大判例

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宮崎地方裁判所都城支部 昭和28年(タ)4号 判決

原告 三浦澄江こと矢野澄江

被告 三浦忠好(いずれも仮名)

一、主  文

原告と被告を離婚する。

被告は原告に対し金八万円を支払わなければならない。

原告はその余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は、原告と被告を離婚する、被告は原告に対し金十万円を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求原因として、一、原告は昭和十八年三月十日十七歳で被告と婚姻し、翌十九年四月十六日長男忠一を儲けた。被告は同年七月頃海軍に召集され同二十年八月末頃終戦により復員した。その後原告は被告と同棲して家業に励んで来た。二、けれども原告は被告との婚姻を継続し難い重大な事由がある。すなはち(イ)被告は生来の怠け者で、いつも馬鹿話をしながら隣近所を歩き廻り、家業をかえりみない。父清仁からいつも意見されるけれども更に効目がなく改まる見込みがない。父清仁は田畑一町八反位を耕作するほか、精米所を経営し実直な働き手であつて、さらにめん類の製造も始める考えで機械類を取揃えていたのであるが、被告が怠け者であるためこれを始めることができず機械も売払つてしまつた。こんな有様で父との折合が悪いばかりでなく、近所に居住している被告の妹夫妻とも仲が悪く家庭に風波が絶えない。(ロ)被告は昭和二十二年十二月頃電線を盗むため電柱に登つて落ち、そのため足を折り背髄に故障を生じ性的不具者になつた。(ハ)原告は被告を相手として離婚の調停申立をした。父清仁は怠け者の被告に愛想をつかし裁判沙汰などにせず円満に離婚することに賛成していたのであるが、被告の煮え切らない態度のため調停は成立しないままになつていた。ところが父清仁が昭和二十四年七月二十四日頃原告の実家に来て、被告の署名捺印ある協議離婚届を出して原告の署名捺印を求めたので、原告は父清仁が被告を説得したものと信じてその届書に署名捺印して渡し、離婚届がなされた。ところが被告は右の協議離婚届は被告の父清仁が勝手に作成したもので無効であるとの理由で、原告を相手として離婚届出無効確認並同居請求訴訟を提起した。この訴訟はのちに被告の勝訴となつて確定した。けれども原告は被告との離婚が有効に成立したものと信じて昭和二十六年十一月十五日訴外矢野勇と婚姻し、すでに長男利雄を儲けている。(ニ)被告は原告との結婚前某女と通じ子まであつた。(ホ)被告は昭和二十八年四月二十三日原告と訴外、矢野勇に対し、婚姻取消慰藉料請求訴訟を提起したが、その訴状中に、原告が同二十三年八月十三日訴外大西健太と密会中を被告の父に発見されたとの記載がある。これは妻に対する重大な侮辱である。三、原告は昭和十八年三月十日被告と婚姻し同二十三年八月下旬実家に帰るまで、営々として被告の家業に励んでゐたが前記のような事由で婚姻を継続することができなくなつたため精神的苦苦痛はまことに堪え難いものがあるので被告に対し慰藉料として金十万円を請求する、と述べ、被告の主張を否認した。<立証省略>

被告は請求棄却の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因中原告が昭和十八年三月十七日十七歳で被告と婚姻し翌十九年四月十六日長男忠一を儲けたこと、被告が同年七月頃海軍に召集され同二十年八月末頃終戦により復員したこと、被告が昭和二十二年十二月十七日電柱から落ちて怪我をしたことを認め、その余の事実をすべて否認し、被告は右負傷により性的不能に陥つたが、翌二十三年二月以降その機能障碍は消失している、と述べ、本訴はすでに確定判決を受けた離婚届出無効の事実を争うものであり、又別件婚姻取消慰藉料請求訴訟事件の反訴とみなさるべきもので、原告の本訴主張は理由のないものであると附け加えた。<立証省略>

三、理  由

原告が昭和十八年三月十日十七歳で被告と婚姻し、翌十九年四月十六日長男忠一を儲けたこと、被告が同年七月頃海軍に召集され同二十年八月末頃終戦により復員したこと、被告が同二十二年十二月十七日電柱から落ちて負傷したこと、その負傷のため同二十三年一月末まで性的不具者となつていたことは、いずれも当事者間に争がない。

証人田中寛一、同小堀英夫、同梅村秀重の証言、原告本人の供述を考え合せると、被告は昭和二十年八月末頃復員してから後は仕事もせず朝御飯を食べると遊びに行つて夕方帰ると言つた風で、父清仁からは毎晩のように意見されていたが、一向に改める様子がないこと、父清仁は被告が一人息子であるけれども、怠け者で仕事もしないので楽しみがないとこぼしており、被告が後記のように電柱から落ちて怪我をし四ケ月位入院したときも「よい天罰じや」といつて見舞つたこともなかつたこと、被告の妹夫婦は、もと同じ屋敷内に住んでいたが、被告との仲が悪く、そのため同人らは別居してしまつたこと、被告は盗癖があり、前記のように夜中の二時頃電柱から落ちて怪我をしたこと、原告は婚姻以来家業に精出して来たけれども、被告が前記のように怠け者で改める様子もなく、その上盗癖があつて家庭に風波が絶えないので、将来の希望を失い、度々実家に帰つたのであるが、子供のことを考えたり、又最初の内は父清仁もなだめていたし、被告も原告が帰つたらまじめに働くというので、その都度戻つていたのであるが、被告はその後も一向改める様子もないので、遂に昭和二十三年八月下旬実家に帰つてしまつたこと、原告は実家に帰つた後、被告に対し離婚の調停申立をしたが、被告の反対で成立するに至らなかつた。その後昭和二十四月七月二十六日被告との離婚届がなされたので、同二十六年十一月十五日訴外、矢野勇と婚姻し、その間に長男利雄(昭和二十六年十月三十一日生)を儲けていることを認めることができる。被告は、原告が実家に帰つたのは原告主張のような理由によるものではなく原告が訴外大西健太と密通の現場を父清仁に発見されたため、居づらくなつて帰つたものであると主張(被告提出の各証人訊問事項)するもののようであるけれども、証人大西健太、同西田一夫の尋問の結果によるも、そのような事実を認めることはできない。そのほか前認定に反する証拠はない。

およそ夫婦は互いに協力して婚姻を維持しなければならないのに、被告は子があるにもかかわらず、怠け者であつて家業をかえりみず、父清仁から毎晩のように意見されても一向に改める模様もなく、従つて父や妹夫婦とも折合が悪くて家庭に風波の絶えまがない、その上盗癖があつて、夜中の二時頃電柱から落ちて怪我をし、そのため性的不具者になつたこともある始末であつて、原告が被告との夫婦生活に希望を失い実家に帰るに至つたことは、まことに無理からぬことであつて、右のような事由は民法第七七〇条にいう「婚姻を継続し難い重大な事由」に当ることが明かである。

もつとも、職権により調査すると、別件当庁昭和二十八年(タ)第二号婚姻取消慰藉料請求訴訟事件記録中、甲第二号証の一、二(原被告間の離婚届出無効確認同居請求訴訟事件の第一、二審判決)によれば、原被告間の昭和二十四年七月二十六日付離婚届に対し被告から離婚届出無効確認同居請求訴訟が提起され、同二十七年十一月二十三日被告勝訴の判決が確定していることが認められるけれども、右判決は離婚届が被告の真意に出たものでないことを理由としてその無効を確認したものであつて、本件離婚原因の有無とは別個の問題である。ことに右訴訟が提起されたのは離婚届後一年半位後のことであつて、その頃には訴外矢野勇との間に長男利雄(昭和二十六年十月三十一日生)を懐胎していたものと認められるから、原告が離婚届無効確認等訴訟が提起された後に右訴外人と婚姻したということにはならない。

右のような次第であるから、原告の被告に対する離婚の請求は、その余の点について判断するまでもなく相当と認められる。

次に慰藉料の点について考えて見ると、前掲各証拠によれば、原告は昭和十八年三月十日十七歳のとき被告と初婚で結婚しその間に長男忠一を儲け、以来約五年半の間、被告家の家業に精励して来たけれども、前記認定のように婚姻を継続し難い重大な事由のため同二十三年八月頃実家に帰つたものであることが認められこれによつて原告が甚大な精神的苦痛を蒙つたことは想像に難くないところであるから、被告はこれが慰藉の義務あるものといわなければならない。

よつてその数額について考えると、原告は高等小学校卒業後、有徳裁縫学校で一年制の和裁の修習をなした者であつて、原告の実家は農業を営み、田七反六畝、畑一町二反五畝、山林七・八畝位のほか宅地二反、住宅二棟、二階建廐舎一棟、物置等約七十坪の建物を有し部落で中以上位の暮しをしているものであること、被告は松田農場で修練したことがあり、被告家は農家で製材所や精米所も経営しており居町では中以上の生活をしているものであること、を認めることができる。これらの事実と前記認定の事実その他弁論の全趣旨を考え合せ、原告が被告から受くべき慰藉料は金八万円を以て相当と認める。

それで原告の本訴請求は右の範囲においてこれを相当として認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 井上藤市)

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