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富山地方裁判所 平成3年(行ウ)3号 判決 1994年1月26日

富山市東町二丁目二番一号

原告

山崎與七

右訴訟代理人弁護士

竹下重人

浦崎威

富山市丸の内一丁目五番一三号

被告

富山税務署長 四柳一彦

右指定代理人

玉越義雄

佐野明秀

松井運仁

小西絋二

竹田信久

沢井秀治

寺俊昭

高井和男

上野芳裕

主文

一  被告が昭和六三年八月五日付でなした原告の昭和六二年分所得税についての更正の取消しを求める訴えを却下する。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  平成二年(行ウ)第三号事件

被告が昭和六三年八月五日付でなした原告の昭和六一年分及び昭和六二年分所得税についての各更正をいずれも取り消す。

二  平成三年(行ウ)第三号事件

被告が平成三年二月二八日付でなした原告の昭和六二年分所得税についての再更正及び過少申告加算税の賦課決定をいずれも取り消す。

第二事案の概要

本件は、証券会社に自己名義の取引口座を設けて株式売買を行った原告が、昭和六一年分及び昭和六二年分の各所得税の確定申告に対してなされた更正並びに昭和六二年分の所得税の確定申告に対してなされた再更正及び再更正にかかる過少申告加算税の賦課決定の取消しを求めた事案であり、原告名義の株式取引が、原告単独の取引であるか、原告と堀田秀次(以下「秀次」という。)、堀田澄子(以下「澄子」という。)及び堀田夕美子(以下「夕美子」という。)との共同による取引であるかが主たる争点となっている。

一  当事者間に争いのない事実

1  原告は、昭和四七年二月、不動産売買、仲介、管理等の業務を営む富山綜合ビル株式会社(以下「富山綜合ビル」という。)を設立し、その設立当初から昭和五六年に辞任するまで同社の代表取締役として、その業務全般を統括しており、代表取締役辞任後も同社の支配人として、その経営全般を実質的に支配している。

2  原告は、昭和六〇年五月から日本勧業角丸証券株式会社富山支店(以下「勧角証券」という。)において、昭和六一年一月から荒町証券株式会社(以下「荒町証券」という。)において、原告名義の取引口座を設定し、昭和六一年及び昭和六二年に、右両口座において株式売買が行われた(以下「本件株式取引」という。)。

3  原告は、昭和六一年分及び昭和六二年分の所得税につきそれぞれ確定申告をなしたところ、被告は、それぞれに対し更正及び更正にかかる過少申告加算税の賦課決定をなし、昭和六二年分の所得税につき再更正及び再更正にかかる過少申告加算税の賦課決定をなした(以下、これらの処分を「本件各処分」という。)。原告の各確定申告、本件各処分並びに右各処分に対して原告のした不服申立て及びこれに対する決定と裁決の経緯は、別表一のとおりである。

二  原告の総所得金額に関する当事者双方の主張

1  被告の主張

原告の昭和六一年分及び昭和六二年分の総所得金額及びその内訳は、次のとおりである。

(一) 昭和六一年分

(1) 配当所得の金額 一二四万七四五〇円

(2) 給与所得の金額 一二六万五八〇〇円

(3) 雑所得の金額 六五一一万一六九一円

<1> 総収入金額 本件株式取引に係る譲渡益 六七二九万二六六〇円

<2> 必要経費の額 借入利息 二一七万五三一九円

口座手数料 五六五〇円

(4) 総所得金額 六七六二万四九四一円

(二) 昭和六二年分

(1) 配当所得の金額 二〇七万八一二五円

<1> 確定申告に係る配当金額 一二二万三一二五円

<2> 名義株に係る配当金額 八五万五〇〇〇円

(2) 給与所得の金額 一二八万二六〇〇円

(3) 雑所得の金額 一億五一〇二万五一八三円

<1> 総収入金額 一億五三〇七万五九三三円

ア 本件株式取引に係る譲渡益 一億五三〇三万五四三三円

イ 失念株に係る受取配当金 四万〇五〇〇円

<2> 必要経費の額 借入利息 二〇三万五一九〇円

口座手数料 一万五五六〇円

(4) 総所得金額 一億五四三八万五九〇八円

2  原告の主張

(一) 被告の主張(一)中、(1)及び(2)の事実は認め、その余は争う。

(二) 同(二)中、(1)<1>及び(2)の事実は認め、その余は争う。

三  争点

1  昭和六二年分の所得税についての更正の取消しを求める訴えの適法性

(一) 原告の主張

昭和六二年分の所得税についての再更正は、当初の更正により納付すべきものとされた所得税額に追加して納税すべき所得税額を確定するものであって、当初の更正とは別個独立の処分であるから、当初の更正についても取消しを求める訴えの利益がある。

(二) 被告の主張

昭和六二年分の所得税について増額再更正がされた以上、当初の更正の取消しを求める訴えは不適法である。

2  本件株式取引は、原告単独の取引か、共同取引か。

(一) 被告の主張

本件株式取引は、いずれも原告の名義で行われており、本件株式取引に係る売買の注文並びに資金の調達及び返済等の対外的行為のすべてについても、原告本人が行っていることから、本件株式取引に係る所得は、その全てが原告に帰属する。

本件株式取引は、

昭和六一年分 買取引 八八回 一〇〇万〇一〇〇株

売取引 四八回 七三万五〇〇〇株

昭和六二年分 買取引 七一回 七七万八七〇〇株

売取引 四四回 八四万四〇〇〇株

であって、いずれも非課税の対象とならない取引である。

(二) 原告の主張

本件株式取引は、原告と秀次、澄子及び夕美子(以下この三名を「堀田ら」という。)との共同による取引であり、これによる所得は、原告と堀田らに帰属するものである。

(1) 堀田らは、昭和四八年末ころ、原告に対し、秀次の所有する三一二四万五〇〇〇円の金員及び澄子と夕美子の共有する三七五万五〇〇〇円程度の金員、合わせて三五〇〇万円程度の金員の保管を依頼した。

また、秀次は、同年ころ、原告に対し、北陸電力、東京電力その他の株式約五〇〇〇株を預け、保管を依頼した。

堀田らは、昭和六〇年ころ、原告に、一五〇〇万円の金員を、利息の定めなく貸し渡した。

原告と堀田らは、昭和六〇年五月ころ、原告が堀田らから預かり、あるいは借りている金員及び株式と原告の自己資金とを合わせて、共同で株式売買をすることを合意した。その際、秀次の代理人であった夕美子の了解を得て、原告が秀次から預かっていた株式を一〇〇〇万円と評価することとし、堀田らの提供する資金を合計六〇〇〇万円とし、原告の提供する資金を八〇〇〇万円とすることを合意した。

本件株式取引は、右合意に基づいて行われた。

(2) 原告は、本件株式取引を行うにあたり、証券会社に対して、本件株式取引が原告と堀田らとの計四名によってなされるものであること及び税金がかかるようであれば知らせてほしい旨を告げていた。

本件株式取引は、原告が堀田らの同意を得て行うか、夕美子が原告の同意を得て原告名義で行い、買い付けた株券または株券預かり証はすべて、堀田らに保管させていた。

また、株式買入に際して必要な短期資金について、新川水橋信用金庫から夕美子名義で借り入れたことがある。

(3) 原告は、次のとおり、堀田らに対して本件株式取引の利益の分配及び元本の払戻しをした。

原告は、昭和六一年一二月一八日、秀次に対し、富山市森字道木割り一二〇番地二〇七の土地の代金分一〇〇〇万円及び同所一二〇番地二〇三所在のマンション二区画とその敷地共有持分の代金分一三〇〇万円を交付した。

原告は、昭和六二年六月五日、東京火災海上保険株式会社の株券七万株を約一億六四六〇万円で売却し、秀次に対し、内金九四〇〇万円を交付した。

原告は、澄子に対し、八尾町の山林、原野の購入のための手付金に充てられた二〇〇万円を交付し、また、その後、平成二年にも、一〇〇万円を交付した。

(4) したがって、本件株式取引は、原告及び堀田らの四名によってなされたものであり、本件株式取引のうち原告に帰属する部分は、

昭和六一年分 買取引 一八回 二八万四一〇〇株

売取引 二二回 二〇万〇〇〇〇株

昭和六二年分 買取引 二六回 三八万二七〇〇株

売取引 二三回 四三万八〇〇〇株

であって、昭和六二年法律九六号による改正前の所得税法九条一項一一号イ並びに同年政令三五六号による改正前の所得税法施行例二六号一項及び二項の規定により、有価証券の譲渡による所得の非課税の範囲内の取引である。

3  名義株にかかる配当金額

(一) 被告の主張

原告は、荒町証券から買い付けて所有していた左記の各株式(以下「本件名義株」という。)を、その取得の日の一か月ないし六か月後の昭和六二年三月二五日及び同月二七日に、堀田らに配当金を与える目的でその名義変更を行ったものであり、本件名義株は実質的に原告に帰属するものであるから、堀田らが昭和六二年七月二日に受領した左記記載の本件名義株にかかる配当金合計八五万五〇〇〇円もまた、原告に帰属する。

〔銘柄〕 〔名義〕 〔配当金額〕

平和不動産 秀次 一八万円

四国電力 夕美子 六〇万円

四国電力 澄子 七万五〇〇〇円

(二) 原告の主張

原告が堀田らに被告の主張する株式を譲渡したのは、共同しての本件株式取引を終了するに当たって、取引の開始時に秀次から預かった株式と同様のものを返還したものであって、単なる名義だけの変更ではない。

4  失念株にかかる配当金額

(一) 被告の主張

原告が昭和六二年中に売却した原告名義の株式のうち左記の株式について、原告はその売却後において左記のとおり名義失念株の配当金を受領している。右各配当金合計四万〇五〇〇円は、株主たる地位に基づいて支払を受けたものではないから配当所得には該当せず、雑所得として原告に帰属するものである。

〔銘柄〕 〔名義失念株式数〕 〔配当金額〕

平和不動産 一万一〇〇〇株 三万三〇〇〇円

四国電力 三〇〇株 七五〇〇円

(二) 原告の主張

被告の右主張は争う。

第三争点に対する判断

(書証の成立又は原本の存在及びその成立は、いずれも当事者間に争いがないか、弁論の全趣旨により認められる。)

一  争点1について

納税額を増額する再更正は、課税要件につき全体的に見直して納税額の総額を確定させる処分であるから、更正の後、増額再更正がなされた場合、当初の更正は、増額再更正の処分の内容としてこれに吸収されて独立の存在を失い、取消訴訟の対象とはならなくなると解するのが相当である(最高裁判所昭和三二年九月一九日第一小法廷判決・民集一一巻九号一六〇八頁、同昭和五五年一一月二〇日第一小法廷判決・集民一三一号一三五頁参照)。

すると、被告が昭和六三年八月五日付でなした原告の昭和六二年分所得税についてした更正の取消しを求める原告の訴えは、同年分の所得税について増額の再更正がなされたことにより、訴えの利益を失ったこととなり、不適法である。

二  争点2について

1  原告が、本件株式取引の行われた取引口座を勧角証券及び荒町証券に開設したことは当事者間に争いがない。

そして、乙四、五、二七二及び原告本人の供述によれば、本件株式取引は、いずれも原告の名義で、原告の注文と指示に基づいて行われていたものであり、その取引に伴う資金の決済も原告が行い、株式売却代金はすべて原告名義の預金口座に入金され、右各証券会社としても株式取引に伴う計算はすべて原告に帰属するとの了解のもとに取引に応じていたこと、また、原告は、右各証券会社の担当者に対して個々の売買を注文するに当たって、原告以外の者のために取引をする旨の指示も説明もしていなかったことが認められる。

2  これに対して、原告は、本件株式取引が原告と堀田らとの共同取引であったと主張し、堀田らからの資金の提供、堀田らと共同しての本件株式取引の実行、堀田らに対する利益の分配及び元本の返還の事実を主張するので、以下にこれらを検討する。

(一) 堀田らからの資金の提供について

(1) 証拠(甲一、二、三の1ないし3、乙二七〇、二七一、二七三ないし二七六、証人夕美子、原告本人)によれば、次の事実が認められる。

<1> 昭和四四、五年ころ、北陸電力株式会社の社員であった原告は、送電線の鉄塔敷地を買収するため、秀次宅に出入りするようになった。

秀次と澄子の娘である夕美子は、昭和四七年一月二五日、中島喜一(以下「喜一」という。)と結婚し、秀次らと喜一とは養子縁組をした。喜一は、原告の妻であった山崎愛子の弟である。

<2> 喜一は、結婚後、砺波市で看板業を始めたが、うまくゆかず、昭和四八年ころ、富山市内で看板業を始めるために一家で富山市新金代に移り住んだ。このとき、秀次は、砺波市にあった土地と建物を代金三一二四万五〇〇〇円で売却した。

<3> その後、堀田らの一家は、昭和五〇年に富山市天正寺に移り、さらに昭和五四年には富山市大宮町に移り住んだ。喜一は、昭和五二年ころから借金が増え、昭和五七年には大宮町の喜一所有名義の土地建物も競売に付されることになった。

<4> 夕美子は、昭和五七年、喜一と離婚し、富山綜合ビルに就職した。

秀次は、昭和五八年、北陸電力に対し送電線の鉄塔敷地を六〇七万五〇〇〇円で売却した。

(2) 右(1)で認定した経緯の下で、原告本人及び証人夕美子は、堀田らが、昭和四八年ころ、砺波市の土地、建物を売却した代金等三五〇〇万円及び電力株五〇〇〇株を原告に預け、また、昭和五八年に鉄塔敷地を売却した代金等を堀田ら及び夕美子の子供二人の名義で新川水橋信用金庫に定期預金し、昭和六〇年、これを担保に借りた一五〇〇万円を原告に貸し渡した旨を証言、供述する。

(3) しかしながら、右の三五〇〇万円を預けたとの点については、その預託の合意を示す資料も、原告と堀田ら間で金員の授受ないし移転がされたことを示す資料も、一切提出されていない。

堀田らは原告が右金員を運用することを許容していたという(証人夕美子及び原告本人)のであるから、その金額の大きさからしても、返還の期限や利息等について取り決め、書面を作成するのが一般的であると解されるのに、証人夕美子及び原告本人の証言、供述するところでは、右金員の預託に当たっては、利息の定めも期限の定めもせず、金員の預託を示す書面も一切取り交わさなかったというのである。

この点につき、原告は、原告と堀田らとの間には強い信頼関係があったから書面の作成等は行わなかったものであると主張するが、前記の縁戚関係のあったことだけでは、右のような多額の金員につき期限や利息等も定めず書面も交わさないことが不自然ではないほどの信頼関係の根拠にはなりえないし、他に、かかる信頼関係があったことを窺わせる証拠はない。

(4) さらに、株券を預託したとの点についても、その預託の合意や授受を示す資料が一切提出されていないだけでなく、授受されたという株券の内容、数量も不明であり、預託の趣旨についての原告本人の供述内容も曖昧である。

(5) 証人夕美子及び原告本人は、昭和四八年ころに現金及び株券を原告に預けた理由として、喜一を信用できず、秀次の財産をあてにされては困ると考えたからであると証言、供述するけれども、前記(1)掲記の各証拠によれば、堀田らが富山市に出てきたのは喜一が看板業を営むためであり、昭和四八年当時は商売が成り立つ見込みがあったこと、富山市新金代の住居取得に際しては、その取得費の半額を喜一が出していたこと、喜一の借財が増えだしたのは昭和五二年ころ以降であること、以上の各事実が認められるのであり、この事実関係に照らすと、証人夕美子及び原告本人の右証言、供述は、信用しがたい。

(6) また、原告は、昭和四八年に堀田らから預かった三五〇〇万円を原告から富山綜合ビルに貸し付けて運用していたが、昭和六〇年五月、このうち三〇〇〇万円を堀田らの代表として夕美子に返却し、同人は、これを自己名義で新川水橋信用金庫に定期預金にし、その定期預金証書を原告に保管のために預けたと主張するところ、確かに、富山綜合ビルが昭和六〇年五月一〇日に新川水橋信用金庫から借り入れた三〇〇〇万円をもって、同日、夕美子名義の三〇〇〇万円の定期預金が作成されていることが認められる(乙二五七ないし二五九)。

しかしながら、右の夕美子名義の定期預金については、予め富山綜合ビルに対する貸付金の担保に差し入れられることが約されており、実際、そのまま担保に差し入れられ、次いで、昭和六一年六月二七日、右定期預金は原告によって解約され、富山綜合ビルの普通預金口座に入金された上、右信用金庫からの借入金の弁済に充てられていることもまた認められる(乙二六〇ないし二六四、原告本人)のであって、この事実関係に照らすと、前記三〇〇〇万円の定期預金作成の事実では、三〇〇〇万円を堀田らに返却したとの原告の主張を裏付けることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(7) 次に、昭和六〇年に堀田らが新川水橋信用金庫から定期預金を担保に一五〇〇万円を借り入れ、これを原告に貸し付けた旨の供述についても、右金員の貸付、授受、移転を裏付ける資料が何ら提出されていないこと、及び、当時、新川水橋信用金庫から秀次や澄子に対して原告主張のような貸付は行われていないこと(乙二七七、二七八)に照らすと、到底採用できない。

(8) なお、証拠(乙二六六、証人夕美子、原告本人)によれば、本件株式取引のために必要な短期資金の借入れを新川水橋信用金庫から夕美子名義で行っていることが認められるが、同時に、右各証拠によれば、それらの借入れの意思決定、右金庫への申込み・折衝及びその返済は、いずれも原告自身が行っており、新川水橋信用金庫も、申込み、返済、担保等の状況から原告自身への貸付けと認識していたものであることが認められるのであるから、右の夕美子名義での借入れの事実も原告主張の裏付けとはなりえない。

(9) 以上のとおり、堀田らから本件株式取引の資金が提供されたとの原告の主張は採用できないものというべきである。

(二) 本件株式取引の態様について

(1) 原告本人は、荒町証券の担当者清水優に対して、本件株式取引が共同で行うものであり、税金がかかるようならば知らせて欲しいと告げた旨を供述する。

しかしながら、清水は、大蔵事務官の質問に対し、原告本人の右供述を否定する趣旨の申述をしていること(乙二七二)、及び原告名義の取引が非課税の条件を大きく超えていたにもかかわらず、荒町証券から原告への連絡がなかったこと(原告本人)に照らして、原告本人の右供述は信用できない。

(2) 原告は、その主張の裏付けとして、荒町証券の作成に係る株式譲渡益を区分した表を書証(甲四)として提出しているが、これは、昭和六三年になってから、原告の要求に基づき、取引の帰属区分について何ら根拠もないまま作成されたものにすぎず(乙二七二)、到底原告の主張を裏付けうるものではない。

(3) また、堀田らは株取引の経験がなく、夕美子からすすんで本件株式取引について売買を申し出ることはなく、秀次は株の話を理解できる状態ではなかったことが認められる(証人夕美子、原告本人)のであって、この事実関係に照らすと、原告が本件株式取引に当たって逐一堀田らの同意を得ていた旨の証人夕美子の証言及び原告本人の供述は信用しがたい。

(三) 堀田らに対する利益の分配及び原本の返還について

(1) 原告本人は、原告が、昭和六一年一二月一八日、秀次に対し、富山市森字道木割一二〇番地二〇七の土地の代金分一〇〇〇万円及び同所一二〇番地二〇三所在のマンション二区画とその敷地の共有持分の代金分一三〇〇万円を交付し、昭和六二年には、東京火災海上保険株式会社の株券七万株を約一億六四六〇万円で売却し、秀次に対し、内金九四〇〇万円を交付し、澄子に対し、同人が八尾町の山林、原野の購入のための手付金に充てられた二〇〇万円を交付したほか、堀田らに対し、本件株式取引の利益の分配を行い、これを富山綜合ビルが借り入れていた旨を供述し、証人夕美子も、原告の右供述に沿う内容の証言をしている。また、道木割一二〇番地二〇七の土地が昭和六二年一月七日に、同所一二〇番地二〇三所在のマンション二区画とその敷地の共有持分が昭和六一年一二月二〇日に、いずれも富山綜合ビルから秀次に売買を原因として所有権移転登記されていることが認められる(甲六の1、2)。

(2) しかしながら、原告本人は、本件株式取引の利益の分配の割合について原告が八に対して堀田らが六であると供述するものの、右割合による利益の分配のための計算を行ったことを示す証拠は何もなく、堀田ら三名の分配割合についても不明である。

また、原告本人の供述する各金員が原告と堀田ら間で授受されたことを示す資料は何も提供されていない。原告本人の供述するところによれば、原告が堀田らへの利益の分配あるいは元本の返還であるとする金員は、いずれも堀田らの手には渡らず、そのまま原告の経営する富山綜合ビルの運営資金に充てられ、同社の決算書(甲五の1ないし5)に堀田らからの長期借入金として計上されているというにすぎず、結局、堀田らには実質的には何ら経済的利益は供与されていないものと言わざるを得ない。

また、前記各不動産の所有権移転登記に関しても、秀次の負担すべき対価が実質的に原告から(本件株式取引の利益から)出損されたことを裏付けうる資料は何も提出されていない。

(3) 右の(2)で判示した諸点に照らすと、前記(1)記載の証言、供述及び不動産の登記移転の事実をもっては、原告から堀田らに対して本件株式取引の利益の分配あるいは出資元本の返還がなされたものと認めることはできない。

3  右に判示したところからすれば、原告と堀田らとの間で資金を出し合って共同で株の売買をする合意があった旨の証人夕美子の証言及び原告本人の供述は信用できず、本件株式取引が原告と堀田らとの共同取引であったものとは到底認められない。

4  以上1ないし3に判示したところによれば、本件株式取引は、原告単独の取引であって、その利益は原告の所得を構成するものと認めるのが相当である。

5  証拠(乙八ないし二五四)によれば、本件株式取引の内容及び損益の状況は別表二及び三のとおりであると認められる。

すると、本件株式取引のうち昭和六一年に行われた取引の回数は一三六回、取引株数は一七三万五一〇〇株、昭和六二年に行われた取引の回数は一一五回、取引株数は一六二万二七〇〇株であるから、右売買による所得は非課税の対象とはならず、その収入金額は、昭和六一年分が六七二九万二六六〇円、昭和六二年分が一億五三〇三万五四三三円となる。

三  争点3について

1(一)  証拠(乙八、九の2、3、三七ないし三九、四九ないし五二、五四、五五、六六、六七、七〇ないし七二、一九六、一九九、二七二、二八〇、原告本人)によれば、次の事実が認められる。

<1> 原告は、平和不動産の株式につき、昭和六一年七月三〇日から同年一二月二七日までの間に一四万七〇〇〇株を信用取引で買い付け、昭和六二年一月二八日までにこれらを現引した。このうち、昭和六一年九月九日以前に現引した四万株については、同年九月二七日に原告名義に名義変更がなされた。残り一〇万七〇〇〇株のうち、昭和六二年二月二〇日に売却された残り六万株については、同年三月二七日に秀次名義に名義変更された。

<2> 平和不動産は、昭和六二年三月期決算配当金として、名義人秀次に一八万円(税引後の金額一四万四〇〇〇円)、原告に一二万円(税引後の金額九万六〇〇〇円)をそれぞれ支払った。

<3> 原告は、同年四月一〇日、右原告名義株式と秀次名義株式合計一〇万株を原告名義取引口座において売却した。

(二)  また、証拠(乙八、九の四、五、八〇、八一、八七、八八、一一一、二一一、二七二、二八三の1ないし4、原告本人)によれば、次の事実が認められる。

<1> 原告は、四国電力の株式につき、昭和六二年二月一〇日から同月二七日までの間に信用取引で三万株を買い付け、同月二三日から同年三月二日までの間にこれらを現引した。そして、同月二五日、うち二万四〇〇〇株を夕美子名義に、うち三〇〇〇株を澄子名義に、うち三〇〇〇株を原告名義に名義変更した。

<2> 四国電力は、昭和六二年三月期決算配当金として、名義人夕美子に六〇万円(税引後の金額四八万円)、名義人澄子に七万五〇〇〇円(税引後の金額六万円)、原告に七万五〇〇〇円(税引後の金額六万円)をそれぞれ支払った。

<3> 原告は、同年六月一一日、右株式を、同年五月二一日に信用取引で買い付け翌日現引した一万株とあわせて、原告名義取引口座において売却した。

2  以上のとおり、本件株式取引において堀田らに名義変更された平和不動産の株式六万株及び四国電力の株式二万七〇〇〇株については、いずれも決算期末直前に堀田らに名義変更されており、右名義変更後に原告名義株式と合わせて原告名義取引口座で売却されている。これらの点と、前記のとおり本件株式取引において原告のみが売買の指示を出していたこと、共同取引としての実態がないことを併せ考えると、堀田らに名義変更された右株式は、いずれも実質的に原告に帰属していたものであり、名義変更は堀田らに配当金を与える目的で行われたにすぎないものと認めるのが相当である。

したがって、堀田らが受領した配当金合計八五万五〇〇〇円は、右株式の真実の権利者である原告に帰属するものである。

四  争点4について

証拠(乙二八〇、二八三の1、2)によれば、原告は、平和不動産の昭和六三年三月期の中間配当金として同社株式六万一〇〇〇株に対する一八万三〇〇〇円を受領し、四国電力の昭和六二年九月期の中間配当金として同社株式三〇〇株に対する七五〇〇円を受領したことが認められる。そして、前記認定の別表二のとおり、原告は、右各中間配当の基準日である昭和六二年九月三〇日には、平和不動産の株式を五万株保有していたにすぎず、四国電力の株式については保有していなかったものである。従って、平和不動産の右中間配当金のうち五万株に対する配当額一五万円を超える部分及び四国電力の右中間配当金全額は、失念株に対する配当金であって、原告は、株主たる地位に基づいて支払を受けるものではないから、配当所得には該当せず、所得税法三五条一項により雑所得にあたるものである。なお、右の失念株に対する配当金部分については、原告の昭和六二年分の確定申告において配当所得として掲げられていない(乙二)から、これを雑所得に掲げるに当たり配当所得の金額に変更はない。

五  以上によれば、当事者間に争いのある昭和六一年分の本件株式取引に係る譲渡益、昭和六二年分の配当所得のうち名義株に係る配当金額、同年分の本件株式取引に係る譲渡益及び同年分の失念株に係る受取配当金につき、いずれも被告の主張する金額が原告の所得を構成する収入と認められる。また、それぞれの年の雑所得を構成する必要経費の額については、被告の主張する金額を超える必要経費につき、原告の具体的な主張、立証はないから、被告の主張する金額をもって必要経費と認めるのが相当である。

そうすると、原告の六一年分の総所得金額は六七六二万四九四一円となり、六二年分の総所得金額は一億五四三八万五九〇八円となるから、被告が昭和六三年八月五日付でなした原告の昭和六一年分所得税についての更正及び被告が平成三年二月二八日付でなした原告の昭和六二年分所得税についての再更正は、いずれも右各年分の原告の総所得金額の範囲内でなされたものであって適法であり、右再更正に伴う過少申告加算税賦課決定にも違法はない。

第四結論

よって、被告が昭和六三年八月五日付でなした原告の昭和六二年分所得税についての更正の取消しを求める訴えは不適法であるから却下し、その余はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺修明 裁判官 中山孝雄 裁判官 鈴木芳胤)

別表一

課税処分経緯表

<省略>

別表二

銘柄別株式売買損益一覧表(昭和61年分)

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銘柄別株式売買損益一覧表(昭和62年分)

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別表三

有価証券(銘柄別)・取引計算

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