剖検における二例の肺線維症の確認(ヴォルゴノ、ローゼンベルク、Zaldivar)、ブドウ園従業者事件における慢性気管支炎等の多発(パイン、ロスら他)新潟井戸水事件における呼吸器自覚症状の多発(寺田ら他)旧松尾鉱山事件や廃棄毒ガス事件等における呼吸器症状の多発等、曝露経路の如何を問わない内外多数の報告例によつても、また、前掲その他の成書類において普遍的に記述されているところからも明らかである。

(二) そして、多数の報告者らにより、「慢性の粘膜カタルは慢性砒素中毒の典型症状で、特に呼吸器に頻繁に現われ、慢性気管支炎の多くが肺気腫に進展する。」「気管支粘膜障害は慢性砒素中毒の最も重要な症状であり、患者の健康状態、予後を決定的に支配する。」「慢性気管支炎を有する者は気管支周囲炎、気管支拡張症、肺炎、肺気腫、気管支喘息様症状、胸膜炎等を併発することも多い。」等と論じられている。前記環境庁昭和五六年検討結果の別添資料でも(大気汚染事例では)「上気道系を中心とした刺激症状や炎症症状、気管・気管支炎の反覆、反覆性気管支肺炎及び気管支拡張症などを併発することがあり、慢性閉塞性肺疾患へ進展することもありうる。」とされている。

(三) また、レーンスチェール事件や旧松尾鉱山事件等職業性経気道曝露の事例では、共存する硫黄酸化物(亜硫酸ガス等)の影響も軽視しえない旨指摘されている。

(四) 土呂久地区においても、慢性気管支炎(の症状)等の呼吸器障害が高頻度に出現していることは、前記太田、堀田、中村、常俊の各報告により明らかであるし、右掲記の環境庁検討結果資料でも、これに基づき「慢性気管支炎に該当する呼吸器症状の多発が懸念される」と述べているところである。

また、本件被害者らにおいても、一五名に慢性呼吸器障害が認められている。

(五) そして、右掲記の各報告等を踏まえて、右掲記の環境庁検討結果でも、慢性砒素中毒症の一症状として「慢性気管支炎の症状を呈することがある」とされ、これが行政認定の要件に準ずるものとされるとともに、障害度の評価においても「その原因を総合的に検討した上で……これ……に基づく障害をも含めて評価」して差し支えないとされるに至つた。

(六) また、一部の者に肺結核、じん肺症が指摘されている(前記堀田、中村、常俊各報告及び本章第二節)ほかには、土呂久地区における多発を説明するものとしても、個々の被害者の発症原因としても、砒素以外の具体的因子の指摘はなく、右結核、じん肺症も、土呂久地区における呼吸器障害の多発を説明するに足りるものとは認められない(なお後記のとおり、個々の被害者の症状(経過、現症)のすべてを説明しうるものとも認めがたい。)。

<編注、3ナシ>

4被告の反論について

(一) 被告は、呼吸機能検査の結果を論ずるところ、なるほど、常俊報告(一)においては右検査結果は咳、痰の有訴率を裏付けるに充分でないとされていること前記のとおりであるし、本件被害者中に右検査結果が正常範囲にあるとされている者のあることも後記のとおりであるけれども、証人堀田の証言によれば、慢性気管支炎等の呼吸器障害は常に右検査の結果に数値的に表現されるものではないのであり、現に、呼吸器障害の存在が確認されながら機能検査結果は正常範囲であつた事例の存することは、本件の亡鶴野クミ、同秀男に関する県健診の精密検査結果(甲第一二、一三、一三〇号証、乙第一〇九号証)からも明らかであるから、呼吸機能検査結果の如何をもつては呼吸器障害が存在することの認定を左右するには至らない。

また、その機能障害の型が拘束性であるからといつて、それだけで、砒素に起因するとの認定の妨げとなるものではない(証人堀田の証言。証人川平も認めるところである。)。

(二) 次に、被告は、亜砒焼き当時に気道系粘膜等に器質的病変が生じ且つこれが現在まで存続していることを確認しなければ砒素曝露による呼吸器障害とはなしえない旨主張し、証人川平(第一回)もルンドグレンの報告(甲第一三九号証)を援用して右に沿う証言をするけれども、右報告中には、砒素性の呼吸器障害に被告主張の如き器質的病変が常に伴つていると認めるに足る記載も、まして機序としてこれが必須であるとする記載も何ら存せず、その他本件全証拠によつても、被告主張のように解すべき根拠は認められない。

三眼、鼻、口の粘膜障害

1眼粘膜

(一) 上来認定のところに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 慢性砒素中毒が曝露経路の如何を問わず、結膜炎、角膜炎等の眼粘膜障害をきたすことは、成書類においても内外多数の報告においても、一般に認められている。また、角膜障害により視力低下をきたす症例報告、成書記載もある(後記七2参照)。

(2) 土呂久地区においても高頻度に出現していることは、前記倉恒、太田、堀田、中村、常俊各報告により明らかであるし、本件被害者らにも五名にこれが認められている(但し、他に因果関係を認めがたい結膜炎が三名ある)。

(二) 被告の反論について

被告は、亜砒焼き当時に不可逆的な器質的病変が発生し現在まで存続していると確認されなければ、砒素性の障害とはなしえない旨主張するけれども、乙第二七三、三三二号証や証人川平の証言をもつて右主張の如く断ずるには足りず、他に被告主張を裏付けるに足る証拠もない。また、本件被害者の一部につき後記のとおりトラコーマが指摘されている以外は、他の発症要因を具体的に示す資料もない。

2鼻粘膜

(一) 鼻粘膜瘢痕又は鼻中隔穿孔が行政認定の基準に採用されていることは当事者間に争いがない。

(二) 右争いなき事実及び上来認定のところに<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 慢性砒素中毒が、曝露経路の如何を問わず、しばしば慢性鼻炎等の鼻粘膜障害をきたすことは、多数報告例もあり、成書類においても一般に認められ、主症状の一つとも言われているところである。

(2) 職業性の経気道濃厚曝露の事例においては、鼻中隔穿孔例がかなり報じられているが、右以外の場合には、これの報告例はない。

(3) レーンスチェール事件や旧松尾鉱山事件等では、共存する硫黄酸化物の影響も指摘されていること二項と同様である。

(4) 土呂久地区においても、慢性鼻炎や鼻粘膜萎縮等が高率に出現していることは前記太田、堀田、中村、常俊各報告により明らかであり、本件被害者らにも九名に鼻粘膜障害が認められている。

(5) また、鼻粘膜の障害がしばしば(慢性)副鼻腔炎を生じさせることは一般に知られている。銅製錬所の亜砒酸製造現場作業者の慢性砒素中毒患者に関する大井田修の報告や、旧松尾鉱山事件等においても相当数の症例が報じられている。土呂久地区においてもこれが多発していることは前記堀田、常俊各報告で明らかであるし、本件被害者らにも四名に認められている。

(三) 被告の反論について

(1) 不可逆的な器質的病変の確認を要するとの被告主張の採りえないことは、右1と同様である。

(2) 鼻炎、副鼻腔炎が一般的には多因性であることは、証人堀田、同川平の証言から認められるけれども、土呂久地区における多発を説明するものとしても、個々の被害者の発症原因としても、砒素以外には何ら具体的因子は指摘されていない。本件各被害者については後記初発の時期、状況及び経過に鑑みても、慢性鼻炎ともども、砒素の寄与を肯認するのが相当であるし、単なる老人性のものではないことも明らかである。

3口腔粘膜(歯の障害)

(一) 上来及び後記五認定のところに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 砒素が粘膜を全般的に障害し、慢性粘膜カタルが慢性砒素中毒の典型症状であることは、成書類においても内外の報告においても広く認められており、その部位としても、眼粘膜、鼻粘膜、気管支、消化管と並んで、口腔に続く咽頭、喉頭が普遍的に掲げられている。

(2) 口腔粘膜や歯の障害自体についての成書・概説書類における記述としては、次のようなものが見られる。

(ⅰ) 「今後の重要公害汚染物質三〇種」(海外技術資料研究所)では、砒素中毒の慢性症状として「歯ぐきの粘膜の炎症、歯ぐきの痛み」が挙げられている。

(ⅱ) 「本邦二於ケル工業的金属中毒(鯉沼茆吉)には、局所作用として、「亜砒酸の粉塵は……鼻孔、口腔、咽喉頭、結膜等の粘膜にカタル症状を発す」旨述べられている。

(ⅲ) 「環境保健レポート」(昭和四七年三月)では、慢性中毒の症状として口内炎、流涎が挙げられている。

(ⅳ) 永井らは、森永砒素ミルク事件に関する報告中で、「口内炎をみるという記載がある」として文献(Mayer)を引用している。

(ⅴ) 堀田らは、「砒素により粘膜が侵襲され、結膜、角膜、口腔、鼻腔、咽頭、喉頭、気管支及び消化管などの炎症をきたすことはよく知られている」として諸種の文献を引用し、更に、ブッツエンガイガーを引用して「歯齦炎、歯周炎、歯列の消滅など」を砒素による口腔粘膜障害の一つとして挙げている(堀田報告)。

(3) 次に症例の報告等を見ると、次のとおりである。

(ⅰ) フローン(Frohn)は、ブドウ園従業者事件の中毒患者二三例中一九例に強度の歯牙欠損を認めるとともに、「歯は共通して非常に悪い状態にあつた。数年来義歯使用の三〇才代の三例には、著明な歯肉炎や強度のカリエスがあつた」旨報告している。

(ⅱ) キール(Kyle)の報告(後記九項参照)中には、口腔粘膜の色素沈着例が見られ、クレッツアーの報告(後記八項参照)の症例では、「舌は被膜でおおわれ、口峡部は慢性的に充血している」と報じられ、ブッツエンガイガーは、口腔と舌の粘膜の著明な色素沈着の症例を報じ、砒素ビール事件でレイノルズは、「数例では歯ぐきは赤く柔かになつていた。初期の舌は典型的な薄い白銀色の被覆物でおおわれ、その後のひどい段階では褐色で、湿つていた」と報じている。

(4) 森永砒素ミルク事件においては、

(ⅰ) 川津らは、一五年目の四七名の検診で、二例に全身の色素沈着とともに歯齦部のびまん性色素沈着を認め、発生当時に死亡患児四例を剖検した小田らは、二例に舌(及び食道)粘膜上皮の増殖を認め、一六年後の死亡患児を剖検した岡野らは、特記すべき所見として口腔内に全歯牙の挫滅破損が目立つと報告している。

(ⅱ) 永井らは、患児一三四名を診療して、次のとおり報告している。

(イ) 歯齦粘膜の着色をみたものが、八例(歯齦縁から歯齦中央にかけて僅かに褐色の色調をおびたもの三例と歯齦が少し黄色調をおびたもの五例)あつたが、砒素中毒に特有なものか否かは不明である。

(ロ) 門歯の変化をみたもの(僅かに黒色の縁をみたもの)が三例あつたが、砒素によるかどうか疑わしい。

(ハ) 二例に口内炎をみたが、通常ありうる程度の頻度でしかない。

(ⅲ) 大平らは、一五年後の一〇三名の集団検診の結果、次のとおり報告している。

(イ) 異常歯質の出現率が他ミルク群、母乳群より有意に高率で、砒素ミルクにより歯質の形成に障害を受けたと考えられる。

(ロ) 歯牙及び歯周組織におけるレ線異常所見出現率は他群より高値であつたが、有意差は認められなかつた。

(ハ) 歯肉炎罹患者のみについてみると、砒素ミルク群のPDR(罹患歯数率)は有意に高率で、歯肉に炎症がみられるとその拡がりは他群に比べてより広範囲であるといえるが、罹患者率及び全被検者におけるPDRには有意差がなく、砒素ミルクが歯肉炎の誘因となつたかどうかは言及できない。

(ニ) 歯牙のう蝕所見では、DMF率が母乳群より有意に高率であつたが、他ミルク群とは有意差がなく、砒素ミルクが歯牙のう蝕に対して悪影響を及ぼしたかどうかは言及し難い。

(5) 本件に顕われた文献、報告の限りでは、右(2)ないし(4)に記載した以外には、慢性砒素中毒により口腔粘膜、歯の障害が生じると記述する成書類も、それが生じたものと積極的に確認しうるような症例報告も見当らないが、他方、その障害の発生の有無に留意して検討したうえで、これを消極的に記述するものも見当らない。

(6) 次いで、土呂久地区に関しては、

(ⅰ) 堀田報告では、次のとおり報じ、歯の障害が著しい旨述べている。

九一名の調査で、自覚的には歯痛(一三%)、歯が抜ける(二四%)、歯がポロポロ欠ける(一一%)、等の訴えがみられた。歯の障害は七一名(七八%)にみられた。総義歯二九名(三二%)で、その年齢別内訳は表4―3の(7)のとおりである。残存永久歯が五本以下が八名、六―一〇本が八名、一一―一五本が六名などである。概して女性が歯の状態が悪い。総義歯の者では比較的若い年代に総義歯をした者が多い。

(ⅱ) 県調査における過去の受療状況調査では、「その他の消化器系の疾患(口内炎、舌炎等)」の罹患率は対照地区に比べて有意に高いとされ、「歯及びその支持組織の疾患」についても、有意差は認められていないものの、より高率であつた。

(ⅲ) 右(ⅰ)、(ⅱ)以外には口腔粘膜、歯の障害に着目した調査、研究は見当らない。

(7) 本件被害者らのうち、前節(個別認定綴3(A))において歯の障害を認定した六名の者は、いずれも、本件砒素曝露当時ないし直後の頃に、歯齦出血などを伴いつゝ歯が抜ける等の障害が発現し、それが遷延、増悪して若年のうちに総義歯に近い状態となつている。同人らは又、右と併行して、他の粘膜(眼、鼻、呼吸器、消化管粘膜)の障害も発現している。

(二) 右認定のところによれば、慢性砒素中毒により口腔粘膜障害及びこれに起因する歯の障害がもたらされるとする成書的記述、症状報告は、普遍的、多数とはいえないものの相当数存し、逆にこれを否定的に解すべき根拠となりうるような文献、報告はないものということができるし、土呂久地区における出現状況も本件被害者ら六名における症状の初発時期、経過、他の症状の併発状況も砒素曝露との整合的な相関性を示しているものと解されるから、他に有力な発症原因があるなど砒素の寄与を肯認する妨げとなる個別事情の認められない限り、右六名の歯の障害は本件砒素曝露と相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

(三) 被告の反論について

証人川平の証言によれば、歯が痛む、抜ける等の現象はどこにでも相当数見られ、虫歯や歯槽膿漏によるのが一般的であること及び口腔粘膜のうちで歯齦粘膜だけが砒素によつて選択的に侵されることは通常ありえないと解されることが認められるけれども、土呂久地区住民や右六名の被害者の過去の口腔粘膜障害の状況を具体的に確認しうるに足る証拠はないものの、それが歯齦粘膜に限定されていたと認むべき事情はないし、(一)の(6)(7)認定の事実に対比すると、虫歯等の一般的出現状況をもつてしては、砒素の寄与肯定の認定を覆すには足りない。

四心臓・循環器障害

1上来認定のところに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、乙第二七三、三三二号証及び証人川平の証言中これに抵触する部分は採用できない。

(一) 砒素は、古来「血管毒」ともいわれ、血管系に障害を及ぼすことが指摘されてきた。前掲その他の成書類においても一般に、慢性砒素中毒は末梢循環障害、末梢血管の内膜炎、壊疸、心電図異常、心筋障害等の心臓循環器障害をきたすと記述されている。

(二) 慢性砒素中毒により心臓循環障害をきたした症例の報告としては、次のようなものがあり、内外相当数に及んでいる。

ブドウ園従業者事件に関するブッツェンガイガー、ハジョロフ、ロス等の報告。

(ⅰ) 多数の末梢循環障害の症例が報告され、手足の頑固な冷覚、皮膚の大理石紋理、蒼白化、肢端チアノーゼのような軽度の症状から重症の四肢壊疸に至るまでの全ての推移が見出された。

例えば、中毒患者一八〇名中一五例に末梢循境障害が確認され、うち六例は四肢壊疸に至つており、別の二七例に症状や既往症から循環障害が推定された(ブッツエンガイガー)。

(ⅱ) この循環障害の基本は血管の変化にあると解され、その末梢血管変化として動脈内膜炎性変化と動脈硬化性変化とが指摘された。

これが砒素に起因することは、発生の頻度、曝露との密接な時間的関係、中毒の回復後には一般に再発がないこと、他の発症要因(老化、ニコチン、アルコール等)が否定されること等から、疑いの余地がないとされている(ブッツエンガイガー)が、素質的要因の関与の可能性を論ずる者もある(ロス)。急性中毒での出現例が稀であること等からして、それは極めて慢性的な毒作用によるものと考えられており、実際、砒素曝露開始から壊疸の発生に至るまで、しばしば一〇年から一五年が経過していたとされている。

(ⅲ) 心電図異常、心筋障害の多発も報告されている。例えば、患者二一六名中五五例に心電図異常が認められ、うち三六例は心筋障害が重症であつた(ブッツエンガイガー)。

この心電図異常は、しばしば軽快したが、重症例等では修復はまれであつた。

ブラックフット病に関するイェー、ツェン等の各報告。

(ⅰ) ブラックフット病は、台湾西南海岸部に多発している四肢に壊疸をもたらす末梢血管障害(一種の末梢動脈閉塞症)である。その発症地域(汚染地区)の全住民四万人余の調査等の結果、ブラックフット病の有病率、症度は、井戸水の砒素含有量、使用期間と相関関係があり、皮膚症状及び皮膚癌との結びつきも極めて強く、それは慢性砒素中毒症の本体の一部であると結論される。なお、その有病率は加齢に伴い確実に増加している。

(ⅱ) それは、四肢の知覚鈍麻、寒冷、蒼白、チアノーゼ等から、一般に徐々に進行する慢性的経過をたどり、遂には四肢の潰瘍、壊疸を生ずる。

患者の死体三例と切断四肢六三点の病理学検査等の結果、ブラックフット病は組織病理学的には、閉塞性動脈硬化症群と閉塞性血栓血管炎群に分けられるが、共通の基本的変化は強度の動脈硬化であり、その六九%が動脈硬化性壊疸に至る。その動脈硬化性変化は、末梢動脈に限定されず、殆んど全ての内臓に全身的に認められる。

(ⅲ) 右(ⅰ)の調査の結果では、患者の死因は表4―11のとおりで、心循環障害は四一%(その内訳、心臓血管病15.7%、壊疸13.3%、脳血管病一二%)であり、当該地域全人口での心循環障害18.7%と比較しても、台湾全人口の心臓血管病の比率(8.1%)と比較しても、著しく高率であつた。

(ⅳ) また、汚染地区内居住後他へ転出した一〇名に、転出から一ないし二四年(平均9.7年)で本症の出現が認められた事例等から、砒素井戸水を一定年限飲用すると飲用停止後相当年月を経てなお発症しうるものであることが証明された。

アントファガスタ事件に関するローゼンベルク、ヴォルゴノ、Zaldivarらの各報告。

(ⅰ) 慢性砒素中毒患者(児童)五例の剖検所見として、全身、特に心・胃腸管・肝・膵・皮膚・腎の中小動脈内膜に線維性肥厚による著明な閉塞性変化が認められ、これらの内臓が頻繁に障害されており、また、二例に心筋梗塞が認められた。同様に患者一〇例の剖検の結果、九例に動脈内膜の線維性肥厚及び左冠動脈内腔の狭窄が認められ、七例は心肥大を起こしていた。

(ⅱ) 非患者群との比較調査の結果、アントファガスタ市の中毒患者(皮膚有所見者)においては、閉塞性動脈疾患、心筋梗塞、心肥大、動脈性高血圧の出現率がいずれも有意に高率であった。

(ⅲ) これらは、長期間継続的に砒素に曝露されたときに、特に小児及び若年成人に現われるもので、気管支炎・肺(気管支拡張症、気管支肺炎等)及び消化器(肝硬変、慢性下痢等)の病変を伴い、根本的な死因は全身的な閉塞性動脈疾患―中小動脈内膜の線維性肥厚とそれに伴う内腔の閉塞からなる進行性の全身的病的状態―であるとされている。

(ⅳ) また、患者の一九―三〇%にレイノー症候群が認められ、乳幼児に著明であつた。なお、特に小児において、栄養欠乏との相互作用が、気管支・肺の症状の出現率を高める作用をしたと考えられている。

右各事例以前にも、

(ⅰ) ガイヤーは、ドイツのライヘンシュタイン地方における砒素汚染飲料水による中毒患者に四肢の壊疽が頻発している旨報告し、

(ⅱ) チンニーは、結果的に切断するに至つた四肢の疼痛性潰瘍患者を、砒素飲料水による慢性砒素中毒に起因すると論じ、

(ⅲ) オッペンハイムは、下肢の進行性壊疽性変化を伴つた慢性砒素中毒患者を観察し、

(ⅳ) クレンは動脈硬化性壊疽に類似の足趾壊疽を伴つた砒素性皮膚炎の一症例を報告し、

(ⅴ) クレッツァーは一四年間砒素殺虫剤を使用した慢性中毒患者に、指趾に苦痛を伴う重篤なレイノー症状(ないし壊疽性変化)の出現した例を報告し、

(ⅵ) 砒素ビール事件につきレイノルズは、患者の大部分に何らかの心不全があり、重症例では心筋は大きな障害を示し、死の主因も心不全であつた旨報告している。)但し、この事件については、セレンの関与を重視する見解もある――証人川平、乙第二三六、二四六号証の一、二、第二七三、三三二号証等。)。

また、

(ⅰ) 廃棄毒ガス事件では、砒素曝露から離れて後に晩期障害として、循環器に多様な障害が出現し、最も目立つたのは肢端チアノーゼ、蟻走感、無感覚感等の末梢循環障害であり、心電図異常も多数の患者に認められている(リネヴェー)。

(ⅱ) オレブロの銅製錬所の事例では、心臓血管疾患による死亡率が通常の二倍であることが確認されている(Axelson)。

本邦でも、森永砒素ミルク事件において

(ⅰ) 小田琢三らは、死亡患者四例を剖検し、その結果を、前記岡山県報告で次のとおり報じている。

主要病変は、慢性砒素中毒に基因する全循環系の障碍、例えば諸臓器の充血またはうつ血、散在性点状出血、血管壁における血漿漏出或いは水腫並びに変性、組織内及び体腔内における水腫、更に諸臓器における種々の退行性変化などである。就中、肝・胆のう・心・皮膚などに最も高度に、脾・リンパ腺・脳・消化管・骨髄・内分泌諸臓器などに中等度ないし軽度に変化が認められた。

この心臓及び血管の障害を包括した全循環系の障碍が直接死因に重要な役割を演じたと考えられる。

(ⅱ) 浜本らは、入院中毒患児の、多数例に心電図異常を認め、「心筋障害によるものと思われ、剖検心組織像に強度の水泡性変性の認められていることと一致する。」旨報じ、更に、永井秀夫らも、患児一〇五例の一部に三ケ月以内に正常化した心電図異常を認め可逆的な心筋障碍を起したものと考えられるとしている。

また、

(ⅰ) 砒素醤油事件では、二〇例中一六例に軽度の心電図異常を認め、中毒症状の回復後にほぼ正常化したと報告され(永田ら)、

(ⅱ) 新潟井戸水事件では、中毒症状の顕著な一四例の大半に心電図異常が認められ、心筋に異常をきたしたと解されている(寺田ら)。

(三) 実験的砒素中毒では、血管病変として、動脈内膜のリポイド沈着、内皮の腫脹と増殖、血管壁の肥厚と硝子質化、大静脈及び心内膜の血栓症などがみられた(Petri)。

また、動物実験で猫に心電図異常が認められたと報告されている。

(四) 堀田宣之は、堀田第二報告において、右各報告等に基づき、次のとおり述べている。

(1) 各国の慢性砒素中毒による末梢循環障害の主な事例は表4―8の(2)のとおりである。高度の末梢循環障害(壊疽)は経口汚染による長期慢性中毒に多いが、その発生率自体はさほど高くない。一方、壊疽に至らぬ程度の障害の発現率はかなり高い。

(2) 病理学は慢性砒素中毒が全身の諸臓器に動脈硬化性変化を起すことを明らかにした。これは、臨床面では、主に脳血管障害、心臓障害、四肢末梢循環障害でしか捉えられてこなかつたが、ローゼンベルクの剖検例にあるように、消化器その他全身の諸臓器の障害を慢性動脈閑塞による二次性障害としても捉える必要があり、今後血管病変は慢性砒素中毒の基本的障害の一つとして追究することが要請される。

(五)(1) 土呂久地区においても、前記のとおり、太田、堀田、堀田第二、中村(二)、常俊(一)、(二)の各報告で、高血圧、心臓障害、心雑音、心電図異常、レイノー症状、網膜血管硬化等が高率に出現している旨報告されている。殊に、高血圧に関しては、対照群との比較で有意に高率な出現が認められているところ、その高率な発症の要因としては、砒素以外の具体的因子の指摘は何ら存しない。

(2) また、昭和五六年末までに死亡した認定患者二二名のうち八名が心臓循環器障害(脳血管障害二、心不全六)が死因となつている(以上のうち、死亡総員中九名、心循環死亡中四名が本件被害者である。)。

本件被害者全体を見ると、二一名に心臓循環器障害が認められており、全死亡者一二名中、六名が心臓循環器障害(脳血管障害三、心不全三)で死亡している。但し、以上のうち、本件被害者中一名の心不全死亡(佐藤アヤ)は、後記のとおり腎盂炎に起因した心不全とされており、本件砒素曝露との因果関係を認めるのは困難である。

(六) 本件被害者亡松村敏安の解剖所見では、全身の動脈系の著しい硬化病変が認められ、右掲記イエーらの病理所見等と類似している。

(七) また、行政認定の関係でも、脳血管障害に起因する脳血栓で死亡した亡松村敏安及び慢性心不全で死亡した亡佐保仁市につき、その死亡が砒素に起因するものと認められて、公健法二九条に基づく遺族補償の支給決定がなされている。

2被告の反論について

(一) 心電図異常が時の経過と共に改善した報告もあることは右認定のとおりであるが、かかる改善症例は、中毒の程度、その全体的症度自体が軽度であつた例に限られることが、右認定のところから明らかである。従つて、砒素の心循環障害は一過性であるとの被告主張は採用できない。

また、心循環障害に持続的な障害・異常が存在しても、それがすべて心電図その他の検査に現われるわけではないことは、証人川平も認めるところであるから、かかる検査等による器質的変化の確認がないからといつて、心循環障害の存在の認定が覆されるものではない。

(二) アントファガスタ事件では、栄養不良の関与が論じられ、ブドウ園従業者事件ではアルコールや素質的要因の影響が論じられている(右認定、乙第二七三、三三二号証及び証人川平)が、いずれも砒素が主要な原因たることを左右するほどのものではないことが各報告で認められているし、特殊地域的と目すべきほどの因子でもなく、それ以外には発症関与要因の具体的指摘はない。ブラックフット病についても、風土病との表現が当該報告の中でも使用されているが、これも砒素が主因であることは確定されており、且つ他の発症要因についての具体的指摘は何ら存しない。

右に述べた点に、右の如く数地域で、更には前認定のとおりその他各地でも同様の症状が出現していることを合わせ考えると、右各事件に示された心循環器障害が慢性砒素中毒で一般的に現われうる主要症状の一たることを否定すべき根拠はなく、被告の主張は採用できない。

(三) また、被告は、本件被害者らの心循環器症状につき、高血圧に由来するものとして説明できるから砒素との関連性はないとも主張するけれども、右1認定のところ及び証人柳楽、同堀田の証言によれば、砒素による血管障害(動脈硬化性変化)は高血圧をもたらすものであることが認められ(これは証人川平も肯定するところである。)このことに、右(一)、(二)で述べたところ及び土呂久地区における高血圧、心循環障害の頻度の高さその他右1認定の事実関係並びに本節第一の五項で述べたところを合わせ考えると、本件被害者らに高血圧があり、それによりその心循環系の症状が説明しうるとしても、更にはその高血圧に老化現象その他の要因も考えられるとしても、そのことのみをもつては、本件被害者らの心循環症状に砒素が寄与していることは覆されないものと認めるのが相当である。

(四)  更に、右1認定の各報告及び前記堀田報告に示されている心循環器障害の遅発性・進行性に鑑みると、本件被害者の発症ないし症状自覚の時期が亜砒焼き終了後であるとしても、それをもつては、砒素関連性を覆すことはできない。

(五) そして、右に述べた老化現象以外には、土呂久地区における心循環器障害の多発を説明しうるような要因の具体的指摘は何ら存しない。

五胃腸障害

1上来認定のところに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 慢性砒素中毒が胃腸障害(下痢、便秘、嘔吐、腹痛、食欲不振等の胃腸症状)をしばしばきたすことも、前掲その他成書等において一般的に認められており、内外の報告例も相当多数にのぼつている。

(二)(1) 堀田宣之は、前記アントファガスタ事件における剖検所見等(四1参照)の最近の知見に基づき、次のとおり述べている。

従来、砒素中毒の消化器症状は、消化管粘膜の刺激症状と考えられてきたが、慢性中毒では、消化器系中・小動脈の閑塞、慢性動脈閑塞による二次性障害として捉えることも必要である(堀田第二報告)。

(2) また、前掲環境庁検討結果資料では、次のとおり述べられている。

これら(消化器)症状は、消化管粘膜に対する直接的な刺激作用や、消化管領域における循環障害作用及び自律神経障害作用など、三つの因子が複雑に重なりあつて出現するが、過去の曝露から長期間を経ている場合は、自律神経系の障害が前景に出ることになる。

(三)(1) 土呂久地区においても、これが高率に出現していることは、前記太田、堀田、中村、常俊各報告により明らかである。

(2) なお、堀田報告では、土呂久地区住民の胃腸症状の発現・経過につき、次のとおり報じられている。

胃腹部痛、嘔気、下痢などの慢性的持続をみる者には、子供の頃又は鉱山従業開始の頃から腹痛・下痢がおこつてきたという者が多く、その長い経過をみると、急性期の激しい腹痛・下痢の持続する段階を何度か繰り返し遷延しながら、腹痛、下痢が軽減してくると次第に慢性的便秘へ移行している者が多い。調査住民九一名中、現在何らかの消化器障害を有する者は六九名で、うち鉱山操業停止の昭和三七年以前から障害が見られた者は五八名で、そのうち現病歴、現症から慢性胃腸炎と診断される者は四三名である。

(3) 本件被害者らにも一五名に胃腸障害が認められ、いずれも右堀田報告で述べられているような発症と継続的経過をたどつている。

2被告の反論について

(一) 内外の報告例や右記載の慢性胃腸障害の機序に鑑みると、砒素曝露の停止とともに胃腸症状が常に改善するとは、到底認めがたい。

また、持続的な胃腸障害のすべてが消化管透視等の検査によつて器質的変化を確認しうるものではないことは乙第二八一号証の二、証人堀田の証言により明らかで(証人川平も結局同旨。)、このことに、右記載の慢性胃腸障害の機序に照らすと、胃腸粘膜の器質的変化が確認されなければ砒素性の慢性胃腸障害の存在を肯定しえない旨の被告主張も採用しがたい。(乙第二七三、三三二号証、証人川平の証言中被告の右各主張に沿うかの部分は、右に述べたところに照らし採用できない。)

(二) そして、砒素曝露以外には、土呂久地区における慢性胃腸障害の多発を説明しうるような要因の具体的指摘は何もない。

六肝障害

1上来認定のところに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、乙第二七三、三三二号証及び証人川平の証言中これに抵触する部分は採用しがたい。

(一) 慢性砒素中毒が肝臓に障害を及ぼすことも古くから指摘され、前掲その他の成書類においても、肝障害、肝腫大、肝硬変等をきたすとされている。

(二) 肝障害をきたした症例の報告としては、次のようなものがあり、内外相当数に及んでいる。

ブドウ園従業者事件においては、

(ⅰ) ドゥーレらが肝硬変の発生を報じたのを始めとして、フローン、パイン、ハーレン、Buchner、ロス、ブッツエンガイガー等多数の研究者が、いずれも肝障害、しかも重篤な症例の高率又は多数な出現を報告している。

(ⅱ) 例えば、パインは、患者一一三名中七三例に肝腫大うち一一例に腹水、一六例に著明な脾腫大を認め、血清ビリルビン値等の異常も高率であつた旨報じ、ロスは、患者二七名の剖検の結果、一三例に肝硬変(六例において死因)を確認し、悪性肝腫瘍三例、胆道癌一例、梗塞性門脈硬化症一例の合併を報じ、Buchnerらは、患者一九名中一七例に肝硬変を認め、五例に肝悪性腫瘍の発生を報じている。

(ⅲ) これら肝障害については、「家庭酒」(ブドウ酒の搾りかすから作られた低アルコール度数の飲物)の多飲等によるアルコールの影響を否定することはできないとされているが、本件証拠上砒素の寄与を否定する報告は見当らず、パイン、ハーレン、ロス、ブッツエンガイガー等は、家庭酒の多飲も、その中に含有されている砒素がより重要で、結論としては砒素が主因であるとしている。

(ⅳ) また、パインやロス等は、各症例に基づき、砒素による肝障害は長年月にわたる曝露の後はじめて、遅発的に出現する旨述べている。

砒素ビール事件では、肝障害の多発が認められ、明らかな肝腫大を伴い、剖検例で広範な肝障害が確認されている(レイノルズ)。(但し、右についてはセレン及びアルコールの関与を重視する見解も出されている。)

アントファガスタ事件においては、死亡患者五例の剖検で、四例の肝臓が広範囲に障害されており、うち一例には肝硬変性変化が認められる(ローゼンベルク)等、肝障害、肝硬変が主要な病変の一つとされている(Zaldivar)。

砒素含有医薬品投与の事例としては、フォーレル水や亜砒酸配合のブローム液等により肝硬変症、腹水、肝腫、黄疸等を生じた中毒例がHutchinson, Stockman, O'Leary, Pelner等により報告されている。

また、フォーレル水使用による中毒症例中に、肝硬変を伴わない門脈圧亢進症が Neal, Viallet, Knolle, Morrisによつて報告されている。これらにおいては、一般に肝機能検査成績に異常が認められず、肝線維化の傾向も乏しく、したがつて特発性門脈圧亢進症の範ちゆうに属するとされ、Morrisらは、その原因を砒素による肝内門脈枝の閑塞性病変に求めている。

本邦においても、砒素醤油事件において、次のとおり報告されている(水田ら)。

患者の大半に肝腫大が認められた。尿中ウロビリノーゲンも六〇%以上が陽性であり、血液の臨床生化学検査でも何項目かの肝障害に相当する結果をえた者が多数に及んだが、その程度は著しく軽かつた。これに対し肝生検では、著しい変性像が認められた。

また、新潟井戸水事件で、次のとおり報告されている(寺田ら)。

三〇%(九〇例中二七例)に肝腫がみられ、皮膚症状等とともに四大徴候であつた。肝機能は殆んど正常であつたが、症状の比較的重い者ではγグロブリンの増加、A/G比の減少が明らかで、潜在性の肝障害の存在が示されている。また、肝生検では肝細胞の強度の腫大等が見られた。

森永砒素ミルク事件では、

(ⅰ) 四、六二四例中、肝腫大が一、三五六例に見られたが、肝機能検査の異常は五三例にすぎなかつたとの報告(浜本)がある一方、一三四名の患児中、初診時肝腫大は71.8%、何らかの肝機能障害は六八%に認められたとの報告(永井ら)もある。

(ⅱ) また、小田らは、肝肥大が貧血、黒皮症とともに三大主徴候であつたが、剖検、生検所見では、肝の強い出血と壊死、脂肪変性等が認められ、生前の肝機能検査で著変が見られなかつたことと対照的であつた旨報じている。

石西伸らは、亜砒酸工場従業者の肝機能検査の結果、他の職種の者に比較して、GOT、黄疸指数等が有意に高値で、病的障害を起す程ではないが、肝機能に対して何らかの侵襲が起つていると考えられる旨報告している。

笹ケ谷事件では、

(ⅰ) 三例の慢性肝疾患が認められ、対照地区との疫学的調査でもA/G比、GOT値に有意の差が認められた旨報告され

(ⅱ) 他方笹ケ谷地区管理検診の肝機能検査成績を対照地区と比較してアルカリフォスファターゼ、GOT値は有意に高値ではあるが、すべて正常域内の変化であるとも報告され、

(ⅲ) 環境庁昭和五六年検討結果別添資料では、右報告等に基づき、「砒素による環境汚染では、特発性門脈圧亢進症の潜在が疑われるが、現在繁用されている肝機能検査成績をみる限りでは、肝障害の要因としての意義を見出しがたい」としている。

(三) 動物への砒素投与実験では、

ストーバーやツィグラー等は、砒素中毒により肝障害がひきおこされうると報告している。

脂肪浸潤や門脈域の線維化等が起るとの報告がある(Soffer, Grahn)。

石西伸らは、ラットへの投与実験の結果を、次のとおり報告している。

肝臓の病理組織学的変化において、慢性砒素中毒の特徴と考えられる病理組織像が認められ、Subclinicalな変化の起つていることが確かめられた。最も顕著な変化は肝小葉周辺部における胆管増殖であつた。その肝病変の発生には量―反応関係が認められた。

(四) 土呂久地区に関しては、

中村、常俊各報告における出現状況は前記(表4―4、6、7)のとおりである。

堀田報告では、肝腫大が四名に認められ、肝障害で治療中の者が九名、過去に治療を受けた者が一四名見られた旨報じられている。

本件被害者らのうちでは六名に肝障害が認められている。

なお、環境庁の委託による臨床疫学研究班(坂部弘之ら)が、六〇才以上の土呂久地区住民二〇名と山附地区住民三八名の肝機能検査値を比較検討したところ、平均値、異常値の頻度等につき有意差はなかつた旨報告されている。

(五)(1) 環境庁は、昭和四九年九月、公健法上の指定疫病に係る障害度の評価に関して次のように各県知事に通知している。

「慢性砒素中毒に特徴的な皮膚病変や末梢神経障害等が認められている場合には、これらが認められない場合よりも肝障害と砒素との関連が濃厚と考えられるので、慢性砒素中毒症で認定された患者については……肝硬変を慢性砒素中毒によるものとみなして差し支えないとされている。」

(2) また、前記環境庁昭和五六年検討結果においては、「肝脾症候群、肝癌については、これを慢性砒素中毒症によるものとみなし……(障害度の)評価を行つて差し支えないと考えられる。」とされている。

2被告の反論について

被告は、砒素による肝障害は早期に軽快する旨主張するところ、なるほど、右掲記の証拠によれば、被告の援用する森永砒素ミルク事件や砒素醤油事件においては、出現した肝腫大、肝機能障害の殆んどが数週間ないし数ケ月で軽快した旨報告されていることが認められるけれども、同時に右各証拠によれば、右各事例はいずれも曝露期間も短く、中毒の症状全体が軽度であつたことが認められるから、右事例以外の前記各報告等に鑑みても、慢性砒素中毒における肝障害一般について被告主張の如く解することはできない。

七神経系の障害

1末梢神経障害(多発性神経炎)

(一) 多発性神経炎が慢性砒素中毒の主要症状の一つで行政認定の基準にも加えられていることは当事者間に争いがない。

(二) 上来認定のところに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 慢性砒素中毒において末梢神経が高頻度に侵されることは、多数の報告例もあつて、広く認められているところであり、標的組織の一つと称されることもある。

(2) それは、一般に多発性神経炎の型をとり、前記成書等の記述にあるとおり、四肢の知覚異常、じんじん感、しびれ感、疼痛、筋力低下、時に筋萎縮、下肢では歩行障害等の症状を呈するが、典型的(又は原則的)な病像としては胃腸症状等の出現からしばらく(場合によつては長期間)経過した後に、異常知覚・知覚低下が四肢末端(通常は下肢)から出現して次第に上行しいわゆる「手袋靴下型」の分布を示し、感覚・運動両神経が侵されるが多くは感覚優位型であり、四肢深部反射は低下ないし消失し、多く末梢神経伝導速度が低下する、障害は通常四肢両側性に現われる。

(3) 右症状は、砒素によつてしか生じないような特異的なものではなく、多因的であるけれども、同様の症状を呈する他の疾患も通常しばしば見られるというほどのものはなく、それは砒素中毒にかなり特徴的な症状であるということができる。

(4) なお、まれであるけれども、四肢だけでなく躯幹、三叉神経領域(口周等)にも感覚障害の認められた症例の報告(村山英一ら、本件土呂久地区居住歴者一名、堀田報告四名)もある。

(5) 土呂久地区においてこの多発性神経炎が高頻度に出現していることは、前記各報告からも明らかで、異論のないところである。また、本件被害者らにおいても一一名にこれが出現している。

(三) 被告の反論について

(1) 障害の四肢両側性、末端優位性、感覚・運動両神経の障害、深部反射低下等は、いずれも典型的ないし原則的にはそうであるというにすぎず、これらの症状・型を備えなければ砒素性多発性神経炎たりえないというものではない。このことは、各中毒の事例(旧松尾鉱山事件やチャタニー、ジェンキンスの報告する事例――<証拠>等において右の典型症状を備えない症例も出現・報告されていること並びに前掲甲第三六号証、や証人堀田の明記・明言するところから認めることができ、証人川平の証言も結局同旨である(なお、前掲各証拠によれば、障害の存在分布が四肢両側対称的であるとされているにすぎず、障害の程度も両側対称、同等なのが原則であるとされているものと確認しうるに足る証拠はない。)。したがつて、これらの症状・型の具備を要求する被告の主張は採用できない。

(2) また、出現頻度が男女で差があつたとしても、そのことにより砒素性の多発性神経炎たることを妨げられるものとなすに足る証拠はない。

(3) 一部の被害者等の末梢神経症状につき、類似症状を呈する疾患としてシャルコマリーツース氏病、リューマチ、変形性脊(頸・腰)椎症(なお加えて中枢神経障害)が指摘されているほかは、土呂久地区における多発の原因としても、個々の被害者の発症要因としても、砒素以外には何ら具体的因子の指摘はなく、右各疾患をもつては土呂久地区における末梢神経症状の多発は説明しきれないものというべきである。

そして、<証拠>によれば、堀田、中村(二)、常俊(二)の各報告では、これら類似疾患等との鑑別を尽くしたうえで前記のとおり多発性神経炎の多発を報じていることが明らかである。また、<証拠>によれば、本件被害者らについても、堀田診断又は県健診において同様の鑑別がなされたうえで、多発性神経炎と診断されたことが認められる。

(4) なお、被告は加齢現象を論じるけれども、右鑑別の事実からしても、各被害者の症状、発症時期、経過等に鑑みても、単なる老人性の病変ではないことが明らかである。

2視力、視野障害

(一) 上来認定のところに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 視神経が侵されて視神経炎をきたし、視力障害、視野狭窄がもたらされた症例がHass, Schirmer(堀田報告による)、Uhthoft Liebrecht(水田信夫らによる)、Duke-Elder(中村報告による)、Friendenberg(チャタニによる)等により報告されているほか、次のような報告がある。

フローンは、ブドウ園従業者事件の患者二三名中二例に両視神経の初期の萎縮が確認された旨報じている。

Watrousらは、サルバルサン製薬工場での有機砒素中毒患者に、視力低下、視野狭窄が多発した旨報じている。

大井田修は、銅製錬所の亜砒酸製造現場作業者の中毒患者四名の検診の結果、軸性視神経炎(三名に視野狭窄うち二名は視力障害の自覚症状、他の一名は暗点と視力低下)を確認し、他の発症原因は一応否定しうると報じている。また、一例に角膜白斑を報じている。

水田信夫らは、砒素醤油事件の患者七〇名中一三例に中心暗点を検出し、うち三例が眼底に視神経網膜炎の病像を示し、更にそのうち二例が視野狭窄をきたした旨報じている。

森永砒素ミルク事件においては、

(ⅰ) 小田らは、死亡患者四名の剖検で、二例の視神経に軽度の髄鞘変性を確認し、

(ⅱ) 増田義哉は、中毒児七九名中視神経炎一例、同疑九例、視神経萎縮一例、同疑三例を認めたと報告し、

(ⅲ) 大平昌彦らは、事件発生一五年後の疫学調査で、矯正視力1.0以下の例数が対照群より有意に高率で、眼底の異常所見(視神経萎縮一名や黄斑変性)も有意に多く、視野狭窄例も有意差は検定しえないながらより高率であつたとしているが、

(ⅳ) 大鳥利文らは、一五年後の四五名の検査で、「砒素中毒の後遺症と思われる眼所見は見出されなかつた」と報告するとともに、右(ⅱ)の診断の正確性に疑問を呈している。

(2) また、古くから、有機砒素製剤の静注(駆梅療法)等によつて、視神経炎、更には網膜血管変化、浮腫、出血、硝子体混濁等の症状が出現した例が多数報告されているとのことであり(堀田報告、証人堀田)、ピックマン(Pickman)らの報告等フォーレル水投与による中毒での同様の症例報告もある。なお、右のような症状は、血管障害(動脈硬化等)によつて生ずると解され、中枢神経障害が発現するような事例が大半とのことである(証人堀田、同川平、ピックマンの報告例も同じ)。

(3) 更に、角膜障害(角膜炎、角膜潰瘍等)をきたし、これにより視力障害を呈する症例の報告(Hallum―堀田報告による。前掲の大井田。Bonamour―ブロウニングによる。)もある。但し、高濃度曝露に限られるとの考えも出されている(川平論文)。

(4) そして、成書類においても(普遍的ではないが)視神経炎、視神経萎縮、角膜潰瘍等を掲げるものもあり、砒素中毒により視力、視野障害をきたす可能性のあることは一般に認められている(川平論文や証人川平も同旨)。

(5) 駆梅療法等の例を除けばその症例は豊富とまではいえないが、他に同様の視野狭窄症状を呈する疾患の出現は多くなく、堀田は砒素中毒に「特徴的な」或いは「重要な」症状の一つであるとしている。

(6) 土呂久地区においては、視力、視野障害殊に視野狭窄(異常)が高率に出現していることは、前記太田、堀田、中村、常俊各報告から明らかである。

本件被害者らにも一二名に視力、視野障害が認められている(但し、堀田医師が砒素による症状から除外している者及び当裁判所が砒素との因果関係を認めがたいとした者を除く。)。

(二) 被告の反論について

(1) 視神経障害の発生が長期・大量曝露の場合に限られるものとの主張を裏付けるに足る証拠はない。

(2) 障害の左右差があつても砒素に起因する視力、視野障害たることを妨げられないこと右1と同様であり、視力障害と視野障害が常に共存すると認むべき証拠もない(却つて、大井田報告の症状にも、左右差の存在や視力又は視野障害の単独存在が認められている。)。また、男女差についても同様で、被告の主張は採りえない。

(3) 白内障、緑内障、老人性変化等によつても視力、視野障害のおこることは被告主張のとおりである(前記第一の五、<証拠>)けれども、これらのみで土呂久地区での多発は説明しえないこと、並びに、これらとの鑑別をなしたうえで土呂久地区での多発、本件被害者らに関する堀田診断がなされているものと認むべきことも、右1同様である。従つて、堀田診断の妥当性を疑うべき具体的事情のない限り、各被害者の視力、視野障害に対する砒素の寄与の有無は同診断を基礎に判断してよいものと解される。

3聴力障害(難聴)

(一) 上耒認定のところに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、<証拠>中これに抵触する部分は採用しがたい。

(1) 聴力障害の発生事例の報告は、多くはないが、次のようなものがある。

ベンコーらは、高濃度の砒素を含有する石炭を燃焼している発電所付近に居住している一〇才の児童五六人を検査した結果、重大な聴力損失が認められ、対照群と比較して高度な有意差が確認された旨報告している(一九七七年)。

森永砒素ミルク事件につき、

(ⅰ) 佐藤武男は、一五年後の追跡調査において患児一八名を検診し、四例に神経性難聴(二例は両側、二例は一側)を認めた旨報告し、

(ⅱ) 山下節義らは、同時期の京都での追跡調査において、難聴を呈する者が五〇名(17.7%)で、京都の同年齢層における出現率(0.09ないし0.12%)に比して著しく高い旨報告している。

笹ケ谷事件では、旧従業員及び地区住民に、多数の感音性難聴が認められ、例えば、昭和四七年検診では二次検診者九三名のうち年令その他の因子を考慮したうえで高音域の障害を主とした感音性難聴九例が、砒素中毒を疑わしめる障害のある者とされた。

堀田報告では、右のほかBirmingham, Glaserの臨床報告もあるとされる(但し、その内容を確認しうる証拠はない。)。

(2) 実験的研究の報告は多く、仙石照、Nassuphis, Kelemen(以上佐藤武男による)、宮本、Ehrlich, Anniko(以上堀田報告による)、Wes-terhagen(ベンコーらによる)等により、砒素が聴器に障害をもたらすことが確認されている。

(3) そして、砒素により難聴、特に感音系難聴の生じることは耳鼻咽喉科学の成書(切替一郎)等にも記載され、重要な「聴器毒」の一つと指摘されている。

(4) 土呂久地区においては、堀田、中村、常俊の各報告により、難聴、感音系難聴の高率な出現が確認されているし、且つ、大野報告により、加齢性の変化の程度を超える聴力損失が、対照群より高率に存在すると認められている。

本件被害者らにも一三名に難聴が認められている。

(二) 被告の反論について

(1) 砒素による聴力障害が脳血液関門形成前の乳幼児に限られるものとみるべき証拠はない。

(2) 障害に左右差があつても砒素の寄与が否定されるものでないことは右1、2と同様である。

(3) 加齢性の(生理的)変化により一般的に聴力低下の生ずることは著明である(<証拠>)けれども、これによつては土呂久地区における難聴の多発は説明しきれず、右大野報告及び本節第一の五項3で述べたところをも合わせ考えると、加齢性変化との競合があるにしろ、砒素の寄与していることは覆されないものというべきである。

なお、右加齢性変化以外には、難聴の発症要因の具体的指摘は見当らない。

4嗅覚障害

(一) 前章第二節で認定したところに、<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(1) 三項の2認定の鼻粘膜障害や副鼻腔炎が、多く二次的に嗅覚障害をきたすことは、一般によく知られている。砒素中毒においても、ブドウ園従業者事件や旧松尾鉱山事件等で嗅覚脱失、低下が報告され、松尾では特徴的症状の一つとされている。また、成書類での記載もみられる。

(2) 土呂久地区においても、嗅覚障害が高頻度に出現していることは、前記太田、堀田、中村、常俊各報告から明らかである。

(3) なお、堀田らは、右の一部には神経性(一次性)障害の含まれている可能性もあると論じている。

(4) 本件被害者らにも一六名にこれが認められている。

(二) 被告の反論について

(1) 鼻粘膜の器質的変化が確認されなければならないとの被告主張(及びこれに沿う<証拠>)が採用できないこと並びに単なる老人性のものでないことは、三の2で述べたとおりであり、その他の発症要因の具体的指摘はない。

(2) また、仮に障害に左右差があつても、それだけで砒素の寄与が否定されるものと認めるに足る証拠はない。

5自律神経障害

(一) 上来認定のところに、前掲甲第一二、一三、一四八、一五二、一五四、一六二、二七三号証、乙第二六六号証、第二四七号証の一、二、証人堀田、同川平の各証言を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 砒素による自律神経系の障害についても少なからぬ報告があり、頭痛、めまい、振戦、発汗過多、性欲喪失、四肢寒冷、レイノー症状等が起こるといわれている。レイノー症状に関しては後記八で述べるが、そのほかに、Cannon, Gitter, Kelynack(いずれも堀田報告による。)等の報告やフローン、リネヴェーの報告がある(但し、これらについては自律神経障害と十分には確定されていないとの見解もある――川平証言。)。

フローンは、ブドウ園従業者事件の患者二三名中、一四例に冷感、一三例に生殖力障害等の症状がみられたと報告している。

リネヴェーは、廃棄毒ガス事件において、手足の強い発汗、手の間歇振顫(及び肢端チアノーゼ)の多発を認めた旨報告している。

(2) また、一般に、発汗異常、インポテンツ等の自律神経障害は、多発性神経炎を含めどのようなニューロパチーでも多少は出現するといわれている。砒素中毒による報告も多発性神経炎に随伴する症状として記述されている場合が多いといわれる(堀田報告)。例えば、ジエンキンス(ノースキャロライナの事例)やチャタニー(インド)は、多発性神経炎の多発と同時に、発汗異常の多発を報じている。

(3) 土呂久地区においては、後記八のとおりレイノー症状の多発が報告されているほか、

中村報告(一)では、患者四名の発汗状態を観察して手掌・足底における発汗機能の低下を認めるとともに、「小林袈裟夫の報告では、亜砒酸製錬従業者三〇名中六例に手掌・足底に多汗症を認め、今村貞夫、田中宏の各報告では多汗症が報じられており、自験例とは相反するが、これらは末梢神経障害の面からも検討すべきである」と報告され、

堀田報告では、手足の寒冷(一四例)、手掌発汗過多(一八例)、皮膚紋画症(一三例)などの自律神経症状が三三例(三六%)に認められた旨報告されている。

6中枢神経障害

(一) 上来認定のところに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 砒素による中枢神経系の障害としては、急性中毒において頭痛、錯乱、集燥、意識障害、けいれん等が出現し重篤な症状に至る事例(典型例としては有機砒素製剤の投与によるもの)がよく知られ、出血性脳(脊髄)炎の像を示すとされている。それは死亡例も高く、予後も不良である。又、この出血性脳(脊髄)炎をきたすことは、動物実験でも確認されている。

(2) 慢性中毒の関係では、次のような報告がある。

エッカーらは、一二の症例(亜急性中毒を含む)に疲労感、頭痛、めまい、嗜眠性、知的機能低下等広汎性の症状が認められた旨報告し、病理学的所見においては、亜急性中毒と慢性中毒の間には明確な区別はない旨述べている。

フローンは、ブドウ園従業者の患者には、一般に、神経系の症状として、情緒異常、意気消沈、記憶薄弱、疲労感等が認められていると述べ、自験例二三名中一〇例に意気消沈、一三例に無気力感・疲労感を認めた旨報告している。

Petersは、馬鈴薯農薬中毒例において、重度の皮膚炎と意識障害、運動障害を認め、剖検により前頭葉の萎縮、中脳での不規則な脱髄等を認めたとしている(岡野錦弥らによる)。

Zaldivarは、アントファガスタ事件の小児の主症型、主死因の一つは、脳動脈の血栓・脳軟化症・失語症・不全麻痺・けいれん・昏睡であると報じている。

イエーらは、ブラックフット病患者三例の剖検所見として、四記載のとおり、血管の動脈硬化性変化は殆んど全ての内臓に全身的に認められたとして、これは脳に関しても同様で、一例では小脳出血、脳軟化症が認められた旨報告している。

森永砒素ミルク事件では、

(ⅰ) 小田琢三らは死亡患児三例の剖検所見として、中枢神経系においては、臨床的には一例にけいれんを主とする神経症状が現われていたが、解剖学的には全例に軽度の充血と浮腫、一例に小脳の小出血を認めた旨報じ、

(ⅱ) 湯浅亮一は、一五年後の追跡調査において、てんかんの罹病率が有意に高率であり、患児四三名中二三名に脳波異常が認められた旨報じ、

(ⅲ) 山下節義らは、同時期の検診で、異常脳波一四%、境界脳波一六%を認め、てんかん五%、同疑二%等脳神経障害を呈する者が多いと報じ、

(ⅳ) 大平昌彦らは、一五年後の疫学調査(患児三三名)で、脳波の異常所見・疑わしい所見者の割合が高率であつた旨報じている。

(3) 堀田らは、内外の文献・報告を検討して右(1)及び(2)に沿う記述のほか、次のとおり述べている(堀田報告)。

(ⅰ) 砒素化合物の中枢神経系への中毒作用は有機、無機を問わずほぼ同一で、それは一般に非特異的で主病変は血管性変化であるとされている。

(ⅱ) 慢性中毒では、しばしば、頭痛、めまい、倦怠、傾眠、記憶減退、精神活動の低下、抑うつ状態、一過性意識障害、せん妄状態等がみられる。

(ⅲ) Callらによると、砒素による一次性変性(細動脈及び毛細血管の血栓症・細動脈壊死・血管周囲の出血等)は二次的に脳循環障害をきたすとされている。

(ⅳ) エッカーらによると、臨床像は高血圧性血管障害にみられる症状群と同じで、しばしば広汎性の脳症状を示すとされている。

(4) また、堀田宣之は、右堀田報告並びに右(2)のの報告及び前記四項の各報告に基づいて、次のように述べている(堀田第二報告、証人堀田)。

慢性砒素中毒においては、四項の心循環器障害で述べた血管病変(動脈硬化性変化、動脈閉塞・狭窄)が全身の諸臓器に生じる基本的障害の一つであつて、脳血管についても同様の変化(障害)を生じ、その結果、しばしば脳循環障害をもたらして中枢神経障害を惹起する。従つてまた、その障害は、脳血液関門の存否に関りなく生じる。

(5) 土呂久地区においても、多数の心循環障害が報告されている(四項認定)ほか、

(ⅰ) 中村報告で軽度の脳波異常が報じられ、

(ⅱ) 堀田報告では次のとおり報じられている。

意識障害の既往は二三名(脳循環障害によると思われる数分ないし数十分の一過性意識喪失一五名、脳卒中による数時間ないし数日の意識喪失五名、その他三名)にみられた。何らかの知的機能低下は二九名に、情意障害は一八名にみられ、両者併せる者一七名、うち痴呆のめだつ者が五名であつた。総じて、中枢神経障害は三四名(三七%)に認められ、知的機能低下、情意減弱など軽―中等度の痴呆状態を示す者が多く、これらには一過性意識障害や片麻痺がしばしばみられた。既往歴から器質性精神病像を呈したと思われる一例もあるが、概して何らかの脳循環障害をきたしている者が大部分である。これらの非特異性脳症状は加齢との関係を考慮する必要があり、砒素の関与の程度の検索は困難であるが、痴呆や片麻痺に多発性神経炎その他の諸症状の合併している例が多く、中枢神経系への砒素の影響は無視できない。

(ⅲ) 前記村山らの報告症例では、構音障害、登はん性起立、共同運動障害が認められている。

(ⅳ) 本件被害者らにも、一一名に(脳循環障害に起因すると考えられる)中枢神経障害が認められており、その殆んどが心循環器障害を併発している。脳循環障害に起因する死亡及びそれに関する行政認定の状況も四項認定のとおりである。

(二) 被告の反論について

(1) 慢性中毒における中枢神経障害が可逆的なもので曝露停止により回復すると認めるに足る証拠はない(その主張に沿う乙第二七三、三三二号証、証人川平の証言は、乙第二五四号証の一、二に対比して採用できない。)。

(2) 中枢神経障害が乳幼児に限られないこと及び脳血液関門の存在によつて十分妨げられるものでないことは、右認定の症例及び機序から明らかである。

(3) 加齢現象によつても一般に知的機能の低下等が見られることは、右堀田報告、乙第二六〇、二六三号証(成立は争いがない。)により認められるけれども、四項2及び本節第一の五項3で述べたところに、右(一)(4)(5)認定の事実を合わせ考えると、加齢性変化が考えられるとしても、砒素の寄与は覆えされないものと認めるのが相当である。

(4) なお、一般的な高血圧性血管障害にみられる脳症状との鑑別が困難であることは右認定のところから明らかであるが、四項2で述べたところからすれば、右の点をもつてしても砒素の寄与は覆されないものと解するのが相当である。

八レイノー症状

1上来認定のところに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 四項で述べた末梢血管障害や七項5で述べた自律神経障害の結果、末梢循環障害が起こり、しばしばレイノー症状(手足の寒冷、手指・足趾等の蒼白、チアノーゼ、しびれ感、疼痛等の症状)をきたす。砒素中毒においても、四項で記載のとおり、レイノー症状ないしその類似症状の出現が多数報告されており、レイノー症候群の概説的文献(岸井利昭)でも、砒素中毒が原因の一つとして挙げられている。

(二) 土呂久地区においても、太田報告、堀田報告、堀田第二報告で、高率なレイノー症状(ないし類似症状)の出現が報じられている。

本件被害者らにおいても、堀田診断により四名にレイノー症状が認められている。

2被告の反論について

(一) ブドウ園従業者、アントファガスタ、ブラックフット病における心循環障害は特異な要因によるとして本件への援用を否定する被告主張の採りえないことは、四項2で述べたとおりである。

(二) 症状が常時持続するほどのものでないこと(本件被害者、堀田報告)や男女差のあること(堀田報告)をもつて砒素の寄与を覆すに足るものと認むべき証拠はない。

九造血器障害(貧血)

1上来認定のところに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 慢性砒素中毒により、貧血、白血球減少症等の造血器障害をきたすことは、次の各報告その他多数の報告例によつても、また、前掲その他の成書類に記載されているところからも明らかである。それは、一般に、砒素の骨髄機能抑制作用によるもので、その貧血の像は再生不良性貧血である(ないしその像に近い)とされている(リネヴェー、キール、寺田ら、永井ら)。

ブドウ園従業者事件における貧血、白血球減少症等の多発(フローン・ハジョロフ等)。

廃棄毒ガス事件における、貧血、白血球減少症等血液像変化の多発(リネヴェー)。

砒素中毒患者六名全例に貧血と白血球減少を認めた旨のキール(Kyle)らの報告(但し、二ないし三週で回復)。

砒素醤油事件における白血球減少等血液像変化の多発(水田ら)。

新潟井戸水事件における貧血及び白血球減少の多発(皮膚症状、肝腫とともに四大徴候とされる。寺田ら)。

森永砒素ミルク事件における白血球減少等の多発(但し、三ないし四週で回復、永井ら)、死亡患児四名全例における貧血の確認(小田ら)。

(二) 土呂久においても、前記のとおり、宮崎県調査・倉恒報告で貧血の高率な出現が報じられ、堀田報告では一一名が貧血で治療中である旨報じられている。また、中村、常俊報告での出現状況は表4―4、6、7のとおりである。本件被害者らでは、二名に貧血が認められている。

2被告の反論について

キールや永井らの報告例においては数週間で回復したこと右認定のとおりであるけれども、同時に、右掲記の各証拠によれば、それらは曝露期間も長期ではなく中毒の全体的症度も軽度のものであつたと認められるから、これをもつて慢性砒素中毒の造血器障害がすべて早期に回復するものと断ずることはできない。

一〇腎・尿路の障害

1 前章第一節で認定のところに、<証拠>を総合すれば、成書、総説書(或いはこれを引用する各文献)における腎、尿路障害関係の記載状況は、次のとおりであると認められる。

(一) 一般に、砒素は腎臓に比較的多く分布する旨記述されている。また、それは、主に尿中に排泄されるが、その相当部分は体内でメチル化(無毒化)されたうえで排泄されると記述されている。

(二) 次に、中毒における障害出現を記述しているものをみると、

(1) 田坂の「臨床中毒学」では、急性中毒の症状として、「腎機能障害(乏尿、血尿、蛋白尿、残余窒素の上昇)が起るが、これはむしろ低塩素血症、脱水症、低血圧の結果であろう。」とされ、慢性中毒に関しては症状の記述はない。病理解剖として、急性中毒では、肝、心筋とともに腎に小出血、脂肪変性を認めるとし、慢性中毒でも同様の脂肪変性を認めるとしている。

(2) 後藤外の「産業中毒便覧」では、金属砒素の経口摂取による症状として、ショック、麻痺、突発的嘔吐とともに血尿が掲げられているが、その余の記述はない。

(3) 鯉沼茆吉の「本邦ニ於ケル工業的金属中毒」では、急性・亜急性中毒として腎臓障碍、血尿、無尿を掲げるほか、慢性中毒として腎臓の脂肪変性を来たし、糖尿、蛋白尿の排泄があるとしている。

(4) 「第七改正日本薬局方註解」では、腎臓糸球体の毛細管も亜砒酸により侵される」と記述されている(急性、慢性の分別はない)。

(三) 右以外には、ブロウニングの「産業用金属の毒性」にも後記動物実験関係を除いて記述がなく、その他、「今後の重要公害汚染物質三〇種」(海外技術資料研究所)、「環境汚染病」(George Waldbott)等本件に提出されている成書、総説書類にも何らの記述もない。逆に、石西外の「砒素および砒素化合物」では、「腎機能に関しては特別の所見を認めていない。」「尿検査に関しては特異な所見はない。」とされている。

(四) また、上来掲記の各報告の中で腎、尿路障害の出現について概説的に記述しているものをみると、

(1) ジェンキンスは、急性中毒の症状として、「腎臓あるいは膵臓の機能障害の証拠を見ることがある」と述べ、

(2) 蒲生逸夫は、成書としてNelsonを引用し、「急性中毒では……高度の脱水の結果として、乏尿、血尿、タンパク尿をきたす」と述べ、

(3) 永井秀夫らは、Petriを引用し、「砒素中毒の際、腎に高度の変化を来すことが知られ、特に急性中毒の際これが原因となつて尿毒症で死亡する報告もある。」旨述べている。

(五) 右以外には、腎障害につき一般論として積極的に言及している報告は、本件の証拠中には見当らない。

逆に、ロスやブッツエンガイガーは、ブドウ園従業者事件における多数の症例研究や剖検報告に基づいて、「殆んど全ての粘膜に炎症等の障害や腫瘍が生じているのに、腎、尿道等の導出性尿路にだけはほとんど障害も腫瘍も生じておらず、注目に価する。」旨述べ、その原因を論じている。

2前掲乙第二四〇、三二四号証の各一、二によれば、動物実験報告としては次のようなものがある。

犬に砒素を約七か月投与したハジョロフの実験では、肝、末梢神経、気管支とともに腎臓に脂肪浸潤が見出されたと報告されている。

犬に対する砒素投与実験で、ギンスブルクやピープルスは、高濃度投与では尿細管に障害を生じ、低濃度投与では障害は生じなかつた旨報告している。

3<証拠>によれば、諸中毒事例における腎、尿路障害の発生の有無の状況は次のとおりであると認められる。

(一) 急性中毒の事例としては、次のような報告がある。

ジェンキンスは、その報告している急性の症例一〇例中、三例に尿中アルブミン、血尿を確認したが、間もなく死亡した重篤中毒一例を除き、尿所見は早期に回復したとしている。

ピックマンらはフォーレル水投与による急性中毒の一症例につい右同様の尿所見を報告している。

ランダー(Lander)らは、二五例の急性中毒のうち八例に糖尿、乏尿(及び低血圧)等を確認し、早期に死亡した三例を除き、この尿異常は一週間程で改善された旨報告している。

Buchananによつて報告された三塩化砒素の経皮曝露等による死亡例では、直接死因は腎機能低下とされ、剖検では、心、肝、腎等がざらざらに肥大していた旨報ぜられている。

(二) 慢性中毒に関しては、次のとおりである。

新潟井戸水事件では、五五名中一〇例に尿蛋白陽性が認められたが、通常の機能障害は見られず、尿所見も四週以内にほぼ回復した旨報告されている(寺田ら)。

森永砒素ミルク事件(但し亜急性中毒との評価もある。)では、

(ⅰ) 岡山大学における患児六一名では、蛋白尿はないのに沈査に病的所見を持つ者が比較的多く、また初期に糖尿八例等があつた旨報告され(浜本ら)、死亡患者四例の剖検では、糸球体は殆んど正常であつたが、腎細尿管上皮の実質変性、混濁腫脹が認められ、臨床的な尿所見の乏しさとの関係に疑問が残ると論じられた(小田ら)。

(ⅱ) 京都大学における患児八六名では、尿蛋白五例が見られたが、沈査は殆んど異常なく、一例に見られた円柱も数日で回復した、糖の検査等は陰性であつた、血尿等もなく、総じて尿所見は乏しかつた。二週間経過後の状況としても尿所見はなかつた旨報告されている(永井ら)。

(ⅲ) なお、西田勝らが発症当時の状況を要約したところでは、尿蛋白陽性は0.2ないし5.8%で、一過性であつた、尿沈査の異常も少なくなかつた、尿糖陽性も1.6ないし10%存在したとのことである。

(ⅳ) 一五年後の京都府における検診では、尿蛋白陽性男二五名(一四%)女一三名(一三%)で、その率は京都市の同年齢層に比してはるかに高いと報告されている(山下)。他方、阪大医学部有志による一五年後の検診結果では、四四名中、尿蛋白四名、沈査異常三名が認められたが、うち一名は腎炎が確認され、他三名の蛋白尿者は沈査正常、他二名は沈査異常者は尿路感染症の疑とされ、尿糖者はなかつた旨報告されている(西田勝ら)。

砒素ビール事件において、蛋白尿が見られたが、早期に回復した旨報告されている(レイノルド)。

アントファガスタ事件では、前記五死亡児の剖検所見で、全身の中小動脈の普遍的な閉塞性病変の一端として、三例の腎臓(の血管)も障害されていた旨報告されている(ローゼンベルグ)が、これ以外には腎障害や尿異常の発生の報告は見当らない。

ブラックフット病においても、右同様、前記剖検所見で全身の動脈硬化性の変化は腎臓にも見られた旨報告され(イエーら)、また、後記一一項で述べるとおり、その皮膚癌患者、ブラックフット病患者の死因では膀胱癌の比重が高い旨報告されているが(ツウェン)、その報告でも死因中の腎臓病の占める比重は高くなく、右以外には腎・尿路障害、尿異常の多発を述べる報告は見当らない。

なお、前記大井田の症例では、二例が尿蛋白疑陽性であつた旨報告され、また、前記鯉沼の論文では、亜砒酸製造工場従業者の慢性中毒患者一例に微量の尿蛋白を認め、他に急性腎炎から尿毒症を発して死亡した一例に中毒の疑ありと述べられている。

(三) また、右以外の泌尿器癌の発現状況も次の一一項で述べるとおりである。

(四) 他方、

廃棄毒ガス事件では、尿検査に異常はなく(リネヴェー)、

砒素醤油事件でも、蛋白尿、糖尿は認められなかつた旨報告され(水田ら)、

旧松尾鉱山事件でも、尿検査に異常なく(久保田ら)、

笹ケ谷事件でも、尿検査等がされているが、腎障害がもたらされたとの報告は見当らず、

ブドウ園従業者事件で腎、尿路障害の発生が見られなかつたことは前記のとおりである。

(五) その他、レーンスチェール事件(ルンドグレン)や前記ベンコー、チャタニー、キール等の報告する事例でも、腎、尿路障害の発生は報じられておらず、他に腎、尿路障害の発生例を認めるに足る証拠もない。

4また、<証拠>によれば、次のとおり認められる。

(一) 堀田報告でも、急性中毒に関して「腎不全が生じる」との記述があるのみで、慢性中毒に関しては記述がなく、諸文献、報告の要約による表4―1中にも慢性中毒における腎、尿路障害は掲げられていない。

(二) 川平論文では、経口摂取による急性中毒症状として「膵腎機能異常」が出現する旨、及び慢性中毒の症状として「一過性の肝、腎、心、造血器障害が出現することがある」旨記述されている。

(三) 環境庁の昭和五六年検討結果別添資料では、「急性ないし亜急性の、場合、下肢及び眼瞼周囲に軽度の浮腫を認めることがあるが、腎には極めて高濃度の曝露を受けた場合のほかは、著変が認められていない。」旨述べられ、石西外の前記文献、寺田らやVal-leeの各文献・報告が引用されている。

5次に、土呂久地区における腎、尿路障害の出現状況をみてみるに、上来認定のところに、<証拠>を総合すれば、次のとおり認められる。

(一) 宮崎県調査・倉恒報告では、死亡原因調査における性尿器系疾患の高さが注目されているが、過去の受療状況や健診で見出された疾病の状況、問診による既往歴、現症の状況等においては、かかる傾向は見出されておらず、尿定性検査では、尿蛋白陽性率は対照地区と差がない旨報告されている。

(二) 堀田報告でも、腎障害の既往歴を有する者が一五名(一六%)認められたとされている以外、何らの記述もない。

(三) 中村報告(一)では、水腎症一例(亡鶴野秀男)、膀胱炎一例(亡佐藤鶴江)が判明したほか、腎機能は七名いずれも異常なしとされ、同報告(二)では、何らの言及もない。

(四) 常俊報告(一)では、尿検査の結果、尿蛋白、糖とも対照地区と有意差は見られなかつたとされ、同報告(二)でも、泌尿器系疾患の多発は見られないと報告されている。

(五) 太田報告には腎、尿路障害に係る記述はなく、その他にも、土呂久地区においてこれが多発していることを窺わせるような証拠は何もない。

(六) 本件被害者らにおいては、四名に腎障害の現症が認められている。また、一名に尿管癌、一名に尿道癌が認められ、死因となつている。なお、行政認定患者中には、他に一例の前立腺癌が発生している。

6以上認定したところによれば、本件全証拠に顕われた限りでは、砒素中毒における腎、尿路の障害の出現については、急性中毒の症例や曝露直後期の一過性の尿異常例の報告成書的記述は存在するが、これらも、いまだ高率な出現が確認されているとはなし難く、まして、慢性中毒において継続的ないし遅発的腎、尿路障害出現の一般的蓋然性を肯認するには資料が乏しいというほかなく(砒素の分布量が多いことをもつては肯認する根拠となすに足りず)、土呂久地区においてこれが多発しているものと確認するに足る資料もない(本件被害者らにおける発生状況や尿管、尿道、前立腺癌の出現をもつては、いまだこれを確認するに足りない)といわざるをえない。

一一内臓癌(内臓悪性腫瘍)

1肺癌その他呼吸器癌

(一) 上来認定のところに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、これを左右する証拠はない。

(1) 砒素中毒における肺その他呼吸器系の癌の発生に関しては、次のような報告がある。

ブドウ園従業者事件において、次のとおり多発が報告されている。

(ⅰ) ロスの報告

患者二七名の剖検で、一二例の肺(気管支)癌及び五例の肝悪性腫瘍(癌二、血管肉腫三)、一例の食道癌を認め、四七名の剖検で六四%に悪性腫瘍、44.7%に気管支癌を認めている。更に、八二名の剖検で、六一例の肝悪性腫瘍を認め、うち四四例に副鼻腔、咽頭、肺の悪性腫瘍、五例の食道癌、一例の胃癌を認めた旨報告している。また、肺癌の頻度は、都会では0.97%であるのに、ブドウ産地のモーゼル地方では5.13%であつた旨報じている。

(ⅱ) ブラウンは、患者一六名中、九例に肺癌及び一例に胆管癌を報じ、バウエルは、二例の気管支癌と一例の喉頭癌を報じ、パインも一例の気管支癌と食道癌を報じている。

(ⅲ) なお、その他にも、 Liebegott, Galy, Latarigetらは、ドイツ又はフランスのブドウ園従業者の中毒患者につき、ロス等と同様な肺癌の多発を報じている。

ブラックフット病の事件においても表4―11のとおり、皮膚癌患者、ブラックフット病患者(即ち慢性砒素中毒患者)の死亡原因では、癌が著しく高く(各27.9%、18.8%。当該地域全人口では13.1%、台湾全人口では7.9%)、中でも肺癌並びに皮膚、膀胱、肝臓の癌が高率である旨報告されている(ツウェン)。

その他、次のような報告が見られる。

(ⅰ) Sommersらは、文献的に砒素による一八例の内臓癌を集計しているが、その内訳は肺癌七、口腔癌三、泌尿生殖器癌四(うち尿管・膀胱三)、乳癌二、食道癌二、胃癌一で、肺(及び口腔、食道、泌尿器)に好発すると述べている。

(ⅱ) Robsonらは砒素薬剤による中毒で肺癌を合併した症例六を報告している。

(ⅲ) 西山茂夫は、右の報告その他砒素薬剤使用による肺癌発生の報告を表4―10のとおり集約している。

(ⅳ) Hueperは、五例の職業的砒素癌としての喉頭癌を報告している(但し全数の一六分の一)。

そして、近年非鉄金属製錬所や殺虫剤工場等において砒素曝露を受けている労働者に関して、次のように数多くの研究結果が報告され、いずれも肺癌(又は呼吸器系癌)発生の相対危険度の増加が確認されている。

(ⅰ) エンター・ライン(Enterline)は、アメリカ、ワシントン州タコマの銅製錬(兼亜砒酸製造)工場男子労働者の追跡調査により、一〇一八名の死亡者中一〇四名に呼吸器系の癌が観察されその出現率は同国白人男子の出現率からすると予想値より有意に高率であり、その超過危険性は部門により三倍、全体としてもほぼ二倍であつて、これは喫煙者、非喫煙者ともに増加していた旨報告している。

(ⅱ) リー(Lee)らは、亜砒酸曝露のある製錬労働者集団八、〇四七名について疫学調査したところ、呼吸器系癌で死亡した者の率は予想値の2.5倍に近く、それは雇用期間の長さ、砒素曝露の程度、及び砒素曝露の期間と程度の加重割合と相関があつた旨報告している。

(ⅲ) Ottoらは、1mg/cumの砒素曝露者では呼吸器癌死亡が対照より七倍高いと報告している。

(ⅳ) Axelsonらは、オレブロの銅製錬所の労働者の肺癌による死亡率は通常の約五倍であつた旨報告している。

(ⅴ) その他、Pinto, Pershagen, Mabu-chi等によつても、同様の報告がなされているとのことである(前記環境庁昭和五六年検討結果資料による)。

また、日本においても、徳光行弘や倉恒らは、疫学的調査により銅製錬所労働者により肺癌が多発している旨報告している。

(2) そして、右の各研究報告等に基づき、

(ⅰ) 前章第一節掲記その他の成書類においても、一般に、「砒素により肺癌の発生することは疫学的に証明されている」或いは「砒素は肺癌の原因になると考えられる」とされており、

(ⅱ) また、国際癌研究機関(IARC)の一九七三年及び一九八〇年の化学物質の発癌性に関する各報告においても、(動物実験においては、一部発癌の可能性を示唆するものがあるほかは発癌性の証拠は十分でないとされているものの)砒素が人間の肺癌(及び皮膚癌)の発癌物質であることは十分な証拠があるとされている。

(3) また、環境庁も、昭和四九年、障害度の評価に関して次のように通知している。

「特徴的な皮膚病変や末梢神経障害等が認められる場合には、……肺癌等と砒素との関連が濃厚と考えられるので、慢性砒素中毒症が認定された患者については、……肺癌を慢性砒素中毒によるものとみなして差し支えないとされている。」

(4) なお、昭和五六年検討結果では、「肺癌が発生する可能性が論じられているが、環境汚染との関連は十分には証明されていない。」とされているが、その別添資料においては、「悪性新生物(肺癌)については、職業曝露を念む砒素等の影響は否定できない。」とされている。

(5) なおまた、喉頭癌についても、前記のとおり、呼吸器系癌のなかでこれの発症を分別明記している報告例もあるし、その発症の可能性を記述している成書もある。

また、佐藤武男らによれば、「大気汚染の公害のため肺癌が増加しているが、喉頭癌については同じ傾向が認められていない。肺は形態学的にボリュームも大きく、かつ外界との接触におけるターミナルであるためと考えられる。肺癌が発症すれば、喉頭癌の発症はマスクされるものと思われる。」と述べている(大野政一らによる)。

(6) 土呂久地区においても、昭和五六年一〇月当時の認定患者総数一三四名中、二二名(うち九名が本件被害者)が死亡していたが、そのうち九名(うち四名が本件被害者)が癌によるもので、六名が肺癌(うち二名が本件の亡佐藤健蔵同佐藤仲治)によるものであつた。更に、その後昭和五七年に亡佐藤数夫も呼吸器系癌(喉頭癌からの転移による肺癌)により死亡している。従つて、本件被害者ら二三名の中では三名が肺癌(一例は喉頭癌からの転移)で死亡していることになる。

(7) また、県調査・倉恒報告において、高千穂保健所管内での肺癌死亡者の中には土呂久地区居住歴のあるものが有意に高率であつたとされていること、前記のとおりである。

(二) 以上のとおり、砒素が肺癌(及びその他呼吸器癌)の発生に寄与・加功するものであることは一般に肯認されているものというべく、動物実験等の成績が十分でないことをもつてこれを覆すに足りないこと及び米国砒素シンポジウムの論議がこれに抵触するものでないことは一項で皮膚癌に関連して説示したとおりであり、これに抵触する証人山内の証言の採用しがたいことも同説示のとおりである(尚、右シンポジウムでは、バーロウ(Bar-low)等により、(一)(1)の報告の一部につき二酸化硫黄や銅の共存、関与も論じられているが、それも砒素の寄与を否定する趣旨でなく、それを前提としてそれとの競合関与を論じているにすぎないことが明らかである。なおまた、本件においても二酸化硫黄が共存、競合関与していることは第一章及び本章第四節記載のとおりである。

環境庁の昭和五六年検討結果も、その別添資料に鑑みると、砒素と肺癌との関連性自体に疑問を示しているのではなく、共存物質の利用、関与の程度等についての解明が十分でないことや非職業性曝露による発症例が十分でないことを強調しているにすぎないと解される。そして、これが土呂久地区において高率に出現していることも明らかである。

2肝癌、泌尿器癌、乳癌その他

(一) 右1認定の事実その他上来認定のところに、右1掲記の各証拠を総合すれば、次の事実が認められ、これを左右する証拠はない。

(1) 砒素中毒における皮膚、呼吸器以外の悪性腫瘍の発生に関しては、次のような報告がある。

ブドウ園従業者事件における報告。

(ⅰ) 右1の掲記のロスによる肝悪性腫瘍多発等の報告、ブラウン(胆管癌)、パイン(食道癌)の各報告。

(ⅱ) Liebegottらは、患者一九名中五例に肝の悪性腫瘍(癌三、肉腫二)を報じている。

右1の掲記のとおり、ブラックフット病の事例において、死因中に膀胱、肝臓の癌が高率である旨報告されている。

右1の(ⅰ)記載のとおり、Sommersらは、文献的に泌尿生殖器癌四、乳癌二等を収集し、肺のほか泌尿器、口腔、食道に好発すると述べている。

Zaldivarは、アントファガスタ事件につき、肝の悪性血管内皮腫の多発を報じている。

Regelsonらは、フォーレル水投与後に生じた肝血管肉腫の症例を報じている。

他に、一例の肝臓の血管肉腫例が一般的環境曝露と結びつけて報告され、砒素殺虫剤製造工場労働者でリンパ腫の発生率の高いことが報ぜられ、また、製錬所労働者に肝癌、結腸癌、白血病、骨髄腫の発生率の高いことが、砒素含有洗液で汚染された羊毛紡績労働者に口腔癌の発生率の高いことが、それぞれ報じられている(IARCの一九八〇年報告文による)。

(2) 次に、土呂久地区においては、右1で認定したとおり、昭和五六年当時の二二名の死亡者中の九名の癌のうち、呼吸器癌以外の三名は、一名が尿道癌(亡佐藤ハルエ)、一名が尿管癌(亡鶴野秀男)、一名が前立腺癌と、全例が泌尿生殖器癌で(本件被害者ら二三名で言えば五名の癌死亡中、二例が泌尿器癌である。)その頻度の高さは軽視しえないとされている。

(3) 成書類等を見ると、まず、肝臓の悪性腫瘍(癌、肉腫)については、

(ⅰ) 前章第一節掲記その他の成書類中には、「砒素により発症する疑いがある」とするものや「砒素は肝臓の癌の原因になると考えられる」旨記述しているものもある。

(ⅱ) しかし、他方、前記IARCの各報告においては、肝悪性腫瘍(及びその他の癌)の症例は紹介しているものの、その皮膚、肺以外の癌発生の危険性の増大を示唆するデータは評価するには十分でないと述べている。

(ⅲ) また、前記環境庁昭和五六年検討結果の別添資料では、「皮膚癌、肺癌のほか、砒素化合物による悪性腫瘍として比較的多くの報告がみられるのは肝臓癌である」とされ、右検討結果では、「肝癌の発生の可能性が論じられているが、環境汚染との関連性は十分に証明されていない」と述べつつも、障害度の評価については、「慢性砒素中毒と診断された患者で(は)……肝癌については慢性砒素中毒症によるものとみなして、これに基づく障害をも含めて評価を行つて差し支えない」としている。

(4) 次に、泌尿生殖器の癌については、

(ⅰ) 成書類の一部には、「砒素は膀胱の癌の原因になる疑いがもたれている」と述べるものもあり、前記Som-mersらの報告、記述やブラックフット病の事例もこれを支持するかに見える。

(ⅱ) しかし、他方、ブドウ園従業者事件では各種、相当数の癌が報じられているのに、泌尿器の癌(その他泌尿器の障害一般)は一例も報じられてはおらず、一〇項記載のとおり、ロスやブッツエンガイガー等はこれに注目し、「導出性尿路に腫瘍、障害の生じない原因」を論じている。

(ⅲ) また、IARCの各報告や環境庁の昭和五六年検討結果、その別添資料でも、症例の紹介もなく、従つて砒素との関連性について何らの言及もない。

(ⅳ) 前記各症例報告も、高率な出現を確認するに足るほどのものではなく、他にこれを確認しうるような報告も見当らない。成書類も一部のもの以外は、砒素とこれとの関連性に言及していないものが多い。

(5) 更に、それ以外の癌については、

(ⅰ) 一部に、口腔、食道癌の原因になる疑いがもたれている旨述べる成書があるが、その他の成書類でもIARC報告や環境庁検討結果等でも、砒素との関連性に言及するものは見当らない。

(ⅱ) 前記各症例報告でも、多発と評価されるに足るものはなく、他に症例報告の証拠はない。

(二) 以上によれば、

(1) 肝の悪性腫瘍については、相当数の報告が認められ、関連性を積極に述べる成書類も見られるが、十分には証明されていないとの見解も有力であると解される。

(2) 泌尿器癌については、関連性を示唆する報告や成書類も見られるが、いまだこれを肯認するほどの評価は受けていないと解され、一〇項認定のところも併わせ考えると、土呂久地区における発症頻度を考慮に入れても、いまだ、法的因果関係を肯定しうるほどの関連性を認めることは困難というべきである。

(3) その他の癌については、関連性の評価を論ずるほどの資料は集積されていないものと解される。

(4) なお、原告らは、砒素の発癌性は全身のすべての臓器につき一律に(或いは同等に)認められるべきである旨主張するけれども、砒素による発癌の機序については(前章第一節第一の一項で触れたような推論があるのみで)何ら解明されていないのであるから、現に各組織、器官により発症の数、頻度に著しい差異がある以上、前章第一節認定の砒素の一般的作用機序(SH基酵素の阻害、細胞代謝の阻害)とその普遍性をもつて、原告主張の如く解することはできず、甲第二三三号証(中の佐野辰雄の談話)もこれを証するには足りず、他に前記認定、説示を覆して原告主張のとおり認むべき証拠はない。

3潜伏期間

右1、2掲記の各証拠によれば、砒素による悪性腫瘍(皮膚悪性腫瘍を含む)の潜伏期間については、次の各研究者がその症例或いは従来の報告症例等に基づき、次のとおり論じており、一般に、砒素が作用してから発症までの期間は非常に長いとされている。なお、一〇年以下の短期間とするエンターラインも、その余の報告を否定するに足る根拠を示しているわけでもなく、右認定を覆すに足りず、他にこれを左右する証拠はない。

ロス、ブラウン――一三ないし二二年又は一三ないし五〇年。

ノイバウエル――三年ないし四〇年(平均一八年)。

Sommers――一三ないし五〇年(平均二五年)。

Liebegott――一七ないし二一年。

Fier――平均一四年。

西山――一五ないし三〇年。

エンターライン――一〇年以下。

第四各被害者毎の因果関係

本節第一で述べた観点に則り、本節第三で各症状毎に認定、説示したところを基に、これと別紙「個別主張・認定綴Ⅲ、当裁判所の認定」の「5、認定に供した証拠」欄掲記の各証拠を総合して、本件被害者ら各人の前記各症状(死因を含む)と本件砒素曝露との因果関係を個別に検討すると、同綴の各「3(B)、因果関係」の欄で因果関係の認められないものとして摘記したものは、そこに述べる理由により因果関係を肯認しがたいものというべきであるが、それ以外の症状・死因は、すべて、個々的にも、砒素の寄与認定を妨げるほどの事情(他の発症要因等)も見当らず、本件砒素曝露と法的因果関係を有するものと認めるのが相当である。

そして、被告の反論・反証のうち、本節第一、第三で既に言及、排斥した点についてはここで省略し、その余のうち、右「3(B)」で容れる以外は、同綴「3(C)、被告の反論について」の欄で述べる理由により採用できない。

尚、以上いずれでも触れなかつた被告の反論、証人川平の証言は、前記第一、第三で説示したところ及び右掲記の各証拠に対比して採用しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

第四節  亜硫酸ガスの影響

土呂久地区の大気が砒素(亜砒酸)だけでなく亜硫酸ガス等の硫黄酸化物にも汚染されていたことは第一章認定のとおりであり、この亜硫酸ガス等が呼吸器系に有害な作用をするものとして一般に認められていることは、<証拠>により明らかであり、乙第三三七ないし三四二号証をもつてはこの認定を覆すに足りない。

したがつて、本件においても、レーンスチェール事件でルンドグレンが指摘し或いは旧松尾鉱山事件で指摘されている(前節第三の二項)のと同様、右亜硫酸ガス等が呼吸器障害、鼻粘膜障害の増悪要因として複合的に作用しているものと認められるし、また、バーロウ等が指摘している(前節第三の一一項)のと同様、肺癌発生について競合的に関与している可能性も考えられるものというべきである。

第四章  責任

第一節  序

第一本件鉱山の鉱業権及び鉱業権者の推移

一<証拠>を総合すれば、本件鉱山の鉱業権者の推移は次のとおりであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1採登第六五号鉱区

大正三年七月二八日 山田英教

大正六年七月二五日 大谷治忠

大正一四年三月二日 渡辺録太郎

昭和六年四月一六日 中島門吉

昭和七年四月四日 関口暁三郎

中島門吉

昭和九年三月一九日 中島門吉

昭和一一年九月一四日 中島門吉

中島和久平

昭和一二年一月二八日 岩戸鉱山株式会社

2採登第八〇号鉱区

大正八年 竹内令

昭和八年 竹内勲

昭和九年 中島門吉

昭和一二年一月二八日 岩戸鉱山株式会社

3採登第六五号鉱区、同第八〇号鉱区

昭和一八年四月一日 中島鉱山株式会社

昭和一九年四月二〇日 帝国鉱業開発株式会社

昭和二五年六月三〇日 中島産業株式会社

昭和二六年八月二九日 中島鉱山株式会社

昭和四二年四月一九日 被告

(右のうち、昭和一二年一月二八日岩戸鉱山株式会社が本件鉱山の各鉱業権を取得したこと及びそれ以降の本件鉱山の鉱業権者の推移については当事者間に争いがない。)

二被告は、東京都港区新橋五丁目一一番三号に本店をおき、鉱業、採石、金属加工等を業とする会社であること、昭和四二年四月一九日中島鉱山株式会社に対する債権の代物弁済として本件鉱山の各鉱業権を取得したものであること、被告は、昭和四八年六月二二日右各鉱業権を放棄し、同月三〇日鉱業権消滅の登録をなしたことは当事者間に争いがない。

第二本件鉱山における砒鉱の採掘、亜砒酸の製錬及び操業期間

一本件鉱山において砒鉱の採掘、亜砒酸の製錬が本格的に行われるようになつたのは大正中頃であること、戦前は昭和一六年まで操業が行われたこと(ただし、昭和二年から五年までの期間は除く。)、戦後は、昭和三〇年に操業が再開され、昭和三七年まで行われたこと、昭和三七年に本件鉱山は閉山されたことは当事者間に争いがない。

二前掲甲第一七号証、甲第二八九ないし三〇七号証を総合すれば、大正九年頃、すなわち本件鉱山の操業が本格的に行われるようになつた初期の頃、砒鉱の採掘、亜砒酸の製錬が行われていたのは、採登第八〇号鉱区であり、採登第六五号鉱区は、大正一四年になつてからこれが行われるようになつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(なお、原告らの、大正九年以降本件鉱山において亜砒酸の製造が行われたのは、採登第八〇号鉱区である旨の主張につき、被告は右主張は時機に遅れた攻撃防禦方法であるから却下されるべきであると申し立てているが、審理の経過、主張の内容及びこれに関連して申出のあつた証拠の種類に照らし、右の提出により訴訟の完結が遅延するものとは認められないから、これを却下すべき場合にはあたらない。)

前掲甲第二九七号証によれば、昭和一一年岩戸鉱山株式会社が両鉱区の鉱業権を取得してからは、両鉱区は合併施業となつていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

第二節  被告の責任

第一はじめに

旧鉱業法(明治三八年法律第四五号)における鉱害賠償規定は昭和一四年法律第二三号(昭和一五年一月一日施行。以下「旧鉱業法改正法」という。)によつて制定された七四条ノ二以下の規定である(それまでは同法に鉱害賠償規定はなかつた。)。右旧鉱業法七四条ノ二は現行鉱業法(昭和二五年法律第二八九号、昭和二六年一月三一日施行)一〇九条とほぼ同旨の規定である。そこで、本件損害に対する被告の責任についての根拠法条を示すと、次のとおりである。

第一に現行鉱業法施行前の作業により、同法施行前に生じた損害については、被告は同法一〇九条三項に基づき、鉱業権譲受人としての責任を負う(鉱業法施行法三五条四項)。

第二に現行鉱業法施行後に生じた損害については、その原因となつた作業が同法施行前になされたものか、施行後になされたものかを問わず、いずれの場合も含めて、次の区別に従い、被告は責任を負う(作業のなされた時期を問わない点については鉱業法施行法三五条一項参照)。

すなわち、被告の鉱業権取得前に生じた損害については現行鉱業法一〇九条三項の鉱業権譲受人として、右鉱業権取得後鉱業権放棄までに生じた損害については、同法一〇九条一項前段の損害発生当時の鉱業権者として、右鉱業権放棄後に生じた損害については、同法一〇九条一項後段の鉱業権消滅時における鉱業権者として、それぞれ責任を負う。以下、更に問題点について検討する。

第二旧鉱業法改正法施行前に生じた損害について

被告は、前記旧鉱業法改正法施行前に生じた損害については、鉱業権譲受人は責任を負わないと主張し、その根拠として、旧鉱業法改正法附則第四項に旧鉱業法七四条ノ二第三項があげられていないことを指摘する。

しかしながら、旧鉱業法改正法施行前に生じた損害については、同法七四条ノ二第一項が適用され(同法附則四項)、右損害発生当時の鉱業権者が責任を負うことが明らかであり、そうである以上、その鉱業権を現行鉱業法施行後に譲り受けた者は、鉱業法施行法三五条四項により現行鉱業法一〇九条三項に基づく責任を負うのであつて、このような譲受人については、旧鉱業法改正法附則四項が問題となる余地は存しないものというべきである(なお、仮に右鉱業権に現行鉱業法施行前の中間譲受人がいて、同人につき旧鉱業法改正法附則四項により同法七四条ノ二第三項の適用に疑問の余地が生じうるとしても、そのことは、現行鉱業法施行後の鉱業権譲受人が前記法条により責任を負うことの妨げとなるものではない。)から、被告の主張は、採用しない。

第三鉱業権者の鉱業の実施の有無と現行鉱業法一〇九条一、三項の解釈

一被告は、現行鉱業法(以下単に「鉱業法」という。)一〇九条一、三項において、損害賠償責任を負うとされている鉱業権者もしくは鉱業権譲受人とは、当該鉱業権に基づき、現実に鉱業を実施した者に限られ、鉱業を何ら実施しなかつた者は、右規定に基づく責任を負わないと解すべきであり、被告は、本件鉱山において鉱業の実施は一切していないから、本件損害について鉱業法一〇九条一、三項に基づく責任を負わない旨主張するので、この点につき検討する。

二まず、鉱業法の鉱害賠償規定(同法一〇九条一、三項)の文理上は、賠償義務を負う鉱業権者、鉱業権譲受人を被告主張の如く鉱業を実施した者に限ると解すべき文言は何ら見当らず、むしろ、単に「損害発生の時における当該鉱区の鉱業権者」、「鉱業権の消滅の時における当該鉱区の鉱業権者」、「損害の発生の時の鉱業権者及びその後の鉱業権者」が賠償義務を負うと規定していることからすれば、鉱業実施の有無を問わず、右に該当する各鉱業権者に賠償義務が帰属するものと定めているものと解するのが自然である(尚旧鉱業法七四条ノ二も同様)。

三これを実質的に考察しても、

1鉱業の実施、稼業すなわち鉱業権の現実的な行使は、古来幾多の鉱害を惹起してきており、鉱業権はその行使に際して不可避的に鉱害を随伴するものと言つても過言ではないと解されるから、鉱業法の鉱害賠償規定は、右の如く危険性を必然的に内包している鉱業権自体に着目し、これを保有すること自体に、その危険性に対応する責任を課しているものと把握するのが相当である。

2右規定の立法目的として強調されている被害者保護の観点からしても、鉱害はその性質上何人の稼業によつて生じたかを確認することが極めて困難であるから、その賠償義務者を、稼業の有無とは無関係に、形式的、画一的に一定時点(損害発生時、鉱業権消滅時)の鉱業権者及びその譲受人と定めたものと解するのが妥当である。

3また、鉱業法は、鉱業権者に対して遅滞、中断のない稼業を義務づけ(同法六二条)、且つ鉱業権者自身又はその監督下の者による鉱業の実施、管理を要求している(同法一三条参照)のであつて、租鉱権の設定を除き、稼業なき鉱業権者の在存は許容しない立場をとつているのであるから、かかる法の禁ずる「稼業なき鉱業権者」であることをもつて鉱業賠償責任を免れるべき事由として主張するのは、鉱業法の精神に反する失当なものというべきである。

4鉱害賠償規定を右の如く解すると、鉱害の原因を作出したのでない者が賠償責任を負う結果の生じることは明らかであるけれども、鉱業法はかかる「原因に関係なき鉱業権者」の賠償責任負担を当然のこととして容認していると解される(例えば、「損害発生当時の鉱業権者」はその損害が前鉱業権者の操業によるものであることを立証しても賠償責任を免れえないとされているし、租鉱権を設定し自ら稼業しない鉱業権者にも賠償責任を課している。)。そして、それによる結果の不当性は、鉱害の原因を作つた者に対して求償権を行使すること(法一一〇条二項等)によつて、解決する立場を採つているものと解される。

四してみれば、鉱業法一〇九条一、三項所定の要件に該当する鉱業権者、鉱業権譲受人である以上、鉱業実施の有無を問わず同条所定の賠償義務を負担することを免れないものと解するのが相当であつて、被告の主張は採用できない。

第四昭和一二年以前の亜砒酸製錬に基づく損害について

一大正中頃から、本件鉱山において砒鉱の採掘、亜砒酸の製錬が本格的に行われるようになつたが、昭和一二年一月二八日に岩戸鉱山株式会社が本件鉱山の各鉱業権を取得するまでの期間、本件鉱山において、実際の亜砒酸製錬作業に従事したのは鉱業権者自身ではなく、鉱業権者との関係はともかく、川田平三郎、宮城正一、野村弥三郎らであつたこと、右昭和一二年一月二八日以降は、岩戸鉱山株式会社を初め各鉱業権者(ただし被告を除く。)が砒鉱の採掘、亜砒酸の製錬を行つたことは当事者間に争いがない。

二しかして、原告らは、右川田平三郎らは竹内令等の鉱業権者に雇傭されて亜砒酸の製錬作業に従事したにすぎず、昭和一二年以前の亜砒酸製錬も鉱業権者自身によつてなされたものである旨主張し、原告佐藤ミキ本人の供述中にはこれに沿う部分もあるけれども、次項掲記の各証拠に対比すると、右供述部分をもつては原告ら主張を認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

三そこで、右川田平三郎らの行つた亜砒酸製錬の実態及び同人らと鉱業権者との関係について、更に検討する。

前記(第一章第一、第二節)認定の事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、乙第四〇〇号証及び証人神崎の証言中この認定と異なる部分は、前掲各証拠と対比して措信し難く、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1右亜砒酸製錬作業に供された砒鉱は、すべて本件鉱山で採掘されたものであり、他の鉱山から買鉱して製錬されたことはなかつた。

2その製錬作業は、土呂久川川べりの坑口真近の作業場で選鉱と並んで行なわれ、製錬に伴う焼滓は、選鉱に伴う捨石と同じく、土呂久川やその川べりに、一緒に堆積ないし投棄されるなど、製錬と採掘の場は密着していた。

3その作業工程は、採掘、搬出された鉱石が右の作業場で選鉱され、焙焼するのに適当な大きさに砕かれたうえ、そのまま同所にある亜砒焼き窯で製錬されるという一連の統一的作業によつて行なわれていた。

4当時本件鉱山では、坑内作業を希望して鉱山事務所に雇われた者が人手が足りないということで製錬作業に回されたり、その者が後に坑内作業についたり、製錬作業に従事する者が時々坑内作業をしたり、逆に坑内作業に従事する者が時々製錬作業に従事したり、鉱石運搬と団鉱作りとに兼ねて従事していたりといつた状況で、各作業毎に従業員がはつきり分かれているということもなかつた。

これを雇主の面から見ても、例えば、川田に雇傭されていた者には、坑内作業をする者も、製錬作業から坑内作業に移つた者も、鉱石運搬と団鉱作りとに兼ねて従事している者もいるといつた具合であつた。

5鉱山事務所は、採掘と製錬毎に別の事務所が存在したのではなく、常に一つであり、同一事務所で採掘や製錬に関する事務がとられていた。

また、従業員のための鉱山住宅についても製錬に従事する者も坑内作業に従事する者も共に同一の鉱山住宅に居住していた。

6昭和九年以前においても、製錬原料の砒鉱が鉱業権者から右亜砒酸製造者に売渡されたものと窺うべき事情は何もなく、むしろ、右4記載のとおり、川田らは自ら採掘にも携つていたものであり、高千穂町史等では、川田は(鉱業権者の)竹内から事業を譲りうけて鉱山を経営し、竹内に歩合を支払つていた旨記載されている。

7昭和九年に中島(門吉)が本件鉱業権を取得し経営に乗り出した後は、従来の製造者から引き続き亜砒焼きをやらせてほしいと申し込まれたが、「自分達と混じつて昔ながらの採掘をされては邪魔になる」と考え、砒鉱を中島から渡して「請負」(中島や岩戸鉱山株式会社の担当者神崎、鈴木の表現)で亜砒酸製錬のみをやらせ製品は中島が引取り、保管、処分した(尚、この形態は岩戸鉱山株式会社が鉱業権者になつてからも暫く続いた。)。また、中島は、その方針により自らも反射炉を新設し、焙焼を行つた。

四以上認定の事実によれば、土呂久における亜砒酸製錬は昭和一二年以前も、本件鉱山の砒鉱の採掘、選鉱と連続的に一体となつて行われていたことが明らかであつて、それらは、法形式的な施業主体の点は別として、客観的には統一的な一個の事業を形成していたものと認めるのが相当である。

同様に右事実関係によれば、川田らの右亜砒酸製錬(及び採掘)が鉱業権者との契約に基づきその授権を受けてなされていたものであることもまた明らかである(その契約内容及びそれが鉱業法に抵触するものであることについては暫く措く。)。

したがつて、本件鉱山での亜砒酸製錬は、昭和一二年以前においても、本件鉱業権に基づく鉱業の実施(旧鉱業法一条、現行鉱業法四条所定の「鉱物の採掘及びこれに附属する選鉱、製錬その他の事業」の一環としての施業)としてなされていたものというべきである。

してみれば、右川田らは独立の買鉱製錬業者であるとか、その亜砒酸製錬は本件鉱業(権)の施業ではないとかの被告の主張が失当であることは明らかである。

五そこで、右のように、鉱業権者からの授権に基づき、鉱業権者以外の者によつて鉱業の実施としてなされた製錬による損害の惹起が旧鉱業法七四条ノ二第一項、現行鉱業法一〇九条一項所定の鉱害賠償責任の発生原因事実に該当するか否かについて、以下検討する。

六まず、右規定の文理上は、右賠償責任の発生原因事実は、「鉱物採掘のための土地の掘さく、坑水若しくは廃水の放流、捨石若しくは鉱滓のたい積又は鉱煙の排出によつて他人に損害を与えた」と規定されているのみで、それが鉱業権者自身によつてなされることは何ら要件として掲げられておらず、同法の他の規定を見ても、右掲記の各原因行為は旧法一条、現行法四条にいう鉱業の実施としての行為であることを要すると解される以外には、これを鉱業者自身の行為に限るとかその他限定的に解すべき根拠は見当らない。

七これを実質的に考察しても、

1鉱業法は、本節第三説示のような鉱業の危険性(及びその経済的重要性)に鑑み、旧法、現行法とも、いわゆる鉱業自営の原則を採用し、鉱業の実施、管理(鉱業権の行使)は、鉱業権者自身又はその監督下の者によつて行なわれるべく、第三者に権限を授与してこれを実施、管理させてはならないとして(旧法一七条、現行法一三条参照)、鉱業の管理は専ら鉱業権者自身の責任とするとともに、鉱業権者に、鉱業実施に伴う危害・鉱害を防止する(防止措置を講ずる)全面的な責任を課す(旧法四四、四五条、七一ないし七四条等、現行法制では鉱山保安法)ことによつて、前記のように鉱業権自体に不可避的に随伴するともいえる危害、鉱害の発生を防止すべく図つており、右防止措置の懈怠等の違反行為に対しては鉱業権者に刑事責任も課されることになつている(旧鉱業法一〇四条、鉱山保安法)。

なお、右旧鉱業法一〇四条は、「雇人其ノ他ノ従業者」に違反行為があるときは、鉱業権者は、「自己ノ指揮ニ出テサルノ故ヲ以テ本法ノ処罰ヲ免ルルコトヲ得ス」と規定しており、その従業者については、判例上、鉱業権者の権利に基づき鉱業の経営に従事する者は、鉱業権者の計算において従事すると自己の計算において従事するとを問わず、右規定の従業者に該当するとされている(大審院大正四年二月二七日判決、刑録二一輯一六七頁)。

2このように、鉱業法制上、鉱業権者は鉱業の実施に伴う危険防止の責任を全面的に負うとされ、その危険防止の確保を主要な目的の一つとして鉱業自営の原則が採られているのであるから、右原則に反して第三者に鉱業を実施、管理させた場合、それによつては鉱業権者の右責任には何らの影響も及ぼさず、自ら施業する場合と同一の責任を負うものというべきであり、このことは右施業によつて右の目的に反する事態(鉱害)が生じた場合の民事上、刑事上の責任についても同様というべきである。従つて、鉱業権者は右第三者の施業による鉱害についても自己施業によるものと変わりない賠償責任を負うべきであるのは、むしろ当然のことと解され、右の第三者が鉱業権者の指揮監督下にないことは、何ら右責任の発生を妨げる事由とはならないものというべきである(前掲大正四年大審院判決。大審院大正二年四月二日判決、民録一九輯一九三頁)。

3もし、かく解さず、右の第三者を指揮監督していないことを理由に鉱業権者は賠償責任を免れるとか、或いは民法七一六条等の要件が備わらなければ責任を負わせえないとすれば、それは、鉱業法の禁ずる鉱業実施形態を採ることによつて同法の定める責任を免れしめることとなつて、鉱業自営の原則の意義も鉱害賠償規定の立法趣旨も大きくそこなわれ、著しく不当であるといわざるをえない。

4ところで、実際の鉱業界では、対価(斤先料)を得て第三者に鉱業を実施させたり、(鉱業権の賃貸借類似の契約。講学上はこれを「斤先掘」と称することが多い。)第三者に鉱業の操業(の全部又は一部)を行なわせて対価(請負料)を支払つたり(請負類似の契約。「請負掘」等と称される。但しこれも「斤先掘」に包摂して考える見解もある。)、或いはその中間的形態で鉱業を実施する慣行が跡が絶たなかつた。

これらの鉱業実施形態は、いずれも、実質的には第三者をして鉱業を実施、管理させるもので、鉱業自営の原則に抵触するものというべきであり、殊に右斤先掘ないしそれに類似した形態のものは、判例上、その契約は無効であるとされるとともに、斤先掘者の行為によつて他人に損害を与えたときは鉱業権者が責任を負うとされてきた(前掲各大判等)。右の判例理論、特に鉱業権者の賠償責任負担の理論は、概ね先に述べてきたところと同旨の理由によるものであつて、それは斤先掘だけでなく請負掘といわれる形態のものにもあてはまると解するのが相当である。

(尚、右各判例は、鉱業権者に民法上の一般不法行為責任を課したものであるが、それは旧鉱業法の鉱害賠償規定の立法されていない当時のものだからであり、その後、被害者のより一層の保護を図るべく右鉱害賠償規定が立法されたのであるから、それによる鉱業権者の責任には、それ以前に判例上到達していた右の法理も又当然包摂されているものと解すべく、これを否定すべき法令上、実際上の根拠は見当らない。)

5以上のように解することの妥当性は、現行鉱業法において、租鉱権の制度を創設して斤先掘の一部を厳格な要件のもとに合法化するとともに、他面、租鉱権者が鉱害賠償責任を負う場合は当然に鉱業権者も連帯責任を負うとされたこと(一〇九条四項)、及び当該鉱区からの鉱物的成果は鉱業権(租鉱権)によらないで得られた場合にも鉱業権者(租鉱権者)の所有になるとされていること(八条)からも、裏付けられる。

八これを本件についてみると、前記認定の事実によれば、川田らの亜砒酸製錬は、当時の鉱業権者が斤先掘、請負掘ないしはこれと類似する形態において、その鉱業(の全部又は一部)を実施、管理させたものと認められるから、右に説示してきたところからして、その施業(亜砒酸製錬)によつて生じた鉱害についても、鉱業権者は賠償義務を免れないものというべきであつて、被告の主張は採用できない。

第五鉱業法一一六条の不適用

被告は、鉱業法一一六条によれば、鉱業に従事する者が業務上負傷し、疾病に罹患し、あるいは死亡しても、これにつき鉱業法の鉱害賠償規定は適用されないから、本訴請求のうち本件鉱山に勤務し、鉱業に従事した経歴のある鶴野秀男以下一六名の者の被つた損害にかかる請求は失当である旨主張する。

しかしながら、従業員が、鉱業法一〇九条一項所定の原因行為に基づき、業務上においてのみならず業務外においても健康に対する侵襲を受け、しかも生じている健康被害が性質上不可分一体で、右のいずれによるか区別できない場合にも鉱業法一一六条の適用があると解するのは不当であるから、この場合は鉱業法一一六条の適用はなく、受けた健康被害の全部につき鉱業法の鉱害賠償規定が適用されると解するのが相当である。

上来認定してきたところ及び後記第六章(損害の章)第一節第二で認定するところによれば、被告指摘の一六名の被害者は、本件鉱山に勤務して作業に従事し、その過程で鉱山の操業に基づき排出された砒素や亜硫酸ガスに、業務上曝露すると同時に、他面土呂久地区に居住し、その生活過程で右鉱山から排出される砒素や亜硫酸ガスに、業務外においても曝露したものであり、それらの者の被つた健康被害は不可分一体で、業務上の事由による部分と業務外の事由による部分とに判然区別できない性質のものと認められるから、前記説示からして右健康被害の全部について、鉱業法の鉱害賠償規定が適用されるものというべく、被告の主張は採用できない。

第三節  総括

以上によれば、被告は、第一章認定の原因行為に基づき本件鉱山から排出された砒素、亜硫酸ガスによつて本件被害者らの被つた損害につき、これを賠償すべき義務があるものというべきである。

第五章  抗弁及び再抗弁について

第一節  和解

第一斡旋の経緯

一次の事実は各当事者間に争いがない。

亡佐藤鶴江、亡鶴野秀男、亡鶴野クミが昭和四七年八月二三日宮崎県の定めた「土呂久鉱山に係る健康被害の緊急医療救済措置要綱」に基く健康被害者と認定されたこと、右三名の被害者及び被告が同年一二月二八日宮崎県知事の各斡旋案を受諾したこと、亡佐藤ハルエが昭和四八年七月一八日公健特別措置法により健康被害者と認定されたこと、同人と被告が昭和四九年二月二日宮崎県知事の斡旋案を受諾したこと、原告佐藤ハツネ、同佐藤實雄、亡佐藤健蔵が昭和四九年二月二八日同法により健康被害者と認定されたこと、同人ら(ただし亡佐藤健蔵については、昭和四九年四月二五日同人が死亡したため、その相続人の一人でありかつ他の相続人らの代理人である亡佐藤タツ子)と被告は昭和四九年一二月二七日宮崎県知事の各斡旋案を受諾したこと、原告佐藤正四が昭和四九年一〇月一日公健法により健康被害者と認定されたこと、同人と被告が昭和五〇年五月一日宮崎県知事の斡旋案を受諾したこと、亡佐藤アヤが昭和五一年三月二四日同法により健康被害者と認定されたこと、同人と被告は同年一〇月一六日宮崎県知事の斡旋案を受諾したこと、右第一次から第五次の各受諾された斡旋案には別表5―2補償金一覧表記載の補償金額が記載されているほか、補償は、砒素に起因する土呂久鉱山に係る健康被害にかかるもので、斡旋受諾前及び受諾以後の一切の損害、すなわち医療費、逸失利益及び慰藉料を含むものである旨及び補償金を受領した後は被告に対して名目のいかんを問わず将来にわたり一切の請求を放棄する旨の記載があり、更に死亡した被害者佐藤健蔵にかかる斡旋案には「ただし、佐藤健蔵の死亡の原因と慢性砒素中毒症との関連について、斡旋者が判断できえた時点において、補償内容及び補償額を検討することを留保する」旨の条項が加えられていること。

二<証拠>を総合して判断すると次の事実が認められ、右各証拠中認定に反する部分は措信しえず、他にこれを覆すに足る証拠はない。

1宮崎県は、昭和四六年一一月斉藤教諭により土呂久地区の鉱毒公害問題が提起されるや、これを住民の健康に関わる問題であるとして、同月中に宮崎県調査に着手し、三次にわたる住民の検診等を経て、昭和四七年七月三一日、土呂久地区住民のうち七名について慢性砒素中毒症の疑いあることを公表したこと、

2宮崎県知事は、右の結果を受け、同日付けで被害者救済についての行政措置として、公健特別措置法の適用を国に申請するとともに、右適用がなされるまでの間、県において同法に準じた医療救済措置を行なう旨及び被害救済について現在の鉱業権者との間で早期に円満な話し合いによる解決がはかられるよう、双方の意見を確認のうえ斡旋にあたる旨を表明し、一方で「土呂久鉱山に係る健康被害の緊急医療救済措置要綱」を決定して、同月二三日亡佐藤鶴江、亡鶴野秀男、亡鶴野クミを含む前記七名を同要綱による健康被害者と認定するとともに、他方では、被告に対し、被告より前の旧鉱業権者が既に存在しないことでもあるので被告が補償の当事者となつて欲しい旨を申し入れ、意向があれば被害者との間の斡旋をしたい旨表明し、被告から将来に紛争を残さない形で解決して欲しい旨の斡旋の依頼を受け、続いて被害者ら七名に対し、法的責任の所在を別として、被告との間の被害補償についての斡旋をしたい旨伝え、七名全員から斡旋の依頼を受けたこと、

3県知事は、同年九月八日弁護士、医師らに委嘱して三人委員会を設置し、同委員会に対し斡旋案についての意見の提出を求めたこと、

4同委員会は、同年九月一八日から同年一二月二二日まで七回にわたる会議を開き、その間県調査にあたつた専門委員から意見聴取する等して宮崎県調査のそしやく理解につとめる一方、被害者らからの意見聴取等を行ない、同月二七日付けで県知事に対し、「補償は、健康被害者の健康に係る損失を填補する見地から考慮することとし、医療費、逸失利益及び慰藉料について配慮しつつこれを総合的に勘案して、慰藉料として支払うのが適当」とし、補償額は、佐藤鶴江二四〇万、鶴野秀男三二〇万、鶴野クミ一六〇万、その余の四名の被害者各二〇〇万とするのが相当とする意見書を提出したこと、

5宮崎県知事は、同年一二月二七日、二八日の両日、宮崎市で斡旋を行ない、日向荘で斡旋開始の挨拶を行つた後、斡旋案の提示及びこれについての説明説得は、報道陣の取材を避けて同市内の平安閣において、県担当者をして行なわせたこと、これには高千穂町長が立会つたこと、

6被害者らのうち佐藤鶴江、鶴野秀男、鶴野クミは、当初補償額が低額にすぎると主張したが、これに対し県担当者は斡旋額が前示のとおりであるのは認定症状が限られているためである旨説明したこと、右三名については補償額が増額されたこともあつて最終的には斡旋案を受諾することとなり、知事、被告担当者、被害者らが一堂に会し調印式が行なわれたが、ここに至るまで被害者らと被告担当者が直接交渉したことはないこと、

7第二次ないし第五次の斡旋は、被害者らからの知事に対する強い斡旋依頼に基き始められたもので、知事において、三人委員会に対して意見を求め、その提出された意見に基き斡旋案を作り、これを被害者ら及び被告に提示し、斡旋案の受諾に至つたこと、被害者らと被告との間の直接交渉はなかつたこと、以上の事実は一次の場合と同様であること、

8第二次斡旋における佐藤ハルエは、補償額の増額とともに、請求権放棄条項の削除を求めたが、県担当者から「皮膚と鼻だけだから低い。他の病気が出たら又見てやる。」との言質を得たが、増額も請求権放棄条項の削除も入れられなかつたため、斡旋によることを一時諦めかけたが、同行した夫佐藤實雄とも相談のうえ結局は斡旋を受諾することになつたこと、

9第三次斡旋については、昭和四九年九月一日から公健法が適用されるため、県において同法の説明会を行つたが、同年二月二八日に認定された一三名の被害者全員(ただし、亡佐藤健蔵については前記の亡佐藤タツ子)から知事に対する斡旋依頼がなされたこと、被害者らは、県に対し、「土呂久、松尾等公害の被害者を守る会」の会長を代理人とすること、生活費月額七万円、慰藉料一律一六〇〇万円等が実現するよう斡旋すること等の申し入れを行なつたが、会長は斡旋に立会うことが認められたにすぎず、また金額の申し入れはこれに拘泥するものではない旨約束させられたこと、斡旋は同年一二月二五日から三日間にわたつて行なわれ、その席上被害者らから補償額についての不満が述べられたが、県担当者はこれに対し「額が低いのは皮膚と鼻だけのためで、認定条件が広がつたらまた検討する」旨答えたこと、結局一三名のうち三名は公健法による救済の道を選び、佐藤ハツネ、佐藤實雄、亡佐藤タツ子を含む一〇名は斡旋案を受諾することとなつたこと、

10第四次斡旋は、昭和四九年一〇月一日認定を受けた二三名全員について、翌五〇年四月二八、三〇日と五月一日に行なわれたが、被害者ら全員は何らの不満を述べることもなく斡旋案を受諾したこと、

11第五次斡旋は、佐藤鶴江、鶴野秀男らが斡旋による前記和解は無効であるとして本訴を提起した後である昭和五一年三月二四日認定された被害者三八名中三四名及び同年五月二七日認定された被害者一〇名中三名の強い依頼に基き開始され、同年七月七日から一〇日にかけて行なわれたが、何ら質疑のないまま三七名全員が斡旋案を受諾することとなつたこと

第二和解契約の解釈

一右の被害者ら(ただし、亡佐藤健蔵については前記亡佐藤タツ子)と被告の双方が知事の各斡施案を受諾したことにより、右の当事者間に各斡旋条項を内容とする和解契約が成立したと解すべきであるが、前記斡旋の経緯からすると、契約当事者相互間の交渉は皆無であつたから、和解契約の解釈は、合意された文言自体を中心として、客観的、合理的になされるべきであると考える。

二1本件和解において、「補償は、砒素に起因する土呂久鉱山に係る健康被害に対するもの」と約定されているが、右の「健康被害」とは、当時被害者に現に生じていた健康被害だけでなく、既往の健康被害をも含むものであることは和解の性質上当然のことと解されるが、他方当時被害者らに発症していなかつたがその後新たに発症した症状については、右の健康被害中には含まれていなかつたと解するのが相当である けだし、右和解契約の補償金は、慢性砒素中毒症が、砒素曝露後長期間にわたつて身体各所に広範多彩な症状を出現、増悪させるものであるとの認識のいまだない当時において、被害者の現症状と既往歴から算出されたことが明らかだからである。

2更に、「砒素に起因する……健康被害」とされているから、当時被害者に既に発症していた一切の健康被害を対象としたのでなく、砒素との間に因果関係のある症状を対象としたと解するのが相当である。

(一) 第一次斡旋に際し、知事に対して斡旋案についての意見書を提出した三人委員会が、その当時において、被害者らの各健康被害と砒素との因果関係を知る有力な手がかりとなつたのは、宮崎県調査結果及び倉恒報告(乙第一〇九号証、甲第一六、一七号証)及び右調査の第三次検診の結果を報告した中村報告(一)(甲第一二、一三号証。もつとも中村報告(一)は、当時まだ公表されていなかつたが、三人委員会は、県調査の専門委員から事情聴取していたことが、証人後藤の証言及びこれにより成立を認める乙第一一四、一一六号証によつて認められるから、右報告と概ね同旨の知見を得ていたと認められる。)であり、三人委員会が右各結果、報告と異なる知見を得ていたことを窺わせる証拠はない。ところで、右宮崎県調査は、亡佐藤鶴江ら七名を皮膚所見から慢性砒素中毒症と思われると判定しており、倉恒報告も、皮膚所見については砒素との因果関係を肯定するが、その他の土呂久地区住民に有意に高率に認められる諸症状については「現時点では特定の環境汚染と結びつけることは困難である」としていたし、中村報告(一)も、皮膚所見について「慢性砒素中毒では、表皮細胞に徐々に進行する一連の病的変化が起つているものと推論される」とし、呼吸器症状について「七例中六例(本件被害者三名はいずれもこの六例中に含まれている)は肺の線維化像・肺気腫像・胸膜肥厚等が認められ、皮膚所見と併せ考えると、砒素との密接な関連性を否定出来ないと考える」としているものの、他の所見、症状については因果関係を肯定するに至つていない。従つて、本件証拠による限り、三人委員会が第一次斡旋当時慢徃砒素中毒症として把握していた症状は、七名全員についての皮膚症状と亡佐藤鶴江、亡鶴野秀男、亡鶴野クミを含む六名の呼吸器症状であつたと認定せざるをえず、同委員会はこれに基いて被害者らの補償額を算定し、宮崎県知事も、被害者らの要求で多少の補償金の上積みはしたものの、基本的には三人委員会の見解に基いて斡施案を作成したものと認められる。そうして、被害者鶴野秀男らは、自己の健康障害の全部が砒素に起因すると主張していたが、県担当者から、認定症状は限られているとして右主張は入れられず、健康被害と砒素との因果関係についてそれ以上の具体的な説明を受けないままに斡旋案を受諾したものであるし、被告も県担当者からは因果関係について右の三人委員会の見解と異なる説明を受けていたわけではない。してみると、和解契約の対象となる健康被害の範囲は、斡旋者たる宮崎県知事の見解、すなわち三人委員会の見解に従つて解釈するのが最も合理的であり、これによれば、右佐藤鶴江、鶴野秀男、鶴野クミの和解の対象となつた健康被害は、皮膚症状及び呼吸器症状に限られると解するのが相当である。

(二) 次に第二次及び第五次の和解の対象となつた健康被害の範囲について考えるに、昭和四八年二月一日環境庁企画調整課長から宮崎県環境保健部長宛てになされた公健特別措置法による慢性砒素中毒症の認定についての通達(乙第一一三号証)には、皮膚に砒素中毒に特徴的な色素異常及び角化の多発が認められるか、鼻粘膜瘢痕又は鼻中隔穿孔が認められることが慢性砒素中毒症と認定するのに必要な要件とされており、昭和四九年五月一五日これを改訂する通達(乙第一七七号証)により、右のほか砒素によると思われる皮膚症状の既往等があつて、慢性砒素中毒を疑わせる多発性神経炎が認められることが認定要件として追加されたから、三人委員会は右各時点において、皮膚症状、鼻粘膜症状、多発性神経炎が砒素に起因する健康被害に含まれることを把握していたというべきであり、他方、呼吸器症状については、右通達に全く記載がないこと及び第二次ないし第五次の被害者については第一次における中村報告(一)のような他の症状から個別に因果関係を肯定する見解、診断は存しなかつたから、これを砒素に起因する健康被害から除外していたものと考えられる。従つて、本件証拠による限り、三人委員会が第二次、第三次の斡旋当時慢性砒素中毒症として把握していた症状は、皮膚症状、鼻粘膜症状に、第四次、第五次の斡旋当時は、皮膚症状、鼻粘膜症状、多発性神経炎にそれぞれ限られると解するのが相当である。(因みに、第三次和解の成立した昭和四九年一二月二八日当時は、既に右改定通達が発せられていたが、被害者佐藤實雄、佐藤ハツネ、亡佐藤健蔵には、多発性神経炎の発症はなかつたものである。)そうして、前示のように、県担当者は斡旋に際し一部被害者にこれと同一の見解を伝えていたものであり、他方被告に対しこれと異なる説明をしていたとみるべき証拠はない。

(三) 以上によれば、本件各和解契約において補償の対象となつた健康被害は、佐藤鶴江、鶴野秀男、鶴野クミについては皮膚症状、呼吸器症状に、佐藤ハルエ、佐藤實雄、佐藤ハツネ、亡佐藤健蔵については皮膚症状、鼻粘膜症状に、佐藤正四、佐藤アヤについては皮膚症状、鼻粘膜症状、多発性神経炎にそれぞれ限られると解するのが相当である。

三右のとおり補償の対象を「当時の知見で砒素に起因するとされていた既往及び現在の健康被害」と解しても、他の斡旋条項に牴触するものではない。補償は斡旋受諾前及び受諾後の一切の損害(医療費、逸失利益、慰藉料)を含むとの条項も右の限度での健康被害による損害の意味と理解すれば足りるし、亡佐藤健蔵にかかる和解の留保条項も、同人が既に肺癌で死亡しているため、補償金には、これにかかる損害が含まれていないことを明確にしたにすぎないものと解される。

四ところで、各和解条項には、補償金を受領した後は、被告に対して、名目のいかんを問わず将来にわたり一切の請求を行なわない旨の条項が存することは、当事者間に争いがなく、この条項を、前記の健康被害の解釈いかんにかかわらず、被害者らの一切の請求権を放棄したものと解釈する余地がないわけではない。しかし、右のように解するときは、被害者らに現実に生じた健康被害の重篤性と補償額とを対比すると、社会観念上著しく被害者らに不利益なものといわざるをえない。すなわち、砒素曝露により被害者らが被つた健康被害は、心循環障害、視力障害、視野狭窄、中枢神経障害更には肺癌等重篤な疾病を含み、一部は生死にかかわる程の重篤な疾病であるのに、当時これらが砒素曝露と因果関係を有する症状であることを裏付ける資料は存在せず、却つて公的立場でなされた宮崎県調査ですら、皮膚症状以外については困果関係を否定的に解していた情況下で、皮膚症状と呼吸器症状(第一次)、皮膚症状と鼻粘膜症状(第二、三次)、皮膚症状、鼻粘膜症状と多発性神経炎(第四、五次)、といつた、どちらかといえば慢性砒素中毒症の中ではさほど重篤でない一部の症状を目して算出された補償金の受領と引き換えに、将来死の結果に至つた場合のこれに対する賠償請求権をも含む一切の請求権を放棄したと解することは、著しく不合理であつて相当でないというべきである。したがつて、右請求権放棄条項は、前記補償の対象となつた健康被害の範囲で、これにかかる請求権を放棄した趣旨と解するのが相当である。(尤も、亡佐藤健蔵にかかる和解は、留保条項との関係で、死亡原因となつた疾病の損害賠償請求権だけが留保されたような記載となつているが、これは、斡旋案が当時砒素に起因する症状で、未発症の症状や前記補償の対象とした以外の症状は存在しないとの前提で作成されたためで、右の前提が成り立たない以上、他の和解の場合と同様に解すべきである。)

第三錯誤の主張に対する判断

本件和解契約が前記のとおりのものであつてみれば、亡佐藤ハルエ、原告佐藤實雄、同佐藤ハツエ、亡佐藤健蔵に関する和解については、所論の錯誤は存しなかつたものである。また、亡佐藤鶴江、同鶴野秀男、同鶴野クミ、原告佐藤正四、亡佐藤アヤに関する和解については、補償は皮膚と鼻に関してのものである旨の説明を受けたとの事実を認めるに足る証拠はなく(亡佐藤アヤの尋問結果中三人委員会の委員から色素沈着しか認められない旨の説明を受けたとの供述部分は措信しえない)、従つて右被害者らに補償対象に錯誤があつたと認めることはできない。

第四公序良俗違反の主張に対する判断

原告らは、本件斡旋は公序良俗に違反するとして縷々主張するが、いまだこれを認めるに足る証拠はない。

そもそも原告らの右主張は、斡旋により低額な補償金と引き換えに正当な損害賠償請求権を不当に放棄させられたというにあるが、本件和解契約が前記第二のとおりであつてみれば、補償額が低額に過ぎるということはできず、この点において原告らの右主張の前提は既に失われているものというべきである。

第五まとめ

以上のとおりであるから、被告の和解の抗弁は、前記和解の対象となつたと認められる症状についての賠償請求権が消滅したとする限度で理由がある(因みに、原告佐藤ハツネの砒素曝露に起因する健康障害は皮膚症状に限られるから、同原告については、和解により全部の請求権が放棄されていることとなる。)。

第二節  消滅時効及び除斥期間

第一除斥期間の主張に対する判断

一鉱業法一一五条一項は、損害賠償請求権について「損害及び賠償義務者を知つた時から三年間行わないときは、時効によつて消滅する。損害の発生の時から二十年を経過したときも、同様とする。」と規定し、同条二項は、「進行中の損害については、その進行のやんだ時から起算する。」と規定している。

二ところで、本件の健康被害は、皮膚や粘膜の刺激症状に始まり、砒素等による曝露終了後も、長期間にわたつて、次第に皮膚症状、多発性神経炎、呼吸器障害、胃腸障害、循環障害、更には肺癌等、広範、多彩な症状が出現、増悪するものであり、個々の症状は互いに関連し合つて健康不全状態を形成し、労働能力低下、日常生活阻害等を招来しているものと評価すべきであるから、右各症状として顕われてきている被害者らの健康障害は、その総体が一個の損害として、まさしく鉱業法一一五条二項の「進行中」の損害にあたるものというべきである。

三従つて、前記二〇年の期間は、これが消滅時効期間であるか除斥期間であるかの議論はしばらくおき、損害の進行がやんだ時、すなわち新たな症状の出現や増悪がやんだ時から起算すべきこととなるのであるが、第三章第二節――別紙「個別主張・認定綴Ⅲ、当裁判所の認定」に判示したとおり、本件被害者ら(ただし、原告佐藤ハツネを除く。)は、いずれも、それぞれの本訴提起の日から二〇年前の日以降においても、新たな症状が出現し、症状が増悪し、又は死亡(ただし、砒素曝露との因果関係が認められた者に限る)するに至つたことが認められる。よつて、被告の除斥期間の主張は、理由がない。

第二消滅時効の主張に対する判断

一鉱業法一一五条一項の「損害及び賠償義務者を知つた時」とは、損害賠償請求権の行使が可能な程度に(換言すれば、その権利行使に着手すべきことを期待しうる程度に、)具体的な資料に基いて、損害及び加害者を認識した時を指称するものと解するのが相当である。

ところで、前記のとおり、本件健康障害は症状の広範性、多彩性、進行性、非特異性をその特質とするものであるから、このような場合には、かかる広範、多彩な健康障害の少なくとも主要部分が、鉱山の稼業に起因して進行的に出現、拡大する(又は出現、拡大してきた)ものであることについての認識の有無が、賠償請求権の行使の可能性を大きく左右し、かかる認識のない間は、損害全体についての賠償請求が不可能であるのは勿論であるし、また、すでに出現し且つ砒素等に起因して生じたことの判明している重要でない一部の症状に関してのみの賠償請求に着手すべきことを当然には期待しえないものというべきであるから、右損害に関する賠償請求権の短期消滅時効は、被害者ら又はその相続人が、右に述べた症状の広範性、進行性及び砒素等との因果関係について具体的な資料に基いて認識するに至るまでは、その進行を開始しないものと解するのが相当である

二本件被害者らが、自己らに生じている広範、多彩な症状の主要部分が等しく本件鉱山の稼業に起因して出現・拡大してきたものであることを、具体的資料に基いて知りえたとすれば、それは、本件証拠上、太田報告(甲第一一号証)、中村報告(二)(甲第一三〇号証)、村山英一らの症例報告(甲第一四号証)が相次いでなされた昭和五一年以降であつたと認められ、右認定に反する証拠はない。(亡佐藤鶴江ら七名を慢性砒素中毒症と思われると判定した宮崎県調査(乙第一〇九号証、甲第一七号証)は、皮膚所見からこれを判定しており、倉恒報告(甲第一六号証)も皮膚所見については砒素との因果関係を肯定するが、その他の症状については因果関係を否定的に解していたし、中村報告(一)(甲第一二、一三号証)も皮膚症状について因果関係を認め、呼吸器症状については個々的に他の症状との対比から因果関係を肯定できるとしたものの、他の所見・症状については因果関係を肯定するに至つていないことを考えると、これらによつても、本件被害者らは自らの健康障害を右のようなものとしては、認識しえなかつたと言わざるを得ない。)

本件各訴訟が右の昭和五一年から三年を経過する以前に提起されたものであることは記録上明らかであるから、右短期消滅時効は完成していないものというべきである。なお、被害者らは、慢性砒素中毒症との行政認定を受けるまでの間は、自己の症状を本件鉱山の稼業すなわち砒素に起因すると判断するに足る具体的資料すらなかつたというべきであるから、行政認定の日から、三年以内に本訴を提起した亡佐藤仲治、原告佐藤ミキ、同佐藤数夫、同佐藤高雄、同佐藤チトセ、同清水伸蔵、同陣内政喜、同陳内フヂミ、同甲斐シズカ、亡佐保五十吉、亡松村敏安、亡佐保仁市、原告佐藤アヤについては、この点からも消滅時効は完成していないというべきであり、更に第三章第二節に認定したところにより、各本訴提起の日から三年前の日以降において新たな症状が出現し又は症状が増悪(死亡した場合を含む)したと認められる亡佐藤鶴江、同鶴野秀男、同佐藤仲治、同佐藤数夫、同佐藤勝、同鶴野クミ、同佐保五十吉、同松村敏安、同佐保仁市については、「進行中の損害についてはその進行がやんだときから起算する」趣旨からも消滅時効が完成していないことは明らかである。

第三節  請求権自壊による失効

本件被害者らの健康障害は、砒素曝露後も、長期間にわたつて広範、多彩な症状が出現、増悪するもので、中には心循環障害、癌等で死亡した者もあり、現在の生存者にあつても新たな症状の出現、増悪、ひいては死に至る可能性をも否定しえないこと、各症状は砒素の特異症状に限られないうえ、その出現の有無、増悪の程度には個人差があつて一様でないため砒素との因果関係の解明が容易なものではなかつたこと等の事情からすると、被害者らが、自己に一定の症状が発症したからといつて直ちに当時の鉱業権者らにその賠償を求めなかつたのはやむをえないかつたことというべきで、本件砒素による被害が、本件鉱山の従業者であるか非従業者であるかを問わず地域住民に等しく及んだことを考えると、このことは本件鉱山の従業歴ある者についても同様にあてはまるものというべきである。

右の点に鑑みると、被告の請求権自壊による失効の主張は、到底採用できない。

第六章  損害

第一節  損害額の算定にあたり考慮すべき事情

第一本件被害者らに共通の事情

上来認定してきたところに、各原告(死亡前の原告を含む)本人の供述、証人柳楽、同堀田の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると、次のとおり認め解することができる。

一まず、本件においては、土呂久地区という山間の狭隘な一地域社会が、そのただ中ともいえる場所での本件鉱山操業により、大気、水、土壌のすべてにわたつて砒素汚染され、本件被害者らはその中で居住、生活することにより、長期間にわたつて四六時中間断なく、且つ経気道、経口、経皮、複合的に砒素曝露を受けたものであつて、曝露の態様即ち砒素による侵襲の態様がこのように全面的、継続的であることは、賠償額の算定にあたつても、充分考慮される必要がある。

しかも、本件鉱山にあつては、焙焼炉等に脱煙、脱硫、集じんその他の鉱毒排出防止装置が殆んど欠如しており、その結果として、砒素(及び亜硫酸ガス等)汚染が、前記のとおり濃厚であつたと見られることもまた、鉱業権者の負うべき責任の評価にあたつて軽視しえないところである。

二次に、本件においても、従来の公害事件等におけると同様、被害者と加害者たる鉱業権者(被告のみを指すのではない。)との地位、立場には大きな隔りがあり、基本的には相互の交替性のないことが指摘されなければならない。

三そして、何よりも、本件被害者らの罹患している慢性砒素中毒症の広範・重篤さが重視されなければならない。即ち、それは、一般的にも、全身の諸臓器にわたる広範、多彩な症状が発現するものであるとともに、それら諸症状は、長期間継続、遷延するだけでなく、皮膚症状、心臓循環器障害、肝障害、神経系の諸障害、悪性腫瘍等において典型的に示されるように、砒素曝露から相当期間又は長期間経過後にも発現或いは増悪するものであり、しかも、それら症状の大部分は不可逆性で現在の医療においては根本的には治癒しえないという深刻な特質を持つ。のみならず、それは、中毒の状況等によつては、心臓循環障害や悪性腫瘍により遂には死の転帰がもたらされる危険性を強く秘めている疾病なのである。

四これを本件被害者らについてみると、極く一部の者を除き、本件砒素曝露開始以来、長年にわたつて、徐々に、広範、多彩な症状が出現、増悪し、粘膜刺激症状や胃腸症状の一部が軽減、回復した者はあるものの、症状の大半ひいては全体的な健康不全状態においては、次第に増悪・進行してきている。

これら本件被害者の症状は、個々的にも相当重篤なものが多いうえに、大半の被害者は、身体の各部位、器官に多数の症状が併発、出現しており、それら各個の障害・苦痛が相互に増幅し合う結果、総合的に観察するとき、労働過程は勿論その他日常生活の全過程において、本人及び家族に多大の苦痛をもたらしている――過去長期間にわたり且つ現在も――ものというべきである。

五しかも、それは未だ進行を停止したものとはなしがたく、むしろ、今後さらに進行、増悪する途上にあるといわざるをえず、現に、本件被害者らのうち九名は、本症(五名は心臓循環障害、二名は肺癌、一名は喉頭癌からの転移性肺癌)により遂に死亡するに至つており、本件以外の認定患者においても心循環障害、肺癌等による多数の者が死亡している。更には、皮膚悪性腫瘍(ボーエン病、皮膚癌や同様の組織所見)は、本件被害者だけでも合計一四名に出現しており、土呂久地区、本件被害者らにおける中毒の重篤さと予後の重大さには深刻なものがあるといわなければならない。

生存被害原告らは、自らの症状が増悪してきていることのうえに、悪性腫瘍の多発、多数の被害者の死の転帰を目のあたりにして、将来の健康状態、特に内臓悪性腫瘍等重篤な症状の出現する危険に、多大の不安を抱いているものと推察され、この点も損害額の算定にあたつて充分斟酌されなければならない。

六尚、原告らは、被告の賠償すべき損害とは「健康被害に止まらず社会的、経済的、家庭的、精神的被害等のすべてを包括する総体」であるとも主張するけれども、他方、本件砒素等曝露との因果関係を個別具体的に明示して主張しているのは健康被害(本件被害者ら自身の生命、身体に対する侵害)及びこれに基因して直接、間接に生じた損害についてのみで、その余の法益の侵害については、次の第二で認定する牛馬の斃死、農作物の減収、親族の疾病状況等についても、その他についても、本件砒素曝露との個別具体的な因果関係やこれによる賠償請求権を原告らが行使しうる根拠を、何ら明示的に主張していないのであつて、このことに鑑みると、原告らが本訴で主張・請求するところは、本件被害者らの生命、身体を被侵害法益とし、その侵害に基づいて直接、間接に生じた財産的、非財産的損害を包括的に斟酌してこれに対する賠償を求めるというに帰し、その余の諸事情(環境条件の劣化、親族の健康状態、農牧業の状況その他)は、右に述べた生命、身体の侵害に基づく損害を把握、算定する上での参酌事由として主張しているにすぎないものと解するのが相当である。

第二個別事情

次に、本件各被害者毎に、土呂久地区における居住歴とこれに由来する本件砒素曝露の程度・期間、年令、就業・生活の状況、家族の状況、堀田診断による障害の程度等損害額の算定に斟酌すべき諸事情を個別に検討すると、別紙「個別主張・認定綴Ⅲ、当裁判所の認定」の各5掲記の証拠により、同綴Ⅲの1、2、4のとおり認められ、これを覆すに足る証拠はない。

(但し、各4認定の家族・近親者の状況のうち、慢性砒素中毒症の行政認定を受けている者に関する部分以外は、その罹患している疾患名、症状の内容、死因、死亡年次等いずれも、本件被害者ら又はその遺族の記憶(それも大半は伝聞による)のみに基づくもので、正確さに欠けるところがあるのは否めない。また、右疾患、症状、死因が本件砒素曝露と関連性があるか否かは、個々具体的にこれを確認するに足る証拠はない。なお、農作物の被害と汚染との関連性の有無についても同様であることは、第一章第五節説示のとおりである。)

第三まとめ

そこで、第三章認定の本件各被害者の症状の内容、程度とその経過(一部の症状について請求権を放棄した亡佐藤鶴江、同鶴野秀男、同鶴野クミ、同佐藤ハルエ、原告佐藤實雄、亡佐藤健蔵、原告佐藤正四、亡佐藤アヤについては、その症状を除く。尚、原告佐藤ハツネについては次節のとおり。)に、右第一、第二認定、説示の諸点を総合考慮して、本件口頭弁論終結時現在において、本件被害者らの包括的な損害額を算定するのが相当である。

第二節  原告佐藤ハツネの賠償請求権の不存在

原告佐藤ハツネについては、第三章第二節、第三節で認定した現在までに発現している因果関係ある症状と、第五章第一節で説示したところとを比照すると、その余の諸事情(前節第一、第二説示。個別事情は個別認定綴二〇の1、2、4)を考慮に入れても、本件口頭弁論終結時で判断する限り、その賠償請求権は前記和解においてすべて放棄されているものと解さざるをえない。

第三節  賠償額の算定

第一損害額

第一節記載の見地に立つて、原告佐藤ハツネを除くその余の本件各被害者の損害額(弁護士費用以外の部分)を算定すると、表5―1「認定損害額一覧表」記載の各金額をもつて相当と認められる。

第二相続

本件被害者らのうち、表2―2「請求金額一覧表〔二〕」の(一)欄記載の一一名及び亡佐藤タツ子が原告ら主張の年月日に死亡したことは当事者間に争いがなく、右一一名の被害者及び佐藤タツ子の権利義務を、各被害者と右「請求金額一覧表〔二〕」の(三)欄記載の身分関係にある各遺族原告らが、同欄記載の各法定相続分に応じて相続承継したこと(但し、亡佐藤健蔵の関係は、原告ら主張の経緯で、結局、右表記載の遺族原告らが同表記載の割合で相続承継したものであること。)は被告において明らかに争わないところと解される。

したがつて、各遺族原告は、それぞれ表1―2「認容金額一覧表〔二〕」の(三)欄記載の数額の損害賠償請求権を承継取得したこととなる(円未満切捨)。

第三弁護士費用

本件訴訟の難易度、審理の経過、認容額等諸般の事情を考慮すると、表1―1、2の各(四)欄記載の金額が本件原因行為と相当因果関係のある弁護士費用と認められるから、これを右第二認定の金額に加算した額が、被告の各原告らに支払うべき賠償額となる。

第四遅延損害金の起算日

原告らは、本件損害金中弁護士費用以外の部分について、各訴状送達の翌日以降の遅延損害金の支払を求めているけれども、前記のとおり、本件においては、各被害者らの損害を、一切の事情を考慮して、本件口頭弁論終結時現在において包括的に算定した(原告らもかかる算定を求めている。)のであるから、これに対する遅延損害金の起算日は、右算定の基準日たる本件口頭弁論終結日とするのを相当とし、それ以前の期間に係る遅延損害金の請求は失当たるを免れない。

第七章  結語

以上によれば、原告佐藤ハツネを除くその余の原告らの被告に対する本訴請求は、表1―1、2「認容金額一覧表〔一〕、〔二〕」の「認容金額」欄記載の金員及び同表の「弁護士費用以外の部分」欄記載の内金に対する本件口頭弁論終結時である昭和五八年二月二三日からそれぞれ完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、原告佐藤ハツネの本訴請求はすべて失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(森脇勝 渡辺修明 若宮利信)

表3―2

捨石、鉱滓溶解度試験結果(宮崎県調査)

《省略》

表3―3

(1) 土呂久及びその周辺地区の農用土壌調査結果(宮崎県調査)《省略》

(2) 岩戸川流域の農用土壌汚染調査結果(宮崎県総合農業試験場の調査)《省略》

(3) 土呂久地区の土壌調査結果(生田助教授調査)《省略》

表3―4

河川等の水質調査分析結果(宮崎県調査)

《省略》

表4―1

文献にみる砒素中毒の臨床症状

《省略》

表4―2

太田報告における各症状の出現頻度

《省略》

表4―3

堀田報告における症状の出現頻度・発現時期・経過・病型分類

《省略》

表4―4

中村報告(二)における認定患者48名の臨床症状一覧表

《省略》

表4―5

常俊報告(一)におけるせき・たんの訴症率、呼吸機能障害の頻度、血圧の平均値、高血圧の頻度

《省略》

表4―6

常俊報告(二)における各疾患・所見の有病率・有所見率

《省略》

表4―7

臨床症状出現頻度一覧表

《省略》

表4―8

堀田第二報告掲記の表(循環障害関係)

《省略》

表4―9

ボーエン病と内臓悪性腫瘍

《省略》

表4―10

砒素剤と肺癌

《省略》

表4―11

皮膚癌患者とブラックフット病患者の死因

《省略》

表6―1

消減時効、除斥期間の主張一覧表

《省略》

表1―1 認容金額一覧表〔一〕

被害者

番号

(一) 原告

(二)認容金額(円)

内訳   (円)

(三) 弁護士費用以外の部分

(四) 弁護士費用

4

佐藤ミキ

一四三〇万

一三〇〇万

一三〇万

7

鶴野クミ

三一〇〇万

二八〇〇万

三〇〇万

9

佐藤ハルミ

三〇八〇万

二八〇〇万

二八〇万

10

佐藤高雄

三〇八〇万

二八〇〇万

二八〇万

11

佐藤チトセ

九九〇万

九〇〇万

九〇万

12

清水伸蔵

二七五〇万

二五〇〇万

二五〇万

13

陳内政喜

一七六〇万

一六〇〇万

一六〇万

14

陳内フヂミ

一四三〇万

一三〇〇万

一三〇万

15

甲斐シズカ

一七六〇万

一六〇〇万

一六〇万

19

佐藤實雄

六七一万

六一〇万

六一万

22

佐藤正四

四四〇万

四〇〇万

四〇万

以上

表1―2 認容金額一覧表〔二〕

被害者

番号

(一)死亡

被害者

(一) 原告

(二)認容金額(円)

内訳   (円)

(三)弁護士費用以外の部分

(四)弁護士費用

1

佐藤鶴江

佐藤安夫

六〇〇万

五四〇万

六〇万

佐藤律子

佐藤サキ子

三好スメ子

佐藤則子

2

鶴野秀男

鶴野キミエ

六〇五万

五五〇万

五五万

飯干千代子

四〇三万三三三二

三六六万六六六六

三六万六六六六

大賀春子

鶴野高也

3

佐藤仲治

佐藤ハルミ

一六五〇万

一五〇〇万

一五〇万

佐藤武男

二七五万

二五〇万

二五万

佐藤健男

佐藤徳男

佐藤徳一

佐藤福雄

佐藤伸節

5

佐藤数夫

佐藤ハナエ

一六五〇万

一五〇〇万

一五〇万

甲斐康

五五〇万

五〇〇万

五〇万

佐藤敬

佐藤修

6

佐藤勝

佐藤トネ

一一〇〇万

一〇〇〇万

一〇〇万

佐藤幸利

四四〇万

四〇〇万

四〇万

三原洋子

久保田奈美子

玉田久美子

安達美佐江

8

佐藤ハルエ

佐藤實雄

六四九万

五九〇万

五九万

佐藤正雄

一四四万二二二二

一三一万一一一一

一三万一一一一

佐藤今朝雄

佐藤富士雄

浜田スエ子

石田ケサミ

一宮チドリ

弘瀬アキミ

古市ミツ子

浜田ミキ子

16

佐保五十吉

佐保千代子

三三〇〇万

三〇〇〇万

三〇〇万

17

松村敏安

松村静子

一一〇〇万

一〇〇〇万

一〇〇万

松村正年

五五〇万

五〇〇

五〇万

床夏敏子

松村廣美

小林勝枝

18

佐保仁市

佐保ハルコ

一六五〇万

一五〇〇万

一五〇万

佐保光宏

三三〇万

三〇〇万

三〇万

阪上ヒロ子

佐保千代子

佐保日出子

佐保勝利

21

佐藤健蔵

佐藤慎市

九七〇万

八七〇万

一〇〇万

佐藤栄男

佐藤哲郎

23

佐藤アヤ

佐藤慎市

二二〇万

二〇〇万

二〇万

佐藤栄男

佐藤哲郎

以上

表2―1 請求金額一覧表〔一〕

被害

者番号

(一)原告

(二)

請求金額(円)

内訳 (円)

(五)遅延損害金の起算日

(訴状送達の翌日)

(昭和 年 月 日

(三)弁護士費用

以外の部分

(四)弁護士

費用

4

佐藤ミキ

三、三〇〇万

三、〇〇〇万

三〇〇万

五一・一・一四

7

鶴野クミ

三、一〇〇万

二、八〇〇万

三〇〇万

五一・一一・一九

9

佐藤ハルミ

三、三〇〇万

三、〇〇〇万

三〇〇万

10

佐藤高雄

三、三〇〇万

三、〇〇〇万

三〇〇万

11

佐藤チトセ

三、三〇〇万

三、〇〇〇万

三〇〇万

12

清水伸蔵

三、三〇〇万

三、〇〇〇万

三〇〇万

13

陳内政喜

三、三〇〇万

三、〇〇〇万

三〇〇万

14

陳内フヂミ

三、三〇〇万

三、〇〇〇万

三〇〇万

15

甲斐シズカ

三、三〇〇万

三、〇〇〇万

三〇〇万

19

佐藤實雄

三、〇一〇万

二、七一〇万

三〇〇万

五三・二・二一

20

佐藤ハツネ

三、〇二〇万

二、七二〇万

三〇〇万

22

佐藤正四

二、八〇〇万

二、五〇〇万

三〇〇万

五三・三・二一

以上

表2―2 請求金額一覧表〔二〕

被害者番号

(一)死亡被害者

(二) 原告

(三)被害者との続柄

法定相続分

(四)請求金額(円)

内訳  (円)

(七)遅延損害金の起算日

(訴状送達の翌日)

(昭和 年 月 日)

(五)弁護士費用

以外の部分

(六)弁護士費用

1

佐藤鶴江

佐藤安夫

養子

五分の一

六〇〇万

五四〇万

六〇万

五一・一・一四

佐藤律子

二女

佐藤サキ子

長女

三好スメ子

三女

佐藤則子

四女

2

鶴野秀男

鶴野キミエ

三分の一

九八三万三、三三三

八八三万三、三三三

一〇〇万

五一・一・一四

飯干千代子

長女

九分の二

六五五万五、五五四

五八八万八、八八八

六六万六、六六六

大賀春子

二女

鶴野高也

長男

3

佐藤仲治

佐藤ハルミ

二分の一

一、六五〇万

一、五〇〇万

一五〇万

五一・一・一四

佐藤武男

長男

一二の分一

二七五万

二五〇万

二五万

佐藤健男

三男

佐藤徳男

四男

佐藤徳一

五男

佐藤福雄

六男

佐藤伸節

七男

5

佐藤数夫

佐藤ハナエ

二分の一

一、六五〇万

一、五〇〇万

一五〇万

五一・一・一四

甲斐康

長男

六分の一

五五〇万

五〇〇万

五〇万

佐藤敬

二男

佐藤修

三男

6

佐藤勝

佐藤トネ

三分の一

一、一〇〇万

一、〇〇〇万

一〇〇万

五一・一・一四

佐藤幸利

長男

一五分の二

四四〇万

四〇〇万

四〇万

三原洋子

三女

久保田奈美子

四女

玉田久美子

五女

安迎達美佐江

六女

8

佐藤ハルエ

佐藤實雄

三分の一

一、〇二三万三、三三三

九二三万三、三三三

一〇〇万

五一・一一・一九

佐藤正雄

二男

二七分の二

二二七万四、〇七三

二〇五万一、八五一

二二万二、二二二

佐藤今朝雄

三男

佐藤富士雄

四男

浜田スエ子

二女

石田ケサミ

四女

一宮チドリ

五女

弘瀬アキミ

六女

古市ミツ子

七女

浜田ミキ子

八女

16

佐保五十吉

佐保千代子

全部

三、三〇〇万

三、〇〇〇万

三〇〇万

五一・一一・一九

17

松村敏安

松村静子

三分の一

一、一〇〇万

一、〇〇〇万

一〇〇万

五一・一一・一九

松村正年

長男

六分の一

五五〇万

五〇〇万

五〇万

床夏敏子

長女

松村廣美

三女

小林勝枝

二女

18

佐保仁市

佐保ハルコ

二分の一

一、六五〇万

一、五〇〇万

一五〇万

五一・一一・一九

佐保光宏

長男

一〇分の一

三三〇万

三〇〇万

三〇万

阪上ヒロ子

長女

佐保千代子

二女

佐保日出子

三女

佐保勝利

二男

21

佐藤健蔵

佐藤慎市

長男

三分の一

九七〇万

八七〇万

一〇〇万

五三・二・二一

佐藤栄男

二男

佐藤哲郎

四男

23

佐藤アヤ

佐藤慎市

兄健蔵の子

一二分の一

二四一万六、六六六

二一六万六、六六六

二五万

五三・三・二一

佐藤栄男

佐藤哲郎

以上

表4―12 主張健康被害一覧表

被害者番号

(個別綴記載番号)

症状

皮膚

胃腸

呼吸器

口(歯)

神経症状

心循環

造血器

悪性腫瘍

被害者名

多神

自神

中神

皮膚

内臓

22

佐藤正四

20

佐藤ハツネ

1

亡佐藤鶴江

○(ボーエン)

4

佐藤ミキ

○(ボーエン様)

18

亡佐保仁市

○(ボーエン)

15

甲斐シズカ

○(ボーエン)

3

亡佐藤仲治

肺癌

9

佐藤ハルミ

○(ボーエン様)

19

佐藤實雄

7

亡鶴野クミ

○(ボーエン様)

乳癌、脳内腫瘍

12

清水伸蔵

11

佐藤チトセ

10

佐藤高雄

○(ボーエン)

13

陳内政喜

○(ボーエン)

14

陣内フヂミ

○(ボーエン)

23

亡佐藤アヤ

5

亡佐藤数夫

(基底細胞癌)

喉頭癌・肺癌

2

亡鶴野秀男

尿管癌

8

亡佐藤ハルエ

○(ボーエン様)

尿道癌

16

亡佐保五十吉

○(ボーエン)

17

亡松村敏安

○(ボーエン)

6

亡佐藤勝

○(ボーエン様)

21

亡佐藤健蔵

肺癌

22

15

15

6

8

9

12

12

13

16

4

12

21

6

4

2

14(内ボーエン様5)

6

(注) ボーエン様とあるのは、ボーエン病様の組職所見が認められるもの。

表4―13 認定健康被害一覧表

被害者番号

(個別級記載番号)

症状

皮膚症状

胃腸障害

呼吸器障害

粘膜障害

神経症状

心循環障害

レイノー症状

肝障害

造血器障害

悪性腫瘍

死因

(因果関係の認められるもの)

(参考)

死因

(因果関係の認められないもの)

被害者名

口(歯)

多発性神経炎

視力障害

視力狭窄

聴力障害

嗅覚障害

中枢神経障害

皮膚

内臓

22

佐藤正四

20

佐藤ハツネ

1

亡佐藤鶴江

○(ボーエン)

脳梗塞

4

佐藤ミキ

○(ボ一エン様)

18

亡佐保仁市

○(ボーエン)

慢性心不全

15

甲斐シズカ

○(ボーエン)

3

亡佐藤仲治

○肺癌

肺癌

9

佐藤ハルミ

○(ボーエン様)

19

佐藤實雄

7

亡鶴野クミ

○(ボーエン様)

乳癌、脳内腫癌

心不全

12

清水伸蔵

11

佐藤チトセ

10

佐藤高雄

○(ボーエン)

13

陳内政喜

○(ボーエン)

14

陳内フヂミ

○(ボーエン)

23

亡佐藤アヤ

腎盂炎による心不全

5

亡佐藤数夫

○(基底細胞癌)

○喉頭癌、転移性肺癌

転移性肺癌

2

亡鶴野秀男

尿管癌

尿管癌

8

亡佐藤ハルエ

○(ボーエン様)

尿道癌

尿道癌

16

亡佐保五十吉

○(ボーエン)

急性肺炎

(慢性気管支炎)

17

亡松村敏安

○(ボーエン)

脳血栓、肺炎

6

亡佐藤勝

○(ボーエン様)

脳出血による

うっ血性心不全

21

亡佐藤健蔵

○肺癌

肺癌

22

15

15

6

4

9

11

4

9

13

16

11

21

4

6

2

14(内ボーエン様5)

6

9

3

(注) ボーエン様とあるのは、ボーエン病様の組織所見が認められるもの。

鼻粘膜の欄・印は副鼻腔炎も認められるもの。

表5―1 認定損害額一覧表

被害者番号

被害者

損害額 (円)

1

佐藤鶴江

※ 二、七〇〇万

2

鶴野秀男

一、六五〇万

3

佐藤仲治

※ 三、〇〇〇万

4

佐藤ミキ

一、三〇〇万

5

佐藤数夫

※ 三、〇〇〇万

6

佐藤勝

※ 三、〇〇〇万

7

鶴野クミ

※ 二、八〇〇万

8

佐藤ハルエ

一、七七〇万

9

佐藤ハルミ

二、八〇〇万

10

佐藤高雄

二、八〇〇万

11

佐藤チトセ

九〇〇万

12

清水伸蔵

二、五〇〇万

13

陳内政喜

一、六〇〇万

14

陳内フヂミ

一、三〇〇万

15

甲斐シズカ

一、六〇〇万

16

佐保五十吉

※ 三、〇〇〇万

17

松村敏安

※ 三、〇〇〇万

18

佐保仁市

※ 三、〇〇〇万

19

佐藤實雄

六一〇万

21

佐藤健蔵

※ 二、六一〇万

22

佐藤正四

四〇〇万

23

佐藤アヤ

二、四〇〇万

(注) ※印は原告らの主張・請求額を満額認めたもの。

表5―2 補償金受領一覧表

被害者番号

被害者

受領補償金額(円)

受領年月日

(昭和 年 月 日)

1

佐藤鶴江

三〇〇万

四七・一二・二八

2

鶴野秀男

三五〇万

同右

7

鶴野クミ

二〇〇万

同右

8

佐藤ハルエ

二三〇万

四九・二・二

19

佐藤實雄

二九〇万

四九・一二・二七

20

佐藤ハツネ

二八〇万

同右

21

佐藤健蔵

三九〇万

同右

22

佐藤正四

五〇〇万

五〇・五・一

23

佐藤アヤ

四〇〇万

五一・一〇・一六

《個別主張・認定綴》

一 亡佐藤鶴江(大正一〇年一月一日生、昭和五二年九月一七日死亡)

Ⅰ、原告らの主張

1 居住歴

亡鶴江は、大正一〇年亜砒焼き窯の北東約三〇〇メートルの場所である高千穂町大字岩戸の通称惣見部落三五三八番地で生れ、大正一二年頃、亜砒焼き窯の西方一〇〇メートル足らずの距離にある本件鉱山住宅に移転し、昭和五年頃まで居住し、同年頃亜砒焼き窯の北西方約三〇〇メートルの距離にある母の実家方(惣見三五八五番地)に移り、昭和四一年頃まで居住し、次いで惣見の小又橋の側に移転し死亡するまで居住した。

2 鉱毒への曝露

亡鶴江の右各居住場所は、いずれも惣見部落内であり、同人は文字通り、鉱毒のただ中で生れ、鉱毒のただ中で五〇余年の生涯を送り、種々の系路で鉱毒への曝露を受けた。特に鉱山住宅時代は、高濃度の曝露を受けた。当時住宅付近は四六時中鉱煙がたちこめている状態で、鉱煙は強烈な刺激臭を伴い、目や鼻にも強い刺激があった。戸を閉め切っても鉱煙は戸の隙間などから屋内にも入りこんできた。鉱煙と共に運ばれた亜砒酸等の粉塵が、付近一帯に降り注いだ。

鉱煙と共に運ばれた亜砒酸等の有害物は、付近の土壌や農作物にも降り注いでこれを汚染し、亡鶴江はその農作物を摂取し汚染された。

鉱山住宅においては、小又川から覆いのない水路と竹樋で水を引き、一切の生活用水に利用していたので、亜砒酸等の粉塵はその上にも降下し、汚染した。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

亡鶴江は、昭和四七年八月二三日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。

同人は最初に認定を受けた七名の中の一人である。七〜八才頃から腹痛、下痢、吐気、咳、咽頭痛、眼、鼻のただれ、口腔、鼻腔からの出血等があり、慢性砒素中毒症の初発の特徴である初期粘膜刺激症状群も強く、加えて、特徴的な皮膚症状もみられ、慢性砒素中毒症に罹患していることは明白である。

(個別症状)

(一) 慢性呼吸器障害

七〜八才頃から咳、咽頭痛などが強く、慢性化して年中咳が絶えず、嗄声、呼吸困難、動悸など喘息様症状を伴っていた。昭和五〇年五月の堀田診察当時も、咳、呼吸困難、動悸、咽頭痛、嗄声等の自覚症状があり、他覚的には、胸部右上、中葉部乾性ラ音、咳、嗄声、肺機能の低下が各認められた。また、胸部レ線所見では肺繊維化像、気腫像が認められている。以上の所見に照らし、重度の慢性呼吸器障害が存在することは明白であり、初発以来の経過に照らし明らかに慢性砒素中毒症によるものである。

(二) 慢性胃腸障害

七〜八才頃から腹痛、下痢、吐気があり、二〇才頃までひどかったが、漸次軽減しながら遷延し、腹痛、吐気、便秘などが持続し、堀田診察当時の自覚症状としても腹痛、吐気、便秘があった。その初発、経過からいって、明らかに砒素によるものである。

(三) 慢性鼻炎

七〜八才頃から鼻がただれ鼻腔などからの出血、鼻水がひどく、診察当時の自覚症状でも鼻水、風邪をひきやすいとの訴があり、鼻粘膜障害の二次障害とみられる嗅覚脱失も伴っていた。慢性鼻炎の存在は明らかであり、初発、経過からいって慢性砒素中毒症によるものである。

(四) 角膜炎

七〜八才頃から眼がただれ、一〇才頃から角膜混濁による視力障害が出現し、他覚的にも両側角膜に強度の混濁、瘢痕があることが認められている。

(五) 視力障害

一〇才頃から角膜混濁による視力障害が徐々に進行し、昭和四五年右眼失明、その後左眼の視力が0.03になっている。他覚的にも、右失明、左視力0.03が認められている。

視力障害は、砒素性の角膜障害による二次性の障害と認められる。但し、求心性視野狭窄もあるので砒素性視神経炎による一次性障害ないしその合併も考えられる。砒素により著しく悪化をきたした視力が、加齢等で増悪されて遂に失明に至ったものと考えるべきであり、視力障害の基本的原因が砒素にあることは明白である。

(六) 視野狭窄

他覚的に中等度の求心性視野狭窄が認められている。

(七) 嗅覚脱失

七〜八才頃から鼻のただれ、出血、鼻水などがあり一〇才頃嗅覚が脱失し、他覚的にも両側嗅覚脱失が認められている。発現経過からいって、砒素曝露によるものである。

(八) 貧血

二三才頃から貧血が認められ、造血剤を服用していた。

(九) 心循環障害

二三才頃から頭痛、めまい、発作が始まり、三四才頃意識喪失約二〇分、四六才意識喪失約一時間。診察時の自覚症状では、めまい、たちくらみがあり、他覚的に収縮期心雑音、脳波軽度異常が認められている。

(一〇) 皮膚障害

亜砒まけに続き、色素沈着、白斑、異常角化などが徐々に出現してきたことが認められ、他覚的にも四肢躯幹に散在性色素沈着、両手掌、足蹠に強度の異常角化症が認められている。腰部の皮疹は悪性角化症の像を呈している。

(一一) 歯の障害

二二〜三才から歯が抜け始め、五本残っているだけである。歯が抜け始めた時期及び現病歴で口腔からの出血即ち口腔粘膜の強い障害が認められることからいって、砒素性の粘膜障害による二次的障害と考えられる。

(まとめ)

亡鶴江は昭和五二年九月一七日、脳循環障害(脳梗塞)で死亡した。同人の症状は、悪性変化の出現や循環障害の悪化にみられるように徐々に進行していたものであり、これに、症状の広範性と重篤さ、循環障害は砒素中毒症の最も基本的な症状であること等を合わせ考えると、鶴江の右死因も砒素に起因したものと認められるべきである。

4 家庭と生活の破壊

(一) 亡鶴江は、幼児期から健康障害を受け、尋常高等小学校入学以前から医者通いが始まり、五〇年余の人生が終わるまで闘病の連続であった。晩年には視力を奪われ、臭いをかぐことも出来ず、激しい咳に苦しめられ、大変な苦痛を強いられた。

(二) 父は昭和五年に母と離婚して別居したが、昭和三四年、「高血圧」「心蔵麻痺」ということで死亡しているが、同人は、昭和五年頃から一二年頃にかけて本件鉱山に就業し、以後土呂久の通称南部落に居住していたもので、手足の荒れや皮膚の斑点がひどく、鉱毒に侵されていた。

母も社宅居住当時鉱山で「団子(団鉱)作り」の仕事をしていたもので、当時から手足の荒れや斑点、角化がひどく、始終流涙があり、厳しい咳の発作に苦しんでいたが、昭和三五年喘息・関節リウマチということで死亡した。

本件被害者の亡ハルエは姉である。妹は、五才頃鉱山社宅で激しく咳込みながら「急性肺炎」の病名で死んだ。

内縁の夫の亡正喜はよく咳こんでいたが、昭和三九年肝臓癌で死亡し、四人の娘達は幼いときより咳がひどく病気がちである。

Ⅱ、被告の反論

(個別症伏)

(一) 慢性呼吸器障害

本件で原告らが主張している呼吸器や消化器の症状というのは、咳、のど痛や腹痛、下痢、嘔気、便秘などの極めて一般的な症状であり、その発症原因も極めて多因であって、仮に同一と見える症状が、継続して存在したとしても、各時点で存する発症原因はその都度異なることも十分ありうるのであるから、これが「ずっと続いている」というだけで慢性(同一疾病の連続)と認めることなどできない。

亡鶴江の場合は、五二才頃、肺結核で半年間入院加療しており、現症として肺結核の好発部位である右上・中葉部に「乾性ラ音」が存し、それが気管支部等の炎症性変化を表示することからしても、肺結核の後遺症と認めるのが医学常識に適合する。

そもそも亡鶴江が、咳・のど痛など呼吸器の急性刺激症状を現した(同時に消化器や目、鼻、皮膚等にも現した)という七〜八才頃(昭和三〜四年頃)には亜砒焼が殆んど行われておらず、かかる時期に粘膜及び皮膚の刺激症状が発症するということは、それ自体不可解であり、もしその時期に真にそのような症状が現れたとすれば、それは砒素以外の原因によるものと解する他はない。

(二) 慢性胃腸障害

刺激症状の発症時期からして砒素と関連づけ難い点は、呼吸器症状と同様であるし、亜砒焼が盛業中の昭和一六年以降に漸次軽減したというのであるから、砒素と関連しないことは一層明白である。また、亜砒焼が終了して一〇年以上経過後にも「慢性」胃腸障害なるものが遷延しているということであれば、亜砒焼当時の急性炎症症状によって、消化器に器質的変化が生じ、それが存続しているということでなくては考え難いところであるが、かかる器質的変化はないことが確認されている。

(三) 慢性鼻炎、嗅覚脱失

鼻粘膜の刺激症状の発症時期からしても、また右(二)と同様鼻粘膜に器質的病変が見当らないことからしても、鼻症状を砒素によるとするのは疑問であり、むしろ、副鼻腔炎である可能性が大である。

(四) 角膜炎、視力障害、視野狭窄

砒素中毒による角膜混濁は高濃度曝露の場合しか報告がないが、亡鶴江には高濃度曝露の最典型徴候として当然生ずるべき鼻中隔の器質変化(穿孔等)もないこと、亜砒焼の有無に拘りなく混濁が徐々に進行・悪化しているなどからして、同人の角膜混濁は砒素によるものとは考え難く、むしろ、伝染性疾患のトラホームが原因と解される。なお、砒素中毒との関連で視野狭窄がありうるのは視神経の障害であるが、砒素による神経障害で最も起りやすい多発性神経炎すら発症せずに、視神経のみ選択的に侵されるとは到底考えられない。

(五) 貧血

造血剤を服用中であったという事は、鉄欠乏性貧血であるということを意味し、それは砒素とは関係がない。

(六) 心・循環障害

心電図は正常範囲であったのであるから、心雑音が砒素によるものでないことは明かである。その心雑音や、一時的、一過性の意識喪失は、低血圧との関連が想定され、低血圧は慢性砒素中毒の症状としては認められていない。

死因となった脳循環障害は脳卒中発作であるが、成人の場合、脳は砒素の侵襲をうけ難いのであって、多発性神経炎すら伴っていない亡鶴江の脳卒中が砒素中毒によるものとは到底考えられない。

(七) 歯の障害

砒素とは無関係である(以下、各人同様)。

(まとめ)

結局、亡鶴江に関して客観的に砒素と因果関係が認め得るものは皮膚症状のみであり、それは日常生活に殆ど影響ない程度のものである。

当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり(当「個別主張・認定綴」の「Ⅰ、原告らの主張」中の亡佐藤鶴江に関する「1 居住歴」の欄に記載されているとおりであることを意味する。以下各人につき同様。)。

2 曝露状況

Ⅰのとおり(「Ⅰ、原告らの主張」中の「2、鉱毒への曝露」の欄記載のとおりであることを意味する。以下各人につき同様。)。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり(「Ⅰ、原告らの主張」中の「3、健康被害」の欄の記載――但し、ここでは、本件砒素曝露との因果関係についての主張部分を除く――のとおりであることを意味する。以下各人につき同様。)。

(2) 中村報告(二)では、皮膚症状はボーエン病とされている(症例3)。

(3) 昭和四三年九月二六日に、「角膜白斑(両)、白内障(左)による視力右眼前手動三〇cm、左0.01矯正不能」の障害名で、身体障害者第一種第一級の認定を受けている。但し、白内障については県の第三次健診でも堀田診断でもその存在は認められていない。

(4) なお、堀田診断では、現症として、右上下肢のしびれ、触・痛覚の低下、右上肢痛、四肢筋力低下特に右に高度、右難聴が認められているけれども、これらは、同診断においても砒素中毒の症状としては挙げておらず(他にこれが砒素による症状であると認むべき証拠もなく)、原告らも砒素中毒の症状とは主張していない(堀田報告でも、亡鶴江には多発性神経炎は存在しないと明記されている。)

(5) 甲第三二二号証、乙第一一五号証の二、一八一号証は、以上の認定を覆すに足りない。

(B) 因果関係

(A)(但し(4)は除く。)で認定した各症状のうち、本件砒素曝露との法的因果関係存在の認定を妨げるに足る事情の認められるものはない。

(C) 被告の反論について

(1) 四七才頃に肺結核の疑ということで数ケ月間入院しているが、仮に罹患していたのが事実としても、それをもっては、亡鶴江の長期にわたる呼吸器症状のすべてを説明することは到底できず、右呼吸器障害に本件砒素曝露が寄与しているとの認定を左右するには至らない。

(2) 胃腸障害、鼻炎、嗅覚障害につき、器質的変化の確認を要求する被告主張の採用しえないことは、第三章第三節第三記載のとおりである。副鼻腔炎が考えられるとしても、砒素の寄与の否定されないこと、また同様である。

(3) トラコーマ罹患を窺せる供述(原告佐藤サキ子、亡佐藤ハルエ)もあるが、いずれも伝聞にすぎず確認しがたいし、県の第三次健診の精密検査における眼科所見では、その角膜変性はトラコーマによるとは考えがたいとされている。

(4) 慢性砒素中毒の貧血症状に対して鉄剤等の造血剤を用いる旨記載されている成書(前掲記の「臨床中毒学」等)も存在すること等に照らして、造血剤服用の事実は何ら砒素起因性の貧血と認めることの妨げとはならない。

(5) 心循環障害の症状が低血圧によるものと認むべき証拠はない。

(6) 呼吸器、消化器、目、鼻等の症状の発現時期と本件砒素曝露歴とに、齟齬があるとは認められない(なお、一般に症状の発現時期については、的確な客観的資科を望みがたく、関係者の記憶によらざるをえないものというべきところ、かかる供述においては、数一〇年昔の発現につき一、二年の誤差が生じるのはむしろ自然である。以下各人同様。)

4 生活状況等

(1) Ⅰのとおり(「Ⅰ、原告らの主張」中の「4、家庭と生活の破壊」の欄記載のとおりであることを意味する。以下各人につき同様。)。

(2) 若年時より、職に就ける体ではなく、就業歴はない。

5 認定に供した証拠

(以下、各書証下の括弧書は、当該書証の成立を認めた根拠を示す。なお、「不争」とあるのは成立につき当事者間に争いがないことを、「弁論」とあるのは弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められることを、それぞれ意味する。)。

(1) 甲第一二、一〇五、一六二号証(前掲)、一六五号証(証人堀田)、二三四号証(原本の存在と成立ともに弁論)、二四四号証(原告佐藤サキ子)、二三五、二七八、三二二号証(弁論)、乙第一〇九号証(前掲)、二八九号証(証人堀田)、七六号証、四二三号証の一ないし五(各不争)。

(2) 証人斉藤正健、同堀田宣之、同川平稔(但し一部)の各証言。

(3) 原告佐藤サキ子本人、亡佐藤ハルエ本人(第一回)。

二 亡鶴野秀男(大正一二年三月三日生、昭和五三年一〇月六日死亡)

Ⅰ、原告らの主張

1 居住歴

亡秀男は大正一二年、亜砒焼き窯からわずか四〇メートルの距離にある惣見の鉱山住宅で父政市と母の亡鶴野クミとの間の長男として出生し、昭和二年まで同所で生活した後、約三キロメートル南西方の同町大字岩戸皿糸に転居し、同四五年大字岩戸春目に移転した。

2 鉱毒への曝露

汚染が最も著しい地点に生れ、抵抗力の最も弱い乳幼児期において特に高濃度の曝露を受けた。鉱山住宅付近の鉱煙、粉塵、生活用水、農作物汚染の状況は亡鶴江と同様である。又、鉱煙から逃れるため転居した先の皿糸も椎茸が生えない等土呂久同様の汚染を受けていた。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

最初に慢性砒素中毒症と認定された七名の一人であり、昭和四七年八月二三日公害認定を受けている。皮膚症状、多発神経炎を備え、典型的な初期粘膜刺激症状を有しているなど、慢性砒素中毒症への羅患は疑う余地がない。

(個別症状)

(一) 慢性呼吸器障害

二〜三才頃(大正一四〜昭和元年)から咳がひどく喉が痛かった。昭和五〇年七月の堀田診察当時も咳、呼吸困難、動悸など、喘息様症状が認められている。

(二) 慢性胃腸障害

二〜三才頃から胃腸が弱く腹痛、下痢が続き、軽減しながら遷延している。

(三) 慢性鼻炎、嗅覚脱失、角膜炎、結膜炎

二〜三才頃から鼻水鼻出血が絶えず、現在も鼻閉があり、嗅覚も二〇才頃脱失している。同じく二〜三才頃眼がつぶれた状態が一年半程続いた。現在も流涙、目やにがあり、他覚的に角膜混濁及び瘢痕、上縁部パンヌス形成があり角膜炎が存在する。眼検結膜充血があり、結膜炎も認められる。

(四) 視力障害

小学校の頃から悪く、昭和五〇年当時右0.1、左0.6程度である。眼粘膜の強い障害を受けていることもあり、砒素によるものと認められる。

(五) 多発性神経炎

二〇才頃から四肢などのしびれが生じ遷延、他覚的に両側四肢末梢の触・痛覚及び振動覚低下、両足異常知覚、四肢筋力低下があり、明らかに砒素性の多発性神経炎である。

生前オートバイを運転していた事実は、多発性神経炎の否定にはつながらない。

(六) 心循環障害(高血圧)、腎障害

五〇才頃腎炎、高血圧を指摘され、治療を継続している。他覚的に血圧一六〇〜一〇〇、下腿の浮腫、脳波の軽度異常も認められる。

(七) 歯の障害

子供の頃から歯痛に悩まされ、歯齦出血などがあり、三五才で総義歯となっている。初発経過からして砒素による口腔粘膜障害に起因するものである。

(八) 皮膚症状

胸部背部、両手背部に散在性色素沈着、四肢に色素脱失、両手掌足蹠に著明な異常角化症がある。

(まとめ)

以上のように亡秀男は幼少時の曝露により全身的に健康を害され、以来、それが持続遷延してきた。三七才頃から寒冷時に両手指が蒼白となり、その後高血圧や腎障害が指摘され発癌を含め全体として悪化をきたしてきたのである。そして、昭和五三年一〇月六日、左尿管癌で死亡したのであるが、これについても砒素起因性が認められるべきである。

4 家庭と生活の破壊

(一) 亡秀男は乳幼児期より、死亡するまで全身にわたる症状に苦しめられ、徐々に悪化の一途をたどったのである。特に視力が極端に衰え、嗅覚を失い日常の生活は味気ないものとなった。又両上下肢のしびれの為、つまづいて転んだり茶わんや箸を取り落とす等、身のまわりの生活をする事さえ困難を伴なうようになった。

(二) 亡秀男は、通常人としての仕事は出来なくなり、戦後の鉱山では、モーターのスイッチを入れたり、水圧を見たりするだけの仕事に従事し、日稼ぎさえ、月に半分も働ければ最高の状態であった。昭和四二年からは全く働けなくなってしまった。

昭和四八年一一月に尿管手術の為入院してからは、各病院を転々する生活を余儀なくされ、遂に左尿管癌の為死亡するに至った。

(三) 父と母は鉱山住宅に居住していたが、鉱毒に全身を侵され、父は激しい喘息と慢性気管支炎、下痢、胃腸病、神経痛、皮膚のただれと角化症、眼疾、嗅覚障害、片肺不能等全身にわたる症状に苦しみ続け、昭和二年に鉱山をやめた後は全く働くことができないまま、昭和二三年死亡した。母の亡クミは本件被害者の一人である。

Ⅱ、被告の反論

(個別症状)

(一) 慢性気管支炎

呼吸機能の検査成績は正常値である。四四才頃肺結核で治療を受け、又、その後じん肺症の行政認定もうけており、いずれにせよ砒素中毒とは関係がない。

(二) 慢性胃腸障害

堀田医師作成のカルテにも特段の所見がなく、器質的病変は存在しない。

(三) 慢性鼻炎、嗅覚脱失

鼻粘膜に器質的症変の存続は認められず、寧ろ副鼻腔炎の影響と解すべきである。

(四) 視力障害

角膜にパンヌス形成があるというのであり、これがあれば角膜、結膜炎症状を生じうるが、その最大の原因は感染症のトラコーマである。又、現存の視力障害の原因は、白内障であって、砒素と関係がない。

(五) 腎臓障害、高血圧

亡秀男の腎障害は水腎症であり、又その高血圧症は、動脈硬化性のものと考えられるが、いずれにせよ、砒素中毒とは無関係である。

(まとめ)

亡秀男の症状中で慢性砒素中毒症と考えられるものは皮膚症状及び多発性神経炎のみであるが、多発性神経炎は、筋緊張、固有反射すべて正常であり、筋萎縮もなく、軽症であり、日常生活の支障も軽徴である。

尚、死因となった尿管癌の如きは砒素との因果関係は全く認められていない。

Ⅲ、当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

(1) 大字岩戸皿糸が汚染を受けていたと認めるに足りる証拠はない(椎茸生育状況等の本人の供述をもっては不充分である。)

(2) 右以外はⅠのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) 昭和四七年宮崎県健診の第三次健診で水腎症(原告主張の腎炎ではない)、高尿酸血症が認められ、四八年には入院して尿管手術を受けた。

(2) 右以外はⅠのとおり。

(3) 皮膚の異常角化症は小児期からあった。

(4) 昭和四六年の前記県健診の消化管透視で肥厚性胃炎が、胸部レ線所見で肋膜肥厚が認められ、眼底所見はKWⅡaであった。

(5) なお、右健診では、感音系難聴、軽度の視野沈下も認められているが、原告も主張せず、堀田診断でも砒素中毒の症状としては挙げられていない。

(6) 昭和五〇年の堀田診察当時の自覚症状をまとめると、次のとおりである。

手足のしびれ・異常知覚、頭痛、全身倦怠感、易疲労、視力障害、嗅覚脱失、こむらがえり、手のふるえ、めまい、たちくらみ、胃腹部痛、下痢、咳、息苦しい、喉が痛い、嗄声、動悸、流涙、眼脂、鼻閉、寒冷時手指が蒼白になる。

(B) 因果関係

(1) 腎臓障害(水腎症)及び死因となった尿管癌については、第三節第三の一〇、一一項説示のとおり、いまだ相当因果関係を肯認することは困難である(堀田証人の証言も同旨)。

(2) 右(1)以外には、因果関係の認められないものはない。

(C) 被告の反論について

(1) 呼吸機能検査値の如何をもっては右認定を覆されないこと、第三節第三の二項説示のとおりである。

(2) 四四才の頃肺結核で治療、四九才の頃じん肺症の労災認定を受けているが、亡秀男の呼吸器症状は、その発症時期、経過等からして右結核やじん肺症では説明しきれず、砒素の寄与による慢性気管支炎の認定は覆されず、且つそれらによる症状は不可分であるといわざるをえない。

(3) 堀田診断では軽度の白内障も認められているが、前記県健診ではこれは認められておらず、いずれにしろ、右白内障をもっては、右(2)同様、亡秀男の視力障害は説明しきれず、砒素の寄与は左右されない。

(4) 高血圧についても砒素の寄与が排斥されるものでないことは、第三節第三の四項説示のとおりである。

(5) 副鼻腔炎についても第三節第三の三項2説示のとおりである。

(6) 県健診では軽度の変形性腰椎症が認められており、堀田診断でもラセーグ徴候が認められているが、それのみでは多発性神経炎の認定は左右されない。

(7) 乙第三六八号証、三七〇号証の一、二、四三六号証は、右(A)(B)の認定を覆すには足りない。

4 生活状況等

(1) Ⅰの(一)、(三)のとおり。

(2) 昭和一二年から一六年までは採鉱夫として、昭和三〇年から三七年までは製錬夫、採鉱夫、ポンプ係等として本件鉱山で勤務し、その余の期間は、一年半の兵役を除き、農業や山林業手伝、土方等に従事し、昭和四六年頃一時毛布工場の機械監視の軽作業に携り、その後再び土建作業等に従事したが、次第に通常人並みには働けなくなった。

(3) (堀田診断による障害の程度)

簡単な職には就けるが、能率にめだった低下。日常生活にも要注意。定期的に通院加療が必要。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第一二、一三、一三〇、一六二号証(各前掲)、一八〇号証(証人堀田)、一八五号証(弁論)、乙第一〇九号証(前掲)、三〇四号証(証人堀田)、三六七号証、三六九号証の一ないし三(弁論)、三七一、四四九号証(不争)。

(2) 証人堀田(第一回)、同川平(第一回、但し一部)。

(3) 亡鶴野秀男本人(第一、二回)、亡鶴野クミ本人。

三 亡佐藤仲治(明治四三年七月一一日生、昭和五六年九月二日死亡)

Ⅰ、原告らの主張

1 居住歴

亡仲治は、明治四三年大字岩戸惣見の三三五四番地で出生し、昭和四五年頃まで約六〇年間居住していた。そこは亜砒焼き窯から西南二〇〇メートル、反射炉から西六〇メートルの位置にある。

昭和四四年頃、一時大阪に居を移したが、その後再び土呂久に戻り、昭和四九年より高千穂町上押方に移り、死亡するまで居住した。

2 鉱毒への曝露

右のとおり、出生以来約六〇年の長期に亘り惣見部落内で居住し、生れながらにして鉱毒をもろに受ける状況の中で生活してきた。鉱煙は住居内に侵入し、粉塵は住居や附近の田畑に降りそそいだ。飲料水は約五〇メートル離れた山腹の湧き水を露天の水溜めで受け竹筒で引いて利用していたが、この上にも粉塵が降りそそいだ。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和四九年二月二八日、慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。特徴的な初期粘膜刺激症状群である胃腸障害、鼻水、鼻出血等が存在し、特徴的な皮膚症状も備えており、慢性砒素中毒症に罹患していることは明白である。

(個別症状)

(一) 心循環障害

三四才頃からめまい、耳鳴り、頭痛を訴え、五二才頃から労働時動悸があり、六一才頃心肥大、高血圧(一九〇)を来たし、その頃からめまい、立ちくらみ、耳鳴り、頭痛が昂じてきた。

六三才頃からの左手及び左下肢のふるえ、言葉のもつれは軽い中風(脳卒中)発作とみられる。同じく六三才の冬頃から寒冷時に両手指先端部の蒼白、厥冷をみるようになった。昭和五〇年七月の堀田診察時の自覚症状でも、めまい、立ちくらみ、耳鳴りがあり、他覚的には拡張期心雑音、左心室肥大、高血圧、軽い構音障害、軽度の脳波異常が各認められる。

(二) 慢性呼吸器障害

三二才頃から咳、痰が出、四五才頃からひどくなり、五二才頃労働時呼吸困難となり五五才頃から冬期喘息発作を来たし、五七才頃医者から慢性気管支炎といわれている。堀田診察時の自覚症状でも、咳、痰、嗄声、冬期喘息発作の訴えがあり、他覚的に肺機能の低下が認められる。以上のとおり慢性呼吸器障害があることは明らかであり、その初発及び経過からいって、基本的には砒素に起因するものである。

(三) 慢性胃腸障害

一二才頃から胃腸障害がおこり、本件鉱山勤務の頃は腹痛、下痢、吐気が続いていた。堀田診察当時も高千穂の病院において慢性胃腸障害で治療を継続していたものであり、胃腸障害が慢性の経過を辿って持続していたことは明らかである。

(四) 慢性肝障害

六四才で肝障害を指摘され、診察当時、触診では異常はなかったが、治療は継続されていた。

(五) 皮膚障害

両手掌足蹠に角化症、顔面及び躯幹部に黒褐色の散在性色素沈着、色素脱失が認められた。

(六) レイノー症状

寒冷時の両手指先端部の蒼白、厥冷等がある。心循環障害(末梢循環障害)によるか、自律神経系の障害によるか、両者の合併のいずれによるにせよ、砒素によるものと認めるべきである。

(七) 視野狭窄

他覚的に軽度の視野狭窄が認められた。

(八) 難聴

三四才頃から自覚症状が始まり、他覚的にも両側難聴が認められる。初発時期からみて、加齢よりも砒素の影響の方が強い。

(九) 嗅覚障害

六二才頃から嗅覚の減弱がみられ、他覚的に右減弱、左は脱失している。

(一〇) 中枢神経障害(脳循環障害)

三四才頃からめまい、耳鳴り、頭痛があり、六一才頃から目まい、立ちくらみ、耳鳴り、頭痛などが昂じ、六三才頃から言葉のもつれなどが出現した。脳波も軽度異常がみられ、脳循環障害による中枢神経症状として把えられる。

(まとめ)

以上の通り、亡仲治は、全身に広範な障害を受けた末、昭和五六年九月二日、肺癌で死亡した。右の肺癌も慢性砒素中毒症に起因したものと認められる。現に、公健法上も右死亡につき砒素起因性が認められ、宮崎県知事から遺族補償費の支給決定がなされている。

4 家庭と生活の破壊

(一) 亡仲治は、昭和五三年一二月、痛む喉を押えてやっとの思いで原告本人として供述し、洋服のボタンがかけられない等、日常の自分の身の回りの事さえ不自由な体になっていた事を切々と訴えていたが、昭和五六年九月肺癌で死亡するという重大な事態が生じた。

(二) 仲治一家は祖父の代から土呂久に居住して鉱毒の被害を正面から受け、左記のとおり近親者が次々と死亡し、特に抵抗力の弱い乳幼児に死亡者が集中しており、鉱毒のおそろしさを実証している。(括弧内は死亡時の大よその年齢と死因)。

祖父(六六才)、母(二九才、肺病)、妹(〇才)、弟(四才、胃腸カタル)、妹(〇才)、二男(〇才、胃腸カタル、長女(三才、胃腸カタル)、母の弟(六六才、脳血)、父(六七才)、長男の嫁(三五才)、二女(〇才、急性胃腸炎)、三女(〇才、急性胃腸カタル)。

また、妻の原告佐藤ハルミも本件被害者の一人である。

(三) なおまた、田畑、山林等の収穫は落ち、牛馬が狂い死する等して、一家の生活の基盤は破壊され、鉱山で働かざるをえなくなった。

Ⅱ、被告の反論

(個別症状)

(一) 心循環器障害

自覚症状が出たという三四才(昭和一九年)、頃には、亜砒焼は行われていないうえ、亡仲治は兵役に服していた。原告主張の症状はすべて高血圧症によって説明できるものであり、これは砒素とは関係ない。

(二) 慢性気管支炎

亜砒焼が存在した当時、呼吸器に関する刺激症状は全く見当らず、はじめて呼吸器症状が出たとされているのは、三二才頃に肺結核と指摘された時以降となっている。また慢性気管支炎は多くの場合、閉塞性疾患の形をとるのに対し、機能検査の結果は、抱束性疾患の形を示している。これらの点からすれば、慢性気管支炎との診断ができる筈はない。肺結核及び塵肺症が指摘されており、その呼吸器症状はすべてこれにより説明がつく。

(三) 慢性胃腸障害

堀田診断書にある現症は、食欲不振のみであり、その食欲不振も、カルテには見当らない。

(四) 慢性肝炎

六四才時に一時的な肝腫張があったのみで、既に治癒している。又同人の飲酒状況はそれが原因で肝炎の起りうる程のものであった。

(五) レイノー症状

亡仲治には自律神経障害の現れとみるべき各種症状はいずれも否定されているし、又、もし末梢動脈の循環障害が生じたとすれば、症状に持続性があるはずで、亡仲治のように、寒冷時に一時的に現れるということはない。

(六) 視野狭窄

砒素による末梢神経の侵襲は、多発性神経炎の形で現れるのが常態であるのに、それが認められずに視神経のみ選択的に侵襲されることは考え難い。

(七) 難聴

存在も疑問であるし、かなりの左右差が見られており、中毒の症状とは考え難い。

(八) 嗅覚障害

鼻粘膜の器質的障害の存在が認められず、左右差があることからしても、砒素中毒による嗅覚障害は認められない。

(九) 中枢神経障害(脳循環障害)

片麻痺がみられるが、これは脳卒中の後遺症によるのが通常であり、砒素による血管障害が脳のみを、選択的に侵すなどということはあり得ないこと、亡仲治の父及び妹も脳卒中を起しており家族集積があること等からして、その脳卒中は、体質的要因を考えるべきである。

(まとめ)

亡仲治は多発性神経炎もなく、皮膚症状のみであるから生活上の支障も殆んど考えられない。死因となった肺癌と砒素との因果関係も否定される方向にある。

Ⅲ、当裁判所の認定

1 居住歴

三一、二才頃の尾平鉱山と昭和一九、二〇年の兵役期間を除いて、Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

但し、慢性気管支炎を指摘されたのは昭和四四年であり、また、亡仲治本人は昭和一八年頃から嗅覚低下を感じた旨述べている。

(2) 右のほかに、

① 本件鉱山に勤務していた頃は、前記腹痛等の胃腸症状のほか鼻水、鼻出血、眼脂、流涙等が続いていた。

② 神経症状・検査結果として、前記のほかに、両下肢末梢部の振動覚低下及び左上下肢の触・痛覚減弱、四肢両側筋緊張昂進、両側固有反射昂進(右<左)、両側ホフマン陽性(右<左)、オッペンハイム左陽性、共同運動障害、企図振戦、右下肢及び左上下肢の筋力低下があり、中枢神経障害として、左不全麻痺があるものと認められる。

③ 昭和五三年一二月当時も、慢性気管支炎、慢性胃炎、高血圧、肝障害につき治療を継続していた。

④ 県立延岡病院の医師高岡恭治作成の死亡診断書の内容も「死亡の原因Ⅰ、肺腫瘍Ⅱ、慢性砒素中毒」となっている。

(B) 因果関係

因果関係の認められないものはない。

(C) 被告の反論について。

(1) 堀田診断では三二才頃肺結核の指摘とあるも、亡仲治本人は否定し気管支炎と供述しており、いずれか確認しうるに足る資料もなく、仮にあってもその後の長い呼吸器障害を説明しきれるものとは認めがたい。塵肺も六四才時に軽いその疑いを指摘されたというにすぎず、同様に砒素の寄与を排斥しうるものではない。

(2) 第三節第三の六項(肝障害)で述べたところからすれば、アルコールの関与があっても、砒素もまたこれと競合して肝障害の発生に寄与しているものと認めるのが相当である。

(3) 心循環障害の存在状況に鑑み、レイノー症状及び脳循環障害に関する反論は根拠がない。なお、脳卒中の家族集積・体質的要因の関与があっても、砒素との関連性が否定されるものではない。

(4) 砒素性の視野狭窄に常に多発性神経炎が随伴すべきであると認めるに足る証拠はない。

4 生活状況等

(1) Ⅰの(一)、(三)のとおり。

(2) 妻の原告佐藤ハルミも本件被害者の一人である。

(3) Ⅰ(二)のとおり近親者が死亡した。

(4) 尋常高等小学校卒業後農業に従事していたが、二〇才頃から三〇才頃まで本件鉱山に勤務し、その後一、二年尾平鉱山の飯場に行き、昭和一九、二〇年は兵役。戦後は農山林業に従事。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第一六九号証(証人堀田)、二一八号証(原告佐藤ハルミ)、一一五、二三五、二七六、三二六号証(各弁論)、乙第二九三号証(証人堀田)、二三三号証(前掲)、四二四号証の一ないし三(不争)。

(2) 証人堀田(第一回)、同川平(第一回、但し一部)。

(3) 亡佐藤仲治本人(第一、二回)、原告佐藤ハルミ本人。

四 原告佐藤ミキ(大正一〇年一二月一五日生)

Ⅰ、原告らの主張

1 居住歴

大正一〇年、亜砒焼き窯群から南五〇〇メートルの大字岩戸南部落三八五〇番地で出生し、以後現在まで居住し続けている。

2 鉱毒への曝露

亜砒焼き窯から出る鉱煙は土呂久川沿いに南下し、南部落に流れ込んできた。特に操業が激しかった頃は風のない日や曇りの日等に臭気を伴った鉱煙が付近一帯を覆った。

飲用水等生活用水は全て、昭和四五年頃簡易水道が敷設されるまで、鉱毒により汚染された東願寺用水と家の近くにある井戸水(この井戸水にも鉱毒により汚染された土呂久川の水が流れ込んでいた)を利用していた。

又、一家の田畑も東願寺用水の水を利用しており、鉱煙によっても直接汚染されていた。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和四九年二月六日、慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。腹痛、下痢、眼がからからになる、流涙、などの特徴的な初期粘膜刺激症候群が存在し、特徴的な皮膚症状も備えており、慢性砒素中毒症に罹患していることは明白である。

(個別症状)

(一) 心循環障害

四五才頃(昭和四一年頃)からめまい、耳鳴りがあり、昭和五〇年七月の堀田診察時の自覚症状としてめまい、耳鳴りのほか、顔面、足の浮腫、動悸がある。他覚的にも収縮期心雑音がある。

(二) 貧血

四五才頃から貧血があり、造血剤を服用している。

(三) 視力障害

一八才頃から両眼の視力障害がひどくなり、他覚的にも両眼の視力低下(0.1以下)が認められる。

右視力障害発現前に眼粘膜刺激症状とみられる眼痛、流涙等の既往があり眼がからからになるという状態が続いていた。

(四) 慢性胃腸障害

六〜七才頃から腹痛、下痢、吐気の症状があって胃腸が悪く、診察当時も食欲不振、腹部膨満感、吐気、便秘の訴えがあり、慢性の胃腸障害が認められる。

(五) 皮膚障害

一七才頃から亜砒まけによる皮膚かぶれが二〜三年持続した。

現症状では皮膚色素沈着、白斑、両足蹠の角化症が認められている。昭和四八年一二月、県健診でボーエン病様組織所見ありとされている。

(六) 歯の障害

六、七才頃から歯齦出血、二〇才頃から歯が抜けるなどの状態があり、五四才で上歯総義歯となり、診察当時は下歯が四本残存しているのにすぎない。

(まとめ)

右原告の場合、右各症状のほかには、目立った障害がないが、全体的に健康状態が低下し、心循環障害は明らかに増悪している。皮膚症状の悪性化及び内臓癌発生の危険にも鑑みると、その症状を軽度の固定したものと単純にみることはできない。

4 家庭と生活の破壊

(一) 原告ミキは、現在視力の矯正もきかず、物がボーとしか見えないうえ、耳鳴りで物音もよく聞こえない状態にもなり、日常生活は不自由で味気ないものとなっている。

心循環障害が悪化し、目まいも起こる為、何時危険が起こるかもしれないという不安な人生を送らざる得なくなっている。又、娘時代から発病したため、結婚はあきらめざるをえなかった。

(二) 父は生前内臓が悪く、昭和三三年頃脳卒中ということで死亡し、母も内臓が悪く、神経痛気味で昭和二九年頃結核ということで死亡した。男四人、女五人の同胞のうち長男も四男も戦死したが出征前胃腸障害を訴えていた。二男孫一は昭和二五年結核ということで死亡し、その妻も胃腸障害を訴えていたが、昭和二九年死亡し、長女タニ(明治四〇年生)は若いときから痩せ、目、内臓が悪く第五次認定患者であり、二女は一才で死亡、三女は若い時から顔色が悪く腎臓炎で入院し、両眼が見えなくなり三三才頃死亡し、四女の原告佐藤ハナエ(亡佐藤数夫の妻)は、次の五で記載のとおりであり、六女は若い時より体が弱く、神経痛で苦しんでいる。

(三) 又、一家は一町歩の田畑を有していたが、収穫は減少し、客土を繰り返さざるを得ず、又戦前、農耕用の牛は涙、よだれを出し、下痢をして次々と死んでいった。

Ⅱ、被告の反論

(個別症状)

(一) 心臓障害

心電図は正常、血圧も正常値であるから、原告主張の心雑音は心筋障害によるものではなく、従って砒素によるものではない。その収縮期心雑音と浮腫は、砒素と無関係の弁膜障害及びこれに起因する心不全状態で説明できるがむしろ、その浮腫は、腎炎に起因するように思われる。

(二) 貧血

造血剤の服用があり、鉄欠乏性貧血である。

(三) 視力障害

視力低下は調節障害によるもので、砒素中毒症ではない。結膜・角膜に障害がないことからも明かである。

(四) 慢性胃腸炎

胃腸に器質的病変の存在は認められない。

(五) 歯の障害

歯槽膿漏である。

(まとめ)

右原告について、砒素中毒症状の可能性があるのは皮膚症状のみであって、その症状も日常生活に殆ど影響しないものである。

Ⅲ、当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

(2) 他に、難聴、四肢振動覚低下、筋力低下等の現症が認められているが、砒素中毒症状としての主張もなく、堀田診断でも除外されている。

(3) 昭和五〇年堀田診察当時の自覚症状をまとめると次のとおりである。

全身倦怠感、食欲不振、口渇、易疲労、腹部膨満感、胸やけ、嘔気、便秘、意欲減退、不眠、物忘れ、めまい、耳鳴り、視力低下、動悸、嗄声、眼がからからになる、顔面・足の浮腫、下肢のこむらがえり、寒冷時の手足の厥冷、知覚鈍麻。

(B) 因果関係

因果関係の認められないものはない。

(C) 被告の反論について

(1) 造血剤の服用が何ら砒素性の貧血と認める妨げにはならないことは、亡佐藤鶴江につき述べたとおりである。

(2) 視力低下に調節障害が関与しているとしても、砒素の寄与を肯定する妨げとなるほどのものとは認められない(なお、原告本人によると、視力は矯正しても0.2位しかない。)。また、近年は白内障で治療を受けていることが窺えるが、これも、視力障害の病歴全体を説明するには足りず、砒素の寄与を左右するには至らない。

4 生活状況等

(1) Ⅰのとおり。

(2) 一五才頃から一八才頃まで本件鉱山で臨時雇として時折雑作業に働いたほかは、四五才頃まで家事ないし農業手伝をした。

(3) (堀田診断による障害の程度)

身の回りのことは一応できるが、職業に就くことは至って困難で、日常生活にも適宜指導を要する。定期的に通院治療を要する。ときに応じて入院治療が必要である。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第一〇五、一六六号証、乙第二九〇号証(各証人堀田)、甲第二三五号証(前掲)、乙第四二五号証の一(不争)。

(2) 証人堀田(第一回)。

(3) 原告佐藤ミキ本人、亡佐藤数夫本人。

五 亡佐藤数夫(大正三年六月二九日生、昭和五七年八月一三日死亡)

Ⅰ、原告らの主張

1 居住歴

亡数夫は大正三年大字岩戸上寺において出生した。昭和二年から反射炉の南五〇メートルの土呂久南部落の三、六二七番地佐藤茂方に居住し、右茂の農業の手伝いを始めた。昭和一一年同所から約五〇〇メートル南方に転居した後、同一五年再び同所に戻り、昭和一七年佐藤ハナエと結婚し、同年一一月から兵役、終戦後昭和二三年六月に土呂久に帰り、反射炉から六、七〇〇メートル南の土呂久三、八五〇番地の妻の実家で生活するようになり、死亡するまで居住した。

2 鉱毒への曝露

(一) 右佐藤茂方は、庭先で亜砒焼きがなされるといっていいような距離にあり、常時鉱煙が屋内にはいり込み、直接鉱毒の曝露を受けた。

(二) 飲料水は汚染された東岸寺用水を使用していた。

(三) その後、茂の子五人が、幼くして次々死亡したため鉱毒の害であると考え、昭和一一年五〇〇メートル南方に仮屋を構えて転居した。

(四) 右仮屋にも、鉱煙の臭気は届いたし、汚染された東岸寺用水を飲料水として用い、汚染された農作物を食料としていた。

(五) 昭和二三年六月に復員して居住した妻の実家も、日によって鉱煙に悩まされ、昭和四八年まで、東岸寺用水を飲料水として用いた。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和四九年二月二八日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。特徴的な初期粘膜刺激症状(流涙、腹痛、下痢、吐気)がありこれが持続遷延していることや、皮膚症状、多発性神経炎の発現等に照らし、慢性砒素中毒症に罹患していることは明白である。

(個別症状)

(一) 慢性胃腸障害

鉱山に勤務しはじめてから(昭和三〇年以降)腹痛、下痢、吐気などの症伏がおこり持続し、昭和五〇年七月の堀田診察当時も食欲不振、腹都痛、腹部膨満感、胸やけ、嘔吐、便秘を訴えている。

(二) 慢性呼吸器障害

昭和三一年頃急性気管支炎などといわれ以後咳、痰、嗄声が続いている。

(三) 鼻炎、結膜炎

一八才頃から流涙、眼脂、四一才頃から嗅覚の減弱、鼻閉、鼻水などの症状が持続、診察時の自覚症状でも流涙、目やに、鼻水、鼻閉が続いていた。

(四) 心循環器障害

四五才頃、耳鳴りなどがおこり、五〇才前後、動悸、息切れ出現五六才頃から高血圧があり、耳鳴り、目まいがある。他覚的に眼底動脈硬化症が認められ脳波にも軽度異常がある。

(五) 多発性神経炎

四肢末梢の触痛覚鈍麻、四肢振動覚低下、両手足の異常知覚、四肢筋力低下があり、明らかに多発性神経炎と診断される。知覚障害の左右差は右側がやや高度という程度にすぎない。

(六) 求心性視野狭窄、難聴

他覚的に求心性視野狭窄、両側難聴を認めている。

(七) 嗅覚脱失

四一才頃から前記呼吸器、気道の粘膜症状とともに嗅覚が減弱し遂に脱失した。他覚的にも脱失が認められている。

(八) 皮膚症状

躯幹、上肢、顔面に色素沈着、下腿に白斑、手掌、足蹠に角化症がある。

(九) 歯の障害

二六才頃から歯がぐらぐらして抜け出し、三分の一しか残っていない。

(まとめ)

亡数夫は、以上の通り、特に戦後の亜砒焼再開後、多彩な症状を発現し、県健診で皮膚の基底細胞癌が認められるなど、増悪の傾向をたどり、喉頭癌を発症した後、昭和五七年八月一三日、転移性肺癌で死亡した。

右皮膚癌及び喉頭癌も砒素に起因するものであって、現に公健法上も右死亡につき砒素起因性が認められ、遺族補償費の支給決定がなされている。

4 家庭と生活の破壊

(一) 亡数夫は、土呂久に居住するようになるまでは健康で元気のよい少年であったが、土呂久に居住するようになってから、鉱毒により次第次第に体を蝕まれていったのである。

亡数夫は、右病苦のなかで、常に将来更に恐ろしい障害が起こるのではないかとの不安を抱いていた。また、自分自身では生活を維持できず、親戚の応援や甥の世話を受けて生活し、入・通院の繰り返しであったが、その治療も経費の関係で思うにまかせなかった。そして、不幸にも同人の不安は現実のものとなり、昭和五七年肺癌で死亡するに至った。

(二) 妻の原告ハナエは、大正八年前記土呂久三八五〇番地で出生し、現在まで居住しているが、二〇歳のころかから目のふちがただれて、涙が止まらず、胃腸が弱く、しばしば吐気がするという症状が続いている。昭和四〇年頃から貧血症、高血圧症の治療のため、昭和四四年頃から目の治療のため、いずれも通院を続けている。

長男は幼少のころから下痢をし、現在でも胃腸が弱い。二男は、胃腸が弱く、視力が低下し、現在も通院している。長女は四歳の頃腸捻転とのことで激しい下痢をして死んだ。三男は小学校のときに肺炎を患って、入院、幼少時より胃腸が弱く、現在も時々通院している。

以上のように一様に内臓疾患に苦しんでいる。

なお、妻ハナエの兄佐藤孫一は鉱山で働いていたが、肺疾患により昭和二五年に三九歳で死亡し、同人の妻も四一歳で死亡、また佐藤茂は昭和二八年に死亡したが、肺癌とのことであった。

右のとおり、家族は勿論のこと、同居していた親族は、諸々の健康障害に苦しみ、死亡していった。

Ⅱ、被告の反論

(個別症状)

(一) 慢性胃腸障害

初発時期が定かでなく、堀田診断の昭和二九年なら、亜砒焼は中断中であって砒素による刺戟症状が出ることはないし、器質的病変もない。

(二) 慢性気管支炎

胸部レントゲン検査で常に左肺部にくもりがあったということであって、器質的病変が存するのは左肺部であり気管支などの気道ではなく、この病変以降慢性的な気管支障害を生じたとのことであるから、肺結核の後遺症としての気管支症状と考えるほかない。現症としては、呼吸機能検査の結果も正常値で、気管支炎と呼べる程度の病変は残存していない。

(三) 鼻炎・嗅覚障害

器質的な病変はない。

(四) 結膜炎・視野狭窄

眼やに、流涙等は感染症のトラコーマに反覆罹患したことによる。現症としては、結膜、角膜共に無所見で、結膜炎はない。

視野狭窄については、眼底検査の結果、視神経に特別の症状はなかったのであるから、砒素中毒によるものとは認め難い。

(五) 脳循環障害

高血圧症に尽き、それは砒素中毒によって起るものではない。

(六) 多発性神経炎

四肢末梢の知覚鈍麻は、発症当初から右片側性の傾向が見られ、下肢における神経症状にはラセーグ徴候の混在も考えられるほか、固有反射及び筋緊張は正常となっており、運動神経の障害も乏しく、砒素中毒症であることには疑問が多い。

(七) 難聴

左右差もあり、又加齢現象によっても、この程度の聴力低下は生ずる。

(まとめ)

亡数夫の症状のうち、慢性砒素中毒と見られるものは、皮膚症状であるが、これによって日常生活に支障を生ずることは考えられない。多発性神経炎が砒素中毒の症状と認められるとしても、極めて軽症と見られ、これも生活に支障を及ぼすものではない。

死因の喉頭癌は砒素と因果関係なきものとされている。

Ⅲ、当裁判所の認定

1 居住歴

後記4(1)の点を除き、Ⅰのとおり。

2 曝露歴

(1) Ⅰの(一)(四)(五)のとおり。なお、(三)の点は亡佐藤数夫本人の供述にあるも、戸籍(乙第四二五号証)に対比して採用しがたい。

(2) 南部落三六二七番地では近くの沢の水を竹の樋で引き、露天の水溜に受けて飲料水等に使用していたが、ここにも粉塵等が降り注いだ。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1)① 胃腸症状及び咳が最初に出現したのは一九才頃と認められる。

② 四五才頃に右手・前腕の知覚鈍麻、右足趾しびれ、四肢脱力が出現して、多発性神経炎が発症した。

(2) 右以外は、Ⅰのとおり。

(B) 因果関係

(1) 眼脂、流涙等の結膜炎症状については、その直前の頃に反覆してトラコーマに罹患したことが認められており、その後遺障害の可能性が強く且つそれによって説明できると見られるので、砒素が相当因果関係を肯認しうる程度に寄与していると認めるのは困難である。

(2) 死因となった喉頭癌・転移性肺癌については、第三節第三の一一項1で認定したところ及び大野政一らが次のとおりの事由により亡数夫の喉頭癌は砒素によって発症したと考える旨診断報告している(甲第一八六号証)ことに照らし、本件砒素曝露との間に相当因果関係があるものと認められ、これを覆すに足る証拠はない。

「(ⅰ)(一般に論じられている)砒素の発癌性と本症例の長期の曝露歴。(ⅱ)本症例の喫煙量がきわめて少ないこと。(ⅲ)腫瘍の存在部位が声門上部にあり声門部癌に比べ、より化学的刺激の影響を受けやすい部位であること。(ⅳ)皮膚の基底細胞癌が存在しており、重複癌としての喉頭癌と皮膚癌の報告が本邦には認められないこと。」

(3) そのほか、(A)で認定した症状のうち、右(1)以外には因果関係の認められないものはない。

(C) 被告の反論について

(1) 肺結核の点は、四二才の頃その疑いを指摘されたというにすぎず、結核としての症状進行の様子もなく昭和五七年まで至っており、結局その存在は認めがたい。

(2) 四肢の知覚異常の左右差は軽度で、対称性を損うほどではなく、被告指摘のその他の点を含めても、砒素性の多発性神経炎たることは否定されない。

(3) 川平証人の証言によっても、眼底検査の結果が砒素性の視野狭窄たることを妨げるものとはなしがたい。

(4) 乙第三七九号証は、右(A)の認定を左右するには足りない。

4 生活状況等

(1) 昭和一三年頃一時尾平鉱山に勤め、昭和一四年頃には一時小倉の陸軍工廠に入所した。

(2) 昭和六年頃から一七年頃まで(但し右(1)を除く)、本件鉱山の臨時工として焼き殻運搬等に従事した。その後昭和二三年頃まで兵役、農業の後、昭和二八年から約五年間本件鉱山で採鉱夫として働いた。その後は農業に従事。

(3) そのほかは、Ⅰのとおり。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第七、一一五、一八六、二三五号証(各前掲)、一七九号証(証人堀田)、二八〇号証(不争)、三二三号証(公文書)、乙第三二三号証(証人堀田)、三七八号証、四二五号証の一ないし六(各不争)、三七七号証(弁論)。

(2) 証人堀田(第一回)。

(3) 亡佐藤数夫本人、原告佐藤ミキ本人。

六 亡佐藤勝(大正四年四月一日生、昭和四九年二月一日死亡)

Ⅰ、原告らの主張

1 居住歴

亡勝は、大正四年父佐藤清八、母原告チトセの長男として亜砒焼き窯の北西約八〇〇メートルの惣見三五二一番地に出生し、死亡するまで同所で生活した。

2 鉱毒への曝露

鉱煙は、右居住場所にまで押し寄せ、家屋やこれに続く田畑等を覆い、粉塵や臭気も一帯にただよっていた。又生活用水は土呂久川から竹樋を導いて利用していたが、その上にも粉塵は舞い降りた。また鉱毒による土壌その他の汚染は現在に至るまで継続し、亡勝は死亡するまでこれら汚染された土壌で生活し、汚染された農作物等を摂取することを余儀なくされた。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

公害認定はなされていないが、これは、昭和四八年の県健診結果及び公害健康被害認定審査会の審査では、認定相当の答申がなされながら、認定前の昭和四九年二月一日に死亡していたため、認定処分がなされなかったにすぎない。特徴的な皮膚症状も認められ、その組織像もボーエン氏病ないしその前駆症状を示しており、粘膜刺激症状の存在も認められること等に照らし、慢性砒素中毒症に罹患していたことは明らかである。

(個別症状)

(一) 皮膚症状

昭和四八年の県健診により背部のびまん性色素沈着、同白斑、足蹠部、びまん性点状角化症。ボーエン病ないしボーエン病様症状が認められている。

(二) 神経性難聴、求心性視野狭窄

いずれも県の健診結果にあらわれている。

(三) 心循環器障害(高血圧、心筋梗塞、脳動脈硬化症)

子供の頃から頭痛、四〇才頃からめまい発作、五二〜三才高血圧、昭和四八年めまい、頭痛、脳血管障害で入院治療半年等の事実があった。県健診の結果、網膜血管硬化、血圧一八六〜一〇八、心電図異常(心筋梗塞)、右半身不全麻痺等が認められ、死因も脳出血によるうっ血性心不全であり、心臓循環障害の存在は明らかである。

(四) 肝機能障害、慢性胃腸障害

前者は、県健診のデータにより認められる。胃腸も結婚前から悪く、下痢・腹痛に悩み続けた。

(まとめ)

右のとおり、皮膚症状の悪性化、心循環障害の悪化等、全体的に徐々に悪化し、死亡に至ったものであり、死亡についても当然砒素起因性が認められる。

4 家庭と生活の破壊

(一) 亡勝は提訴前に死亡したが、妻の原告佐藤トネは夫にかわり、「主人は結婚した当時からやせていて体力がなく、徴兵検査でも不合格の丙種だった。しかも、症状は一向によくならないばかりか、段々と悪くなる一方で、死ぬまで医者通いを余儀なくされた」と訴えた。幼児期より死亡するまでの全期間を、ただ病苦に苦しめられ続けた生涯といえる。そして心臓循環障害により死亡するという重大な結果が生じたのである。

(二) 父も亡勝と同じく前記三五二一番地にてその一生を送り、昭和四六年に七七才で死亡したが、常に胃腸の具合が悪く、普段から咳こみがちで、死亡前一〜二年間は手足が動かず寝たきりの状態だった。

母チトセは、本訴被害原告の一人である。

妻の原告トネは、鉱毒の影響のない地に生まれ、亡勝と結婚するまでは全くの健康体であったが、昭和一四年結婚し前記場所に居住するようになると次第に鉱毒によってその健康を蝕まれていった。声はかれていき、しばしば喘息の発作に苦しめられ、手足のしびれ、皮膚の色素沈着、角化、胃腸障害、嗅覚低下、めまい等の症状があり、慢性砒素中毒症の行政認定を受けている。

妻トネとの間には一男七女が生まれたが、長女、七女はいずれも生後一〇日位で気管支炎ということで、次女は五ケ月で肺炎ということでそれぞれ死亡している。また他の子供も、幼少時にはいずれも下痢したり、風邪をひくなど普段から虚弱で病気がちであった。

(三) 又亡勝の一家は、代々農業を営み、牛馬の飼育等畜産にも力を注いでいたが、これら一家が代々育くんできたものも、打撃を受け、牛馬も斃死した。

Ⅱ、被告の反論

(個別症状)

(一) 皮膚症状

ボーエン病を認めうる資料はない。

(二) 難聴、視野狭窄

普通の老人性難聴と異るというのであるから、普通の中毒性難聴とも異っているということになり、左右差があることも併せ考えると、砒素中毒の症状とは認められない。

多発性神経炎が認められていないのであるから、視神経炎のみが現れるということはあり得ない。

(三) 心循環器障害

高血圧と、それによって生じた二次的症状と考えられる。

(四) 肝機能障害、慢性胃腸障害

肝機能の検査所見ではガンマGTP値が高く、現在又はごく近い過去に毒物が侵入していることが示されており、亜砒焼の砒素が原因ではない。

慢性胃腸障害は県の健診時の本人の申告でも否定されている。

(まとめ)

亡勝の症状のうち、ボーエン病を除く皮膚症状についてのみは、砒素中毒症状の可能性が考えられるが、老人性皮膚症状等との鑑別が必要である。この皮膚症状で日常生活の障害が生ずるとは考えられない。

死因となった脳出血は高血圧に起因すると考えられ、砒素と関係ないものである。

Ⅲ、当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

(2) 右以外に、手足のしびれ、脱力等(二〇才頃から)、視力低下(四五才頃から)、嗅覚低下(三〇才頃から)等もあげられているが、堀田証人によれば、多発性神経炎は認められていないとのことであり、視力については相当程度が矯正可能とみられるとともに白内障の指摘があり、結局いずれも、原告の主張もなく、堀田意見書でも砒素中毒の症状から除外されている。

(3) 乙第四〇一号証は右(1)の認定を覆すには足りない。

(B) 因果関係

因果関係の認められないものはない。

(C) 被告の反論について

(1) 聴力損失に左右差があっても砒素起因性を左右するに至らないことは前説示のとおり。

(2) 砒素性の視野狭窄には常に多発性神経炎が伴うと認めるに足る証拠はない。

(3) 高血圧が砒素の寄与を排斥するものでないことも前説示のとおり。

4 生活状況等

(1) Ⅰのとおり。

(2) 小学卒業以来農業に従事。結婚前、坑木を伐採して本件鉱山に納入したことがあるが、鉱山従事歴はない。五〇才頃からは病弱のため仕事はできなくなった。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第七、一〇号証(前掲)、九三号証の一、二、四、五、二一六号証(原告佐藤トネ)、二二三号証(前掲)、二三八号証(公文書)、二四五号証(証人堀田)、二五五ないし二五八号証(弁論)、二七九号証(不争)、三一九号証の一、二(弁論)、乙第四〇一号証(弁論)、四二六号証の一、二(不争)。

(2) 証人堀田、同川平(但し一部)。

(3) 原告佐藤トネ本人。

七 亡鶴野クミ(明治三四年九月四日生、昭和五七年一二月二三日死亡)

Ⅰ、原告らの主張

1 居住歴

亡クミは、明治三四年出生し、大正八年亡鶴野政市と結婚し土呂久の佐藤操方で新生活に入ったが、同所は、亜砒焼き窯と土呂久川をはさんで目と鼻の先に位置していた。大正一〇年頃夫が本件鉱山に従事し鉱山住宅に移ったが、最初の社宅は終日燃えつづける窯から一〇メートル足らずの至近距離にあり、その後鉱山をやめる迄住んだ住宅も土呂久川辺りの事務所(旧事務所)わきであって、窯から四〇メートル程度しか離れていなかった。右住宅で長男亡秀男(本件被害者の一人)を出生した。昭和二年に鉱山住宅から皿糸に転居し、昭和四五年、長男秀男夫婦と共に、大字岩戸春目に移り住んだが、昭和五七年同所で死亡した。

2 鉱毒への曝露

長男の亡秀男と同一の居所で生活してきた。従ってその間の曝露状況は亡秀男について述べたとおりであり、又、その前の佐藤操方も同様に著しく汚染をうけた場所であった。

かくして亡クミは本件鉱山の亜砒酸製造開始とともに鉱毒の曝露を受け、しかも間断なく鉱毒にさらされつづけた。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和四七年八月二三日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。最初の認定患者の一人であり、下痢、腹痛、吐気、鼻出血、咳といった初期粘膜刺激症状を発症し、多発性神経炎も認められるなど、明らかに慢性砒素中毒症に罹患している。

(個別症状)

(一) 多発性神経炎

三〇才頃(昭和六年)から手足のしびれ、四肢脱力が起って持続し、昭和五〇年五月の堀田診察当時も手足下肢のしびれ、四肢脱力があった。他覚的にアキレス腱反射両側消失、四肢筋力低下(握力右八、左六)、下肢等の触痛覚鈍麻、下肢振動覚低下がある。

なお堀田の診察によれば、リューマチの臨床症状は存在しない。

(二) 嗅覚障害、難聴

前者の経過は不明、後者は六〇才頃から昂じてきた。現症は、自、他覚的に認められる。

(三) 皮膚症状

躯幹部に散在性色素脱失が著明、両手掌、両足蹠に著明な異常角化症が認められる。中村報告(二)では、昭和四九年一二月に臨床上ボーエン病様症状を呈していたと認められている。

(四) 慢性呼吸器障害

二〇才頃から咳、喀痰があり、現在も咳、喀痰があり息苦しい。心肺機能も低下しており、慢性の呼吸器障害が認められる。レントゲン所見では肺繊維化像、代償性気腫像も認められる。

(五) 結膜炎、歯の障害

結膜炎は曝露当時に初発し持続しており、現在も流涙が多い。歯は二〇代から抜けた。

(六) 循環障害

二〇才頃から頭痛、めまいがあり、二一才頃と四〇才代に意識喪失発作、六〇すぎてから息切れ、動悸、下肢浮腫、頭痛、たちくらみが昂じてきた。他覚的に高血圧(二〇〇〜一〇〇)、脳波軽度異常、心電図にも異常がある。固有反射昂進は中枢神経障害を徴表しており、中枢神経症状として知的機能の低下もみられる。右の通り、戦前の操業期に一過性の脳の循環障害とみられる症状の初発があり、徐々に循環障害が悪化してきたものである。

(七) 慢性胃腸障害

二〇才頃から下痢、腹痛、嘔気があり、堀田診察時にも続いていた。

(まとめ)

右のとおり、戦前に発症していた循環障害が次第に悪化してきていた。その結果、昭和五七年一二月二三日心不全を直接死因として死亡した。

しかも、同人には乳癌・転移性脳内腫瘍もみられ、「角化症が強いので予後に注意する必要がある」旨指摘されていた通りの結果となっており、五〇年前の曝露による発癌作用も進行していたものと解される。

よって右症状の進行及び死亡についても砒素起因性が認められるべきである。

4 家庭と生活の破壊

(一) 亡クミの症状は、日増しに悪化をたどり、鉱山住宅に住むようになって、咳痰が出始めたが、それは死亡するまで続いた。昭和五四年一月に本件の陳述書を書いた時には、既に手がふるえて字も書けない状態にあり、同五六年二月の原告本人尋問も入院先の病院を一時退院し、自宅の布団に横たわりながらであった。

早くから、頭痛、たちくらみ、意識喪失を訴えていたが、昭和五七年心不全で死亡するという重大な結果が生じた。

(二) 夫も鉱毒に侵され、早くして死亡し、自分も健康を害されて、生活基盤を失い、肉体的にも経済的にも厳しい生活を余儀なくされた。そして、同じく鉱毒で体を蝕まれていた長男亡秀男にも先立たれた。右の他、亡秀男について述べたと同様である。

Ⅱ、被告らの反論

(個別症状)

(一) 多発性神経炎

上肢の反射が昂進している点、下肢のラセーゲ徴候が陽性である点、筋萎縮も存しない点からして、多発性神経炎の存在は疑問である。知覚低下も加齢現象によっても現れるなど多因であるし、振動覚低下の測定も疑問がある。

(二) 嗅覚障害、難聴

嗅覚障害については鼻粘膜の病変が存せず、難聴については加齢現象の範囲内の聴力損失でしかないうえ左右差も大きく、いずれも砒素中毒によるものではない。

(三) 慢性呼吸器障害

呼吸機能検査成績は、堀田診断書では拘束型を示し、中村報告(一)では正常範囲とされており、いかなる呼吸器障害が存するか詳かでないし、砒素中毒と関係があるものとは認め難い。

(四) 結膜炎、歯の障害

前者は所見なしであり、後者は砒素とは関係がない。

(五) 循環器障害

心電図の異常の形や症状はすべて高血圧症のものである。

(六) 慢性胃腸障害

器質的病変はない。

(まとめ)

亡クミについて慢性砒素中毒と関係が考えられるのは、皮膚症状と多発性神経炎であるが、皮膚症状では日常生活への影響は殆ど考えられないし、多発性神経炎は仮に存しても軽症である。八一才の高齢を保ったことも、慢性砒素中毒の症状が殆ど存しなかったことを裏付ける。

Ⅲ、当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

(1) 皿糸の汚染を認めるに足る証拠はない(亡鶴野秀男と同様)。

(2) 右以外はⅠのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

(2) なお、視力低下の現症があるが、原告も主張せず、堀田診断でも砒素中毒の症状からは除外されている(白内障とされる)。

(B) 因果関係

(1) 乳癌・転移性脳内腫瘍については因果関係を肯認しがたいこと第三節第三の一一項説示のとおりである。

(2) 右以外には因果関係の認められないものはない。

(C) 被告の反論について

(1) 呼吸機能検査成績の如何によっては呼吸器障害存在の認定を左右しえないこと前記のとおりであり、それが拘束性障害であっても砒素との関連性を認める妨げとなるほどの事情ではない(証人堀田。証人川平も結局同旨)。

(2) 上肢の反射昂進は中枢神経障害(脳循環障害)が存することによるものであり、ラセーグ徴候陽性や加齢現象等の点をもっても、変形性腰椎症等他の症状の合併は認められるものの、砒素による多発性神経炎の存在を左右するには足りない。

4 生活状況等

(1) Ⅰ及び亡鶴野秀男に関して認定したとおりである。

(2) 大正一〇年頃から皿糸に転居するまでは亜砒焼きの手伝いをし、その後は農業に従事した。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第一二、一三、一三〇、二三五号証(前掲)、一七二号証(証人堀田)、二二九号証(亡鶴野クミ)、三二八号証(弁論)、乙第一〇九号証(前掲)、乙第二九六号証(証人堀田)。

(2) 証人堀田(第一回)、同川平(第一回、但し一部)。

(3) 亡鶴野クミ、亡鶴野秀男各本人。

八 亡佐藤ハルエ(大正二年三月二一日生、昭和五五年八月一六日死亡)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

亡ハルエは、大正二年亜砒焼き窯の北東約三〇〇メートルの地で生れ、大正一二年頃亜砒焼き窯の西方一〇〇メートル足らずの距離にある鉱山住宅に移り、昭和八年亜砒焼き窯の北西約三〇〇メートルの惣見三五八五番地にある母の実家に移転した。

昭和八年本訴原告の佐藤實雄と婚姻し、畑中に移りその後福岡県(昭和八年から九年まで)、畑中、大分県尾平(同一五年から一九年まで)と転々としたが、昭和一九年前記惣見三五八五番地に戻り、以降昭和三九年六月まで居住し、同年同所より二〇〇メートル南の大字岩戸三五八一番地に移転し、死亡するまで居住した。

2 鉱毒への曝露

出生後今日まで、そのほとんどを汚染地域のただ中に住み、種々の経路で鉱毒の曝露を受けた。特に一〇才頃から一八才までを過した鉱山住宅時代は高濃度の曝露を受けた。当時の模様は亡鶴江と同じである。その後の状況は後記原告佐藤實雄と同様である。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和四八年七月二一日公害認定を受けた。初期粘膜刺激症状の発生、特徴的な多発性神経炎がみられることなどから、慢性砒素中毒症に罹患していることは明白である。

(個別症状)

(一) 多発性神経炎

自覚的に足のしびれ、下肢の異常知覚、他覚的にアキレス腱反射両側低下、四肢筋力低下、四肢の対称性の触・痛覚鈍麻、足の振動覚低下が認められる。神経伝導速度もかなりの遅延がある。

(二) 鼻炎、嗅覚障害、角膜炎

六〜七才頃から鼻閉、嗅覚低下がみられ、他覚的に嗅覚減弱及び鼻中隔乾燥と小瘢痕が認められている。

六〜七才頃から流涙がひどく結膜炎、角膜炎によくかかった。他覚的にも角膜混濁、数個の小瘢痕が認められ、角膜炎が存在する。

(三) 心循環器障害、レイノー症状

三一〜二才頃から寒冷時等に舌のチアノーゼ、蒼白が起こり、年々ひどくなった。

四三〜四才頃から高血圧、下肢の浮腫、目まいが出現、他覚的に軽度心雑音、高血圧(一八六〜一〇八)、脳波境界異常がある。

(四) 慢性呼吸器障害

持続性の喘息様症状(咳、呼吸困難)があり、昭和五〇年五月の堀田診察時にも咳、息苦しさを訴え、慢性呼吸器障害が認められる。

(五) 皮膚症状

四肢躯幹に散在性色素沈着、手掌、足蹠に異常角化症がある。ボーエン病様組織所見も認められている。

(まとめ)

亡ハルエの右障害は、亜砒焼き開始直後からのものもあるが、心循環障害、喘息様症状等、戦後の亜砒焼き再開後に発症した症状もあり、戦後の亜砒焼きの影響が競合し、全体として遷延ないし悪化してきていた。

悪性化の進行もそれを示しており、昭和五五年八月一六日尿道癌で死亡した。これについても、砒素起因性が認められるべきである。

4 家庭と生活の破壊

(一) 昭和五三年五月、県立延岡病院での臨床尋問の時には、目まい、立ち暗み、絶え間ない咳に苦しめられており、それ以前に尿道と膀胱を切りとる手術を受けていたため、排尿の為の袋をいつも体につけておかねばならないという生活を余儀なくされていた。

昭和五五年二月、同病院での第二回目の臨床尋問の時は更に体の具合が悪く「……もう坐ってもおれん。寝ちょっても痛みがくるとで何どころじゃなかったです」と訴えるとおりであった。

(二) 三回流産した他、出生した子供達も体が弱かった。夫の原告實雄も慢性砒素中毒症の認定を受け、家庭生活のことも、鉱毒のために思うように出来ず、病人ばっかりの家庭で団らんの一時さえ奪われていた。

その他の近親者の健康状態は亡鶴江及び原告實雄と同様である。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 嗅覚障害、鼻炎、角膜炎

いずれも初発とされる時期は、亜砒焼開始以前であるから、砒素による刺戟症状である可能性はない。角膜炎は感染症のトラコーマによるものである。

(二) 心循環器障害

心電図所見も正常で心臓の所見もなく、高血圧を指すと思われる。

(三) レイノー症状

手足末梢には出ないで舌のみにレイノー症状が発現するということは、考え難く、又、一過性のものというのであり、砒素とは関係がない。

(四) 慢性気管支炎

六〜七才頃或いは四〇才頃から症状が見られたとするが、右はいずれも亜砒焼開始前又は中断期間中であるから、砒素による刺戟症状であるとは考えられない。

呼吸機能検査成績も正常値であり慢性気管支炎の存在は否定される。

(まとめ)

亡ハルエの症状のうち慢性砒素中毒の症状と考えられるものは皮膚症状と多発性神経炎であるが、多発性神経炎は、四肢末梢の障害が明らかでなく、砒素中毒性のものとしては異形であるし、深部知覚、筋緊張、固有反射、末梢神経伝導速度もほぼ正常とされ、筋萎縮もなく極めて軽症と見られる。従って日常生活の支障は殆ど考えられない。

同人は十名以上の子女を出産しており健康体であった。また、その死因である尿路の癌は砒素とは因果関係がない。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

(2) 昭和五〇年五月の堀田診察当時の自覚症状をまとめると、次のとおりである。

足のしびれ、下肢の異常知覚、下肢痛、耳鳴り、嗅覚減弱、こむらがえり、不眠、易疲労、めまい、たちくらみ、流涙、眼の乾燥、まぶしい、咳、嗄声、動悸、左下肢浮腫、発作性の舌のチアノーゼ、蒼白・厥冷(レイノー症状)。

なお、右のほかに、視力低下も訴えられているが、原告の主張もなく、堀田診断でも砒素中毒の症状からは除外されている。

(B) 因果関係

(1) 死因となった尿道癌については、前説示のとおり、いまだ相当因果関係を肯認することは困難である。

(2) 結膜炎、角膜炎についても、その発症時(直前)にトラコーマに罹患しており(証人堀田の証言によってはこれを左右するには足りない。)、これでその後の症状も十分説明しうると認められる(証人川平)ので、いまだ砒素曝露との因果関係は確認しがたい。

(3) 右以外には因果関係の認められないものはない。

4 生活状況等

(1) Ⅰ(一)のとおり。但し、尿道癌(尿道・膀胱の手術)と砒素曝露との因果関係は肯認しがたいこと前記のとおりである。

(2) 小学卒業後昭和八年頃まで本件鉱山で運搬・団鉱作りに従事、尾平では木炭焼き・雑役に従事。その後五五才頃まで時々日雇に従事した。

(3) 夫の原告佐藤實雄、妹の亡佐藤鶴江も本件被害者である。

その他の近親者の状況は亡佐藤鶴江及び原告佐藤實雄関係で認定するとおりである。

(4) (堀田診断による障害の程度)

昭和五〇年五月現在(当時はいまだ膀胱、尿道症状は認められていない)における障害の程度は次のとおりである。

身のまわりのことは一応できるが、職業に就くことは不可能で、日常生活にも要注意。定期的に通院加療、時に応じて入院加療が必要である。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第七号証(前掲)、一八一号証(証人堀田)、二〇三号証(亡佐藤ハルエ)、二三五号証(前掲)、二七七号証(弁論)、乙第三〇五号証(証人堀田)、四二三号証の一ないし七(不争)。

(2) 証人堀田(第一回)、同川平(第一回、但し一部)。

(3) 亡佐藤ハルエ本人(第一、二回)、原告佐藤實雄本人。

九 原告佐藤ハルミ(大正二年一月一日生)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

原告ハルミは、大正二年岩戸村大字山裏で出生し、昭和三年本件被害者の亡佐藤仲治と結婚し、爾来仲治について述べたとおり、本件鉱山に近い惣見の三三五四番地に居住し、昭和四五年一時大阪に居を移したが、再び土呂久に帰り昭和四九年以降は、高千穂町押方に居住して現在に至っている。

2 鉱毒への曝露

結婚後亡仲治について述べたとおりの状況で曝露を受けた。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和五一年三月二四日、慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。右原告も土呂久居住開始後、特徴的な初期粘膜刺戟症状を生じ、特徴的な多発性神経炎及び皮膚症状も有しており、慢性砒素中毒症に罹患していることは明白である。

(個別症状)

(一) 心循環器障害

二三才頃から頭痛、目まい、立ちくらみ、冬期の手足のしびれ、蒼白が始まり、三〇才頃から動悸が見られるようになり、四九才頃心臓発作がひどくなり、五四才頃、急に意識障害をきたして倒れ、右半身麻痺がおこり、半年入院した。自覚症状としても右半身のしびれ、耳鳴りが持続し、他覚的に収縮期及び拡張期心雑音、高血圧(一六八〜一〇〇)がみられる。

右症状が高血圧によるものとしても砒素の影響は否定できない。

(二) 中枢神経症状

前記意識障害の外、他覚的に構音障害、嚥下障害、全般的な知的機能障害、中程度の痴呆が認められる。循環障害(脳循環障害)によるものである。

(三) 多発性神経炎

二三才頃から手足のしびれ、知覚鈍麻があり、昭和五〇年七月の堀田診察時にも異常知覚の訴えがあった。他覚的にも四肢筋力低下、四肢の知覚障害が認められる。

なお、反射が全て昂進しているのは前述した強い中枢神経障害の存在によるものである。

(四) 嗅覚脱失及び難聴

嗅覚障害は二三才頃、鼻出血等とともに始まったものであり、他覚的にも嗅覚脱失が確認されている。難聴は経過は不明だが、他覚的にも両側難聴が認められている。

(五) 皮膚症状

胸骨周辺部、前腕及び手背に散在性色素沈着及び白斑があり、ボーエン病様症状とされている。

(まとめ)

以上の通り右原告は慢性砒素中毒症により全般的に健康を障害されている。中でも心循環障害はかなり悪化しており、これに加え皮膚症状の悪化傾向も認められ、さらに進行する危険がある。

4 家庭と生活の破壊

(一) 昭和五五年一一月頃には自分の名前を書くことさえ精一杯の有様であったが、その頃の陳述録取書で原告ハルミは「土呂久で生活するようになってから今日まで、医者にかからなかったのは、はじめの数年だけで、自分でもよくこれだけ病気をしたものだと思うくらい、いろんな病気で、医者通いをするようになってしまいました。その間になん度死ぬような苦しみをしたか覚え切れない状態で、今日こうして生きているのが不思議な気がします……」と述べている。

四〇代後半には、草取りなどの簡単な畑仕事さえ出来ない体になり、五四才頃、突然約一ケ月間意識不明になり、その結果右半身が麻痺したままの、寝たきりの生活を強いられている。

(二) その他の家庭と生活の破壊の状況は亡仲治と同様である。今や夫仲治は他界し、後に残されたハルミの人生は、ただ病苦に苛まされるだけのものとなった。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 心循環器障害

心臓発作等の症状は、カルテに裏付けとなる記載がなく、また、その症状は高血圧症を以て全部説明がつくことであり、主治医により高脂血性高血圧症と診断されている。

(二) 中枢神経症状

脳卒中(脳の血管障害)の発作で倒れたのが事実であるにしても、通常の片麻痺に、構音障害、嚥下障害が伴うことは珍しく、むしろそうした麻痺と構音・嚥下障害、並びに知的機能低下が組合さった病像というものは、仮性球麻痺の症状そのものであり、それは砒素とは関係ない。

(三) 多発性神経炎

固有反射がすべて昂進しており、伝導速度の低下が存するか否かも疑問であり、明確な筋萎縮もなく、カルテにはシャルコマリーツース氏病との記載もあって、多発性神経炎の存在自体疑わしい。

(四) 嗅覚脱失、難聴

鼻粘膜に器質的変化は存在しない。難聴については、初発時期も不明で左右差も見られる。

(五) 皮膚症状

色素沈着及び白斑のみで、慢性砒素中毒によるものとすることは困難である。

(まとめ)

右原告については慢性砒素中毒の症状と確定し得るものは見当らず、可能性のあるのは皮膚症状と多発性神経炎のみで、それも、多発性神経炎は軽症であり、足裏角化等もなく、日常の支障は考えられない。

同原告は約一〇児を出産しており健康であった。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

(2) 昭和四二年に、脳溢血による右半身不随との障害名で身体障害者第一種第二級の認定を受けた。

(3) 宮崎県健診では、鼻粘膜萎縮が認められている。

(4) 昭和五〇年七月堀田診察当時の自覚症状をまとめると次のとおりである。

右半身・左手足のしびれ・異常知覚、全身倦怠感、難聴、耳鳴り、嗅覚脱失、言語障害、四肢脱力、歩行障害、物忘れ。

なお、視力低下も見られるが、原告の主張もなく、堀田診断でも砒素中毒の症状から除外されている。

(B) 因果関係

因果関係の認められないものはない。

(C) 被告の反論について

(1) 中枢神経症状が仮性球麻痺と見られるとしても、それは何ら、砒素の寄与による脳循環障害に起因する中枢神経症状であるとの認定に抵触しない。

(2) 堀田医師は、原告ハルミの末梢神経障害は、結論的にはシャルコマリーツース氏病でないものと診断しているのであり、その妥当性に疑問を抱かせる証拠はない。

(3) 高脂血性高血圧との診断を受けているとしても(少くともそれと競合的に)、砒素が心循環障害に寄与していることは左右されない。

4 生活状況等

(1) Ⅰ記載及び亡仲治関係で認定したとおり。

(2) 結婚以来農業に従事。本件鉱山従事歴はない。

(3) (堀田診断による障害の程度)

身の回りのことはかろうじてできるが、常に目は離せず、放置されると危険。定期的に通院治療が必要である。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第一七〇号証(証人堀田)、二一八、二三五号証(前掲)、乙第二九四号証(証人堀田)、三七六号証、四二四号証の一ないし三(前掲)。

(2) 証人堀田(第一回)、同川平(第一回、但し一部)。

(3) 原告佐藤ハルミ本人、亡佐藤仲治本人。

一〇 原告佐藤高雄(明治四三年一〇月六日生)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

原告高雄は、明治四三年、亜砒焼き窯の北西約八〇〇メートルの惣見三五二六番地に出生し、昭和六年まで同所に居住した。

昭和六年九月、大字岩戸小芹部落の三〇八八番地の佐藤萬吉方の養子となり同時にその長女と婚姻し、昭和一四年まで居住し、その後約二年間、同じく小芹部落の他所に一時居住したが、昭和一六年頃、同部落の三〇八五番地に転居し、現在に至っている。右三〇八八番地や三〇八五番地は亜砒焼き窯の南方約1.7キロメートルに位置する。

2 鉱毒への曝露

大正九年頃以降、亜砒焼き窯から排出される鉱煙は生家にまで押し寄せ、時として雲海の如くたなびき、家屋やそれに続く田畑を汚染した。小芹部落に転出するまでの約一一年間に亘り、常時右の如き鉱煙を浴び、汚染された環境で生活し、汚染された農作物を摂取し続けた。

また、結婚後居住した前記小芹の三〇八八番地ないし三〇八五番地にも、風向き等により、拡散された鉱煙が押し寄せた。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和五一年三月二四日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。特徴的な初期粘膜刺戟症状が存在し、多発性神経炎もあることから、明らかに慢性砒素中毒症に罹患している。

(個別症状)

(一) 慢性呼吸器障害

本件鉱山に通勤しはじめた頃(二〇才頃)から、他の粘膜症状と共に咳、痰が出るようになって持続し、現在も喘鳴様症状がある。自覚症状、咳、喀痰、他覚的に著明な嗄声、肺機能低下が認められる。

仮に硅肺が存在するとしても、砒素性の呼吸器障害の合併症とみるべきである。

(二) 慢性胃腸障害

二〇才頃から腹痛、下痢が出現、現在も腹痛、便秘がある。

(三) 肝障害

五七才頃肝障害を指摘された。他覚的に肝二横指腫大が認められ、肝障害は持続している。

(四) 心循環器障害

五三才頃から、平衡障害、構音障害、耳鳴などがめだち、五七才頃からときに数分間の意識喪失がおこるようになった。

現在の自覚症状でも、頭痛、気が遠くなる、めまい、たちくらみ、動悸がある。他覚的にも高血圧(一五六〜九八)、脳波の軽度異常が認められる。

(五) 鼻の障害

曝露の初期に鼻出血が始まり持続、現在も鼻水があり、他覚的にも嗅覚脱失が確認されている。

県の検診では鼻粘膜萎縮も認められている。以上のとおり慢性鼻炎及びその二次的障害としての嗅覚脱失が認められる。

(六) 歯の障害

二四〜五才頃から歯が抜け始め三五才で総義歯となっている。

(七) 多発性神経炎

五三才頃から知覚鈍麻、四肢脱力があり、現在も異常知覚がある。

他覚的にも四肢筋力低下、四肢等の対称性の筋萎縮、全身の対称性の触痛覚鈍麻、手掌足蹠の異常知覚がある。末梢神経伝導速度の遅延も認められる。

なお、固有反射は全般に昂進しているが、それは中枢神経症状によるものである。

右原告の知覚障害は土呂久の中で一番強い、手足の力も非常に落ちており、箸を落とし、顔も洗えない。なお、変形性脊椎症があり、これによる根症状も存在するが、それを考慮しても末梢神経障害は強い。

(八) 中枢神経障害

前記のとおり平衡障害、意識喪失等があり、自覚症状としてたちくらみ、他覚的に固有反射の昂進、軽度の知的機能低下(痴呆)等の精神症状があり、中枢神経の障害がみられる。脳循環障害に起因するものである。

(九) 難聴、視野狭窄

五三才頃から難聴が出現した。視野狭窄は検査でも両側性に高度に認められている。

(まとめ)

以上の通り右原告は、砒素による多彩な全身的障害を受けている。

県の健診では、ボーエン病も認められており、悪性化への進行があり、心循環障害も悪化してきており、全体として、増悪しており、予後は予断を許さない。

4 家庭と生活の破壊

(一) 原告高雄は年少の頃から徐々に鉱毒に侵され遂に昭和四五年頃には、歩行も全く困難となり、寝たきりの生活を強いられるようになった。昭和五三年からは病院に長期入院し、「トイレに行くにも付添が必要であり、服を一人で着替える事も出来ず、顔洗いでさえ片手で少しづつやっている」状態で、日常生活の基本的動作さえ、もはや一人でする能力を奪われてしまった。

(二) 生家における兄弟は本人を入れて四人であるが、そのうち三人までが慢性砒素中毒症の行政認定をうけており、一家総ぐるみの被害であることを如実に示している。

また、妻モミも前記小芹の三〇八八番地で出生し、以後同所で生活したものであるが、子供の頃からぜん息に苦しみ二〇才位の頃から病院通いが多く、これまでリンパ腺障害、肝臓障害、神経痛、関節炎等種々の症状で入通院を繰返している。

(三) 又生家も、養子先の家も代々農業を営んでいたが、作物の減収等の状況も深刻であった。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 慢性呼吸器障害

発症時期という昭和五年当時は亜砒焼は中断しており、上気道の刺戟症状は出る筈がない。むしろ、職業病としての硅肺症が存し、咳・痰の自覚症状も呼吸機能検査結果も、すべてこれによって説明十分である。

(二) 慢性胃腸炎

発症時期が曖味であるし、器質的病変の裏付けもない。

(三) 肝障害

亜砒焼終了後五年も経って発症が指摘された肝障害は、砒素と関係ない。

(四) 心循環器障害

耳鳴りと頭痛は発症時期に差があり、同一要因によるものとは考えられない。心機能に関し異常所見は見当らないし高血圧もなしとされていて、心循環器障害の存在自体認め難い。

なお、砒素中毒によって生ずる意識喪失であれば、一過性である事は考え難い。

(五) 慢性鼻炎、嗅覚脱失

主張・立証上発症時期に大幅なズレがある。又その鼻出血、鼻水及び嗅覚脱失は、副鼻腔炎により当然生ずる症状である。

(六) 歯の障害

歯槽膿漏ということである。

(七) 多発性神経炎

固有反射及び筋緊張が昂進し、病的反射が現れるなど、多発性神経炎とは矛盾する中枢神経症状が強く出現していると同時に、下肢には、ラセーグ徴候も現れていて、多発神経炎の症状と見るべきものが殆んど存しない。

(八) 中枢神経障害

脳中枢のどのような障害が存するというのか明確でない。痴呆等が脳中枢と深くかかわるものであること、及び一過性意識喪失の反覆が脳の血管(循環)障害の存在を示すものであることは疑ないが、その病形は仮性球麻痺であり砒素と関係ない。

(九) 視野狭窄

カルテには「緑内障」の記載があり、これにより、視野狭窄は必発する。

(まとめ)

(一) 右原告は皮膚症状が全く認められず、多発神経炎のみによって行政認定を受けた例外的事例と解される。然しながら行政認定の基準は、皮膚症状ないしその既往歴が存在することを大前提とし、これに加えて多発性神経炎を要求しているのである。しかるに、右原告の場合、大前提となる皮膚症状が存しないのであるから、その行政認定自体、はじめから認定要件の逸脱であって、行政認定の存在が必ずしも慢性砒素中毒に罹患していることを裏付けない例といえる。

(二) 右のとおり、慢性砒素中毒の症状と認められるものは何もないが、仮に多発性神経炎が慢性砒素中毒の症状であったとしても、それ自体によりどの程度日常生活に影響しているか疑わしい。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

(2) 昭和五一年九月、「慢性多発性関節リューマチによる四肢運動障害」との障害名で身体障害者第一種第一級の認定を受けた。

(3) 昭和五〇年五月の堀田診察当時の自覚症状をまとめると、次のとおりである。

四肢、口周囲のしびれ、異常知覚、頭痛、上下肢痛、全身倦怠感、難聴、耳鳴、嗅覚脱失、味覚減弱、四肢脱力、言葉がしゃべりにくい、こむらがえり、不眠、易疲労、物忘れ、気が遠くなる、めまい、たちくらみ、食欲不振、胃腹部痛、便秘、咳、喀痰、息苦しい、鼻水、動悸、嗄声。

(4) 他に現症として視力低下が存するが、原告も主張せず、堀田診断でも砒素中毒の症状から除外されている(県健診で白内障とされている)。

(B) 因果関係

因果関係の認められないものはない。

なお、咳、痰、鼻出血その他の粘膜刺戟症状の発現と、本件砒素曝露との間の時期的な整合性に疑問を抱かせる事情はない。

(C) 被告の反論について

(1) 四七才頃に硅肺を指摘され、後記従業歴もこれを裏付け、じん肺症の労災認定も受けているとのことであるけれども、原告高雄の呼吸器症状はその発症時期、経過からしても、右疾患をもっては到底説明しきれず、砒素曝露の寄与を認定する妨げとはならない。

(2) 肝障害が遅発的に生じうるものであることは前記のとおりである。

(3) 固有反射、筋緊張の昂進や病的反射の出現などは、中枢神経障害が存することによるものであり、変形性脊椎症の併存が考えられ、ラセーグ徴候が陽性であることをもっても、前認定(Ⅰの(七))の症状が砒素の寄与によるもの(多発性神経炎)であることは左右されない。また、前記身体障害認定時の障害名(リューマチ)については、その診断根拠の証拠もなく、むしろ症状からして支持しがたいとのことであり(証人堀田)、何ら前記認定を揺がすものではない。

(4) 堀田診断においては結論として緑内障は否定されており、他にこれを窺せる証拠もない。

(5) 副鼻腔炎も認められる(県健診)が、砒素の寄与を排斥しないこと前説示のとおりである。

(6) 乙第一八四、一八五号証は前記認定を覆すに足りない。

4 生活状況等

(1) Ⅰのとおり。

(2) 小学卒業後二〇才頃まで農業・炭焼、結婚後昭和一六年まで本件鉱山に通勤して採鉱に従事。その後木浦鉱山、見立鉱山で約一年坑内夫をし、召集。戦後は、農業の傍ら一時出稼ぎでトンネル削岩等にも従事し、昭和二七年から約二年間尾平鉱山で支柱夫として、昭和三〇年から三四年頃までは本件鉱山で採鉱夫として各従事し、その後は農業。五六才頃からは働けなくなった。

(3) (堀田診断による障害の程度)

稼動、食事、用便、更衣などの身の回りのことに五〇%前後の介助を要し、常に目が離せず、放置されると危険。入院治療が必要である。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第一六二、二三五号証(前掲)、一七五号証(証人堀田)、二一七号証(原告佐藤高雄)、乙第二九九号証(証人堀田)、三七六号証(前掲)、三八〇号証(弁論)。

(2) 証人堀田(第一回)、同川平(第一回、但し一部)。

(3) 原告佐藤高雄本人。

一一 原告佐藤チトセ(明治三二年八月一九日生)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

原告チトセは、明治三二年岩戸三二四一番地において出生し、大正三年、結婚すると同時に惣見の三五二一番地(亜砒焼き窯の北西約八〇〇メートル)に居住し現在に至っている。

2 鉱毒への曝露

長男の亡佐藤勝について述べたとおりである。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和五一年三月二四日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。特徴的な皮膚症状もあり、慢性砒素中毒症に罹患していることは明白である。

(個別症状)

(一) 心循環器障害、精神症状(痴呆状態)

三〇才頃から頭痛、めまいが起こり、六四〜五才頃高血圧の指摘を受け、頭痛、眼がかすむ、物忘れ等の症状。昭和五〇年の堀田診察時は他覚的に血圧一五六〜八〇、軽度の痴呆状態、検査所見で心電図異常(軽度心筋障害)、脳波の軽度異常が認められる。

(二) 視野狭窄、嗅覚障害

他覚的に両側求心性視野狭窄、自覚的に嗅覚鈍麻、他覚的にも嗅覚の減弱がある。

(三) 皮膚症状

顔面、前腕、下腿、手背、足背に散在性の色素沈着がある。

(まとめ)

右原告の場合も、心循環障害は明らかに増悪している。

4 家庭と生活の破壊

(一) 小学校の頃は運動会でも一等をとっていたが、結婚後、一家の主婦として働くことを期待されながら、鉱毒のため、休み休みしか働けず、最後には働けない体となった。現在では視力を奪われ、臭いを奪われ、頭痛、めまいに苦しめられる毎日となっている。

(二) 家族並びに農作物・牛馬の状況は亡佐藤勝について述べたと同様である。

(三) 更に原告チトセは過去五回流産し、一回死産したが、「流産した胎児は真黒でまともにみられず、死産した子も全身黄色ではれていた」。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 心循環器障害、痴呆状態

その症状はすべて高血圧によって説明可能である。

なお、錐体路症状は見当らないから、仮に知的機能の低下があっても脳血管障害によるものではない。

(二) 視野狭窄、嗅覚障害

カルテの記載状況からして、視野狭窄が真に存するか否かも疑わしい。仮に存したとしても、多発性神経炎が全く認められない右原告にあっては、砒素によるものとは考えられない。嗅覚障害も、鼻粘膜に所見はなく、砒素と関係がない。

(三) 皮膚症状

色素沈着の散在のみであって、慢性砒素中毒症に見られる皮膚症状とは異質である。

(まとめ)

右原告の症状はすべてその存在ないし砒素との因果関係が否定されるものばかりである。仮に皮膚症状が砒素によるものとしても日常生活に及ぼす影響は軽微である。右原告は、一一人出産しており、健康体であった。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

(2) 本件鉱山操業が本格化した頃、眼が赤くはれ、流涙が生じ、二四才頃咳、喉痛がひどくなった等、初期粘膜刺戟症状もみられた(但しいずれも軽快している。)。また、嗅覚低下は昭和一四年頃には既に発現していた。

(3) 右以外に、現症として、視力低下、軽度難聴、左膝関節痛、上肢脱力、足の振動覚低下等が存在するが、いずれも原告の主張もなく、堀田診断でも砒素中毒の症状から除外されている(なお視力低下は白内障によるとされている。)。

(B) 因果関係

因果関係の認められないものはない。

4 生活状況等

(1) Ⅰの(一)、(二)のとおり(但し、視力低下と砒素との関連性の認めがたいこと前記のとおりである。)。

(2) 小学卒業来農業に従事。

(3) (堀田診断による障害の程度)

簡単な作業ならできるが、能率はめだって低下。定期的な通院治療を要する。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第一七四号証(証人堀田)、二一六号証(前掲)、乙第二九八号証(証人堀田)、四二六号証の一、二(前掲)。

(2) 証人堀田、同川平。

(3) 原告佐藤トネ本人。

一二 原告清水伸蔵(昭和七年一月一三日生)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

原告伸蔵は、昭和七年、高千穂町三田井で生まれた。昭和二九年頃から同三九年頃までの間、本件鉱山に勤務し、初めの半年は五ケ村の妻の実家に居住したが、次の一年半を土呂久の惣見橋付近に間借りし、次の三年を喜右衛門屋敷と新事務所との間の鉱山住宅、更に五年を共同貯水場付近の鉱山住宅で生活した。

昭和四〇年頃大阪に転居したが、昭和四四年高千穂町三田井に戻り、その後マッサージ業を始めて現在に至る。

2 鉱毒への曝露

右のとおり昭和二九年から同三九年までの間亜砒焼き窯付近に居住し、種々の経路で鉱毒による曝露を受けた。

とくに鉱山住宅で過した八年間は高濃度の曝露を受けた。当時住宅付近は四六時中鉱煙がたちこめ、目や鼻を刺戟する悪臭が伴い室内にも鉱煙が入り込んできた。鉱煙とともに、亜砒酸等の粉塵が付近一帯に降り注いだ。又、生活用水は、小又川から水を引き、覆いのない共同貯水場に一旦集められて各住宅に配水されていたが、粉塵はそれらの上にも降り注いだ。原告伸蔵は、これらの鉱煙や粉塵を直接身体に受け、吸引し、さらには汚染された農作物、生活用水を摂取することを余儀なくされた。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和五一年三月二四日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。下痢、腹痛、亜砒まけ、鼻腔のただれなどの初期粘膜刺戟症状が発生しており、特徴的な皮膚症状も認められ、慢性砒素中毒症に罹患していることは明白である。

(個別症状)

(一) 慢性呼吸器障害

亜砒焼きをはじめた頃(昭和三〇年頃)から嗄声、喀痰、咳が始まり持続している。他覚的にも昭和五一年六月の堀田診察時、咳、嗄声を認めており、慢性の呼吸器障害が存在する。

(二) 慢性胃腸炎

亜砒焼きを始めた頃から下痢、腹痛が起こり、自覚症状としても食欲不振、下痢がある。

(三) 循環器障害

三八才頃(昭和四五年頃)から高血圧、四〇才頃から息切れ、めまい発作でしばしば倒れる。

診察時もめまい、立ちくらみ、気が遠くなるような発作を訴え、他覚的に高血圧(一八〇〜一一〇)があった。

(四) 鼻の障害

亜砒焼きを始めてから鼻腔がただれ嗅覚がにぶくなってきており、他覚的にも嗅覚減弱、鼻中隔の充血と瘢痕ないし穿孔が認められ、鼻粘膜障害及び嗅覚障害の存在は明らかであり、これに伴う鼻炎も慢性化している。

(五) 視力障害

亜砒焼きをはじめてから、他の粘膜刺戟症状と共に、眼のかゆみ、流涙がひどくなり視力も徐々に低下してきた。他覚的には、眼前手動三〜四センチメートル程度の視力障害がある。右視力障害は盲目同然で重度であり、身体障害者一級に認定されている。

(六) 皮膚症状

両側前腕及び下腿前面に散在性色素沈着、背部に亜砒まけの瘢痕、右足蹠に角化症がある。

(まとめ)

以上のとおり、右原告は重度の視力障害を来たしている外、循環障害も増悪している。

4 家庭と生活の破壊

(一) 現在、原告伸蔵の体は「物を食べるときとか、いろいろの脱ぎかえとか、トイレに行くときとか、お風呂に行くときとか、もう全てに自分の家族を頼らんとできんわけです」と述べているとおり、日常生活の身のまわりの事さえ困難な状態になっている。しかも手足のしびれ、めまい発作がたびたびあり、常に何時倒れて身体を害するかわからないという危険な状態である。

鉱毒に体を害され、やむなくマッサージ業で生計をたてているが、一日二人位しかお客をこなせず、とても生活を維持していくことは出来ない状態である。

(二) 土呂久に移ってより長男、次男、三男の三人の子が生れているが、いずれも胃腸が弱く、又次男、三男は小学校に通う頃、顔面に白癬が生じ、長男は、幾度か原因不明で倒れ、現在自宅療養をしている。妻も土呂久に移ってから、原告と同様の症状に苦しめられている。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 慢性気管支炎

症状内容、発症時期につき主張・立証の食い違いが大きい((二)ないし(四)も同様)うえに、他覚的所見もなく、果して慢性気管支炎が存在するのか疑わしいし、急性期の症状も、それによる器質的病変もない。

(二) 慢性胃腸炎

器質的病変の存在を証するものは何もない。

三八才頃の十二指腸潰瘍手術と、現症としての右季肋部圧痛とは、相関連して十二指腸部の病変が存することを示すが、砒素中毒ならばかかる限局した部位のみが選択的に侵されることは考えられない。

(三) 循環器障害

高血圧が存すれば、その症状はすべて説明可能である。

(四) 鼻炎、鼻中隔瘢痕又は穿孔、嗅覚障害

一目見て容易にわかるはずの鼻中隔の穿孔等の器質的病変が確認されなかったのであるから、これは存在しなかったのである。

その鼻症状は、すべて鼻中隔の弯曲が強いことで説明できる。

(五) 視力障害

右原告の視力は、亜砒焼終了後七年以上経過してから急激に低下しており、砒素とは結びつき難い。カルテには緑内障と記載されている。又、身障者一級認定のその病名は網膜色素変性・白内障等とされており、砒素と無関係の疾患である。

(まとめ)

右原告については、多発性神経炎もなく、慢性砒素中毒の症状と考え得るのは皮膚症状のみであって(仮に鼻中隔の器質的病変が存在したとしてもこれも同様に)、日常生活に影響は殆どない。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) 視力は昭和四四年急激に低下して現在の状態となった。その頃緑内障と診断されたこともある。そして、同年九月に「網膜色素変性及び白内障、視神経萎縮による視力両眼眼前指数三〇センチメートル」の病名(障害名)で、身体障害者第一種第一級の認定を受けている。

(2) 右以外はⅠのとおり。

(3) 昭和五一年堀田診察当時の自覚症状をまとめると次のとおりである。

手足のしびれ(冬)、異常知覚、頭痛、全身倦怠、視力障害、不眠、めまい、たちくらみ、気が遠くなる発作、食欲不振、下痢、咳、喀痰、息苦しい、嗄声、風邪をひきやすい、流涙、眼脂、皮膚がかゆい。

(4) 乙第三七四号証は右認定を覆すに足りない。

(B) 因果関係

因果関係の認められないものはない。

(C) 被告の反論について

(1) 胃腸障害が十二指腸部にのみ生じていると認めるに足る証拠はない。

(2) 視力障害については、網膜色素変性(緑内障、白内障)の関与も軽視しえないと解されるが、他方、第三節第三の七項2で述べたところに右認定の初発、経過等に鑑みると、砒素(に起因したと認むべき視神経炎、視神経萎縮その他広義の網膜症)の寄与・加功もまた存するものと認めるのが相当である。

4 生活状況等

(1) Ⅰ(一)のとおり。

(2) 尋常高等小学校卒業後日雇仕事等に従事した後、昭和二九年頃から本件鉱山に勤務し、当初一年は坑内夫、その後は製錬夫をした。昭和四〇年頃から四四年頃までは大阪で仮枠大工をして働いたが、視力の急激な低下のため仕事を続けられず、高千穂に戻った。

(3) 土呂久で三人の子が生れたが、三人とも健康状態は芳しくなく、妻も、原告と同様の症状をかかえている(但し、本件砒素曝露との因果関係を確認しうる証拠はない。)。

(4) (堀田診断による障害の程度)

盲目同然で日常生活を制限している。身の回りのことは一応できるが、戸外での行動は極度に制限され要注意。定期的に通院治療が必要である。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第一七三号証、乙第二九七号証(共に証人堀田)、乙第三七二号証(弁論)、三七三、三七六号証(不争)。

(2) 証人堀田(第一回)、同川平(第一回、但し一部)。

(3) 原告清水伸蔵本人。

一三 原告陳内政喜(明治三六年六月三日生)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

原告政喜は、明治三六年高千穂町大字三田井で出生し、昭和一二年一二月から同一七年一一月まで本件鉱山に勤務し亜砒焼き窯から約一〇〇メートルの鉱山住宅に居住した。その後本件鉱山を退職し、槙峰に居住していたが、昭和二〇年頃から三田井に居住し現在に至る。

2 鉱毒への曝露

鉱山住宅に居住していた昭和一二年頃は鉱山は最盛期にあり、操業は昼夜をわかたず繰り返され、毎日鉱煙に悩まされ、粉塵はところかまわず降り注ぎ畳や寝具類までに附着する有様であった。飲料水は小又川から竹筒で取水し、蓋のない貯水槽に溜めて飲用していた。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和五一年五月二七日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。鉱山住宅に居住するようになってから粘膜全般の刺戟症状を生じ、それが持続して慢性化していることや多発性神経炎、皮膚症状を有していることなどから、慢性砒素中毒症に罹患していることは明白である。

(個別症状)

(一) 慢性呼吸器障害

土呂久に居住しはじめてから他の粘膜症状とともに、咳、嗄声、喉頭痛が出現、これが持続して、昭和五三年八月の堀田診察当時の自覚症状として咳・喉の痛みがあり、他覚的に嗄声が認められる。

(二) 慢性胃腸障害

右と同じ頃から、吐気、胸やけ、腹痛、下痢を生じ、これが遷延して引き続き胃、腹部痛、胸やけ、下痢、便秘がある。

(三) 鼻の障害

曝露開始当時から鼻閉、鼻水、鼻出血が始まって持続しており、五四〜五才から嗅覚減弱、他覚的にも嗅覚障害が認められる。

(四) 心循環器障害及びレイノー症状

五〇才頃から寒冷時に四肢が冷たくなり、手指足指が蒼白をきたすようになった。五五才頃めまい、五八才頃心臓障害(心肥大・冠不全)で七ケ月間入院、六五才頃から頭痛、耳鳴りがはじまっている。七二才頃から高血圧。堀田診察時の訴えでも耳鳴り、めまい、たちくらみ等があり、他覚的に拡張期及び収縮期心雑音、手足の厥冷、心電図異常、心筋障害等が認められる。

(五) 多発性神経炎

昭和一七年に土呂久を離れて後自然に手足がじんじんして四肢がしびれるようになった。他覚的には四肢筋力低下、四肢・下腹部・口周囲に触痛覚鈍麻、振動覚低下、手足異常知覚などが認められる。

(六) 中枢神経障害

五五才頃からめまい、六五才頃から頭痛、耳鳴、企図振戦をきたした。診察時の訴えでも頭痛、耳鳴り、物忘れ、めまい、たちくらみがあり、検査所見では脳波の軽度異常、固有反射、筋緊張の昂進が認められ、脳循環障害による中枢神経の障害がある。

(七) 求心性視野狭窄

他覚的に左に認められる(右は失明)。

(八) 難聴

六五才頃から出現し、他覚的にも両側難聴が認められる。

(九) 腎障害

五八才頃腎障害で治療を受けている。

(一〇) 結膜炎

曝露直後から結膜炎が出現、現在も流涙がある。

(一一) 皮膚症状

顔面、背部、前腕、下腿に散在性色素沈着、手掌足蹠部に異常角化症がある。昭和五〇年一一月の県健診でボーエン病も認められており、徐々に悪化している。

(まとめ)

右原告の障害は多彩でありボーエン病にみられるように悪性化も来たしており全体として増悪している。

4 家庭と生活の破壊

(一) 原告政喜は、土呂久に居住するまでは健康であったが、その後は右に述べた病状に襲われ、爾来入通院を余儀なくされ続け、昭和五五年三月の本人尋問も病院内で行われた。

(二) 父母、兄弟は土呂久に居住したことがなく至って健康体であり被害者はいない。妻フヂミは本訴原告の一人である。妻との間に出生した子供のうち、長男は病弱、長女は五才頃死亡したが、日頃から胃腸が悪く病弱で皮膚の色が黒ずんでいたし、妻の連子も病弱である。土呂久から移転した後に出生した二女のみは健康である。病人ばかりの家庭生活には、家族団らんの一時も失われてしまった。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 慢性気管支炎

嗄声だけの他覚的所見と本人の訴えだけで慢性気管支炎の存在を認め、慢性砒素中毒の症状とするのは独断すぎる。

じん肺症の行政認定を受けており旦つ肺結核で治療中であり、これにより呼吸器症状はすべて説明がつく。

(二) 慢性胃腸障害

器質的病変の証拠はない。

(三) 鼻炎・嗅覚障害

現症として鼻炎の存在を認める根拠はない。鼻中隔肥大弯曲が存し、これは嗅覚障害の原因となりうる。

(四) 心臓循環器障害、レイノー症状

発症時期から見ても砒素との関係は疑わしいし、症状も高血圧症によって説明されるものである。又、そのレイノー症状は、一過性のものとされ、砒素性の可能性はない。

(五) 多発性神経炎

固有反射・筋緊張はいずれも昂進を示し、筋力低下は左右差が大きく、結局知覚神経のみの低下となり、多発性神経炎とは異形である。深部知覚の測定値、測定方法も疑問であり、砒素中毒による多発性神経炎の確証は見当らない。

(六) 中枢神経障害

その病形は、脳から脊髄に及ぶ非特異性の脳中枢症状に相当するものであって、高血圧症に由来するものと認められる。

(七) 視野狭窄、結膜炎

左右対称性が確認できず視力低下も存在せず、砒素中毒にかかわるものとは認められない。

(八) 難聴

発症時期からして、砒素との関連は疑わしい。

(九) 腎障害

発症時期からしても砒素によるものとは考えられない。

(一〇) 結膜炎

結膜には所見なしである。

(まとめ)

右原告について慢性砒素中毒の症状と見られるものは皮膚症状のみで、これは日常生活に大きな支障を及ぼすものではないし、仮に多発性神経炎が存在したとしても軽症である。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

(2) 右のほかに、

① 堀田診察時、他覚的に精神症状として知的機能の低下(記銘力障害、思考緩慢など)が認められた。

② 前記昭和五〇年の県健診で、「多発性神経炎、胸部X線異常(気管支炎?)、鼻粘膜萎縮」等が認められている。

③ 昭和五四年七月以来入院中の高千穂町立病院の診断病名は、肺結核、高血圧、慢性胃炎、腎炎等である。

(3) 昭和五三年堀田診察当時の自覚症状をまとめると次のとおりである。

四肢・躯幹・口周囲のしびれ、手足の異常知覚、頭痛、下肢痛、難聴、耳鳴、嗅覚障害、四肢筋力低下、こむらがえり、不眠、易疲労、物忘れ、めまい、たちくらみ、るいそう、食欲不振、胃腹部痛、胸やけ、下痢、便秘、咳、息苦しい、喉痛、嗄声、風邪をひきやすい、流涙、動悸、寒冷時の指趾の蒼白・厥冷。

(B) 因果関係

(1) 腎障害については、前述のとおり相当因果関係を認めがたい。

(2) 右以外には因果関係の認められないものはない。

(但し、右眼の失明については、原告も砒素中毒の症状として主張する趣旨ではないと解されるが、因果関係を認めがたい。―昭和一一年頃採鉱作業中の事故で右眼に受傷、失明状態となった。堀田診断は、右白内障、右瞳孔障害としている。)

(C) 被告の反論について

(1) 肺結核で治療を受けていること、昭和五〇年にはじん肺症の労災認定を受けていること及びこれらの罹患自体と本件居住性砒素曝露との間には因果関係を認めがたいことは被告主張のとおりであるが、原告政喜の呼吸器症状の全体は右によっては説明しきれず、砒素の寄与を左右するには至らない。

(2) 心循環障害や難聴等に老人性変化が関与しているとしても、障害の晩発性その他第三節第一、第三で述べた諸事情及び原告政喜における砒素曝露の影響の強さ(他の症状の発現状況)等に鑑みると、右老人性変化の関与をもっては、前記因果関係の認定を左右するには至らず、ひいては右症状等の発現時期如何についての被告の主張も採用できない。

(3) 筋緊張、固有反射の昂進は、中枢神経障害によるものであって、多発性神経炎認定の妨げとはならない。

4 生活状況等

(1) Ⅰのとおり。

(2) 小学卒業後、熊本市で奉公、三田井で農業に従事した後、二五才頃から三三才頃まで見立鉱山、三四才から三九才まで本件鉱山、三九才から四二才まで槙峰鉱山で、いずれも採鉱に従事し、約一五年間削岩機を使用した。その後四八才頃まで日本通運の人夫(仲仕)、五四才頃まで日雇で道路工事に、六九才頃まで塵芥収集・清掃作業に各従事した。

(3) 妻の陳内フヂミも本件被害者原告の一人である。

(4) (堀田診断による障害の程度)

身の回りのことはかろうじてできるが、職業につくことは不可能で、日常生活も制限され要注意。定期的な通院治療、できれば入院治療が望ましい。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第一七六号証(証人堀田)、二〇四号証(原告陳内政喜)、二一三号証(原告陳内フヂミ)、二三五号証(前掲)、乙第三〇〇号証(証人堀田)。

(2) 証人堀田(第一回)、同川平(第一回、但し一部)。

(3) 原告陳内政喜、同陳内フヂミ各本人。

一四 原告陳内フヂミ(大正二年二月五日生)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

原告フヂミは、大正二年高千穂町大字三田井で出生、昭和一〇年五月に本訴原告の陳内政喜と結婚した。

以後の居住歴は原告政喜と同じである。

2 鉱毒への曝露

原告政喜と同様である。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和五一年五月二七日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。鉱山住宅で曝露を受けた二四〜二九才当時、鼻水、咳、喉頭痛等の初期粘膜症状が出現したことや皮膚症状、多発性神経炎の存在などから明らかに慢性砒素中毒に罹患している。

(個別症状)

(一) 慢性呼吸器障害

曝露開始後から咳、喉頭痛、嗄声が出現、これが遷延して現在も咳、喀痰があり、他覚的にも咳、嗄声が認められる。

(二) 多発性神経炎

五四才頃から両下肢両手のしびれが出現し、現在も手足のしびれ、異常知覚があり、他覚的に四肢筋力低下及び両膝部以下の触痛覚鈍麻、振動覚低下が認められる。

(三) 皮膚障害

顔面、右大腿部、両下肢に散在性色素沈着がある。昭和五〇、五一年の県の検診でボーエン病も認められている。

(四) 腎障害

腎障害で手術の既応がある上、尿蛋白がある。

(五) 難聴

他覚的に両側難聴が認められている。

(まとめ)

右原告の症状は呼吸器症状と多発性神経炎を主徴としているが、全体的に増悪の危険がある。

4 家庭と生活の破壊

(一) 土呂久に居住するまでは健康であったが、その後さまざまな疾病に侵され、特に五四才頃から、両手足のしびれがひどくなり、子供なみの力さえ出す事が出来ず、長く歩く事も困難となった。それに加え、特に頭痛はがまん出来ない程のものであり、毎日をそのような苦痛のうちに過ごさねばならない状態にある。

(二) 父母兄弟は土呂久に居住したことがなく、至って健康体である。

そして、夫政喜とその間の子供らの受けた被害は、原告政喜のところで述べたとおりである。

(三) 夫政喜は前述のとおり、療養生活を余儀なくされているが、原告フヂミはその看病と自己の疾病に苦しめられ、「……毎日のように夫の前で頭が痛い痛いといっては、夫にもつらい思いをさせてきました。夫自身も長い間病気ばかりで苦しんでいるのに、私自身も苦しくて看病できず、互にいらいらして夫婦げんかになることがよくありました。」と本人が述べるように、鉱毒は体だけでなく、夫婦の絆さえ蝕んでしまっているのである。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 慢性気管支炎

他覚的な検査を行うことなしに、慢性気管支炎と診断を下すことは無理であり、器質的病変の証拠もない。

(二) 多発性神経炎

筋緊張及び固有反射は悉く正常とされ、筋萎縮もなく、末梢神経伝導速度等の記載もない。振動覚も躯幹部に近い方が低いなど、果して多発性神経炎が存するか疑問である。

(三) 皮膚症状

色素沈着のみであり、砒素中毒の症状とするのは困難である。

(四) 腎障害

手術を受けたというのであるから、砒素中毒によるるものではない。

(五) 難聴

自覚症状の訴えもない。

(まとめ)

右原告の症状はすべて砒素と関係ないものと考えられるが、仮に皮膚症状乃至多発性神経炎が砒素によるものと認められたとしても、極めて軽微で、日常生活への支障は考えられない。

同原告が日常苦痛を感じている重要症状は頭痛と解されるが、それは心因性の緊張性頭痛である。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

(2) なお、

① 五二才頃医者から慢性気管支炎との診断を受けたことがある。

② 前記県の健診でも多発性神経炎と診断されている。

(3) 昭和五三年堀田診察当時の自覚症状をまとめると次のとおりである。

① 手足のしびれ、手足の異常知覚、頭痛、右上肢痛、下肢痛、全身倦怠感、下肢のこむらがえり、不眠、易疲労、物忘れ、めまい、食欲不振、咳、喀痰、喉が痛い、嗄声、風邪をひきやすい、動悸。

② なお、右のほかに視力低下(白内障)、嗅覚障害、胃腹部痛、下痢、便秘、鼻水、鼻閉、流涙、眼やに等の自覚症状も堀田診断において認められているが、右は同診断においても砒素中毒の症状からは除かれているし、原告の主張もない。

(B) 因果関係

(1) 腎障害については前述のとおり因果関係を認めがたい。

(2) 右以外には因果関係の認められないものはない。

4 生活状況等

(1) Ⅰのとおり。

(2) 小学卒業後農業、結婚後はしばらく見立鉱山でトロッコ押しに従事した以外は職に就いたことはない。

(3) (堀田診断による障害の程度)

身の回りのことは一応できるが、職業に就くことは不可能で、日常生活にも要注意。定期的に通院治療が必要である。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第一七七号証(証人堀田)、二〇四、二一三、二三五号証(前掲)、乙第三〇一号証(証人堀田)。

(2) 証人堀田(第一回)。

(3) 原告陳内フヂミ、同陳内政喜各本人。

一五 原告甲斐シズカ(明治三六年一二月三日生)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

原告シズカは、明治三六年高千穂町で出生し、大正一二年佐保虎熊と結婚して福岡県に転居し、長女ミヤコが出生したが、昭和二年夫の死亡で出生地に戻り、同六年甲斐国頼と再婚して福岡県に転居した。昭和一一年高千穂に帰り、二月頃から土呂久惣見部落内の亜砒焼き窯から約一〇〇メートル南の佐藤操方に同居し、昭和一三年には同じく約五〇メートル北の鉱山住宅に転居し、昭和一五年まで居住した。その後一年間田川市で生活し、次いで東岸寺に居住し、昭和二三年頃からは岩戸宮前、昭和五二年頃からは熊本市内の三男方に居住して、現在に至っている。

2 鉱毒への曝露

右のとおり、亜砒焼き窯の至近距離にある佐藤操方や鉱山住宅に住み、終日鉱煙に包まれて生活した。亜砒酸の粉塵も舞い落ち、田畑、庭はもちろん、屋内にも入りこみ、飲料用の貯水槽にも降りそそいだ。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和五一年五月二七日慢性砒素中毒症の公害認定を受けている。昭和一一年土呂久に居住するようになってから眼の周囲のただれ、流涙等の粘膜症状を生じ、特徴的な皮膚症状も備えており、慢性砒素中毒症に罹患していることは明白である。

(個別症状)

(一) 心循環器障害

土呂久に居住してから頭痛、めまいが起こるようになり、昭和四〇年頃、めまいで失神して倒れ、意識障害が一〜二時間持続、六五才頃から、めまい、たちくらみもめだってきた。診察時の自覚症状としてもめまい、たちくらみ、動悸があり、他覚的には軽い心雑音、血圧一八〇〜一〇二、下腿浮腫、心電図異常、脳波中等度異常が認められる。

(二) 腎障害

六五才頃から顔面、下肢の浮腫があり、腎炎を指摘され、診療時にも下腿の浮腫が認められている。

(三) 中枢神経障害

心循環障害について前述した症候に加え他覚的に著明な記銘力及び記憶力の低下など痴呆が認められ、脳循環障害に起因するものと考えられる。

(四) 難聴

他覚的に両側性の難聴が認められる

(五) 皮膚症状

頸部にイボ状の色素沈着、前腕下腿に散在性の色素沈着及び白斑、両手掌足蹠に異常角化症があり、ボーエン病も認められている。

(まとめ)

右原告の場合、心循環障害が増悪していることは明白であり、ボーエン病の発症にみられる悪性化の進行もあり、全体として増悪している。

4 家庭と生活の破壊

(一) 原告シズカは、昭和五六年当時(陳述書で)「最近は病院や風呂場でよく倒れ、息子夫婦を非常に心配させていますし、頭痛もひどくてよく眠れません」と述べている。

土呂久に住むまで何一つ病気らしいものにかかったことがなかったのに、現在は、日々、医者通いの体にされてしまった。

(二) 土呂久で同居していたのは、夫、長女ミヤコ、二男、三男であるが、夫は、昭和四九年二月慢性砒素中毒症と行政認定され、昭和四〇年頃から全く労働に従事できなくなり、昭和五〇年頃には入院治療を受けたものの、衰弱する一方で、昭和五五年前立腺癌で死亡した。

長女は、原告シズカとよく似た症状に苦しめられ、二男は一三才頃やせ衰え高熱が出て死亡し、三男は現在でもやせ気味で咳こむことが多い。

原告シズカは「仕事ができないばかりでなく、家事すら満足にできないため、夫からせめられ夫婦げんかが絶えなかった。」と述べ、鉱毒は家族の円満さえ破壊したのである。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 心臓循環器障害

動悸、胸苦しさの訴えは主張・立証上極めて浮動的である。又、高血圧症のあることが、明瞭であり、その場合、主張のような心電図異常、心雑音を示すのが通常である。

(二) 腎障害

むくみ等の訴えも、極めて浮動的である。また、腎炎の如き腎実質の障害が慢性砒素中毒の症状として発症するという明確な報文は見当らない。

(三) 中枢神経障害

記銘力(知的機能)低下の存在は疑わしいが、あったとすれば加齢現象によるものであろう。

砒素中毒による中枢神経障害は、脳に器質的変化が現れて持続する筈であり、右原告のように一過性の症状となって現れることは考え難い。

(四) 難聴

自覚症状もなく、聴力損失の程度は軽微であり、年齢相応の加齢現象でしかない。

(まとめ)

右原告は皮膚症状のみで、日常生活に殆ど支障は考えられない。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

(2) そのほかに、視力低下(白内障とされる)等が見られるが、堀田診断でも砒素による症状からは除外され、原告の主張もない。

(B) 因果関係

(1) 腎障害については相当因果関係を肯認しがたいこと前記のとおりである。

(2) 右以外には因果関係の認められないものはない。

(C) 被告の反論について

(1) 動悸、浮腫等の症状につき主張・立証上浮動的と認むべき事情はない。

(2) 中枢神経症状が一過性であるものと認むべき証拠はない。

4 生活状況等

(1) Ⅰのとおり。

(2) 土呂久在住の頃、約一か月間本件鉱山で団鉱作りに従事した。四二歳頃から衣類の行商をし、その後小さな衣料品店を営んだ。

(3) (堀田診断による障害の程度)

身の回りのことは一応できるが就業は不可能で、日常生活にも要注意。定期的に通院治療が必要である。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第一六八号証(証人堀田)、二三〇、二三一号証(原告甲斐シズカ)、二三四、二三五号証(前掲)、乙第二九二号証(証人堀田)、四三一号証(不争)。

(2) 証人堀田(第一回)、同川平(第一回、但し一部)。

(3) 原告甲斐シズカ本人。

一六 亡佐保五十吉(明治四〇年四月一日生、昭和五三年二月一九日死亡)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

亡五十吉は、明治四〇年皿糸において、父徳四郎、母ミサとの間の長男として出生し、大正九年に小芹に転居し、その後一年間熊本に住み、同一二年、亜砒焼き窯から数十メートルの鉱山住宅に移り住んだ。

大正一五年に弟健市が死亡した直後、家族とともに再び生地皿糸に移った。

昭和三年頃から同三四年まで、筑豊地帯、長崎県、山口県の炭鉱を転々とし、昭和二〇年頃から死亡するまで田川市に居住した。

2 鉱毒への曝露

鉱山住宅は亜砒焼き窯の至近距離にあったうえ、粗末な構造で、鉱煙や粉麈は夜となく昼となく屋内に侵入した。飲用水は山の湧水を用いていたが、その水にも粉塵が舞い降りていた。連日連夜鉱毒の中での生活を余儀なくされ、また汚染された水を摂取し、四六時中鉱毒への濃厚な曝露を受けていた。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和五一年五月二七日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。大正一二年から鉱山住宅に居住して濃厚汚染を受けており、当時から咳、痰、喉の痛みなどの粘膜刺戟症状があったこと、特徴的な皮膚症状があること等から慢性砒素中毒症に罹患していることは明らかである。

(個別症状)

(一) 慢性呼吸器障害

鉱山住宅当時から咳、痰があり、結婚して(五二歳頃)からも喉が悪く咳、痰、血痰があった。昭和五〇年三月以来通院し、その後入院した千鳥橋病院の診断によれば、広範な慢性の呼吸器障害が認められ、その程度も強度である。咳、嗽発作時は夜も眠れず起座呼吸をなし、肺維繊症、気管支拡張症への進展がみられる。その初発時期からして砒素曝露に起因したものである。

(二) 心循環器障害

昭和四九年三月には医師の診察で高血圧、(二一〇〜一〇〇)が認められ、千鳥橋病院でも高血圧、心電図異常(冠不全)が認められており、自覚症状としても結婚当時から動悸、頭痛、耳鳴りがあった。

(三) 消化器障害(胃腸障害、肝障害)

結婚当時から胃が悪く入院することがあり、下痢もひどかった。千鳥橋病院でも下痢、食欲不振を認めており、慢性胃腸障害が遷延していた。肝障害については、五〇年六月、四横指触知、同年一〇月腹水、肝硬変で入院を勧められ、同五一年千鳥橋病院の診断で肝硬変が認められた。

(四) 中枢神経障害

易怒傾向、せん妄状態、幻覚妄想等から脳動脈硬化性痴呆の存在が認められる。

さらに四肢振戦、全身のふるえ、下肢のけいれん、腱反射昂進等もあり、明らかに中枢神経系の障害が認められる。

(五) 皮膚障害

掌蹠の魚眼様角化多数色素沈着、白斑が認められ、昭和五〇年の県健診で躯幹に点状の色素沈着、脱失、口腔内色素沈着、大腿部ボーエン病が認められた。

(まとめ)

以上の通り亡五十吉は濃厚な曝露を受けたため、全身を障害された。肝硬変の晩期発生、動脈硬化の進行、ボーエン病の発症に示されている通り、症状は全体として増悪してきたのであり、昭和五三年二月二九日死亡するに至った。直接死因は急性肺炎とされているが、その原因は、慢性気管支炎であり、さらにその原因は慢性砒素中毒症であると診断されている。現に、公健法上も、右死亡につき、砒素曝露に起因したことを認められ、遺族補償費の支給決定がなされている。

4 家庭と生活の破壊

(一) 亡五十吉は、土呂久に住むまでは健康に恵まれていたが、鉱山住宅に住みだしてから、咳が激しくなり、五〇歳過ぎる頃から、痰に血が交じるようになった。土呂久を離れて後、皿糸では農業の手伝、昭和三年から三四年までは炭鉱に勤めたが、いずれもまともに仕事することは出来ず、他人に「仕事を好かん、怠け者、極道」と言われた。原告本人尋問のなかで「‥身体がきつくて働けないのですから、そのように言われても仕様がなかったのです‥」と答えているが、自分の体を理解してもらえず、怠け者とののしられた気持は本人でなければ判らない事であろう。昭和三五年以降は就労不可能となり、生活保護を受けるようになった。

仕事も出来なくなって以降は、外を歩く時も常に不安を抱いていた。何時目まいがして倒れるかもしれないからである。少年時代の五十吉を蝕んだ鉱毒は、死ぬまで身の危険と苦痛を与え続けてきた。そして急性肺炎で死亡するという重大な結果が生じたのである。

(二) 母は激しい咳に苦しみ、慢性胃腸障害に悩みながら、昭和一九年死亡した。同胞のうち、弟の二男悟は亜砒焼きに従事していたが、全身の皮膚のかぶれに苦しんでいる。三男の亡敏安と四男の亡仁市はいずれも本件被害者である。五男健市は、鉱山住宅に移転後激しい咳の症状と全身のかぶれに苦しみ、横臥することも困難な状態で、六歳の時に死亡した。妹(長女)イセノも健市と同じ症状に苦しみながら、小学校卒業間もなく死亡した。妹ナミ子は、鉱山社宅で出生し、喘息と皮膚のかぶれに苛まれていたが、昭和一九年死亡した。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 慢性呼吸器障害

公害補償不服審査裁決にあるとおり、慢性気管支炎は砒素中毒によると考えるのは困難であり、肺線維症及び気管支拡張症は、一連の続発症であるから、これ又砒素と因果関係は認められない。

(二) 心臓循環器障害

高血圧が砒素によって起るとは承認されていない。

冠不全(心電図異常)も高血圧に伴う症状である。

(三) 消化器障害

肝硬変の存在が認められているが、ガンマGTPが高値で現に毒物が摂取され続けている事が示されており、それは砒素ではありえず、アルコールと思われる。

胃腸障害は、客観的な証拠がなく仮にあっても一過性障害にすぎない。

(四) 中枢神経障害

脳動脈硬化による痴呆とパーキンソニスムス(四肢振戦等の症状)を挙げるが、裏付けがない。痴呆ではなく、一過性の脳変化による意識障害と把えるべきであって、高血圧性か、肝障害性か又はアルコール性のいずれかである。四肢振戦等の症状も、寧ろ小脳(失調)症状と考えるべきであり、これもアルコール中毒によって出現する。

(まとめ)

亡五十吉について、砒素中毒の症状と考え得るのは皮膚症状のみで、日常生活の支障は考えられない。同人の病像として重要であったのは高血圧・肝障害・小脳症状であるが、砒素起因とは考えられず、むしろアルコール起因とするのが常識的である。又同人は、気管支炎からする肺炎で死亡したが、これも砒素とは関係ない。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

(1) 弟健市が死亡し、皿糸に転居したのは大正一四年である。

(2) 右以外はⅠのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。なお、皿糸が汚染されていたものと認めるに足る証拠はない(亡五十吉、亡佐保仁市各本人の供述では認めるに足りない。)。

3(A)症状(発症、経過、現症)

Ⅰのとおり。

(B) 因果関係

因果関係の認められないものはない。

(C) 被告の反論について

(1) 呼吸器症状は、曝露当初から出現し遷延しているものと認めるのが相当であり、炭鉱歴の長いことをもっては、これに本件砒素曝露が寄与していることを左右しえず、他に右寄与を覆すに足る事情は見当らない。

(被告主張の不服審査裁決をもっては覆すに足りない)。

(2) 若年時からかなり酒を嗜んだことは認められるけれども、それにより肝障害、中枢神経障害をきたしたとの診断は千鳥橋病院の診断書その他本件の各書証中には全く見当らず(証人川平もそうは証言しておらず)、砒素の寄与により発症したものであることは到底否定すべくもない。

4 生活状況等

(1) 妹ナミ子関係を除いてⅠのとおり。

(2) 小学卒業後農業に従事、土呂久在住時は本件鉱山で亜砒焼き、鉱石運搬等に従事。皿糸転居後農業に従事し、昭和三年頃から三四年頃まで各地の炭鉱に勤務、採鉱、運搬もしたが、主に選鉱に従事した。

(3) 弟の甲斐悟も昭和五七年に慢性砒素中毒症の行政認定を受けた。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第二三九号証(原告松村静子)、二四五、二四六号証(前掲)、二四七ないし二四九号証(証人堀田)、三二一号証(不争)、三二七号証(公文書)、乙第四三〇号証の一ないし四(不争)。

(2) 証人堀田、同川平(但し一部)。

(3) 亡佐保五十吉、同佐保仁市、原告松村静子各本人。

一七 亡松村敏安(大正四年三月九日生、昭和五二年九月一七日死亡)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

亡敏安は、大正四年皿糸で出生、大正九年小芹に転居し、大正一二年から同一五年までの間、鉱山住宅に居住し、その後皿糸に移り、農業の手伝いに従事した。昭和七年以降、山口県小野田市の炭坑に勤務し、昭和

一五年頃原告松村静子と婚姻、次いで、佐賀杵島炭坑に勤務し、応召、復員の後、昭和三四年頃まで福岡県田川市の三井鉱山に勤務した。その後山口市に移転したが、昭和五〇年頃入院し、そのまま昭和五二年死亡した。

2 鉱毒への曝露

兄の亡五十吉について述べたとおりである。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和五一年五月二七日慢性砒素中毒の公害認定を受けた。濃厚な曝露を受けたこと、砒素中毒特有の皮膚症状も存在すること等に照らし、慢性砒素中毒に罹患していたことは明白である。

(個別症状)

(一) 慢性呼吸器系障害

昭和四九年ないし五一年の宮崎県の健診で気管支炎の現症と既往があるとされ、若い時から年中咳や痰が絶えなかった。鼻粘膜萎縮も存在し、慢性副鼻腔炎も存在する。解剖所見によれば、両側性気管支肺炎、右肺下葉における気管支拡張症、右無気肺、右肺では結合織増生等がみられる。

以上のとおり慢性呼吸器障害があったことが明らかであり、慢性気管支炎、慢性鼻炎、慢性副鼻腔炎と診断される。初発は佐保五十吉同様土呂久における砒素曝露の時期と推定される。

(二) 全身の著明な動脈硬化症による全身諸臓器の萎縮とそれらに基づく心臓循環障害並びに中枢神経系の循環障害による諸種の中枢神経障害。

解剖所見―――左小脳半球における脳梗塞、橋(右側)における陳旧性梗塞、脳底動脈粥状硬化症、大動脈粥状硬化症、全身諸臓器の萎縮、脳底動脈、椎骨動脈の硬化が著明で内腔は殆んど完全に閉塞―――並びに県健診結果、主治医の診断所見等に照し右障害の存在は明白である。若い頃から頭痛を訴えており、経過はきわめて長い。

(三) 肝障害、慢性胃腸障害

検査成績から肝障害が認められ、解剖所見では、肝、消化管の萎縮があった。胃腸も若い頃から慢性的に悪かった。

(四) 多発性神経炎、嗅覚障害、結膜炎、求心性視野狭窄

県の健診で、両側アキレス腱反射減弱、筋萎縮とされ、多発性神経炎が認められる。嗅覚障害、結膜炎及及び右眼の視野異常も、県の健診で認められている。

(五) 皮膚色素沈着・色素脱失、角化症、ボーエン病

これらも、県健診の結果により明白である。

(まとめ)

以上の通り亡敏安は、濃厚な曝露を受け、その後終生に亘り健康障害を受けている。症状は、ボーエン病の悪性変化や動脈硬化の高度の進行にみられるように増悪してきた。

昭和五二年九月一七日に死亡し、死因は脳血栓であるがその原因は脳血管障害であり、砒素起因性が認められる。現に、公健法上も砒素起因の死亡であることが認められ遺族補償費の支給決定がなされている。

4 家庭と生活の破壊

(一) 兄の亡五十吉、弟の亡仁市と同様に鉱山住宅に居住して以後、さまざまな疾病に苦しめられた。昭和七年年以降は炭坑で働いたが、とりわけ三井鉱山当時は満足に仕事をする事は出来なかった。妻の原告静子はその様子を、「仕事が満足に勤まりませんもんですから、ほとんどへい病(私傷病のこと)でお医者さんにかかっており、いつもいつも休んでおりますもんですから、もうこの人はナマケもので仕事がいやじゃないかしらと思うような事がございました。」と供述している。

症状は段々悪化していき、昭和四七年頃には、医師から仕事をしないようにと指示されるに至り、以後は、病院への入退院の繰り返しであった。そして、昭和五一年三月、脳血管障害によりいわゆる植物人間となり、翌五二年ついに死亡するという重大な結果を生じた。

(二) 近親者の状況等は亡五十吉と同様である。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一)(1) 慢性気管支炎

初発時期、経過も明確でない。剖検所見にある気管支拡張症及び無気肺が存在すると、常時咳、痰が出るので、慢性気管支炎と診断されたものと思われる。後記のように副鼻腔炎がある下で、拡張症の発症はしばしば伴うものであるが、砒素中毒によるものとは考え難い。

(一)(2) 慢性鼻炎、慢性副鼻腔炎、嗅覚障害

いずれも経過不詳で初発時期も明らかでない。副鼻腔炎は、多く感染症でありこれがあれば鼻炎、嗅覚障害が伴なうのも通常のことである。尚、鼻の器質的病変を裏付ける資料は無い。

(二) 動脈硬化症による全身臓器の萎縮と、それによる心循環器障害、中枢神経障害

これらがすべて動脈硬化を原因として生じた症状として存在することは、剖検所見通り事実であるが、剖検所見に現れた高度の動脈硬化は、大動脈に於て粥状硬化の形をとり、成人病その他多種の原因でおこる動脈硬化と同様の形をしていて、何ら特異的なものではない。

何より亡敏安、五十吉及び仁市兄弟が土呂久に居住した期間は、大正末期の三、四年に限られており、他の土呂久住民に対比して、そのような短期間の曝露によって高度の動脈硬化を起すとは考え難い。

(三)(1)肝障害

剖検所見中の「肝うっ血」は何ら特別の障害を意味するものではない。肝機能は正常であった。

(三)(2)慢性胃腸障害

剖検所見にある消化器の萎縮、粘膜下うっ血も、障害あることを意味するものではない。

(四) 視野狭窄、結膜炎

視野狭窄に関しては、明白な左右差があり、結膜炎に関しては、トラコーマパンヌスとあり、いずれも砒素と関係ない。

(まとめ)

亡敏安の症状の中で砒素中毒症状と考えられるのは皮膚症状、多発性神経炎のみである。ボーエン病も剖検所見により否定される。多発性神経炎も、右半身性で砒素性すら疑わしく、軽度のものである。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

(1) 弟健市が死亡し皿糸に転居したのは大正一四年である。

(2) 右以外はⅠのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。なお、皿糸については亡五十吉につき説示したとおりである。

3(A)症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

但し、死亡診断書記載の死因はⅠのとおりであるが、解剖所見では、直接の死因は肺炎とされている。

(2) 右のほかに、

① 鉱山住宅に移ってから、咳、眼脂、亜砒まけ等が出はじめた。その後二五歳頃までの経過は不明。

② 二五歳当時は、いつも疲れていて全身倦怠感があり、胃腸が弱く、年中咳や痰が絶えず、風邪をひき易かった。頭痛を訴え、鼻汁が出て副鼻腔炎もあった。この胃腸、咳・痰、頭痛の状態はその後も続いた。

③ 五五歳頃意識障害で数時間倒れたことがあり、その頃から、動悸や息切れもしやすくなり、目まいや頭痛の訴えが多くなった。

五七歳頃高血圧を指摘され、投薬を受けるようになった。この高血圧は県健診でも認められている。

④ 昭和四八年一二月脳血管障害発作があり、右不全麻痺。その後昭和五一年一月から三月に、一過性脳虚血発作を繰り返し、痴呆化する等し、遂には植物人間化した。入院先の主治医の診断は「脳血管障害(脳血栓症)による植物人間の態様」とされた。

なお、県健診医師の診断は、脳動脈硬化症による高度の痴呆と中枢神経障害である。

(B) 因果関係

(1) 結膜炎については、県健診における「トラコーマパンヌス」とする診断しか資料がないから、トラコーマの後遺症の可能性が強く、砒素曝露との因果関係は肯認しがたいといわざるをえない。

(2) 土呂久を難れてからの炭鉱就労が症状の発現・増悪に競合的に関与していることは考えられるが、本件砒素曝露の寄与を排斥するほどの事情とは認められない。

また、前記解剖所見のとおり直接死因が肺炎であっても、それも前認定の循環障害、呼吸器障害等による心身状態が有力な要因となっているものと推認され、砒素との因果関係は妨げられない。

(C) 被告の反論について

(1) 前認定の曝露の濃厚さ、慢性砒素中毒において動脈硬化性変化の占める比重、砒素中毒の個体差等に鑑みると、(体質等の他の要因の競合関与は考えうるとしても)土呂久居住歴の長くはないことをもってしては、前記動脈硬化、循環障害、中枢神経障害と砒素曝露との因果関係を妨げるには至らない。

(2) 多発性神経炎が半身性であると認むべき証拠はない。

(3) 県健診の検査所見及び昭和五一年入院時の主治医によるボーエン病の診断は、偶々その後の剖検によって確認されなかったとしても、覆されるには至らない。

4 生活状況等

(1) 妹ナミ子関係を除いて、Ⅰのとおり。

(2) なお、鉱山住宅時代は、母と共に亜砒焼きの団鉱作りを手伝った。

(3) 兄の甲斐悟も昭和五七年に行政認定を受けた。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第二三五、二四五号証(前掲)、二三七号証の一(原本存在・成立とも不争)同号証の二(原本存在不争、成立は弁論)、三二一号証(不争)、三二四号証(公文書)、二三九号証(前掲)、二三六号証(原本存在・成立とも弁論)、二四一、二四二、二五〇ないし二五四号証(弁論)、乙第四三〇号証の一ないし四(不争)。

(2) 証人堀田(第一回)、同川平(第一回、但し一部)。

(3) 原告松村静子、亡佐保五十吉、同佐保仁市各本人。

一八 亡佐保仁市(大正六年一月一三日生、昭和五六年三月二九日死亡)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

佐保仁市は、大正六年皿糸で出生し、亡敏安と同様、小芹、鉱山住宅、皿糸に居住し 昭和一一年から佐賀県、福岡県内を転々とし、昭和一五年頃から死亡するまで田川市に居住した。

2 鉱毒への曝露

兄の亡五十吉について述べたとおりである。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和五一年五月二七日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。

大正一二年土呂久鉱山住宅に居住するようになってから、砒素中毒症に特徴的な初期粘膜刺戟症状(咳、痰喉の痛み、胃腹部痛、下痢、眼のただれ、全身の皮膚かぶれ等)を生じたことや皮膚症状及び末梢神経障害も存在することから、慢性砒素中毒症に罹患していたことは明白である。

(個別症状)

(一) 慢性気管支炎

咳、痰、喉の痛みが遷延しており、昭和五四年四月の堀田診察当時も咳、喀痰の訴えがあり、慢性気管支炎(又は慢性呼吸器障害)がある。

(二) 眼、鼻の粘膜障害

鉱山住宅に住むようになってから、鼻水、鼻出血が始まり、それが遷延し、四五歳〜五〇歳頃から鼻閉、診察当時も鼻水、鼻閉の訴えがあり、慢性鼻炎と診断される。

眼では同じ時期に眼のただれ、流涙がはじまってその後遷延し、診察当時も流涙、目やにの訴えがあり、他覚的にも結膜の充血、角膜左上縁の混濁があり、慢性の結膜炎及び角膜炎が認められる。

(三) 慢性胃腸障害

曝露初期に胃腹部痛、下痢が始まって遷延しており、診察当時も食欲不振、胃腹部痛、吐気、下痢、便秘の訴えがある。

(四) 心循環器障害

鉱山住宅当時からめまい、たちくらみが出現し遷延しており、昭和五一年頃高血圧(二四〇)、意識障害

(約三時間)があった。

自覚症状としては、めまい、たちくらみ、耳鳴、動悸があり、他覚的には、収縮期心雑音、血圧二〇八〜八〇、脳波に境界異常、心電図所見で洞性頻脈が認められる。

(五) 肝障害

昭和五一年頃から肝障害の治療を継続している。

(六) 難聴

三〇歳頃から左難聴、自覚症状でも左難聴であるが、他覚的には両側に難聴がある。

(七) 嗅覚障害

四五歳〜五〇歳頃から嗅覚減弱、遷延しており、他覚的にも右低下、左脱失が認められる。

(八) 中枢神経障害(構音障害、運動失調、痴呆)

構音障害、嚥下障害があり、歩行不安定、左脚をひきずり、体位変換、起座、起立の困難、共同運動拙劣が認められる。

これらは、痴呆などの精神症状と同じく、中枢神経系症状として把えられるものであり、砒素性の循環障害(脳循環障害)に起因するものと認められる。

(九) 多発性神経炎

四五歳〜五〇歳頃からの右上肢のしびれ、疼痛が始まり、診察当時の自覚症状では右上肢、左下肢のしびれ、右手、左足の異常知覚がある。

他覚的にも橈骨筋及びアキレス腱反射両側低下、筋緊張両下肢低下、四肢筋力低下、四肢の対称性の触痛覚鈍麻、四肢の振動覚低下等が認められる。

(一〇) 自律神経症状

四五歳〜五〇歳頃から右手指のチアノーゼが始まったということであり、診察時には他覚的に両足チアノーゼ、四肢厥冷、皮膚紋画症が認められている。

(一一) 皮膚症状

両手掌足蹠に著明な角化症、胸腹部背部に散在性色素沈着、白斑があり、県の検診でボーエン病も認められている。

(まとめ)

以上の通り亡仁市は全身的に健康を障害され、心循環障害の進行、ボーエン病の発症等に示されている通り全体として増悪の経過を辿った末、昭和五六年三月二九日、慢性心不全で死亡した。

死亡診断医も、その原因を慢性砒素中毒症と診断しており、右死亡は砒素によるものと認めるべきである。

現に公健法上も、右死亡の砒素起因性が認められ、遺族補償費の支給決定がなされている。

4 家庭と生活の破壊

(一) 鉱山住宅に住むようになってから、さまざまな症状に苦しめられてきた昭和一一年以降、炭鉱で働くようになったが、そこでの仕事は「身体がだるく喘息気があったので一番楽な天井の悪いところの修正の仕事(仕繰)をしていました。」(原告本人尋問)というようなものであった。

しかしその仕事でさえ身体がきつく、昭和三八年には仕事を辞め生活保護でなんとか、生計を支えざるを得ない体になってしまった。

又、兄五十吉同様、その頃から両手足の自由がきかなくなり、又、めまい、立ちくらみをするようになり、外に出るのが不安であると訴え、家の内に引きこもった生活を強いられていたが、家庭での生活も嗅覚を失い、食事の楽しさを奪われ味気ないものとなっていた。そして、慢性心不全で死亡するという重大な結果が生じたのである。

(二) 近親者の状況等は亡五十吉と同様である。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 慢性気管支炎

喘嗚、嗄声もなく、器質変化の発生も証されておらず、徴兵検査甲種合格、炭鉱勤務等の事情も存するのに、現在咳が出る等の訴えのみで慢性気管支炎の存在を認めるのは常識に反する。

(二) 鼻炎・嗅覚障害

鼻粘膜の器質的障害も存しないから、大正末期の亜砒焼き以来六〇年も症状が継続するなどということは考え難い。

副鼻腔炎があり、これによって、鼻炎様症状も嗅覚障害も説明がつく。

(三) 結膜炎

結膜充血は器質的変化の程度ににあるか疑わしいうえ、角膜混濁と同様、その原因は多様に存するのであり、発症を確認した時期的裏付けもなく、曝露によって生じた器質的変化とは認められない。

(四) 慢性胃腸炎

本人の訴えだけで、客観性が全く認められない。

(五) 心臓循環器障害

すべて高血圧で説明できる。

(六) 肝障害

カルテ等に徴しても、存在自体疑わしい。

(七) 難聴

左右差もあるし、多発性神経炎より一五年も先行発現しており、到底砒素中毒による難聴とは認められない。

(八) 中枢神経障害

構音障害、運動失調については、自覚的訴えもなく、診断の根拠は不明であり、本人尋問の状況からして痴呆の存在も疑わしい。

(九) 自律神経症状

原告主張の症状は、血管障害か自律神経失調が考えられるが、血管障害の場合は一過性という事はなく、自律神経症状であるならばその臨床検査を行なうことなしに診断できない。

(まとめ)

亡仁市の症状は、その大部分が四五歳〜五〇歳位に一挙に発症している事実からして、仮性球麻痺という一個の疾病の現す症状と解するのが常道である。

慢性砒素中毒の可能性があるのは皮膚症状と多発性神経炎であるが、それらは日常生活に支障を来すほどのものではない。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

(1) 弟健市が死亡し皿糸に転居したのは大正一四年である。

(2) 右以外はⅠのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。なお皿糸については亡五十吉につき説示したとおりである。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

(2) 県健診で鼻粘膜萎縮、肺線維症が認められている。

(B) 因果関係

因果関係の認められないものはない。

(C) 被告の反論について

(1) 炭鉱勤務時も(兵役の前後とも)医者から胃腸や喘息等の治療を受けていることや三井系の炭鉱等では病院での検査により採用を拒まれていること、兵役中も大半は入院生活であったこと等の事情に照らすと、炭鉱勤務等の生活経歴をもっては、前記認定を覆すに足りない。

(2) 砒素性の難聴に常に多発性神経炎が先行するとなすべき証拠はない。

(3) 副鼻腔炎も認められているが、これについても砒素の寄与は排斥されないこと前記のとおりである。

4 生活状況等

(1) 妹ナミ子関係を除いてⅠのとおり。

(2) 小学卒業後、二年間農業手伝、その後二年余皿糸から通勤して本件鉱山で鉱石運搬に従事。次いで二〇才頃まで佐賀杵島炭鉱。二年近く兵役(但し急性肺炎ということで約一年半は入院生活)、一五年から三八年まで田川で炭鉱勤務。その後は無職。

(3) 兄の甲斐悟も昭和五七年に行政認定を受けた。

5 認定に供して証拠

(1) 甲第一六七号証(証人堀田)、二三五、二三九、二四五号証(前掲)、三二一号証(不争)、三二五号証(公文書)、三二九号証(弁論)、乙第二九一号証(証人堀田)、四三〇号証の一ないし四(前掲)。

(2) 証人堀田、同川平(但し一部)。

(3) 亡佐保仁市、同佐保五十吉、原告松村静子各本人。

一九 原告佐藤實雄(明治四〇年九月一日生)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

原告實雄は、明治四〇年大字岩戸畑中部落の三四九〇番地において、出生した。同所は旧亜砒焼き窯から約五〇〇メートルの所にある。大正一四年、大牟田の三池炭鉱に出稼ぎに出たが、一年余の後再び両親のもとに戻った。

昭和八年妻の亡佐藤ハルエと婚姻し、同年福岡県嘉穂炭鉱に採鉱夫として就職したが、翌九年肝臓、胃の疾患で退職のやむなきに至り、再び土呂久の父母の家に戻った。

昭和一五年、大分県尾平蔵内鉱業所の山林夫に就職して転居し、一九年召集、二〇年復員し、土呂久に帰郷し、妻ハルエの実家(惣見三五八五番地旧亜砒焼き窯の北西三〇〇メートル)に居住していたが、昭和三九年現住所の岩戸三五八一番地に移った。

2 鉱毒への曝露

生まれ、育ち、生活した父母の家、及び妻の実家はいずれも本件鉱山の周辺に位置し、鉱毒の汚染地域であり、生活用水は畑中川や土呂久川から竹樋で引いて使用していた。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和四九年二月二八日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。本件鉱山勤務当時(大正九年以降)から亜砒まけ、(鼻腔、頸部、股間部)、咳、喉頭痛など、特徴的な初期粘膜刺戟症状を生じ、特徴的な皮膚症状も備えており、明らかに慢性砒素中毒症に罹患している。

(個別症状)

(一) 心循環器障害

昭和四六年頃ひどいめまいが三日間持続したことがあり、他覚的に高血圧(一六六〜九八)があり、心電図所見にも異常があり、軽度心筋障害、脳波も軽度異常がある。

(二) 嗄声

昭和五〇年の堀田診断時、他覚的に認められた。

(三) 難聴及び嗅覚障害

経過は不明だが、他覚的に軽度難聴及び軽度嗅覚減弱が認められる。

(四) 皮膚症状

背部、手背、足背部に散在性色素沈着、手掌、足蹠に異常角化症がある。

(まとめ)

右原告の心循環障害は悪化の傾向にあり異常角化症が進行する危険もある。

4 家庭と生活の破壊

(一) 小さい頃は風邪一つひかないぐらい健康であったが、亜砒焼きが始まり、原告自身も鉱山で働くようになった、大正九年頃から様々な疾病に苦しめられてきた。特に昭和四六年頃から目まいがひどく、医師に往診を求めざるを得ない状態である。加えて、眼がよく見えず、耳鳴りがし、臭いもわからないという苦しみも重なっている。

家の近くの畑の出来も悪く、県外に働きに出たが、既に体は鉱毒に侵され、まともな仕事は出来ずに、昭和二四、五年頃には、生活保護を受けざるを得ない状態に追い込まれ、近年は子供達の仕送りで生活を維持してきた。

(二) 妻の亡ハルエは本件被害者の一人である。父は昭和一七年に死亡し、兄も昭和四六年死亡した。。弟は父の実家に住んでおり、慢性砒素中毒症の認定患者であったが五四年死亡した。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 心循環器障害

高血圧によって説明できる。

(二) 嗄声

曝露中の急性刺戟・炎症症状として、喉頭部を含む上気道粘膜が障害を起こし嗄声をもたらすこともありうるが、亜砒焼終了後一〇年も経過して尚、症状があるという為には、亜砒焼当時に器質的病変が生じこれが持続していなければ考えられない。

(三) 難聴

軽度で年齢相応の低下であるにすぎない。

(四) 嗅覚障害

鼻粘膜の器質的病変はない。

嗅覚障害の原因は鼻炎乃至副鼻腔炎にある。

(五) 皮膚障害

角化症の存在は確認できない。色素沈着のみで、慢性砒素中毒による皮膚症状とすることはできない。

(まとめ)

右原告には慢性砒素中毒による症状の存在は疑わしく、仮に可能性ありとしても皮膚症状のみで、日常生活の支障はない。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

(2) 右のほかに、

① 昭和七年頃から一五年頃まで胸やけ、嘔気などの胃腸障害や肝障害(黄疸)がみられた。

② 昭和五五年一〇月の原告本人尋問当時、目まい、頭痛、耳鳴、難聴、息切れ、動悸、嗅覚鈍麻、咳、両上肢の神経痛、視力低下等の自覚症状を訴えている。但し、このうち咳、上肢神経痛、視力低下の現症については原告の主張にも、堀田診断にもなく、他にこれが砒素による症状と認むべき証拠もない。

(B) 因果関係

因果関係の認められないものはない。

4 生活状況等

(1) 右居住歴に記載したところ及びⅠの(一)記載のとおり(但し、視力低下は砒素による症状と認められないこと右3のとおり)。

(2) 一三歳頃から一八歳頃まで、本件鉱山で鉱石運搬、坑内外雑役、亜砒焼き手伝などに従事し、昭和一五年頃にも一時雑役夫として従事した。

右及び1記載の各炭鉱、尾平鉱山勤務以外は、農林業に従事してきた。

(3) 妻の亡ハルエは本件被害者の一人であり、弟生雄も認定患者の一人で、昭和五四年死亡した。

(4) (堀田診断における障害の程度)

軽作業ならほぼ正常の能率。適時の通院治療が必要である。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第七号証(前掲)、一七一号証(証人堀田)、二一四号証(原告佐藤實雄)、乙第二九五号証(証人堀田)、四二三号証の七(不争)。

(2) 証人堀田(第一回)。

(3) 原告佐藤實雄本人、亡佐藤ハルエ本人(第一回)。

二〇 原告佐藤ハツネ(大正七年一月一四日生)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

佐藤ハツネは、大正七年岩戸上永ノ内で生まれ、昭和一六年九月二七日、原告佐藤正四と結婚するとともに大字岩戸土呂久畑中三二四一番地に居住し現在に至る。

2 鉱毒への曝露

原告佐藤正四について述べるところと同じである。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和四九年二月二八日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。同居の夫(原告佐藤正四)及び義母も認定患者であり、曝露初期、鼻のきず、鼻出血、眼がからからになる等の粘膜刺戟症状が存在し、特徴的な皮膚症状も備えていて、慢性砒素中毒症に罹患していることは明らかである。

(個別症状)

(一) 皮膚症状

四〇歳頃から(昭和三三年頃)皮膚の色素沈着が目立つようになり、他覚的には胸骨周辺部前腕部及び下腿に散在性の色素沈着が認められる。

(二) 脳循環障害

四〇歳頃から耳鳴、めまいが始まり、昭和五〇年五月の堀田診察当時もめまい、たちくらみを訴え、脳波の軽度異常も認められている。

(まとめ)

右原告の症状は一見軽度に見えるが、脳循環障害は悪化傾向にあり、又、慢性砒素中毒症では比較的軽症に見えた者に癌が発生することもあるし、比較的遅れて晩期発生する障害もあるから、予後は予断を許さない。

4 家庭と生活の破壊

(一) 結婚して畑中に移るまでは健康で、どこにも病気のない体であったが、徐々に鉱毒に蝕まれていき、耳鳴り、目まい、手足のしびれ、視力低下で、現在は農作業を手伝う事も出来ず、炊事洗濯も全部まかせきりの状態にされてしまった。

(二) 近親者、農業の状況等は、原告正四と同じである。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 皮膚症状

生じているのは色素沈着のみであるうえ、曝露初期に通常生ずるべき急性刺戟症状、(亜砒負け)が全く見当らず、四〇歳頃に色素沈着のみが突発しており、それを慢性砒素中毒の症状であるとすることは疑わしい。

(二) 脳循環障害

めまい等は、通常見かける極めて非特異的な症状であって、これを直ちに脳循環障害とすることはできない。

(まとめ)

右原告については、いずれも慢性砒素中毒の症状とは認められない。仮に皮膚症状が慢性砒素中毒によるものとしても、極めて軽度であって、日常の支障は殆んど考えられない。同原告には子供が七人あり、健康を裏付けている。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

(2) なお、右のほかに、昭和五〇年堀田診察当時の現症として、自覚症状に、手のしびれ、異常知覚、腰痛、下肢痛、視力低下、難聴が見られ、他覚的所見に、右上下肢触痛覚鈍麻、右膝蓋腱反射低下、右下肢振動覚低下等が見られ、原告本人は胃腸の不調も述べるが、いずれも本件砒素曝露による症状としては主張されておらず、証拠上も本件砒素曝露による症状とは認められない(堀田診断でも、これらは砒素中毒の症状から除外され、却って、砒素と無関係の糖尿病、頚椎異常、白内障等の疾患・既住歴が指摘されているし、証人堀田によれば、知覚障害は頚・腰椎の異常によるもので多発性神経炎ではないとのことである。)。

(B) 因果関係

(1) 皮膚症状については、専門医の検査、診察のうえで慢性砒素中毒症と行政認定を受けているのであるから、第三筋第三の一項で述べたところに鑑み、本件砒素曝露との因果関係を認めるのが相当であり、被告指摘の点をもってはこれを左右するに足りない。

(2) 脳循環障害については、脳以外の部位の循環障害の主張立証もないこと、他の併発症状も皮膚症状のみであること、糖尿病・低血圧の既往・入院歴・現症があること等に照らすと、相当因果関係を肯定しうるほどに砒素が寄与していると認めるのは困難である。

4 生活状況等

(1) 若年から成人期までは健康であった。小学校を出て以来、結婚後も農業に従事した。

(2) 近年は、農作業、家事も殆んどできない状態であることは原告主張のとおりであるが、右3で述べたところからして、これは本件砒素曝露に起因するとはなしがたい。

(3) 夫の原告佐藤正四及び同居の義母も認定患者である。その他近親者、農業の状況はⅠのとおり。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第一六四号証(証人堀田)、二一二号証(原告佐藤ハツネ)、二八八号証(証人堀田)。

(2) 証人堀田(第一回、但し一部)、証人川平(第一回、但し一部)。

(3) 原告佐藤ハツネ、同佐藤正四各本人。

二一 亡佐藤健蔵(大正六年一〇月一日生、昭和四九年四月二五日死亡)

Ⅰ 原告の主張

1 居住歴

亡健蔵は、大正六年大字岩戸南部落の三七七八番地に生れた。その後、昭和一三年頃の半年間と一九年から約一年間の兵役を除き、死亡するまで同所に居住した。

2 鉱毒への曝露

妹である亡佐藤アヤについて述べるところと同様である。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和四九年二月二八日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。砒素中毒に特有の皮膚症状もあり、戦前戦後にわたる曝露歴に照らし、明らかに慢性砒素中毒症に罹患している。

(個別症状)

(一) 皮膚症状

昭和四八年一二月県立延岡病院において上半身ビマン性及び大豆大色素斑、上半身点状色素脱失斑、足蹠ビマン性角質増殖及び点状角化腫、口内色素沈着、背部・表皮色素沈着、細胞配列の乱れ、空胞化細胞の出現などがあり、慢性砒素中毒症と診断された。

(二) 神経性難聴、萎縮性鼻炎

右同様延岡病院で認められた。鼻炎は軽度、嗅覚等の異常はない。

(三) その他

三〇代半ば過ぎには平素から胃腸の具合が悪く、胃痛等を訴え、又四〇歳過ぎ頃から、咳痰もひどく、慢性胃腸障害、慢性呼吸器障害も存在したものと認められる。

前同様延岡病院で、顔、両側下肢の知覚障害、四肢の腱反射坑進があると診断され、四〇歳過ぎ頃から続く頭痛とともに脳循環障害による中枢神経症状と認められる。

(まとめ)

亡健蔵は、戦前戦後にわたる砒素曝露を受けて、右のとおり全身的な障害に苦しみ、最後には、昭和四九年四月二五日、肺癌により死亡した。その死亡についても砒素起因性が認められるべきことは亡仲治と同様である。

4 家庭と生活の破壊

(一) 四〇歳過ぎ頃から、特に夜になると激しい咳が続けて出、頭痛に悩まされ、胃腸の悪さも続き、通院と寝たり起きたりの静養生活が始まり、家業の農作業も殆んどできず、苦痛の連続であった。そして、次第に体がやせ細り、見るも無残な姿になって、昭和四九年死亡するに至った。

(二) 近親者の罹患状況は亡佐藤アヤと同様であるが、更に妻タツ子も、亡健蔵と結婚して、南部落に居住するようになってから健康を害し、眼、鼻、その他を悪くし、昭和五一年三月慢性砒素中毒症の行政認定を受けている。

しかも、あっせんをめぐり、悩み、昭和五二年五月三日自殺するに至った。

(三) 又一家は、手広く農業をやっていたが、収穫が激減し、昭和初期には牛馬も斃死し、生活費にもこと欠き、昭和一一年から約二年間及び同一四年から一、二年本件鉱山に勤めたり、田畑を手離さねばならなくなった。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 気道、呼吸器症状

生活歴、既往歴によって、慢性気管支炎の存在を認定するのは医学上無理である。鼻粘膜が稍萎縮気味であるものの嗅覚その他に異常がなく、鼻炎の存在も認められない。

(二) 中枢神経症状

頭痛、反射亢進、知覚障害が、挙げられているけれども、これら神経症状は両側対称に現れており、脳中枢における循環障害によりこのように対称形をとるのは通常考え難い。

(三) 慢性胃腸障害

胃腸障害は昭和二七、八年頃存在したとあり、かかる時期の胃腸障害が砒素と因果関係があるとは考えられない。

(四) 肺癌

肺癌については、最大且圧倒的主要原因として、喫煙が考えられており。また、大気汚染の如く経気道性侵入による肺癌については、扁平上皮癌の形をとるのが通例とされているのに、亡健蔵の場合、喫煙関係の調査はもとより、病理組織的な肺癌の点検もされていない。

(まとめ)

亡健蔵について慢性砒素中毒と考えられるものは、皮膚症状のみであるが、これにより日常生活に支障を生ずるとは考え難い。死因となった肺癌も砒素と因果関係はない。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

Ⅰのとおり。

(B) 因果関係

因果関係の認められないものはない。

(C) 被告の反論について

(1) 喫煙関係の調査や肺癌の病理組織的検討のないことは、何らその肺癌に砒素の寄与していることを否定すべき根拠とはなりえない。

(2) 神経症状が両側対称性であると確認しうべき資料はない。

4 生活状況等

(1) Ⅰのとおり。

(2) 死亡当時、長男二二歳、二男は一九歳で各独立して職に就いており、四男は高校在学中であった(三男は幼少で死亡。)。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第七、一〇、二四五号証(前掲)、八九号証(証人斉藤)、二四〇、二四三号証(原告佐藤慎市)、二六〇、二六二、二六三号証(原本存在・成立とも不争)、乙第四二八号証の一、二(不争)。

(2) 証人堀田(第二回)、同斉藤。

(3) 原告佐藤慎市本人、亡佐藤アヤ本人。

二二 原告佐藤正四(大正四年七月二二日生)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

佐藤正四は、大正四年、亜砒焼き窯から下流約八〇〇メートルの大字岩戸畑中部落三二四一番地において出生し、以後昭和一九年四月から昭和二一年五月までの兵役期間を除き、出生地に居住し現在に至る。

2 鉱毒への曝露

亜砒焼き窯から排出される鉱煙は、居宅及び付近の農地付近にも達し、強い刺激を伴った異様な臭気が立ちこめていた。

原告正四はこれらの鉱煙を浴び、吸引し、汚染された農作物を摂取するなどして、汚染を受け続けてきた。

又生活用水は畑中川の近くより竹を割った樋で水を引いて利用しており、鉱煙や粉塵は右生活用水も汚染した。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和四九年一〇月一日慢性砒素中毒症との公害認定を受けた。特徴的な初期粘膜刺戟症状群も存在する。現病歴中七〜八歳頃から腹痛、下痢、これが二七〜八歳頃まで続き、二〇歳頃眼尻、口角部、鼻粘膜がただれ、傷ができ鼻出血が続いたというのがそれである。これに加え特徴的な皮膚所見等も存在する。右に照らし、慢性砒素中毒症に罹患していることは明白である。

(個別症状)

(一) 末梢神経障害

(イ) 五〇歳前後頃から四肢のしびれ、知覚鈍麻、下肢の脱力、ふらつき、平衡がとれない等の症状が出現し遷延している。

足のしびれ、足がじんじんするとの訴えもあり、四肢に脱力がある。

他覚的所見として、両側下腿、大腿下部に著明な筋萎縮、下肢筋緊張弛緩、両アキレス腱反射消失、筋力両上肢軽度低下、両下肢高度低下、両足垂足、登はん性起立鶏歩、四肢の対称性痛覚鈍麻、下肢振動覚低下と異常知覚、末梢神経伝導速度病的異常が認められる。

この末梢神経障害(歩行障害)により身体障害者の認定を受け、昭和五三年には第一種第一級となった。

(ロ) 右原告の家系にはシャルコマリーツース病の保有者はいないから、同病と断定はできないし、仮にその合併があったとしても、その砒素曝露歴と特徴的な初期粘膜刺戟症状群の存在及び末梢神経障害が砒素中毒によくみられる症状であり、原告が嗅覚障害をも伴っていること等に照らし砒素性の強い末梢神経障害があることは明らかである。

(二) 嗅覚障害

嗅覚減弱が他覚的にも確認されている。現病歴中の鼻粘膜のただれ、傷、鼻出血等に照らし鼻粘膜障害による二次的障害とみられる。

(三) 心循環器障害

昭和四九年八月下肢、顔に浮腫が出現し、高血圧(二二〇)を指摘され、現在の自覚症状では、耳鳴り、動悸、顔、下肢の浮腫があり、他覚的にも両下肢の浮腫、チアノーゼ、血圧一九〇〜一二六、脳波の軽度異常が認められる。

(四) 皮膚障害

四六歳頃から皮膚の色素沈着が目立ち他覚的に背部の散在性色素沈着、臀部、両下肢部に小落屑、両足蹠に異常角化症という特徴的な病変が認められている。

(まとめ)

右原告の未梢神経障害はきわめて重篤である上、心循環障害も悪化の傾向にある。異常角化症が悪性に移行する危険性もある。

家庭と生活の破壊

(一) 昭和四〇年を過ぎてからは健康障害は全身にわたった。昭和四二年から足がしびれてふらつくようになり、四七年頃から杖なしでは歩けなくなり臭いもわからなくなる。足や顔にむくみが出来、血圧も高くなる。又心臓の障害を医師から注意され、発作がおこるようになる。

今や歩くことも不自由になり、何時襲ってくるかもしれない発作の危険のなかで生活を強いられている。

(二) 母も、妻の原告ハツネも認定患者である。父は、昭和四七年九月に死亡したが、胃腸が慢性的に悪かった。

(三) 又、一家は合せて約一町の田畑を有していたが、収穫は落ち、畜産も営んでいたが何頭もの牛が、やせ衰えヨダレを流しながら死んでいった。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 末梢神経障害

その症状からしてシャルコマリーツース病であり、砒素とは無関係である。

(二) 嗅覚障害

発症時期の主張もなく、その障害の存在自体疑わしい上に、一度生じたという鼻粘膜の炎症も亜砒焼の最盛期の昭和一五年頃治癒したとされ、亜砒焼との相関も疑わしい。鼻粘膜に器質的障害のない以上、砒素との因果関係はない。

(三) 心循環器障害

すべて高血圧及びその二次的症状であり、発症時期からして、加齢の生理的現象としての高血圧が最も考えやすい。

(まとめ)

右原告について、慢性砒素中毒の症状と認め得るのは皮膚症状のみである。その皮膚症状も軽度で、日常生活上の支障も殆んど存在しない。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) (一)の(ロ)を除きⅠのとおり。

(2) 心電図異常(左脚ブロック)も認められている。

(B) 因果関係

(1) 末梢神経障害については、相当因果関係を認めがたい。

すなわち、証人堀田は、「砒素性の多発性神経炎の可能性をいくらか残している」とも証言するが、前掲堀田報告でも同証人の他の証言部分でも 「病像はシャルコマリーツース病、そのものであり、発症・経過等も考慮すると慢性砒素中毒症による多発性神経炎とは考え難い。」とされており、診断書やカルテの記載も同趣旨に解されるし、証人川平の証言も同旨である。原告が3(一)の(ロ)で主張するところをもっては、砒素が右の症状発現と因果関係を認められる程に寄与しているものと認めるには足りず、他にこれを認めうる証拠もない。

(2) 右以外には因果関係の認められないものはない。

4 生活状況等

(1) 昭和四〇年以降の健康状態を総覧するとⅠ(一)のとおりであるが、そのうち足のしびれ、歩行困難等の末梢神経障害が本件砒素曝露による症状といえないことは、右3認定のとおりである。

(2) 尋常小学校を出た後は、兵役期間を除き、農業に従事してきたが、二〇歳前後の頃二年間、農閉期に本件鉱山で臨時雑役夫として働いた。

(3) 家族、近親、農牧畜業の状況はⅠ(二)、(三)のとおり。

5 認定に供した証拠

(1) 甲第一六二号証(前掲)、一六三号証(証人堀田)、二一五号証(原告佐藤正四)、乙第二八七号証(証人堀田)、三七六号証(前掲)。

(2) 証人堀田(第一回、但し一部)、同川平(第一回、但し一部)。

(3) 原告佐藤正四、同佐藤ハツネ各本人。

二三 亡佐藤アヤ(大正八年五月二〇日生、昭和五五年一一月五日死亡)

Ⅰ 原告らの主張

1 居住歴

亡アヤは、大正八年、亜砒焼き窯の南約五〇〇メートルの南部落三七七八番地に生れた。その後昭和一五年に二週間程延岡で生活したことと数回の入院を除き、引き続き同所に居住し、昭和四八年九月以降は高千穂町立病院に入院していた。

2 鉱毒への曝露

出生の直後頃から始まった鉱山操業により、鉱煙は常時自宅付近まで流れ出し、住宅内部まで侵入し、粉塵も一帯に降りそそいだ。飲用水等生活用水は全て、昭和四六年簡易水道がつくられるまで、鉱毒に汚染された土呂久川の水が流れ込む東岸寺用水から竹樋を通じて引水しており、これには、空中からも粉塵が降下した。又居宅付近の田畑、農作物も東岸寺用水を利用し、粉塵によって汚染されており、亡アヤはその農作物を摂取してきた。なお亡アヤは昭和九年頃から一五年頃まで一時鉱山住宅付近に野菜の行商に行き、もうもうとした鉱煙にさらされた。

3 健康被害

(慢性砒素中毒症の診断)

昭和五一年三月二四日慢性砒素中毒症の公害認定を受けた。曝露初期の特徴的な粘膜症状、多発性神経炎及び皮膚症状なども存在し、慢性砒素中毒症に罹患していることは明白である。

(個別症状)

(一) 慢性胃腸障害

一〇歳頃から胃腸障害で通院が多く、以後それが続き、昭和五〇年七月の堀田診察当時の自覚症状でも胃腹部痛がある。栄養不良によるるいそうの激しさからも、慢性胃腸障害の存在は明らかである。

(二) 慢性呼吸器障害

一〇歳頃から気道障害で通院することが多く、以後その症状が持続し、診察当時の自覚症状でも咳、痰、喀、嗄声、鼻閉があり、他覚的に咳、嗄声が認められる。

(三) 心循環器障害

二五歳頃から頭重、三八歳頃から動悸、診察時、自覚症状でも頭痛、耳鳴りがあり、他覚的に高血圧(一八〇〜九八)が認められている。

(四) 多発性神経炎

五〇歳前後から手足がぴりぴり痛む、足先がしびれるなどの症状が出現、四肢筋力低下(握力測定不能)、四肢に対称性の触・痛覚鈍麻、両手足異常知覚、四肢の振動覚低下があり、多発性神経炎が認められる。

なお、リューマチは四三歳頃から起こった合併症にすぎないし、リューマチだけでは右のようなひどい症状にはならない。

(五) 求心性視野狭窄、難聴

いずれも他覚的に認められている。

(六) 嗅覚障害

一五〜六歳頃から鼻にきずがついたりし、診察当時、自覚症状として嗅覚減弱と共に鼻閉が存在し、他覚的に嗅覚障害が存在した。

(七) 皮膚症状

両手背に色素沈着、両足蹠に異常角化症があった。

(まとめ)

以上の通り、亡アヤは、全般的に健康を障害され、増悪の経過をたどり体が衰えた末、昭和五五年一一月五日死亡するに至った。

4 家庭と生活の破壊

(一) 昭和四一年頃から家での療養生活が始まり、寝ていることが多く、昭和四八年からは入院生活となり、死亡するまで続いた。昭和五三年六月の原告本人尋問の当時、歩行も困難となり、靴下や足袋を覆くことは出来ず、病室のドアのノブも廻す事が出来ない状態となっていた。そして体が衰え、昭和五五年死亡した。

又、昭和一五、六年頃、交際していた男性との結婚を夢見たが、医者から「結婚できる体ではない」と言われ、死んだ方がよいと思いながら、遂に結婚を断念したことがあった。

(二) 父は本件鉱山操業後まもなく喘息、肝臓疾患、胃潰瘍等で苦しみ、多量の吐血をして昭和一三年に死亡した。母も土呂久鉱山操業後慢性的に咳き込み、呼吸器系の悪化が著しかったが、昭和三二年夏、流感にかかり死亡した。姉ナヲは眼疾患をわずらい、入院治療をしていたが、肋膜炎ということで二七歳で死亡。

兄の亡健蔵は本件被害者の一人である。姉キクは、昭和一五年より肺を患い同一六年二〇歳で死亡。弟時蔵は胃腸病ということで二歳の頃死亡。

Ⅱ 被告の反論

(個別症状)

(一) 慢性胃腸障害

カルテでは、一〇〜四〇歳頃の時期に限局した胃拡張とされている。

現症における自覚的訴えの内容も明かでなく、過去の胃腸障害との間にも明白な中断がある。また、慢性砒素中毒によって栄養障害を来たす場合があるとすれば、胃腸に器質的病変が生じ、持続していることが必要であるが、亡アヤにはかかる病変はない。慢性関節リューマチに伴う全身の筋萎縮が全身のるいそうの観を呈しているのである。

(二) 慢性呼吸器障害

症状が慢性的に継続しているとは認められないし、呼吸機能の検査所見も正常値を示している。

(三) 心循環器障害

砒素と無関係の高血圧症である。

(四) 多発性神経炎

明瞭なる慢性関節リューマチがあり、これによりその神経症状は説明可能である。

(五) 視野狭窄、難聴

視力低下及び中心暗点がないから、視野狭窄は、砒素中毒以外の原因によるものである。

聴力の検査値も正常との限界で、左右差もあり、砒素によるものではない。

(六) 嗅覚障害

鼻粘膜の器質的病変はない。

(まとめ)

亡アヤについて慢性砒素中毒の症状と考えられるものは皮膚症状のみで、日常生活の支障も殆んどない筈である。多発性神経炎が併存したとしても、これも軽症である。最も重要な症状は、慢性関節リューマチであるが、これは砒素中毒と関係がない。

Ⅲ 当裁判所の認定

1 居住歴

Ⅰのとおり。

2 曝露状況

Ⅰのとおり。

3(A) 症状(発症、経過、現症)

(1) Ⅰのとおり。

但し、二五歳頃、左足のしびれが出、これが多発性神経炎の初発とみられ、以後持続し、三七歳頃には手足の痛み、しびれがひどく、医者の治療も受けている(その際「多発性神経痛」或いは「多発性神経炎」と言われた。)。

(2) 昭和四二年五月八日、「多発性関節リューマチによる四肢関節機能障害」との障害名で身体障害者第一種第一級の認定を受けた。

(3) 昭和五〇年七月の堀田診察当時の自覚症状をまとめると、次のとおりである。

手足のしびれ、じんじんする、頭痛、肩・腰・四肢痛、全身倦怠感、耳鳴、嗅覚減弱、四肢脱力、こむらがえり、手足・口周囲のふるえ、不眠、易疲労、物忘れ、胃・腹部痛、咳、喀痰、嗄声、感冒にかかりやすい、息苦しい、鼻閉、動悸。

(B) 因果関係

(1) 死因は腎盂炎に起因した心不全とされており、この腎盂炎と本件砒素曝露との間の相当因果関係を認めるに足る証拠はない。

(2) 右以外には因果関係の認められないものはない。

(C) 被告の反論について

(1) 四三歳頃から慢性関節リューマチに罹患していることが認められ、右疾患自体は砒素との関連性を認められないものであるけれども、右によって亡アヤの末梢神経症状のすべてを説明することはできず、現病歴も合わせ鑑みると、砒素性の多発性神経炎が存在するとの認定を左右するには至らない。右疾患と多発性神経炎との、競合、関与によって、亡アヤの生前の四肢症状が形成され、寝たきりの状態となったものと認めるのが相当である。

(2) 視力低下が伴わなければ砒素による視野狭窄とは認められないとする証拠はない。

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