宮崎家庭裁判所 昭和46年(家)268号 審判 1971年5月13日
申立人 小坂洋助(仮名) 昭三〇・二・一二生
主文
申立人の名を「洋佑」に変更することを許可する。
理由
申立人は主文同旨の審判を求め、その実情として、申立人の名は戸籍上「洋助」であるが、今日まで、一度も「洋助」を使用したことがなく、常に「洋佑」(ようすけ)を称して現在に至つており、戸籍上の名と通称名との不一致により社会生活上、万事不都合不便を来たすから、この際戸籍上の名「洋助」を「洋佑」に変更することを許可されたく、本申立に及んだと述べた。
本件記録中の戸籍謄本当庁調査官の調査報告書並びに申立人提出にかかる各種証書類等を総合すると、申立人は昭和三〇年二月一二日父春三、母ノブ子の長男として出生した者であるが、右父母は、申立人出生後、申立人を「洋佑」と命名し、母方祖父にその出生届出を委託した。
当時、その出生届出の委託を受けた祖父は申立人の名を申立人の父母の命名した「洋佑」として出生届出をしたところ「佑」という文字が当用漢字でないことを理由に届出の受理を拒否され、やむなく申立人の名を「洋助」として届出をなし、受理された。申立人本人はもとより、その両親もこのことを知らず、保育所をはじめ小学校入学より今春高等学校に入学するに至るまで、いまだかつて「洋助」を用いたことがなく、常に「洋佑」と称し広く世間においても右通称名で通用し、これをもつて本名である位にまで認識されているのみならず、本人及び家族も又そう思い続けていたところ、昭和四六年四月たまたま申立人が原動機付自転車の免許証の交付を受けるための手続中、住民票の申立人の名が「洋助」となつていたので何かの間違いではないかと思い念のため戸籍謄本を取寄せてみたところ、戸籍上も申立人の名が「洋助」となつていることを発見した。
しかしながら申立人としては「洋佑」が自己の本名であり、永年使用しているその名に愛着をもつており、今後も引続きこれを使用する意思を有しているものである。との事実を認めることができる。そうだとすると、申立人の戸籍上の名は「洋助」であるが、申立人は既に生後一六年間の長きに亘り、「洋佑」という通名を使用しており、今更申立人の名の表示として「洋助」を用いることは却つて種々の支障を来すべく、従つてこの同一性の識別の混乱を防止するためには今後も「洋佑」なる通称名を使用する必要性のあることを認めるに十分であつて、「洋助」を「洋佑」という名に変更する正当な理由があるものといわなければならない。
ただ問題は「洋佑」の「佑」という文字が戸籍法第五〇条の規定する常用平易な文字でない点である。しかし前認定のように申立人本人が今日まで「洋佑」名を常用していて、「洋助」名を使用したことがなく、他面学校関係はもとより一般世間においても「洋佑」名で通用しているという特段の事情がある場合においては当用漢字および人名用漢字にない文字を用いる名への変更も例外的に認められて然るべきものと解せられる。
よつて、本件申立は理由があるので、主文のとおり審判する次第である。
(家事審判官 大西リヨ子)