宮崎地方裁判所都城支部 昭和28年(タ)2号 判決
原告 三浦忠好
被告 矢野勇 外一名(いずれも仮名)
一、主 文
被告両名が昭和二十六年十一月十五日山田町長に対する届出によりなした婚姻はこれを取消す。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告等の負担とする。
二、事 実
原告は、主文第一項同旨および被告等は連帯して原告に対し金四十万円を支払わねばならない、訴訟費用は被告等の連帯負担とするとの裁判を求め、その請求原因として一、被告矢野澄江は昭和十八年三月十日原告と婚姻して原告の戸籍に入籍したものであるが、同二十四年七月二十六日原告不知の間に山田町長に対し原告との協議離婚届出を為した。それで原告は被告矢野澄江(当時梅村姓)に対し同二十六年二月頃宮崎地方裁判所都城支部に前記離婚届出無効確認等請求訴訟を提起したが、同二十七年一月十六日原告勝訴の判決があり、これに対し同被告は福岡高等裁判所宮崎支部に控訴したが控訴棄却の判決があり同年十一月二十三日確定した。よつて原告はこの確定判決に基いて同年十二月一日山田町長に対し離婚取消の届出を為し、同日同被告は再び原告の戸籍に入籍した。ところが同被告は右訴訟の進行中同二十六年十一月十五日被告矢野勇と婚姻し、同日同人の戸籍に入籍同棲して今日に及んでいる。しかしながら被告等の右婚姻は重婚であるからその取消を求める。又二、原告は被告矢野澄江と婚姻しその間に昭和十九年四月十六日長男忠一を儲けたが、被告矢野澄江は同二十三年八月十三日訴外大西健太と密会中を原告の父に発見せられ、良心の苛責にたえず実家に帰つてしまつた、しかし原告は身体障害者であり、長男忠一の将来を思い煩つた末、涙をのんで同被告の不行跡を許し原告の許に帰るよう再三交渉したが、同人はこれに応じないばかりでなく、前記のように原告不知の間に原告との協議離婚届出を為し、同二十六年十一月十五日被告矢野勇と婚姻し、長男利雄を儲けている、原告は前記のように、被告矢野澄江に対し離婚届出無効確認等請求訴訟を提起し、原告勝訴の判決が確定したので同被告は再び原告の戸籍に入籍した、そして右判決において原告と同居しなければならない旨命ぜられていながら、これを履行せず、今なお被告矢野勇と同棲しているものである、原告は右被告等の行為により精神的に重大な打撃を蒙つたので、右のようないきさつに被告等の資産状態をも斟酌して、被告等に対して慰藉料金四十万円の連帯支払を求めると述べた。<立証省略>
被告等訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、原告主張の事実中、その主張のように、被告矢野澄江が昭和十八年三月十日原告と婚姻し原告の戸籍に入籍したこと、同人等の間に長男忠一が出生したこと、離婚届出無効確認等請求訴訟において原告勝訴の判決が確定したこと、右確定判決に基いて離婚取消の届出が為されたこと、被告矢野澄江が被告矢野勇と婚姻したこと、同人等の間に長男利雄が出生したこと、被告矢野澄江が前記判決にもかかわらず原告と同居せず今なお被告矢野勇と同居していることを認め、その余の事実を否認し、被告矢野澄江は原告の性格が余りにも異常で世間に対しても恥かしく、又その父母兄弟とも折合が悪いので居辛らく、到底結婚生活を続けることができないので、やむなく昭和二十三年八月頃実家に帰つたが、その後原告の父三浦清仁が原告の署名捺印ある協議離婚届書を持参して署名捺印を求めた上昭和二十四年七月二十六日山田町長に対し届出を為したので、それから相当の期間を経過した同二十六年十一月十五日被告矢野勇と婚姻したものである、そして右の離婚届出についてはこれを無効とする判決が為されたけれども、被告等はその無効原因の存したことについては知る由もなく、原告に対して何ら故意、過失がないのであるから、慰藉料の請求には応じられないと述べた。
三、理 由
被告矢野澄江が昭和十八年三月十日原告と婚姻して原告の戸籍に入籍したこと、同被告が同二十三年八月頃実家に帰つてしまつたこと、同人等の間に同十九年四月十六日長男忠一が出生したこと、原告が被告矢野澄江(当時梅村姓)に対し同二十六年二月頃宮崎地方裁判所都城支部に離婚届出無効確認等請求訴訟を提起し、同二十七年一月十六日原告勝訴の判決あり、これに対し被告矢野澄江が福岡高等裁判所宮崎支部に控訴したが控訴棄却の判決があり、同二十七年十一月二十三日確定したこと、原告が右確定判決に基いて同年十二月一日山田町長に対し離婚取消の届出をなし、同日被告澄江が再び原告の戸籍に入籍したこと、被告矢野澄江が右訴訟の進行中、同二十六年十一月十五日被告矢野勇と婚姻し同日その戸籍に入籍し同棲今日に及んでいること、被告等の間に長男利雄が出生したこと、被告矢野澄江が前記判決において同居を命ぜられていながらこれを履行せず今なお被告矢野勇と同棲していること、は当事者間に争がない。
成立に争のない甲第一号証の一、二によれば、昭和二十四年七月二十六日原告と被告矢野澄江との協議離婚届出が為されていることが認められ、被告等の間に長男利雄が出生したのは同二十六年十月三十一日であること従て同年一月初頃には被告矢野澄江は右長男を懐胎していたことが推定される。
原告は被告等の前期婚姻は重婚であるからその取消を求むと主張するところ、前記の事実によればその婚姻が重婚であり、法律上許されないものであることが明かであるから、この点に関する原告の請求は相当である。けれども慰藉料の請求については、その主張の、被告矢野澄江が昭和二十三年八月十三日訴外大西健太と密会中を原告の父に発見せられ良心の苛責にたえず実家に帰つたとの点、原告が身体障害者であり、長男忠一の将来を思い煩つた末、涙をのんで同人の不行跡を許し原告の許に帰るよう再三交渉したが、同人がこれに応じなかつたとの点、同被告が原告不知の間に前記協議離婚届出をなしたとの点については、身体障害者である点を除いてはこれを認めるに足る証拠がない。却つて成立の争のない甲第二、第三証によれば、前記の協議離婚届出は、原告の父三浦清仁が原告の意思に基かず無断で同人の氏名を冒書し有合せ印を押捺して届出を為したものであることが認められ、又前記の、原告と被告矢野澄江の協議離婚届出が為されたのは昭和二十四年七月二十八日であり、前記訴訟が提起されたのは約一年七月後の同二十六年二月頃で、原告勝訴の判決が確定したのは、被告等が婚姻した同二十六年十一月十五日から一年後の同二十七年十一月二十三日であるから、被告等が婚姻したのは被告矢野澄江が実家に帰つた同二十三年八月頃から実に約三年三月を経過しているのであり、ことに被告矢野澄江は前記訴訟が提起される前の同二十六年一月初頃にはすでに長男利雄を懐胎していたものと推定されるから、これらの事情から考えても、被告矢野澄江又は被告等が故意又は過失により前記協議離婚届出をなし、婚姻し又は同棲を続けるなど原告の権利を侵害したものとは認めることができない。その他右の認定を左右するような資料はない。それでこの点に関する原告の請求は理由がないものといわなければならない。
そこで、その余の点についての判断を省略し、原告の被告等に対する婚姻取消の請求は相当としてこれを認容し、慰藉料の請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条第一項本文を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 井上藤市)