大判例

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宮崎地方裁判所都城支部 事件番号不詳 判決

主文

被告人を罰金五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは金弐百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は業として

一、昭和二十七年九月三十日小倉正重から、同人の千代森光雄に対する約束手形二通額面合計金六千円の債権を譲り受け、同年十二月五日内金千五百円の支払を受け、残額につき昭和二十八年十月ごろ都城簡易裁判所に支払命令を申請し、債務者の異議申立により通常訴訟となり昭和二十九年一月三十日勝訴の判決を得、右判決に基き、そのころ右千代森光雄の有体動産の差押をなし、肩書自宅において同人から金四千円位の支払を受け

二、昭和二十七年十月ごろ鈴木正一から、同人の野口実次に対する十万円の前渡金返還請求債権を譲り受け、その頃都城簡易裁判所に支払命令を申請し、前同様通常訴訟となり、同年十二月二十四日勝訴の判決を得、昭和三十年三月ごろ都城市前田町野口肇方において野口肇から金三万五千円の支払を受け

三、昭和二十九年七月一日山下重盛から、同人の平部ツルに対する三万円の貸金債権を譲り受け、そのころ都城簡易裁判所に支払命令を申請し、前同様通常訴訟となり、昭和三十年一月ごろ勝訴の判決を得、そのころ同市牟田町の平田ツル方において同人から右三万円および費用の支払を受け

四、昭和二十九年六月二十三日臼杵実秋から、同人の田中正雄に対する貸金三万八千五十円の債権を譲り受け、そのころ都城簡易裁判所に支払命令を申請し、前記同様通常訴訟となり、同年八月二十四日勝訴の判決を得、右判決に基きそのころ右田中正雄の有体動産を差押え、競売の結果金二千円位の支払を受け

五、昭和二十九年八月七日平田木工企業組合から、同組合の梅田哲盛に対する建具工事代金三万五千円の債権を譲り受け、同月二十四日都城簡易裁判所に支払命令を申請し、前同様通常訴訟となり、昭和三十年五月二十四日勝訴の判決を得、同年六月十五日肩書自宅において同人から右三万五千円および費用等合計三万六千六百四十五円の支払を受け

六、昭和二十九年八月二十五日前記組合から、同組合の東口光男に対する売掛代金四万五百七十五円の債権を譲り受け、同年十月十日内金五千円の支払を受け、残額三万五千五百七十円につき同年十一月十六日都城簡易裁判所に支払命令を申請し、前同様通常訴訟となり昭和三十年三月二十九日勝訴の判決を得、右判決に基き同年六月ごろ東口光男の有体動産を差押え、その頃自宅において同人から金一万円位の支払を受け

七、昭和二十九年十月二十日朝陽商事有限会社から同会社の池善沢に対する貸金一万八千円の債権を譲り受け、そのころ内金七千円および利息三千円の支払を受け、残額について抵当物件たる家屋につき昭和三十年五月二十一日宮崎地方裁判所都城支部に競売の申立をなし、そのころ自宅において同人から金五千円の支払を受け

以てその権利を実行したものである。

(証拠の標目)(省略)

(証拠説明)

被告人は判示一の小倉政重、同三の山下重盛に対しては、いずれも自転車代金の債権を有していたので、その代りとして同人らの債権を譲り受けたものであり、判示二の鈴木正一に対しては九万円を、判示四の臼杵実秋に対しては三回に亘り合計三万四、五千円を、判示五、六の平田木工企業組合に対しては二回に亘り八万円をそれぞれ商売資金として貸付けていたので、その代りとして同人らの債権を譲り受けたものであると主張し、弁護人は判示一ないし六については、被告人は債権の代物弁済として債権を譲り受け、正当にその権利を実行したものであつて、このような場合が弁護士法第七十三条に該当するかどうかは甚だ疑問であると述べた。しかしながら、次に説明するように、被告人が権利を譲受ける以前にその主張のような債権を有していたことを認めることはできないから、これを前提とする右の見解は失当である。

一、判示一の事実について。

証人小倉正重は「私は二宮直熊に千代森光雄振出の約束手形を裏書譲渡する三、四ケ月前に、二宮直熊から中古自転車を五千円で買つていた、手形六千円の内千五百円の入金があつていたので裏書譲渡するときに四千五百円が残つていた、それで自転車代五千円との差額として五百円か千円を二宮直熊に支払つた」と供述している。けれども判決謄本(原告被告人、被告千代森光雄)によれば、被告人は請求原因として「二宮直熊は昭和二十七年九月三十日小倉正重より千代森光雄振出の額面三千円の約束手形の裏書譲渡を受け、同年十二月五日千代森光雄から内金千五百円の支払を受けた」と主張しており、これによれば、千代森光雄の振出にかかる約束手形二通の内一通の三千円口について内金千五百円の支払があつたのは被告人が裏書譲渡を受けた後であることが明らかである。それで証人小倉正重の右供述は偽りであつて信用することができない。

二、判示二の事実について。

被告人が、鈴木正一から債権を譲り受ける前に、同人に対して商売資金として九万円を貸付けていたことを認めるに足る証拠はない。

三、判示三の事実について。

証人山下重盛は「私は二宮直熊から自転車を買つたり、娘が久留米の病院に入院していたため金を借りていた。自転車の金額は記憶しない、借金も何回かで金額の記憶はない、確か三万円以上になつていたと思う、借用証は入れていない」と供述しているが、右供述は極めてあいまいであり、これによつて被告人が山下重盛から債権を有していたものと認めることはできない。

四、判示四の事実について。

被告人の検察官に対する第二回供述調書には「私は臼杵実秋から債権を譲り受ける少し前に、同人に二口で合計三万円位貸していた、臼杵実秋は田中正雄に対して三万八千いくらの貸金があつたが、同人が一向返さないので、昭和二十九年六月頃私の三万円の貸金のかたにその債権を譲渡した」旨の供述記載があり、証人臼杵実秋は「私は田中正雄に対して三万八千円位の債権があつた、私は昭和二十九年二月頃横山則久から都城市平江町の宅地を十五万円で買受けたが、金が足らなかつたので、二宮直熊から三万五千円を、期限三ケ月、利息は決めずに借りて代金を支払つた、私は田中正雄から金を取つて二宮直熊に返すつもりであつたが、期限が来ても返してくれないので、二宮直熊にその債権を譲渡した私が二宮直熊から三万五千円を借りたのは昭和二十九年二月頃である」と供述し、後にはまた「私は昭和二十九年七月頃横山則久から宅地を買つた、契約後三ケ月位して二宮直熊から三万五千円借りて代金を支払つた、宅地の移転登記をしたのは昭和二十九年八月末頃であつた」と供述している。このように貸借の時期について、被告人は債権譲渡(昭和二十九年六月二十三日)を受ける少し前に貸していたといい、証人臼杵実秋は同年二月頃借りたとも、また同年七月頃借りたともいい、はつきりしない。もし同年二月頃貸したものとすれば、登記の時とかけはなれる。また金額についても、被告人は二口で合計三万円位といい、右証人は三万五千円といい、はつきりしない。利息を定めないというのも疑問がある、後記六の証人平田広海の供述とも考え合せると、前記各供述は到底信用することはできない。

五、判示五の事実について。

被告人の検察官に対する昭和三十年八月八日付供述調書によれば「私は昭和二十九年三月頃三万五千円位を平田広海に貸したことがある、金額は判然記憶しないので多少違うかもしれない、それについて借用証は取つていない、利息は別に決めていない、利息をとる気持はなかつた。支払期限も別に決めていない、平田広海は梅田哲盛に対して建具代の取り前があるから、それが取れたら返すといつていた」旨の供述記載がある。証人平田広海(第一回)は「昭和二十九年四、五月頃梅田哲盛の建具工事を請負い同年五、六月の末頃完成した、その三、四ケ月位前二宮直熊から五万円借りた、内一万五千円は工事が完了するまでに返し、三万五千円が残つていた、五万円については借用証を入れてあつた、その借用証は私の方に返つて来ている、私は父母を早く亡くし、二宮直熊と私の父が友人であつたため面倒を見て貰つていたので、盆正月に建具等を作つてやつたりするだけで、利息は決めていない」と供述し、同人の検察官に対する昭和三十年七月二十五日付供述調書によれば「二宮直熊から借りた五万円については二宮の店の修繕をして返すことになつていたから、利息や期限は決めてないが、結局、店の修繕はしなかつた」との供述記載がある。これらの供述によれば、債務者は平田木工企業組合ではなくて平田個人のようにも見えるし、また債権額、弁済方法、証書の有無についても両者の供述にくいちがいがあつて明確でない。却て、判決謄本(原告被告人、被告梅田哲盛、参加人第一産業株式会社)によれば、第一産業株式会社は平田広海に対して三万千八百二十五円の確定債権を有し、昭和二十九年八月十二日平田広海の梅田哲盛に対する三万五千円の債権に対し、債権差押および転付命令を申請し、その命令は同月十四日平田広海に送達されたことがうかがわれ、また、梅田哲盛の検察官に対する供述調書には「私は昭和二十九年八月上旬に工事が終了したので、平田広海に請負額七万円の半額三万五千円を支払い、残額は八月末まで待つてくれといつたら同人も承認した、ところがまだ八月末にならない内に、平田広海が来て、自分は二宮直熊に借りがあるから、自分の取り前は二宮に払つてくれといつた、ところが同年八月十四日私の平田広海に対する払い前三万五千円の内三万一千八百円を第一産業株式会社に転付するという転付命令が来て、それから十日位経つた八月二十四日頃平田広海からその三万五千円の債権を二宮直熊に譲渡したという通知が来た、その債権譲渡通知は平田木工企業組合の名義になつていたが、私は平田個人に下請させたもので、組合に下請させたものではない」旨の供述記載があるところから考えると、平田広海は第一産業株式会社に対する支払を免れるために組合名義を利用したのではないかとも疑われる。いずれにしても、被告人が平田木工企業組合から債権を譲り受ける以前に、同組合に対し、その主張のような債権を有していたものと認めることはできない。

六、判示六の事実について。

被告人の検察官に対する昭和三十年八月八日付供述調書には「私は昭和二十九年四月頃、平田広海に三万円か三万五千円位を貸した、借用証は取つていない、利息も別に決めていない、平田広海は借りる際、東口という人に建具代の取り前があるから、それを取つて返すといつた」との供述記載があり、証人平田広海は「私は昭和二十九年三月頃二宮直熊から三万円か三万五千円借りた」と供述しながら、また「私と東口光男、二宮直熊の三人立会で、私が二宮直熊から三万円か、四万円を借り、その金は東口光男から二宮直熊に返すことにした、その前に借金があつてそうしたのでその時借りたのか、その点はつきりした記憶がない」と供述している。これによれば、被告人が平田木工企業組合に対してその主張のような債権を有していたものではないことが明らかである。(なお、東口光男の検察官に対する供述調書にも判示五の証人梅田哲盛と同様「私は平田広海個人に請負わせたのであるが、債権譲渡通知は平田木工企業組合名義になつていたようだ」との供述記載がある。)

(法令の適用)

弁護士法違反 同法第七七条、第七三条、罰金等臨時措置法第二条

換刑処分 刑法第一八条

訴訟費用の負担 刑事訴訟法第一八一条

よつて主文の通り判決する。(昭和三二年五月二二日宮崎地方裁判所都城支部)

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